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日本の政治情勢(その34)(今の日本をNYタイムズ紙が「独裁国家」と表現するのは当然、「安倍やめろ」で即排除 首相演説を“言論封じ”で守る矛盾、参院選「特定枠」の想像以上にひどい現実 自分の名前連呼せず 「付け足し」候補の悲哀、小田嶋 隆:誰かを落とすための一票だってある) [国内政治]

日本の政治情勢については、7月9日に取上げたばかりだが、参院選投票日も近づいた今日は、(その34)(今の日本をNYタイムズ紙が「独裁国家」と表現するのは当然、「安倍やめろ」で即排除 首相演説を“言論封じ”で守る矛盾、参院選「特定枠」の想像以上にひどい現実 自分の名前連呼せず 「付け足し」候補の悲哀、小田嶋 隆:誰かを落とすための一票だってある)である。

先ずは、元外交官で外交評論家の孫崎享氏が7月12日付け日刊ゲンダイに寄稿した「今の日本をNYタイムズ紙が「独裁国家」と表現するのは当然」を紹介しよう。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/258084
・『「日本は独裁国家か」――。国内外の多くの人が日本は民主主義国家だと思ってきた。そのため、今日まで「日本は独裁国家か」という質問すら、あり得なかった。 しかし、世界で最も権威のある新聞の一つ、ニューヨーク・タイムズ紙が5日、日本を「独裁国家」と表現した。重要なので翻訳する。〈日本は憲法によって報道の自由がうたわれている近代民主主義国である。本来ジャーナリストが『国家の敵』とみなされるような国ではない。だが、記者が記者会見に臨むのを拒否したり、記者を懐柔するため、政治家と記者との間でクラブ的関係を使う等、日本政府は時々、独裁国家を想起させる方法で行動する〉』、昨日のこのブログ、「安倍政権のマスコミへのコントロール(その11)」でも、紹介した通りである。
・『民主主義の根幹に「報道の自由」がある。「報道の自由」のない国に民主主義はない。その「報道の自由」に対して、さまざまな国際機関が日本の状態に警鐘を鳴らしている。 「国境なき記者団」は毎年報道の自由度についてのランキングを発表しており、今や日本は67位である。日本の前後にどのような国があるかといえば、59位にポーランド、60位にジョージア、61位にアルメニア、62位にハイチ、63位にボスニア・ヘルツェゴビナ、64位にクロアチア、65位にギリシャ、66位にニジェール、68位にマラウイである。いずれも世界的に独裁国家と評されたことのある国々であり、日本人が「仲間」と考えているであろう北欧やオランダ(4位)、スイス(6位)やドイツ(13位)は同じグループにいない。 今の日本は「忖度社会」といわれる。しかし、この忖度は、個々人が自由な判断で忖度しているのではない。政府の厳しい「アメとムチ」の中で社会全体が忖度を選択しているのである。安倍政権への隷属姿勢をとらなければポストを外され、隷属すればポストが与えられる。こういう状況が社会の隅々まで浸透している。その「アメとムチ」が最も厳しく実施されているのが、日本メディアと各省庁なのである』、最後の部分はその通りだろう。
・『2017年8月2日。福田元首相は「各省庁の幹部は皆、官邸(の顔色)を見て仕事をしている。恥ずかしく、国家の破滅に近づいている。忖度以上のことをしようとすり寄る人もいる。能力のない人が偉くなり、むちゃくちゃだ」と発言したが、この発言が指している状況は報道機関でも変わらない。日本はひたすら破壊に向かって進んでいるといえ、ニューヨーク・タイムズ紙が「独裁国家」と表現したのも当然である』、「福田元首相」までが官邸による各省庁支配を、「恥ずかしく、国家の破滅に近づいている」批判するとは驚かされた。「国家の破滅」とは、恐らく「民主主義国家の破滅」の意味だろう。

次に、7月18日付け日刊ゲンダイ「「安倍やめろ」で即排除 首相演説を“言論封じ”で守る矛盾」を紹介しよう。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/258517
・『15日のJR札幌駅前での安倍首相の演説中、肉声でヤジを飛ばした男性が警官にいきなり強制排除された。ネット上では〈言論封じだ〉と大炎上している。 排除された本人のソーシャルメディア「note」によると、安倍首相が好き勝手に権力を行使し、庶民生活が苦しくなる状況に怒りを感じていたところ、自分の住む札幌に安倍首相が来るというので〈直接文句を言う、またとないチャンスだ〉と演説会に向かった。 安倍首相が話し始めても周囲からヤジは聞こえない。覚悟を決め、自分が「帰れ」「やめろー」と叫ぶと、聴衆が一瞬ざわつき、ものすごい速度で警官が駆け付けた。あっという間に体の自由が奪われ、強制的に後方に排除されたという。 「増税反対」と声を上げた女性1人も同様に排除された』、単に「ヤジを飛ばした」だけで、「あっという間に」「強制的に排除された」というのは、いくら何でも行き過ぎだ。東京都議選最終日の秋葉原での安倍首相への「安倍やめろ」コールによほど懲りたのか、最近は応援演説日程も非公開になったようだ。警備強化の指示も出ていたのかも知れない。
・『公選法で規制される演説妨害は、演説を聞き取れなくするような行為を指す。肉声で、しかも言った瞬間での強制排除は言論封じにしか見えないが、警察は野党の演説については甘い。12日、山本太郎代表(れいわ新選組)は京都で共産候補の応援演説をした。 「演説が始まると男性が拡声器を使ってヤジを始めた。警察官がやってきたが、取り囲むだけで演説が終わるまでの約20分間ヤジは続けられた」(現場で目撃した男性) 演説者が安倍首相だと肉声でも即排除、山本太郎氏なら拡声器でも野放しということだ。 北海道警は「トラブルや犯罪を未然に防止するため措置を講じた。事実関係は確認中です」(広報課)と答えたが、いくら何でもやり過ぎだ。 「7日の中野駅前の安倍首相の演説で、〈安倍やめろ〉の大合唱になった。それを受けて、道警は〈ヤジがあってはならない〉と過剰に反応してしまったようです。2人もいきなり排除したのはさすがにやり過ぎだとの声が政府内からも上がっています。選挙戦最終日に予定されている首相の秋葉原演説で、ヤジにどう対応するのか官邸は頭を抱えています」(官邸担当記者) 聴衆の声に対して、力ではなく、言葉で向き合えないものか』、「2人もいきなり排除したのはさすがにやり過ぎだとの声が政府内からも上がっています」、というのは正常な判断だ。明日に予定されている「首相の秋葉原演説」は、どうなるのだろうか。

第三に、東洋大学教授の薬師寺 克行氏が7月19日付け東洋経済オンラインに寄稿した「参院選「特定枠」の想像以上にひどい現実 自分の名前連呼せず、「付け足し」候補の悲哀」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/292607
・『ちょうど1年前、当時の国会で審議され成立した公職選挙法の改正により、参院選比例区に「特定枠」が新設された。 その際、特定枠という制度がいかにひどいものかということをこの欄で取り上げたが、そのときは制度として多くの矛盾や問題がある点を指摘するにとどまった。ところが参院選が公示され、候補者が実際に活動を始めると、特定枠が生み出す現実は想像以上にひどいようだ』、「特定枠」のことはすっかり忘れていた。どんなに酷いのだろう。
・『特定枠候補は選挙区候補の「下働き」に  今回の参院選に特定枠で立候補したのは自民党が2人、「れいわ新選組」が2人の合計4人だった。候補者が少ないこともあってマスコミは特定枠について詳しく報じていないが、東京新聞が自民党の2人の特定枠候補を記事にしている(7月12日付朝刊など)。それに合わせて筆者も取材を受けたが、場当たり的な制度いじりがここまで選挙を歪めるのかと驚かされた。 自民党の特定枠候補は、選挙区が合区となった「鳥取・島根」と「徳島・高知」の2人で、候補者を出せないほうの県から立候補している。特定枠の制度上、2人は自民党比例区の当選順位の1位と2位に位置づけられるので、当選することは間違いない。 ほかの候補者のように一生懸命、選挙運動をしなくても当選するのであるからさぞかし喜んでいるかと思いきや、東京新聞のルポは候補者自身や支持者がこの制度の問題点や矛盾をいやというほど感じていることを伝えている。 「島根県枠」で特定枠候補となった元衆院議員の三浦靖氏(比例中国ブロック)は、「自分の選挙活動はほぼ何もできない」と話し、鳥取・島根選挙区に立候補した候補者の応援に徹しているという。特定枠候補は公職選挙法によって選挙事務所の設置や選挙カーの使用、ポスターの配布や掲示、さらには個人演説会も禁止されている。 つまり自分のための選挙運動はほぼすべてできない。したがって秘書や支持者も、選挙区候補の運動の下働きのようなことしかできなくなっているのだ。 「徳島県枠」の候補となった現職の参院議員、三木亨氏も選挙区候補の支援に徹している。三木氏は2013年に初当選したが、今回は自分の名前の連呼ができないまま当選することになる。次の参院選挙は2025年であるからこのままだと12年間、選挙運動ができない。「自分の名前を覚えてもらえないという不安はある」と語るのも、もっともなことだろう。 もちろん2人は全国を対象とする比例区の候補者だが、地元を出て活動をすることもない。あくまでも特定地域の代表なのである。 新聞に掲載された自民党比例区候補の広告での特定枠候補の扱いもひどいものだ。安倍首相の大きな写真とともに、31人の比例区候補者の顔写真と肩書などが一覧として並んでいる。ところが、特定枠の2人は、最下段に顔写真なしで名前と肩書だけがとってつけたように記されていた』、「特定枠候補は公職選挙法によって選挙事務所の設置や選挙カーの使用、ポスターの配布や掲示、さらには個人演説会も禁止されている」、選挙の洗礼を受けられない議員というのは、果たして議員といえるのか疑問だ。
・『特定枠候補が受ける、さまざまな冷遇の中身  特定枠候補は当落では優先的扱いを受けるが、選挙中の扱いは完全な付け足しでしかない。そもそも選挙は候補者の名前や顔とともに、政策や主張などを含め、どういう人物かを広く有権者に知ってもらうことで成り立っている。したがって、特定枠のように、意図的に候補者を見えなくするのは選挙とは言えない。そして、大半の有権者は特定枠という複雑怪奇な制度を知る機会もないまま投票日を迎えるだろう。 そもそも特定枠は、参院選で2つの県を1つの選挙区にする合区に伴い、議席がなくなってしまう側からの不満に対応するために作られた制度だ。建前上、自民党は地方を重視しているのだという姿勢を見せることになるはずだが、実際には特定枠候補はさまざまな「冷遇」を受けている。2人の地元支持者は、このことをどこまで知っているのだろうか。 一口に国会議員と言っても現行法では当選の仕方にいくつもの種類がある。衆院議員の場合、①小選挙区で当選②比例区で当選③小選挙区で落選したが、重複立候補した比例区で復活当選、の3種類の議員がいる。参院も①選挙区で当選②比例区で当選③比例区の特定枠で当選、とやはり3種類になる。 どういう選挙で当選しようが議員であることには変わりない。歳費などの差もない。しかし、政治の世界はそれほど単純ではない。とくに長く政権を担っている自民党は複雑である。 衆院議員はまず、小選挙区での当選を最優先する。小選挙区当選議員は比例区議員よりも、ましてや復活当選議員よりも格が上という意識がある。実際、比例区復活当選した議員が、落選した小選挙区での当選者が亡くなったり失職した場合に行われる補欠選挙に、衆院議員を辞職して立候補するというケースは多い。衆院議員をやめて衆院議員の補欠選挙に立候補するというのであるから、わけがわからない話である。 2000年代初め、衆議院の綿貫民輔議長(当時)が、補欠選挙への立候補を理由として、ある衆院議員の辞職願を受理しなかったことがある。残念ながら、綿貫議長の問題提起は真剣には受け止められないまま今日に至っている。 また、自民党内には参議院より衆議院が格上という意識が根強い。これまでの自民党総裁は全員が衆院議員であり、主要派閥の会長も大半が衆院議員だ。閣僚の数も圧倒的に衆院議員が多い。そのため党内で力を持つために参院議員から衆院議員に鞍替えを目指す議員も珍しくない。 背景には参院は「良識の府」であって、権力闘争は衆院議員のやることという不文律のようなものもあるようだ。 その参院で今回誕生する「特定枠議員」が周囲からどう見られるかは明らかだろう』、「合区に伴い、議席がなくなってしまう側からの不満に対応するために作られた制度」、如何に妥協のためとはいえ、選挙制度の基本に矛盾するような「特定枠」はやはり作るべきではなかった。
・『特定枠候補を増やすこともいずれ限界に  選挙制度は国民が理解しやすい単純なものがよいに決まっている。ところが、自民党は選挙制度を場当たり的に改正し、複雑でわかりにくいものにし続けてきた。その結果、議員の種類が増え、一種の議員格差を生みだし、政治をますますわかりにくくしている。 参院比例区の特定枠は今後どうなっていくのであろうか。東京などごく一部の地域の人口増が続く一方で、大半の地域の人口の減少は続いている。その結果、1票の格差が拡大し続け、遠からず再び違憲状態になってしまうことは確実だ。 ところが議員の既得権を守りたい政治の世界は、最高裁判所が求めるような抜本的改革には手を付けようとしない。自民党は憲法改正で「都道府県から最低1人ずつ、議員を選ぶ」案を盛り込み、1票の格差問題を解消しようと提案しているが、もちろん見通しは立っていない。 人口増の選挙区の議員定数を増やせば違憲状態は一時的には解消できるが、人口減少時代に議員定数を増やすことに国民は納得しないだろう。そうすると、できることは新たな合区を作ること。合区の対象となった県で、自民党は特定枠候補を増やし続けるのだろうか。しかし、非拘束名簿式が原則の比例区の候補者の中に、上位当選が保障される特定枠候補を増やしていくことは、いずれ限界に達するであろう。 1票の格差解消策としての合区は、わかりやすくかつ合理的な制度である。ほかにいい案がないのであれば、特定枠のような余計な手立てを講じず、単純な制度改正を進めていくしかないだろう』、結論部分はやや分かり難い。私は、枝葉を取り払って、「1票の格差解消策としての合区」は、「特定枠のような余計な手立てを講じず、単純な制度改正を進めていくしかないだろう」、とストーレートに主張したい。

第四に、コラムニストの小田嶋 隆氏が7月19日付け日経ビジネスオンラインに寄稿した「誰かを落とすための一票だってある」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00116/00031/?P=1
・『投票日も近いことなので、今回は選挙関連の話をする。 この話題は、おそらく荒れるだろう。 もちろん、読者の圧倒的多数が、黙って読んでくれる穏当な人たちであることは承知している。 ただ、インターネット上に公開されたテキストを取り巻く空気は、ごく少数の「声の大きい人たち」が作り上げる決まりになっている。であるから、揮発性の高い選挙の話題を含む文章は、毎度のことながら、あっという間に炎上する。そういうことになっている。 選挙の場合とは逆だ。 どういうことなのかというと、選挙の結果を左右しているのは、熱心な政党支持者による個々の一票であるよりは、むしろ最大多数を占める「投票に行かない人たち」の「投じられなかった票」だったりするということだ。それゆえ、皮肉なことだが、21世紀に入ってからこっちの、投票率が頭打ちの状況にあるわが国の選挙の結果は、「投票所にやって来なかった人たち」の巨大な沈黙を反映して、毎度毎度、「声のデカい人々」の蛮声を増幅する結果に落着している。 すぐ上のパラグラフは、ちょっとわかりにくい書き方になっている。 言い直してみる。 私は「投票に行かない最大多数の有権者による声なき声が世界を動かしている」と言いたかったのではない。 逆だ。私が強調したいと思っているのは「投票に行かない最大勢力である無党派層という人々の巨大な沈黙が、必ず投票に行く少数の極端な考えを抱いた人々の声を過度に強調する結果をもたらしている」ということで、つまりこの話のキモは、「黙っていると、短絡的で声のデカい少数派の好きなようにされてしまうよ」というところにある。 ただ、この話をあんまりくどくどと繰り返すのは得策ではない。 というのも、政治に対してシラけた気持ちを抱いている若い人たちは、選挙の度に繰り返される年長者によるおためごかしの説教にうんざりしているはずだからだ。 先週の今頃、以下のようなツイートを放流した。《若い人たちに投票を促すのに「説教」(君らのためなんだぞ) 「脅迫」(行かないとひどいことになるぞ) 「挑発」(老人の天下になっても良いわけだな?) 的なツイートを発信する人たちがいますが、どれも「若者は現状を把握できていない」と決めつけている点で失礼だし、逆効果だと思います。6:46 - 2019年7月10日》 若年層の投票率が長らく伸び悩んでいることの背景には、選挙の度にインターネット上の画面を埋め尽くす「激越な言葉」に対する、あらかじめの疲労感がある。 もう少し丁寧な言い方をすれば、令和の日本人が政治の話題を嫌うのは、政治そのものを忌避しているからというよりは、「論争的な場所に関与せねばならない機会」を何よりも恐れているからだということでもある』、情けない話だ。
・『上のツイートを書いた同じ日に、私は、引き続き以下のツイートを連投している。《私自身、投票に行かなかった時代、何がいやだといって上から説教されるのが一番不快でした。現状を把握できていない若者がいないとはいいませんが、彼らを投票から遠ざけている最大の理由は、日常の中で政治が忌避されているからです。選挙の時だけ「政治的になれ」と言われてもシラけます。6:48 - 2019年7月10日》 《10~20代の若い世代は、同世代のコミュニティの中で「政治的に振る舞う人間は面倒くさい」という認識を共有しています。さらに就活や入試の面接では、「政治・宗教に関する話題はタブー」であることを強く印象付けられます。こういう中で暮らしている人たちに「選挙に行け」と言うこと自体無理です。9:59 - 2019年7月10日》 政治への忌避感を持たされているのは、平成生まれの若者に限った話ではない。 この50年ほど、子供たちは、大人に成長していく過程の中で、最も身近な大人である両親や教師から、 「政治にはかかわらないほうが無難だぞ」「政治について考えるのはかまわない。ただし、他人のいる場所で政治的な発言をすると必ず友達を失うことになることは覚えておいたほうがよい」「いいかね。政治について語る人間とは距離を置くのが賢い処世なのだよ」てな調子で、こと政治と宗教については「知らないふり」「考えていないふり」を押し通しておくのが要らぬトラブルを避ける賢明な態度である旨をそれとなく聞かされながら育ってきた。 そんなふうに、なにかにつけて 「目立つな」「声をあげるな」「黙って大勢に従ったふりをしておけ」「本音とかは広告の裏にでも書いとけ」と言ってくるその大人たちが、あらまあびっくり、ひとたび選挙がはじまると態度を一変させて、 「政治は大切だよ」てなことを言い出す。 もっとも子供たちに政治的な振る舞い方を要求するのは、彼らの身近にいるリアルな大人ではない。テレビに出てくる文化人や、新聞の紙面で説教を垂れている「有識者」と呼ばれる、たぶんに芝居がかったロール(役割)としての「大人」だ。 彼らは 「投票を通じて自分の声を政治に反映させましょう」「無投票、白票は、現体制への承認と同様に解釈されるのですよ」「若い世代の投票率の低さが、老人優先の政策選択を招いています」てな調子で、作り声の政治賛美演説を押し付けてくる。 言われる側の若者にしてみれば、「うるせえ」と思わないほうがおかしい』、大人の「政治」に対するダブルスタンダード的な姿勢が、若者を遠ざけているというのは、その通りなのかも知れない。
・『私自身、長らく「うるせえばか」と思っていた。 じっさい、40歳になるまで、私は有効投票をしたことがない。 両親や周りの人間がグダグダうるさいので、投票所に足を運ぶところまでは付き合ったものの、どうしても候補者の名前を書く気持ちになれなかったからだ。 だから、投票用紙に自作の俳句を書き込んだり、好きなロックスターの名前を書いたりというカタチでその場をしのいでいた。 まあ、バカな話だ。弁解の余地があるとは思っていない。 ただ、ここで大切なのは、私が、単に「面倒くさいから投票には行かないよ」という消極的な理由で投票を回避していたのではない、ということだ。 現に私は何回か投票所に足を運んでいる。 それでもなお、私が有効な一票を投じなかったのは、私自身が、積極的に投票をボイコットする気持ちを持っていたということだ。 まあ、スネていたわけですね。 あなたの一票があなたの未来を作るのです的なおためごかしの演説に、なんだか猛烈に腹を立てていたということです。 はい。バカな反応でした。 反省しています。 ただ、40歳を過ぎた頃からは、毎回投票に行っている。 理由は、必ずしも一票の重みを自覚しはじめたからではない。 私が投票するようになったのは、メディアを通じて発言する機会を持つようになったことと関連している。 もう少し具体的に言うと、公共的な場所で、「言論人」に近い扱いを受けている人間が「えーと、選挙には行っていません」「えっ? 投票ならしてませんが?」みたいな発言を垂れ流すことが、絶対的に許されないことを、いくつかの機会を通じて思い知らされたからだ。 特にインターネットが普及してからは、 「オダジマは投票ボイコット組らしいぞ」「あいつ選挙にさえ行かないんだとさ」「そのくせ、政治には一家言あるみたいだぜ」「最悪だな」「クソだな」という感じの噂(まあ、半ば以上は事実だったわけだが)にずいぶん苦しめられた。 自業自得であることはよくわかっている。とにかく、私としては、説教のつむじ風みたいなコトバの塊が選挙の度に訪れることに閉口して、有効投票を実行する方向に方針変更した次第なのである』、小田嶋氏が、「40歳になるまで、私は有効投票をしたことがない」、「説教のつむじ風みたいなコトバの塊が選挙の度に訪れることに閉口して、有効投票を実行する方向に方針変更した次第」、などという告白には驚かされた。
・『そろそろ結論を述べる。 2日ほど前、以下のようなツイートを書き込んだ。《若い頃、自分が投票に行かなかった理由は、信頼できる政治家や支持できる政党を見つけられなかったからなのだが、20年ほど前から投票するようになったのは、「きらいな候補者を落選させ、不快な政党にダメージを与えるためには、当面、誰に投票すれば良いのか」という視点を得たからだと思っている。16:30 - 2019年7月16日》 このツイートは、意外に大きな反響を呼んで、これまでのところ、約4000件のRTと、7000件以上の「いいね」を獲得している。 反応してくれた人の全員が共感を抱いてくれたとは思っていないのだが、こういう考え方で投票するのもアリだという感想を通じて、何人かの投票回避派が、投票所に赴いてくれたらうれしい。 ことのついでに、絵に描いたような建前論を述べるなら、投票は、最も簡単で有効な政治参加だ。 その意味で、「投票」は「開票」で終了する動作ではない。 「選挙」自体も、「当落の決定」をもって決着するイベントではない。 政治における選挙の意味は、むしろ選挙期間が終わって、当選した議員が政治家としての第一歩を踏み出した時にはじまると言い換えてもよい。 じっさい「あいつはオレが投票した議員だ」ということになれば、おのずと見る目も違ってくる。 選挙の面白さは、投票した人間の思考や行動パターンが、ほかならぬ自らの投じた一票によって微妙に変化するところにある。 であるからして、選挙の時点で「死に票」を投じたのだとしても、一票の意味そのものは死なない。 投票した人間は、次の選挙までの間、自分の選挙区から選出された議員の一挙手一投足を、投票に行かなかった有権者よりはずっと真剣な目で監視することになる』、これはキレイ事過ぎる印象を受ける。不祥事を引き越した代議士で、辞職せずにいる人間も多いが、選挙民から辞職を迫られた例を思い出すことは出来そうもない。
・『自分が馬券を買っていない競馬中継のつまらなさを知っている人なら、逆の意味で見当がつくと思うのだが、なんであれ一票を投じておくことで、政治を見る目は、よりリアルになる。 最後に個人的な話をする。 この4月に投開票がおこなわれた統一地方選で、私が住んでいる地域では、区長選挙が実施された。選挙戦は、公示の時点で84歳になる現職と、新人で都議から転じた30代の候補者との一騎打ちになると見られていた。 私自身は、当初、この選挙について、さしたる関心を抱いていなかったのだが、ツイッターのタイムラインに流れてくる若い候補者の言動のいくつかを見るうちに、私は、彼を落選させなければいけないと考えるようになった。 というのも、若い候補者は、その時点で自分がいずれ国政に打って出ることを隠そうともしていなかったからだ。 「ってことは、うちの地域の区長のポストは、あんたにとって踏み台のひとつに過ぎないってことか?」と、住民として、そう受け止めないわけにはいかなかった。 もっとも、84歳の現職区長を積極的に支持できるのかというと、それも簡単なことではなかった。 年齢も年齢だし、それ以外にも、やがてめぐってくることがわかっていたはずの区長選に向けて、後継者を指名して後援会を一本化することができなかったのは、失態だと思ったからだ。 決め手となったのは、若い候補者を支持するアカウントが発した 《おい、東京都○区の若者、選挙行け! もしかしたら「将来の総理大臣の第一歩をオレは投票したんだぜ」と言えるかもしれねぇぞ》という高飛車なツイートだった。 こんな連中にうちの地域の大切なポストを踏み荒らされてはかなわない……そう思って私は、84歳の現職区長に投票した。 その私の一票は、結果として、投票した候補者が当選するという10何年かぶりの喜びをもたらした。 当選後3ヶ月を経過して、区長は、意外なほど元気に活躍している。 私自身は、まだ、支持とか応援というまでの気持ちには至っていないのだが、投票した責任は少し感じている。 誰かを落とすために投じた一票が、結果としてほかの誰かの政治生命を延命させることもある。 そうやって世界はまわっている。 区長にはがんばってほしいと思っている』、小田嶋氏のように当選後の活動を監視する選挙民が増えてくれればいいのだが・・・。
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