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”ひきこもり”問題(その5)(「中高年引きこもり」調査結果の衝撃 放置された人々の痛ましい声、引きこもり当事者が教える「引きこもり学」の思わぬ反響、一橋大卒、30年引きこもる56歳男性の心の叫び 「お母さんは死んでやるからね」に怯えた日々) [社会]

”ひきこもり”問題については、6月11日に取上げた。今日は、(その5)(「中高年引きこもり」調査結果の衝撃 放置された人々の痛ましい声、引きこもり当事者が教える「引きこもり学」の思わぬ反響、一橋大卒、30年引きこもる56歳男性の心の叫び 「お母さんは死んでやるからね」に怯えた日々)である。

先ずは、ジャーナリストの池上正樹氏が4月5日付けダイヤモンド・オンライン:に寄稿した「「中高年引きこもり」調査結果の衝撃、放置された人々の痛ましい声」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/198874
・『「ひきこもり中高年者」の調査結果が投げかけた波紋  国を挙げての新元号フィーバーにいくぶん覆われてしまった観があるものの、内閣府が3月29日に公表した、40~64歳の「ひきこもり中高年者」の数が推計約61万3000人に上ったという調査結果は話題を呼んだ。厚労相が「新しい社会的問題だ」との見解を示すなど、その波紋が広がっている。 共同通信によると、根本匠厚生労働相は同日の会見で、内閣府の調査結果について「大人の引きこもりは新しい社会的問題だ。様々な検討、分析を加えて適切に対応していくべき課題だ」と話したという。 さらに4月2日の会見でも、こうした「中高年ひきこもり」者が直面している課題に対し、根本厚労相は「1人1人が尊重される社会の実現が重要。『8050』世帯も含め、対応していく」などと、これからの政府としての方針を示し、国の「引きこもり支援」の在り方が新たなフェーズに入ったことを印象付けた。 確かに、引きこもりする本人と家族が長期高齢化している現実を「社会として新しく認識した」と言われれば、その通りだろう。そもそも「引きこもり」という状態を示す言葉自体、精神疾患や障害などの世界と比べてもまだ歴史の新しい概念だ。 しかし、40歳以上の「大人のひきこもり」が新しい社会問題なのかと言われれば、決してそんなことはない。引きこもる人たちの中核層が長期高齢化している実態については、多くの引きこもる当事者や家族、現場を知る専門家たちが、ずっと以前から指摘し続けてきていたことだし、各地の自治体の調査結果でもすでに明らかになっていたことだ。蛇足ながら、筆者の当連載も2009年に開始以来、10年近く続いている。 にもかかわらず、40歳以上の引きこもり当事者やその家族の相談の声は、制度の狭間に取り残されたまま、長年放置されてきた問題であり、こうして内閣府が実態調査に漕ぎ着けるまでに、何年もの時間がかかった。 80代の高齢の親が収入のない50代の子の生活を支える世帯が、地域に数多く潜在化している現実を目の当たりにした大阪府豊中市社会福祉協議会福祉推進室長で、CSW(コミュニティソーシャルワーカー)の勝部麗子さんは、8050に近づく世帯も含めて「8050(はちまるごーまる)問題」とネーミングした。こうした8050世帯の中には、持ち家などで生活に問題がないように見えても、子が親の年金を当てにして貧困状態に陥りながら、悩みを誰にも相談できずに家族全体が孤立しているケースも少なくない』、確かに「ひきこもり中高年者」問題は、「制度の狭間に取り残されたまま、長年放置されてきた問題」が、悲惨な殺人事件を契機に一気に脚光を浴びた形だ。長年取り組んできた筆者は、解説に格好の人物のようだ。
・『全てのケアマネジャーが把握「8050問題」の深刻な実態  最近、筆者は役所の福祉部署や社会福祉協議会などから、職員や支援者、地域の民生委員向け研修の講師を依頼される機会が増えた。先月、ある自治体の高齢者支援課に呼ばれて、地域包括支援センターのケアマネジャー向け研修会の講師を務めたとき、自分が担当している高齢者の中に「8050問題」に該当する世帯を把握しているかどうかを尋ねたところ、ケアマネジャーのほぼ全員が手を挙げた。 地域包括支援センターは、高齢者の介護などの相談や訪問サービスを担う施設であり、引きこもり支援は本来の仕事ではない。そうした現場でよく聞かれるのは、「介護している高齢者の家に引きこもる子の存在を知っても、どこに繋げればいいのかがわからない」「どういう支援をすればいいのか知りたい」といった声だ。 「本人や家族に、どうアプローチすればいいのかわからない」「専門のスタッフがいない」「人手が足りない」という現場の声は、生活支援の相談窓口や福祉・保健の部署からも聞こえてくる。今年3月に公表された厚労省委託事業の「KHJ全国ひきこもり家族会連合会」の保健所調査によると、回答した保健所の45%が「支援の情報に乏しい」、42%が「家庭訪問の余裕がない」と答えた。 国から「ひきこもり地域支援センター」を受託している都道府県・政令指定都市などの相談窓口ですら、本来、引きこもり支援の担当とされているにもかかわらず、若者の「就労」「修学」を目的としている青少年部署が担当していて、「40歳以上の相談については他の適切な機関に紹介している」だけという、お寒い実情の自治体もある。 同じKHJ家族会の調査によれば、引きこもり支援担当窓口と位置付けられている、全国の「ひきこもり地域支援センター」と基礎自治体の「生活困窮者自立支援窓口」の半数近い48%の機関が「ひきこもり相談対応や訪問スキルを持った職員・スタッフがいない」、半数を超える56%の機関が「ひきこもり世帯数も未知数で、家族会の必要性があるかわからない」と回答。孤立した本人や家族が、せっかく勇気を出して相談の声を挙げても支援につながらず、絶望して諦めざるを得なくなる現実が、全国3ヵ所で開かれたKHJ主催のシンポジウムでも報告されている。 社会が「大人の引きこもり問題」を新たに認識する以前に、そもそも社会には40歳以上の当事者やその家族の存在が「見えていなかった」ということであり、「見ていなかった」だけのことだろう。もっと言えば、本当は彼らの存在が見えていたのに「見なかったことにしていた」という話なのではないか。 相談の行き場を失った本人や家族たちは、支援の枠組みから取りこぼされ、長い間、放置されてきた。これだけの数の人たちが行き場もなく高齢化させられている、その責任は誰にあるのか。調査を行ったから終わりではなく、8050問題が顕在化する事態に至った社会的な背景や、従来の支援制度が現実に即していたのかなど、当事者や家族にしっかりとヒアリングした上で、検証と総括も必要だろう』、その通りだろう。
・『40歳以上でひきこもった人が6割に上るという現実  今回の調査で興味深いのは、「40歳以上になってからひきこもった」と回答した人が57%に上った点だ。また、ひきこもった理由も「退職したこと」を挙げた人の数がもっとも多く、「人間関係、「病気」「職場になじめず」が続いた。 支援の在り方についての自由記述の中にも、「40代でも再スタートできる仕組みをつくってほしい」「在宅でできる仕事の紹介の充実」などを望む声があった。 これは「引きこもり」という心の特性が、従来言われてきた「ひきこもりは不登校の延長」「若者特有の問題」という捉え方ではなく、「社会に適合させる」目的の訓練主体のプログラムでは馴染まないことを意味している。むしろ、社会の側にある職場環境の不安定な待遇、ハラスメント、いじめといった「働きづらさ」の改善に目を向け、一旦離脱しても何度でもやり直せるような雇用制度につくり直さなければいけない。 また、「ふだん悩み事を誰かに相談したいと思わない」人は43%と、助けを求められずに引きこもらざるを得なくなる心の特性が示された格好だ。一方で「関係機関に相談したいと思いますか」の問いに、「相談したい」と答えた人は47%と半数近くに上るなど、いずれも39歳以下の若者層の割合より高かった。「どのような機関なら相談したいか?」という本人への設問に対しては、「無料で相談できる」「あてはまるものはない」が並んで多く、「どのような機関にも相談したくない」「親身に聴いてくれる」が続いた。 自由記述でも、「偏見を取り除くのが大切」「公的機関としては“外出できない人”の周囲を助けるアドバイスや支援があったほうがよい」「外で働けない人たちに報酬付きでやってもらう仕組みができれば」「何かのきっかけで、イキイキする人には、きっかけになるような場所を」といった声が寄せられた。 「引きこもり」とは、人との交わりを避ける場所でしか生きられなくさせられている状態であり、その状況や背景は1人1人それぞれ違って、一律ではない。そんな中で、『メディアが描いた引きこもり像とは違うから』と誤解を受けやすいのは、就労しても長続きせずに引きこもる行為を繰り返す「グレーゾーン」のタイプであり、実はボリューム層だ』、私も「ひきこもりは不登校の延長」と考えていたので、「40歳以上でひきこもった人が6割に上る」との結果には驚かされた。
・『社会に繋がろうと頑張るほど絶望が積み重なっていく  まったく働けずに引きこもっていた人に比べて、こうして社会につながろうとして頑張ってきた人ほど、絶望が積み重なっていく。自分の心身を騙して頑張ろうとするのは、自らの意思というよりも、周りのバイアスに追い詰められ、働かなければいけないと思わされている証左でもある。今は課題を抱えていても、身近に理解者が1人でもいいから傍にいて守られていれば、生活や心身面で困ったときに相談することもできる。 これからは、雇用されることが前提でつくられた従来の制度設計を見直し、1人1人が自分らしく生きていけるための仕組みづくりを構築ていかなければいけない。そのためには行政の支援の施策づくりに、まず家族や当事者を交えた協議の場を設ける必要がある』、その通りだろうが、現実には難しそうだ。

次に、同じ筆者によるこの続きを、7月11日付け「引きこもり当事者が教える「引きこもり学」の思わぬ反響」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/208372
・『「引きこもり当事者」が教える引きこもり経験から学んだこと  何もないところから居場所を立ち上げ、維持していくのは並大抵のことではない。 しかし、そんな地方の都市で、生きづらさを抱えた当事者たちが居場所をつくり、引きこもり経験者を講師とする「ひきこもり学」と題する講演会を開いたところ、川崎市の児童らの殺傷など一連の事件の影響もあって、定員を超える67人が参加。会場は立ち見が出るほどの盛況ぶりだったという。 「社会には、居場所がない。皆、ひっそりと息をひそめて、自分を責めている」 6月23日、大分市内でこのように「ひきこもり当事者が、ひきこもり体験から学んだこと」という趣旨の講座を企画したのは、自らも当事者である佐藤尚美さんらがつくった「居場所~特性を生かす道~」。この日、実名で顔を出して講師を務めた桂木大輝さん(24歳)も、主催者の1人だ。 企画したきっかけは、KHJ全国ひきこもり家族会連合会が昨年、大分と宮崎の支部で開いた「つながる・かんがえる対話交流会」に、佐藤さんもファシリテーターとして参加したところ、「当事者の話を聞きたかった」という話を何度も聞いたからだという。 「確かに地方では、引きこもり当事者の話を聞く機会はなかなかない。そこで、当事者の中でも講師に合っていそうな桂木さんに声をかけたんですが、最初は『恐い』「と断られました。でも、『引きこもりながら自分を売って行く方法もあるよ』『居場所のみんなが全力で守るから』ってアドバイスして……。それでも、批判されるのでは?と恐がってました」(佐藤さん) 「居場所~特性を生かす道~」では、おしゃべり会を開催している。そこで佐藤さんは、桂木さんにもともと好きなコントの時間を割り当てた。すると、参加者たちが桂木さんのコントを評価。新聞記者から取材もされた。そのとき、本名を出すことを迫られ、悩んだあげく、「自分が広告塔になって、色々な傷ついてきた人たちが活動している私たちの居場所を知ってほしい」と決意したという。 会場は、県の社会福祉協議会に協力してもらい、無料で借りることができた。また、ツイッターでたまたま知り合ったIT企業、ゾディアックデザイン株式会社の社長から「面白いことをしている。お手伝いしましょうか」と声をかけられ、協賛金を出してもらえた。それでも講師代が出なかったため、当日の寄付金で賄った。 チラシは、居場所のアーティスト部門の当事者たちが作成。講演会当日も、スタッフの多くが当事者だったため、がくがく震えながら進行したという。 「ひきこもり学」をネーミングした佐藤さんは、「桂木さんが、いつも哲学などの学問的なことを考えていたので、『ひきこもり』とはどういうことなのか。広く社会の人たちに学んでもらいたい」と思ったという。まさに、当事者たちが発案して普及した、当事者が講師になって自由に思いや知見を社会に伝える「ひきこもり大学」の思想に似ている』、「つながる・かんがえる対話交流会」を地方でも開催しているとは、ご苦労なことだ。大都市だけの問題ではなく、全国的な広がりもありそうだ。
・『今も当事者を悩ます川崎事件の衝撃  当事者団体主催のイベントではあるが、参加者は一般の興味ある人や行政、当事者家族が多かった。最後まで立ち見して熱心に聞き入る議員の姿もあったという。 当日、会場からは「心に響きました」「勇気をもらいました」といった反応が多かったものの、一方で「甘えるな」という発言もあった。しかし、他の参加者には「知りたい」「聞きたい」という切実な思いの当事者や家族が多く、「今は、そういう話ではないんだよ」と、会場内で「甘えるな」の発言者を諌めるシーンもあったという。 「事件後、私の元に来た相談の中にも『孤立しているから、自分もそんなことしてしまうのではないかと不安なんです』と悩んでいたので、『私たちとつながっている限りは絶対にないから。大丈夫』と伝えました」(佐藤さん) 筆者のもとにも、孤立した人たちから「助けて」「恐い」「同じような仲間と出会いたい」といった相談は、今も続いている。同じ当事者仲間からの「大丈夫」の声がけは、きっと安心することだろう。 「私たちは、この居場所を1つの障害や特性にこだわらず、“ひきこもり”という大きなくくりの中に置きました。どうしたら前向きに生きていけるかをみんなで真剣に話し合って、大概は明るく終わっています」(佐藤さん) 今回、舞台を設定してもらい、顔を出して講師を務めることを決めた桂木さんは、「負けたくなかった」と話す。 桂木さんは高校2年のとき、引きこもった。中学時代、友人がいなくて浮いていたとき、身体の大きな同級生とその取り巻きに目を付けられ、集団で暴力的ないじめに遭ったときの傷も、間接的に影響しているのではと振り返る』、「孤立した人たち」のなかでも、相談する気も失せて、完全に孤立しているような人が問題なのかも知れない。
・『支えてくれる人たちがいればいくらでも外に立つことができる  「このまま外に出なかったら、学校やいじめた相手に負けてしまうという思いが今もずっとあった。引きこもりになったら、ずっと部屋から出ないというイメージとは違う。周りの支えてくれる人たちや環境があれば、いくらでも外に立つことができる。あのときいじめた相手のように、イエスマンを置かなければ何もできない人が日本には多い。でも、自分は1人でも堂々と立てることを、身を持って証明したいという思いも強かったんです」(桂木さん) 過去の職場での体験から、桂木さんは就労をあきらめ、今も仕事をしていない。両親のいる実家からは離れているものの、祖父の経営する旅館で生活しているため、ほとんど生活費はかからないという。ただ、今後は佐藤さんらと居場所での活動を拠点に、もともと好きだったコントの世界で生きていこうと修行中の身だ。 講師の謝礼金は会場からの寄付金で賄わざるえないものの、佐藤さんはこう話す。 「次回以降の公演で、大分市を離れて地方の街に行くと、参加者の数も少なくなり、募金も集まらないかもしれない。それでも活動を続けていく意味はあるかなって、みんなで話をしています」 次回の公演は、8月11日、別府市社会福祉会館で「第2回ひきこもり学」を開講する予定。お問い合わせは、会のホームページで・・・』、「このまま外に出なかったら、学校やいじめた相手に負けてしまうという思いが今もずっとあった」、という桂木さんの場合は、その負けず魂が救いになっているのだろうが、そんなバネを失っている人も多いのだろう。

第三に、6月15日付け東洋経済オンラインが「週刊女性PRIME」記事を転載した「一橋大卒、30年引きこもる56歳男性の心の叫び 「お母さんは死んでやるからね」に怯えた日々」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/286769
・『現在、全国に100万人以上いると推測されるひきこもり。近年、中高年層が増加しており、内閣府は今年初めて、40歳以上が対象の調査結果を公表した。一般的には負のイメージがあるひきこもり。その素顔が知りたくて、当事者とゆっくり話してみたら……。 中高年のひきこもり(母からの虐待)池井多さん(56)のケース 今年3月、内閣府は40~64歳までの中高年の「ひきこもり」が推計61.3万人と発表した。これは6カ月以上連続して「自室からほとんど出ない」「自室からは出るが、家から出ない」「近所のコンビニには出かける」「趣味の用事のときだけ外出する」という“広義のひきこもり群”の数だ。15~39歳までのひきこもり54.1万人を上回り、大きな話題となっている。 今回お会いしたぼそっと池井多さんは56歳。仲間内では「ぼそっとさん」と呼ばれているが、ここでは池井多さんと記す。中肉中背、落ち着いた風情を漂わせ、低めの声でソフトに、だが論理的で知的な話し方をする彼は、国立の一橋大学を卒業している。断続的に30年にわたるひきこもりを経験、「基本的に今もひきこもりです」と微笑(ほほえ)む。 母親と、母に強制された父からの虐待によって、うつと複雑性PTSDを発症したことが原因だ。大人になるにつれて家族問題がこじれ、この20年近く両親と、8歳違いの弟とは没交渉、現在は体調と相談しながらひきこもり関連イベントのファシリテーターをしたり、英語やフランス語など語学の才能を活かしてネット上で欧米のひきこもりの人へのインタビューを行い、発信している』、「一橋大学を卒業して」も「断続的に30年にわたるひきこもりを経験」、どんな事情があったのだろう。
・『「死んでやるから」という母の脅し  「根っこは母からの虐待ですね。心身ともにですが、大人になって振り返ると、身体的なものより精神的なもののほうが悪影響を及ぼしている。いつも同じ構造の虐待が起こっていました。私が“スパゲティの惨劇”と呼んでいる虐待があるんです」 4歳から学校へ上がるくらいまでの話だ。夕方になると、母親が「何を食べたい?」と聞いてくる。だが、天真爛漫(てんしんらんまん)に答えられるようには育てられていない。もし食べたいものを言ったら全否定されるとわかっているから、「何でもいい」と答える。すると母は「何でもいいじゃわからない」と不機嫌になる。 「“スパゲティ食べたいでしょ?”と母親が言うわけです。“もちろん食べたい”と私は言う。父が帰ってくる時間を見計らったようにナポリタンを出してくるのですが、私は当時からグズでしたから、スイスイ食べることができない。 すると突然、母がキレてナポリタンの皿をシンクに叩きつける。そこにちょうど父親が帰ってくる。母は“この子が食べたいって言うから作ったら、こんなもの食えるかって捨てたのよ”と言いつけるわけです。父親は“そんなことをしたのか”と言う。母親の思いどおりのストーリーが完成して私は有罪が決定する」 私はほぼ口を半開きにしたまま聞いていたと思う。幼い子どもの気持ちを考えるといたたまれない。それだけでもすごい話なのだが、そのあとがもっと悲惨なのだ。 母は父に「怒ってやって」と命令し、父はズボンのベルトをとって彼を鞭(むち)打つ。彼は屈辱に耐えながら、時間が過ぎるのを待つしかなかった。 「母は有名大学出身のお嬢様で、父は高卒。だから父にとって母が言うことは絶対だった。父が母を諫(いさ)めたり反発したりするのを見たことがありません。あのとき父は何を考え、感じながら私を打っていたのだろうと思いますね」 さらに母は毎日のように、幼い彼に「言うことを聞かないと、お母さんは死んでやるからね」と言い続けた。 「それがものすごく怖かった。子どもにとっては、意地悪な母親でも母親なんですよ。おまえを殺してやると言われたら逃げるけど、死んでやると言われたら身動きがとれない」 以前、母娘問題で悩む女性に話を聞いたことがある。彼女も小さい頃から、母の意向と違うことをしようとすると「あんたがそんなことをしたら死んでやる」と脅されていたそうだ。だから「母の思いどおりの人形になるしかなかった」と彼女は泣いた。 池井多さんもそんな脅迫を受けていた。しかも父も渋々かもしれないが加担していた』、“スパゲティの惨劇”は確かに酷いが、毎日ではなく時たまなのだろう。しかも、食べ残しのスパゲティがその都度、「シンクに叩きつける」というのも不自然な気がするが、父は母の言いなりなのであれば、分かった上で演技していたのかも知れない。
・『強迫神経症に悩んだ人生の暗黒時代  「小学校低学年のころから死にたいと思っていました。本を読んで、理科室でシアン化カリウム(青酸カリ)を探したこともある」 小学校3年生から中学受験の勉強をさせられ、午前2時まで寝かせてもらえなかった。 その後、父の転勤で一家は名古屋へ。母は名古屋で塾を始め、かなりの収益を上げていたようだ。彼は引っ越し先の学校で「関東から来た異端児」といじめられていた。 「学校でも家でもいじめられて人生最大の暗黒時代でしたね。毎週日曜は、名古屋から新幹線で東京の塾に通わされ、いつも疲れていた」 そのころは強迫神経症に悩まされていた。不吉なことへの恐怖が強かったのだ。 「当時、同級生のお母さんが亡くなったんですよ。私はそれを聞いて、その同級生が触った机、触れたものなどにいっさい触ってはいけないと自分に言い聞かせた。そうしないと自分の母親も死んでしまうと思い込んだんです。そして実はそれが私の希望でもある。だからよけい怖い」 心の中に「母親なんか死んでしまえばいい」という願望があった。だがそれが現実になるのは怖い。恐怖感が募ると頭を激しく振り続けた。そうすると意識が遠のくから恐怖から逃れられる。だが、頭を振っているところを母親に見られると激しく叱られた。 「母は私に一橋大学に入ってほしかったんです。昔から、“東大生はバランスを欠いている、早稲田は下品、一橋生がいちばん”と言っていた。私は母が一橋生にフラレ、大学を卒業してすぐにあてつけのように高卒の父と結婚したんじゃないかと推測しています」 反抗期もなかったが、さすがに高校生になると、「母の言いなりになってたまるか」という気持ちが芽生えた。だからあえて1年浪人、そして一橋大学に合格した。 「東京に合格発表を見に来て受かっているとわかったとき、公衆電話から家にかけたんです。合格を伝えて、もし母が“おめでとう”とか“今までごめんね”と言ったら、私はすべて水に流すつもりでいた」 だが母は「あ、そう。早く帰ってきなさい」とひと言。 池井多さんの中で何かがキレた。このまま一橋大学を出て、母の望む一流商社マンになる。それが自分の人生かと思うと愕然(がくぜん)としたという。 東京の下宿や大学寮で暮らし始めたものの、講義には出ずバイトばかりしていた。それなのに就職活動では、やたらと内定が出る。 「でもある日突然、身体が動かなくなったんです。それが最初のひきこもりですね。このままスイスイ内定をもらったら母の思うつぼ、母を追認することになる」 当時、大人気の一流企業に内定していたのに、それを蹴って2年留年した。 「朝6時まで起きていて、食堂でうどんを食べて寝る。ただ、親から生活費をもらっていなかったから、塾講師のバイトは休めない。ぎりぎりまで寝ていて、這(は)い出して行く。地獄の苦しみでした」』、「このままスイスイ内定をもらったら母の思うつぼ、母を追認することになる」ので、「大人気の一流企業に内定していたのに、それを蹴って2年留年した」、大学4年にもなれば、世界が広がって、母にそれほど囚われなくなるのが普通だが、彼の場合はそうはいかなかったようだ。
・『死に場所を求め、海外で「外こもり」  本当は早く死にたかった。苦しくて医者に行き、うつ病だと診断されたが、死ぬ勇気は出なかった。 そこで彼は突然、「外こもり」をしようと考える。つまり海外で死のうと考えたのだ。 「どこで死のうかと考え、アフリカが浮かびました。子どもの頃から、母に“アフリカの子に比べたらおまえはどれだけ幸せか”と言われていたので、本当にアフリカの子が不幸なのか自分の目で見てから死にたいとも思った」 26歳のとき、彼はまずドイツの知り合いのところに身を寄せ、そこからアフリカへと渡った。スーダン、エチオピア、ケニア、内戦の激しかったモザンビークにも行った。 「放浪目的ではなく、自分では死に場所を求めていた。野宿したり安宿に泊まったり。いっそ殺されてもいいと思っていたのに無事なんですよね」 今思えば、自分にも見栄があったのだろうと彼は振り返る。働きもせずに日本にいるのはカッコ悪い、周りにも知られたくない、海外放浪ならカッコいいのではないか、と。 3年間、アフリカにいたが、「結局は死ねず、死なずだった」と自嘲ぎみに話す。そんなとき宿泊していた場所に、母親から「父が病気で死にそうだ」と連絡があった。あわてて帰ると、父は元気に会社に行っていた。 「実は母が私に会いたかったのではないかとひそかに思っていたんです」 その後は埼玉に転勤になった父親とともに団地で暮らすことになった。名古屋で塾を経営する母に代わって、「専業主婦の役割を押しつけられた」のだ。後に、留学から帰ってきた弟と暮らすことになる。一方で家庭教師をしたりアフリカの旅の話を書いて本を出版したりもした。 「たまたま私を評価してくれる国際ジャーナリストがいて、中国の取材を頼まれました。でも、やはり心身の状態がよくなくて、納得できる仕事はできなかった」 そのジャーナリストは1995年に亡くなってしまう。何かをつかもうとしていた彼の頼みの綱が切れた。そして弟との関係も悪化していた。 「留学から帰国した弟の態度が変わっていた。“ガールフレンドを連れてくるから、はずしてくれ”と5000円札を投げてよこしたことがあって、どこでそんな言い方を学んだのかと愕然としました」』、弟さんにしてみれば、「5000円札を投げてよこした」のはともかく、彼に家にいてほしくないというのは理解できる。
・『家族への手紙、原稿用紙700枚  1995年から1999年まで、彼はその団地でフロイトを読みながら、自分を模索し続けた。 「カーテンの外に光が見えるのがイヤだった。自分だけ置いてけぼりにされている気がして。昼も夜も雨戸を閉めて精神分析をしていました」 やはりこのままではいられない。家族の構造に問題があるのだから、解決すれば自分も普通に働けるようになるのではないか。彼はそう思った。 「家族にあてて原稿用紙700枚くらいの手紙を書いたんです。自分史みたいなものです。私の心をむしばんだ家族のゆがみについても書いた。最後は、家族会議を開きたいという思いで締めくくりました。4人で集まって問題点を話し合いたかった。ところが実家に戻った私に母は“何も問題なんかない”と言い張り、父と弟はだんまりを決め込んだ」 「愛されていた」。ただ1つその確認をしたかったのではないか。吐き捨てるように話をする彼を見て、そう思った。この世にいてもいい存在なのだと納得したかったのではないだろうか、と。 池井多さんは論理的で頭の回転も速く、なめらかに話をするが、話し終えたときの眼差(まなざ)しに、ときおり何とも言えない寂寥感(せきりょうかん)のようなものを漂わせることがある。私の思い込みかもしれないが』、心から相談できるような友人や、母を諫めてくれるような親戚はいなかったのだろうか。
・『母にはただひと言、謝ってほしい  彼は1人で、とある精神科クリニックを訪れ、福祉とつながって生活保護を受給することとなった。だが、彼の優秀さはここでも搾取される。クリニックが運営しているNPO法人の事務局長に任命され、8年近くただ働きをさせられたというのだ。 「治療過程の“作業”という理屈ですが、私は動き回って助成金をとってきたりもした。なんかおかしいと思っていたら、見事に切られました」 ある日突然、事務局長を解任されたという。 今、彼はその顛末を記事に書いたり、同様の被害者の話を聞き集めたりしている。 同時にひきこもりと老いを考える『ひ老会』も主宰、仲間たちとともにこの先を考えていこうとしている。 「母には無限に聞きたいことがあります。でも本当はひと言謝ってくれればそれでいい。それさえ高望みでしょうけど。恨みや憎しみがあまりに大きくて、もう感情としては出てこないんですよ」 彼は妙に穏やかにそう言った。あきらめが、うつになっている。まだ憎しみもある。 「怒りや恨みって、結局、マイナスの愛着なんです」 彼は今さら求めても無理だとわかっているのだ。それでも、どこかに残っている「子どもの頃の彼」が親の愛情を求め続けている』、彼を「8年近くただ働き」させた精神科クリニックというのは、悪質で踏んだり蹴ったりだ。母のことは諦めて、何とか自立してもらいたいものだ。「ひきこもり」の中では、例外中の例外なのだろうが、「ひきこもり」問題の多様性を示していることは確かのようだ。
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