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歴史問題(8)(アウシュヴィッツを強調することはホロコーストを矮小化すること、暗号名チューブ・アロイズ~原爆投下・チャーチルの戦略) [世界情勢]

歴史問題については、昨年8月20日に取上げた。久しぶりの今日は、(8)(アウシュヴィッツを強調することはホロコーストを矮小化すること、暗号名チューブ・アロイズ~原爆投下・チャーチルの戦略)である。特に、後者はこれまでの常識を覆すものなので、必読である。

先ずは、作家の橘玲氏が昨年12月14日付けダイヤモンド・オンラインに寄稿した「アウシュヴィッツを強調することはホロコーストを矮小化すること[橘玲の世界投資見聞録]」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/188512
・『ポーランド、クラクフ郊外のアウシュヴィッツ、ベルリン郊外のザクセンハウゼン、ミュンヘン郊外のダッハウ、プラハ郊外のテレジーンの強制収容所を訪れて、ホロコーストについてはなんとなくわかったつもりになっていた。だがアメリカの歴史家ティモシー・スナイダー(イェール大学教授)は、『ブラックアース ホロコーストの歴史と警告』(慶應義塾大学出版会)で、「アウシュヴィッツがずっと記憶されてきたのに対し、ホロコーストのほとんどは概ね忘れ去られている」という。アウシュヴィッツを「見学」したくらいでは、20世紀のこの驚くべき出来事の全貌はほとんどわからないのだ』、私の知識も浅いので、この記事で勉強したい。
・『アウシュヴィッツだけが強制収容所と絶滅収容所が共存していた   「ガス室はなかった」とホロコーストを否認する「陰謀論者」の系譜は、映画『否定と肯定』のモデルとなったアメリカのホロコースト研究者デボラ・E・リップシュタットが詳細に検討している。 [参考記事]●ヨーロッパだけでなくアメリカにも賛同者がいるホロコースト否定論の根拠とは? そこでも述べられているが、ホロコースト研究の初期には「強制収容所」と「絶滅収容所」は区別されていなかった。 絶滅収容所はヘイムノ、ルブリン、ソボビル、トレブリンカ(以上、ポーランド)とベウジェツ(ウクライナ)の収容所で、第二次世界大戦の独ソ戦においてドイツ軍のモスクワへの電撃侵攻作戦が失敗し、長期戦の様相を呈した1941年末から建設が始められた。これらの収容施設の目的は端的に「ユダヤ人を絶滅させること」で、そこに送られたユダヤ人は生き延びていないから証言者もいない。 それに対してザクセンハウゼンやダッハウなどドイツ国内の強制収容所は、戦場に送られたドイツの成人男性の代わりにユダヤ人や共産主義者などを使役するための施設で、劣悪な環境から大量の死者を出したとしても、その目的はあくまでも労働だった。 そのなかでアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所だけは、労働を目的とするアウシュヴィッツ(第一収容所)と、絶滅収容所としてつくられたビルケナウ(第二収容所)が併存していた。アウシュヴィッツの入口に掲げられた有名な「ARBEIT MACHT FREI(働けば自由になる)」の標語はナチスの「皮肉」ではなく、そこが強制労働施設だったからだ。 「死の収容所」アウシュヴィッツからの生存者の多くは労働要員で、ガス室の存在は伝聞でしか知らなかった。なかには「ゾンダーコマンド(労働部隊)」としてガス室や焼却施設で死体処理に従事したユダヤ人もいたが、彼らは秘密保持のために数カ月でガス室に送られ生存者はきわめて少ない。――その貴重な証言として、ギリシアのユダヤ人(セファルディム)で戦争末期にアウシュヴィッツに送られ、奇跡的に生き残ったシュロモ・ヴェネツィアの『私はガス室の「特殊任務」をしていた』 (河出文庫)がある。 戦後、ホロコーストについての見解が混乱した理由に、絶滅収容所がソ連支配下の東欧圏にあり、研究者が収容所跡を検証したり、資料を閲覧できなったことがある。ソ連の公式見解では、大祖国戦争(独ソ戦)はファシストと共産主義者の戦いで、ナチスが虐殺したのは共産主義者であってユダヤ人ではなかった。ソ連がホロコーストを認めなかった背景には、ヒトラーに先んじたスターリンによる虐殺を隠蔽する目的もあった。 アウシュヴィッツというと、フランクルの名著『夜と霧』のように、人間性を根こそぎ否定される過酷な状況から「生還」した物語を思い浮かべるだろうが、絶滅収容所に送られた者たちはそもそも「生還」できなかった。これが、「アウシュヴィッツはホロコーストを矮小化している」という第一の理由だが、スナイダーの批判はこれにとどまらない。彼は、「(絶滅収容所を含め)強制収容所を強調することがホロコーストを矮小化している」というのだ』、強制収容所と絶滅収容所の違いがよく理解できた。「アウシュヴィッツの入口に掲げられた有名な「ARBEIT MACHT FREI」の標語はナチスの「皮肉」ではなく、そこが強制労働施設だったからだ」、でこれまでの疑問も解けた。「ソ連の公式見解では、大祖国戦争(独ソ戦)はファシストと共産主義者の戦いで、ナチスが虐殺したのは共産主義者であってユダヤ人ではなかった」、というのは戦勝国によるなりふり構わない歴史捏造だ。
・『2600万人というとてつもない死者を出した「血まみれの土地」  これまで第二次世界大戦の歴史を書く者は、英語、ドイツ語、フランス語にせいぜいロシア語を扱える程度だった。だが1969年生まれのスナイダーは、東欧史を専門としパリ、ウィーン、ワルシャワなどで研究活動の従事するなかでポーランド語やウクライナ語などを学び、ヨーロッパの言語のうち5カ国語を話し、10カ国語を読むことができるようになった。 こうした語学の知識を活かし、これまで研究者が容易にアクセスできなかった東欧圏の歴史資料を渉猟したうえで、スナイダーは『ブラッドランド ヒトラーとスターリン大虐殺の真実』(筑摩書房)を書き、20世紀の最大の悲劇はポーランド、ウクライナ、ベラルーシ、バルト三国、ロシア西部など、これまでほとんど注目されてこなかった地域で起きたと述べた。これらの地域が「ブラッドランド(血まみれの土地)」だ。 ブラッドランドはまず、スターリンがソ連国内の「植民地化」を進めるなかで飢餓に襲われ、1930年代はじめにはウクライナを中心に500万人以上の餓死者を出した。その後、スターリンが自らの失政を正当化するためにこれを「敵」の陰謀だとしたために大規模な粛清が始まり、1937年から38年の「大テロル」では70万人ちかい人々が処刑されたとされる。 1939年8月に独ソ不可侵条約が結ばれるとポーランドは分割され、ドイツ領でもソ連領でも抵抗運動を組織する可能性がある教養層を中心に20万人のポーランド国民が殺害された。この時期、ドイツとソ連はポーランド人100万人の強制移住を行ない、ドイツはさらにポーランド内のユダヤ人をゲットーに隔離した。 1941年6月にドイツが同盟を破棄してソ連に侵攻したあとは虐殺の範囲はさらに拡大し、ドイツ占領下のベラルーシではソ連が支援するパルチザンへの報復として女性や子どもを含む30万人以上が殺された。独ソ戦においては、包囲されたレニングラードで100万人が故意に餓死させられ、ソヴィエト人の捕虜300万人以上が飢えと放置により死亡した。 1941年後半に戦局が停滞すると、ヒトラーはユダヤ人をヨーロッパから排除するための「最終解決」に踏み切った。当初は親衛隊の特別行動部隊(アインザッツグルッペン)や、占領下ソ連のパトロールを任務としていたドイツ秩序警察の警察大隊がユダヤ人を狩り出して銃殺していたが、やがて一酸化炭素で窒息死させるガス車が使われるようになり、最終的にはシアン化水素を使ったガス室と大規模な焼却施設を備えた絶滅収容所がつくられた。こうして1945年までに、占領下のソ連、ポーランド、バルト諸国でユダヤ人およそ540万人が銃殺またはガス殺されたのだが、これはブラッドランドの死亡者の一部で、1930年代からのわずか15年間でこの地域では一般市民1400万人が生命を落としたとされる。これに独ソ戦の戦死者1200万人を加えると、死者の総数は2600万人というとてつもない数になる。まさに「血まみれの土地」と呼ぶ以外形容のしようがない惨劇が起きたのだ。 スナイダーはこうした歴史的事実を膨大な資料によって検証していくが、しかしこれは政治的にはきわめて微妙な主張でもあった。ブラッドランドを生み出したのはヒトラーとスターリンだが、戦後のドイツにおいてこの両者を比較することは「ホロコーストという唯一無二の民族の悲劇を相対化する」右翼/極右の歴史修正主義とされてきたのだ。 [参考記事]●愛国を謳うドイツのリベラルと愛国を嫌悪する日本のリベラル スナイダーが『ブラッドランド』につづいて、ホロコーストのみをテーマとした『ブラックアース』を書いたのは、この誤解に応える意味もあったのだろう』、「ブラッドランド」とは言い得て妙だ。「ブラッドランドを生み出したのはヒトラーとスターリンだが、戦後のドイツにおいてこの両者を比較することは「ホロコーストという唯一無二の民族の悲劇を相対化する」右翼/極右の歴史修正主義とされてきた」、というのは確かに微妙な問題だ。
・『「アウシュヴィッツはドイツ人を免責している」  スナイダーは『ブラックアース』で、きわめて過激な主張をする。ドイツ国内でアウシュヴィッツが強調されるのは、自らの罪を反省するのではなく矮小化するためだというのだ。ここは重要な部分なので、すこし長くなるが全文引用しよう。 第二次世界大戦後、ドイツにとってアウシュヴィッツは、なされた悪の実際の規模を著しく小さなものに見せるので、比較的扱いやすい象徴であり続けている。アウシュヴィッツをホロコーストと合体させてしまうのは、「それが起きているとき、ヨーロッパ・ユダヤ人の大量殺戮をドイツ人は知らなかった」というグロテスクな主張をまことしやかなものとした。ドイツ人の中にはアウシュヴィッツで起きていることを正確には知らなかった者もいた可能性はある。多くのドイツ人がユダヤ人の大量殺戮を知らなかったという可能性は、これはありえない。ユダヤ人の大量殺戮は、アウシュヴィッツは死の施設になるずっと前から、ドイツでは知られていたし議論されていた。少なくとも家族や友人の間では語られていた。何万ものドイツ軍が3年にわたって何百という死の穴のうえで何百万というユダヤ人を射殺していた東方では、ほとんどの者たちは何が起きているのかを知っていた。何十万ものドイツ人が殺戮を実際に目の当たりにしたし、東部戦線の何百万ものドイツ人将兵がそれを知っていた。戦時中、妻やなんと子どもたちまで殺戮現場を訪れていたし、兵士や警察官はもとよりだが、ドイツ人は時に写真付きで家族に詳細を書き綴った手紙を送った。ドイツの家庭は、殺害されたユダヤ人からの略奪品で豊かになった。それは何百万例というのではきかなかった。略奪品は郵便で送られたり、休暇で帰省する兵士や警察官によって持ち帰られた。 同様の理由から、アウシュヴィッツは、戦後のソ連、今日の共産主義国家崩壊後のロシアでも、都合の良い象徴だった。仮にホロコーストがアウシュヴィッツに収斂するならば、ドイツによるユダヤ人大量殺戮が、実はソ連が直前まで占領していた場所で始まったことを容易に忘れられるからだ。また、ソ連西部の誰もがユダヤ人大量殺戮のことを知っていたが、それはドイツ人が知っていたのと同じ理由からだった。すなわち東方での大量殺戮の手法は、何万人も参加させる必要があったし、何十万人にも目撃されていた。ドイツ軍は去って行ったが、死の穴はそのまま残された。仮にホロコーストがアウシュヴィッツのみと重ね合わされるなら、こうした経緯もまた歴史や記念式典から除外しうるというわけである。 同名の映画も公開されて話題となったブルンヒルデ・ポムゼル、トーレ・D. ハンゼン『ゲッベルスと私──ナチ宣伝相秘書の独白』(紀伊國屋書店)では、戦時中に宣伝省に勤務していた103歳の女性が、驚くべき記憶力と明晰な論理で「なにも知らなかった。私に罪はない」と断言して衝撃を与えた。だがこれも、「アウシュヴィッツに移送されたユダヤ人がガス殺されていたことは知らなかった」という意味で、そこにウソはないのだろうが、だからといって「なにも」知らないということにはならない。こうしてスナイダーは、「アウシュヴィッツはドイツ人を免責している」と批判するのだ』、「ドイツにとってアウシュヴィッツは、なされた悪の実際の規模を著しく小さなものに見せるので、比較的扱いやすい象徴であり続けている。アウシュヴィッツをホロコーストと合体させてしまうのは、「それが起きているとき、ヨーロッパ・ユダヤ人の大量殺戮をドイツ人は知らなかった」というグロテスクな主張をまことしやかなものとした」、「アウシュヴィッツは、戦後のソ連、今日の共産主義国家崩壊後のロシアでも、都合の良い象徴だった」、などは意外だが、説得力がある。「ドイツの家庭は、殺害されたユダヤ人からの略奪品で豊かになった。それは何百万例というのではきかなかった。略奪品は郵便で送られたり、休暇で帰省する兵士や警察官によって持ち帰られた」、というのも大いにあり得る話だ。
・『ドイツのユダヤ人をわざわざポーランドまで移送しなければならなかった理由  ブラッドランドではなぜ、想像を絶するような惨劇が可能になったのだろうか。それをスナイダーは、国家(主権)が破壊されたからだという。 ヒトラーがユダヤ人の「絶滅」を望んでいたことはまちがいないが、だとしたらなぜ、遠く離れたポーランドまで彼らを移送しなければならなかったのか? ナチスが合理的に「最終解決」を進めていたとすれば、もっとも効率的なのはザクセンハウゼンやダッハウのような大都市近郊の収容所にガス室をつくることだろう。 しかしナチス幹部にこうした方法を検討した形跡はみられない(ダッハウにはシャワー室に偽装したガス室がつくられたが、それは稼働していないとされている)。スナイダーによれば、それはナチス統治時代ですらドイツは主権国家であり、法と官僚制が機能していたからだ。 ドイツ国内のユダヤ人の資産を没収し強制収容所に送るには、こうした行政措置を正当化する法と、その法を実施する官僚機構が必要だった。強制収容所のユダヤ人(彼らはドイツ国民=市民でもあった)をガス殺するには、同様にそれを正当化する立法が必要になる。主権国家は法によって統治されているのであり、ナチスは自分たちに都合のいい法律をつくることはできただろうが、「統治者」である以上、無法行為を行なうことはできなかった。なんの罪もない自国の市民をガス室で殺害するのは無法行為以外のなにものでもなく、そのための法律などつくれるはずがなかったのだ。 ところがこのとき、ナチスドイツには都合のいい領土があった。新たに獲得した東欧圏(ブラッドランド)で、そこでは国家の主権が破壊されているので法にしばられることなく、どのようなことも「超法規的」に行なうことができた。これが、ドイツのユダヤ人を国内の収容所ではなく、わざわざポーランドまで移送しなければならなかった理由だ。 このことをスナイダーは、エストニアとデンマークという2つの国の比較で説明する。どちらもバルト海沿岸の小国だが、両国のユダヤ人の運命は大きく異なっていた。エストニアでは、ドイツ軍がやってきたとき(1941年7月)に居住していたユダヤ人の99%が殺害されたのに対し、デンマークでは市民権をもつユダヤ人の99%が生き延びたのだ。 だがこれは、デンマークが民主的で、エストニアに反ユダヤ主義が跋扈していたからではない。戦前はデンマークの方がユダヤ人に対する差別が厳しく、1935年以降はユダヤ難民を追い出していた。それに対してエストニアは保守的な独裁政権だったがユダヤ人は共和国の平等な市民とされ、オーストリアやドイツからのユダヤ人難民を引き受けてもいたのだ。 だとしたらなぜ、これほど極端なちがいが生じるのか。 その理由をスナイダーは、エストニアがリトアニアやラトヴィアとともに1940年にソ連に占領されたあと、ドイツの占領下に入ったからだという。この「二重の占領」によって、エストニアの主権(統治機構)は徹底的に破壊されてしまった。 それに対してデンマークはソ連と国境を接しておらず、1940年4月にドイツに占領されたあとも一定の範囲で主権が認められていた。デンマークに求められていたのは食糧の供給で、ナチスには国家を破壊する理由はなかった。 独ソ戦が膠着状態に陥ると、デンマーク政府とナチスドイツとの蜜月関係にひびが入りはじめる。アメリカなど連合国は1942年12月には「ドイツによるユダヤ人殺害に協力した者は戦後になって由々しい結果に向き合うことになろう」との警告を発していた。ナチスがユダヤ人の「最終解決」に踏み切った頃には、デンマーク政府にはそれに協力しないじゅうぶんな理由があったのだ』、「新たに獲得した東欧圏(ブラッドランド)で、そこでは国家の主権が破壊されているので法にしばられることなく、どのようなことも「超法規的」に行なうことができた。これが、ドイツのユダヤ人を国内の収容所ではなく、わざわざポーランドまで移送しなければならなかった理由だ」、ナチスといえどもドイツ国内では「法にしばられ」ていたというのは、興味深い指摘だ。ドイツ国民の目も意識していたのだろう。
・『ソ連とナチスドイツによる「二重の占領」が行なわれた場所で資本家、知識人、ユダヤ人が根こそぎ殺戮されていった理由  ブラッドランドでいったい何が起きたのか? じつはそこに異常なことはなにひとつなく、ひとびとは生き延びるために合理的に行動しただけだ。スナイダーの説明を単純化すれば、次のようになるだろう。 あなたは村の一員として、貧しいながらもそれなりの暮らしができていた。村には大きな屋敷に住む金持ちと、何人かのユダヤ人がいた。 その村がある日突然、ソ連の占領下に入ることになる。ソ連軍とともにオルグにやってきた共産党員によれば、この世界は革命(善)と反革命(悪)の対立で、善を担うのは労働者、理想世界の実現を阻むのは資本家だ。だからこそ、敵である資本家(金持ち)を殲滅しなければならない。 この奇怪なイデオロギーを聞いたあなたは、突如として大きな幸運を手にしたことに気づく。あなたは貧しいのだから、労働者(善)にちがいない。それに対して資本家(悪)は誰かというと、村でいちばんの金持ち以外にいない。この資本家をソ連軍(共産党)に売り渡し、ラーゲリ(収容所)送りにしてしまえば、労せずして土地や屋敷が手に入るのだ。 外国(エイリアン)による占領という極限状況であなたが生き延びようとすれば、真っ先に共産党に入党し、「革命」に協力して「資本家」を打倒し、すこしでも富を獲得しようとするだろう。 ところが1年もたたないうちに、あなたの村はこんどはナチスドイツの占領下に入ることになる。彼らは共産主義者を敵としていたが、より奇怪なイデオロギーを奉じていた。ナチスによれば、世界はアーリア民族(善)とユダヤ人(悪)の対立で、共産主義者(敵)とはユダヤ人のことなのだ。 あなたが共産党員であることがわかれば、せっかく手に入れた土地や屋敷を手放さなければならないばかりか、強制収容所に送られるか、場合によっては銃殺されるかもしれない。あなたが救われる道はたったひとつしかない。それは、村のユダヤ人を共産主義者としてナチスに売り渡すことだ。 このようにして、ポーランド、ウクライナ、ベラルーシ、バルト三国など、ソ連とナチスドイツによる「二重の占領」が行なわれた場所で資本家、知識人、そしてユダヤ人が根こそぎ殺戮されていった。 スナイダーが強調するのは、ジェノサイドはファシズムという「絶対悪」が単独で行なったわけではないということだ。主権(統治)が崩壊したなかで、ひとびとが生き残るためにどんなことでもやる極限状況が生まれると、そこから「絶対悪」が立ち現われてくる。 これは、誰が正しくて誰が間違っているという話ではない。こうした極限状況に置かれれば、ごく少数の例外を除いて、あなたも、もちろん私も、生き延びるためにジェノサイドに加担するのだ』、「ポーランド、ウクライナ、ベラルーシ、バルト三国など、ソ連とナチスドイツによる「二重の占領」が行なわれた場所で資本家、知識人、そしてユダヤ人が根こそぎ殺戮されていった」、「極限状況に置かれれば、ごく少数の例外を除いて、あなたも、もちろん私も、生き延びるためにジェノサイドに加担するのだ」、などは「ブラッドランド」の悲劇の背景を的確に指摘したもので、大変興味深い。

次に、1月27日付けNHK BS1スペシャル「暗号名チューブ・アロイズ~原爆投下・チャーチルの戦略」のポイントを紹介しよう。なお、Youtubeでの全編版は以下
https://www.youtube.com/watch?v=C_dHF8-uvYY
・『原爆は米国が単独で開発した…そんな通説が塗り替えられようとしている。英国首相チャーチルがヒトラー率いるナチスドイツに対抗するため自国の科学者を米国に送り込み、原爆を完成に導いていたのだ。しかし、スターリン率いるソビエトも原爆開発を急ぐためスパイを英国に送り機密情報を盗んでいた。そして、原爆をめぐる英米ソの思惑は「ポツダム会談」で衝突する。原爆投下の裏側で何が起きていたのか?秘められた核戦略を追う』、英国が原爆開発に裏で大きな力を発揮していたとは、驚いた。
・『第1章 原爆をめぐるドイツVS英国  ヒットラーは開戦前から原爆開発計画。米国に亡命したアインシュタインらはルーズベルトに対抗して原爆開発するよう提言。しかし、米国は原爆は大き過ぎて実用にならないと冷淡。英国では亡命した科学者がウラン238だけに濃縮すれば飛行機で運べるほど小型化可能になるとした。チャーチルは単なる理論を現実に変えたと気付き、チューブ・アロイズ計画。科学者はユダヤ系中心に50名。しかし、ドイツによる空襲が障害に。米国に伝えたところ、ルーズベルトも政策転換、チャーチルと共同研究で合意。真珠湾攻撃で米国も参戦、チャーチルは米国でルーズベルトに成果を交換し合うことを提案。ノルウェーにあるドイツの重水(核分裂の連鎖反応を加速)製造工場を破壊。米国でも英国の協力で研究が加速。1942.12、シカゴ大に実験用原子炉建設し、ウラン238からプルトニウムを作り出す。しかし、米国顧問のブッシュは英国に情報渡すことに抵抗、独占しようとした』、当初、消極的だった米国に、濃縮での小型化のアイデアで政策転換させたとは、主役は英国だったことになる。「米国顧問のブッシュは英国に情報渡すことに抵抗、独占しようとした」、米英間でもこのようなことがあるとは、驚きだが、画期的新兵器はやはり「独占」したいもののようだ。
・『第2章 核の独占  チャーチルはブッシュを英国に呼びつけ、英国は独自に開発すると伝えた。カナダに米国の協力なしで原爆工場を建設、モントリオール大に重水を運び込む。ルーズベルトは、英国を追い詰めると、戦後も必要になる同盟関係を壊すとして、情報交換を再開。カナダで米英首脳会談で秘密協定(ケベック協定)。第二条では「互いの合意なしに第三国に使用しない」と、投下の決定権に対等の地位。米国のロスアラモスに全米から6000人の科学者が集められたが、若い人間が多く、英国が派遣したのはベテランが多かった。爆縮の仕組みは英国の科学者フックスら2人のアイデア、均質に爆縮させるためにレンズを使う。当初の敵はドイツだったが、やがてソ連に。スラーリングラードの戦いで、ドイツは劣勢に。ソ連は1942.2に原爆開発を決定』、この段階でも実質的にリードしたのは英国だったようだ。
・『第3章 新たな脅威 スターリンVSチャーチル  ソ連はチャーチルが原爆を持てば、ソ連に使うと危惧。スパイが英米の原爆開発情報を流していた。特に、フックスはドイツ共産党員で英国に亡命、原爆開発の最高機密を流していた。「フックスは全てをファシズムとの戦いと捉え、一国の手に留まるのは危険と考えていた」(フックスの甥)。チャーチルもソ連が原爆開発を進めているだろうと危惧。1944にはドイツの敗色が濃厚に。チャーチルは原爆開発競争でソ連を勝たせてはならないとしたが、ルーズベルトは戦後もソ連との協調が必要と考えていた。デンマークの物理学者ニールス・ボーアは、核の国際管理のため、米英ソで技術を共有、開発競争をなくそうとした。ルーズベルトはボーアにチャーチルを説得するよう依頼したが、チャーチルはボーアをソ連のスパイと疑い、ルーズベルトにソ連に情報を流さないよう協定』、「核の国際管理」をチャーチルが潰したとは、かえすがえすも残念だ。
・『第5章 投下への道程  9月のハイドパーク協定では、日本に使用することを視野に。ヤルタ密約でソ連参戦、千島の領有権。2か月後、ルーズベルト急死。トルーマンは反ソ。ドイツ降伏後も、チャーチルはまだ日本が降伏しておらず、ソ連が新たな脅威として、目標選定委員会で、原爆の威力を世界に示すには、被害への恐怖が大きいほど抑止力になると主張。ある高度で爆発させると、地上からの反射波と重なって威力が増大。空襲被害が少ない広島、長崎が候補に。ソ連はスパイ情報で実験があることを察知。スターリンは対日参戦を急ぐ。チャーチルは日本への投下に同意、ソ連の参戦前に使用したい。ソ連は原爆投下前に参戦したい。ポツダム会談で、ソ連は日本の天皇から和平への働きかけの依頼があったことを明かしたが、参戦。実験成功でソ連の参戦は不要になり、米英の出方は強気に。トルーマンはスターリンに新兵器を入手したと脅したが、既に知っていたスターリンは冷静、対日参戦の予定を繰り上げた。7/26ポツダム宣言、8/6広島原爆投下、8/9ソ連参戦・長崎原爆投下、8/10にトルーマンは米兵の命を救うため原爆投下と宣言。8/15終戦
・『第6章 終わりのないXX  1946 トルーマンはマクマホン法で原爆技術の海外移転を禁止。1949ソ連原爆実験、1952米国水爆実験、1953ソ連水爆実験。フックスは自白し英国で裁判、9年の服役後、ドイツに。戦後のソ連の東欧支配に疑問を感じた。英国は独自の核開発。核の軍拡競争の責任はチャーチルに』、核の米英による独占を阻止したフックスは、「核による恐怖の均衡」を作り出したが、米英が独占していれば、核兵器のソ連への使用もあり得たと考えれば、正しいことをしたのかも知れない。いずれにしろ、これまでの常識を覆すいい番組だった。
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