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自動運転(その2)(これからも頻発しかねない自動運転車の死亡事故 対策が後手に回る米国 VWの不正に懲りて法整備を進める欧州、 ウーバー死亡事故で腰砕けの自動運転 業界は足元を見つめ直せ) [科学技術]

自動運転については、昨年8月7日に取上げた。今日は、(その2)(これからも頻発しかねない自動運転車の死亡事故 対策が後手に回る米国 VWの不正に懲りて法整備を進める欧州、 ウーバー死亡事故で腰砕けの自動運転 業界は足元を見つめ直せ)である。

先ずは、作曲家=指揮者 ベルリン・ラオムムジーク・コレギウム芸術監督で東大助教授の伊東 乾氏が3月23日付けJBPressに寄稿した「これからも頻発しかねない自動運転車の死亡事故 対策が後手に回る米国、VWの不正に懲りて法整備を進める欧州」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・懸念されていた事態が現実のものとなってしまいました。 米国アリゾナ州で、ウーバーが実施していた自動運転実験で事故が発生し、犠牲者が出たのです。 報道によると、現地時間の3月18日午後、アリゾナ州テンピ近郊で実施されていたウーバーの試験運転走行中、横断歩道ではない場所を自転車を押して渡っていた女性が車に接触してしまいました。 ウーバーの試験車は完全自動運転モード中で、減速した形跡は全くなく、時速約65キロで進行、歩行者をはねてしまったという経緯であるようです。
・自動運転モードとはいえ、当然ながら試験車には同乗者がありました。しかし、危機回避の適切な行動は取られなかった。 ウーバーはただちに、カリフォルニア州サンフランシスコやアリゾナ州フェニックス、またカナダのトロントなどで実施していた自動運転車の試験走行をすべて中止しました。
・米国ではカリフォルニア州など、すでに規制緩和が進んで自動運転車の公道走行が部分的に許可され始めたエリアもあり、今回の事態は大きな波紋を投げかけています。 非常に大まかに言って、現状の「自動運転」は自動車が勝手に走行するという水準にあり、これはモノレールその他の軌道交通機関では、すでに当の昔に実現されていることで、実は取り立てて問題にするようなことではありません。
・日本国内でも、博覧会会場などとして設定された「未来交通」の路線を、駅から駅へ、自動的に運転する路線が運行されています。 これらの特徴は、軌道上に歩行者やほかの車などがいないこと、ホームドアなどで厳密に乗客と軌道とは仕切られ、十分な安全が確保されているということでしょう。
・逆に言えば、既存のモノレールなどの路線では、センサーによって危険を感知し、自動的に停車する装置などは取りつけられているはずです。 これはJR線などでもときおり経験することでしょう。線路内に人が進入した可能性がある危険信号を感知しましたので列車は急ブレーキをかけました、という車内アナウンスを耳にしたことがある人は少なくないはずです。
・この場合、JR線でも新都市交通でも、極めて限られたエリア、決まった軌道上の特定のチェックポイントで危険信号が感知されたとき「急停止」その他の安全アクションが取られることになります。 逆に言うと「想定外」のリスク、突然横方向から歩行者や自転車が飛び込んで来るといった事態は、モノレールなどの場合はまず発生しないので、そのようなセンサーもリスク対策も一切取られていません。 対策や考慮の対象外ということになります。
・今回のウーバー事故は、報道される状況証拠から、自動運転車が全く歩行者やリスクを感知しないまま自動的に進行したものと思われます。何も考えずに猪突猛進すれば、前方の物体に衝突するのが当然で、事故は必然的に起きたと言うしかありません。 
・すでに発生しているテスラの自動運転車事故も、今回のウーバー事故もそうですが、商品化を焦ったり、実験成功の情報発信で企業資産価値を上げたり、という拙速と言うか姑息とさえ言える経営判断によって事故が起きてしまっている。 危険回避センサー技術という観点では、いまだモノレール程度の自動運転と大差ない代物を、広い国土を利用してあちこちの公道で走らせ始めているわけです。
・かつ「物議をかもす」程度の報道からも明らかなとおり、米国やカナダでは、自動運転に伴う事故リスクや、そこでの保険商品のあり方、法規制その他の落ち着いた制度設計の議論がほとんどなされていません。  何かと米国に右向け右のどこかの国でも、そんな話はついぞ耳にしないでしょう。
・すなわち、自動運転車が何らかの事故を引き起こしたとき、どのような責任が問われるか。リスクに備えてどのような法制度や、新たな保険商品を準備すればよいか・・・。 一部省庁の専従には意識の高い人がありますが、国全体として議論の期が熟しているとは到底言えません。 これを強調するのは、本連載でも今まで幾度も記してきたように、ドイツを中心にEUでは自動運転に関する法制度、もっと言えば、AI駆動されるシステムが、何らかの被害を人に与えた場合の責任の所在を問う「ロボット法」が、大枠すでに確立されているからにほかなりません。
▽責任主体としての「ロボット法人」
・EUでは「ロボット法人格」を認める法制度整備が急速に進んでいます。 まるで手塚治虫のマンガ「鉄腕アトム」のような話と言っても、すでにいまの若い世代には通じないのかもしれません。 人間の心を持つロボット少年アトムの悲劇を描いた原作マンガは、テレビアニメーションとしては軽い冒険活劇としてヒットしました。
・しかし、もはや漫画の中の世界ではなく、もっと落ち着いてリアルに考えるべき対象です。 例えば、福島第一原子力発電所事故が発生し、責任主体として東京電力という「法人格」が、重い司法上の責任を問われている。これは全く普通です。 しかし、東京電力さんという人がいるわけではなく、切れば血が出る生身の体があるわけではない。 でも東京電力には資産があり、損害賠償の必要が発生すれば、会社がその主体として責任を負うことになる。もちろん、並行して企業の経営に責任をもった生身の個人が訴追される場合もあり得る。
・全く同様のことを、一定以上自立的に作動するシステムに関しても、それ自体を「ロボット法人」として責任の主体とみなす必要があるという、手堅い判断をEU~ドイツはすでに下しています。  自動運転車はその典型として分かりやすいですが、ほぼ自動的に動くという意味では、産業用ロボットなどの自動システムの方が、2018年時点ですでによほど多く、実用化されています。
・今回の事故は、ウーバーの試験走行ですから、責任は全面的に会社にあると判断される可能性が高いでしょう。 しかし、自動運転中とはいえ、その車に乗っていた運転しない運転者、手動モードに切り替えたなら、自分でハンドルを操作して危険を回避できた可能性のある人には、どのような責任がかかるのでしょうか? ここで言う「責任」は、哲学的な抽象論ではなく、損害賠償であればもっとリアルな「過失割合」であり、行政上、司法上の責任であれば処分の対象と認められるか、という値引きのない話にほかなりません。
・さらに、これが一般の路上交通で発生したものとすれば、どうなるでしょう? 例えばT社の自動運転車は、基本すべてT社のAIシステムが運転しているものとしましょう。それで発生した事故は、すべてT社の責任になるのか? そんな制度設計にしたら、経営が成り立たないのは火を見るより明らかでしょう。 どこかで適切に責任の主体を切り離し、その範囲でリスクを分散させ、また損害賠償などの必要が出た場合には、そこに責任の主体を限局する必要がある。そのような意味で、「EUロボット法」は議論されています。
・分かりやすく言えば、原発で事故が起きれば、裁判の結果、電力会社という「法人」の資産で賠償が行われるように、自動運転車やスマートファクトリーの産業用ロボットが事故を起こした場合、「自動運転車法人」や「産業用ロボット法人」が自分自身の資産をもって責任を負う。 具体的には保険制度などが活用され、従来とは違うAI社会のエコシステムを円滑に動かしていく、そういう議論が、早くから進んでいます。
・たまたま私は大学の公務で、ミュンヘン工科大学などを中心とする、こうした「自動運転倫理委員会」メンバーと年来の共同プロジェクトを進めており、関連の状況は一通り承知しています。 例えばドイツでは、自動運転車の安全システムで、「あらかじめ、特定の人を犠牲にするようなプログラム」を組んだ人がいた場合、「そのシステムを組み上げたシステムエンジニア個人を含め刑事責任が問われる」という、著しく重い判断がすでに下されています。
・通常の路上交通では、リスクは常に複数存在します。対向車であったり、後続車であったり、前後左右複数方向からの歩行者であり自転車でありバイクであり、また運転者自身や同乗者であり・・・。 今回の例では、何のセキュリティも施されていない拙劣な車で事故が起きました。2つ以上のリスクが重なる場合、そのどれか1つ、あるいは複数でも、必ず犠牲になるものが決まっているというソフトウエアを組んだ人があれば、それに起因して発生した事故について、民事刑事の責任を負うという判断です。
・現場の運転と何ら関係しない、ウーバーで期間開発に関わったシステムエンジニアにも法的な責任が問われるという重い社会ルールが、ドイツ・欧州ではすでに準備されています。 どうしてそんなことになってしまったかと言うと、1つの原因はフォルクスワーゲンの排気ガス安全基準ごまかしの大型犯罪で、国際社会にドイツ産業界が面目を丸潰しにした経緯が関係しています。
・あの時点では、誰が見ても不正にしか使えないあのシステムを作ったボッシュにも、そこで請け負ってシステムを作ったエンジニアにも、限られた責任しか問うことができなかった。 でも、犯罪以外に使いようがないことは、関連した人がすべて知り、それこそ忖度し合いながら、企業秘密として伏せられていた。 二度とこれを繰り返してはならないという決意をもって「システム開発者も牢屋に入れられ得る」という厳しい法制度準備が進んでいるわけです。
・ 翻って、米国にはそういう制度はおよそ存在していません。 欧州では、重い責任とともに、慎重な自動運転の実用化が一歩一歩検討され、致命的な事故はいまだ発生していませんし、米国では気軽に自動運転車の実用化が叫ばれ、今回の事態を含め、かなりの高頻度でアクシデントが発生しています。
・別段「規制緩和はよろしくなく、重い規制がすばらしい」などと一面的に言うつもりはおよそありません。 しかし、この件に関する限り実用化・商品化を焦る米国企業の拙劣さは隠しようもなく、またそうした拙速な開発を煽るベンチャーキャピタルなど、経営主体より後方の加速圧にも、間違いなく道義的な責任はあると言わねばならないでしょう。
・AIだ 自動運転だ 夢の未来社会だ といったばら色の絵図を描くのは結構なのですが、それに見合うだけの守りと足腰を備え、責任をもって国家百年の計として自動運転を位置づける欧州と、何もそうしたことは考えず「神の手」に任せたことにしやすい米国のコントラストが非常に際立っているように思います。 関連の推移に注意しつつ、日本での自動システム、その導入と保険商品などを含む制度設計、真剣に考えてみてはいかがでしょうか。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/52645

次に、ジャーナリストの井元康一郎氏が4月11日付けダイヤモンド・オンラインに寄稿した「ウーバー死亡事故で腰砕けの自動運転、業界は足元を見つめ直せ」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・米国でのウーバーによる自動運転実験車両の死亡事故は、自動運転技術の開発競争に大きな衝撃を与えた。今後、開発競争の行方はどうなるのか、あるいはどうすべきなのか。そのポイントを整理してみた。
▽自動運転の開発競争に“冷や水” ウーバーによる実験車の死亡事故
・このところ激化の一途をたどる自動運転の開発競争に“冷や水”をぶっかけるような事態となったアメリカ・アリゾナ州でのUber(ウーバー)自動運転実験車の死亡事故。 捜査の結果、事故自体は人為的なミス、技術パッケージの“見立ての甘さ”などによるところが大きいことが判明しつつある。とはいえ、自動運転の技術開発のペース自体がこの事故によって鈍ることはないであろう。
・一方で、この事故は自動運転車をどう実用化するか、また社会にどうインストールしていくか、といった課題を浮き彫りにした。 「クルマの自律走行技術の開発は、もともとは安全技術の発展形だったのですが、最近は新ビジネスの創出が主なモチベーションになっている観が強かった。自動車メーカー側にとっては他社に先んじて技術を確立して先行者利益を得ることが第一目的なのですが、交通弱者の救済、商業ドライバー不足の解消など、社会的意義を口にしやすい分野だったので、自動運転の開発が正義という風潮が余計に強まった。今回の事故を、自動車業界が『今後何をやっていけばいいのか』ということを、頭を冷やして考えるきっかけにしなければ、犠牲が報われない」 自動運転開発に関わる情報通信系エンジニアはこう語る。
・実際、近年の自動運転に関し、自動車メーカーやITプラットホーム企業が繰り出すアジェンダは急進的なものが多かった。
▽フォードやGMが相次いで将来の完全自動運転車発売を宣言
・アメリカのフォードは2016年に、「2021年までにタクシー向けを想定したステアリングレスの完全自動運転車をリリースする」と宣言。するとGMは、ウチは2019年に発売すると応酬。しかもその自動運転車はシボレー「クルーズ」がベース。シティコミュータなどではなく、本格乗用車で出すというのだ。
・限定エリアでなく、公道であればどこでも走行可能なクルマが実現できればとてつもなくすごい話だ。カーシェアを無人でユーザーのところに送り届けたり、トラックを無人で走らせたり、免許を持たない人がクルマで自由に移動することを可能にしたりといった新ビジネスはすべて、自動運転の「レベル5」、すなわち完全な自動運転車が完成しなければ実現しないものだ。
・安全が担保され、しかも低コストなレベル5カーが出てくれば、それはモビリティにおける壮大なパラダイムシフトになるだろう。 しかし、業界ではウーバーの事故の前からフォードやGMが打ち出したビジョンの実現性については懐疑的な見方が少なくなかった。日系メーカーの技術系幹部は欧米企業が次々に楽観的なアジェンダを発表するのを見て、次のように語っていた。 「不確定要素の多い道路上で完全自動運転を実現するには、オンロードでのデータ収集が不可欠なのですが、その状況は刻々変わる。たとえば季節によって街路樹の枝が伸び、葉をつけたりといった風景の変化ひとつ取っても、それが何なのかをAIが自分で知ることができるわけではありません。そして、その変化が思わぬ事態を引き起こす可能性もある。データを教え込み、それをもとにAIが深層学習で応用範囲を広げたとしても、次に待ち受けている何かを察知できないうちは、自動運転車は社会の中でコンフリクトの火種にしかならない」(前出のITエンジニア)
▽自動運転の開発ブームの中で あおりを食った日本企業
・アメリカでは10年ほど前から自動運転が「未来の高付加価値分野になる」という期待が盛り上がっており、それを実現するための「規制緩和こそ正義」という風潮が強まっていた。リスクについては「機械が時に間違いを犯すとしても、人間よりはずっと着実だ。それに異を唱えるのは馬鹿者」といった物言いで封じ込んできた。 多くのメディアもこのムーブメントに乗った。
・AIの深層学習技術が長足の進化を遂げていることを根拠に「完全自動運転はすぐにでも実用化できる」という論説があふれ、それが実現したときの“バラ色の物語”を流した。 こういったトレンドの中で、あおりを食ったのは日本企業である。 日本陣営は自動運転技術に関する特許保有が世界で最も分厚いトヨタ自動車、早い段階から自律走行の実走行データを鋭意収集していた日産自動車、ロボティクス技術や機械と人間のコミュニケーションに関する研究で先んじていたホンダ――と、ことクルマの制御に関しては世界最先端だった。
・日本メーカーが長い間「自動運転技術は事故ゼロを目指すためのもので、技術的な障壁を無視して完全自動が自己目的化するのはよくない」というスタンスを取ってきたのは、技術でリードするがゆえにその難しさ、リスクを死ぬほど知っていたからにほかならない。 最近になってトヨタをはじめ主要メーカーが自動運転に次々と参戦したが、「技術の飛躍への対応を誤らないようにということもあるが、何よりも遅れているというイメージをこれ以上持たれてはかなわないという意味合いが強い」(トヨタ関係者)という。決して宗旨替えしたわけではないのだ。
▽ウーバーのことは「なかったことにしたい」
・日本陣営のなかで自律走行に最も前向きだったのは日産自動車だ。 DeNAと自動運転技術やコネクテッド技術を使った新サービスの開発で提携したりと、基本戦略は今も大きくは変わっていない。だが、日産のBMI(ブレイン・マシン・インターフェース。脳と機械の間でコミュニケーションを取る技術)開発の中核人物のひとりであるルチアン・ギョルゲ氏は「我々はハンドルのないクルマを作るつもりはない」と断言する。
・「クルマをただ人や荷物が運ばれるためのものにはしない。人間の思考は脳波から読み取ることが可能だと思っている。それができれば人の認知から操作までのタイムラグをなくすることができ、クルマはもっと安全でファンなものになる」(ギョルゲ氏))
・機械が100パーセント、自動的に人間の意思や願いを叶えてくれるということはなく、あくまで人間が主役であるべき、また人間には人間の長所があり、機械と人間が調和することでより高い安全、楽しさを実現させられるという思想だ。人が運転者のいない箱にただ運ばれていくという今日の自動運転の考え方に対するアンチテーゼとも言える。
・日産以外の日本メーカーも、基本的には人間と機械の調和を高めていくべきで、理想的な自動運転はその延長線上にあるという考え方をしている。そのほうが安全で、かつパーソナルモビリティならではの価値を提供できると考えているからだ。その知見に一定の理とバリューがあったことを、ウーバーの事故は“最悪の形”で証明した格好だ。
・記者をやっているアメリカの知人によれば、アメリカではウーバーの事故を境に、自動運転の実用化という名目を唱えれば何でもありという風潮に危惧を抱きながら、これまで抑圧されてきた人たちからの異論が“ここぞ”とばかりに噴出し、業界はほとぼりが冷めるのをじっと待っている状況だという。
・「できればウーバーのことは『なかったことにしたい』という気運を強く感じる。ウーバーがルーズだったから事故が起こったので、本来は起こり得なかったことなのだ、と。だが、できるだけ簡単なシステムで最高のパフォーマンスを実現するというウーバーのアプローチは、技術開発の考え方としては全然間違ってはいない。それだけ難しいことをやっているという自覚が、業界全体として欠如していたのが浮き彫りになっただけだ。なかったことにすれば彼らは一安心だろうが、そのうちもっと大きな問題が起きる。自動運転の技術開発自体は止まらないとしてもね」
▽自動運転はどうあるべきか ポリシーを見直すべき
・テストカーとはいえ、死亡事故が起こってしまった今、自動運転はどうあるべきかというポリシーを今一度しっかり見直すべきだ。 まずは技術的な側面。完全自動運転は人間のほうが得意なことまで全部機械任せにするものだが、人間がリスクに気がついてもハンドルやブレーキがなく操作不能というのは、やはりまずい。
・突発的な事態に対処できる物理的な余裕の有無についてはともかく、少なくともリスクの認知の段階で機械が100%、リスクを察知できないうちは、人間と機械が互いに助け合うことでフェイルセーフを図るのが最も安全だろう。 また、自動運転をどういうところから導入するかについても再考が必要だ。トヨタのエンジニアは「まずは高速道路や決められたエリアなど、リスクが限定された環境で導入すべき」と言う。
・前述のように完全自動運転車の実用化について、自動車業界は交通弱者の救済や物流の無人化といった社会的意義を強調しているが、開発に前がかりになっていた最大の動機は技術の囲い込みや新ビジネス創出といったそろばん勘定だ。不可能へのチャレンジは技術進化に欠かせないが、本音と建前が乖離しすぎると往々にしてトラブルが起こる。投資家へのアピールのために無理なアジェンダを提示するのは少し控えたほうがよかろう。
▽自動運転技術はこれで終わったりはしない
・自動運転の“進化のさせ方”についても決着した観がある。 システムが対処できなくなったらアラートを出してドライバーに操作を渡す自動運転レベル3はやはり危ない。ドライバーがとっさに対応できるとは限らないし、システムがリスクを見逃していた日には目も当てられない。少なくとも一定条件下では無条件にシステム側が事故の責任を負う、いわゆるレベル4が自動運転のマストと考えたほうがいいだろう。
・素晴らしい新技術が萌芽的に出てきたとき、社会は当然その技術の進展に期待を寄せる。モノづくりに矜持を抱くメーカーがその期待に応えようとするのは、国によらず本能のようなものである。が、それがいつの間にか投資家におもねることにすり替わってしまい、無茶なアジェンダの提示合戦を繰り広げてしまうパターンに陥るとまずい。
・数年前の欧州におけるディーゼルの排出ガス不正もそうだったが、正義を振りかざしながら“無理筋”を通そうとしているときに限って、何らかの問題をワンパンチ食らっただけで腰砕けになってしまうものだ。ウーバーの事故でいきなり自動運転関連企業が静かになってしまったのもその類である。
・しかし、自動運転技術はこれで終わったりはしない。 ニーズは確実にあるし、場合によってはまったく新しい交通の景色を見せてくれるようになるかもしれない。そういう技術の開発であるからこそ、プレーヤーは広げた“風呂敷”が実情に沿ったものか、それとも“虚栄心”が勝っているかどうかを常に自省し、本筋を踏み外さないようにする理性を大事にすべきだ。
http://diamond.jp/articles/-/166660

第一の記事で、 『自動運転モードとはいえ、当然ながら試験車には同乗者がありました。しかし、危機回避の適切な行動は取られなかった・・・今回のウーバー事故は、報道される状況証拠から、自動運転車が全く歩行者やリスクを感知しないまま自動的に進行したものと思われます。何も考えずに猪突猛進すれば、前方の物体に衝突するのが当然で、事故は必然的に起きたと言うしかありません』、どう考えてもお粗末過ぎる事故だ。 『テスラの自動運転車事故も、今回のウーバー事故もそうですが、商品化を焦ったり、実験成功の情報発信で企業資産価値を上げたり、という拙速と言うか姑息とさえ言える経営判断によって事故が起きてしまっている』、というのはさもありなんだ。 『自動運転中とはいえ、その車に乗っていた運転しない運転者、手動モードに切り替えたなら、自分でハンドルを操作して危険を回避できた可能性のある人には、どのような責任がかかるのでしょうか?』、無論、運転者にも責任はあるが、自動運転ということで、気が緩んでしまいがちになるのは、人間の性ともいえる。 『AIだ 自動運転だ 夢の未来社会だ といったばら色の絵図を描くのは結構なのですが、それに見合うだけの守りと足腰を備え、責任をもって国家百年の計として自動運転を位置づける欧州と、何もそうしたことは考えず「神の手」に任せたことにしやすい米国のコントラストが非常に際立っているように思います』、日本としては堅実な欧州スタイルでいくべきだろう。
第二の記事で、 『今回の事故を、自動車業界が『今後何をやっていけばいいのか』ということを、頭を冷やして考えるきっかけにしなければ、犠牲が報われない」』、というのは正論だ。 『日本メーカーが長い間「自動運転技術は事故ゼロを目指すためのもので、技術的な障壁を無視して完全自動が自己目的化するのはよくない」というスタンスを取ってきたのは、技術でリードするがゆえにその難しさ、リスクを死ぬほど知っていたからにほかならない。 最近になってトヨタをはじめ主要メーカーが自動運転に次々と参戦したが、「技術の飛躍への対応を誤らないようにということもあるが、何よりも遅れているというイメージをこれ以上持たれてはかなわないという意味合いが強い」(トヨタ関係者)という。決して宗旨替えしたわけではないのだ』、というのいで、必ずしも日本メーカーが立ち遅れている訳ではないことを知って、一安心した。 『システムが対処できなくなったらアラートを出してドライバーに操作を渡す自動運転レベル3はやはり危ない。ドライバーがとっさに対応できるとは限らないし、システムがリスクを見逃していた日には目も当てられない。少なくとも一定条件下では無条件にシステム側が事故の責任を負う、いわゆるレベル4が自動運転のマストと考えたほうがいいだろう』、 『モノづくりに矜持を抱くメーカーがその期待に応えようとするのは、国によらず本能のようなものである。が、それがいつの間にか投資家におもねることにすり替わってしまい、無茶なアジェンダの提示合戦を繰り広げてしまうパターンに陥るとまずい』、などは説得力がある。
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