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知的財産(権利を守りたい漫画家でさえ反対する「ダウンロード違法化」の最適解、小田嶋氏:JASRACは何と戦っているのだろうか) [文化]

今日まで更新を休む予定だったが、今日から可能になったので、知的財産(権利を守りたい漫画家でさえ反対する「ダウンロード違法化」の最適解、小田嶋氏:JASRACは何と戦っているのだろうか)を取上げよう。

先ずは、経産省出身で慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科教授の岸 博幸氏が3月15日付けダイヤモンド・オンラインに寄稿した「権利を守りたい漫画家でさえ反対する「ダウンロード違法化」の最適解」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/196956
・『ダウンロード違法化の範囲を拡充 著作権法改正法案はなぜ見送られたか  文科省がダウンロード違法化の範囲を拡充する著作権法改正法案を今国会に提出しようとしましたが、世論の強い反発が収まらずに自民党で法案が了承されず、国会提出は見送られることとなりました。 違法コンテンツに対する規制強化は当然ですが、同時にそれに対する懸念の声もよくわかります。ダウンロード違法化について両者が満足できる最適解は、存在するのでしょうか。 今回の著作権法改正法案には、違法コンテンツ対策として2つの柱があります。1つの柱は違法コンテンツが置かれているウェブサイトのURLをまとめ、ユーザをそれら海賊版サイトに誘導する“リーチサイト”や“リーチアプリ”に対する規制の導入です。 具体的には、リーチサイトの運営者やリーチアプリの提供者には刑事罰(非親告罪)を科し、またリーチサイトやリーチアプリにリンク情報などを提供した者に対しては、権利者の民事措置(差止請求、損害賠償請求)を可能にするとともに、刑事罰(親告罪)も科しています。 著作権者に無断でアップロードされた違法コンテンツは、リーチサイトにリンクが貼られることで62倍も多く視聴されてしまう(電気通信大調査)という現実を踏まえると、リーチサイトやリーチアプリへの規制の導入は当然の措置です。実際、この点については識者や世論の反発もほとんどありません。 これに対して、違法コンテンツ対策のもう1つの柱であるダウンロード違法化については、弁護士や漫画家といった方々から強い懸念と反対の声が上がり、結果として法案の国会提出が見送られることになりました。そこで、このダウンロード違法化についてすべての人が満足する最適解が存在するかを考えてみたいと思います』、なかなか興味深そうだ。
・『どこまでが違法なのか 文科省は悪影響に配慮も  その前に、おそらく多くの方が今回のダウンロード違法化の詳しい内容をご存じないと思いますので、説明しておきましょう。 ダウンロード違法化とは、ネット上に違法にアップロードされたものだと知りながら違法コンテンツをダウンロードすることを、それが私的使用目的であっても違法とし、特に正規版が有償で提供されているもののダウンロードを継続的に、または反復して行う場合には、刑事罰(親告罪)の対象とするものです。 音楽と映像については、すでにこのダウンロード違法化が行われているのですが、ネット上では漫画や雑誌など幅広い分野で違法ダウンロードの被害が生じていることから、今回の法改正では、音楽・映像に限らず違法にアップロードされたすべての著作物をダウンロード違法化の対象としようとしています。 ただ、ネットが情報収集の最大のツールとして活用され、かつネット上のコンテンツが違法にアップロードされたかどうかを見極めるのが困難である現実を考えると、無闇になんでも違法とすべきではありません。 そこで、違法にアップロードされたコンテンツだと知らずに(適法か違法かの判断がつかずに)ダウンロードした場合は違法とならないし、またネット上で適法に引用されたものと思ってダウンロードしたけれど実際は違法な引用だった場合など、適法・違法の評価を誤った場合も違法とならない旨が明確化されました。 また、そもそも当たり前の話ですが、違法にアップロードされたコンテンツであっても、ダウンロードせずに視聴するだけなら違法となりません。  加えて、刑事罰についても、それを科されるのは継続的にまたは反復して行われるという常習性がある場合に限られ、かつ二次創作者が原作者の許諾なくアップロードした二次創作物のダウンロードは対象外とされています。 このように、ある意味、ダウンロード違法化の具体策を検討した審議会での有識者の反対意見なども踏まえ、文科省はダウンロード違法化の対象を著作物全般に拡大する悪影響にかなり配慮した、と言うこともできます』、「ダウンロード違法化の対象」はかなり限定されたようだが、それでも問題があるようだ。
・『不利益を被っているはずの漫画家でさえ反対するのはなぜか  それでも、今回の著作権法改正に対しては、弁護士や有識者、さらには違法ダウンロードにより不利益を被っているはずの漫画家の組織である日本漫画家協会も、強い反対を表明しました。 反対の主要なポイントは、ネット上の情報収集ではスクリーンショットなどが当たり前に行われている中でネット利用の萎縮につながる、漫画などの研究や創作を阻害する、といった点になるかと思います。すべての文化がそうですが、特に漫画は模倣を通じて発展してきた部分もあることを考えると、漫画家の方々が反対するのもある意味で納得できます。 ただ、だからといってダウンロード違法化の範囲を音楽と映像以外に拡充しないという選択肢もないと思います。クリエイターが全知全能を振り絞ってつくり上げた作品がネット上で違法に享受され、クリエイターが正当な報酬を得られないようでは、クリエイターは生活のために別の仕事をせざるを得なくなるので、文化の衰退につながりかねないからです。 それでは、どうすればいいのでしょうか。現実的な制度設計が可能かどうかを度外視して考えると、やはりダウンロード違法化の対象をすべての著作物に拡大することを基本とした上で、ネット利用などの萎縮を招かないよう、その例外措置も拡充すべきではないでしょうか。 たとえば、スクリーンショットは基本的にダウンロード違法化の例外としてもよいのではないかと思います。レコードやCDの音楽をカセットテープに複製するのは、著作権違反ではありません。これは、カセットにダビングするのは基本的に自分で楽しむためという私的利用が目的であることに加え、カセットというアナログ媒体に複製したら音質が劣化するという面もあるからです。 いくらデジタルのネット上でも、スマホの画面を撮影するスクリーンショットだと画質が多少は劣化することと考えれば、スクリーンショットはカセットへのダビングと同列に扱える部分もあるのではないでしょうか。 また、ダウンロード違法化の刑事罰が親告罪であることを考えると、ダウンロード違法化の対象となることを望まないコンテンツのジャンルごとの業界団体なり個別の作者なりがいる場合に、刑事罰を親告する権利を明示的に放棄する、または繰り返し複製するなど悪質性が高い場合のみに親告するといった条件を宣言しやすくする仕組みを、導入する手もあるのではないでしょうか』、「すべての文化がそうですが、特に漫画は模倣を通じて発展してきた部分もあることを考えると、漫画家の方々が反対するのもある意味で納得できます」、ただ「ダウンロード違法化の対象をすべての著作物に拡大することを基本とした上で、ネット利用などの萎縮を招かないよう、その例外措置も拡充すべきではないでしょうか」、との筆者の考え方も理解できる。
・『ダウンロード違法化の最適解はあり得るか  過去に“creative commons”など、同様に著作権を自ら放棄する取り組みもありましたが、それらを参考にダウンロード違法化に反対するクリエイターなどが、自らの作品をその対象外であると宣言しやすくするのです。 個人的には、このように柔軟な対応を考えることで、基本的には違法なコンテンツのダウンロードはダメ、でもその例外を制度的に多く担保することでネット利用の萎縮などの悪影響を最小限に抑えるようにする、というアプローチでしか、最適解は見出せないのではと思います。 著作権法改正法案の国会提出が先送りになったことで、文科省はダウンロード違法化の制度設計を再検討することになると思います。このような柔軟な対応をどう検討していくのか、見守っていきましょう』、その通りだろう。

次に、コラムニストの小田嶋 隆氏が7月12日付け日経ビジネスオンラインに寄稿した「JASRACは何と戦っているのだろうか」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00116/00030/?P=1
・『音楽著作権をめぐる問題は、当欄でもこれまでに何回か取り上げている。 この問題は、私が「テクニカルライター」という肩書きで、IT(当時はまだ「IT」という言葉は発明されていませんでしたが)まわりの原稿を書いていた1980年代から90年代にかけて、いくつかの媒体で記事化している。 当時から私の立場はわりと一貫している。 この20年ほど、私は、日本音楽著作権協会(=JASRAC。以下「ジャスラック」と表記します)が著作権使用料を要求する対象が拡大の一途をたどってきたことに、その都度 「行き過ぎじゃないか?」「その要求は無理筋だと思うが」と、違和感ないしは疑義を表明してきた。 もちろん、ジャスラックから回答なり反応なりが返ってきたことはない。 私が一方的にいいがかりをつけてきただけの話だ。 一時期は、「ジャスラック」という単語を自分の原稿の中に書く時に、必ず「シャイロック、じゃなかったジャスラック」というふうに、わざと一度言い間違えてから言い直すメソッドを採用していた。 ネタとしては「ベニスの商人」(シェイクスピア作)の中に出てくる、強欲な金貸しであるシャイロックとジャスラックの混同を狙ったセコいやり口なのだが、しばらくの間はそれなりに有効だったと思っている。 余談だが、つい先日、安倍晋三首相が、参院選の選挙の応援演説の中で、「民主党の、あ、すいません、民主党じゃなくて立憲民主党ですね。どんどん政党が変わるから分からなくなってしまいました。その立憲民主党の枝野さんは党首討論で…… ―略―」と、立憲民主党の枝野幸男氏について言及する際に、「民主党の」と言い間違えたあとに、あらためて訂正する内容の演説を繰り返しているというニュース が流れてきた。 ハフポストがまとめたところによると、首相の「言い間違い演説」は、6日午後の滋賀県草津市での街頭演説で確認されてから後、翌7日は、千葉県内と東京都内で行った計6カ所すべての街頭演説で同じように反復されたのだそうだ。 意外なところに「シャイロック、じゃなかった、ジャスラック」手法の追随者を発見したカタチだ。 もちろん私は、安倍首相のスピーチライターに「故意の言い間違いによるダブルイメージ拡散手法」に関しての著作権使用料を請求するようなことはしない。なんとなれば、文化とは先人の優れた業績を踏まえたところから出発する何かで、その意味からして、自分の仕事が誰かに模倣されたと感じた時、怒りよりは、むしろ晴れがましさを感じるのが本当の人間だと考えるからだ。 話を元に戻す。 ジャスラックは、この30年ほどの間に、著作権使用料の請求先を、演奏家、歌手、レコードCDの制作者、放送、雑誌、新聞、書籍のような商業的なマスの媒体から、有線放送、飲食店の店内音楽、さらにはダンス教室、商店街のBGMに至るまでの、およそありとあらゆる個人に拡大してきている。加えて、彼らは、音楽がファイル化して流通するようになって以来、音楽ファイルが記録され得る媒体(つまり「想定し得るあらゆるすべての媒体」ということになる)に、音楽が乗せられることを想定して、CD-RやDVD-Rのような記憶媒体、ハードディスク、果てはスマホやパソコン本体にあらかじめ補償金を徴収するシステムの確立を画策していると言われる。 いささか古いソースだが、リンク先の記事 にこのあたりのいきさつが詳しく紹介されている』、「首相の「言い間違い演説」、確かに私にも鼻についた。
・『さて、このたび、われらがシャイロック、じゃなかったジャスラックは、音楽教室に職員を潜入させることで教室内での音楽の扱われ方を調査する手段を採用した。 リンク先の記事によれば 《―略― JASRAC側が東京地裁へ提出した陳述書によると、職員は2017年5月に東京・銀座のヤマハの教室を見学。その後、入会の手続きを取った。職業は「主婦」と伝え、翌月から19年2月まで、バイオリンの上級者向けコースで月に数回のレッスンを受け、成果を披露する発表会にも参加した。 ―略―》ということになっている。 びっくり仰天だ。 いったいいつの時代のゲシュタポのやりざまだろうか。 でなければ、ずっと昔にある漫画で読んだ「柳生の草」(←ググってください)の現代版とでも考えたものなのだろうか。 私は、民主的だと言われているわが国の戦後社会の中で60年以上生きてきた人間だが、これほどまでにあからさまなスパイ活動を堂々と敢行して恥じない組織が、自分たちの主張に耳を傾けてもらえると信じている姿を、いまはじめて見た気がしている。 思うに、ジャスラックが潜入職員を立ててまで立証せんとしていたのは、 1.ヤマハの音楽教室では、「音楽」がまるでコンサート会場でそうされているように、生徒によって「鑑賞」され、「享受」され、金銭を媒介する手段として「流通している」 ということなのだろう。 というのも、ジャスラックとヤマハの間で争われている訴訟では、現在、教室内で演奏される音楽が、演奏技術を伝えるためのものなのか、それとも「鑑賞目的」なのかという点と、もう一つは、教室に通っている生徒が、営利目的で演奏を聴かせる対象としての「公衆」に当たるのかであるからだ。 ちなみにヤマハとジャスラックが争っている訴訟の争点については、以下の記事 が詳しい。興味のある向きは熟読して内容を吟味してほしい。 さて、潜入職員は、レッスンでの演奏の様子について、「とても豪華に聞こえ、まるで演奏会の会場にいるような雰囲気を体感しました」と主張している。 演奏を聴いていた生徒たちについては、「全身を耳にして講師の説明や模範演奏を聞いています」という言い方で描写している。 つまり彼ら(ジャスラックとその潜入職員たちのことだが)は、レッスン時に試奏されている音楽が、「事実上コンサートの音楽として」流通しており、生徒たちも、「有料入場者たる聴衆に近い聴き方で」その音楽に向き合っているということを主張しているわけだ。 なぜというに、彼らの側の理屈からすれば、作曲者の存在が明示的に共有されている特定の楽曲が、金銭の授受を伴う音楽として流通しているのだとすると、そこには当然、著作権使用料が発生するはずだという理屈になるからだ』、JASRACが音楽教室に「潜入職員」でスパイさせていたというのは、私もそこまでやるのかと、驚かされた。彼らの主張もいささか手前勝手な印象を受けた。
・『さてしかし、音楽教室の側の立場からすれば、講師が全力を尽くして最高の演奏を披露しようとするのは、教育者として当然の姿勢だ。 というよりも、どんな分野であれ、他人に何かを教える人間が、全身全霊でその任に力を尽くすのは、「教育」という行為の大前提だ。 同様の理路から、生徒が「全身を耳にして模範演奏を聞く」態度も、同じく、音楽を学ぼうとする人間としての最も基本的な態度だ。 というよりも、そもそも教える側がぞんざいな演奏をしていたり、学ぼうとする側が、いいかげんな態度で聞いていたのでは演奏技術はもとより、「音楽」のエッセンスそのものが伝わらない。 野球でもフィギュアスケートでも、コーチは全力の模範演技を見せて、生徒に競技の真髄を伝えようとする。 「鑑賞」のうえ拍手をしてもらいたいからではない。八分の力で投げるピッチングフォームや、3回転から2回転にグレードダウンした模範演技では、伝えようとするところの最も大切なスキルやテクニックが伝わらないからでもあれば、100パーセントの集中をもって競技に臨まない態度は、故障につながりかねないからだ。 山岳警備隊のトレーニングがザイルの代わりにビニール紐を代用として敢行できるはずもなければ、料亭の板前が発泡スチロールを切り刻むことで包丁さばきを学ぶわけにもいかない。音楽を学び伝えるためには、本物の音楽を、本気の集中力でやりとりしなければならない。あたりまえの話ではないか。 おそらく、ジャスラックは、「教育目的で音楽が演奏されている」場所に、著作権使用料が発生していない現状が不満で訴訟を起こしたのだろう。 彼らにしてみれば、「教育目的、レッスン目的であれ、一定数の聴衆が音楽を聴き、その人々に向けて、楽曲が演奏されている事実は変わらない。だとすれば、教育という隠れ蓑の裏で、やりとりされている闇流通の音楽に対してもわれわれは支払いを要求する」 てなところなのだろう。 しかし、そもそも、生徒たちは、レッスン用の楽曲を演奏するために、楽譜を購入している。その楽譜の出版にあたっては、すでに著作権使用料が支払われている。さらに生徒たちは、必要に応じてプロの演奏家が録音した楽曲のファイルなりCDなりを買っている。これらの音源についても当然のことながら著作権使用料がのせられている。 その上、教室内で鳴っている講師の演奏についても、別途レッスン料の中からジャスラックに金銭を徴収されねばならないというのだろうか。 理屈の話をすれば、もっと細かい話だってできる。 もっとも、ジャスラックの側からも、別の論点からの違った細かい話が出てくるだろうとは思う。 ただ、今回の報道で私がなによりも衝撃を受けたのは、音楽教室に潜入捜査員を送り込んで訴訟のための資料を収集しようとしたジャスラックの、その取り組み方の異様さに対してだ』、「生徒たちは、レッスン用の楽曲を演奏するために、楽譜を購入・・・すでに著作権使用料が支払われている。さらに生徒たちは、必要に応じてプロの演奏家が録音した楽曲のファイルなりCDなりを買っている・・・著作権使用料がのせられている。その上、教室内で鳴っている講師の演奏についても、別途レッスン料の中からジャスラックに金銭を徴収されねばならないというのだろうか」、JASRACの主張は余りに一方的だ。
・『ジャスラックは、何と戦っているのだろうか。 彼らは、自分たちが音楽そのものを敵にまわしはじめていることに、気づいていないのだろうか。 ヤマハは、日本にはじめて西洋の音楽が入ってきた時代から、一貫して、楽器を作り、楽譜を出版し、音楽教室を展開し、音楽ホールを設計し、レコードやCDを制作し、コンサートを企画し、新人の音楽家を発掘してきた企業だ。 もちろん、彼らとて営利企業である限りにおいて、音楽をカネに変える活動をしてきていると言えばそうも言えるだろう。しかし、総体として、ヤマハが音楽の普及と発展のために力を尽くしてきた企業であることについて、異論を唱える日本人はほとんどいないはずだ。 引き比べて、ジャスラックは音楽の普及や音楽家の育成にほんの少しでも貢献してきたのだろうか。 私は疑問に思っている。 彼らは、音楽家の権利を守ると言っている。 しかし、音楽家の中にも、自分たちの権利を守ってくれている団体であるのかどうかについて疑問を持っている人々がたくさんいる。 この話はまた別の議論になるので、ここでは深く追究しない。 ただ、私は、今回、 私の目から見て、ジャスラックのような組織が、ヤマハのような企業を相手に、音楽の「正義」を主張している姿は、なにかの皮肉であるようにしか見えない。 訴訟で争われている事例では、音楽講師と生徒が「美女と野獣」という楽曲を交互に演奏したことになっている。 で、その演奏と鑑賞の相互作用の中に音楽著作権を不当に侵害する行為が含まれていたのかどうかが争われているわけなのだが、仮に「美女と野獣」という個別の楽曲に含まれる作曲者の意図や工夫が、音楽講師の卓越した演奏を通じて、生徒に伝えられていたのだとして、「音楽を学ぶ」という文脈から見れば、教える者から教わる者に伝えられているのは、単独の著作者による個別の楽曲の細部ではなくて、「音楽そのもの」とでも言うべき技法なり演奏術なりの真髄であるはずだ。 私自身、子供の頃にピアノ教室に通って、バイエルだのブルグミュラーだのの楽譜をただただ機械的に再現するためのレッスンに苦しんだ記憶を持っている。 ただ、その苦しいレッスンの抑圧的な記憶はともかく、私の身体の中には、わずかながら「音楽そのもの」が伝えられている。それは、特定の作曲家の個別の作品とは別のものだ。その、もっと普遍的な「音楽なるもの」を伝え、再現し、楽しむために、われわれは、楽器を発明し、楽譜を書き、レコードを回し、ストリーミング配信のための環境を整えている。そこにおける主役はあくまでも「音楽そのもの」であって、「特定の楽曲に含有されている誰かの権利」みたいなみみっちいものではない。 音楽は、そうやって人から人に伝えられていくものだ。 カネや著作権は、そうした音楽の流れの周辺に発生するノイズにすぎない。 ジャスラックは、人が人に音楽を教えている現場にスパイを送り込んだ。このことは、同時に、人が人から何かを学び取ろうとしている場所に、悪意の観察者を紛れ込ませたということでもある。 これはとても罪深いことだ』、「ジャスラックのような組織が、ヤマハのような企業を相手に、音楽の「正義」を主張している姿は、なにかの皮肉であるようにしか見えない」、「人が人から何かを学び取ろうとしている場所に、悪意の観察者を紛れ込ませたということでもある。 これはとても罪深いことだ」、などというのは同感だ。「私自身、子供の頃にピアノ教室に通って、バイエルだのブルグミュラーだのの楽譜をただただ機械的に再現するためのレッスンに苦しんだ記憶を持っている」、との告白の意外さに驚かされたが、この問題へのコメントにも深みが出た気がする。
・『そのスパイ行為を通じて、彼らがどんな情報を収集しようとしていたのかということとは別に、身分を偽った訴訟相手の手先による情報収集というそのやりざまのあまりといえばあまりな醜さが、音楽そのものを根本的な次元で台無しにしてしまっている。 音楽から何かを取り出すために、音楽そのものを殺してしまっては元も子もないと思うのだが、ジャスラックはまさにそれをやろうとしている。私にはそのようにしか見えない。 たとえばの話、おたまじゃくしをつかまえたいと思った子供がいたのだとして、私は、あの可憐な生き物を自分の手の中の小さな池で泳がせてみたいと考える童心を、責めようとは思わない。 でも、その子供が、おたまじゃくしをつかまえるために、春の小川にガソリンを流し込んで火をつけたのだとしたら、私は、その子供の行為を決して容認しないだろう。 問題は意図ではない。どんな崇高な意図(音楽を守りたい)に基づいているのだとしても、それを実現するための手段が破壊的であったら、何の意味もない。 野の花を摘むための手段がブルドーザーだったら押し花も恋文も無効になる。当然だ。 シャイロックは、生きている人間から心臓だけを取り出すことができると考えた男だった。 ジャスラックは、空気の中を流れている音楽から著作権だけを取り出すことができると考えているのだろうか。 抽象的な話になってしまった。結論は無い。各自考えてください。 私の子供時代のピアノの先生は、今年の3月に90歳で亡くなった。 レッスン自体にはあまり良い思い出はないのだが、私の中に根付いたいくばくかのものをもたらしてくれた先生の貢献にはいまでも感謝している。ご冥福をお祈りしたい』、「ジャスラックは、空気の中を流れている音楽から著作権だけを取り出すことができると考えているのだろうか」、というのは最大限の嫌味だ。JASRACのHPでは事業目的は、「音楽の著作物の著作権を保護し、あわせて音楽の著作物の利用の円滑を図り、もって音楽文化の普及発展に寄与すること」とあるが、著作権保護に偏り過ぎて、最終目的の「音楽文化の普及発展に寄与」が疎かになっているのだろう。
タグ:知的財産 音楽著作権 日経ビジネスオンライン ダイヤモンド・オンライン 岸 博幸 小田嶋 隆 (権利を守りたい漫画家でさえ反対する「ダウンロード違法化」の最適解、小田嶋氏:JASRACは何と戦っているのだろうか) 「権利を守りたい漫画家でさえ反対する「ダウンロード違法化」の最適解」 著作権法改正法案を今国会に提出しようとしましたが、世論の強い反発が収まらずに自民党で法案が了承されず、国会提出は見送られることとなりました 違法コンテンツ対策として2つの柱 1つの柱は違法コンテンツが置かれているウェブサイトのURLをまとめ、ユーザをそれら海賊版サイトに誘導する“リーチサイト”や“リーチアプリ”に対する規制の導入です この点については識者や世論の反発もほとんどありません もう1つの柱であるダウンロード違法化については、弁護士や漫画家といった方々から強い懸念と反対の声が上がり、結果として法案の国会提出が見送られる 今回の法改正では、音楽・映像に限らず違法にアップロードされたすべての著作物をダウンロード違法化の対象としようとしています 不利益を被っているはずの漫画家でさえ反対するのはなぜか すべての文化がそうですが、特に漫画は模倣を通じて発展してきた部分もあることを考えると、漫画家の方々が反対するのもある意味で納得できます やはりダウンロード違法化の対象をすべての著作物に拡大することを基本とした上で、ネット利用などの萎縮を招かないよう、その例外措置も拡充すべきではないでしょうか ダウンロード違法化の最適解はあり得るか 「JASRACは何と戦っているのだろうか」 著作権使用料を要求する対象が拡大の一途 「シャイロック、じゃなかったジャスラック」 安倍晋三首相が 立憲民主党の枝野幸男氏について言及する際に、「民主党の」と言い間違えたあとに、あらためて訂正する内容の演説を繰り返しているというニュース 「言い間違い演説」 音楽教室に職員を潜入させることで教室内での音楽の扱われ方を調査する手段を採用 これほどまでにあからさまなスパイ活動を堂々と敢行して恥じない組織が、自分たちの主張に耳を傾けてもらえると信じている姿を、いまはじめて見た気がしている 立証せんとしていたのは、 1.ヤマハの音楽教室では、「音楽」がまるでコンサート会場でそうされているように、生徒によって「鑑賞」され、「享受」され、金銭を媒介する手段として「流通している」 ということなのだろう 訴訟では、現在、教室内で演奏される音楽が、演奏技術を伝えるためのものなのか、それとも「鑑賞目的」なのかという点 もう一つは、教室に通っている生徒が、営利目的で演奏を聴かせる対象としての「公衆」に当たるのかであるからだ 生徒たちは、レッスン用の楽曲を演奏するために、楽譜を購入している。その楽譜の出版にあたっては、すでに著作権使用料が支払われている 生徒たちは、必要に応じてプロの演奏家が録音した楽曲のファイルなりCDなりを買っている。これらの音源についても当然のことながら著作権使用料がのせられている その上、教室内で鳴っている講師の演奏についても、別途レッスン料の中からジャスラックに金銭を徴収されねばならないというのだろうか 彼らは、自分たちが音楽そのものを敵にまわしはじめていることに、気づいていないのだろうか ヤマハが音楽の普及と発展のために力を尽くしてきた企業であることについて、異論を唱える日本人はほとんどいないはずだ。 引き比べて、ジャスラックは音楽の普及や音楽家の育成にほんの少しでも貢献してきたのだろうか。 私は疑問に思っている ジャスラックのような組織が、ヤマハのような企業を相手に、音楽の「正義」を主張している姿は、なにかの皮肉であるようにしか見えない 私自身、子供の頃にピアノ教室に通って、バイエルだのブルグミュラーだのの楽譜をただただ機械的に再現するためのレッスンに苦しんだ記憶を持っている スパイ行為を通じて、彼らがどんな情報を収集しようとしていたのかということとは別に、身分を偽った訴訟相手の手先による情報収集というそのやりざまのあまりといえばあまりな醜さが、音楽そのものを根本的な次元で台無しにしてしまっている ジャスラックは、空気の中を流れている音楽から著作権だけを取り出すことができると考えているのだろうか 著作権保護に偏り過ぎて、最終目的の「音楽文化の普及発展に寄与」が疎かになっている
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