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ペット(その1)(どう減らす?犬・猫の殺処分、「捨て犬」「殺処分」がなくならない本当の理由 業界を知り尽くした男が語るペット流通の闇、ついに犬を超えた! 猫の飼育数 社会のさまざまな構造変化を反映) [社会]

今日は、ペット(その1)(どう減らす?犬・猫の殺処分、「捨て犬」「殺処分」がなくならない本当の理由 業界を知り尽くした男が語るペット流通の闇、ついに犬を超えた! 猫の飼育数 社会のさまざまな構造変化を反映)を取上げよう。

先ずは、1月24日のNHKクローズアップ現代「どう減らす?犬・猫の殺処分」を紹介しよう(▽は小見出し、──はバレーター、田中氏は司会役のアナウンサー))
・6年前の動物愛護法改正などを受け、多くの自治体が目標として掲げる「殺処分ゼロ」。殺処分される犬や猫の数は近年大幅に減少した。しかしその陰で、深刻な事態が進行している。自治体の収容施設や民間の動物愛護団体が、殺されずに済んだ犬や猫を抱えきれなくなり、伝染病のまん延や多頭飼育崩壊が起きるなどのケースが出てきているのだ。国が目指す「人と動物が幸せに暮らす社会」の実現には何が必要か、考える。
▽動物愛護団体の行き詰まり 「殺処分ゼロ」でいま何が?
・鼻をつく悪臭の中、所狭しと積まれたケージには汚れた犬や猫。 先月(12月)運営が立ち行かなくなった動物保護シェルターから、50匹近くが救出されました。 今、動物愛護団体やボランティアが多頭飼育で行き詰まる例が相次いでいます。一体、なぜ。
・背景には、全国の自治体に広がった殺処分ゼロの影響が。 保健所などで処分される犬や猫は年々減少。 その一方で、引き取り手のない動物が大量に生まれていたんです。人も動物も幸せな社会とはどうあるべきか考えます。
── 「クローズアップ現代+」では、これまでペットを取り巻く問題を継続して取り上げてきました。空前のペットブームの裏側で暗躍する、引き取り屋の実態。大量生産・大量消費の影で起こる遺伝病の問題。さらに、愛犬家や愛猫家が陥る多頭飼育崩壊も取り上げました。
・田中:さらに、こうした多頭飼育による行き詰まりは今、一部の動物愛護団体にまで広がり始めています。
▽行き場のない犬・猫 大量発生 動物愛護団体の行き詰まり
・関西のある動物愛護団体で運営が悪化し、犬猫合わせて142匹を支えきれなくなる事態が起きました。  Wan life 島田香代表 「ゴミ屋敷ですね。」 救助に入った団体の代表、島田香さんです。 島田さんによると、この団体は、保健所など行政から動物を引き取り続けることで、次第に人手が回らなくなっていったといいます。保護された動物の中には、地元の行政だけでなく、関西のほかの自治体から受け入れた犬もいました。
・Wan life 島田香代表 「(愛護団体が)断れないのを分かっていて(行政は)お願いする、『助けてほしい』って。」 
▽動物愛護団体の行き詰まり 「殺処分ゼロ」でいま何が?
・田中:こうした問題の背景には、動物管理行政の大きな転換があるとみられています。飼育放棄されたペットや野犬などは、保健所などで殺処分されてきました。しかし、6年前の法改正で、飼い主など所有者が一生飼い続ける終生飼養の努力義務が明文化され、保健所などでも殺処分がなくなることを目指すことになりました。これを契機に「殺処分ゼロ」をスローガンとして掲げる自治体も増えてきたのです。その結果、多くの犬や猫が動物愛護団体などに譲渡されるようになったんですが、今度は、この愛護団体などの負担が急激に増しているんです。
── その厳しい実情を知ってもらいたいと、日本最大級の動物愛護団体が取材に応じてくれました。
▽愛護団体の全頭引き取り 「殺処分ゼロ」模索の現場
・広島県の人里離れた山奥。ここで民間の動物愛護団体「ピースワンコ・ジャパン」が活動しています。 4ヘクタールを超える敷地に、およそ1,900匹の犬を保護しています。この団体に転機が訪れたのは、2年前。地元・広島県に対して、殺処分対象となる犬を全て引き取りたいと申し出たのです。代表の大西純子さんです。 多くの犬の命が奪われている現実に心を痛めてきました。
・ピースワンコ・ジャパン 大西純子プロジェクトリーダー「行政に保護活動をお任せすると、(保護数が)増えてしまうと、処分するということになる。殺処分を止めるには、とにかく一度、民間でやってみて、民間でこれだけできるんだから、行政はどう動くんですかって。」
・実は、広島県は殺処分数、全国ワースト1位になったこともあります。
・広島県動物愛護センター 東久保靖課長 「こちらが殺処分機になります。」 かつては、年間5,000匹以上を殺処分していました。今は、大西さんたちの愛護団体が、引き取り手のない犬を全て受け入れています。 広島県動物愛護センター 東久保靖課長 「殺処分がなくなった。嫌な作業ですね。やりたくないことを、やらなくてよくなった。」
・大西さんの団体は、当初、年間の保護頭数を700匹と見込んでいました。しかし、実際に始めてみると、想定どおりには進みませんでした。1年目から予定の倍近い1,391匹を保護することになったのです。一方で、一般家庭などへの譲渡数は161匹にとどまりました。現在、全国に譲渡会場を増やすなどして対応を急いでいます。助けを必要とする動物が数多くいる一方で、支える人手は不足しているといいます。この団体は、常時、従業員とボランティア合わせて40人が日々の餌やりや掃除を行っています。それでも、現在、保護している犬1,900匹に対しては、本来、倍の人数が必要だと、大西さんは考えています。
・ピースワンコ・ジャパン 大西純子プロジェクトリーダー「人が減ってしまえば、誰にしわ寄せがいくというと、結局、犬にしわ寄せがいってしまう。」 
・増え続ける犬のために、団体では、シェルターの増設を進めています。去年(2017年)建設が始まった、このシェルターは1棟5,000万円。 ほかに冷暖房などの光熱費犬の餌代など、必要な費用は膨らんでいます。
・ピースワンコ・ジャパン 大西純子プロジェクトリーダー「(2017年は)7億円弱入ってきて、出て行ったのが7億5,000万円ですので、決してプラスではない。私たち動物を扱っているというのは、この1年頑張れば終わりではないので、犬たちを1頭でも多く譲渡する。あるいは犬たちのいる環境を整えていく。この子たちが生活をずっと続けられるように。」
・大西さんの団体が重要視しているのは、事業の安定性です。現在、巨額の運営費のほぼ全額が全国からの善意の寄付で賄われています。とりわけ大きいのが、ふるさと納税による寄付です。地元の町と連携し、ふるさと納税の使い道に、犬の保護活動への寄付を加えてもらいました。安定して活動を継続するためにも、動物たちの幸せのためにも、殺処分ゼロは達成し、続けなければならない使命だといいます。 
・ピースワンコ・ジャパン 大西純子プロジェクトリーダー「私たちに託されているという思いは、何が何でも継続していかなければいけない。(全ての犬の保護を)やめると結局、皆さんの支援も止まる。支援が止まるということは、ここにいる犬たちがどうなってしまうか、目に見えていますよね。」 「走り出したら?」 「止まれないですよね。」
・殺処分ゼロが民間愛護団体の熱意と負担で支えられている現実を、県はどう考えているのか。 広島県健康福祉局 中村満食品衛生担当監 「特効薬的に、これをやったら必ずこうなるということは、なかなかないというのが現状。殺処分対象のものが、今は愛護団体のほうに移っているだけ。」
▽愛護団体への負担集中 「殺処分ゼロ」でいま何が?
・ゲスト 山﨑恵子さん(アニマル・リテラシー総研 代表理事)
── 動物の福祉が専門で、6年前の法改正では、国の検討委員も務められたという、山﨑恵子さん。 殺処分をなくすことを目指すのは大切だが、愛護団体に負担が集中している実態を見ると、これまで行政が抱えてきた問題が全てこれで解決しているとは思えないが?
・山﨑さん:行政が抱えている問題というよりも、殺処分ゼロというものを見るとですね、やはりある意味、ちょっと政治的なスローガンになってしまっているところがある。確かに、殺処分ゼロというのは、尊い目標なのかもしれないけれど、それのプレッシャーが、政治的なプレッシャーが愛護センターの職員さんの中にかかってしまうと、じゃあ、とにかく殺処分しないためにはどうしよう、愛護団体さんが引き取ってくれるんだったら、これはもう、本当に助け舟でありがたいといって、そこで愛護団体に出してしまって、結果としては、最終的に愛護団体が抱え込んでしまって、たくさん飼い過ぎてしまうと、これまた大きな問題がそこに生じてしまうんですよね。
▽「殺処分ゼロ」 自治体でいま何が?
・田中:今回、番組では、公的な保護施設を抱える全国115の自治体に対してアンケートを実施。殺処分の実態調査を行いました。すると、全体の4割近くに当たる42の自治体が、法改正で盛り込まれた殺処分がなくなることを目指すという文言を受けて、「殺処分ゼロ」という数値目標を掲げていました。
── そうした自治体側の現実を取材しました。
▽「殺処分ゼロ」掲げたけれど 自治体施設が過密に!病気も…
・去年、殺処分ゼロを目指すと宣言した熊本県。今、思わぬ事態に陥っていました。殺処分を免れた動物たちが、施設にあふれてしまったのです。以前、収容していた動物は、平均20匹ほど。それが今は139匹まで増えました。大部屋に入れられた犬たちはけんかが絶えないといいます。
・熊本県動物愛護センター スタッフ「指の傷もそうなんですけれど、ここに大きいケガがあって、それも犬にかまれました。やっぱりストレスとかもあるのかな。」 この日、スタッフは清掃中に血便を見つけました。体調が悪化しているサインです。しかし、集団で飼育しているため、どの犬なのかを見極めることが難しいといいます。
・さらに、過去には4回にわたって感染症がまん延する事態も起きました。下痢や、おう吐を起こし、場合によっては死に至る、パルボウイルスです。感染の拡大を防ぐため、同じ部屋で飼っていた犬を全て安楽死させるという、皮肉な結果につながったといいます。現在はワクチンを接種して予防をしていますが、ほかの感染症がまん延しないか、不安は消えません。
・熊本県動物愛護センター 石原貢一所長 「(ウイルス感染は)隔離しながら治療しなければ難しいものですから、今、139頭の犬を管理していますけれど、それを1頭ずつ管理をするのは無理だろうと思います。」  このセンターで2年間ボランティアを続けてきた女性です。 殺処分ゼロを急に実現しようとしても、犬たちを幸せにできないのではと考えるようになりました。
・ボランティア 田尻みゆきさん「いきなり『(殺処分)ゼロ』宣言をしても、犬がたまるだけ。犬にただ、つらい思いをさせているだけ。犬だけでなく、現場の職員たちも、ボランティアも、みんながつらい思いをして、そして、犬も人も心が壊れてしまって、負のスパイラルに入ってしまう状態がずっと続いているんですね。」
・熊本県は、収容する犬の増加に悩まされる中、譲渡にも懸命に取り組んでいます。毎月開かれる犬の譲渡会では、犬の引き取りを考えている人たちに、最後まで面倒を見られるのか丁寧に確認。ワクチンや餌代などで、年間10万円はかかることを説明しています。それでも譲渡が成立し、引き取られていくのは1、2匹程度です。
・熊本県は、今、厳しい状況を打開しようと、苦肉の策を取っています。地元の愛護団体の敷地を間借りして、プレハブを建設。 一時的に委託するという形を取り、譲渡しやすい犬になるよう世話してもらっています。餌代や光熱費などを含め、1頭当たり毎月2万5,000円ほどの費用は全て県が負担。殺処分ゼロを掲げて以降、県の動物保護予算は、それまでの1.5倍に当たる1億5,000万円まで膨らんでいます。
▽「殺処分ゼロ」掲げたけれど 自治体でいま何が?
── 「殺処分ゼロ」というスローガンだけでは、動物の幸せに、必ずしもつながらないという声があった。動物の幸せを確保するために、保護の在り方はどうあるべき?
・山﨑さん:保護の在り方というか、占有者といいますけれども、飼育者ですね。飼育者にとっては、基本的にはもう1960年代の半ばから、英国のある公的な委員会が作った5つの自由という国際的な基準があります。
・これは、「飢え・渇きからの自由」つまりごはんと水はちゃんとあげなさいということとか。「不快からの自由」要するに痛い、苦しいとかなくても、熱い、寒い、汚いというのは不快ですし、「痛み・傷害・病気からの自由」というのは、ちゃんと医療を与えなさいということ。「恐怖・抑圧からの自由」は、怖い思いをさせちゃダメ。それから自然な正常な行動をちゃんと展開させるようなスペースで飼いなさいという、これはもうOECDなどの国際団体というところでも認められていますし、各国の法律にも入っています。要するに、生かしておくだけじゃなくて、このルールを守りなさい。ただ、さっきの熊本なんかもそうですけれども、関わっている職員さんや愛護団体の方っていうのは、こういうことをご存じの方が実は関わっているから、恐らくそれが実現できないつらさっていうのは、本当にあるだろうなと、私は思います。
・田中:番組が行った自治体へのアンケートには、殺処分ゼロを実現することの難しさを訴える声が多数寄せられました。いくつかご紹介します。「イノシシ猟の訓練を受けている犬など、到底譲渡が困難にもかかわらず、殺処分に対してはSNS等で強いバッシングを受ける」という意見。さらに、「『殺処分ゼロ』は動物福祉の観点から疑問。数字だけのゼロは目標としておらず、今後も目標とする予定はない」という声もありました。殺処分をなくすことを目指すという方針が現場に混乱を招いている状況について、管轄する環境省はどう考えているのか、聞いてきました。
▽「殺処分ゼロ」でいま何が? 国の担当者を直撃
・環境省 動物愛護管理室 則久雅司室長 「『殺処分ゼロ』ということで、直ちに(殺処分を)止めなければいけない世論をつくってしまったところもある。われわれの真意としては、いろんな主体の方に協力していただきながら、不幸な動物が生まれてこない環境をつくっていこうということなので、そこが急速すぎたというところがあるんじゃないかと思います。非常に多様な価値観をお持ちの方々がいらっしゃるのは確かなんですけれども、その中で皆さんで議論をして、動物との関わりに対しては、こういうことが望ましいんだということのコンセンサス(合意)を、まずつくっていくことが必要じゃないか。」
▽どう減らす?犬・猫の殺処分 いのちを守るために
── 共通的なコンセンサスとは、どういうこと?
・山﨑さん:要するに、殺処分ゼロって本当はどういう意味かということを、社会や関係者全体がちゃんと1つの定義に合意するということですよね。欧米で始まった「ノーキル運動」、この「ノーキル」というのは、処分、殺さないということなんですけれど、これは例えば、社会復帰の可能性がきちっとある子とか、そういった動物たちに対して、時間切れとか、あるいは場所がないから処分しましょうというようなことはやってはいけないよという、そういう基本的な定義があります。
── 具体的な取り組みとしては、どういうことが考えられる?
・山﨑さん:それは例えば、愛護団体に対しての譲渡数は、人員とかスペースとかキャパに対しては、きちっとした査定を、まず出す方の行政が決めるべきだと思いますし、それから、自治体が愛護団体を、定期的に渡すだけじゃなくて、チェックしていくということも必要だと思うんですね。それから、一般の方への譲渡の間口というのは、もっと工夫して広げることもできると思います。今は例えば、7歳を過ぎると、犬や猫もシニアでもらわれにくいとか、それから多くの団体や行政なんかでは、高齢者には終生飼養ができないから渡さないなんていうこともありますので、その辺をちょっとどうやって改善していくかということを考えなきゃいけない。
・ (例えば、お年寄りの家庭にはちょっと年の取った犬や猫を渡すとか?) アメリカの団体では、「シニア・フォー・シニア」といって、もらわれにくい高齢の動物を定年年齢の方がもらってくだされば、ちょっと特典がありますよというようなプロモーションなんかをやったりしていますし。 (工夫も必要だと?) そうですね。
・田中:かつては、保健所などに持ち込まれる動物は、一般家庭からだけでなく、ペットショップなどで売れ残った余剰ペットも多く含まれていました。今、それらも行き場を失っています。というのも、法律の改正で、業者を含め、終生飼養の努力義務が明文化され、自治体が受け取りを拒否することも可能になったためです。行き場がなくなった犬や猫の扱いをどうするのか、ペット産業の模索を取材しました。
▽どう減らす?犬・猫の殺処分 ペットを選別する消費者意識
・今回、埼玉県内にあるペットオークション会場が、問題の改善につながればと、特別に取材に応じてくれました。オークション会場では、ブリーダーが持ち込む犬猫をペットショップなどの小売り業者に売るための競りが開かれています。 5年前から、この会場にある特別な箱が並べられるようになりました。競りで売れ残った子犬や子猫たちを引き取り、提携した動物愛護団体に渡して、新たな飼い主を探すためのものです。
・この箱を設置したオークション会場の代表、上原勝三さんです。 以前は、保健所に持ち込まれていた余剰ペットを、こうして目に見える形にすることで、業界全体でこの問題に向き合おうと考えています。 一般社団法人 ペットパーク流通協会 上原勝三さん「持ち場、持ち場の人が力を出しあったら、助かる命がある。」 
・しかし、行き場のない命は、ますます増えているといいます。近年、ペットの価格は高騰。購入する側の要求は厳しくなっています。目の色や耳の形など、ささいな理由で流通からはじかれる生き物が増えているのです。
・一般社団法人 ペットパーク流通協会 上原勝三さん「家族に迎え入れるのに、これくらいでいいだろう?だけどやっぱり、これが売れなくなった、今の日本は。」
▽どう減らす?犬・猫の殺処分 いのちを守るために
── 大本は、飼い主の意識にも問題があるということ?
・山﨑さん:犬や猫っていうのは、野生動物と違って人間が作りましたから、犬なんかは1.5キロのチワワから、50キロ、70キロの超大型犬もいます。そういったものを作ったら、最後まで責任を持つのが人間の責務だと思っていますし、ファッションではなくて、独立した生命体で、それぞれの動物っていうのは、たぶん自分の夢や希望とかを持っているんじゃないかというふうに、私は思います。
── 改めて、犬や猫の殺処分数を減らしていくために、社会全体でどう取り組んでいけばいい?
・山﨑さん:私としては、もう少し動物のプロフェッショナルな方が関わってくださる。もっと獣医師の方とか訓練士の方とか、そういった方々も譲渡団体とか愛護団体の運営とかにきちっと関わってくださるとか。それからあとはファッションを追わない。私、どうしてもプードルが欲しいわというような、ファッション性のある動物の追い方はやめてほしいと思うし、お互いに助け合う、行政と愛護団体のバランスのいい関係、お互いにやっぱり助け合っていくという、そういう構図をどうやって作るかというのを、両側から考えていかなければいけないのではないかなと、私は思います。
── ファッションで飼うんじゃなくて、やっぱり1つの命に出会うんだということですね。
・殺処分ゼロの目標を実現する、これは決して簡単ではなく、社会全体で多くの課題を解決していくことが必要だと分かりました。動物を愛する1人1人が責任を持って考えていくべきだと思います。
http://www.nhk.or.jp/gendai/articles/4090/

次に、昨年7月12日付け東洋経済オンライン「「捨て犬」「殺処分」がなくならない本当の理由 業界を知り尽くした男が語るペット流通の闇」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・日本のペット流通には「闇」の部分がある。生体(せいたい)展示販売と殺処分という問題である。欧米のペット先進国に比べ歴史の浅い日本のペット業界が、いびつな形のまま急成長したためと指摘する声も多い。「ペットは物ではない」という基本的な倫理観が、ペット業者や飼い主に厳しく問われている――。 30年以上にわたりペットフード流通の第一線で活躍し、このたび『一流犬をつくる最強の食事法』を上梓した橋長誠司氏に、犬の生体販売の問題点を語ってもらった。
▽なぜ捨て犬が減らないのか
・近年、自治体などがようやく社会的に取り組むようになってきたのが、捨て犬の問題です。 神奈川県などでは殺処分がゼロになりました。保護された捨て犬に里親を探すことで、殺処分をなくしています。このような努力をしている自治体が増えつつあり、日本全体で年間に殺処分される犬の数は少しずつ減ってきていますが、それでも、まだ1年に数万頭という数の犬が殺処分されています。数字は減少したといっても、基本的な問題は何ら解決していないのです。
・なぜ、犬を捨てる飼い主がいるのでしょうか。 それにはさまざまな理由があると思いますが、ひとつには、子犬の売られ方に問題がありそうです。少なくとも、ペットショップの店頭で買った犬が捨てられるケースが多いというのは事実なのです。 ペットショップで見て、「かわいらしい」と思ったから衝動的に買う。でも、家へ連れて行くと子犬が言うことをきかない。持て余して、こっそりと捨ててしまう。こうしたケースが多いようです。
・また、いちばん気の毒なのは、ペットショップで大型犬の子犬が衝動買いされる場合です。 大型犬でも子犬のうちはまだ小さく、ぬいぐるみのようにかわいいものです。ところが、大型犬は半年もすると急速に大きく育ちます。毛色が大きく変わることもあります。 「かわいい」というよりも「強そう」といったほうがいい姿になると、「こんなはずじゃなかった」と戸惑う人もいるのです。 大型犬は体力もありますから、狭い場所では飼えませんし、散歩では飼い主さんの体力を必要とします。それで持て余して、捨ててしまう人がいるのです。
・また、中にはもっと身勝手な人もいるようです。 たとえば、いろいろな犬種が混ざった血統の子犬が売られることがあります。すると、子犬が大きくなると、自分の考えていたのとは違う見た目に育って、「こんな姿になるとは思わなかった」と捨ててしまう人がいるのです。
・このほか、しつけをしっかりできず、ムダ吠(ぼ)えするのに困り果てて捨ててしまう身勝手なケースもあります。衝動的にペットショップで犬を買っておいて、自分の思っていたのと違うからと捨てるのは、犬を飼うという自覚に欠けていると思うのです。
・かわいらしいから、という動機で犬を飼うことは、私個人としてはあってもいいと思います。けれど、犬を飼うのは、ぬいぐるみやお人形を買うのとは違うことだけは、自覚しなければなりません。 自分の犬であるからには、責任があります。その責任を果たす気持ちがないのなら、犬を飼うべきではありません。
▽欧米のペットショップでは子犬を売らない
・子犬がかわいいからと衝動的に買い、面倒になったからと捨てる。 これは買う側だけでなく、売る側にも問題があると思います。日本のペットショップでは、子犬の販売が主な収入源となっていて、「子犬が売れればそれでいい」という態度の店が非常に多く、これが捨て犬を増やしている一因です。
・大型犬の子犬を売るのに、成犬になるとどれくらい大きくなるのかさえ、きちんと説明しない無責任なペットショップもあります。たとえば、ラブラドールレトリバーなどは、半年で急激に大きくなり、1年で成犬になります。これに驚いて先述のように捨てるケースもあるのですが、店側がきちんと説明していたかは疑問です。
・つまり、儲かればいいというペットショップが捨て犬を増やしているわけです。子犬の販売は、ただのビジネスであってはなりません。なぜなら、犬はただの物ではなく、命があるからです。 子犬を誰かに渡す人は、必ず、渡す相手に説明する義務があります。そして、命のある存在とともに生きるという自覚を持っていることを確認してから、子犬をその人に託すべきだと思うのです。少なくとも、これは欧米の社会では常識です。
・その姿勢がよくわかるのが、ペットショップでの生体(せいたい)販売の禁止です。生体とは、子犬や子猫など、ペットとなる動物のことです。つまり、欧米のペットショップでは、子犬を売ることはしないのです。 では、犬を飼いたい人はどうするのかというと、ブリーダーから直接、譲り受けます。ブリーダーに飼われている母犬のそばで健康的に育った子犬を、ブリーダーと相談して、じっくりと見極めたうえで購入するというのが、欧米では一般的です。
・日本でも、ペットショップで子犬や子猫などの生体を販売できないようにすべきだと運動している人たちがいますし、近い将来、そうなるのではないでしょうか。 というのも、現在のペット販売のやり方にはさまざまな問題が指摘されているからです。
▽売れ残った子犬を殺処分
・犬は物ではありません。なのに、お金儲けだけしか考えなくなると、ただの物として扱われてしまいます。  2015年度に国内で販売された犬と猫のうち、約3%に当たる約2万5000頭が流通過程で死んでいたという報道がありました。つまり、売られる予定だった犬や猫の30頭に1頭が、死産でもないのに、売れる前に死んでいたのです。これは、犬や猫を命あるものとしてではなく、物のようにぞんざいに扱った結果ではないでしょうか。
・たとえば、これは少し昔のことですが、こんな話がありました。 子犬を販売している店ではどうしても、売れ残る子犬がいます。ペットショップで半年も1年も売れ残っている子犬が出るわけです。そんな子犬を置いておけば、食費ばかりかかってしまうので、生体販売の業者は困るわけです。
・「それならば、誰かにタダであげればいいじゃないか」 そう思う人もいるでしょう。確かに、おカネを払って買う人はいなくても、タダなら「飼おうか」と思う人は見つかりそうなものです。 ところが、生体販売をビジネスにしている人たちは、こう考えます。 「売れ残りをタダにすると、値崩れする」 半年、1年待てばタダになると皆が思うようになれば、高いおカネを出して買う人がいなくなるというわけです。売れない子犬を置いておけば食費ばかりかかる。かといって、タダにして引き取り手を探すこともしない。
・では、生体販売業者はどうするのでしょうか。 子犬を殺処分、つまり殺していたケースがあったのです。焼却していたという話もありましたし、殺した犬を川に捨てたという事件もありました。これは昔の話で、さすがに現在では聞かないようになりましたし、こんなことは行われていないでしょう。
・けれど、ビジネスしか考えない生体販売業者により、売れ残った子犬がひどい扱いを受けているのは、今でも同じです。 売れ残った子犬を引き取る業者がいて、山の中のバラック小屋に犬を閉じ込めている例があるのです。テレビニュースでこうした悲惨な状況を見られた方もおられるでしょう。まさに、飼い殺しです。
▽新たに犬を飼いたい人にお勧めの方法
・こうした犬をめぐる残酷な現実が、しだいに世間に知られるようになり、行政も少しずつ動き始めています。東京都の小池百合子知事も2020年のオリンピックまでに殺処分ゼロを目標に掲げています。今後は、ペット販売についても、動物愛護の観点から規制が行われるでしょう。
・たとえば、ペットショップで子犬を入れているショーケースの広さについて、現在は何も法的な規制はありませんが、近い将来、1頭当たり最低限の広さを確保する法律が作られると思われます。 そうなれば、ペットショップでは、子犬を売るために今よりも広い面積を必要とすることになります。子犬を置いておくだけで今よりも高いテナント料がかかりますから、子犬を販売するビジネス上のうまみが小さくなるわけです。
・こうした規制を厳しくすれば、事実上、ペットショップでの生体販売はできなくなるでしょう。 そのうち日本でも欧米のように、ペットショップでビジネスライクに子犬が売られるのではなく、ブリーダーから直接に譲り受ける時代になると思うのです。 実際には、生体販売をビジネスとしか考えない人々の抵抗もあり、簡単には解決しないでしょう。けれど、少しずつでも、改善していくと信じたいものです。
・そして、これから新たに犬を飼いたいという人には、自分からブリーダーさんのところに出向いていって、どのようなワンちゃんかちゃんと見極めてから飼われることをお勧めします。 ネットで検索すれば、ブリーダーさんと犬種の情報がたくさん出てきます。それで目星をつけてから、実際にブリーダーさんのところに行ったらいかがでしょうか。実際に出向いて見れば、ブリーダーさんの人柄、ワンちゃんの生育環境、しつけの状況、母親や兄弟の様子などがわかります。
・つまり、愛情をもって育てられたワンちゃんか、どのような成犬に育つかといったこともわかるわけです。  命あるものを飼うのですから、これくらいはきちんと見てから、飼うようにしていただきたいものです。
http://toyokeizai.net/articles/-/179095

第三に、みずほ証券チーフマーケット・エコノミストの上野 泰也氏が1月30日付け日経ビジネスオンラインに寄稿した「ついに犬を超えた! 猫の飼育数 社会のさまざまな構造変化を反映」を紹介しよう(▽は小見出し)。
▽歴代の米大統領がペットとして飼った動物は?
・東京に長く住んでいるとしばしば耳に入ってくるのが、お互いをライバル視している埼玉県民と千葉県民の、どちらのほうが偉いかという言い争いである。埼玉県民に言わせると、大宮に止まるなど新幹線が通っているし、東京のベッドタウンとしての地位は千葉県よりもはるかに確立している。一方、千葉県民に言わせると、成田空港と東京ディズニーランドがあるから国際的地位は高いし、埼玉にはない海がある。東京や神奈川などの住民からすればどうでもいい話のようにも思われるが、言い争いしている本人たちはけっこう真剣である。
・これと似たようなテーマが、今回のコラムでテーマに取り上げる、犬派と猫派の争いである。現実的な話はあとで述べるとして、まず、歴史や海外事情で犬と猫を比べてみよう。
・古代エジプトでは、アヌビス神が信仰されていた。神話に登場する冥界の神で、頭部が犬またはジャッカルの半獣半人の姿で描かれることが多かった。これに対し、猫は古代エジプト人が初めて家畜にした動物とされており、当時の遺跡から猫の骨が出土している。バステトという古代エジプトの女神は、その頭部が当初は雌ライオンの姿だったが、紀元前1000年頃には猫になった。古代エジプトで神格化されたという点で、犬と猫は互角である。ただし、ペットとしての歴史は猫のほうが古い。
・一方、歴代の米国の大統領がペットとして飼った動物を調べてみると、犬が圧倒的に多い。権力の頂点に立った人物は、飼い主に忠実な性質の犬を好むことが多いのだろうか。オバマ前大統領がホワイトハウスで飼ったのはポルトガル・ウォーター・ドッグの「ボー」で、ファーストドッグと呼ばれた。もっとも、その前のジョージ・W・ブッシュ大統領とビル・クリントン大統領は猫も飼っていた。そして、もともとはクリントン大統領の娘チェルシーが拾ってきた野良猫である「ソックス」は、ファースト・キャットと呼ばれた。
▽5代将軍綱吉も落胆? 飼育数で初めて猫が犬を逆転
・犬をお上が大事にしたということで思い出すのは、江戸時代の生類憐みの令。元禄時代に徳川5代将軍綱吉が発した、犬・猫・鳥などの殺生を禁止したお触れの総称である。綱吉が戌年生まれだったことから「お犬様」と呼ばれて犬が特に保護されたが、上記のように猫も保護対象だった事実は、あまり知られていない。
・このように、犬と猫の争いにはなかなか勝負がつかないわけだが、日本で飼われているペットの数という点では、どうやら猫がはっきり優勢になったようである。 ペットフードメーカーの業界団体である一般社団法人ペットフード協会が昨年12月22日に公表した「平成29年(2017年)全国犬猫飼育実態調査」で、調査が始まった1994年以降で初めて猫の推計飼育数が犬のそれを上回ったことが、マスコミを通じて大きく報じられ、筆者の周りでも話題になった。
・猫は952.6万頭(前年比+2.3%)で、2年連続の増加。一方、犬は892.0万頭(同▲4.7%)で、3年連続の減少<■図1>。1990年代後半以降の小型犬ブームの時に誕生した犬が寿命を迎える中で飼い主も高齢化し、新たな犬の「飼い控え」傾向が生じているという。ただし、猫は複数匹を同時に飼うケースが多いため。飼い主の数は引き続き猫より犬の方が多くなっており、猫が545.9万世帯、犬が721.7万世帯である。
・世の中では最近、猫がブームになっている感がある。筆者はまだ行ったことがないが、昨年は「猫カフェ」が注目された。 また、寿命は猫の方がやや長いので、飼育数を争う場合に犬より有利な面もある。上記の調査によると犬の平均寿命は14.19歳で、猫は15.33歳となっており、猫は最近5年間の傾向では伸びているという
▽構造変化が影響している面が少なからずある
・だが、それらだけではあるまい。近年明確になってきた犬のダウントレンド・猫のアップトレンドには日本の社会経済の構造変化が影響している面が少なからずあると、筆者はみている。 上記調査の発表元や識者のコメント、SNS上の投稿などを参考にしつつ、犬と猫それぞれについて飼う際に不利な点を列挙すると、以下のようになる。
・【犬の飼育をする際に、猫よりも不利な点】 +外に散歩に出す負担が大きい(特に高齢者の場合。雨の日に困る場合も)。 +飼うためのコストが猫よりもかかる場合が多い(大型犬の場合のエサ代など)。 +吠える声が大きい種類の場合、近所などからのクレームに対応する必要も。 +忠実で従順なのはメリットだが、それが飼い主の精神的なプレッシャーになる場合も。
・【猫の飼育をする際に、犬よりも不利な点】 +自由気ままな性質なので、急にいなくなり、犬と違って家に戻ってこないリスクあり。 +爪とぎをしたがる。対策をとり切れず、家の壁や床がぼろぼろになってしまうことも。 +猫アレルギーの人がいる場合、対応に苦慮する。尿の臭いがかなり気になることも。
・猫の飼育にも複数のデメリットがあるのだが、それでも飼育数が上向いているのはやはり、日本の「社会の高齢化」が最大の原因だろう。 加齢や病気によって自分の体力に自信がなくなると、犬を毎日散歩させることの負担感が大きくなってくる。また、年金生活者であれば、飼育コストが相対的に大きい犬の飼育継続をちゅうちょする面があるだろう。これに対し、猫は体が小さいし、散歩が不要で、飼育コストは相対的に安い。
・もう一つ、「共働き世帯の増加」も、猫が選ばれやすくなってきた主な理由だと、筆者はみている。 夫婦が両方とも仕事で家をあけたままの時間が長いライフスタイルだと、散歩やしつけに手間がかかる、しかもなついている分、どうしても寂しがる犬は、敬遠しやすいのではないか。自由気ままな性質で、手間が相対的にかからない、しかも会社の上下関係などをイメージしなくてもよい適度な距離感がある猫の方が、好まれやすい要素があるように思われる。
▽日常生活の視点から経済社会の変化を読み取る
・上で指摘した2点のほかにも、保育施設の子どもの泣き声にさえ近所の住民がクレームをつけるほど「音に敏感」になってしまった日本の社会状況の変化(全てではないが一部の人々の意識の変容)も、吠える声が大きい犬にとって、大いに不利な材料である。
・ちなみに、筆者は犬が昔からやや苦手なのだが、これは幼少時の体験ゆえである。幼稚園に入った頃、近所で白いスピッツを飼っている家があった。まだ小さいから、犬がどのような動物なのかがよくわかっていなかった。筆者が興味本位でスピッツのしっぽを足で踏んでみたところ、思い切り吠えられてしまい、大泣きしながら親のところに逃げ戻ったという、今考えるとなんとも情けないエピソードをしっかり記憶している。
・かといって筆者が猫派かというと、そうでもない。これまでの長い人生で、気まぐれな人に悩まされてきた経験がけっこうあるので、猫の自由気ままな性格を素直に癒しだと受けとめることには正直、ためらいがある。
・飼われているペットの種類の盛衰からも、日本の経済社会の変化を読み取ることができる。こうした日常生活などに密着した視点からのコラムを、今後も随時発信していきたいと考えている。
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/248790/012500126/?P=1

第一の記事で、 『関西のある動物愛護団体で運営が悪化し、犬猫合わせて142匹を支えきれなくなる事態が起きました』、というのは驚きだ。常識的に考えれば、「もう限界です」と自治体からの持ち込みを断ればいいと思うのだが、「ペット好き」が高じるとやはり引き取ってしまうのかも知れない。自治体も、聞こえのいい 『「殺処分ゼロ」』を掲げる以上は、動物愛護団体などの引受け能力を考えるべきだろう。 『巨額の運営費のほぼ全額が全国からの善意の寄付で賄われています。とりわけ大きいのが、ふるさと納税による寄付です』、、というのは、ふるさと納税の思いがけない恩恵だ。
第二の記事で、 『神奈川県などでは殺処分がゼロになりました。保護された捨て犬に里親を探すことで、殺処分をなくしています』、というのは本当かなと思う。第一の記事では、里親を探せるのは例外的ということだったので、神奈川県なども実際には動物愛護団体などに引き取ってもらうのが太宗なのではないだろうか。 『欧米のペットショップでは、子犬を売ることはしないのです。 では、犬を飼いたい人はどうするのかというと、ブリーダーから直接、譲り受けます・・・日本でも、ペットショップで子犬や子猫などの生体を販売できないようにすべきだと運動している人たちがいます』、生体販売の禁止には大賛成だ。ペットを飼うためのハードルを高くすれば、無責任な飼い主を相当減らせる筈だ。 『1頭当たり最低限の広さを確保する法律が作られると思われます』、といった微温的な対策で済む段階を越していると思う。
第三の記事は、上記2つとは違って肩の力が抜けるような軽い話題だ。 『飼育数で初めて猫が犬を逆転』、というのは、確かに最近は犬を連れた散歩の人が少なくなったなと感じていた実感にも合う。 『犬のダウントレンド・猫のアップトレンドには日本の社会経済の構造変化が影響している面が少なからずある』、というのはさすがエコノミストらしく説得力がある。ただ、近所の公園には「ネコにエサをやらないで下さい」との看板があるのに、無視して毎日、エサをやり続けるお婆さんがいるのも、困ったことだ。
タグ:ペット 猫カフェ 東洋経済オンライン 日経ビジネスオンライン 動物愛護法改正 NHKクローズアップ現代 上野 泰也 (その1)(どう減らす?犬・猫の殺処分、「捨て犬」「殺処分」がなくならない本当の理由 業界を知り尽くした男が語るペット流通の闇、ついに犬を超えた! 猫の飼育数 社会のさまざまな構造変化を反映) 「どう減らす?犬・猫の殺処分」 多くの自治体が目標として掲げる「殺処分ゼロ」 自治体の収容施設や民間の動物愛護団体が、殺されずに済んだ犬や猫を抱えきれなくなり、伝染病のまん延や多頭飼育崩壊 関西のある動物愛護団体で運営が悪化し、犬猫合わせて142匹を支えきれなくなる事態が起きました 多くの犬や猫が動物愛護団体などに譲渡されるようになったんですが、今度は、この愛護団体などの負担が急激に増しているんです 当初、年間の保護頭数を700匹と見込んでいました。しかし、実際に始めてみると、想定どおりには進みませんでした。1年目から予定の倍近い1,391匹を保護することになったのです。一方で、一般家庭などへの譲渡数は161匹にとどまりました 巨額の運営費のほぼ全額が全国からの善意の寄付で賄われています。とりわけ大きいのが、ふるさと納税による寄付です 殺処分ゼロというのは、尊い目標なのかもしれないけれど、それのプレッシャーが、政治的なプレッシャーが愛護センターの職員さんの中にかかってしまう 殺処分を免れた動物たちが、施設にあふれてしまったのです。以前、収容していた動物は、平均20匹ほど。それが今は139匹まで増えました。大部屋に入れられた犬たちはけんかが絶えないといいます 英国のある公的な委員会が作った5つの自由という国際的な基準 飢え・渇きからの自由 不快からの自由 痛み・傷害・病気からの自由 恐怖・抑圧からの自由 「「捨て犬」「殺処分」がなくならない本当の理由 業界を知り尽くした男が語るペット流通の闇」 神奈川県などでは殺処分がゼロになりました。保護された捨て犬に里親を探すことで、殺処分をなくしています 子犬の売られ方に問題 自分の犬であるからには、責任があります。その責任を果たす気持ちがないのなら、犬を飼うべきではありません 欧米のペットショップでは子犬を売らない 犬を飼いたい人はどうするのかというと、ブリーダーから直接、譲り受けます 売れ残った子犬を殺処分 「ついに犬を超えた! 猫の飼育数 社会のさまざまな構造変化を反映」 飼育数で初めて猫が犬を逆転 最近、猫がブームになっている感がある 犬のダウントレンド・猫のアップトレンドには日本の社会経済の構造変化が影響している面が少なからずあると、筆者はみている 日本の「社会の高齢化」が最大の原因 、「共働き世帯の増加」も、猫が選ばれやすくなってきた主な理由 音に敏感」になってしまった日本の社会状況の変化
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ドイツ(その2)(メルケル独首相の窮地で揺らぐ欧州と世界、「敗者の大連立政権」は有権者をさらに失望させる) [世界情勢]

ドイツについては、昨年5月1日に取上げた。今日は、(その2)(メルケル独首相の窮地で揺らぐ欧州と世界、「敗者の大連立政権」は有権者をさらに失望させる)である。

先ずは、元日経新聞論説主幹の岡部 直明氏が昨年11月22日付け日経ビジネスオンラインに掲載した「メルケル独首相の窮地で揺らぐ欧州と世界 ジャマイカ連立協議決裂」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・ドイツの総選挙を受けた与党キリスト教民主・社会同盟(CDU・CSU)と自由民主党(FDP)と緑の党による連立協議は決裂し、4選をめざすアンゲラ・メルケル首相は窮地に追い込まれた。社会民主党(SPD)を含め連立協議を再開するか、少数与党で政権を運営するか、再選挙を実施するか選択を迫られるが、欧州連合(EU)の盟主であるドイツの政治空白が長期化するのは避けられない。それはマクロン仏大統領と組んだ独仏連携による欧州統合に響くだろう。英国のEU離脱交渉にも影響は必至である。さらに、トランプ米大統領による「米国第一主義」で揺らぐ世界を一層、混迷させる恐れがある。
▽予想くつがえす決裂
・環境政策や難民問題、EUへの姿勢で食い違いが大きい3党の「ジャマイカ連立」(注)は当然、難航は予想された。しかし、多少時間はかかっても、妥協が成立するはずだというのが大方の見方だった。「政治巧者」のメルケル首相ならうまくやれるはずという見方が専門家の間では有力だった。「ジャマイカ連立のドイツはむしろ欧州にとっていいことだ」(ブリューゲルのガントラム・ウルフ所長)という見方もあったほどだ。EUの盟主であるドイツ「独り勝ち」ではなく、柔軟なドイツへの期待がそこにはあった。
 (注)3党のシンボルカラー(黒、黄、緑)がジャマイカの国旗の色使いに似ていることから、ジャマイカ連立と呼ばれるようになった。
・ところが、現実はそうはいかなかった。環境政党の緑の党と経済界寄りの自民党の差はあまりに大きかった。石炭火力の廃止を求める緑の党に、企業の競争力低下を懸念する自民党は対立した。難民受け入れでも、難民家族の受け入れを主張する緑の党と、それに慎重な与党キリスト教民主・社会同盟と自民党のズレは大きかった。メルケル首相にすれば、寛大すぎる難民受け入れ方針が総選挙での事実上の「敗北」につながったという思いがあるだけに、受け入れを制限する方針は譲れなかった。
・マクロン仏大統領が提案するユーロ共通予算、ユーロ財務省などユーロ改革での食い違いは鮮明だった。とくに自民党はマクロン流の財政統合に強く反発した。EU統合を推し進める立場の緑の党との差はぬぐいがたいものがあった。しびれを切らした自民党のリントナー党首が「誤った統治をするくらいなら統治しない方がよい」と連立協議からの離脱を表明して「ジャマイカ連立」協議は決裂した。メルケル首相も科学者らしく「共通の解」はみつけられなかったと決裂を認めざるをえなかった。
▽避けられぬドイツの政治空白
・連立協議の決裂を受けて、ドイツの政治は連立の再協議か少数与党か再選挙かの選択を迫られることになるが、どのシナリオになるにしろ政治空白の長期化は避けられない。 社民党出身のシュタインマイヤー大統領は、各党に連立協議を呼び掛けたが、連立の再協議は極めてむずかしいだろう。まず、総選挙で台頭した極右「ドイツのための選択肢」(AfD)と旧東独共産党の流れをくむ左派党は連立相手にはなりえない。これまでの大連立の結果、支持を大幅に失った社民党のシュルツ党首は改めて「大連立はありえない」と強調している。いったん決裂したジャマイカ連立協議を再びテーブルにのせるのも不可能だろう。
・そこで、少数与党による政権運営が浮上することになる。それは安定した戦後のドイツ政治では経験したことのない道である。重要政策の決定は、野党の手に握られ、政権の基盤は大幅に弱体化することになる。  メルケル首相自身、「少数与党になるくらいなら、再選挙を」と述べているが、再選挙しても、メルケル陣営が勝利する保証はない。それどころか極右勢力のさらなる伸長に手を貸す結果にもなりかねない。だいいち、再選挙という事態になれば、メルケル首相に変わる「選挙の顔」を求める政治的動きが表面化し、突如、メルケル時代に終止符が打たれる恐れもある。
・メルケル首相はまさに「袋小路」に追い込まれたわけだが、数々の修羅場を経験してきた「政治巧者」が危機打開への切り札を打ち出せるかが試される。
▽独仏主導のEU再生に影
・ドイツのジャマイカ連立協議の決裂に、真っ先に懸念を表明したのは、マクロン仏大統領だった。EUの若き指導者は、外交を中心に存在感を発揮しているが、財政赤字削減や労働市場改革など痛みを伴う改革で内政では支持を弱めつつある。こうした改革を進めるためにも、メルケル首相との独仏連携は重要になる。それだけに、ドイツ政治の混迷はマクロン大統領にとっても大きな痛手である。
・とくに、マクロン大統領が当初から掲げてきた財政統合などユーロ改革が身動きを取れなくなる事態も予想される。ドイツの連立協議を自民党が離脱した背景には、マクロン大統領のユーロ改革路線への反発があったとみられるだけに、ドイツ政治混迷の影響は避けられないだろう。
・ユンケル欧州委員会委員長はマクロン仏大統領の登場で「EUに追い風が吹いている」と楽観論を展開したが、ドイツの政治空白が長引き、肝心の独仏連携に支障が生じれば、EU統合は再び「逆風」に見舞われることになりかねない。
▽欧州に亀裂は広がるか
・メルケル与党が事実上「敗北」した総選挙を分析すれば、そこには欧州に広がる亀裂がみてとれる。メルケル首相自身が育った旧東独で極右の台頭を許したのは、かならずしも経済からではない。ドイツ経済を筆頭にユーロ経済は好調を持続している。そこにあったのは、何とはなしの疎外感や「昔はよかった」という感情だったと専門家はみる。「そうした感情が高齢化社会でさらに広がった」とドイツ銀行のチーフ・エコノミスト、ステファン・シュナイダー氏は分析する。
・そうした「感情」がEU内の旧東側諸国に広がれば、まさに冷戦時代への逆戻りである。EUはユーロ危機で「南北対立」が鮮明になったが、難民危機などをめぐって、こんどは「東西対立」が鮮明になる恐れがある。それは、EUの「小さな亀裂」にとどまるか「深い分断」につながるか注視しなければならないだろう。
▽BREXIT交渉に影響必至
・メルケル独首相が窮地に陥ったことは、ただでさえ国内基盤が弱いメイ英政権のEU離脱交渉にも大きな影響を与えるだろう。EU離脱交渉は英国の「清算金」など入口で話し合いは頓挫し、移行期間の設定や離脱後の通商協定などの協議に入れない状況だ。メイ政権は、政権内で強硬派のジョンソン外相とソフト離脱派のハモンド財務相の不一致があるうえに、相次ぐ閣僚辞任で政治基盤の劣化が目立っている。このままでは、英政権としての提案を固め切れず、2019年3月の交渉期限には、何も決まらない「サドンデス離脱」さえ予想されている。
・メイ首相の唯一の「救い」は、表向きは「英国の良いとこ取りは許さない」と言いながら、経済関係への配慮から柔軟姿勢ものぞかせるメルケル首相だったといえる。メイ首相にすれば、12月のEU首脳会議で打開の道をみつけ出したいところだったが、肝心のメルケル首相が窮地に陥っているなかでは、頼みにはしにくだろう。英国の将来を決めるBREXITはドイツ政治の空白に揺さぶられることになりかねない。
▽混迷世界に波紋
・メルケル独首相が窮地に陥ったことは、「米国第一主義」を掲げるトランプ大統領の登場で混迷する世界に、さらなる波乱をもたらしかねない。トランプ大統領以外にも世界には、習近平中国国家主席、プーチン・ロシア大統領、エルドアン・トルコ大統領ら強権政治家が目立つなかで、メルケル首相は自由と民主主義という基本理念とともに持ち前の寛大な思想にもとづいて「世界のアンカー役」として長く国際社会の信認を集めてきた。
・自由貿易の推進や地球温暖化防止など、国際システムの再構築が求められているだけに、その役割はさらに高まるとみられてきた。マクロン仏大統領との連携による独仏連携はEU再生だけでなく、国際システムの再建に主導的役割を期待されてきた。それだけに、メルケル首相が窮地を脱することができなければ、その痛手は大きい。 「鉄の女」を超えたメルケル首相の土壇場での底力と、それを受け入れるドイツ政治の成熟度に期待するしかない。
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/16/071400054/112100045/?P=1

次に、在ドイツのジャーナリストの熊谷 徹氏が1月26日付け日経ビジネスオンラインに寄稿した「「敗者の大連立政権」は有権者をさらに失望させる」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・ドイツでは2017年9月の連邦議会選挙以来、政府が存在しない異例の空白状態が4カ月間も続いているが、ようやく混乱が収まる兆しが現れた。
▽SPD、大連立本格交渉への参加を決定
・1月21日に社会民主党(SPD)がボンで開いた臨時党大会で、代議員の過半数が、キリスト教民主同盟(CDU)、キリスト教社会同盟(CSU)との大連立をめざし本格交渉に入ることを承認した。党大会で厳しい表情を崩さなかったマルティン・シュルツ党首は、投票結果が明らかになると、隣に座っていた、アンドレア・ナーレス連邦議会・院内総務と抱き合って、喜びを全身で表現した。
・この決議によって、CDU・CSUとSPDは連立協定書の調印をめざして本格的な交渉に入る。今年春にメルケル氏が率いる大連立政権が再び誕生することは、ほぼ確実になった。
▽SPDを分断する大きな亀裂
・だがシュルツ党首は、極めて薄い氷の上を歩いていた。SPDの見解は一枚岩ではなく、大きく二分されている。そのことは、大連立への交渉入りに賛成した代議員の比率が56%にとどまり、44%が反対したことに表われている。SPDが割れている原因は、シュルツ党首自身にある。彼は、ドイツの政治史上でも珍しい右往左往を演じたために、党内で批判の矢面に立たされている。
・2017年9月の連邦議会選挙で、彼が率いるSPDの得票率は、約20%という史上最低の水準に落ち込んだ。このためシュルツ党首は、開票結果が判明した直後に「SPDは野党席に戻り、党を改革する。政権に加わることはない」と宣言した。 彼は、SPDが大連立政権に参加しCDU・CSUと政策が似通ってしまったことが、選挙の敗因と考えたのだ。彼は野党席に戻り、党を改革し、CDU・CSUとの違いを際立たせることをめざした。だが多くの政治家は、「この発言は時期尚早ではないか」と感じていた。
・SPDの下野宣言によってメルケル首相は、自由民主党(FDP)、緑の党と連立しなくては議会で過半数を確保できなくなった。だがFDPと緑の党はエネルギー政策や増税をめぐって鋭く対立。FDPは「メルケル首相は緑の党の肩を持ちすぎる」と不満を爆発させて、連立交渉から離脱してしまった。メルケル首相が「FDPと緑の党が激しく対立しても、最後は国益を考えて折り合うだろう」と考えたのは、大きな誤算だった。連邦議会選挙後に、各党が連立に失敗したのは初めてのことである。
▽シュルツ党首の朝令暮改
・フランスなど周辺諸国では、EUのリーダー的な立場にあるドイツで政府不在状態が長期化することについて、不満の声が高まった。このためSPDに属するフランク・ヴァルター・シュタインマイヤー連邦大統領が、シュルツ党首に翻意を促した。シュルツ党首は、4党連立交渉が決裂した直後にも「政権に加わることはない」と発言していたにもかかわらず、大統領との会談後に「下野宣言」を撤回して、CDU・CSUとの大連立に前向きな姿勢を打ち出した。
・この方向転換は、SPDの改革をめざしていた党員たちを唖然とさせた。シュルツ党首の翻意について、SPDの若い党員たちは「度重なる路線の転換は、SPDの信用をさらに落とす」として強い反対意見を表明した。特にSPDの地方支部では、大連立を拒絶する声が強まった。
・もしも臨時党大会で代議員たちの過半数が大連立への交渉入りを拒否していたら、ドイツは再び連邦議会選挙をやり直すしかなかった。メルケル首相は、「少数与党政権は機能しない」という立場を取っているからだ。大連立が否決された場合、シュルツ党首も辞任せざるを得ず、SPDは新たな党首を選ばなくてはならない。
・再選挙となると、ドイツの政治空白はさらに長期化する。新政権が誕生するのは、今年の夏以降になっていたかもしれない。また、再選挙を行った場合、SPDの優柔不断な態度に失望する有権者が増えて、極右政党「ドイツのための選択肢(AfD)」の得票率がさらに増えるかもしれない。多くの報道関係者は、「再選挙を行ったら、SPDの得票率は20%台を割る」と予想していた。
・大連立への交渉入りに賛成した党員たちは、「再選挙を行って国民からさらに厳しい審判を受けるよりは、シュルツ党首の右往左往に目をつむって、一刻も早く新政府を樹立させよう」と考えたのだ。
▽メルケル首相に「子ども扱い」されるSPD
・SPDの党大会に先立つ1月12日、CDU・CSUとSPDの代表たちは、大連立政権に向けて、政策のアウトラインに合意し、全28ページの概要を発表した。だがSPDは、この準備交渉の中でも大幅な譲歩を余儀なくされていた。 たとえばSPDは、準備交渉に入る前に「民間健康保険を廃止して、全ての市民が加入する『市民保険』を創設することによって、医療サービスの平等化をめざす」と要求していたが、合意書には「市民保険」の言葉はなく、企業と被雇用者の公的健康保険の保険料負担を同じにするという変更案に留まった。
・またSPDは、所得格差を小さくするために、富裕層の所得税負担増と、低所得層に対する減税をめざしていたが、「好景気で税収が増え、財政黒字が拡大している時期に、増税を実施するのはおかしい」とするCDU・CSUに押し切られた。つまり、メルケル首相はすでに、SPDを「子ども扱い」し始めているのだ。
・今後CDU・CSUとSPDは、連立協定書を作るための本格交渉を開始する。連立協定書には、準備交渉の合意書には盛り込まれなかったディテールが加えられるので、その分量は通常180ページ前後になる。  SPDの代議員たちは、党大会で交渉入りを決議する際に、執行部に対して「連立協定書に関する本格交渉では、①民間健保と公的健保の間の医療サービスの格差是正、②期限付きの雇用契約書の制限(ドイツの雇用契約書は通常、無期限だが、一部の企業が期限付きの雇用契約書を使っている。SPDはこうした動きを法的に制限することをめざしている)、③難民がドイツに家族を呼び寄せる際の条件緩和の3点について、我が党の主張を認めさせる」ことを義務付けた。
・シュルツ党首は、「大連立政権の政策内容についての本格的な討議はこれからだ」と息巻いているが、CDU・CSU側は、「準備交渉での合意内容を超える内容は受け入れられない」と釘を刺している。 メルケル首相は、SPD党大会という重要なハードルを乗り越えた今、「一刻も早く、正式に機能する政府を作る」ことを最大の目標として交渉に臨むだろう。SPD執行部は、連立協定書をめぐる交渉で、「CDU・CSUと激しく戦っている」ふりはするだろうが、FDPのように連立交渉から撤退する可能性は低い。いくつかの譲歩をCDU・CSUから引き出せれば、連立協定書に調印し、3月には新政府誕生という運びになるだろう。
・だが、有権者から見れば「難民政策などに対する不満から厳しく罰したCDU・CSUとSPDが、またもや政権に返り咲く」ことになる。有権者は、政治不信を深めるに違いない。
▽AfDがSPDに肉迫
・実際、多くの国民がSPDに見切りをつけ始めている。1月23日にドイツの世論調査機関Insaが発表したアンケート結果によると、SPDへの支持率は、昨年9月の連邦議会選挙での得票率よりも2ポイント下がり、18%になった。逆に極右政党「ドイツのための選択肢(AfD)」への支持率は、2ポイント増えて14%に達し、SPDとの差は4%に縮まった。
・ドイツの報道機関は、AfD幹部らによる人種差別的な発言や、ネオナチを思わせる失言の数々について毎週のように報じているのだが、同党への支持率にはほとんど影響を及ぼしていない。これは、AfD幹部の過激な発言について、有権者が不感症になりつつあることを示している。
・大連立政権が誕生し、SPDが野党席に戻らないことが決まると、AfDは連邦議会で「筆頭野党」の座を占める。1月23日には、AfDの議員が、連邦議会の予算委員会と法務委員会の委員長に就任することが決まった。このようにして、極右政党が着々と中央政界に根を下ろしていく。ドイツに外国人として住んでいる筆者にとっては、気味の悪い傾向だ。
・今年3月に新しい大連立政権が誕生しても、伝統的な政党が有権者の信頼を回復するのは極めて困難であろう。筆者は、昨年9月から続く政局の迷走が、有権者の不満を高める方向に作用し、AfDへの支持率を今後さらに押し上げると予想している。フランスの国民戦線(FN)のように、20%前後に到達するかもしれない。ドイツの民主的勢力にとっては、厳しい時代が訪れた。
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/219486/012400037/?P=1

第一の記事で、 『社民党のシュルツ党首は改めて「大連立はありえない」と強調している。いったん決裂したジャマイカ連立協議を再びテーブルにのせるのも不可能だろう』、については、その後、連立協議入りを党大会で決議し、現在、協議中である(第二の記事)。 『メルケル首相自身が育った旧東独で極右の台頭を許したのは、かならずしも経済からではない。ドイツ経済を筆頭にユーロ経済は好調を持続している。そこにあったのは、何とはなしの疎外感や「昔はよかった」という感情だったと専門家はみる』、というのは、政治は一筋縄ではいかないことを物語っている。 ドイツ政治の混乱で、 『独仏主導のEU再生に影』、 『EUはユーロ危機で「南北対立」が鮮明になったが、難民危機などをめぐって、こんどは「東西対立」が鮮明になる恐れがある』、  『BREXIT交渉に影響必至』、 『混迷世界に波紋』、など影響は全世界的で深刻なようだ。
第二の記事で、SPDについて、 『シュルツ党首の朝令暮改』、 『メルケル首相に「子ども扱い」されるSPD』、など何とも頼りない限りだ。 『今年3月に新しい大連立政権が誕生しても、伝統的な政党が有権者の信頼を回復するのは極めて困難であろう。筆者は、昨年9月から続く政局の迷走が、有権者の不満を高める方向に作用し、AfDへの支持率を今後さらに押し上げると予想している。フランスの国民戦線(FN)のように、20%前後に到達するかもしれない。ドイツの民主的勢力にとっては、厳しい時代が訪れた』、というのは本当に困った事態だ。
タグ:ドイツ 日経ビジネスオンライン 岡部 直明 熊谷 徹 (その2)(メルケル独首相の窮地で揺らぐ欧州と世界、「敗者の大連立政権」は有権者をさらに失望させる) 「メルケル独首相の窮地で揺らぐ欧州と世界 ジャマイカ連立協議決裂」 ・ドイツの総選挙 与党キリスト教民主・社会同盟(CDU・CSU)と自由民主党(FDP)と緑の党による連立協議は決裂 ドイツの政治空白が長期化するのは避けられない 避けられぬドイツの政治空白 「ジャマイカ連立」協議は決裂 独仏主導のEU再生に影 メルケル首相自身が育った旧東独で極右の台頭を許したのは、かならずしも経済からではない。ドイツ経済を筆頭にユーロ経済は好調を持続している。そこにあったのは、何とはなしの疎外感や「昔はよかった」という感情だったと専門家はみる BREXIT交渉に影響必至 混迷世界に波紋 メルケル首相は自由と民主主義という基本理念とともに持ち前の寛大な思想にもとづいて「世界のアンカー役」として長く国際社会の信認を集めてきた 「「敗者の大連立政権」は有権者をさらに失望させる」 SPD、大連立本格交渉への参加を決定 SPDを分断する大きな亀裂 シュルツ党首の朝令暮改 メルケル首相に「子ども扱い」されるSPD AfDがSPDに肉迫 今年3月に新しい大連立政権が誕生しても、伝統的な政党が有権者の信頼を回復するのは極めて困難であろう。筆者は、昨年9月から続く政局の迷走が、有権者の不満を高める方向に作用し、AfDへの支持率を今後さらに押し上げると予想している
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金融関連の詐欺的事件(その2)(「悪質クラウドファンディング」の見抜き方 「そらゆめ」破綻に学ぶ要注意ポイント、昭和HD・ウェッジHD・Jトラスト、振り込め詐欺が形を変えて拡大中 「ピンポン詐欺」の極悪手口) [金融]

金融関連の詐欺的事件については、2016年8月7日に取上げた。久しぶりの今日は、(その2)(「悪質クラウドファンディング」の見抜き方 「そらゆめ」破綻に学ぶ要注意ポイント、昭和HD・ウェッジHD・Jトラスト、振り込め詐欺が形を変えて拡大中 「ピンポン詐欺」の極悪手口)である。

先ずは、弁護士の荘司 雅彦氏が昨年8月5日付け現代ビジネスに寄稿した「お金を払って大丈夫? 「悪質クラウドファンディング」の見抜き方 「そらゆめ」破綻に学ぶ要注意ポイント」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・夢のあるプロジェクトに、みんなで少しずつ資金を出して、成功に導く「クラウドファンディング」。うまくいけば、これまで世の中になかったおもしろい商品が手に入る――。 気軽に参加でき、心も躍る新しいサービスとして急速に広がる一方、そのリスクはまだまだ知られていない。今年破綻した「そらゆめ」の例から、クラウドファンディングとの付き合い方を弁護士の荘司雅彦氏が解説する。
▽「クラウドファンディング破綻」の衝撃
・モバイル向けゲームコンテンツの企画・開発を手がけ、人気ゲーム「ひぐらしうみねこカードバトル」などを提供していることで知られる「株式会社そらゆめ」が倒産し、破産手続き開始決定受けていることが話題になっています。 そらゆめHP破綻した「そらゆめ」のHP(現在は削除)。トップ画面の目立つ場所にクラウドファンディングへのリンクが張られていた
・負債総額2億4100万円と、決して大規模倒産でもなければ、一般的な有名企業でもない企業の倒産が注目を集めている理由は、同社が「CROSSクラウドファンディング」というクラウドファンディングのプラットフォームを運営しており、同プラットフォームも破綻してしまった点にあります。
・そもそも、クラウドファンディングとはどのようなものなのでしょうか? あらたまって言えば、クラウドファンディングとは「ある目的を持った事業法人や個人に対し、インターネット上のプラットフォームを使用して、不特定多数の出資者が集まって資金提供を行うこと」を指します。 このように定義されてもピンとこない方もたくさんいると思われますので、参考として、大手のプラットフォームであるレディーフォー(READYFOR)のサイトを見てみましょう(外部リンク:別ウィンドウが開きます→https://readyfor.jp/)。
・同サイトには、様々なプロジェクトが紹介されており、「支援総額」「残り日数」そして「達成率」が表示されています。 これら、クラウドファンディングのプロジェクトは、大きく分けて「寄付型」「購入型」「金融型」の3種類があり、金融型の中には「貸付型」「ファンド型」「株式型」があります。
・「寄付型」というのは、災害援助のために寄付や事業や人を応援するためにネット上で多数の人々から広く寄付を募るもので、原則として対価としての見返りはありません(「ふるさと納税」のように返礼品がもらえるケースもありますが……)。
▽「そらゆめ」破綻の混乱が大きかった理由
・今回倒産した「株式会社そらゆめ」の運営するプラットフォーム「CROSSクラウドファンディング」は、集まった資金の対価として商品を提供する「購入型」クラウドファンディングのプラットフォームでした。 通常、こうした購入型プラットフォームでは、先にご紹介したレディフォーのように、プラットフォームと実際にプロジェクトを遂行するのは別会社で、個々のプロジェクト遂行者がプラットフォーム側の審査や援助を受けながら、商品や内容がアップされます。
・そのような場合、プラットフォームの「利用規約」を見ると、プラットフォーム(先の例だとレディフォー)は、出資者とプロジェクト遂行者とをつなぐ場の提供を行っているだけで、支援者とプロジェクト遂行者との間のトラブル等の責任は負わないとされています。 ですから、プロジェクト遂行者の提供した商品やサービスに問題があったような場合は、支援者とプロジェクト遂行者の間で解決することになります。
・ところが、「株式会社そらゆめ」は、プロジェクト遂行者でありながら自らプラットフォームを運営していたという点が大きな問題に発展したのです。
▽働かなかったチェック機能
・プラットフォーム運営会社だけが破綻して、プロジェクト遂行者に問題なければ、支援者としてはプロジェクト遂行者に対してプロジェクトの遂行を直接要求することができます。 仮に、プロジェクト遂行者がプラットフォーム運営会社から支援金(正確には支援金からプラットフォーム運営会社の手数料を差し引いた金額)を受領していなくとも、それはあくまでプロジェクト遂行者とプラットフォームの内部関係なので、支援者に対して「お金を受け取っていないので商品やサービスは提供できない」と言うことはできません。 逆に言えば、資金を出す支援者は、プラットフォームが破綻してしまっても、入れた資金に見合う商品やサービスを受け取る権利があるわけです。
・一方、プロジェクト遂行者が破綻してしまったような場合は、プラットフォームの「利用規約」にあるように、プラットフォーム運営会社は責任を負わないので支援者が損失を被ります。 支援者のなかには、「自分がお金を出したのはプラットフォームを通じてだし、プラットフォームがきちんと審査しているからなにかあったら責任を持ってくれる」と思っている人もいるかも知れませんが、これは誤解ですから、注意が必要です。
・もちろん、プラットフォーム上のプロジェクト遂行者が破綻すれば、プラットフォームの信用にも関わるので、法的な責任がなくともプラットフォーム運営会社もダメージを受けることは間違いありません。 こうしたイメージダウンになる事態を避けるためもあって、通常の「購入型」クラウドファンディングでは、プラットフォーム運営会社が自らのプラットフォームの信用を維持するためにプロジェクト遂行者をサポートし、業者が信用できるかどうかを出資者に代わってモニタリングしています。お互いに緊張関係があるわけです。
・ところが「株式会社そらゆめ」の場合は、プロジェクト遂行者であると同時にプラットフォーム運営会社であったため、モニタリング機能が全く働かなかったものと考えられます。ここが大きな問題なのです。
▽リスク管理のためにチェックすべきポイントは(支援者に変わってプロジェクト遂行者をモニタリングすべき(別個の)プラットフォーム運営会社の不在が、「株式会社そらゆめ」破綻による混乱を招いたと私は推測しています。そういう意味では、本来緊張関係にあるべきプラットフォームの運営会社とプロジェクト遂行者を同一にしていた「株式会社そらゆめ」の社会的責任は重大であると考えます。
・もし、「株式会社そらゆめ」が運営していた「CROSSクラウドファンディング」のプラットフォーム上で「株式会社そらゆめ」とは別個のプロジェクト遂行者に支援した人がいたとすれば、(同プラットフォームの「利用規約」の内容にもよりますが)プロジェクト遂行者に直接商品やサービスの提供を請求できる可能性があるので、プロジェクト遂行者に直接連絡してみて下さい。先述したように「代金を受け取っていない」という理由で商品やサービスの提供を拒否することはできません。
・以上のように、クラウドファンディングは日本ではまだまだ新しいシステムなので、リスクをしっかり認識しながら利用する必要があります。 まず、プラットフォーム運営会社とプロジェクト遂行者が別個であることを確認したほうがいいのは言うまでもありません。そして、プラットフォーム運営会社の評価や過去の実績だけでなく、プロジェクト遂行者が、きちんと正式名称や住所を記載しているか、独自のHPがどうなっているかなどもしっかり確認すべきでしょう。
・また、とりわけ「購入型」のクラウドファンディングには、「プロジェクトをネット上に公開したとき、多くの人々の支援を受けることができるか」をスクリーニングする機能があるということも忘れてはなりません。「そんな商品あったらいいな」と感じる人がたくさんいることによって、プロジェクトは成功に導かれるのです。
・ところが、時として、プロジェクト遂行者やその関係者が、多くの支援が集まっていないにもかかわらず、支援金の達成率を意図的に上げてみせていることもあります。本当に多くの人が応援しているプロジェクトなのか、支援人数もチェックすることをお忘れなく。
・「購入型」というのは、制作された商品などを資金提供者が対価として得られるもので、”対価契約”であるという点で「寄付型」と大きく異なります。
・「金融型」は、ネット上で広く集めた資金をスタートアップ企業等に貸し付けるものや、集めた資金を同じようなスタートアップ企業等に株式として出資するものであり、銀行等金融機関の業務に近い性格を有しています。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/52338

次に、闇株新聞が昨年10月25日付けで掲載した「昭和HD・ウェッジHD・Jトラスト」を紹介しよう。
・また連想ゲームですが、表題を見てピンときた読者の方も多いはずです。すべてタイを本拠にあきれるような悪事を繰り返している日本の投資家グループが関わっています。 本誌はいつも「経済事件は悪質な順番に刑事事件化するわけではない」と書きますが、実際にあきれるほどの悪事が繰り返されても全く刑事事件化しないケースや、逆に何でこんなところを大騒ぎして刑事事件化するのかと不思議に思うケースもあります。
・東芝の不正経理のように国策上の背景があるとか、裁判で万が一でも無罪になり輝かしい連勝(有罪)記録が途絶えてしまう恐れがあるとか、背後に戦いたくない巨大勢力が潜んでいるなどの理由で刑事事件化が見送られることがあります。それはそれで(決して容認はできませんが)全く理解できないわけでもありません。
・ところがこれから書く昭和HDの架空増資事件は、少なくとも上記理由がどれも当てはまらないながら刑事事件化が見送られた(本誌が選ぶ)奇怪なケースのチャンピオンです。 もう時効になってしまいましたが、2008年6月27日に払い込まれた昭和HDの約12億円の第三者割当増資において、引き受けた投資家グループが直後にその払込金だけでなく昭和HDにあった資金も合わせて27億円も還流させた「レバレッジ型の架空増資」となりました。
・さすがに証券取引等監視委員会が2010年6月8日に強制捜査に踏み切りましたが、典型的な架空増資であり無罪になるはずがなく、関係者を国策上の理由で守る理由もなく、背後に巨大組織が潜んでいるとも思えない(ごく小さい勢力しか出てきません)にもかかわらず、刑事事件化(刑事告発)が見送られてしまいました。
・その増資払い込み直後に昭和HDの取締役会も支配していた投資家グループおよびその関係者は、まんまと逃げきってしまいました。さらに「不法な捜査令状によるいわれなき強制捜査によって被った損害の賠償を求める」として1億1000万円の国家賠償請求裁判まで起こしていました。
・徹底的にコケにされた証券取引等監視委員会は2013年11月になって、この投資家グループを率いる此下益司氏に対し、同じく支配しているウェッジHDの株式に係る偽計について40億円余の課徴金納付を発するよう金融庁長官に勧告しています。 しかしもともとタイを本拠にする此下氏は、課徴金が40億円でも400億円でも1円も支払うつもりがなく、意味がない行政処分であり、実際に悠然と逃げ切ったままです。
・そもそもウェッジHDの株式に係る偽計なら、完全にコケにされた証券取引等監視委員会や東京地検特捜部が「最も得意とする金融商品取引法違反」であるはずで、そこで改めて刑事事件化(刑事告発)すればよかったはずですが、なぜか耐え忍んだままでした。
・その後もこの投資家グループはタイなど東南アジアにある関係会社、昭和HD、ウェッジHD(2011年に昭和HDの子会社となっていますが上場は維持したままです)などを舞台に「怪しげな錬金術」を繰り返していたはずで、2015年頃からJトラストとの関係を深めていったようです。
・本誌は、Jトラストについては2013年夏頃の巨額ライツイシューを集中的に取り上げましたが、その後はほとんど見ていませんでした。また昭和HDとウェッジHDを巡るこの投資家グループについても「憤るだけ無駄」と考えて無視したままでした。
・そこでやっと最近の話題となりますが、そのJトラストが10月17日に「当社株価下落の要因について」なるニュースリリースを公表しています。 確かにJトラストの株価は10月16日に急落しており、その前日の1037円が867円となっていました。本日(10月24日)も838円と続落しています。要はその理由がこの投資家グループを率いる此下益司氏が、タイの証券取引委員会から偽計および不正取引の疑いで捜査対象となっており、Jトラストが出資しているタイの合弁会社の株式がタイ証券取引所において取引停止となったからと書かれています。
・そこではJトラストの予想損失は一部しか公表されていませんが、2015年の取引開始時点で3000万ドル(34億円)のグループ会社転換社債を引き受けたはずで、現時点ではもっと膨らんでいる可能性があります。 まあどう見てもJトラストが此下益司氏の「うまそうな話」に引っかかっただけですが、もし此下氏およびそのグループがタイにおいて刑事事件となるなら(もっと正確に言うともみ消すだけの政治力と資金力が此下氏に残っているかですが)、Jトラストだけでなく昭和HDとウェッジHDとの資金関係も洗われることになるはずです。
・普通ならタイ当局から日本の証券取引等監視委員会あるいは検察庁に協力要請がくるはずですが、そこでも腰が引けた対応でタイだけの刑事事件で終わってしまわないことを期待しています。
http://yamikabu.blog136.fc2.com/blog-entry-2110.html

第三に、1月10日付けダイヤモンド・オンライン「振り込め詐欺が形を変えて拡大中、「ピンポン詐欺」の極悪手口」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・拡大の一途を遂げていた「振り込め詐欺」が2014年をピークに件数、被害額ともに減少している。しかし、決して高齢者を狙った詐欺が減っているわけではない。形を変えて生き続けているのだ。DOL特集「地下経済の深淵」3回目は、高齢者をターゲットにした詐欺の現状について取り上げる。(ダイヤモンド・オンライン編集部「地下経済問題取材班」)
▽振り込め詐欺の件数は減少でも “もしもし”から“ピンポン”へ
・「手口はどんどん巧妙化し、被害が後を絶たない」と喧伝される「振り込め詐欺」。しかしその実態は、近年、減少傾向にあることはあまり知られていない。 警視庁生活安全課によれば、振り込め詐欺の被害総額は、2014年をピークに3年連続で減少中であり、昨年上半期のデータでは1件あたりの被害額も約220万円と前年を100万円以上も下回っている。
・その反面、東京、千葉、神奈川、兵庫、福岡などの一部の大都市圏では認知件数・被害額のいずれも増加しており、都市集中傾向が顕著になってきていることも指摘されている。 しかし今、そうしたデータとは異なり、郊外を中心に“詐欺まがい”のビジネスが広がりつつある。しかも、一見それとわからない、元振り込め詐欺チームによる限りなくグレーなビジネスが…。
・「“もしもし”はもう終わり。今は“ピンポン”だよ」 振り込め詐欺を“もしもし”と隠語で呼ぶのは、パリッとした紺のスーツ姿の30代後半の男性A氏だ。彼は、かつて部下10名を率いていた、振り込め詐欺の「かけ子」チームのトップだった人物だ。
▽リフォーム詐欺を入り口に相続や遺産整理で数百万円請求
・だが、現在はビジネスルックに身をつつみ、バッグから何枚もの名刺を取り出した。テーブルに並ぶ肩書きは、リフォーム会社、遺品整理業務、終活コンサルティングなどなど。これらはグループ会社の名刺ではなく、それぞれ別の会社の名前が記されていた。 「リフォーム会社以外は、ぶっちゃけペーパーカンパニー。“もしもし”の時と同じように10人くらいでやっているんだけど、従業員もみんな同じように何枚も別の名刺を持っている。“劇場型”でやるためにね」 
・日頃、A氏のグループが活動を行うのは、一戸建てが立ち並ぶ郊外の住宅街。築浅物件の前を足早に通り過ぎ、築数十年は経っているような、いかにもくたびれた一戸建てのインターフォンを押す。 「お家の中を見せていただけませんか?」 リフォーム業者として、屋根裏など家の中を調査をし、「土台が腐っている」「耐震補強をしないと東海沖地震で全壊する」などと家主に信じ込ませて工事を行う、いわゆる「リフォーム詐欺」の手口だ。
・だが、A氏たちの本当の目的はそこにはないのだという。 「俺たちは、むしろリフォームはただの“入り口”っていう考え。リフォームでだまされやすい人間だと分かったら、今度は遺品コンサルティングの名刺を持った人間がインターフォンを押して、『終活をしませんか?』って生前整理の営業をかける。宝石や希少品なんかを買い叩いて、裏で高額で流したりもするし、遺品だけじゃなくて土地とか遺産の整理なんかも勧めるね」  彼らは、「死後の相続トラブルの防止になるし、相続税が安くなる」と高齢者を丸め込み、「相続税の申告」や「遺産整理費用」として数百万円を請求するという。
▽高齢者からむしり取った後 さらにリバースモーゲージを提案
・彼らが悪質なのは、こういった詐欺まがいのビジネスを、振り込め詐欺のスキームを応用して行なっているということだ。A氏自ら「単純に電話がインターフォンに変わっただけ」と言うように、「かけ子」と呼ばれていたメンバーが営業マンとなり、“劇場型”で様々な業者が次々と高齢者をたたみかけて洗脳し、ハンコを押させる。
・「ターゲットは、振り込め詐欺と一緒で独居老人。とにかく懐に入り込むことが大事で、茶飲み友達でもなんでもいいから仲良くなる。孫と同じ年頃で困ったふりをする“泣きつき型”が得意なやつもいるけど、そうしたテクニックも振り込め詐欺のまんまなんだよね」 給与形態も、振り込め詐欺と同じく完全出来高制で支払われ、1000万円プレーヤーも少なくないという。
・「今立ち上げようとしている事業は、タケノコの皮を剥ぐようにむしり取った結果、カネがなくなった高齢者にリバースモーゲージを提案するビジネス。つまり、“年金”をエサに、家まで奪い取って荒稼ぎしているビジネスさ。これがはやっているんだよ」
・リバースモーゲージとは、自宅(持ち家)を担保にして、住み続けながらまるで年金のように、金融機関から毎月融資を受けられるシニア層向けの制度。死亡後は自宅を売却して、その代金を融資の返済に充てるという仕組みになっているのだが…。
・「リバースモーゲージは、公的な機関やメガバンクでも扱っているから、高齢者を信用させやすい。特に郊外には空き家が増えてきているし、今が狙い目ですね」 そう語るのは、40代のB氏。彼もかつて、振り込め詐欺グループの一員だったが、1年ほど前にリバースモーゲージ業に“転職”した。
・「僕がやっていた振り込め詐欺は、未公開株などの投資系(「上場すれば値上がり確実」などと偽って株券を売りつけ、配当を渡さずに姿を消す詐欺)だったんですが、リバースモーゲージも手口は同じなんです。“劇場型”で、仲間たちが違う信託会社の名義で次々に老人宅に訪問し、『ウチならもっと高い融資が受けられますよ』って営業をかけて、その気になっているうちに契約を交わしてしまうんです」
・だが、ここがまたあくどい。交わす契約書の内容は、不動産を担保にするのではなく、所有権を移転させる売買契約。つまり、気づかないうちに家は不動産業者に売却され、他人の手に渡ってしまうのだという。「月々の年金?怪しまれないように最初のうちは払うけど、半年も経たずに止めますね。その頃には、僕らも会社ごと逃げていますし」
・B氏のグループは不動産関係に明るく、「原野商法」の二次ビジネスのようなものまで手掛けている。 原野商法とは、無価値に等しい土地、つまり原野を「開発されるから確実に値上がりする」と偽って、高額で売りつけるビジネス。80年代に流行し、社会問題になったことを覚えている読者も少なくないかもしれない。
・「当時の被害者で、そのまま泣き寝入りした高齢者が多いんです。過去に原野商法の被害に遭った消費者のリストから、『放っておいてある土地に、中国人向けのリゾート施設が開発されるから高く売れますよ』って営業をかけて、測量サービスや新しい土地の購入をさせて費用を請求する。つまり、原野商法の“おかわり”というわけです」
・“おかわり”もまた、振り込め詐欺の業界用語だ。投資系の詐欺で、一度被害に遭った客にさらに投資話を持ちかけ、失った分を取り返そうと躍起になる心理に付け込む行為を指す。 「そういうタイプは、詐欺をやっていたときの経験でピンとくるんです。結果、三次被害、四次被害まで“おかわり”して、億単位でむしり取られた客もいます」
▽郊外型の詐欺が拡大の背景に詐欺集団の「中年化」
・振り込め詐欺に代わって広がりつつある郊外型の「ピンポン詐欺」。その背景の一つには、詐欺集団の「中年化」がある。 振り込め詐欺は2000年代初頭から流行し、若者層を中心に手を染める者が増えたが、第一世代は現在すでに30代後半から40代。詐欺犯といえども普段は一般人のように過ごし、家庭を築いている人間も少なくない。
・前出のA氏も30代後半になり、「振り込め詐欺時代より収入は減ったけど、リスクを取りたくないから“ピンポン”をやっている」と語る。 「リフォームも、遺品整理もグレーなビジネスだけど、訴えられなければ詐欺じゃないし、逮捕される可能性も少ない。振り込め詐欺は刑が重くなって1回捕まると10年以上のロング(長期刑)が確実。刑務所を出たら50歳近くになるわけで、さすがにそこから人生やり直せないからね」
・逆に、振り込め詐欺時代より年収がアップしたというB氏は、4年前に詐欺業界から足を洗った過去があるという。詐欺時代に貯めた資金で飲食関係の会社を立ち上げたが、2年で倒産。結局また詐欺業界に舞い戻ってきた。 「詐欺からホワイトの事業を立ち上げて成功した人間なんて、ほんの一部だと思いますよ。僕の場合もそうだけど、みんな楽して稼ぐのが染み付いちゃってるから、うまくいかないんです。かといって、今さらサラリーマンになれるわけでもないし、ヤクザなんてもっと務まらない。自分にやれることを考えたら、高齢者相手の似たようなビジネスしか思い当たらないんです」
・さながら、セカンドキャリアを憂うようにB氏は語る。 高齢化する日本社会の中で生まれた、振り込め詐欺という時代の鬼っ子。手口は変われども、次から次へと新しいタイプの詐欺が生まれ、この先も完全に撲滅することは難しいだろう。高齢化率は、今後30年で現在の20%から40%にまで達すると予想されているが、もしかしたら「高齢者が高齢者をだます」ような時代が将来やってくるのかもしれない。
http://diamond.jp/articles/-/155230

第一の記事で、 『通常の「購入型」クラウドファンディングでは、プラットフォーム運営会社が自らのプラットフォームの信用を維持するためにプロジェクト遂行者をサポートし、業者が信用できるかどうかを出資者に代わってモニタリングしています。お互いに緊張関係があるわけです。 ところが「株式会社そらゆめ」の場合は、プロジェクト遂行者であると同時にプラットフォーム運営会社であったため、モニタリング機能が全く働かなかったものと考えられます。ここが大きな問題なのです』、というのは酷い話だ。金融商品取引法の規制対象となる投資型と違って、購入型や寄付型は対象外である。購入型での上記の落とし穴には、十分に気を付けよう。
第二の記事で、 『昭和HDの架空増資事件は、少なくとも上記理由がどれも当てはまらないながら刑事事件化が見送られた(本誌が選ぶ)奇怪なケースのチャンピオンです』、というのは不思議な話だ。しかも、 『「不法な捜査令状によるいわれなき強制捜査によって被った損害の賠償を求める」として1億1000万円の国家賠償請求裁判まで起こしていました』、 『徹底的にコケにされた証券取引等監視委員会は・・・この投資家グループを率いる此下益司氏に対しウェッジHDの株式に係る偽計について40億円余の課徴金納付を発するよう金融庁長官に勧告・・・しかしもともとタイを本拠にする此下氏は・・・1円も支払うつもりがなく、意味がない行政処分であり、実際に悠然と逃げ切ったままです』、などは、当局の腰をここまで引けさせている背景に何があるのだろうか。Jトラストは、アジア圏を中心とした銀行業、保証事業、ファイナンス事業を行うグループ企業の持株会社で、第二部上場企業である。破綻した日本振興銀行の親密先だったこともある、不思議な企業だ。今回は一応、被害者側らしいが、真相はどうなのだろう。
第三の記事で、 『「“もしもし”はもう終わり。今は“ピンポン”だよ」・・・リフォーム詐欺を入り口に相続や遺産整理で数百万円請求・・・高齢者からむしり取った後 さらにリバースモーゲージを提案』、 『「そういうタイプは、詐欺をやっていたときの経験でピンとくるんです。結果、三次被害、四次被害まで“おかわり”して、億単位でむしり取られた客もいます」』、などはよくぞここまで考えつくと感心するほどの悪どさだ。ただ、リバースモーゲージで、 『交わす契約書の内容は、不動産を担保にするのではなく、所有権を移転させる売買契約』、というのは初めて聞いたが、メガバンクはまさかやらないと思うが、応じている金融機関は一体、どこなのだろうか。それにしても、こうした法の網をかいくぐるような不公正な取引が横行しているとは、世も末だ。
タグ:Jトラスト 荘司 雅彦 ダイヤモンド・オンライン 現代ビジネス クラウドファンディング 原野商法 闇株新聞 金融関連の詐欺的事件 (その2)(「悪質クラウドファンディング」の見抜き方 「そらゆめ」破綻に学ぶ要注意ポイント、昭和HD・ウェッジHD・Jトラスト、振り込め詐欺が形を変えて拡大中 「ピンポン詐欺」の極悪手口) 「お金を払って大丈夫? 「悪質クラウドファンディング」の見抜き方 「そらゆめ」破綻に学ぶ要注意ポイント」 ・モバイル向けゲームコンテンツの企画・開発 株式会社そらゆめ 倒産し、破産手続き開始決定受けている 「CROSSクラウドファンディング」というクラウドファンディングのプラットフォームを運営しており、同プラットフォームも破綻してしまった 「購入型」クラウドファンディングのプラットフォーム 、「株式会社そらゆめ」は、プロジェクト遂行者でありながら自らプラットフォームを運営していたという点が大きな問題に発展 働かなかったチェック機能 本来緊張関係にあるべきプラットフォームの運営会社とプロジェクト遂行者を同一にしていた「株式会社そらゆめ」の社会的責任は重大 「昭和HD・ウェッジHD・Jトラスト」 昭和HDの架空増資事件 少なくとも上記理由がどれも当てはまらないながら刑事事件化が見送られた(本誌が選ぶ)奇怪なケースのチャンピオンです 約12億円の第三者割当増資 昭和HDにあった資金も合わせて27億円も還流させた「レバレッジ型の架空増資」 証券取引等監視委員会が2010年6月8日に強制捜査 刑事事件化(刑事告発)が見送られてしまいました 「不法な捜査令状によるいわれなき強制捜査によって被った損害の賠償を求める」として1億1000万円の国家賠償請求裁判まで起こしていました ・徹底的にコケにされた証券取引等監視委員会 40億円余の課徴金納付を発するよう金融庁長官に勧告 タイを本拠にする此下氏は、課徴金が40億円でも400億円でも1円も支払うつもりがなく、意味がない行政処分であり、実際に悠然と逃げ切ったままです Jトラストが出資しているタイの合弁会社の株式がタイ証券取引所において取引停止 「振り込め詐欺が形を変えて拡大中、「ピンポン詐欺」 「“もしもし”はもう終わり。今は“ピンポン”だよ」 リフォーム詐欺を入り口に相続や遺産整理で数百万円請求 高齢者からむしり取った後 さらにリバースモーゲージを提案 交わす契約書の内容は、不動産を担保にするのではなく、所有権を移転させる売買契約 気づかないうちに家は不動産業者に売却され、他人の手に渡ってしまうのだという 二次ビジネス “おかわり” 三次被害、四次被害まで“おかわり”して、億単位でむしり取られた客もいます」
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教育(その13)(「自分探し」を支援するデンマークの仕組み 時に立ち止まり、学び直す選択肢が必要だ、偏差値ばかり愛する「教育後進国」の淡い末路 海外の先進国にフィンランドの事例も、世界のエリート養成機関はなぜ「哲学」を教えるのか?) [国内政治]

教育については、昨年4月23日に取上げた。今日は、(その13)(「自分探し」を支援するデンマークの仕組み 時に立ち止まり、学び直す選択肢が必要だ、偏差値ばかり愛する「教育後進国」の淡い末路 海外の先進国にフィンランドの事例も、世界のエリート養成機関はなぜ「哲学」を教えるのか?)である。

先ずは、: 博報堂ブランドデザイン副代表 / 未来教育会議の原 節子氏が昨年11月16日付け東洋経済オンラインに寄稿した「「自分探し」を支援する、デンマークの仕組み 時に立ち止まり、学び直す選択肢が必要だ」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・人生100年といわれる時代。終身雇用は過去のものとなり、定年後にもまだ長い人生が待っている。乗り切るために必要になるのは、人生やキャリアの途中でときに立ち止まり、必要に応じて柔軟に人生・キャリアを再構築することではないだろうか。
・デンマークでは、社会人と学生を行き来する中で、自分が世の中でより役に立てる仕事を求める“自分探し”“学び直し”を行う仕組みがある。 デンマークならではの学びの現場から、今回は3つの事例を紹介したい。
▽生涯にわたり、「自分発見をする場」を持つ
・現在は世界一幸せな国ともいわれるデンマークだが、かつて度重なる戦争への参加により1813年に国家財政が破綻した過去がある。その頃から「デンマークの資源は“人々の頭脳”しかない」と説き、国民の眠れる才能を開花させるために教育運動を行ったのが、宗教家、作家、そして政治家でもあったニコライ・F・S・グルントヴィだった。彼の理念から、民衆の知識と教養を高めることを目的に1844年に誕生したのがフォルケホイスコーレという独自の教育機関だ。
・フォルケホイスコーレは17.5歳以上であれば誰でも入学できる全寮制の学校で、これまでの最高齢は96歳。国内に68校ある。費用の6割強を政府が助成しているものの、教育内容は各校に任されている。芸術、スポーツ、国際問題、福祉、ジャーナリズム、食など、各校にさまざまな特徴がある。
・私たちが訪れたフォルケホイスコーレの1つ、IPC(インターナショナルピープルズカレッジ)は、コペンハーゲン市近郊の港町ヘルシンオア市にある。 IPCは“グローバルシチズンシップ”を学ぶことを理念に掲げ、世界25カ国から約70人の生徒が在籍。デンマークにあるフォルケホイスコーレの中で、唯一すべての授業を英語で行う学校でもある。
・異なる文化背景を持つ生徒たちが4~6カ月、もしくは1年間にわたり寮で共同生活をしながら、環境、政治、哲学、国際問題、音楽、スポーツなどのレッスンを週に28コマ受講する(サマースクールのみの受講も可)。授業は生徒同士の対話を重視し、多様な意見をどのように統合していくかを学んでいく。 特徴的なのは、入学試験や成績評価がないこと。ここでは他人の評価ではなく、自分自身が何を学び、それを世の中でどのように生かしていくかが重要だと考えられているからだ。
・IPCには、高校卒業後、大学入学前の1年間、「ギャップイヤー」制度を利用して通う生徒のほか、社会に出てある程度のキャリアを積んでからやってくる生徒もいる。 IPCに通う30歳のハンガリー人女性は、「自分に時間を与えて、新しいスキルと可能性を発見したいと思ってここに来た。これまでの金融業界でのキャリアを捨て、今後は教育者になるという新たな目標ができた」という。 彼女のようにキャリアを見つめ直すために入学する人もいれば、他校への通学が困難になってここに来たという生徒もいる。それもこの学校の持つ重要な役割である。
・「生徒は、人生の岐路に立ったとき、また今の生活に疑問を持ったりしたとき、少しだけ人生を休んでここにやってきます。仲間と悩みを共有し、将来について考え直し、そして巣立っていくんです」とクリスチャンセン前IPC校長は話す。 フォルケホイスコーレの仕組みを使えば、学校や仕事からいきなりドロップアウトしてしまうのではなく、一度立ち止まって、これからを考えることができる。そうした教育ラボ的な仕組みとして機能しているのだ。
▽最大の目的は学力向上ではなく「人間形成」
・次にご紹介するのはエフタスコーレ。14~17歳を対象に国内に約260校存在する、デンマーク固有の全寮制の私立学校だ。デンマークでは公立学校の8、9、10年(日本の中学2、3年、中学卒業後高校入学前のギャップイヤー)を、生徒の意思でエフタスコーレに置き換えることができる。主に8年生は人間関係の悩みなどから環境を変えたかったり、9年生、10年生は自分の進路に迷ったり、親元を離れ自立して生活してみたいという子が多く通っている。
・エフタスコーレで最も重視するのは、学力向上ではなく、子どもたちがさまざまな人と出会い多彩な経験を積むことだ。 私たちが訪れたHalstedhus Efterskoleは、乗馬とスポーツを特徴としているが、音楽や演劇など、専門技術を磨くためのエフタスコーレもある。どのエフタスコーレに行くかは、地域の伝統によっても異なり、コペンハーゲンの大都市の子どもたちは、地方のエフタスコーレに行く傾向があるという。結果として多様性に富んだ生徒の構成となり、社会の視野が広がる新しい経験を求めて、全体の約3割が選択しているという。
・実際に通う子どもたちに話を聞くと、「自分が何が得意か、何をしたいのかを考えることができ、自信を持てるようになった」「共同生活を通じて最高の仲間と巡り合えた」といった声が上がった。14~17歳という多感な時期に、多様性のある集団の中で生活をすることが大きな糧になっているようだ。
▽好奇心をもってカオスに挑む力を育てる
・最後に紹介するのは、ビジネスデザインスクール「カオスパイロット」だ。1991年の創立以来、社会起業家、企業の中枢を担う人材を数多く輩出しており、国際的なビジネス誌で「世界で最も刺激的なビジネスデザインスクール」と評されるなど、注目を集める。校名の由来は、「カオスな時代をパイロット(操縦士)としてナビゲートできる人材を育てる」こと。
・「未来に受動的に対応するのではなく、未来を能動的につくり出せる人材をどうすれば育成できるか?という1つの問いからカオスパイロットが生まれた」とクリスター校長はいう。 「当時デンマークは大変な不況で、仕事をつくり出すことが大きな社会課題だった。そこで、どんな状況下でも能動的にリーダーシップを発揮し、社会で活躍する若者を育てるために、アカデミックではない実践的な教育の場としてカオスパイロットが生まれたんです」
・1学年には世界から集まった36人が在籍し、3年間を通して起業家精神やリーダーシップについて学んでいく。会社員だった人もいれば、芸術家や弁護士、アスリートもおり、生徒のバックグラウンドはさまざまだ。「誰かの背景や知識はほかの誰かの学びになる」という考えがその背景にはある。
・プログラムはとにかく実践的だ。生徒たちはクライアントと共にプロジェクトを進行させながら、実践と内省を繰り返し、互いに触発しながら、“複雑な課題を成し遂げられる”リーダーへと成長していくことを目指す。 ヒエラルキーを前提としたコントロール型のリーダーシップは役に立たない。重視されるのは、知識やノウハウよりも、まず自分は何をやりたいかという意思とそれに基づいて行動する力、そして他人と共創ができ、変化を恐れないという資質。いかにして、自分、そしてチームのクリエイティビティを最大化できるか、に日々挑戦している。
・特徴的なのは、卒業してもMBAなどの資格を得られるわけではないこと。自分が何者かを知り、どうしたら社会に貢献できるかを学んだ生徒たちは、卒業生同士の強固なネットワークと「好奇心を持ってカオスに臨んでいく」力を武器に、世界をナビゲートするリーダーとして巣立っていくという。
▽人は一生学び、成長することができる
・人生100年といわれる時代、私たちはどのように学び、どのように生きるべきだろう。デンマークで見てきた学びの現場からは、一度決めたルートを全うすることだけが是ではなく、変化し続ける時代の中で必要があれば立ち止まり、新しいことを学び、進む方向を切り替えていけばいいという、柔軟で包容力のある社会的意思が感じられた。
・また、多様性の中で自己発見し、自分の中に眠る可能性を開花させることで、混沌とした世界を恐れずポジティブに立ち向かう力に結び付けていくプロセスも目の当たりにした。 考えてみれば、これは自然な生き方ではないだろうか。人は一生学ぶことができるし、成長することができる。それを前提に考えれば、おのずと「自分はどう生きたいか」という問いに直面するのではないか。もちろん、そのためには、個人の意識だけでなく、安心して立ち止まることのできる社会制度の整備や、こうした生き方を受容する社会文化の醸成などの基盤づくりが不可欠だ。
・今回見てきたデンマークでは、フレキシキュリティ(フレキシビリティとセキュリティの造語)という、労働市場の流動性×セーフティネット×積極的な再教育の仕組みの3つを掛け合わせる、社会の仕組みが存在する。個人への投資が社会への還元につながる、という個人と社会全体の幸せを創り出す仕組みとなっている。未来の学び方と未来の働き方は不可分であり、セットで考えていくことが重要ということがわかる。
・ここまで5回にわたり、「未来の学び方・働き方はどう変わる?」をテーマに、変化の大きいVUCA時代を生き抜くヒントを探ってきた。ここから見えてきた最大のポイントは、何よりも「自分自身を知ることが大切」ということ。ある意味「自己責任」の時代となる中、社会や産業構造の変化に応じた働き方が必要になっていく。自分にはどんな可能性があるのか。自分がいちばん大切にしていることは何か。今一度、問い直してみるのもよいのではないだろうか。
http://toyokeizai.net/articles/-/196726

次に、 ジャーナリストの池上 彰氏と増田 ユリヤ氏が1月5日付け東洋経済オンラインで対談した「偏差値ばかり愛する「教育後進国」の淡い末路 海外の先進国にフィンランドの事例も」を紹介しよう(▽は小見出し、+は段落)。
・教育問題はいつの時代にも語られてきました。一国の未来を考える上で、教育は極めて重要です。『偏差値好きな教育”後進国”ニッポン』の著者である池上彰氏と増田ユリヤ氏がニッポンの教育を話し合います。
▽日本の教育は成功?失敗?
・池上:日本の小学校から高校までの教育内容の骨子を定める学習指導要領の改訂が2017年の3月に公示されました。「伝統や文化に関する教育の充実」、「道徳教育の充実」が謳われ、例えば中学校の保健体育の授業では銃剣道が選択肢として明記されました。現行の学習指導要領でも武道の中で銃剣道を教えることはできます。しかし今回あえてそれを明記した。
+武道の必修化にともなって、中学校では武道場の整備がずっと進められています。校舎の耐震化の方をもっと優先すべきような気がするのですが。こういうところにも文部科学省(文科省)の忖度が働いているのかと勘ぐりたくもなる動きですが、日本の教育はなかなか変化しませんね。
・増田:文科省から大学への天下りが問題になったりもしました。学校が文科省の意向を受け入れ易い下地はずっとあります。
・池上:文科省は、「課題の発見・解決に向けた主体的・協働的な学び」、要はアクティブ・ラーニングを進めたいようなことを言っているけれど、それもあまり進んでいきませんね。
・増田:たとえば、さまざまな危機を乗り越えるために、なかなか答えの出ない問題をどう考えるかを課題にしている授業がフィンランドでは行われています。要するに教科書の教科を越えるような学びをしていく。つまり学んだことと現実の生活とのつながりを考えながら学ぶといったことなのですが、日本ではそういった授業ができているかというと、相変わらずあまりうまくいっていないですね。
・池上:日本では「総合的な学習の時間」が、自分で課題を見つけて考え、解決していくことを目標に打ち出しています。ただ個々の授業では成功している例もあるのだろうけれど、「総合的な学習の時間」が、基礎的な学科の授業時間を削っているなどともいわれ、学力低下の一因にされたりしていました。
・増田:日本の教育は、教科をなんでもプログラム化してきっちり教えます。そしてそれが今の日本をつくり上げたとも言えるのです。日本に住む多くの人たちの平均的な学力を上げてきたわけですから。だから一概にどちらがいいとか悪いとは言えませんが、教育の向きにも得手不得手はあります。
・池上:私が小中学校に通っていたときに受けていた全国学力テストの結果は、都道府県や地域による差がものすごく大きかった。都会は学力が上で日本海側や東北は学力が低くて、格差がすごくあったんです。 ところが、最近は都道府県や地域による学力の差はほとんどない状態になっている。1億以上の人口がある国で全国津々浦々どこであっても子どもが一定の学力をつけることができたという点では、日本の教育は大成功ですよ。
・増田:世界的に見たら、日本の教育は全然遜色ありません。
・池上:日本の教育はおかしい、問題があると、日本では多くの人がよく言うのですけれど、そう思い込んでいるフシがあります。だから、日本の教育はすばらしいという本を出しても売れそうもない。危機だ、危機だと煽った方が評判になる(笑)。
・増田:特に政治家が、自分の理想通りになっていないと嫌なのかもしれません。
▽文部科学省を解体せよ
・池上:フィンランドだと、政治から教育への影響を排除するための仕組みができていることがすごいと思っています。教育省という、日本では文部科学省にあたる役所がフィンランドにはあります。その大臣、つまり教育大臣というのは日本と同じように政治家がその要職に就くわけです。ただ、教育省は教育のための予算を考えるところであって、カリキュラムは教育省のほかに国家教育委員会という組織があって、そこが現場の先生からいろいろな情報を吸い上げたり、調査をしたりして決めている。
+カリキュラムが子どもや教育現場にとってどのような意味があるかということを踏まえて、日本でいうところの学習指導要領をつくっているわけです。その際には、専門家で議論をすることになっている。この政治家が教育の現場に口を出せないシステムはいいと思いました。
・増田:最近のフィンランドの学習指導要領の改訂では、先程言った、さまざまな危機を乗り越えるための授業はさらに推進されることになったと聞いています。この自分で何か物事を考えるために、何もないところから考える力をつけるという課題を、フィンランドの教育はたいせつにしています。
・池上:日本では、そういう教育の軸が政治家のせいでぶれる傾向が強いですね。教育を語ると聞こえはいいし、政治家が選挙のときに教育に一所懸命力を入れていますというと、なんとなくイメージがよくて票が集まるみたいなことになる。そうすると、政治家の方もそれをうまく使おうということになります。その結果、文教族と呼ばれる政治家が生まれて、それなりの一定数になる。
+さらに文科省の役人たちは転勤が多いですから、文教族の方が教育行政に関する知識や経緯について詳しくなっていく。すると法案なども文教族の許可なしには文科省の役人も進められなくなってくるのです。  文科大臣が変わると、その大臣は自分の考えを形に残したい。そうすると、中央教育審議会を開いて、何かを変えなければいけないということを前提にして議論する。
+今の教育がいいのか悪いのかということをきちんと検証することもないまま、「いじめが最近は多い」、「なんで少年事件がこんなに起こるんだ」、「異常な殺人事件が多く起きている」、「学力が低下しているんじゃないか」といったそれぞれ全くエビデンス(証拠)がない、印象をもとにした発言に引きずられて、さまざまなことが変えられていってしまう。
・増田:フィンランドの話で、いじめについてどう対処するかを思い出しました。何か起こったら、みんなが居心地がいいとはどういうことかを、あらゆる面から考えるということなんです。そうやって考えることで、いじめをなくす方向に持っていく。
+もちろんフィンランドにもいじめがあって、問題になります。でも、そういう発想の仕方というか、根本的なところでの考え方で対処していく。私にとって居心地がいいだけでいいのか。みんなにとって居心地がいい状態とはどんな環境なのかと、みんなで考えていく。日本ではなかなかそういうふうにはならなくて、道徳を教科化して、いじめにも対応するなんていうことになっていきます。
・池上:日本は、現場に任せたり、現場の先生の報告を聞いて、これからを考えていくといった仕組みになっていません。大概が上から決まっていきます。流行に飛びついて、例えばこれからはAIだと言われれば、プログラミングをはじめコンピュータについての授業を増やしましょう。英語がもっと必要だと言われれば、小さい頃から英語教育を始めましょうと。それで何がたいせつなのか、何を軸に据えなくてはいけないのかが曖昧になって、わけがわからなくなっていってしまう。
▽学力テストでわかる世界の規準、日本の規準
・池上:日本もまずは文科省を解体して、中央教育委員会をつくればいいのではないでしょうか。今は文科省が学習指導要領づくりをやっています。けれど、文科省の役人の中には教育学部出身者なんてあまりいません。 教育のことをたいして知らない役人たちより、現場の先生の状況や学力テストの結果をきちんと読み解き、子どもたちの学力のどこが強くて、どこが弱いのかを見極め、次のカリキュラムを考えていけるような専門家を集めて、政治に左右されない学習指導要領をつくる組織を新設すればいいと考えてしまいます。
・増田:全国学力テストが2007年に復活したのも政治主導でしたよね。
・池上:OECD(経済開発協力機構)が国際的に学習到達度を調査しているPISA(Programme for International Student Assessment)の日本の順位が下がったことが要因になって、小泉純一郎内閣のとき、当時の文科大臣の中山成彬が提案しました。
・増田:PISAは2000年から3年ごとに実施されていて、日本の順位が初回より2回目に下がったことが話題になり、国内の学力低下が取り沙汰されるようになったんですよね。そして中止されていた全国学力テストが再開されることになった。
・池上:PISAの順位が下がったのだけれど、実態をよく見ると、参加国が増えたことによって、日本の順位が下がったのだけれど、絶対的な成績は日本が下がっていたわけではなかったんです。しかし国内で学力低下だと言われ出したときに、昔に比べて学力が低下しているかどうかというデータがなかった。だから学力テストを始めようといって始まったんです。
・増田:ただ、日本の全国学力テストは、悉皆調査、つまり全員参加なんですよね。それも何度もやっていると試験対策をした上での調査になってしまいますから、学力を継続的に調査するには、意味がないんです。
▽日本の学力テストには意味がない
・池上:PISAというのは、統計学的に選んだ一握りの集団だけに試験をして、試験が終わったあと、問題を回収してしまいます。だから毎年、同じ問題を出せるわけですよ。全員に同じテストをしてしまったら、テストの内容が漏れるし、試験対策が次の年からできてしまいます。
+毎年、同じ問題をランダムに一定数の子どもたちで調査しているからこそ、その結果を見て、学力が上がっているのか、下がっているのかが比較できるのに、毎年違った問題が出題される悉皆調査の日本の学力テストにはあまり意味がありません。
・増田:全国学力テストが再開された2007年は、小学6年生と中学3年生が全員参加でした。それが2010年には約3割の抽出方法になったんです。その後、希望する学校も参加できるようになって、また2013年から悉皆調査に戻りました。保護者から、うちの子がテストを受けていないのはずるいという声が多くなったから、全員参加になったと言われています。
・池上:私が小中学生のときにも全国学力テストがありました。このときも都道府県別の競争が過剰になってしまって、あまりにそれがひどいということでやめたんです。テストの日に成績の悪い子どもを自宅待機させたりしていた。今も同じようなことが起こっているのでしょう。
・増田:外国人の子どもなどを参加させない学校もあるようです。日本でも最近は外国人の子たちが増えていますからね。けれど日本は、例えばヨーロッパの国のようにいろいろな国の子がいて言葉ができない、今日入ってきた子がいるなんてことが日常茶飯事でたいへんな状況ではないわけです。
+そういう環境の国と比べれば、日本でテストをしたら学力は高いと思います。だから移民が多い国、例えばフランスやイギリス、アメリカのPISAの順位と比べて日本はどういう位置にいるのか、そういう視点も必要なのではないでしょうか。
http://toyokeizai.net/articles/-/202867

第三に、人材育成コンサルタントの山口 周氏が1月18日付けダイヤモンド・オンラインに寄稿した「世界のエリート養成機関はなぜ「哲学」を教えるのか?」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・日本ではあまり馴染がないが、欧州のエリート養成機関では昔から哲学が必須とされてきた。「自分で考える力」を養うには、ルールやシステムそのものを疑える哲学思考が必要だからだ。では、哲学という「疑いの技術」をどう学べばいいのだろうか? MBAを取らずに独学で外資系コンサルタントになった山口周氏が、知識を手足のように使いこなすための最強の独学システムを1冊に体系化した『知的戦闘力を高める 独学の技法』から、内容の一部を特別公開する。
▽いまのルールに疑問を感じ、自分の頭で考える力を鍛える――哲学には必ず大きな「否定」が含まれている
・多くのビジネスパーソンにとって、哲学という学問はもっとも「縁遠い」ものに感じられると思います。しかし、実は一方で、欧州のエリート養成機関では18世紀以来、哲学は歴史と並んで、もっとも重要視されてきた学問でもあります。 たとえば英国のエリートを多く輩出しているオックスフォード大学では、長いこと哲学と歴史が必修でした。現在、エリート政治家養成機関としてオックスフォードの看板学部となっているのは「PPE=哲学・政治・経済」です。
・日本の大学システムに慣れ親しんだ人からすると、なぜに「哲学と政治と経済」が同じ学部で学ばれるのかと奇異に思われるかもしれませんが、これはむしろ「世界の非常識」である日本の大学システムしか知らないからこそ感じることで、哲学を学ぶ機会をほとんど与えずにエリートを育成することはできない、それは「危険である」というのが特に欧州における考え方なのです。
・たとえばフランスを見てもわかりやすい。フランスの教育制度の特徴としてしばしば言及されるのが、リセ(高等学校)最終学年における哲学教育と、バカロレア(大学入学資格試験)における哲学試験です。 文系・理系を問わず、すべての高校生が哲学を必修として学び、哲学試験はバカロレアの1日目の最初の科目として実施されます。バカロレアに合格する学生は、将来のフランスを背負って立つエリートとなることを期待されるわけですが、そのような試験において、文系・理系を問わず、最重要の科目として「哲学する力」が必修の教養として位置付けられているわけです。
・では、哲学を学ぶことにはどんな意味があるのか?一言でいえば、それは「自分で考える力を鍛える」ということです。この「考える」という言葉は本当に気安く使われる言葉なのですが、本当の意味で「考える」ということは、なまなかなことではありません。
・よく「一日中考えてみたんだけど……」などと言う人がいますが、とんでもないことで、こう言う人がやっているのは「考える」のではなく、単に「悩んでいる」だけです。 これは拙著『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』にも書いたことですが、現在、この「自分で考える力」は極めて重要な資質になりつつあります。なぜかというと、これまでに依拠してきた「外部の基準やモノサシ」がどんどん時代遅れになっているからです。
・知的戦闘力を高めるという文脈で考えてみた場合、与えられたルールやシステムを所与のものとして疑うことなく受け入れ、その枠組みの中でどうやって勝とうとするかを考える人よりも、与えられたルールやシステムそのものの是非を考え、そもそもルールを変えていこうとする人の方が、圧倒的に高い知的パフォーマンスを発揮するのは当たり前のことです。
・もっとわかりやすく言えば、哲学というのは「疑いの技術」だとも言えます。哲学の歴史において、哲学者たちが向き合ってきた問いは基本的に二つしかありません。それは、(1)この世界はどのようにして成り立っているのか?(2)その世界の中で、私たちはどのようにして生きていくべきなのか?という問いです。
・そして、古代の中国、あるいはインド、あるいはギリシアからスタートした哲学の歴史は連綿と続くこれら二つの問いに対する答えの提案と、その後の時代に続く哲学者からの否定と代替案の提案によって成り立っています。 哲学の提案には必ず大きな「否定」が含まれていなければなりません。物理の法則と同じで、なにか大きな「肯定」をするためには、何か大きな「否定」が必ずつきまとうのです。
・つまり、世の中で主流となっているものの考え方や価値観について、「本当にそうだろうか、違う考え方もあるのではないだろうか」と考えることが、「哲学する人」に求められる基本的態度だということになります。 さらに付け加えれば、この「本当にそうだろうか」という批判的疑念の発端となる、微妙な違和感に自分で気づくこともまた、重要なコンピテンシーです。
・昨今、世界中で瞑想を中心としたマインドフルネスに関する取り組みが盛んです。マインドフルネスと哲学というと、あまり結節点はないように思われるかもしれませんが、「自分の中に湧き上がる、微妙な違和感に気づくのが大事」という点で、両者は共通の根っこを持っているのです。
http://diamond.jp/articles/-/150375

第一の記事で、 『デンマーク・・・民衆の知識と教養を高めることを目的に1844年に誕生したのがフォルケホイスコーレという独自の教育機関』、 『最大の目的は学力向上ではなく「人間形成」』、 『好奇心をもってカオスに挑む力を育てる』、 『人は一生学び、成長することができる』、というのはうらやましいような制度だ。日本でも「生涯教育」の必要性が叫ばれているが、どちらかというと、学生数減少に悩む大学の救済策といった面もあり、似て非なるもののようだ。
第二の記事で、 『アクティブ・ラーニング・・・たとえば、さまざまな危機を乗り越えるために、なかなか答えの出ない問題をどう考えるかを課題にしている授業がフィンランドでは行われています。要するに教科書の教科を越えるような学びをしていく。つまり学んだことと現実の生活とのつながりを考えながら学ぶといったことなのですが、日本ではそういった授業ができているかというと、相変わらずあまりうまくいっていないですね』、 『文科大臣が変わると、その大臣は自分の考えを形に残したい。そうすると、中央教育審議会を開いて、何かを変えなければいけないということを前提にして議論する。 今の教育がいいのか悪いのかということをきちんと検証することもないまま、「いじめが最近は多い」、「なんで少年事件がこんなに起こるんだ」、「異常な殺人事件が多く起きている」、「学力が低下しているんじゃないか」といったそれぞれ全くエビデンス(証拠)がない、印象をもとにした発言に引きずられて、さまざまなことが変えられていってしまう』、 フィンランドでは 『カリキュラムは教育省のほかに国家教育委員会という組織があって、そこが現場の先生からいろいろな情報を吸い上げたり、調査をしたりして決めている・・・その際には、専門家で議論をすることになっている。この政治家が教育の現場に口を出せないシステムはいいと思いました』、 『PISAというのは、統計学的に選んだ一握りの集団だけに試験をして、試験が終わったあと、問題を回収してしまいます。だから毎年、同じ問題を出せるわけですよ。全員に同じテストをしてしまったら、テストの内容が漏れるし、試験対策が次の年からできてしまいます。 毎年、同じ問題をランダムに一定数の子どもたちで調査しているからこそ、その結果を見て、学力が上がっているのか、下がっているのかが比較できるのに、毎年違った問題が出題される悉皆調査の日本の学力テストにはあまり意味がありません』、 『テストの日に成績の悪い子どもを自宅待機させたりしていた。今も同じようなことが起こっているのでしょう』、などの指摘はその通りだ。日本の教育委員会は、制度的には政治からの独立を図るためだったのだろうが、今や文科省の下請け機関になり下がっているようだ。
第三の記事で、 『哲学を学ぶ機会をほとんど与えずにエリートを育成することはできない、それは「危険である」というのが特に欧州における考え方なのです』、 『世の中で主流となっているものの考え方や価値観について、「本当にそうだろうか、違う考え方もあるのではないだろうか」と考えることが、「哲学する人」に求められる基本的態度だということになります。 さらに付け加えれば、この「本当にそうだろうか」という批判的疑念の発端となる、微妙な違和感に自分で気づくこともまた、重要なコンピテンシーです』、というのは説得力がある。特に、後者は日本では、「空気を読んで主流派につく」傾向が強まりつつあるあるだけに、健全な懐疑心を如何に育てていくためにも、文系、理系を問わず、哲学を学ばせるのは大いに意味があるのではなかろうか。
タグ:教育 デンマーク 東洋経済オンライン ダイヤモンド・オンライン 池上 彰 (その13)(「自分探し」を支援するデンマークの仕組み 時に立ち止まり、学び直す選択肢が必要だ、偏差値ばかり愛する「教育後進国」の淡い末路 海外の先進国にフィンランドの事例も、世界のエリート養成機関はなぜ「哲学」を教えるのか?) 原 節子 「「自分探し」を支援する、デンマークの仕組み 時に立ち止まり、学び直す選択肢が必要だ」 生涯にわたり、「自分発見をする場」を持つ フォルケホイスコーレ 17.5歳以上であれば誰でも入学できる全寮制の学校で、これまでの最高齢は96歳。国内に68校ある。費用の6割強を政府が助成しているものの、教育内容は各校に任されている 最大の目的は学力向上ではなく「人間形成」 好奇心をもってカオスに挑む力を育てる 人は一生学び、成長することができる 増田 ユリヤ 「偏差値ばかり愛する「教育後進国」の淡い末路 海外の先進国にフィンランドの事例も」 アクティブ・ラーニングを進めたいようなことを言っているけれど、それもあまり進んでいきませんね さまざまな危機を乗り越えるために、なかなか答えの出ない問題をどう考えるかを課題にしている授業がフィンランドでは行われています フィンランドだと、政治から教育への影響を排除するための仕組みができていることがすごいと カリキュラムは教育省のほかに国家教育委員会という組織があって、そこが現場の先生からいろいろな情報を吸い上げたり、調査をしたりして決めている この政治家が教育の現場に口を出せないシステムはいいと思いました 日本では、そういう教育の軸が政治家のせいでぶれる傾向が強いですね 文科大臣が変わると、その大臣は自分の考えを形に残したい。そうすると、中央教育審議会を開いて、何かを変えなければいけないということを前提にして議論する 今の教育がいいのか悪いのかということをきちんと検証することもないまま、「いじめが最近は多い」、「なんで少年事件がこんなに起こるんだ」、「異常な殺人事件が多く起きている」、「学力が低下しているんじゃないか」といったそれぞれ全くエビデンス(証拠)がない、印象をもとにした発言に引きずられて、さまざまなことが変えられていってしまう。 PISAというのは、統計学的に選んだ一握りの集団だけに試験をして、試験が終わったあと、問題を回収してしまいます。だから毎年、同じ問題を出せるわけですよ 毎年違った問題が出題される悉皆調査の日本の学力テストにはあまり意味がありません 山口 周 「世界のエリート養成機関はなぜ「哲学」を教えるのか?」 いまのルールに疑問を感じ、自分の頭で考える力を鍛える――哲学には必ず大きな「否定」が含まれている 欧州のエリート養成機関では18世紀以来、哲学は歴史と並んで、もっとも重要視されてきた学問でもあります 「自分で考える力を鍛える」 与えられたルールやシステムを所与のものとして疑うことなく受け入れ、その枠組みの中でどうやって勝とうとするかを考える人よりも、与えられたルールやシステムそのものの是非を考え、そもそもルールを変えていこうとする人の方が、圧倒的に高い知的パフォーマンスを発揮するのは当たり前のことです 世の中で主流となっているものの考え方や価値観について、「本当にそうだろうか、違う考え方もあるのではないだろうか」と考えることが、「哲学する人」に求められる基本的態度だということになります さらに付け加えれば、この「本当にそうだろうか」という批判的疑念の発端となる、微妙な違和感に自分で気づくこともまた、重要なコンピテンシーです
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アベノミクス(その27)(なぜアベノミクスで賃金が上がらないのか(景気拡大なのに実質賃金が下がるアベノミクスの本質、「賃金抑制はいいことだ」と考えた企業経営者たちの失敗、労組が賃上げに失敗するのは時代遅れの経済理論に原因がある) [経済政策]

アベノミクスについては、昨年12月20日に取上げたが、今日は、(その27)(なぜアベノミクスで賃金が上がらないのか(景気拡大なのに実質賃金が下がるアベノミクスの本質、「賃金抑制はいいことだ」と考えた企業経営者たちの失敗、労組が賃上げに失敗するのは時代遅れの経済理論に原因がある)である。

先ずは、大東文化大学経済研究所兼任研究員(労働省出身、前京大教授)の石水喜夫氏が昨年12月22日付けダイヤモンド・オンラインに寄稿した「景気拡大なのに実質賃金が下がるアベノミクスの本質 「3%賃上げ」の虚実」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・景気拡大が続いているのに、実質賃金が低下する過去の景気拡大局面では見られなかった事態が続いている。政府は失業率や求人倍率の改善を喧伝するが、なぜ、アベノミクスのもとで賃金は上がらないのか。労使関係に詳しく労働経済論などの専門家でもある石水喜夫・元京大教授(現・大東文化大学経済研究所兼任研究員)がアベノミクスの「不都合な真実」を3回にわたって解説する。
▽労働力は他の商品とは違う。 「労働市場論」という知的欺瞞
・賃金の行方に多くの人々の関心が集まっています。来春闘でも政府は経済界に賃上げを求めています。  私たちの賃金は、これからどうなるのでしょうか?  これまでの賃金の動きを振り返り、今後を見通すために、経済分析への期待は大きいでしょう。 ところが、経済を分析する場合、どのような分析枠組みを用いるかによって、結論が大きく左右されてしまうという問題があります。特に賃金の分析では、注意が必要です。
・たとえば、経済学には「労働市場論」という考え方があって、労働市場で雇用と賃金が決まるという分析装置が用いられます。 この分析装置には、一般の商品のように需要と供給の関係で価格が決まり、労働力が不足すれば、賃金が上がるという因果関係が組み込まれています。
・こうした関係を経済原則として、当然視する向きもあるでしょう。 「なぜ人手不足なのに賃金は上がらないのだろう?」という問いに、多くの人が心惹かれるとするなら、日本の社会では、それだけ多くの人が「労働市場論」を信じていると言うこともできます。 この問いかけは、労働市場で賃金が決まることを前提としているからです。
・人が働くということを労働力の供給と見なすことはできないとか、たとえ労働市場というものを仮定したとしても、労働市場で雇用や賃金は決まらないとか、さらには、労働市場で雇用と賃金が決まるとは考えるべきではないなど、「労働市場論」に代わる考え方はたくさんあります。 しかし、今の日本社会では、あたかも「労働市場論」が真理であるかのごとく前提とされているところに、大きな問題が潜んでいるのではないでしょうか。
▽既存の経済学の枠組みでは雇用の実態を見誤る
・日本経済や、雇用、賃金の実際の状況はどうなのでしょうか。 2013年以降の景気回復を解説する場合に、有効求人倍率の上昇とか、雇用情勢の改善といった語り方が好まれてきました。 経済活動を、生産回復の面から解説するなら、鉱工業生産指数を用いてもよさそうな気がするのですが、鉱工業生産指数は、2014年に前年比プラスとなった他はマイナスで、ようやく2017年にプラスが見込まれるようになったものです。 経済情勢の「改善」というメッセージを打ち出すには少々、「不都合な指標」といえます。
・これに対し、雇用情勢を示す指標は力強く改善してきました(図1)。 有効求人倍率は、景気循環の拡張過程である第14循環のピーク(1.08倍)を超え、21世紀に入って最高値を更新するとともに、2017年には、ついにバブル期(第11循環)のピーク(1.45倍)をも突破して、1.5倍台へと突入したのです。
・有効求人倍率が労働市場における労働力需給を示していると考えるなら、2017年には、バブル期並みの賃金上昇率が達成できることになります。 しかし、現状の賃上げが、バブル期の足下にも及ばないことは誰でも知っています。 また、「異次元緩和」を続ける金融政策でも、不都合な事態が広がっています。日本銀行がこれだけ多くの貨幣を供給しても、目標通りには物価が上昇してこないのです。
・経済学には、先ほどの「労働市場論」と同じように、「貨幣数量説」というものがあって、物価は供給された貨幣量に連動すると考えられています。 「労働市場論」や「貨幣数量説」の思考の道筋からすれば、雇用情勢の改善によって労働力需給は逼迫し、貨幣供給によって物価上昇も展望されるから、労働組合はより高い賃金の獲得に尽力しなくてはならない、という「物語」が作り出されてしまうのです。
・経済学は、人々の思考を縛り、ある特定の社会認識を生み出し、そして、ある特定の行為を命ずる、というような危険な性格を持っています。 本当に大切なことは、既存の経済学の枠組みに囚われることなく、もっと柔軟に経済指標を分析することなのではないでしょうか。 「不都合な事実」も含めて、日本経済の真の姿を描き出し、今後に向けた対応を真摯に検討していくことが求められます。
▽求人倍率や失業率の「改善」は一部職種の特殊要因も大きい
・よく目を凝らしてみると、「高い」と言われる有効求人倍率にも、実は、そうでもないところがあるのです。(図2) 有効求人倍率は、様々な職業からなる求人倍率の平均値ですが、今回の景気拡張過程では、建設関連の職業で大きく上昇しました。
・アベノミクスの「三本の矢」の経済政策は、金融緩和、財政発動、規制緩和、の三つですが、公共事業のための財政発動も進められ、建設関連職種を中心に求人は増加してきました。 しかし、事務や組み立てなど、求人倍率の低い職業を希望する求職者にとっては、事態はそれほど改善していません。
・21世紀に入り最高水準に達した2016年度の値を、第14循環のピーク時(2006年度)と比較してみると、求人倍率の低い層では大した違いはなく、求人倍率の高い層でより高くなって、平均値で見求人倍率が引き上げられています。 これらに加えて、近年では、契約期間の短い臨時労働者の求人も多くなり、臨時・季節を除く常用有効求人倍率は、一般の有効求人倍率ほどには高くない、という事実も指摘できます。
・「労働市場論」を前提にすれば、高い賃上げのために、労働力需給が引き締まっているというストーリーは都合がよく、有効求人倍率の上昇は、そうした都合に答える指標の動きといえます。 こうした状況のもとで、有効求人倍率の上昇をはやし立てる雰囲気が作られ、その内実は語られることが少なくなっていくわけです。
・また、失業率の改善についても、今回の拡張過程では特異な状況が見られます。 雇用者数の増加により失業者は減っていきますが、今回の雇用増加は、成長率が高まったことによるものではないのです。 雇用の増加は、成長率が低い割に労働力需要が膨らみすぎたことによって引き起こされました。これを「雇用弾性値の上昇」と言います(図3)。
・第16循環では、小売業や飲食サービス業で雇用増加が加速しています。今回の拡張過程では、消費支出は低迷しているのですが、消費が低迷するもとで、消費関連産業の雇用が拡大するという動きが見られるのです。 2014年4月の消費税率の引き上げは、売り上げ鈍化という形で、小売、飲食の現場を直撃することになりました。労働者は、そこからの回復に懸命に取り組み、仕事はますます忙しくなっています。一方で事業者は生き残るために人手を増やしサービスを良くしようとして、過当競争に陥り、競争の激化と人手不足の悪循環が生じることとなりました。
・雇用増加の裏には、こうした厳しい現実があります。 「雇用情勢の改善」を表面的に語るエコノミストは、人々の生活や労働の実態に関心があるわけではなく、金融政策の成果にのみ関心があるのだと言ってよいでしょう。
▽翻弄されてきた労働組合  「官製春闘」のもと、実態を語れず
・一体、この間、労働組合は何をしていたのでしょうか。 本来、労働組合とは、労働者の実情を「言葉」の力によって描き出し、社会に問題提起していく存在だったのではないでしょうか。 2013年以降の賃金交渉では、従来、労使で行われてきた交渉に政府が関与し、「デフレ脱却」のために経営に賃上げを求めたことから、「官製春闘」と呼ばれてきました。
・もちろん、このように言われることを潔しとしない組合役員はいるでしょう。 しかし、現実に、政府のデフレ脱却路線に組み込まれてしまったことは、政策当局と一緒になって、賃上げの成果を誇らねばならないことを意味していたのです。
・この過程で生じたことは容易に想像できます。 たとえば、消費税率の引き上げは、2014年4月の税率引き上げまでの駆け込み需要とその後の反動減をもたらしましたが、労働組合は反動減の事実から目をそらしたのではないでしょうか。 もし、消費税率引き上げ後の経済停滞を認めてしまったら、翌年の賃上げに力を込めることはできなかったからです。 また、2015年の経済は低迷し、賞与もマイナスに転じましたが、この事実は、受けとめることすらできなかったのではないでしょうか。
・権力とともに賃上げに取り組んでしまうと、「賃金は上昇した」という結論以外を受け入れることはできなくなってしまうのです。 賃上げの結果ばかりに気が取られ、社会の現実に向き合うことを次第に忘れて行きます。これは、かつて国民が、広く大本営発表を真実として受け入れた心理状態と似たようなものだと思います。
▽景気拡張過程で実質賃金が低下 アベノミクスの「隠された本質」
・一体、今、日本社会では、どのような事態が進行しているのでしょうか。 第16循環の拡張過程では、確かに名目賃金は0.6%(年率)上昇しました。しかし、物価はそれ以上に上昇し、実質賃金上昇率は△0.8%(年率)となったのです。 景気拡張過程に実質賃金がマイナスとなったような歴史は存在しません(図4)。
・バブル崩壊前までは、物価上昇率を超えて名目賃金の上昇が達成され、実質賃金上昇率も高い伸びを示していました。 1991年のバブル崩壊は、日本の労使関係に大きな衝撃を与えたのですが、実際の賃金交渉パターンに影響を与えたのは、不良債権問題などで経済停滞する中で無理に「財政構造改革」を押し進めた1997年の経済失政と、その後の非正規雇用化の進展です。
・物価は低下に転じ、平均賃金も低下する場合が出てきました。ただし、実質賃金の上昇率はプラスを維持していたのです。 現在の第16循環で進行していることは、名目賃金上昇率に対し、物価上昇率が大きいということです。 これは、今までにない新しい事態の出現であり、巧妙に隠されたアベノミクスの本質でもあります。
・超金融緩和で円安の流れを作り維持することで、輸出企業の生産を支え経済を活性化させようとしますが、輸入物価の上昇や資源価格の上昇を招き寄せてしまっているのです。 もちろん、物価上昇率は、日本銀行が目指す「2%」に比べれば小さいのですが、労働者が獲得する名目賃金の伸びに比べれば大きな数字です。 そして、実質賃金の低下は、企業収益の改善に大きく貢献し、輸出の増加にも寄与しています。
・金融の異次元緩和を通じた円安傾向と輸入物価の上昇は、2013年から明らかになりました。 2014年4月の消費税率の引き上げには、価格転嫁の環境を整えるためにも、国内物価の上昇傾向は不可欠であり、円安による輸出の促進、財政による下支えによって総需要の拡張傾向が生み出され、輸入物価の上昇など諸コストの増加は、消費者物価に転嫁されました。
・また、円安によって、日本の株価に割安感が生まれ、株式市場も活況を呈するようになったのです。 こうして、政府は、予定通りに消費税率を引き上げ、企業は価格転嫁を進めました。 しかし、働く人たちは、わずかばかりの賃上げを手にしたものの、より多くの支出を余儀なくされ、物価上昇によって実質所得を収奪されることとなったのです。
http://diamond.jp/articles/-/154546#author-layer-1

第二に、上記の続きを、1月11日付け「「賃金抑制はいいことだ」と考えた企業経営者たちの失敗 なぜアベノミクスで賃金が上がらないのか(中)」を紹介しよう’(▽は小見出し)。
・なぜアベノミクスのもとで賃金が上がらないのか――。労使関係に詳しく労働経済論などの専門家でもある石水喜夫・元京大教授(現・大東文化大学経済研究所兼任研究員)が3回にわたって解説するシリーズの2回目は、賃金を抑制することがいいことだと考えた「経営者の失敗」についてです。
▽賃金を削って利益を出す経営に変わってしまった
・日本企業に勤める人たちは、所属する組織の一員として、誇りをもって働いてきました。組織の目的のために、多少の無理も聞き、まずは仲間のことを考えて行動してきたはずです。このような気持ちに応えるため、賃金の支払い方にも日本企業ならではの工夫があったように思います。
・しかし、時代は少しずつ移り変わってきました。 景気拡大過程での企業利益と賃金の関係を見ると、「第I期」、「第II期」、「第III期」という、事態の確実な進行が読み取れるのです(図1 利益率上昇過程における実質賃金の推移)。
・第I期は、1990年代半ばごろまでのデータによるものですが、戦後日本経済の一般的な労使関係を反映しており、会社がもうかれば、働く人たちの賃金も増えています。 会社で働く人たちは、経営側も労働側も、あまり隔てなく、一緒になって会社をもり立てていた時代だったのではないでしょうか。
・しかし、1990年代後半に変化が生じました。第II期では、利益が増えても平均賃金が上がらなくなったのです。 そして、現在では、物価上昇率の高まりによって実質賃金が低下するようになりました。金融の異次元緩和が始まってからは、賃金を削って利益を回復させる第III期へと突入してしまったように見えます。
▽契機は日経連のレポート 「雇用ポートフォリオ」で人件費管理
・賃金をめぐる労使関係の変化を、戦後日本経済の歴史とともに振り返ってみましょう。 高度経済成長期には、実質生産量の大きな増加があり、その成果は労使の間で分かち合われました。 新規学卒一括採用や終身雇用、さらに企業別労働組合のもとで、人材育成はそれぞれの企業内で行われ、能力向上と能力評価を一体的に行う仕組みが整備されました。
・こうして決まる賃金は、「年功賃金」と呼ばれていますが、勤続に伴う能力の向上が賃金の増加に反映されるという仕組みがポイントで、職能等級資格制度に基礎があります。この仕組みのおかげで、労働者の能力向上は、しっかりと賃金に反映されてきたのです。 日本の「春闘」とは、こうした正社員の職能賃金を基本に賃金制度を確立させ、「ベースアップ」と呼ばれる賃金表の書き換えも含めて、「賃上げ」を実現するものでした。
・1991年のバブル崩壊以降は、経済成長率の鈍化に応じた賃金の抑制が、日本企業にとって不可避の課題となりました。 しかし、経営側の進め方は適切ではなく、また、労働組合側の対応にもミスがあり、利益が出ても賃金は上がらないという、“やり過ぎ”の状態を生み出してしまったのです。
・この時期の経営側の対応は、当時の日経連(日本経営者団体連盟)が公表した「新時代の『日本的経営』」(1995年)によるものでした。 このレポートでは、「長期蓄積能力活用型」(長期継続雇用という考え方に立って働くグループ)、「高度専門能力活用型」(長期雇用を前提としないが、高度な専門能力を持って働くグループ)、「雇用柔軟型」(働く意識が多様化しているグループ)の3つのグループで労働者を構成し、その「雇用ポートフォリオ」をコントロールすることで総額人件費を管理する手法が提案されました。
・90年代後半以降は、企業は、この仕組みを大いに活用し、正社員の採用を抑制するとともに、「就業形態の多様化」を押し進めていくこととなったのです。 また、日経連の3つの類型のうち、「高度専門能力活用型」を広げることは日本社会では現実的ではなく、結局、労働者が、正規労働者と非正規労働者に二極分化してしまったことも、あわせて指摘しなくてはなりません。
▽賃金は「人への投資」 人件費をコストと考えた失敗
・バブル崩壊後の時代は、「ボーダーレス」から「グローバル競争」へ、国際的な価格競争が強まった時代でもありました。また、バブル期に抱え込んだ負債を整理するためにも、コスト抑制が強く求められ、株式市場では外国人投資家の存在感が大きくなり、アメリカ流経営がグローバルスタンダードと見なされる風潮も強まりました。
・一般的な日本企業は、企業内で共有される価値観を職能賃金の中に集約し、長期的に人材を育成していく方針を持っていましたが、そうした仕組みへの自信は、次第に揺らいでいきました。 バブルの形成と崩壊という大きな失敗をおかしたことは、日本人の自信喪失につながった面があると思います。 こうした中で、総額人件費をコントロールするための新たな論理を提供した、先の日経連のレポートは大きな影響力を持つことになりました。
・しかし、人が働くということを、コストのレベルに還元してしまったこと、また、そうした市場価値のレベルでしか経営の議論ができなかったことは、日本の経営者の失敗であったと言わざるをえません。 経営にとって、もちろんコストの管理は重要ですが、いかに付加価値を創造するかも重要な経営目標であり、働く人たちの継続的な能力形成や付加価値創造能力の向上は、経営の中にしっかりと組み込まれる必要があったのです。このことは、それぞれの企業の創業の理念や歴史的な存立基盤と大きなかかわりがあるはずです。
・そうした人材育成のための仕組みに十分な配慮もせず、ただコスト削減に走れば、付加価値創造能力が劣化していくことは必然であり、さらなるコストの抑制が求められ、とめどもない悪循環へと陥っていくことが避けられなくなってしまうのです。
▽米ソ冷戦構造の終結 日本的雇用慣行の“改造”に動く
・「日本的経営」の良さを忘れ、しかも、「雇用ポートフォリオ」などといった絵空事を使ってまでして、賃金・雇用慣行の改造に乗り出したことは、経営側に大きな責任がありました。 しかし、その責任を経営側だけに帰すことも、公平ではないように思われるのです。
・90年代は、米ソ冷戦構造終結の時代であり、経済学の世界では、市場の自動調節機能を前提とする、新古典派経済学復権の時代でもありました。「労働市場」という分析装置を用いて雇用や賃金を説明しようとするエコノミストが多数、輩出されました。 賃金は市場で決まるという「労働市場論」の語り方は、バブル崩壊後に賃金に手をつけようとした経営者には都合のいい論理を提供しました。
・もちろん、「労働市場論」に乗った経営者の不見識は問われる必要がありますが、そうした論理を生み出し押し広げた経済学に、何の責任もないとは思えません。 90年代の労働経済学者たちの活動拠点はパリのOECD(経済協力開発機構)でした。92年に労働市場研究というプロジェクトが立ち上がりましたが、ソ連崩壊に伴い、東欧諸国は、雪崩を打ってOECDに加盟を申請し、自由主義市場経済体制に移行していきました。
・こうした状況で、OECDが西側諸国のシンクタンクとして、大いに自信を深めたことは想像に難くありません。 新古典派経済学の復権に伴って、政府による総需要管理政策や所得再分配によって市場経済を修正しようとするケインズ経済学は後退し、福祉国家を解体しようとする力が増えました。
・日本の労使関係者は、ナショナルセンターも含めて、冷戦終結後の歴史的構図を見破ることができず、論壇で勢いを増す新古典派経済学者の言説に受け身に終始し、有効な手だてを打つことができなかったのです。
▽金融の異次元緩和で輸入物価上昇 実質賃金は低下
・間違った経済学は、社会を破壊する危険を持っています。 今まで見た第II期の危険もさることながら、賃金を削って利益を増やす第III期への移行は、経済学と経済政策がさらなる危険をおかしていることを示しています。 実質賃金の低下は、物価の上昇によって生み出されました。金融の異次元緩和により、すでに大量の貨幣が供給され、「円安」が誘導されています。このため、輸入物価や資源価格の上昇へとつながり、国内物価の上昇によって、労働者の実質賃金は低下へと向かったのです。
・一方、公共支出による総需要の下支えや、円安による輸出促進などによって、企業の価格転嫁環境は改善しました。 企業は、労働者と違って、消費税率の引き上げや輸入物価上昇のコストを価格転嫁することができました。
・第III期の利益と賃金の相反は、第II期のような労使関係の変化によってもたらされたものではありません。 政府の経済政策によって操作された相対価格によって、労働者の所得が、企業と政府に吸い上げられることになったのです(このことは昨年12月29日付けの1回目に詳述)。
▽賃金抑制が成長率鈍化の要因 景気拡大に民間消費の寄与みられず
・賃金の抑制は、日本経済全体に対して、どのような影響をもたらしているでしょうか。 景気拡大過程の経済成長率を見ると、第11循環の6%台に比べ、第12循環以降、大きく低下し、2%前後となりました。 そして、アベノミクスのもとでの第16循環では、1%に近い値へと、もう一段の低下につながっています(図2 景気拡張過程の経済成長率とその内訳)。
・第16循環の経済成長率の特徴は、民間最終消費支出の寄与が見られないことです。これは、実質賃金の低下に伴うもので、他の景気循環と比べて経済成長率が鈍化した最大の原因と言えます。 また、過去と比べても低い経済成長率のもとで、民間企業設備や純輸出の寄与率は相対的に大きくなっています。
・実質賃金が低下し、消費支出の増加が見られない分、景気は、消費以外の需要項目に頼らざるを得ませんでした。 異次元緩和は円安誘導によって輸出を促進し、日本の株価の割安感を生み出すことで、株式市場も活況を呈しています。実質賃金の低下や株価の上昇は企業収益を改善させ、設備投資の増加にも寄与することになったのです。
・設備投資や輸出といった需要項目の増加は、短期的には、経済成長率と景気の維持に貢献していることは認めなくてはなりません。 しかし、設備投資や輸出主導の経済成長が、現代日本社会においてふさわしいものか、また、持続可能なものであるかは、疑わしいものがあります。
▽設備投資主導は過剰供給生む危険 賃金抑制は間違った選択
・賃金抑制は、それぞれの企業の労使関係において様々な亀裂を生むばかりでなく、国民経済的な見地からも大きな問題を引き起こすことになります。 そのことを設備投資の長期趨勢から説明しましょう(図3 戦後日本経済と設備投資の推移)。
・戦後日本経済における設備投資の推移を見ると、90年代初めのバブル期までは、経済が長期の成長趨勢にあったので、投資の循環も、成長軌道の中に溶け込んでいました。 景気後退過程での落ち込みもあまり大きくはなかったのですが、バブル崩壊以降は、設備投資は長期の低下趨勢の中にあります。 
・バブル崩壊以降、賃金は抑制されたことから、企業収益の改善や投資支出の改善が、景気拡大を主導する傾向を強めました。 しかし、設備投資は短期の需要として景気の拡大を主導するとしても、同時に資本ストックを蓄積し、巨大な生産能力を残していくことになるのです。 投資の拡張が、その後の過剰供給を生み出し、投資循環の大きな振幅を生み出すことになります。
・この投資循環の振幅が、90年代後半以降の景気後退過程に、多大な失業者を生み出すことになっていったのです。 人口が減少に転じた日本社会で、設備投資が長期的に減少していくことはやむを得ないことで、これを高度経済成長期のような成長趨勢に戻そうとすることは、無謀な取り組みのように見えます。
・日本は、すでに多量の資本ストックを蓄積し、高度な生産能力を備えた経済大国です。資本ストックに新たに付け加わるフローとしての設備投資が減少したとしても、資本ストックは着実に増加し、それにふさわしい需要を見つける方に難しさがあります。 設備投資循環の振幅から逃れるためにも、設備投資から消費支出主導の需要項目へと切り替えていくことが必要であり、賃金抑制は国民経済的観点から、間違った選択であると言わざるをえません。
▽資源制約のもとでは円安・輸出主導は限界
・輸出主導の経済成長に関しても、世界経済の拡張が資源制約にぶつかり、資源価格の上昇と日本の輸入物価上昇につながっていることを直視する必要があります。 世界が広く、資源も無限にある時代であれば、世界経済の拡大の波に乗って、輸出を増加させていくことも結構でしょう。しかし、すでに資源の制約がはっきりした状況では、世界経済が拡張し、仮に日本の輸出が増加したとしても、資源価格はすぐに上昇し、日本の支払うべき輸入品の代金も上がっていきます。
・働く人たちにとっては、仕事が増え、忙しくなったとしても、生活のために支払う金額は増え、実質生活は少しも改善しないのです。 賃金抑制が投げかけた諸問題は、企業の労使関係の問題を大きく超えて、これからの日本経済の在り方と大きなかかわりを持つようになってきました。
http://diamond.jp/articles/-/155409

第三に、上記の続きとして、1月22日付け「労組が賃上げに失敗するのは時代遅れの経済理論に原因がある なぜアベノミクスで賃金が上がらないのか(下)」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・なぜアベノミクスのもとで賃金が上がらないのか――。労使関係に詳しく労働経済論などの専門家でもある石水喜夫・元京大教授(現・大東文化大学経済研究所兼任研究員)が3回にわたって解説するシリーズの最終回は、市場重視の風潮のもとで、労働力の価値が、商品やサービスと同じように市場での需給で決まると吹聴した経済学者の罪と彼らの「理論」に翻弄された労働組合の失敗についてです。
▽経済学者の「労働市場論」に従った労働組合の失敗
・現代日本の経済政策には、ある一つの基本認識が存在しています。 それは、これまで必ずしも明確に語られてきたわけではありませんが、あえて論理化するなら、次のようなものとなるでしょう。 すなわち、「雇用情勢の改善が続き、有効求人倍率もバブル期のピークを越えたので、労働力需給は、少なくともバブル期並みには逼迫している。賃金は労働力の価格であり、需要と供給によって価格が決まる市場経済の原理からすれば、高い上昇率を示すのが自然である。したがって、労働組合は、より高い賃金の獲得に向け、労使交渉を押し進めなくてはならない」というものです。
・このような賃金決定の論理は、労働市場で賃金が決まると考えるもので、「労働市場論」と呼ばれ、現代経済学の“主流”となっています。 経済政策の運営は、学問的な裏付けによって支えられており、現代経済学が備える「権威」は、労使を含む経済主体に、ある特定の行動を促すことになります。
・一般に、経済政策の問題は、それぞれの政権や政治の問題だととらえられているようです。政権の名を冠して政策が語られていることから、多くの人々は、経済政策の選択は政治の選択だと考えているのでしょう。 しかし、経済政策を実施するには、経済の現状をまず分析する必要があり、その分析の道具自体が経済学に握られています。 つまり、政策選択は経済学のあり方そのものに規定されているのです。
▽有効求人倍率が上がれば賃金も上がるはずだった
・市場の機能を「神の見えざる手」と表現したのはアダム・スミス(1723~90年)ですが、この伝統のもとに、市場分析の装置を完成させたのは同じ英国のアルフレッド・マーシャル(1842~1924年)です。 経済学の教科書には、右上がりの供給曲線(S曲線)と右下がりの需要曲線(D曲線)が図の中央でクロスを結ぶチャートが登場します。この「需要供給曲線」は「マーシャリアンクロス」とも呼ばれています。
・商品の売り手と買い手が自由な市場取引を行うことで、価格と数量の柔軟な調整が行われ、需要と供給は均衡します。スミスは、このメカニズムを「神の見えざる手」と呼んだのですが、マーシャルは、これを経済分析に応用可能なチャートへと発展させました。 こうして、スミスの述べたことは、経済学の各分野で広く応用可能になったのです。
・この応用経済学の一種である「労働市場論」は、人が働くということを、労働力という商品の供給とみなし、労働力の需給によって、雇用や賃金を説明します(図1 労働市場の模型)。 この図で説明しますと、前述した、有効求人倍率が上がっているのだから、賃金も上がるはずだという基本認識は、労働市場の均衡点P0で決まる賃金w0の水準に比べ、現状の賃金w1が低い水準にあるというものです。
・企業の労働力需要(D)は均衡水準のL0より大きくなり、労働者が供給する労働力供給(S)はL0より小さくなります。需要が供給を上回る状況であり、賃金を上げ、働き手を増やすことで、労働力需給を均衡させなくてはならないと結論づけられます。
・政府が労働組合側に与し、経済界に「賃上げ」を求めるのも、まさにこの「労働市場論」の認識によるものなのです。 この構図によって、2013年以来、春闘は「官製春闘」と呼ばれてきました。 労働組合が不本意ながらもこの枠組みに乗ってしまったのは、労働組合自身もまた、マーシャリアンクロスを信じているからだと想像されます。
・しかし、マーシャリアンクロスは、現実を正しく表現し、正しい指針を提示してくれているのでしょうか。 これから述べるように、ジョン・メイナード・ケインズ(1883~1946年)は、マーシャリアンクロスの信憑性に、かなり厳しい疑問を提示しているのです。
▽「マーシャリアンクロスの罠」 賃金上がっても実質賃金は変わらず
・ケインズが『雇用・利子および貨幣の一般理論』(1936年)で展開した議論は、「実質賃金」と「名目賃金」とを峻別せよ、ということでした。 彼が同著の序論で展開した議論を、現代日本経済に応用するとするなら、次のようなものとなるでしょう。
・まず、一般にマーシャリアンクロスとして語られてきた「労働市場論」は、名目賃金の話であるのか、実質賃金の話であるのかが明らかにされねばなりません。経済学の正しい論理展開のために、当然、確認されるべきことです。 もし、労働市場というものを想定するというなら、議論の出発点として、労使の行動を規定するものは、名目賃金であることが確認される必要があるでしょう。
・こう考えると、描かれるマーシャリアンクロスは、縦軸に名目賃金、横軸に労働量をとったチャートとなります(図2 労働市場論の論理矛盾)。 ところが、このチャートにしたがって考えていくと、重大な論理矛盾に突き当たってしまうのです。
・労働市場を仮定し、「労働市場論」の結論を信じて、労働組合が賃上げを実現したとしましょう。 労働者は、同じ労働力を供給するのに、より高い賃金をもらうことになるので、労働力供給曲線は、S曲線からS’曲線へ上方シフトすることになります。 ところが、相互に関連性を有する市場経済のメカニズムのもとでは、S曲線からS’曲線への上方シフトは、また、別の影響をもたらすことになるはずです。 すなわち、名目賃金の上昇に伴って、一般物価水準も上がっているので、労働力需要曲線(D曲線)がそのままということはあり得ず、より高まったコスト構造のもとで、D曲線はD’曲線へと上方シフトすることになるのです。
・“主流”の経済学派も価格は費用によって決まり、その費用の多くは賃金の支払いであることは認めざるを得ないでしょう。 こうした一連の道筋によって、もちろん、名目賃金はw1からw2へ上昇するのですが、S曲線はS’曲線へ、そして、D曲線はD’曲線へと上方シフトし、労働力需要が超過している状況にさしたる変化は生じません。 さらに、物価も上昇しているため、実質賃金はほとんど変化していないでしょう。 ケインズは、“主流”の経済学派が、この点についてきちんと論じていないのは、経済学派としての論理矛盾であると手厳しく批判しています。
・このように、「労働市場論」では、実のところ、賃金はどの水準に決まるのか、また実際の雇用量はどの程度になるのかについて、何も語ることができないのです。 「労働市場論」は疑わしいもので、仮に、人々が「労働市場論」の言うように行動したとしても、名目賃金が上がったところで、人手不足が解消されるはずもなく、実質賃金が上昇するかどうかも分かりません。 これらは「マーシャリアンクロスの罠」と呼んでもいいかもしれません。
▽経済学にはビジョンが必要 時代背景によって理論も変わる
・正しい経済政策を導くためには、経済学の立論から論理矛盾を排除しなくてはなりません。この点で、ケインズは「労働市場論」は使い物にならないと考えています。 しかし、経済学に求められるものは、そうした論理整合性ばかりでなく、ビジョンとしての役割も期待されています。 経済学という学問には、人々がとるべき社会的行動の規範を提示することも求められているのです。
・その意味では、スミスにもケインズにも経済学者として確固たるビジョンがありました。2人はそれぞれ、18世紀、あるいは20世紀という時代とともに、人類に対し明確なビジョンを語っています。 スミスの時代は、人口が増加し、植民地貿易も拡大して、市場経済は大いに拡張していました。人口増加に伴う消費需要の拡大、広範な投資機会、貿易の拡張に伴う輸出の増大など、需要の不足に悩む必要はなかったのです。 このような状況のもとで、政府機能を拡張したり、財政支出を増やしたりすることは、貴重な資源を民間の投資や資本蓄積から吸い上げることになります。
・このように需要がどんどん増える時代では、民間の投資主導で成長し、生産力を高め、資本蓄積を進めて、より大きな富を生み出すことが目指されます。 ここから、政府機能に基づく所得再分配ではなく、成長のもとでのトリクルダウンを志向する経済政策の道筋が生まれてきます。 「神の見えざる手」とは、18世紀の勢いのある経済を前提に、自由主義市場経済で果敢に挑戦する精神を鼓舞したものと言えるでしょう。
・これに対し、ケインズの「有効需要の原理」とは、「大恐慌」に象徴されるように需要が伸びなくなった20世紀前半の時代の産物で、自由主義市場経済の原理に修正を迫りました。 人口が伸びなくなり需要は停滞し、市場を求めた植民地の拡大は列強の世界割拠をもたらし、国際的な緊張が極度に高まった時代だったのです。
・今日見られる現代経済学研究の危険性は、経済理論をそれぞれの生み出された時代から切り離し、普遍性のある完結した世界として描き出そうとすることです。 大学での研究の論理からすれば、それは経済学の「科学」としての性格を高めるにことに役立つでしょう。しかし、経済学の「ビジョン」としての性格は、どんどん失われていくことになります。
▽アベノミクスは古い時代の経済学の焼き直し
・「成長戦略」「デフレ脱却」「物価目標2%」「3%賃上げ」など、現代日本社会は勢いのある言説に包まれています。 何やらスミスの生きた時代のビジョンが、現代経済学の“精緻な理論”を経由して、「現代的な装い」のもとに復活したかのようです。 そこでは「労働市場論」によって雇用と賃金が堂々と語られています。
・しかし、「官製春闘」を5年間戦い抜いてきた労働組合の皆さんは、現代日本社会をどのように見ているのでしょうか。 そろそろ、「マーシャリアンクロスの罠」に気づく人が出てきてもよさそうです。 ケインズ理論によって、「労働市場論」がすでに論破されているのだとするなら、賃金は、次のように語られるべきではないでしょうか。
・すなわち、それは極めて社会的なものであって、市場経済の原理によって語られるべきものではないということです。 賃金水準は、その社会での生活状態や生計費の水準などを基底に置きながら、労使関係、労働組合の交渉力、労働関係法制のあり様など社会的な関係のもとに決定されるものであり、決定された賃金は、市場経済における自由競争の前提ととらえられるべきものである、ということです。
・賃金は、労働市場の需給関係によって決まるのではなく、その社会で生きる人たちの仕事に対する考え方であったり、所属する組織との関係性など、社会的、文化的要素によって決まるのであり、歴史的に形成されるものです。 そのような、文化的、歴史的事情によって決まる賃金は、市場の外から外生的に与えられる極めて社会的なものだととらえられなくてはなりません。
▽成長鈍化の時代に「真の豊かさ」を考える春闘に
・「労働市場論」を否定した後に問われることは、「真の豊かさとは何か」ということです。 「豊かさ」を文化的、歴史的な営みの中で再考する必要があります。 今まで、GDP(国内総生産)の大きさが、一国の豊かさを表し、経済成長は私たちの豊かさを増進するものだととらえられてきました。
・しかし、現代社会に経済成長の制約はたくさんあり、特に人口減少とエネルギー資源の制約は日本社会にとってすでに避けられないものとなっています。 それにもかかわらず、現代日本の経済政策が経済成長にしがみつくのは、それ以外に、豊かさを語る言葉を持たないからです。経済が成長し、賃金が増えれば豊かになるという「神話」が成立してしまっています。
・人口減少やエネルギー資源の制約からくる経済成長率の鈍化については、日本社会における客観的な諸条件を洗い出した上で、経済予測に正確に織り込む必要があるでしょう。 経済成長率を無理にも引き上げようとする異次元緩和や財政発動は、すでに多くの副作用をもたらしています。
・大量の貨幣供給とマイナス金利は円安誘導を通じて、輸入物価を引き上げ、国内の所得は海外に漏出するようになりました。国内物価の上昇に伴い実質賃金が低下するのに対し、金融緩和と財政発動によって企業収益は保護されています。 この結果、経済成長は投資主導となり、巨大な生産能力が着々と蓄積され、供給過剰の危険が現実のものとなるのも、そう先のことではないでしょう。
・今春闘の真の課題は、こうした日本経済の現実を冷静に見つめ、働く人たちの真の豊かさと、それを実現する正しい経営のあり方を模索することです。 その議論の延長に、経済政策の転換と新しい経済学の創造があることは言うまでもありません。
http://diamond.jp/articles/-/156446

第一の記事で、 『労働力は他の商品とは違う。 「労働市場論」という知的欺瞞』、 『既存の経済学の枠組みでは雇用の実態を見誤る』、 『経済学は、人々の思考を縛り、ある特定の社会認識を生み出し、そして、ある特定の行為を命ずる、というような危険な性格を持っています』、 『景気拡張過程で実質賃金が低下 アベノミクスの「隠された本質」』、などの指摘は、労働経済学の権威だけあって、説得力がある。
第二の記事で、 『契機は日経連のレポート 「雇用ポートフォリオ」で人件費管理』、というのはすっかり忘れていたことを、思い出させてくれた。 『賃金は「人への投資」 人件費をコストと考えた失敗』、というのは、確かに正論ではあるが、いまだ殆どの経営者はコストと考え続けているようだ。 『設備投資主導は過剰供給生む危険 賃金抑制は間違った選択』、という指摘もその通りだ。
第三の記事で、 『経済学者の「労働市場論」に従った労働組合の失敗』、 『「マーシャリアンクロスの罠」 賃金上がっても実質賃金は変わらず』、 『経済学にはビジョンが必要 時代背景によって理論も変わる』、 『アベノミクスは古い時代の経済学の焼き直し』、などは、さすが碩学ならではの鋭い指摘だ。
今年の春闘ベア率の3%目標は、どう考えても、夢のまた夢だろう。
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司法の歪み(その5)(美濃加茂市長冤罪事件(日本の刑事司法は‟真っ暗闇”だった!、最後の書面”を最高裁に提出)、SNSに悪口で1000万円請求…無茶な高額訴訟が急増した理由) [社会]

昨日に続いて、司法の歪み(その5)(美濃加茂市長冤罪事件(日本の刑事司法は‟真っ暗闇”だった!、最後の書面”を最高裁に提出)、SNSに悪口で1000万円請求…無茶な高額訴訟が急増した理由)を取上げよう。このブログで美濃加茂市長冤罪事件を取上げたのは、昨年6月20日である。

先ずは、元東京地検特捜部検事で弁護士の郷原信郎氏が昨年12月14日付けの同氏のブログに掲載した「【藤井浩人美濃加茂市長 冤罪】 日本の刑事司法は‟真っ暗闇”だった!」を紹介しよう。
・12月11日、名古屋高裁の逆転有罪判決に対して上告中だった美濃加茂市長事件について、最高裁の上告棄却決定が出された。 主任弁護人の私の下に届いた上告棄却決定の理由は、 弁護人郷原信郎ほかの上告趣意のうち、判例違反をいう点は、事案を異にする判例を引用するものであって、本件に適切でなく、その余は、憲法違反をいう点を含め、実質は単なる法令違反、事実誤認の主張であって、刑訴法405条の上告理由に当たらない。 という、いわゆる「三行半の例文」だった。
・本日、藤井市長は、記者会見を開き、上告棄却決定が確定することで失職することになることを受け、辞職する意向を表明した。
・名古屋地裁の一審判決は、多くの証人を直接取調べ、被告人質問で藤井市長の話も直接聞き、丁寧な審理を行った心証に基づき、無罪を言い渡した。ところが、控訴審では、贈賄供述者の取調べ警察官の証人尋問以外に新たな証拠もなく、毎回欠かさず控訴審の公判に出廷していた藤井市長には発言の機会すら与えることなく、一審判決を破棄して、驚愕の“逆転有罪判決”を言い渡した。このような不当極まりない控訴審判決を、最高裁がそのまま是認し、有罪が確定することなどあり得ないと信じていた。
・一審では、現金を受け取った事実は全くないことを、3人の裁判官の面前で訴え、無罪とされた藤井市長は、控訴審でも、上告審でも、一言も言葉を発する機会を与えられないまま、有罪判決が確定するというのである。それが、果たして、“刑事裁判”などと言えるのであろうか。
・先週金曜日には、捜査段階から上告趣意書提出までの経過を詳細に記した拙著【青年市長は“司法の闇”と闘った  美濃加茂市長事件における驚愕の展開】がKADOKAWAから発売された。 この本を読んでもらえれば、藤井市長が潔白であること、警察の捜査、検察の起訴・公判立証と、有罪を言い渡した控訴審の判断が不当極まりないものであることが、世の中に広く理解されるものと確信していた。驚愕の上告棄却決定は、その発売日の先週金曜日から週末を挟んだ翌月曜日だった。そのタイミングは、単なる偶然とは思えない。
・同書でも、私は書いている。 万が一、上告が棄却されて有罪が確定したとしても、藤井市長の「潔白」という真実は、それによって否定されるものではない。その場合、私は、「冤罪」を広く世の中に訴え、司法の場でも、再審で有罪判決を覆すことに全力を挙げていくであろう。 最高裁の上告棄却が現実となった今も、その思いに全く変わりはない。
・藤井市長は、今回の司法判断にもめげることなく、自らの潔白を市民に訴え続けるとともに、今後も美濃加茂市政の推進に情熱を燃やし続けるであろう。そういう彼を私は、今後も、引き続き全力でサポートしていきたい。 青年市長は、警察・検察、そして、控訴審裁判所という「司法の闇」と闘い続けてきた。 その先にある、最高裁を頂点とする日本の刑事司法自体が、実は「真っ暗闇」だということが、今回の上告棄却決定で明らかになったのである。
https://nobuogohara.com/2017/12/14/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E5%88%91%E4%BA%8B%E5%8F%B8%E6%B3%95%E3%81%AF%E7%9C%9F%E3%81%A3%E6%9A%97%E9%97%87%E3%81%A0%E3%81%A3%E3%81%9F/

次に、12月19日付けの上記の続き、「美濃加茂市長事件 ”最後の書面”を最高裁に提出」を紹介しよう。
・【藤井浩人美濃加茂市長 冤罪 日本の刑事司法は‟真っ暗闇”だった!】で述べた美濃加茂市長事件の上告棄却決定、一貫して潔白を訴えてきた受託収賄等の罪の有罪確定が現実のものとなった藤井浩人氏には遥かに及ばないとしても、主任弁護人の私にとっても強烈な打撃だった。
・2014年6月、逮捕直後の藤井氏と接見し、潔白を確信して弁護人を受任して以来、全身全霊を挙げて弁護活動に取り組んできた。一審で無罪判決を勝ち取ることができ、それが最終の司法判断となって、若き藤井市長を支持してきた美濃加茂市民の皆さんに、藤井氏の潔白が明らかになったと報告できる日が来ることを確信し、まさに弁護士生命を賭けて闘ってきた。
・その間、藤井氏は、市民の圧倒的な支持に支えられ、「現職市長」として収賄の罪で逮捕・起訴されながら、3年半にわたって市長職にとどまって市政を担い続けるという、それ自体一つの“奇跡”が起きていた。  控訴審で“驚愕の逆転有罪判決”を受けたものの、上告審に向けて、主要争点となる「控訴審における事実審理の在り方」の問題の専門家でもある元東京高裁部総括の原田國男弁護士、民事のみならず刑事弁護でも輝かしい実績を挙げて来られた喜田村洋一弁護士を加えた“最強の上告審弁護団”を編成した。今年5月に提出した上告趣意書は、私自身も渾身の執筆を行ったし、両弁護士も重要部分を執筆され、まさに、完璧な内容に仕上げることができたとの自負を持って最高裁に提出した。これを読んでもらえさえすれば、必ず“再逆転無罪”の判決が出されるものと確信していた。
・8月からは、ここまでの闘いの全経過を著書にすべく執筆に取りかかり、11月中旬に校了。12月8日には、KADOKAWAから【青年市長は“司法の闇”と闘った 美濃加茂市長事件における驚愕の展開】が発売された。
・その直後の、12月12日火曜日だった。私の事務所に、最高裁第三小法廷からの「三行半(みくだりはん)」の上告棄却決定書が届いた。それを見たとき、全身の力が抜けた。しばし、何が起きているのか理解できなかった。 すぐに藤井市長本人に連絡しようと思ったが、議会での代表質問の最中ということだったので、あまりに重大なこの知らせが、議会での対応に与える影響を考え、議会が終了した午後3時半頃に伝えた。
・電話に出た藤井市長自身も、さすがに落胆しているようだったが、すぐに、今後とり得る手続、有罪判決確定の時期などの話になり、「棄却決定送達の翌日から3日以内に異議申立ができるが、過去に異議で決定が覆ったことはなく、確定を1、2週間先延ばしする意味しかない。」と伝えた。 藤井氏は、「異議申立は是非お願いします。辞職の時期は、これから相談して決めます。」とのことだった。
・藤井市長は、結局、13日の市議会本会議終了後に、不在配達となっていた上告棄却決定通知の「送達」を受け、夕方、市議会に対して、上告棄却で有罪が確定する見通しになったことを受けて市長を辞職することを報告、その日の夜、多くの市民も集まった記者会見で、辞職の意向を表明した。 翌日、辞表が市議会で受理され、藤井市長は、「藤井前市長」となった。
・辞職の意向を固めたことを聞いたとき、確定を先延ばしするために異議申立をする必要はなくなったと思い、藤井氏に再度確認したところ、「やはり最後まで潔白を訴えたいので、異議申立はお願いします。」とのことだった。
・これまで、身柄釈放に向けての各種の申立、公判前整理手続、一審、控訴審、上告審で提出した書面の総数は百通以上、字数にすれば数十万字にも及ぶ。それらの書面はすべて「藤井市長の無罪確定」を目指して書いてきたものだった。今回は既に勝負はついてしまっている。渾身の上告趣意書に対して「三行半の例文」で棄却の判断をした同じ裁判体が、「異議申立」によって決定を見直すことは100%あり得ない。しかも、藤井氏は市長を辞職する。戦で言えば、総大将が討ち取られ、武器・弾薬も尽きた「落ち武者」のようなものだ。藤井氏の意向はあったが、「異議申立書」を書く気力が出なかった。
・そんな14日木曜日の午前、事務所にいた私に電話をかけてきたのが、棄却決定が出る前にも上告審の見通し等について再三問い合わせてきていた記者だった。 「異議申立をいつ行うんですか。」「誰が最高裁に書面を届けるんですか。」というようなことを聞いてきた。「異議申立」と言っても、何か書くか考えてすらいない。持っていくのは、それまでと同様に、事務所の事務員に行かせればよいと思っていたので、「今さら、何を言っているのだろう。」と思った。
・しかし、彼は、真剣だった。 著書を読ませて頂きました。私も今回の決定は本当におかしいと思います。今後も、再審への動きも含め報じていきたいと思います。異議申立のこともしっかり報じたいのです。まず異議申立のことをニュースで報じて、最高裁に申立書を提出する映像もとらせてもらいたいのです。
・私には意外だった。最高裁の判断が出て、有罪の司法判断が確定することになっているのだから、世の中からも、マスコミからも「これで美濃加茂市長事件も終った」とされるように思っていた。しかし、無罪の可能性はゼロになっても、まだ、裁判の手続は完全には終わっていない。潔白を主張する藤井氏の最後の訴えを見守ってくれる人がいるのだ。
・マラソンで、ゴールにたどり着けず、力尽きて倒れているランナーが、「ガンバレ」と旗を振って応援してくれる人の姿を見たような思いだった。私は立ち上がった。再び走り始め、ゴールまで走り抜こうと思った。 「わかった。これから頑張って申立書を書き、私が最高裁に持っていこう。」 と答えた。 その後、他のマスコミからも、次々と問合せの電話がかかってきた。
・異議申立のことは、その日の昼のNHKのニュースのほか、多くのマスコミで報じられた。 翌日の金曜日から、私は異議申立書の起案に集中して取り組んだ。
・異議の対象は、 弁護人郷原信郎ほかの上告趣意のうち、判例違反をいう点は、事案を異にする判例を引用するものであって、本件に適切でなく、その余は、憲法違反をいう点を含め、実質は単なる法令違反、事実誤認の主張であって、刑訴法405条の上告理由に当たらない。 という、事件の内容も、判断も、何も書かれていない、単なる「例文」だ。
・しかし、その僅か三行半の中に、弁護人として「最後の主張」を行う手掛かりが含まれていた。  刑事訴訟法では、上告理由は、405条で、(1)「憲法違反」、(2)「判例違反」に限定されている。そして、411条で、(3)「上告理由がない場合でも、原判決を破棄しなければ著しく正義に反すると認めるときは、判決で原判決を破棄することができる」とされている(職権破棄)。
・藤井氏の事件の上告趣意書では、「判例違反」の主張を二つと、「重大な事実誤認」の職権破棄を求める主張を行っている。弁護団の検討の結果、「判例違反」と「重大な事実誤認」で十分に破棄が期待できる事案なので、敢えて「憲法違反」の主張をする必要はないという結論になり、「憲法違反」の主張はしなかったのである。
・ところが、上告棄却決定では、「憲法違反をいう点を含め」と書かれており、主張していない「憲法違反」が主張したことになっている。念のため、他の上告事件で、上告趣意で憲法違反の主張をしていないのに、「憲法違反をいう点」などと決定に記載された例があるか否かを調査してみたが、全く見当たらなかった。上告人らが違憲の主張をしていないのに「憲法違反をいう点」などと判示した本決定は、上告趣意を正しく把握し理解した上で出されたものとは考えられない。
・しかも、決定では、「判例違反」の主張について「事案を異にする判例を引用するものであって、本件に適切でなく」としているが、上告趣意で主張する「判例違反」のうち、平成24年の「チョコレート缶事件判決」は、一審の無罪判決が、控訴審判決で破棄自判有罪とされた事件だ。“控訴審における事実誤認の審査の在り方”に関する実務上の指針とされている判例であり、一審無罪判決が控訴審判決で破棄自判有罪とされた本件と「事案を異にする判例」であることは全くあり得ない。
・そして、上告趣意書でも特に全力を挙げて主張したのが、「控訴審判決が贈賄供述の信用性を認めたことが事実誤認だ」ということであり、それは、刑訴法405条の上告理由には当たらないが、「著しく正義に反する重大な事実誤認」なので判決に影響を及ぼす、として、刑訴法411条による「職権破棄」を求めたのである。
・ところが、決定では「単なる法令違反、事実誤認の主張であって、刑訴法405条の上告理由に当たらない」と述べている。もちろん、職権破棄を求める主張をした場合にも、そのことに何も触れないで、このような例文で棄却されることもあるが、少なくとも重大な事件であれば、職権破棄を求める主張に対して、破棄しない場合には、「所論にかんがみ記録を精査しても、411条を適用すべきものとは認められない」などと記載される場合も多い。少なくとも、人口5万6000人の美濃加茂市の現職市長が逮捕・起訴され、被告人でありながら、今も市長職にあり、有罪が確定すれば失職するのであるから、重大な事件ではないとは決して言えない。職権調査をしたともしないとも言わず「上告理由に当たらない」はないだろう。
・結局、この「三行半」の例文の棄却決定は、弁護人の上告趣意の内容に全く対応しないものだった。上告趣意が理解されて十分に検討された上での決定とは思えないのである。 ということは、上告趣意をほとんど検討もせず、最初から結論を決めてかかって、上告趣意の内容とは噛み合わない「三行半」の例文で上告棄却決定を出したとしか思えない。それが、私を「日本の刑事司法は“真っ暗闇”」と絶望させた最高裁の最終の司法判断の中身なのである。
・問題は、最高裁が最初から結論を決めてかかったとすると、それはなぜか?である。 今回の事件で無罪判決が出されることを阻む何らかの「力」が働いていたのではないか、ということは、控訴審の“驚愕の逆転有罪判決”の際も言われていた。それが裁判所外からの力だとすると、日本の刑事司法は、まさに「闇」そのものだということになる。しかし、そのような「力」が仮に働いたとしても、それが明らかになることはあり得ない。そういう想定で考えることは我々法律実務家にとって意味のあることではない。
・では、美濃加茂市長事件の“真っ暗闇”の結末をもたらした「力」とは一体何なのか。刑事裁判の制度や運用に関する問題は考えられないだろうか。そうだとすると、“真っ暗闇”を今後、是正していく余地もあり得るということになる。 そういう観点から改めて考えてみると、やはり、最大の問題は、贈賄供述者が、既に自らの贈賄と融資詐欺の事実を全面的に認め、早期に有罪判決が確定し、服役までしているという事実が、その賄賂を贈った先とされた藤井氏の収賄事件に与えた影響である。
・弁護活動の最中には、私は、決してそのようには考えたくなかったし、それはあり得ないと考えて、これまで弁護活動に取り組んできた。しかし、今回の、上告趣意に全く対応しない「三行半の決定」を見ると、最高裁や高裁レベルでは、それが大きな影響を与えた可能性が十分にあると考えざるを得ない。
・私は、異議申立書の冒頭に 僅か3行余りの決定には、弁護人らは「憲法違反」を主張していないのに、主張しているかのように判示するなど、全体として弁護人の上告趣意の内容に全く対応しないものであり、弁護人らとしては、本件について上告趣意が十分に理解され、適切に検討された上での決定であるか否かについて疑問を持たざるを得ない と述べ、それに続いて、上告趣意での弁護人の主張と「3行余りの決定」が全く対応していないことを具体的に指摘した。
・本件が単純化され、有罪方向で異論のない事件のように扱われたのだとすれば、贈賄の供述者が、自らの罪を認め、融資詐欺の事実も含め有罪判決が確定し、服役までしていることが影響している可能性がある。もし、贈賄者と収賄者とで事実認定が異なることが、司法判断の統一性を害するとの理由だとすると、贈賄者が事実を全面的に認めている刑事裁判で、贈賄について有罪の認定が行われ有罪判決が確定することは、収賄の被告人やその弁護人にとって、どうにも防ぎようがないことであり、そのような理由で、藤井氏の事件が単純化され、有罪方向で異論のない事件のように扱われたとすれば、全く不当極まりないことだと述べた。
・そして、異議申立書の最後を、以下のように締めくくった。 被告人が法廷で言葉を発したのは、言い分を丁寧に聞いてくれた1審裁判所だけである。控訴審でも、上告審でも、裁判所に対して発言する機会は全く与えられることはなかった。直接聞いた1審裁判所が「信用できる」と判断してくれた被告人の公判供述を、直接聞いてもいない控訴審が、記録を読んだだけで「記憶のとおり真摯に供述しているのかという点で疑問」と断罪した。質問されれば、いくらでも説明できたことなのに、説明の機会は与えられなかった。
・本件では、中林証言と被告人供述を直接聞いた1審の3人の裁判官の過半数が、中林供述には合理的な疑いがあると判断したのである。それらを直接聞いていない控訴審の3人の裁判官が、仮に、裁判記録を見る限り中林証言は信用できる、被告人供述は信用できないと判断したとしても、中林証言が信用できない、被告人の供述が信用できると判断した裁判官が少なくとも2人いるのに、公訴事実が「合理的な疑いを容れない程度」まで立証されたと言えるのだろうか。 それが、果たして刑事裁判と言えるのだろうか。
・そのような不当極まりない控訴審の審理・判断を正してくれるのが最高裁判所なのではないのか。それが、三審制がとられている日本の司法の頂点にあり、「最後の砦」である最高裁の役割なのではないのか。  判例違反の主張は「事案を異にする」というが、それなら、一審で無罪の事実認定が理由もなく控訴審で覆されたような事件に対しては、何ら救済のルールはないというのか。
・本件のようなことがまかり通るとすれば、刑事司法の正義など、国民は全く信じられなくなると言わざるを得ない。
・本件上告裁判所を構成する5人の裁判官 山﨑敏充判事 岡部喜代子判事 木内道祥判事 戸倉三郎判事 林景一判事 に、改めて問いたい。 本件において、1審無罪判決を破棄し有罪の自判を行った原判決を是認してよいのか、このまま有罪判決を確定させることは著しく正義に反するのではないか。
・この異議申立書を、昨日午後、美濃加茂から上京した藤井氏とともに、最高裁判所に提出した。申立書を携え、最高裁の建物に入る南門には、多くの報道陣のカメラが待ち構えていた。裁判所職員に案内され、刑事受付で事件の係属を確認してもらったうえで、異議申立書を提出。その後2時半から東京の司法記者クラブで、藤井氏と私とで記者会見を行い、異議申立書で訴えたことなどについて説明した。
・藤井氏は、「潔白の訴えは、今後も決して諦めません。」と述べ、異議申立てが棄却されて有罪が確定した場合には、贈賄供述者に対して虚偽供述の不法行為の責任を問う民事訴訟を提起する方針を明らかにした。 我々の闘いは、まだ終わらない。 (なお、私の法律事務所のHPに【異議申立書全文】を掲載している)
https://nobuogohara.com/2017/12/19/%e7%be%8e%e6%bf%83%e5%8a%a0%e8%8c%82%e5%b8%82%e9%95%b7%e4%ba%8b%e4%bb%b6-%e6%9c%80%e5%be%8c%e3%81%ae%e6%9b%b8%e9%9d%a2%e3%82%92%e6%9c%80%e9%ab%98%e8%a3%81%e3%81%ab%e6%8f%90%e5%87%ba/

第三に、上記とは全く無関係なテーマ、フリージャーナリストの秋山謙一郎氏が1月15日付けダイヤモンド・オンラインに寄稿した「SNSに悪口で1000万円請求…無茶な高額訴訟が急増した理由」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・司法制度改革によって弁護士数が増えたことから、スラップ訴訟や高額訴訟が増えている。SNSに悪口を書き込んだら1000万円を請求され、破産してもチャラにはならなかったり、離婚や不倫の慰謝料も高額化――そんな恐ろしい現実をレポートする
▽SNSへの悪口書き込みから大金を請求された夫婦
・SNSに他人の悪口を書いたら1000万円、隣人のクルマのバックミラーを傷つけたら600万円――弁護士数が増加した結果、目を剥くような高額の訴えを起こされるケースが増えている  かつて、市井に暮らすごく一般の市民にとって弁護士へのハードルは高かった。ましてや裁判など起こすことも、起こされることもなかった。だが司法制度改革により弁護士人口が増えた今、弁護士のハードルは低くなり、誰でも容易に裁判を起こし、起こされる時代となった。
・弁護士の側からしても、人数が増えて過当競争となっているから、訴訟はありがたい。かくして、かつてなら訴訟にすらならなかったような案件を引き受ける弁護士が増えた。そんな一例をご紹介しよう。
・「たしかにわたしたち夫婦はSNS内で勤務先企業の経営者の悪口を書きましたよ。でも、それはちょっとした井戸端会議というか、その程度のモノなんです。それで1000万円支払えという請求でした。いくらなんでもこれは酷過ぎます」 大阪府内に住む50代のAさん夫婦は、夫婦で勤務する企業の勤務待遇の劣悪さから、時折、ネット掲示板やSNSに経営者をからかうような投稿をして憂さを晴らしていたという。その内容は和解後でもあり、ここでは詳述できないが、概ね、経営方針を揶揄したものや、「太っている」「禿げている」といった容姿をあげつらった内容である。
・そうしたネットでの憂さ晴らしを行っていたある日、突如、ネット掲示板での投稿が削除されていた。さらに月日が流れ、そんなことも既に忘れていたある日のこと、今度は、Aさん夫婦が契約しているプロバイダーから、「発信者情報開示請求の可否について」という書類が届く。インターネット掲示板に投稿した書き込みはAさん宅であることを、開示請求者である企業経営者に「開示してもいいか」というお尋ねである。
・「その時は開示を拒否しました。でも、プロバイダー側がその裁判に負けたので、結局、自動的に開示という運びになりました。それで、まずネット掲示板に経営者の悪口を書いたことへの損害賠償として1000万円支払えという内容証明郵便が届いたのです」
・この内容証明が届いた段階で、Aさん夫婦は、ようやく重い腰をあげて弁護士を探すことにした。高卒後、ずっと勤務先企業が提供する寮や経営者の自宅に間借りするなど、住み込みで働いてきたというAさん夫婦の周りには弁護士の知り合いなどいない。地方自治体で無料相談を行っていた弁護士に事の顛末を相談した。
▽憎い相手からはとことんむしり取る! 鬱憤晴らしに利用される弁護士
・「弁護士さんに間に入ってもらって裁判には至りませんでした。でも、莫大な慰謝料を支払うことになりました。確かに、私たちのしたことは褒められたことではありません。でも、職場の不満を書いただけで名誉毀損の損害賠償というのは、どうにも腑に落ちません」 Aさん夫婦は毎月、分割で数万円の慰謝料を経営者に数年支払うことで和解したと話す。
・だが、この事件がもとで勤務先を辞め、日雇い労働で生計を立てることになったAさん夫婦は、毎月数万円の慰謝料を支払うことで困窮を極めた。そこで消費者金融から借り入れをしていたが、その支払いも滞るようになったという。 「どうにも支払えないので、弁護士さんにお願いして債務整理してもらうことにしました。インターネットでの書き込みの件も免責(借金をチャラ)となったのですが、ここでまたトラブルが起きたのです」
・Aさん夫婦によると、インターネット書き込み時の相手方の弁護士から、「これは非免責債権である」と弁護士を通して伝えてきたという。たとえ自己破産しても免責されない債権、つまり、「破産しても、払え」という主張だ。
・まだまだ弁護士の数が少ない時代であれば、そもそも他人に悪口を言われた、書かれたという事案で訴訟したりすることもなかったという。たとえ勝訴判決を取ったところで「紙屑判決」、一銭もカネが取れない案件だったのだ。一般に弁護士は、「自分の依頼者が、みすみす経済的損失を被ることが分かっていて訴訟や示談交渉を進めることは良しとしない」(愛知県弁護士会所属弁護士)傾向がある。
・ましてや自己破産した相手に、「非免責債権」を主張、さらに追い込みをかけるなどという行為は、「司法の場を依頼者の鬱憤晴らしに用いることに等しく、破産者の経済的更生を妨げる行為」(前出・同)として、元来、あまり行われることはなかったものだ。
・しかし、こうした傾向は近年、変わりつつあるという。前出の愛知県弁護士会所属弁護士は、その背景を次のように解説してくれた。 「弁護士のサービス業化は同時に、訴訟のビジネス化を招いた。本来、訴訟には馴染まない事案を、依頼者心理にのみ寄り添い、これを法的紛争として弁護士料を得るというビジネスモデルだ。こういうことが続くと弁護士、ひいては司法が軽くなってしまう」
▽離婚や不倫の慰謝料も高額化! 「儲けさせていただける」
・実際に司法は“軽く”なってきている。大企業が気に入らない言論を封じる目的で高額の訴えを起こすことで知られ、恫喝訴訟とも呼ばれる「スラップ(SLAPP)訴訟」の増加はもちろん、一般市民同士の諍い事でも、高い訴額を設定する人が増えた。隣人のクルマのバックミラーをうっかり傷つけたら、600万円をいきなり請求される、というような、驚くような損害賠償請求を目的とする示談交渉も出てきている。
・一概に言い切ることはできないが、日本の裁判では「どんなに負けても、訴えた額の10分の1は取れる」(大阪弁護士会所属弁護士)というのがよく知られたところである。ならば、訴える側は「訴える相手から取りたい額の10倍の額」を訴額に設定することで、慰謝料を取ろうという考え方をする弁護士が出てきたのだ。
・「欧米型の劇場化訴訟を真似ているのでしょう。でも、相手が無資力ならば、高額訴訟をしても、訴える側は何の利益も出ません。そうした依頼者の利益を本当に守っているとは、到底、思えません」  関西の弁護士会で副会長経験のある弁護士は、スラップ訴訟や高額訴訟を起こす弁護士たちに、こう眉を顰める。続けて、こうも語った。
・「依頼者に成り代わって、その鬱憤晴らしに付き合うのが弁護士だとするならば、この職業も随分と軽いものに成り下がってしまったものだ。そういう法曹が出てきたのは、やはり新試験以降です。弁護士の権威が地に落ちた今、法曹制度養成から考え直さなければならない」
・だが、この高額訴訟化の流れが、弁護士業界の活性化につながっているという現実もまたある。東京弁護士会に所属する、「ヤメ判」と呼ばれる元裁判官の弁護士は、その現状を次のように語る。 「たとえば離婚訴訟で慰謝料請求額は500万円とか、不倫事案で800万円とか…、実際にどのくらいの弁護士料を取られているのかはわかりません。でも、訴えられた側の代理人として、そうした高額訴訟に当たったとき、率直に言って、ちょっと『儲けさせていただいた』という気持ちになるのは偽らざるところだ」
・弁護士費用は、訴額が高ければ高いほど、高く設定される。弁護士費用は2004年に自由化されたのだが、今でも民事裁判では「訴えるモノの額(訴額)」に対していくら…という目安を用いている弁護士は少なくない。その目安としてもっともポピュラーなものが「旧日本弁護士連合会報酬基準」だ。
・たとえば、訴額1000万円ならば、着手金は「5%+9万円」で59万円となる。勝訴判決、もしくは勝訴的和解を得たならば、これに成功報酬が上乗せされる。 だから、訴額がやたらに高い案件で訴えられた側からの依頼は、弁護士にとっての利益となるのだ。
▽弁護士はサービス業 「法律家」の矜持など必要なし!?
・スラップ訴訟や、鬱憤晴らしが目的の高額訴訟にモラルの問題があることは、多くの弁護士が分かっていることである。にもかかわらず、あからさまに批判の声をあげる者が少ないのは、こうした“カネ”にまつわる背景があるからだ。
・「法律家とは判事と検事だけ。弁護士はサービス業、訴訟はビジネスです。刑事裁判もそうです。私選の刑事被告人はお客様です。在野の弁護士を判・検事と同じ扱いにするほうが間違っているのですよ」 今年、弁護士登録をしたばかりだという大阪弁護士会所属の新人弁護士はこう語る。
・かつて判事・検事と同格の「法律家」と呼ばれた弁護士だが、今や、自らを法律家と呼ぶ弁護士は、若手では真面目なオールドタイプの弁護士を除いてほとんどいない。 弁護士のサービス業化、ひいては訴訟のビジネス化で、日本の司法は、「弁護士費用をたくさん積める者」が“訴えたいヤツ”を訴訟の場に引きずり出して懲らしめる社会となりつつある。
・「裁判員制度でも言われることですが、日本は司法と市民の間の乖離が著しいですよね。しかし、高額訴訟をいつ吹っ掛けられるか分からない社会となれば、いやでも市民は裁判を身近に感じられます。司法制度改革の目的は達成されつつあるのではないですか?」(同)  果たして司法制度改革が目指したのは、こうした劇場型の訴訟社会だったのだろうか
http://diamond.jp/articles/-/155741

第一の記事で、 『一審では、現金を受け取った事実は全くないことを、3人の裁判官の面前で訴え、無罪とされた藤井市長は、控訴審でも、上告審でも、一言も言葉を発する機会を与えられないまま、有罪判決が確定するというのである。それが、果たして、“刑事裁判”などと言えるのであろうか』、という郷原氏の指摘は、正論である。
第二の記事で、郷原氏が異議申立をする気が失せていたところに、ある記者から、『私も今回の決定は本当におかしいと思います。今後も、再審への動きも含め報じていきたいと思います。異議申立のこともしっかり報じたいのです。まず異議申立のことをニュースで報じて、最高裁に申立書を提出する映像もとらせてもらいたいのです』、との激励を受けて、異議申立を書いたとは、郷原氏といえども  『最高裁第三小法廷からの「三行半(みくだりはん)」の上告棄却決定書』には大きな衝撃を受けたことを物語っている。 『上告棄却決定では、「憲法違反をいう点を含め」と書かれており、主張していない「憲法違反」が主張したことになっている』、 『棄却決定は、弁護人の上告趣意の内容に全く対応しないものだった。上告趣意が理解されて十分に検討された上での決定とは思えないのである。 ということは、上告趣意をほとんど検討もせず、最初から結論を決めてかかって、上告趣意の内容とは噛み合わない「三行半」の例文で上告棄却決定を出したとしか思えない。それが、私を「日本の刑事司法は“真っ暗闇”」と絶望させた最高裁の最終の司法判断の中身なのである』、などは信じられないほどの最高裁の不公正さだ。 『最大の問題は、贈賄供述者が、既に自らの贈賄と融資詐欺の事実を全面的に認め、早期に有罪判決が確定し、服役までしているという事実が、その賄賂を贈った先とされた藤井氏の収賄事件に与えた影響である・・・今回の、上告趣意に全く対応しない「三行半の決定」を見ると、最高裁や高裁レベルでは、それが大きな影響を与えた可能性が十分にあると考えざるを得ない』、最高裁や高裁が既に確定した贈賄側判決と整合性を取るために、収賄側の判決を収賄側を法廷に呼び出すこともせずに書いたといのは、驚くべきことだ。 『藤井氏は、・・・贈賄供述者に対して虚偽供述の不法行為の責任を問う民事訴訟を提起する方針を明らかにした。 我々の闘いは、まだ終わらない』、今後の闘いを注目していきたい。
第三の記事で、 『司法制度改革により弁護士人口が増えた今、弁護士のハードルは低くなり、誰でも容易に裁判を起こし、起こされる時代となった。 弁護士の側からしても、人数が増えて過当競争となっているから、訴訟はありがたい。かくして、かつてなら訴訟にすらならなかったような案件を引き受ける弁護士が増えた』、 『かつて判事・検事と同格の「法律家」と呼ばれた弁護士だが、今や、自らを法律家と呼ぶ弁護士は、若手では真面目なオールドタイプの弁護士を除いてほとんどいない。 弁護士のサービス業化、ひいては訴訟のビジネス化で、日本の司法は、「弁護士費用をたくさん積める者」が“訴えたいヤツ”を訴訟の場に引きずり出して懲らしめる社会となりつつある』、など日本も米国のような訴訟社会に入りつつある、のは司法制度改革のマイナスの側面だ。他方で、プラスの側面は果たして出ているのだろうか。
タグ:郷原信郎 ダイヤモンド・オンライン 同氏のブログ 司法の歪み (その5)(美濃加茂市長冤罪事件(日本の刑事司法は‟真っ暗闇”だった!、最後の書面”を最高裁に提出)、SNSに悪口で1000万円請求…無茶な高額訴訟が急増した理由) 「【藤井浩人美濃加茂市長 冤罪】 日本の刑事司法は‟真っ暗闇”だった!」 美濃加茂市長事件 最高裁の上告棄却決定 三行半の例文 、控訴審では、贈賄供述者の取調べ警察官の証人尋問以外に新たな証拠もなく、毎回欠かさず控訴審の公判に出廷していた藤井市長には発言の機会すら与えることなく、一審判決を破棄して、驚愕の“逆転有罪判決”を言い渡した 一審では、現金を受け取った事実は全くないことを、3人の裁判官の面前で訴え、無罪とされた藤井市長は、控訴審でも、上告審でも、一言も言葉を発する機会を与えられないまま、有罪判決が確定するというのである。それが、果たして、“刑事裁判”などと言えるのであろうか 拙著【青年市長は“司法の闇”と闘った  美濃加茂市長事件における驚愕の展開】 、「美濃加茂市長事件 ”最後の書面”を最高裁に提出」 市議会に対して、上告棄却で有罪が確定する見通しになったことを受けて市長を辞職することを報告、その日の夜、多くの市民も集まった記者会見で、辞職の意向を表明 彼は、真剣だった。 著書を読ませて頂きました。私も今回の決定は本当におかしいと思います。今後も、再審への動きも含め報じていきたいと思います。異議申立のこともしっかり報じたいのです。まず異議申立のことをニュースで報じて、最高裁に申立書を提出する映像もとらせてもらいたいのです 異議の対象は、 弁護人郷原信郎ほかの上告趣意のうち、判例違反をいう点は、事案を異にする判例を引用するものであって、本件に適切でなく、その余は、憲法違反をいう点を含め、実質は単なる法令違反、事実誤認の主張であって、刑訴法405条の上告理由に当たらない。 という、事件の内容も、判断も、何も書かれていない、単なる「例文」だ 上告棄却決定では、「憲法違反をいう点を含め」と書かれており、主張していない「憲法違反」が主張したことになっている この「三行半」の例文の棄却決定は、弁護人の上告趣意の内容に全く対応しないものだった。上告趣意が理解されて十分に検討された上での決定とは思えないのである。 ということは、上告趣意をほとんど検討もせず、最初から結論を決めてかかって、上告趣意の内容とは噛み合わない「三行半」の例文で上告棄却決定を出したとしか思えない。それが、私を「日本の刑事司法は“真っ暗闇”」と絶望させた最高裁の最終の司法判断の中身なのである 控訴審の“驚愕の逆転有罪判決”の際も言われていた。それが裁判所外からの力だとすると、日本の刑事司法は、まさに「闇」そのものだということになる 最大の問題は、贈賄供述者が、既に自らの贈賄と融資詐欺の事実を全面的に認め、早期に有罪判決が確定し、服役までしているという事実が、その賄賂を贈った先とされた藤井氏の収賄事件に与えた影響である もし、贈賄者と収賄者とで事実認定が異なることが、司法判断の統一性を害するとの理由だとすると、贈賄者が事実を全面的に認めている刑事裁判で、贈賄について有罪の認定が行われ有罪判決が確定することは、収賄の被告人やその弁護人にとって、どうにも防ぎようがないことであり、そのような理由で、藤井氏の事件が単純化され、有罪方向で異論のない事件のように扱われたとすれば、全く不当極まりないことだと述べた 藤井氏は、「潔白の訴えは、今後も決して諦めません。」と述べ、異議申立てが棄却されて有罪が確定した場合には、贈賄供述者に対して虚偽供述の不法行為の責任を問う民事訴訟を提起する方針を明らかにした。 我々の闘いは、まだ終わらない 秋山謙一郎 「SNSに悪口で1000万円請求…無茶な高額訴訟が急増した理由」 司法制度改革によって弁護士数が増えたことから、スラップ訴訟や高額訴訟が増えている SNSへの悪口書き込みから大金を請求された夫婦 司法制度改革により弁護士人口が増えた今、弁護士のハードルは低くなり、誰でも容易に裁判を起こし、起こされる時代となった 弁護士の側からしても、人数が増えて過当競争となっているから、訴訟はありがたい。かくして、かつてなら訴訟にすらならなかったような案件を引き受ける弁護士が増えた 憎い相手からはとことんむしり取る! 鬱憤晴らしに利用される弁護士 離婚や不倫の慰謝料も高額化! 「儲けさせていただける」 弁護士はサービス業 「法律家」の矜持など必要なし!?
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司法の歪み(その4)(ある公安警察官の遺言シリーズ(過激派との闘い、オウム事件で喫した痛恨のミス、公安50人の尾行を振り切ったオウム逃亡犯)) [社会]

司法の歪みについては、昨年8月22日に取上げた。今日は、必ずしも「歪み」とはいえないが、普段は表に出ることのない公安警察を扱ったものを、(その4)(ある公安警察官の遺言シリーズ(過激派との闘い、オウム事件で喫した痛恨のミス、公安50人の尾行を振り切ったオウム逃亡犯))である。

先ずは、TBS報道記者で作家の竹内 明氏が昨年7月23日付け現代ビジネスに寄稿した「「俺はもうすぐ死ぬ」元公安警察官が明かした過激派との闘い ある公安警察官の遺言 第1回」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・6月9日、ひとりの元公安警察官がなくなった。 古川原一彦。警視庁公安部公安一課に所属して極左の捜査を担当し、連続企業爆破やオウム真理教事件で活躍した叩きあげの捜査官だ。 「俺はもうすぐ死ぬから、お前と最後に飲みたい。世話になったお礼にご馳走させてくれ」 筆者の携帯にこんな電話が掛かってきたのは、先月中旬のことだ。その口ぶりに覚悟を感じた。8年前に膵臓癌で手術、奇跡的に回復していたが、去年、再発していた。
・古川原は千葉県内の某駅を指定し、「午後6時頃に駅に着いたら電話しろ」と言って電話を切った。 当日、私が待ち合わせ場所の駅から電話すると彼はこう言った。 「なんだよ、おまえ。朝6時だぞ。年寄りは寝てるんだから、こんなに早く電話するなよ」  「いや、古さん。いま夕方の6時、約束の時間ですよ」  「……そうだったか。すまねえ」  駅近くの店ではなく、体に負担をかねないよう自宅近くの居酒屋で飲むことにした。
・いつもどおりの洒落たジャケットを着て店にやってきた古川原は思ったより血色がよかった。 「頚椎に癌が転移しやがった。右手がまるで利かなくなっちゃってね。まったくいやになるよなあ」 古川原は照れ臭そうに笑うと、馴染みの店員に、豪華な刺身の盛り合わせを注文した。カウンターに並んで、黙々と食事をした。古川原は震える右手でフォークを握り、刺し身を何度も落としながら、口に運んだ。あれほど豪快に酒をのんだ男が、この日は熱燗を舐める程度だ。
・公安捜査官として数々の難事件を解決した男だ。二度の離婚、酒癖もわるい。上司には平気で食って掛かるし、ルール違反すれすれの捜査手法も厭わない。組織の枠からは大きくはみ出した公安部の名物男だった。
・これまで筆者はこの男から沢山の話を聞いてきた。首都のど真ん中で起きた衝撃の事件に全国民が慄然とした連続企業爆破テロ事件、クアラルンプール事件、ダッカ事件。そして平成に入って世界初の化学兵器によるテロが実行されたオウム真理教事件。現在の警察組織では、公安といえども踏み越えることのない一線を、ときに荒々しく越える昭和の公安捜査官の捜査手法……。 読者の皆さんには、彼が死の直前に見せてくれた写真や資料も交えながら、激動の捜査官人生を数回に分けて紹介したいと思う。
▽テロの時代、公安はまさに「花形」だった
・公安警察官は目立たぬことこそが最も重要だ。だが、古川原一彦は警視庁に入庁する前から「有名人」だった。その名が世間に知れ渡ったのは、全国高校駅伝でのことだ。1964年1月4日の新聞には、こう書かれている。 <ひょろ長い体にくりくり坊主、真っ赤なハチマキをしめたその頭からほのぼのとユゲが立つ。その表情はいかにも全力を出し切ってたたかったわこうどの表情をそのままに美しい。レースを終わって勝利のアンカー古川原選手はゆっくりと喜びをかみしめながらぽつりぽつりとレースをかえりみて次のように語った。 「優勝はしたが、記録を更新できず残念です。風がきつかった上に道が悪くて穴で足をくじきはしないかと気が気でなかった。優勝はみんなのおかげです。しかし優勝はなんどしても気持ちがいい」>
・古川原は当時、名門・中京商業の駅伝選手。アンカーでゴールテープを切って、全国優勝を成し遂げた超一流の選手だった。名だたる企業からの誘いを断って古川原が選んだ就職先は警視庁だった。その理由はのちに紹介したい。
・古川原が警視庁巡査を拝命したのは1965年のことだ。交番勤務からスタートして、その7年後に、大塚警察署の公安係に異動となった。過激派によるテロが続いた時代、所轄とはいえ、まさに公安は花形だった。  1974年8月30日に、東京・丸の内で三菱重工ビルが爆破された。死者は8人、けが人は376人。ダイナマイト700本分の威力の爆弾だった。
・この爆破の8分前、三菱重工の本社にはこんな電話が掛かっていた。 <我々は東アジア反日武装戦線”狼”である。爆弾を2個仕掛けた。これはいたずら電話ではない>  その後も、三井物産、帝人、大成建設、鹿島……と大企業を狙った爆破事件が続いた。これが当時の日本を震撼させた「連続企業爆破テロ事件」である。
・古川原は所轄の末端の捜査員として、犯行に使われたペール缶爆弾に取り付けられていた時限タイマーの販売元をこつこつと探す作業に没頭した。 タイマーに使われたのは「スターレット」という旅行用目覚まし時計。茗荷谷駅近くの時計店にいった古川原は、タイマーに使われたスターレットと製造番号が連番の時計を発見する。
・「犯人が時計をこの店で買ったのではないかと誰もが思った。茗荷谷駅近くに爆弾魔がいれば、俺に手柄になると思ってワクワクしたよ」(古川原) 結局、犯人がこの店で時計を買った事実はなかったのだが、その粘り強い捜査姿勢が評価され、古川原には念願の「公安部」から声がかかったのだった。
▽「お前、家賃滞納してるだろ」
・異動先は、公安部公安一課の「極左暴力取締本部」だった。通称「極本」。極本の捜査員たちは、愛宕警察署の裏手にある「交通反則通告センター」に極秘の帳場(捜査本部のこと)を開き、東アジア反日武装戦線の正体を割り出す作業を進めていた。 古川原の任務は、東アジア反日武装戦線のメンバーと思われる佐々木規夫の行方を探すことだった。古川原は所在不明だった佐々木が、東京都北区中十条に住民票移転届けを出していたことを、戸籍調査で割り出した。
・古川原は初めて佐々木の姿を確認した時の印象をこう語った。 「佐々木は当時の過激派の若者とは違い、真面目なインテリサラリーマンという印象。彼らの教えの中に、『革命を起こすために、人民の海に入るには、善良な市民を装え』という教えがある。佐々木はまさにそれを実践していた」
・公安警察の真骨頂は徹底した「視察」、つまり尾行と張り込みである。このとき古川原は27歳。高校生時代は「くりくり坊主」だった頭は、肩までの長髪にパーマになっていた。当時の若者に溶け込みながら尾行するための偽装である。 行確(行動確認)を開始すると、佐々木は足立区梅島のアパートの1階に引っ越した。古川原は視察拠点の選定を命じられた。
・絶好の場所にアパートがあったが、その部屋には大学生が住んでいた。いきなり家を訪ねて「警察だ。部屋をよこせ」とはいえない。そこで古川原は大学生の基礎調査を開始した。 すると、この学生が家賃を滞納していること、仕送りをしている実家の父親が、かなりの酒好きだということがわかった。 
・古川原はまず、ビールを1ケース持って、父親を訪ねた。そして父親にこういった。  「息子さんの家の近くで事件が起きているんだ。息子さんに話を聞きてえんだけど、全然見つからないんだ」  父親は息子と連絡を取り、引き合わせてくれた。
・古川原は西新井駅近くのラーメン店で大学生と二人で会った。酒を飲ませながら、こう脅した。 「お前、家賃滞納しているだろう。親父さんから仕送りしてもらってるのに、とんでもねえ野郎だ。金は俺が払ってやるから、あの部屋から引っ越せ。親父には内緒にしてやる」 古川原は大学生に別の部屋を借りてやり、転居させた。まんまと視察拠点を確保したのである。佐々木のアパートまでの距離、120メートル。古川原は窓に簾を下げ、その簾の目の高さの竹を2本だけ切断した。その隙間に双眼鏡を当てて佐々木の出入りを確認したのだ。 (第2回はこちら)
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/52339

次に、同氏が9月3日付けで寄稿した「オウム事件で喫した痛恨のミス…いま明かす公安「尾行のイロハ」 ある公安警察官の遺言 第7回」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・極左過激派やオウム真理教事件など、昭和から平成にかけて日本を揺るがせた大事件の「裏側」で活動してきた公安捜査官・古川原一彦。その古川原が死の直前に明かした、公安警察の内幕やルール無視の大胆な捜査手法から、激動の時代に生きたひとりの捜査官の生きざまに迫ります。長年、古川原と交流を持ち、警察やインテリジェンスの世界を取材し続けてきた作家・竹内明氏が知られざる公安警察の実像に迫る連続ルポ、第7回(前回までの内容はこちら)。
▽公安捜査官が明かした「尾行のイロハ」
・公安部が得意とするのは徹底した「行確」(コウカク)である。 捜査対象を24時間、監視下において、行動や人脈を丸裸にして行く作業だ。この行確は張り込みと尾行によって行われる。この連載の主人公である警視庁公安部公安一課の古川原一彦は、連続企業爆破事件の捜査で、佐々木規夫を尾行した。その結果、東アジア反日武装戦線の共犯者達を割り出す手柄をあげた。その後、中核、黒ヘルといった極左活動家たちとの戦いの中で、尾行技術を研ぎ澄ましていった。
・古川原は生前、筆者にこう語った。 「いいか、尾行ってのは、メリハリなんだ。人気のないところでは、いったん脱尾(尾行中断)して、先回りする勇気も必要だ。人混みに入ったら、一気に距離を詰めて一歩半後ろにつける。尾行を警戒する者は、だいたい10メートル以上後ろを気にする。捜査員が真後ろにいるとは思わない。ウラをかくのが大事なんだ」 脱尾と直近尾行。これぞ、古川原の真骨頂であった。だが、その尾行のプロも大きな失敗をおかしていた。
・これは古川原が生前、筆者に明かした屈辱の記録だ。 その出来事は1996年2月に起きた。地下鉄サリン事件の翌年、全国の公安警察がオウム逃亡犯を草の根を分けて探していた時期のことだ。古川原もまた、公安一課調査第六の係長、警部として30人ほどの部下を率いて、オウム真理教事件の捜査に投入されていた。
・当時、公安部でとくに重要視されていた逃亡犯がいた。平田信である。平田は高校時代にインターハイで入賞したこともある射撃の名手で、警察庁長官狙撃事件の容疑者候補の一人であった。 ある日、部下の一人が古川原にこんな極秘情報を上げてきた。 「中村琴美(仮名)が友人宅にカネを取りに来る」
▽張り巡らされた「網」
・中村琴美とはオウム真理教付属病院の元看護師で、平田信とともに逃亡しているとみられていた女だった。その中村が西武池袋線・清瀬駅近くに住む看護学校時代の友人A子宅に、預けていた50万円を取りに来るというのである。 「中村は平田の行方を掴むための重要人物だった。だから、俺たちは中村の友人達に網をかけて協力者をたくさん作っていたんだ。
・中村は平田と逃げるための金に困って預けた50万円を取りに来るのだと確信した。完全秘匿で追尾すれば、平田のもとに行く。これは最大のチャンスだと思ったよ」(古川原) 2月15日の夕刻、中村は清瀬駅からバスに乗って、集合住宅に住むA子宅に姿を現した。古川原たちは息を潜めて、その様子を見守っていた。無論、A子の家の中には事前にマイクを仕掛け、中の会話は完全に把握できるようになっていた。
・そんなことを中村が知る由もない。A子に西武池袋店で買ってきたぬいぐるみと育児用のビデオをプレゼントし、「今晩泊めて欲しい」と言った。 A子は宿泊を了承し、「明日の昼に、都営三田線白山駅に来てくれれば、預かっていた50万円を返す」と約束した。 白山はA子が勤務する病院の最寄り駅だった。昼休み時間帯に銀行で金をおろして返却する――。これは古川原がA子に事前に言い聞かせていた段取りだった。
・古川原は上司にこう意見具申した。 「清瀬から尾行すると、ヅかれます(気付かれます)。カネは絶対に受け取りに来るはずだから、白山駅から尾行する態勢を組みましょう」 追われる者は、行動を開始した直後にもっとも警戒している。だから安心させてから尾行した方が成功する。これは古川原がこれまでの経験から得た知恵だった。
・しかし、本部で指揮するキャリアの上司は、この進言を聞き入れようとしなかった。 「見失ったらどうするんだ。清瀬から秘匿追尾を行え」
▽忍耐のしどころで痛恨のミス
・翌16日の朝、A子宅を出てきた中村に15名の追尾要員がついた。サラリーマンやカップル、学生など様々な日常に偽装した男女が入れ替わり立ち代り、中村を取り囲んだ状態で移動したのである。 大規模な尾行だったが、中村には警戒する様子はなかった。西武池袋線に乗った中村は池袋駅で降りて、駅前のマクドナルドに入った。
・A子との待ち合わせは正午だから、金を受け取るまでの時間潰しだろう。古川原はこう考え、店の前を歩いて往復する「流し張り」をしながら待機するよう尾行チームに指示した。 たが、尾行対象の姿を確認できないと、捜査員の不安は募るものだ。 「もしかしたら、カゴ抜けしたかもしれません。店内に一人投入します」 直近の追尾を担当する捜査員が言った。「カゴ抜け」とは対象が店の裏口から出ていってしまうことだ。
・「駄目だ。まだ入るな!」古川原は止めた。 ここは我慢。対象から一時的に、目を離す度胸も必要なのだ。だが、堪えきれぬ捜査員がいた。 「確認だけさせてください」 こういって、ひとりの捜査員がマクドナルドの店内に入った。しかし、これは尾行者の存在を確認するために、中村が仕掛けた罠だった。
・中村はカウンター席でコーヒーを飲みながら、紙にペンを走らせていた。捜査員は背後を通り過ぎながら、中身を読み取ろうと紙をちらりと覗いた。 チューリップ柄の便箋になにやら手紙を書いている。このとき、一瞬の油断が生じた。中村は突然後ろを振り向いたのだ。  捜査員は咄嗟に顔を逸らしたが、わずかに視線が交錯してしまった。だが、中村は何事もなかったかのように、便箋に視線を戻した。
・「警察がたくさんいるじゃない!」  報告を受けた古川原は再び上司に連絡を入れた。 「ヅかれた(気づかれた)可能性があります。ここはいったん脱尾して、白山駅から追いかけます」 公安部幹部は「脱尾」を許可しなかった。 正午過ぎ、中村は予定通り白山駅に到着した。改札口周辺には、駅員や清掃員に扮した張り込み要員が待ち構えていた。 中村は改札口の外で友人から50万円を受け取り、別れを告げて、ホームに向かった
・乗客に扮した追尾要員が同じ方向に動いたそのとき、中村が突然Uターンして、見送っていた友人のもとに駆け戻った。 「私は尾行されている。周りに警察官らしい人がたくさんいるじゃない。なぜこんなことになったの!」  中村は泣いていた。親友に裏切られた。そんな涙だったという。古川原にとってはまさしく悪夢。尾行がバレた瞬間だった。  ※文中の「中村琴美」は仮名。2012年7月に懲役1年2月の実刑判決が確定し、現在は刑期を終えている。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/52702

第三に、同氏による上記の続き、9月10日付け「「ヅかれた!」公安50人の尾行を振り切ったオウム逃亡犯、女の執念 ある公安警察官の遺言 第8回」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・極左過激派やオウム真理教事件など、昭和から平成にかけて日本を揺るがせた大事件の「裏側」で活動してきた公安捜査官・古川原一彦。その古川原が死の直前に明かした、公安警察の内幕やルール無視の大胆な捜査手法から、激動の時代に生きたひとりの捜査官の生きざまに迫ります。長年、古川原と交流を持ち、警察やインテリジェンスの世界を取材し続けてきた作家・竹内明氏が知られざる公安警察の実像に迫る連続ルポ、第8回(前回までの内容はこちら)。 
▽「点検が始まるぞ!」
・看護師学校時代の友人A子がもたらした情報通り、オウム真理教逃亡犯・中村琴美(仮名)は公安部公安一課の古川原一彦たちの前に姿を表した。中村は、最重要逃亡犯・平田信とともに夫婦を装って行方をくらましていたキーパーソンだ。中村を追えば、平田を発見することができる。公安警察にとって、平田信を逮捕する千載一遇のチャンスだった。
・1996年2月16日の昼、都営三田線白山駅。預けていた50万円を受け取った中村はいったんA子と別れたが、突如UターンしてA子の元に駆け戻り、泣きながらこういったのだ。 「私は尾行されている。周りに警察官らしい人がたくさんいるじゃない。なぜこんなことになったの!」 古川原たちの尾行がバレた瞬間だった。
・中村はA子のもとを離れると、白山駅の外に出て行った。物陰に隠れると白いダウンジャケットを脱ぎ、カバンの中から黒い膝丈のコートを取り出して着替えた。そしてポニーテールにしてあった髪を解いた。変装である。 「ヅかれた! 点検が始まるぞ」古川原は無線に囁いた。
・古川原の予想通り、中村の動きはこの直後から激変した。 中村は、白山駅に戻ってきて電車に乗った。巣鴨駅で車両を飛び降りるなり、ホームの向かい側、逆方向に発車寸前の列車に駆け込んだ。一つ戻った千石駅で下車すると、また逆方向へ乗り換えた。
・50人近くに膨らんでいた追尾要員は次々と脱落した。電車の飛び乗り、飛び降りを繰り返す対象を走って追いかけるわけにはいかない。「気のせいだった」と思わせるためには、顔を見られた捜査員は一人ずつ脱尾するしかないのだ。
・再び巣鴨駅で降りた中村は、今度はJR山手線に乗り換え、次の池袋駅で降車。数本の電車をやり過ごして、同方向に再乗車、新宿駅で降りた。極左活動家も顔負けの尾行点検だった。
▽プロを振り切った「女の執念」
・ここで中村の身柄を確保すべきではないか。古川原はこうも考えた。だが、本部の指揮官たちは尾行続行を譲らない。たとえ、中村の身柄を確保しても、彼女がすぐに平田の居所を自供するとは思えない。それどころか、平田は中村と連絡が取れなくなるや、直ちに隠れ家から逃亡するだろう。
・新宿駅に到着した時点で、中村の後ろについていた捜査員はわずか4人だった。中村が後ろを振り向くたびに、顔を見られた捜査員は脱尾していった。そのたびに、無線からは「脱尾します」という声が続いていた。 新宿駅の地下道を歩いた中村が、タカノフルーツパーラー前の階段をのぼったとき、追尾要員は最後の一人になっていた。
・金曜日午後3時の新宿通りには、大勢の人が歩いていた。横断歩道を渡った中村は、紀伊國屋書店前に差し掛かった瞬間、伊勢丹方面に猛然と走り出した。このとき、最後の一人も走って追うことを断念した。  左翼過激派の秘匿追尾で鍛え抜かれたはずの捜査員たちは、中村琴美を完全に見失った。中村が極左活動家やスパイたちのように、尾行切りの訓練を受けているはずもない。公安一課の精鋭たちは、平田を守ろうとする女の執念を前に、屈辱的な「失尾」を喫したのである。 本部からの叱責に古川原はこう返した。  「これは予想できたことです」
▽「キャリアは口を出すんじゃない」
・とは言ったものの、古川原たちが諦めたわけではなかった。中村が東京駅から地方に高飛びすると読んで、東京駅の防犯カメラのテープ数百本を回収したのだ。そしてビデオデッキ10台を用意し、20人の捜査員が交替で映像を睨み続けた。すると、捜査員のひとりが、見事、中村の姿を発見したのである。 その映像は、失尾当日の午後6時、JR東京駅から東北新幹線「やまびこ」に一人で乗り込む中村の姿だった。
・「俺たちは郡山でアパートローラーまでやって、中村の行方を捜した。電力会社の契約状況の中から、怪しい名義貸しがないかまで洗い出したけど、中村も、平田も見つからなかった。でも、二人は仙台にいたんだ」(古川原) のちにわかったことだが、中村は当時、仙台市内の割烹料理店に偽名で勤務していた。だが古川原たちの尾行から逃れた直後、中村は店から姿を消した。
・彼女が暮らしていた従業員用の借り上げアパートには、二組の布団が残されており、部屋から平田の指紋も検出された。指名手配された二人は、2012年1月に逮捕されるまで、果てしない逃避行を続けることになったのだった。 古川原は屈辱の出来事をこう振り返った。 「尾行というのは相手との駆け引きなんだ。相手が不安を感じたら、いったん脱尾して不安を取り除いてやるのが鉄則だ。あの時、途中で脱尾して、白山駅から尾行を再開していれば、中村に気づかれることはなかった。
・現場を知らないキャリアの幹部たちは、尾行も、張り込みもやったことがないくせに捜査に口を出したがる。その弊害だ。俺は、現場責任者として上司を説得すべきだったんだ。俺が一番悪かったんだよ」 古川原はこの一件以降、キャリアが公安部幹部に就任すると、「あなた方は捜査に口を出しちゃダメだ」と釘をさすようになった。そう言われた幹部たちの中には当然、古川原の物言いに反発心を覚えるものもあっただろう。  ※文中の「中村琴美」は仮名。2012年7月に懲役1年2月の実刑判決が確定し、現在は刑期を終えている。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/52833

第一の記事で、 『テロの時代、公安はまさに「花形」だった』、というのはその通りだろうが、極左勢力が力を失い、テロも沈静化した現在の公安警察の存在意義は何なのだろう。
第二の記事で、 『忍耐のしどころで痛恨のミス』、というのは、人間の組織である以上、不可避のことだ。
第三の記事で、 50人近くに膨らんでいた追尾要員は次々と脱落した・・・新宿駅に到着した時点で、中村の後ろについていた捜査員はわずか4人だった・・・紀伊國屋書店前に差し掛かった瞬間、伊勢丹方面に猛然と走り出した。このとき、最後の一人も走って追うことを断念した』、 『プロを振り切った「女の執念」』、など公安捜査の難しさを改めて知らされた。 『「キャリアは口を出すんじゃない」』、というのは、警察のようにキャリアとノンキャリアの間が隔絶した組織ではあり得る話だ。
さらに、記事とは離れるが、公安部門と刑事部門の間も反目し合って情報も隔離しているようだ。確か、オウムを刑事部門が捜査を始めた頃には、公安部門が既にかなりの情報を集めていたが、刑事部門はそれを知らず、捜査の遅れにつながったといわれている。公安警察のあり方を見直すべき、なのではなかろうか。
タグ:膵臓癌 現代ビジネス 平田信 司法の歪み (その4)(ある公安警察官の遺言シリーズ(過激派との闘い、オウム事件で喫した痛恨のミス、公安50人の尾行を振り切ったオウム逃亡犯)) 竹内 明 「「俺はもうすぐ死ぬ」元公安警察官が明かした過激派との闘い ある公安警察官の遺言 第1回」 古川原一彦 警視庁公安部公安一課 叩きあげの捜査官 テロの時代、公安はまさに「花形」だった 「オウム事件で喫した痛恨のミス…いま明かす公安「尾行のイロハ」 「尾行のイロハ」 警察庁長官狙撃事件の容疑者候補の一人 中村琴美 忍耐のしどころで痛恨のミス 「「ヅかれた!」公安50人の尾行を振り切ったオウム逃亡犯、女の執念 ある公安警察官の遺言 第8回」 50人近くに膨らんでいた追尾要員は次々と脱落した。電車の飛び乗り、飛び降りを繰り返す対象を走って追いかけるわけにはいかない。「気のせいだった」と思わせるためには、顔を見られた捜査員は一人ずつ脱尾するしかないのだ タカノフルーツパーラー前の階段をのぼったとき、追尾要員は最後の一人になっていた。 、紀伊國屋書店前に差し掛かった瞬間、伊勢丹方面に猛然と走り出した。このとき、最後の一人も走って追うことを断念した 「キャリアは口を出すんじゃない」
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地方創生政策(その5)(ハッキリ言おう 行政はもう「地域活性化」に関わらないほうがいい、「久留米市長選は極めて重要だ」 福岡市の恩恵があるのに「衰退」している謎) [国内政治]

地方創生政策については、昨年4月25日に取上げた。今日は、(その5)(ハッキリ言おう 行政はもう「地域活性化」に関わらないほうがいい、「久留米市長選は極めて重要だ」 福岡市の恩恵があるのに「衰退」している謎)である。

先ずは、(公財)地方自治総合研究所 主任研究員 今井 照氏が昨年12月8日付け現代ビジネスに寄稿した「ハッキリ言おう、行政はもう「地域活性化」に関わらないほうがいい 地域の未来を「守る」つもりなら」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・少子高齢化による人口減少を食い止めるために、国家プロジェクトとして進められている「地方創生」事業。自治体どうしを競わせ、地方活性化を促進すると言えば聞こえがいい。しかし、地方自治総合研究所の今井照主任研究員によると、その実態は「若年層の貧困化を生み出し、人口減少に拍車をかけた国政の失敗を、自治体に転嫁するもの」だった。その弊害は、すでに自治体を苦しめ始めているという。どうしたらいいのか。<連載第二回はこちら>
▽前提を間違えた「大学立地規制」
・なぜ日本では諸外国にないスピードで高齢化が進行するのか。その要因は、前回記事で述べたように、2000年前後の国政の失敗にあります。ところが、国はいまもなお同じような過ちをくり返しています。その一つが「地方創生」と呼ばれる地域活性化策です。地域や自治体はこうした国の動きにどのように立ち向かえばよいのか。今回はそれを考えていきます。
・文部科学省は9月29日、東京23区における大学の新設や定員増を今後2年間認めないという告示を出しました。全国知事会長らが6月30日に出した緊急声明やその直前の閣議決定に基づく措置です。これに対して、東京都の知事や都議会は猛反発し、規制緩和論者たちは「保護主義」だと批判しています。
・しかし、私の考えでは、どちらの立場も問題の所在やその構造を見誤っています。双方ともに前提としているのは、若年世代が東京圏に集中することで地方圏の人口減少が進んでいるという「東京一極集中」の認識です。片方はそれに対して否定的であり、片方は肯定的であるということになります。ところが、その前提はまったく疑わしい。
・【図1】は秋田県の人口増減を、社会増減と自然増減に分けてみたものです。1990年代から人口の自然減(出生数と死亡数の差)が始まっていることがわかります。 それまでは大量の社会減(県外転出数と県外転入数との差)を自然増で埋めていたので、人口減少が目立たなかった。ところが、自然減が始まったために、にわかに人口減少問題がクローズアップされるようになってきたのです。社会減は続いていますが、かつてと比べればはるかに少なくなっている。
・大学立地規制を進める立場も批判する立場も、こうした構造が見えてないのではないかと思います。60年代から70年代までの知識と経験のままにとどまっているのです。 秋田県だけが特別なのではなくて、地方圏ではおおむねこのような傾向にあります。自然減が始まる時期には早い遅いがありますが、今後のトレンドは全国どこでもほぼ同じです。若年世代が東京圏に集中することで地方圏の人口減少が進んでいるという前提がそもそも間違っているから、人口減少対策として大学立地を規制するという的はずれな政策が出てくるわけです。 
▽実は、地方圏の大学生は増えている
・【図2】は、大学生の数を東京圏(埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県)と非東京圏とに分けてみたものです。 80年代から2000年代まで、意外にも東京圏以外の大学生が大きく増えている。東京圏と地方圏の学生の割合もみても、同時期はやはり地方圏が拡大していて、2000年以降も同じ水準を保っています。このグラフから、地方圏の人口減少問題と東京圏の大学の学生数には相関関係がないことが明らかです。
・こうした現象は、別の深刻な問題を引き起こします。 東京圏の大学では80年代以降、東京圏出身者が増え続け、2000年代に入ると東京圏以外の出身者が減少に転じるのです。【図3】は東京圏の大学への入学者を、出身高校の地域別に集計したものです。70年代は東京圏・非東京圏出身の割合がほぼ半々だったのに、いまでは東京圏の大学に入学する者の約7割が東京圏の高校出身になっています。
・もちろん、このこと自体が大きな問題なのではありません。【図3】はつまり、東京圏出身者が大学時代に地方出身者と接触する度合いが減ったことを示しているのですが、そのことが教育上、あるいは人格形成上、どの程度の影響を及ぼすかまではわからない。 
・また、国家公務員総合職に合格して国の政策づくりにコミットする人たちに、東京圏出身者が増えることになると思われますが、そのことで国の立案する地域政策が劣化するとまでは言えません。ただし、直感的にはそういうことがあってもおかしくないと思います。
▽大学進学率の地域間格差
・それよりもはっきりとわかる大きな問題があります。それは、地方圏の高校生が東京圏の大学に入りたくても入りにくい現状があるということです。  【図4】は、地域圏別に見た大学進学率の推移です。東京圏と非東京圏の区別はこれまでの図と同じですが、新たに、東京圏と名古屋圏(岐阜県、愛知県、三重県)、関西圏(京都府、大阪府、兵庫県、奈良県)以外の都道府県を指す「非大都市圏」を加えました。
・1990年代まで、地域圏別の大学進学率には大きな差がありません。それが2000年代に入るとどんどん開いてきます。2010年代には、東京圏と非大都市圏との差が10ポイントを超えます。このことをどう考えたらいいのか。 東京圏と非大都市圏とのあいだに、大きな学力の差があるとは思えない。全国学力テストの正答率を見ても、むしろ地方圏のほうが高い科目もあるくらいです。たまたま生まれ育った地域によって大学進学の機会が異なるとしたら、それは個々の高校生にとって大きな壁になるし、日本全体にとっても有為な人材を活用できないという意味で、大きな損失になることは間違いありません。 
・地域によって大学進学率に差がある理由として、容易に想像できるのは収入の差です。地域ごとの収入を説明する統計として、1人当たりの雇用者報酬がよく使われるので、その推移を【図5】で見てみましょう(雇用者報酬の推計方法は全国一律ではなく、年度によっても変化するので、厳密に正確な推移を表しているものではありません)。 
・関東地方や近畿地方が相対的に高く、その他の地域はほぼ似たようなカーブを描いている。北海道・東北や九州と比べて、関東や近畿は2割程度、雇用者報酬が高いのがわかります。関東から東京都だけを切り出してみると、非大都市圏の各地方と比べて3割以上も高い。
・これらの図からわかることを端的にまとめると、次のように言えるでしょう。 2000年代に入ってから、東京圏の高校生と非大都市圏の高校生とのあいだで大学進学率の差が広がり始め、それが固定化された。その結果、いまや非大都市圏の高校生は東京圏の大学に進学しづらい環境になっている。そうした事態にもかかわらず、国は非大都市圏の高校生が東京圏の大学に進学するのを阻害する政策を強化している、と。
・その象徴が、これから2年間、東京23区内での大学の新増設を原則認めないという政策です。これでは機会の格差がますます広がることになり、結果的に地域の衰退を促進することになる。問題の所在や構造を見誤った国の政策が、まったくの逆効果を生み出しているのです。
▽地域格差は国の失政の結果
・非大都市圏での生活は、大都市圏しか知らない人たちが想像するよりもはるかに豊かなものです。たとえ収入が少なくても、その分だけ支出が少なければ、生活の水準は変わらない。だから地域ごとに収入が違っているとしても、それだけでは問題にならない。
・問題は全国一律の現金経済に巻き込まれるときに起こります。大学進学はその典型です。国立大学でも私立大学でも、出身地によって授業料が異なることはない。支出する金額が同じであれば、収入の低いほうが厳しい状況に追い込まれます。加えて、非大都市圏から東京圏の大学に子どもを送り出す場合、生活費等のコストが飛躍的に高まります。
・必要なのはそこに政策の手立てを講じることです。もちろん、かつての開発国家型「国土の均衡ある発展」論のように、地域の経済格差を縮めようと言っているのではありません。それは企業活動、市民活動、地域金融機関の仕事です。 政策によって均衡させるべきなのは、どの地域に住んでいても文化的な生活が保障され、生命と安全を確保できることにほかならない。地域によって大学進学率に差があるという状態は、国民国家として明らかな失政なのです。
・では政治・行政のしくみをどのように変えたらいいのか。それは、市町村や都道府県といった自治体が、そこに暮らす住民と向き合うことから始まります。これまでも長いこと「地方分権」と言われてきたし、主要政党でこの考え方を否定するところはありません。しかしその中身に問題があった。
▽自治体を苦しめる「計画策定」業務
・9月8日、内閣府に置かれている地方分権改革有識者会議で、兵庫県多可町の戸田善規町長(当時)が発言し、国から日々求められる調査・照会事項や、法律などで半ば義務化される計画の策定が、市町村の行政執行を阻害している現実を訴えました。これが「地方分権」の実態です。
・たとえば、2016年4月に施行された改正自殺対策基本法では、市町村が「自殺対策計画」を策定することになりました。同法の法文は「(自殺対策計画を)定めるものとする」としているので、これは市町村の義務になっている。
・もちろん自殺対策は重要だし、このことに異を唱えるつもりはありません。しかし、どんな市町村にも一律に計画策定を義務づけるやり方で、自殺防止にどれだけの効果があるのか。邪推すれば、国の責任を市町村に転嫁しているのではないかとも見えます。
・実はこういう計画策定が最近、目立って増えているのです。これらが市町村の行政能力を超えてしまうと、計画策定を外部のコンサルタントに丸投げしたり、定型的な計画を作文して国への「おつき合い」を果たし、それで済ますことになります。 もちろん、そんなのはおかしい、と批判することはできますが、現実に国から「地方分権」の名のもとに新しい計画づくりが次から次へと降りかかってくれば、市町村としてはそのように対応するしかないでしょう。
・第一回の記事で書いたように、自治体の財政破たんは、「地域活性化」と称する国からの事業誘導を真に受けて始めてしまうことから起こるケースが多いのです。むしろ国の言うがままにならず、地域やその住民の実状に向き合って真摯に対応してきた自治体こそ、まちづくりの結果を出しています。
・安倍晋三首相が国会で「地方創生」の成功事例としてあげた市町村は、国策に反して市町村合併をしなかったところばかりです。逆に、国に誘導されて合併したせいで議会や役場がなくなり、周縁部化した地域が寂れていく事例は全国に数多く存在します。
・もちろん「地域活性化」は重要です。でもそれは、他所から何かをもってくれば成功するというものではない。むしろ、余分なことに投資をすれば、地域社会を崩壊させてしまうリスクが高まるだけなのです。 サッカーにたとえれば、自治体はあくまでも地域社会や市民生活のディフェンダーです。今日の生活を明日も同じようにくり返すことができるようにするのが最大の使命なのです。現代サッカーではディフェンダーも攻撃の起点であることが求められますから、試合の流れのなかで、フォワードである企業活動、市民活動、地域金融機関などにパスをくり出すことはあるでしょう。
・しかしそうであっても、サッカーと同じように、守備を崩壊させては元も子もありません。失敗しても何度もチャレンジするフォワードであるより、器用なミッドフィルダーであるより、まずは堅固なディフェンダーであれ――市民は自治体に対してそういう期待を持つべきではないでしょうか。  <第四回「国から『落ちてくる』業務に苦しむ自治体の現実(仮)」に続く>)
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/53736

次に、投資銀行家のぐっちーさん が1月20日付け東洋経済オンラインに寄稿した「ぐっちーさん「久留米市長選は極めて重要だ」 福岡市の恩恵があるのに「衰退」している謎」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・ワタクシは「東洋経済オンライン」にも寄稿している木下斉君(「地方創生のリアル」、近日中に連載再開予定)などと共に、地方再生を目指し、日本全国を走り回っているわけですが、相変わらず「地元の既得権者」と言われる人たちと戦うのは、容易なことではありません。
▽福岡市の恩恵があるのに、なぜか「衰退」する久留米市
・ちょうど本記事公開の翌日になりますが、1月21日には福岡県の久留米市というところで市長選が行われます。ここはわれわれも非常に注目している地方都市のひとつで、現在「絶好調」といわれる福岡市から車で30分程度の距離にあります。
・福岡市の恩恵に預かり、他の地方都市とは異なって中心部に高層マンションなどが建ち、人口も増えているのに、なぜか町がどんどん「衰退」していくという、とっても不思議な地方都市なのです。それは日本全国どこにでも見られる、いわゆる既得権益にあぐらをかいた勢力が衰退を招いているというまさに「縮図」でありまして、ご多分に漏れず、地方都市にある「墓標」と言われる、不必要な高額公共施設を2016年に建設したばかりであります。
・簡単に説明すると、総額180億円弱を投入し、いわゆる「MICE」施設と称して「久留米シティプラザ」というものを作ったのですが、開業からわずかで地元資本のレストランが撤退に追い込まれるなど、まさに「墓標」そのものになっています。 ここでいうMICEとは4つの単語の頭文字をとった造語で、企業等の会議(Meeting)、企業等の行う報奨・研修旅行(Incentive Travel)、国際機関・団体、学会等が行う国際会議(Convention)、展示会・見本市、イベント(Exhibition/Event)の頭文字をとった単語であり、多くの集客が見込まれるビジネスイベントなどの総称です。木下君の取材によると、ここは「MICE」を積極的に誘致する、と銘を打っているものの、現状ではとても黒字化などできない、という代物です(『ウェッジ』の参考記事 全国各地で大乱立「ゴージャスMICE施設」は必要か?)。
・ここの市長選が行われるというわけですから、「こんなことをやっちゃった現市長は当然退任、反対派が改革の「のろし」を上げ、圧倒的に優勢になっているに違いない」……と思ったら、やっていることはワタクシに言わせればハチャメチャです。 立候補者は3人で、いずれも無所属。現職の楢原利則市長は、もともとは市役所職員出身。副市長を経て当選を果たし、2期市長を務めましたが、今回は「健康上の問題」を理由に不出馬です。事実上の後任に指名された大久保勉候補は、前民進党の参議院議員。金融業界などを経て、参議院議員を12年務めた地元久留米出身の人物です(ほかには、元久留米大学教授の宮原信孝氏、元三菱商事社員の田中稔氏が出馬)。
・ところが、この大久保候補に、市長、久留米商工会議所、市議会などが事実上、相乗りしているというではありませんか(宮原氏はかつて自民党公認を受けたこともある保守系候補。地元の自民党支部は自主投票の見通し。なお、同氏は前回の市長選でシティプラザなどの建設中止を訴え、健闘したが落選している)。
・いろいろ聞いてみると、「旗振り役」は商工会議所のようですが、いずれにせよ、いくら地方都市の市長選とはいえ、自民党が強固な地盤を築く場所で前民進党の国会議員に「多くの既得権勢力」(少なくとも「墓標」久留米シティプラザを誘致した勢力)が相乗りしている、という構図には目を覆うばかりです。シティプラザへの反省などは、いまのところかけらも見られません。
・大久保氏は1月12日の公開討論会でこういった趣旨の発言をしています。「市の負担は175億円の3分の1以下だし、調査によると経済効果は327億円ある。経常益は23億円のプラスだ。シティプラザができることによって近くにマンションが建ち、街もにぎわい、固定資産税も増える。公設民営化では民間はもうからないことはやらないが、文化・芸術にはおカネがかかる。たとえ赤字であっても文化・芸術にはおカネをかける。しかし人が集まれば、お土産などを買うので元はとれる。作ったものは壊さずしっかり活用していく」。
▽ナイキの靴も!久留米は、福岡を凌駕する勢いがあった
・ワタクシからすれば、もはや180億円弱で建てたシティプラザの「後始末」を、さらに税金で負担することが「決定的」です。これに対し、久留米市民が将来を見据えてどういう決断をするのか、非常に興味を持ってみているわけであります。ある意味、「今後の日本における地方都市運営の未来が占える」、と言ってもいいかもしれません。
・久留米という都市は今では想像もできませんが、1970年代には福岡を凌駕するようなそれはすごい勢いがありまして、ブリヂストンなどが出てきたように、日本のゴム産業の中心地でありました。ちょうど東洋経済新報社から翻訳出版されている『SHOE DOG(シュードッグ)』(ナイキの創設者、フィル・ナイトの自伝)にも、久留米は登場します。
・ナイキの靴は久留米で作っていたんですね。それがいつの間にやら衰退を重ね、「福岡のベッドタウン」に成り下がり、とんでもない墓標まで立ててしまい、それでもこれまでの政治手法を否定できないとすれば、日本の地方都市には未来がない、と言って過言ではありません。
・そもそも論ですが、これまでの重厚長大産業では、もう中国あたりとは競争できないことはわかりきっているわけですから、「新しい産業を興す」くらいの気構えが必要なわけです。もし、商工会議所の役割があるとすれば正にそういうことであって、いまだにありきたりの大企業を地方に誘致したり、既得権益を強化している場合ではありません。
▽高度成長時代の成功体験を持った既得権者は去れ
・その意味では、これまでの高度成長の体験のある人は、その組織を去ったほうがいい。今や全く違う時代に直面しているわけですから、当時の成功体験は邪魔にこそなれ、何の役にも立ちません。 さらに言うと、これに関してはメディアの責任も非常に大きい。これはどこかの都市に限った話ではありませんが、例えば「地域おこし協力隊」などと銘を打って、地域外から来る人に交付金(われわれの税金)を支給し、地方創生の切り札になる起業家…などといって、メディアがクローズアップするのは、実に質が悪いわけです。
・「まあ、交付金といっても月20万円くらいのことなので、目くじらを立てるほどのことではないよ」という方もいます。しかし、われわれからすると、「たった月20万円すら自分で稼げずに、交付金目当てに地方に来る奴の一体どこが起業家なのか?」という話であって、それは起業家になりたいが、東京ではハードルがクリアできないので、交付金がもらえる「非常勤地方公務員」になって地方にやってきている、というべき人たちで、これが地方における起業家ではあり得ません。
・私の仕事の中心の一つである岩手県の紫波町で見ているとよくわかるのですが、メディアの取材側の人たちは、例外なく県庁所在地の盛岡(しかも相当いいところ)に住んでおり、岩手県に縁もゆかりもない、東京の大学を出た人が駐在員として2〜3年任期でやってきて人事が回っていくという現実があります。
・おのずから彼らの取材源は役所が中心になるわけで、岩手県庁であるとか、盛岡市役所などが「これ記事にしてくださいよ」、というものが彼らの誌面(やネット)記事の中心になりがち、という現実があります。ですから役所の紹介のままに「地方の起業家」などと称して記事にすることになるわけですね。実際、紫波町のオガールもたくさん取材してもらいましたが、オガールを直接「発掘」されたのは北海道新聞くらいで、あとはほとんど全部が役所の紹介で、それまではオガールのオの字も知らなかった記者ばかりが取材に来ていました。
・そもそも、本当の起業家(交付金などもらわないで自ら起業した人)は地方にはたくさんいるのです。福岡市にはそれこそいくらでもいて、明太子のやまやなどを筆頭に、まさに地方における起業の在り方のお手本になるような企業はいくらでもあるわけで、メディアはそういう企業こそ表に出して、地方創生のモデルにしてもらいたいもんだ、と思います。
http://toyokeizai.net/articles/-/205415

第一の記事で、 『秋田県の人口増減を・・・1990年代から人口の自然減(出生数と死亡数の差)が始まっていることがわかります。 それまでは大量の社会減(県外転出数と県外転入数との差)を自然増で埋めていたので、人口減少が目立たなかった。ところが、自然減が始まったために、にわかに人口減少問題がクローズアップされるようになってきたのです。社会減は続いていますが、かつてと比べればはるかに少なくなっている』、 『2000年代に入ってから、東京圏の高校生と非大都市圏の高校生とのあいだで大学進学率の差が広がり始め、それが固定化された。その結果、いまや非大都市圏の高校生は東京圏の大学に進学しづらい環境になっている。そうした事態にもかかわらず、国は非大都市圏の高校生が東京圏の大学に進学するのを阻害する政策を強化している』、などの指摘は、データに基づいているだけに、説得力がある。データに基づかない印象論での政策立案の無意味さを鋭く指摘している。 『改正自殺対策基本法では、市町村が「自殺対策計画」を策定することになりました』、というのは典型的な政府の地方への責任転嫁だ。仮に自殺問題に地方による差があるとしても、せいぜい数パターンに分かれる程度だろう。そうであれば、政府がそれらの差も踏まえた対策を立案する方が、効率的・効果的であろう。
第二の記事で触れている久留米市市長選の結果は、選管発表によれば、大久保 勉42,790、みやはら 信孝37,201、田中 稔5,721、と前市長が後継指名した大久保が勝利したようだ。 典型的な「ハコモノ」である「久留米シティプラザ」の惨状は、何故か結果に影響を及ぼさなかったようだ。ハコモノの『後始末』としての維持管理費は、今後大きな問題になるとしても、現在は立派な建物が出来た余韻にひたっている段階なのだろうか。 『「地域おこし協力隊」などと銘を打って、地域外から来る人に交付金(われわれの税金)を支給し、地方創生の切り札になる起業家…などといって、メディアがクローズアップするのは、実に質が悪いわけです・・・「たった月20万円すら自分で稼げずに、交付金目当てに地方に来る奴の一体どこが起業家なのか?」という話であって、それは起業家になりたいが、東京ではハードルがクリアできないので、交付金がもらえる「非常勤地方公務員」になって地方にやってきている、というべき人たちで、これが地方における起業家ではあり得ません』、というのはその通りで、形だけを取り繕う役所、そのPRを無批判に流しているメディア、なの責任も重大だ。
タグ:東洋経済オンライン 市長選 現代ビジネス 地方創生政策 (その5)(ハッキリ言おう 行政はもう「地域活性化」に関わらないほうがいい、「久留米市長選は極めて重要だ」 福岡市の恩恵があるのに「衰退」している謎) 今井 照 「ハッキリ言おう、行政はもう「地域活性化」に関わらないほうがいい 地域の未来を「守る」つもりなら」 「地方創生」 前提を間違えた「大学立地規制」 秋田県の人口増減 1990年代から人口の自然減(出生数と死亡数の差)が始まっていることがわかります。 それまでは大量の社会減(県外転出数と県外転入数との差)を自然増で埋めていたので、人口減少が目立たなかった。ところが、自然減が始まったために、にわかに人口減少問題がクローズアップされるようになってきたのです。社会減は続いていますが、かつてと比べればはるかに少なくなっている 実は、地方圏の大学生は増えている 2000年代に入ってから、東京圏の高校生と非大都市圏の高校生とのあいだで大学進学率の差が広がり始め、それが固定化された。その結果、いまや非大都市圏の高校生は東京圏の大学に進学しづらい環境になっている 東京23区内での大学の新増設を原則認めないという政策です。これでは機会の格差がますます広がることになり、結果的に地域の衰退を促進することになる 自治体を苦しめる「計画策定」業務 改正自殺対策基本法では、市町村が「自殺対策計画」を策定することになりました 「ぐっちーさん「久留米市長選は極めて重要だ」 福岡市の恩恵があるのに「衰退」している謎」 福岡市の恩恵があるのに、なぜか「衰退」する久留米市 中心部に高層マンションなどが建ち、人口も増えているのに、なぜか町がどんどん「衰退」していくという、とっても不思議な地方都市なのです 「久留米シティプラザ」 「墓標」 事実上の後任に指名された大久保勉候補 大久保候補に、市長、久留米商工会議所、市議会などが事実上、相乗りしている 「地域おこし協力隊」などと銘を打って、地域外から来る人に交付金(われわれの税金)を支給し、地方創生の切り札になる起業家…などといって、メディアがクローズアップするのは、実に質が悪いわけです 、「たった月20万円すら自分で稼げずに、交付金目当てに地方に来る奴の一体どこが起業家なのか?」という話であって、それは起業家になりたいが、東京ではハードルがクリアできないので、交付金がもらえる「非常勤地方公務員」になって地方にやってきている、というべき人たちで、これが地方における起業家ではあり得ません
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漁業(その3)(小田嶋氏のコラム:ウナギを食べたい人たちの言い訳) [産業動向]

昨日に続いて、漁業(その3)(小田嶋氏のコラム:ウナギを食べたい人たちの言い訳)を取上げよう。

コラムニストの小田嶋 隆氏が1月19日付け日経ビジネスオンラインに掲載した「ウナギを食べたい人たちの言い訳」を紹介しよう。
・ウナギが不漁らしい。 毎日新聞によれば、 《絶滅危惧種ニホンウナギの稚魚シラスウナギが今期は極度の不漁で、国内外での漁獲量が前期の同じころと比べて1%程度と低迷している。漁は4月ごろまで続くが、このまま推移すれば過去最低の漁獲量となりかねない。--略--》ということのようだ(こちら)。
・特に驚きはない。 むしろ、ニュースの第一報に触れて 「当然だろうな」 と思ったというのが正直なところだ。 さらにもう少し率直な感想を述べるなら、私は 「自業自得だよな」 という感慨を抱かずにおれなかった。 「ざまあみろ」 とまでは思わないものの、ニュース原稿の中で不漁を嘆いている関係者に対して、真摯な同情を寄せる気持ちにはならない。
・というのも、このニュースは、かれこれ10年以上も前から、様々な立場の人々が異口同音に指摘し、予告し、警告し、懇願し、提言し、あるいは叱責罵倒非難問題提起してきた話題の延長線上にある状況で、今回、かかる事態がニュースとして流れてきている顛末は、案の定というのか果たせるかなというのか、だから言ったじゃないか式の見え透いた展開以外のナニモノでもないからだ(例えば2014年に掲載されたweb版ナショナルジオグラフィックの「ウナギが食べられなくなる日」など参照)。
・現今のなりゆきは、われわれの国の漁業が、おそらく30年以上前から、明らかな危機に陥っているにもかかわらず、結局のところなんら有効な策を打ち出すこともなく手をこまぬいてきたことがもたらした必然としての帰結だ。このことをまず認識せねばならないと思う。
・毎日新聞の記事(こちら)の後半部分で、水産庁は 《2016年は11、12月の2カ月間で約6トンのシラスウナギが国内の養殖池に入れられたが、今期はまだゼロ。》 である状況について 《「漁の始まりとして良くないのは確かだが、これから漁が本格化する。今後の推移を見ないと何とも言えない」(栽培養殖課)としている。》 とコメントしている。もし水産庁のお役人が本気でそう思ってこの言葉を言ったのだとしたら、彼らは、単に統計の数字を見てうなずいているだけの首振り人形とそんなに変わらない役割の人々なのだろう。
・《漁が解禁された昨年12月10日からの15日間の漁獲量はわずか0.5キロ。43.4キロの漁獲があった前期の1%ほどにとどまった。》 というこのデータは、2割減とか3割減といった普通の文脈で言う「減少」ではない。半減ですらない。前年比約99%減という壊滅的な数字だ。ということはつまり、彼らが直面しているこの数字は「漁獲高減少」とか「不漁」という言葉すら生ぬるい「絶滅」をさえ示唆するデータなのであって、シラスウナギの漁獲に比較的大きな年変動があることを考慮したのだとしてもなお、深刻なデータであることは明白なのだ。
・とすれば、この数字を眼前に突きつけられた水産庁の人間は、当然、ひとつの魚種の絶滅の予感に粛然として然るべきなのであって、少なくとも「今後の推移を見ないと何とも言えない」などという、芋が煮えるのを待つ若奥様みたいな優雅なコメントを吐き出しているお日柄ではないはずなのだ。
・宮崎県の水産課のコメントもくねくねしている。 《県水産政策課によると、県内で漁が始まった昨年12月11日から1月14日までの35日間の漁獲量は4キロで、前年度同期(176キロ)の2%程度にとどまっている。  一方で2015年度のこの時期は80キロ、14年度は232キロと年によって幅があり、同課は「2、3月に漁獲が増える年もあり、今後のことはわからない。期待するしかない」と話している。》 「期待するしかない」 ではない。もはや期待をしてはいけない状況であると思うのだが。
・前年比98%減の漁獲量に直面してなお、「今後に期待」している水産課職員は、おそらく、完全にウナギが絶滅するまでウナギの漁獲に期待し続ける設定の人間なのであろうなと考えざるを得ない。 本来なら、ずっと以前の段階で、徹底的な禁漁なり漁獲制限なりを実施していなければいけなかったはずだとかなんとか、繰り言を言っても仕方がないので、現状の話に戻るのだとして、それにしても、ことここに至ってなお、「今後に期待する」みたいな間抜けなセリフを吐き出されてしまうと、激越にならない上品な範囲の論評の言葉を思い浮かべることが大変に困難になる。
・ネットニュースのコメントを眺めていると、漁獲制限や禁漁を提案する意見に対して 「禁漁はなりふりかまわず乱獲する中国の漁民を利するだけだ」 「日本が単独で漁獲制限をしたところで、海はつながっているわけなんだから、結局のところ周辺諸国の乱獲を促すことにしかならない」 「ウナギで暮らしている人の生活も考えろ」 といったおなじみの主張が書き込まれていたりする。 うんざりする展開だ。
・こういうところに日中対立を持ち込んでどうしようというのだろうか。 海に国境壁がないのはおっしゃる通りだし、一国だけの漁獲制限の効果に限界があるのもご説の通りだ。 とはいえ、漁業資源の減少を中国をはじめとするアジア諸国の漁獲高の増大に求める昨今流行のものの言い方が、大筋において無責任な立論であることは指摘しておかなければならない。
・20年前に比べて、中国国内の魚肉消費量が急増していることも、彼の国の漁業が漁獲量を増やし続けていることもその通りではある。が、それでもなお、わが国の水産資源消費量と漁業の大きさは依然として他国を圧倒している。
・ウナギに関する日中両国の養殖生産量については、WWFジャパンという民間の環境団体(こちら)が、2015年の7月に「ウナギの市場の動態:東アジアにおける生産・取引・消費の分析」というレポートを発表している(こちら)。 この資料を見ると、統計のとり方によって異同はあるものの、1990年代以降中国養殖ウナギ生産量が飛躍的に増大して、2010年代には他を圧していることがわかる(資料13ページ、図2、世界のウナギ養殖生産量)。 引き比べて、日本の養殖ウナギ生産量は、1990年以降ずっと減少し続けている。
・この図を見て、 「ほら、やっぱり元凶は中国じゃないか」 と決めつけるのはそんなにむずかしいことではない。 実際に、そう言っている人たちはたくさんいる。 しかしながら、簡単にそう決めつけて良いものではない。 なぜなら、その中国の養殖業者から食品としてのウナギを輸入しているのは、日本のスーパーと商社であり、その彼らが持ち込んだウナギを世界中の誰よりもたくさん食べているのはほかならぬわれら日本人だからだ。
・ウナギ絶滅のわかりやすい新たな「悪役」として、中国が浮上してきたことは、実際に中国の漁民がウナギの稚魚を大量に捕獲しているという意味でも、世界最大のウナギ消費国であるわたくしども日本人が、ウナギについての罪の意識を転嫁する先を得たという意味でも、ウナギにとっては不幸なことだったと申し上げなければならない。
・おそらく、そう遠くない将来、われわれは、さんざんにウナギを食い散らかしたあげくに、ウナギの死滅については、その原因を中国の強欲に求めるテのお話を飲みこんで済ますことだろう。そうやって国民的な胸焼けを晴らしているうちに、あのヌルヌルした生き物のことは、じきに忘れてしまうのだ。
・安易に中国のせいにするのが間違いだというのなら、ウナギの絶滅危機に責任を負うべき人間が、どこにいるのか名指ししてみろ、という感じのツッコミを入れてくる人たちがいるはずだ。 お答えしよう。 きれいごとだと思うかもしれないが、私は、ウナギの絶滅については、稚魚を捕獲している人々(専業の漁業者のほかに素人を含む密漁者も多いと言われている)や、養殖業者やそれらを監督するべき水産庁のお役人、ほかに、輸入商社、ウナギ料理屋、さらには、小売業者、弁当業者、食品スーパー、そして消費者であるわれわれ自身を含むすべての人間が責任を感じなければならないと考えている。
・もっとも、21世紀に入ってからの急激な生息数の減少に関しては、1990年以降、ウナギ専門店とは別に、一般のスーパーや弁当販売店が、500円前後の低価格でウナギ製品を大量販売したことの影響が大きかったのだろうとは思っている。 ただ、そうした議論とは別に、ウナギをめぐる議論をめんどうくさいものにしているのは、ウナギに関わる人間たちの誰もが、ウナギの災難を他人のせいにしつつ、ヌルヌルと手の中から逃げる生き物みたいに責任回避をしていることだ。
・この状況は、「囚人のジレンマ」と呼ばれるお話に似ている。 囚人のジレンマについては、ここで解説すると長くなるので、興味のある人はウィキペディアでも参照してください。……。はい。読みましたね。そういう話です。
・とにかく、 +漁獲規制をすると、密猟者だけが儲かる。 +国内で漁獲規制をしても、漁獲規制をしていない他国が乱獲するだけ。 +仮に販売規制をしたのだとしても、どうせ売り抜けをする業者が儲ける。 +禁鰻法を施行したら、おそらく闇ルートを通じて流通する裏蒲焼きが暴力団の資金源になる。 みたいなダブルバインドが、事態を困難にしているわけで、結局のところ、禁酒法と同じことで、これだけ一般に普及してしまっているものにうっかり法規制をかけると、正直者が損をして抜け駆けをする人間ばかりが不当な利益を得る結末になりがちだということだ。
・それもこれも、つまるところ、ウナギを食べたい人たちの言い訳なのだと私は考えている。 本気で資源を守る気になれば(つまり、ウナギサイクルの最下流にいるわれわれがウナギを食べることをあきらめることさえできれば)、ウナギの漁獲は減らせるし、養殖だって減らせるはずなのだ。
・こういう話をすると、たぶん「食文化」だとか、「日本食の伝統」みたいな言葉で、ウナギの大切さを力説する人たちがあらわれる。 その種の主張への反論は、本当は「大切だからこそ食べない」という一言で十分なのだが、ペンの勢いということもあるので、せっかくだから「食文化」というお話に異論を述べておく。
・私の記憶では、この種の立論が目立つようになったのは、あるグルメ漫画の主人公が捕鯨の正当性を主張する中で、クジラをめぐる食文化の伝統についてひと通りのウンチクを並べてみせたのが最初の例だと思うのだが、昨今では、ウナギでもマグロでもおよそ食材の確保と環境保護が対立する局面で議論が巻き起こると、必ずや「食文化」というマジックワードを持ち出して、論点をそらしにかかる人間が現れることが論争上の定番の展開になっている。
・彼らが「食文化」を盾に絶滅危惧種の保護や水産資源の枯渇の問題から目をそらそうとする態度は、一部の相撲ファンが「国技」という言葉のカゲに隠れて民族差別的な野次を容認していたり、「伝統文化」だとか「神事」みたいな言葉を強調することで、不公正なレギュレーションや規定を正当化している状況と驚くほど良く似ている。
・ついでに申せばウナギについて繰り返される「養殖」という言葉も、絶滅危惧種を容赦なく乱獲していることのうしろめたさをごまかすためのマジックワードであるように思えてならない。 というのも、ご存じの通りウナギの養殖は、卵を孵化させること(あるいは産卵を管理すること)からはじまる完全養殖ではないからだ。  ウナギの養殖は天然の稚魚を「育成」して成魚にすることで成り立っている。ということは、ウナギ養殖という産業の基礎的な部分は、天然資源である野生の稚魚を捕獲するシラスウナギ漁に依存しているわけで、その意味で、環境への負荷は普通の漁業とそんなに変わらない。
・こういうお話をする時には、一方でウナギを糧に生計を立てている人たちがいることを軽視してはいけないのだろう。 ただ、海から与えられる恵みは無限ではない。 漁業という業態の少なくともその一部分が、自然からの収奪の上に成り立っていることを考えれば、自然が枯渇するほどの苛烈さで収奪を繰り返すことは、自然の恵みを糧に暮らしを立てている人々にとって、自分自身のクビを締めることにほかならない。
・現在の状況は、農業で言えば種籾を食べてしまっている段階だと思う。 タコの人生になぞらえるなら、自分の足を食べて空腹を癒やしているタコ末期の段階に当たる。 この困難な事態を一発で打開できる解決策を提示できれば良いのだが、私のアタマでは無理だ。残念だが、どうしようもない。
・とりあえず、個人としてできることとして、せめてウナギ断ちをしようと思っている。 偽善だと思う人は、そう思っていただいてかまわない。 ウナギの苦境はもはや通り一遍の善だけでは救えない。偽善を含めたあらゆる善を動員しないとどうにもならない。あ、追善も。 
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/174784/011800127/

小田嶋氏が、 『前年比約99%減という壊滅的な数字だ。ということはつまり、彼らが直面しているこの数字は「漁獲高減少」とか「不漁」という言葉すら生ぬるい「絶滅」をさえ示唆するデータなのであって、シラスウナギの漁獲に比較的大きな年変動があることを考慮したのだとしてもなお、深刻なデータであることは明白なのだ。 とすれば、この数字を眼前に突きつけられた水産庁の人間は、当然、ひとつの魚種の絶滅の予感に粛然として然るべきなのであって、少なくとも「今後の推移を見ないと何とも言えない」などという、芋が煮えるのを待つ若奥様みたいな優雅なコメントを吐き出しているお日柄ではないはずなのだ』、というのは、痛烈な批判だ。 『漁業資源の減少を中国をはじめとするアジア諸国の漁獲高の増大に求める昨今流行のものの言い方が、大筋において無責任な立論であることは指摘しておかなければならない。 20年前に比べて、中国国内の魚肉消費量が急増していることも、彼の国の漁業が漁獲量を増やし続けていることもその通りではある。が、それでもなお、わが国の水産資源消費量と漁業の大きさは依然として他国を圧倒している』、 『その中国の養殖業者から食品としてのウナギを輸入しているのは、日本のスーパーと商社であり、その彼らが持ち込んだウナギを世界中の誰よりもたくさん食べているのはほかならぬわれら日本人だからだ』、などの指摘は的確だ。 
囚人のジレンマについのウィキペディアの解説では、『ゲーム理論におけるゲームの1つ。お互い協力する方が協力しないよりもよい結果になることが分かっていても、協力しない者が利益を得る状況では互いに協力しなくなる、というジレンマである』。こんな概念まで持ち出すとは、さすがである。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9A%E4%BA%BA%E3%81%AE%E3%82%B8%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%83%9E
『昨今では、ウナギでもマグロでもおよそ食材の確保と環境保護が対立する局面で議論が巻き起こると、必ずや「食文化」というマジックワードを持ち出して、論点をそらしにかかる人間が現れることが論争上の定番の展開になっている』、 『彼らが「食文化」を盾に絶滅危惧種の保護や水産資源の枯渇の問題から目をそらそうとする態度は・・・』、なども私もかねてから腹を立てていたことだけに、小田嶋氏に強く同意したい。なお、最後の 『追善』の意味は、Googleによれば、「死者の冥福(めいふく)を祈って、仏事を行い、またはその人にちなんだ行事をすること。追福」とのことである。
いずれにしろ、ウナギが絶滅の瀬戸際にあるという危機感が、官庁のみならず、一般のマスコミにも乏しいように思う。マスコミが「社会の木鐸」の役目を自ら放棄するのは、まさに日本の危機だ。
タグ:囚人のジレンマ 漁業 日経ビジネスオンライン 小田嶋 隆 (その3)(小田嶋氏のコラム:ウナギを食べたい人たちの言い訳) 「ウナギを食べたい人たちの言い訳」 シラスウナギが今期は極度の不漁で、国内外での漁獲量が前期の同じころと比べて1%程度と低迷している このニュースは、かれこれ10年以上も前から、様々な立場の人々が異口同音に指摘し、予告し、警告し、懇願し、提言し、あるいは叱責罵倒非難問題提起してきた話題の延長線上にある状況 前年比約99%減という壊滅的な数字だ。ということはつまり、彼らが直面しているこの数字は「漁獲高減少」とか「不漁」という言葉すら生ぬるい「絶滅」をさえ示唆するデータなのであって、シラスウナギの漁獲に比較的大きな年変動があることを考慮したのだとしてもなお、深刻なデータであることは明白なのだ 水産庁の人間は、当然、ひとつの魚種の絶滅の予感に粛然として然るべきなのであって、少なくとも「今後の推移を見ないと何とも言えない」などという、芋が煮えるのを待つ若奥様みたいな優雅なコメントを吐き出しているお日柄ではないはずなのだ 「禁漁はなりふりかまわず乱獲する中国の漁民を利するだけだ 「日本が単独で漁獲制限をしたところで、海はつながっているわけなんだから、結局のところ周辺諸国の乱獲を促すことにしかならない」 「ウナギで暮らしている人の生活も考えろ」 といったおなじみの主張 漁業資源の減少を中国をはじめとするアジア諸国の漁獲高の増大に求める昨今流行のものの言い方が、大筋において無責任な立論 20年前に比べて、中国国内の魚肉消費量が急増していることも、彼の国の漁業が漁獲量を増やし続けていることもその通りではある が、それでもなお、わが国の水産資源消費量と漁業の大きさは依然として他国を圧倒している 中国の養殖業者から食品としてのウナギを輸入しているのは、日本のスーパーと商社であり、その彼らが持ち込んだウナギを世界中の誰よりもたくさん食べているのはほかならぬわれら日本人だからだ 21世紀に入ってからの急激な生息数の減少に関しては、1990年以降、ウナギ専門店とは別に、一般のスーパーや弁当販売店が、500円前後の低価格でウナギ製品を大量販売したことの影響が大きかったのだろうとは思っている これだけ一般に普及してしまっているものにうっかり法規制をかけると、正直者が損をして抜け駆けをする人間ばかりが不当な利益を得る結末になりがちだということだ ウナギでもマグロでもおよそ食材の確保と環境保護が対立する局面で議論が巻き起こると、必ずや「食文化」というマジックワードを持ち出して、論点をそらしにかかる人間が現れることが論争上の定番の展開になっている ・彼らが「食文化」を盾に絶滅危惧種の保護や水産資源の枯渇の問題から目をそらそうとする態度 「養殖」という言葉も、絶滅危惧種を容赦なく乱獲していることのうしろめたさをごまかすためのマジックワード とりあえず、個人としてできることとして、せめてウナギ断ちをしようと思っている
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漁業(その2)(中国の不正漁業を止めるための必要条件、本格始動する魚の「陸上養殖」 魚は捕る時代から陸上で「作る」時代へ) [産業動向]

漁業については、昨年9月23日に取上げた。今日は、(その2)(中国の不正漁業を止めるための必要条件、本格始動する魚の「陸上養殖」 魚は捕る時代から陸上で「作る」時代へ)

先ずは、昨年9月5日付け日経ビジネスオンライン「中国の不正漁業を止めるための必要条件」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・日本に輸入される魚介類の約3割は不正操業によるもの――。環境団体のオーシャン・アウトカムズ(東京・港)と公共政策コンサルティング会社のGR Japan(東京・千代田)がこんな推計を発表した。特に中国の漁業者による不正行為が目立つという。不正操業は日本の海洋資源に大きなダメージを与えている可能性も大きい。
・中国の不正漁業を止めるにはどうすればいいのか。その第一歩は、中国への批判を声高に唱えることではなく、まず我が身を振り返り国内の不正漁業への対策を整備することだ。 調査はオーシャン・アウトカムズがカナダのブリティッシュコロンビア大学などの研究チームに委託して実施した。各国の漁業関係者への聞き取りや公開情報を基に、2015年に日本に輸入された天然魚介類のうち、24~36%をIUU漁業によるものと推計した。IUUとはIllegal・Unreported・Unregulated(違法、無報告、無規制)を意味し、禁漁期や禁漁海域での操業、漁獲量を過少申告する行為、船籍をごまかして規制を逃れる行為などを指す。
▽最大のIUU魚介類は中国からのイカ
・IUU漁業による輸入魚介類の総額はおよそ16億~24億ドル(1800億~2700億円)に及ぶという。IUU魚介類のうち、最も量が大きかったのは中国からのイカやコウイカ(推計26950~42350トン)。IUU漁業の割合が最も大きかったのも中国からのウナギ(同8162〜13603トン)で、45~75%を占めるとみられる。
・日経ビジネスは8月28日号に特集「ここまで朽ちた 独り負けニッポン漁業」を掲載。オンラインでも関連記事を連載した。読者からの意見の中で目立ったのが、こうした不正操業が日本の漁業資源に大きな影響を与えていることへの危惧だ。
・日本のEEZ(排他的経済水域)周辺では中国などからの漁船が集まり、サバなど漁業資源へのダメージが指摘されている。水産庁も「(漁業が大幅に成長している)ノルウェーの隣には中国がいない」(長谷成人長官)などと日本漁業の衰退の主因の1つを周辺諸国の影響によるものだとしている。
・しかし、誌面でも連載でも中国などの不正操業を大きな主題としては敢えて取り上げなかった。それは、中国の振る舞いを批判することは日本の漁業を成長させることに直結しないからだ。外患より先に内憂に対処する必要がある。
▽禁輸措置はGATTに抵触?
・水産庁によると「中国政府の中でもIUUに関する懸念は高まっている」(国際課)。中国がEU(欧州連合)とIUU対策に関するワーキンググループを結成するといった具体的なアクションもある。しかし、自国のEEZ内の資源保護に直結する沿岸漁業の対策が優先で、日本を含む他国へのEEZへの影響が大きい遠洋漁業でのIUU対策は、後回しにされるのではないだろうか。
・外交においてIUU漁業は自然保護の問題ではなく漁業の産業育成の課題であり、中国当局にIUU対策を促すには、同国産業の利害につながる動機付けを示す必要がある。これに関してはEUの取り組みが参考になる。 連載記事でも説明した通り、IUUの対策が最も進んでいるのがEUだ。IUU 対策が不十分と認定した国には魚介類の禁輸措置も言い渡す。EUはこれまで6カ国に対し禁輸措置を実行している。
・日本も中国にこうした厳しい姿勢を取ることが対策として考えられる。魚食の需要が右肩下がりの日本だけでは中国の包囲網を築くには不十分かもしれないが、EUなどと連携して禁輸措置のカードをちらつかせれば効果はあるだろう。
・しかし、GR Japanの粂井真マネージャーは「今の日本がIUU魚介類の禁輸措置に踏み切れば、WTO(世界貿易機関)の内外無差別原則に抵触しかねない」と指摘する。WTOはGATT(関税及び貿易に関する一般協定)で、輸入品への規制に関し「国内原産の同種の産品に許与される待遇より不利でない待遇を許与される」と定めている。つまり、国内でIUU魚介類の流通防止を十分にしていないのに、徒な禁輸措置はできないということだ。
▽EUに劣る日本の漁獲管理
・EUの場合、「漁獲証明書制度」と呼ばれる域内の制度が対外的に禁輸措置に踏み切る裏付けになっている。漁獲時、水揚げ時、販売時にそれぞれ日にちや漁法、漁獲量などを当局に報告し、魚介類のトレーサビリティーを確立。IUUに当たらない魚介類であることを確認し、証明書を発行する。同様の制度は米国も既に取り組み始めている。
・一方、日本はEUのように厳密にIUUを排除する仕組みを持っていない。漁業協同組合などを通じた漁業者同士の自主規制による管理が日本の主流だ。「日本は漁船がIUU船と国際的に認定されたことはない」(水産庁資源管理部)が、資源現象が危惧される太平洋クロマグロの無許可漁獲が相次ぎ発覚するなど、問題が全くないわけではない。自主規制が機能しているかは地域により大きな差はあるが、国内でも不正が起きている以上、自らの襟を正さねば禁輸措置に軽々には踏み切れない。
▽リーダー不在が根本的問題
・日本でEUのような漁獲管理ができない理由について、水産庁の関係者は「ステークホルダーが多すぎるから」と弁明する。1970年代にEEZにより海洋資源を各国が囲い込むようになった後、日本は漁業経営体の集約を進めてこなかった。日本の漁業者の約9割は小規模経営の沿岸漁業者で、漁業権の管理は漁協に任されている。対して、中規模の沖合漁業は都道府県が、大規模の遠洋漁業は水産庁が主に漁獲の許可を行なっている。それぞれの統括団体が違うため、横の連携は乏しく、資源の奪い合いのためにいがみ合うこともしばしばだ。漁業者が一丸となって漁獲管理に取り組む機運に乏しく、水産庁も漁業者全体に対して睨みが効かない。
・しかし、GR Japanの粂井氏は「まずはEUのシステムの一部だけでも取り入れることが重要だ」と指摘する。日本の小規模の漁業経営体の場合、漁獲量の記録をつけている漁業者は多くない。EUのように、漁獲時、水揚げ時、販売時のデータを管理するのは難しい。それでも水揚げ時には市場で漁獲量の記録は残る。水揚げ時に日にちや魚種ごとにロットナンバーをつけて流通させれば、一定程度のレーサビリティーは確保されるというわけだ。
・特集の取材を通じて記者が抱いた最も大きな疑問は、なぜ誰も抜本的な改革に取り組まないのか、という単純な問題だった。隣に中国がいようと、ステークホルダーが多かろうと、粂井氏が提唱するような改革へのはじめの一歩を踏み出さない理由にはならない。EEZによる200海里時代が始まって以降の日本漁業の衰退は「不作為」の一言に尽きる。漁協にも水産庁にも、漁業者に痛みのある改革を受け入れさせるだけの気骨のあるリーダーが生まれなかった。
・40年間漁業の衰退を止められなかった現実を真摯に受け止め、水産庁の幹部を全て外部から呼び込むぐらいの大鉈が必要だと記者には思える。今の水産行政に必要なリーダーの資質は、専門知識や現場経験よりも、改革に挑む「気概」ではないだろうか。
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/221102/100300528/?P=1

次に、1月6日付け東洋経済オンライン「不漁とは無縁!本格始動する魚の「陸上養殖」 魚は捕る時代から陸上で「作る」時代へ」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・2017年は秋サケやサンマなどが記録的な不漁だった。北海道の秋サケ、サンマとも水揚げ量は前年比約3割減の水準。一部で価格が高騰し、冬の食卓を直撃した。 不漁は今年だけのことではない。日本の漁業・養殖業生産量は減り続けており、ピークだった1984年(1282万トン)と比べ3分の1近くまで減っている。日本は水産大国のイメージがあるが、実は魚不足が常態化しているのだ。
・FAO(国連食糧農業機関)の統計によると世界の食用魚介類の1人当たり消費量は、最近50年間で約2倍に増加している。中国では同期間に約8倍、インドネシアでは約3倍になるなど新興国での伸びが目立つ。世界人口の増加に合わせて、日本のみならず世界で魚介類不足が進む。
▽広がる「魚の工場生産」
・ならば養殖でとなりそうだが、海での養殖は自然災害に見舞われたり、海洋汚染によって被害を受けたりする場合がある。沖合での養殖はコストもかかる。そこで期待されるのが、「陸上養殖」。水質や水温、エサなどを完全にコントロールした屋内の水槽で魚介類を育てる。養殖というよりも「魚の工場生産」と呼んだほうが適切だろう。
・総合バルブメーカーで国内首位のキッツ(千葉県千葉市)。特にビル・住宅設備やエネルギー・化学プラント向けのバルブに強みを持つ。2018年3月期は2ケタの営業増益が予想されるなど業績は絶好調だ。 そんな同社は2012年、バルブ製品で培った水処理技術を生かして陸上養殖に乗り出した。2015年には長野県茅野市に陸上養殖プラントを設置し、マダイやマハタの長期飼育の技術を確立した。
・同社のシステムでは海から運んだ海水ではなく、水道水に海水成分の粉末を溶かした水を使用する。海水を海から運ぶと輸送費が大きな負担になるが、水道水ならばコストを抑制できる。「水道水でも魚の飼育にはまったく問題がない」(キッツ)。
・陸上養殖を成功させるには、魚からの排泄物であるアンモニアをいかに無害化するかがポイントになる。同社ではアンモニアの多いときは電気を使用、少ないときは低コストのバクテリアを使用して水質を保つ。 プラントでの作業は大半が自動化され、従業員は平日の9時~5時の勤務で済む。プラント内にはセンサーや監視カメラが設置され、水温、酸素濃度、pH値などを定期的に計測し、何かトラブルがあれば担当者にメールが届く。就業者の減少・高齢化に悩む日本の漁業にとって、飼育作業の負担減は陸上養殖の大きなメリットの1つだ。
・陸上養殖の技術をとりあえず確立したため、長野県のプラントは2017年に閉鎖。現在はマルハニチロの「サクラマス陸上養殖プロジェクト」に参画し、技術のレベルアップに取り込む。キッツは魚の養殖販売ではなく、陸上養殖システムの販売を目指している。
▽工業団地でキャビアを生産
・世界三大珍味の1つ、キャビア。それを産むのが世界的希少魚種のチョウザメで、魚肉も美味で人気がある。そのチョウザメの陸上養殖を手掛けるのが、こちらもバブルメーカーのフジキン(大阪府大阪市)だ。  育成したオス魚を食肉用に外食業者へ出荷し、メスはキャビア採取用となる。キャビアというと缶詰や瓶詰を連想する人が多いだろうが、同社では卵を持ったメスを魚ごと出荷している。出荷先で魚体からキャビアを取り出したほうが鮮度が保たれるからだ。
・同社の養殖事業への参入は1989年と古い。バルブ生産で培った水の流れを制御する技術を生かしてチョウザメの養殖事業を開始。1992年に民間企業としては世界で初めて人工ふ化に成功、1998年にはこれも世界で初めて水槽での完全養殖に成功した。従来のチョウザメを超えたという意味で、この養殖チョウザメのブランド名を「超チョウザメ」とした。
・同社の養殖場は1985年に開催された“科学万博つくば85”の会場跡地に建設された工業団地内にある。現在ではチョウザメ1万匹を飼育する体制を作っている。
・日本で初めてバナメイエビの養殖に成功したのがIMTエンジニアリング(東京都新宿区)。同社は国内唯一の屋内型エビ生産システムを国内外に普及するために設立されたエンジニアリング会社だ。 バナメイエビとは世界中の水温20度以上の海域に生息しているエビだが、同社では新潟県妙高市の室内養殖場でバナメイエビを育てている。養殖が始まったのは2007年。豪雪地帯、妙高市にちなんで「妙高ゆきエビ」と名づけられ、今では特産品の1つとなった。
・東南アジアで養殖されたバナメイエビには臭みがあるが、妙高ゆきエビには臭みがない。通常の養殖池では、池の底に残餌や死骸がヘドロ状になって蓄積され、その臭いがバナメイエビに付いてしまう。 妙高ゆきエビが養殖される水槽は逆三角形型で、残餌や死骸、フンなどが逆三角形の底面に集まり、それらを毎日外へ排出している。そうして水槽内を清潔に保つのだ。水槽には波を引き起こす造波装置もあり、強制的に波の中を泳がせるため、身が引き締まり、それがエビのプリプリの食感につながるのだという。
▽県や漁協も陸上養殖
・富山県では名物「ますずし」に使用されるサクラマスの陸上養殖が行われている。サクラマスは川で生まれ、海で育ち、川に戻って産卵する。漁獲量が近年非常に少ないことから、実際にますずしに使用されるのは輸入のサケやマスであることがほとんど。
・そこで、同県射水市の大門漁協と堀岡養殖漁協が県水産研究所と協力して2013年に陸上養殖の実験を開始し、2015年に養殖法を確立した。 養殖であっても、淡水で生まれて海水で育ち、そして淡水に戻るという順番を作らなければならない。そこで、県内の庄川で活動する大門漁協が成魚からの採卵と稚魚の育成を担い、海の近くで養殖を手掛ける堀岡養殖漁協が成魚の育成を担当する。同じ市内ではあるが、地域の違う2つの漁協がリレー方式で陸上養殖を行うわけだ。
・陸上養殖には自然災害の影響が少ないほかに、育成の履歴が取りやすく安全に魚を育てられる、漁協の許可が不要で企業にとって参入しやすいなどのメリットがある。 中でもポイントは安全な魚作りだ。世界ではWWF(世界自然保護基金)が定めるASCと呼ばれる養殖魚の認証制度があり、徐々に認知が高まっている。たとえば五輪の選手村ではASCを認定した魚でなければ提供できない。2016年のリオ五輪ではASCの認定を受けた水産物70万トン以上が選手や関係者にふるまわれた。
・開催まであと3年を切った東京五輪でも条件は同じ。水産物の輸出促進においても、ASC認証は武器になる。設備や電気代のコストの高さなど克服すべき課題はあるが、今後も陸上養殖魚への注目が高まりそうだ。
http://toyokeizai.net/articles/-/202219

第一の記事で、 『日本に輸入される魚介類の約3割は不正操業によるもの・・・IUU魚介類のうち、最も量が大きかったのは中国からのイカやコウイカ(推計26950~42350トン)。IUU漁業の割合が最も大きかったのも中国からのウナギ(同8162〜13603トン)で、45~75%を占めるとみられる』、というのはショッキングな調査だ。 『EUの場合、「漁獲証明書制度」と呼ばれる域内の制度が対外的に禁輸措置に踏み切る裏付けになっている・・・同様の制度は米国も既に取り組み始めている。 一方、日本はEUのように厳密にIUUを排除する仕組みを持っていない』、というのは情けない。 『EEZによる200海里時代が始まって以降の日本漁業の衰退は「不作為」の一言に尽きる。漁協にも水産庁にも、漁業者に痛みのある改革を受け入れさせるだけの気骨のあるリーダーが生まれなかった』、 『水産庁の幹部を全て外部から呼び込むぐらいの大鉈が必要だと記者には思える』、などの指摘はその通りだ。
第二の記事で、 『本格始動する魚の「陸上養殖」』、というのは頼もしい限りだ。ただ、サクラマスでは、『県内の庄川で活動する大門漁協が成魚からの採卵と稚魚の育成を担い、海の近くで養殖を手掛ける堀岡養殖漁協が成魚の育成を担当する。同じ市内ではあるが、地域の違う2つの漁協がリレー方式で陸上養殖を行う』、というのは、移送の手間がかかるだけに、よくぞ採算ベースに乗せたものだ。 ASC認証を武器に、東京五輪、水産物の輸出促進などで頑張ってほしいものだ。
タグ:東洋経済オンライン キャビア 漁業 日経ビジネスオンライン フジキン (その2)(中国の不正漁業を止めるための必要条件、本格始動する魚の「陸上養殖」 魚は捕る時代から陸上で「作る」時代へ) 「中国の不正漁業を止めるための必要条件」 日本に輸入される魚介類の約3割は不正操業によるもの 特に中国の漁業者による不正行為が目立つという IUU漁業による輸入魚介類 中国からのイカやコウイカ 中国からのウナギ 日本のEEZ(排他的経済水域)周辺では中国などからの漁船が集まり、サバなど漁業資源へのダメージが指摘 外患より先に内憂に対処する必要 禁輸措置はGATTに抵触 EUの場合、「漁獲証明書制度」と呼ばれる域内の制度が対外的に禁輸措置に踏み切る裏付けになっている 同様の制度は米国も既に取り組み始めている 日本はEUのように厳密にIUUを排除する仕組みを持っていない。 業協同組合などを通じた漁業者同士の自主規制による管理が日本の主流だ 日本は漁業経営体の集約を進めてこなかった。日本の漁業者の約9割は小規模経営の沿岸漁業者で、漁業権の管理は漁協に任されている 者が抱いた最も大きな疑問は、なぜ誰も抜本的な改革に取り組まないのか、という単純な問題 EEZによる200海里時代が始まって以降の日本漁業の衰退は「不作為」の一言に尽きる。漁協にも水産庁にも、漁業者に痛みのある改革を受け入れさせるだけの気骨のあるリーダーが生まれなかった 水産庁の幹部を全て外部から呼び込むぐらいの大鉈が必要だと記者には思える 「不漁とは無縁!本格始動する魚の「陸上養殖」 魚は捕る時代から陸上で「作る」時代へ」 世界の食用魚介類の1人当たり消費量は、最近50年間で約2倍に増加 広がる「魚の工場生産」 キッツ 陸上養殖プラントを設置し、マダイやマハタの長期飼育の技術を確立 水道水に海水成分の粉末を溶かした水を使用 アンモニアをいかに無害化するかがポイント 現在はマルハニチロの「サクラマス陸上養殖プロジェクト」に参画し、技術のレベルアップに取り込む 卵を持ったメスを魚ごと出荷 バルブ生産で培った水の流れを制御する技術を生かしてチョウザメの養殖事業を開始。1992年に民間企業としては世界で初めて人工ふ化に成功、1998年にはこれも世界で初めて水槽での完全養殖に成功 バナメイエビの養殖に成功 IMTエンジニアリング サクラマスの陸上養殖 県内の庄川で活動する大門漁協が成魚からの採卵と稚魚の育成を担い、海の近くで養殖を手掛ける堀岡養殖漁協が成魚の育成を担当する。同じ市内ではあるが、地域の違う2つの漁協がリレー方式で陸上養殖を行うわけだ 育成の履歴が取りやすく安全に魚を育てられる 安全な魚作り 東京五輪でも条件は同じ。水産物の輸出促進においても、ASC認証は武器になる
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