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戦後70年談話(その2) [外交]

戦後70年談話については、このブログの5月28日で取上げたが、今日は、以前に首相訪米問題で取上げた在米の作家、冷泉彰彦氏が、5月30日付けの村上龍事務所のメールマガジンJMMで『from 911/USAレポート』第691回、「戦後70周年において『謝罪』は必要か?」の内容が、部分的には「考え過ぎでは」と思われるほど余りに深かったので、その2として取上げたい。そのポイントを列挙すれば概ね以下の通り。

・安倍首相が「戦後70周年談話」を出すにあたって、そこに「謝罪」を入れるかどうかが議論に
・日本国内では「謝罪」という言葉を入れることに明らかに反対する勢力があり、賛成する勢力もまた同じように非妥協的ですから、社会全体としての合意形成は難しいのが現状。単に左右対立の力比べをするだけでは議論は進まないので、議論を整理したい
・まず日本国内の世論としては、戦争や植民地支配とは関係のない世代の一部には、「自分の国が謝罪を強いられる」ことへの直感的な反発がある。自分たちには何ら責任がないにも関わらず「生まれながらにして悪い国の一員」と言われるのは、受け入れがたいという感情
・また、そもそも自分の非を認めて謝罪をするという行為、あるいは姿勢というのは「心の余裕」があって始めて可能となるもので、そのためには物心両面での安定が前提となるということも、相当な部分は真実
・一方で、戦後長い間は「先の大戦における日本の行動を全否定」するとともに「謝罪者として恭順姿勢を取る」ことが、日本人の「危険回避本能」に適合していた。しかし、戦争の記憶が遠ざかるに連れて「国家に依拠してその国家の名誉を確保する」方が「危険回避本能に適う」という感覚との拮抗が出てきた
・一方で、国際社会の観点から考えると、日本および日本人が、特にこの「戦後70周年」の年に「何らかの謝罪なり恭順姿勢」を「取らない」ということは、以下の理由から考えにくい

・まず、戦争が開始された際に大きな3つの問題がある
・①日本は第一次世界大戦における悲惨な総力戦の経験を経た国際社会が締結した「国際連盟規約」を批准したばかりか、この国際連盟においては原加盟国であり、また常任理事国の地位を獲得。アメリカは加盟に失敗したが、少なくとも欧州とアジアに関しては、第一次世界大戦後の平和の基本的な枠組みであった。しかし、日本は自らこの国際連盟を脱退して、平和維持の機構を崩壊に導いた
・②日独伊三国同盟に関しては、日本国内にも反対論があり、海軍の一部にはヒトラーの著書には日本人への侮蔑の表現があるとして、同盟に対して強硬に反対する部分もあった。また同盟への参加は、そのまま米英との対決を意味。にも関わらず国策として三国同盟に参加したのは日本の自主的な判断
・③参戦のタイミングの1941年12月という時点では、ナチスドイツはパリを陥落させて欧州を席巻し、更にソ連に攻め込んでもいた。戦争のスケールは完全に世界戦争のレベルに達していた。そのような地球規模の状況の中で、対米英参戦をするというのは、「この戦争が人類にとって二回目の世界大戦であることを理解した上で、その衝突をアジアと西太平洋・南太平洋に拡大するもの」であった

・戦争が終結した際の問題にも3点
・①日本の降伏(8月15日全軍無条件降伏、9月2日降伏文書調印)というタイミングは、ムッソリーニ政権が崩壊してイタリアが連合国に列した43年9月よりも、ナチスドイツが降伏した45年5月よりも更に後。大戦争の最終局面においては、日本はただ一カ国の「降伏していない敵国」として約3ヶ月間を空費したばかりか、この期間には「世界中を敵に回していた」
・②降伏に際して「国体護持」が実現。戦争を遂行した「国のかたち」が自分自身で降伏。またその「古い国のかたち」の一部であった終身雇用の官僚機構は温存され、憲法改正の手続きは旧憲法の規定に従って行われた。つまり、戦前戦後の「国のかたち」には連続性
・戦況の悪化する中で、例えば対米英戦に兵力を集中するために蒋介石と和平をするとか、あるいはソ連が参戦して満州国境を越えた時点で韓国に独立を与えて撤退するといった「先のことを考えた機転」が全く出来なかった。このために、韓国や中国に取っては、第二次大戦の終結がイコール自分たちの「独立の回復=光複」だという「国のかたちの出発点」が設定されてしまう事になった。つまり、近隣諸国に対して「自身の独立や平和を実現した際の敵」として永遠に日本が設定。日本の敗戦プロセスにおける絶望的なミス

・その一方で、戦後の日本は官民挙げての努力により、正に70年の平和を実現、それによって国際社会における地位も名誉も回復。日本の現在の「国のかたち」には世界に向かって恥じることは全くない
・国連には未だに敵国条項があるが、国連としては「条項の無効化」は事実上実現しているという理解。再三にわたって日本は安保理の非常任理事国に選出されて、安保理の運営に貢献。こうした事実を持って、日本の「国のかたち」はほぼ完全に「浄化」された
・第二次世界大戦に関しての日本の行動に関しては、こうした「始まり方における3つの特異性」そして「終わり方における3つの特異性」があるために、例えば今年のような「周年行事」に際しては、どうしても日本の言動には注目が集まってしまう
・一方で、日本の戦前戦後の「国のかたち」に連続性があるということは、仮にその「国のかたち」が浄化されたと自他共に認められるにしても、日本は「最後の世界大戦の敗戦国」として、「永遠の敗戦国」というステイタスにあるということは、「実質的な意味はなくても、象徴的な意味として」これからの国際社会でもほぼ不変のものとして続いていく
・それは日本という国の宿命であり、ドイツ降伏後も孤独な戦いを続け、自身がクーデターも亡命政権の正当化もせずに、「護持されてしまった国体」を主体として降伏し、占領と間接支配という時期を経て再独立する中で、その「国体の連続性」を維持してしまったということは、そのような宿命を受け入れる覚悟あってのことと思う
・その覚悟というのが、終戦の詔勅にある「耐ヘ難キヲ堪ヘ、忍ビ難キヲ忍ブ」という姿勢、また「大道ヲ誤リ、信義ヲ世界ニ失フガ如キハ、朕モツトモコレヲ戒ム」という価値観にあった。昭和天皇はその死に至るまでその価値観を体現、今上天皇は即位以来この価値観から微動だにしない姿勢を保っている
・勿論、現行憲法下の天皇は憲法の定めるところにより、民主主義の手続きを経て成立した内閣の助言下にあり、その内閣は世論の支持によって政治を遂行している。この価値観というのは文字通り、世論の多数の支持を象徴するものとして、戦後の「国のかたちの浄化」を反映したものと言える
・しかし、「そうではあっても、生まれながらにして敗戦国民であるという出生主義的な負のステイタス」は承服できないという、世代的な異議があり、またその異議を政治的な求心力に使おうという「発想」は政治の現実として無視は出来ない
・ここに大きな問題がある。国際社会における象徴的意味として「日本は永遠の敗戦国としての恭順国家」だという現実と、「それでも生まれながらにして敗戦国民というのは嫌だ」という国内の感情の問題をどう折り合いをつけるのか、それは難しい問題

・その難しさを更に難しくしている点が2つ。一つは、「恭順国家だから軽武装でいい」という姿勢が、例えばアメリカからは「安保タダ乗り論」として嫌悪される一方で、「心の奥には枢軸国の名誉回復を企図」していても、それは「人畜無害な範囲」だから、そうした「反米かもしれない親米保守」をパートナーにして集団的自衛権も認めさせたいというアメリカの「苦渋の判断」がある。今回は「謝罪」の問題がテーマなので、この集団的自衛権に関してはまた別の機会に譲る
・もう一つは、「生まれながらにして敗戦国民というのは嫌だ」という感情論に対して、この拙稿のような説明、つまり「恭順国家というのは象徴的な意味であり、日本の国体が浄化されているのは自他共に明白」というような説明は少ない。つまり「生まれながらの敗戦国民」ということを否定するロジックとしては、そこで大きな飛躍をして「枢軸国として戦ったことの名誉を回復したい」という政治的な姿勢に飛びついてしまう、そのような傾向が顕著

・これは大変な問題であり、まず国連憲章の精神に真っ向から挑戦するもので、近隣諸国の、特に中国とロシアが「勝手に戦勝国の正当性を横取り」するという詐術に対して援護射撃をしているような効果が現実のものとなってしまっている
・中国や韓国が「謝罪」にこだわることには2つの効果。一つは、現在の日本が「謝罪する」場合は、「現在の日本が悪しき国家」だということを確認して、倫理的な優位性を国民に訴える事ができる。その一方で、「謝罪しない」という場合は、それこそ「悪いのに謝らない」ということで、これまた自国の倫理的な優位性を政治的求心力に変えるような手品のタネになってしまう
・それもこれも、現在の日本の「国のかたち」が枢軸国と一貫しており不変だという理解が前提。更に、中国も韓国も「日本の敗戦」が国の原点だという史観を採用してしまっていることが、この問題に拍車

・問題が深刻化した中で、具体的にはどうしたらいいのか。一つは「70周年談話」には「謝罪」の意味合いは必要。ただし、過去の村山談話や、昭和天皇、今上天皇の「お言葉」がそうであったように、現在の日本の「国のかたち」が何か「悪なるもの」を継承しているとか、「物的な戦後補償を永遠に続ける」といったものではない。あくまで象徴的な意味で「最後の世界大戦における永遠の敗戦国」という「役割」を理解しているし、そのような戦後の国際秩序において「信義ヲ世界ニ失フ」ことはしないという理念的な意味合いであり、それ以上でも以下でもないということを明確にすること
・もっと言えば、戦前戦後の「国体=国のかたち」が連続性を持っている一方で、戦後の努力として「国体が浄化された」日本としては、「現在から過去を否定する視線」と「それでもコミュニティや文化圏として過去とのつながりを持った視線」が交錯することになる。つまり「今の日本を肯定することは、過去を否定することである」と同時に「今につづく歴史の流れの連続性を確認するのであれば象徴的な謝罪の姿勢は自然と出てくる」
・それでも「生まれながらにしてそんな面倒な国に生まれたこと」は承服しがたいという世代的な問題は残る。そこは教育の問題であり、国のかたちの「根幹」の部分であるわけだから、狭義の教育だけでなく、世論における広範な議論などを通じて継承して行くべき
・もう一つは、例えば靖国神社参拝の問題や、歴史認識の問題で「枢軸国の名誉を回復し、戦後の国際社会の前提を否定する」というような印象を、国際世論に与えているのであれば、その誤解を解く努力をする。「人畜無害だとナメられているかもしれないが、例えばアメリカなどからは許されている」から「いいじゃないか」というような「甘え」の姿勢では、やはり中国や韓国だけでなく、例えば欧州諸国や豪州などからも場合によっては外交カードとして切られてしまう「隙を見せる」事になる。日本の国益にとってマイナスは測り知れない
・例えば第二次大戦における枢軸国としての振る舞いに関して否定的な意見のことを「自虐」だという言い方、「反日」だという言い方は非常に危険。戦後の官民挙げての努力で国体が浄化された以上、その平和国家日本の観点からは、枢軸国としての振る舞いに関しては否定的であるのが「現在の国のかたち」に適っているのであって、そうした言動のことを「自虐」だとか「反日」だというのは、正に「枢軸国の国体から変化していない」という誤解、そしてそれ故の「侮り」を受ける「スキ」となる
・歴史認識の問題に関して「未来志向」という言葉がある。これは、日本の漠然とした感覚、つまり「いつまでも過去の謝罪を強いられては、相手への悪感情ばかりが充満するので、過去の歴史問題ではなく、未来の協調関係に関して語りたい」というホンネをそのまま口にしたもの
・これを言うことと同時に「過去を謝罪することへの疲れ」から「枢軸国の名誉を回復すれば、謝罪者をイヤイヤ演ずることから逃れられる」というもう一つのホンネが合わさってしまうと、もうこれは「謝罪や恭順から逃げたい」という消極姿勢、加えて「謝罪強要には応じない」という拒否の姿勢になってしまう
・そんな構図になれば、関係悪化の回路は更に高速でグルグル回ることになるわけで、もうこの「未来志向」という言い方は事態を改善する効果はなくなっている
・効果のない「未来志向」という文言にこだわらずに、戦後の「浄化された国体」になってからの一連の「謝罪」を継承することが必要
・その意味としては「国体を連続的に継承したことから来る象徴的な恭順国家論」という「かたち」の確認、と「明らかに浄化された国体から見て枢軸国の時代は否定の対象となる」という価値観の確認という意味。間違っても、現在の日本が悪しき存在であり、したがって謝罪をするべき存在という意味ではない

開戦時と終戦時の問題、特に国体護持のもつ意味を改めて教えられるところが多かった。本当は「ネット右翼」にこそ読ませたい稀に見る好論文だと思う。
タグ:謝罪 反日 日独伊三国同盟 自虐 未来志向 心の余裕 靖国神社参拝 冷泉彰彦 終戦の詔勅 ホンネ 非常に危険 戦後70年談話 メールマガジンJMM 『from 911/USAレポート』第691回 戦後70周年において『謝罪』は必要か?」 社会全体としての合意形成は難しい 日本国内の世論 「自分の国が謝罪を強いられる」ことへの直感的な反発 生まれながらにして悪い国の一員 物心両面での安定が前提 先の大戦における日本の行動を全否定 謝罪者として恭順姿勢を取る 危険回避本能 国家に依拠してその国家の名誉を確保 国際社会の観点 何らかの謝罪なり恭順姿勢 戦争が開始された際に大きな3つの問題 国際連盟を脱退して、平和維持の機構を崩壊に導いた 国策として三国同盟に参加したのは日本の自主的な判断 参戦のタイミング 地球規模の状況の中で、対米英参戦 戦争が終結した際の問題にも3点 日本はただ一カ国の「降伏していない敵国」として約3ヶ月間を空費 「国体護持 戦争を遂行した「国のかたち」が自分自身で降伏 「先のことを考えた機転」が全く出来なかった 韓国や中国 第二次大戦の終結がイコール自分たちの「独立の回復=光複」 自身の独立や平和を実現した際の敵 敗戦プロセスにおける絶望的なミス 70年の平和を実現 国際社会における地位も名誉も回復 周年行事 日本の言動には注目 永遠の敗戦国 国際社会でもほぼ不変のものとして続いていく 日本という国の宿命 耐ヘ難キヲ堪ヘ、忍ビ難キヲ忍ブ 大道ヲ誤リ、信義ヲ世界ニ失フガ如キハ、朕モツトモコレヲ戒ム 戦後の「国のかたちの浄化」 生まれながらにして敗戦国民であるという出生主義的な負のステイタス 世代的な異議 異議を政治的な求心力に使おうという「発想」 日本は永遠の敗戦国としての恭順国家 それでも生まれながらにして敗戦国民というのは嫌だ どう折り合いをつけるのか、それは難しい問題 恭順国家だから軽武装でいい 安保タダ乗り論 心の奥には枢軸国の名誉回復を企図 人畜無害な範囲 反米かもしれない親米保守 アメリカの「苦渋の判断」 枢軸国として戦ったことの名誉を回復したい 国連憲章の精神に真っ向から挑戦 中国や韓国が「謝罪」にこだわる 「謝罪する」場合は、「現在の日本が悪しき国家」だということを確認して、倫理的な優位性を国民に訴える事ができる 、「謝罪しない」という場合は、それこそ「悪いのに謝らない」ということで、これまた自国の倫理的な優位性を政治的求心力に変えるような手品のタネに 中国も韓国も「日本の敗戦」が国の原点だという史観を採用 「謝罪」の意味合いは必要 「国体が浄化された」日本 今の日本を肯定することは、過去を否定することである 今につづく歴史の流れの連続性を確認するのであれば象徴的な謝罪の姿勢は自然と出てくる 教育の問題 歴史認識の問題 枢軸国の名誉を回復し、戦後の国際社会の前提を否定する 隙を見せる 枢軸国の名誉を回復すれば、謝罪者をイヤイヤ演ずることから逃れられる 拒否の姿勢 関係悪化 効果のない「未来志向」という文言にこだわらずに
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