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日韓慰安婦問題(その4)(「あいちトリエンナーレ2019」問題:津田大介氏一問一答「希望になると考えたが劇薬だった」、炎上すべくして大炎上「あいちトリエンナーレ」 京アニ「誤解」につながる少女像展示はポストトゥルース政治、「表現の不自由展」中止で謝るのは津田大介じゃない! 圧力をかけ攻撃を煽った菅官房長官と河村たかし市長だ、八代弁護士 河村たかし 松井一郎が“慰安婦問題はデマ”とネトウヨ並みフェイク! あらためて中曽根証言など日本軍関与の証拠を見ろ) [外交]

日韓慰安婦問題については、昨年10月6日に取上げたままだった。久しぶりの今日は、(その4)(「あいちトリエンナーレ2019」問題:津田大介氏一問一答「希望になると考えたが劇薬だった」、炎上すべくして大炎上「あいちトリエンナーレ」 京アニ「誤解」につながる少女像展示はポストトゥルース政治、「表現の不自由展」中止で謝るのは津田大介じゃない! 圧力をかけ攻撃を煽った菅官房長官と河村たかし市長だ、八代弁護士 河村たかし 松井一郎が“慰安婦問題はデマ”とネトウヨ並みフェイク! あらためて中曽根証言など日本軍関与の証拠を見ろ)である。

先ずは、8月3日付け朝日新聞「津田大介氏一問一答「希望になると考えたが劇薬だった」」を紹介しよう(Qは聞き手の質問、Aは津田氏の回答)。
https://www.asahi.com/articles/ASM8362Q8M83OIPE024.html
・『「あいちトリエンナーレ2019」の芸術監督を務める津田大介氏の記者会見の主な内容は次の通り。 「このような形で展示を断念するのは断腸の思い。楽しみにしていただいた方に申し訳なく思う」 Q:中止は想定内だったのか。 A:「大過なく(会期の)75日間を終えることが目標だったのは変わらない。抗議が殺到する、脅迫がくるのもすべて想定していて、現実のリスクが大きいものが出てきたら中止せざるをえないと思っていた」 Q:河村たかし名古屋市長や菅義偉官房長官の発言は影響したのか。 A:「一切関係ない。そういう状況がある中でこそ生きてくる企画だと思っていた。安全管理上の問題が大きくなったのがほぼ唯一の理由。想定以上のことが、とりわけ電話で行われた。回線がパンクし、受付の人も抗議に対応することになった。対策はあったかもしれないが、抗議の過熱がそれを超えていった。想定が甘かったという批判は甘んじて受けなければならない」 Q:「表現の自由の現在地を確認する」と言ったが、今回の件を受けてどう考えるか。 A:「公立の美術館や行政の文化事業でも、細かく内容を確認することはすべきでない。一方、何かのタブーに触れるものがあった場合、SNSを使った圧力やスクラムが出てきている。民間企業や個人なら着信拒否などもできるが、公的機関では対応しなくてはいけない。その対応と表現の自由がぶつかっているのが、現状だと考えている」 Q:公立の機関での企画が萎縮する可能性がある。 A:「物議を醸す企画を公立の部門でやることに意味があると考えた。成功すれば企画に悩む人の希望になれると考えたが、劇薬だった。トリエンナーレに入れることが適切だったかは考えなければいけないと思っている」』、「河村たかし名古屋市長や菅義偉官房長官の発言」が影響したわけではなく、「安全管理上の問題が大きくなったのがほぼ唯一の理由。想定以上のことが、とりわけ電話で行われた。回線がパンクし、受付の人も抗議に対応することになった」、としているが、芸術監督としてはいささか頼りない発言だ。

次に、作曲家=指揮者 ベルリン・ラオムムジーク・コレギウム芸術監督で東大准教授の伊東 乾氏が8月5日付けJBPressに寄稿した「炎上すべくして大炎上「あいちトリエンナーレ」 京アニ「誤解」につながる少女像展示はポストトゥルース政治」を紹介しよう。
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/57221
・『8月2日、政府は、輸出手続き簡略化の優遇措置を受けられる、いわゆる「ホワイト国」から、大韓民国を外す閣議決定を下しました。 これを受け大韓民国側も、日本をホワイト国から外すという対抗措置を取る旨の声明が洪楠基 経済副首相兼企画財政部長官から出されました。その同じタイミングで、名古屋市の河村たかし市長が「あいちトリエンナーレ」会場を視察。 その一部である「企画展:表現の不自由展 その後」に展示されている「平和の少女像」を即刻、撤去するよう、大村秀章・愛知県知事に申し入れるとの報道がありました。 そして、入稿後の8月3日、早々に「企画展の中止」が発表されました。校正に補足を記していますが、ただただ呆れ返っています。 信念をもってキュレートしているのなら、いささかなりとも変更を強いられた時点で、芸術監督は潔く辞任するのが筋と思います。 8月1日からスタートしたばかりのトリエンナーレですが、開催期間はずっと前から決まっていたこと。 それとこの国際的な政治状況とは偶然の一致という側面もあったにせよ、あまりにタイミングが悪いというより、大変な「下手」を打っているとしか職業芸術人の観点からは言いようがありません。これは「ダメ」です。 関連の事柄に、様々な論考が出されると思いますが、芸術屋の一人の見方として、この事態の何がダメなのか、平易にまた明解に記してみたいと思います』、伊東氏から芸術屋の一人の見方を知れるとは、興味深そうだ。
・『アマチュアのガバナンス「あいちトリエンナーレ2019」  本稿は、騒ぎが起き始めた直後にベルリンで執筆しているものです。8月2日、「あいちトリエンナーレ」の芸術監督を務めているジャーナリストの芸術監督が記者会見し、「展示の変更も検討している」と述べていると報じられ、あっけにとられました。 開幕2日目、本来なら10月までのロングラン展示であるべきところ、「テロ予告」とも取れる脅迫や抗議が来ているとのことですが、「展示の変更も検討」とは、よくまあ芸術監督を称する者が言ったものだと呆れました。 どこかの芸能事務所の「芸人ファースト」ではないわけです。少なくとも職業芸術人のアーティストなのですから・・・。 芸術監督として本当にプロフェッショナルの責任感をもって仕事をする立場のものであれば自分が責任をもって展示した、しかも海外アーティストの作品について、いきなり「変更も検討」なんて腰抜けなことは、絶対に言えませんし言いません。素人が、間違った椅子に座っていると思いました。 私は、緊迫する日韓関係のさなかにあって、この展示を今のまま継続するのが得策だとは考えません。 しかし、芸術監督として責任をもってくみ上げたラインナップであるのなら、「撤回は認められない。きちんと作品を見てほしい」といった腰だめが、少なくとも1回はあってしかるべきと思います。 脅されたらすぐにしっぽを巻く程度の覚悟で、こういう作品や作家を招聘していたのでしょうか。 もし、展示の中止や撤去などがあるなら「その折は、自分が責任を取る」と、最初に、後始末をつけた暁には、辞任の方向を明示したうえで、「芸人ファースト」ならぬ「芸術家ファースト」「作品ファースト」に、懸命の努力を尽くすのが、いやしくも芸術監督という存在でしょう。 地味なたたき上げの職人芸術人として、ジャーナリストや批評家が予算に権限を持つことに対して30年来、常に警鐘を鳴らし続けていますが、その最たることになっているように思います。 最低限の基本的な覚悟もなしに、作品やそのラインナップをもって世界に価値を問うというキュレーションの王道が全うできるわけがありません。 やるなら腹を切る覚悟、すでに脇差を一本突き立てたうえで、社会の理解を一度は求めるのが、その責にあうるものの基本的な所作にほかなりません。ガバナンスのアマチュアを見るように思います。 このように記した直後に、8月3日の「中止」の記者会見がありました。驚いたのは、その会見の中で「監督としての責任を持って、最後まで運営に邁進」と、芸術監督の立場を保全する内容に言及していることでした。 会見では「リスクの想定、必要な対応は識者にも話を聞いてきたが、想定を超える事態が起こったことを謝罪する。僕の責任であります」と述べており、この規模の国際展で充分なリスク想定ができない、つまりその任でないことを認めている。 自分の責任だと言っているのだから、辞して当然と思います。実際、このような形で「芸術監督」がいてもいなくても、リスク対策はプロが粛々と進めるでしょう。 本件が外交問題などに発展した場合、躊躇なく責任を取る必要が想定されることも付記しておきたいと思います』、(芸術監督を)「やるなら腹を切る覚悟、すでに脇差を一本突き立てたうえで、社会の理解を一度は求めるのが、その責にあうるものの基本的な所作にほかなりません。ガバナンスのアマチュアを見るように思います」、との手厳しい津田氏批判はその通りだ。
・『なっていないコンセプト「情の時代」  以上のような疑義を呈したうえで、いったいどういう「コンセプト」が、こういう朝令暮改を生むのか、資料を確認してみました。 2017年10月20日に発表されたリリース(https://aichitriennale.jp/news/2017/002033.html)には情の時代 Taming Y/Our Passionという「テーマ」と、それにまつわる「コンセプト」が記されていました。 「じょうの時代」と読むのか「なさけの時代」(ではないのでしょうが)なのか、何にしろ、その日本語の横には Taming Your/Our Passionという横文字がある。 Your(あなたの)と、Our(私たちの)という2つをスラッシュで重ねるあたり、目から鼻に抜ける評論秀才的な感覚を感じますが、Tamingは率直に感心しません。 Tameという動詞は「調教する」「飼いならす」といった意味合いとともに「従順にする」「無気力化する」「ふがいなくする」「精彩を欠かせる」「単調にする」といった家畜調教、奴隷化の語感が、少なくとも私には感じられます。 「コンセプト」はカナダの科学哲学者イアン・ハッキングの著書「The Taming of Chance『偶然を飼いならす――統計学と第2次科学革命』」からこの言葉を取ったとしていますが、chance(偶然)あるいは未知のリスクは統計学によって「従順にする」「単調にする」対象として自然に理解できますが、「私」や「あなた」の「感情」を目的語に取ることには違和感があります。 まあでも、どうせ日本社会は何かヨコモジになってればいいレベルだから、こんな程度かと思いますが、問題はそうしたコンセプト上の留保が一切感ぜられない「情の時代」というキャッチコピーの方でしょう。 「情の時代」の国際美術展は、その本番開始直後、露骨に嫌韓感「情」の直撃を受けて、皮肉にもトリエンナーレの大炎上そのものが「感情に支配され、理非の別がつかなくなっている時代」を、露骨に見せつけているように思います。 これは芸術のトリエンナーレ=3年周期で開かれる国際展で、過去があり、現在があり、未来につながるものとして、見識をもってグローバルに展開すべきものと思います。しかし、コンセプトは冒頭から 「『政治は可能性の芸術である』・・・ドイツを代表する政治家、ビスマルクの言葉だ。」と書き出されて、芸術=アートはメタファーにしかなっていません。あくまで力点は「政治」にあるようです。 というのも、すぐ続けて「・・・ゴルバチョフや丸山眞男など、後世の政治家や政治学者が積極的に引用し、政治というものの本質を一言で表現したものとして定着している。ビスマルクはその生涯において同様の発言を繰り返しており、『政治は科学(science)ではなく、術(art)である』という国会でのスピーチも記録に残っている」と、延々「政治」や「民意」に関する考察が記され、芸術は常に後回しになっている感が否めません。 また、あえてここで芸術教授屋的にアカデミックな注文をつけさせてもらうなら、ビスマルクを「ドイツを代表する政治家」と記すのはいただけません。 ビスマルクはプロイセン王国の宰相としてドイツ帝国という枠組みを作った張本人であると同時に、全欧州にドイツが安全な実行を約束したはずの「ベルリン労働者保護国際会議」への妨害工作など、主情的な根回しに終始したため、即位したての新皇帝ヴィルヘルムⅡ世の信頼を完全に失って失脚した、典型的な古いタイプのタヌキおやじとして知られます。 この原稿はベルリンで書いていますが、こちらの友人たちに尋ねてみると、ドイツ「政治家」の名としてビスマルクやヒトラーが挙がることは普通にはないそうです。 現代のコンセプト文案で「ドイツを代表する政治家というなら、ヴィリー・ブラントかヘルムート・コールの名が挙がるだろう、せめてかつてドイツ帝国を統治した政治家くらいにしておいたら」と返ってきました。 このコンセプト文案には、人々が「権力により、あるいはメディアにより、動物のように管理されている」との表現がありました。 直ちに想起したのは、京都アニメーション放火殺人事件後に発表された、同社OBのアニメーション監督、山本寛さんの見解です。 前回の原稿(https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/57195)にも記しましたが、山本さんは「狂気との共犯関係」といった独自の切り口で、出身母体である京都アニメーションへのあり得ない襲撃を解釈されていました。 さてしかし、放火犯が示したような激しい憎悪や敵意の感「情」に対して、「犯人が許せない」などといくら情で応じても、何一つ建設的な対案など出てこないことは明らかです。 ここで第一に必要なのは情ではなく、冷静な理非の別、あえて言えば「知」の領域であり、さらに言えば、再発防止といった確固たる目的に向かう強靭な「意志」が最も重要となります。 カント以来の古臭い超越論的認識の区分ではありますが、「情」に対して「情」で対抗しても、情動に溺れることにしかならず、血で血を洗ったバルカン半島的な泥沼に陥ることを歴史は雄弁に示していると思います。 翻って、あいちトリエンナーレの「コンセプト」は次のように記しています。 「2015年、内戦が続くシリアから大量に押し寄せる難民申請者を『感情』で拒否する動きが大きくなっていた欧州各国の世論を変えたのは、3歳のシリア難民の少年が溺死した姿を捉えた1枚の写真だった」「この写真をきっかけに、ドイツとフランスは連名で難民受け入れの新たな仕組みをEUに提案し、続いてイギリスもそれまでのの政策を転換して難民の受け入れを表明した」 しかし、それは表層に過ぎません。 例えばドイツに関して言えば、「Industry4.0」政策の推進と、OECD(経済協力開発機構)加盟国が軒並み直面する少子高齢化=労働人口不足の現実に対するしたたかな計算が背景にあり、将来不足する労働力人口を念頭に、計画的に移民を受け入れた「知」と「意」の背景がはっきり存在する。欧州事情を知るジャーナリストなら誰でも押さえている基本です。 また、大衆合意を取りつける一段階として浮上した、ギリシャのコス島を目指してトルコ沿岸を出発したゴムボートの転覆と、幼児を含む父親以外家族全員の溺死が「写真」というアイコンを通じて拡散、風向きが変わった経緯とは、一定の区別をもって冷静にとらえる必要があると思います。 さらに「コンセプト」は記します。 「いま人類が直面している問題の原因は『情』にあるが、それを打ち破ることができるのもまた『情』なのだ。われわれは、情によって情を飼いならす(tameする)技(art)を身につけなければならない。それこそが本来の『アート』ではなかったか」 これは全く間違った、アマチュアの見解と言わねばなりません。 情によって情を「飼いならす」のがartなどであった試しは、(どこかにマイナーな例外があれば、それは知りませんが)、洋の東西を問わず、圧倒的に多くの芸術の現場に存在しない概念、空想の産物と断じて構わないと思います。 ここで、遠近法などを中心とする古色蒼然たる泰西美術史、あるいは写真発明~印象派以降の芸術史から、戦後のモダンアートに至るまで、芸術をめぐる思想の歴史をひっくり返す必要はないでしょう。 こと音楽に関しては、さらに厳密かつ明確で、そこには方法に対するプロの冷徹があるばかりです。私など古い教育を受けた者は、主情的な感想など「素人のたわごと」としてローティーンの段階で全否定された経験があります。 抽象的な話は水かけ論になりかねません。ここでは「京都アニメーション放火殺人事件」という現実を眼前に問うことにします。あのような無根拠な憎悪の爆発に対して 「われわれは、情によって情を飼いならす(tameする)技(art)を身につけなければならない」といったスローガンが、いささかでも効力を発揮するでしょうか? 「それこそが本来の「アート」ではなかったか」 そんなものはどこにも存在しません。第2次世界大戦後、西欧の芸術思潮は、ホロコーストのような感情の爆発と取り返しのつかない現実を前に、全く異なるアプローチを取り、私もそこで30数年来仕事をしてきました。 この紙幅では踏み込みませんが、要するに「鑑賞者側に立った」アートへの誤解、ないし一面的なとらえ方に過ぎず、「情をもって情を征する」というのは、脳や認知の科学の観点からみても、やや分の悪い主張になってしまっています』、「「われわれは、情によって情を飼いならす(tameする)技(art)を身につけなければならない」といったスローガンが、いささかでも効力を発揮するでしょうか?」、どうも津田氏の考えは思いのほか浅いようだ。
・『「図式ありき」の下手な政治?  トルコ領のアナトリア半島から、すぐ沖に浮かぶギリシャ領のコス島に向けて、無茶なゴムボート渡航で難民が決死の亡命を計り、結果的に幼い命を含む多くの人命が失われた「出来事」がありました。 しかし、それがいったん「写真」として切り取られ、報道やSNSで拡散してしまうと、それは事実を離れた「アイコン」として政治化してしまう。 私たち芸術人が最も警戒する、内容の空疎化がここに見られる可能性があると思います。 「あいちトリエンナーレ2019」コンセプトは、まさにこの「ポストトゥルース」のアイコンを「アート」あるいは「作品」と勘違いする、ジャーナリスティックな誤解が、今回の問題を生み出した、真の原因と私は思います。 実際に展示された作品「平和の少女像」に関して、私はここで何一つ発言しません。それは芸術人として、見ていない作品を云々する愚を犯さないだけのことに過ぎません。 間違いなく言えることは、ここでの「キュレーション」は「平和の少女像」という作品ではなく「慰安婦」という政治的なアイコンを会場にちりばめることで「タブーに挑戦する」という、かなり動機の浅いジャーナリスティックな「政治」の「図式ありき」でしょう。 それが、こんなに大きな騒ぎになるとは事前に「想定」していなかった・・・器ではなかったと言うことだと思います。 これを2年ほど前から仕かけ、また周囲の状況変化などに細心の注意を払わず、結果的にアーティストとトリエンナーレそのものの品格を大いに落とす結果となった キュレータまがいの政治ジャーナリズム(pseudo - curating political journalism)の浅慮。 「浅い」というのは、公開2日目にしてすでに「対策を検討」といった発表があった時点で浅はかであるのは明らかで、なぜ2~3日前に、「もう少しきちんと分別のある対策が取れなかったのか」と、あらゆる常識人の大人に問われて当然と思います。 「胆力」がないのです。 8月3日に「中止」、まさに三日坊主で引っ込めたわけですが、これは国内の反響以上に、いま緊張関係を高めている日韓間の外交で、極めて良くないカードを一枚提供してしまっていることを、明記しておきましょう。 韓国政府から正規の抗議などが来た場合「芸術監督」には取るべき責任があります。 また、国内向けで考えるなら「表現の不自由展」というコンセプトからして、まさにその方向で「表現を自粛」したわけですから、全体主義体制下での美術展禁圧と同じことを結果的にしていることになる。 作品の是非といったことを問う以前、問題外の対応で、どこかの興業会社の社長会見を想起せざるを得ませんでした。 国際展というのは、そもそも、キュレーティング・アーティストというべき、器の大きな、ビジョンの遠大な人(々)の見識があって成立する性質のものです。 ジャーナリストを「芸術監督」に据えた時点で、この間違い、つまりポリティカルでジャーナリスティックなミスは決まっていたようなものです。 その背景には「話題を呼ぶ人選」で「動員数」を主な指標と考える、内容不在、芸術無関係なイベント・ガバナンスの空洞化を指摘するべきと思います。 津田さんに罪があるとは、あまり思っていません。芸術人としての経験を持っていないのだから、胆力など養う機会があるわけもないでしょう。 ただ、いやしくも「芸術監督」を名乗るのであったなら、外部からの批判に対して、いきなり「ひっこめる」と読めるような身の翻し方はすべきではなかったのではないかと思います。 芸術を生きている人間は、多くがそこで人生を懸け、命を懸けて、営々と頑張っています。 現状の展開は作品や作家に対してあまりに失礼であるし、無責任とみる人もいるでしょう。 もし芸術監督として「平和の少女像」を選んだのなら、それと運命を共にする覚悟があって、初めて芸術監督業の1の1であって、新聞記事のように簡単に差し替えが利くアイコンではないことを、畑は違いますが一人の作り手の立場から記したいと思います』、「ジャーナリストを「芸術監督」に据えた時点で、この間違い、つまりポリティカルでジャーナリスティックなミスは決まっていたようなものです」など、説得力溢れた批判は、大いに参考になった。

第三に、8月5日付けLITERA「「表現の不自由展」中止で謝るのは津田大介じゃない! 圧力をかけ攻撃を煽った菅官房長官と河村たかし市長だ」を紹介しよう。
https://lite-ra.com/2019/08/post-4884.html
・『最悪の事態だ。津田大介が芸術監督を務める「あいちトリエンナーレ」の企画展「表現の不自由展・その後」が開幕からわずか3日で中止に追い込まれてしまったのだ。 あいちトリエンナーレ実行委員会会長である大村秀章・愛知県知事の会見によれば、テロ予告や脅迫電話もあり「撤去をしなければガソリン携行缶を持ってお邪魔する」というファックスも送信されてきた。安全上の問題を理由に中止の判断をしたという。 これを受けて、芸術監督を務める津田大介も会見を開き、こう謝罪した。 「まずおわびしたいのは、参加した各作家の皆様。(開幕から)たった3日で展示断念となり、断腸の思い」「これは、この企画を75日間やり遂げることが最大の目的。断腸の思いだ。こういう形で中止、迷惑をかけたことも含めて申し訳なく、実行委員会や作家には、誠意をもっておわびをしたい」「参加作家の方に了承を得られているわけではない。このことも申し訳ない。円滑な運営が非常に困難な状況で、脅迫のメールなども含めて、やむを得ず決断した。そのことも、作家に連絡をしておわびをしたい」「電凸で文化事業を潰すことができてしまうという成功体験、悪しき事例を今回、作ってしまった。表現の自由が後退する事例を作ってしまったという責任は重く受け止めている」 一方、この突然の中止決定を受け、「表現の不自由展・その後」実行委員会(アライ=ヒロユキ、岩崎貞明、岡本有佳、小倉利丸、永田浩三)が3日夜に会見。中止決定が「一方的に通告されたもの」と明かしたうえで、こう強く抗議した。 「圧力によって人々の目の前から消された表現を集めて現代日本の表現の不自由状況を考えるという企画を、その主催者が自ら弾圧するということは、歴史的暴挙と言わざるを得ません。戦後日本最大の検閲事件となるでしょう。 私たちは、あくまで本展を会期末まで継続することを強く希望します。」(声明文より) 同展実行委員会の言う通りだろう。暴力によって表現の自由を踏みにじる言論テロは断じて許されないが、そのテロ行為から美術展を守るべき行政が簡単に中止要求を受け入れてしまったことは大きな問題だ。 津田氏の会見もああいう形で会見をする前に、やるべきことがあったはずだ。津田氏は会見で謝罪の言葉を何度も口にしていたが、そんな必要はまったくなく、むしろ、こうした圧力や攻撃、テロ予告に毅然と抗議し、「こうしたことが起きるからこそ、この表現の不自由展が必要なのだ」と、展示の続行を主張するべきだった。 それがいったいなぜ、こんなことになってしまったのか。全国紙の愛知県庁担当記者がこう解説する。 「津田氏の抜擢は大村知事の肝いりで、大村知事も企画の概要だけでなく、少女像の展示についても6月には認識していた。ところが、この事態で大村知事が一気に弱腰になり、中止を決断してしまった。後ろ盾である大村知事の決断で、津田氏も中止に応じるしかなかったのでしょう」 しかし、だとしても、一番の問題は大村知事や津田氏ではない。ネットでは、津田氏に対して「覚悟が足りない」などとしたり顔で批判する声が溢れているが、そもそも「ガソリンで火をつけられる覚悟や対策をしないと自由にものが言えない国」なんて、まともな民主主義国家ではないだろう。 今回の問題でもっとも批判されなければならないのは、卑劣なテロ予告者であり、検閲をちらつかせてそうした動きを煽った、政治家連中ではないのか。 「あいちトリエンナーレ」は、8月1日の開幕早々から、「慰安婦像」を展示しているなどとして、猛烈なバッシングと圧力にさらされていた。 2日にはネトウヨのみならず、菅義偉官房長官、柴山文科相、河村たかし名古屋市長、松井一郎大阪市長、和田政宗参院議員といった政治家たちが、展示を問題視するような発言を連発した』、「表現の不自由展」がこのような形で幕を閉じたというのは、世界的にみても日本の不自由さをPRしたことになる。
・『河村市長、菅官房長官の扇動、そしてテロ予告を放置した警察  とくに大きかったのが、河村市長が「展示を即刻中止するよう大村秀章・愛知県知事に申し入れる」と宣言したこと、そして菅官房長官が補助金をタテに「表現の不自由展」に介入することがさも当然であるかのような発言を行ったことだ。 詳しくは、前回の記事を参照してもらいたいが(https://lite-ra.com/2019/08/post-4880.html)、河村市長の申し入れは明らかに憲法違反の検閲行為であり、菅官房長官らがちらつかせた「国から補助金をもらっているのだから、こんな作品の展示は許されない」という論理は、まさに全体主義国家の考え方だ。芸術への助成は国からの施しでなく、表現の自由を保障するための権利であり、民主主義国家では、それが政府批判の表現であっても、助成金を交付すべきなのである。 カンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞した是枝裕和監督が同様の批判を受け、「補助金をもらって政府を批判するのは真っ当な態度なんだ、という欧州的な価値観を日本にも定着させたい」「公金を入れると公権力に従わねばならない、ということになったら文化は死にますよ」と真っ向反論していたが、その通りだろう。 いずれにしても、こうした権力者の介入により、表現の不自由展へのバッシングはさらに過熱。ネットでは職員の名前が晒され、テロ予告のファックスまでが送られてきた。 しかし、不可解なのがこのテロ予告への警察の対応だった。もし、テロ予告があったなら、警察が脅迫犯を逮捕するなり、警備で安全を確保するのが普通ではないか。 「ガソリン携行缶を持ってお邪魔する」との脅迫はFAXで送られてきたというが、警察の捜査能力をもってすれば、発信元を見つけ出すことは不可能ではないだろう。また、犯人を逮捕できなくとも、会場を厳重警備し安全を確保した上で、展示を再開することはできるはずだ。 しかし、今のところ、警察が動いた形跡はない。大村知事が会見で語ったところによると、「警察には被害届を出しましたが、(脅迫)FAXの送り先を確認できないかと尋ねましたら『それはできない』」と一蹴されたという。そして、逆に、夕方17時には「表現の不自由展・その後」企画そのものの中止が発表されてしまった。 警察がまともに捜査していないはおそらく、テロ予告の対象が、安倍政権のスタンスに反するものだったからだろう。日本の警察は、穏健な市民のデモを鎮圧し、コーヒの値段でカフェラテを飲んだコンビニの客を逮捕するが、安倍政権と思想を一にするテロ予告については、まともに捜査することさえしないのだ』、「日本の警察」の安倍政権の手先的役割が、露呈した形だ。
・『テロを非難しなかった安倍、菅、逆に主催者に謝罪を要求した河村  ここまでくれば、誰をもっとも責めるべきかがわかってもらえたはずだ。今回の「表現の不自由展」中止は、紛れもなく公権力の検閲行為の結果なのだ。テロ予告を誘発もしくは放置したという意味では、「官製テロ」と呼んでもいいだろう。 しかも、展示中止が発表された後も、政治家の対応はひどかった。民主主義の根幹である表現の自由を揺るがすテロ予告があったことが明らかになったわけだから、政府首脳が「断じてテロは許さない」「犯人逮捕に全力を尽くす」と宣言するのが普通の民主主義国家のはず。ところが、安倍首相からも菅官房長官からもそんな言葉は一切聞かれなかった。 さらに、河村名古屋市長にいたっては、「(平和の少女像設置は)『数十万人も強制的に収容した』という韓国側の主張を認めたことになる」「「事前に『出してはならん』とは言っておらず(検閲には)全く当たらない」などと無茶苦茶な論理を主張したあげく、「やめれば済む問題ではない」と、テロ予告者でなく「あいちトリエンナーレ」側に謝罪を要求する。 「河村市長はもともと、『南京事件はなかった』と発言するなど、露骨な歴史修正主義者であることに加え、大村知事とは非常に関係が悪化している。ここぞとばかりに、この問題を利用して攻撃しているんでしょう」(前出・愛知県庁担当記者) いずれにしても、この国の政治家連中は本音のところでは、反政府、反体制の表現、自分たちの気にくわない表現を「検閲で禁止すべき」「テロされても当然」と考えているのである。 しかも、恐ろしいのは、その政治家のグロテスクな本音が今回、おおっぴらにまかり通り、平和の少女像撤去、さらには「表現の不自由」展が中止に追い込まれたことだ。 「この事態こそが“表現の不自由”を象徴している」などとしたり顔で語る向きもあるが、そんなメタなポーズで済ませられる話ではない。これは日本の表現空間の自殺とも言えるもので、今後、日本の公共空間で政治的な主張を含む芸術作品、表現を展示・公開することはほとんど不可能になった、ということを意味している。 「表現の自由」が後退し、どんどん全体主義国家に近づいているいまの状況に、私たちはもっと危機感を共有すべきではないのか』、私は慰安婦像の展示そのものには賛成ではないが、このような形で展示が中止されることには絶対反対だ。「「表現の自由」が後退し、どんどん全体主義国家に近づいているいまの状況に、私たちはもっと危機感を共有すべきではないのか」、というのは諸手を上げて賛成だ。

第四に、8月6日付けLITERA「八代弁護士、河村たかし、松井一郎が“慰安婦問題はデマ”とネトウヨ並みフェイク! あらためて中曽根証言など日本軍関与の証拠を見ろ」を紹介しよう。
https://lite-ra.com/2019/08/post-4885.html
・『安倍政権による韓国への輸出規制と「ホワイト国」除外、あいちトリエンナーレでの「平和の少女像」などの展示中止……。国交正常化以来最悪と言われる日韓関係のなか、日本中がグロテスクな嫌韓ムードと歴史修正主義に染まっている。 それは安倍政権周りの政治家やネット、右派メディアだけではない。地上波のワイドショーでもネトウヨとなんら変わらないヘイトや歴史修正主義が堂々と語られるようになった。 5日放送の『ひるおび!』(TBS)でも、慰安婦問題など含む作品を展示した「表現の不自由展・その後」が中止に追い込まれた件をとりあげるなか、八代英輝弁護士がこんな発言をしていた。 「当然、この社会的風潮のなか、この慰安婦像。この慰安婦問題っていうものが史実に基づかないものであること。あるいはこの慰安婦像に対して嫌悪感、反感をもつ方っていうのは多くいるってことは、当然認識した上での展示ですから。ある程度の反感というのは想定されたんでしょうけど、それが、私は『想定を超えてしまった』って認識は甘いんでないかというふうに思うんですよね」 八代弁護士は「表現自体をさせないという風潮は危険だなと思う」などとエクスキューズをいれつつも、「私自身はこれ(少女像)を置いて、こんなものあってはならないと議論するということはアリだと思いますけどね」と続けるなど、嫌韓煽りを剥き出しにしていた。 さらには、落語家の立川志らくも、いつもの物知り顔でこうコメントした。 「結局、こういうことをやると、日本人の多くは不愉快に思って許さないという結果が出た。これを『平和の少女像』って言う人がいることが、私は不思議でしょうがない。平和の少女像って言うなら、日本人の誰もが見て、これは平和だなって思えるならいいんだけれども。そりゃ韓国の人はそうかもしれないけど、日本人にとっては多くの人が反日の像だと思ってるわけでしょ? 本来、芸術ならば、これを反日像だと思っている人が見ても、思わず感動して涙を流す、そういうものを私は展示してほしい」 本サイトでも解説した(https://lite-ra.com/2019/08/post-4880.html)ように、「平和の少女像」が「反日」だというのは完全にネトウヨの論理であり、歪曲した解釈だ。それを「みんなが思ってるんだから反日に決まってる」と言い張り、表現の自由を踏みにじる卑劣なテロ予告者ではなく、議論を換気しようとした展示や作品のほうを問題視する。その倒錯ぶりと付和雷同には、呆れ果てるしかない。 とくに聞き逃せないのは、八代弁護士が発した「慰安婦問題っていうものが史実に基づかないものである」とのセリフだろう。八代弁護士は、つい先日も朝日新聞を韓国の中央日報、ハンギョレ新聞と並べて「反日三羽ガラス」と揶揄するなど、テレビの全国放送ネトウヨぶりを全開していたが、今度は慰安婦それ自体がなかったかのような発言をしたのだ。 はっきり言っておくが、慰安婦の存在は捏造でもなんでもなく、歴史的な事実だ。弁護士の資格を持つ人間が、地上波の昼間の番組で、保守派の学者でさえ言わないような歴史修正主義丸出しのデマを口にしていいのか。 いや、八代弁護士だけではない。「平和の少女像」展示に圧力をかけ、「表現の不自由展」への攻撃を煽った河村たかし名古屋市長も、昨日の会見で「やっぱり慰安婦ってあったのかと、そういうふうに見られる」などと発言していた。つまり、河村市長も慰安婦は存在しないと信じ込んでいるのだ。 さらに、日本維新の会代表の松井一郎・大阪市長からはもっととんでもないデマ暴言が飛び出した。松井市長は5日会見で「事実ではない慰安婦の像」「日本人を蔑み貶める、誹謗中傷」「慰安婦問題というのは完全なデマ」「朝日新聞自体が誤報だと謝罪しているわけですから」「事実ではないデマの象徴の慰安婦像は行政が主催する展示会で展示するべきものではない」などと語り、慰安婦は完全なデマと言い放ったのである』、「朝日新聞」の報道がどうであれ、「慰安婦問題というのは完全なデマ」とまで言い切った松井一郎氏にはあきれてしまう。問題の根幹は、歴史問題がきちんと総括されずに、各陣営が都合良く解釈していることにありそうだ。
・『中曽根康弘元首相が海軍主計長時代に「土人女を集め慰安所を開設」の記録  こうした連中の妄言の根拠は、2014年、朝日新聞が慰安婦関連記事の虚偽を認め、訂正・謝罪したことだ。朝日が訂正したのは、とっくのとうに虚偽であることが分かっていた吉田清治証言に関するものだけだったが、当時、ネトウヨや極右メディアがこの謝罪を意図的に拡大解釈し、あたかも戦中に「慰安婦」自体の存在がなかったのようなデマを喧伝しまくった。意図的かどうかは知らないが、八代弁護士や河村市長らはこのネトウヨ歴史修正の詐術に丸乗っかりしているということだろう。 だとしたら、本サイトとしては何度でも、その欺瞞と詐術を明らかにしておく必要がある。戦中の日本軍が各地に慰安所をつくり、現地の女性たちや朝鮮半島の女性たちを慰安婦にして、兵士の性暴力の相手にさせられたのは客観的事実だからだ。 日本軍が侵略したアジアの各地に慰安所をつくったことは残された軍の記録や通達からも明らかであり、歴史学的にも議論の余地はない。軍が斡旋業者を使って騙して女性を連れ出した証拠や、現地の支配者や村長に命じて女性を差し出させた証拠もいくらでもある。そして、慰安所で現地の女性や朝鮮半島から連行した女性を軍が性的搾取したことは、多くの被害女性だけでなく、当時の現地関係者や元日本兵、元将校なども証言していることだ。 たとえば、海軍出身の中曽根康弘元首相は、回想記『終りなき海軍』のなかで、当時、設営部隊の主計長として赴任したインドネシアで〈原住民の女を襲う〉部下のために〈苦心して、慰安所をつくってやった〉ことを自慢話として書いている。この中曽根証言は、防衛省のシンクタンク・防衛研究所の戦史研究センターが所蔵している当時の文書「海軍航空基地第2設営班資料」において、〈気荒くなり日本人同志けんか等起る〉ようになったところで〈主計長の取計で土人女を集め慰安所を開設 気持の緩和に非常に効果ありたり〉と記されているように、歴史事実として裏付けされたものだ』、「朝日新聞が慰安婦関連記事の虚偽を認め、訂正・謝罪したことだ。朝日が訂正したのは、とっくのとうに虚偽であることが分かっていた吉田清治証言に関するものだけだったが、当時、ネトウヨや極右メディアがこの謝罪を意図的に拡大解釈し、あたかも戦中に「慰安婦」自体の存在がなかったのようなデマを喧伝しまくった」、というのは「拡大解釈」を通り越して、事実の歪曲といえよう。
・『産経の総帥も自著で軍時代の慰安所設立を自慢「女の耐久度とか消耗度も決めていた」  また、陸軍出身の鹿内信隆・元産経新聞社長は、桜田武・元日経連会長との対談集『いま明かす戦後秘史』(サンケイ出版)のなかで、慰安所と慰安婦が軍主導であった事実をあけすけに語っていた。 「(前略)軍隊でなけりゃありえないことだろうけど、戦地に行きますとピー屋(引用者註:慰安所のこと)が……」 「調弁する女の耐久度とか消耗度、それにどこの女がいいとか悪いとか、それからムシロをくぐってから出て来るまでの“持ち時間”が将校は何分、下士官は何分、兵は何分……といったことまで決めなければならない(笑)。料金にも等級をつける。こんなことを規定しているのが『ピー屋設置要綱』というんで、これも経理学校で教わった」 実際、靖国偕行文庫所蔵の『初級作戦給養百題』(1941年)という陸軍主計団記事発行部が発行した、いわば経理将校のための教科書の記述にも〈慰安所ノ設置〉が業務のひとつとされており、この鹿内証言も軍の資料と完全に一致する。 朝鮮半島の女性たちを慰安婦にした証拠も枚挙にいとまがない。 日本はアジア・太平洋戦争で東南アジア各国を侵略、傀儡政権を樹立したり、軍の統治下に置くなどの支配を進めていったが、たとえばシンガポールでは現地の華僑を粛清した後に、日本軍の宣伝班の下で刊行された新聞に“慰安婦募集の広告”が出ている。そうした慰安所に大勢の朝鮮人女性も動員されたことは「16歳の時にシンガポールの慰安所に連れて行かれた」という朝鮮人元慰安婦の証言だけでなく、近年発見されたビルマ(現・ミャンマー)とシンガポールの慰安所で帳場の仕事をしていた朝鮮人男性の日記からも明らかになっている。また、独立自動車第四二大隊にいた元日本軍兵士も「トタン塀」と呼んでいた慰安所には「娼妓は朝鮮人が多かったが、マライ人もいた」と証言している』、このような慰安婦の存在を認める証拠に対し、否定論者は何と答えるのだろう。
・『米朝会談の舞台となったセントーサ島では朝鮮人女性が騙されて慰安婦に  昨年、米朝会談の舞台となったシンガポール南端のセントーサ島(旧称・ブラカンマティ島)でもまた、朝鮮人女性たちが慰安婦として働かされていた。しかも、彼女たちは別の仕事だと騙されて連れてこられたのだ。 当時、東南アジアで通訳として従軍していた永瀬隆氏が証言している。永瀬氏は、日本が戦中につくらせたタイとビルマを結ぶ泰緬鉄道で陸軍の通訳をしていたことで知られる日本人男性だ。日本軍による泰緬鉄道建設にあたっては、数万人のアジア人労働者や連合国軍の捕虜が非人道的な扱いを受け犠牲となっている。永瀬氏は戦後、反戦平和の立場から個人でその慰霊と償いの社会活動を続け、2011年に亡くなった。 その永瀬氏が生前、月刊誌「MOKU」(黙出版)1998年12月号での高嶋伸欣・琉球大学教授(現・名誉教授)との対談のなかで、セントーサ島での体験を語っていた。シンガポールでも数か月の間、陸軍の通訳として勤務しており、その時、慰安所の女性たちや軍の部隊長と話をしたことをこのように振り返っている。 「(セントーサ島には1942年の)十二月中旬までいました。十一月になって隊長が僕を呼んで、『実は朝鮮の慰安婦がこの部隊に配属になってくるんだが、彼女たちは日本語がたどたどしいから、日本語教育をしてくれ』というんです。僕は『嫌なことをいうな。通訳はそこまでしなきゃいけんのか』と思ったけど、その隊長はもう島の王様気取りでおるんです。仕方がないから、慰安婦の人たちに日本語を三、四回教えました」 永瀬氏は「そのうちに、僕は兵隊じゃないから、慰安婦の人も話がしやすいんだな」と思ったという。そして、朝鮮人女性たちに慰安所にきた理由を聞くと、騙されて連れて来られたというのだ。 「それで僕も『あんたたちはどうしてここへ来たんだ』と聞いたら、『実は私たちは、昭南島(シンガポール)の陸軍の食堂でウエイトレスとして働く約束で、支度金を百円もらって軍用船でここへ来たんだけど、着いた途端に、お前たちは慰安婦だといわれた』というんです」 「それを聞いて、ひどいことをするなと思った。いま考えてみても、強制的に連行して慰安婦にするよりも、そうやって騙して連れてきて慰安婦にするほうが、僕は罪は深いと思います。 とにかく、それから島の中に慰安所ができたんですが、隊長が慰安所の兵隊にくだしおかれる前に、慰安婦を毎晩代わりばんこに次から次へ味見しているという話を聞きました」』、「強制的に連行して慰安婦にするよりも、そうやって騙して連れてきて慰安婦にするほうが、僕は罪は深いと思います」、というのはその通りだろう。
・『「慰安婦は存在しなかった」の嘘が堂々とまかり通る恐ろしさ  つまり、日本軍は、彼女たち朝鮮人女性に性的労働をさせることを告げず、まして嘘の説明で騙して慰安所に連れて行ったケースが明らかに存在した。そして、前述した中曽根元首相らの証言や当時の軍資料のように、日本軍が従軍慰安婦に積極的に関与していたことも歴史的な事実なのである。 八代弁護士が言うような「慰安婦問題は史実に基づかない」というのが、いかにフェイクであるかが分かるだろう。歴史修正主義者たちは、こうして慰安婦問題を矮小化しているのだ。 恐ろしいのは、こうした歴史的な事実を否認する発言が、当たり前のようにワイドショーで飛び出し、他のマスコミが検証を放棄した結果、少なからぬ視聴者が何ら疑念をもたないでいることだ。実際、八代弁護士の発言の嘘を検証したり、批判的に取り上げるマスコミは、いまのところ皆無。それどころか、Twitterでは「よくぞ言ってくれた!」というような賞賛まで受けている。 繰り返すが、安倍政権が煽動する“嫌韓”を、応援団やマスコミが増幅し、それがごく当たり前のように社会に蔓延しているのが、いまの日本社会だ。その結果起きたのが、平和の少女像などの展示に対する異常なバッシングであり、放火テロまでほのめかす脅迫だった。歴史的事実や、それに向き合うための表現まで「反日」と糾弾され、封殺されてしまう状況は、もはや“嫌韓ファシズム”と呼ぶべきかもしれない。 しかも、こうしたメディアの扇動によって、国民の世論じたいもどんどん冷静さを失っている。 政府が先月実施した「ホワイト国除外」に関するパブリックコメントには、寄せられた4万666件の意見のうち、「除外」に賛成が実に約95%で、反対はわずか約1%だったという。これは、安倍応援団やネトウヨの組織票の可能性が濃厚だが、他方、FNNと産経新聞が3、4日に実施した世論調査でも、「ホワイト国除外」を「支持する」が67.6%に登り、「支持しない」は19.4%にすぎなった。 ワイドショーをはじめとするマスコミには、自分たちが取り返しのつかない状況を作り出しているという自覚はないのだろうか』、「安倍政権が煽動する“嫌韓”を、応援団やマスコミが増幅し、それがごく当たり前のように社会に蔓延しているのが、いまの日本社会だ。その結果起きたのが、平和の少女像などの展示に対する異常なバッシングであり、放火テロまでほのめかす脅迫だった。歴史的事実や、それに向き合うための表現まで「反日」と糾弾され、封殺されてしまう状況は、もはや“嫌韓ファシズム”と呼ぶべきかもしれない」、というのは恐ろしいことだ。少なくともマスコミは冷静さを保ってほしい。 
タグ:朝日新聞 八代英輝弁護士 JBPRESS 伊東 乾 litera 日韓慰安婦問題 あいちトリエンナーレ2019 (その4)(「あいちトリエンナーレ2019」問題:津田大介氏一問一答「希望になると考えたが劇薬だった」、炎上すべくして大炎上「あいちトリエンナーレ」 京アニ「誤解」につながる少女像展示はポストトゥルース政治、「表現の不自由展」中止で謝るのは津田大介じゃない! 圧力をかけ攻撃を煽った菅官房長官と河村たかし市長だ、八代弁護士 河村たかし 松井一郎が“慰安婦問題はデマ”とネトウヨ並みフェイク! あらためて中曽根証言など日本軍関与の証拠を見ろ) 「津田大介氏一問一答「希望になると考えたが劇薬だった」」 芸術監督を務める津田大介 安全管理上の問題が大きくなったのがほぼ唯一の理由。想定以上のことが、とりわけ電話で行われた。回線がパンクし、受付の人も抗議に対応することになった 物議を醸す企画を公立の部門でやることに意味があると考えた。成功すれば企画に悩む人の希望になれると考えたが、劇薬だった 「炎上すべくして大炎上「あいちトリエンナーレ」 京アニ「誤解」につながる少女像展示はポストトゥルース政治」 「平和の少女像」 8月3日、早々に「企画展の中止」が発表 大変な「下手」を打っている アマチュアのガバナンス「あいちトリエンナーレ2019」 素人が、間違った椅子に座っている もし、展示の中止や撤去などがあるなら「その折は、自分が責任を取る」と、最初に、後始末をつけた暁には、辞任の方向を明示したうえで、「芸人ファースト」ならぬ「芸術家ファースト」「作品ファースト」に、懸命の努力を尽くすのが、いやしくも芸術監督という存在でしょう やるなら腹を切る覚悟、すでに脇差を一本突き立てたうえで、社会の理解を一度は求めるのが、その責にあうるものの基本的な所作にほかなりません。ガバナンスのアマチュアを見るように思います 本件が外交問題などに発展した場合、躊躇なく責任を取る必要が想定 なっていないコンセプト「情の時代」 ビスマルクを「ドイツを代表する政治家」と記すのはいただけません 放火犯が示したような激しい憎悪や敵意の感「情」に対して、「犯人が許せない」などといくら情で応じても、何一つ建設的な対案など出てこないことは明らかです ここで第一に必要なのは情ではなく、冷静な理非の別、あえて言えば「知」の領域であり、さらに言えば、再発防止といった確固たる目的に向かう強靭な「意志」が最も重要となります 「情」に対して「情」で対抗しても、情動に溺れることにしかならず、血で血を洗ったバルカン半島的な泥沼に陥ることを歴史は雄弁に示していると思います 情によって情を「飼いならす」のがartなどであった試しは、(どこかにマイナーな例外があれば、それは知りませんが)、洋の東西を問わず、圧倒的に多くの芸術の現場に存在しない概念、空想の産物と断じて構わないと思います 「図式ありき」の下手な政治? あいちトリエンナーレ2019」コンセプトは、まさにこの「ポストトゥルース」のアイコンを「アート」あるいは「作品」と勘違いする、ジャーナリスティックな誤解が、今回の問題を生み出した、真の原因 ここでの「キュレーション」は「平和の少女像」という作品ではなく「慰安婦」という政治的なアイコンを会場にちりばめることで「タブーに挑戦する」という、かなり動機の浅いジャーナリスティックな「政治」の「図式ありき」でしょう 「表現の不自由展」というコンセプトからして、まさにその方向で「表現を自粛」したわけですから、全体主義体制下での美術展禁圧と同じことを結果的にしていることになる 「話題を呼ぶ人選」で「動員数」を主な指標と考える、内容不在、芸術無関係なイベント・ガバナンスの空洞化を指摘するべき 「「表現の不自由展」中止で謝るのは津田大介じゃない! 圧力をかけ攻撃を煽った菅官房長官と河村たかし市長だ」 今回の問題でもっとも批判されなければならないのは、卑劣なテロ予告者であり、検閲をちらつかせてそうした動きを煽った、政治家連中 菅義偉官房長官、柴山文科相、河村たかし名古屋市長、松井一郎大阪市長、和田政宗参院議員といった政治家たちが、展示を問題視するような発言を連発 河村市長、菅官房長官の扇動、そしてテロ予告を放置した警察 テロ予告があったなら、警察が脅迫犯を逮捕するなり、警備で安全を確保するのが普通ではないか 「警察には被害届を出しましたが、(脅迫)FAXの送り先を確認できないかと尋ねましたら『それはできない』」と一蹴された 警察がまともに捜査していないはおそらく、テロ予告の対象が、安倍政権のスタンスに反するものだったからだろう テロを非難しなかった安倍、菅、逆に主催者に謝罪を要求した河村 「八代弁護士、河村たかし、松井一郎が“慰安婦問題はデマ”とネトウヨ並みフェイク! あらためて中曽根証言など日本軍関与の証拠を見ろ」 『ひるおび!』(TBS) 「平和の少女像」が「反日」だというのは完全にネトウヨの論理であり、歪曲した解釈だ 今度は慰安婦それ自体がなかったかのような発言をした 歴史修正主義丸出しのデマ 松井一郎・大阪市長 「慰安婦問題というのは完全なデマ」「朝日新聞自体が誤報だと謝罪しているわけですから」 中曽根康弘元首相が海軍主計長時代に「土人女を集め慰安所を開設」の記録 産経の総帥も自著で軍時代の慰安所設立を自慢「女の耐久度とか消耗度も決めていた」 米朝会談の舞台となったセントーサ島では朝鮮人女性が騙されて慰安婦に 「慰安婦は存在しなかった」の嘘が堂々とまかり通る恐ろしさ 歴史的事実や、それに向き合うための表現まで「反日」と糾弾され、封殺されてしまう状況は、もはや“嫌韓ファシズム”と呼ぶべきかもしれない
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