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日本のスポーツ界(その15)(日本人はなぜ「醜くても勝つ」より「美しく負ける」を好むのか、6歳を炎天下で走らせる 少年スポーツの実情 協会から通達が出ても、現場の大人たちは…) [社会]

日本のスポーツ界については、7月12日に取上げた。最近問題化している日大アメルカンフットボールや日本レスリング協会の問題は、明日取上げるとして、今日は、(その15)(日本人はなぜ「醜くても勝つ」より「美しく負ける」を好むのか、6歳を炎天下で走らせる 少年スポーツの実情 協会から通達が出ても、現場の大人たちは…)である。

先ずは、脳科学者の中野 信子氏が7月10日付け現代ビジネスに寄稿した「日本人はなぜ「醜くても勝つ」より「美しく負ける」を好むのか 日本人の脳に迫る⑤ 」を紹介しよう。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/56481
・『サッカーのW杯ロシア大会決勝トーナメントでベルギーに敗れ、史上初の8強進出をのがしてしまった日本。結果をどう見るかは意見が分かれるところでしょうが、概ねサムライジャパンの健闘を称え、各選手がプレイ中に見せた輝きに焦点を当てた好意的な報道が多かったように思います。また、日本チームが使用したロッカールームが選手たち自身の手で試合後きれいに清掃され、ロシア語で感謝のメッセージが残されていたこと、加えて、日本チームのサポーターがごみを残さずきれいに会場を後にするという、よく統制された行動をとったことなどにも注目が集まりました。 こうした側面に着目した記事が多くの人の心をとらえる、という現象は非常に興味深いものです。多くのメディアもこのような書き方を好む大衆の性質を知悉していて、「美しい」エピソードをこぞって探しているようにも見えました・・・決勝トーナメントで日本チームの敗退が確定した時、グループリーグの戦いを終えて16強入りが決まった時以上の賛辞がここぞとばかりに寄せられたことは、注目すべき点のひとつです。 美しいエピソードを報じるニュースが支持を得ていることと考え合わせると、勝敗そのものよりも美しく振る舞うことのほうがずっと大事だ、と多くの人が無意識のうちに感じていたことになります』、私にはいささか鼻につく報道だったが、事実としてはその通りなのだろう。
・『ワールドカップ関連のニュース記事やSNSにおける反応は、海外のものも含め、総じて「“汚く”勝ち上がるよりも“美しく”負けるほうに価値がある」というコンセンサスを、人々がごく自然に持ち合わせていることを示すものでした。 無論、こうした暗黙の了解に対して異を唱えるコメントもありましたし、私自身、戦略はどうあれ勝利は勝利であり、ルールに則った勝ち上がり方であるならば基準のよくわからない「美しさ」に反するからといって批判するには当たらない、という考えをテレビ番組などでは表明していたのですが、やはりメインストリームにはこのような“美学”が厳然と存在することをあらためて強く感じさせられる出来事でした。「“汚く”勝ち上がるよりも“美しく”負けるほうに価値がある」というメッセージは、一見すばらしいように見える一方、非常に危険なものです。後に詳述しますが、顔の見えない人々の巨大な集合体からこうしたメッセージが暗黙裡に発せられ、それを変えることは難しい、という点がその危険性をより大きくしていると言えます』、危険性とは穏やかではないが、著者の言い分をもっと見てみよう。
・『歴史上の人物で人気があり、くり返しくり返し物語として語り継がれて行くのは、多くは悲劇的に人生を終えた人たちです。 典型的な例としては、例えば戦国時代ならば大坂夏の陣で敗れた真田幸村(信繁)、幕末なら会津の白虎隊、江戸時代ならば仇討ちを果たして切腹となった赤穂浪士たち、時代をさかのぼればそれこそ「判官贔屓」の語源ともなった源義経が想起されるでしょう・・・ごく一般的な傾向としてはやはりわかりやすい悲劇性を持った人物が人気を集めるようです。 人間のそういった部分に美しさを感じ、肩入れしてしまうという傾向を、私たち人間自身が備えていることの証左と言えるでしょう。 本邦に限らなければ、たとえば三国志であればやはり志半ばで病に斃れた諸葛孔明の人気が日本では高く、圧倒的な強者である曹操が好きだという人はなぜか少数派です。中華文化圏では関羽が絶大な人気を集め、関帝廟という形で祀られたりもしています。やはり非凡な力を持ちながら見果てぬ夢に散る、という姿が多くの人の心をとらえるのかもしれません』、日本人特有の傾向と思っていたが、どうも人類共通の傾向らしい。
・『美しい、美しくない、は脳のどこが判定しているのでしょうか。 美を感じる脳の領域は前頭前野の一部、眼窩前頭皮質と内側前頭前皮質だと考えられています・・・この部分は一般に「社会脳」と呼ばれる一群の領域のひとつで、他者への配慮や、共感性、利他行動をコントロールしているということがこれまでの研究から示されています。 内側前頭皮質はこの近傍のより内側にあり、ここはいわゆる「良心」を司っている領域ではないかと考えられています。自分の行動が正しいか間違いか、善なのか悪なのか、それを識別する部分です。 美しい、美しくないという基準と、利他行動、良心、正邪、善悪等々は理屈の上で考えればまったく別の独立した価値なのですが、脳ではこれらが混同されやすいということが示唆されるのです・・・私たちはごく自然に、人の正しい行為を美しい振る舞いと、不正を行った人を汚いヤツと表現します。それも、日本語に限られた現象ではありません。やはり脳はこれらを似たものとして処理しているようなのです。 こうした利他性、良心、正邪、善悪の領域があるからこそ、私たちは社会生活を送ることができます。これらの領域が「社会脳」と呼ばれるのはこのような理由からです』、「利他行動、良心、正邪、善悪等々は・・・脳ではこれらが混同されやすい」、なるほど。
・『これらの機能は私たち人間では突出して発達しており、それが人間をここまで繁殖、繁栄させた源泉ではないかという考え方もあります。 ホモ・ネアンデルターレンシス(ネアンデルタール人)の頭蓋骨格と比較すると、現生人類ホモ・サピエンスの前頭洞は丸く大きく、脳の容量ではネアンデルターレンシスに負けるものの、前頭前野の発達度は比較にならないほど高いのです。 美しい、美しくないを判定する領域も社会脳の一部であるとなると、この機能も社会性を保持するために発達してきたものと考えられます』、『社会性を維持することは、他の生物種と比べて肉体的には脆弱で逃げ足も遅い霊長類にとっては死活問題であり、これを制したわれわれ現生人類が繁栄を享受してきたと言ってもいいでしょう。 社会性を維持するには、各個体の持つ利他性を高め、自己の利益よりも他者または全体の利益を優先するという行動を促進させる必要があります』、なるほど「社会脳」の重要性が理解できた。
・『ただ、ともすれば自分が生き延びるためにはなりふり構わず個人の利益や都合を優先するという生物の根本的な性質に反してまで、利他行動を積極的にとらせるために、脳はかなりアクロバティックな工夫をしているようです。 正邪、美醜、悪という基準を無理やり後付けにしてでも脳に備えつけ、正義、美、善と判定されたときに快楽物質が放出されるようにして、何とか人間を利他的に振る舞うよう仕向けているのです。個人ではなく、種として生き延びるための工夫と言ってもいいかもしれません。 ところが、自分の利益、自分の勝利だけを優先して戦略を立てるという行動は、せっかく備え付けたこの性質に真っ向から反してしまいます。個の都合を優先し、明文化されていないにしても全体の暗黙のルールという社会性を破壊する行為をとるとは何事か、と糾弾されてしまうのです。 これはサッカーに限った話ではなく、不倫であったり“不謹慎”な発言であったりしても同様です。その個体の行動を、社会性の高いものに改めさせようとして、これ(社会性というルール)に従わないとは何事か、と言わんばかりに一斉に攻撃が始まります』、自分の利益を優先するというのは、資本主義の基本だが、アメリカの成金が寄付をするというのは、利他行動の一種なのだろう。
・『自分の利益を追求するという行動を完全に止めてしまうと、今度は個体としての生存が危うくなります。そのため、社会脳の機能にはある程度の柔軟性が付与されています。 わかりやすくいうと、「利他行動を優先しろ」と他者には攻撃しても、自分の利益は優先できてしまう、という程度のゆるさで社会脳は設定されている、ということです』、なるほど自己の甘いのは生存のための設定とは、面白いものだ。
・『最後通牒ゲーム、というよく知られた心理課題があります。これはふたりで行われ、一方がリソースの配分権、もう一方が拒否権を持ちます。配分権を持った側は自由な割合でリソースを配分でき、自分の取り分をどれだけ多くしてもいいのですが、もう一方に拒否権を発動されてしまうとどちらの取り分もゼロとなる、というルールです・・・だいたい落ち着きどころとしては、配分権を持つ側が7割以上の取り分を提示すると、拒否率が8割に跳ね上がるという傾向になるようです。 この課題で、拒否権を発動しやすいのが、実は利他行動を優先し続けるタイプの人たちです・・・「自分は利他行動を優先しているのに、あなたはなぜ利己的に振る舞うのか」「なぜ自分を不当に扱うのか」という心情が働いたのではないかと考えられます。彼らが拒否権を発動するのには、「社会性というルールにあなたも従うべきだ、そうでないならペナルティを負うべきだ」という制裁的な意味合いがあるのです。 興味深いのは、そのペナルティが相手にとってのペナルティになるだけでなく、自分の利益もゼロにしてしまうという点です。 最後通牒ゲームでは、どんなに配分比が悪くとも、ゼロよりは取り分が大きいので、拒否権を発動しないほうが実は常に得になります。合理的な選択をするのであれば、拒否権は行使しないほうが良いのです。 にもかかわらず、拒否権を発動する、ということは、コストをかけてでも、不公正な相手にペナルティを与えたい、という情動が強く働いたということにほかなりません。 拒否権を発動する人たちの脳を調べて見ると、脳のある部分に存在するセロトニントランスポーターというたんぱく質の密度が有意に低いことがわかりました・・・社会性のルールに従わないものはペナルティを負うべきだ、自分を不当に扱うものは許せない、利益を失ってでも制裁を与えたい、という気持ちが強く働く根底には、セロトニントランスポーターが少ない、という生理的な性質が寄与している可能性があるのです』、拒否権を発動する人たちの脳にはセロトニントランスポーターが少ない、というのには驚かされた。
・『日本人はセロトニントランスポーターの少ないタイプが世界でも最も多いというデータがあります。 つまり、日本人は、自分が利益を失ってでも、不正をした(ゲームのルールには実際には則っているのですが……)相手に制裁を加えたい、という気持ちが世界一強い民族である可能性があります。冷静で合理的な選択よりも、熱い気持ちで美しさを賛美したいのです。 もしそうなら、多くのことに説明がつくのではないでしょうか。サッカーで戦略的な負けを選択して決勝トーナメントに勝ち進むという、ポーランド戦のようなやり方が非難を浴びるのも、そのひとつかもしれません。また、社会性というルールを破る不倫という行為がここまでバッシングを浴びるのも、政治家の失言や、有名人の不適切な振る舞いがいつまでも攻撃され続けてしまうのもそうであるかもしれません。 私たちの中に生まれてくる感情は、時には合理的な選択を阻み、勝つことから自らを遠ざけてしまうことがあります。ただそれは長期的に見れば、私たちを種として生き延びさせよう、という天の配剤であるとも言えるのです』、日本人は総じてセロトニントランスポーターが少ないというのも興味深い指摘だ。ただ、日本人の「忘れっぽさ」には触れてないが、これがあるために、安倍首相も随分救われているように思うのだが・・・。

次に、フリーライターの島沢 優子氏が8月2日付け東洋経済オンラインに寄稿した「6歳を炎天下で走らせる、少年スポーツの実情 協会から通達が出ても、現場の大人たちは…」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/231698
・『「重大事故が起きやしないかと、気が気じゃない」そう心配するのは、首都圏で少年サッカーのクラブで指導をしている30代の男性だ。台風がくる前の週末に大会参加したが、目も当てられない光景に遭遇した。 最高気温38度を記録したその日。小学1年生の大会で、スポーツドリンクや塩分タブレットの補給をさせないチームがあった。氷で首や体を冷やす様子もない。聞けば、氷や水を保管するクーラーボックスをチームで持参していないという。気温が38度なら人工芝のピッチの上は40度を軽く超えており、6歳児の体には文字どおり過酷すぎる環境だ。「試合の合間はテントの日陰で過ごさせてはいたが、試合中、ハーフタイムはそのまま子どもは日なたに立たせたまま、ベンチでコーチが話をしていた。相手のチームはテントに戻らせているのに」と男性は憤りを隠せない。「日なたで耐えるほうがすごいのだ」というような昔ながらの根性論に見えたという』、「クーラーボックスをチームで持参していない」のもさることながら、「ハーフタイムはそのまま子どもは日なたに立たせたまま」というのは、信じられないお粗末さだ。
・『同じ日に行われた6年生の大会。男性の教え子が対戦した少年団も同様の「未装備」で、クーラーボックスなし、試合合間の患部冷却ナシ。よって後半に入ると、そのチームの選手はフラフラになり走れなくなった。見るからに熱中症の症状を見せていたが、ベンチに座ったコーチは逆にその子をしかり始めた。「やれないのか!」 怒られた子どもはシクシクと泣き始めた。交替させられたその子のところに飛んで行って氷で体を冷やし始めたのは、なんと対戦相手である男性のクラブのコーチたちだった』、しかるだけだったコーチが、これで反省すればいいのだが・・・。
・『「ボランティアでコーチを引き受けている人たちには頭が下がります。ただ、チーム全体の知識不足を感じる」と率直に話す。 社団法人日本サッカー協会からは各クラブに「炎天下で無理にやらせないよう、熱中症に細心の注意を払ってほしい」といった旨の通達が来ていたそうだ。協会が策定した「熱中症対策ガイドライン」を再度よく読むように、とのことだったというが…… 「(何年、何カ月も前から決まっている)練習や試合の中止を言い出すのは、かなり難しいのではないか。来年からはこの時期の大会は禁止と上(日本サッカー協会)から指示をするなり、会場を貸す側の自治体などが貸しませんと意思表示しないと、変わらないのでは」(前出の男性)』、いくらボランティアでコーチを引き受けているとはいえ、安全性には責任がある筈だ。
・『都内で女子サッカーチームの運営にかかわっていた40代の女性は、夏が来るたびにお父さんコーチと衝突したという。「プロになるとか最初から夢を持ってやる子が多い男子と違って、女子は間口が広い。ちょっとやってみようかなと始める子もいる。だからサッカーの楽しさを感じて続けてほしいのですが、夏に辞める子が1人か2人は必ずいる」 一度でも熱中症になると、それがトラウマになる。「サッカーをしたら、また頭が痛くなったり、息ができなくなる」と怖がって、辞めてしまうのだという。 そのような現実があるのに、コーチらはなかなか経験則を崩さない。 「暑いときにやらないと体力がつかない」「(暑さへの)耐性をつけなきゃ。頑張っていれば、暑くてもプレーできるようになる」・・・口々に反論されたという。自分たちも、似たような環境で頑張ってきたのだから、子どもたちにも強くなってほしいというわけか』、こんな馬鹿なコーチがには、子どもを止めさせるのも親の責任だ。
・『愛知県豊田市で校外学習中に熱射病にかかり死亡した小学1年生の男児は「疲れた」と漏らしてはいたが、ことのほか体調が悪いと訴えてはいなかったという。「その子の『疲れた』は、実は『死にそう』だったのではないか。大人が考えている以上に、子どもは実は我慢している気がする。特にスポーツで大人が子どもを服従させようとする態度であれば、子どもはそれに従おうとする」(前出の女性) 子どもが重要なことを我慢せずに言えるチーム。そうした空気、人間関係を大人たちがつくること。それが、熱中症などの事故を防ぐことにもつながるのだ』、その通りだ。
・『熱中症に関する知識不足は、少年スポーツを引率する大人たちをも危険にさらしている。都内、別のチームで少年野球にかかわる50代の母親は「自分の周囲では子どもが倒れたとは聞かないが、不摂生している大人がよく熱中症になる」と話す。 週末に残業したり、痛飲し、寝不足の体を引きずってグラウンドへ。炎天下で指導するのは体にこたえる。共働きが多いので、母親も同様だ。練習当番のお母さんが救急搬送されたこともある。 その母親の長男は数年前の8月、アメリカで行われた中学生の軟式野球大会に参加した。 「試合はすべてナイターだった。暑いときにスポーツをやるのはクレージーだと言われたそうです。日本の甲子園なんて、アメリカの人には信じられないでしょう」 真夏のスポーツをどうとらえるか。思考転換するときが来ているようだ』、夏の高校野球も含め、伝統とかこれまでのいきさつに囚われず、抜本的な思考転換が必要なようだ。
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