So-net無料ブログ作成
  • ブログをはじめる
  • ログイン
前の10件 | -

ネット社会(その2)(小田嶋氏:ネットの文字はなぜ記憶に残りにくいのか) [社会]

昨日に続いて、ネット社会(その2)(小田嶋氏:ネットの文字はなぜ記憶に残りにくいのか)を取上げよう。

コラムニストの小田嶋 隆氏が10月26日付け日経ビジネスオンラインに寄稿した「ネットの文字はなぜ記憶に残りにくいのか」を紹介しよう。
https://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/174784/102500164/?P=1
・『つい先日、経団連会長の会長執務室にこの5月、はじめてパソコンが設置されたという読売新聞の報道があって、その新聞記事のスクリーンショット(スクショ)を貼り付けたツイートが大量に拡散されている。経団連会長に就任した日立製作所の中西宏明会長がパソコンがないことに驚き、導入したのだという。 ネット内の人々の反応は「えっ? いままでパソコンも使ってなかったわけ?」「じゃあどうやって外部と連絡をとっていたんだ?」という素朴な疑問からはじまって、やがて大喜利に発展した。「経団連って竜宮城だったのか?」「会長がメールアドレスを持つのもはじめてらしいぞ」「ってことはつまり歴代のボスはメールを使ってなかったわけか?」「もしかしたら、指示は竹簡に毛筆とかか?」「移動は大名駕籠だな」「まあ、ちょっと遠めの行き先には牛車ぐらい使ってると思う」「実際、インターネットが来ない環境下で、外部とはどうやって情報交換してたんだろうか」「秘書経由だろ」「苦しゅうない近う寄れとかいって、耳打ちしてたわけだな」「いや、セキュリティー的なアレを勘案するにパンパンって両手を打ち鳴らすと御庭番が石灯籠の陰から現れるシステムじゃないかな」「だよな。だからこそ経団連ビルの会長執務室には石灯籠付きの庭と天井裏と床下を設営することが必須だったわけで、してみるとパソコンの設置が後回しになってたのも当然だわな」「側女(そばめ)もな」「この際ソバメは関係ないだろ」「これは異なことを。拙者セキュリティー的に必須と愚考するが」 つまりだ。ネット内の人たちは、「経団連の対人感覚の旧弊さ」と「情報感度の低さ」を嘲笑していたわけだ。気持ちはわかる』、経団連会長執務室にパソコンを導入したのが、日立製作所の中西宏明会長ということであれば、当然だろう。
・『いまどき、固有のメールアドレスを持っていないボスが、口頭や手書きのペーパーで指示を出していたらしいのもさることながら、激変する世界経済に臨む日本の窓口ともいうべき経団連の会長執務室が、インターネットにすらつながっていなかった事実は、老舗蕎麦屋の店主が実は蕎麦アレルギーでしたというのとそんなに違わない驚天動地の日本没落情報だと思う。 とはいうものの、経団連の会長のような名誉ある職になると、「情報」そのものより「顔」の方が重要になるのではなかろうかという気もする。 どういうことなのかというと、ある程度以上の規模の会社の社長が自分で運転しなくなるのと同じように、名だたる一流企業の社長が雁首を揃えている組織のトップともなると、もはやいちいちメールに自分で答え、具体的に経営判断を行うことが禁じられていてもおかしくないのではないか、ということだ。であるからして、判断の基礎となる「情報」自体も、むしろ邪魔になる。 つまり、経済人の統合の象徴として在位している経団連会長は、来客を接待したり、関連の会合であいさつをするための「顔」なのであって、判断や命令を下す「頭」や「腕」ではない。とすれば、私的な肉声を発する発信源たるメールアドレスは、本来そぐわない装備なのだ』、なるほど、巧な解釈だ。
・『・・・私は、これまでの経団連の会長が固有のメールアドレスを持っていなかったことを、さして異常なことだとは思っていない。インターネット経由の情報にアクセスしていなかったことも、いかにもありそうな話だと思っている。それどころか、あらまほしきことですらある、というふうに受け止めている。 もう少し踏み込んだ言い方をするなら、私は、経団連の会長のような立場の人間は、秋刀魚の裏表も分からない状態で執務させておくのが本人のためにも無難なのだと思っている。なんというのか、「象徴」的な地位の人間を、神輿の上に座らせて無力化することは、この国の組織人たちが長い歴史の中で学び得た知恵なのであって、最高権力者から実務的な権力を引き剥がして、単なる「権威」として遇するのは、組織防衛上の安全策なのである。 むしろ、ああいう役柄の人間が、暴れん坊将軍よろしく市井の悪逆非道を手ずから正しにかかったりしたら、現場は大混乱に陥るだろう。 してみると、現職の中西会長が、メアドを獲得し、自前のパソコンを装備するに至ったことは、これまで半世紀余りにわたってわが国の経済界をリードしてきたあの組織が大きく変化しつつあることの、最初の兆候であると言えるのかもしれない』、「最高権力者から実務的な権力を引き剥がして、単なる「権威」として遇するのは、組織防衛上の安全策なのである」とは言い得て妙だ。
・『もうひとつ思うのは、個別の企業のトップや、現場で指揮を採る最前線のリーダーならいざしらず、経団連の会長のような立場にいる人間は、パソコンやインターネット経由でもたらされる「文字化」した情報はあえて無視して、「肉声」や「握手」や、「フェイストゥーフェイス」の交流で得られる身体的な情報のやりとりに専念する方が、むしろ本筋なんではなかろうかということだ。 でなくても、コミュニケーションのうちの、非言語的な部分(文字化に伴って言葉の中から捨てられてしまった部分)を担うべき司祭に当たる役割の人間は、この先、必ず必要になるはずだ』、なるほど。
・『こんなことを思ったのは、実は、別のニュースの関連情報を掘り進むうちにたどり着いた奇妙なウェブサイトを見たからだ。 そのサイトというのは、最近報じられた社員の自殺と、その遺族がパワハラによるものだと訴えている件の、一方の当事者である社長が運営している書評用のブログだ。 その書評ブログの中で、社長ご本人が主張しているところによると、彼は、1日に50~100冊、月1500~3000冊の本を読むのだそうだ。 読書に充てる時間は、1日あたり4時間から6時間。どうしてそんなに速くたくさんの本を読めるのかという質問には、《結論から言うと『慣れ』です。》と答えている。 具体的な方法については、《私はフォトリーディングやフォーカスリーディングと言ったビジネス書で宣伝されてるような手法は一切学んでいません。速読セミナーに通ったことはあるのですか?と聞かれたりもしますが、そういう物には一切参加してません。あ、いや、別にそういう物を否定してるんじゃ無いですよ。私は参加してません、と言うだけです。速読セミナーに行くくらいなら私はその時間読書するし、そのセミナー代で私は本を買います(笑)》と説明している。 どう受け止めたら良いのだろう。 私は、「ウソ」ではないかと解釈している。 仮に、この社長の言う通りに、1日に50~100冊の本を、4時間から6時間の読書時間で読破しているのだとすると、単純計算で6時間で100冊の場合、1冊あたり3.6分(3分36秒)で読了していることになる。 私の常識では、これを「ウソ」と思わないことは難しい。 あるいは、社長自身が、意図的に他人をだますためにウソをついているということではないのかもしれない。 でも、そうだとしても、社長は自分をだましているはずだ。 つまり、社長は、3分半で1冊の本を「読んだ」と思い込むウソを、自分に対してついている。そういうことではないか』、確かに「ウソ」だろう。「自分に対してついている」というのは面白い解釈だ。
・『この感覚は、実は、わずかながら見当がつく。 というのも、私自身、自分の読書については、最近、自分ながら錯覚しているのではなかろうかと思い始めているからだ。 問題は、どうして件の社長が、見え透いたウソと思われる(ウソだと思ってますが)ほどの読書量をブログに書かねばならなかったのかということであり、また、われわれが、実際には読了しているわけでもない書籍を読破したと思い込みたがっているのかということでもある。 以下、われわれ21世紀の人間が、情報の入力に関して、いかに奇天烈な妄執を抱くに至っているのかについて考えてみたい。 この話は順序立てて、思い切り前提のところにさかのぼって話しはじめなければならない。 なので、これから先で並べるのは、ちょっとめんどうくさいストーリーなのだが、ぜひつきあってください』、面白そうな仮説だ。
・『まず、音読と黙読の話をする。 これは、いくつかの場所で話したり書いたりしたことのある話でもあるので、知っている人は既に知っているかもしれない。が、ともあれ、先につながる話なので、我慢して聞いてほしい。 十数年前、子供が通っていたある進学塾から、あるペーパーが配布された。 そのA4のコピー用紙3枚ほどのワープロ打ちのテキストは、驚くべき内容の警告文だった。 そこにはおおよそ以下のようなことが書かれていた。「小学校4年生以上のお子さまをお持ちの保護者の皆さんに申し上げます。お子さまたちに、いますぐこの場で音読の習慣をやめさせてください。音読は、できれば、3年生までのうちに中断したほうが良い習慣です」 という挑発的な書き出しを受けて、説得は続く。「文章を声に出して読んでいる限り、あるいは頭の中で文字を音声に変換して読み下している限り、文章を読む速度は1分間に300文字程度より速くはなりません」「ところが、難関中学の入学試験では、1分間300文字の速読能力ではとても追いつかない量の問題文が出題されます」「理由は、第一に学習指導要領の定めによって、中学入試では小学校で教えたカリキュラムの範囲を超える問題を出題することが禁じられているからで、第二に、小学校の教育課程の範囲内の問題を普通に解答させると、満点を取る受験生が続出して合否が判定できないからです」「そこで、特に優秀な受験生が集中する難関校では、もっぱら問題の分量を増やすことで満点得点者の続出に対応しています。それゆえ、難関校の入試に臨む児童は、試験時間内には読みきれない膨大な量の問題文を読みこなす必要に迫られるわけです」「つまり中学受験に臨む子供たちは、なるべく速く、正確に大量の文章を読み下す速読能力を訓練しなければなりません」「そのためには、遅くとも小学校4年生の段階で、頭の中で文字を音にする習慣をやめさせて、文字を映像のまま、ひとかたまりの情報として処理する技術に慣れて行く必要があります」とまあ、言い回しや説明の順序はともかくとして、内容としては以上のようなお話が展開されていた次第で、われわれはどうやら大変な時代に到達してしまったのだなあ、と、私は、しばし感慨にふけったものなのである』、難関中学の入学試験がそんなことになっているというのを初めて知り、驚かされた。
・『あらためて言えば、私の母親の世代の人間は、基本的に「黙読」ということができない。彼女が新聞を読んでいる姿を見ていると、黙って読むことはできていても、微妙に口元がモゴモゴ動いていたりする。それもそのはず、頭の中では文字がありありと音に変換されているからだ。 母の世代の人間にとって、書物は、貴重品だった。 月に1冊本を買ってもらえることが大いなる楽しみで、だから戦前の子供たちは、その貴重なうえにも貴重な書籍を、それこそ舐めるように丁寧に読んでいた。間違っても買ってきて2時間で読了するような、そんなぞんざいな読み方はしなかった。 だから、黙読は、不必要であるのみならず、どちらかといえば、文字に対して失礼な読み方ですらあったはずなのだ。 ところが、現代の子供たちは、音読していては間に合わない量の情報を取り入れなければならない。 で、音読は、いつしか「勉強のできない子の困った習慣」みたいな扱いに追いやられつつある。 文字から音読の要素を排除するということは、情感やニュアンスや音韻やリズムを消し去って、文章を純粋な「情報」に圧縮することでもある』、言われてみれば、その通りだ。
・『いつだったか、ある対談でご一緒した詩人の伊藤比呂美さんに、この「児童進学教室による音読排除のススメ」の話を振ったところ、彼女は素晴らしく怒って「子供たちが朗読をしなくなったら、詩が詩でなくなるだけではおさまりません。言葉から音が切り離されるということは、日本語がもはや人間の言葉ではなくなるということです」と断言された。私は、「そうですね」とお答えしたのだが、「そうですねじゃありません!」と叱りつけられた。 その通りだ。誰かが叱られなければならないのだ。あるいは、われわれの世代全部が、まるごと、昔の日本人からお叱りを受けて、平身低頭謝罪しなければならないのかもしれない。 日本語を音読しなくなるということは、言葉の持っている機能のうちのより基本的な側の半分を捨て去ることを意味している。これは、返す返すもとんでもないことだ』、「言葉から音が切り離されるということは、日本語がもはや人間の言葉ではなくなるということです」とは詩人らしい鋭い指摘だ。
・『もっとも、我が身を振り返ってどうなのかというと、私自身、音読の習慣を失って久しい。 日常的に大量の文書を読みこなすことを業務の一部としている出版業界の人間は誰であれ、似たようなものだと思う。なぜというに、いちいち文章を音声に変換していたらノルマの量の文章を読みこなせないからだ。 私は、薄めの新書なら内容にもよるがだいたい2時間ほどで読了することができる。 割り算をしてみると、1分間あたり1000文字ほどの速読力ということになる。 これは、一般の人と比べれば速いほうだと思うが、業界標準としては、むしろ遅い方かもしれない。 もっと速い人はいくらでもいる。 私自身も、献本で送られてくる新刊や、書評のための書籍を読む時のスピードは、自腹で買った本を読む時の速度に比べて明らかに速い。普段の読み方の倍以上かもしれない。 で、そういう速度で実際に読めているのかというと、「軽めの文体の本だな」とか「字組はゆるめだよね」といったあたりのことは、まあ把握できる。 「全体として経済のことを書いてある本みたいだぞ」という程度のこともわかる。 でも、そのくらいのことは、そもそもタイトルを見ればわかることでもある。 私は、読んだ気になっているだけで、実際にはまるで読めていないのかもしれない。 印刷物だけではない。 毎日毎日、私はメールやらSNSやらウェブニュースやらスマホ経由のラインやらメッセージやらの、ありとあらゆる種類の文字を、かなりとんでもない速さで読みこなしている。 そうしていながら、ふと気がついてみると、私は何も覚えていない。あるいはこれは、年齢のせいで、アタマの中を通過した文字の定着率が落ちているということに過ぎないのかもしれない。 でも、個人的には、自分がアタマの中に文字をスクロールさせる動作に依存してしまっていると考えた方が、筋道が通ると思っている。 私は、読書ブログの社長ほどではないにしても、文字を通過させる下水管みたいなものになってしまっているのかもしれない。 で、そのウェブにつながった下水管たちが、経団連のもと会長たちを嘲笑している。 奇妙な図だと思う』、「文字を通過させる下水管みたいなもの」とは上手い表現だ。
・『月に3000冊の本を読む人間は、月に30頭の牛を食べつくした人間が健康を害するのと同じようにして、自らの精神を健康に保つことができなくなるはずだ。 私たちも、用心せねばならない。 頭の中に保持できる文字の数には限界がある。 その限界を超えると、たぶん、自分自身を保持できなくなる。 エビデンスはないが、私はそう思っている』、面白いオチだが、私は、限界を超えた文字は忘れていくだけで、自分自身は保持されると思っている。
タグ:ネット社会 日経ビジネスオンライン 小田嶋 隆 (その2)(小田嶋氏:ネットの文字はなぜ記憶に残りにくいのか) 「ネットの文字はなぜ記憶に残りにくいのか」 経団連会長の会長執務室にこの5月、はじめてパソコンが設置された 経団連会長に就任した日立製作所の中西宏明会長がパソコンがないことに驚き、導入 ネット内の人たちは、「経団連の対人感覚の旧弊さ」と「情報感度の低さ」を嘲笑 名だたる一流企業の社長が雁首を揃えている組織のトップともなると、もはやいちいちメールに自分で答え、具体的に経営判断を行うことが禁じられていてもおかしくないのではないか 経団連会長は、来客を接待したり、関連の会合であいさつをするための「顔」なのであって、判断や命令を下す「頭」や「腕」ではない 「象徴」的な地位の人間を、神輿の上に座らせて無力化することは、この国の組織人たちが長い歴史の中で学び得た知恵なのであって、最高権力者から実務的な権力を引き剥がして、単なる「権威」として遇するのは、組織防衛上の安全策なのである パソコンやインターネット経由でもたらされる「文字化」した情報はあえて無視して、「肉声」や「握手」や、「フェイストゥーフェイス」の交流で得られる身体的な情報のやりとりに専念する方が、むしろ本筋 社員の自殺と、その遺族がパワハラによるものだと訴えている件 社長が運営している書評用のブログ 1日に50~100冊、月1500~3000冊の本を読むのだそうだ。 読書に充てる時間は、1日あたり4時間から6時間 私は、「ウソ」ではないかと解釈 社長は、3分半で1冊の本を「読んだ」と思い込むウソを、自分に対してついている 私自身、自分の読書については、最近、自分ながら錯覚しているのではなかろうかと思い始めているからだ 21世紀の人間が、情報の入力に関して、いかに奇天烈な妄執を抱くに至っているのかについて考えてみたい ある進学塾 小学校4年生以上のお子さまをお持ちの保護者の皆さんに申し上げます。お子さまたちに、いますぐこの場で音読の習慣をやめさせてください。音読は、できれば、3年生までのうちに中断したほうが良い習慣です 文章を声に出して読んでいる限り、あるいは頭の中で文字を音声に変換して読み下している限り、文章を読む速度は1分間に300文字程度より速くはなりません 難関中学の入学試験では、1分間300文字の速読能力ではとても追いつかない量の問題文が出題されます 私の母親の世代の人間は、基本的に「黙読」ということができない 貴重なうえにも貴重な書籍を、それこそ舐めるように丁寧に読んでいた 音読は、いつしか「勉強のできない子の困った習慣」みたいな扱いに追いやられつつある 文字から音読の要素を排除するということは、情感やニュアンスや音韻やリズムを消し去って、文章を純粋な「情報」に圧縮することでもある 詩人の伊藤比呂美 言葉から音が切り離されるということは、日本語がもはや人間の言葉ではなくなるということです 日本語を音読しなくなるということは、言葉の持っている機能のうちのより基本的な側の半分を捨て去ることを意味している。これは、返す返すもとんでもないことだ 私自身、音読の習慣を失って久しい 私は、読んだ気になっているだけで、実際にはまるで読めていないのかもしれない 文字を通過させる下水管みたいなものになってしまっているのかもしれない 月に3000冊の本を読む人間は、月に30頭の牛を食べつくした人間が健康を害するのと同じようにして、自らの精神を健康に保つことができなくなるはずだ 頭の中に保持できる文字の数には限界がある。 その限界を超えると、たぶん、自分自身を保持できなくなる
nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

ネット社会(その1)(「低能先生」を凶行に駆り立てたネット民の闇 匿名コミュニティによる正義追求の恐ろしさ、“つながり孤独” 若者の心を探って…) [社会]

今日は、ネット社会(その1)(「低能先生」を凶行に駆り立てたネット民の闇 匿名コミュニティによる正義追求の恐ろしさ、“つながり孤独” 若者の心を探って…)を取上げよう。

先ずは、ITジャーナリストの本田 雅一氏が6月30日付け東洋経済オンラインに寄稿した「「低能先生」を凶行に駆り立てたネット民の闇 匿名コミュニティによる正義追求の恐ろしさ」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/227515
・『人気ブロガー「Hagex」ことネットセキュリティ会社勤務の岡本顕一郎さんが殺害された6月24日の事件が大きな波紋を呼んでいる。岡本さんを殺害したのは、インターネットコミュニティの中で誹謗中傷を繰り返していた無職・松本英光容疑者。岡本さんは、自身のブログの中で、「低能先生」として知られる松本容疑者の行為を問題視し何度か取り上げていた。松本容疑者はこれを逆恨みして犯行及んだと見られている。 岡本さんはインターネットセキュリティの世界でよく知られる存在だったほか、ネット上の様々な出来事を綴った「Hagex-day.info」をHagex名で書いていた』、新聞で読んだだけでは、全く理解できなかったので、紹介した次第。
・『現実社会では接点がまったくなかった  しかしこの事件が注目されているのは、岡本さんがネット社会で広く知られた人物だったからだけではない。松本容疑者が岡本さんと現実社会では接点がまったくない上、ネット上でも直接の議論などを交わしたことがないにも関わらず、強い意思を持って殺害という行為を選択している点にある。 警察からの情報を基にした複数の報道によれば、松本容疑者は岡本さんの本名すら知らず、ネット上で見つけていたHagex氏とみられる人物の写真を参考にして殺害する人物を特定したようである。Hagex氏を「ネット上で自分を批判している人物の代表」と一方的に見定め、社会への復讐として犯行に及んだと考えられる。 この事件が驚きをもって受け止められたのは、ネットコミュニティにおける匿名のやり取りに過ぎないのに、それが原因で凄惨な殺人事件を犯した点にある。たしかに、殺人にまで至った今回のようなケースはまれではあるが、ネット上には、想像を超えた発想から執拗な攻撃を行う人は多い。一方的な逆恨みは、ネットコミュニティでは決して珍しい話ではないのだ。 タイトルにもあるように、「低能先生」は追い詰められる中で暴発したとみられる。そのことを解説する前に、まずは事件の経緯をおさらいしておきたい。 松本容疑者は株式会社はてなが運営するサービスを頻繁に利用していたと見られている。ひとつは「はてなブックマーク」で、ウェブのブックマーク、およびブックマークした記事へのコメントを利用者間で共有するサービスだ。 もうひとつは「はてな匿名ダイアリー」である。名称の通り、日記を匿名で投稿できるサービスだ。匿名とすることで、日常の生活とは切り離された自由な発想で日記形式の文章を投稿できるが、一方的な感情を吐露する場としても使われる』、現実社会では接点がまったくなかったのに、殺害するとは、恐ろしい時代になったものだ。匿名性については、私はそのマイナス面を重くみて、このブログも実名でやっているが、確かにプラス面もある。
・『松本容疑者は頻繁に迷惑行為を行っていた  なお、”匿名”は英語で”アノニマス”であるため、”アノニマスダイアリー”を略して「アノニマスダ」と呼ばれ、それが変換ミスなども相まって「アノニ増田」に変化。ネットコミュニティの中では「増田」と呼ばれている。いくつかの関連ブログに出てくる「増田」とは、はてな匿名ダイアリーそのものを示す場合と、その利用者や投稿されたエントリーを指している場合がある。 松本容疑者は、はてなブックマークの「IDコール」という、特定IDの利用者にコメント投稿の通知を送る機能を用い、頻繁に迷惑行為を行っていた通称「低能先生」と同一人物の可能性は極めて高い。 「低能先生」とは、自分が気に入らないコメントを残している人物にIDコールで罵詈雑言を送るのである。迷惑行為を繰り返すため、「低能先生」のアカウントは何度もアカウント削除されたが、それでも毎回、新しいIDを作成して同じ行為を繰り返していた。 罵詈雑言には「低能」という言葉が頻出するため、この迷惑行為を行うアカウント、人物は「低能先生」と呼ばれるようになっていった。それほどまでに長期間、多数の迷惑行為が続けられていたのだ。 はてな匿名ダイアリーには、「低能先生」の行いについてまとめたエントリーが多数掲載され、それぞれトラックバックでつながっている。そのうちのひとつを参照すると、「低能先生」がどのような罵詈雑言を書いていたのかを参照できる。 また、こちらのエントリーを見る限り、ひとりの相手に1日最大6件ものIDコールを行っており、膨大なエネルギーをかけて多数の罵詈雑言を放っていたことが想像できる。低能先生のこうした行為は2016年ぐらいから始まり、何度もID凍結と新規ID作成を繰り返していたが、ID凍結の頻度が高まったのは岡本さんがブログの中で「低能先生」の行為を扱ったことがきっかけだったと言われている。 ブログの中では、批判的に「低能先生」の活動について取り上げられているだけでなく、簡単な通報で迷惑行為を行うIDを凍結できると紹介しており、ユーザーの間で「低能先生」を通報する機運が高まったことは確かなようだ。 はてな匿名ダイアリーでの呼びかけであるため、誰が行っていたのかはわからないが、「低能先生」の通報、ID凍結を呼びかけるエントリーが繰り返し投稿されており、そこには低能先生と思われるIDからの匿名トラックバックも多数見受けられる。時系列でトラックバック内容を見ると、低能先生が繰り返しのID削除に苛つき、だんだんと現実社会での報復へと向かう様子が伺える。 「通報厨」と名付けられた、繰り返し行われる低能先生の通報を呼びかける人物(誰であるかは不明)に対する怒りが、こちらのエントリーにまとめられていた。 これらの経緯を考えると、松本容疑者は誰なのか、あるいは一人ではなく複数なのかもわからない通報厨に報復するかわりに、通報厨が生まれるきっかけを作った、しかも誰なのかを特定できているHagex氏にターゲットを絞ったと考えられる。 しかし、それだけでは殺人には及ばなかったのではないか。実際の犯行の引き金となったのは、挑発するような書き込みがあったからである。それは、現実社会での実行力がない人物が、ネット上だけで強がっているだけだ、と揶揄する書き込み(はてな匿名ダイアリーのトラックバック)である。毎日新聞の報道によると、低能先生に人を殺せるわけがないと煽られたことが殺人実行への直接の動機だったようだ。 はてなのサービス内で起きた経緯は、このようにユーザー間で細かくまとめられており、より詳細な経緯を知りたいのであれば、元となる情報を参照してほしい』、松本容疑者の無職とあるが。こんなにネットにのめり込むからには、外の実社会とのつながりは、あったとしても希薄なのだろう。
・『追い込まれていった構図  しかし、冒頭でも述べたように”命を奪う”という領域まで思い詰めたことは異常だが、松本容疑者が追い込まれていった構図は決して珍しいものではない。ネット上には「ネット弁慶」、すなわち「現実社会では大人しいがネット社会の中では強気」に振る舞う人は少なくない。 インターネット時代より遙か以前、電子掲示板システムによるパソコン通信サービス時代から、いわゆる”ネット弁慶な人”は多かった。筆者自身、一方的に中傷を受けたことが何度もあるが、実際に会ってみると温和で親切ということがほとんどだった。 パソコン通信時代、商用サービスではIDと個人が結びついていたが、それでもネット上の人格と現実社会での人格の乖離は多かった。まして、インターネットの匿名サービスともなれば、その傾向が強まることは想像に難くない。 実際には行為が行き過ぎれば、ネット接続サービス事業者への情報開示請求などにより個人を特定できてしまう。低能先生の例でも、情報開示請求をした人物が現れたとの情報が流れており、本人の想像の範疇を超えて追い詰められていったのだろうが、筆者は少し違った角度からこの事件について感じていることがある。 松本容疑者が低能先生であったのだとするなら、彼は(自身のトラックバックでも書いているように)複数の匿名利用者から集団リンチを受けているように感じていたのではないだろうか。 匿名サービスでは、それが一人なのか、複数なのかはわからない。書き込みの傾向や書き込まれる時間などで、同一人物なのかある程度は判断できるものの、自分に対する攻撃が繰り返されているうち、ネット社会における自分の人格を取り巻くすべてが敵に見え、まるで結託しているかのように思えるのだ』、ネットコミュニケーションの落とし穴にはまり込んだようだ。
・『「追い詰めないこと」が大切  数年前、筆者はネット上で活動する特定のIDに、毎日のように誹謗中傷のツイートや加工した画像を投稿された経験がある。その加害者IDのターゲットは筆者だけではなく、ある携帯電話事業者に対して批判的記事を書いた人物全員であった。 この加害者IDは偶然も重なり、自分が敬愛する携帯電話事業者の経営者とTwitter上でつながりを持つことができた。その携帯電話事業者がTwitter上でのアンバサダーマーケティングを行っていた時期、ファンを公言してやまなかった彼とのやり取りをマーケティング戦略上、利用していたからだ。ところが方針変更もあって関係が希薄になると、少しでも批判的と捉えられる記事を書いているジャーナリストを罵倒しはじめ、この経営者との関係を保とうとし始めたのである。 当然、筆者も含めて反論、反証したものは多い。彼の行為は毎日のように繰り返され、エスカレートしていったため、その分だけ彼のところに届く批判はこの件とは無関係の人物からの返信も含め、増加していった。そのため、何らかの集団からリンチされているように感じたこともあったようだ。 筆者はこの追い詰め方はまずいのではないかと感じた。そこで、最終的には彼自身がかつて明らかにしていたアドレスに筆者自身が連絡し、穏便に引き下がってもらうよう、彼の周囲とともに説得に乗り出した。彼の脳内では自分の行為が正当化されているため、どんなに温和な説得や言葉であっても「何か大きな見えない圧力で攻撃されている」と解釈するため、非常に厄介な経験だった。 この経験から、ネット社会では精神的に追い詰められていく過程で、自分の敵を過大に見積もる傾向があることがわかった。「追い詰める快楽」に酔っては危ないようにも感じた。 ネット社会の特殊性は、可視化されにくい情報が多いということだ。不足する情報を人間は推測で補完しようとする。現実社会よりも圧倒的に情報が少ない中で補完する情報が過大になってくると、事実関係と自分自身の認識の乖離が進み、さらに追い込まれていくのだ。「周りは全員が敵で、自分を抹殺しようとしている」というように。 今回の痛ましい事件の教訓は、「異常な行動を取っているように思える見知らぬ人物の凶行に気をつけろ」ということではない。そうではなく、「凶行に及ぶようなところまで相手を追い詰めないこと」が大切なのではないかと思う』、「不足する情報を人間は推測で補完しようとする。現実社会よりも圧倒的に情報が少ない中で補完する情報が過大になってくると、事実関係と自分自身の認識の乖離が進み、さらに追い込まれていくのだ」というのは、本当に恐ろし「落とし穴」だ。大いに気を付けたい。

次に、7月25日付けNHKクローズアップ現代+「“つながり孤独” 若者の心を探って…」を紹介しよう。
https://www.nhk.or.jp/gendai/articles/4164/index.html
・『ツイッターやFacebookなどのSNSが急速に普及するなか、“多くの人とでつながっているのに孤独”という、“つながり孤独”を感じる若者が増えている。「SNSで友だちの暮らしを見て劣等感を抱く」「SNSでのつながりの薄さに孤独を感じる」。番組には“つながり孤独”を訴える声が200通近く寄せられた。SNSがなぜ孤独を生み出すのか?番組では、寄せられた声をもとに、オープンジャーナリズムの手法で若者たちを悩ませる“つながり孤独”の実態を探っていく』、“つながり孤独”とは、この番組で初めて知った。
・『“つながり孤独”を知っていますか?  “つながり孤独”。今、知り合いや友達とのつながりに悩み、苦しむ人が増えているのを知っていますか? 30代 女性「つながりがあっても、自分は誰からも理解してもらえない。」 20代 女性「『つながり孤独』を感じすぎて、しんどかった時は、ああ死にたいと。」 インターネットを通じて、いつでもどこでも誰とでもつながることができる私たちの社会。その裏で、若者たちが感じる「孤独」。それが“つながり孤独”です。友だちもいるし、独りぼっちなわけでもないのに、なぜ?同じ悩みを抱える28歳、ディレクターのこの疑問から取材は始まりました。私たちは、番組のホームページやフェイスブックでご意見や体験談を募集。すると、200通以上の声が寄せられました。 20代 男性“知り合いの幸せそうな姿、夢や目標に向かって頑張っている姿を見て、自分は誰からも認められていないのではないかと、孤独を感じます。” 20代 女性“気軽に他人の近況をチェックできることによって、自分との差異がより明確になってしまい、孤独を感じます。” 20代 女性“SNSの投稿では、友だちが就職先の先輩と楽しそうにしているのです。自分とは違う状況がうらやましくなり、孤独感にさいなまれます。” “つながり孤独” 他人と比べてしまう… この声を寄せてくれた人を訪ねることにしました。アカネさん、20歳。高等専門学校を卒業後、地元の会計事務所で働いています。 アカネさん(20)「この子はたぶん、会社の人たちとディズニーランドに行ってる写真です。」 よく見るSNSはインスタグラム。自宅や職場で少しでも時間があるとチェックを欠かしません。アカネさんがよく見るのは、進学や就職で東京に引っ越した友だちの投稿です。都会での暮らしを生き生きと伝える写真や動画。それを見る度、アカネさんはどうしても自分と比較してしまうといいます。 アカネさん(20)「キラキラした写真っていうのが、あんなに近くにいた人たちがやっぱり違う世界にいるんだなっていうさみしさがあります。うらやましいっていう気持ちもありますし、自分と同じ人たちだったのに、こんなに差があるのか。」 つながり孤独に苦しんだ、アカネさん。もう見るのはやめようと、スマートフォンをたたきつけたこともありました。それでも、SNSから離れることはできません。 アカネさん(20)「『つながり孤独』を感じすぎて、しんどかった時は、ああ死にたいと。」 「死にたいとまで思ってたの?」 アカネさん(20)「はい。インスタグラムをやめちゃったら、もうつながりがなくなるのと一緒で、いつ会えるか分からないし、もう私のこと覚えてくれるかも分からない。SNSがあって当たり前の生活になってしまってるので、この孤独感はずっとつきまとうなって思ってる。」』、「“気軽に他人の近況をチェックできることによって、自分との差異がより明確になってしまい、孤独を感じます」というので、漸く理解できた。自分を確立する前に、SNSにひたると確かにあり得る話だ。
・『“つながり孤独” 本音が言えない  つながり孤独を訴える200通の声。SNSで本音を打ち明けることができないという悩みも多く寄せられました。 20代 男性“いまはSNSがあるので、自分の考えを表明できる環境はあるように思われますが、結局“本心”を隠すことになり、孤独を感じます。” 30代 女性“家族といても、職場で誰かと一緒にいても孤独を感じます。SNSでつながりがあっても、距離を感じます。” この声を寄せてくれた、リサさん、34歳。販売の仕事をしています。つながり孤独を強く感じたのが、去年(2017年)仕事に行き詰まり、フェイスブックに書き込んだ時のことでした。“もう、どうしたらいいか。今までで一番メンタルが低空飛行してる。” 「つらい心境を分かってほしい」。でも、リサさんは本当の気持ちを書き込むことはできませんでした。 リサさん(34)「ネットだから、文字だけでは分からないところもありますし、それで誤解を受けてしまうというところもあると思うんです。」 友達は励ましのコメントを寄せてくれましたが、表面的なやりとりで終わりました。相談できず、アドバイスも受けられない。リサさんは、結局仕事を辞めてしまいました。 リサさん(34)「職場とかSNSだとか、世界は昔に比べたら広くなってきているし、選択肢だって、いろいろとあると思うし。それでもやっぱり、つながりがあっても自分は誰からも理解してもらえないというか、孤独感を感じることをなくすというのは、たぶんないのかなって、この先。」』、「「つらい心境を分かってほしい」。でも、リサさんは本当の気持ちを書き込むことはできませんでした・・・仕事を辞めてしまいました」というのは、ネットに限らず、職場でも相談できる上司や同僚に恵まれず、本人自体も「殻に閉じこもる」性格だと大いにあり得る話だ。
・『変わる若者の孤独感  若者の悩みに、長年向き合ってきた人も“つながり孤独”の広がりを感じています。 本郷由美子さん。民間団体が認定する精神対話士の資格を持ち、16年間、孤独や生きづらさを抱える人たちのケアに取り組んできました。 大学3年生「もう少し深い関係の仲の友人を増やせたらなという思いはあります。」 学校や職場にとどまらず、インターネット空間でのつながりに悩み、コミュニケーションがとれない若者が増えている。本郷さんは、そう実感しています。 精神対話士 本郷由美子さん「10何年前っていうのは、集団の中ではみだしてしまうような立場に追いやられてしまって孤独を感じるっていう悩みを聞くことが多かったんですけど、(今は)たくさんつながってるけれども、本当に心を許せる人がいない。SNSよりも生身の人間に関わりたいっていうことをおっしゃっていて、でもその関わり方が分からないという風に苦しまれている。」』、私の場合でも、「本当に心を許せる人」というのはもともと数少ないものだ。しかも、仕事、生き方など分野別に分かれている。
・『“つながり孤独”って!? ただいま検討中  SNSで孤独を感じる、苦しい。 “つながり孤独”を訴える若者たちの切実な声に、私は20代のころの自分を思い起こしました。 武田:“つながり孤独”がピンと来ないっていうことは全くなくて、僕の若いころなんかは、例えば地方局で同期が良い仕事をして認められたとかなると、すごくうらやましく感じたし、他人の芝生が青く見える的な感覚っていうのは、若いころに本当によく感じましたね。よく分かります。SNSをよく使っている私は、自分も同じように感じることがあると思いながら、同世代の人たちを見ていました。 田中:見ている人みんな理解できるんじゃないかなと私は思って、3人グループがいたら、他の2人だけ一緒に遊んでいるのを見ちゃったら、あっとか思うとかって、そういうことっていっぱいあると思うんです。 武田:孤独って、すごくつらいじゃないですか。死にたくなるくらいつらいっていうことも分かる。ただ、やっぱり孤独って悪いことばかりじゃなくて、それを原動力として人とつながりたいと思うし、誰かを愛したいっていう気持ちにもなるだろうし、孤独はやっぱり僕は友だちだと思いますし。 田中:若者の状況が知りたいっていうことをすごい思ったんですね。何で生身の人間関係に逃げない?っていうか、行かないのかなって。悩みを持った時にっていうことをすごく思ってしまって。 武田:そういうのは、もしかして勝ち組の論理なのかもしれないけどね。 田中:だから私も毎回そうじゃないし、だけど、その勝ち組って今おっしゃいましたけど、そう思える人と思えない人は何が違うのかとか、そういうことを知りたい』、群れるだけではなく、孤独のなかで自分を高めることも大切だと思う。
・『“つながり孤独” 若者の胸のうち  ゲスト 菅本裕子(ゆうこす)さん(SNSアドバイザー・YouTuber・モテクリエイター) つながり孤独を感じる若者たちの胸のうちに、もっと迫りたい。私は、SNSの世界で活躍する、菅本裕子さんに会いに行きました。菅本さんは「モテクリエーター」を名乗り、SNSなどでファッションやメイクの情報を発信。「ゆうこす」の愛称で同世代の女性から支持を集め、SNSの総フォロワー数は100万人を超えています。 武田:実はこれ、みんなで見た時に、SNS上で孤独を感じたんだったら、なんで近くの生身の人間関係を充実させようとか思わないのかな? 菅本さん:私はSNSと現実世界だったら、やっぱ現実世界のほうに気を遣っちゃうんですね。たぶん私たち世代はSNSでコミュニケーションとるのに慣れすぎて、SNSで失敗したから現実っていうのは、なかなか行きづらいかもしれない。現実で失敗したからSNS(に逃げる)っていうのは分かるんですよ。だけどハードル低いところから急にまた高いところに挑戦していくの、なんか難しいかも。 武田:現実世界の方がハードルが高い? 菅本さん:全然高いです、私からすると。どうですか? 武田:いや、それは全然わかんない』、「私はSNSと現実世界だったら、やっぱ現実世界のほうに気を遣っちゃうんですね」というのは、さすが「SNSの総フォロワー数は100万人を超えています」だけある。人間的な広がり、社会との関わりがあってこそ、ファンが広がるのではなかろうか。
・『“接続過剰な日常”が若者を苦しめる  ゲスト 水無田気流さん(詩人・国学院大学経済学部教授) 私は、生きづらさや孤立についての著作もある、水無田気流さんに話を伺いました。 田中:いま若者が感じている“つながり孤独”、これを水無田さんは、どういうふうなものだと捉えていらっしゃいますか? 水無田さん:私は、SNSに日常的につながっていないとやりきれないというような、そういう若い人たちのあり方を、“接続過剰な日常”と言ってきたんですね。SNS上に出てくるキラキラした情報というのは、ほんの氷山の一角で、それ以外のところは、いろいろと悩みやゆがみを抱えていたり、あるいは、そういった問題が人に話せなくて困っているかもしれないんですよね。例えば座間で起きたSNS上に自殺願望を書き込んだ、特に女性たちを中心とした被害者が、殺人事件の被害者になるという痛ましい事件が起きましたけれども、SNS上で日常生活をリア充として「盛る」文化と、こういう自殺吐露のつぶやきというのは、表裏一体だと思うんですよね。自分の薄暗い部分、人はそういう部分あって当たり前なんですよね。ただ、そういう当たり前の暗くて薄暗くてドロドロした部分というのを、なかなか社会が容認できなくなってきている』、“接続過剰な日常”とは言い得て妙だ。
・『“つながり孤独” 心の病に苦しんで…  “つながり孤独”から心の病を患ってしまったという女性に出会いました。大学3年生のサクラさんです。双極性感情障害と診断され、心療内科に通っています。サクラさんがのめり込んでいたのは、16歳から始めたツイッターです。自分のつぶやきを読んでくれるフォロワーを増やすことに熱中し、つながった人は8,000人を超えました。 サクラさん(20)「承認欲求みたいな、人にたくさんフォローされることで、なんとなく認められてるみたいな。少なくとも『ひとりぼっちではない』、そういうのが欲しかったんだと思います。」 しかし、8,000人のフォロワーで、サクラさんのつぶやきに反応してくれる人はほとんどいませんでした。 サクラさん(20)「結局こんなに人がいても、自分に関心を持つ人は4〜5人しかいない。(SNSを)使う前は、誰とでもつながれるっていうので、携帯を持つことで(孤独から)救われるみたいな気持ちがあった一方で、持ってみると、結局そういうわけじゃなくて。SNSっていっても、使いこなせばこなすほど、限界が見える。つながりの限界。」 サクラさんは、8,000人とつながったアカウントを削除しました。しかし、SNSで誰かに気にかけてほしいという思いはなくならないといいます』、「8,000人のフォロワーで・・・自分に関心を持つ人は4〜5人しかいない」というのには驚いたが、そんなものなのかも知れない。。
・『ゆうこすが語るSNSといいね  SNSの総フォロワーが100万人を超す、菅本さん。サクラさんの話を、どう受け止めたんでしょうか。 菅本さん:自分が納得できたらいいじゃないですか、その頑張ってることに対して。だけど今は、頑張ってる過程に、今から一歩踏み出します、“いいね!ゼロ”。やっと頑張って達成しはじめました、“いいね!ゼロ”とかだと、もう数字がずっと常につけられてる感覚なので、やっぱそれはさみしいですよね。 武田:数字か。すぐ評価されますからね。でも自分が頑張っていれば、それでいいじゃんって思うんですけど。 菅本さん:本当はたぶんそうだと思うんですよ。だけど、もう今は(SNSを)みんなが持ってて、みんなが使ってるもので、それをしないことが逆に不自然っていう社会なので、常にここに数字が出ているようなものじゃないですか』、こんなところでまで、数字に追われるとはどう考えても馬鹿げている。ただ、そうさせてしまうのが、SNSなどの恐いところなのだろう。
・『孤独は社会問題 動き始めたイギリス  “つながり孤独”を社会の問題と捉え、対策に動きだしたのがイギリスです。孤独問題を担当する大臣を新設。300億円の基金も作りました。 イギリス トレイシー・クラウチ孤独担当大臣「高齢者の孤独の深刻さを理解するためには、かなりの作業が行われています。ですが、孤独の問題は高齢者だけでなく、すべての世代に広がっていることです。」 イギリスでは、孤独は心身の健康を損ねたり、職を失ったりすることにつながるなど、全ての世代に関わる深刻な問題と受け止められています。孤独な社会がもたらす経済損失は年間5兆円に上るという試算もあります。孤独を隠すのではなく、みんなで共有しようという取り組みもネット上で始まっています』、さすがイギリス、いい取り組みだ。
・『“つながり孤独” 私たちはどうすれば?  ゲスト 石田光規さん(早稲田大学文化構想学部教授) 私たちの社会は、孤独にどう向き合えばいいのか。現代の人間関係について研究を続ける、石田光規さんを訪ねました。 石田さん:心配されるのは、格差化されるだろうなっていう感じはするんですよね。つながりを持つ人はものすごい持ってて、持たない人は本当に持てないという形で、ものすごい自由になってしまうと、その自由を精いっぱい活かして、つながりをたくさん作ることが出来る人と、そうではなくて、つながりというところからあぶれてしまう人という形で、もっとはっきりしてきてしまうんじゃないのかなと。 武田:僕らの言うことも届かないし、向こうの言うこともあんまり理解できてないのかなと、すごく不安になるんですけど、どう乗り越えたらいいんですかね。 石田さん:もともとは(現代の若者は)ひとりというところから始まってるんだということを、もう少し理解してあげたほうがいいのかなと思うんですよね。一昔前であれば、つながりの中にある程度、包摂(ほうせつ)されていたから、そんなに別につながりのこと、あれこれ言う必要なかったんですけれども、現在の若い世代は、そういったものが非常に緩くなってしまっているので、ある意味、課題みたいなものを背負ったまま、今の若い人っていうのは育ってきてると思うので、そういった状況というのを理解した上での言葉っていうのが必要なのかな。 SNS総フォロワー100万人の菅本さんは、ネットの中に自分の居場所を見つけることを勧めます。 菅本さん:孤独を感じるのもSNSだけど、孤独を癒すのもSNSなのかなと。ちょっとは自己中心的になる必要性があるなと思ってて、SNSの中では。人に合わせる合わせるだけだったら消費されてって、どんどん孤独になってっちゃうから。私はこうです、ああです、これが好きで、こういうことに興味がありますって言うことで、ほかのSNS上の人たちが話しかけやすくなって、仲間が見つけやすくなって、そこに居場所ができて、コミュニティーができてってなったら、たぶん他でうらやましいなと思っても、私にはここに友だちがいるし、居心地がいいし、そんなになんか疲れることもなくなっていくんじゃないかな。 孤独を感じる時間も大切なもの。水無田さんはそう話します。 水無田さん:孤独というのは悪いところだけでもない。孤独というのをポジティブな面から自分と対話する時間だと思って、少し自分を直視するということもトレーニングしてみたらいいのではないかなと思いました』、水無田さんの指摘は、私がさきほどコメントしたことに近く、その通りだ。
・『田中:本当に今もまさにヒントだと思うんですけど、それができればいいんですけど、できないっていう人がつながりをやめて自分の内省ができないっていう人が、かなり今、多くなっている。 水無田さん:つらいんだったら普通はやめなさいというアドバイスになると思うんですよね。でも、別にやめることができないんだったら、それはしょうがない。そういったダメなところも含めて、自分を認めてあげよう。不安とか孤立感、孤独感を感じたにしても、それは一時のものですよね。なので、今、感じていることを認めてあげた上で、でも、それは永遠ではないということを知ることも必要じゃないかと思います。 田中:私たちが生きる日々は、みんな決してキラキラしているばかりではありません。今回の取材を通じて、孤独に悩み、苦しみもがいている人たちが表に見えにくい形で私たちの周りにいることに、改めて気付かされました。 武田:“つながり孤独”は、家族・会社・地域といったしがらみではなく、個人として自由に人とつながることを求めてきた私たちが、その自由と引き換えに抱え込むことになった孤独なのかもしれません。そう考えますと、若者だけの問題ではないと感じます。 田中:こうした人たちの声に、これからも向き合っていきたいと思います』、「個人として自由に人とつながることを求めてきた私たちが、その自由と引き換えに抱え込むことになった孤独なのかもしれません。そう考えますと、若者だけの問題ではないと感じます」というのは、その通りなのかも知れない。学校の道徳では、こうしたSNSとの付き合い方こそ取上げて、皆で考えさせるべきだろう。
タグ:匿名 東洋経済オンライン ネット社会 菅本裕子 本田 雅一 NHKクローズアップ現代+ (その1)(「低能先生」を凶行に駆り立てたネット民の闇 匿名コミュニティによる正義追求の恐ろしさ、“つながり孤独” 若者の心を探って…) 「「低能先生」を凶行に駆り立てたネット民の闇 匿名コミュニティによる正義追求の恐ろしさ」 人気ブロガー「Hagex」ことネットセキュリティ会社勤務の岡本顕一郎さんが殺害 無職・松本英光容疑者 岡本さんは、自身のブログの中で、「低能先生」として知られる松本容疑者の行為を問題視し何度か取り上げていた 松本容疑者はこれを逆恨みして犯行及んだ 現実社会では接点がまったくなかった 松本容疑者は頻繁に迷惑行為を行っていた 「低能先生」とは、自分が気に入らないコメントを残している人物にIDコールで罵詈雑言を送るのである 迷惑行為を繰り返すため、「低能先生」のアカウントは何度もアカウント削除されたが、それでも毎回、新しいIDを作成して同じ行為を繰り返していた 通報厨が生まれるきっかけを作った、しかも誰なのかを特定できているHagex氏にターゲットを絞ったと考えられる 追い込まれていった構図 ネット弁慶な人 パソコン通信サービス時代 複数の匿名利用者から集団リンチを受けているように感じていたのではないだろうか 自分に対する攻撃が繰り返されているうち、ネット社会における自分の人格を取り巻くすべてが敵に見え、まるで結託しているかのように思えるのだ 「追い詰めないこと」が大切 不足する情報を人間は推測で補完しようとする 現実社会よりも圧倒的に情報が少ない中で補完する情報が過大になってくると、事実関係と自分自身の認識の乖離が進み、さらに追い込まれていくのだ 「“つながり孤独” 若者の心を探って…」 “多くの人とでつながっているのに孤独”という、“つながり孤独” SNSで友だちの暮らしを見て劣等感を抱く SNSでのつながりの薄さに孤独を感じる “知り合いの幸せそうな姿、夢や目標に向かって頑張っている姿を見て、自分は誰からも認められていないのではないかと、孤独を感じます 気軽に他人の近況をチェックできることによって、自分との差異がより明確になってしまい、孤独を感じます つながり孤独』を感じすぎて、しんどかった時は、ああ死にたいと “つながり孤独” 本音が言えない 本当の気持ちを書き込むことはできませんでした 相談できず、アドバイスも受けられない。リサさんは、結局仕事を辞めてしまいました 変わる若者の孤独感 たくさんつながってるけれども、本当に心を許せる人がいない。SNSよりも生身の人間に関わりたいっていうことをおっしゃっていて、でもその関わり方が分からないという風に苦しまれている 若者の胸のうち 「ゆうこす」の愛称で同世代の女性から支持を集め、SNSの総フォロワー数は100万人を超えています 私はSNSと現実世界だったら、やっぱ現実世界のほうに気を遣っちゃうんですね たぶん私たち世代はSNSでコミュニケーションとるのに慣れすぎて、SNSで失敗したから現実っていうのは、なかなか行きづらいかもしれない “接続過剰な日常”が若者を苦しめる “つながり孤独”から心の病を患ってしまったという女性 8,000人のフォロワー 自分に関心を持つ人は4〜5人しかいない “いいね!ゼロ”とかだと、もう数字がずっと常につけられてる感覚なので、やっぱそれはさみしいですよね 孤独は社会問題 動き始めたイギリス 孤独問題を担当する大臣を新設。300億円の基金も作りました 孤独な社会がもたらす経済損失は年間5兆円に上るという試算も 私たちはどうすれば? 現在の若い世代は、そういったものが非常に緩くなってしまっているので、ある意味、課題みたいなものを背負ったまま、今の若い人っていうのは育ってきてると思うので、そういった状況というのを理解した上での言葉っていうのが必要なのかな 孤独というのは悪いところだけでもない。孤独というのをポジティブな面から自分と対話する時間だと思って、少し自分を直視するということもトレーニングしてみたらいいのではないかなと思いました 個人として自由に人とつながることを求めてきた私たちが、その自由と引き換えに抱え込むことになった孤独なのかもしれません。そう考えますと、若者だけの問題ではないと感じます
nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

外国人労働者問題(その8)(在ベトナム日本大使館員が告発 外国人実習生の悲惨な実態、小田嶋氏:シャイロックにだってそりゃ無理だ) [経済政策]

昨日に続いて、外国人労働者問題(その8)(在ベトナム日本大使館員が告発 外国人実習生の悲惨な実態、小田嶋氏:シャイロックにだってそりゃ無理だ)を取上げよう。

先ずは、11月9日付け日刊ゲンダイ「在ベトナム日本大使館員が告発 外国人実習生の悲惨な実態」を紹介しよう。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/241236/1
・『安倍政権は今国会で入管法を改め、来年4月からの外国人労働者の受け入れ拡大をもくろんでいる。現状でも外国人技能実習制度が悪用され、「実習生」は低賃金で過酷な労働を強いられているのも、お構いなし。耐えかねた実習生の失踪は年間7000人超。ベトナムは最多の12万人の技能実習生を日本に送り出しているが、現地の日本大使館の現役書記官までが「ベトナムの若者の人生をメチャクチャにしている」と警鐘を鳴らしている』、これは聞き捨てならない。
・『大使館にとって最重要課題  安倍首相は臨時国会の所信表明演説で「入管法改正」を訴えた中で、半年前に来日したベトナムのクアン国家主席(9月21日死去)との会話を取り上げた。 「(クアン主席が)来日の際、訪れた群馬の中小企業では、ベトナムの青年が、日本人と同じ給料をもらいながら一緒に働いていた。そのことをクアン主席は大変うれしそうに私に語って下さった」』、ベトナムの国家主席が訪問する事業所であれば、当然、最も模範的なところを選び、応答も事前に振付をする、完全な「ヤラセ」だろう。
・『7日の参院予算委員会で小池晃議員(共産)は「群馬のケースはごく一部だ」と指摘しながら、紹介したのは在ベトナム日本大使館がリリースしたセミナーの記事だ。 10月13日にベトナム・ハティンで開催された日越人材育成交流会。訪日希望の学生や教育関係者ら240人が参加した。日本大使館を代表して桃井竜介1等書記官があいさつ。多くのベトナムの若者が日本で働いていることを喜びつつ、こう語ったのだ。<ベトナムは(日本での)技能実習生の失踪者数、犯罪検挙件数がワースト1位。ベトナムの若者は決して最初から犯罪をしようと思って日本に行っているのではなく、犯罪をせざるを得ない状況に追い込まれています。ベトナムそして日本において、悪徳ブローカー、悪徳業者、悪徳企業が跋扈しており、ベトナムの若者を食い物にしています> <日本におけるベトナムのイメージ、そしてベトナムにおける日本のイメージが悪化することを懸念しています。本問題は大使館にとって最重要課題です> あいさつをした桃井書記官に改めて話を聞くと、「ベトナムだけでなく、日本側の受け入れる管理団体や企業にも悪いところはあると思います」と語った。技能実習生の現状を見るに見かねた大使館の異例の“あいさつ”ではないか。 小池氏に見解を聞かれた河野太郎外相は「ベトナム国内で、ベトナムの若者の夢を損なうようなブローカーが跋扈していることは重大な課題だ」と、あえてベトナム側の問題だけに言及』、1等書記官がセミナーで、マイナスの側面もあることを警告したのは、長い目での日越親善を図る上では、当然のことだ。
・『安倍首相も河野外相も、都合のいい一部だけを見て、日本が悪い悲惨な実態からは目をそらす。そうして、外国人労働者受け入れ拡大に前のめりになっているが、半年でマトモな受け入れ態勢を築くのは不可能だ。 例えば、ベトナム人実習生は12万人もいるのに、厚労省には、ベトナム語ができる相談員はたったの1人しかいない。週2回、面談や電話で相談を受けているというから、あまりにもショボ過ぎる態勢だ。 小池氏は「来年の4月までに、これだけの問題が山積しているものが解決できるのか。決意だけ語って、ボロボロの臨時国会で通すなど許されない」と法案の撤回を求めた。 見切り発車で外国人労働者を拡大すれば、国際社会における日本のイメージは奈落の底だ』、さすが共産党だけあって、痛いところを突いた質問と主張だ。他の野党も見習うべきだ。ただ、1等書記官が「政府方針に反して、余計なことを言った」として、左遷されないかが心配だ。もっとも、「本問題は大使館にとって最重要課題」ということであれば、大丈夫なのかも知れない。

次に、コラムニストの小田嶋 隆氏が11月9日付け日経ビジネスオンラインに寄稿した「シャイロックにだってそりゃ無理だ」を紹介しよう。
https://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/174784/110800166/?P=1
・『移民をめぐる議論が沸騰している。 話をはじめる前に、まず「移民」という言葉の定義をはっきりさせておかないといけない。 というのも、「移民」という言葉の周辺には「難民」や「外国人労働者」や「技能実習生」、さらには「不法滞留外国人」や「留学生」や「在日外国人」といった少しずつ違う立場の人々がいるからでもあれば、「移民」をめぐる議論が、それら周辺にいる人々を同一視する粗雑な論争に発展しがちなものでもあるからだ。 無用の混乱を避けるためには、とにかく「移民」という言葉が指し示す人間の範囲を、できる限り明示しておく必要がある。 「移民」は「国際連合広報センター」が説明しているところによれば、《国際移民の正式な法的定義はありませんが、多くの専門家は、移住の理由や法的地位に関係なく、定住国を変更した人々を国際移民とみなすことに同意しています。3カ月から12カ月間の移動を短期的または一時的移住、1年以上にわたる居住国の変更を長期的または恒久移住と呼んで区別するのが一般的です。--国連経済社会局》ということになっている。 これに対して、「難民」は《難民とは、迫害のおそれ、紛争、暴力の蔓延など、公共の秩序を著しく混乱させることによって、国際的な保護の必要性を生じさせる状況を理由に、出身国を逃れた人々を指します。難民の定義は1951年難民条約や地域的難民協定、さらには国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)規程でも定められています。--国連難民高等弁務官事務所》と説明される。 もっとも、国連のこのページの解説が冒頭で自ら「国際移民の正式な法的定義はありませんが」と断り書きしている通り、「移民」という用語について、国際的に明確な定義が共有されているわけではない。 ということはつまり、「移民」のつもりで入国した人間が、行きずりの異邦人として冷遇されたり、逆に一時滞在のつもりで入国した外国人がその国の人間に「移民」として敵視されることも起こり得るわけで、結局、この言葉は、それぞれの国なり地域の人間たちが抱いている「余所者」への偏見や期待を体現した、どこまでも中途半端で、曖昧な言葉なのかもしれない』、なるほど。
・『さて、2016年(平成28年)5月24日、自民党政務調査会の労働力確保に関する特命委員会がとりまとめた報告書「『共生の時代』に向けた労働者受入れの基本的考え方」の注記の中で、「移民」を次のように定義している。《「移民」とは、入国の時点でいわゆる永住権を有する者であり、就労目的の 在留資格による受入れは「移民」には当たらない。》 自民党および政府の解釈では、一般的な技能実習生や外国人就労者は、「移民」ではないことになる。さらに言えば、日本国内で何年働いていようが、納税をしていようが、入国の時点であらかじめ永住権を持っていないのであれば、日本政府としては彼らを「移民」には分類しないということでもある。 してみると、コンビニで働いている留学生や日本のプロ野球で活躍している外国人選手はもちろん、日本企業に正式に就職して10年以上働いて家族を呼び寄せて子供たちを日本の学校に通わせている外国人であっても、この定義上は「移民」に数えられないわけだ。 10月のはじめの国会審議の中で、「安倍政権は、いわゆる移民政策を取ることは考えていない」と言った安倍晋三首相の答弁は、この時の「移民」の定義から導き出された言葉であったはずだ』、安倍政権が外国人就労者を「移民ではない」と強弁している根拠が、自民党の委員会がまとめた報告書にあったとは、初めて知った。しかし、国際的常識を外れた、勝手な独自見解であることは確かだ。
・『政府は、人手不足解消のために、今後、出入国管理法(入管法)を改正して、外国人労働者の受け入れ枠を増やすつもりでいる。しかしながら、その外国人労働者拡大政策を「移民政策」として扱われることに対しては、断じて抵抗するということなのだろう。 一方において「移民」の定義のハードルを上げつつ、他方で外国人労働者流入のハードルを下げれば、なるほど、統計数字の上では「移民」の数を増やさないままの状態で、労働現場に外国人労働者を大量に供給することが可能になるわけで、そうすれば、見かけ上は移民政策を採用せずに労働者不足を補うことができる。 しかし、その「見かけ上の純血国家」は、いったい誰のための看板なのだろうか。 自分たちの国が、日本人の日本人による日本人のための国家であることをいつまでも信じていたい忠良な人々の脳内に展開されている、幻想上の国体観のためであろうか。 でも、実態として街に外国人が溢れ、立ち寄った小売店のカウンターに外国人が立ち、子供たちの学校にカタカナ名前の同級生が同席している流れは、既に起こってしまっている変化でもあれば、この度の入管法の改正案によって、さらに加速化される傾向でもある。 われわれは、実態として、すでに移民国家に片足を踏み入れつつある』、「幻想上の国体観のため」にこんな実態からかけ離れた、都合のいい解釈をするとは、国際的には全く説明不可能だ。
・『そうでなくても、労働市場は外国人依存の度合いをより深めようとしている。  にもかかわらず、安倍首相が「移民政策は取らない」と断言するのは、いったい誰のためにそう言っているアナウンスなのだろうか。 私は、首相の言葉をどうしてもうまく了解することができない。 個人的な話をすれば、私は、日本が移民国家になるべきであるのかどうかについて、いまだに自分の中で確たる答えを見いだせずにいる。 あちらを立てればこちらが立たずで、迷う要素ばかりが心にひっかかる。だから、鎖国論にも開国論にも全力では乗れずにいる。 ただ、開国するなら開国するで、日本に来てくれる外国人には、日本人と同等の権益を保証すべきだと思うし、あらゆる点で彼らが暮らしやすい条件を整えるべきだとは思っている。 逆に、移民の流入がもたらすリスクを避けたいのであれば、外国人労働者の労働力をあてにすることは、潔く諦めなければならないはずだとも考えている。 つまり、労働者として利用する一方で、市民社会のメンバーとしての権益は与えないと宣言しているように見える現状の政府の方針には賛成できないということだ』、正論である。
・『11月7日の衆院予算委員会で、山下貴司法相は外国人労働者の受け入れを拡大する入管難民法などの改正案に関連して、失踪した外国人技能実習生の87%が「現状の賃金などへの不満」を理由に挙げたことを明らかにしている。 なにげなく紹介されているデータだが、この87%という数字が示唆している状況はなかなか深刻だ。 そもそも、「外国人技能実習生」について言われている「失踪」という言い方が妥当なのだろうか。 私見を述べるなら、むしろ、「脱走」と表現したほうが適切な感じがする。 ともあれ、結果として「失踪」した実習生が、行方をくらまさずにおれないほどの低賃金で労働していた調査結果があることは認めざるを得ない。 とすれば、政府としては「外国人技能実習生制度」が、「技能実習」の名のもとに、海外からやってきた青年たちに、職業選択の自由がなく、寝泊まりする場所も選べず、低賃金を強いる、奴隷労働的な枠組みであった実態を直視して、その改善に乗り出さねばならないはずだ』、「奴隷労働的な枠組み」とは、極めて的確な表現で、日本人としては恥ずかしい限りだ。
・『が、政府は、そうするつもりを持っていない。それどころか、入管法を改正することで、外国人への単純労働の丸投げ枠を拡大する意図を明らかにしつつある。 少子高齢化に歯止めがかからない現状で、わが国の労働市場が、労働力不足に陥っていることは周知の事実だ。 とすれば、その労働力不足を補うべく、外国人労働者の受け入れ枠を拡大することは、必然と言って良い施策なのだろう。ここまではいい。 私が、理解できないのは、ことここにおよんでいけしゃあしゃあと「移民政策は取らない」と明言してしまえる神経のあり方だ。 いったい、政府は、この答弁を通じて、いかなる方針を示唆しているのだろうか。 つまり、「労働力は輸入するけど、移民は受け入れないよ」ということだろうか。あるいは「働き手として入国させつつも、人間的な生活はさせない」「働く外国人は歓迎するが、その外国人が家族を呼び寄せて日本で子孫を残すことは許さない」「労働する外国人が、日本の社会の中で労働以外の生活を営むことには賛成しない」「外国人労働者が勤労者として富を生み出すことは応援するが、彼らが生活者として生活することには必ずしも共感しない」「労働環境は保証するけど、人権は保証しない」「給与は与える一方で、生活は与えない」「生存は保証するが、永住するに足る資産形成は許さない」「利用はするがリスペクトはしない」ってなことだろうか。 いや、言い過ぎなのはわかっている。いまここに書いた10行ほどは、撤回してもかまわない。 ただ、「外国人労働者の受け入れ枠は拡大するが、いわゆる移民政策は取らない」とする安倍首相の答弁が、「人間」でなく「労働力」だけを輸入する意図を物語ってしまっている事実は動かせない。 そんなことは不可能だ』、手厳しく、本質を突いた指摘は、さすがだ。
・『強欲な金貸しのシャイロックが、借金の担保として、心臓のまわりの肉1ポンドを、一滴の血も流さずに手に入れることができなかったのと同じように、いかな晋三のまわりの人間たちとて、生身の人間から商品としての労働力だけを抽出して売買することはできない。あたりまえの話だ。 アメリカでは、トランプ大統領が、移民阻止のために軍隊を出動させている。中米ホンジュラスからメキシコを縦断してアメリカを目指す「キャラバン」と呼ばれる人々に対応するための派遣した軍隊に「忠実な愛国者」、“Operation Faithful Patriot” という作戦名を与えている。 11月7日、米国防総省はこのあからさまに扇情的な作戦名を、今後は使わない旨を発表した。 トランプ陣営が、中間選挙の投開票が終わった7日になってから作戦名の変更を告知したことは、とりもなおさず、「移民キャラバン」の脅威と、それに立ち向かう「忠実な愛国者」としての自分たちの活躍ぶりを選挙のためのイメージ戦略として利用したことを証明している。 移民は利用される。労働力として経済的に利用されることはもちろん、スケープゴートとして政治的に利用されることもあれば、仮想敵として社会的な不満の持って行き場にされることもある。 どう扱うにせよ、私たちのような島国の人間が、外国人に対して平常心で向き合えるようになるまでには、一定の時間がかかる。つまり、開国か鎖国かのいずれの結論を出すのであれ、拙速にコトを進めるやり方だけは避けるべきだ。 現状の政府の方針は、ウソがバレバレであり、かつ拙速であると言わざるを得ない。 大切なことや難しい課題に対しては、賢く、かつ、中途半端な態度を堅持しなければならない。 はなはだ中途半端な結論だが、私はそう思っている』、タイトルの意味が漸く理解できた。説得力溢れる主張で、大賛成だ。
タグ:日刊ゲンダイ 日経ビジネスオンライン 外国人労働者問題 小田嶋 隆 (その8)(在ベトナム日本大使館員が告発 外国人実習生の悲惨な実態、小田嶋氏:シャイロックにだってそりゃ無理だ) 「在ベトナム日本大使館員が告発 外国人実習生の悲惨な実態」 外国人技能実習制度が悪用 「実習生」は低賃金で過酷な労働を強いられている 実習生の失踪は年間7000人超 ベトナムは最多の12万人の技能実習生を日本に送り出している ベトナムのクアン国家主席 来日の際、訪れた群馬の中小企業では、ベトナムの青年が、日本人と同じ給料をもらいながら一緒に働いていた。そのことをクアン主席は大変うれしそうに私に語って下さった 「ヤラセ」 は在ベトナム日本大使館 セミナーの記事 日越人材育成交流会 桃井竜介1等書記官があいさつ ベトナムは(日本での)技能実習生の失踪者数、犯罪検挙件数がワースト1位。ベトナムの若者は決して最初から犯罪をしようと思って日本に行っているのではなく、犯罪をせざるを得ない状況に追い込まれています ベトナムそして日本において、悪徳ブローカー、悪徳業者、悪徳企業が跋扈しており、ベトナムの若者を食い物にしています 本問題は大使館にとって最重要課題です 安倍首相も河野外相も、都合のいい一部だけを見て、日本が悪い悲惨な実態からは目をそらす 外国人労働者受け入れ拡大に前のめりになっているが、半年でマトモな受け入れ態勢を築くのは不可能だ 見切り発車で外国人労働者を拡大すれば、国際社会における日本のイメージは奈落の底だ 「シャイロックにだってそりゃ無理だ」 「移民」という言葉の定義 国際連合広報センター 国際移民の正式な法的定義はありませんが、多くの専門家は、移住の理由や法的地位に関係なく、定住国を変更した人々を国際移民とみなすことに同意しています。3カ月から12カ月間の移動を短期的または一時的移住、1年以上にわたる居住国の変更を長期的または恒久移住と呼んで区別するのが一般的です 難民とは、迫害のおそれ、紛争、暴力の蔓延など、公共の秩序を著しく混乱させることによって、国際的な保護の必要性を生じさせる状況を理由に、出身国を逃れた人々を指します。難民の定義は1951年難民条約や地域的難民協定、さらには国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)規程でも定められています 2016年(平成28年)5月24日、自民党政務調査会の労働力確保に関する特命委員会 報告書「『共生の時代』に向けた労働者受入れの基本的考え方」 「移民」とは、入国の時点でいわゆる永住権を有する者であり、就労目的の 在留資格による受入れは「移民」には当たらない 「移民」の定義のハードルを上げつつ、他方で外国人労働者流入のハードルを下げれば、なるほど、統計数字の上では「移民」の数を増やさないままの状態で、労働現場に外国人労働者を大量に供給することが可能に 見かけ上は移民政策を採用せずに労働者不足を補うことができる 「見かけ上の純血国家」 自分たちの国が、日本人の日本人による日本人のための国家であることをいつまでも信じていたい忠良な人々の脳内に展開されている、幻想上の国体観のためであろうか 実態として街に外国人が溢れ 実態として、すでに移民国家に片足を踏み入れつつある あちらを立てればこちらが立たずで、迷う要素ばかりが心にひっかかる。だから、鎖国論にも開国論にも全力では乗れずにいる 開国するなら開国するで、日本に来てくれる外国人には、日本人と同等の権益を保証すべきだと思うし、あらゆる点で彼らが暮らしやすい条件を整えるべきだとは思っている 移民の流入がもたらすリスクを避けたいのであれば、外国人労働者の労働力をあてにすることは、潔く諦めなければならないはずだとも考えている 失踪した外国人技能実習生の87%が「現状の賃金などへの不満」を理由に挙げた 「失踪」した実習生が、行方をくらまさずにおれないほどの低賃金で労働していた調査結果があることは認めざるを得ない 政府としては「外国人技能実習生制度」が、「技能実習」の名のもとに、海外からやってきた青年たちに、職業選択の自由がなく、寝泊まりする場所も選べず、低賃金を強いる、奴隷労働的な枠組みであった実態を直視して、その改善に乗り出さねばならないはずだ 「労働力は輸入するけど、移民は受け入れないよ」 「働き手として入国させつつも、人間的な生活はさせない」 労働環境は保証するけど、人権は保証しない いかな晋三のまわりの人間たちとて、生身の人間から商品としての労働力だけを抽出して売買することはできない 移民は利用される 労働力として経済的に利用されることはもちろん、スケープゴートとして政治的に利用されることもあれば、仮想敵として社会的な不満の持って行き場にされることもある 私たちのような島国の人間が、外国人に対して平常心で向き合えるようになるまでには、一定の時間がかかる 開国か鎖国かのいずれの結論を出すのであれ、拙速にコトを進めるやり方だけは避けるべきだ
nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

外国人労働者問題(その7)(新在留資格 低賃金の外国人労働者目当ては「排外主義の温床」になる、外国人労働者は「新在留資格」で本当に日本に来てくれるのか、外国人労働者の「輸入」が日本社会に100年の禍根を残す理由) [経済政策]

昨日は「人手不足」を取上げたが、今日は、外国人労働者問題(その7)(新在留資格 低賃金の外国人労働者目当ては「排外主義の温床」になる、外国人労働者は「新在留資格」で本当に日本に来てくれるのか、外国人労働者の「輸入」が日本社会に100年の禍根を残す理由)である。このテーマでは前回、10月16日に取上げている。今日紹介するうち、三番目の記事は、特に出色の出来なので、これだけでも読むことをお勧めしたい。

先ずは、金沢大学法学類教授の仲正昌樹氏が10月30日付けダイヤモンド・オンラインに寄稿した「新在留資格、低賃金の外国人労働者目当ては「排外主義の温床」になる」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/183708
・『新たな在留資格を作って、建設や農業、介護などの業種で外国人労働者の受け入れを拡大するための出入国管理法の改正案が、24日から始まった臨時国会に提出される。 事実上の「移民受け入れ」という見方もある。 人手不足に悩む経済界の事情が背景にあるが、ゆがんだ排外主義が生まれることはないのか』、問題だらけの法案が国会審議も不十分なまま、強行採決されそうな雰囲気すらある。
・『建設、介護など14業種で検討 家族の帯同も可能に  政府は10月12日、外国人労働者の新しい在留資格として「特定技能」1号と2号を導入するための、出入国管理法等の改正案を臨時国会に提出する方針を決めた。 建設や農業、宿泊業、外食、介護など14業種での外国人労働者受け入れ拡大が検討されているという。 これまでは、「就労」を目的とした在留を認められるのは、学者、法律家、医療・教育従事者、報道関係者、日本で活動する外国企業の従業員など、経済的地位が安定した人に限られ、期間は最長5年だった。 2014年の法改正で、研究者や事業経営者などの「高度専門職」については、1号で在留資格5年を得た上で、一定期間在留すれば、活動制限がほぼ全面的に解除され、各種手続きも簡素化され、在留期間が無制限になる2号資格を取得することが可能になった。 今回、作られる「特定技能」という資格は、各分野を所轄する省庁が定めた試験で一定の知識・技能があることが確認され、生活に支障がない程度の日本語能力があることが証明されれば認められる。 1号の在留資格は5年で、「就労」が主たる目的ではないはずの)「技能実習生」も3年の経験があれば、無試験でこの資格に切り替えることができる。 2号になれば、審査を受けた上で、在留資格の更新と家族の帯同も可能になる』、「特定技能」2号でも「移民」でないとは理解不能だ。
・『「移民政策」ではないというが 安い労働力求める経済界の利害と一致  これによって、日本政府は「移民」推進へと大きくかじを切ったようにみえる。 6月に閣議決定された「骨太の方針」や「未来投資戦略2018」でも、「外国人材活用」は成長戦略の一貫として位置付けられた。ただ、政府は、これは人材不足や生産性向上のための政策であって、「移民政策」ではないことを再三、強調している。 12日の閣議決定後の記者会見でも、山下法相は無制限の在留資格ではないので、「移民政策」とは異なると強調している。 政府が「移民政策」という言葉に対して慎重になっている背景には、保守陣営内で、外国人の「労働」と「定住」をめぐる思惑の違いがあるようだ。 2005年に設立された自民党の外国人材交流推進議員連盟(2016年に解散当時は国際人材議員連盟)は、元法務官僚で外国人政策研究所の坂中英徳氏らをブレーンとして積極的な移民促進政策を検討し、2008年6月、人口減少に対処するため、今後50年間での1000万人の移民受け入れ、永住許可要件の大幅緩和、移民庁の設置などを提言した。 2014年2月に内閣府が発表した「目指すべき日本の未来の姿について」では、毎年、移民20万人を受け入れるべきことが示唆され、安倍政権はこの方向に進んでいくかに見えた。 移民受け入れは、安い労働力確保で規制緩和を求める財界のニーズに合致している。 しかし内閣府の発表以降、保守派の間から、移民の大幅な増加は文化摩擦をもたらし、国民国家をベースとした一体感を破壊するとして、反対する声が出るようになった。 TPP締結もそうだが、安倍政権はグローバル化に対応した改革を求める新自由主義派+経済界と、「美しい国日本」を守っていこうとする文化的保守派の双方を支持基盤にしているので、両者の利害が正面からぶつかるような政策では、明確な態度を取れないことが多い。 ちょうど2014年は、ヨーロッパで、過激な反移民政策を掲げるフランスの国民戦線(FN)やドイツの「ドイツのための選択肢(AfD)」など、ポピュリズム政党が台頭し、政権を担ってきた伝統的な保守の票を大きく食うようになった時期だったこともある。 人口の1割近くを移民が占めるドイツやフランスに比べると、日本は移民の数がまだ少ないこともあって、排外主義的な右派の勢力はまだそれほど大きくない。 だが本当に毎年、20万人規模で増やしていけば、国民に移民と共存することへの“免疫”が十分できているとはいえないだけに、排外主義が一気に拡大する恐れもないではない』、安倍政権が「移民ではない」と強弁せざるを得ない、背景にはそんな事情があったとは・・・。
・『「使い捨て」は国際問題に 保守もリベラルも割れる  「高度専門職」と「特定技能」を線引きし、本格的な「移民政策」に踏み切ったわけではないと強調することで、政府はバランスを取ろうとしているようだ。 だがその思惑通りにうまくのかどうか。 永住資格は認めないで、「技能実習」から「特定技能」に切り替えられる可能性を広げる今回の案では、必要な期間だけ雇って、用がなくなれば帰国を余儀なくされるか、日本で職探しするしかない不安定な立場の外国人労働者だけを増やすことになりかねない。 それだと、日本での安定した生活を求めて来る人たちの期待を裏切り、「派遣労働者切り」をめぐる昨今の問題を海外にまで拡大してしまうことになりかねない。日本が自国の都合だけで外国人労働者を使っているという批判が各国から強まり、「国際問題」化することになるだろう。 国内でも、反グローバリズムの右派は、日本の立場の弱い労働者が割を食うことになるとか、不安定な外国人労働者の増加が治安悪化につながるなどとして、政府・自民党を「売国的体質」と糾弾するかもしれない』、派遣切りを海外にまで拡大、とはその通りで、「国際問題」化する懸念が強いだろう。
・『一方で、リベラル派はどうか。 政府が出入国管理法の改正案を発表する少し前から、マスコミやネットで、不法滞在で取り締まり対象になっている外国人に対する入管当局の対応が話題になっていた。 10月初旬、当局とコラボしたテレビのドキュメンタリー番組で、入管Gメンが不法就労者を摘発し、手錠をかける緊迫した場面が放映されたが、外国人労働者に対する偏見を助長するのではないかと、ネットを中心に批判の声が広がった。 外国人問題に取り組む弁護士グループはテレビ局に対し、(1)摘発された外国人労働者たちが不法滞在状態にならざるを得なかった、技能実習先の企業の問題などの背景事情が省略されていたこと、(2)アジア系の外国人に対象が偏っていたこと、(3)不法滞在が凶悪な犯罪であるかのごとく扱われていたことなどを、問題として指摘する意見書を出した。 こうしたこともあって、リベラル系のメディアは当面、在留外国人の権利を十分に守る仕組みを作ることが先決で、企業の都合でなし崩し的に外国人労働者を増やすことは認められない、というスタンスを取っているように見える。 リベラル系の政党や知識人も、移民について、長期的にどのような態度を取っているのか、はっきりしない点がある。 立憲民主党の枝野代表は、在留資格の新設は、事実上の移民政策だとし、それを正々堂々と主張しない政府の曖昧な姿勢を批判しているが、立憲民主党自身もまだ移民政策についての基本方針を固めていない。 党内では、「リベラル」な立場から多様な文化的背景を持つ他者たちとの共存を目指す人たちと、移民に日本人の労働者の地位が脅かさされることを恐れる、最大の支持母体連合の意向を受けて慎重な人たちの考え方が対立しているようだ。 国民民主党や社民党も態度を決めていない。共産党は永住外国人への参政権の付与、難民認定の緩和など、普遍的な人権擁護の姿勢を強調する一方、労働移民に関しては、安易な受け入れによる人権侵害の温床になっているとして技能実習制度の廃止を求めている。 保守だけでなく、左派・リベラル側も、グローバリズムか、国民共同体の利益か、で割れているようである』、やれやれ、これでは国会審議にも余り期待できそうもないようだ。
・『経済と文化のグローバル化が否応なく進んでいく中で、日本という国民国家が存続していくには、日本社会にある程度まで同化してもらうことを条件に、外国人労働者の定住化を積極的に推進する方向に転換しなければならないのは不可避だ、と私は考えている。 日本の伝統文化や規範を維持するためという理由であれ、労働者の利益を守るためという理由からであれ、「移民政策」を――たとえ言葉の上だけのことだとしても――全否定するのは現実的ではない。 かといって、年20万人というように数値目標を掲げるのは、人間を原材料扱いすることを含意している。文科省が進めている留学生30万人計画と同様に、何のための国際化か分からない本末転倒を引き起こすだけなので、控えるべきだろう。 実際に、大学の現場では、計画に合わせて強引に留学生をかき集め、“英語での授業”を増やした結果、大学の教育水準を低下させる悪影響が出ている。このことは多くの大学教員が指摘している通りだ。 どういう文化的・歴史的背景のどういう経歴の人をどういう職種のどういう条件で受け入れたら、スムーズに日本社会に溶け込み、社会的活力の源泉になるのか、十把一からげにせず丁寧に検討し議論する必要がある。 日本で生まれ育った外国人の子どもの永住権や国籍取得についても本格的に検討する必要があるだろう。 新しい在留資格の導入に合わせて、不法就労などの問題に対処するため、法務省の入国管理局を、4月から「入国在留管理庁」に格上げする方針も決まっているが、これだけで不十分だ。 外国人労働者が、日本社会に摩擦なく受け入れられ、融合し共存するためには、違法行為を取り締まるだけでなく、受け入れ先の企業や自治体、教育・福祉機関などと連携して、「多文化社会」に向けての環境整備をする「移民庁」的な機関が必要になるだろう』、ある程度の移民を受け入れざるを得ないという筆者の考えには、私は反対だ。理由は後述する。
・『多文化主義国家を目指すのか  保守、リベラル両陣営とも、移民政策を推進するにしろ抑制するにしろ、国民国家としてのアイデンティティーと普遍的人権、経済・情報のグローバル化の三項関係をめぐる議論を掘り下げ、自らが目指す国家像を明らかにすべきだ。 保守主義の元祖であるエドマンド・バークは、フランス革命の影響に抗して英国の伝統的な国家体制の骨格を守ろうとする一方で、当時、英国の植民地だったアメリカの英国の圧制に対する抵抗に理解を示した。 武力鎮圧に反対したし、またアイルランドのカトリック教徒の解放を提唱するなど、英国のグローバルな発展のための多文化主義・国際協調的な戦略を模索した。 現在の英国の保守党は、EU離脱、移民制限の方向に進んでいるが、英国の保守主義には、市場の自由な発展を守るべく、排外主義的なナショナリズムとは一線を画すバークや経済学者のハイエクのような流れもある。 リベラル派は、国際的な正義の観点から【移民受け入れ→多文化主義】化を促進したがり、コミュニタリアン(共同体主義者)は文化防衛の観点から、それに反対しがち、というイメージを抱く人がいるかもしれない。 しかし、代表的なコミュニタリアンであるカナダの哲学者チャールズ・テイラーは、カナダをモデルにした多文化主義を提唱している。 また英国の元社会主義者のデイヴィッド・ミラーのように、自国民のための福祉・再分配を優先すべきとする「リベラル・ナショナリズム」の立場を取る論者がいる。 カナダのリベラル系の政治哲学者キムリッカのように、その国に居住するに至った歴史的風景を踏まえて、文化的少数派を細かくカテゴリー分けし、それぞれのグループに属する人がどのような文化的権利を有するべきか論じている人もいる。 日本にふさわしい多文化共存のモデルを構築する議論をリードしてこそ、リベラルな政党の腕の見せどころになるだろう。政府の矛盾を指摘するだけなら、相変わらずの無責任野党でしかない。一方で政府・与党も、将来の「国家像」を踏まえたきちんとした「移民政策」を示すことだ』、「将来の「国家像」」すらないなかでは、キレイ事に過ぎるようだ。

次に、立命館大学政策科学部教授の上久保誠人氏が11月7日付けダイヤモンド・オンラインに寄稿した「外国人労働者は「新在留資格」で本当に日本に来てくれるのか」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/184431
・『安倍晋三政権は、外国人労働者の受け入れを拡大する出入国管理法改正案を閣議決定し、臨時国会に提出した。法律が成立すれば、これまで医師、弁護士、教授など「高度専門人材」に限ってきた外国人の就労資格を「非熟練の単純労働」に広げる、日本の入国管理政策の歴史的な大転換となる。 これまで、かたくなに拒んできた外国人単純労働者の受け入れ解禁は、日本の社会に本格的な「移民社会」の到来という、大きな変化をもたらす可能性がある。しかし、安倍首相は国会で「移民政策ではない」と答弁し、法案には具体的に受け入れる業種や人数の規模など、全体像が示されていない。 山下貴司法相(本連載第194回)は、「人出不足が深刻で、法改正は急務だ」と述べ、法案成立を急ぐ考えを示すだけで、国会で具体的な答弁を避けている。とにかく、当面の人手不足を埋めようとする安倍政権の姿勢には、野党のみならず、与党である自民党・保守派や公明党からも「生煮えのまま進めるのは拙速だ」「なし崩しに外国人労働者が増える」と批判が出ている。 だが、本稿は出入国管理法改正による新制度導入で、なし崩しに外国人労働者が増えるどころか、日本国内の人手不足は埋まらないと考える。国際的な観点からみると、外国の単純労働者にとって、日本は既に魅力ある働き場所ではないからだ。その意味で、この法案を巡る安倍政権の思惑も、それを批判する反対派も、どこかピントがずれているように思う』、仮に外国人労働者が来てくれないのであれば、問題ないともいえるのだが・・・。
・『外国人技能実習生制度の理想と現実 実態は中小企業の労働力確保  安倍政権が、外国人単純労働者の受け入れ解禁を急ぐ理由は、端的にいえば、昨今の度重なる災害後の復興や2020年に開催予定の「東京五輪」で、非熟練の単純労働者の需要が高まっているからだ。五輪に向けた建設工事等で、新たな労働者が約80万人必要だという試算がある。だが、人手不足は深刻だ。特に建設業では、2015年には1万2000人程度だった人手不足が、2020年には33万5000人に拡大するという。 しかし、日本では少子高齢化で若者の数が減少している上に、高学歴化、大企業志向の高まりによって非熟練の単純労働者が特に減少し、日本人だけでその穴を埋めることができなくなっている。そこで外国人労働者を受け入れるという話になるのだが、これまで日本政府は、単純労働者の受け入れを認めてこなかった。 日本には既に127万人の外国人がおり、世界4位の受け入れ数だ。だが、専門的または技術的分野の外国人労働者のみ受け入れてきた。日本国内において実際に就労ができる資格は13種類(教授、芸術、宗教、報道、経営・管理、法律・会計業務、医療、研究、技術・人文知識、企業内転勤、興業、教育、技能)のみで、非熟練の単純労働者は含まれていない。 そのため、政府は「外国人技能実習制度」という、一時的外国人労働者受け入れ制度を使ってきた。中国、ベトナム、インドネシア、フィリピンなどアジア諸国から技能実習生として人材を受け入れる。1年間の研修の後、技能テスト合格を得て2年間技能実習生として勤務することができる。技能実習生を受け入れることができる主な業種は、農業、水産業、酪農、製造業、建設業などである。 本制度の目的は、元々外国人労働者が研修で技能を習得して帰国し、その母国へ技能が移転されることを通じて、開発途上国の経済発展に貢献することだ。だから、外国人技能実習生は、労働ビザに該当しない「実習生ビザ」で来日している。しかし、現実的には、中小企業の労働力確保のために利用されてきた。近年は、前述の通り災害や五輪に向けて人材がより必要となり、2017年には外国人技能実習生の合計数は22万人を超えている』、農業、水産業、酪農のように日本的やり方が強い業種では、母国への技能移転など画に描いた餅だ。
・『外国人技能実習生に対する人権侵害問題の闇  だが、外国人技能実習生に対する人権侵害問題が、ほぼ毎年200件以上発覚し、処罰されているという。その主なものは、賃金未払いや暴力などである。よく知られた事件としては、2014年に、日本有数のレタス産地である長野県南佐久郡川上村でレタス栽培に従事していた中国人の農業技能実習生が、人権侵害を受けた事件がある。 中国人技能実習生たちに対して、劣悪な環境の中で、労働基準法に違反した長時間の労働や暴言や暴力、不明瞭な賃金の差し引きや母国にある送り出し機関からの搾取や不必要な管理などが行われていた。技能実習生の申告により、事件として明るみに出たが、日本弁護士連合会が、管理団体である川上村農林業振興事業協同組合に対し、再発防止や被害回復等を求める勧告を行い、厚労相および、法務省に対し被害実態の調査や再発防止、技能実習制度の廃止を求める事態となった。 立命館大学政策科学部・上久保ゼミでは、2016~17年の2年間、ある学生(現在は卒業)が外国人技能実習制度の問題に切り込んだ。この写真は、その学生が2016年6月に外国人技能実習生の調査を行った時に撮影したものである。外国人技能実習生を受け入れた企業・農家に学生がインタビューを依頼したが、ことごとく断られた。業を煮やした学生は、遂にノー・アポイントで取材を敢行した。その結果、なぜ企業が学生の訪問を頑なに拒み続けたか、理由がはっきりとわかった。冷暖房などの設備のないトラックのコンテナの中で、ベトナム人技能実習生が3年間生活していた事実が判明したのである。 技能実習制度は、さまざまな人権リスクが起きやすい制度設計になっている。繰り返すが、技能実習制度は労働人口の減少や若年層の高学歴化、大企業志向などからくる人材不足に対する中小企業の生き残り策として存在している。そのため、技能実習生は日本人が就労したがらない労働分野での補完的役割を担っている。 だが、日本の中小企業における労働組合の組織率はわずか1%と圧倒的に低い。本来、労働者の人権や労働環境を守るための組織である労働組合が中小企業にないことが、仕事の効率ばかりを優先させ、労働者の権利を疎かにする環境につながっている。 その上、「3年間だけ日本国内に滞在を認める」という縛りがある。制度上、外国人労働者のための社会参加は考えられておらず、技能実習生たちの社会的孤立を高めてしまうことになる。結果として、パスポートの取り上げや賃金未払い、労働基準を超す長時間労働など、最悪死に至らしめるさまざまな人権リスクが起きやすくなっている』、上久保ゼミの学生が外国人技能実習制度の問題に切り込んだ、さらに下の部分で、送り出し国に訪問してフィールドワークまでしたとは大したものだ。「冷暖房などの設備のないトラックのコンテナの中で、ベトナム人技能実習生が3年間生活」とは、よくぞそんな酷いことが出来るものだ。技能実習生であれば、労働基準局の監督対象外なのだろうか。
・『さらに言えば、この学生が、技能実習生の送り出し国に訪問してフィールドワークした結果、わかったことがある。技能実習生を送り出す国に、「悪徳仲介業者」が存在し、それが現地のマフィアと結託し、貧困にあえぐ非熟練動労者をほとんど人身売買のように日本に送り込んでいる実態だ。 この仲介業者は、研修生を日本に送れば終わりではない。研修生が日本に送られた後も、金銭を巻き上げるだけでなく、なんと「監視役としての実習生」を日本に派遣している。そして、それに結託している日本の中小企業がある。その結果、日本にも母国にも居場所のなくなった実習生が、次々と失踪している。2015年度には4980人のもの失踪者を生み出しているのである。 外国人技能実習制度は国際社会から多くの批判を受けている。国連のホルヘ・ブスタマンテ氏による報告書では本制度を「奴隷制度または人身売買」と判定した。その上で、日本政府に対しこの制度の廃止と雇用制度への変更、関連企業から完全に独立した監視・申し立て・救済機能の確立の勧告をしている。しかし、これまで安倍政権は、抜本的な解決などは考えてこなかった』、国連によって「奴隷制度または人身売買」と判定されるとは、恥ずかしい限りだ。それに、頬かぶりをする安倍政権も不誠実極まりない。
・『アジアの労働市場で日本の優位性は低下している  繰り返すが、安倍政権が外国人単純労働者の受け入れ解禁を決断したのは、国内の人手不足を解消するためである。だが、それは新たな制度をつくれば解決する簡単な問題ではない。実は、アジアの労働市場において、日本の優位性が低下しているからだ。 近年、中国人「観光客」の爆買いが話題となっている一方で、中国人「労働者」が実は減少している。外国人技能実習生の受け入れがピーク時だった2008年には、およそ80%が中国人であった 。 だが、中国経済の急激な発展によって、上海など都市部では建設ラッシュだ。賃金面で日本の優位性はなくなっている。例えば、外国人労働者のうち中国人が7割を超えていた愛媛県の中小企業団体中央会は、愛媛の最低賃金でフルタイム働いた場合の月収は、中国の都市部で働く場合と大差がないと指摘している。また、日本で高い人権リスクを背負いながら低賃金で働くより、中国の都市部で働いたほうが安全ということになっている(『日本経済新聞社』2016年7月18日)。 現在では、中国の山間部まで募集をかけないと実習生候補が集まらない。2015年時には中国人技能実習生の割合が42%に留まるなど、中国人実習生の数は半分程度に落ち込んでいるのだ。 また、韓国や台湾の単純労働者受け入れ政策への転換がある。日本の外国人技能実習制度は最長滞在期間が3年であるのに対し、韓国は技術が習得できれば熟練労働者に移行でき、台湾は最大12年まで滞在を延長できる 。 また、韓国、台湾と日本の賃金格差も、アベノミクスによる円安の進行でなくなった。日本の最低賃金をドル換算すると、月額で約1060ドルで、ソウル、台北の賃金と変わらない水準となった。その結果、高い人権リスクを冒してまで日本で働くよりも韓国や台湾へ行こうと考える出稼ぎ労働者が増えている現状がある。災害や五輪で人材の需要があっても、簡単に集められない状況なのだ』、円安で「日本の最低賃金をドル換算するとソウル、台北の賃金と変わらない水準」とは、ここまで日本の経済力も低下したのかと、再認識させられた。
・『外国人労働者の人権保護対策が強行裁決後に「例外」で骨抜きの悪夢  安倍政権の入管法改正が、現行の外国人技能実習制度の人権侵害問題と、海外との人材獲得競争での劣勢を多分に意識したものだということは明らかだ。 新たな在留資格「特定技能」を2段階で設けている。「特定技能1号」は、最長5年の技能実習を修了するか、技能と日本語能力の試験に合格する「相当程度の知識または経験を要する技能」を持つ外国人が得られる資格である。滞在期間は通算5年で、家族は認められない。 「特定技能2号」は、さらに高度な試験に合格し、熟練した技能を持つ人に与えられる資格である。1~3年ごとの期間更新が可能で、更新回数に制限がなく、配偶者や子どもなどの家族の帯同も認められる。10年の滞在で永住権の取得要件の1つを満たし、将来の永住に道が開ける。一方、受け入れ先機関が外国人労働者に日本人と同等以上の報酬を支払うなど、雇用契約で一定の基準を満たす必要があることも法案に明記されている。 菅義偉官房長官は、「外国人が働く国を選ぶ時代になったと認識している。外国人が働いてみたい、住んでみたいと思える国を目指す」と発言し、「(1)自治体における相談窓口の一元化、(2)日本語学校の質の向上、(3)外国人を受け入れられる医療機関の体制整備、(4)保証金や違約金を徴収する悪質な仲介業者の排除」の検討を表明している。 しかし、安倍首相は国会答弁で再三にわたって「移民政策ではない」と強調している。これは、安倍政権のコアな支持層である「保守派」(第144回)を意識した発言であることは明らかだ。保守派の圧力に配慮すればするほど、「労働力」としての外国人単純労働者受け入れ制度の導入をなんとか通そうと焦り、いつものように国会答弁がいい加減になり、さまざまな問題が何も修正されないまま、強行採決で法律を通してしまうことが懸念される。 その上、外国人労働者の人権保護対策等は、菅官房長官が言及したように、法律が成立した後に検討されるのだろう。その時は、声が大きいが少数派に過ぎない保守派以上に、外国人労働者を低賃金で使いたい中小企業の支持を受ける自民党のほとんどの議員が、なんだかんだと理屈をつけて、「例外事項」を設けるために動くだろう。人権保護対策は、実質的になにも整備されないまま、新しい制度が動き出すことになる』、なんとも恐ろしいほどいい加減な政治風土だ。
・『野党の追及にも違和感 拙速な「多文化共生社会」の主張  一方、野党の国会での追及も違和感がある。安倍首相に「これは、移民政策ではないのか?」と迫り続けるのは、いつもの執拗な「揚げ足取り」「失言狙い」の生産性のない言葉遊びだろう。 より問題なのは、野党が安倍政権に対抗するために、「拙速」に「多文化共生社会」を打ち出してきたことだ。これは、一見結構なことのように思える。だが、実際は「多文化共生社会が整備されていない」ことを理由として、法案に反対するために使われている。野党は、「拙速に進めるべきではない」「なし崩しに外国人労働者が増える」と政府を批判して、「保守派」とともに「同床異夢」で法案撤回を求めている。野党の姿勢は、まるで「極右政党」(第185回)にしか見えないという違和感があるのだ。 野党が、政府を追及すべき問題はいろいろある。(1)外国人技能実習生の人権侵害問題の実態、それに対する具体的な対応策、(2)実態が不透明な海外の悪徳仲介業者をどう排除するのかの具体策、(3)主な受け入れ先となる建設業の中小企業や農家は、日本人労働者並みの条件で外国人労働者を受け入れられるのか、(4)上記を踏まえた、アジア労働市場における競争力をどう確保するのか、等である。要は、「本当にこんな政策で、外国人労働者が日本に来てくれるのか?」を政府に厳しく問うべきなのである。 野党が「多文化共生社会」を訴えるのならば、外国人労働者の増加を止めるための詭弁として用いるべきではない。真剣に多文化共生社会の実現を実現する、外国人にも日本人と同等のフルスペックの人権を保障する「移民政策」を考えるべきだ』、その通りだろう。
・『安倍政権が若い世代の支持を得ているのは、いろいろ問題を抱えながらも、現実社会の課題を直視し、それを変えようという姿勢が見える「改革派」と評価されているからだという。それに対して、野党は、「55年体制」「東西冷戦期」のシステムを頑なに守ろうとする「保守」だとみなされ、支持されないのだ。 外国人労働者の受け入れについては、各種世論調査では国民の約半数が賛成し、特に若い世代では60%以上が賛成し、抵抗が少ないという(『読売新聞』2018年10月29日)。安倍政権が踏み込むことができない「移民政策」を訴えることは、野党が「保守」ではないことを訴える好機だ。それは、日本の「サイレントマジョリティ」である中道の支持を得ることになる(第136回・P.3)。なにも躊躇することはないのではないだろうか』、野党が中道の支持を得るには、そうした姿勢を見せる必要があるのかも知れない。

第三に、ノンフィクションライターの窪田順生氏が11月8日付けダイヤモンド・オンラインに寄稿した「外国人労働者の「輸入」が日本社会に100年の禍根を残す理由」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/184728
・『一部で「移民政策」ともいわれている入管法改正案が成立しそうだが、この政策は後世に計り知れない悪影響を与えかねない。実は100年前の日本でも同様の事態は発生しており、それは今日にまで在日朝鮮人差別問題として尾を引いている』、興味深そうだ。
・『「移民政策」は日本の労働者にも百害あって一利なし  安倍首相が頑なに「移民政策」と認めない「外国人労働者の受け入れ拡大」を目的とした出入国管理法改正案が、なし崩し的に成立しそうだ。 誰も投獄されていない特定秘密保護法や、物証のない首相の口利き疑惑の時は、この世の終わりのように大騒ぎするマスコミや野党も、驚くほどあっさりとした批判で終わっているからだ。 だが、この政策は我々の子どもや孫の世代に、計り知れない悪影響を与える可能性が高い。 前々回(『安倍政権の「移民政策」、実現なら日本の若者の賃金は上がらない』)も指摘したが、現在の日本の人手不足問題の多くは「雇用ミスマッチ」による「人手偏在」によるところが大きい。つまり、新卒ホワイトカラーの求人には過剰に人手が集まるのに、低賃金で辛い単純労働的な求人は見向きもされないため、「留学生」や「技能実習生」という弱い立場の「短期移民」への依存度が高まっている状況なのだ。 こういう負のスパイラルを断ち切るには賃金アップと生産性向上、それができない経営者の淘汰しかないのだが、今回の移民政策への転換でそれが一気にパアとなる。 「人手偏在」にどんなに外国人労働者を注入しても、辛い単純労働の価値をさらに下げるだけで、低賃金がビタッと定着するからだ。こうなれば、低賃金でコキ使われる日本人や在日外国人の皆さんは「お前の代わりはいくらでもいる」と脅されるなど、これまで以上の弱者になる。つまり、「外国人労働者の受け入れ拡大」で潤うのは、低賃金労働を前提としたビジネスモデルを死守したいブラック経営者だけで、我々一般の労働者からすれば「百害あって一利なし」なのだ』、説得力に溢れた主張で、全面的に賛成だ。第一の記事の筆者の主張に私が反対した理由もここにある。
・『そう言うと、「既に日本は移民国家だ」という開き直る人も多いが、なぜそうなってしまったのかというと、今から100年前、良識のある日本人たちの「警鐘」を無視したからだ。 100年前の雇用ミスマッチで政府は朝鮮人労働者を“輸入”  1917年、北海道や九州の炭鉱で深刻な人手不足が発生した。 当時、日本の人口は右肩上がりで増えていた。おまけに、ワークライフバランスなんて概念もないので、労働者は朝から晩まで働かされた。そんな状況でも「人手不足」だというのだから、炭鉱業では常軌を逸した「雇用のミスマッチ」が蔓延していたわけだが、日本政府はそれを是正することなく、禁断の果実に手を出す。「試験的」という名目で、三菱、三井などの炭鉱に朝鮮人労働者約700名の受け入れを行ったのである。 だが、当時の新聞人は今と比べてかなりまともだった。「読売新聞」(1917年9月14日)の「労力の輸入 最後の計算を誤る勿れ」という記事が以下のように警鐘を鳴らしている。「鮮人労働者の輸入は生産費の軽減を意味し随(したが)って生産品の低廉を意味するが如きも事質に於ては只内地労働者のエキスペンスに於て資本家の懐中を肥やすに過ぎざるなり」「要するに鮮人労働者を内地に輸入するは我内地の生活を朝鮮の生活と同一の水準に低下せしむるとなしとせず」 これは杞憂でも妄想でもなかった。「試験」の結果に気を良くした経営者は続々と「鮮人労働者」を受け入れた。しかし、その一方で、日本の労働者の待遇は一向に上がらず、程なくして小林多喜二の「蟹工船」に描かれたようなブラック労働が定着していったのである。 この100年前の過ちを、さらに大規模なスケールで繰り返そうというのが、今回の「外国人労働者の受け入れ拡大」なのだ。 さらに言ってしまえば、「人間」を「労働力」という側面でしか見ない政策が、憎悪と対立につながっていくことも、我々は歴史から学ぶことができる』、100年前の朝鮮人労働者の輸入の経緯を初めて具体的に知った。こうしたなかでは、「徴用工」問題も叩けばホコリだろう。
・『生活の基盤を持つ外国人が感じる「差別」  政府が「労働力の輸入」に舵を切ってから3年後、「朝鮮移民」が増えた日本で「在京朝鮮人の過半数は内地へ来て一年か二年経つと思想的に悪化し当局に対して白眼視する様になる傾向が現れて来た」(読売新聞1920年8月24日)という問題が発生している。 そのように聞くと「当時の朝鮮人は悪さをすることを目的にやってきた犯罪者も多かった」と、トランプ大統領のようなことを言う人も多いが、実は当時の朝鮮人の態度が悪くなる最大の理由は、「日本人のような扱いを受けられない」という不満だった。先ほどの新聞記事に登場した朝鮮人はこんな風に述べている。「内地人と私等とを差別されるので困る。学生は学校、職工は工場で、其他日毎に遭ふ日本人は皆一様に私達に侮蔑的態度で接してゐる。相当な地位或は財産が出来て内地の婦人を娶ろうとしても鮮人だからと云ってまとまらぬ」(同上) この主張の是非についてはややこしくなるのでちょっと脇に置く。本稿で筆者が言いたいのは、日本人側がいくら外国人を「労働者」や「移民」と呼んで、日本人と異なる特別扱いをしたところで、それはこちらの一方的な押し付けであり、当の外国人は日本で暮らして働く以上、遅かれ早かれ日本人と同じ扱いを望むようになる、ということだ。 よそ者のくせに何たる図々しさだ、と思うかもしれないが、それが「人間」というものだ。 皆さんも想像してほしい。もしどこかの別の国へ移住して、その国の言葉をしゃべり、その国の中で立派に働き、そこで家族を養うようになったら、その国の人とせめて同じくらいの権利や公共サービスを受けたいと思うのではないか。 その国で何年も暮らしているのに「外国人労働者」と言われ続け、体調を崩して働けなくなったりしたら、すぐに国から出てけと言われたらどうか。「差別」だと感じるのではないか。 どちらが正しい、間違っているという話ではない。100年前、日本にやってきた朝鮮人労働者が感じた「差別」というものが、「従軍慰安婦」の問題や今回判決が出た徴用工の問題にもつながって、「負の遺産」になっているのは、動かしがたい事実なのだ』、その通りで、大変重い指摘だ。
・『「労働者」としか見ないのがすべての悲劇の始まり  ここまで言えば、もうお分かりだろう。今回の「外国人労働者の受け入れ拡大」も「朝鮮人労働者」問題のリバイバルで、これから100年続く民族間の遺恨につながる可能性が極めて高いのだ。 隣の国との問題はあくまでレアケースで、他の外国人労働者と遺恨など生じるわけがない、と嘲笑する方も多いかもしれないが、既にブラック労働に辟易とした「技能実習生」が、日本嫌いになって帰国するなどの問題が起きている。また、「移民政策」だと批判された際の安倍首相の反論にも、その兆候が見て取れる。 「素行善良で独立した生計を営める資産または技能があるなど、厳しい条件が課される」 要するに、誰かれ構わず入れるわけではなく、品行方正な労働者だけしか入れませんというのだ。 素晴らしいじゃないかと思うかもしれないが、我々が受け入れるようとしているのは、血が通った人間である。入国した時は素行善良でも、1年経過すれば「差別」に不満を漏らす外国人になるかもしれない。技能や資産があっても、ブラック労働に耐えかねて仕事をボイコットするかもしれない。このように外国人を「労働者」としか見ないところがすべての悲劇の始まりだということを、首相は歴史から学ぶべきだ。 2016年、SNSで一枚のFAXの画像が話題になった。 技能実習生の雇用を企業に促すためのFAXで、「外国人技能実習生で人手不足を解消!! 労働力として全国で約15万人が活躍中!」という文言が大きく踊っていた。もちろん、何者かが何らかの意図を持って作成したビラである可能性もあるが、それを見て筆者が「いかにもありそう」と感じたのは、以下のような記述があったことだ。 「入国前には日本語やマナーを徹底教育しますので外国人技能実習生はオススメいたします」「実習生は基本仕事を休みません! 途中で辞めません! マジメで素直です! 残業、休日出勤は喜んで仕事します!」 ここに日本人が100年前から克服できない「病」の片鱗が見える。人手不足の炭鉱で朝鮮人を働かせた時代から、日本人にとって、外国人は低賃金で文句を言わずキビキビ働く、「労働者」であって、「人間」として見ていないのだ』、「日本人が100年前から克服できない「病」の片鱗」とは言い得て妙だ。
・『外国人差別が根強く残る国で「移民政策」が成功するわけがない  さらに厄介なのは、この病はインテリの方が症状が重いことだ。先日もニュースを見ていたら、「論説委員」という立派な肩書きを持つ方が大真面目な顔をして、こんなことをおっしゃっていた。 「これから日本人は人口が急速に減っていく、いま反対をしても我々が年をとって、誰も介護をしてくれないなんてことにならないように、外国人を受け入れていくしかない」 外国人を労働者どころか、介護要員や社会保障維持の人柱のようにしか考えていないのだ。こういう「外国人差別」が根強く残る国では、「移民政策」など進めて成功するわけがない。 世界一真面目で勤勉と何かにつけて自画自賛している我々日本人でも、あまりに辛いと仕事を投げ出す人がいる。会社を辞める人もいる。働きたくても働けないと心を病む人もいる。 ならば、これから大量に受け入れる「外国人」だってそうならない保証はない。そうなったら、さっさと荷物をまとめて日本から出て行け、と不法滞在外国人扱いとなるのか。これまで日本社会に馴染んできた家族はどうするのか。使い捨てのコマではなく、人間らしく扱うべきだ、と言う声も必ず出てくるはずだ。 安倍首相はこれを頑なに「外国人労働者」と呼ぶが、世界ではそういうスタイルで働かされるのは「奴隷」と呼ぶ。 今の国会で行われている論戦の最大の問題は、外国人を「人間」として見ていないことだ。「労働力」という頭数でしか見ていないので、「人間」ならば起こりえる不正受給、犯罪、心の病など、我々日本人の中で当たり前に見られる問題がスコーンと抜けているのだ。 その中でも最もゴソっと抜けているのは、人間ならば当然抱くであろう「妬み」や「ひがみ」という感情だ。 なぜ日本人よりも何倍も多く働いているのに、日本人よりも待遇が悪いのか。なぜこんなにも日本に貢献しているのに、日本人のように扱ってくれないのか。我々は「使い捨て」なのかーー。 このような不平不満に答えられないような制度設計では、外国人が雪だるま式に増えれば「破綻」をするのは目に見えている。 個人的には、日本の賃金アップと生産性向上がある程度の水準まで到達した後、それでもまだ人手が足りない分野があるというのなら、「移民」を受け入れられればいい。ただ、その時は日本人とそれほど変わらない待遇にする、という覚悟を持つべきだ。 外国人は日本人が豊かな生活を送るための「お手伝いさん」や「奴隷」ではないのだ』、「目から鱗が落ちる」のような素晴らしい記事で、今回紹介したなかでも出色の出来だ。全面的に賛成である。
タグ:仲正昌樹 読売新聞 2号 ダイヤモンド・オンライン 窪田順生 外国人技能実習制度 外国人労働者問題 上久保誠人 (その7)(新在留資格 低賃金の外国人労働者目当ては「排外主義の温床」になる、外国人労働者は「新在留資格」で本当に日本に来てくれるのか、外国人労働者の「輸入」が日本社会に100年の禍根を残す理由) 「新在留資格、低賃金の外国人労働者目当ては「排外主義の温床」になる」 建設、介護など14業種で検討 家族の帯同も可能に 「高度専門職」 「特定技能」 1号の在留資格 「移民政策」ではないというが 安い労働力求める経済界の利害と一致 自民党の外国人材交流推進議員連盟 積極的な移民促進政策を検討し、2008年6月、人口減少に対処するため、今後50年間での1000万人の移民受け入れ、永住許可要件の大幅緩和、移民庁の設置などを提言 2014年2月に内閣府が発表した「目指すべき日本の未来の姿について」では、毎年、移民20万人を受け入れるべきことが示唆 保守派の間から、移民の大幅な増加は文化摩擦をもたらし、国民国家をベースとした一体感を破壊するとして、反対する声が出るようになった 毎年、20万人規模で増やしていけば、国民に移民と共存することへの“免疫”が十分できているとはいえないだけに、排外主義が一気に拡大する恐れもないではない 「使い捨て」は国際問題に 保守もリベラルも割れる 「派遣労働者切り」をめぐる昨今の問題を海外にまで拡大してしまうことになりかねない リベラル系の政党や知識人も、移民について、長期的にどのような態度を取っているのか、はっきりしない点がある 多文化主義国家を目指すのか 政府・与党も、将来の「国家像」を踏まえたきちんとした「移民政策」を示すことだ 「外国人労働者は「新在留資格」で本当に日本に来てくれるのか」 国際的な観点からみると、外国の単純労働者にとって、日本は既に魅力ある働き場所ではない 新制度導入で、なし崩しに外国人労働者が増えるどころか、日本国内の人手不足は埋まらないと考える 外国人技能実習生制度の理想と現実 実態は中小企業の労働力確保 日本には既に127万人の外国人がおり、世界4位の受け入れ数 能実習生を受け入れることができる主な業種は、農業、水産業、酪農、製造業、建設業など 本制度の目的は、元々外国人労働者が研修で技能を習得して帰国し、その母国へ技能が移転されることを通じて、開発途上国の経済発展に貢献することだ 現実的には、中小企業の労働力確保のために利用 外国人技能実習生に対する人権侵害問題の闇 長野県南佐久郡川上村でレタス栽培に従事していた中国人の農業技能実習生が、人権侵害を受けた事件 冷暖房などの設備のないトラックのコンテナの中で、ベトナム人技能実習生が3年間生活していた事実が判明 悪徳仲介業者 2015年度には4980人のもの失踪者 国連のホルヘ・ブスタマンテ氏による報告書では本制度を「奴隷制度または人身売買」と判定した 日本政府に対しこの制度の廃止と雇用制度への変更、関連企業から完全に独立した監視・申し立て・救済機能の確立の勧告 アジアの労働市場で日本の優位性は低下している 韓国、台湾と日本の賃金格差も、アベノミクスによる円安の進行でなくなった 外国人労働者の人権保護対策が強行裁決後に「例外」で骨抜きの悪夢 「外国人労働者の「輸入」が日本社会に100年の禍根を残す理由」 この政策は後世に計り知れない悪影響を与えかねない 「移民政策」は日本の労働者にも百害あって一利なし 賃金アップと生産性向上、それができない経営者の淘汰しかない 今回の移民政策への転換でそれが一気にパアとなる 「人手偏在」にどんなに外国人労働者を注入しても、辛い単純労働の価値をさらに下げるだけで、低賃金がビタッと定着するからだ 低賃金でコキ使われる日本人や在日外国人の皆さんは「お前の代わりはいくらでもいる」と脅されるなど、これまで以上の弱者になる 「外国人労働者の受け入れ拡大」で潤うのは、低賃金労働を前提としたビジネスモデルを死守したいブラック経営者だけで、我々一般の労働者からすれば「百害あって一利なし」なのだ 既に日本は移民国家だ 100年前、良識のある日本人たちの「警鐘」を無視したからだ 100年前の雇用ミスマッチで政府は朝鮮人労働者を“輸入” 北海道や九州の炭鉱で深刻な人手不足が発生 「試験的」という名目で、三菱、三井などの炭鉱に朝鮮人労働者約700名の受け入れを行った 労力の輸入 最後の計算を誤る勿れ 「試験」の結果に気を良くした経営者は続々と「鮮人労働者」を受け入れた。しかし、その一方で、日本の労働者の待遇は一向に上がらず、程なくして小林多喜二の「蟹工船」に描かれたようなブラック労働が定着していった この100年前の過ちを、さらに大規模なスケールで繰り返そうというのが、今回の「外国人労働者の受け入れ拡大」なのだ 「人間」を「労働力」という側面でしか見ない政策が、憎悪と対立につながっていくことも、我々は歴史から学ぶことができる 生活の基盤を持つ外国人が感じる「差別」 実は当時の朝鮮人の態度が悪くなる最大の理由は、「日本人のような扱いを受けられない」という不満 当の外国人は日本で暮らして働く以上、遅かれ早かれ日本人と同じ扱いを望むようになる 100年前、日本にやってきた朝鮮人労働者が感じた「差別」というものが、「従軍慰安婦」の問題や今回判決が出た徴用工の問題にもつながって、「負の遺産」になっているのは、動かしがたい事実なのだ 「労働者」としか見ないのがすべての悲劇の始まり 「技能実習生」が、日本嫌いになって帰国するなどの問題が起きている 外国人を「労働者」としか見ないところがすべての悲劇の始まりだということを、首相は歴史から学ぶべきだ ここに日本人が100年前から克服できない「病」の片鱗が見える 外国人差別が根強く残る国で「移民政策」が成功するわけがない 最もゴソっと抜けているのは、人間ならば当然抱くであろう「妬み」や「ひがみ」という感情だ なぜ日本人よりも何倍も多く働いているのに、日本人よりも待遇が悪いのか。なぜこんなにも日本に貢献しているのに、日本人のように扱ってくれないのか。我々は「使い捨て」なのかーー 日本の賃金アップと生産性向上がある程度の水準まで到達した後、それでもまだ人手が足りない分野があるというのなら、「移民」を受け入れられればいい。ただ、その時は日本人とそれほど変わらない待遇にする、という覚悟を持つべきだ 外国人は日本人が豊かな生活を送るための「お手伝いさん」や「奴隷」ではないのだ
nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

人手不足(その1)(“人手不足倒産”が日本経済にとっては「いい倒産」である理由、人手不足の日本社会がすがるしかない 手放しで喜べぬ3つの解決策) [経済]

今日は、人手不足(その1)(“人手不足倒産”が日本経済にとっては「いい倒産」である理由、人手不足の日本社会がすがるしかない 手放しで喜べぬ3つの解決策)を取上げよう。

先ずは、元銀行員で久留米大学商学部教授の塚崎公義氏が5月18日付けダイヤモンド・オンラインに寄稿した「“人手不足倒産”が日本経済にとっては「いい倒産」である理由」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/170323
・『東京商工リサーチや帝国データバンクによれば、「求人難」「人手不足」による倒産が増加しているという。いずれも件数は少ないものの、「労働力不足」で倒産する企業が増えているというのは、象徴的なニュースだ。 倒産は悲惨だ。経営者は、全財産を失って路頭に迷い、銀行は融資が返済されずに損失をかぶり、従業員は退職金も受け取れずに仕事を失って茫然自失となってしまうからだ。そうした当事者たちにとって、「いい倒産」など存在するはずはない。 筆者としても、倒産した企業の経営者を批判したり、倒産するような企業に金を貸すような銀行の無能を批判したりしているのではなく、ましてや他人の不幸は蜜の味だと喜んでいるわけでも全くない。当事者にとっては誠に不幸で残念な出来事であることは十分認識しながらも、マクロ的な視点で広く日本経済のことを考えると、人手不足倒産は「いい倒産」だ、と述べているのである。ぜひともご理解いただきたい』、批判を避けるための慎重な言い回しは手慣れたものだ。
・『人手不足になるほど景気がいいことを祝おう  倒産の話を始める前に、まずは人手不足になるほど景気がいいという状況を素直に祝おう。不足という単語は、否定的なニュアンスを持った言葉であり、何か日本経済に困ったことが生じているような印象を与えかねない言葉だが、バブル崩壊後の長期低迷期に日本経済を悩ませ続けた失業問題が消えうせた結果が人手不足なわけで、これは素直に喜ばないわけにはいくまい。 人手不足というのは経営者目線の言葉であり、労働者目線からは「仕事潤沢」とでも呼ぶべきだが、筆者にはキャッチコピー考案のセンスが乏しいので、どなたかに素晴らしい言葉を考えていただきたいと願っている次第である』、「人手不足というのは経営者目線の言葉」というのは言われてみればその通りだ。「仕事潤沢」というのは、やはりこなれてない言葉だ。
・『人手不足なので、倒産企業の労働者にも仕事は見つかる  失業が深刻なときの倒産は、文字通り悲惨だ。従業員は仕事を失い、失業者となるからだ。経営者と銀行が悲惨なのは言うまでもない。しかし、「人手不足倒産」が発生するような状況であれば、従業員は比較的容易に次の仕事が見つけられるから、それほど悲惨ではなさそうだ。 銀行も、不況型倒産が減っているだろうから、全体の貸倒動向に注目すれば、それほど悲惨ではなさそうだ。一般論として、景気がいいときには「高い金利でも借りたい」という企業が増えて利ざや収入も増え、多少の貸し倒れ損失は気にならないはずだ。この点は今回は当てはまっていないが。 経営者が悲惨なのは、何ともし難いが、不況や連鎖倒産といった外部要因で倒産したのではなく、労働力確保競争に負けて倒産したのだから、ある程度「自己責任」と言えるだろう。つまり、同業他社よりも低い給料しか提示できなかったことによる倒産なわけで、不運による倒産とは言えない面もあるはずだ。 マクロ経済から考えたときに、人手不足倒産がいい倒産だと言える理由は、日本経済全体として労働力が有効利用されるようになるということだ。人手不足倒産によって、「労働力を有効に活用できていない企業」から「有効に活用できている企業」へと労働力が移転するからだ。 労働力を有効に活用して高い利益を稼いでいる企業は、高い賃金が払えるから労働力が確保でき、人手不足倒産とは無縁だ。労働力を有効に活用できない企業は、利益が少ないので高い賃金が払えず、労働力が確保できなくなって人手不足倒産してしまうのだ。 そうだとすると、人手不足倒産によって失業し、新しい会社に雇われた労働者は、労働力をうまく利用できない会社から、労働力をうまく利用できる会社に「転職」したことになる。これは、日本経済にとって素晴らしいことだ。 「社員を上手に使っていい製品を作っているのに、業界全体の過当競争に伴う安売り競争に巻き込まれて利益が上がらず、賃上げができなかった。その結果、社員が高い給料を払っている他業界に引き抜かれてしまって倒産した」という会社があったとする。 だとすれば、労働力を上手に使っている会社が倒産することになってしまうが、業界全体として見た場合には、労働力を利益に結びつけられていないわけで、やはり労働力を上手に使えていない業界だ、ということになる。 いずれにしても、そうした企業の経営者には申し訳ないが、「その会社が倒産したことで、業界全体の過当競争が緩和され、生き残った会社は安売り競争をやめて適正な価格で販売するようになり、適正な利益を稼いで高い給料で人手を確保できるようになる」のだから悪い話ではない。 日本企業は過当競争体質で、せっかく良い物を作っても安売り競争を繰り広げてしまうから儲からないのだ、と言われる。それが、労働力不足で「良い物を適正な値段で売る」ようになれば、これまた素晴らしいことだ』、「「社員を上手に使っていい製品を作っているのに・・・」の例示は、例示そのものが矛盾しているが、それを除けば概ね正論だ。
・『穏当な労働力移動の方が倒産よりは望ましい  とはいえ、できれば倒産は避けたい。その意味では、人手不足倒産の件数が少ないことは救いだ。裏で人手不足による自主廃業、合併、会社の身売りなどが数多く行われているのだろう。 合併や企業の身売りなどにより、設備や労働力を同業他社が有効利用してくれるならいいことだ。「規模の経済」によって、日本経済が効率化していくからだ。資金力のある企業に吸収されれば、資金力を頼みに省力化投資を行うことで、労働力不足が緩和できる。 また、倒産してしまうと、企業に蓄積していたノウハウや顧客からの信頼といった「バランスシートに載っていない資産」が雲散霧消してしまう上に、バランスシートに載っている資産もスクラップ用に二束三文で買いたたかれたりしかねない。これは、日本経済にとって大きな損失だ。 したがって、人手不足倒産が懸念される事態に陥ったら、経営者は早めに合併や身売りや廃業を検討していただきたい。ご自身のためにも、日本経済のためにもだ。自社が生き残れるかもしれないといういちるの望みが残っているときには、必死になって生き残る可能性に賭けるのが経営者としては自然であろうが、それでつぶれてしまってはもったいない話で、日本経済の損失となる。冷静に考えて決断していただければ幸いである』、元銀行員だけあって、説得力がある主張だ。日本企業は苦しくなっても、必要以上に頑張ってしまう結果、大幅な債務超過となって、経営者のみならず、労働者にまで被害が及ぶケースが多い。これからは、傷が広がる前に、早目に見切ることも必要だろう。

次に、百年コンサルティング代表の鈴木貴博氏が10月26日付けダイヤモンド・オンラインに寄稿した「人手不足の日本社会がすがるしかない、手放しで喜べぬ3つの解決策」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/183394
・『2030年の人手不足は今の5倍以上?「もう日本が回らない」は本当か  以前から指摘されている「2030年問題」というものがある。2030年には日本人口の3分の1が高齢者になり、同時に大幅に生産年齢人口が減少することで、日本社会全体が回らなくなるのではないか、と懸念されている問題だ。 この問題については、いくつものシンクタンクが様々な試算を行っている。みずほ総研によれば、2016年に6648万人だった日本の労働力人口は、2030年には5880万人になると予測されている。単純計算で768万人の労働力減少が起きることになる。 この問題が厄介なのは、人口問題はかなり高い確率で現実のものになるということだ。いまさら日本人の出生率が急増するわけもなく、仮に今年や来年に増加したとしても、2030年の生産年齢人口には何の影響もない。 一方で、ひょっとすると高齢者の寿命は2030年頃にはもっと伸び、需要は拡大しているかもしれない。悪い方に予想が間違うことはあっても、いい方向に間違うことはないだろう。 10月23日にパーソル総合研究所と中央大学が発表した調査結果によれば、2030年の日本の人手不足は644万人になるという。厚生労働省の発表による昨年7月の人手不足は121万人だったので、2030年には現在の5倍以上の労働力不足がやってくるというわけだ。中央大学の阿部正浩教授によれば、この試算も賃金が上昇した場合であって、想定通りに賃金が上昇しなければ1000万人規模の人手不足に陥るという。 では、この問題はどう解決できるのだろうか。この2030年問題については、実は3つの具体的な解決策が提唱されている。3つとも「必ずしも好ましい対策とは言えない」という欠点を持っているにもかかわらず、おそらくその3つが未来の問題を解決してくれると期待されている。「手放しで喜べない3つの解決策」とは何か。1つずつ紹介していこう』、どのようなものなのだろうか。
・『【解決策1】労働参加年齢の上昇  労働力の統計には、生産年齢人口と労働力人口がある。生産年齢人口は15歳以上65歳未満の人口のことなので、これはどんな政策を用いても増加することはできない。一方で労働力人口は、一般には15歳以上で働く意思を持っている人口のことを指す。なので、労働参加率が上昇すれば労働人口は増えることになる。 たとえば、日本の従業員数は1984年に3936万人だったものが、2016年には5391万人と1455万人も増えている。なぜ増えたか、その要因としては人口増加よりも労働参加率の上昇の方が圧倒的に重要である。この30年間で女性の労働参加率が飛躍的に増加したのと同時に、1984年当時は55歳だった定年が現在では多くの企業で60歳以上に引き上げられていることが挙げられる』、なるほど。
・『もう高齢者や外国人に頼るしかないのか  翻って2030年のことを予測すると、その時代には70歳にならなければ満足な額の年金が支給されなくなるということが予想されている。年金が支給されなければ、ないしは年金が支給されてもその額が十分でなければ、生活が成り立たない高齢者がどうするかというと、働くしかない。 中国から見ると、現在でも日本は高齢者がたくさん働いている国に映るそうだが、それが2030年にははるかに大規模な社会現象となり、労働力不足は200万人規模の高齢者が埋めてくれることになる』、「定年」がない高齢者の労働参加率はどうなのだろう。
・『【解決策2】移民の活用  日本は欧米のような移民政策は絶対にとらない――。我々日本人はそう信じてきた。しかし海外の人から言わせると、現在の日本はすでに移民大国なのだという。 実際、2008年に48万人だった外国人労働者は、2017年には127万人まで増加している。前年比で言えば18%増と急激な増加率だ。どのような外国人が増えているのか、内訳を見ると実に全ての分類で増加しているのだ。技能実習も専門分野の在留資格も着々と増えているし、資格外活動の外国人も増加している。 さらに政府は、こうした実態に合わせるために、今後単純労働に関しても、外国人に対してビザを発行する方針を決定した。仮に外国人労働者の数が、今後(現在よりはペースダウンした)毎年10%の増加率で増えて行ったと仮定すると、どうなるだろうか。試算してみると、2030年の外国人労働者の数は400万人を超える。これは労働力不足を補うには十分なペースである』、外国人労働者の急増を社会が円滑に吸収し得るか、日本人の賃上げ圧力を抑制しないか、などが問題になる。
・『【解決策3】AI・ロボット活用  さて、実はこれが一番現実味が大きいと私が考えているものだが、人工知能の進化によって、2020年代を通じて人間が行う頭脳労働のかなりの部分がAIに置き換わるようになる。 現実に、メガバンクは10年間で1万9000人規模のリストラを計画しているが、これはRPA(ロボティック・プロセス・オートメーション)と呼ばれるAIによって、事務作業の多くが自動化されることを見込んだ数字である』、ホワイトカラーにとって深刻な脅威だ。
・『AIに仕事を奪われるのは正社員 この国は変質してしまうのか  私もこれまで『仕事消滅』 『「AI失業」前夜』といった著書を通じて、人工知能による仕事消滅論に警鐘を鳴らしてきた。仕事消滅の怖いところは、失業者が増えるのではなく、むしろ給料の高い頭脳労働者の仕事がなくなることだ。言い換えると、人工知能の問題は正社員の仕事を消滅させ、我々の仕事の大半をパートタイム労働だけにしてしまうことにある。 そもそも2030年に644万人の人手不足が発生するという試算の前提は、2030年の日本に7000万人分の労働需要があるという考え方に基づいている。人工知能が1000万人分の仕事を消滅させただけで、この問題はあっという間に解決してしまう。そして2020年代には、実際にAIはそれを上回るペースで人間の業務を効率化していくと予想されている。 以上が2030年問題に関して考えられている主な解決策のリストである。人工知能が頭脳労働を肩代わりしてくれ、外国人労働者がコンビニ・飲食店・宅配便・介護といった若手でないとできない仕事を担当してくれ、生活費の足りない高齢者が警備員・チラシのポスティング・清掃の仕事を請け負ってくれるのが、2030年の未来ではないか。 そのような未来を考えると、2030年問題の核心は、労働力ギャップよりも、日本という国がどこまで変質してしまうのかということだと思う。皆さんはこの問題を、どう考えるだろうか』、AIによるホワイトカラーの代替は残念ながら避けることは出来ないだろう。代替する仕組みを設計する技術者は、ごく少人数で済むので、影響は深刻だ。他方、高齢者の労働市場参加は、生活の必要性から進むだろう。現在問題になっている外国人労働者の問題は別途、取上げる予定だが、私は枠を広げることには、社会的な問題が大きく反対である。 
タグ:鈴木貴博 人手不足 ダイヤモンド・オンライン 塚崎公義 (その1)(“人手不足倒産”が日本経済にとっては「いい倒産」である理由、人手不足の日本社会がすがるしかない 手放しで喜べぬ3つの解決策) 「“人手不足倒産”が日本経済にとっては「いい倒産」である理由」 「求人難」「人手不足」による倒産が増加 マクロ的な視点で広く日本経済のことを考えると、人手不足倒産は「いい倒産」だ 不足という単語は、否定的なニュアンスを持った言葉 人手不足というのは経営者目線の言葉 労働者目線からは「仕事潤沢」とでも呼ぶべき 人手不足なので、倒産企業の労働者にも仕事は見つかる 経営者が悲惨 労働力確保競争に負けて倒産したのだから、ある程度「自己責任」と言える 同業他社よりも低い給料しか提示できなかったことによる倒産 人手不足倒産がいい倒産だと言える理由は、日本経済全体として労働力が有効利用されるようになるということだ 労働力を有効に活用できない企業は、利益が少ないので高い賃金が払えず、労働力が確保できなくなって人手不足倒産してしまうのだ その会社が倒産したことで、業界全体の過当競争が緩和され、生き残った会社は安売り競争をやめて適正な価格で販売するようになり、適正な利益を稼いで高い給料で人手を確保できるようになる 穏当な労働力移動の方が倒産よりは望ましい 人手不足倒産の件数が少ないことは救いだ。裏で人手不足による自主廃業、合併、会社の身売りなどが数多く行われているのだろう 倒産してしまうと、企業に蓄積していたノウハウや顧客からの信頼といった「バランスシートに載っていない資産」が雲散霧消してしまう上に、バランスシートに載っている資産もスクラップ用に二束三文で買いたたかれたりしかねない 経営者は早めに合併や身売りや廃業を検討していただきたい 「人手不足の日本社会がすがるしかない、手放しで喜べぬ3つの解決策」 2030年の人手不足は今の5倍以上? 手放しで喜べない3つの解決策 【解決策1】労働参加年齢の上昇 この30年間で女性の労働参加率が飛躍的に増加 定年が現在では多くの企業で60歳以上に引き上げられている 【解決策2】移民の活用 現在の日本はすでに移民大国 2017年には127万人まで増加 全ての分類で増加 政府は、こうした実態に合わせるために、今後単純労働に関しても、外国人に対してビザを発行する方針を決定 毎年10%の増加率で増えて行ったと仮定 2030年の外国人労働者の数は400万人を超える。これは労働力不足を補うには十分なペース 外国人労働者の急増を社会が円滑に吸収し得るか 日本人の賃上げ圧力を抑制しないか 【解決策3】AI・ロボット活用 メガバンクは10年間で1万9000人規模のリストラを計画 RPA(ロボティック・プロセス・オートメーション) AIに仕事を奪われるのは正社員 怖いところは、失業者が増えるのではなく、むしろ給料の高い頭脳労働者の仕事がなくなること 人工知能の問題は正社員の仕事を消滅させ、我々の仕事の大半をパートタイム労働だけにしてしまうことにある 人工知能が頭脳労働を肩代わりしてくれ 外国人労働者がコンビニ・飲食店・宅配便・介護といった若手でないとできない仕事を担当してくれ 生活費の足りない高齢者が警備員・チラシのポスティング・清掃の仕事を請け負ってくれる 2030年問題の核心は、労働力ギャップよりも、日本という国がどこまで変質してしまうのかということだと思う
nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

GAFA(プラットフォーマー)(その1)(「グローバル独占企業」がイノベーションを殺す GAFAが資本主義のルールを変えた、GAFAの躍進を支えるリバタリアン思想の正体 自由至上主義者のユートピアが現出した、グーグル炎上!従業員は何に怒っているのか 取締役陣に従業員代表を加えることを要求、世界経済をけん引してきたGAFAに退潮の兆し 米国経済への影響は大) [産業動向]

今日は、GAFA(プラットフォーマー)(その1)(「グローバル独占企業」がイノベーションを殺す GAFAが資本主義のルールを変えた、GAFAの躍進を支えるリバタリアン思想の正体 自由至上主義者のユートピアが現出した、グーグル炎上!従業員は何に怒っているのか 取締役陣に従業員代表を加えることを要求、世界経済をけん引してきたGAFAに退潮の兆し 米国経済への影響は大)を取上げよう。

先ずは、ジャーナリストの池田 信夫氏が7月27日付けJBPressに寄稿した「「グローバル独占企業」がイノベーションを殺す GAFAが資本主義のルールを変えた」を紹介しよう。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/53691
・『EU委員会は7月18日、グーグル社に43億4000万ユーロ(約5700億円)の制裁金を払うよう命じた。これはEU(ヨーロッパ連合)の制裁金としては史上最大だ。その理由は、グーグルが携帯端末用OS「アンドロイド」に自社製アプリを抱き合わせしているというものだが、これは1990年代のマイクロソフトに対する司法省の訴訟と似ている。 グーグルだけではなく、アップルもアマゾンもフェイスブックもグローバルな独占企業になり、まとめてGAFA(Google、Apple、Facebook、Amazon)と呼ぶことも多い。こうした新しい独占企業が、グローバル資本主義を変えようとしている』、EUは日本と違って、GAFAに対する取り組みでは先進的だ。
・『インターネットが生んだ独占・集中社会  90年代にインターネットが急速に普及したとき、それは従来の電話網とは違う自律・分散型のネットワークだった。それによって国家と大企業を中心とする20世紀型の社会が変わり、個人を中心とする自律・分散型の社会になると予想する人が多かった。一時はそういう兆しも見えた。電話交換機で通信を独占した電話会社が衰退し、大型コンピュータを独占したIBMが経営危機に瀕し、携帯電話で個人がいつでも世界に情報を発信できるようになった。GAFAのうちアップルを除く3社は、90年代後半以降に創業した企業である。 しかし2004年に創業したフェイスブックを最後に、既存の企業を倒す「破壊的イノベーション」は消えた。新しい成長企業が、大企業に育つ前に買収されたからだ。アンドロイドも、携帯用OSを開発していた会社をグーグルが買収したものだ。ITの世界では、ゼロから研究開発するより有望な企業を買収したほうが速い。  企業買収のもう1つの意味は、競争の芽を摘むことだ。2012年にフェイスブックが写真サイト「インスタグラム」を10億ドルで買収したとき、その売り上げはゼロだったが、ユーザーは3000万人で急成長しており、フェイスブックのライバルになる可能性があった。それを買収することで、フェイスブックは独占を守ったのだ。 皮肉なことに自律・分散型のインターネットが生んだのは、かつての電話会社やIBMより強力な独占・集中型の産業構造だった。それはインターネットという巨大なプラットフォームを独占することが、国家を超える権力になるからだ』、確かにGAFAの巨大化、独占化には目ざましいものがある。
・『「プラットフォーム独占」は国境を超える  キャッシュの余った大企業が関連のない企業を買収して規模を拡大するのは、昔は「コングロマリット」と呼ばれ、ダメな企業の代名詞だった。日本の「総合電機メーカー」のようなコングロマリットの経営が悪化するのは、経営者が資本効率を考えないで多角化して雑多な企業を抱え込むからだ。 しかしGAFAのような「ITコングロマリット」は、多角化しても資本効率が落ちない。それは彼らのコア技術がソフトウェアだからだ。アマゾンやグーグルが自動運転の企業を買収しても、彼らが開発するのは自動車ではなく、それを運転するソフトウェアだから、プラットフォーム独占は共通だ。ハードウェアは中国に発注してもいい。 GAFAは、国境を超えるグローバル独占企業になった。かつて電話会社は国内市場を独占したが、インターネットのユーザーは全世界で40億人。その最適規模は国家を超える。グローバル独占が確立すると、それをくつがえす新企業が出てくることはむずかしい』、「多角化しても資本効率が落ちない。それは彼らのコア技術がソフトウェアだからだ」というのは、その通りだ。つまり巨大化にブレーキが利かないことを意味している。
・『多くの経済学者は、2010年代に成長率が低下した原因を、このようなイノベーションの衰退に求めている。ケネス・ロゴフ(ハーバード大学教授)は、それを「第二のソロー時代」と呼んでいる。  かつて経済学者ロバート・ソローが「コンピュータはどこにでも見られるが、生産性の統計の中には見られない」といったように、インターネットは人々の生活を便利にし、既存企業の独占利潤を上げる役には立ったが、生産性は上がっていないのだ』、これは興味深い指摘だ。
・『古い独占を倒すのは新しい独占  グローバル独占企業が昔の独占企業より強力なのは、その市場支配力が国家に依存しないからだ。最盛期のAT&T(アメリカ電話電信会社)の社員は100万人を超えたが、そのビジネスはアメリカを超えられなかった。1980年代の分割で国際事業が認められたが、失敗に終わった。 国境を超える独占企業になったほとんど唯一の例外がIBMだが、それは大型コンピュータというプラットフォームの独占に依存していたので、パソコンという新しいプラットフォームが出てくると没落した。 独占を守るにはライバルを買収して、新しいプラットフォームをつぶす必要があるが、司法省との独禁法訴訟を抱えていたIBMは、彼らの独占に挑戦する企業を買収できなかった。1980年代にIBMがマイクロソフトを買収していたら、われわれは今も大型コンピュータを使っているかもしれない。 電話会社は各国の規制と戦うことに多大な労力を費やしたが、GAFAには今までそういう問題は少なかった。ソフトウェアを規制する法律はほとんどなく、インターネットという巨大なプラットフォームを独占すれば、IBMよりはるかに巨大な独占企業になれた』、その通りだろう。
・『しかし今回のEU委員会の制裁にみられるように、ヨーロッパ各国政府はGAFAに警戒を強めている。それはもはやヨーロッパにはGAFAに対抗できる企業がなく、アメリカ文化がヨーロッパを支配することを恐れているからだ。 日本政府には、そういう危機感もない。それは日本企業が、とっくの昔にプラットフォーム競争に負け、競争に参加する気もないからだろう。むしろ中国の「国家資本主義」が、GAFAのライバルになる可能性がある』、中国にはその後、トランプ大統領が経済戦争を仕掛けたので、先行きは曲折があろう。
・『21世紀に生まれたグローバル独占資本主義のルールは、経済学の教科書には書かれていない。それは日本メーカーの得意とする「いいものを安くつくる」市場とは違う。問題は性能でも価格でもなく、巨額のリスクを取って独占を作り出す経営者の度胸である。 そこでは市場メカニズムはきかず、強者が徹底的に投資して弱者を蹴落とす進化論的な競争になる。こういう独占を防ぐには、一国内のシェアを基準にした独禁法は無意味である。古い独占を倒すには、新しい独占を育てるしかない。競争政策にもイノベーションが必要である』、「勝者総取り」の世界では、勝者はますます強くなっていく。11月3日の日経新聞によれば、日本政府は、GAFAなどによるデータ寡占を独禁法で規制することを検討しているようだが、果たして可能なのだろうか。相変わらず腰が引けた対応だ。

次に、翻訳家の脇坂 あゆみ氏が8月27日付け東洋経済オンラインに寄稿した「GAFAの躍進を支えるリバタリアン思想の正体 自由至上主義者のユートピアが現出した」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/234258
・『・・・「少数の支配者と多数の農奴が生きる世界」  アメリカの四大テクノロジー企業の光と影を、ニューヨーク大学のビジネススクール教授が書いた『the four GAFA - 四騎士が創り変えた世界』・・・が話題を呼んでいる。そのタイトルどおり、本書では、これら四強の本質と、彼らがどのようにビジネスや暮らしを一変させてきたかが解き明かされている。 いまやグーグルで検索するとき、「この答えは誰がどうやって決めているの?」とか、「自分の本性がバレないだろうか?」など立ち止まることはほぼない。どこかの天才が、客観的なアルゴリズムによって最も正しい答えに導いてくれると信じて疑うことはない。 アマゾンのレビューで数百人ものレビューアーが良いと言うならきっと良い商品だろうし、アップルの最新端末は、他社製品は言うにおよばず、1年前の機種よりいいに決まっており、フェイスブック・メッセンジャーのない日々の通信も考えられない。 典型的とは言えなくても、ある程度、現代都市でスマホを持っている読者なら心あたりがあるのではないだろうか』、確かに我々の生活にGAFAは深く入り込んでいる。
・『だが、ギャロウェイ教授は、彼らに痛めつけられた自らの経験も踏まえてこの四大企業の本性と怖さを教え、そのサービスを無批判に享受し続ける信者たちに警鐘を鳴らす。四騎士とは、聖書のヨハネの黙示録に登場し、地上の四分の一を支配する強大な力を与えられて平和を脅かし、殺戮や飢饉など厄災をもたらす恐ろしい存在だ。 教授は、四騎士が指し示すのは「少数の支配者と多数の農奴が生きる世界」だと言う。そこはごく限られた強者がゲームのルールを決め、富を独占しながらも税から逃れ社会的責任も果たさない非民主的な世界であり、卓越した能力を持たない凡人がわずかな残り物を争う殺伐とした世界だ。アマゾンの正体は、既存ビジネスと雇用の「破壊者」である。 教授によれば、GAFAは「盗みと保護」によって躍進し、その支配は消費者の本能、主に下半身に訴えるブランド戦略によって盤石なものとなっている。絶対的な力を手にしたGAFA企業は絶対的に腐敗するリスクをはらんでおり、集中しすぎた権力は規制し、解体すべきというのがその主張の一部だ』、随分、過激な主張のようだが、もう少し主張の詳細をみてみよう。
・『次の時代を生き抜くにために、教授が若者たちに提案するのは、まずはこの四騎士の本質を理解すること。そして、次なるスティーブ・ジョブズを夢見るのではなく、「大学にいく」こと、「友人を大切にする」こと、「資格をとる」ことなど。教授が起業したのも、大企業で働くスキルが欠落していたためだという。 本書によって読者は、彼ら四騎士がどのようにビジネスと消費の常識を変えてきたかを知ると同時に、GAFAが君臨する新世界での自分自身の信条と立ち位置について、改めて確認できる。そこにはGAFAを誕生させ、躍進させた文化と、それが目指すユートピアの本質が示されているからだ』、なるほど。
・『リバタリアンのユートピア  GAFAを生み、育て、その独裁を許し、アメリカ議会までもがひれ伏す神聖な帝国を築かせたのは、卓越した商品やサービスを生み出す起業家こそが大きな価値を生み出し、応分の見返りを得るに値するという信条、シリコンバレーなどアメリカの西海岸に巣食うリバタリアンのDNAだ。 GAFAが体現するリバタリアンのDNAとは、次の3点に要約される。第1に、権威ではなく個人がそれぞれの目標と幸福を定義できるとする「個人主義思想」、第2に、少数の天才が社会を前進させる原動力になるという「英雄礼賛文化」、第3に、最小限の国家の介入を理想とする「自由市場経済」である。地上の四分の一を支配し、旧世界に侵食しつつある無慈悲な新世界は、自由至上主義者のユートピアなのだ。 まず、第1が「個人主義思想」だ。GAFAが君臨する世界では、正しいことやいいことは個人によって違っており、それぞれが自分にとっていいこと、時間の使い方をより高い自由度を持って決めることができる。そこでは知りたいことを知りたいときに調べ、買いたいものを買いたいときに買い、遠い国の戦争ではなく、昔の友人や同僚の近況を自分の指先で探し、楽しめる。 「グーグルの登場で、私たちはそれぞれ違う問題、目標、欲望を持つ個人とみなされるようになった。私たちはそれぞれ違う質問をする」と教授は分析する。 本書の読みどころの1つは、教授が取締役を務めたニューヨーク・タイムズとグーグルとの戦いだ。戦いというよりは自然な成り行きとも言えるが、旧世界のタイムズの経営陣は、自社サイトで稼ぐのでなく、無邪気にもグーグルからの無制限のアクセスを許した。その結果、タイムズは、インターネットという広大な土地の領主であるグーグルの小作人になり下がってしまったという。 タイムズはもはや、たとえばアメリカ大統領選に大きな影響力を持つことはできなくなってしまった。アメリカの多数の有権者が彼らの社説は読まず、タイムズが嫌うトランプのツイッターをフォローする。かつて、重要なことは新聞が決めていた。買うべきものは雑誌が決めていた。だが最後に新聞の社説を読んだのはいつだったろう……? ギャロウェイ教授は、グーグルとフェイスブックは既存のメディアをも大きく上回る発信力と広告収入を持ちながら、メディアではなくプラットフォームだと主張し、「真実を追求するジャーナリズム精神など持ち合わせず」無責任にフェイクニュースを垂れ流すという。リバタリアンの新世界では、個人がそれぞれに真実を追求する責任を負う。グーグルは、タイムズのご高説はもうたくさんだというユーザーの本音に忠実に従う。 今日私たちが日々頭を垂れるのは祈るときではなく、スマホに向かってグーグルで検索するときだと、教授は指摘する。リバタリアンのユートピアで、人は信じることではなく、知ることで神に近づけると気づくからだ』、リバタリアンとは自由至上主義信奉者のことで、政治的には右派とみられているが、GAFAはどちらかといえば、リベラル色が濃いと思っていたが、彼らもリバタリアンとは認識を新たにした。
・『弱肉強食の冷酷な世界  第2に「英雄礼賛文化」である。リバタリアンの世界では、卓越したアイデアと才能・実行力を持つ個人は英雄として崇められる一方で、中途半端なサービス、二流の商品が生きながらえることはない。そこで勝つとは、誰よりも早く、未開発の市場を思いつき、独占すること。安定ではなくディスラプション、統制のとれた集団ではなく才能のある個人が絶え間ないイノベーションによって理想世界を実現する。それは結果がすべての弱肉強食の冷酷な世界でもある。 思えば「世界最大のお店」とか「世界中の人をつなげるアプリ」とか「全知全能の検索エンジン」など、GAFAの発想は荒唐無稽だった。だがスーパーヒーローたる起業家たちは、ビジョンの大きさにひるむことがない。ギャロウェイ教授によれば、大抵の経営者は最小の資本で最大のリターンを目指す。だがアマゾンの発想は違う。「莫大な資金がかかるために他社にはできないことで、われわれが他者を出し抜けることは何だろうか?」そして、その荒唐無稽なビジョンに賭ける投資家たちがいる。フェイスブックは、誰もが気づいていない真実を探し続けた逆張りの投資家ピーター・ティールによって最初の資金を得ることができた。「私たちの文化の中で、起業家はスポーツのヒーローや芸能界のスターと同じような、アイコン的な地位に持ち上げられている。起業家の象徴たるハンク・リアーデンから、死によって神格化されたスティーブ・ジョブズまで」と教授は指摘する。 ジョブズの物語は、いまなおアップルユーザーの心をざわつかせ、時価総額1兆ドルを超えるメガ企業になっても魔法が解けることはない。ジョブズは死んで神様となったのだから。喫茶店でMacに向かうクリエイターやビジネスマンの多くはいまも、ジョブズと同じ反逆のスピリットを持っているか、持ちたいと思っているのではないか。 ハンク・リアーデンとは、アイン・ランドの長編小説『肩をすくめるアトラス』で、あらゆる既存勢力や国家の妨害と戦いながらまったく新しい合金を開発した鉄鋼王だが、いまも全米のビジネスマンを刺激し続けるこの物語で最も偉大なのは実業家たち、それも裸一貫であらゆる逆境を乗り越えてまったく新しい事業を築き上げる起業家たちだ』、なるほど。
・『プライバシーほど神聖なものはない  第3に、「自由市場経済」である。リバタリアンの理想郷では、国家や政府の干渉が最小限に抑えられている。インターネットの黎明期、サイバー空間は国家権力が介入しないユートピアとしてリバタリアンたちを熱狂させたが、そのユートピアの規範がいまやリアルな世界に侵入しつつある。 アップルがFBIへの協力を拒み、個人情報を守るとき、信者たちは喝采を送る。教授は、それはアップルがイケてるからだ、という。それもあるかもしれないが、リバタリアンの世界では、プライバシーほど神聖なものはない。税金についても、同じキャッシュなら、国家に収めるより稼ぐ力がある人間が有意義に使ったほうが世の中のためになるという考え方だ。 GAFAが君臨するのは「少数の支配者と多数の農奴が生きる世界」かもしれないが、その新世界を支えるのは、多数の幸福な農奴たちでもある。アマゾンやグーグル、フェイスブックによって壊滅的な打撃を受けた小売やメディアの関係者にとって、本書で描かれている悪夢は現実だろう』、確かにGAFAの考え方はリバタリアンそのものだ。
・『一方で、GAFAのシンプルで、使いやすく、すべての個人に開かれたプラットフォームによって、知り、創造し、発信し、起業した人は少なくないはずだ。 たとえばアマゾンは、e託サービスによって、マスマーケットへのアクセスなど望むべくもなかった個人が、ニッチな小ロットの商品を販売することを可能にした。フェイスブックなどのSNSは、大組織の支援のない名もなきクリエイターが本当に面白いコンテンツをコンテンツそのものの力で拡散させることを可能にしている。300万円の予算で制作された映画『カメラを止めるな!』がヒットしたのは、SNSを通じた口コミの力も大きい。 20億人のSNSのプラットフォームは、ほかの同様のプラットフォームの追随を許さない悪徳のモノポリかもしれないが、それによって地球上のあらゆる弱小クリエイターたちは、ごく少ない資本で、本当に刺激的で面白いコンテンツを世界に発信し、評価されることが可能になったのである。 ユーザーとしても、自分の嗜好がどんどんコンテンツに反映されていくのだとすれば、しなければならないのは、好きなものを探し、楽しみ、周囲の一握りの人たちに共有することだけだ。 だが彼らユーザーはいまGAFAの信者であったとしても狂信者ではない。タイムラインのニュースが胡散臭いと思えばいつでも、別のメディアをみることができるし、アマゾンがダメなら楽天がある。そうしないとすれば、それはGAFAのサービスは便利さとともに、より多くの真実をもたらしてくれるからだ。アマゾンはおおむね、私たちを売る側の論理と都合やマスマーケティングの押し売りから解放してくれている。四強が競合を破壊し尽くして、戻る場所はなくなるという考え方もあろうが、私はそうは思わない』、これはギャロウェイ教授の考えではなく、筆者の考えだろうが、確かにプラス面も考慮する必要がある。
・『栄光は永遠ではない  私たちがグーグルやフェイスブックを認知し始めてから、まだ20年も経っていない。20年前、本書にも登場する当時時価総額上位のGEは、次の100年も安泰と思われていたが、つい先日ひっそりと、ダウ平均銘柄のリストから姿を消した。iPhoneXで多くの通信や雑務をこなしてしまう私たちがブラックベリーに張り付いていたのは10年も昔ではない。栄光はかくも儚いものだとGAFA以前の世界を眺めてきた私たちユーザーは知っている。四騎士の覇権もいつかは崩れ、新しい騎士たちが世界を席巻するだろう。  Google 、Apple、Facebook、Amazon――彼ら四騎士は確かに地球の四分の一以上を支配しつつあるが、彼らの栄光は永遠ではない。ただ、この本を読み終わってもなお、四騎士の台頭を厄災ではなく福音と想い続けることができるならば、あなたはもしかすると、天才起業家が神々となるユートピアを信じるリバタリアンの一人かもしれない』、GAFAが「新しい騎士たちが世界を席巻する」ことのないような、圧倒的な独占的地位を築いたとすれば、この部分にはいささか違和感を感じる。

第三に、11月3日付け東洋経済オンラインが転載したロイター「グーグル炎上!従業員は何に怒っているのか 取締役陣に従業員代表を加えることを要求」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/247052
・『カリフォルニア・マウンテンビュー/ニューヨーク (ロイター) - アジア、欧州、北アメリカのグーグルのオフィスに勤務する数千人の従業員と契約社員は11月1日、性差別、人種差別そして職場で黙認されるパワハラに対する抗議活動を行った。 カルフォルニア州マウンテンビューのグーグル・グローバル本社の中庭には、何百人もの社員が集まった。うち何人かは同社の音声認識アシスタント「OK Google」にちなんだ「Not OK Google」という大きなサインを掲げた』、私もニュースに驚かされた。詳細を知りたいところだ。
・『ニューヨークやサンフランシスコでも(ニューヨークのグーグルのオフィスビル周辺では、男女が周辺ブロックをおよそ10分間にわたって静かに歩き回った。そのうち何人かは「女性に敬意を」といった内容のサインを掲げていた。 「これがグーグルです。これまで多くの難題を乗り越えてきました。現況は受け入れがたいものですが、もし解決できる企業があるとすれば、それはグーグルだと思います」と、同社に勤務して3年になるソフトウェアエンジニアであるトマス・ニーランドは話す。 2ブロック離れた小さな公園にはグーグルの社員を含めた、およそ1000人のニューヨーカーが集まった。うち数名はオフィスビル周辺で見られたよりも大きなプラカードに「Time's up Tech (いい加減にしろ)」というサインを掲げていた。 今回の抗議行動について、グーグルの従業員たちはマネジャーや同僚から参加を促すメールを多数受けとった、とニーランド氏は言う』、マネジャーからも参加を促すメールを受けとったとは、驚かされたが、いかにもグーグルらしい。
・『午前11時頃、社員は集まって本社を離れる準備を開始。「待機中のチームエンジニアもページャーを持って参加しました。それほどこの抗議行動が重要だと考えたのです」。 サンフランシスコのフェリービルディング近くの通りには数百人が集まり、同僚がほかのグーグルオフィスに抗議活動への参加を呼びかける声に静かに聞き入っていた。 主催者は、この抗議行動は世界中のグーグルのオフィスに広がったと発表。この行動は、社内セクハラ問題で2014年に退職した当時の幹部、アンディ・ルービン氏に対してグーグルが9000万ドル相当の退職金パッケージを提供した、という米ニューヨーク・タイムズ紙の報道をうけて勃発した。 ルービン氏はこの報道を否定し、退職金の額については「大きく誇張されている」と述べている。 グーグルはこの記事に抗議していない』、社内セクハラ問題で退職しても、9000万ドル相当の退職金パッケージを受け取れるとは優雅な身分だ。
・『グーグルは社会経済的地位の手本になるべき  この報道は、グーグル社内で長年続いてきた多様性の推進や女性、マイノリティの待遇改善を求める活動に火をつけた。 これらの課題は2016年、共和党のドナルド・トランプ氏が出馬したアメリカ大統領選以降、民主党支持者が多いシリコンバレーの住民の重要案件となっている。 従業員たちは、大統領とグーグルによる移民、防衛、差別に対するスタンスについて、はっきりと意見するようになった。最先端技術の先駆者だからこそ、自分たちの雇用主は社会経済的地位の手本になるという意識を持つべきだと、従業員たちは訴えている。 10月31日の午後、抗議の主催者はグーグルの親会社であるアルファベットに対して取締役に従業員代表を加えること、また報酬の平等性に関するデータの社内共有を求めた。同時に、嫌がらせが起きているとの訴えがあったとき、公正に審査する人事制度も要求している。 グーグルのサンダー・ピチャイ最高経営責任者(CEO)は「従業員が建設的なアイデアを提案した」とし、「こうしたアイデアを実行に移していけるよう、従業員のフィードバックをすべて把握する」と表明した』、「取締役に従業員代表を加える」との要求は、仮に受け入れられれば、米国では革命的なことになる。ピチャイCEOの反応も、具体性にはまだ欠けるとはいえ、大したものだ。「自分たちの雇用主は社会経済的地位の手本になるという意識を持つべきだ」との従業員の訴えも、素晴らしい。
・『現地時間の11月1日11時、ダブリンにあるヨーロッパ本社は何百もの人に埋め尽くされた。主催者がSNSに投稿した写真にはロンドン、チューリッヒ、ベルリン、東京そしてシンガポールの従業員たちがグーグルのオフィスを離れる姿が写されている。 アイルランド地元メディアRTEによると、ある従業員は机の上に 「不品行、不当、不透明、不健康な職場環境に抗議するための活動に参加中のため不在です」と書かれたメモを置いている。 グーグルのダブリンオフィスはアメリカ国外としては最大規模で、およそ7000人の従業員が働いている』、さすがグローバル企業らしい。
・『セクハラ撲滅の対策が遅れている  アルファベットが抱える9万4000人の従業員と、何万人もの契約社員の不満は、同社の株価に影響を及ぼしている。しかしアルファベットの経営陣がこの問題を解決しない限り、同社は人材確保とその維持に苦労するだろうと、同社の従業員は予想する。 今年前半、団体の活動の多くは署名活動や労働者の権利を守る団体Coworker.orgとのブレインストーミングセッションといった、内向的な活動が多かった。 20年前に設立されて以降、グーグルは社内規範として「Don't Be Evil(邪悪になるな)」を掲げて社内における従業員と企業活動の透明性を訴えてきた。しかし主催者によれば、グーグル上層部は、「#Metoo」活動によって影響を受けたほかの企業のリーダーたちと同様、この問題に焦点をあてるのに時間がかかりすぎている。 「多様性と包括性を誇ってきたグーグルにもかかわらず、人種主義に対する具体的な行動や公平性の向上、セクハラの撲滅といった対策が遅すぎる」と主催者は語る。 グーグルはセクハラに関する統計報告を公表し、嫌がらせの問題を内々で強引に処理する体質を改善しなければならない、と主催団体は言う。 また、チーフ・ダイバーシティ・オフィサー(最高多様性責任者)が直接上層部に意見できる環境を要求している』、今後、グーグルがこれらの要求に如何に答えていくのか、大いに注目したい。

第四に、信州大学経済学部教授の真壁 昭夫氏が11月5日付け現代ビジネスに寄稿した「世界経済をけん引してきたGAFAに退潮の兆し 米国経済への影響は大」を紹介しよう。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/58303
・『米国の先端IT企業であるGAFA(グーグル、アップル、フェイスブック、アマゾン)の今年7-9月期の決算が出そろった。各社の決算内容を見ると、今後、GAFA株に対する期待の盛り上がりがやや後退することが考えられる。それは、米国だけではなく世界経済にとって無視できないリスク要因になるかもしれない。 最も重要なポイントは、これまでのようなイノベーションが見られないことだ。人々が欲しいと思わずにはいられない、ヒット商品や新しいサービスが見当たらなくなっている。スマートフォン売り上げの伸び悩みはその一例だ。また、SNS関連企業に関しては個人情報保護にどう対応するか、先行きが見通しづらくなっている』、GAFAが曲がり角に来ているのは確かなようだ。
・『先端IT企業GAFAのイノベーション  近年、GAFA4社を米国のIT先端企業の代名詞として扱う専門家が増えている。その背景には、この4企業がイノベーションを発揮して、従来にはないサービスやモノ(最終製品)を生み出してきたことがある。GAFAのイノベーションは、米国経済が好調さを維持する大きな要因だ。それが、足許の世界経済を支えている。 イノベーションとは、端的に、わたしたちが「ほしい!」、「使いたい!」と思わずにはいられない、新しいモノやサービスを生み出すことだ。世界の若者のミュージックライフを一変させたといわれるソニーの“ウォークマン”はそのよい例だ。アップルのiPhoneにも同じことが言える。イノベーションを通してヒット商品を創造できれば成長は可能だ  2007年に発表されたiPhoneは、事実上、スマートフォンという小型コンピューターのコンセプトを世界に示したといえる。それには従来の携帯電話にはない新しい機能が搭載されていた。それが多くの人のほしいという気持ち=需要を取り込んだ結果、アップルの売り上げが増え、米国企業で初めて時価総額は1兆ドル(約112兆円)を突破した。 スマートフォンの普及とともに、他の新しいモノやサービスも創造された。フェイスブックに代表されるSNS、アマゾンやグーグルのクラウドコンピューティングサービスはその例だ。また、アマゾンはネットワークテクノロジーを駆使して世界の物流に革命を起こしたといえる。その結果、ネット経由での消費が増加している』、これまでの成長ぶりは、目を見張るものがあった。
・『米国経済のダイナミズム停滞懸念  GAFAの業績は世界経済を左右するといって過言ではない。過去3年間、ナスダック総合指数を中心に米国の株価が上昇した理由は、GAFAが高成長を遂げるとの期待があったからだ。しかし、その期待は抱きづらくなっている。GAFA各社の7~9月期の業績や今後の売上高予想などに関して、アナリストの予想を下回る内容が目立つ。 それは、GAFA各社のイノベーションが停滞しつつあることの表れだ。フェイスブックやグーグルに関しては、個人情報をどう保護するか、具体的かつ抜本的な解決策が見出しづらい。SNS企業などは人海戦術でフェイクニュースなどを摘発し、規制への対応を進めている。そのための支出が増える一方、データ不正流出への不安からユーザーは減少傾向だ。 アップルに関しては、新型機種の売れ行きが同社の想定を下回っているとの見方が多い。11月1日、ニューヨーク株式市場の時間外取引では、成長鈍化への懸念から同社株価は7%下落し、時価総額は1兆ドルを下回った。アマゾンに関しても、海外でのネット事業は伸び悩んでいる。アマゾンは株価も割高だ。 どのようにGAFAを中心に米国のIT先端企業がイノベーションを発揮するか、現時点で先行きは見通しづらい。中国経済の減速、トランプ政権の政策リスクなど、IT先端企業の経営に関するリスク要因も増えている。追加的にGAFAの成長期待が低下する場合、世界経済の中で独り勝ちの状況にある米国経済の下振れリスクは高まるだろう』、ますますGAFAの今後に注目する必要がありそうだ。
タグ:ロイター 東洋経済オンライン JBPRESS EU委員会 池田 信夫 現代ビジネス 真壁 昭夫 GAFA (プラットフォーマー) (その1)(「グローバル独占企業」がイノベーションを殺す GAFAが資本主義のルールを変えた、GAFAの躍進を支えるリバタリアン思想の正体 自由至上主義者のユートピアが現出した、グーグル炎上!従業員は何に怒っているのか 取締役陣に従業員代表を加えることを要求、世界経済をけん引してきたGAFAに退潮の兆し 米国経済への影響は大) 「「グローバル独占企業」がイノベーションを殺す GAFAが資本主義のルールを変えた」 グーグル社に43億4000万ユーロ(約5700億円)の制裁金を払うよう命じた 「アンドロイド」に自社製アプリを抱き合わせしている GAFA(Google、Apple、Facebook、Amazon) インターネットが生んだ独占・集中社会 フェイスブックを最後に、既存の企業を倒す「破壊的イノベーション」は消えた 新しい成長企業が、大企業に育つ前に買収されたからだ。アンドロイドも、携帯用OSを開発していた会社をグーグルが買収したものだ 企業買収のもう1つの意味は、競争の芽を摘むことだ ンターネットという巨大なプラットフォームを独占することが、国家を超える権力になるからだ 「プラットフォーム独占」は国境を超える コングロマリットの経営が悪化するのは、経営者が資本効率を考えないで多角化して雑多な企業を抱え込むからだ 「ITコングロマリット」は、多角化しても資本効率が落ちない。それは彼らのコア技術がソフトウェアだからだ 多くの経済学者は、2010年代に成長率が低下した原因を、このようなイノベーションの衰退に求めている インターネットは人々の生活を便利にし、既存企業の独占利潤を上げる役には立ったが、生産性は上がっていないのだ 古い独占を倒すのは新しい独占 ソフトウェアを規制する法律はほとんどなく、インターネットという巨大なプラットフォームを独占すれば、IBMよりはるかに巨大な独占企業になれた ヨーロッパ各国政府はGAFAに警戒を強めている グローバル独占資本主義のルールは、経済学の教科書には書かれていない 日本メーカーの得意とする「いいものを安くつくる」市場とは違う 市場メカニズムはきかず、強者が徹底的に投資して弱者を蹴落とす進化論的な競争になる 脇坂 あゆみ 「GAFAの躍進を支えるリバタリアン思想の正体 自由至上主義者のユートピアが現出した」 『the four GAFA - 四騎士が創り変えた世界』 ギャロウェイ教授 この四大企業の本性と怖さを教え、そのサービスを無批判に享受し続ける信者たちに警鐘を鳴らす 四騎士が指し示すのは「少数の支配者と多数の農奴が生きる世界」 GAFAは「盗みと保護」によって躍進し、その支配は消費者の本能、主に下半身に訴えるブランド戦略によって盤石なものとなっている 絶対的な力を手にしたGAFA企業は絶対的に腐敗するリスクをはらんでおり、集中しすぎた権力は規制し、解体すべき リバタリアンのユートピア 第1に、権威ではなく個人がそれぞれの目標と幸福を定義できるとする「個人主義思想」 第2に、少数の天才が社会を前進させる原動力になるという「英雄礼賛文化」 第3に、最小限の国家の介入を理想とする「自由市場経済」 旧世界のタイムズの経営陣は、自社サイトで稼ぐのでなく、無邪気にもグーグルからの無制限のアクセスを許した。その結果、タイムズは、インターネットという広大な土地の領主であるグーグルの小作人になり下がってしまった グーグルとフェイスブックは既存のメディアをも大きく上回る発信力と広告収入を持ちながら、メディアではなくプラットフォームだと主張し、「真実を追求するジャーナリズム精神など持ち合わせず」無責任にフェイクニュースを垂れ流す 弱肉強食の冷酷な世界 プライバシーほど神聖なものはない GAFAのシンプルで、使いやすく、すべての個人に開かれたプラットフォームによって、知り、創造し、発信し、起業した人は少なくないはずだ 栄光は永遠ではない 四騎士の覇権もいつかは崩れ、新しい騎士たちが世界を席巻するだろう 「グーグル炎上!従業員は何に怒っているのか 取締役陣に従業員代表を加えることを要求」 性差別、人種差別そして職場で黙認されるパワハラに対する抗議活動 今回の抗議行動について、グーグルの従業員たちはマネジャーや同僚から参加を促すメールを多数受けとった この抗議行動は世界中のグーグルのオフィスに広がった 社内セクハラ問題で2014年に退職した当時の幹部、アンディ・ルービン氏に対してグーグルが9000万ドル相当の退職金パッケージを提供した グーグルは社会経済的地位の手本になるべき 抗議の主催者はグーグルの親会社であるアルファベットに対して取締役に従業員代表を加えること、また報酬の平等性に関するデータの社内共有を求めた 嫌がらせが起きているとの訴えがあったとき、公正に審査する人事制度も要求 サンダー・ピチャイ最高経営責任者(CEO)は「従業員が建設的なアイデアを提案した」とし、「こうしたアイデアを実行に移していけるよう、従業員のフィードバックをすべて把握する」と表明した セクハラ撲滅の対策が遅れている グーグル上層部は、「#Metoo」活動によって影響を受けたほかの企業のリーダーたちと同様、この問題に焦点をあてるのに時間がかかりすぎている 「世界経済をけん引してきたGAFAに退潮の兆し 米国経済への影響は大」 今年7-9月期の決算 これまでのようなイノベーションが見られない ヒット商品や新しいサービスが見当たらなくなっている GAFAのイノベーションは、米国経済が好調さを維持する大きな要因だ。それが、足許の世界経済を支えている 米国経済のダイナミズム停滞懸念 アナリストの予想を下回る内容が目立つ GAFA各社のイノベーションが停滞しつつあることの表れだ IT先端企業の経営に関するリスク要因も増えている 追加的にGAFAの成長期待が低下する場合、世界経済の中で独り勝ちの状況にある米国経済の下振れリスクは高まるだろう
nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

鉄道(その4)(欧州の「フリーゲージ」はなぜ成功しているか 日本のFGTは技術的難易度が高すぎる、欧州の鉄道「スピード最優先」の時代に終止符 イタリアは時速350km運転を無期限延期、羽田アクセス線構想の落とし穴 首都圏に鉄道はこれ以上必要か、新幹線の手荷物検査 「51%超が導入賛成」なのにJR東海が拒否する理由) [産業動向]

鉄道については、3月25日に取上げた。今日は、(その4)(欧州の「フリーゲージ」はなぜ成功しているか 日本のFGTは技術的難易度が高すぎる、欧州の鉄道「スピード最優先」の時代に終止符 イタリアは時速350km運転を無期限延期、羽田アクセス線構想の落とし穴 首都圏に鉄道はこれ以上必要か、新幹線の手荷物検査 「51%超が導入賛成」なのにJR東海が拒否する理由)である。

先ずは、欧州鉄道フォトライターの橋爪 智之氏が4月7日付け東洋経済オンラインに寄稿した「欧州の「フリーゲージ」はなぜ成功しているか 日本のFGTは技術的難易度が高すぎる」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/215507
・『スイスの私鉄、モントルー・オーベルラン・ベルノワ鉄道(MOB)は3月12日、車両メーカーのシュタドラー社(スイス)との間で、線路幅が異なる路線同士を直通できる「軌間可変装置」付き客車20両を供給する契約を結んだと発表した。日本でいう「フリーゲージトレイン」だ。 軌間可変装置は、すでにスペインのタルゴ社によって実用化されているが、今回は同社製品ではなく、アルストム・ドイツ社で製造される台車を使用し、車体製造および組み立てをシュタドラー社で行う』、なるほど。
・『なぜ「軌間可変」が必要なのか  MOBは、スイス最大の湖、レマン湖のほとりにある高級リゾート地モントルーを起点として、ベルン州南西部に位置するツヴァイジンメンまでを結ぶ本線を中心に、総計75kmの路線を持つ。このうち、ゴールデンパスラインと銘打った62kmの風光明媚な本線に運行されるパノラマ客車を使用した列車「ゴールデンパス・パノラミック」が同鉄道最大の目玉で、年間通して多くの観光客が利用する人気列車となっている。 ところが、この鉄道には一つだけ大きな悩みがあった。軌間(線路の幅)1000mmの狭軌路線である同鉄道は、スイス国鉄をはじめ多くの鉄道で一般的な「標準軌」、軌間1435mmの他路線へ乗り入れできない。ツヴァイジンメンは単なる田舎の村で、多くの旅行客はそのまま先へ旅を続けるが、ここから先は標準軌の私鉄ベルン・レッチュベルク・シンプロン鉄道(BLS)となっており、必ず乗り換えが必要となる。 この乗り換えが不便とみなされ、敬遠されているのか、スイス旅行の代名詞のようにも扱われる観光列車「氷河急行」と比較すると、ゴールデンパス・パノラミックはいまいち知名度が上がらない。MOBにとってツヴァイジンメンから先、リゾート地として人気が高いインターラーケンまでゴールデンパス・パノラミックの直通運転を実現させることは、いわば悲願でもあった。 MOBは過去10年以上にわたり、この直通運転に関してさまざまな検討を重ねてきた。標準軌の線路にもう1本の線路を敷いて、車輪を変えなくても直通運転できる「3線軌条」案も検討されたが、乗り入れ先のBLSの協力が不可欠なのと、複雑な線路構造でメンテナンスコストがかさむことなどから実現しなかった。今回、軌間可変装置の技術的なメドが立ったことで、ようやく実現する運びとなった』、乗り換えのハンディは確かに大きそうだ。
・『2020年末には営業運転  軌間可変装置を作動させるための地上設備は、現在ツヴァイジンメン駅構内に建設中で、2018年8月頃には完成する予定だ。当初計画では2019年12月の冬ダイヤ改正から営業運転を始めたいとしていたが、計画の遅れから2020年12月へずれ込むことになるとアナウンスされている。なお、軌間可変装置を搭載するのは客車だけで、機関車はMOB、およびBLSがそれぞれの軌間のものを用意し、ツヴァイジンメンで軌間変更と同時に、機関車の交代も行う。 軌間可変装置付きの車両は、日本でもフリーゲージトレイン(FGT)として開発が進められてきた。だが、開発が思うように進んでいないことに加え、車両維持費が通常車両よりかなり高額となるため、長崎新幹線への導入を予定していたJR九州は運営が困難であると表明している。 日本では一向に実用化のメドが立たない軌間可変車両だが、スペインでは「タルゴ」と呼ばれる客車によって何十年も前から実現している。欧州ではほかにも異なる方式の軌間可変車両が開発されており、今回MOBへ導入される車両はスペインの技術とは異なるものだ。日本と欧州の軌間可変車両にはどのような違いがあるのだろうか。 欧州で問題なく実用化されている理由の一つとして、そのほとんどが動力装置を持たない客車である点が挙げられる。日本のFGTは、各台車にモーターなどの駆動装置を搭載する電車方式の車両のため、モーターやギアなどを可変装置の中に組み込まなければならず、台車そのものが複雑な構造となる。各部の耐久性にも問題が生じてくることは想像に難くない。 また、装置が複雑になれば重量も増加し、路盤が弱い日本の在来線で運行した場合、インフラ側のメンテナンス費用にも影響が及ぶおそれがある。車両側、地上側双方に未解決の問題がある状態では、早期の営業運転実現は難しい』、漸くJR九州がFGTを断念した理由が理解できた。これだけの問題があるのであれば、当然の決断だ。
・『日本に比べれば開発は容易  一方、欧州で採用されている軌間可変技術は、スペインの一部の車両を除いて動力装置を持たない客車に採用されており、構造を複雑にする動力装置を搭載しない分、日本のFGTに比べれば開発は難しくないといえる。 スペインでは動力装置を持った軌間可変車両もあるが、同国の場合は標準軌と、より線路幅の広い広軌(1668mm)との変換であるため、装置そのものの搭載スペースを十分確保することができる。日本や今回のスイス・MOBのように、標準軌と狭軌に対応させる場合はスペースに限りがあるため、設計は容易ではない。駆動装置を搭載する電車方式ならなおさらだ。 欧州の鉄道と日本の鉄道は、同じ鉄道ではあっても車両・インフラともに規格が異なるため、単純に比較することはできない。軌間可変車両も同様だ。欧州では一見簡単に成功しているようにも見えるが、日本のFGTは新幹線での高速運転を実現しながら在来線、それも路盤の弱いローカル区間へ直通運転させるという、現状では限りなく困難に近い高度な技術が求められており、それが実現の難しさに結び付いているのである』、日本が技術的に遅れてい訳ではないことを知って、一安心した。

次に、同じ橋爪氏が7月29日付けで同誌に寄稿した「欧州の鉄道「スピード最優先」の時代に終止符 イタリアは時速350km運転を無期限延期」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/231122
・『イタリア交通省と同国の鉄道安全機関ANSFは2018年5月28日、イタリア国内における時速350km運転の無期限延期、およびこの先の速度向上テストの中止を発表した。 イタリア国内における時速350km運転への取り組みは、これまで最新のETR400型(フレッチャロッサ・ミッレ)によって行われてきた。2016年2月にはイタリア国内最高速度記録となる時速393.8kmを記録しており、350km運転の認可を取得するための条件である営業速度+10%(350km×10%=385km)に到達している。 実際、ETR400型は最高速度400km、営業最高速度360kmで設計されており、車両側のスペックとしては、条件を余裕でクリアしている。 しかし交通省およびANSFは、試験走行で技術面と経済面に問題点が浮かび上がったと結論づけている』、「認可を取得するための条件」に到達しながら、商用化を無期限延期とは、思い切った決断だ。
・『時速350km運転はコストに見合わず  技術面においては、高速走行中のすれ違い時に、風圧によって線路のバラスト(敷石)が巻き上げられ、反対方向を走っていた列車に当たり、車体が破損するという事例が発生した。これは軌道がコンクリート製のスラブ軌道ではないことから発生した問題で、その解決にはバラスト飛散防止剤を線路へ塗布しなければならないが、時速350km運転を行う約500kmの区間にわたってこの薬剤を撒くのは、大変な労力とコストが掛かる。 経済面では、たとえば主要区間であるミラノ―ローマ間で350キロ運転を行った場合、現在は2時間55分の所要時間が約10分短縮の2時間45分程度になると試算されているが、前述の薬剤塗布に加え、より多くのエネルギーを消費することから、それらがコストとして跳ね返ってくる』、ミラノ―ローマ間で350キロ運転を行っても、所要時間が僅か約10分しか短縮できないというのは、意外だが、途中停車駅が多いなどの理由があるのかも知れない。
・『鉄道の高速化にはそれ相応のコストが発生するが、そのコストを加味してもなお、高速化への意義があるならば、鉄道会社は惜しむことはなく投資するだろう。しかしイタリアは、高速化によってコストに見合うだけの利益を得ることはできない、と結論づけた。 2018年現在、世界最速の列車を運行するのは中国高速鉄道で、すでに時速350km運転を実現している。中国がなぜ、いち早く350km運転を実現できたのか、それは偶然でもなんでもなく、ある意味当然の結果と言えるかもしれない。 まず、中国は圧倒的に国土が広く、離れた主要都市を結ぶ高速列車は停車駅間の距離も長い。発車と停止の繰り返しが最もエネルギーを消費するので、高速運転を行ううえでは最高速度をどれだけ維持できるかが重要な要素となってくる。欧州ではそもそも主要都市間が何百キロと離れているわけではないため、必然的に時速350kmを維持できる区間が短くなり、メリットがあまりない。その点、中国は国土そのものが高速運転に適した土地だったと言える。 また、中国が高速鉄道建設において後発だった点も、高速化に有利だったと言える。建設された各路線とも、バラスト飛散の心配がないスラブ軌道を全線の90%以上で採用、複線の線路中心間隔も、欧州の多くの国は4.2~4.8mと狭いが、中国では全線で5m間隔となっている。 中国では、さらなる高速化を研究しているようだが、そうなるともう鉄車輪である必要はなくなり、それこそリニアが最適な選択肢の1つとなるのではないか。アメリカもそうだが、リニアは数百キロ程度の短区間を結ぶものではなく、広大な土地があり1000キロ単位の区間を運転することで、その真価を発揮できるのではないだろうか。 中国は上海空港へのアクセス用として、ドイツからトランスラピッド(常電導磁気浮上式リニア)の技術を取得したが、本国ドイツでは実現せず早々に手放したこの技術が、いずれ中国国内の都市間輸送で日の目を見るかもしれない』、中国は確かに高速鉄道に適しているようだが、遠距離であればやがては航空機との競争に晒される筈だ。
・『欧州は今後どうする?  話を欧州へ戻すと、この先欧州の高速鉄道はどのような方向性へ進んでいくのだろうか。 イタリアは当面、時速350km運転計画の無期限延期を表明したが、これを再開するためには、一部に点在するカーブ区間を改良するなど、350kmをある程度維持できるための路線改良が必要となってくるだろう。だが、そのためには土地収用も必要となってくるため、かなりの時間と労力を費やさなければならず、現実問題としては厳しいと言える。 フランスやドイツは、現時点では計画路線の大半が完成に近づきつつあるので、今後、既存路線の改良を行うかどうかが焦点となってくる。 たとえば、フランスの高速新線LGVは、最初に開業した南東線とその次の大西洋線(最初に開業した区間)では複線間隔が4.2mであったが、北線では4.5mに、地中海線以降は4.8mと、後発になるほど間隔が広がっており、複線間隔が広い東ヨーロッパ線では、欧州最速となる時速320km運転が行われている。 ただし、既存路線の高速化については、複線間隔の拡大や線形改良など多岐にわたることから、特に金銭的な面で非現実と言わなければならない』、。
・『高速化一辺倒から方向転換  一方ドイツは、もともと各地方に都市が点在しており、高速化に対する必要性がさほど高くないことから、時速300km以上での運転を行う積極的な理由が見つからない。 現在、同国内で運行される高速列車の多くは最高速度250kmまでの中速列車となっており、ベルリン―ヴォルフスブルク間のように300km運転ができる区間においても、運行は250kmまでとなっている。300km運転が行われているのは、ケルン―フランクフルト間やニュルンベルク―ハレ間など、一部区間のみだ。将来的に、300km以上の速度で運行する可能性はほとんどないと言える。 スペインも、かつて時速350km運転を行うと表明していたが、最近ではまったく聞かれなくなった。スペインの高速鉄道網も建設は一段落し、現在ではフランスとも結ばれたため、今後は在来線との直通運転など、利便性の向上などに注力していくものと思われる。 LCCや高速バスなど、さまざまな交通機関が群雄割拠する欧州。鉄道は、他交通機関とのすみ分けを明確にするなど、高速化一辺倒ではない「鉄道ならではのサービス」を提供できる方向へ転換する時期に来ている』、ケルン―フランクフルト間のような近距離で300km運転をしているというのは、首を傾げざるを得なが、何か理由があるのだろう。欧州では、高速化熱は冷めたようだが、翻って、日本では効果があと1つ不明確なリニアに邁進するJR東海の姿勢には、首を傾げざるを得ない。

第三に、百年コンサルティング代表の鈴木貴博氏が7月6日付けダイヤモンド・オンラインに寄稿した「羽田アクセス線構想の落とし穴、首都圏に鉄道はこれ以上必要か」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/174151
・『羽田空港アクセス線構想が本格化 利便性が向上する一方で課題も  JR東日本が「羽田空港アクセス線」構想の実現へと、本格的に舵を切り始めた。羽田空港アクセス線は、海外からの日本への玄関口を充実させる路線計画として、2020年の東京五輪に向けて検討がなされていたが、その経費負担をめぐって調整が難航し、東京五輪に向けた計画としては、一旦棚上げにされていた』、東京五輪関連経費抑制のあおりを受けたのだろう。
・『今回JR東日本は、2028年の開業を目指して計画の検討を再開することを表明したわけである。この羽田空港アクセス線は、実は興味深い論点を持つ計画なのだが、まず、その構想について簡単に説明しよう。 現在、都心から羽田空港へは、東京モノレール(JR東日本傘下)と京浜急行空港線(京浜急行傘下)の2つの路線が運行している。羽田空港アクセス線構想は、これらの鉄道に代わる第三のアクセス手段をつくる計画だ。 この計画、まず羽田空港のターミナルから約6キロメートル離れたJRの東京貨物ターミナルまで新線を建設する。羽田空港アクセス線はここからJR東日本の既存の線路を使って3方向に分かれる。それは田町駅から東京駅に向かう東山手ルート、りんかい線経由で大崎駅から新宿を経由し埼京線につながる西山手ルート、そして同じりんかい線を東京テレポート経由で新木場までつなぐ臨海部ルートである。 この路線が開通すると、東京駅から羽田空港までは18分(現在は東京モノレール経由で28分)、新宿駅から羽田空港までは23分(現在は京浜急行経由で41分)、新木場駅から羽田空港へは20分(現在は東京モノレール経由で41分)と、いずれも羽田空港へのアクセスが飛躍的によくなると期待されている。 さて、「アクセスがよくなるのだから、基本的に歓迎すべきこと」でよいのだろうか。鉄道の新線計画においては、いくつか考えなければいけないことがある。順に説明していこう。 鉄道事業は、そもそも公益事業に位置付けられている。私鉄も含め鉄道会社が完全な営利企業になってしまうと、採算の悪い路線や駅を安易に閉鎖してしまうなど、人々の足をなくしてしまうような事態が起きかねない。だから、鉄道の開業や運賃設定は国がコントロールしているし、鉄道会社の経営に関してもきちんと監督している』、当然のことだ。
・『複雑多岐にわたる首都圏の鉄道網 これから新線をつくる3つの意義  では、その前提で考えると、鉄道の新線の建設にはどのような意義があるのだろうか。大きく分けて3つの意義がある。その観点で費用対効果が高ければ、新線建設は「是」と考えることができる。 1つ目は、その新線建設によって新たな、そして大きな経済効果が上がるという意義だ。最近のわかりやすい事例では、北陸新幹線の開通で金沢や軽井沢といった観光地への人の流れが、以前よりも格段に活発化したことが挙げられる。 2つ目に、時間短縮の効果が大きいという意義がある。2015年に上野東京ラインが開通したが、路線としては特に新駅ができたわけではない。しかし東海道本線と東北本線、高崎線、常磐線が相互直通運転することで、乗り換え時間が不要になった。時間短縮としてはわずかな時間だとしても、毎日乗り入れる数百万人の足という観点で延べ時間を考えると、これも経済効果としては大きいものがある。 3つ目は、首都圏のような場所でネットワーク効果が向上するという意義だ。東京の中心部の場合、JRと東京メトロ、都営地下鉄が網の目のようにネットワークを結んでおり、その結果、同じ場所に行く場合でも複数の経路をオプションとして持つことができる。混雑も分散するし、たとえば列車事故などによる運休時でも他のネットワークを経由することで、それほど大きな混乱に遭わずに目的地へ辿り着けることが、ネットワーク効果の意義である。 余談だが、ネットワークというものは便利を追求し過ぎると、人間がついていけなくなるという欠点はある。最近の複雑多岐にわたる地下鉄の乗り入れ問題は、そのような新しい課題を生み出し始めている。 たとえば事故の際に、連鎖運休が起きる問題が発生するし、渋谷駅や池袋駅のようにJRとメトロ、私鉄の乗り換えの仕方が素人にはよくわからないという鉄道網のユーザビリティの問題も、ネットワーク過剰における課題の1つである。とはいえ、ネットワーク過剰自体は利便性の副産物のようなものなので、あえて目くじらを立てるような問題ではないと私は考えている。 そもそも今回話題にしている羽田空港アクセス線の場合、2つ目と3つ目の意義を考えると、公益事業として新線を建設する意義は大いにありそうだ。では、課題はないのか。 実は私は、羽田空港アクセス線構想について、1つ気になっていることがある。それは、この路線が開通すると羽田空港アクセス線が東京モノレール、京浜急行羽田線と比べて、あまりにも「ひとり勝ち」してしまうのではないか、という懸念だ。 つまり東京駅方面からも、新宿・渋谷駅方面からも、千葉方面からも、埼玉方面からも、茨城方面からも、羽田空港アクセス線が一番便利な鉄道路線になる。しかも横浜方面から見ても、大井町で乗り換えて羽田に向かうほうが、京浜急行から蒲田駅経由で羽田に向かうよりも、便利になる可能性がある。 一方で、従来路線である東京モノレールと京浜急行羽田線については、公益事業であるから、赤字路線になったとしても路線を簡単には廃止できない。それはそうだろう。「大井競馬場前」や「昭和島」、「大鳥居」や「穴守稲荷」近辺の住民が困ってしまうからだ。 とはいえ、もう一方で鉄道会社は赤字路線をそのまま運営することもしない。だからダイヤの本数を減らすことでコストを下げながら、路線を維持することになるだろう。東京モノレールと京浜急行羽田線という、これまで堅調に利益を上げてきた路線が、事業縮小へと向かう恐れがあるのだ』、東京モノレールはJR東日本傘下なので、問題は比較的少ないとしても、京浜急行羽田線にとっては大問題だろう。
・『羽田空港を取り巻く「ゼロサムゲーム」の行方  結局のところ、羽田空港アクセス線の開通とは、その生み出す利益が、空港からのアクセスの利便性を他の手段から奪うことで実現されるという「ゼロサムゲーム」なのかもしれない。そう考えると、企業としてのJR東日本にとっては問題のない計画ではあるものの、税金の一部も投入される公益事業としては、全く問題がないとは言えなそうだ。他の路線から奪ってくる収益は除いた上で、実質的にどれほどの経済効果があるのかということが、私には少しだけ気になるのだ。 実はこれ、今後の首都圏における全ての新線に関わる問題である。これだけ便利になった首都圏で、まだいくつもの新線計画が温められている。果たしてそれは「ゼロサムゲーム」以上に意義があることなのかどうか。今後の首都圏の鉄道計画には新しい尺度が必要になるのかもしれない』、その通りだろう。

第四に、10月2日付けダイヤモンド・オンライン「新幹線の手荷物検査、「51%超が導入賛成」なのにJR東海が拒否する理由」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/181015
・『17年末までに防犯カメラ設置も 繰り返される悲劇  ・・・「8月、JR東海は「不測の事態に対する現場の教育訓練」の様子を公開した。実際の新幹線車両を使ってのデモンストレーションには、乗務員や警備員のみならず、鉄道警察まで参加する力の入れようだ。 新幹線の安全神話を崩す事件が相次いでいる。2015年には東海道新幹線の車内で男が焼身自殺を図り、火災が発生。今年6月には男が刃物を振り回す無差別殺人事件が起きた。1993年にのぞみ車内で覚せい剤常用者による刺殺事件が起きて以来の大惨事だ。 JR東海は焼身自殺事件を受けて、17年末までに全編成の9割に防犯カメラを設置したが、抑止力にはならず悲劇は繰り返された』、防犯カメラはそれを責任をもってきちんとモニターする体制があってこそ、有効だが、そのような体制なしにいくら設置したところで、効果は知れている。
・『51.2%が新幹線で手荷物検査導入賛成  抜本的な保安対策として、手荷物検査の是非が問われている。欧州の一部でも検査が実施されているし、中国の高速鉄道では検査どころか身分証の提示まで求められる。JR東海は「乗客の利便性を損なう」(金子慎社長)ことを理由に検査をかたくなに拒否しており、導入の検討すらされていない。 確かに、JR東海の言い分は一面では正しい。利用者アンケートでも、半数以上が「検査を導入すべき」としながらも、その大半が許容できる検査時間は10分だ。 東海道新幹線の強みは、1編成で1300人を運べる大量輸送と定時運行だ。この強みを発揮させた効率運行は、乗客の便益であると同時にJR東海の利益の源泉でもある。検査の実施は、効率運行で稼ぐ新幹線のビジネスモデルを崩壊させるインパクトがあるのだ』、「乗客の利便性を損なう」との理由で一蹴するJR東海の姿勢はどうかと思う。公共輸送機関として利便性以上に重視すべき、安全性について触れられてないのは、大問題だ。
・『新幹線で手荷物検査を導入すべき  検査の可否は、リニア中央新幹線でも試されることになろう。「リニアは品川も名古屋も新駅。検査スペースが確保できないことが導入不可の理由にはならない」(木村嘉男・元JTB時刻表編集長)からだ。仮にリニアで検査を実施すれば、スピードで飛行機を追い越すはずだった夢がついえてしまう。 しかし、である。一連の事件を通して新幹線の安全対策には抜け穴があることを、世界中に知らしめてしまった事実は重い。世界から注目されるリニアは、テロリストの格好の標的になり得るだろう』、「仮にリニアで検査を実施すれば、スピードで飛行機を追い越すはずだった夢がついえてしまう」としても、少なくともリニアでは、手荷物検査を導入すべきだろう。
・『飛行機は「テロに強い空港」目指して対策強化中  遅々として進まない新幹線のセキュリティー対策を尻目に、飛行機は国際線事業で培った保安対策を国内線にも導入し、先を行く。さらに東京五輪に向けて国と空港、航空会社、そして検査受託会社が一体となり「テロに強い空港」を目指して対策を強化中だ。 例えばボディースキャナーや高性能X線検査装置、爆発物検査装置など先進的な機器は、床の耐荷重工事も含めて最大で1台数億円もの投資になるが、国による補助も追い風となり導入が進む。 ANAは独自の手法で検査の時短化に取り組んでいる。従来、保安検査員が搭乗券確認と検査の二つをしていたが、ANAスタッフを増員し検査場のレイアウトを変更することで、時間短縮につながった(下図参照)。 飛行機は航空法で保安検査の実施が定められている。検査を通過した乗客や荷物を業界用語で「クリーン」というが、新幹線との最大の違いは航空会社がクリーンに対して責任を負っていることだ。保安強化と時間短縮の両方で改善を重ねることが、結果的に顧客満足度を上げることになる』、新幹線やリニアで事故が起こってからでは遅い。安全のためには、利便性の犠牲もやむを得ないと割り切るべきだろう。
タグ:鉄道 スペイン JR東日本 東洋経済オンライン 鈴木貴博 ダイヤモンド・オンライン 経済面 フリーゲージトレイン トランスラピッド 羽田空港アクセス線 橋爪 智之 (その4)(欧州の「フリーゲージ」はなぜ成功しているか 日本のFGTは技術的難易度が高すぎる、欧州の鉄道「スピード最優先」の時代に終止符 イタリアは時速350km運転を無期限延期、羽田アクセス線構想の落とし穴 首都圏に鉄道はこれ以上必要か、新幹線の手荷物検査 「51%超が導入賛成」なのにJR東海が拒否する理由) 「欧州の「フリーゲージ」はなぜ成功しているか 日本のFGTは技術的難易度が高すぎる」 スイスの私鉄、モントルー・オーベルラン・ベルノワ鉄道 軌間可変装置 スペインのタルゴ社によって実用化 今回は同社製品ではなく 「ゴールデンパス・パノラミック」が同鉄道最大の目玉 1000mmの狭軌路線 他路線へ乗り入れできない 必ず乗り換えが必要 乗り換えが不便とみなされ、敬遠されている 「氷河急行」と比較すると、ゴールデンパス・パノラミックはいまいち知名度が上がらない 2020年末には営業運転 軌間可変装置を搭載するのは客車だけで、機関車はMOB、およびBLSがそれぞれの軌間のものを用意し 日本でもフリーゲージトレイン(FGT) 開発が思うように進んでいないことに加え、車両維持費が通常車両よりかなり高額となるため、長崎新幹線への導入を予定していたJR九州は運営が困難であると表明 日本のFGTは、各台車にモーターなどの駆動装置を搭載する電車方式の車両のため、モーターやギアなどを可変装置の中に組み込まなければならず、台車そのものが複雑な構造となる。各部の耐久性にも問題が生じてくることは想像に難くない 装置が複雑になれば重量も増加し、路盤が弱い日本の在来線で運行した場合、インフラ側のメンテナンス費用にも影響が及ぶおそれがある 日本に比べれば開発は容易 標準軌と、より線路幅の広い広軌(1668mm)との変換であるため、装置そのものの搭載スペースを十分確保することができる 「欧州の鉄道「スピード最優先」の時代に終止符 イタリアは時速350km運転を無期限延期」 イタリア国内における時速350km運転の無期限延期、およびこの先の速度向上テストの中止を発表 イタリア国内最高速度記録となる時速393.8kmを記録しており、350km運転の認可を取得するための条件である営業速度+10%(350km×10%=385km)に到達 交通省およびANSFは、試験走行で技術面と経済面に問題点が浮かび上がったと結論づけている 時速350km運転はコストに見合わず 技術面においては、高速走行中のすれ違い時に、風圧によって線路のバラスト(敷石)が巻き上げられ、反対方向を走っていた列車に当たり、車体が破損するという事例が発生 軌道がコンクリート製のスラブ軌道ではないことから発生した問題 ミラノ―ローマ間で350キロ運転を行った場合、現在は2時間55分の所要時間が約10分短縮の2時間45分程度になると試算 イタリアは、高速化によってコストに見合うだけの利益を得ることはできない、と結論づけた 中国高速鉄道で、すでに時速350km運転を実現 倒的に国土が広く、離れた主要都市を結ぶ高速列車は停車駅間の距離も長い。発車と停止の繰り返しが最もエネルギーを消費するので、高速運転を行ううえでは最高速度をどれだけ維持できるかが重要な要素となってくる 欧州ではそもそも主要都市間が何百キロと離れているわけではないため、必然的に時速350kmを維持できる区間が短くなり、メリットがあまりない 上海空港へのアクセス用 本国ドイツでは実現せず早々に手放したこの技術が、いずれ中国国内の都市間輸送で日の目を見るかもしれない フランスやドイツは、現時点では計画路線の大半が完成に近づきつつあるので、今後、既存路線の改良を行うかどうかが焦点 高速化一辺倒から方向転換 スペインも、かつて時速350km運転を行うと表明していたが、最近ではまったく聞かれなくなった 「羽田アクセス線構想の落とし穴、首都圏に鉄道はこれ以上必要か」 2028年の開業を目指して計画の検討を再開 羽田空港のターミナルから約6キロメートル離れたJRの東京貨物ターミナルまで新線を建設する。羽田空港アクセス線はここからJR東日本の既存の線路を使って3方向に分かれる 東山手ルート 西山手ルート 臨海部ルート 東京駅から羽田空港までは18分(現在は東京モノレール経由で28分)、新宿駅から羽田空港までは23分(現在は京浜急行経由で41分)、新木場駅から羽田空港へは20分(現在は東京モノレール経由で41分)と、いずれも羽田空港へのアクセスが飛躍的によくなると期待 鉄道事業は、そもそも公益事業 鉄道の開業や運賃設定は国がコントロールしているし、鉄道会社の経営に関してもきちんと監督 複雑多岐にわたる首都圏の鉄道網 これから新線をつくる3つの意義 この路線が開通すると羽田空港アクセス線が東京モノレール、京浜急行羽田線と比べて、あまりにも「ひとり勝ち」してしまうのではないか、という懸念だ 羽田空港を取り巻く「ゼロサムゲーム」の行方 他の路線から奪ってくる収益は除いた上で、実質的にどれほどの経済効果があるのか 「新幹線の手荷物検査、「51%超が導入賛成」なのにJR東海が拒否する理由」 新幹線の安全神話を崩す事件が相次いでいる 51.2%が新幹線で手荷物検査導入賛成 JR東海は「乗客の利便性を損なう」(金子慎社長)ことを理由に検査をかたくなに拒否 公共輸送機関として利便性以上に重視すべき、安全性について触れられてないのは、大問題だ 新幹線で手荷物検査を導入すべき 飛行機は「テロに強い空港」目指して対策強化中 新幹線やリニアで事故が起こってからでは遅い。安全のためには、利便性の犠牲もやむを得ないと割り切るべきだろう
nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

日中関係(その3)(小田嶋氏:安倍首相の静かな訪中と読書録、本の紹介:中国人の「面子」と『ドラゴンボール』の世界) [外交]

昨日に続いて、日中関係(その3)(小田嶋氏:安倍首相の静かな訪中と読書録、本の紹介:中国人の「面子」と『ドラゴンボール』の世界)を取上げよう。

コラムニストの小田嶋 隆氏が11月2日付け日経ビジネスオンラインに寄稿した「安倍首相の静かな訪中と読書録」を紹介しよう。
https://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/174784/110100165/?P=1
・『安倍晋三首相が中国を訪問した。 様々なメディアのそれぞれの立場の書き手やコメンテーターが、何度も繰り返し強調している通り、日本の首相が中国を訪問するのは、実に7年ぶりのことだ。これは、安倍さん自身が、現政権では一度も中国に足を踏み入れていなかったことを意味している。してみると、今回の訪中は、私たちが思っている以上に重大な転機であったのかもしれない。 産経新聞は、《安倍晋三首相は平成24年12月の首相再登板以降の約6年間で延べ149カ国・地域を訪れたが、中国に2国間の枠組みで赴くのは今回が初めてだ。---略---》という書き方で今回の訪中の意義を強調している。 今回は、中国の話をする。 というよりも、ありていに言えば、中国についての面白い本を読んだので、その本の感想を書きたいということだ。 冒頭で安倍訪中の話題を振ったのは、前振りみたいなものだと思ってもらって良い。 いずれにせよ、今回の訪中に関して多言するつもりはない。 個人的には、なにはともあれ、先方に足を運んだことだけでも大手柄だったと思っている。というのも、中国に関しては、とにかく、こちらから顔を出すことが何よりも大切だと、前々からそう思っていたからだ』、「朝貢」の伝統があるからなのだろうか。
・『彼の地でどんな話をして何を約束するのかといったようなことも、もちろん重要だが、それ以前に、とにかく行って顔つなぎをしてくることに意味がある。まずは、自身の訪中という困難な決断を果たした安倍さんに敬意を表したいと思う。 ところが、世間の評価は意外なほど冷淡だ。少なくとも私の目にはそう見える。 ここで言う「冷淡」というのは、「評価が低い」というのとは少し違う。扱いが小さいというのか、思いのほか大きな話題になっていないことを指している。 実際、ニュース枠のトップ項目の中では、安田純平さんの帰国の話題の方がずっと扱いが大きかった。 不思議だ。どうして安倍訪中は軽視されているのだろうか。 私自身は、「対中国包囲網」であるとか「地球儀俯瞰外交」みたいな言葉を使って、しきりに中国への警戒心や対抗心を煽ってきたように見える安倍さんが、ここへ来て一転自ら協調路線に踏み出したことには、大きな歴史的転換点としての意味があると思っている。であるからして、今回のニュースについては、さぞや各方面で侃々諤々の議論が展開されるに違いないと考えていた。 ところ意外や意外、主要メディアの扱いは、いずれもさして大きくない。蜂の巣をつついたような騒ぎになるはずだったネット界隈も静まり返っている。 なんとも不気味な静けさだ。 日中関係の専門家や外交に詳しい人たちは、今回の首脳会談の成果を、現時点で軽々に判断してはいけない、というふうに考えているのかもしれない。それはそれで、おおいにありそうなことだ。実際、会ったということ以上の具体的な話は、何もはじまっていないわけだから。 でも、それにしても、一般の人たちの反応の乏しさは、これはいったいどうしたことなのだろうか。 以下、私の勝手な推理を書いておく。 安倍さんの政治姿勢を評価しない一派の多くは、安倍政権のこれまでの対中強硬策に強く反対していた人々でもある。とすれば、彼らはこの度の訪中を評価しても良さそうなものなのだが、そこはそれで、反安倍の人たちは、心情的に安倍さんを素直に褒めることはしたくないのだろう。 一方、安倍さんのシンパを自認する人たちは、同時に中国との安易な友好路線を拒絶している面々でもある。 とすれば、今回の安倍さんの訪中は彼らにとって裏切りに近い態度であるはずで、当然、反発せねばならないところなのだが、ここにおいてもやはりそこはそれで、安倍支持者は、たとえ安倍さんが自分たちの意に沿わぬ動き方をしたのであっても、それを即座に指弾するようなリアクションは避けたいのであろう。 てなわけで、アンチとシンパの双方が微妙に口ごもっている中で、メディアや専門家もとりあえず様子見をしているというのがおそらく現状ではあるわけで、してみると、この訪中の評価は、なお半年ほど先行きを見ないと定まらないのだろう。 ということで、この件はおしまいにする』、「アンチとシンパの双方が微妙に口ごもっている」とはなかなか上手い表現だ。
・『私が読んだ本というのは、『スッキリ中国論 スジの日本、量の中国』(田中信彦著:日経BP社刊)というタイトルの、この10月に出たばかりの書籍だ。「スジの日本、量の中国」というサブタイトルが示唆している通り、ものごとを「スジ」すなわち「理屈」や「筋道」、「原理」「建前」から読み解いて判断しようとする日本人と、「量」すなわち「効果」「現実的影響力」「実効性」を重視する中国人との間に起こる行き違いやトラブルを、豊富なエピソードを通じて考証した好著だ。 これまで、中国の歴史や文化、ないしは政治的・経済的な交渉相手としての重要さについて書かれた書物はたくさんあったし、その中には必読の名著も数多い。ただ、「中国人」という生身の人間を題材にした書物で、これほど画期的な本はなかなか見つからないと思う。 善悪や好き嫌いの基準は別にして、市井の一人ひとりの中国人の内心を誰はばかることなく明らかにした本書は、この先、日中両国がのっぴきならない隣国として交流するにあたって、必ず座右に置くべき書籍となるはずだと確信する』、いつもは謝に構えて冷静な小田島氏にしては、珍しい褒め方だ。
・『『スッキリ中国論』は、冒頭で触れた安倍さんの訪中を機会に、なにかの参考になればと思ってパラパラとめくってみた本のうちの一冊だった。で、これが、実に目からウロコの書籍だった。それでこの原稿を書いている。 もっとも、本文中の記事のうちのいくつかは、ウェブ上に記事としてアップされた時点ですでに読んでいるものだった。 書いてある内容についても、すべてがこちらの予断に無い新鮮な知見だったわけではない。前々からなんとなくそう思っていたことが言語化されていたという感じの記述もあれば、ほかの誰かから聞いていたのと似たエピソードもある。 ただ、こうして一冊の書籍という形でひとまとめに読了してみると、個々のエピソードを知ったときとは、まったく別の印象が立ち上がってくる。 なんというのか、バラバラに見えていた挿話がひとつにつながって、巨大な物語が動き出す驚きを味わうことができる。自分の中で、長い間打ち捨てられていたいくつかの小さな疑問が、「そういうことか」と、いきなり生命を得て動き出した感じと言えば良いのか、とにかく、上質のミステリーの謎解き部分を読んだ時の爽快感を久しぶりに思い出した』、ここまで推奨されると、読んでみたくなる。
・『私の世代の者は、もともと中国と縁が深い。 というのも少年期から青年期がそのまま高度成長期で、さらにバブル期が働き盛りとぴったりカブっていた世代であるわたくしども1950~60年代生まれの人間は、中国出張を命じられることの多いビジネスマンでもあれば、取引の相手として中国人とやりとりせねばならない個人事業主でもあったからだ。 じっさい、自分の同世代には、「中国通」が少なくない。 直接の知り合いの中にも、中国人と結婚することになったケースを含めて、中国に5年駐在した記者や、中国各地を訪問して工場の移転候補地を探して歩いた経歴を持つ男や、一年のうちの2カ月ほどを中国各地で過ごす生活をこの10年ほど繰り返している嘱託社員などなど、中国と深いつながりを持っている人々がいる。 それらの「中国通」たる彼らから、これまで、幾度となく聞かされてきた不可思議なエピソードや謎の体験談に、このたび、はじめて納得のいく解答をもたらしてくれたのが、本書ということになる』、なるほど。
・『何年か前に、あるメディアが用意してくれた枠組みで中国から来て30年になるという大学教授の女性に話をうかがう機会があった。 その時に彼女が言っていた話で印象的だったのは、「日本人の中国観は良い意味でも悪い意味でも誇張されている」「しかも、その中国観は驚くほど一貫していない」「理由は、日本人の中国観が、多くの場合、その日本人が交流している特定の中国人に影響されているからで、しかも、その当の中国人は、立場の上下や貧富の別によってまるで別の人格になり得る人々だからだ」ということだった。 つまり、どういうカウンターパートと付き合っているのかによって、日本人の中国人観はまったく違うものになるということらしい。 上司が中国人である場合と部下が中国人である場合は話が逆になるし、貧しい中国人と付き合うことと富裕層の中国人との交流も別世界の経験になる。 であるから、ボスとしてふるまう時の中国人と部下として仕える中国人を同じ基準で考えるのは間違いだということでもあれば、中国人の金銭感覚は、貧乏な中国人と金持ちの中国人の両方を知ったうえでないと把握できないということにもなる』、これは、多かれ少なかれ、どこの国でもあ得る話だ。
・『この話を聞いたときに、少しだけ謎が解けた気がした。 というのも、それまで、私が中国人について聞かされる話は、どれもこれも白髪三千丈のバカ話にしか聞こえなかったからだ。 「要するに彼らは◯◯だからね」という断言の、◯◯の部分には、様々な言葉が代入される。 「ケチ」「いいかげん」「自分本位」「忘れっぽい」「やくざ」などなどだ。 かといって、その種の断言を振り回している人間が、必ずしも中国人を憎んでいるわけでもないところがまた面白いところで、中国通の人々は、中国人を散々にケナし倒しながら、それでいて彼らに深い愛情を抱いていたりする。そこのところが、私にはいまひとつよくわからなかったわけなのだが、とにかく、大学教授氏の話をうかがって、われわれが聞かされる「中国人話」の素っ頓狂さの理由の一部が理解できたということだ。 つまり、「中国人は、われわれの想像を超えて振れ幅の大きい人たちで、しかもその振れ幅は、個々人の持ち前の人格そのものよりは、相互の立ち位置や関係性を反映している」ということだ。 とはいえ、そう説明されてもわからない部分はわからない。「まあ、実際に中国で3年暮らさないとわからないんじゃないかな」と、中国通は、そういうことを言う。 私にはそういう時間はない。ということは、オレには、あの国の人たちのアタマの中身は一生涯理解できないのだろうか、と思っていた矢先に読んだのが、『スッキリ中国論』だ。 この本を読んで、そのあたりのモヤモヤのかなり大きな部分がスッキリと晴れ渡る感覚を抱いた』、ますます読んでみたくなった。
・『たとえば本書で紹介されているエピソードにこんな話がある。《2018年1月、成田空港で日本のLCC(ローコスト航空会社)の上海行きの便が到着地の悪天候で出発できず、乗客が成田空港で夜通し足止めされるという事態が発生した。航空会社の対応に一部の乗客が反発、係員と小競り合いになり、1人が警察に逮捕された。そこで乗客たちは集団で中国国歌「義勇軍行進曲」を歌って抗議した。》(スッキリ中国論 P098より) この奇妙な事件の小さな記事は、私も当時何かで見かけて不可解に思ったことを覚えている。「どうしてここで義勇軍行進曲が出てくるんだ?」と思ったからだ。私の抱いていた印象では、中国人は、海外で国歌を歌う人々ではなかった。であるから、成田での彼らの国歌斉唱は、どうにも場違いでもあれば筋違いにも思えて、つまるところ薄気味が悪かった。 で、この小さな事件は、私の中では不気味な謎のまま忘れられようとしていたのだが、本書での説明を得てはじめて得心した。 本文にはこうある。《空港で国歌を歌った中国の人々が言いたかったのは、「われわれ中国国民の安全で快適な旅行を保証するのは中国の統治者の責任である。その中には航空会社や外国の政府に圧力をかけて必要な措置を提供させることも含む。それをただちに実行せよ」ということである。クレームの相手は中国政府なのだ。》 なんとも、日本で暮らしている当たり前の日本人であるわれわれには到底了解不能な思考回路ではないか。 こういうことは、実際に中国人と日常的にやりとりしている人間でなければわからない』、「クレームの相手は中国政府」なのに、成田空港で歌うとは私も了解不能だ。
・『この国歌のエピソードだけではない、本書では、中国の人々の自我のあり方や、社会と個人の関係についての考え方、あるいは、為政者への期待や秩序感覚といった、ひとつひとつ順序立てて説明されなければ到底理解のおよばない話が、実例つきで紹介されている。 さまざまな意味で、勉強になる本だと思う。 安倍さんにもぜひ読んでほしい。 あるいは、今回の訪中で伝えられている言動を見るに、すでに読んでおられるのかもしれない。 いずれにせよ、今回、安倍さんがとりあえず習近平氏の面子を立てておく選択肢を選んだことは事実で、してみると、首相の周辺には、優秀なアドバイザーがいるのだろう。 不愉快な助言をもたらすアドバイザーを大切にしてほしい。 これは私からの助言だ』、同感である。

次に、上記の本について、著者のコンサルタント BHCCパートナーの田中 信彦氏が11月5日付け日経ビジネスオンラインに寄稿した「中国人の「面子」と『ドラゴンボール』の世界 「スカウター」のように相手の「強さ」を読み合う」を紹介しよう。
https://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/16/041100064/103100011/?P=1
・『今回は、単行本『スッキリ中国論 スジの日本、量の中国』の中から「面子(メンツ)」について触れた部分を、ウェブ用に編集してお送りします。中国人を理解する上で重要な概念の「面子」ですが、日本にも同じ単語があるために、正確に理解することがかえって難しい概念かもしれません。コメント欄でも触れていただいた方がいました。「スジと量」で、面子を読み解くとどうなるでしょうか』、興味深そうだ。
・『『スッキリ中国論 スジの日本、量の中国』  「中国人と言えば『面子(メンツ)』を大事にするそうだ。面子と『量』はどのように関係しているのか?」 中国社会を知り、日本社会と比較するフレームとして「量」と「スジ」をご紹介してきたが、こんな疑問を抱いた方もいるだろう。「中国人が面子を重視する」ことはよく言われるし、まったくその通りで、彼らを理解するキーワードでもある。そして、その底にはやはり「量」の思考が存在する。だが、「量」の話をする前に、まず「面子」について詳しく説明しておこう。日本で言う「メンツ」とは意味がかなり異なるからである』、どう異なるのだろう。
・『日本語の「面子」とは意味も重さも違う  中国語でよく使われる言い回しに「面子が大きい 」という言い方がある。 「あの人は本当に面子が大きいね」とか「私は彼ほど面子が大きくないから……」といった使い方をする。 「面子が大きい」という言い方は日本語ではなじみがないが、要するにこれはその人の「問題解決能力が高い」ことを意味する。つまり「他の人にはできないことが、その人にはできる」ことである。 例えば、普通ではなかなか入れないような幼稚園や学校に、その人に頼むと、(さまざまな方法で人を動かして)何とか入れてしまう。正面からのルートではとても会えないような著名人に、その人に頼めば面会できてしまう。そういったようなケースで、「あの人は面子が大きい」ということになる。もっと生臭い話でいえば、正式には競争入札によって受注企業が決まるはずなのに、「面子の大きい」人に頼めば有利に取り計らってもらえるとか、有利な条件で国の持つ土地の使用権を譲ってもらえるとか、そういったことも当然、含まれる。 これは(日本人が好む)「スジ」的に言えば「なんといい加減な社会だ、不公平だ」ということになるのだが、よい悪いではなく、現状がそうなのだから止むを得ない。普通の人々に広く適用されているルールや常識的な相場観のようなものが存在するにもかかわらず、その人物が出てくると、その枠を飛び超えて、異例な取り計らいが実現してしまうような人が「面子の大きい人」である』、日本社会では余りないことなので、ここまで説明されて漸く納得できた。
・『「誰よりも優れている」という、最大級の褒め言葉  中国社会において、このような「面子の大きい人」は極めて便利で、かつ大きな利益をあげられる可能性を持つ。それは時として便利や利益というレベルを超え、自分や家族の安全すら確保してくれる人である可能性がある。 だから普通の中国人にとって、「面子の大きい人」とは、非常に頼りになる、どうにかしてお近づきになりたい人である。というより、「面子の大きい」人が近くにいないと安全・快適な生活を実現するのは難しい。だから「あの人は面子が大きい」という表現は、中国社会では最大級の褒め言葉である。周囲から尊敬と羨望のまなざしで見られる人物を意味する。そして誰もが自分も何とか自分の面子を大きくしたいと考える。「面子が大きい」と世間から言われるような人になりたい、と思うのである。 このように考えてくると、中国社会における面子の本質とは、その人が「他人には不可能なことができることが明らかになる」とか、その人が「他人より優れていることを周囲の人が認める」“状態”であることがわかる。 周囲は「あの人は他の誰にもできないことができる。すごい人だ」と称賛する。本人は「自分は他の人にはできないことができる。自分は他人より優れている」と周囲から認められ、自尊心が満たされる。こういう状態が中国人にとっての、日本語で言う「面子が立っている」状態である。逆に「面子がない」「面子がつぶれる」状況とは、「自分は他人より優れていない」ことが公衆の面前で実証されてしまう事態を指す』、なるほど。
・『ルールや組織といった「スジ」が頼りにならず、「面子の大きい」人や権力者の腹一つで状況がいかようにも変化するサバイバル社会で、中国の人々は自らの力を恃(たの)んで生きている。 そこでは常に「自分は大丈夫だ。やっていけるのだ」という自信、言ってみればある種の自己暗示のようなものが不可欠である。根拠は少々薄弱でも、「自分は他人より優れている。大丈夫、勝てる」と自らに常に言い聞かせているようなところがある。 これは想像だが、おそらく日本の社会でも自営業の皆さんやプロスポーツ選手、芸能人、職人さんなど、自分の腕一本で世の中を渡っている人たちは似たようなマインドを持っているのではないかと思う(私も自営業だ)。「自分のようなものはダメかもしれない」などと思っていたら、とても競争に挑んでいくことができない』、確かに、その通りだろう。
・『「量」の思考法が強いる、他人との比較  さて、この面子と「量」の思考はどのような関係にあるのか。 「量」で考える基本思想について、この連載の冒頭でこう述べた。 「(中国人は)『あるべきか、どうか』の議論以前に、『現実にあるのか、ないのか』『どれだけあるのか』という『量』を重視する傾向が強い」 量とは、大きさや重さ、多さ、高さを測る言葉だが、それは「強さ」と言い換えることもできる。大きいものは強い。そして、「量」を判断の基本に置くということは「現実に、目の前の相手より、自分は強いのか、弱いのか」を、常に意識しながら生きていく、ということでもある。ここで面子と「量」がつながる。 別の言い方をしよう。中国人は、誰かと向き合った時、人の「個性の差」よりも、相手との「力関係」を意識する傾向が強い。例えば、日本社会では「貧しいけれども立派な人」「貧乏だけど希有(けう)な趣味人」といった概念はごく普通に成り立ち得る。人には個性があるもので、みんな違う。その「違い」を認識することが人間関係の前提になっている。 しかし中国社会では、事の当否は別として、お金持ちか否か、権力・権限を持つ人かどうか、社会的な影響力を持つ(自分の意見を通せる)人物かどうか、そういった、その人物の「大きさ」「力の強さ」を重視する傾向が強い。つまり周囲との関係を「違い」ではなく「上下」「強弱」で、言ってしまえば「闘ったら勝つか負けるか」の価値観で理解する傾向が強いということだ。面子は、その強弱、勝ち負けそのものを指す概念と言っていい。いわば「量の勝負」=面子、なのである。 だから、中国社会の面子は非常に重い意味をもつ。 日本人にとっては「面子が立たない」という言葉は、ちょっと無礼なことをされたくらいの感覚で、そこに「上下」「勝負」の要素はあまりない。だが、中国人にとっての「面子」は、自分という人間が人格を肯定されるか否定されるか、くらいの意味をもつ。ここを軽く見てはいけない。「面子を立てるなんて簡単だ、失礼がなければいいんだろう」程度の気持ちでいると、相手のプライドを深いところで傷つけてしまいかねない』、中国人との付き合いは日本人にとっては、ひどく「疲れる」もののようだ。
・『「量で比較する」ことが発想や行動を強く支配するゆえに、「面子」が絡むと対人関係が「勝ち負け」になってしまう。これは中国社会のモチベーションの源泉であると同時に大きな問題でもある。 大小、上下、高低、強弱、言い方はさまざまあるが、詰まるところ評価の軸が事実上、1本しかない。そこで勝てればいいが、負けることは耐えがたく、許されない。やや極端に言うと、社会的な評価方法にバラエティが乏しく、誰もがステレオタイプの基準で相手を判断しようとする。皆が「相手に見くびられたら商売にならない」と思っていて、かく言う私も中国で暮らしている間に、そういう考え方にかなり強い影響を受けていることを自覚するようになった』、「評価の軸が事実上、1本しかない」とは、自分としては住みたくない社会だ。
・『国民全員独立自営、全ては人と人の相対取引  日本でも自営業の皆さんやスポーツ選手、職人さんの世界の発想はこれに近いものがあるかもしれないと書いたが、要は中国人は全14億の国民が、全て独立自営で生きている、くらいに思った方がいい。本人が実際には企業や政府機関などの組織に所属していようが、現実には全部、個人間の相対(あいたい)取引=人vs人の勝負、なのである。 そこではまずお互いが「自分のほうが強い」とツッパリ合い、双方が値踏みし合う。その段階では笑顔も見せず、決して譲らない。しかし中国人は、会話や態度の端々から、素早く「(腕っぷしではなく、先の『面子の大きさ』を比較して)どちらが強いか」を察知する。「こいつとケンカして勝てるのか、勝ったとして得なのか」をお互いが瞬時に判断し、どちらか、もしくは双方がほぼ同時に矛を収める。その感覚は非常に鋭敏である。というのは、本当は相手の方が「強い」のに、読み誤って下手に突っ張ったら、とんでもないことになるからだ。 非常に疲れる話ではあるが、これはある意味、非常に割り切ったサバイバルのための知恵でもある。世界のどの社会でも、弱者を保護するタテマエやそのための仕組みは存在しているが、突き詰めて言えば「強いほうが強い」のが現実だ。そして、負けるのは嫌だといっても、誰もが世界一強くなれるわけはない。常にケンカし続ける訳にもいかない。 だから結局のところは、強者と弱者の間に一定の均衡が生まれて妥協が成立する。弱者は自分が弱者であることを暗黙に認めるが、一定の尊厳は与えられる。強者は利益を得るが、(相手が自分のことを尊重する限り)弱者に一定の配慮をして、叩き潰すことはしない。相手に利用価値があれば、優遇さえもする。そして何事も「誰が最高権力者なのか」という問題が決着しないと話が始まらないが、一度力関係を認めてしまえば、後は話が早い』、「会話や態度の端々から、素早く「・・・どちらが強いか」を察知する」というのは、欧米と共通点があるようだ。「国民全員独立自営」というのが、中国で有力ベンチャー企業が育った一因なのかも知れない。
・『「まるで『ドラゴンボール』の世界ですね」  この話を担当編集者にしたところ、「なんだか、『ドラゴンボール』(作・鳥山明)の世界みたいですね」と言われた。 私はこのマンガを知らないのでピンと来ないのだが、超常能力を持つキャラクターたちがバトルする世界で、「スカウター」と呼ばれる、相手の“戦闘力”を数値化して表示するガジェットが存在する。闘う前に相手と自分とどちらが強いのかがわかるのだという。中国人は確かにそんな感じで、相手の様子を見て“戦闘力”を素早く読み取る。 「ドラゴンボール」はマンガだから、戦闘力が文字通り「桁違い」の相手にも無謀なバトルを挑むし、時には勝てたりもするようだが、もしもドラゴンボールの世界の住人が中国人だけなら、闘いが始まる前に妥協が成立してしまうかもしれない。 それはともかく、「量=大きさ=強さ」であって、「強い=面子が大きい」。面子が大きいことは、14億総自営業モード、人と人の相対取引が基本の世の中で、自分の権利を守って幸福に生きていくために非常に大事なのである。 そんなことだから、中国人の自己アピールは多くの場合、非常に強烈なものになる。 過去のあらゆる経験や知識、学歴・職歴、友人・知人などさまざまな材料を持ち出して自分をアピールする。そのため、もちろん個人差はあるが、多くの場合、中国人の自己評価は異様に高い。背景は別項に譲る・・・が、基本的に「自己評価」が全ての世界なので、ナルシシスト的傾向が強くなる。自分に甘く、他人に厳しい。 俗な例で言えば、身の丈に合わないほどの豪邸に住んだり、高級車に乗ったり、派手な時計をしたり、ブランド品を身につけたりすることを好む人が多いのも、同じ構造に基づく。 そうやって「自分は他の人より優れている(強い)」ことを周囲に常にアピールし、他者からの評価や称賛に執着する。そして、その努力が実って、周囲から「あなたは他の人とは違う。すごい人だ」という認知が得られると、もううれしくてたまらない。俄然、生きる気力が出てくる。もっと称賛を得たい、もっと能力を認められたい、もっと褒められたいと気合を入れて動き始める』、「中国人の自己アピールは多くの場合、非常に強烈なものになる」というのは、むしろ日本人の自己アピールの弱さこそが特筆すべきなのかも知れないと思う。国際機関で働く日本人の少なさにも表れているようだ。
・『中国で暮らしていてつくづく思うのは、中国人とは実に褒められるのが好きな人たちだということだ。もちろんどこの国でも褒められて悪い気のする人はいないが、中国人の「褒められたい願望」の強さはすごい。オフィスなどで若い人をちょっと褒めると、実にうれしそうな顔をする。そして「ボスに褒められた」ことを周囲や家庭で大宣伝する。翌日にはまた褒めてもらおうと思って、「私はこんなことをした」「お客様にこんなことで感謝された」と知らせに来る。うるさいほどである。 逆に「自分は他人より優れていない」ことが明らかになってしまう状況に陥ると、途端にモラルが下がって、どうにも生きる気力がなくなる。そのコントラストが著しい。わかりやすいといえばわかりやすいが、起伏が激しいので時に疲れる。そこでうまくケアする人がいないと、自分が世間に認められないのは「社会が悪いからだ」とか「周囲の人間に人を見る目がないからだ」といった形で、現状を他人のせいにし始める。「自分が悪いのかもしれない」という発想が出てきにくい。これは面子の意識が強すぎることの悪弊といえる』、なるほど。
・『中国人の「面子を立てる」ためには  このように、やや誇張して言うと、中国人という人々は周囲からの称賛というエネルギーを注ぎ込み続けないと、燃料切れで動きが止まってしまうような人たちである。これは詰まるところ、面子の意識がそうさせるのである。 面子は中国人が生きていく上でのエネルギー源のようなものだから、維持するために尋常でない努力をする。自分自身を「面子が大きい」、日本人が言う「面子が立っている」状態に保っておくことに執心するのと同時に、他人の面子に対しても細心に気を配る。 私は月に1~2回程度のペースで上海と日本を往復している。その際、日本から上海に戻る時のスーツケースはさまざまな品物で常に満杯である。中身の大半は中国人の友人たちへの土産物や頼まれ物だ。なぜ毎回、大量の品物を抱えていくかと言えば、それは面子の論理とかかわる。 中国社会で他人に何か贈り物を持っていく、頼まれたことを引き受けることは、それは「私はあなたをこんなに重視していますよ」というメッセージである。単なる「おすそ分け」や「おつきあい」ではない。極めて戦略的な行為である。先に中国人は「褒められたい」「認められたい」という願望が強いと書いた。他人が自分にものをくれる、他人が自分のために動いてくれるということは、すなわちそれだけ尊重されていることを意味する。まして海外からとなれば、評価はさらに高いと考えられる』、「面子は中国人が生きていく上でのエネルギー源のようなものだから、維持するために尋常でない努力をする」で「面子」の重要性を再認識した。
・『私も中国社会で生きているので、戦略は中国人に学ばねばならない。大切な友人、好きな友人ほど高価で、見栄えのするものを持っていく。当然ながら最も高価なものを渡すのは妻に対してである。まさに「これ見よがし」であるが、面子とは詰まるところ「これ見よがし」なのだから仕方がない。 実録、「面子の連鎖」  例えば、日本の老舗の高価なお菓子を中国の友人に渡すとする。 その際には、いかに有名な店で、○○庁御用達とか、何百年の老舗とか、国際○○賞受賞とか、海外の有名スターも食べたとか、いかに高価なものであるか、さまざまなお話をつけて、ありがたみを増幅して渡す。友人は「田中先生はこんなに私のことを重視している」と喜び、「自分は特別である。私は他人より優れている」と確信を持つ。これが中国人の「面子が立っている」状態である。 この友人はお菓子を自宅に持ち帰り、家族に「このお菓子は日本の○○庁御用達、何百年の歴史があり、国際 ○○賞……」と話して聞かせる。「世界トップ500の大企業経営者を相手にしている日本で最も有名なコンサルタントで、テレビにも頻繁に出演している田中先生が私のために日本から持ってきてくれたのだ」などと、ほとんど荒唐無稽な誇張が加わる。家族はそれを聞いて、まあ全て信じているわけではないが、とにかく「すごいねえ。こんなものが食べられるなんて」と喜び、かくも高名な先生から尊重されている父を称賛する。これで家族も含めて面子が立っている状態になる。 さらに友人の妻はお菓子を自分はほんの少ししか食べず、そのまま実家の母親に持っていく。母親は大切な人だからである。そこで友人の妻は「日本で最も有名なコンサル……、○○庁御用達の……」と口上を述べ、母親は素直に喜ぶ。ここで彼の妻の面子に加え、こんな立派な先生が友人にいる人徳のある亭主がいて、しかも自分は我慢してもお菓子を親のところに持ってくる孝行娘を持った母親とそのご主人の面子は大いに立つのである。 話はまだ終わらない。この友人の妻の母親は、もらったお菓子をほとんど食べず、そのまま老人会の友人たちに持って行く。大事な仲間だからである。そこで母親は「私の娘の亭主の友人である日本で最も有名な……、○○庁御用達……」と語り、お菓子をふるまう。仲間は自分たちが尊重されたことに満足しつつ、「立派な娘婿と孝行娘を持って幸せだねえ」と羨ましがってみせ、友人の妻の母親を称賛する。これで友人たちに加え、友人の妻の母親の面子も大いに立つのである。 このように中国人の間の「面子の連鎖」はどんどん巡っていく。自分も面子を立ててもらうが、それを使って周囲の人の面子も立てる。そうやって「面子の立て合い」をすることでコミュニティは円滑に回っていく。だから中国人は他人からものをもらった時、ご馳走してくれた時などに「なんだ、これ見よがしに、金持ち風吹かせやがって」などとは決して言わない。ものをくれるのは自分が尊重されている証しだと素直に喜ぶ。そして相手を称賛する。それがルールである』、「面子の連鎖」とは社会を円滑にする上手い仕組みだ。
・『面子はモチベーションと不満、両方の源泉  このように中国社会では、面子はコミュニケーションの根幹をなしている。相手に自分のことを好きになってほしければ、まずその相手の面子を立てなければならない。それはつまり相手が「自分は特別な人間である」「自分は他人より優れている」と実感できるようにすることである。 だから有能な中国人は、ある人に対して好感を持ったら、とにかく「あなたは能力がある」「私はあなたを高く評価している」と明確に伝える。そして相手の自尊心を満足させ、自分にも好意を持ってもらえるよう努力する……そんなことを「先払い」の話・・・で紹介したが、そうすることによってたとえ外国人であっても中国人社会にスムーズに溶け込んでいけるし、子細に観察していれば、有能な中国人ほどそうやって相手を自分の「勢力範囲」に取り込んでいく。周囲に尊大な態度を取っている連中にロクな人物はいない(これは日本でも同じだ)。 面子はこのようにポジティブな側面を持つ一方、厄介な面もある。常に「自分は他人より優れている」ことを証明しようと行動しているのだから、分業やチームプレーが得意なわけがない。全体の利益を考えるより、自分が評価されることを優先してしまう傾向が強いのは面子の最大の弊害だ。 また、仮にある中国人が「自分は他人より優れている」と信じているとしても、現実にはそうではないケースは多いわけで、その人たちはいつか自尊心と現実の折り合いをつけなければならない。それはつらい作業である。中には折り合いをつけられない人も出てくる。 面子は中国社会のモチベーションの源泉であると同時に、社会に充満する不満の源泉でもある。ものごとを「量の大小」「力の強弱」という評価軸で判断する傾向の強い中国社会の光と陰が「面子」に表れている。日本人的なお気軽な感覚で「面子」をとらえると、認識を誤る。 中国の「面子」とは、「スカウター」を付けた14億人が、いつでもどこでも「量」を巡る真剣勝負をしている国だ、ということなのである』、「お気軽な感覚で「面子」をとらえる」ことのないよう気を付けたい。
タグ:成田空港 日中関係 日経ビジネスオンライン 小田嶋 隆 (その3)(小田嶋氏:安倍首相の静かな訪中と読書録、本の紹介:中国人の「面子」と『ドラゴンボール』の世界) 「安倍首相の静かな訪中と読書録」 首相再登板以降の約6年間で延べ149カ国・地域を訪れたが、中国に2国間の枠組みで赴くのは今回が初めてだ なにはともあれ、先方に足を運んだことだけでも大手柄だった とにかく行って顔つなぎをしてくることに意味 世間の評価は意外なほど冷淡 アンチとシンパの双方が微妙に口ごもっている 『スッキリ中国論 スジの日本、量の中国』(田中信彦著:日経BP社刊 「スジの日本、量の中国」 「中国人」という生身の人間を題材にした書物で、これほど画期的な本はなかなか見つからないと思う 自分の中で、長い間打ち捨てられていたいくつかの小さな疑問が、「そういうことか」と、いきなり生命を得て動き出した感じと言えば良いのか、とにかく、上質のミステリーの謎解き部分を読んだ時の爽快感を久しぶりに思い出した どういうカウンターパートと付き合っているのかによって、日本人の中国人観はまったく違うものになるということらしい 中国人は、われわれの想像を超えて振れ幅の大きい人たちで、しかもその振れ幅は、個々人の持ち前の人格そのものよりは、相互の立ち位置や関係性を反映している 上海行きの便が到着地の悪天候で出発できず、乗客が成田空港で夜通し足止めされるという事態が発生 航空会社の対応に一部の乗客が反発 1人が警察に逮捕された。そこで乗客たちは集団で中国国歌「義勇軍行進曲」を歌って抗議 われわれ中国国民の安全で快適な旅行を保証するのは中国の統治者の責任である。その中には航空会社や外国の政府に圧力をかけて必要な措置を提供させることも含む。それをただちに実行せよ 今回、安倍さんがとりあえず習近平氏の面子を立てておく選択肢を選んだことは事実で、してみると、首相の周辺には、優秀なアドバイザーがいるのだろう 田中 信彦 「中国人の「面子」と『ドラゴンボール』の世界 「スカウター」のように相手の「強さ」を読み合う」 『スッキリ中国論 スジの日本、量の中国』 面子(メンツ) スッキリ中国論 スジの日本、量の中国 日本語の「面子」とは意味も重さも違う 「面子が大きい」 「問題解決能力が高い」ことを意味 「誰よりも優れている」という、最大級の褒め言葉 「面子がない」「面子がつぶれる」状況とは、「自分は他人より優れていない」ことが公衆の面前で実証されてしまう事態を指す 「量」の思考法が強いる、他人との比較 中国人は、誰かと向き合った時、人の「個性の差」よりも、相手との「力関係」を意識する傾向が強い 中国人にとっての「面子」は、自分という人間が人格を肯定されるか否定されるか、くらいの意味をもつ 「面子」が絡むと対人関係が「勝ち負け」になってしまう。これは中国社会のモチベーションの源泉であると同時に大きな問題でもある 国民全員独立自営、全ては人と人の相対取引 中国人の自己アピールは多くの場合、非常に強烈なものになる 中国人の「面子を立てる」ためには 面子は中国人が生きていく上でのエネルギー源のようなものだから、維持するために尋常でない努力をする 「面子の連鎖」 面子はモチベーションと不満、両方の源泉 日本人的なお気軽な感覚で「面子」をとらえると、認識を誤る
nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

日中関係(その2)(日中関係20年間の悪化を的中させた私が感じる「日中合作新時代」,「新冷戦」で追い込まれての日中連携へ トランプ主義が変えた力学、日本は対中「注文外交」をできるのか? 中国の対日微笑み外交は「米中関係の従属変数」) [外交]

日中関係については、2016年5月10日に取上げたままだった。2年以上経った今日は、(その2)(日中関係20年間の悪化を的中させた私が感じる「日中合作新時代」,「新冷戦」で追い込まれての日中連携へ トランプ主義が変えた力学、日本は対中「注文外交」をできるのか? 中国の対日微笑み外交は「米中関係の従属変数」)である。

先ずは、作家・ジャーナリストの莫 邦富氏が10月26日付けダイヤモンド・オンラインに寄稿した「日中関係20年間の悪化を的中させた私が感じる「日中合作新時代」」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/183390
・『日中関係は20年間よくならないと20年前の1998年に予測  安倍晋三首相は10月25日、約7年ぶりの中国公式訪問のために羽田空港を飛び立った。 中国滞在中には、「日中平和友好条約締結40年」の記念レセプションに出席してスピーチを行うだけでなく、習近平国家主席や李克強首相などとも会談することになっている。この訪問を中国メディアは「中日合作新時代」、日本メディアは「新たな次元の協力」と受け止め、評価している。 20年前の1998年、私は講演や著書の中で初めて「これからの20年間、日中関係はよくならない」という予測を発表した。この予測は当時、中国国内の知日派の学者たちから「悲観的に見過ぎている」と批判されたほど異色だった。 2004年11月、参議院国際問題調査会で、日中関係に関する参考人として呼ばれた際も、「これからの20年間、日中関係はよくならず、いろいろな試練に直面するだろう」と述べた。 アジアでは長い間、1つの強大国が他の国々を引っ張っていくという時代が続いた。かつては中国が強大国だった。だが、近代に入ってからは日本が、国力の衰弱した中国に取って代わり“アジアの雄”となった。 1970年代以降、日本が主張していた「アジア雁行経済」が広く認められ、日本はアジアの覇者らしくその先頭を飛ぶ雁になった。一方、文化大革命で崩壊寸前の状態に陥った中国は、体こそ大きいものの最後尾を飛ぶ形になった』、20年前に「日中関係は20年間よくならない」と予言したとは、さすがだ。
・『中国が猛烈に追い上げてきて相互嫌悪のムードが定着  しかし改革・開放時代に入ってから、中国は猛烈に日本を追い上げてきた。1990年代半ば頃からは、日本に迫ってきた中国を“脅威”と捉えた石原慎太郎氏を始めとする一部の日本人が、「中国を封じ込めろ」と呼び掛け警戒感をあおった。その認識は日本社会に広く浸透、やがて日中両国には相互嫌悪のムードが広がり定着した。 2005年、拙著『日中はなぜわかり合えないのか』が出版されるとき、私はその前書きに、次のように書いた。「現在、日中間に現れたいろいろな衝突は、まさに時代の変わり目に出るべくして出てきた問題であり、特に驚くことではない。アジアは1強時代が終わり、これまで1度も経験したことのない2強時代を迎えようとしているのだ。その時代の変化は、『日中友好時代が終わった!』という形で現れたのである。(中略)日中友好時代は終わった!しかし、恐れることはない。日中両国の国民がともに力を合わせて、平和的な両国関係を築けばいい」 さらに、次のように呼び掛けた。「新しい日中関係を構築すべき時がやってきた。たとえ、日中両国が友好的な隣国同士という関係を維持できないにしても、少なくとも平和的な隣近所であることを日中両国が目標に求めるべきだ」 2012年9月、尖閣諸島(中国名は釣魚島)国有化問題が起きる直前に発売された月刊「世界」10月号に、私は論考「『中日関係』という建築物に耐震工事を」を発表し、築40年を迎えた日中関係という“建築物”に、新たな“耐震補強工事”を行うべきだと主張した。 日中国交正常化の実現にこぎ着けた1972年、当時の建築基準に基づいて、“日中関係ビル”が竣工した。しかし、築年数が40年となった日中関係というビルは、これまで何度もの政治的な嵐と地震に見舞われ、壁のひび割れや基礎の動揺などの現象が見られた。ビルの安全性を脅かすこうした問題を取り除くために、耐震補強のための追加工事や修繕工事を行わなければならないというものだ。 「耐震補強工事」とは、具体的にいえば観光などを含む人的交流の強化に加え、ソフトの交流(例えば、国民皆保険に代表される日本の医療保険制度や税制、年金制度、義務教育制度、さらに省エネや環境保護など、多数の分野にわたるソフトパワーの交流)、そして「すべての紛争を平和的手段による解決する」という原則の貫徹だ。 2002年に発売された『これは私が愛した日本なのか──新華僑30年の履歴書』という本が2015年に文庫化された際・・・、その後書きに、私はそれから20年間の日中関係の展望を書いた。その内容の一部を紹介する。「1998年頃からすでに『日中関係はこれから20年間にわたって、よくならない』と予告した私から見れば、落ち葉が地面を敷きつめてから秋が来たと叫ぶように遅すぎた発見だ。日中関係に携わっている人間としては、これから20年先の日中関係がどうなるのか、そしてどうなるべきだと思うのか、さらにどうしていけばいいのか、をより力点を置いて考えるべきだ」と。 そして「互いに魅力を覚えられる、平和的に共存できる隣国同士。甘ったるい日中友好といった言葉がなくても全く問題のない健全な両国関係。それは私が描いた20年先の日中関係だ」と』、2015年に新たな日中関係を描いていたのも、さすがだ。
・『“日中関係20年間悪化説”に終止符 これからは“日中合作新時代”に  “日中関係20年間悪化説”を主張し始めてから、今年でちょうど20年。今回の安倍首相の中国訪問は、奇しくもそれに終止符を打ってくれた形だ。そして、これからの20年間は“日中合作新時代”になると思う。 これからの日中関係の特色の1つは、国益を重視しながらも、手を携えるところは積極的に協力し合うという付き合いになると思う。 安倍首相の訪中直前、日本側は中国向け政府開発援助(ODA)の終了方針を決めた。さらに、その1ヵ月前の9月13日には、海上自衛隊の複数の潜水艦および搭載航空機5機が南シナ海で中国をけん制する目的で、対潜水艦戦関連の訓練を実施した。しかも訓練は、中国が南シナ海で自国の領有権を主張するために設定した境界線「九段線」の内側で行われたという事実を、防衛省当局者は隠そうともしなかった。 一方、中国側も安倍首相の訪中が予定されていた10月にも、公船による尖閣諸島(釣魚島)海域のパトロールを続けている。釣魚島の接続水域への進入だけではなく、日本側から見た「領海侵入」も継続している。 本来、重要な外交日程が組まれている敏感な時期に、相手国の神経を逆なでするような行為は慎むべきなのに、日中双方は平気で継続している。しかも、互いに本気で相手国を怒る気配もない。 こうした行動こそ、日中合作新時代の特徴の1つといえる。つまり国益重視の原則を守りつつも、例えば首脳の訪問など、手を携えるべきところは積極的にその行動を起こすというものだ』、随分、大人の関係になったものだ。
・『是々非々の交流と付き合いが日中合作新時代のカラーに  5月に日本を訪れた中国の李克強首相と安倍首相は、首脳会談を通して日中両国が第三国での経済協力を積極的に進めるという方向を決めた。中国は一帯一路経済圏の構築に没頭しているが、海外への投資経験は乏しい。そこで先輩役の日本から投資ノウハウを学ぼうというもので、第三国での経済協力はまさに経済交流がハードからソフトへ転換する好例となる。 いまや力関係が変わった日中両国は、新たな隣国同士の関係を構築する時代を迎えようとしている。確かに、国益を求めての小競り合いはこれからも起きるだろう。しかし、互いの国益を守るために交流や協力、提携もどんどん始まると思う。 大切なのは、日中両国が互いに平和を求める気持ちで、新しい課題に手を携えて対処していくという原則の堅持だ。是々非々の交流と付き合いが、日中合作新時代のカラーになるだろうと思う』、なるほど。トランプとの関連は、ここでは触れられていないが、次の2つの記事にあるので、参考にされたい。

次に、元日経新聞論説主幹の岡部 直明氏が10月30日付け日経ビジネスオンラインに掲載した「「新冷戦」で追い込まれての日中連携へ トランプ主義が変えた力学」を紹介しよう。
https://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/16/071400054/102900085/?P=1
・『安倍晋三首相と中国の習近平国家主席による日中首脳会談は、経済協力を最優先し連携することで合意した。トランプ米大統領が「経済冷戦」から「新冷戦」に踏み込むなかで、追い込まれての日中連携である。米中経済戦争で日本に期待せざるをえない中国と日米摩擦を前に中国の経済力を頼みとしたい日本の経済的利害が一致した。 しかし、日中平和友好条約締結から40年、新時代を迎えた割に日中の合意は小粒である。目先の防御的連携を超えて、環太平洋経済連携協定(TPP)と東アジア地域包括的経済連携(RCEP)の結合などアジア太平洋の大戦略を打ち出し、米国をこの成長センターに引き戻すときである』、だいぶ壮大な構想を主張している。
・『経済最優先の連携  日中首脳会談では、新時代の関係構築で合意した。安倍首相は①競争から協調へ②互いにパートナーとして脅威にならない③自由で公正な貿易体制の発展―という3原則を提起した。 歴史認識のズレや尖閣諸島をめぐる対立など、これまでの日中のあつれきにはあえて深入りを避け、経済協力を最優先したのが特徴だ。第3国市場での連携は、中国が進める「一帯一路」構想を視野に入れたものだ。この構想をめぐっては、アジア各国から債務拡大などの不安が強まり、大きな壁に突き当たっているだけに、日本の協力は「中国第一主義」への懸念を払しょくするのが狙いだろう。 金融協力にも一定の進展はあった。危機時に日銀と中国人民銀行は円と人民元を交換するスワップ協定を再開する。融通額の上限は3兆4千億円(人民元の上限は2千億元)と10倍超になる。尖閣諸島をめぐるあつれきによって2013年に失効した通貨協定の復活で、日本企業が中国でビジネスを展開しやすくなることはたしかだ』、スワップ協定の上限が10倍超とは、中国にとっては有難い話だ。
・『遅すぎた対中ODAの終了  その一方で、日本が40年に渡り実施してきた中国に対する政府開発援助(ODA)は2018年度の新規案件を最後に打ち切ることになった。1990年代、筆者は日本の対中円借款の実施調査のため西安郊外のダム建設や北京郊外の浄水場などを訪問したことがある。驚いたのは円借款に関わる中国人の多さだった。 日本の円借款は空港建設など中国のインフラ整備に大きな貢献があった。固定資本投資に日本からの円借款は組み込まれていた。中国の改革開放路線を側面から支援したのは明らかだ。その割には中国からの感謝はそう大きくなかったようにみえる。戦後賠償を放棄する見返りとされた円借款だけに、当然視されていた面があったかもしれない。日本も他の先進国の支援に比べても、円借款の効果を積極的にはPRしてこなかったところがある。どちらにしろ、とっくに援助する側の先頭にある中国が援助される国を卒業するのは当然であり、対中ODAの終了は遅すぎたといえる』、「中国からの感謝はそう大きくなかったようにみえる」というのは、残念なことだ。
・『トランプ攻勢に守りの協調  日中があつれきを超えて協調したのは、トランプ大統領が経済冷戦から新冷戦に踏み込もうとするなかで、「守りの協調」に動かざるをえないという事情がある。とくに中国は、米中貿易戦争で大きな打撃を受けているだけに、日本との協調は欠かせない。 中国の7-9月期の経済成長率は6.5%に減速した。生産と投資の伸び悩みは大きい。経営破たんの増加など貿易戦争の影響は表面化している。米国製の自動車だけでなく、中国が制裁関税を課した化学品や紙製品などで値上げが相次ぎ、9月の消費者物価は2.5%上昇した。中国企業が抱えた過剰債務はますます大きな足かせになってきた。こうしたなかで、上海株式市場の動揺は著しく、世界同時株安を加速させている。 そんな中国にとって、日本との協調はトランプ米政権へのけん制の狙いが込められているが、日本にとっても日中協調はトランプ政権への「中国カード」ともいえる。米国よりずっと貿易関係の深い中国との協力を強化することで、対日圧力を強めるトランプ政権をけん制する思惑がある。 来年始まる日米の物品貿易協定(TAG)をめぐる交渉では、米側は自動車関税の引き上げをちらつかせながら自動車輸入の「管理貿易」化をめざす可能性がある。さらにムニューシン財務長官は「為替条項」を要求する構えで、日米交渉は難航必至の情勢である。トランプ政権との関係を大きく崩さない範囲で「中国カード」を交渉の武器にしたいというのが安倍政権の本音だろう』、トランプ政権が日中関係の改善を促したとは、トランプ大統領がもたらした数少ない恩恵といえよう。
・『失敗した「中国包囲網」構想  日中が歩み寄った意味は大きいが、中国が米国と肩を並べようとするなかで、日中に不仲の時代が長く続いたツケは重い。安倍政権がめざした「地球儀を俯瞰する外交」は事実上の「中国包囲網」構想だった。しかしこの構想は失敗に終わった。 安倍政権は中国をアジアにおけるライバルと位置付けていたが、あっという間に「日中逆転」が進行していたのである。2010年に国内総生産(GDP)に抜かれ、中国に世界第2の経済大国の座を明け渡したと思えば、いまやその落差は2.5倍にも達した。 中国は経済を先導する世界的起業家を輩出してきたが、日本にはほとんど見当たらない。自由な資本主義国である日本より国家資本主義の中国の方が、起業家精神が旺盛とは大きな皮肉である。日本が圧倒的にリードしていたはずのハイテク分野でも、日本は逆に差をつけられた。フィンテックでは中国視察団への日本企業の参加が人気を集めるありさまだ。 習近平政権がめざす「中国製造2025」に、トランプ政権が警戒しているのは、中国が国家資本主義により、半導体製造などで米国追跡をめざしていると考えるからだ。ハイテク分野での米中間の覇権争いはし烈を極める。中国が照準を定めるのは米国であり、もはや日本ではない。 人民元の「国際通貨」化構想も、「ドル・ユーロ・人民元」の3大通貨を軸にしている。日本円はほとんど眼中にないといっていい。 そんな経済超大国になった中国に対して「包囲網」を築こうという発想そのものが時代錯誤だったといえる。「地球儀を俯瞰」して中国の周辺に足しげく外交を展開して、肝心の中国との直接対話を疎かにしてきたのではないか。この戦略そのものに大きな誤りがあった。その反省がないかぎり、日中は再び不幸な「不仲時代」に逆戻りしかねない』、安倍政権の「中国包囲網」構想は危なっかしい代物だったが、失敗に終わったのは喜ぶべきことだ。
・『日中はなぜ独仏に学べなかったか  中国駐在の経験はないが、駆け出し記者のころ日中国交回復前の日中貿易を担当して以来、ずっと中国を側面からみつめてきた。欧州駐在の経験を踏まえると、戦後72年になるのに、日中はなぜ独仏に学べないのかという命題に突き当たる。 国交回復前の日中関係を支えたひとりに、日中覚書貿易事務所の岡崎嘉平太代表がいた。戦中、日銀マンとして中国に駐在した経験から戦後は日中関係の正常化に尽力していた。それは右翼の攻撃対象にされた。夜回り取材で岡崎氏の自宅を訪問したときのことだ。岡崎氏の脇には大きなシェパードが座り、こちらをみつめていた。右翼への警戒を怠らず、命がけで日中関係の打開をめざしていたのである。 日中関係はニクソン米大統領訪中の後を受けた田中角栄首相の訪中で正常化に向かうが、周恩来首相が「井戸を掘った人」と讃えたのは、岡崎氏だった』、「井戸を掘った人」を讃えた周恩来首相はやはり傑出した人物だったのだろう。
・『戦後の日中関係が疎遠だったのは、中国に共産党政権が誕生し、冷戦下で西側の拠点になった日本との対立関係が生まれたためともいえる。しかし、第2次大戦後、欧州ではフランスの実業家、ジャン・モネの仲介で独仏和解が実現し、それが欧州統合に結実している。欧州連合(EU)はいま様々な難題を抱えているが、独仏和解を軸に平和が保たれている。 この独仏和解に日中はなぜ学べなかったのか。第2次大戦のような悲惨を防ぐために、政治体制の違いを超えた平和構築は可能だったはずだ。日中関係の「井戸を掘った人」岡崎氏は日中関係の長い冬の時代を嘆いていた』、当時の東西冷戦、対米追随外交が影響していたのだろう。
・『米国巻き込む日中連携の大戦略を  日本は米中両大国の間でどううまく泳ぎ切るか、と考える政策当局者もいる。これは大きな間違いだ。いま日本に求められるのは、アジア太平洋の繁栄と安定のために、扇の要(かなめ)として大戦略を打ち出すことである。 第1に、TPPとRCEPの結合である。11カ国によるTPP11はたしかに先進的な自由貿易圏だが、その範囲は狭い。これに対して、東南アジア諸国連合(ASEAN)10カ国に日中韓、そしてインド、オーストラリア、ニュージーランドを加えたRCEPにはアジア太平洋の主要国がほぼすべて含まれる。問題は自由化度合がTPPに比べて低いことだが、交渉次第で自由化率を上げられる。TPPとRCEPでともに核にあるのは日本である。TPPとRCEPを結合して、米国を呼び戻すのは日中の共同戦略になる。それは、米中貿易戦争を打開する道でもあるだろう。 第2に、中国主導で成立されたアジアインフラ投資銀行(AIIB)とアジア開発銀行の統合である。AIIBにはアジア各国や欧州各国などが参加しているが、日米はあえて参加していない。中国は日米にも参加を求めているが、日米は慎重だ。このためAIIBの運営は必ずしも軌道に乗っていない。日本人が歴代総裁をつとめるアジア開発銀行はインフラ投資などをめぐってAIIBと協力しているが、両行が統合すれば、旺盛な需要に対して資金不足にあるアジアのインフラ投資が進む可能性がある。 日中首脳会談による日中連携は、冬の時代が長かった戦後の日中関係からみると一歩前進ではある。しかし、それはトランプ旋風に対応した防御的な連携にすぎない。日中両国に求められるのは、世界の成長センターであるアジア太平洋を結びつけるより広範な連携である。この本格的な多国間主義こそ、トランプ流の2国間主義を突き崩すことになるはずだ』、誠に格調が高い主張で、大賛成である。

第三に、元経産省米州課長で中部大学特任教授の細川 昌彦氏が10月31日付け日経ビジネスオンラインに寄稿した「日本は対中「注文外交」をできるのか? 中国の対日微笑み外交は「米中関係の従属変数」」を紹介しよう。
https://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/16/062500226/103000008/
・『10月26日に北京で開かれた日中首脳会談。米中の「貿易戦争」を背景に「微笑み外交」で日本に迫る中国に対し、日本の対応はどうだったのか。安易な「日中関係改善」では不十分で、知財問題や一帯一路に関して「注文外交」を展開する必要がある。 これほど思惑がわかりやすい首脳会談もない。10月26日、安倍総理が北京を訪問し、習近平国家主席との日中首脳会談が開催された。この首脳会談に対する中国側の意気込みはやはり米中対立の裏返しであった。 2017年半ばから習主席は日本との関係改善に動き始め、昨秋の共産党大会を終えて以降、対日外交は「微笑み外交」に明確に転じた。習近平体制の権力基盤の強化もあるが、基本的には米中関係の悪化が大きく影響している。 米中関係が厳しさを増してくると、日本との関係は改善しておき、日米の対中共闘を揺さぶる、といういつもながらの思考パターンだ。 これまでの歴史を振り返ってもそうだが、「日中関係は米中関係の従属変数」という要素が大きい』、「日中関係は米中関係の従属変数」とは言い得て妙だ。
・『もちろん日中の関係改善は歓迎すべきことで、これを機に建設的な対話をするチャンスだろう。しかし、これを永続的なものと楽観視すると中国の思うつぼだ。あくまでも中国側の事情、打算による関係改善である。将来、仮に米中融和に向かえば、どうなるかわからない脆い基盤だ。残念ながらそれが日中関係の現実だ。日本政府も「従属変数としての日中関係」を頭に置いた対応が求められる。 日本企業にとっても注意を要する。 米中間の関税合戦もあって、外国企業の対中投資が見直しの機運で、現に中国での生産拠点を他国に移転する動きも出てきた。これに中国は強い危機感を持ちだした。そこで、日本企業を引き留めるだけでなく、更には対中投資に向けさせたいとの思惑が働いている。 最近、中国は共産党指導部の意向を受けて、各地の地方政府が熱心に日本企業に対する投資誘致に奔走しているのは、そうした背景による急接近だ。これは中国側の状況次第でいつでも風向きが変わるリスクがあることを忘れてはならない』、さすが対米交渉を取り仕切った通商問題のプロだけあって、冷徹で鋭い指摘だ。
・『知的財産権での注文外交とは  こうした中国の「微笑み外交」に対して、日本は中国に対して「注文外交」ができるかが問われている。 具体的に日中首脳会談の経済面での成果を見てみよう。 その一つが、先端技術分野での連携のための新たな枠組みとして「イノベーション協力対話」を作ったことだ。これも米国との技術覇権争いを背景として、中国がハイテク技術で日本に接近する思惑が見え隠れする。 5月、李克強首相が訪日した際、安倍総理に投げたボールが、イノベーション分野での対話・協力であった。日本は中国の思惑にそのまま乗るわけにもいかない。中国の知的財産権の扱いについては欧米とともに日本企業も懸念を有している。そこで、これを知的財産権問題とパッケージにして扱う場に仕立て上げた。 米国は中国への技術流出を止めようとしている矢先に日本が抜け穴になることは看過できない。日本政府も米国政府に懸念払拭のために事前説明したようだ。 今後、この対話の場をどう動かしていくか、まだ決まっていない。だが、日本としては中国にお付き合いしている姿勢を示しつつも、具体的な案件ごとに安全保障上の懸念がないか慎重にチェックすることが必要だ。 日本企業も恐る恐る対応することになる。協力案件が米国から問題にされることがないよう、企業にとって保険になるような、政府ベースでの仕掛けづくりが大事だ』、なるほど、その通りなのだろう。
・『習主席訪日を「人質」に取られ、日本はWTOに提訴できず  またこの対話を進める前提として、中国の知的財産権のあり方に注文をつけることが不可欠だ。中国の不公正な知的財産権のあり方については、欧米が歩調を合わせて世界貿易機関(WTO)への提訴を行っている。ところが日本は今回の安倍総理の北京訪問、来年の習主席の訪日を人質に取られて、中国へのWTO提訴をしていない。 先月の日米首脳会談での共同声明にあるように、中国の知的財産の収奪、強制的な技術移転などの不公正さには日米欧で共同対処するとなっている。にもかかわらず、日本が中国に対してWTO提訴できないでいるのだ。これには欧米からは冷ややかな目で見られていることは重大だ。 特に日本政府はルール重視と口では言っていても、中国のルール違反に対しては甘い姿勢でいることに、言行不一致との指摘もささやかれている。これではこれからの国際秩序作りに日本が主導して日米欧が共同歩調を取ることを期待できないだろう。 日本も中国に対してWTO提訴を行ったうえで、こうした対話の場を活用して、中国に対して民間企業が直面している懸念をぶつけて、改善のための協議をすることが、イノベーションの協力を進めるための政府の役割だろう。日本企業もこれまで知財での不公正な扱いに対して、中国政府に睨まれないよう、目をつぶっていた体質を変える必要があるが、それも日本政府の対応がしっかりしていることが前提だ』、今回は、日本側が有利な立場にいた筈なのに、日本だけWTOに提訴できなかった、とは情けない話だ。
・『一帯一路への「注文外交」を  そしてもう一つの柱が、日中の「第三国市場でのインフラ協力」だ。 中国の思惑は、日本をいかにして一帯一路への協力に引き込むかにあるのは明白だ。一帯一路も相手国を「借金漬け」にする手法に、欧米だけでなくアジア諸国からも警戒感が高まり、一時の勢いが見られない。パキスタン、ミャンマー、マレーシアなど事業の縮小、見直しが相次いでいる。そうした中で、日本の協力を得ることは、一帯一路の信頼性を高めるうえで大きい。 他方、日本は「量より質」で勝負しようと、相手国のニーズと案件を精査して「質の高いインフラ整備」で対抗しようとしている。米国とともに提唱している「インド太平洋戦略」がそれだ。 しかし単に対抗するだけではなく、圧倒的な資金量を誇る中国とは協調も必要ではないかとのスタンスに徐々に舵を切り始めたのだ。もちろん民間企業のビジネスチャンスへの要望もあるだろう。 むしろ日本に優位性のあるプロジェクト・マネジメントやリスク管理のノウハウを活用して、一帯一路を軌道修正させていこうとの思惑だ。日本のメガバンクはこうした面での強みを特にアジアにおいては有している。中国企業の安価な製品、サービスと結びつけば補完関係にある。 ただし、一帯一路への協力となると、米国も黙ってはいない。神経をとがらせて当然だ。日本もそれを意識して、「一帯一路への協力」とは一言も言っていないのだ。しかし当然のことながら、中国側は早速、「一帯一路に日本の協力を取り付けた」と宣伝している。 日本は本来、米国とともに主導している「インド太平洋戦略」でインフラ整備を進めていることになっているはずだ。日本も中国同様、「インド太平洋戦略に中国の協力を取り付けた」と宣伝するぐらいの厚かましさがあってもよい。 日中首脳会談直後に来日したインドのモディ首相にもその協力で合意している。今回の中国との第三国市場でのインフラ協力は、こうしたインド太平洋戦略との関係をどう整理して国際的に説明するのか不透明なのが問題だ。それはそもそも、インド太平洋戦略の中身が明確になっていないことにも起因している』、中国包囲網を意識していたインド太平洋戦略を如何に見直していくかは、重大な課題だ。米国やインドの思惑はともかく、日本側だけでも青写真を描いておくべきだろう。
・『「危険な案件」の見極めが必要  言葉がどうであれ、今後、大事なことは具体的なプロジェクトの進め方で中国に注文をつけていくことができるかどうかだ。日本も米国政府に事前にそう説明して、米国の批判、誤解を招かないように手を打ったようだ。そうでなければ、中国の思うつぼであり、米国からも厳しい目で見られるだろう。2018年4月には欧州もハンガリーを除くEU大使が連名で一帯一路への警戒感から中国に改善を申し入れている。日本も安易な対応は国際的に許されない状況にある。 問題はこれからだ。 今回の首脳会談の際には、民間ベースでも52件の案件を合意して、成果に仕立て上げた。日中間の協力と言っても、具体的なビジネスは様々なパターンがある。 例えば、日中企業が共同で太陽光発電事業を受注して運営するケース。日本企業が発電所建設を受注して、中国企業から安価な機器を調達するケース。日中の合弁企業が中国で発電機器を製造して第三国の発電所に納入するケース。日本企業が基幹部品を供給して中国企業が組み立てた機械を輸出するケース。日本企業が中国と欧州を結ぶ鉄道を活用して物流事業を展開するケース。日中企業が協力してヘルスケアなどのサービス市場の展開をするケースなど、さまざまな形態が含まれている。 政府は高速鉄道案件のような象徴的な大プロジェクトに飛びつきがちだが、最近の中国側のずさんな対応を見ると、それはリスクが高い。むしろ地道なプロジェクトを積み上げていくべきだろう。 日本企業の中にはビジネスチャンスと捉える向きもあるが、事はそう単純ではない。今後、協力案件を慎重に見定めなければ、中国の影響力拡大の戦略を利することにもなりかねない。また、民間企業にとっても中国側の国有企業特有の甘いリスク判断は受け入れがたい。そうした“危険な”案件の見極めも必要だ。 今後、日中間では官民合同の委員会で議論して進めることになっているが、官民ともに甘い見通しを持つことは禁物だ。今回、日中間で開放性、透明性、経済性、対象国の財政健全性といった国際スタンダードに沿ってプロジェクトを進めていくことが合意されたと言うが、こうした原則の合意だけで安心していてはいけない。原則の美辞麗句だけでなく、これらが具体的にどう適用されるかを注意深く見ていく必要がある』、安倍政権はインフラ輸出などを推進するとしているが、懸念されるのは、案件獲得を焦る余り、「危険な案件」の見極めがおろそかになることだ。
・『今回の安倍総理の北京訪問を受けて、来年には習近平主席の来日を求めて、日中首脳の相互訪問を実現したいというシナリオだ。しかし、だからと言って、友好だけを謳っていればいい時代ではない。知的財産権にしろ、インフラ整備にしろ、中国に対して注文すべきことは注文するのが重要だ。前述したように、中国に対するWTO提訴を躊躇しているようではいけない。それでは国際秩序を担う資格はない。 米中関係が長期的な経済冷戦の様相を呈している中、中国に対して、かつての冷戦モードのような「封じ込め政策」でもなく、「関与政策」でもない第3のアプローチを模索する時期に来ているのだろう。日本も米国の中国に対するアプローチとは違って、「注文外交」をきちっとすることによって、時間をかけて中国の変化を促すような、腰を据えた中国との間合いの取り方が必要になっている』、説得力のある主張で、その通りだと思う。
タグ:日中関係 日経ビジネスオンライン ダイヤモンド・オンライン 習近平国家主席 莫 邦富 岡部 直明 細川 昌彦 インド太平洋戦略 (その2)(日中関係20年間の悪化を的中させた私が感じる「日中合作新時代」,「新冷戦」で追い込まれての日中連携へ トランプ主義が変えた力学、日本は対中「注文外交」をできるのか? 中国の対日微笑み外交は「米中関係の従属変数」) 「日中関係20年間の悪化を的中させた私が感じる「日中合作新時代」」 日中関係は20年間よくならないと20年前の1998年に予測 日中平和友好条約締結40年 李克強首相などとも会談 中日合作新時代 新たな次元の協力 中国が猛烈に追い上げてきて相互嫌悪のムードが定着 “日中関係20年間悪化説”に終止符 国益重視の原則を守りつつも、例えば首脳の訪問など、手を携えるべきところは積極的にその行動を起こすというものだ 是々非々の交流と付き合いが日中合作新時代のカラーに 「「新冷戦」で追い込まれての日中連携へ トランプ主義が変えた力学」 日中首脳会談は、経済協力を最優先し連携することで合意 新時代を迎えた割に日中の合意は小粒 目先の防御的連携を超えて、環太平洋経済連携協定(TPP)と東アジア地域包括的経済連携(RCEP)の結合などアジア太平洋の大戦略を打ち出し、米国をこの成長センターに引き戻すときである 経済最優先の連携 スワップ協定を再開 融通額の上限は3兆4千億円(人民元の上限は2千億元)と10倍超に 遅すぎた対中ODAの終了 中国からの感謝はそう大きくなかったようにみえる トランプ攻勢に守りの協調 中国にとって、日本との協調はトランプ米政権へのけん制の狙い 日本にとっても日中協調はトランプ政権への「中国カード」 失敗した「中国包囲網」構想 地球儀を俯瞰する外交」は事実上の「中国包囲網」構想 あっという間に「日中逆転」が進行 「包囲網」を築こうという発想そのものが時代錯誤 日中はなぜ独仏に学べなかったか 周恩来首相が「井戸を掘った人」と讃えたのは、岡崎氏だった 米国巻き込む日中連携の大戦略を TPPとRCEPを結合して、米国を呼び戻すのは日中の共同戦略になる アジアインフラ投資銀行(AIIB)とアジア開発銀行の統合 本格的な多国間主義こそ、トランプ流の2国間主義を突き崩すことになるはずだ 「日本は対中「注文外交」をできるのか? 中国の対日微笑み外交は「米中関係の従属変数」」 これほど思惑がわかりやすい首脳会談もない この首脳会談に対する中国側の意気込みはやはり米中対立の裏返しであった 米中関係が厳しさを増してくると、日本との関係は改善しておき、日米の対中共闘を揺さぶる、といういつもながらの思考パターン これを永続的なものと楽観視すると中国の思うつぼだ。あくまでも中国側の事情、打算による関係改善である 中国側の状況次第でいつでも風向きが変わるリスク 知的財産権での注文外交とは イノベーション協力対話 中国の知的財産権の扱い これを知的財産権問題とパッケージにして扱う場に仕立て上げた 習主席訪日を「人質」に取られ、日本はWTOに提訴できず 欧米からは冷ややかな目で見られている 日本企業もこれまで知財での不公正な扱いに対して、中国政府に睨まれないよう、目をつぶっていた体質を変える必要がある 一帯一路への「注文外交」を 「危険な案件」の見極めが必要 欧州もハンガリーを除くEU大使が連名で一帯一路への警戒感から中国に改善を申し入れている 「注文外交」をきちっとすることによって、時間をかけて中国の変化を促すような、腰を据えた中国との間合いの取り方が必要
nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

司法の歪み(その11)(業務上過失致死傷罪への”組織罰”導入で問われる山下新法相の真価、松橋事件 再審は誰のために、岡口基一裁判官 独占インタビュー「言論の自由を封殺した最高裁へ」 そして 驚くべき司法の内情について) [社会]

司法の歪みについては、9月17日に取上げた。今日は、(その11)(業務上過失致死傷罪への”組織罰”導入で問われる山下新法相の真価、松橋事件 再審は誰のために、岡口基一裁判官 独占インタビュー「言論の自由を封殺した最高裁へ」 そして 驚くべき司法の内情について)である。

先ずは、元東京地検特捜部検事で弁護士の郷原信郎氏が10月16日付け同氏のブログに掲載した「業務上過失致死傷罪への”組織罰”導入で問われる山下新法相の真価」を紹介しよう。
https://nobuogohara.com/2018/10/16/%E6%A5%AD%E5%8B%99%E4%B8%8A%E9%81%8E%E5%A4%B1%E8%87%B4%E6%AD%BB%E5%82%B7%E7%BD%AA%E3%81%B8%E3%81%AE%E7%B5%84%E7%B9%94%E7%BD%B0%E5%B0%8E%E5%85%A5%E3%81%A7%E5%95%8F%E3%82%8F%E3%82%8C/
・『2018年10月26日、山下貴司法務大臣が、福知山線脱線事故、笹子トンネル事故等の重大事故の遺族を中心に結成されている「組織罰を実現する会」のメンバーと面談する。 山下氏の入閣は、総裁選で安倍首相と激しい戦いを繰り広げた石破派からの唯一の入閣であり、全体としては支持率上昇につながらなかった第4次安倍内閣組閣の中でも、国民からの好感度・期待が高い人事だ。それ以上に注目すべきは、山下大臣は、検察、法務省の豊富な実務経験を有する初めての法務大臣だということだ。 その山下新法務大臣が、業務上過失致死傷罪への両罰規定の導入という刑事司法にとって重要な問題に関して、重大事故の遺族の声に耳を傾けてくれたことで、就任早々の面談が実現した』、なにやら久しぶりに曙光がさしたようなニュースだ。
・『組織罰実現をめざす重大事故遺族の活動  私は、法務・検察の組織に23年間所属したが、その間、1999年から2001年まで、法務省法務総合研究所研究官を務めた際、2000年の犯罪白書では、特集で「経済犯罪」を初めて取り上げ、独禁法を中心に企業に対する処罰・制裁の在り方の総合的な研究をしたのが「企業犯罪研究会」だった。その頃、法務省刑事局付だった山下氏は、法人処罰も含めた企業に対する制裁の在り方の研究への理解者の一人だった。 企業活動に伴って発生する重大事故の問題に私が関わるようになったのは2005年検察から桐蔭横浜大学法科大学院に派遣され、コンプライアンス研究センターの活動を開始した頃からだ。その直後に発生したのが乗客106人の死者、500人以上の負傷者を出したJR西日本福知山線脱線事故だった。それ以降、重大事故の原因究明と責任追及の問題はコンプライアンス研究センターの重要なテーマの一つとなった。何回かシンポジウムも開催し、多くの重大事故の遺族の方々が参加され、率直な意見を聞くことができた』、山下氏が法務省内での「企業に対する制裁の在り方の研究への理解者の一人だった」とは、多少の希望の光なのかも知れない。
・『2015年10月に、JR福知山線脱線事故の遺族が中心となって立ち上げた「組織罰を考える会」から、講演の要請を受けた。企業等の組織に、必要な安全対策を怠って事故を起こしたことの直接の責任を問う法制度の実現をめざす勉強会だった。そこで考えられていたのが、イギリスの「法人故殺罪」のように、法人企業の事業活動において人を死傷させる事故が発生した場合に、その「法人組織の行為」について「法人自体の責任」を追及する制度だった。 ところが、日本の刑事司法は、従来から、犯罪行為を行った自然人個人の処罰が中心で、法人に対する処罰は付随的なものだ。「法人組織の行為」を認めて、法人を刑事処罰の対象にすることは容易ではない。「組織罰を考える会」のめざす制度の実現は、現実的にかなり難しいことは否めなかった』、なるほど。
・『現実的な立法としての「業務上過失致死傷罪への両罰規定の導入」  しかし、肉親の死を無駄にしたくない、社会に活かしたいという遺族の思いを、何とかして受け止めたかった。重大事故についての法人処罰の在り方を私なりに改めて考えてみた。その結果たどり着いたのが、多くの特別法で認められている「両罰規定」を、法人の事業活動に伴って発生する業務上過失致死傷罪に導入する特別法の立法の提案だった。 両罰規定というのは、法人または人の業務に関して「犯罪行為」が行われたときに、その行為者を処罰するのに加えて、法人に対しても罰金刑を科す規定だ。 業務上過失致死傷罪に両罰規定を導入すれば、法人の役職員個人について業務上過失致死傷罪が成立する場合に、法人の刑事責任を問うことができる。「法人組織の行為」について法人の責任を問うという、それまで「組織罰を考える会」がめざしてきた方向とは異なるが、重大事故について、事業主の法人企業の刑事責任を問うことは、「組織罰」の導入として大きな第一歩となる。 しかも、現行法制でも広く認められている「両罰規定」の活用であれば、立法上の問題ははるかに少ない。刑法の改正は、法制審議会での議論等が必要となるが、刑法犯である業務上過失致死傷罪のうち、法人企業の事業活動で発生した事故に限定して「両罰規定」を導入する特別法を創設するのであれば、法制審議会の正式な手続は必ずしも必要とはならず、ハードルが低い』、次善の策としての導入論のようだが、個人が業務上過失致死傷罪の宣告を受けた場合にのみ、法人も罰せられることになる。しかし、肝心の個人への業務上過失致死傷罪適用自体のハードルが、JR福知山線脱線事故でもかなり高い現実のなかでは、実効性には心もとない気もする。
・『刑事公判が、「法人企業の安全コンプライアンス」を評価する場に  そして、重要なことは、法人企業への罰金刑については、事故防止のための十分な措置をとっていたにもかかわらず回避困難な事情によって事故が発生したことを法人企業側が立証した場合には、免責されるということだ。刑法の大原則である「責任主義」の観点から、役職員の犯罪行為について法人を処罰するためには、法人の責任の根拠がなければならない。両罰規定では、「行為者に対する選任監督上の過失」が、法人の責任の根拠とされてきた。その立証責任は、処罰を免れようとする法人側が負うこととされ、法人側が「選任監督上の過失がなかったこと」を主張立証しない限り、罰金刑を免れることはできない。 法人企業の業務に関して発生した事故で、法人を業務上過失致死傷罪で処罰するとすれば、「選任・監督上の過失」に相当するものとして考えられるのが「事故防止のための措置義務違反」だ。法人企業が、義務を十分に尽くしていたこと、回避困難な事情があったことを立証できれば、免責されることになる。法人企業に対する罰金の上限が、経営規模に見合うだけの水準に設定されれば、刑事責任を免れようとする法人企業は、事故防止のために十分な措置を講じていたことの立証が必要となる。万が一の事故が発生した場合、その立証を行うためには、企業が日常的に事故防止のための安全対策を十分に行うことが必要となり、事故防止にも大きく貢献することになる』、「法人側が「選任監督上の過失がなかったこと」を主張立証しない限り、罰金刑を免れることはできない」ということ自体は前進だが、それも個人が業務上過失致死傷罪の宣告を受けることが大前提となる。
・『業務上過失致死傷罪に両罰規定を導入する特別法の条文案を作った上で、「組織罰を考える会」での講演に臨み、「組織罰導入」の方向性を「両罰規定の導入」の方向に転換することを提案した。刑法の理論面にも関わる事柄だったが、多くの遺族の方々が真剣に耳を傾けてくれ、賛同が得られた。それ以降、会の活動は、この「両罰規定」の導入を目指す方向に向かっていった。 2016年4月、「組織罰を考える会」が発展した形で「組織罰を実現する会」が設立され、福知山線脱線事故の遺族の大森重美会長を中心に、「重大事故での加害企業への組織罰の導入」をめざす様々な活動が行われてきた。そして、それが、今回の山下新法務大臣との面会につながった』、一歩前進であることは確かだ。
・『重大事故遺族の心情の理解を  重大事故遺族がめざす「組織罰」の問題に向き合うためには、遺族の複雑な心情を理解する必要がある。 これまで、多くの重大事故で、刑事事件は不起訴となるか、起訴されても無罪に終わっている。企業活動に関して発生した事故で刑事責任を追及することは難しい。しかし、重大事故で肉親を失った遺族は、加害者の処罰、責任追及を強く求めてきた。それはなぜなのか。 第1に、「肉親の命が突然奪われたこと」に対して、その重大性に応じた社会の対応を求める気持ちである。その端的な方法が「加害者を処罰すること」であり、それが行われないことに対する強い違和感・抵抗感がある。しかし、仮に、加害者側が処罰されたとしても、遺族の思いはそれによって充たされるものではない。殺人事件の犯人に対するような恨み・憎しみとは異なる・・・「処罰してやれば文句ないだろう」「処罰のため最大限の努力をしているから理解しろ」という刑事司法関係者の考え方は、逆に、遺族の心情を傷つけるものなのだ。刑事処罰を求めることを通して、肉親の死を社会が忘れないようにしてほしい、というのが遺族の心情なのだ。 第2に、事故の真相究明を求める気持ちだ。そこには、「自分の肉親が亡くなった経過を知りたい。何がどうなって亡くなったのか、事故の状況を知りたい。」という切なる願いと、事故の真相解明によって、原因が究明され、事故の再発が防止されることで、失われた肉親の命を社会に役立てたいという思いがある。 しかし、加害者の刑事処罰が事故の真相の解明・究明につながるのかというと、実際には、そうではない。 一般的には、複雑な事故の過失犯の処罰は、事故の再発防止にはつながらない。厳罰化は、関係者から供述を得ることを困難にし、証拠が隠滅されるおそれもある。また、起訴されても、刑事事件の裁判で事故の真相が明らかになるのかと言えば、必ずしもそうではない。典型的な例が福知山線脱線事故だ。刑事裁判で問われた過失は「事故の8年前に、山崎元社長が鉄道本部長だったときに、ATSを設置すべきだった。」というもので、刑事裁判での争点は、事故の8年前における企業の措置の適否だった。実際の事故の場面が裁判で明らかになったわけではなかった。 むしろ、事故の原因調査のための体制や権限の充実を通して、遺族にも納得してもらえるよう、事故調査のプロセスと調査結果の透明化を図っていくというのが合理的な考え方であり、そのためには、事故原因の真相解明に最も近い立場にある加害企業が、積極的に関わることが不可欠だと言える。 重大事故の遺族の心情は、加害者の処罰への欲求と、真相解明の要請とが、ある面では相反しつつ、複雑に絡み合っている。そういう遺族の複雑な心情を理解した上で、加害者の処罰に関する法制度を検討していく必要がある』、事故原因の真相解明や真の再発防止策策定には、米国のように加害者の刑事責任を不問にするという考え方もあるが、この点に触れてないのは残念だ。
・『過去の重大事故で「両罰規定による法人処罰」は可能か  では、業務上過失致死傷罪に対する両罰規定が設けられていた場合、過去の重大事故について法人企業を処罰することができただろうか。 まず、福知山線の脱線事故については、運転手は既に死亡しているが、事故の状況は事故調査報告書によって明らかになっている。「車掌との電話に気を取られ、急カーブの手前で減速義務を怠った」ということが立証できれば、運転手についての業務上過失致死傷罪の成立は立証できる可能性が高い。問題は、そういう運転手の過失による事故を防止するために、JR西日本が十分な安全対策をとっていたと言えるのかだ。その点について、JR西日本側が立証し、事故防止のための措置が十分だったと認められないと、JR西日本に対して有罪判決が言い渡されることになる。 2016年の軽井沢のバス転落事故の例では、運転手が排気ブレーキをかけることなく加速して、制限速度を大幅に超過した状態で下り坂カーブに突っ込めば、横転し、大破して乗客が死亡することを予見できた。適切にギアを入れたり、ブレーキを踏むなどして事故を回避することができたという前提で考えれば、死亡した運転手についての業務上過失致死傷罪の立証は可能だと思われる。それについて、会社側がどのような対策を講じていたのかが問題になるが、十分な対策を講じていなかったことは明らかであり、会社が有罪となる可能性が高い。 一方、2012年に起きた笹子トンネルの事故のように、組織としての企業には安全対策の不備が指摘されていても、行為者個人の過失を特定して、人の死傷という結果が生じたこととの因果関係を立証することが困難な事故については、両罰規定による法人企業の処罰は容易ではない』、福知山線事故や軽井沢のバス転落事故のように、運転手が死亡している場合でも、起訴し有罪にすることが必要になる。笹子トンネルの事故は指摘の通りだ。
・『しかし、一定の範囲に限られるものであっても、重大事故の刑事裁判で法人企業の刑事責任が問われ、企業の側が事故防止に向けての措置を立証することになれば、企業の事故防止コンプライアンスを刑事裁判の俎上に載せることができる。社会全体が、企業活動に伴う重大事故の防止に向き合っていく一つの契機になるのではないか。 それは、事故で失われたかけがえのない肉親の命を社会に活かしてもらいたいと心から願い、街頭署名活動まで行って「組織罰の実現」をめざす遺族の思いに応えるものなのではなかろうか』、その通りだろう。
・『日本の法人処罰のブレイクスルーとなるか  業務上過失致死傷罪に両罰規定を設ける立法が行われることで、重大事故についての法人処罰が導入され、企業の事故防止に向けての措置・対策が十分であったことを立証した場合に法人が免責されることになれば、法人企業の事故防止に向けてのコンプライアンスが、刑事裁判で具体的に評価・判断されることになる。それは、検察の立証の限界から企業活動の実態を反映させることが難しかった従来の刑事裁判を、企業活動のリアリティに沿ったものに転換させていくことにもつながる。 一方で、今年6月施行の刑訴法改正で導入された「日本版司法取引」(捜査公判協力型協議合意制度)に関しても「法人処罰」は動き始めている。初適用事案となった、タイの発電所建設事業をめぐる不正競争防止法違反(外国公務員への贈賄)事件では、三菱日立パワーシステムズと東京地検特捜部との間で「犯罪を実行した役職員の捜査に協力する見返りに、法人としての同社に対する刑事処罰を免れさせる合意」が行われた。この事例では、法人が積極的に内部調査を行って自社の役職員が行った犯罪事実を明らかにし、その結果に基づいて捜査当局に協力する「コンプライアンス対応」が法人の刑事責任の軽減・免除に値すると評価された。それは、「法人の事後的なコンプライアンス対応」という面から、法人自体の責任を独立して評価するものだ』、ただ、三菱日立パワーシステムズの判断には、「社員を売った」との批判もある。「コンプライアンス対応」のためには、そもそも「外国公務員への贈賄」など決してやってはいけない、ということなのだろう。
・『自然人個人に対する道義的責任が中心の日本の刑事司法では、これまで、法人処罰はあまり注目されて来なかった。それを大きく変えることになり得るのが、業務上過失致死傷罪への両罰規定の導入と、日本版司法取引による法人企業の免責だ。重大事故に至るまでの法人企業の事故防止コンプライアンスへの取組みを評価して法人の刑事責任の減免を決するという「事前のコンプライアンス」評価と、役職員による犯罪の疑いを発見した企業による内部調査の徹底という「事後のコンプライアンス」の評価の両面から法人の刑事処罰が判断されることになれば、刑事司法における法人処罰の位置づけは、これまでとは全く異なったものとなる。企業のコンプライアンスの実質的評価が刑事実務として定着することで、日本の「経済司法」のレベルを大きく向上せることにもつながるであろう。 「組織罰の実現」を求め活動を続ける重大事故遺族の思いに応えることができるか。日本の法人処罰に画期的なブレイクスルーをもたらすことができるか。検察実務にも、刑事立法実務にも精通した山下新法務大臣の真価が問われている』、新内閣全体としては、期待できないが、山下新法務大臣には大いに期待したい。

次に、10月17日付けNHK時論公論「松橋事件 再審は誰のために」を紹介しょう。
http://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/100/307488.html
・『30年以上前の殺人事件で、先週、最高裁判所は、再審・裁判のやり直しを認める決定を出しました。「松橋事件」と言われ、犯人とされた男性は今後、この事件で無罪が言い渡される公算が大きいとみられます。 事件は、今の日本の再審制度が抱える問題点をいくつも含んでいます。この事件と制度の課題を考えます。
【ポイント】●今回は、「新しい証拠」が裁判の後になって出てきました。 ●そして再審請求が最高裁まで争われたことは適切だったのか。 ●最後に、再審は誰のためにあるのか、その理念についてです。
【松橋事件とは】昭和60年に、当時の熊本県松橋町、今の宇城市の住宅で、59歳の男性が刃物で刺されて殺害されているのが見つかりました。将棋仲間だった宮田浩喜さんが殺人などの疑いで逮捕されます。 捜査段階で、いったん犯行を認める「自白」をした宮田さんですが、一審の途中から「うその自白をさせられた」と無罪を主張しました。 昭和61年。熊本地裁は懲役13年を言い渡しました。2年後に福岡高裁も同じ判決。さらにその2年後の平成2年に最高裁で確定しました。
【再審の決め手は】この事件で、犯人であることを明確に示す証拠は「自白」だけでした。捜査段階の供述の概要は「シャツの左袖から布を切り取り、小刀の根本に巻き付けて男性を刺した。刃物はよく洗い、布は焼いた」などとする内容です。実際、凶器とされた刃物から血液は検出されず、布もありませんでした。 ところが判決確定後、再審の準備をしようとした弁護団が、検察庁に5枚の布が保管されていたことを知ります。 この布は組み合わせると、1枚のシャツに復元されました。「燃やした」はずの左袖も見つかりました。さらに、左袖の布には血液がついていなかったことも分かりました。これらは「自白」と明らかに矛盾します。 もう一度年表に戻ります。弁護団によるとこの証拠が明らかになったのは平成9年。有罪確定の7年後でした。裁判をしている間、検察はこの証拠があることを、明らかにしませんでした。 平成11年、宮田さんは仮出所します。弁護団は平成24年に再審請求。その後、裁判所の勧告を受けて、さらにおよそ90点の証拠が開示されます。 結局この布や遺体の傷に関する専門家の鑑定などが決め手となって、熊本地裁は再審開始を決定、福岡高裁も再審を認めました。 捜査機関は自分に不利な証拠を、裁判には出さず抱え込んでいたことになります。弁護団から「ずさんな捜査の上、裁判で証拠を隠していた」と批判の声が上がるのも、当然でしょう』、捜査機関が自分に不利な証拠を裁判には出さず抱え込んでいた、とは驚くべき不誠実さだ。
『・【証拠開示の制度は】この事件は、▽自白に依存した有罪判決が、+新たに開示された証拠で重要な事実が明らかになり、+これまでの判断が覆されるという典型的なケースです。過去にも同じような経緯をたどった再審事件がありました。しかしなぜ、繰り返されるのでしょう。 課題の1つに、証拠の取り扱いがあります。裁判員制度の導入などをきっかけとして、裁判の前に、検察がすべての証拠をリストにして弁護側に示すという制度が導入されました。 しかし、再審請求は、この対象になっていません。証拠をどこまで出すよう求めるかは、裁判官に裁量がゆだねられています。 専門家からは、再審請求についても、証拠開示を制度化するよう求める意見が上がっています。今回をきっかけに、制度の検討にむけた議論を始めるべきではないでしょうか』、証拠開示制度で再審請求が対象外になった理由は何なのだろうか。当然、対象に含めないと同様のことが繰り返されるだけだ。
・『【特別抗告は必要だったのか】宮田さんは現在85歳。認知症が進行し、弁護団によると体も弱って一人では歩くこともできないといいます。 検察は、地裁の決定を不服として抗告し、去年の福岡高裁の決定に対しても、最高裁に特別抗告していました。特別抗告が認められるのは、憲法違反や最高裁判例と異なる判断があった場合などに限定され、実際にその判断が覆ることは、まれです。それでも検察は争い続けました。 この間も宮田さんの体調は悪化します。父親のために再審請求をしていた長男も去年、病気で亡くなりました。 最高裁では判断が出るまで数年かかるケースも珍しくありません。ところが今回、最高裁はわずか11か月で検察の特別抗告を退けました。さらに最高裁は今回「職権判断」をつけることも一切なく、文字通り検察を「門前払い」しました。これは最高裁が、今回の特別抗告に対する冷ややかな意思を示したとも感じられます。検察は最高裁の決定を重く受け止めるべきでしょう』、検察が面子だけで特別抗告した責任を問うべきなのではなかろうか。
・『すでに自白の核心部分が新証拠で大きく崩れたうえ、地裁と高裁で2度も再審が認められたのに、有罪だと主張し続け最高裁まで争う必要性はあったのか。本人の年齢や健康状態も考慮できたのではないでしょうか。 最高裁には今、「大崎事件」という別の再審請求事件もあります。こちらも地裁と高裁が再審開始を認めたのに対し、検察が最高裁に特別抗告をしています。請求人は91歳です。検察がすでに出されている再審開始決定の取り消しを最高裁まで求めることの妥当性は、今後も議論になるでしょう』、NHK流の言い方だが、特別抗告で恥の上塗りをするだけだ。
・『【再審は誰のために】再審制度は、戦前もありました。では、日本で最初の再審無罪とはどんな事件でしょうか。はっきりとした記録を見つけることはできませんでしたが、戦後、最高検検事や広島高検検事長などを務めた岡本梅次郎氏は、東京控訴院検事時代に自ら担当した昭和9年の新潟の放火事件が、「初の再審無罪だ」とする回想を残しています。 この事件の最大の特徴は、検察が再捜査して、昭和13年に自ら再審手続きをとったことです。岡本氏は当時の捜査がずさんだったと認めたうえで「記録を調べ、再捜査を行った結果、犯行を認める供述をした別の男が真犯人で、服役した男性は無罪だったと判断し、この男性を促し自らも再審手続きをした」などと回想しています・・・当時の新聞記事にも「検事局が進んで再審手続きを行った」と書かれています。 しかも回想によれば、上司だった検事長や次席検事も報告を聞いて何度も激励し、再審無罪となったことを「よくやった」とねぎらったということです。 当時は司法制度が今とは大きく異なるうえ、事実が判明した経緯も全く違うため、直接比較することはできません。 ただ、回想から伝わってくるのは、事実に対する謙虚さです。自らのメンツのため、ただやみくもに争うのではなく、裁判の誤りを正し、無実の人を救うという再審制度の理念を、岡本梅次郎氏やその上司が、理解していたことがうかがえます。 法律は再審請求を、有罪が確定した人の「利益」のためにあると記しています。 最高検察庁は今回「決定を厳粛に受け止め、再審公判において適切に対処したい」とするコメントを出しました。 今後は、改めてこの事件の裁判が行われます。無罪の公算がすでに大きいことから、裁判所は1日も早く裁判を行って、宮田さんの名誉を回復すべきだと思います』、戦前の検事局は立派だ。本来はその血を引いている筈の検察庁も、見習うべきだろう。

第三に、ジャーナリストの岩瀬 達哉氏が10月29日付け現代ビジネスに寄稿した「岡口基一裁判官、独占インタビュー「言論の自由を封殺した最高裁へ」 そして、驚くべき司法の内情について」を紹介しよう。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/58177
・『ツイッター上での活発な発言で有名な岡口基一・東京高等裁判所判事。最高裁判所は今月、その岡口氏に対して、ツイッター上での発言を理由に「戒告」の処分を下した。だが岡口氏は、この決定が極めて多くの問題を含んでいるとしている。今回の決定の危うさ、そして、現在の司法の知られざる内情について、「週刊現代」誌上で本人が語った。 今回の処分によって、一時的であれ、私の言論が封殺されただけでなく、明らかに裁判官の表現の自由は制限されました。 これまでは、すでに確定した判例について個人情報を完全に秘匿した状態のもの、いわば「事例」化された判例については、ネット上で自由に議論がされてきました。しかし今回の分限決定で、事実上、裁判官がネット上でこういう議論に参加することができなくなったことは明らかです。 しかし少なくとも、私が成功したことは、最高裁が、いかにいいかげんな判断をしているかってことを世に知らしめたことです。 一般の方は、最高裁は正しい手続きを踏んで正しい決定をしていると信じている。しかしそうではなかった。あり得ない事実認定しかできない裁判官、そして手続保障を全く理解していない裁判官が、こんな適当な決定をしていたわけです。 そもそも処分というのは、基本的には故意に悪いことをしたときにするものです。しかし今回は、故意による行為でもない。最高裁の歴史に残る恥ずかしい決定になるでしょう。ちなみに、テレビを買えばNHKの受信料を支払わなければならないとした最高裁判決は、今回の処分を下したのと同じ最高裁長官と最高裁判事たちによるものです。』、驚くべき最高裁の暴挙だ。
・『愕然とする決定  最高裁大法廷・・・は、10月17日、東京高裁の岡口基一判事への「戒告」処分を決定した。 「ブリーフ裁判官」として知られる岡口判事は、白ブリーフ姿の自撮り写真をツイッターのカバーページに掲げ、法律問題から時事問題、さらには性の話題まで多岐にわたってツイートしてきた。 処分の対象となったのは、今年5月、犬の返還訴訟について報じた新聞記事のURLを添付し、こうツイートしたことだった。〈公園に放置されていた犬を保護し育てていたら、3か月くらい経って、もとの飼い主が名乗り出てきて、『返してください』『え? あなた? この犬を捨てたんでしょう? 3か月も放置しておきながら…』『裁判の結果は……』〉 このツイートによって、「もとの飼い主」は感情を傷付けられたと、東京高裁に抗議。同高裁の林道晴長官は、岡口判事にツイートをやめるよう強要したものの、応じなかったため、最高裁に懲戒を申し立てていたものだ。 最高裁大法廷は、岡口判事のツイートは、裁判所法49条で定める「品位を辱める行状」にあたるとして、14名の最高裁判事の全員一致意見として、戒告を言い渡したのである。 正直、最高裁の決定には愕然としました。 最高裁の判断を整理すると、次のようになります。このツイートを一般人が読めば、私が「もとの飼い主」が訴訟を起こしたこと自体を非難していると受け止める。裁判官が、訴訟を起こしたこと自体を非難していると一般人に受け止められるようなツイートをすることは、裁判官の「品位を辱める」行為である。だから処分するというものです。 しかしこの事実認定は、いくらなんでも無理がある。私のツイートから、犬を捨てたことを非難してると思う人はいるかもしれません。しかし、訴訟を起こしたこと自体を私が非難していると受け止める人など、いないですし、いたとしてもそれが「一般的」とはとても言えません。 すでに多くの法曹実務家や学者が、この点について、ありえない事実認定であると指摘しています。 しかも、東京高裁が提出した「懲戒申立書」は、私が「もとの飼い主を傷つけるツイートをしたこと」を懲戒理由として設定していました。それなのに、決定の結論は、そうではなく、「裁判を起こしたこと自体を非難していると一般人に受けとめられるようなツイートしたこと」を戒告理由としているのです。 つまり、当初はもとの飼い主の話として申し立てられたものであるのに、最終的には、一般人に誤解を招くツイートをした点が問題であると、話が変わっているのです。 戒告処分は不利益処分ですから、処分される側に弁明の機会を保障し、十分に防御ができるように、いかなる行為について懲戒を申し立てるのかを、「申立て理由」書に正確に書いておかなければならない。 でないと、十分な弁明や防御ができず、裁判の公正な手続きが実践できないからです。しかし、結果はいま申し上げた通り。「申立ての理由」と最終的な決定にズレが出ている。こんな不意打ちを、最高裁がやるとは夢にも思っていませんでした。 しかも、分限裁判は、当局が訴えて当局が裁くという、もともと不公平な裁判です。そのため、当局が勝手なことをできないように、かつて「寺西判事補事件」を審理した最高裁大法廷判決は、補足意見において「手続きは公開の場で行われるべき」と指摘しているのです。 この補足意見を根拠に、司法クラブに所属する新聞社、テレビ局の全社が、事前に傍聴の要請をしていたにもかかわらず、当局はそれを拒否。非公開の場で行なったうえ、こちらが、いろんな釈明をしたにもかかわらず、それにも一切答えず、わずか1回の審理で終結してしまったのです』、最高裁の姿勢は全く不可解だ。非公開の場でこそこそと処理したのは、恥部を覆い隠そうとしたためなのだろう。
・『素人のエッセイのような…  処分後、岡口判事は、司法記者クラブで会見し、確たる証拠のないまま最高裁がいい加減な認定をしたことや、公正な裁判手続きを保障しなかったことなどを理由に、処分の不当性を訴えた。 適正手続きは、裁判の命である。裁かれた者が、たとえ主張が入れられなかったにしろ、公正な審理を受けたと納得できる裁判を、なにゆえ最高裁は行わなかったのか。 大法廷決定の理不尽さとともに、最高裁を頂点とした裁判所の病理について、岡口判事が続ける。 しかしそれ以上に驚かされたのは、3人の最高裁判事が共同執筆した「補足意見」です。あの意見は、ヒステリックに私を非難するものであって、品格があるはずの最高裁の補足意見とはとても思えない。素人の、エッセイのようなものです。 補足意見は、元通産官僚で内閣法制局長官を務めた山本庸幸(つねゆき)、元外務官僚で英国大使を務めた林景一、弁護士出身の宮崎裕子の3判事が執筆。彼らはとりわけ、岡口判事の「2度目の厳重注意」を問題視していて、こう述べた。〈私たちは、これは本件ツイートよりも悪質であって、裁判官として全くもって不適切であり、裁判所に対する国民の信頼をいたく傷つける行為であるとして、それ自体で懲戒に値するものではなかったかとも考えるものである〉〈本件ツイートは、いわば『the last straw』(ラクダの背に限度いっぱいの荷が載せられているときは、麦わら一本積み増しても、重みに耐えかねて背中は折れてしまうという話から、限度を超えさせるものの例え)ともいうべきものであろう〉 要するにこの補足意見は、本件ツイートは「麦わら一本」程度のものでしかなく、実際には過去のツイートで処分したんだと、自白しちゃってる。 そうであれば、最初から、「懲戒申立書」に、過去のツイートが主な対象である旨を明記しておく必要があります。何を対象として申し立てられているのかがわからないままでは、反論の機会が与えられたとは到底いえず、裁判の公正な手続きが実践できないからです。この意見は、気に入らない奴を裁くのに、公正な手続きなど必要ないんだと言っているのも同然でしょう。 裁判での審理というのは、感情をぶつける場じゃない。冷静に、事実認定と法的判断を普通にやる場です。そういう場に、裁判の手続保障について、この程度の理解しかない人たちを入れるのは、よくないんじゃないですかね』、補足意見は確かに驚くべき内容だ。
・『憲法上の問題があった  補足意見が問題にした岡口判事のツイートは、昨年12月、最高裁のウェブサイトに掲載された性犯罪事件の判決文を紹介したもの(ただし個人情報は秘匿されている)。岡口判事は判決文のURLを、ツイッターの画面に添付したうえで、こうつぶやいていた。〈首を絞められて苦しむ女性の姿に性的興奮を覚える性癖を持った男 そんな男に、無残にも殺されてしまった17歳の女性〉 補足意見の裁判官らは、遺族の方が私のつぶやいた文言に傷ついたとしています。しかし被害者の女性の遺族は、もともと判決文を裁判所が公開したことに抗議していた。判決文を公開したのは、私ではなく最高裁です。 それがいつの間にか、私のツイートの文言で傷ついたに変わり、それに基づいて私の厳重注意処分がなされました。しかしそれが終わると、再び、判決文を裁判所のウェブサイトに載せられたことに傷ついたという主張に戻っている。この事実は、私のブログのコメント欄に遺族の方が自ら投稿しています。そして毎日新聞の報道によれば、更に考えを変えて、私のおちゃらけたツイッターで紹介されたことで傷ついたと、4回も「傷ついた理由」を変えているんです。これって、どういうことなのでしょうか』、女性の遺族の抗議まで「改竄」するとは、悪質極まりない。
・『また今回は、表現の自由や裁判官の独立などの憲法上の問題があったのですが、それについて最高裁が全く判断しなかった――つまり、「憲法判断」がなかったことも指摘しておく必要があります。 実は、現在、最高裁には憲法学者が一人もいないのです。そのためか、金沢市役所前広場事件という表現の自由が大きな問題になった事件で、最高裁は、憲法判断をしないどころか、判決の理由を明確に論じない、いわゆる「三行半判決」で終わらせました。そういう流れがあるということも押さえておかなければなりません』、「最高裁には憲法学者が一人もいない」というのには驚かされた。確かに憲法学者の殆どが安保法制に違憲論を唱えるなど、安倍政権にとっては、「目の上のタンコブ」なのかも知れないが、「一人もいない」というのは憲法軽視そのものだ。
・『自由な議論が抑制されてしまう  岡口判事のツイッターは2008年から始められ、一日20回程度のツイートを行ってきた。フォロワーは常時、約4万人を数えていたが、東京高裁長官が分限裁判を申し立てるや、研究者用に発信している別のブログが一挙に50万アクセスを突破。その途端、理由不明のまま、ツイッターのアカウントは凍結されてしまった。いまは、アクセス不能の状態にある。 私のツイッターアカウントの読者のほとんどは、法曹関係者や法学部の学生など、法律に関係している方々です。 今回、私が処分される原因になった犬の飼い主に関するツイートにしても、犬の所有権がどちらの側にあるかって結構、面白い事件なので、ロースクール生とか法学部の学生に考えてほしくて載せただけ。元の飼い主を非難する考えなど毛頭もない。 確定した裁判例について、個人情報を完全に隠して、いわば「事例」化したものについて、自由に論じるというのは、たとえ、それによって、当該事件の当事者が傷つくことがあっても、それは許されるというのが、これまで長い間続いてきたルールです。日本の法律学を発展させるためには、実際の事件を題材として議論するのが一番だからです。 そして、こういう議論には、専門家である裁判官も当然に関与することができ、これまでも関与してきました。私も今回このルールにしたがっただけです。 ネット社会では、ネット上で、その議論がされるわけで、今回の犬の裁判についても、法律家や学者がネット上で議論をしています。例えば、明治大学の教授は、今回の犬の裁判について、ネット上で評釈しており、その内容は「もとの飼い主」を傷つける内容ですが、これは完全に許されている行為なのです。 こういう議論は、当事者を傷つけないように、国民の目に触れないとこでこっそりやるようにしましょうという動きになる方が、むしろ危険です。情報公開・国民の知る権利は、国民主権・民主主義の基本であって、国民が自由に議論をすることは何よりも保護されるべきものだからです。情報の隠蔽はそこに新たな権力を生むだけです。 凍結されているツイッターについて言えば、ツイッター社が、いかにおかしなことをするかを示すため、そのまま放置し、別アカウントを作る気はありません。だから、いまはフェイスブックを中心に発信しているんです』、ツイッター社も最高裁や東京高裁から凍結を要請されたら、驚いて従ってしまったのだろう。「情報の隠蔽はそこに新たな権力を生むだけです」とはその通りだ。
・『裁判所の権威を守るための「秘密のベール」  裁判官がSNSに投稿したことで戒告処分を受けるのは、今回がはじめて。過去の戒告は、破廉恥行為や怠慢行為などに下されている。以下は、最近のおもな事例だ。
 +2001年10月、痴漢行為によって神戸地裁元所長が戒告。のちに依願退官。
 +2013年10月、福岡地裁判事が、女性の司法修習生へのセクハラ行為で戒告。のちに依願退官。 +2018年6月、岐阜地裁判事が、判決文を完成させないまま判決を言い渡していたとして戒告。のちに依願退官。
 裁判所には、ブログはやるなという基本方針があるんです。以前、ドイツに留学していた女性裁判官がブログをやっていたのを当局が聞きつけた途端、閉鎖になってしまった。また、家庭裁判所の調査官でブログをやっていた人がいたのですが、次席調査官室に呼びつけられ、ネチネチやられて、結局やめちゃった。 裁判所がなぜ、裁判官のブログを嫌がるかというと、どんな人が、どんなことをしているか知られたくないからでしょう。秘密のベールに包んでおけば、権威は高まりますから。 実際、20代で裁判官になっても、一人前になるには時間がかかりますから。彼らの実力を知られたら困るわけです。 司法試験って、基本法しかやらない。ところが裁判の現場では、いろんな法律があって、住民訴訟なんて、地方自治法を一度も読んだことないのに、いきなりやらされたりする。そういう職場環境のもとで、よくわからないまま難しい事件を次々担当させられるので、みんな自信を持てないでいるんです。 じゃ、勉強すればいいじゃないかとなりますが、勉強する時間もない。仕事が一杯一杯で、土日も判決書いてますから。 裁判官の仕事って、社会的なことを知らなくてはいけないし、法律も知らなくてはいけない。しかも法律はどんどん変わる。だから全部のことがわかって、自信をもって判決書けるという人は非常に少ない。たいていは、「判例秘書」という判例検索ソフトで、過去の似たような事件の判決を探しだしては、ああ参考例があってよかった、これを真似すれば判決が書けると言って、コピペしたりしている』、裁判官の実態がそんな程度であれば、確かに「秘密のベールに包んで」おこうとする態度も理解できなくもない。
・『他方で、スーパーエリートであった某裁判官が、自信を持って、信念に基づいて国を負けさせ続けたところ、みごとに左遷されてしまいました。東京に戻ることもかなわずに今年の5月に名古屋で定年となりました。するとみんな、国を負けさせるとヤバいんだなとわかる。見せしめをひとりつくれば、下手に締め付けなくても、裁判官を自発的に隷従させることができる。そんな組織になってしまっている。 さすがに私も、裁判所という世界に若干、嫌気がさしてるのですが、処分を受けたことで逆に辞められなくなってしまった。法曹界のいろんな方々から、辞めないで発言を続けるようにといった励ましのメールがどんどん届いているうえ、職場でも冷たくされるどころか、もっと頑張ってみんなの弾除けになって下さいって言われるものですから』、「もっと頑張ってみんなの弾除けになって下さい」には微笑んでしまった。
・『「プロ」の裁判官が減ってきた  裁判官って、弱いんですよ。ひとりひとりは、ただのサラリーマンですから。 とりわけ司法制度改革のあとは司法試験の合格者が急増していて、この20年間で弁護士人口は2倍強に増えた。弁護士が余っていて、裁判官を辞めても弁護士に転身できないんです。 だから当局に睨まれることなく、賢くやっていきたいという自信のないヒラメ裁判官が増えることになる。多少の不利益を受けてもいいから、本を書いて、ほかの裁判官の役に立とうという奇特な人はいなくなりました。今では、本を書くと裁判官としての成績評価に響くといった「都市伝説」があるくらいです。 どこの世界も、プロがいなくなってきたと言われていますが、ウチも同じ』、司法制度改革は弁護士に影響しただけと思っていたら、裁判官にまで間接的に影響していたとは・・・。
・『基本的な司法の役割すらわかっていない裁判官がいます。なぜ、わからないかといえば、誰も教えないからです。それにワーク・ライフ・バランスで、週に何回かは早く帰らなくちゃならない。そうなると職場の飲み会もなくなる。先輩が後輩に教えるシステムが断絶してるんですね。 だからというわけではないのですが、これからはツイッターに替えて、フェイスブックで若い裁判官などに、司法の本質論を伝えていきたいと思っています。 三権分立のなかで、立法と行政は多数決原理ですから、必然的に少数者は追いやられる。その少数者の権利を誰が守るのかといったら、司法しかありません。 ヘイトスピーチとか、LGBTの話とか差別されている人たちがいて、この人たちの権利を守るのは、われわれの守備範囲なんですよと。そちらに目を向けてもらえるよう情報発信を続けていくつもりです。 二度目の戒告を受けることになるかもしれませんが、そういうことは気にしないでやっていくつもりです。私はなによりも自分自身の表現の自由を守りたいからです。自分の表現の自由すら守れない裁判官が、他人の表現の自由を守れるはずがありません』、東京高裁にこんな骨のある岡口判事のような立派な人物がいたとは、かすかな光明だ。今後の活躍を期待したい。
タグ:最高裁判所 郷原信郎 現代ビジネス 最高裁大法廷 司法制度改革 同氏のブログ NHK時論公論 司法の歪み (その11)(業務上過失致死傷罪への”組織罰”導入で問われる山下新法相の真価、松橋事件 再審は誰のために、岡口基一裁判官 独占インタビュー「言論の自由を封殺した最高裁へ」 そして 驚くべき司法の内情について) 「業務上過失致死傷罪への”組織罰”導入で問われる山下新法相の真価」 山下貴司法務大臣 「組織罰を実現する会」のメンバーと面談 検察、法務省の豊富な実務経験を有する初めての法務大臣 業務上過失致死傷罪への両罰規定の導入という刑事司法にとって重要な問題に関して、重大事故の遺族の声に耳を傾けてくれたことで、就任早々の面談が実現 組織罰実現をめざす重大事故遺族の活動 桐蔭横浜大学法科大学院 コンプライアンス研究センター JR西日本福知山線脱線事故 イギリスの「法人故殺罪」のように、法人企業の事業活動において人を死傷させる事故が発生した場合に、その「法人組織の行為」について「法人自体の責任」を追及する制度 日本の刑事司法は、従来から、犯罪行為を行った自然人個人の処罰が中心で、法人に対する処罰は付随的なものだ 現実的な立法としての「業務上過失致死傷罪への両罰規定の導入 「両罰規定」を、法人の事業活動に伴って発生する業務上過失致死傷罪に導入する特別法の立法の提案 両罰規定というのは、法人または人の業務に関して「犯罪行為」が行われたときに、その行為者を処罰するのに加えて、法人に対しても罰金刑を科す規定 業務上過失致死傷罪に両罰規定を導入すれば、法人の役職員個人について業務上過失致死傷罪が成立する場合に、法人の刑事責任を問うことができる 「両罰規定」の活用であれば、立法上の問題ははるかに少ない 刑法の改正は、法制審議会での議論等が必要 「両罰規定」を導入する特別法を創設するのであれば、法制審議会の正式な手続は必ずしも必要とはならず、ハードルが低い 刑事公判が、「法人企業の安全コンプライアンス」を評価する場に 両罰規定では、「行為者に対する選任監督上の過失」が、法人の責任の根拠とされてきた。その立証責任は、処罰を免れようとする法人側が負うこととされ、法人側が「選任監督上の過失がなかったこと」を主張立証しない限り、罰金刑を免れることはできない 重大事故遺族の心情の理解を 過去の重大事故で「両罰規定による法人処罰」は可能か 日本の法人処罰のブレイクスルーとなるか 「松橋事件 再審は誰のために」 最高裁判所は、再審・裁判のやり直しを認める決定 捜査段階で、いったん犯行を認める「自白」をした宮田さんですが、一審の途中から「うその自白をさせられた」と無罪を主張 熊本地裁は懲役13年を言い渡しました。2年後に福岡高裁も同じ判決。さらにその2年後の平成2年に最高裁で確定 証拠は「自白」だけでした 検察庁に5枚の布が保管されていたことを知ります。 この布は組み合わせると、1枚のシャツに復元されました。「燃やした」はずの左袖も見つかりました。さらに、左袖の布には血液がついていなかったことも分かりました。これらは「自白」と明らかに矛盾します 裁判をしている間、検察はこの証拠があることを、明らかにしませんでした 弁護団から「ずさんな捜査の上、裁判で証拠を隠していた」と批判の声 裁判員制度の導入 裁判の前に、検察がすべての証拠をリストにして弁護側に示すという制度が導入 再審請求は、この対象になっていません 特別抗告は必要だったのか 最高裁は今回「職権判断」をつけることも一切なく、文字通り検察を「門前払い」 今回の特別抗告に対する冷ややかな意思を示した 大崎事件 別の再審請求事件もあります 再審は誰のために 昭和9年の新潟の放火事件 検察が再捜査して、昭和13年に自ら再審手続きをとったことです 法律は再審請求を、有罪が確定した人の「利益」のためにあると記しています 岩瀬 達哉 「岡口基一裁判官、独占インタビュー「言論の自由を封殺した最高裁へ」 そして、驚くべき司法の内情について」 岡口基一・東京高等裁判所判事 ツイッター上での発言を理由に「戒告」の処分 私の言論が封殺されただけでなく、明らかに裁判官の表現の自由は制限されました 今回の分限決定で、事実上、裁判官がネット上でこういう議論に参加することができなくなったことは明らかです 最高裁の歴史に残る恥ずかしい決定 ブリーフ裁判官 犬の返還訴訟 公園に放置されていた犬を保護し育てていたら、3か月くらい経って、もとの飼い主が名乗り出てきて、『返してください』『え? あなた? この犬を捨てたんでしょう? 3か月も放置しておきながら…』『裁判の結果は…… このツイートによって、「もとの飼い主」は感情を傷付けられたと、東京高裁に抗議。同高裁の林道晴長官は、岡口判事にツイートをやめるよう強要したものの、応じなかったため、最高裁に懲戒を申し立てていたものだ 裁判所法49条で定める「品位を辱める行状」にあたるとして、14名の最高裁判事の全員一致意見として、戒告を言い渡したのである 私のツイートから、犬を捨てたことを非難してると思う人はいるかもしれません。しかし、訴訟を起こしたこと自体を私が非難していると受け止める人など、いないですし、いたとしてもそれが「一般的」とはとても言えません 懲戒申立書 もとの飼い主を傷つけるツイートをしたこと」を懲戒理由 決定の結論 、「裁判を起こしたこと自体を非難していると一般人に受けとめられるようなツイートしたこと」を戒告理由 いかなる行為について懲戒を申し立てるのかを、「申立て理由」書に正確に書いておかなければならない 分限裁判は、当局が訴えて当局が裁くという、もともと不公平な裁判 寺西判事補事件 最高裁大法廷判決は、補足意見において「手続きは公開の場で行われるべき」と指摘 この補足意見を根拠に、司法クラブに所属する新聞社、テレビ局の全社が、事前に傍聴の要請をしていたにもかかわらず、当局はそれを拒否。非公開の場で行なったうえ わずか1回の審理で終結 3人の最高裁判事が共同執筆した「補足意見」 ヒステリックに私を非難するものであって、品格があるはずの最高裁の補足意見とはとても思えない。素人の、エッセイのようなものです 性犯罪事件の判決文を紹介 被害者の女性の遺族は、もともと判決文を裁判所が公開したことに抗議していた。判決文を公開したのは、私ではなく最高裁です それがいつの間にか、私のツイートの文言で傷ついたに変わり、それに基づいて私の厳重注意処分がなされました 表現の自由や裁判官の独立などの憲法上の問題があったのですが、それについて最高裁が全く判断しなかった 現在、最高裁には憲法学者が一人もいないのです 金沢市役所前広場事件という表現の自由が大きな問題になった事件で、最高裁は、憲法判断をしないどころか、判決の理由を明確に論じない、いわゆる「三行半判決」で終わらせました 自由な議論が抑制されてしまう ツイッターのアカウントは凍結 国民の目に触れないとこでこっそりやるようにしましょうという動きになる方が、むしろ危険 情報の隠蔽はそこに新たな権力を生むだけです いまはフェイスブックを中心に発信 裁判所の権威を守るための「秘密のベール」 裁判所には、ブログはやるなという基本方針があるんです 裁判所がなぜ、裁判官のブログを嫌がるかというと、どんな人が、どんなことをしているか知られたくないからでしょう。秘密のベールに包んでおけば、権威は高まりますから 20代で裁判官になっても、一人前になるには時間がかかりますから。彼らの実力を知られたら困るわけです 自信をもって判決書けるという人は非常に少ない たいていは、「判例秘書」という判例検索ソフトで、過去の似たような事件の判決を探しだしては、ああ参考例があってよかった、これを真似すれば判決が書けると言って、コピペしたりしている スーパーエリートであった某裁判官が、自信を持って、信念に基づいて国を負けさせ続けたところ、みごとに左遷されてしまいました プロ」の裁判官が減ってきた 弁護士が余っていて、裁判官を辞めても弁護士に転身できないんです 基本的な司法の役割すらわかっていない裁判官がいます 先輩が後輩に教えるシステムが断絶
nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感
前の10件 | -