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教育(その1)「学校」にまつわる諸問題(柔道事故、組体操事故など) [社会]

教育については、安部政権の教育改革を昨年11月28日に、組み体操事故を10月21日に取上げた。今日はより幅広く 教育(その1)「学校」にまつわる諸問題(柔道事故、組体操事故など) である。

先ずは、1月4日付け東洋経済オンライン「学校ではなぜ「不合理」がまかり通るのか 「柔道事故」と「沖縄基地問題」の意外な共通点」を紹介したい(▽は小見出し)。
・組体操事故や二分の一成人式など、「教育」の陰で生じる「負の側面」に警鐘を鳴らす、教育社会学者・内田良氏(名古屋大学大学院准教授)と、安保法制から沖縄基地問題、PTAまで幅広く明快に斬り解く憲法学者・木村草太氏(首都大学東京准教授)。気鋭の2学者が、学校で生じるさまざまな「なにコレ?」について掘り下げる。
▽不合理なものが安易に導入されている
木村:内田さんは「学校リスク研究所」(ウェブサイト)というのをやっておられますね。柔道や組体操の事故といった学校内のいろんな分野について研究をされていますが、こうした研究をされるようになったきっかけは何だったのでしょうか。
内田:明確な理由はわからないんですが、子どものときからずっとそういうところに関心があったんです。(私が研究している)柔道や組体操の事故で怪我をしたのか、とよく聞かれるんですが、そういう経験はない。大学院時代の研究テーマは「虐待」だったんですが、虐待された経験があるわけでもない。  ただ、2000年代に起きた大阪教育大学付属池田小学校事件などで、「不審者」というリスクに注目が集まったとき、僕は「いや、もっと他の理由でも子どもが死んでいるんじゃないのかな」と思ったんです、直感で。そのくせ、私たちはそこに全く関心を持っていないのではないか。だとしたら、それこそ最大の危機じゃないか、と。それで「学校リスク」という全体像を調べ始めました。
木村:私が最初に内田先生の研究に興味をもったのは柔道事故の件だったんですけれども、これは他の事故とはだいぶ性質が違ったんでしょうか。
内田:そうなんです。過去30年の間に学校内での不審者(外部からの侵入者)による殺害事件は2件しか起きていなかったんですが、一方で柔道は同じ期間に100件以上の死亡事故が起きていた。なのに、誰にも騒がれていない。そういった、なかなか知られていないようなところを拾い出した、ということですね。
木村:柔道って危険だな、ということは、私も自分が中学や高校の授業で経験して直感的に思っていたんですけれども、内田先生の記事をいくつか読んで、これはやっぱり危険だな、よく調べてくれたな、と感じました。 特に2012年度に武道が必修化されたとき、とても気持ち悪かった。好意的に報じるメディアは、「武道は礼儀が身につく」とか言っていたんですが、あんな危険なことを一般の子どもたちにやらせるというのは、子どもの健康や身体というものを非常に軽視しているな、と感じたんです。 「学校の中では、目的に照らして必ずしも合理的でないものが、非常に安易に導入されるんだな」ということを、このとき思いましたね。  内田:その「合理的」というのを、もう少し詳しく言うと?
木村:それをやる目的に合っている、ということです。つまり「礼儀正しさを身に付ける」ことが目的であれば、武道なんかやらせなくたって、例えば囲碁や将棋で十分なわけですよ。
内田:そこにもっていく!(笑)(注:木村氏は将棋マニア))
▽「みんな一緒」の強制は、一部の人にダメージ大
木村:「武道の必修化」には、憲法学者として別の側面からも関心がありました。20年ほど前、高等専門学校に通うエホバの証人の学生が剣道の授業を拒否して体育の単位が取れず、退学させられたという事件(剣道実技拒否事件)があったんです。 学生の側が退学処分の取り消しを求めて訴えた裁判では、エホバの証人の生徒を公立の学校から排除するためにわざわざ剣道を必修化した可能性も否定できないと指摘されています。エホバの証人って「武器をもってはいけない」という決まりがあるので、特に剣道はダメなんですよね。 そんなふうに、学校で何かを導入するときというのは、「普通の人にとってはたいしたことじゃないんだけど、ごく一部の人に、非常に大きなダメージがいく」ということがあるわけです。学校っていうのは、まさに「一般性」があって、そこで採用されたことを全員に強要するものなので、そういう問題が起こりやすいんですね。
内田:ちなみに、木村さんはどういった経緯で、そういう問題に興味をもたれたんですか?
木村:私の場合、最初の研究テーマが「差別されない権利」というものだったんです。そのときは、非嫡出子とかアメリカの黒人差別などに関する研究をしていたんですけれども。 学校の中では、結構、差別ってあると思うんです。でも、わかりやすい差別ではない。むしろ問題が認知されないとか、軽視されるような類の差別が非常に多いんです。
内田:それはたとえば、どういう?
木村:人前で歌うのが極端に苦手な人や、運動に極端に自信がない人にとっては、合唱祭や体育祭は、学校を休もうかと真剣に悩むほど辛い行事だと思います。でも、「みんなやってるんだから」という論理で無視されてしまう。ごく一部の人にとっては、ものすごいダメージを与えているということが、視野に入ってこないというか。 差別には段階があると言われています。まず、みんながそこに差別があるということに気付いている段階。たとえばアメリカの黒人差別がそうです。黒人の人たちが社会的にどういう立場に置かれているか、みんな知っているんだけれども、蔑視感情や敵対感情から差別が生じるものです。 もうひとつが、そこで差別されている人がいること自体が視野に入ってこない、という段階です。たとえば沖縄の基地の問題。一部の人にだけ負担を押し付けているんだけれども、みんなそこに不正義や差別があるとは認識していません。そこに差別があるということ自体が隠蔽されてしまっているのだと思うのです。 学校のリスクにさらされている子どもたちというのは、実は後者のタイプの差別を受けているんじゃないかと思うわけです。「みんながやっている」ということで、ときには命の価値すら見落とされてしまう。 内田さんの研究はまさに、「そういった差別をしないで学校を見る」というものだと思うんです。
内田:柔道と沖縄の基地問題がつながるとは! そうか、似ていますね。「仕方ない」とか「やむをえない」といった言葉で表現されるものが、見えない差別にかかわっているのかな。柔道や組体操は、よく「スポーツに事故はつきもの、仕方ない」という言葉で片付けられてしまいます。
木村:沖縄の問題だと、「基地があるのは仕方がない」「安全保障にはどうしてもつきものの負担」とか、学校で使われる言葉とよく似ていますよね。質の違う問題ではあるんだけれども、根っこの意識のあり方としては共通していると思うんです。
内田:僕が『教育という病』という本のなかで扱ってきたものも、まさにそういう「仕方がない」と思われてしまうような「見えない苦悩」です。たとえば「いじめ」みたいな、明らかに誰もが「ダメだ」とわかっているようなものは扱わなかった。みんなが「いい」とか、あるいは「必要悪だ」と思っているようなところで隠れ てしまう部分がテーマでした。
▽目的と現実との不合理性=「差別」ということ
木村:そういった差別と戦うとき、法学的には「モデルの設定と現実のギャップ」を追求するんです。「それをやる目的は何なんですか」というところを確かめて、実際に行われていることとの不合理性をあぶりだす。そこが差別だよね、ということになるわけです。 「合理的」にも2つの段階があります。ひとつめは、「目的を達成するのに役に立っているかどうか」ということ。もうひとつが、「目的を達成するのに役立っているとしても、それよりもゆるやかな別の方法でも目的を達成できるかどうか」ということ。この2つのポイントで、合理的かどうかを考慮する。 だから例えば、さっきの武道の話で言えば、もし「礼儀を身につけさせること」が目的であるなら、あえてより危険な柔道という方法を取る必要はないでしょう、囲碁や将棋でもいいでしょう、と言えるわけです。 この手法は、学校にある諸々の「なんでこんなことやるの?」という問題を考えるうえで、ひとつの考え方のモデルになるかなと思うんです。
内田:すごく面白い……。こういう話って、法学の世界では常識なんですか?
木村:行政法の世界では古典的な話で、「比例原則」って言います。「目的に比例する手段しか、とってはいけませんよ」ということ。憲法の世界でも、権利を制約するときには必ず「比例原則に適合していること」が要求されます。 ということで、これからまさにこの「比例原則」の目で、内田さんが指摘しているいろんな問題を見ていきたいなと思います。
http://toyokeizai.net/articles/-/98630

次にこの記事に続く、1月7日付け同誌「学校は、なぜ「治外法権」になってしまうのか 巨大組体操、PTAの背景に潜む問題」を紹介したい(▽は小見出し)。
・組体操事故や2分の1成人式など「教育」の陰で生じる「負の側面」に警鐘を鳴らす、教育社会学者・内田良氏(名古屋大学大学院准教授)と、安保法制から沖縄基地問題、PTAまで幅広く明快に斬り解く憲法学者・木村草太氏(首都大学東京准教授)。
・気鋭の2学者が、学校で生じるさまざまな「なにコレ?」について掘り下げます。学校に潜む「不合理」について論じた前回に続く今回は、学校現場の「治外法権」についてです。
▽「こんなものは教育じゃない!」という直感
木村:内田さんは組体操について「近年、これは特に危険だ」と強調されていますけれども、どういう経緯で関心を持たれたんでしょう?
内田:最初、実はさほど関心はなくて、「組体操は人が死ぬようなことはほとんど起きていないから、いいんじゃない?」と、今、僕を批判する人たちと同じようなことを思っていました(苦笑)。 それがあるとき、人から「巨大な組体操の動画があるから、見てごらん」と言われてウェブ上の動画を見てみた。その瞬間に、変わりました。危険だし、「なにコレ?」っていう感じ。こんなもん教育じゃないし、それこそ「目的に照らし合わせて絶対おかしい!」と思った。それであらためて数字を調べて、情報を発信したということです。
木村:その原因はやはり、組体操が巨大化しているということですか?
内田:そうですね。ただ、実は細かいことを言えば、危険なのは必ずしも巨大なものだけではない。たとえば肩車から落ちるのだって、1メートル以上の高さがあるし、土台はグラグラだし、上の人は何かにつかまれるわけでもない。そのまま後ろに落ちれば大事故になってしまいます。 だから「安全な方法が確立されていない中で、高いものや、見栄えのいいものを作っていく」というのが、本質的な問題ですよね。
木村:それは本当によくわかる話です。私も自分で組体操の判例を調べたところ、平成以降の事件では3件のうちひとつは、それほど高さのあるものではなかった。 昨年の秋、ピラミッドの高さを規制した自治体がいくつかありましたね。それで危険じゃなくなるのかな、という疑問もありますけれど。
内田:はい、秋に大阪市や彦根市、そしてその前の春のシーズンには愛知県の長久手市も段数に規制をかけています。教育委員会が、学校よりも先に動いて規制をかけたとみることができます。事故が起きれば、当然、責任を追及されるのは教育委員会ですから。
内田:運動会というのは、そもそも学校の中でもいちばん外側にあるもので、その種目まで国や自治体が規制するのか、という考え方が昔からある。そこに教育委員会が踏み込んだっていうのは、逆に言うと、学校が全然、変わらなかったんだなぁということですよね。 学校は今も目的や合理性ということは、考えていないんじゃないかな。 “自分たちにとっての目的”はあるけれども、子どもたちにとって合理的な理由があるかということは、全然、考えていないんだろうなと思います。
▽組体操の「一体感」はホンモノか?
木村:そもそも組体操って、何のためにやると考えられているんでしょうか?
内田:学校の先生って、「1年間を通じていちばん大事なことは何か」と聞くと、みんな「クラスをまとめることだ」って言うんですよ。組体操というのは特に「みんなでひとつのものを作る、一体感を作る」という象徴的なものなので、先生たちは積極的にやりたがる。 さらにそれを運動会で披露すれば、保護者も喜んで、信頼もかちえるわけですよ。その両方の意味で、先生たちに受け入れられたのではないかと思います。
木村:もうひとつ、内田さんは、先生たちは「一体感」と言うけれども、土台になっていた子たちが本当に一体感を感じていたか?という点も指摘されていましたね。
内田:そうなんですよ。僕は「一体感はできるかもしれないけれど、こんなにリスクが高いよ」と話しているので、そこはあまり踏み込まないようにしているんですけれど……。  でも「実は、一体感そのものもなかったんじゃないのか?」っていうね。やっぱりTwitterなどで寄せられる声を聞いていると、土台をやっていた人たちの苦痛や不満といったら、もう、すごいわけですよ。「ああ、こんなにも“一体感”ってなかったんだ」と思う。 でも先生たちは、本当にみんな口をそろえて「一体感がある」と言う。恐ろしいな、と思います。子どもたちは本音を口にできないですから。
木村:私も、組体操のピラミッドはやったことがないんです。背が高くて筋力がなかったので、監視役だった。見ていて掛け声だけかけるんですよ、「せい!」とか言って。それはやっぱり、土台をやっている子たちから冷たい目で見られていました(笑)。いちばん楽ですからね。
内田:(爆笑) 
木村:でもね、監視役だった理由にはもうひとつ、「危なっかしいやつだと思われた」という面もあるのかもしれない(笑)。 たとえばバスケットボールの学校事故の判例 (鹿児島地裁平成23年11月22日) で、「乱暴な生徒がいきなり蹴りを入れた」っていう事例があるんです。組体操のときだって、そういう生徒がいないとは言いきれないですよね。もし学校に対して確信的な不満を持つ子どもがいて土台をわざと崩したら、ものすごい事故が起きるわけです。その被害は、バスケットの比ではない。それを考えると、すごく恐ろしいことをやっているなと思いました。
木村:そういう意味で、私ももしかすると危険視されていたのかもしれません。こいつを土台にすると……ってことで監視役に。もちろんそこまで悪い人間じゃないですけれども(笑)。
内田:木村さんはないですけど(笑)、そういうリスクも、なくはないですよね。
▽組体操もPTAも「治外法権」の世界!?
木村:私や大塚さん(この対談のライター)がやってきたPTAの問題も、組体操と似ているところがあります。PTAというのもまさに、目的が非常に不明確な組織で、それゆえに何をやっているかわからないまま、平気で人権侵害をする、というところがある。 学校から独立した団体で、完全な任意加入団体であるにもかかわらず、現場では事実上強制で、全員が自動的に加入する形が非常に多いと言われています。 自動強制加入にするためには、当然、学校や保護者から、児童名簿をPTAの側に流さなきゃいけないんですけれど、これは個人情報保護法制に反するわけです。「プライバシーの権利(個人情報コントロール権)」に非常に無頓着なまま、話が進んでいる。 そういう人権侵害を平気でやってしまうんだけれど、本人たちは「悪いことをやっている」という自覚がまったくないところが、学校における人権侵害の特徴だな、と思います。
内田:PTAの問題って、部活動ともそっくりですよね。部活動もそもそもカリキュラムの外にあるものなので、生徒は自由に参加するものだし、先生も任意で指導するってことになる。とりわけ勤務時間外においては。なのに、先生も子どもも参加率が9割を超えているっていう(笑)。
木村:学校では本当によくそういうことが起きるんですね。強制で何かをさせるというのはたいへん恐ろしいことです。その人から時間や自由を奪うわけですから、それによって生じる弊害が非常に大きい。 とはいっても、学校で法律論を振りかざすのには、ある種の限界がある。PTAが任意加入団体であることは、法律家の誰がどうやったって覆らない論点なんですけれども、それを言ったところで現場はなかなか変わらない。部活動についても、強制が違法だとか、学習指導要領に根拠がないということを言っても、影響は微弱であろうことが予測されます。 それはなぜかというと、学校が法治主義の「治外法権」的な場所になっている、ということですね。慣習の中でやっているから、法律というものを守らなくていい場になってしまっている。
内田:治外法権! 本当にそうですよ、それこそ体罰とか、みんなそう。 先生がもし街中で誰かを殴ったら、懲戒免職になることも多い。飲酒運転もそう。でも、学校の中で先生が子どもを何発殴っても、懲戒免職になるのは数千件に1件あるかないか。大体は減給とかで終わっちゃうんです。まさに治外法権。
内田:組体操もそう。大人が2メートル以上の高さのところで作業するときは、労働安全衛生法に従わなくちゃいけないのに、それが子どもだと関係なくなるっていうね。
木村:本当に、みんなによく考えてほしいんです。法律には「よくある失敗をまとめて、それを情報共有するための手段」という面がある。だから憲法は国家の失敗集だし、民法は私人の間のトラブル集、刑法はよくある犯罪集――ということ。つまり「人間であればやってしまう失敗」というものが、そこに書いてあるわけです。 だから、「それが違法なんだ」という場合、その失敗集のチェックリストに触れているわけですから、「そうとう注意しなくちゃいけないぞ」という感覚を持ってほしい。「何か大きな問題があるはずだ」という感覚を、学校の空間にいる人みんなに持ってほしいんですね。
▽治外法権には、法律よりも恐ろしい制裁がある
木村:部活動の強制ということでは、今、どんな問題が生じているんですか?
内田:たとえば、部活動は今、成績評価につながってしまっているんです。聞いた話では、大学入試の面接で「あなたのいいところは?」って質問されると、多くの生徒が「部活動」のことを言う。「勉強で1番をとった」とか言う子はいない。1980年代に学力の多様化ということが言われて、部活動というものが子ども全体を見るときの大きな軸になってしまったんです。 そのため、たとえ周囲が「部活動はやらなくていいよ」と言っても「でも進学に関係があるし」ということで、やらざるをえない作用が働いてしまう。
木村:これも「治外法権」ですね。治外法権というのは、その団体内部で独自の制裁手段があるときに生じる現象です。つまり、法律に違反したら制裁があるんだけど、法律による制裁よりも、もっと怖い制裁がある空間は治外法権になる。だから自浄作用が働きにくいんですけれど。 学校のPTAや部活動もそうで、PTAに入らないことによって法的な制裁は受けないんです。しかしPTAや部活動は、独自の制裁手段をたくさん持っている。成績評価とか、いじめっていうのもそうですね。「嫌な空気になる」なんていうのも、けっこうな制裁ですし。
内田:あぁ、本当にそうです。制裁はありますね。「治外法権」って言葉、僕もこれから使わせてもらいます(笑))
http://toyokeizai.net/articles/-/98631

「過去30年の間に学校内での不審者(外部からの侵入者)による殺害事件は2件しか起きていなかったんですが、一方で柔道は同じ期間に100件以上の死亡事故が起きていた」、にも拘らず武道が必修化された。
この際には、新聞等に反対論も出たが、反対論を押して導入する積極的な根拠は説明されなかったように記憶する。
「柔道や組体操は、よく「スポーツに事故はつきもの、仕方ない」という言葉で片付けられてしまいます」、「沖縄の問題だと、「基地があるのは仕方がない」「安全保障にはどうしてもつきものの負担」とか、学校で使われる言葉とよく似ています」との指摘も興味深い。
組体操で学校側が主張する「一体感」の嘘っぽさもその通りだと思う。「大人が2メートル以上の高さのところで作業するときは、労働安全衛生法に従わなくちゃいけないのに、それが子どもだと関係なくなる」とは、鋭い比喩だ。PTAや部活動などの「治外法権には、法律よりも恐ろしい制裁がある」との指摘も、うなずかされる。
この2人による11日付けの対談「小学校で大流行「2分の1成人式」の"異様" 「美談」で済ませていいのか?」についての紹介は省略する。できれば、この2人に「いじめ問題」についても取上げて欲しいところだ。
タグ:教育 刑法 PTA 東洋経済オンライン 体罰 組体操 比例原則 組み体操事故 (その1)「学校」にまつわる諸問題(柔道事故、組体操事故など) 安部政権の教育改革 学校ではなぜ「不合理」がまかり通るのか 「柔道事故」と「沖縄基地問題」の意外な共通点 内田良氏 木村草太氏 過去30年の間に学校内での不審者(外部からの侵入者)による殺害事件は2件 柔道は同じ期間に100件以上の死亡事故 武道の必修化 柔道や組体操は、よく「スポーツに事故はつきもの、仕方ない」という言葉で片付けられてしまいます 沖縄の問題だと、「基地があるのは仕方がない」「安全保障にはどうしてもつきものの負担」とか、学校で使われる言葉とよく似ていますよね 教育という病 見えない苦悩 目的と現実との不合理性=「差別」 目的に比例する手段しか、とってはいけませんよ 学校は、なぜ「治外法権」になってしまうのか 巨大組体操、PTAの背景に潜む問題 運動会というのは、そもそも学校の中でもいちばん外側にあるもの 組体操の「一体感」はホンモノか? 土台になっていた子たちが本当に一体感を感じていたか? 子どもたちは本音を口にできない 組体操もPTAも「治外法権」の世界!? 平気で人権侵害をする 学校が法治主義の「治外法権」的な場所になっている 大人が2メートル以上の高さのところで作業するときは、労働安全衛生法 子どもだと関係なくなるっていうね 人間であればやってしまう失敗 治外法権には、法律よりも恐ろしい制裁がある 自浄作用が働きにくい
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