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憲法改正問題(その6)(現代日本とフランス第2共和政はソックリだ 憲法改正の先には何が待ち受けているのか、憲法論争の不毛さを見事に喝破した週刊ポストの特集記事、木村草太教授と読み解く自民党の改憲7案 安保法制を無理に通したツケが回ってきた、「国家優先」に覆われた自民党改憲案は危険だ 前川喜平氏が指摘する「26条改正案」の問題点) [国内政治]

憲法改正問題については、昨年8月29日に取上げたままだったが、今日は、(その6)(現代日本とフランス第2共和政はソックリだ 憲法改正の先には何が待ち受けているのか、憲法論争の不毛さを見事に喝破した週刊ポストの特集記事、木村草太教授と読み解く自民党の改憲7案 安保法制を無理に通したツケが回ってきた、「国家優先」に覆われた自民党改憲案は危険だ 前川喜平氏が指摘する「26条改正案」の問題点)である。

先ずは、神奈川大学国際センター所長、教授の的場 昭弘氏が昨年11月21日付け東洋経済オンラインに寄稿した「現代日本とフランス第2共和政はソックリだ 憲法改正の先には何が待ち受けているのか」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/198230
・『マルクスは・・・「海神(わだつみ)テティスはアキレウスに、お前は若さの絶頂期に死ぬだろうと、予言した。憲法もアキレウスと同じ急所をもっていたので、アキレウスと同じように早死にするだろう、との予感をもっていた」・・・この憲法とは、1848年のフランス第2共和政憲法のこと・・・美しすぎるがゆえの悲劇を自らのうちにもつからである』、『わがアキレス腱である憲法9条 昨今のわが国の状況を見ると、これは日本国憲法の話だと思っていいのかもしれない。改憲の論議は、わがアキレス腱である9条に注がれているからである。まれに見る見事な憲法である日本国憲法は、1848年当時としては理想的憲法であった第2共和政憲法と酷似している』、マルクスやアキレウスが登場した理由が漸く理解できた。
・『第2共和政憲法のアキレス腱とは何か。それは、大統領の再選を認めなかったことである。フランス革命以来、フランスでは、ロベスピエール、ナポレオン・ボナパルトといった独裁者がつねに生み出されてきた。だからこそ、第2共和政の憲法は、そうした独裁者を生み出さないことに苦慮した。その結果、大統領の再選を阻止し、大統領の親族による継承も阻止するという条文が憲法に織り込まれることになったのだ。 しかし、賢い大統領ならば、この憲法の盲点に気づくはずである・・・賢い大統領の言い分はこうだ。「自分には民衆という味方がいる。民衆はヨーロッパの革命家による革命の騒乱にあきあきしている。そのためには強力な政府が必要である。だから民主的な憲法を破棄しても、それを国民は認めるだろう」。そのように考えたルイ・ナポレオン(ナポレオン3世)はクーデターを起こした。まさにルイ・ナポレオンの見立ては的中した。一部の反抗はあったが国民の趨勢はクーデター支持であった。 美しき憲法は、かくしてその美しさのゆえに無残にも破棄されたのである』、なるほど。
・『第2共和政は薄命に終わり、長い第2帝政の時代が始まる。皇帝となったルイ・ナポレオンは、政権維持のためにつねに外敵をつくることに奔走した。国民の目を国内に向けさせないためにも、外敵の脅威というものが政権維持に欠かせないものであったからである。クリミア戦争、メキシコ戦争、イタリア独立戦争と続き、最後には普仏戦争によって、その牙城はもろくも崩れ、体制は崩壊する。 フランスのロベスピエール、ナポレオン・ボナパルト、ルイ・ナポレオンの出現は、独裁者はどこから出現するかという問題のヒントを与えてくれるかもしれない。これらの独裁者は、いずれも民主的世界から出現し、その出現が国の外の脅威から生まれている点に共通性をもつ』、外敵が独裁者の誕生を生み出すというのは、民主主義の脆さを示唆している。
・『独裁とは、ある意味民主国家が緊急時にそなえて置く制度ということになる。言い換えれば、独裁は民主主義が危機に陥ったとき、その民主体制の中から、民主主義それ自体を食い破り出てくる民主主義に必然的なものだということにもなる。国家存亡のおりだとか、戦争状態だとか、そうした危機に乗じて、民主体制はいつでも、自らの価値体系である民主主義を停止させることができるということである。 だからこそ、為政者がつねに権力の座にあるためには(あるいは為政者が自らに都合のいい体制をつくるには)、つねにどこかに危機がせまっていることを、国民に告げる必要がある』、独裁は民主主義が危機に陥ったとき・・・民主主義それ自体を食い破り出てくる民主主義に必然的なものだ」というのは考えさせられる歴史的事実だ。
・ジョージ・オーウェルの『1984年』という小説は、まさに独裁体制を描いた名高い小説だが、そこで出てくるスローガンにある・・・言葉とは、「戦争は平和である、自由は屈従である、無知は力である」・・・国を閉じ、海外からのニュースを遮断し、国民を無知の状態に置き、戦争状態こそ日常の平和であることを教え、国家権力に従属することこそ自由であることを国民に馴致(じゅんち)させることである。敵が誰であろうとかまわない。敵がいることが重要なのである・・・オーウェルの世界に、「2分間憎悪」という興味深い儀式が出てくる・・・国家が決めた敵に対して、2分間ひたすら憎悪の言葉を投げつけることで、いつのまにかその敵が現実にいるように見え、その敵に対して戦っている国家がすばらしいものに見えてくるという儀式である。国民の不満を国家に対する不満へと昇華させないで、外敵に向けさせることで、ガス抜きを図るというものである』、「2分間憎悪」までは覚えていなかったが、なるほど。
・『これらはもちろん架空の世界の物語だが、いまのわが国の状況を少し客観的に見れば、この架空の世界に似てなくもないことに、いまさらに驚く。 北朝鮮という外敵(ちょっと前は中国であったが、時には韓国の場合もある)に対して、憎悪を募らせ、危機があおられる。本当にどれくらいの危機であるかを知るには、東西の国際情報を手繰り寄せて、それによってしっかりと判断すべきなのだが、そうした面倒くさい手続きは忘れられ、ひたすら脅威のみが喧伝され、それに国民は躍らせれる。そうなると、いつの間にか民主憲法といって誇りをもってきた憲法も、戦後の制度も、極めて脆弱なものに見え、国民は、何か強い独裁的な人物像の出現を待ち望みたい気持ちになってくるから、大変だ。 ふと考えると戦前の日本も、こうした状態に振り回されたのではなかったか。いま立ち止まってゆっくりと考えてみるべき時かもしれない。せっかく勝ち得た民主主義を手放さないためにもだ』、確かに現在の日本が置かれた状況は、要注意のようだ。

次に、元レバノン大使の天木直人氏が1月29日付けの同氏のブログに掲載した「憲法論争の不毛さを見事に喝破した週刊ポストの特集記事」を紹介しよう。
http://kenpo9.com/archives/3195
・『週刊ポスト(2月9日号)に、「憲法たたき売り国会の欺瞞」という特集記事がある。 これは、憲法9条が、自民党総裁選や野党共闘の道具にされていることを嘆き、糾弾する記事だ。 すなわち、自民党の安倍首相も石破、岸田総裁候補も、公明党も、立憲民主党も、本心は9条改憲などどうでもいい、名誉欲と票集めとスキャンダル隠しのために騒いでいるだけだと書いている』、なるほど。
・『まず自民党であるが、本気で憲法改正を発議するなら、いまごろは党内一丸となって国民に改憲の必要性を訴えて行かなければいけないのに、「冷めたピザ」のようにまったく熱気がないという。 無理もない。安倍首相は公明党と維新の会を抱き込むために、自衛隊明記と教育無償化しか関心はなく、宏池会の岸田氏は安倍禅譲を狙っていとも簡単に憲法9条への愛着を捨て、石破氏は安倍攻撃の格好の標的と見て自衛隊明記だけにこだわる安倍批判を繰り返す』、確かに自民党の熱気のなさは不思議だ。
・『いまや野党第一党になった立憲民主党は、枝野党首自身が改憲論者であり、解散権制約に応じるなら9条の議論に応じてもいいといいだす有様だ。 不倫疑惑を抱えて立憲民主党入りした山尾志桜里議員に至っては、突然「リベラルからの9条改憲」を唱えだしている』、枝野、山尾両氏とも弁護士出身なので、自分の改憲論理に過剰な自信を持っているためなのだろうか。立憲民主党が所詮、勝ち目のない改憲論議に突っ込んでいくとは、自殺行為だ。
・『週刊ポストの特集記事は、保守派の西尾幹二電気通信大学名誉教授の言葉を引用して、こう締めくくっている。「憲法改正は国の根幹にかかわる大事業。目先の都合や政治的打算で行われれば必ず禍根を残す」(西尾) こんな打算まみれの改憲論議の末に「自衛隊を合憲にしたぞ」と胸を張られても、最前線で国の守りにつく自衛隊員たちは虚しくなるばかりではないだろうかと。 日本の安全保障政策について堂々と議論した上で改憲の是非を決めるべきだとする西尾氏や週刊ポストの主張は正しい』、ここでの「正しい」の意味は、以下の主張を考慮すれば、「論理的には正しい」程度の意味であろう。
・『しかし、その目指す方向が憲法9条を捨て、日本を軍事的強国にすべしというものであることは明らかだ。 根本的に間違っている。そうではないのだ。 いま日本の政治に求められているのは、日本の安全保障政策を正面から議論した上で、憲法9条を守るどころか、今こそ憲法9条を国是とし、憲法9条と真っ向から矛盾する日米軍事同盟から自立すべきだ、と主張する政党であり、国会議員だ。 社会党が自民党と連立を組んで消滅したいまや、それを唱えるのは共産党だけになってしまった。 その共産党も、生き残りをかけて野党共闘を優先し、安保論争を封印してしまった』、共産党まで安保論争を封印したのであれば、残念ながら国会にはどうも期待できないようだ。

第三に、3月20日付け日経ビジネスオンラインで副編集長の森 永輔氏が掲載した「木村草太教授と読み解く自民党の改憲7案 安保法制を無理に通したツケが回ってきた」を紹介しよう。
https://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/16/071000146/031900025/?P=1
・『自民党の憲法改正推進本部が3月14日の役員会で、9条に関する7つの改憲案を示した・・・新進気鋭の憲法学者、木村草太・首都大学東京教授に聞いた。・・・木村:大きく言えるのは、安全保障法制*を2015年に無理に成立させたツケが回ってきたということです。安保法制を成立させる前なら、自衛隊を憲法に位置づけるのは今より容易でした。「日本が武力攻撃を受けた場合にこれを阻止するため自衛隊を置く」とすればよいわけですから。しかし、安保法制があるがゆえに、こうした書き方ではすまなくなっている・・・一方、安保法制の合憲性を明確にするには、集団的自衛権行使の限定容認を明示する文言にしなければならない。それは国民投票において国民の理解を得られない可能性が高い。かといって、あいまいな表現を取れば、憲法による統制が意味を成さなくなってしまう』、なるほど。
・『【9条の2】我が国の平和と独立を守り、国及び国民の安全を保つための必要最小限度の実力組織として、法律の定めるところにより、内閣の首長たる内閣総理大臣を最高の指揮監督者とする自衛隊を保持する・・・木村:この表現は、意味が定まっていないので、評価のしようがありません。安倍政権が、集団的自衛権行使を限定容認する新たな9条解釈を閣議決定する以前は、自衛隊の役割は明確でした。政府が旧三要件としてまとめていたものです・・・我が国が武力攻撃を受けた時、もしくは相手国が我が国に対する武力攻撃に着手した時に、これを排除するための必要最小限度の実力として自衛隊を位置づけていました。 有力案の表現は、自衛隊の武力行使を旧三要件を充たす武力攻撃事態の時のみに限定するのか、そうでないのかが不明です。 というのも、2014年閣議決定は、これに加えて、新たに定めた新三要件の下でも武力行使が可能としました・・・この新三要件の冒頭に挙げられている存立危機事態の説明と、有力案の表現とは全く異なります。これでは、存立危機事態において自衛隊が武力行使できるかどうかも分かりません。 以上のことから、この案には二つの問題があることが分かります。一つは、武力攻撃を受けた場合を超えて、すなわち拡大解釈して、武力行使できる可能性があることです。例えば、イラクのクェート侵攻に反撃するために行われた湾岸戦争ですら、「我が国の平和」を守るための武力行使と強弁する人もいるでしょう。シーレーン封鎖によって石油の輸入ができなくなった事態をもって「独立」が侵されたという人が現れるかもしれない。 第2の問題は、この有力案では安保法制が合憲かどうか判断することができないことです。私は、安保法制による集団的自衛権行使の限定容認は、政府の説明を前提とすると違憲と評価せざるを得ないと考えます・・・2015年の審議の過程であれだけの混乱を招いたのですから、改憲案は集団的自衛権行使の限定容認が合憲か否かを明確にする必要があるのではないでしょうか』、有力案は安保法制との整合性など考えずに、昔の改憲案を持ってきたのだろうか。
・『行政機関としての自衛隊は73条で定めるべき・・・「必要最小限度」かどうかは、その目的が何であるかによって異なります。侵略のために必要な最小限度と、個別的自衛権を行使するのに必要な最小限度は異なる。 有力案の表現は、何のための必要最小限度なのか不明です。先ほどお話した通り、「我が国の平和と独立を守り、国及び国民の安全を保つため」が武力攻撃事態への対処だけを指すのか、存立危機事態への対処を含むのかが不明だからです。もっと言えば、存立危機事態がどのような状況を指すのかがそもそも判然としていないという問題もあります』、なるほど。
・『「内閣の首長たる内閣総理大臣を最高の指揮監督者」とするのは・・・有力案のこの字句は、自衛隊が行政機関であるのか、そうでないのかが分かりません。 行政機関としての自衛隊をそのまま憲法に書き込むならば、憲法に「72条の2」として加えるか、内閣の権能を定めた73条に新しい項を加えるべきでしょう。例えば、行政活動の一つとして防衛を行うとか、防衛のための行政機関として自衛隊を設置するといった表現で・・・9条に規定すると、他の行政機関とは異なる機関であるかのように受け止められかねません。そうなると、「行政機関が本来守るべきルールを逸脱しても許される」という誤解を与える懸念がある。行政機関には、法律に基づいて事務を執るとか、平等の原則とか、さまざまなルールが存在します。有力案の書き方はこの点において不注意です』、というのは重要な指摘だ。確かに、9条に規定すると自衛隊が別格の機関と捉えられる恐れが大いにありそうだ。
・『いまの改憲論議は2つのことを同時にやろうとしているので混乱しています。1つは、日本を守るための自衛隊、もしくは個別的自衛権の行使を認めるか否か。もう一つは、その自衛隊に、集団的自衛権を根拠とする他国の防衛を援助するための武力行使を認めるか否か。前者は自衛隊法76条が定める武力攻撃事態、後者は存立危機事態に相当します。 国会法第68条の3は「(前略)憲法改正原案の発議に当たつては、内容において関連する事項ごとに区分して行うものとする」と定めています。したがって、この2つの論点は、別個に国民投票に発議する必要があります。個別的自衛権については多くの賛同が得られるでしょう。他方、集団的自衛権については大きく意見が割れるのではないでしょうか。この点からも両者を分けて発議すべきと考えます』、こんな指摘は初耳だが、確かにその通りだ。
・『私は最近の世論調査のあり方に疑問を持っています。これらの2つのことを分けずに質問しているからです。「9条改正に賛成ですか」という質問があります。これには「反対」の回答が多い。一方「自衛隊の明記に賛成ですか」との質問には「賛成」が多くなる・・・これはなぜか。「自衛隊の明記に賛成ですか」との質問は、「個別的自衛権の行使を認めるか」と理解される傾向があるからです。これに対して「9条改正に賛成ですか」は集団的自衛権の解禁とか、国連決議に伴う武力行使への参加について問われていると解される。 この点からも、以上の2つのことは分けて国民投票に発議すべきと考えます』、正論である。
・『これからの改憲論議に期待する点は・・・国民投票で国民に何を問うのかを明確にすることです。今はここが明確になっていない。理由は2つあります。 第1の理由は、今の議論は、条文案をいきなり作ろうとしていること。通常の法律の改正は、実現すべき内容を考え、要項をまとめることから始めます。何を実現したいのかさえ決まっていれば、条文作りは最後の仕上げの技術的な作業です。専門家に任せればよい・・・国民投票は・・・条文に表わしてから行ないます。しかし、要項で「そもそも何がしたいのか」を示されないと、条文だけを見ても何を意味するのか分かりません。 もう一つの理由は、自民党が安保法制に自信を持てていないことです。限定的な集団的自衛権行使を容認する安保法制と整合性が取れる形で憲法に自衛隊を位置づけようとすれば、国民の賛同が得られない可能性が高い。よって、国民投票を通すためには、条文をあいまいなものにせざるを得ないわけです。 繰り返しになりますが、安保法制を成立させる前なら、憲法に自衛隊を位置づけるのは容易でした。安保法制のツケが回ってきたのです』、木村教授の冷静な主張は、説得力がある。あいまいな条文で強引に改正させる最悪の事態だけは、何としてでも阻止すべきだ。

第四に、元文部科学事務次官で現代教育行政研究会代表の前川 喜平氏が5月24日付け東洋経済オンラインに寄稿した「「国家優先」に覆われた自民党改憲案は危険だ 前川喜平氏が指摘する「26条改正案」の問題点」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/220823
・『自由民主党は去る3月22日、4項目の憲法改正案をまとめた。「9条の2」の追加や緊急事態条項の問題点ばかりが取りざたされているが、26条の改正案についてはあまり注目されていない。 自民党が26条を改正の俎上に載せたのは、教育(特に高等教育)の無償化という課題があったからだが、この改正案が実に問題なのである・・・自民党改憲案では現在の26条1項、2項はそのまま残し、次のような3項を加えることになっている。「国は、教育が国民一人一人の人格の完成を目指し、その幸福の追求に欠くことのできないものであり、かつ、国の未来を切り拓く上で極めて重要な役割を担うものであることに鑑み、各個人の経済的理由にかかわらず教育を受ける機会を確保することを含め、教育環境の整備に努めなければならない」 自民党としては、教育無償化のための憲法改正を主張する日本維新の会を取り込みたいという意図もあるのだろう。加えて、国民の賛同が得やすい改正点を盛り込んでおきたいという思惑もあるのだろうが、「教育の無償化」という課題そのものは十分国民的議論に値する』、なるほど。
・『高校など後期中等教育の無償化は、日本が1979年に批准した国際人権規約に盛り込まれていたが、この条項を留保し続けてきた政府は、民主党政権だった2012年に留保を撤回し、現在はこの規定に拘束されている。 また、第二次安倍政権においても、規模が小さいながらも、大学・専門学校の学生に対する給付奨学金が制度化され、「漸進的無償化」が進められている。幼児教育についても毎年少しずつ無償化の範囲が広がっている。 安倍政権によって・・・無償化は曲がりなりにもすでに実現している。 教育無償化が教育政策の重要課題であることは確かだ。しかし、自民党の26条改憲案を見ると、「無償」という言葉は全く出てこない・・・元々「無償」という言葉は、26条2項中の「義務教育は、これを無償とする」という規定に出てくるのだが、この規定はそのまま残すことになっていることから、「義務教育以外の教育は有償でよい」という反対解釈が引き続き成り立つことになる。 つまり、自民党の改憲案は、教育の無償化については現行の規定から1ミリも進んではいないのだ』、これでは羊頭狗肉そのものだ。
・『自民党の改憲案には多くの言葉が並べられているが、いったいこの追加条項は何を言おうとしているのだろう。 改正案の3項では「国」を主語とし、「努めなければならない」で締めくくられている。すなわち国の努力義務ということになる。では何に努力するのかというと、「教育環境の整備」なかんずく「各個人の経済的理由にかかわらず教育を受ける機会を確保すること」である。 だが、この国の義務は現行の26条1項で十分読める。 現行1項は「すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する」と規定しているが、社会権である「教育を受ける権利」を保障するために教育環境の整備を行うことは国の当然の義務であって、改めて書き込む必要はない。 さらに、同項中の「ひとしく」の文言には、すでに経済的地位による差別を禁止する趣旨が含まれており、その趣旨は教育基本法4条に具体的に示されている。だから、そもそもこの条項は不要なのである。 「教育が……に鑑み」の部分は、国が国民の教育を受ける権利を保障する際の留意事項であるが、「人格の完成」や「幸福の追求」は現行憲法13条からも導かれる内容であって、わざわざ書かなくてもいい』、なるほど。
・『他方、「教育が……国の未来を切り拓く上で極めて重要な役割を担うものであること」を留意事項とすることは極めて問題である。 人権保障規定に「国の未来」などという条件を持ち込んではいけない。このような留意事項は、教育を受ける権利の保障に関係ないだけでなく、「国の未来を切り拓く」上で役に立つ国民の教育は保障するが、役に立たない国民の教育は保障しないという論理につながる危険性を持っている。 この自民党改憲案は全体として、個人を国家に従属させる国家優先の思想に覆われているが、その思想がこの文言にも表れていると言えよう。 自民党の26条改正案は元々、9条加憲や緊急事態条項という「国民が食べにくいものを食べやすくする」ため、食べ合わせに甘いおかずを用意しようとするものだと考えられるが、その甘い(が栄養がない)おかずの中にも体を蝕む毒が入っている。 憲法26条は当面、今のままで不都合はない。自民党の26条改正案は、それらしい言葉をたくさん並べてはいるが、そのほとんどは全く不要であり、一部は有害ですらある。教育の「漸進的無償化」なら現行憲法の下で進めていけばよい』、「甘い(が栄養がない)おかずの中にも体を蝕む毒が入っている」というのは初耳だが、極めて重要な危険性の指摘だ。
・『改憲より先にやるべきことがある 2016年12月に超党派議員連盟を母体とする議員立法によって制定された「義務教育の段階における普通教育の機会の確保等に関する法律」(教育機会確保法)は、すべての個人に無償普通教育を保障すべき国(自治体を含む)の義務の履行を、大きく一歩前に進めるものだ。 当面、フリースクールに通う子どもたちへの支援の充実を図り、公立夜間中学等の量的・質的充実を図るなど、この法律の指し示す方向での施策を進め、国籍や年齢を問わず学習する機会が保障されるようにすることが必要だ』、さすが専門家らしい正論だ。
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