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テレビ・コメンテーターの経歴詐称(その2)問題の背景にある日本人の考え方 [社会]

テレビ・コメンテーターの経歴詐称については、3月21日に取上げたが、今日は、(その2)問題の背景にある日本人の考え方 である。

先ずは、精神科医の和田秀樹氏が3月29日付け日経Bpnetに寄稿した「ショーンK問題から経歴詐称を考える」を紹介しよう(▽は小見出し)。
▽肩書を過信すれば騙される
・テレビやラジオのコメンテーターなどで引っ張りだこのショーンKという人の経歴詐称がマスコミを賑わわせている。  実は、私はこの人と、この人(あるいはその会社)主催のトークショーに出演していたらしく(残念ながらほとんど記憶に残っていない。嘘と思われるかもしれないが)「『世界一騙されやすい日本人』を出版した和田秀樹、ショーンKに騙されていた」とネットで揶揄されるはめになった。
・彼の経歴詐称に気づかなかったという点では、私も騙されていたといわれても仕方がないのだが、日本人が肩書や学歴で人間を判断する認知パターンの問題のほうが本質のように思えてならない。
・要するに肩書が本物であったにせよ、肩書を過信すれば騙されることに変わりない。ところがそういう人が多いことがわかっている「偉い人」は多く、「肩書」を利用して、能力にふさわしくないビジネスチャンスを得たり、重大な責務を平気で引き受けたりする人が少なくない。それがこの国では顕著に思えてならないのだ。
・つい最近も聖火台が普通に作れない国立競技場が問題になったが、おそらくこの設計案の審査スタッフは、東大教授という肩書やこれまで国際的な建築を手掛けてきたというキャリアが重大な審査基準になっていて、コンペに提出された図面という肝心の中身のほうの吟味をろくにやっていなかったのではないか?あるいは、そんな一流建築家が、オリンピックのメインスタジアムの設計を依頼されて、(たとえ依頼内容に含まれていなかったとしても、なくてはならない)聖火台を忘れるようなミスをするわけがないと思っていたのではないか?少なくともそう疑われても仕方がないだろう。
・日本のノーベル賞受賞者が少ない(今は決してそう言えないと思うが)ことの悲劇は、日本が欧米と比べて科学技術が遅れていることではなく、受賞者が過大評価されすぎてしまうことだと言っていた人がいるが、私はこれも事実であると思う。
▽肩書や学歴の過信は危険
・300人以上の受賞者がいるアメリカでは、受賞者がスーパーマンのように扱われて、専門外のことまで発言の機会が与えられたり、国の政策を決める委員のようなものに引っ張り出されたりすることはない。
・日本の場合は、ノーベル物理学賞受賞者の江崎玲於奈氏がゆとり教育にお墨付きを与えた小渕内閣の教育改革国民会議で座長を務めたり、同じくノーベル物理学賞を受賞した野依良治氏が、学力低下のさなかに道徳や体育を重視せよという提言を行った第一次安倍内閣の教育再生会議の座長を務めていたが、アメリカでなら、初等中等教育の経験のない人や学力向上や少年犯罪を減らしたというような実績がない人が教育政策の諮問会議のトップになることはあり得ない。また、PISA(OECD生徒の学習到達度調査)などで何回も続けて、学力世界一を誇るフィンランドでは、国家教育委員会のメンバーには現場の教師経験が3年以上ないとなれない。
・もちろん、それがノーベル賞の業績を汚すものではないが、あることで天才的な業績を残した人が、別の分野でもなんでもできるという考え方は危険なことだ(もちろん、大手ヘッジファンドが破綻したLTCM事件のように、ノーベル経済学賞受賞の学者でさえ、実際の経済の運用では大失敗をするという例があるが、いずれにせよ、肩書の過信は危険なことと言えるだろう)。
・ある世界で特別な成功を収めた人でさえ、別の分野では成功できると限らないのだから、通過点に過ぎない、またそういう大成功者よりはるかに数の多い、学歴など、まったくあてにならないとさえ言える。東大卒とか言っても、年に3000人以上も出るのである。入学の時点では、ペーパーテスト学力に関しては、上位0.5%くらいに入っていると言えるが、それ以降(大学時代ろくに勉強しない人も珍しくない)の保証にはならない(ただし、今のような学力低下の時代であれば、十分条件ではないが、必要条件的なものにはなるかもしれない。つまり、二流三流といわれる大学の学生の、読解力や数学力、語学力、あるいは、へこたれないで努力する能力が、かなりあてにならないものになっているから)。
・私自身、運よく東大に入れたおかげで、東大を出ていてもアホな奴がいることは重々承知しているし、よその大学を出ている、あるいは高校卒、中学卒の人間でも面白い人、優秀な人がたくさんいることもよくわかる。
▽テレビのコメンテーターだから信頼される
・ただ、社会の人もさすがに学歴だけで人間を判断することはないだろう。  ショーンK氏にしても、経営コンサルタントの仕事が成り立っていたとすれば、学歴は詐称でもそういうことの能力が高かった可能性があるが、むしろ「テレビに出ている」「マスコミでおなじみの」という側面が大きかったのではないだろうか?
・要するに彼の出たとされていたアメリカの大学(実際にはその日本校だった)ということより、テレビのコメンテーターをやっているから信頼されたのではないかということだ。
・私も地方の経営者の集まりなどの講演会にときどき呼ばれるが、私としては、「日本在住の精神科医としてはたった3人しかいない英文の精神分析の論文のある和田秀樹先生」とか、「著者が600冊以上もあるマルチな文筆家」とか言われて紹介されるのなら、かなり誇らしい気分にもなれる。
・しかし、現実には、往々にして「『テレビタックル』に出演している」「『朝まで生テレビ』に出演でもおなじみの」などと紹介される。ホームページの経歴を消すのを忘れるのが悪いのだが、もう何年も出ていない番組でもそういう風に紹介するほうが、受けがいいし、箔もつくのだろう。
・今でも、たまにテレビに呼ばれて出ると、翌週に患者さんから「実は、和田先生、偉い先生だったんですね」というお言葉をいただく。患者さんをよくすることでほめられるのならうれしいが、テレビに出たからと言って、偉いなどとはとても思えないので、複雑な気分になってしまう。
▽まともな学術論文がなくても一流の学者として扱われる
・しかし、それを利用する人がいるのは確かだ。 学者や精神科医ということであれば、テレビに出ているだけでは信用されなかったり、うさん臭く思われることもあるが、NHKに出て、朝日新聞でコメントをしたり連載をもったりして、さらに岩波書店から本を出すと、学術業績がほとんどまったくなくても、一流の学者と思われてしまう。
・以前、英文の論文がほとんどなく、数学オリンピックの問題もほとんどピーター・フランクル氏に作らせていたことが週刊誌にすっぱ抜かれた数学者もそのパターンだし、知り合いの精神科医の誰に聞いても、どこで臨床をしているかよくわからないし、学術論文はゼロとされる精神科医も、このパターンで一流の精神科医の扱いを受けている。
・しかし、多少は本を読んだりで知識はあっても、NHKのプロデューサー(彼らがキャスティングするのだろう)にしても、朝日の記者にしても、岩波の編集者にしても、数学や精神医学の世界では素人である。プロの中のプロである、一流の学者の査読を受けて論文が通るのとはハードルが違いすぎる。学者や精神科医というより、どうやったら日本で一流の扱いを受けるかという自己プロデュース力の高さのほうが感心の対象だ〈通常の数学者や精神科医ではそんなことは思いつかないだろうから〉。
・もちろん、彼らが優れた数学者なのかもしれないし、本当に優秀な精神科医なのかもしれない。ただ、私が見解を改めるとしたら、彼らの書いたものを読んだり、臨床の実績を見せてもらったりしてからということになるだろう。
▽ショーンK氏がテレビで重用された理由
・ショーンK氏にしても、経歴詐称はさることながら、顔や声を変えることも含めて自己プロデュース力は高いのだろう。彼が開き直って、「私がキャスティングされたのは、私の経歴で選んだのではなく、面接や会話の内容で選んだはずだからプロデューサーに聞いてくれ」とでも言ったとしたら、プロデューサー氏も「経歴で選んだ」とは言いづらいだろうから、出さざるを得なかったのではないか?
・実は、私は一つ心に決めていることがあって、原則的に医学博士と名乗らないということがある。 前にも述べたように、日本人として初めて、自己心理学の国際年鑑に載った論文が博士論文にはねられたのだが、翌年指導教授が、別のデータをもとに博士論文を書くことを勧めてくれた。これまで長年、タダで外来診療(私はその教授が内科医なのに、高齢者には精神医療が必要だから手伝ってくれと言われた心意気に心を動かされてボランティアを続けていたのに過ぎないが)をやっていたのを心苦しく感じているようで、知らないうちに研修員として登録されていて、所定の年数が経ったので博士論文を出せるようにしてくれた。「うちの大学は落ちることはないから(実際、3年に一人しか落とされない。その論文に日本人初の精神分析の論文が選ばれたわけだ)何でも好きなことを書いて学位を取ったら」と言われて、自分の書き溜めていた自慢の論文を出した。それが落とされたのだ。翌年の論文はデータがしっかりしていたので、難なく合格した。しかし、そんなもので博士号を名乗る気にはとてもなれないのだ。
・むしろ、そういう学歴とか学位とか、あるいは教授の肩書などなくても、和田秀樹と言われれば、「あの和田さんね」とみんなが知っているような人になるのが夢だ。
▽「テレビに出ているから」で判断することの危険性
・話は脱線したが、それが詐称であるかどうか以上に、学歴や肩書や知名度で人を判断するのは、サバイバルという観点から言っても危険だ。
・大学教授にしても、教授になったころは優秀でも、その後は、過度の身分保障(定年まで教授でいられる)と雑務の忙しさのために、教授になってからあまり研究をしない人が多いことは以前から問題になっている。ところが、不思議なことに教授を長くやっているほど、学会ボスのようになりやすい。20年前の古い学説を振り回している人が、その世界の権威になってしまう。
・要するに、経歴を詐称する人だけが騙す人なのではなく、立派な経歴がある人の言うことでも内容で判断する、つまり「誰が言ったか」で判断する社会心理学でいうところの属人思考でなく、「何を言ったか」で判断する属事思考に変わるべきだということを、この事件が教えてくれるような気がしてならない。ましてや、あいまいな判断基準で選ばれるテレビのコメンテーターを信じたり、「テレビに出ているから」で判断したりする(さすがにそんな人はこのコラムの読者にはいないだろうが)のはもっと危険だと知っていていい。
・トランプやその支持者を批判するのはたやすい。しかし、少なくとも華々しい経歴をもつ居並ぶ大統領候補の中でトランプが人気を得ているのは、やはり肩書より、発言の内容からだろう。卵が先か鶏が先かはわからないが、日本では選挙期間がわずか2週間程度しかないので、つい肩書や知名度で政治家を選んでしまう。そういう制度がなおのこと発言の中身より肩書を重視する国民性を強めているのかもしれない。そういう点では、1年以上選挙期間がある中で生き残った人を選ぶほうがましに思えるのだ。少なくとも肩書で選ぶより、発言内容で選んだほうが、その結果が悪かった際の後悔は少ないはずだ。
・そして、重要なことは、ショーン氏は、仮に経歴詐称であっても、これまで十分テレビで通用したということだ。
http://www.nikkeibp.co.jp/atcl/column/15/306192/032800028/?P=1

次に、作家の橘玲氏が4月4日付けダイヤモンド・オンラインに寄稿した「詐称だらけだった“国際派経営コンサルタント”にテレビ視聴者が騙された理由[橘玲の日々刻々]」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・民放の報道情報番組のメインキャスターに抜擢された“国際派経営コンサルタント”が学歴・経歴を詐称していた問題が波紋を広げています。所属事務所の社長が20年ほど前に、その特徴的な低音ボイスにほれ込んでDJとして契約したのがメディア業界で活動するきっかけとのことですから、声は天性のもので間違いないでしょうが、それ以外は生まれから容姿まで疑惑のオンパレードです。
・この出来事を理解する興味深い心理実験があります。 アメリカの大学で、学生が短期間に教師の質を判断できるかを調べたところ、初日の授業の評価は学期末の平均的な評価とほぼ一致していました。学生は1回の授業だけで教師の優秀さを正確に見抜くことができる――というのが、この結果のもっともわかりやすい説明でしょう。
・次に研究者は、授業体験をどこまで短くすると学生が判断できなくなるかを調べてみました。 人文科学、社会科学、自然科学の授業を録画し、それを各授業につき30秒(授業のはじまりと中ほどと終わりの部分をそれぞれ10秒ずつ)にまとめたところ、学生はその映像だけで有能な教授と無能な教授を見分けました。この映像から音声を取り去っても結果は同じでした。
・研究者はさらに、各パート2秒の合計6秒の音声のない映像で試してみましたが、驚いたことに、この断片だけの映像から下した評価も学期末の(別の学生による)評価と一致していたのです。こうなってくると、学生がそもそも授業内容を正しく理解しているかもあやしくなってきます。この課題に挑戦したのが行動科学者のスティーブン・セシでした。
・セシは、秋学期と春学期のあいだにプレゼンテーション・スタイルの研修を受けることにしました。そして周到な準備をして、(プレゼンテーション技術の低い)秋学期で教える内容と、身振り手振りや声の質・高低などのプレゼンテーションスキルを学んだ春学期の内容を、話す言葉から時間割、OHPのフィルムまですべて同じにしたのです。
・各学期の終了後に学生が授業評価を行なったところ、秋学期のセシの授業は5段階評価で2.5と標準的でしたが、春学期ではいきなり4の高評価に変わりました。授業内容はまったく同じにもかかわらず、学生たちはプレゼンテーションのちがいだけで、セシに対して「熱意と知識を有し、他者の見解に寛容で、親近感があり、より整然としている」という印象を抱いたのです。
・現在ではさまざまな心理実験によって、ひとが第一印象に強く拘束され、それをかんたんに修正できないことがわかっています。テレビのような映像メディアでは、“見た目”によって視聴者の評価をかんたんに操作できるのです。そう考えれば、生来の低音ボイスにハーフのような容姿、ハーヴァードのMBA、国際ビジネスマンの経歴を加えるというのは、きわめて効果的なプレゼンテーション戦略です。
・ちなみに、セシが学期末のテストの成績を比較したところ、秋学期と春学期で両者に差はありませんでした。〝熱意あふれるセシ教授〟に教えられた学生は満足したかもしれませんが、それは「多くのことを学んだ」と感じただけだったのです。
http://diamond.jp/articles/-/89103

和田氏が指摘するように、日本ではノーベル賞受賞者というだけで、お門違いの政府の委員会等の座長にして、答申に「箔」をつけることが平然と行われ、誰も疑問に思わないのは、確かに不思議な現象だ。アメリカやフィンランドのように、その分野での実績を重視して決めるように切り替えるべきだろう。『「誰が言ったか」で判断する社会心理学でいうところの属人思考でなく、「何を言ったか」で判断する属事思考に変わるべき』、というのもその通りだ。ただ、国立競技場の聖火台問題で設計者を批判しているが、私は批判されるべきはJSCだと思っている。
橘氏がアメリカでの心理実験のケースを引き合いに出したことに驚いた。しかし、学生による評価を左右するのは、プレゼンテーション技術であって、授業内容ではないとの結論は、そんなものだろうと納得できた。選挙演説も同様なのかも知れないが、これは授業とは違って困ったことだ。
タグ:アメリカ 橘玲 国立競技場 和田秀樹 ダイヤモンド・オンライン 経歴詐称 ショーンK 心理実験 日経BPnet テレビ・コメンテーターの経歴詐称 (その2)問題の背景にある日本人の考え方 ショーンK問題から経歴詐称を考える 日本人が肩書や学歴で人間を判断する認知パターンの問題のほうが本質 、「肩書」を利用して、能力にふさわしくないビジネスチャンスを得たり、重大な責務を平気で引き受けたりする人が少なくない 聖火台を忘れるようなミス ノーベル物理学賞受賞者の江崎玲於奈氏 教育改革国民会議で座長 物理学賞を受賞した野依良治氏 学力低下のさなかに道徳や体育を重視せよという提言 教育再生会議の座長 初等中等教育の経験のない人や学力向上や少年犯罪を減らしたというような実績がない人が教育政策の諮問会議のトップになることはあり得ない フィンランドでは、国家教育委員会のメンバーには現場の教師経験が3年以上ないとなれない あることで天才的な業績を残した人が、別の分野でもなんでもできるという考え方は危険なことだ まともな学術論文がなくても一流の学者として扱われる 「テレビに出ているから」で判断することの危険性 「誰が言ったか」で判断する社会心理学でいうところの属人思考でなく、「何を言ったか」で判断する属事思考に変わるべきだ 詐称だらけだった“国際派経営コンサルタント”にテレビ視聴者が騙された理由[橘玲の日々刻々] アメリカの大学で、学生が短期間に教師の質を判断できるかを調べた 学生は1回の授業だけで教師の優秀さを正確に見抜くことができる スティーブン・セシ プレゼンテーションのちがいだけ 学期末のテストの成績を比較したところ、秋学期と春学期で両者に差はありませんでした
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