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「闇営業」(その3)(維新や安倍官邸とズブズブ…吉本興業「癒着と利権」の闇、デーブ・スペクター「吉本」「日本の芸能事務所」「テレビ局との癒着」を全て語る、小田嶋氏:家族という物語の不潔さ) [社会]

「闇営業」については、7月25日に取上げた。今日は、(その3)(維新や安倍官邸とズブズブ…吉本興業「癒着と利権」の闇、デーブ・スペクター「吉本」「日本の芸能事務所」「テレビ局との癒着」を全て語る、小田嶋氏:家族という物語の不潔さ)である。

先ずは、7月26日付け日刊ゲンダイ「維新や安倍官邸とズブズブ…吉本興業「癒着と利権」の闇」を紹介しよう。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/259149
・『連日、テレビが大きく時間を割いて熱心に報じている吉本興業の問題は、いつの間にか芸人の闇営業から企業のブラック体質に論点がすり替わってしまったが、その一方で政治権力との蜜月関係にも注目が集まりつつある。吉本と安倍官邸、そして大阪維新のズブズブ利権構造によって、巨額の税金がかすめ取られる。食傷気味の“お家騒動”より、こちらの方がよほど大問題ではないか。 コンプライアンス上の疑義がある吉本に対し、官民ファンドの「クールジャパン機構」から総額100億円もの公金が投入されることが問題視され始めている。ここ数年、吉本は政治との距離をグッと縮めてきた。お膝元の大阪では、維新との露骨な癒着がつとに知られている。 「維新の選挙には、吉本の芸人が応援に駆けつけるのが恒例になっている。4月の衆院補選の最中に来阪した安倍首相が吉本新喜劇の舞台に立ったのも、維新側のお膳立てと聞いています。実は吉本と大阪市は2017年に包括連携協定を結んでいて、今では、吉本は維新のオフィシャルパートナーのような立場なんです」(在阪メディア記者) 今年2月には、大阪城公園内に「クールジャパンパーク大阪」がオープン。クールジャパン機構や吉本興業などの共同出資会社の運営で、実質的な“吉本劇場”とされる。 2025年の大阪万博も維新と吉本は二人三脚で進める。万博誘致アンバサダーを務めたのも吉本所属のダウンタウンだった。万博跡地にエンターテインメント拠点を整備する計画もある。 そして、万博とセットなのが、維新が公約に掲げるカジノ誘致。吉本の狙いは、政治権力に寄り添い、エンタメ利権とカジノ利権を手中にすることなのか』、「安倍首相が吉本新喜劇の舞台に立ったのも、維新側のお膳立て」、とは初耳だ。「吉本の狙いは、政治権力に寄り添い、エンタメ利権とカジノ利権を手中にすること」、とはありそうな話だ。
・『騒動の背景に「権力に媚びる堕落」  同じような話が、安倍官邸との間で国政レベルでも進んでいる。今年6月、吉本の大崎洋会長が、沖縄の米軍基地跡地の利用に関する政府の有識者懇談会メンバーに選ばれた。基地の跡地はカジノ誘致の有力候補地だ。 そして、クールジャパン機構が100億円を出資するのは、吉本とNTTが組んだ教育コンテンツを国内外に発信するプラットフォームだが、その拠点は沖縄に設置されるというのだ。 「維新の生みの親である橋下徹氏も著書で沖縄へのカジノ誘致を説いていました。そもそも、橋下氏の政治家引退で失速していた維新が息を吹き返したのは、大阪万博が決まったからです。それで勢いづき、大阪ダブル選に勝利して、参院選でも議席を伸ばした。維新の命綱だった万博誘致に最大限の尽力をしたのが安倍首相と菅官房長官なのです。吉本興業、維新、安倍官邸、万博、沖縄、カジノは一本の線でつながる。そうやって仲間内に利権と税金を回す構図は、加計学園問題と同じです。憲法改正を成し遂げるため、安倍官邸にとって維新の存在は今後ますます重要になってくる。令和の時代も、忖度と利権構造は相変わらずということです」(ジャーナリストの横田一氏) 漫画家の小林よしのり氏も23日のブログで<吉本興業は、維新の会や安倍政権という権力者ともズブズブで、反社会勢力とも繋がる緩すぎる企業であり、そもそも「笑い」をやる者が、権力に媚びをうるような堕落を呈しているから、こんな事態になったのだ>と断じていた。 企業内のパワハラ・ブラック体質もそうだが、権力と癒着した利権の闇も根深い』、「吉本興業、維新、安倍官邸、万博、沖縄、カジノは一本の線でつながる。そうやって仲間内に利権と税金を回す構図は、加計学園問題と同じです」、との指摘はその通りなのだろう。

次に、7月26日付けNewsweek日本版「デーブ・スペクター「吉本」「日本の芸能事務所」「テレビ局との癒着」を全て語る」を紹介しよう(Qは聞き手の質問、Aはスペクター氏の回答)。
https://www.newsweekjapan.jp/stories/culture/2019/07/post-12626_1.php
・『<吉本興業が揺れているが、これは吉本だけの問題ではない。日米の芸能事務所の違いにも詳しいデーブ・スペクターに独占インタビューした。「日本のテレビが面白くないのは、素人が多過ぎるから」そして「今は、日本の芸能界を変える最後のチャンス」> 日本最強のお笑い系芸能事務所である吉本興業が揺れている。「闇営業」問題をメディアで報じられ、会社から沈黙を命じられた芸人の宮迫博之と田村亮が先週、突然反論の記者会見を実施。会社上層部から圧力の存在を明かした。 問題は闇営業を超え、社長の発言から垣間見える芸人へのパワハラや所属事務所側の「搾取」、契約書の不在など拡散している。これは吉本興業、あるいは日本の芸能界特有の問題なのか。日本社会全体の問題ではないのか。 米ABCテレビの元プロデューサーで、子役としてアメリカで活躍した経験も持つタレントのデーブ・スペクターに本誌・小暮聡子が聞いた』、日米の芸能事情に通じたスペクター氏へのインタビューとは興味深そうだ。
・『Q:今、吉本興業という企業をどう見ているか。 A:世界にはない企業だ。お笑い芸人を中心として、6000人もタレントを抱える芸能事務所というのは世界を見渡してもどこにもない。アメリカにもコメディアンは多いが、1つのエージェントに所属するタレントは多くて20~30人だ。 日本は、お笑いの文化が非常にユニーク。大阪そのものがお笑いの街として認知されていて、一般の人にも笑いをとれる話術と話芸がある。大阪弁自体が面白くて、お笑いに最高の方言だ。その、お笑いの街で生まれたのが吉本だ。そういう意味ではとてもユニークな会社だと言えるだろう。 大阪だけでなく東京や各地にいくつも専用の劇場を持っていて、お笑いだけでこれほど手広くやっている大企業は、日本だけでなく世界を見渡しても吉本だけだ。愛されていることは間違いない。戦前からの古い歴史があってここまで大きくなった。企業そのものとしてはリスペクトされてもおかしくない』、(吉本興業について)「お笑いの街で生まれ・・・お笑いだけでこれほど手広くやっている大企業は、日本だけでなく世界を見渡しても吉本だけだ。愛されていることは間違いない」、確かにその通りだ。
・『Q:今、吉本興業が企業として問題視され、若手の収入が低いことや、契約書の不在、上層部のパワハラとも言える発言が取り沙汰されている。これらに関してはどのように見ているか。 A:まず、日本の芸能事務所は異質で、アメリカなどとは全く違う。その中でも、吉本自体がさらに異質だ。日本の芸能事務所というのは、給料を月給制か歩合制にして、タレントを雇っている立場だ。タレントを商品として所属させ、営業といって売り込んで、事務所側がそのギャラの何割かをもらうというシステムだ。 アメリカは逆に、(モデル事務所は例外だが)基本的にはタレントや役者が自分でマネジメント(日本でいうマネージャー)を雇っている。どこかの事務所に入ったとしても、日本のように事務所が月給を支払うことはない。タレントには映画会社やテレビ局から直接ギャラが支払われ、タレントがそのギャラの中からエージェントにだいたい10%くらいを払う仕組みだ。弁護士もいるし、金額まで全てオープンにしている。 日本はどんぶり勘定的で、基本は事務所がギャラの本当の額をタレントに言わない。ギャラから何パーセントかを事務所が差し引いた額がタレントに支払われるという歩合制か、もしくはフラットな月給制だ。まだあまり売れていない人は月給が多いのだが、少し売れ始めると歩合になる』、日米間では仕組みが大きく違がっているようだ。
・『下手でも事務所の力でテレビに出られる  何が問題かというと、日本では吉本のように、あまり実力や才能がなくても事務所に所属できてしまうということだ。これは他の大手事務所にも言えることだが、例えば吉本には「NSC(吉本総合芸能学院)」という養成所があり、お笑いや何かの芸を教えていて、そこを出ると大半は自動的に事務所に所属できてしまう。 専門学校のようなものなので、もちろん学生は自分で安くはない月謝を払って通うわけだが、吉本側もそういう学生を集めるために広告塔としてデビュー前の素人でも何人かテレビに出すということをやっている。 そこで出てくるのが、事務所の力でタレントを使わせるというやり方だ。バーターと言って、テレビ局からAというすごくいいタレントを使いたいと言われたら、Aを使うならBとCも使えという、抱き合わせをさせる。本当はよくないのだが、そうすればあまり面白くない人でも事務所の力で出演することができてしまう。 ある意味でタレントたちが文句を言えないのは、松本人志さんや加藤浩次さんや友近さんなどすごく実力があって価値がある人はいいのだが、そうでもない人が事務所に所属しているだけで出られるという構造があるから。本当にそんな文句が言えるのか、ということになってくる。 これは日本にしかない事情で、吉本だけでなく他の事務所もタレントになりたい人を簡単に入れ過ぎる。だから人数が増えていく。この、所属タレントが多過ぎるということが根本的な大問題だ。 実力が足りないのに、テレビのバーターなどでたくさん出す。だが、そんなのを観ていたら視聴者はしらけるだろう。なんでこんなにつまんない人出してるの、と。人のこと言えないんですけど(笑)。日本にはタレントが多過ぎる、芸人と名乗る人が多過ぎる。「芸NO人」という言い方もあるくらいだ(笑)。Q:アメリカの芸能界は実力社会なのか。 A:アメリカではオーディションが厳しい。コメディーで言えばスタンダップコメディーで下積みを重ねるが、非常に厳しくてなかなか上にあがっていけない。100%実力の世界で、事務所の力などないし、バーターという表現すらない。そういう概念がない。 アメリカにもエージェントはあるが、そこまで売り込んだりはしない。オーディションもあるし、ある程度売れている人にはマネジメントが付く。アメリカで役者やコメディアンの卵というのは誰からも保障がないから、ウエイターやウエイトレスなどいろいろやりながら下積みをして、稼げるようになってからアルバイトを辞める』、「バーターと言って、テレビ局からAというすごくいいタレントを使いたいと言われたら、Aを使うならBとCも使えという、抱き合わせをさせる」、「吉本だけでなく他の事務所もタレントになりたい人を簡単に入れ過ぎる。だから人数が増えていく。この、所属タレントが多過ぎるということが根本的な大問題」、タレントまで「抱き合わせ」の対象になったので、「これがタレントか」と首を傾げざるを得ないケースが増えているのだろう。
・『日本は素人から「育てる」ことが好き  アナウンサーだってそう。日本のテレビ局は大学を卒業して、新卒でまったくの新人を入れているが、アメリカでは考えられない。全てローカル局から上がっていく仕組みで、いきなり大都市で全国放送のキャスターになるというのはあり得ない。 日本は大学を出てそのまま入ってくるので、結局はド素人。一からいろいろ教えて30そこそこでフリーになる。アメリカで30歳なんて、ようやく少し大きいところにやっと出られるくらい。 日本のおかしいところはそこだ。つまり素人芸、素人の段階でも受け入れてくれる。優しいと言えば優しいのだが、実力も経験もまだないのに入れてしまうという。何もできない12歳の子でも事務所に入れて、実習見習いみたいな形でゼロからスタートする。それはあまりよくない。 日本に特徴的なのは、例えばアイドルとか、見習い的に素人の段階でテレビに出させる。松田聖子さんとか、デビューしたてはぎこちなくて歌唱力もまだそれほどなくて、でもかわいいじゃないですか。それで、どんどん上手くなっていって、気が付くとものすごく上手。 アイドルを見て僕がいつも言っているのは、盆栽のようにゆっくりと育てていく楽しみがあると。アメリカでは出来上がった盆栽しか買わない(笑)。日本は、作っていくというそのプロセスを楽しんでいる。 Q:見ている側もそのプロセスを楽しんでいると。 A:大好きでしょう。子役から上がっていくとか、まだ下手だけどだんだん上手になっていくとか。ジャニーズだって、例えばSMAPもそうだが、最初はただの男性アイドルでも、いつの間にか演技もできるとか役者になっていたり、中居(正広)くんみたいに面白いMCもできるとか、目の前で変わっていく。視聴者も一緒に育てているので、それこそ観る側も「ファミリー」だ。だからあまりシビアにうるさく見ないという、いい面もある。 そもそも日本で「素人」というのは、悪い意味ではない。「新人」とか素人が大好きで、企業だっていまだに新卒を雇う。アメリカは経験がない人を好まない。キャスターになりたい人は必ずジャーナリズムスクールに行く。大学在学中にインターンをしたり、専門的な勉強をして職業訓練をしてから、就職する。 だが日本は漠然とした学歴しかなく、専門学校を出ている人のほうがすぐに役に立つくらいだ。メディアだけではなく商社など一般の企業でもいまだに新卒を雇って、入社してから社員教育をし、人事異動を繰り返して浅く広くいろいろなことを学んでいく。 日本社会がそうなっているので、芸能界はその延長線上にあるに過ぎない。だから違和感も抵抗もない。なぜアイドルとか下手な人たちに抵抗がないかというのは、日本社会にそういうベースがあるからだ』、「日本は素人から「育てる」ことが好き」、というのは日本社会に広くみられる現象だ。AKB48などもその典型だろう。
・『日本の事務所は売れなくなったベテランには優しい  A:吉本の岡本昭彦社長が使った「ファミリー」という言葉について、その定義はさておき、日本の芸能事務所というのは吉本もそうだし、例えばジャニーズ事務所も、EXILEの事務所であるLDHなども、養成所やダンススクールを持っていて素人の段階から育てるということをしている。手をかけて育て、デビューさせる。一方で海外にはタレントを育成する、育ててくれるという文化はなく、既に売れている人や売れそうな人にエージェントが付いて、売れなくなったらばっさり切り捨てる。 だからこそ、いい人が残って、才能がない人は淘汰されるのでクオリティーが高い。日本で言うと、ダンスを教える分にはいい。ジャニーズだって上手いしトップクラスだ。 ジャニーズが少しだけ違うと思うのは、小学生や中学生など本当に小さいときから少しずつ学んでいくなかで、最初はそんなに出番がない。板前さんみたいに時間をかけて修行して、踊れるとか歌えるようになってからグループに入れて売り出していくシステムなので、そういうところは評価してもいいと思う。 日本の事務所の「ファミリー」には、いいところもある。タレントはギャラの何分の一かしかもらえなくて、事務所による搾取と言えば搾取だし、最初のうちは損している。ところが、そのタレントが歳を取ってあまりニーズがなくなっても、事務所がその人たちを切ることはしない。 事務所もその人にお世話になって儲けさせてもらったから、例えば元アイドルが40代や60代になっても所属させたまま月給を払い続ける。つまり、恩返しとして一種の生活保護をしている。タレントにとっては失業保険になっている。 事務所のホームページをよく見てみると、ベテランとして上のほうに載っているんですよ。みんな年功序列制だから(笑)。あんまり活躍はしていないけど、冷たくしないで残しておく。それで、それほど注目されない番組のいろんな枠に入れちゃう。20人、30人必要なひな壇がある、大特番番組などに何人か入れてあげる。 その人を残すことで会社は損している場合があるが、それこそファミリーとして残したままにしてあげる。事務所にもよるが、日本は後になってから面倒見がいい。 Q:日本は、売れなくなったからといって解雇はできないのか。 A:冷たすぎる、そんなことしたら。態度が悪いとかクレームばかりのタレントだったら解雇するが、基本的にはやらない。病死するまでいる。アメリカは月給なんて保障しないから、エージェントにとって負担にならない。稼げなくなったらその分、マネジメントに払わないだけの話だ。 逆にアメリカの場合だと、エージェントがなかなか仕事を探してくれないとか、うまく斡旋してくれないとか、交渉が上手でないとか、オーディション情報や新作映画やテレビシリーズの情報が遅いとか、チャンスを逃したとか、そういうときにはタレントが自分からマネジメント契約を解消して違うところに移籍する。自分が雇っているので、自分で決められる。日本とアメリカでは立場が逆だ。 アメリカの芸能界には労働組合もある。役者組合、ブロードウェーなど演劇の組合、僕も子役のときに入っていた米国俳優協会(Actor's Equity Association: AEA)もあるし、映画だったら映画俳優組合(Screen Actors Guild:SAG)、テレビやラジオ関係なら米国テレビ・ラジオ芸能人組合(American Federation of Television and Radio Artists : AFTRA)がある(2012年にSAGとAFTRAが合併し、現在はSAG-AFTRA)。 そのほかに音楽関係は別に組合があるなど、エンターテインメントの世界にものすごい数の組合がある。僕が今も入っている全米監督組合(Directors Guild of America: DGA)は、年金もあるし本当に素晴らしい。なぜ組合があるかというと、大昔は働く環境がよくなくて、搾取されたり労働条件が悪かった。今は組合に入っていると最低賃金が保障される』、「日本の事務所は売れなくなったベテランには優しい」、というのは、いまどきの一般の企業ではベテランへの追い出し部屋など、厳しくなっているのとは真逆だ。
・『芸能事務所とテレビ局の癒着を生む「接待文化」  Q:日本の芸能人は組合に入っていないのか。 A:日本の芸能界には組合がない。ないほうがいいというのは、実力があっての組合なので、日本には才能がない人が多過ぎて、組合に入ったら事務所との上下関係が狂ってしまって事務所はますますやる気をなくすだろう。 今の日本の上下関係については直さなければいけないとみんな言っているのだが、本音は違うと思う。下手な人を使い続けるのなら、彼らが事務所の言いなりになるのは仕方がないとみんな分かっている。今はきれいごとを言っているだけ。 Q:今回の騒動をきっかけに、吉本を含め、日本の芸能界は変わると思うか。 A:変わらないと思う。一部の事務所、例えば小さいモデル事務所の中にはすごくシビアに、あまり人を入れないとか欧米的にやっているところもあるが、それはほんのわずか。僕は変わらないと思う。 Q:テレビ局が吉本の株を持っていることなど、吉本とテレビ局の関係もクローズアップされている。テレビ局が芸能事務所に、才能がある人しか使わない、と言うことはできないのか。 A:言えばいいのだが、言わない理由は簡単だ。もちろんテレビ局側もそうしたほうがいいと、たぶん常識的には分かっている。しかし、これは芸能界に限らないのだが、日本にはトップとの接待文化がある。 特に芸能界は接待文化。だって安倍総理が毎晩いろいろな人とご飯食べているくらいだ。そうすると、どうしてもなぁなぁに、ずぶずぶの関係になってしまう。表現は悪いが、癒着が出てくる。さりげない癒着、つまり忖度が多いと思う。 接待文化がある限り、事務所の意向が通るようになってしまう。広告代理店もスポンサーもみんな夜会うからいけない。僕は日本の社会をよくするには、夜間外出禁止令を作ったほうがいいと思っている。19時前に家に帰るようにしよう、と。会社の社長全員に警備員を付けて自宅に直帰しているか見張らせるんだと。あるいは足首にGPSをつけて、ちゃんと帰ったか分かるようにするとか。 もしくは、接待ではなくランチがいい。ハリウッドのやっていること全てがいいとは言わないが、ニューヨークなどはみんなランチかブレックファスト。接待は大きい。日本でテレビ局以外の企業でもいろいろな癒着が生まれるのは、夜に和食やお座敷に行くからだ。ゴルフ接待もある。 そういうことしていると、うちのあの子を使って、となってしまう。アメリカの場合は何が違うかと言うと、映画スタジオやテレビ局のトップ陣営というのはものすごい大金を稼いでいる。正社員というシステムがないので、ディズニーでもABCでも、日本円にすると億単位のお金をもらっている。彼らに接待しても喜ばない。 日本のテレビ局も給料は高額だが、それでも欧米と比べると桁が違うのでやっぱり接待に弱い。もちろん全てが悪いとは言わないが、接待文化によって結局ものごとを言えない空気が作られてしまう』、「芸能事務所とテレビ局の癒着を生む「接待文化」」、も適格な指摘だ。アメリカ流の「ランチかブレックファスト」の方が確かに望ましいが、「接待文化」は当面、続かざるを得ないだろう。
・『日本のテレビ離れを止めるには今しかない  Q:デーブさんがいつも日本のテレビ文化について、忖度なく率直な意見を言っているのは、なぜなのか。 A:昔からそう言っているのは、日本のテレビが好きだから。文句を言いたいわけではない。自分はアメリカを見て育ってきているし、今は自分もプロダクションを経営していて日本とアメリカの状況どちらも見ているので、日本にもフェアプレーをやってほしいと思っているだけだ。 訳ありキャスティングをどうにかしたい。前は別に目をつぶっていてもよかったかもしれないが、今はテレビ離れが深刻だ。視聴者がどんどん減っている。ネットフリックスもHuluもあるし。ソーシャルメディアもあるし、テレビ以外に選択肢がたくさんある。 それでも、先進国の中で日本ほどいまだに地上波が好きな国はない。つまり今は、日本のテレビ界にとって最後のチャンスだ。これ以上沈まないように、タイタニックで言うともう目の前に氷山が見えている。タイタニックでは見えるのが遅過ぎたのだが、今は何十キロも離れた先でも双眼鏡で氷山が見えている段階。あと数秒でぶつかるわけではないので、やろうと思えばまだ旋回できる。 日本のテレビをよくするには、上手い人を使うこと。バーターとか事務所からの押し付けとか、事務所先行のキャスティングを断ること。使いたい人を使う。 今はテレビの話ばかりしていて大変失礼なのだが、イベントやCMやラジオや、モデルを使う雑誌も全部含めて、本来はギャラを支払うほうが決められる立場のはずだ。日本は事務所が強過ぎる。その中に、吉本がまた別格の存在としてある、ということだ。 僕は吉本も大好きで、好きだからこういうことを言っている。例えば役者で言うと、役所広司さんや亡くなられた樹木希林さんも大好き。本当に上手い。そういう素晴らしい役者がいるのにどうして役者と言えない人を使うのか、と怒るのは、日本のテレビをよくしたいからだ』、スペクター氏の「日本愛」溢れた助言を、少しでも取り入れてほしいものだ。

第三に、コラムニストの小田嶋 隆氏が7月26日付け日経ビジネスオンラインに寄稿した「家族という物語の不潔さ」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00116/00032/?P=1
・『吉本興業関連の話題に食傷している人は少なくないはずだ。 私もその一人だ。 例の岡本昭彦社長の会見の冒頭部分の15分ほどを傍観した時点で、はやくも腹部膨満感を自覚した。以来、このニュースを視界から遠ざけている。 テレビに関しては、この4月からの断続的な入退院を通じて、ほぼ完全に視聴習慣を喪失した。 それゆえ、テレビ番組側のコンテンツとしての出来不出来はともかくとして、画面の中を流れるあの水中バレエじみたまだるっこしい時間の経過に追随できなくなっている。 よって、視聴の必要を感じた番組については、一旦録画して、随時早送り可能なコンテンツに変換した上で、順次咀嚼吐出している。ナマでダラダラ付き合うことは、おそらく、この先、一生涯できないと思う。 2年ほど前、とある仕事の打ち合わせで同席した30代とおぼしき編集者が 「テレビはあんまりノロマ過ぎて見ていられないです」と言い放つのを聞いた時、私は「この若者はどうしてこんなにもあからさまに利口ぶっているのであろうか」と思ったものだったのだが、今にして思えば、彼の観察は正しかった。 間違っていたのは当時の私の方だった。 つまり、地上波テレビの瀕死のナメクジみたいな時間感覚にアジャストできていた私の脳みそは、あの時点で既に瀕死だったということだ。 実際、まるまる2カ月間、地上波テレビの視聴から隔離された環境で過ごして、久しぶりにナマで流れているひな壇形式のスタジオバラエティーに直面してみると、心底びっくりさせられる。 「おい、このノロさとものわかりの悪さはなんだ?」「画面の中でしゃべくっているこの人たちは、どうしてわざわざアタマの悪いふりを続行しているのだろうか」「誰かが言ったセリフを、スタジオ中の出演者が何度も繰り返し確認しながら話を展開していくこの猛烈にクドい対話手法は、令和になって新たに定められたロンド形式の儀式か何かなのか?」てな感じで、私は、5分以上視聴し続けることができない。 吉本興業の話題についても同様だ。 どこからどう見ても典型的にアタマの悪いスタジオ出演者たちが、わかりきった話を、どうにも質の低い表現で繰り返し議論しているのを、ただただ口を挟むこともできずに聞かされる視聴経験は、時間の無駄である以上に、拷問だ』、全く同感である。
・『思うに、吉本興業をめぐる話題の背景には、テレビを愚劣な雑談箱に変貌させてしまったテレビ局と視聴者の共犯関係が介在している。 テレビ番組を企画制作している放送局の人間たちと、その番組を大喜びで享受している視聴者諸兄が同じように腐っているのでなければ、いかな吉本興業とて単独であそこまで腐ることはできないはずだ。 実態に即して考えるなら、制作側があの程度のコンテンツを一日中垂れ流している限りにおいて、MC役にはノリの良いチンピラがふさわしいわけで、だとしたら、今回のエピソードのメインの筋立ては、はじめから、清潔であるべきテレビ番組進行役のタレントが、半グレの宴会に参加していたというお話ではない。むしろ、ヤンキー連中が得意とする下世話な仲間受けのイキった対話術を、大学出のテレビ業界人が、スタジオ活性化目的で利用してきたことの必然的な結果が、今回の一連の騒動であったのだと考えなければならない。 なので、吉本興業と「反社」(←昨今の商業メディアが右へならえで採用している、「反社」というこの略称自体が、明らかに腰の引けた婉曲表現で、要するに、彼らは暴力団ならびに半グレを真正面から名指しにする事態を避けて通りたいと考えているのである)の関わりについて、これ以上の言及は控える。 芸人と事務所の関係についても、一日中テレビがわんわん騒いでいるのと同じ切り口で重ねて何かを言うつもりはない。 というのも、誰かの食べ残しを食べた人間のそのまた吐き戻しみたいな話題を、もう一度つつきまわす理由は、少なくとも活字の世界で渡世をしている私の側には、ひとっかけらもありゃしないからだ。 ここでは「家族」の話をしたい。 例の会見の中で、吉本の岡本社長は、とりたてて鋭い質問を浴びせられていたわけでもないのに、自分で勝手に墓穴を掘っていた。そして、自分で掘ったその墓穴を埋めるべく、「家族」という言葉を持ち出していた。 なんと愚かな弁解だろうと、当初、私はそう思ったものなのだが、現時点であらためて考えるに、岡本社長が苦しまぎれに持ち出した「家族」という、あの手垢ベカベカの陳腐な物語は、あれまあびっくり、一定の効果を発揮している。 というのも、私自身はほとんどまったく説得されなかったものの、あの「家族」という言葉で納得した人々が一定数いたことは、どうやら事実だからだ。また、納得まではしなくても、「家族」という言葉に触れて以降、岡本社長や吉本に対して、感情をやわらげた人々は、さらに膨大な数にのぼる。 「家族だしな」「家族なんだからしょうがないよなあ」「理屈じゃないよね」「そりゃ、家族なんだし、理屈なんか関係ないだろ」「トラブルはトラブルとして、食い違いは食い違いとして、とにかく、家族なのだから、そういうものを乗り越えて絆を強めていけばいいんじゃないかな」「そうだよね。雨降って地固まるって言うし、家族にとってはもめごとこそが絆だよね」「傷が絆になるんだよ。傷を負った者同士だから優しくなれるんだよね」ああ気持ちが悪い』、「あの「家族」という言葉で納得した人々が一定数いたことは、どうやら事実だからだ。また、納得まではしなくても、「家族」という言葉に触れて以降、岡本社長や吉本に対して、感情をやわらげた人々は、さらに膨大な数にのぼる」、というのには驚かされた。
・『この問題が、どんな方向で落着するのかについて、私は既に興味を失っている。 というよりも、落着なんかしないだろうと思っている。 別の言い方をすれば、この種の問題を合理的に落着させることなく、永遠に撹拌し続けていく忖度と威圧の体制こそが、吉本興業の支配を招いたわけで、彼らが提示している「笑い」は、最終的に「絆」だの「仲間」だの「家族」だのの周辺に生成されるゲル状(ゲロ状かもしれない)の半個体として、いずれ、われわれの社会を機能不全に陥れるに違いないのである。 私の関心を引くのは、吉本興業そのものではない。この種のウェットな問題が起こる度に、飽きもせずに召喚される「家族」という物語の不潔さだ。 あえて、「家族という物語の不潔さ」という挑発的な書き方をしたのは、「家族」という文字面を見た瞬間に、すっかり大甘のオヤジになってしまう人々に目を醒ましてほしいと考えているからだ。 「家族」 という言葉を目にしただけで、うっかり涙ぐんでしまう、極めて善良な人々が、本当にたくさんいる。 それが良いことなのか悪いことなのか、私には判断がつかない。 ただ、「家族」という言葉ひとつで、どうにでもコントロール可能な人間は、どっちにしても、誰かに利用されることになる。 理由は、誰もが誰かの家族である一方で、家族を利用する側の人間は、すべての人間を利用する邪悪さを備えているからだ。 誤解を解くために、以下の文言を繰り返しておかなければならない。 不潔なのは、家族ではない。 家族の物語が不潔なのでもない。 私が不潔さを感じてやまないのは、「家族」という物語の引用のされ方であり、その物語を利用して人々を支配したり抑圧したり、丸め込んだり説得したりしている人間たちの心根とその手つきだ。そこのところをぜひ間違えないでほしい。 とはいえ、必ず間違える人たちが現れることはわかっている。 この国には、「家族」に関して、自分の思い込みと少しでも違うものの言い方をされると、猛烈に腹を立てる人たちが思いのほかたくさん暮らしている。 だからこそ、どんなに陳腐な形であっても、「家族」の物語を利用する人々にとって、うちの国の社会はチョロいわけなのである。 岡本会見の炎上の焦げ跡がだらしなくくすぶっていた7月23日の未明、私はこんなツイートを書き込んだ。 《「家族」とか「兄弟」とか「仲間」とか「国民」とか「同志」とか、そういう「範囲を限った集合」を仮定しないと愛情を活性化できない人間は、結界の外の世界が目に入っていないわけで、それゆえ、その彼らの「家族愛」なり「愛国心」なりは、いともたやすく結界外の人間への敵対感情に転化する。0:29-2019年7月23日》 このツイートには、しばらくの間、主に賛同のリプライが寄せられていたのだが、どこかで引用なりRTされて以来なのか、翌日の夕方から後、にわかに反論や罵倒のリプが押し寄せる流れになった』、「私が不潔さを感じてやまないのは、「家族」という物語の引用のされ方であり、その物語を利用して人々を支配したり抑圧したり、丸め込んだり説得したりしている人間たちの心根とその手つきだ」、これまで気づかなかったが、言われてみれば、今後はその手に乗らないよう気を付ける必要がありそうだ。
・『で、24日の夜、補足のために以下の一連のツイートを当稿した。 《やたらと攻撃的なリプが来るんで補足しておく。オレは「範囲を限定せず、すべての人類に愛情を注ぐべきだ」と主張しているのではない。「家族、同国人にも愛せない人間はいるし、他人や異国人の中にも愛すべき人々はいる」と言っている。属性だの国籍だの血縁だのを愛情の条件にするのは違うぞ、と。1:58-2019年7月24日》 《個人的には、「家族なのだから愛し合わなければならない」「同じ会社の同僚なのだから団結せねばならない」「同じ民族なのだから理解し合えるはずだ」てな調子の思い込みは、ある臨界点を超えると、有害な圧力になると思っている。22:02-2019年7月24日》 《私が「家族」「結界」の話を持ち出したのは、吉本興業の会長が「うちの芸人たちは家族だと思っているから、いちいち契約書は交わさない」と言ったからだ。社員数人の家族経営ならいざしらず、売り上げ何百億の企業が、「家族」なんていう不合理かつ抑圧的な原理で運営されて良いはずがない。 22:08-2019年7月24日》 《年間売り上げ何百億円の大企業が、「家族」の美名のもと、契約書すら交わさずに所属タレントを使役している「不合理」さと「抑圧」を指摘したわけで、つまり「家族」が実際の「家族」の枠組からはみ出して、「擬制」として巨大な組織に適用される時、それは抑圧的な原理に変貌するということです。RT:@xxx『「家族」なんていう不合理かつ抑圧的な原理』って、世界の大半の人間は、何かしらの家族に属し、自らの家族を愛し、そのことについて疑問を感じずに生きてるんですけど、そういう人達に喧嘩を売っていると読み取っていいのかな、これは 8:12-2019年7月24日》 以上のツイートの流れを追えばわかっていただけると思うのだが、私は、「家族」への愛情や帰属意識そのものを攻撃したのではない。家族的なつながりの価値を否定しているのでもない。 私が一連のツイートを通じて強調しているのは、法に基づいたコンプライアンスを重視すべき企業が、「家族原理」を持ち出すことへの違和感だ。理由は、わざわざ説明するまでもないことなのだが、血縁上の文字通りの家族以外のメンバーを対象に拡張的に適用される家族原理は、多くの場合、不合理な支配隷従関係の温床となるからだ。具体的に言えば、安易に拡張適用された「家族」は、上位者による抑圧を正当化する内部的な桎梏として、下位者を集団に縛り付ける。そして、吉本「一家」の擬制は、世にあまたある「一家」を名乗るアウトロー集団がそうであるように、現代の企業としては論外の存在だ。もちろん、政府から補助金を受ける企業としては、さらにさらに論外だし、地方自治体の協力企業としても万国博覧会の看板を背負う会社としても、完全に資格を欠いている』、「安易に拡張適用された「家族」は、上位者による抑圧を正当化する内部的な桎梏として、下位者を集団に縛り付ける。そして、吉本「一家」の擬制は、世にあまたある「一家」を名乗るアウトロー集団がそうであるように、現代の企業としては論外の存在だ。もちろん、政府から補助金を受ける企業としては、さらにさらに論外だし、地方自治体の協力企業としても万国博覧会の看板を背負う会社としても、完全に資格を欠いている」、説得力溢れた主張だ。
・『私は、吉本興業には、もはや何も期待していない。 むしろ、吉本興業と取引している関係各方面の公的な組織や企業や人々が、今回の事態を受けて、どんな判断をするのかに注目している。 彼らがまったく判断を変えないのだとしたら、この国の社会は、たぶん、永遠に変わらないだろう。 私が今回、世間を騒がせている吉本興業関連の話題の中から、わざわざ「家族」の問題を切り出して主題に持ってくる判断を下したのは、自分のツイートへの反応をひと通り眺めた上で、あらゆる人間関係を「家族」のメタファーでしか考えられない人間が思いのほかたくさんいることに気づいたからだ。 あるタイプの人々は、「家族の物語」を軽視する発言にひどく腹を立てる。 というのも、彼らのアタマの中では、「家族的な価値」「拡大家族としての仲間のかけがえのなさ」「家族的原理の拡大の彼方にある国家という枠組みの快さ」みたいなストーリーが想定されているからだ。 彼らの妄想の中では、「家族の物語」が毀損されると、その家族の延長として想定されている「国家」までもが、崩壊の危機に瀕することになっている。 ついでに申せば、彼らの言う「家族」は、旧民法が規定していたところの「家」概念に基づく、封建家族そのままであり、現在の政権の閣僚(ほぼ全員が「日本会議」のメンバーと重複している)が、改憲を通じて再現しようとしている「家族」も、ほぼ同じシステムだったりする。 私自身は、自分のことを「家族」に限らず「集団」への帰属意識が薄いタイプの人間だと思っている。 それゆえ、「地域」「国家」「会社」「母校」といった、枠組みの大小はどうであれ「人間の集団」にはいつも距離を感じてきたし、「絆」「同志愛」「愛社精神」「チームスピリッツ」「愛国心」のような感情の強要には、時にあからさまな抵抗を示してきた。 こうした点を踏まえて、公平な言い方をするなら、私自身、自分が「家族」や、人間の集団に関して感じている警戒心を、ごく普通の感覚だと言い張ることはできないと思っている。 たぶん私の帰属意識は、特例に属する特殊な感覚なのだろう。 とはいえ、私のこの「特殊」な感覚が、それはそれとして尊重されるのでなければ、民主主義の社会は、長続きしないはずだ。 人間の集団は、常に同調できない人間を含んで運営されるべきものだ。 つい昨日、地上波民放の在京キー局5社が共同制作した「一緒にやろう2020」というプロジェクトの公式映像を見て、その気持ちの悪さにしばらく絶句したことを告白しておく。 来年のオリンピックが来るまで、この空気が続くのかと思うと、胸が苦しい。 あるいは来年以降もずっと続くのだろうか。 まあ、仕方がない。 先のことは考えないようにしよう』、「彼らの言う「家族」は、旧民法が規定していたところの「家」概念に基づく、封建家族そのままであり、現在の政権の閣僚(ほぼ全員が「日本会議」のメンバーと重複している)が、改憲を通じて再現しようとしている「家族」も、ほぼ同じシステムだったりする」、というのでは、ますます「家族」に騙されないようにする必要がありそうだ。
タグ:アナウンサー 日刊ゲンダイ 小林よしのり 日経ビジネスオンライン Newsweek日本版 小田嶋 隆 「闇営業」 (その3)(維新や安倍官邸とズブズブ…吉本興業「癒着と利権」の闇、デーブ・スペクター「吉本」「日本の芸能事務所」「テレビ局との癒着」を全て語る、小田嶋氏:家族という物語の不潔さ) 「維新や安倍官邸とズブズブ…吉本興業「癒着と利権」の闇」 コンプライアンス上の疑義がある吉本に対し、官民ファンドの「クールジャパン機構」から総額100億円もの公金が投入されることが問題視 維新の選挙には、吉本の芸人が応援に駆けつけるのが恒例になっている 安倍首相が吉本新喜劇の舞台に立ったのも、維新側のお膳立て 吉本と大阪市は2017年に包括連携協定を結んでいて、今では、吉本は維新のオフィシャルパートナーのような立場なんです 「クールジャパンパーク大阪」 実質的な“吉本劇場” 2025年の大阪万博も維新と吉本は二人三脚で進める。 吉本の狙いは、政治権力に寄り添い、エンタメ利権とカジノ利権を手中にすることなのか 吉本興業、維新、安倍官邸、万博、沖縄、カジノは一本の線でつながる そうやって仲間内に利権と税金を回す構図は、加計学園問題と同じです 吉本興業は、維新の会や安倍政権という権力者ともズブズブで、反社会勢力とも繋がる緩すぎる企業であり、そもそも「笑い」をやる者が、権力に媚びをうるような堕落を呈しているから、こんな事態になったのだ 「デーブ・スペクター「吉本」「日本の芸能事務所」「テレビ局との癒着」を全て語る」を 6000人もタレントを抱える芸能事務所というのは世界を見渡してもどこにもない お笑いの街で生まれたのが吉本だ。そういう意味ではとてもユニークな会社 下手でも事務所の力でテレビに出られる 養成所があり、お笑いや何かの芸を教えていて、そこを出ると大半は自動的に事務所に所属できてしまう バーターと言って、テレビ局からAというすごくいいタレントを使いたいと言われたら、Aを使うならBとCも使えという、抱き合わせをさせる 所属タレントが多過ぎるということが根本的な大問題 日本は素人から「育てる」ことが好き 素人芸、素人の段階でも受け入れてくれる アイドルを見て僕がいつも言っているのは、盆栽のようにゆっくりと育てていく楽しみがあると 企業だっていまだに新卒を雇う。アメリカは経験がない人を好まない なぜアイドルとか下手な人たちに抵抗がないかというのは、日本社会にそういうベースがあるからだ 日本の事務所は売れなくなったベテランには優しい アメリカの芸能界には労働組合もある 芸能事務所とテレビ局の癒着を生む「接待文化」 接待文化がある限り、事務所の意向が通るようになってしまう ランチかブレックファスト 日本のテレビ離れを止めるには今しかない 「家族という物語の不潔さ」 吉本興業をめぐる話題の背景には、テレビを愚劣な雑談箱に変貌させてしまったテレビ局と視聴者の共犯関係が介在 ヤンキー連中が得意とする下世話な仲間受けのイキった対話術を、大学出のテレビ業界人が、スタジオ活性化目的で利用してきたことの必然的な結果が、今回の一連の騒動であったのだ 「家族」 岡本社長が苦しまぎれに持ち出した「家族」という、あの手垢ベカベカの陳腐な物語は、あれまあびっくり、一定の効果を発揮している。 というのも、私自身はほとんどまったく説得されなかったものの、あの「家族」という言葉で納得した人々が一定数いたことは、どうやら事実だからだ。また、納得まではしなくても、「家族」という言葉に触れて以降、岡本社長や吉本に対して、感情をやわらげた人々は、さらに膨大な数にのぼる この種のウェットな問題が起こる度に、飽きもせずに召喚される「家族」という物語の不潔さだ 「家族」という文字面を見た瞬間に、すっかり大甘のオヤジになってしまう人々に目を醒ましてほしいと考えているからだ 理由は、誰もが誰かの家族である一方で、家族を利用する側の人間は、すべての人間を利用する邪悪さを備えているから 私が不潔さを感じてやまないのは、「家族」という物語の引用のされ方であり、その物語を利用して人々を支配したり抑圧したり、丸め込んだり説得したりしている人間たちの心根とその手つきだ 年間売り上げ何百億円の大企業が、「家族」の美名のもと、契約書すら交わさずに所属タレントを使役している「不合理」さと「抑圧」を指摘したわけで、つまり「家族」が実際の「家族」の枠組からはみ出して、「擬制」として巨大な組織に適用される時、それは抑圧的な原理に変貌する 安易に拡張適用された「家族」は、上位者による抑圧を正当化する内部的な桎梏として、下位者を集団に縛り付ける そして、吉本「一家」の擬制は、世にあまたある「一家」を名乗るアウトロー集団がそうであるように、現代の企業としては論外の存在だ もちろん、政府から補助金を受ける企業としては、さらにさらに論外だし、地方自治体の協力企業としても万国博覧会の看板を背負う会社としても、完全に資格を欠いている 彼らの言う「家族」は、旧民法が規定していたところの「家」概念に基づく、封建家族そのままであり、現在の政権の閣僚(ほぼ全員が「日本会議」のメンバーと重複している)が、改憲を通じて再現しようとしている「家族」も、ほぼ同じシステムだったりする
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