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暗号通貨(仮想通貨)(その10)(仮想通貨業者に一斉処分 「新産業の旗手」のお粗末すぎる実態、コインチェックを買収 マネックス松本社長が秘める“3つの野望”、もう蓋をしてしまうの? コインチェック事件の闇) [金融]

暗号通貨(仮想通貨)については、3月4日に取上げた。今日は、(その10)(仮想通貨業者に一斉処分 「新産業の旗手」のお粗末すぎる実態、コインチェックを買収 マネックス松本社長が秘める“3つの野望”、もう蓋をしてしまうの? コインチェック事件の闇)である。

先ずは、3月14日付けダイヤモンド・オンライン「仮想通貨業者に一斉処分、「新産業の旗手」のお粗末すぎる実態」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・2018年3月8日」は仮想通貨業界の歴史の中で、重大な転換点の一つとして記されるだろう。監督官庁の金融庁が仮想通貨交換業者7社を一斉に行政処分。そのうち2社には業務停止命令を下した。そこで明らかになったのは、新産業の旗手として期待された企業たちのあまりにお粗末な実態だった。
▽仮想通貨の業界全体に不信感 監督官庁の金融庁が動き出す
・顧客資産の私的流用、不正取引の看過、システム障害の頻発、顧客への情報開示における不適切な状況――。  これまで謎に包まれてきた仮想通貨交換業者のビジネスの実態が明るみに出た。それは、想像以上にお粗末な世界が広がる“パンドラの箱”が開いた瞬間だった。
・仮想通貨の販売や売買の仲介をなりわいとする仮想通貨交換業者は、日本の新たな成長産業の有望株として期待されてきた仮想通貨業界の旗手だった。 ただ、彼らは財務諸表や経営管理体制などの情報開示がほとんどない、まったく新しい産業のベンチャー企業たち。そのため、利用者としては大事な自分の資産をどの交換業者に預けるべきかを考える際に、参考になる情報が限られてきた。
・ところが、交換業者の中で急激な台頭をみせていたコインチェックにおいて、当時の交換レートで約580億円相当もの仮想通貨「NEM(ネム)」が不正に流出する事件が発生。この一件を受けて仮想通貨の業界全体に不信感が募り、利用者の間にも不安が広がった結果、監督官庁である金融庁が動き出した。
・金融庁は仮想通貨交換業者に登録制を導入しており、その審査において、交換業者が自身と顧客の資産を分別管理できているかどうかや、反社会的勢力やテロ資金への資金流出に対する防止態勢の整備状況といった項目をチェックしてきた。 そして、登録申請はしているものの審査をまだ合格できていない「みなし業者」全社に対して、立ち入り検査を実施すると表明。また、審査をパスした「登録済み」の交換業者の一部にも立ち入り検査に入った。
・3月8日、その時点で実施できた検査の結果を受けて、金融庁は仮想通貨交換業者7社に対して一斉に行政処分を発表。その中には、登録交換業者であるテックビューロとGMOコインの2社も含まれていた。さらに、みなし業者のFSHOとビットステーションの2社に対しては、1ヵ月間の業務停止命令という、より重い処分が下された。
・FSHOは、複数回にわたる高額な仮想通貨の売買において、登録業者に義務付けられている取引時確認などを行っておらず、犯罪資金への流出防止態勢に失格の烙印を押された。 もう1社のビットステーションに至ってはさらにお粗末。同社の100%株主である経営企画部長が、利用者から預かった仮想通貨のビットコインを私的流用していたことが、金融庁の立ち入り検査によって判明したのだ。金融庁は同社に対して刑事告発の指示をしたという(処分発表時点でビットステーションは刑事告発をしていない)。
・これまで、利用者が仮想通貨交換所を選ぶ際の安心・安全に関する有力な判断材料は、金融庁の登録済みか否か以外にないといっていい状況だった。ところが、金融庁がお墨付きを出したはずの登録交換業者でも安心できず、みなし業者に至っては目も当てられない惨状が広がっていることが明るみに出たというわけだ。
▽創業6年目にして460億円を払えるカラクリが明らかに
・同じ3月8日、この日の「本当の主役」がしばしの沈黙を破って表舞台に登場した。金融庁が腰を上げるきっかけをつくったコインチェックが記者会見に臨んだのだ。 この日、1月末に続いて金融庁から二度目の業務改善命令を受けたコインチェックは、NEMの不正流出事件に関する調査結果を報告。これまで時期を未定としていた被害者に対する補償についても今週中を目処に実施するとした(実際に3月12日に補償の実施を発表)。 さらに、サービス再開と今後の事業継続への意志をあらためて表明。それに向けたセキュリティー対策などの取り組みを発表した。
・会見時の焦点は大きく二つ。 一つは、コインチェックの利用者保護に対する姿勢だ。3月の行政処分の中で同社は、昨秋以降の急激な業容拡大に対して、内部管理態勢が追い付いていなかったと指摘を受けた。さらに、「取締役会において顧客保護とリスク管理を経営上の最重要課題と位置付けておらず、経営陣の顧客保護の認識が不十分なまま、業容拡大を優先させた」と断罪されている。
・もう一点は、コインチェックのビジネスモデルについてだ。問題発生当初から、創業6年目のベンチャー企業が補償額として表明した約460億円もの巨額資金を本当に払えるのかという疑念が付いて回っていたが、その支払い原資が確かにあることは金融庁も確認したという。そのカラクリはコインチェックの脅威の収益力だ。
・コインチェックのビジネスモデルは2本柱で成り立っている。 一つは、利用者同士が売買する場を提供する「取引所」事業。こちらは取引量の約8割を占めるが、手数料は取っていないという。 もう一つは、コインチェックが自ら仮想通貨を仕入れ、利用者に売るという「販売所」事業だ。そして、この残り約2割の取引量を占める事業で得てきた利ざや(スプレッド)こそが、ベンチャー企業にして巨額資金の蓄積を可能にした“魔法の杖”だったのだ。
・利用者の取引ニーズをつかみ、超高収益な事業をスピーディーに立ち上げたコインチェック経営陣のビジネスセンスは確かだったかもしれない。ただ、そのビジネスは利用者保護との“二人三脚”が必須であることを見落とした点は決定的な過ちを犯したと言わざるを得ないだろう。
・金融庁はこれまで、仮想通貨を含むフィンテック(金融とテクノロジーの融合)に関して、利用者保護と産業育成のバランスを取りながら行政方針を考える必要があると指摘していた。そして、コインチェック事件を受けても「一方的に規制強化をする方針に転換したわけではない」(金融庁)と語っている。
・しかし、過度な“振れ幅”は避けるべきだが、利用者保護の観点から現実にここまで問題が起きている以上、「バランス」の再検討は必要だろう。実際に一連の問題噴出を受けて、仮想通貨交換業者の登録審査は厳格化。それを受けて、今回業務停止命令を受けたビットステーションと、ビットエクスプレス、来夢のみなし業者3社は、登録申請を取り下げることを金融庁に申し出たという。
・仮想通貨業界を襲った「3.8ショック」。しかし、それは業界“浄化”の号砲に過ぎない。本当に価値ある新たな産業を「創造」するためには避けて通れない「破壊」が、これから本格化していくはずだ。
http://diamond.jp/articles/-/163279

次に、4月9日付けダイヤモンド・オンライン「コインチェックを買収、マネックス松本社長が秘める“3つの野望”」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・世間の大注目を浴びたネット証券、マネックスグループによる仮想通貨交換業者コインチェック買収の記者会見。その場では語られなかった、松本大・マネックス社長が胸に秘める“野望”の存在に着目した。
・仮想通貨交換業者のコインチェック買収を発表したマネックスグループの松本大社長。4月6日夕刻に開いた記者会見では、コインチェックの仮想通貨交換業者の登録とサービス再開について「2ヵ月程度を目標」とする方針のほか、同社の仮想通貨による決済機能やマネックスが国内外に持つ証券会社としての機能を組み合わせることで「全く新しい時代の総合金融機関をつくっていきたい」などと説明した。
・コインチェックといえば、今年1月下旬に当時の交換レートで580億円相当に上る仮想通貨「NEM(ネム)」が外部流出した事件の当事者だけに大きな注目が集まったが、実は松本社長の腹の中には、この会見で語られた狙いの他にも“3つの野望”が渦巻いていたと考えられる。 それは、「第二の創業」を掲げ、松本社長自らがマネックス証券社長に復帰した直後となる昨年11月上旬に、本誌編集部が行ったインタビューの内容からひも解くことができる。
▽金融庁と議論しながら新しい枠組み構築 マネックスブランドで投資家の裾野拡大
・1つ目の“野望”とは、仮想通貨について「金融庁と議論しながら規制や投資家保護の枠組みをつくっていきたい」ということだ。松本社長は昨年11月の取材時、「第二の創業」を掲げた理由と併せ、仮想通貨への思いをこのように語っていた。 「自分たちが主役となって、ブロックチェーンに限らずフィンテックと呼ばれる新しい技術がある中、いろんなサービスを作って提案していこうと思うに至りました。創業時はオンライン証券に関する法令がなかったので、我々が金融庁と一緒に考えてつくっていきました。それを創業時と同じような形でやっていきたい」
・「今回も以前と同様、ないところから金融庁などと一緒に議論して、規制や投資家保護などの新しい枠組みを作っていくことになると思う。それも創業時と似ているし、そういう意味で第二の創業と言っています」 「例えば仮想通貨交換業は、現時点で資本規制もないし、レバレッジ規制もない。でもそれは他の金融取引との平仄で考えるとあり得なくて、資本規制やレバレッジ規制は当然考えるべきだと思う。それを一緒になって考えて、金融庁と一緒にどう在るべきかを議論していくべきだと思っています」
・これらの発言からは約20年前、共同経営者を続けていれば数十億円を得る間近だった株式上場直前のゴールドマン・サックス証券を飛び出し、マネックスの創業によって証券のインターネット取引の普及に尽力した松本氏の自負心が垣間見える。何よりネット証券の黎明期に法令や規制などを当事者として金融庁と議論しながら作り上げていったのと同様、仮想通貨に関しても自らイニシアチブを取ってルール整備を進めていきたいとの意向が示されている。
・2つ目は、一定の知名度があるマネックスブランドを活かして、仮想通貨売買の裾野を広げることだ。マネックスは2002年からネット証券大手の中でもいち早くFX(外国為替証拠金取引)のサービスを始めた。そして昨年のインタビューでは、「それまでFXは先物業者が先にやっていたのに流行らなかったが、当社が入ったことで一般化しました。仮想通貨も当社のような存在が入ることで一気に裾野を広げられる可能性があると思っています」と述べている。創業社長として長らく事業を展開してきたマネックスブランドへの強固な自信が映し出されているといえよう。
・ただし、これら2つの“野望”に関しては、この数ヵ月間の環境変化で軌道修正を迫られた可能性もある。1つ目に関しては、コインチェックによるNEMの大量流出を受け、金融庁が明らかに以前よりも「育成」から「規制」への姿勢を強めている影響が大きい。 しかもマネックスは自社で仮想通貨交換業を始めることを念頭に、昨年12月に「マネックスクリプトバンク」という子会社を設立していたが、登録業者への認可に時間がかかるとの考えもあってか、事件の当事者であるコインチェックを傘下に収める戦略に打って出た。今後は金融庁との「対話」もさることながら、コインチェックが「実効性のある経営管理体制を築いていけるか」(金融庁)という視点で「監視」される側面の方が強くなると言えるだろう。
・2つ目に関しても、既存の大手グループの名を冠するまでもなく、仮想通貨投資は既に大きな広がりを見せている。というのも、コインチェックだけで口座数は170万にのぼり、これはマネックスが20年かけて築き上げてきた口座数とほぼ同規模だ。日本全体を見れば、円建てのビットコイン取引のシェアは、世界でも首位を争うほど多い。
・さらに言えば、SBIグループやGMOグループの子会社は、それぞれ登録の認可を既に昨年9月に受けており、マネックスは後発組に過ぎない。買収会見でもコインチェックについては「世界的な先駆者であり、世界的なブランドがある」として、サービス名などを変えない意向を示している。
▽全金融取引をブロックチェーン上で 世界的なコンソーシアム設立構想も?
・このように、当初の2つの目論見は変化した可能性も否定できないが、松本社長はさらに長い目で見た構想も口にしていた。6日の買収会見でも「新しい時代のお金との付き合い方をデザインする、というのが創業以来の理念」と語ったように、中長期的な目標はそう簡単に変わるものではないだろう。昨年11月のインタビューでは以下のような思いを吐露していた。それが3つ目の“野望”だ。
・「やる以上は当社の金融取引がブロックチェーン上でできる、というだけでなく、日本や世界中の株式取引や債券、投資信託などの取引がブロックチェーン上で安全にできることに意味があります」 「そうした新しい世界を当社がリーダーとなって作るのは、夢というかビジョンではありますが、実際はそんな簡単なことではない。他の会社がそれを実現するかもしれないし、そこまで大きい話だと1社の問題でなく、世界的な証券会社のコンソーシアムみたいなものでブロックチェーンを作っていくことになるかもしれない」 「それは恐らく早くても2〜3年後のこと。しかもうち単独で実現はできないかもしれない。でもそれを待っているのではなく、どっかがやるから参加しようではなく、自分たちが主語となっていくイニシアチブを作りたいわけです」
・専門家の間でよく指摘されるのは、巨額流出事件を経てもなお、仮想通貨の基盤技術となるブロックチェーン自体に直接的な脆弱性が見つかったわけではない、ということだ。その上で、マネックスの証券取引サービスのみならず、世界中の証券取引がブロックチェーン上で行えるとの未来像や、世界的な証券会社のコンソーシアム(共同事業体)のような構想も念頭に置いていると話した。その実現には新参者が絶えず流転する世界の仮想通貨業界にあって、少しでも早く参入せねばとの焦りにも近い思いがあったかもしれない。
・そんな長期的な展望のみならず、マネックスの収益面の焦りも大きいとみられている。ネット証券大手5社の中で株式売買仲介のシェアが最も小さく、仮想通貨交換業への参入に関しては、自社で設立したクリプトバンクの登録申請の認可に時間がかかる見通しだった。コインチェックはそもそも、ヤフーや大和証券などの大手が訴訟リスクなどを読みきれず買収を断念した経緯がある。
・17年末時点でマネックスは1000億円近い現金資産を持つとはいえ、今回の36億円という買収額の中には「アーンアウト条項」(注)と称される契約によって追加の買収費用が発生する可能性が高く、これまでのコインチェックの高収益が持続できるかにも疑問符がつく。
(注)アーンアウト条項とは、M&A取引の実行(クロージング)後一定の期間において、買収対象とされた事業が特定の目標を達成した場合、買手企業が売手企業に対して予め合意した算定方法に基づいて買収対価の一部を支払うこととする規定
・コインチェック買収の報道や発表に対し、株式市場ではマネックス株が急騰劇を演じるなど、高い収益性に対する市場の期待は大きい。それだけ大きな要求に答えられないと、しっぺ返しを食らうのも必至だ。
・ゴールドマン・サックス時代にトレーダーとして巨額の利益を会社にもたらし、史上最年少でゼネラル・パートナーに上り詰めた松本社長。稀代の投資家の嗅覚でつかんだコインチェックの行く末には世界中から関心が集まっているが、金融庁は慎重に判断を下していく姿勢だけに、まずは「2ヵ月」と掲げた交換業者の登録とサービス再開が実際になされるかが今後の注目ポイントとなる。
http://diamond.jp/articles/-/166514

第三に、闇株新聞が4月4日付けで掲載した「もう蓋をしてしまうの? コインチェック事件の闇」を紹介しよう。
・1月26日に、時価で580億円に相当する(顧客から預かっているはずの)仮想通貨NEMが社外に流出してしまった(要するに誰かに盗まれた)仮想通貨取引所あるいは販売所であるコインチェックを、本日(4月3日)の午後早く、マネックスグループが子会社化すると報じられています。
・マネックスグループ自体はお決まりの「本日の一部報道について」なるIRを出し、現時点で決定した事実はないと強調していますが、すべて金融当局も了解した(というより主導した)出来レースであるはずです。 なぜマネックスだったのかというと、単にここまで仮想通貨ビジネスへの参入が遅れており、仮想通貨の既存ビジネスとバッティングすることなしに、コインチェックを中心に仮想通貨のビジネス展開ができるからだと思われます。
・マネックスグループのコインチェック買収の報道が飛び込んできた昼過ぎから、マネックスの株価が急上昇し、結局ストップ高(80円高)の424円となりました。少なくとも仮想通貨ビジネスの遅れは取り戻せるからです。 しかしコインチェックの闇がどこまで解明され、世間に納得される説明がされたのかというと、全くそんなことはありません。
・そもそも2017年4月1日に施行された改正資金決済法により、すべての仮想通貨取引所あるいは販売所は金融庁の認可を受け、顧客資産の分別管理や顧客情報の適正な開示を義務付けられたはずですが、この580億円相当の仮想通貨が流出した時点でコインチェックはまだ金融庁に認可されていない「みなし取引所」でしかありませんでした。
・さすがに金融庁も「これはまずい」と考えたはずで、事件発覚の翌日である1月27日深夜にはコインチェック側に流出した580億円を時価換算した463億円を顧客口座に返金すると発表させ、1月29日には1回目の業務改善命令、2月2日には金融庁が立ち入り検査に着手していました。
・コインチェックは事件後に、すべての仮想通貨の取り引きを止め、現金を含むすべての顧客資産の払い出しを停止していましたが、2月13日には日本円のみの出金を再開し(現金は銀行で分別されていたはずなので何でここまで出金できなかったかは謎)、3月8日には金融庁が2回目の業務改善命令を出し、3月12日にはやっと約束していた仮想通貨NEMの返金を開始していました。 
・580億円もの仮想通貨NEMが流出した直後から、多数のホワイトハッカーがその行方を追跡し、流出に関わったと思われる複数の口座を特定していましたが、時間とともに流出した仮想通貨が拡散してしまい、現時点ではほぼ全額が(NEMは値下がりしたものの)現金やビットコインなど流動性のある仮想通貨に交換されてしまっています。
・つまり流出当時580億円あった仮想通貨NEMは完全に消えてしまい、誰がどのように盗んでどう換金して逃げてしまったのか、あるいはコインチェックの社内外に協力者がいたのかまで含めて、(多少は解明されているはずですが)一切説明されることなく蓋がされてしまうことになります。 つまり「真相解明」にも「再発防止」にも何の役にもたっていないことになります。
・また事件後のコインチェックは、手持ちのない仮想通貨を顧客に販売していたとか、一部の顧客にマネ-ロンダリングの疑いが強いとか、犯罪性資金決済に使われる闇ウェブ用の仮想通貨の取り扱いが多いなど、たくさんの新たな問題が出ていたはずですが、これらもすべて蓋がされてしまうことになります。
・つまりマネックスは、コインチェックのこういうたくさんの問題がすべて解決したとして(あるいは580億円の仮想通貨が消滅した以外には何の問題もなかったとして)、完全にクリーンになったとみなされるコインチェックを数十億円で買収することになります。
・またコインチェックの和田社長と大塚取締役は、さすがに新会社の経営陣からは外れるようですが大株主として新会社に参画するようで、一足早く創業者利得を得ることにもなります。またこう発表されている以上、この2人の刑事責任が追及されることはなく、本人たちが「真相」を仮に知っていたとしても、それらが明らかになることはありません。
・つまりコインチェック事件は、現段階で何一つ明らかになっていないにもかかわらず、ここですべてに蓋がされることになります。そして金融庁の責任が問われることも全くありません。
http://yamikabu.blog136.fc2.com/blog-entry-2199.html

第一の記事で、 『ビットステーションに至ってはさらにお粗末。同社の100%株主である経営企画部長が、利用者から預かった仮想通貨のビットコインを私的流用していたことが、金融庁の立ち入り検査によって判明したのだ』、というのは想像を超えた酷さだ。 『コインチェックが自ら仮想通貨を仕入れ、利用者に売るという「販売所」事業だ。そして、この残り約2割の取引量を占める事業で得てきた利ざや(スプレッド)こそが、ベンチャー企業にして巨額資金の蓄積を可能にした“魔法の杖”だったのだ』、そんなボロいビジネスだったことを改めて知らされた。
第二の記事で、 『松本大・マネックス社長が・・・「全く新しい時代の総合金融機関をつくっていきたい」などと説明した』、との金融エリートの「大風呂敷」には恐れ入った。 『SBIグループやGMOグループの子会社は、それぞれ登録の認可を既に昨年9月に受けており、マネックスは後発組に過ぎない。買収会見でもコインチェックについては「世界的な先駆者であり、世界的なブランドがある」として、サービス名などを変えない意向を示している』、というのが実態に近いだろう。 『マネックスの証券取引サービスのみならず、世界中の証券取引がブロックチェーン上で行えるとの未来像や、世界的な証券会社のコンソーシアム(共同事業体)のような構想も念頭に置いていると話した』、というのも、ブロックチェーンの活用方法については、既に世界の大手金融機関が必死に研究しているところに、マネックスが加わるという意味しかなさそうだ。
第三の記事で、 『すべての仮想通貨取引所あるいは販売所は金融庁の認可を受け』、の「認可」は間違いで、正しくは「届出」である。  『コインチェックの和田社長と大塚取締役は、さすがに新会社の経営陣からは外れるようですが大株主として新会社に参画するようで、一足早く創業者利得を得ることにもなります。またこう発表されている以上、この2人の刑事責任が追及されることはなく、本人たちが「真相」を仮に知っていたとしても、それらが明らかになることはありません。 つまりコインチェック事件は、現段階で何一つ明らかになっていないにもかかわらず、ここですべてに蓋がされることになります。そして金融庁の責任が問われることも全くありません』、というのはその通りだ。
タグ:仮想通貨 ダイヤモンド・オンライン 闇株新聞 暗号通貨 コインチェック (その10)(仮想通貨業者に一斉処分 「新産業の旗手」のお粗末すぎる実態、コインチェックを買収 マネックス松本社長が秘める“3つの野望”、もう蓋をしてしまうの? コインチェック事件の闇) 「仮想通貨業者に一斉処分、「新産業の旗手」のお粗末すぎる実態」 想通貨交換業者7社を一斉に行政処分 約580億円相当もの仮想通貨「NEM(ネム)」が不正に流出する事件が発生 登録申請はしているものの審査をまだ合格できていない「みなし業者」 全社に対して、立ち入り検査を実施 コインチェックが自ら仮想通貨を仕入れ、利用者に売るという「販売所」事業だ。そして、この残り約2割の取引量を占める事業で得てきた利ざや(スプレッド)こそが、ベンチャー企業にして巨額資金の蓄積を可能にした“魔法の杖”だったのだ 本当に価値ある新たな産業を「創造」するためには避けて通れない「破壊」が、これから本格化していくはずだ 「コインチェックを買収、マネックス松本社長が秘める“3つの野望”」 同社の仮想通貨による決済機能やマネックスが国内外に持つ証券会社としての機能を組み合わせることで「全く新しい時代の総合金融機関をつくっていきたい 仮想通貨について「金融庁と議論しながら規制や投資家保護の枠組みをつくっていきたい」 ないところから金融庁などと一緒に議論して、規制や投資家保護などの新しい枠組みを作っていくことになると思う。それも創業時と似ているし、そういう意味で第二の創業と言っています マネックスブランドを活かして、仮想通貨売買の裾野を広げることだ SBIグループやGMOグループの子会社は、それぞれ登録の認可を既に昨年9月に受けており、マネックスは後発組に過ぎない 買収会見でもコインチェックについては「世界的な先駆者であり、世界的なブランドがある」として、サービス名などを変えない意向を示している 全金融取引をブロックチェーン上で 世界的なコンソーシアム設立構想も 世界中の証券取引がブロックチェーン上で行えるとの未来像や、世界的な証券会社のコンソーシアム(共同事業体)のような構想も念頭に置いている 「もう蓋をしてしまうの? コインチェック事件の闇」 流出当時580億円あった仮想通貨NEMは完全に消えてしまい、誰がどのように盗んでどう換金して逃げてしまったのか、あるいはコインチェックの社内外に協力者がいたのかまで含めて、(多少は解明されているはずですが)一切説明されることなく蓋がされてしまうことになります コインチェックの和田社長と大塚取締役は、さすがに新会社の経営陣からは外れるようですが大株主として新会社に参画するようで、一足早く創業者利得を得ることにもなります またこう発表されている以上、この2人の刑事責任が追及されることはなく、本人たちが「真相」を仮に知っていたとしても、それらが明らかになることはありません コインチェック事件は、現段階で何一つ明らかになっていないにもかかわらず、ここですべてに蓋がされることになります。そして金融庁の責任が問われることも全くありません
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日本のスポーツ界(その9)(ハリル流を受け入れられなかった 日本代表の「ナイーブな一面」、小田嶋氏:華やかな敗北を見たがる人々) [社会]

昨日に続いて、日本のスポーツ界(その9)(ハリル流を受け入れられなかった 日本代表の「ナイーブな一面」、小田嶋氏:華やかな敗北を見たがる人々)を取上げよう。

先ずは、スポーツライターの小宮 良之氏が4月12日付け現代ビジネスに寄稿した「ハリル流を受け入れられなかった、日本代表の「ナイーブな一面」 問題はどこにあるのか?」を紹介しよう(▽は小見出し)。
▽遅すぎた。それでも…
・4月9日、日本サッカー代表監督であるヴァイッド・ハリルホジッチが解任された。 「監督の求心力が薄れた」 要約すれば、それが日本サッカー協会がハリルホジッチを更迭した理由だった。後任には、代表技術委員長(監督の人事などを司る仕事)を務めていた西野朗が決まっている。
・「ワールドカップまで2ヵ月で代表監督交代なんておかしい!」 「協会のガバナンスが不足しているのでは?」 「解任理由がフワッとしている。監督交代で勝てる算段がない」 サッカーファンの反応は、その多くが否定的なものだった。
・どの意見も、それぞれ的を射ている。決断は遅すぎたし、協会のガバナンスは十分に働いていなかったし、西野監督で勝てる見込みもないだろう。 それでも、日本サッカー代表は6月に開催されるロシアワールドカップに、勝利を目指して挑まなければならない。
▽耐えられなかった
・ハリルホジッチが指揮するチームにおいて、一部選手たちの不満は世間が思っている以上だった。選手の名前を覚えられない、という小さな軋轢に始まり、選手メンバー選考や戦い方まで、しこりは大きくなっていった。 「つなぐな、とにかく蹴れ、蹴れ」 例えば昨年12月のE−1選手権で、こうハリルホジッチは厳命を下していたが、その戦い方は自分たちのボールを相手に渡すようなもので、状況を無視していた。
・とても受け入れられない――そう考える選手たちとの距離は遠くなっていった。そして今年3月の欧州遠征、関係は破綻した。 ただ、この点に関して、日本人選手はややナイーブだったとも言える。 欧州、南米の選手は「やれ」と言われた原則を守りながら、より有効な手段を選べる。表立って監督に楯突くことこそしないが、ふてぶてしいというか、規則は破るためにある、という前提を持っている。監督がなにを言おうと、自分たちが正しい選択をする。手段よりも目的が第一にあるのだ。
・日本人選手は、ハリルホジッチの強硬な指示に対し、ひたすら消耗し、苛ついた。論理的でない命令を高圧的に下されることに、我慢ならなかった。モラルの違いも、浮き彫りになったと言えるだろう。 コミュニケーションのすれ違いは、求心力の低下にもつながった。大なたを振るうべきだったか。その是非は別にして、捨て置けない混乱がチームにあったのは事実だ。
▽西野監督に決まった内部事情
・では、監督交代のタイミングや西野監督という選択は正しかったのか? 正しいはずはないが、事情はあった。 西野技術委員長は、ガンバ大阪などで多くのタイトルを取った「Jリーグ最多勝」の指揮官で、もともと監督業の人である。 技術委員長の仕事は監督をサポートし、根回しをし、必要なら新たな監督と交渉し、招聘すること。そうした仕事をした経験はなかった。タイミングもなにも、彼が監督になりかわるか、入閣していたコーチを引き上げるくらいしか、術がなかった。
・それが、解任の決定が先延ばしになり(例えば昨年10月のハイチ戦でのドローや、12月の韓国戦での敗北は契機になり得た)、時機を失い、選択肢も他にはなくなった理由である。 そもそもハリルホジッチを招聘したのは(アルベルト・ザッケローニ、ハビエル・アギーレも)、前技術委員長である霜田正浩氏だ。
・しかし霜田氏は昨年末で辞任(今シーズンからJ2のレノファ山口の監督に就任)。協会内には、外部から監督を連れてこられるだけの人物はいなかったし、このタイミングで外国人の有力監督を連れてくるのは(日本人選手の情報量が少なすぎて)、たしかにリスクが高すぎた。
・タイミングも、人選も、これしかなかった。今となっては。 問題の核心は、もっと以前の人事マネジメントにあったと言える。その点で、協会のガバナンスが不足していた、との意見はその通りだろう。組織の機能性が欠落していたと言わざるを得ず、協会は糾弾を避けられない。 ただ組織として問題はあったとしても、勝負に関してどう転ぶかが問われるのは、これからだ。
▽「長期政権」のほうが強いのか?
・代表監督という仕事は、これまで書いてきたように特殊である。戦術以上に、チームとして一枚岩になれるか。同じ選手で時間をかけて戦術、システムを練り上げるクラブチームとは、まるで違う事情がある。 無論、時間をかけて作ってきたチームには大きなアドバンテージがある。
・例えば2016年からスペイン代表を率いるジュレン・ロペテギ監督は、2010年の世界王者、2012年の欧州王者の主力選手たちを大きく入れ替えていない。 新たな血を少しずつ入れながら、2年間でチームを熟成。そのコンビネーションは世界最高のレベルにある。今年3月、強豪アルゼンチン代表とのフレンドリーマッチでは、6−1で大勝し、チームとしての完成度の差を見せつけている。
・一方のアルゼンチン代表は、このスペイン代表戦でリオネル・メッシを欠くハンデを負っていた。前回大会から3人目の監督となる名将ホルヘ・サンパオーリが率いるも、ワールドカップ南米予選でも大苦戦し、チームとしての完成度は著しく低い。とりわけ、ディフェンスの綻びは明らかである。 これら二つの強豪を照らし合わせてみても、一人の監督が続けて指導してきたチームには優位性があると言えるだろう。
・それなら、ハリルホジッチが続投したほうが良かったのでは——それも一理ある。 断言できるのは、ハリルホジッチが間違った戦略を示していたわけではない、ということだ。 「守りを充実し、速く攻める」。それも一つの戦い方であって、また日本が採り入れる必要があるものだった。また、原口元気、久保裕也、井手口陽介、槙野智章など「申し子」とも言える選手も出している。
・しかし、指導のプロセスで求心力を失っていったことも間違いない。それにはハリルホジッチの、思ったことをすべて口にしてしまう正直さと頑迷さもあっただろう。日本人を見下すような発言も目立った。 「日本人は日本人の戦いがある」 結局のところ、その思いが、急転直下の監督交代につながった、と見るべきだろう。
・▽神風は吹かせられる
・だとしたら、新体制のアドバンテージはどこにあるのか。 集団戦術の点で見ると、一つの答えに当たる。  Jリーグのクラブを見てみても、日本は独特のカラーを持つ。名将論が語られる一方、チームとして力を発揮するクラブに、必ずしもカリスマ性の強い指揮官はいない。 2000年代に最強を誇ったジュビロ磐田は象徴的だろう。監督よりも選手たちが主導権を握っていた。藤田俊哉、名波浩という二人を中心に創意工夫を重ね、戦いを成熟させていった。一人の監督の強烈なリーダーシップで動くよりも、選手が集団を動かしていた。
・2013年に天皇杯で優勝し、リーグ戦も最終節まで首位だった横浜F・マリノスも、中村俊輔がピッチの指揮官として振るまい、ジュビロと似た傾向があった。 2016年Jリーグ王者の鹿島アントラーズ、2017年にJリーグ優勝の川崎フロンターレ、そして2017年にアジアチャンピオンズリーグで優勝した浦和レッズも、同じ特色が見える。しかも鹿島、浦和に関しては、シーズン途中に監督が交代している。
・2010年ワールドカップのメンバーも個性と自主性が強かった。自分たちの感性で、当時の岡田武史監督に戦術変更を打診。それは大会直前のことだった。しかし、これによってグループリーグでカメルーン、デンマークにしぶとく勝利し、決勝トーナメント進出をはたしている。
・実はこうしたケースは、欧米ではあまり見られない。選手発信で戦い方を進言するなど、欧州や南米の監督は認めないだろう。それはほとんどの場合、反逆行為と見なされる。 逆説的に、西野ジャパンの活路があるとすれば——。追い込まれた選手たちによる、「突き上げ革命」かもしれない。
・長谷部誠、本田圭佑、岡崎慎司、吉田麻也、長友佑都、川島永嗣、香川真司など、代表には世界の舞台で感覚を磨き、道を切り開いてきた選手がいる。酒井宏樹、乾貴士など、欧州トップリーグのクラブで主力となる選手もいる。 崖っぷちに立った彼らが反発力を見せられるか。 ワールドカップは短期決戦だ。神風を吹かせることは不可能ではない。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/55215

次に、コラムニストでサッカーファンの小田嶋 隆氏が4月27日付け日経ビジネスオンラインに寄稿した「華やかな敗北を見たがる人々」を紹介しよう。
・久しぶりにサッカーの話題に触れておきたい。 この先、ワールドカップ(W杯)が間近に迫ったタイミングになると、ネガティブな文章は書きにくくなる。 だから、いまのうちに書いておく。 今回の記事はそういうテキストになる。
・私は、一人のサッカーファンとして、6月から開催されるロシアW杯の成功を願っている。 なので、本当なら、その盛り上がりに水をさすような原稿は書きたくない。 でも、それはそれとして、サッカーファンだからこそ書かねばならないことがあるはずだとも思っている。 いま書いておかなければ、日本のサッカーに未来はないとすら考えている。 なんというのか、一人の男がサッカーファンになるということは、自分の力で自国のサッカー界を変革せんとする夜郎自大な思い込みをアタマの片隅から滅却できなくなるということでもあるわけで、実に厄介な生き方なのである。
・私は、ハリルホジッチ監督を解任した日本サッカー協会のガバナンスを信頼していない。 理由は、協会の首脳部が、監督人事とチーム編成という自分たちの最も大切な仕事に関して筋道だった説明を回避しているからだ。この態度は、日本のサッカーがこの30年ほど歩んできた道筋を自ら台無しにするものだ。 もっとも、私が苦言を呈することで協会が目を覚ます、と、本気でそう思っているわけではない。 そんなことは不可能だ。 私がこれからここに書くテキストは、心の中で思っていることを吐き出さずにいると体調を崩してしまうからという私自身の個人的な事情を反映した結果にすぎない。
・協会の関係者にも読んでほしいと思ってはいるものの、私の見るに、彼らは死によってのみ治癒可能なタイプの疾患をかかえている人々だ。そんな人たちの考えを改めるに足る文章を書くことは、書き手が誰であれ、不可能な仕事だ。 自分が愛情を寄せている対象に、いつでも変わることなく賛嘆と支援の気持ちのみで向き合えるのなら、それに越したことはない。 実際に、そうしている人たちがたくさんいることも知っている。
・私にはそれができない。 私は、愛すればこそ苦言を呈さなければならないと考えてしまう厄介な組の人間だ。 反日という言い方で、私の言いざまを罵る人々が現れるであろうことはわかっている。 あらかじめ言っておきたいのは、私が日本のサッカーに注文をつけるのは、弱くなってほしいからではないということだ。私は、きたるW杯の舞台で、日本代表チームが一つでも多く勝つことを願っている。
・ただ、勝利を願う一方で、私たちの代表チームが、このたびの愚かな選択の報いを受けるべきだと考える気持ちをおさえることができずにいる。 こんな不幸な気持ちでW杯を迎えるのははじめてのことだ。
・4月9日、日本サッカー協会(JFA)の田嶋幸三会長は、2015年3月以来3年間にわたって日本代表チームの監督としてチームを指揮してきたヴァイッド・ハリルホジッチ監督の解任を発表した。 この時の会見で、田嶋会長は、解任の理由について、内容、結果ともに低調だった3月のマリ戦、ウクライナ戦の結果を受けて「選手とのコミュニケーションや信頼関係が多少薄れてきて、今までのことを総合的に評価してこの結論に至った」と語っている。 以降、これ以上の説明をしていない。
・サッカーチームは、どんな枠組みのどんなレベルのチームであれ、常に監督と選手との間に緊張感をはらんだ中でゲームに臨むものだ。 むしろ、高いレベルになればなるほど、監督と選手の間には戦術や起用法について意見のぶつかり合いや感情的な行き違いが生じやすくなると言っても良い。
・監督と選手の間だけではない。中盤の選手と前線の選手の間にはいつもポジション取りについての齟齬が生じているものだし、ディフェンスの選手と中盤の選手も、常に守備の最終ラインや攻撃の起点に関して異論をぶつけ合っている。ベンチにいる選手とピッチの上にいる選手の間にも当然のことながら対立を孕んだ空気が介在している。
・もちろん、チームの空気を穏当な状態に保ち、戦える集団として運営していくことも監督に求められる重要な仕事のひとつではある。その意味では、ハリルホジッチ氏が、円滑なチームマネジメントに失敗していたのだとしたら、それはそれで彼の失点として数え上げなければならない。
・とはいえ、「信頼関係」だとか「コミュニケーション」だとかいった、主力選手に冷たくあしらわれてスネた部活のマネージャーがふてくされて部活日誌に書くみたいなお話が、W杯本番を2カ月後に控えたチームの指揮官の解任理由として通用すると考えた協会幹部のアタマの悪さは、やはり問題視されなければならない。  百歩譲って、相手が思春期の生徒なら 「だって、こっち向いてしゃべってくれないんだもん」 式のクソ甘ったれた反応も、魂の成長痛のひとつとして容認してあげても良いだろう。
・しかし、サッカー協会の会長は60ヅラを下げたおっさんだ。その酸いも甘いも噛み分けているはずの還暦過ぎのジジイ(すみません、書いている自分も還暦過ぎました)が、W杯を2カ月後に控えたタイミングで代表監督を解任するにあたって持ち出してきた解任理由が、言うに事欠いて「信頼関係が多少薄れてきた」だとかいう間抜けなセリフだったというこのあきれた顛末を、われわれは断じて軽く見過ごすわけにはいかない。こんなバカな理由を、いったいどこの国際社会が失笑せずに受け止めるというのだろうか。
・仮に、チームの雰囲気が良くなかったことが事実なのだとして(たぶん事実だったのだと思うが)、そんなことは「よくある話じゃね?」としか申し上げようのないお話だ。 世界中のあまたのチームの一流選手たちが、トゲトゲした雰囲気の中で、それでもゲーム中の90分間だけは一致団結してボールを追いかけている。ロッカールームでは視線すら合わせない選手同士がパス交換をするからこそ、サッカーはサッカーたり得ている。当たり前の話じゃないか。
・仮に起用法に不満を持つ選手がいたり、選手間で戦術の理解にバラつきがあったのだとしても、戦術と用兵は監督の専権事項だ。あるいは、監督と選手の間でサッカー観が一致しない部分があっても、最終的には選手は監督の指示に従わなければならない。というよりも、監督というのは、そもそも選手間でバラつきがちな戦術観を統一するためにベンチに座っている人間なのである。
・とすれば、サッカー協会に監督との不和を直訴した選手がいたのだとしても、協会としての答えは、 「監督のサッカーに不満なら君がチームを出て行くほかに選択肢はない」 に尽きているはずだ。 それでもなお、チームの主力と監督の間に広がっている溝が、あまりにも深刻で修復不能に見えた時には、どうすれば良いのだろう? 答えは、早めに手を打つことだ。 別の言い方をするなら、これがW杯1年前のタイミングなら、あるいは、選手の側の言い分を尊重して監督の方を解任する選択肢もあり得たということだ。今回のハリルホジッチ氏のケースで言えば、昨年9月の段階ないしは、最悪でも日韓戦での惨敗直後のタイミングなら、ギリギリで解任を模索する道が残されていたかもしれない。
・しかし、4月ではダメだ。 お話にならない。 ラーメンを注文して半分まで食べ終わってから 「あ、やっぱりラーメンは取り消してチャーハンにします」 と言うのと同じくらいあり得ない。 しかも、田嶋会長は 「選手とのコミュニケーションや信頼関係が多少薄れてきて……」 と言っている。おい、「多少」だぞ「多少」。「多少」なんてことで、解任を言い出して良いと思うその考えを、田嶋さんはどこの学校で教えられてきたのだろうか。
・「コミュニケーションと信頼関係が最終的かつ不可逆的に失われた」と断言し、そう断言したことの責任を引き受ける覚悟で解任理由を語ったのであれば、まだしもその先の話を聞く気持ちにもなる。 が、実際に言ったのは「多少薄れてきて……」というおよそ腰の引けた言い草だ。こんな言い方でこれほどまでに致死的な決断を語ってしまう人間の言葉を、いったい誰が信用するというのだ?
・マリ戦およびウクライナ戦の結果を問題視する判断も承服できない。 親善試合は親善試合だ。戦術を試す意味もあれば、選手を試す意味もある。結果も内容も、本番のための試金石に過ぎない。とすれば、その結果をもとに監督の資質を評価されたのではたまったものではない。
・私は、個人的にハリルホジッチ氏が本番に向けてひそかにあたためていたかもしれない秘策に期待していた。それを裏切られた意味でも、今回の解任には失望している。どうして、包装を解く前にケーキを箱ごと捨ててしまうことができたのか、そのことが惜しまれてならない。
・もうひとつ、後任監督に西野朗技術委員長を抜擢した点も、筋の通らない措置だったと思っている。 西野さんの能力や人格についてどうこう言いたいのではない。 監督の仕事を評価する役割を担う技術委員長であった西野氏を後任監督に就けるのは、組織の力学として狂っているということを申し上げている。 いったいどこの世界にアンパイヤが打席に立つ野球があり、審査員が受賞するイベントがあるだろうか。 そんなことを許したら、野球が野球であり賞が賞である正当性が失われてしまう。
・あるいは、派遣労働の自由化に尽力した政治家が人材派遣会社のオーナーになったら、いったい誰が政治を信頼できるだろう。 今回のこの人事は、ファンの間で「行司だと思っていたらふんどしを締めていた事案」と評価されている。 それほどスジが違っていたということだ。 監査法人が会社を乗っ取って良いのか、という話でもある。 論外だと思う。
・でもまあ「ほかに適任者がいなかった」事情は理解できる。 たしかに、岡田武史さんがS級ライセンスを返上してしまった以上、日本中を見回して(あるいは世界中を見回しても)この時期にチームを引き受けて指揮を取れそうな人物は、西野さんをおいてほかには見当たらなかったはずだ。
・でも、だとしたらなおのこと、「適切な後任が見当たらない状況下でどうして唐突な解任に踏み切ったのか」と思わずにはいられない。 逆に言えば 「この人なら大丈夫だろう」 という誰もが納得する後任にあらかじめ目星をつけていたのであれば、いきなりの解任にも、これほどの憤りは感じずに済んだことだろう。
・ともあれ、コトは起きてしまった。 そしてわれわれは、起こってしまったことは良いことだと考えがちな国民だ。 以前、中島岳志さんと何かのイベントでご一緒した時に彼が教えてくれたお話をもう一度蒸し返しておく。こんな話だ。小泉内閣の時代に、朝日新聞が首相の靖国神社参拝への賛否を問う世論調査を実施したことがあった。 参拝前の調査では、反対が賛成を大きく上回っていた。 ところが、首相が参拝を強行したその後にあらためて賛否を問うてみるとその時の調査結果では、賛成が反対を上回っていたというのだ。 実にありそうな話ではないか。
・よく似た例は、ほかにもたくさんある。 ハリルホジッチ解任についての賛否も、国民世論は、順次現状を追認する方向で推移していくはずだ。 なんであれ、起こってしまった事態には余儀なく適応する。われわれは、そういう国民なのだ。 さて、ここまでの話は、実は前置きだ。
・私は、協会の説明能力の低さと現状認識の甘さに失望感を抱いてはいるものの、ハリルホジッチ解任の責任が全面的に彼らにあるとは思っていない。 では、誰の責任なのかというと、元凶はつまるところ世論だと思っている。 それが今回の主題だ。 ハリルホジッチは、結局、われらサッカーファンが追放したのだ。 悲しいことだが、これが現実だ。
・一部に今回の解任劇の真相を電通の陰謀やスポンサーの圧力に帰する見方が広がっていることはご案内の通りだ。 私自身、その見方がまるで見当はずれだとは思っていない。 実際、電通ならびにスポンサー各社(ついでに言えばテレビ各局およびスポーツ新聞各紙も)は、少なくともこの半年ほどハリルホジッチのサッカーに対してあからさまに冷淡だった。 が、それもこれも、彼らの金主であるサッカーファンの声を反映した結果以上のものではない。
・彼のサッカーは人気がなかった。 特に、サッカーにさほど関心のない層に人気がなかった。 これは、特筆大書しておかなければならない事実だ。 サッカー界の動向は、サッカーにさしたる関心も愛情も持っていない多数派のサッカーファンが動かしている。 ほかの世界でも同じなのかもしれない。
・どんな世界でもマジョリティーというのは、対象についてたいした知識も関心も愛情も抱いていない人たちで、そうでありながら、世界を動かすことになるのは、その気まぐれで無責任なマジョリティーだったりするのだ。
・結論を述べる。 今回の解任劇の隠れたシナリオは、サッカーにさしたる関心も愛情も抱いていない4年に一度しかゲームを見ない多数派のサッカーファンが、「華麗なサッカー」を見たいと願ったところから始まる悲劇だった。 今回の例に限った話ではない。トルシエも、ジーコも、ザッケローニの時も同じだった。われわれは、三顧の礼で外国人監督を迎えながら、最後には彼らを追放した。
・どうしてこんなことが繰り返されるのか。 繰り返すが、4年に一度W杯の時にだけサッカーを見る多数派のサッカーファンは、見栄えのするサッカーを見たいと思っている。 彼らは、日本人選手の中から、ボール扱いの巧い順に11人の選手を並べて、テレビ画面の中に、スキルフルでテクニカルでスリリングで華麗なサッカーを展開してほしいと願っている。
・ところが、世界を知っている戦術家である外国人監督は、世界の中の日本の実力に見合ったサッカーを構築しにかかる。すなわち、守備を固め、一瞬のカウンターを狙う走力と集団性を重視したサッカーで、言ってみれば、世界中のリーグの下位チームが採用している弱者の戦術だ。
・予選を勝ち抜いているうちは、ファンも我慢をしている。 というよりも、アジアの格下を相手にしている間は、力関係からいって守備的なサッカーをせずに済むということでもある。 しかしながら、本番が迫って、強豪チームの胸を借りる親善試合が続くうちに、当然、守備的な戦いを強いられるゲームが目立つようになる。 で、いくつか冴えない試合が続くと、ファンはその田舎カテナチオ(注)に耐えられなくなる。
(注)田舎カテナチオとは、カギを掛けたように守備が堅い戦術
・人気選手に出資しているスポンサーも、視聴率を気にかけるメディアも、派手な見出しのほしいスポーツ新聞も同じだ。彼らは、技術に優れた中盤の選手がポゼッションを維持しつつスペクタクルなショートパスを交換するクリエイティブでビューティフルなサッカーを切望している。でもって、そのサッカーの実現のために、華麗なボールスキルを持った技巧的で創造的な選手を選出してほしいと願っている。もちろん、スポンサーもその種の華のある選手をCMに起用するわけだし、テレビ局はテレビ局でより高い視聴率のために知名度のある選手をスタメンに並べる戦い方を希望している。
・もちろん、その戦い方を採用して勝てれば文句はないわけだが、どっこいそうはいかない。 きょうびブラジルでさえ、巧い順から11人並べるみたいなチームは作ってこない。そんなことで勝てるほど世界のサッカーが甘くないことを知っているからだ。
・W杯の本番では、世界の強豪でさえ思うままの華麗なサッカーは封印せねばならない。 まして日本のようなW杯選出枠の最下層に属するチームは、走れる選手や身体の強い選手を揃えて守備に備えなければならない。そうでないと戦いのスタートラインにさえ立てない。
・と、その水を運ぶことの多いチームは、どうしても堅実でありながらも華のないチームになる。 この至極単純な事実こそが、おそらくは、ハリルホジッチが私たちに伝えようとしたことだった。 そして、彼が作ろうとしていた、地味で堅実で面白みには欠けるものの、3回戦えば1回は上位チームを食うかもしれないチームは、多数派のライトなサッカーファンには我慢のならないぞうきんがけサッカーだったということだ。
・でもって、わたくしども世界のサッカーの辺境で夢を見ている哀れなサッカーファンは、どうせ勝てないのなら、せめて自分たちらしいサッカーを貫いて世界を驚かせてやろうじゃないかてなことを発想するに至る。  敗北に目がくらんで近視眼的になるのは、うちの国の民族の考え方の癖みたいなもので、前回のW杯でも同じだったし、さらにさかのぼれば、先の大戦でも同様だった。つまり、ミッドウェーで一敗地にまみれ、ガダルカナルで壊滅的な敗北を喫したのち、自分たちの戦術や戦力がまったく敵に通用していないことを思い知らされたにもかかわらず、それでもわれわれは、自分たちの「美学」だかを貫いて、美しく散ることを願ったわけで、つまるところ、ウクライナに敗北したあげくになぜなのか華麗なパスサッカーを志向するに至ったわれら極東のサッカーファンの幻視趣味は、帝国陸軍末期の大本営の机上作戦立案者のメンタリティーそっくりだということだ。
・われわれは、醜く勝つことよりも、美しく敗北することを願っている。 ずっと昔から同じだ。われらニッポン人はそういう物語が大好きなのだ。 悲しい結論になった。 6月のW杯で、私は、自分たちの代表チームに、美しく散ってほしいとは思っていない。 むしろ、醜く勝ってほしいと願っている。
・本当は美しく勝つのが一番良いのだが、それは百年後のことだ。 私のような苦しい時代を生きたサッカーファンは、百年後を自在に夢見ることができる。 簡単に身につく能力ではないが、みなさんにもぜひ習得をおすすめする。  ひとたびわがものとすれば、世界はたなごころのなかにある。
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/174784/042600141/?P=1

第一の記事で、 『欧州、南米の選手は「やれ」と言われた原則を守りながら、より有効な手段を選べる。表立って監督に楯突くことこそしないが、ふてぶてしいというか、・・・監督がなにを言おうと、自分たちが正しい選択をする。手段よりも目的が第一にあるのだ。 日本人選手は、ハリルホジッチの強硬な指示に対し、ひたすら消耗し、苛ついた』、というのはナイーブな日本人選手らしい。 『選手発信で戦い方を進言するなど、欧州や南米の監督は認めないだろう。それはほとんどの場合、反逆行為と見なされる。 逆説的に、西野ジャパンの活路があるとすれば——。追い込まれた選手たちによる、「突き上げ革命」かもしれない』、というのに賭けるしかないのかも知れない。
第二の記事は、さすがに深い。 『4月ではダメだ。 お話にならない。 ラーメンを注文して半分まで食べ終わってから 「あ、やっぱりラーメンは取り消してチャーハンにします」 と言うのと同じくらいあり得ない』、というのには笑ってしまった。  『世界を知っている戦術家である外国人監督は、世界の中の日本の実力に見合ったサッカーを構築しにかかる。すなわち、守備を固め、一瞬のカウンターを狙う走力と集団性を重視したサッカーで、言ってみれば、世界中のリーグの下位チームが採用している弱者の戦術だ。 予選を勝ち抜いているうちは、ファンも我慢をしている。 というよりも、アジアの格下を相手にしている間は、力関係からいって守備的なサッカーをせずに済むということでもある。 しかしながら、本番が迫って、強豪チームの胸を借りる親善試合が続くうちに、当然、守備的な戦いを強いられるゲームが目立つようになる。 で、いくつか冴えない試合が続くと、ファンはその田舎カテナチオに耐えられなくなる』、 『ウクライナに敗北したあげくになぜなのか華麗なパスサッカーを志向するに至ったわれら極東のサッカーファンの幻視趣味は、帝国陸軍末期の大本営の机上作戦立案者のメンタリティーそっくりだということだ。 われわれは、醜く勝つことよりも、美しく敗北することを願っている』、などは見事な謎解きだ。 『6月のW杯で、私は、自分たちの代表チームに、美しく散ってほしいとは思っていない。 むしろ、醜く勝ってほしいと願っている』、というのは私も同感である。
タグ:日経ビジネスオンライン 現代ビジネス 日本のスポーツ界 小田嶋 隆 (その9)(ハリル流を受け入れられなかった 日本代表の「ナイーブな一面」、小田嶋氏:華やかな敗北を見たがる人々) 小宮 良之 「ハリル流を受け入れられなかった、日本代表の「ナイーブな一面」 問題はどこにあるのか?」 日本サッカー代表監督 ヴァイッド・ハリルホジッチが解任 「監督の求心力が薄れた」 欧州、南米の選手は「やれ」と言われた原則を守りながら、より有効な手段を選べる。表立って監督に楯突くことこそしないが、ふてぶてしいというか、規則は破るためにある、という前提を持っている。監督がなにを言おうと、自分たちが正しい選択をする。手段よりも目的が第一にあるのだ 日本人選手は、ハリルホジッチの強硬な指示に対し、ひたすら消耗し、苛ついた 選手発信で戦い方を進言するなど、欧州や南米の監督は認めないだろう。それはほとんどの場合、反逆行為と見なされる。 逆説的に、西野ジャパンの活路があるとすれば——。追い込まれた選手たちによる、「突き上げ革命」かもしれない 「華やかな敗北を見たがる人々」 日本サッカー協会のガバナンスを信頼していない 高いレベルになればなるほど、監督と選手の間には戦術や起用法について意見のぶつかり合いや感情的な行き違いが生じやすくなると言っても良い 、「信頼関係」だとか「コミュニケーション」だとかいった、主力選手に冷たくあしらわれてスネた部活のマネージャーがふてくされて部活日誌に書くみたいなお話が、W杯本番を2カ月後に控えたチームの指揮官の解任理由として通用すると考えた協会幹部のアタマの悪さは、やはり問題視されなければならない 4月ではダメだ。 お話にならない。 ラーメンを注文して半分まで食べ終わってから 「あ、やっぱりラーメンは取り消してチャーハンにします」 と言うのと同じくらいあり得ない 世界を知っている戦術家である外国人監督は、世界の中の日本の実力に見合ったサッカーを構築しにかかる。すなわち、守備を固め、一瞬のカウンターを狙う走力と集団性を重視したサッカーで、言ってみれば、世界中のリーグの下位チームが採用している弱者の戦術だ ウクライナに敗北したあげくになぜなのか華麗なパスサッカーを志向するに至ったわれら極東のサッカーファンの幻視趣味は、帝国陸軍末期の大本営の机上作戦立案者のメンタリティーそっくりだということだ。 われわれは、醜く勝つことよりも、美しく敗北することを願っている』、などは見事な謎解きだ。 『6月のW杯で、私は、自分たちの代表チームに、美しく散ってほしいとは思っていない。 むしろ、醜く勝ってほしいと願っている
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日本のスポーツ界(その8)(スポーツの勝利に浮かれることの危険性とは?五輪の政治利用、学者に冷たい社会を憂う、相撲協会が「女人禁制」をいまだに徹底する理由 伝統的神事と近代スポーツの二面性、土俵上の救命行為、医者はどう見た? 第29回 女性たちが「飛び出した」勇気に敬意を) [社会]

日本のスポーツ界については、2月27日に取上げた。今日は、(その8)(スポーツの勝利に浮かれることの危険性とは?五輪の政治利用、学者に冷たい社会を憂う、相撲協会が「女人禁制」をいまだに徹底する理由 伝統的神事と近代スポーツの二面性、土俵上の救命行為、医者はどう見た? 第29回 女性たちが「飛び出した」勇気に敬意を)である。

先ずは、精神科医の和田 秀樹氏が3月6日付け日経ビジネスオンラインに寄稿した「スポーツの勝利に浮かれることの危険性とは?五輪の政治利用、学者に冷たい社会を憂う」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・前評判はいろいろと言われたが、平昌オリンピックで日本中が大変盛り上がった。 羽生結弦が劇的な復活を遂げ、フィギュアスケートで2大会連続の金メダルを取ったかと思うと、小平奈緒もオリンピック記録を更新するようなタイムでスピードスケート500メートルで日本女子初となる金メダルを受賞した。 そのほかにも劇的なシーンが続出して、多くの日本人に感激を与えたことは事実である。
・自分のことでないのに、スポーツでの日本人の活躍は、格別の感動を与える。それほど自国のアイデンティティがなく、民族衣装である着物も着ないし、英語を第二公用語にすると言われても違和感を感じない日本人が、この手の国際大会のときだけ、自分は日本人なのだと実感するのかもしれない。
・実は、私もそれを実感したことがある。勤務先の大学の理事長の招待でアテネオリンピックに行った際に、目の前で、北島康介選手と谷亮子選手の金メダルを取った姿を見ることができた。 その時に、日の丸が揚げられ、君が代が流れる。この時は本当にじんときた。金メダルでないと国歌は流れないので、やはり金はすごいと思った。変な強制をするより、スポーツを強くするほうが、よほど君が代や日の丸は愛されるはずだと体感もした。実は、私は日の丸も君が代も大して歴史がないうえ、薩長の押しつけの感じがして好きでないのだが、金メダルの感激とシンクロすると、やはり日の丸や君が代は悪くないと感じてしまう。
▽政治利用されやすいオリンピック
・このような心理を、世界中の政治家は知っているようで、これまでも多くの政治家が国威発揚や愛国心の養成のためオリンピックを利用してきた。ヒトラーがベルリンオリンピックを利用したのは有名な話だが、冷戦時代のソ連や東ドイツも血眼になって、メダルを増やそうとした。
・これはうがった見方かもしれないが、これらの国々は、スポーツが強いことで国民を歓喜させたり、あるいは、自分たちは強い国だという錯覚を与えたりしようとしたのではないだろうか? 経済競争ではとても勝てず、軍事力でも勝てないということになると(もちろん国民にはそれを認めないのだろうが)、スポーツの強さで国の体面を保ったり、自分たちがすごい国なのだと思わせる意図があったように思えてならないのだ。
・実際、一般的な国力で、ソ連がアメリカに、東ドイツが西ドイツに差を広げられるのと逆相関するように、ソ連や東ドイツはオリンピックでの金メダルを増やしていった。 要するに、経済政策や外交政策の失政を、スポーツを強くすることで取り繕おうとしたのではないかというのが私の見方だ。これであれば、特定の人間をスカウトし、小さいころからものすごいトレーニングをさせていれば、そんなにお金をかけなくてもできる。
・しかし、国民は一時的に熱狂したり、自分たちは強い国だと満足しても、肝心の一般の教育水準や、工場などの生産性が上がらないことには、国が立ち行かなくなるし、国民生活も悲惨なものになる。その後のソ連や東ドイツの消滅をみると、スポーツで浮かれているだけで、その後、国民も頑張っていくことにつなげないとむしろ逆効果にすらなることが示された重要な一件といえる。
・政治利用というと、モスクワ五輪のボイコットなど、オリンピックを使って相手国を懲罰したり、恥をかかせたこともある。また、今回のオリンピックでも、北朝鮮が自国への圧力を緩めてもらおうとしたり、自国のイメージを高めたりするのに使ったことも問題になっている。
・日本の場合は、選手はおそらく純粋(その分だけ国が積極的に強化資金を出さないという問題もあるが)なのだろうが、。スポーツで熱狂的になったり、愛国的になったりしている背後に、何らかの意図が働いていることが珍しくないことは心しておいて損はない
▽人は複数のことに注意を向けるのが苦手
・心の治療法の一つである森田療法では、「些事(小事)にとらわれ、大事を忘れる」という考え方がある。要するに自分の症状ばかりを気にしていると、ほかの大切なことが見えなくなるということである。 例えば赤面恐怖の人は、自分の顔が赤いことばかりを気にしている。「なぜ赤いのがまずいのか?」というと「人に嫌われるから」ということで、人に好かれたいという願望が強いことは分かるのだが、赤い顔を治すことばかりに気持ちが行っていて、肝心の人に好かれるための努力を忘れてしまうことがある。
・実際、手品などでも、他のことに気を引いているうちに、本当のタネのほうを気づかれないうちに仕込むように、人間という生き物は一つのことにばかりに関心や注意が行くと別のことが見えなくなるようだ。 オリンピック報道が沸き立っている際に、「働き方改革」の法案が審議されていた。この問題のほうが、多くの労働者にとって将来に大きな影響を与えることになるのだが、ほとんど関心が寄せられていなかった。
・これも勘繰りかもしれないが、オリンピックの時期は決まっていたので、この時期に自民党があえて審議をしようと設定した可能性だってあるだろう。 この際に、実労働時間ではなく、あらかじめ決められた「みなし時間」で計算する裁量労働制のほうが労働時間が短くなるというデータの根拠が疑わしいものとなり、首相が発言を撤回したり、陳謝したりすることになった。これも、多少は報じられたが、オリンピックの期間中でなければ、連日のようにものすごいトピックスになっていた可能性がある。
・森友問題にしても共産党の議員が音声データを出して質問したが、オリンピック期間中なので、それを各局が流すことはほとんどなかった。 意図的かどうかはともかくとして、オリンピックで沸き立つことで、自分たちの税金の使われ方や、働き方に影響を与えるようなことに目がいかなくなることは、国民にとってハッピーなこととは思えない。
・日本人の多くは気付いていないが、日本は先進諸外国と違って普通に選択できるテレビ局の数が少ないと感じる。確かにデジタルBS放送は無料で見れるし、デジタルCS放送も徐々に普及しているのだが、視聴率が高めのデジタル地上波放送は大都市でもNHKと民放5局、地方局といった状態のままだ。先進諸外国では30局くらいを対等にザッピングできる。私も自分の原作がBSでドラマ化されたことがあるが、BSの視聴率1%は地上波の10%の価値があると言われたことがある。いずれにせよ、ある大きなイベントがあると、国中の地上波テレビがそれ一色に染まりやすい。そのリスクも多少は考えておかないと、どんな不慮のことが起こるか分からないことも心しておきたい。
▽スポーツで勝っても学問で勝てなくなった日本
・2018年1月に発表された幼児や小学生対象の調査で、「大人になったらなりたい職業」の1位が男子では15年ぶりに「学者」になったそうだ。ノーベル賞受賞が相次いだ影響ということだが、日本の子供たちの理科離れや学力低下を考えると、本当に喜ばしいことだと私は考えている。
・ただ、学問をできる人を表彰するノーベル賞と、オリンピックでは大きな相違点がある。それは、オリンピックは現役の優秀選手を表彰するが、ノーベル賞は20年位前の過去の研究に対して与えられるケースが多いということだ。 日本人の多くは、日本はノーベル賞をたくさん取っているが、中国や韓国はろくに取っていないとして、日本の科学技術の高さを論じるようだが、それは20年位前は勝っていたということに他ならない。
・政府が公表している最新の科学技術白書でも、研究価値が高いとされる被引用件数の多い論文の国別順位で、日本は10位にまで下がっている。アメリカがトップで世界の4割を占めるが、2位になった中国がものすごい勢いで伸びている。 日本は、1980年代までは、例えば中学生の数学力は世界一だった。だからその20年後、30年後までは研究者の学力も高かったのだろう。実際、2002-2004年の段階では、論文引用数の順位はアメリカ、イギリス、ドイツに次いで4位だった。
・今後の国の競争力を考えると、トップレベルの学者の学力は高いに越したことはないが、その人たちへのインセンティブがあまりに乏しい。学者に対する報酬も研究費も先進諸外国や中国と比べてかなり少ない。その上、できる人間を賛美する風潮がほとんどない。 これでは、もともと勉強が大好きという人を除けば、世界に勝とうという気になかなかなれないだろう。
▽名誉というインセンティブシステムを学問にも
・現代精神分析の世界では、自己愛を満たすことが人間の最大の動機づけとされる。 金を持っていても、一流企業の扱いを受けていないと低く見られたり、官僚などより下に見られていた時代には、金だけでは自己愛が満たされなかったし、子供たちも、あるいは東大生たちも、金持ちになるより官僚などを目指した。
・人間は、お金以上に、名誉や尊敬を集めたいという願望がある。アメリカ人が税金以上の寄付をするのも、寄付税制以上に、そのほうが尊敬されるし、稼いでいて寄付をしないとバカにされるという側面も否定できないだろう。
・そういう点ではオリンピックの受賞者と比べて、日本では現役の研究者や知的に優秀な人への賞賛は恐ろしく少ない。例えば、日本人が毎年のように数学オリンピックで金メダルを取っているが、ワイドショーなどで大きく取り上げられることはない。
・ノーベル賞と違って、40歳以下の現役の数学者に贈られるフィールズ賞にしても、3人の受賞者のうち、比較的世に知られているのは広中平祐氏くらいだ。これにしても、1990年以来受賞者が出ていないことを憂えるべきなのだが、そういう声は上がらない。
・勉強ができる人間、学問レベルが高い人間が賞賛されるどころか、『勉強できる子 卑屈化社会』などという本がベストセラーになり、学者になるよりお金を儲けた人のほうが社会で尊敬される。これでは優秀な人間が途中でつぶれるか、拝金に走るのはもっともなことだ。 2020年の入試改革では、一般学力より「生きる力」を評価する入試にせよと、文科省が予算をちらつかせて各国立大学に圧力をかけている。この考え方では勉強だけではだめで、体力も必要だそうだ。一方で、スポーツの勝者に、勉強もできなくてはダメと言われることは減ってきているのではないか。
・スポーツで先進諸外国に勝っている時でも、この方針は愚挙だと思う。いろいろな学問的な指標の順位が落ちている時に、勉強だけではだめとか、勉強のできる人は賞賛しないということを続けていれば、オリンピックのメダルの数だけは多いが、世界でアメリカと争う科学技術のレベルを誇っていたのに、いつのまにか太刀打ちできなくなり、国まで潰れてしまったソ連のようにならないか。これが妄想的な不安でないことを祈りたい。
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/16/122600095/030500025/?P=1

次に、北海道大学准教授の岡本 亮輔氏が4月14日付け現代ビジネスに寄稿した「相撲協会が「女人禁制」をいまだに徹底する理由 伝統的神事と近代スポーツの二面性」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・大相撲をきっかけに、「女人禁制」がふたたび問題になっている。禁制は少しずつ解禁されてきた一方、その発見・強化が起きていることをご存知だろうか。宗教学・観光社会学を専門とする北海道大学准教授・岡本亮輔氏が現象を読み解く。
▽あれもこれもかつては女人禁制だった
・今月、舞鶴市長の救命のために土俵に上がった女性に対し、行司が女人禁制を理由に土俵から下りるよう促したことが批判されている。 相撲協会の一連の不祥事とも結びつけられ、角界の体質の古さを象徴する出来事として語られている。 女人禁制は日本の大相撲に限らない。 各国の軍隊も、ウィーン・フィルハーモニーも、英国の社交クラブも、フランスの最高等教育機関グランゼコールも、米国のロータリークラブも、スイスの山岳クラブもかつては女人禁制だった。
・これらの禁制の多くは時代の流れに合わせて解消されてきた。近代化がもたらした真っ当な帰結である。  他方で、土俵の上の女人禁制は近代社会の中に残された反近代的な因習と切って捨ててしま得るかというとそうではない。 もちろん、今回のような人命に関わる場で女人禁制を持ち出すことは、あまりに冷静さを欠いている。 だが、相撲に限らず、近代化が進んだがゆえに前近代的なものが強化されるプロセスがあることは踏まえておいてもよいだろう。
▽「宗教伝統かスポーツか」という対立軸
・かつて日本の多くの山は女人禁制とされた。山の神は女神であり、女性が入山すると嫉妬して山が荒れるといった語りが各地に見られる。 真言宗総本山である高野山は、明治維新以降、徐々に女人禁制が解除された。 禁制解除が始まった140年前の1878年には、空前の参詣者数を記録した。同年4月20日だけで3万円の賽銭があったという。現在の感覚で言えば、1日で数億円が集まったというところだろうか。
・1899年には、山内での女性の宿泊の解禁を求める動きも出ている。そして1906年、弘法大師開山以来、1100年を経て女人禁制に関わる掟が全廃された。理由は、女人禁制が世の風潮と合わないからである。  同年には、日光の男体山の女人禁制も解かれた。華厳の滝周辺には、滝壺が見えるように道が作られ、ガイド料を払えば、東照宮をはじめ、要所を見逃さないツアーも作られた。山の女人禁制解除は観光化とも重なっていたのである。
・1916年には、長野県の松本女子師範学校の生徒約10名が八ヶ岳に登ったことが画期的な出来事として報じられている。生徒たちは山中で4日間過ごしたが、横岳の難所もクリアし、1人の脱落者もなく下山した。  一行と共に登った登山家・伊藤長七は、今後、女子には生け花や茶の湯よりも登山が必要であり、女人禁制のような迷信はなくすべきだとしている。
・女人禁制の山を語る上で外せないのが奈良県の大峰山だ。古来、修験道の山とされ、熊野へと至る大峯奥駈道が存在する。山全体が神聖視され、今でも女人禁制が敷かれている。 しかし、実は1936年には、大峰山の女人禁制を解除しようという運動が生じている。 地元の人々が山頂の本堂などの一部をのぞいて禁制を解除するための援助を奈良県知事に陳情したのだ。
・きっかけは同年の国立公園指定である。1200年の伝統か国立公園か――つまり伝統か近代かという対立であった。 終戦後の1956年、大峰山は再び女人禁制で揺れる。 そもそも大峰山は禁制を解除せよというGHQからの指令も拒否していたが、東京都千代田区神田の「登山とスキー普及会」が、8月22日、地元青年団の案内で女性2名を含むパーティーで山上ヶ岳登頂を目指したのである。 宗教伝統対スポーツという図式がはっきりと表れている。普及会の動きに対して、天川村の観光協会員約100名が山上ヶ岳へつながる道3ヵ所にピケを張る騒ぎとなった。
・1997年にも再び女人禁制を解くかどうかが話題になった。西暦2000年をきっかけに、禁制を解除してはどうかという声が上がるようになったのだ。 高齢化などで信徒も減少し、このままでは山の維持も難しくなるといった意見が一部の信徒や僧侶からも出たが、結局は解除には至らなかった。 その後、1999年に日教組系の女性教員のグループが山上ヶ岳に登頂した。神聖さを理由とした女人禁制は性差別であるという主張に基づく行動であった。 さらに2000年代に入ると、大峯山寺や大峯奥駈道が世界文化遺産に登録され、1936年の国立公園指定時と同じように、人類普遍の遺産に女性が立ち入れないのを問題視する声が上がっている。
▽近代の中で再発見される伝統
・近代化の進展と共に前近代的な禁制が解除されるという流れがある一方、近代化が進んだからこそ禁制が再発見されるプロセスもある。 例えば1980年、東北三大祭りの1つとして知られる秋田竿燈まつりをめぐり、女人禁制の復活論が出た。 竿燈会会長の「祭りの日に雨が降るのは、女性が派手な服装で祭りに参加するようになって天が怒ったからだ」という発言がきっかけだ。ほとんど言いがかりのような内容である。
・これに対しては、民俗学者・桜井徳太郎が、マンネリ化した祭りに変化をつけるために突然言い出したのではないかと批判している。 秋田市が郷土芸能の保存育成を名目に補助金を出していることもあり、女性参加は認められたが、翌年からは女人禁制にすべきという意見も強かったという。
・近年の例としては、2000年に世界遺産登録された沖縄県南城市の斎場御嶽(せーふぁうたき)がある。  御嶽とは、琉球の信仰において特別な儀礼や祭祀を行う聖域のことだ。中でも斎場御嶽は琉球の最高聖地とされ、最高位の聖職者・聞得大君(きこえおおきみ)によって管理された場所である。 とはいえ、世界遺産登録前は、斎場御嶽は忘れられた聖地であった。現在のように厳格に管理されることもなく、地元の人もそれほど近寄らなかったようだ。だが世界遺産という近代的な制度に登録されることで、斎場御嶽をめぐる歴史や伝統が再発見されたのである。 (参考)斎場御嶽の関連記事(「聖地」と「世界遺産」が好きすぎるニッポン人): http://gendai.ismedia.jp/articles/-/47872
・このプロセスについては人類学者・門田岳久氏が明らかにしている(詳しくは門田岳久『巡礼ツーリズムの民族誌―消費される宗教経験』を参照)。簡単にいえば、世界遺産にふさわしい歴史や伝統だけが強調され、それ以外は排除されたのである。 門田によれば、世界遺産登録に際して、斎場御嶽の宗教性や精神性は強調されたが、それは琉球王家に関わるような公的なものに限られ、民間霊能者が細々と続けてきたような信仰実践は無視されたのである。
・近代化が進むからこそ前近代的なものが際立ち、ある種のアピール力を持つ。 斎場御嶽については、2013年、南城市が男子禁制を検討していることが報じられた。世界遺産登録によって観光客が急増し、マナー違反が目立つようになったのが理由だという。
・そして琉球王国時代に斎場御嶽が男子禁制だったのでそれを復活させるということだが、マナー違反は男女にかかわらず見られるものであり、強引な主張だと言わざるをえない。 男子禁制が持ち出されたのは、そうした掟や伝統を持ち出すことで、斎場御嶽の特別さを演出する効果があるためだろう。近代化が進んだからこそ、前近代的なものがインパクトを持つようになったのである。
▽大相撲の「神事と興行」という二面性
・相撲についても、同様のプロセスを認めることができる。 多くの論者が指摘しているように、相撲には神事としての側面とスポーツ興行としての側面があるし、本場所と地方巡業ではその割合も変化する。 巡業であれば、明治期には有力者の私邸や各地の神社など、様々な場所で相撲が行われていた。 1884年には現在の千代田区の平河天神で相撲が行われ、勧進元と力士で大入りを祝う宴会が催された。土俵の上に酒肴を置き、力士が勧進元を胴上げし、その後は芸妓を招いての大宴会となった。
・1892年には、当時の駐日メキシコ公使が両国回向院での大相撲を観戦して感動し、永田町の公使館で土俵入りを開催した。 当時の大横綱である西の海をはじめ、小錦、朝汐らの力士に加え、行事として木村庄之助らも参加し、各国の公使らの前で土俵入りを行っている。
・神事と興行という二面性を備えた相撲は20世紀に入ると制度化されてゆく。 1907年、相撲協会の内規改正が行われた(朝日新聞1907年 5月14日朝刊)。改正された内規をまとめると以下のようになる。
 +力士行司をはじめ、協会員は品行方正になる。道で同業者にあったら敬礼する。
 +地方巡業の方針は、協会役員のうち最高給の関取の意見に従う。
 +地方巡業で船に乗る際や旅館に泊まる際は、静粛に行動して粗暴な振る舞いはしない。
 +場所中はもちろん、巡業中でも八百長はしない。
 +場所中、病気などで欠勤するものは番付が下がる
 +場所中、幕下は午後1時、幕内は午後2時から必ず土俵入りをする。土俵入りをしないと番付を下げる。
 +地方巡業で土俵入りをサボると送迎をなくす。
 +賭博をした者は見つけ次第除名にする。
・注意喚起や禁止令が出されるのは、言うまでもなく、そうした行為が横行していたことを意味する。 当時の力士は道で他の力士とあっても挨拶せず、地方巡業の方針に従わず、船や旅館で暴れ、八百長をし、病欠し、博打をしていたようだ。そして、とにかく土俵入りが面倒臭いことなど、なんとなく雰囲気がつかめる。
・さらに1909年6月、相撲のための常設館が竣工する。最初から「国技館」と名づけられたわけではない。建物の命名をめぐる議論はまとまらず、最終的に、開館委員会委員長の板垣退助が一番広い意味を持つ国技館を選定したのだ。 こうした近代化が徐々に大相撲を作り上げ、その過程で、前近代的なものが相撲の歴史伝統として語られるようになった。 相撲は国技というイメージの形成には、最大公約数的な名前を選定した板垣の命名が大きく影響している。 国技を行う場所だから国技館と名づけられたわけではなく、国技館で行われるから国技として語られるようになったのだ。
▽わんぱく相撲が問いかけたもの
・土俵の女人禁制が最初に大きく報じられたのは1978年だ。 きっかけは子供が出場するわんぱく相撲である。わんぱく相撲では東京各地で予選が行われ、それぞれ上位に残った代表が国技館の決勝大会に進む。 この年、荒川区では女子小学生が準優勝したが、大会規約には、女子が代表になった場合には決勝大会には進めないとあったのである。
・この件をめぐり、労働省の局長を始めとする3人の女性官僚が当時の日本相撲協会理事に申し入れをした。 官僚側の「女性不浄視が理由なのか」という問いに対し、当時の伊勢ノ海親方らは「土俵は練磨の場であり、そもそも選ばれた者しか上がることはできず、女性蔑視は無関係である」と答えた。 女性官僚側はこの答えで引き下がっているが、男子小学生は上がれて、女子は上がれないという論理が破綻しているのは明らかだ。
・わんぱく相撲問題は尾をひく。 1991年、全国規模でわんぱく相撲が開催されたが、徳島県美馬郡の予選で女子小学生が優勝した。だが、国技館の決勝大会には女子は進めないとされ、全国大会出場権を意味する優勝メダルは準優勝の男子に渡された。 これについて、大会を主催した東京青年会議所が、大会はそもそも男子が対象であり、地方大会だけは地域親善の意味合いが強いため女子参加を認めているというよく分からない主張をしている。
・こうした曖昧な態度は現在まで影響している。今月8日に春巡業「富士山静岡場所」で恒例の「ちびっこ相撲」が行われたが、4日前に相撲協会から女子は参加しないようにという要請があったというのだ。相撲協会が本場所と巡業の区別がつかなくなっていることがうかがえる。
・日本では女人禁制は特に宗教と深く関わってきた。 女性の不浄視に由来するものもあれば、修行などで男女を区別するために男子禁制・女子禁制の双方があったが、男子禁制の尼寺が減少することで女人禁制だけが目立つようになったケースもあり、一概には言えない。
・いずれにせよ、明治維新以降の近代化と共に前近代的な禁制は少しずつ解除されてきたが、それと同時に、近代化が進展するがゆえに、新たに禁制が発見・強化されるケースが存在する。 そして大相撲は、伝統的神事と近代スポーツの双方を含みもつため、禁制とその解除をめぐる議論が起きやすい場であると言えるだろう。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/55229

第三に、外科医の中山 祐次郎氏が4月24日付け日経ビジネスオンラインに寄稿した「土俵上の救命行為、医者はどう見た? 第29回 女性たちが「飛び出した」勇気に敬意を」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・こんにちは、総合南東北病院(福島県郡山市)外科の中山祐次郎です。 まずは近況から。私は3月で郡山を離れ、4月から京都大学大学院医学研究科に出向という形で来ております。 私が学ぶ内容は主に「公衆衛生学」と「臨床研究法」の2つです。37歳、医者12年目の私がなぜ大学院に来たか。
・一番の理由は、公衆衛生という学問を学びたかったからです。公衆衛生はあまり日経ビジネスオンライン読者の皆様には馴染みがないことと思います。簡単に言えば、臨床の医者が「1対1」で医療を提供するのに対し、「1対多数」の医療を考える学問になります。具体的には統計学や、医療技術をどう経済評価するか、環境衛生(水や大気汚染など)、医療制度や政策など幅広い分野の講義があります。
・それに加えて、私は「臨床研究法」というものを学びます。臨床研究という言葉もあまり聞きなれないですよね。医者がやる研究と言えば、普通は試験管を振ったりいろんな機器を使って実験をしたりするイメージかもしれません。こちらは「基礎研究」です。私がやる研究は、臨床、つまり病院にかかる患者さんの研究です。例えば、「肺炎の患者さんに対してこの薬は何日間使うべきか?」や、「通院が必要な患者さんが外来に来なくなってしまう理由は何か?」といったような、非常に現場で使える結果の出る研究なのです。私はこれが学びたくて、京都に来たのでした。
▽めくるめくハイレベル講義に感嘆
・大学院に来て初めにガイダンスされたのは、「1年生全員でゴミ捨て当番を分担しましょう」でした。衝撃を受けましたが、そういえば私は学生だった、医者じゃないんだった、と身に染み込ませるいい経験でもありました。それから始まった講義の数々。私はこの3月まで外科医として働いておりましたから、病院内を歩き回ったり手術室で汗をかいたりという生活でした。詳しくはこの過去記事をご参照ください。
・それが、4月から大きく変わりました。これまで仕事を始めていた朝7時半は、今ではゆっくりメールや原稿を書く時間に。そして家から徒歩2分の講義棟では、めくるめくハイレベル講義。世界で活躍する教授の講義は、とても面白いものです。この歳になってじっくり学ぶのは、とても刺激的です。 さて、近況はこのくらいにして、今回は話題になったあの事件を扱います。
・「救命女性に土俵下りる指示 大相撲巡業、市長倒れる」(2018年4月5日付の日本経済新聞電子版より)  簡単に言えば、土俵上で挨拶中、急に倒れた市長を救うために女性医師がかけつけて救命措置を行っていたところ、「女性は土俵から下りてください」とアナウンスがあったというニュースです。
▽八角理事長が謝罪コメントまで掲載
・これについては、相撲協会の八角理事長(元横綱北勝海)からこんな謝罪コメントが出ています。 「本日、京都府舞鶴市で行われた巡業中、多々見良三・舞鶴市長が倒れられました。市長のご無事を心よりお祈り申し上げます。とっさの応急措置をしてくださった女性の方々に深く感謝申し上げます。 応急措置のさなか、場内アナウンスを担当していた行司が『女性は土俵から下りてください』と複数回アナウンスを行いました。行司が動転して呼びかけたものでしたが、人命にかかわる状況には不適切な対応でした。深くお詫び申し上げます」(日本相撲協会ホームページより)
・もう謝罪されているので蒸し返すのも意味がないかと思いましたが、この「応急措置」についていまだに多くの質問をいただいています。ですから今回は、実際に私がいただいた質問に答えようと思います。医者が本件をどう見ていたか、ご参考になれば幸いです。
▽完璧な対応をした、あの女性  Q1 駆けつけた女性は何をしたのか?
・私が見た動画から判断すると、倒れた市長の周りに人だかりができていました。そしてその後、一人の女性が駆けつけ土俵にのぼると、様子をうかがっているだけの周りの人を押しのけて市長と直接コンタクトをします。そして、すぐに「心臓マッサージ」を始めたのです。
・心臓マッサージとは、横になっている人の胸のあたりを両手でかなり強く押し込む動きを、1分間に100回のペースでやる行為のこと。マッサージという言葉の雰囲気とはおよそかけ離れた、かなり激しい行為です。私も時々救急外来で心停止の患者さんに行いますが、これを1分間もやると汗がポタポタと患者さんの胸にかかります。胸を押しているとボキ、ボキと肋骨が折れることがありますが、構わず続けます。正式には胸骨圧迫(きょうこつあっぱく)といいます。こんな動き方ですね。
・この行為を、倒れてからどれだけ早く行うかが、倒れた人の生存や社会復帰に大きく関わります。この「どれだけ早く」は、秒の単位です。文字どおり1秒でも早く開始する必要があります。ですから、医者や看護師だけが行うわけではなく、実は倒れた人と一緒にいた人(バイスタンダーと言います)が行うことが強く推奨されています。
・日本ACLS協会ホームページでは、一般市民向けにこんな手順が公開されています。簡単に言えば、「意識のない人を見つけた」→(周囲の安全を確認して)「誰かに119通報と自動体外式除細動器(AED)を持ってくるよう要請する」→「呼吸しているか確認する」  呼吸をしていないか、変だと思ったら→「胸骨圧迫(心臓マッサージ)を始め、絶え間なく続ける」 AEDが来たら、装着する  となります。
・ここでのポイントは、医療関係者でなくても、心臓マッサージを始めてほしいという点なのですね。これは読者の皆様、今これをお読みのあなたにも知っておいていただきたい点です。ただ、今回のケースでは医師もしくは看護師だったようですね。動画を見ていても、駆け寄ってすぐに「119通報とAED」の指示を出しているようですし、その後呼吸確認をパッとして即心臓マッサージを始めています。これはどう見ても完璧な流れでした。
▽頭の病気なのに心臓マッサージをした理由 Q2 頭の病気である「くも膜下出血」なのになぜ心臓マッサージをした?
・その後の報道で、この舞鶴市長はくも膜下出血だったということが判明しました。くも膜下出血とはどんな病気でしょうか。 一言で言えば脳卒中の一つです。人間の脳は柔らかいので、脳に近い順に軟膜・くも膜・硬膜という3つの膜で覆われ、その外に頭蓋骨があって保護されています。血管がくもの巣のように張り巡らされているから、くも膜という説があります。この血管に「こぶ」があり、それが破裂して出血するものがくも膜下出血という疾患です。こぶは、脳動脈瘤と呼ばれます。
・脳みその近くで出血するため、その頭痛は非常に特徴的です。私は救急外来で頭痛の患者さんが運ばれて来た時、必ずこう聞きます。 「その頭痛は、バットで殴られたような痛みではありませんか? 人生最大の痛みではありませんか?」と。この病気は血管が破れるので、激しい頭痛が特徴だからです。
・痛みだけではなく、患者さんは吐いたり意識を失ったりすることもあります。ひどいと心臓が止まることもあるのです。おそらく、今回倒れた市長は意識がなかったのでしょう。さらに呼吸も止まっていた、あるいは正常ではなかったため、心臓マッサージを始めた。いや、動画を何度見返しても素晴らしい対応ですね。
▽心臓マッサージには交代要員が絶対に必要 Q3 なぜ他にも女性たちは駆け寄ったのか?
・この動画や報道によると、後から複数の女性が駆け寄っています。ここからは私の推測ですが、この女性たちは医師あるいは看護師だったのでしょう。そして、冒頭の女性が始めた処置を手伝おうとして土俵に駆け寄ったのではないでしょうか。
・冒頭の女性がした行為のことを蘇生行為と言いますが、これには人手が必要です。心臓マッサージは「絶え間なく」やり続けることが必要なもの。私は移動中のストレッチャーに乗り、患者さんに馬乗りになるようにして心臓マッサージを続けながら搬送したこともあります。しかし前述したように、心臓マッサージはやる人がすぐに疲れてしまうのです。5分もやればクタクタになってしまうでしょう。さらに心臓マッサージは、十分に胸を押し込んでから力をゆるめ、ちゃんと元の場所まで戻すという、その動きのクオリティが重要な手技でもあります。疲れるとクオリティは必ず下がりますから、交代要員がどうしても必要なのです。
・とにかく、一人でも蘇生行為を知る人がいた方がいいのは間違いない。そういう判断で、駆け寄って土俵にものぼったのでしょう。
▽大切な人を守る救命講習 Q4 いま、市長は元気なの?
・舞鶴市の発表(詳しくはこちら)によると、「くも膜下出血と判明。手術を行った。手術後容体は安定しているが、約1カ月の安静・入院治療が必要」とのこと。細かいところは不明ですが、後遺症などないことを祈っております。 今回の女性たちによる蘇生行為が、市長の病状改善にどれくらい寄与したかは分かりません。しかし、倒れた原因は心臓か脳か、それ以外かなど、その場で分かることはほぼありません。女性たちによる対応は大変に素晴らしいものでしたし、何よりあの方たちの「飛び出した」勇気には、心からの敬意を表したいと思います。知識や技術を持っていても、そして目の前で人が倒れていても、そこから一歩踏み出して蘇生行為をするというのは、医者にとっても非常にハードルが高いことなのです。
・そして最後になりましたが、相撲協会の皆さん。動画を見ていると、どうやら救命講習を受けた人がいないように思います。ですので、皆で一度、救命講習を受けてくださいね。 読者の皆様にも、おすすめです。1日だけで蘇生行為をある程度習得できます。目の前で大切な人が倒れた時、助けられるのはあなたかもしれません。
・日本赤十字社のやっている講習はこちら。10:00~16:00まで、受講料は1700円です。 もう一つ、医者や看護師も受ける講習はこちらです。私も以前受けました。お値段が1万8100円とちょっとお高いです。 それではまた次回、お会いしましょう。
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/16/011000038/042300032/?P=1

第一の記事で、 『スポーツで熱狂的になったり、愛国的になったりしている背後に、何らかの意図が働いていることが珍しくないことは心しておいて損はない・・・オリンピック報道が沸き立っている際に、「働き方改革」の法案が審議されていた』、というのは、安部官邸がいかにもやりそうな手だ。 『スポーツで勝っても学問で勝てなくなった日本』、というのは、本当に由々しい事態だ。安部政権への「忖度」が目立つ日本のマスコミは、こうした「不都合な真実」に目をつぶりがちなのも、困ったことだ。
第二の記事は、様々な分野での女人禁制を歴史的に分析しており、大いに参考になった。 『近代の中で再発見される伝統』、 『相撲には神事としての側面とスポーツ興行としての側面があるし、本場所と地方巡業ではその割合も変化する』、 『相撲は国技というイメージの形成には、最大公約数的な名前を選定した板垣の命名が大きく影響している。 国技を行う場所だから国技館と名づけられたわけではなく、国技館で行われるから国技として語られるようになったのだ』、などの指摘は説得的だ。 『労働省の局長を始めとする3人の女性官僚が当時の日本相撲協会理事に申し入れをした・・・当時の伊勢ノ海親方らは「土俵は練磨の場であり、そもそも選ばれた者しか上がることはできず、女性蔑視は無関係である」と答えた。 女性官僚側はこの答えで引き下がっている』、という女性官僚側のお粗末な対応には、1978頃のこととはいえ、驚かされた。
第三の記事で、 『心臓マッサージとは、横になっている人の胸のあたりを両手でかなり強く押し込む動きを、1分間に100回のペースでやる行為のこと。マッサージという言葉の雰囲気とはおよそかけ離れた、かなり激しい行為です。・・・これを1分間もやると汗がポタポタと患者さんの胸にかかります。胸を押しているとボキ、ボキと肋骨が折れることがありますが、構わず続けます。正式には胸骨圧迫(きょうこつあっぱく)といいます』、 『心臓マッサージは「絶え間なく」やり続けることが必要なもの・・・しかし前述したように、心臓マッサージはやる人がすぐに疲れてしまうのです。5分もやればクタクタになってしまうでしょう。さらに心臓マッサージは、十分に胸を押し込んでから力をゆるめ、ちゃんと元の場所まで戻すという、その動きのクオリティが重要な手技でもあります。疲れるとクオリティは必ず下がりますから、交代要員がどうしても必要なのです』、というのを読むと、いくらl講習を受けたとしても、 『肋骨が折れることがありますが、構わず続けます』、というのは、残念ながら自分には到底できそうもない。 
タグ:日経ビジネスオンライン 和田 秀樹 現代ビジネス 日本のスポーツ界 中山 祐次郎 (その8)(スポーツの勝利に浮かれることの危険性とは?五輪の政治利用、学者に冷たい社会を憂う:・・・、、相撲協会が「女人禁制」をいまだに徹底する理由 伝統的神事と近代スポーツの二面性、土俵上の救命行為、医者はどう見た? 第29回 女性たちが「飛び出した」勇気に敬意を) 「スポーツの勝利に浮かれることの危険性とは?五輪の政治利用、学者に冷たい社会を憂う」 政治利用されやすいオリンピック スポーツで熱狂的になったり、愛国的になったりしている背後に、何らかの意図が働いていることが珍しくないことは心しておいて損はない オリンピック報道が沸き立っている際に、「働き方改革」の法案が審議されていた。この問題のほうが、多くの労働者にとって将来に大きな影響を与えることになるのだが、ほとんど関心が寄せられていなかった スポーツで勝っても学問で勝てなくなった日本 岡本 亮輔 「相撲協会が「女人禁制」をいまだに徹底する理由 伝統的神事と近代スポーツの二面性」 「宗教伝統かスポーツか」という対立軸 近代の中で再発見される伝統 大相撲の「神事と興行」という二面性 「土俵上の救命行為、医者はどう見た? 第29回 女性たちが「飛び出した」勇気に敬意を」 心臓マッサージとは、横になっている人の胸のあたりを両手でかなり強く押し込む動きを、1分間に100回のペースでやる行為のこと。マッサージという言葉の雰囲気とはおよそかけ離れた、かなり激しい行為です。私も時々救急外来で心停止の患者さんに行いますが、これを1分間もやると汗がポタポタと患者さんの胸にかかります。胸を押しているとボキ、ボキと肋骨が折れることがありますが、構わず続けます。正式には胸骨圧迫(きょうこつあっぱく)といいます 心臓マッサージには交代要員が絶対に必要 心臓マッサージは「絶え間なく」やり続けることが必要なもの 心臓マッサージは、十分に胸を押し込んでから力をゆるめ、ちゃんと元の場所まで戻すという、その動きのクオリティが重要な手技でもあります。疲れるとクオリティは必ず下がりますから、交代要員がどうしても必要なのです
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日産・ルノーVS仏政府問題(その2)(闇株新聞:ついにルノーに丸ごと食われてしまう日産自動車1,2、日産がフランス企業になる!? ゴーン氏も悩むルノーとの合併論の行方) [企業経営]

日産・ルノーVS仏政府問題については、2016年5月16日に取上げてからは、一服状態にあった。それが、このところ俄かに雲行きが怪しくなってきた今日は、(その2)(闇株新聞:ついにルノーに丸ごと食われてしまう日産自動車1,2、日産がフランス企業になる!? ゴーン氏も悩むルノーとの合併論の行方)である。

先ずは、闇株新聞が3月30日付けで掲載した「ついにルノーに丸ごと食われてしまう日産自動車」を紹介しよう。
・2日続けてイレギュラーな時間での更新となりますが、日本企業を安直に海外企業に売り渡してしまうと徹底的に食い尽くされると何度も警告している典型例の日産自動車が、いよいよ最悪の事態になりそうなので急遽記事にしました。
・ルノーと日産自動車は合併し、統合後の新会社を上場することを協議していると、本日(3月29日)Bloombergが報じています。 ルノーは日産自動車の43.6%を保有する親会社であり(そのコストの8000億円は配当などでもうすっかり回収しています)、日産自動車もルノーの15%を保有していますが(議決権なし)、両社は一応組織的・会計的には別会社となっていました。
・それが今度は統一会社となり、日産自動車は(ブランド価値があるため日産自動車の名前は残すかもしれませんが)完全にルノーの一部分となり、統一会社の上場市場はもちろん東証ではなく、パリ証券取引所となるはずです。
・また日産自動車の単独決算も発表されることはなくなり、ルノーのためにせっせと資金や生産設備や技術陣を(タダで)提供していくことになります。今までも同じような状況ではありましたが、日産自動車は一応東証に上場しているため、その株式価値(日産自動車の方がルノーより大きい)が毀損しないように「手心は」加えていました。
・実は2015年にも日産自動車をルノーと統合させる計画がマクロン(現大統領、当時はオランド政権の経済・産業・デジタル大臣)主導で進められ、ルノーの19.74%を保有するフランス政府の議決権を2倍にする法律を、株主総会前に一時的にルノー株を買い増してまで承認させていました。 ところがこの時点ではゴーン氏がルノーと日産自動車のCEOを兼任していたため、結果的には日産自動車の少数株主に対しても責任のあったゴーンCEOが反対したかたちになり日産自動車が日本の会社ではなくなる事態は回避できました。
・ところが2017年4月にゴーン氏が日産自動車CEOを退任してルノーCEOに専念しており、マクロンも大統領に大出世しているため、もう誰も日産自動車をルノーの一部分にしてますます食い尽くしても反対しません。 ゴーン氏はブラジル生まれのレバノン人で、あからさまな身分差別のあるフランス社会では決してエリートではなく、「絵にかいたようなエリート」であるマクロン大統領に反対することは決して得策ではありません。
・フランス社会では決してエリートではないゴーン氏はルノーCEOとして「日産自動車を食いつぶしてでも」ルノーの業績を上げなければなりません。先日ゴーン氏のルノーCEO任期が異例の4年延長となりましたが、そこでゴーン氏がマクロン大統領に囁いたルノーの業績拡大策の中に、日産自動車との統合が入っていたような気がします。
・日産自動車は西川(さいかわ)CEO以下、日本人の経営陣はここまでルノーとゴーンCEOへの忠誠心だけで出世してきたため、諸手を挙げて経営統合に賛成するはずです。また日産自動車の日本人の少数株主も、ここまでゴーンCEO(当時)の経営手腕を無条件に支持しているようで、ルノーとの経営統合を承認する株主総会も「すんなり」承認してしまうはずです。
・つまりどう考えても(今年中かどうかはわかりませんが)日産自動車はルノーの一部分となり、その日産自動車の子会社となった三菱自動車とともに、グループで年間生産1000万台クラブに(ルノーの一部分として)入ることになります。
・いくら考えてもそれを排除することはもう不可能で、本誌が数年間にわたって考えて主張してきた「日産自動車をルノーから取りもどそう」も完全に不可能となってしまいました。 そうはいってもシャープは鴻海グループに入って業績が拡大し、三菱自動車もルノー・グループ入りして(正確には日産自動車の子会社となった)最悪期を脱しており、東芝も(まだ中国当局の独禁法審査が長引いていますが)ベインキャピタルなどにグループ入りすれば「もっとよくなる」と考えられているようですが、どれも海外の親会社から食い尽くされても業績が良くなっているため、最初からもっとまともな日本人経営者が頑張れる体制にしておけば何の問題にもならなかったはずです。
・このニュースはまだBloombergが報じているだけで、不確定なニュースである可能性もありますが、本誌はかなり前からそうなると予想していたため、この段階で記事にしました。
http://yamikabu.blog136.fc2.com/blog-entry-2196.html

次に、上記の続き、4月18日付け闇株新聞「ついにルノーに丸ごと食われてしまう日産自動車  その2」を紹介しよう。
・3月30日付け「同題記事」の続きです。仏ルノーと日産自動車の会長を兼務するカルロス・ゴーン氏は4月16日、日本経済新聞とのインタビューで、両社の資本関係を見直す考えを示しました。 ここで現在のゴーン氏は仏ルノーのCEOに専念しており、つい先日その任期が4年間(2022年まで)延長されましたが、筆頭株主(15%)であるフランス政府には、マクロン大統領をはじめゴーン氏更迭の意見もかなりあったようです。
・ゴーン氏は昨年4月1日付けで、日産自動車CEOの座を西川廣人(さいかわひろと)氏に譲り、代表取締役会長となっています。この西川氏を始めとする日産自動車の日本人経営陣は、ひたすらゴーン氏やルノー本社の意向を「目いっぱい忖度して」出世してきたはずです。
・現時点の資本関係は、ルノーが1999年の第三者割当増資引受、その後の新株予約権行使も含めて約8000億円で日産自動車の43.6%を保有しています。また日産自動車もルノーの筆頭株主であるフランス政府と同額の15%を保有していますが、ルノーの連結子会社であるため議決権はありません。 ちなみにルノーはこの日産自動車に保有させている15%の株式と、保有以来の現金配当で、出資金額の8000億円はすっかり回収しています。
・また度重なる不正で経営危機となっていた三菱自動車も、2016年5月に日産自動車が2373億円の第三者割当増資を引き受けて34%の株主となり支配下に入れており、やはり間接的にはルノー傘下となります。三菱自動車もゴーン氏が代表取締役会長となっており、CEOは益子修氏ですが、もちろんゴーン氏の傀儡です。
・ここで2017年通年の世界販売台数では、トップはVWの1074万台(前年比4.3%増)でしたが、日産自動車と三菱自動車を加えたルノー連合が1060万台と世界第2位に浮上し、トヨタ自動車の1038万台(同2.1%増)を抜いてしまいました。 と言っても2017年通年の世界販売台数では日産自動車が581万台、親会社であるはずのルノーが376万台、本日(4月17日)の株式時価総額も日産自動車が4兆7630億円、ルノーが282億ユーロ(3兆7388億円)などと、完全に「親子逆転」となっています。
・さてここからが本題ですが、ルノーの筆頭株主であるフランス政府は、かねてよりルノーと日産自動車(自動的に三菱自動車もついてきます)の経営統合を求めており、実際には合併させてすべてフランスの会社にしようと考えています。 その急先鋒がマクロン現大統領で、2015年にはオランド政権の経済・産業・デジタル大臣として、2年以上保有する株主の議決権を2倍にするフロランジュ法を強引に承認させてしまいました。この時は「まだ」日産自動車CEOも兼任していたゴーン氏が、一応は日産自動車の少数株主の利益も代弁する立場でもあったため反対に回り、辛うじて日産自動車がルノーと合併して日本の会社ではなくなる事態だけは回避できました。
・ところが現時点では、そのマクロン氏は仏大統領に大出世しており、ゴーン氏はルノーCEOとして堂々とルノーの(あるいはフランス政府の)利益を最大限にすることに専念すればよく、日産自動車の西川CEOはもちろんゴーン氏やルノーの意向を最大限に忖度するため、日産自動車がルノーと経営統合(というより合併)することに何の障害もありません。
・つまりもう外堀は完全に埋められており、内堀もほとんど埋められている状態となります。 日産自動車の方がルノーよりもあらゆる面で大きいため、フランス政府とすれば日産自動車をルノーと合併させてフランスの会社にしてしまう経済的メリットは、大変に大きいはずです。
・ルノーCEO更迭の予想が多かったゴーン氏が4年の任期延長となった背景には、在任中にルノーと日産自動車を経営統合(実際には合併)させることが条件になっていると感じます。 さて本日(4月17日)付けの日本経済新聞には、ルノーと日産自動車が統合新会社を作り、両者を傘下に入れる案が浮上していると書かれていますが、そんな日本の地銀の形だけの経営統合のような「生ぬるい」経営統合をルノーもフランス政府も認めるはずがありません。
・また日産自動車が現在15%保有しているルノー株式を25%まで買い増せば、日本の会社法によりルノーが持つ日産自動車株の議決権が消滅するとも書かれていますが、それはあくまでも日本の土俵で戦った場合であり、もう完全に外堀が埋められた状態では全く意味がありません。だいたい西川CEO以下の日産自動車経営陣がゴーン氏やルノーと戦うはずがありません。
・かくして日本から(日本の株式市場からも)歴史ある自動車会社が消えてしまうことになります。本誌がいつも書くように、会社を安直に海外(ファンドでも会社でも)に売却してしまうとロクなことになりません。
http://yamikabu.blog136.fc2.com/blog-entry-2207.html

第三に、4月23日付けダイヤモンド・オンライン「日産がフランス企業になる!? ゴーン氏も悩むルノーとの合併論の行方」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・「合併がベストの選択だとは考えていない」──。仏ルノー、日産自動車、三菱自動車の3社連合を率いるカルロス・ゴーン氏は日本滞在中の先週、周辺にそう語ったという。 ゴーン氏の発言の背景には、ルノーと日産の統合新会社設立や合併論がメディアで盛んに取り沙汰されていることがある。「資本関係の見直し検討」とも報じられたが、ある幹部は「ゴーン氏は『あらゆる選択肢がある』と述べているだけで、合併ありきではない。従来通り各社の独立を維持しつつ、機能統合によるシナジーなどのメリットを享受し合いながら2022年の連合全体の目標を達成することが最優先だ」と、ゴーン氏の心の内を代弁する。
・しかし仏政府による合併圧力は強まっているようだ。 日産は経営危機に陥った1999年にルノーの支援を受け、現在はルノーが日産に43.4%出資し、一方で日産もルノーに15%出資して株式を持ち合う関係にある。そしてルノー株の15%を握る仏政府は、これまでルノーを介して日産の経営に介入することを画策し続けてきた。
・14年には株式を2年以上持つ株主に2倍の議決権を与えるフロランジュ法を制定。仏政府は一時、ルノーへの持ち株比率を引き上げて日産との合併を迫ったが、ゴーン氏はこれを拒み続けた。 だがルノーCEOの任期が切れる今年6月の株主総会を前に、仏政府周辺からゴーン氏の退任論が浮上。ゴーン氏は続投する見通しだが、それと引き換えに仏政府に譲歩し、合併容認に「変心」したとの観測も出ている。
▽日産に合併のメリットなし
・合併は日産にとって決して容認できるものではない。 仏政府の最大の狙いは、日産を影響下に置くことで自国の自動車産業を立て直し、9%台と高い水準にある失業率の改善や税収増に貢献させることにある。  それは日産にとって、経営判断が国策に縛られることを意味する。ただでさえ電動化や自動運転化など開発競争が激化する業界において、無駄な投資や経営判断の遅れは致命的だ。
・また日産が名実共に「仏自動車メーカー」となれば、足元の日本市場で販売シェアを落としかねない。販売台数や技術開発力でルノーを凌駕する日産が今、ルノーと合併するメリットは見当たらない。実は仏政府もそれを承知の上で、「保有するルノーの株価をつり上げるための駆け引きにすぎない」(市場関係者)との見方もある。
・ただ“事実婚状態”とも指摘されるルノーと日産の現在の関係が成立し得ているのは、ゴーン氏個人によるところが大きいことは事実だ。そのゴーン氏に残された任期は4年。くすぶる合併論を打ち消すためにも、持続可能な“ポストゴーン”体制を示す必要に迫られている。
http://diamond.jp/articles/-/168186

第一の記事で、 『ゴーン氏が日産自動車CEOを退任してルノーCEOに専念しており、マクロンも大統領に大出世しているため、もう誰も日産自動車をルノーの一部分にしてますます食い尽くしても反対しません・・・つまりどう考えても(今年中かどうかはわかりませんが)日産自動車はルノーの一部分となり、その日産自動車の子会社となった三菱自動車とともに、グループで年間生産1000万台クラブに(ルノーの一部分として)入ることになります』、というのは本当に困った事態だ。
第二の記事で、 『つまりもう外堀は完全に埋められており、内堀もほとんど埋められている状態となります。 日産自動車の方がルノーよりもあらゆる面で大きいため、フランス政府とすれば日産自動車をルノーと合併させてフランスの会社にしてしまう経済的メリットは、大変に大きいはずです』、 『本日(4月17日)付けの日本経済新聞には、ルノーと日産自動車が統合新会社を作り、両者を傘下に入れる案が浮上していると書かれていますが、そんな日本の地銀の形だけの経営統合のような「生ぬるい」経営統合をルノーもフランス政府も認めるはずがありません』、 『会社を安直に海外(ファンドでも会社でも)に売却してしまうとロクなことになりません』、などの指摘はその通りだ。
第三の記事で、 『ある幹部は「ゴーン氏は『あらゆる選択肢がある』と述べているだけで、合併ありきではない。従来通り各社の独立を維持しつつ、機能統合によるシナジーなどのメリットを享受し合いながら2022年の連合全体の目標を達成することが最優先だ」と、ゴーン氏の心の内を代弁する』、というのは希望的観測に過ぎない。 『日産が名実共に「仏自動車メーカー」となれば、足元の日本市場で販売シェアを落としかねない。販売台数や技術開発力でルノーを凌駕する日産が今、ルノーと合併するメリットは見当たらない。実は仏政府もそれを承知の上で、「保有するルノーの株価をつり上げるための駆け引きにすぎない」(市場関係者)との見方もある』、も希望的観測の類だろう。ただ、仏政府が強引に合併をしようとすれば、日本市場で販売シェアを落としかねず、企業価値を損なうリスクもあるだけに、合併ではなく、緩やかな統合の方を選択してくれることを願うばかりだ。
タグ:ダイヤモンド・オンライン 闇株新聞 日産・ルノーVS仏政府問題 (その2)(闇株新聞:ついにルノーに丸ごと食われてしまう日産自動車1,2、日産がフランス企業になる!? ゴーン氏も悩むルノーとの合併論の行方) 「ついにルノーに丸ごと食われてしまう日産自動車」 2015年にも日産自動車をルノーと統合させる計画がマクロン(現大統領、当時はオランド政権の経済・産業・デジタル大臣)主導で進められ 日産自動車の少数株主に対しても責任のあったゴーンCEOが反対したかたちになり日産自動車が日本の会社ではなくなる事態は回避できました 2017年4月にゴーン氏が日産自動車CEOを退任してルノーCEOに専念しており、マクロンも大統領に大出世しているため、もう誰も日産自動車をルノーの一部分にしてますます食い尽くしても反対しません 「ついにルノーに丸ごと食われてしまう日産自動車  その2」 現時点では、そのマクロン氏は仏大統領に大出世しており、ゴーン氏はルノーCEOとして堂々とルノーの(あるいはフランス政府の)利益を最大限にすることに専念すればよく、日産自動車の西川CEOはもちろんゴーン氏やルノーの意向を最大限に忖度するため、日産自動車がルノーと経営統合(というより合併)することに何の障害もありません つまりもう外堀は完全に埋められており、内堀もほとんど埋められている状態 「日産がフランス企業になる!? ゴーン氏も悩むルノーとの合併論の行方」 ある幹部は「ゴーン氏は『あらゆる選択肢がある』と述べているだけで、合併ありきではない。従来通り各社の独立を維持しつつ、機能統合によるシナジーなどのメリットを享受し合いながら2022年の連合全体の目標を達成することが最優先だ」と、ゴーン氏の心の内を代弁する 日産に合併のメリットなし 仏政府の最大の狙いは、日産を影響下に置くことで自国の自動車産業を立て直し、9%台と高い水準にある失業率の改善や税収増に貢献させることにある
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ハラスメント(その5)(小田嶋氏:能力が高すぎた福田事務次官の“悲劇”) [国内政治]

昨日に続いて、ハラスメント(その5)(小田嶋氏:能力が高すぎた福田事務次官の“悲劇”)を取上げよう。

例によってコラムニストの小田嶋 隆氏が4月20日付け日経ビジネスオンラインに寄稿した「能力が高すぎた福田事務次官の“悲劇”」を紹介しよう。
・財務省の福田淳一事務次官のセクハラ疑惑は、やたらとツッコミどころが豊富なニュースで、それゆえ、この話題を伝えるメディアは、どこに焦点を当てて良いのやら混乱しているように見える。 この不可解な偶発事故のために、本丸のいわゆるモリカケ問題への追及を、一時的にであれ手控えたものなのかと訝しみながら、それでも彼らは、このネタに全力でくらいついている。 それほど、この事件は、扇情的かつ洗浄的ならびに戦場的で、つまるところ、やっぱり面白い。だからメディアは追いかけざるを得ない。
・私自身、ここまであらゆる方向からネタになる素材を前にすると、しばし考え込んでしまう。 マタタビ輸送車両の自損事故現場に遭遇した猫みたいな気分だ。 官僚としての自覚だとか責任だとかいったデカい主題のお話は、すでに無数の論者によって語り尽くされている。いまさらそんな場所に出かけていって、屋上屋を重ねようとは思わない。 といって、細部の論点には踏み込みたくない。 というのも、論点のいちいちが、あまりにもバカげているからだ。
・次の次官に昇格すると目されている矢野康治財務省大臣官房長による 「中身がわからないことには処分に至らないのが世の常ですよ。それをこの方(被害者の女性)は、この報道が事実であれば、雑誌の中で『こんなことをされた、こんなことをされてとても不快だった』と、カギ括弧つきで書いておられますよ。であれば、その方が財務省でなく、弁護士さんに名乗り出て、名前を伏せて仰るということが、そんなに苦痛なことなのか、という思いでありました」 という国会答弁にしても、 麻生財務相の 「福田に人権はないのか?」 という記者への問いかけにしても、論外すぎて取り上げる気持ちになれない。 論及するとキーボードが汚れる感じ、だ。
・あるいはこれほどまでに論外な論点での答弁は、まともな論者の気持ちをくじくという意味で防衛力の高い態度なのかもしれない。 いずれにせよ、原稿のネタにしたい話ではない。 とはいえ、まるっきり黙殺するのもそれはそれで面白くないので、簡単に言及しておく。
・セクハラの加害者として複数のメディアの女性記者から名指しにされている当の本人が、「胸触っていい?」「手縛っていい?」といった具体的な会話の録音データをネット上および地上波のテレビ放送を通じてさんざんリピート再生されている状況下で、自身の発言を否定しているだけでも驚きなのに、福田氏は、あろうことか、被害女性を名誉毀損で提訴する意向を匂わせた。
・さらに、財務省は財務省で、件の女性記者に対して自分たちが主導する事件の調査への協力を求めている。どういう神経が脳から脊髄を貫いていれば、これほどまでにいけ図々しい申し出を口に出すことができるものなのだろうか。
・財務省という組織が、ここまでの一連のやりとりを通じて露呈したダメージコントロールのダメさ加減を主題にすれば、それはそれで一本の原稿になるだろうとは思う。麻生財務大臣の発言傾向を政権時代にさかのぼって時系列で検討してみれば、それもまたそれなりに下品ながらも面白いテキストができあがることだろう。 とはいえ、そのあたりのことをネタに、私が小器用な原稿を書いてみせたところで、どうせきちんと自分の足で取材している人の文章には及ばない。
・なので、ここから先は、ほかの書き手があまり手がけないであろう話をする。 週刊新潮が伝えた福田氏のセクハラ疑惑の第一報を読んで、私が最初に感じたのは、驚きというよりは、違和感に近い感覚だった(こちら)。 というのも、録音された音声を聞いた上であらためて記事を読んで見ると、福田氏のセクハラ発言が、通常の日常会話や取材への受け答えの中にまったく無関係に挿入される挿入句のように機械的にリピートされている印象を持ったからだ。
・それこそ、学齢期前の子供が、進行している対話とは無関係に「うんこ」とか「おしっこ」だとかいった単語を繰り返し発声しながらただただ笑っている時の、幼児性の狂躁に近いものを感じた。 であるから、第一印象として私が抱いたのは、いやらしさや嫌悪感よりも、不可思議さや不気味さであり、もっといえば当惑の感情だった。
・新潮の記事を読むと、福田氏は、取材者である女性記者の質問に答えながら、同時並行的に、取材の文脈とはまったく無縁なセクハラ発言を繰り返している。 不思議なのは、セクハラ発言だけを繰り返しているのでもなければ、取材への対応だけをしているわけでもないことで、この点だけを見ると、まるでマルチタスクのOSみたいに機能しているところだ。
・つい昨日、ある知人との対話の中で、この時の福田氏の会話の不思議さが話題になった。 「どうしてこんなに能力の高い人が、これほど支離滅裂なんだろうか」 というのが、その時のとりあえずの論点だったわけなのだが、私は、その場の思いつきで、以下のような仮説を開陳した。 「思うに、福田さんは、事務次官という官僚の頂点に相当する地位に就いていることからも想像がつく通り、本来は猛烈にアタマの良い人で、仕事もできるはずです」 「だから、こういう人のアタマの働き方を、われわれみたいな凡人と同じ基準で評価してはいけません」 「おそらく、異様なばかりに高いポテンシャルを備えた福田さんの脳みそは、助平な思考のためのスレッドと業務用の思考のスレッドをふたつ別々に立てて、その両方をまったく相互に支障なく両立させることができるはずで、だからこそ、助平な福田さんと有能な福田さんという二つの別々の人格を同時並行的に機能させつつ、その二人の腹話術的複合人格の福田さんとして振る舞うことが可能だったのだと思います」
・「なんだよそれ。どういう意味?」  「だからつまり、われわれみたいな凡人は、助平なことを考えると全然仕事ができなくなっちゃうし、一方、大真面目に仕事に集中すると助平な妄想を持ちこたえられなくなるわけで、要するに、単能なのですよ、われわれは。で、その、同時にひとつのことしかできない能力の低さゆえに、わたしたち普通の男は、仕事中にセクハラをせずに済んでいるわけです。ということは、われわれは特に清潔な人間であるわけではなくて、単に能力が低いということです」
・「ははは。ってことは、福田氏みたいな能力の高い人間は、たとえばエロビデオ見ながらでも論文書けちゃったりするわけか?」  「ぜんぜん書けると思いますよ。ついでにスマホでエロ動画見ながら会議資料用のパワポの編集しつつ通りかかった女性官僚に向けて6秒間に4回のセクハラ発言をカマすことだって朝飯前だと思います。だからこそ次官になれたんですよ」
・「ははは。オレもそういう人間になりたかった」 もちろん、この話は、基本的にはジョークだ。 が、あらためて振り返ってみるに、福田氏のセクハラ発言に「能力」という視点から光を当ててみた発想そのものは、そんなに的外れではなかったのではなかろうかと思っている。
・というのも、福田氏のセクハラ発言は、性的欲求の発露である以上に、他者全般への強烈な優越感が言わせている何かで、結局のところ、自身の能力への異様なばかりの自負の副作用であるに違いないからだ。  一般に、勉強のできる子供は思い上がっているものだ。 私自身、中学を卒業する段階までは成績の良かった生徒で、型通りに思い上がっていた。
・15歳の人間にとって学校の成績が優秀であることは、一点の曇りもない全能感をもたらしてくれるよすがでもあったということで、まあ、なんというのか、中学生というのは、それほど視野が狭いということです。 もちろん、そんな状態はいつまでも続かない。思い上がった少年は、いずれ自分の能力の天井を知ることになる。あるいは、自分よりも能力の高いライバルに出会うことで天狗の鼻をへし折られる。
・その、得意の絶頂からの墜落の経験が何歳の段階で訪れるかによって、人格形成には多少のバラつきが生じるものなのだが、いずれにせよ、99.9%の人間は、子供時代の全能感を失うことと引き換えに大人になる。その意味からすれば、男の子が大人になることは、優秀さという夢から醒める過程なのだと言っても間違いではない。
・ところが、東大の法学部経由で財務省に任官して、しかも次官になる能力に恵まれた特別な人間は、転落も敗北も経験しないまま中年男に成長している。 ということは、14歳だったオダジマが抱いていたような無限の全能感とともに58歳になっているわけだからして、これは極めてやっかいな人間に仕上がっているはずなのだ。
・もちろん、能力が高いことそのものは、素晴らしいことだし、うらやましいことでもある。 とはいえ、情報処理能力が、実は視野の狭さを条件に発揮される資質であることもまた一面の事実ではあるわけで、専門性の高い枠組みの中で結果を求められている人間が、いつしか、枠の外の世界と遊離した人間になりおおせることは、避けがたい宿命であったりもする。
・であるからして、特定の閉鎖環境の中で人並み外れた情報処理能力を競いつつ出世レースの階段を登っている人間たちは、その閉鎖環境の外から見て、自分たちがどんなふうに見えているのかという視点を失うに至る。 というよりも、そもそも、とびっきりに優秀な人間だけが集まって互いの能力を競っているフィールドでは、外部の人間などものの数ではないのだ。
・陸上選手が、自分より速いタイムで走るアスリートをリスペクトせざえるを得ないのと同じように、ある特定の分野で特定の能力を競っている人間は、やがてその能力でしか人を評価しなくなる。 であるから、陸上のトラックではタイムが、予備校の教室では模試の偏差値だけが絶対的な金メダルになる。
・もっとも、人は一生涯陸上部員であり続けるわけではないし、終身の受験生でもあり得ない。 普通の人間は40歳を過ぎてなお自己記録更新に励み続けるような生き方は選ばないし、大学を出てなお別のさらに高偏差値の大学を受験することもしない。 だからこそ、われわれは、自分の人生の中に、短距離走の持ちタイムだけで人間の価値を決めつけていた一時期があったことを、むしろ可憐な思い出として思い出す境地に到達することができる。
・ところが、競争をやめない人間は、競争レーンの外の視野を知らない。 彼らは、自分たちが走っているトラックと別の場所で暮らしている人間を、自分と対等の存在だとは考えない。逆に言えば、そういう視野の狭い人間として生きることが、彼らの競争力の源泉なのだ。 あるいは、さらに別の言い方をすれば、ある種の能力は、視野の狭さそのものだということでもある。
・ともあれ、彼らの中には、自分たちの結界の外にいる人間を昆虫かなにかみたいに考える極端なメンバーが含まれている。 だからこそ、あれほど無機質なセクハラを発動することができるのだ。 優秀さは、「比較」から生じる概念だ。
・とすると、順序からして、他人を見下す過程を経ないと、人は「優秀」な状態に到達できないわけで、逆に言えば、「優秀」であるためには、自分より劣った人間に囲まれなければならないことになる。 つまり優秀な人間は、他人を見下すことによってしか自分の優秀さを確認できないのだ。 なんということだろう。
・おそらく、内閣人事局という仕組みを発想した人々のアタマの中には、ここのところの問題がひっかかっていたのだと思う。すなわち、もっぱら省益という狭い視野の中でのみその優秀さを競っている官僚の能力を、その省の官僚が評価したら、これは出口がないぞ、と、彼らは考え、だからこそ、政治主導による官僚の人事査定を画策したわけで、その考えそのものは、そんなに間違っていなかったはずなのだ。
・ところが、内閣人事局は、現状を見るに、どうやら、当初の思惑通りには機能していない。 官僚を評価する能力も倫理観も持たない政治家が、人事権を武器に官僚を小突き回すためのツールみたいなものに成り下がっているように見える。
・ともあれ、誰もが認める官僚エリートたる福田淳一氏が、あきれるほどの脇の甘さを露呈しつつ、単純なセクハラスキャンダルで躓いたことを伝えるこのニュースは、人並み外れた能力が、本人にとって重荷でもあるということを教えてくれる示唆的なケーススタディだった。
・さらに付け加えるなら、自らの能力を恃む人間がセックスの罠に陥りがちであることから導かれるのは「セックスほど平等な堕落はない」という平凡な事実だったりする。 その意味でも味わい深い事件だった。 福田氏は、結果として、次の次官の任期を縮めてしまったこと(←いずれ遠くない時期に文書改竄事件の責任を取って辞任せねばならない)を気に病んでいることだろう。 
・パソコンならばCtrl+Alt+Delで暴走したプロセスを強制終了させることもできるが、人間ではそうもいかない。 自分の気持ちを整理するためにも、半年くらい自らフリーズして暮らすと良いのではなかろうか。
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/174784/041900140/

小田嶋氏がこの問題をどのように捌くのかと期待して読んだが、期待に違わず快刀乱麻を断つ様子はさすがである。 『まるでマルチタスクのOSみたいに機能しているところだ』、 『福田氏みたいな能力の高い人間は・・スマホでエロ動画見ながら会議資料用のパワポの編集しつつ通りかかった女性官僚に向けて6秒間に4回のセクハラ発言をカマすことだって朝飯前だと思います』、というのには、笑ってしまった。 『99.9%の人間は、子供時代の全能感を失うことと引き換えに大人になる。その意味からすれば、男の子が大人になることは、優秀さという夢から醒める過程なのだと言っても間違いではない。 ところが、東大の法学部経由で財務省に任官して、しかも次官になる能力に恵まれた特別な人間は、転落も敗北も経験しないまま中年男に成長している。 ということは、14歳だったオダジマが抱いていたような無限の全能感とともに58歳になっているわけだからして、これは極めてやっかいな人間に仕上がっているはずなのだ』、との人間観察の深さには感心させられた。 『内閣人事局は、現状を見るに、どうやら、当初の思惑通りには機能していない。 官僚を評価する能力も倫理観も持たない政治家が、人事権を武器に官僚を小突き回すためのツールみたいなものに成り下がっているように見える』、との指摘は的確でその通りだ。 『福田氏は、結果として、次の次官の任期を縮めてしまったこと(←いずれ遠くない時期に文書改竄事件の責任を取って辞任せねばならない)を気に病んでいることだろう』、というのもなるほどと納得した。
タグ:ハラスメント 日経ビジネスオンライン 小田嶋 隆 (その5)(小田嶋氏:能力が高すぎた福田事務次官の“悲劇”) 「能力が高すぎた福田事務次官の“悲劇”」 違和感に近い感覚だった 福田氏のセクハラ発言が、通常の日常会話や取材への受け答えの中にまったく無関係に挿入される挿入句のように機械的にリピートされている印象を持ったからだ まるでマルチタスクのOSみたいに機能しているところだ 福田氏みたいな能力の高い人間は、たとえばエロビデオ見ながらでも論文書けちゃったりするわけか?」  「ぜんぜん書けると思いますよ。ついでにスマホでエロ動画見ながら会議資料用のパワポの編集しつつ通りかかった女性官僚に向けて6秒間に4回のセクハラ発言をカマすことだって朝飯前だと思います。だからこそ次官になれたんですよ 、99.9%の人間は、子供時代の全能感を失うことと引き換えに大人になる。その意味からすれば、男の子が大人になることは、優秀さという夢から醒める過程なのだと言っても間違いではない ところが、東大の法学部経由で財務省に任官して、しかも次官になる能力に恵まれた特別な人間は、転落も敗北も経験しないまま中年男に成長している。 ということは、14歳だったオダジマが抱いていたような無限の全能感とともに58歳になっているわけだからして、これは極めてやっかいな人間に仕上がっているはずなのだ
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ハラスメント(その4)(福田財務次官セクハラ問題:「セクハラ調査お願い文書」からほとばしる財務省の強権体質、セクハラ問題で財務省とマスコミが露呈した絶望的な無理解、官僚セクハラを「色仕掛け」と批判する日本の闇) [国内政治]

ハラスメントについては、4月5日に取上げたが、今日は、(その4)(福田財務次官セクハラ問題:「セクハラ調査お願い文書」からほとばしる財務省の強権体質、セクハラ問題で財務省とマスコミが露呈した絶望的な無理解、官僚セクハラを「色仕掛け」と批判する日本の闇)である。なお(セクハラ・パワハラ・アカハラ)はタイトルから外した。

先ずは、筑波大学教授(臨床心理学、犯罪心理学)の原田 隆之氏が4月18日付け現代ビジネスに寄稿した「「セクハラ調査お願い文書」からほとばしる財務省の強権体質 どれだけ呆れてもきりがないレベルだ」を紹介しよう(▽は小見出し)。
▽スキャンダル連発の財務省
・それにしても、次から次へとよくこれだけスキャンダルが出てくるものだとあきれている。 財務省はいつから相撲協会のようになってしまったのかと思うくらい、連日連夜、目だけでなく、耳までも覆いたくなるような内容の報道が続いており、収束の気配すら見えない。
・確かに、メディアの格好の標的になっているのだろう。どの組織も多少は脛に傷を持っていて、叩けば埃の1つや2つは出てくるだろう。 しかし、それを割り引いても、報道される内容の酷さに加えて、対応がおそろしいくらいに稚拙なことに驚くほかない。
・財務省の福田淳一事務次官をめぐる週刊誌の「セクハラ報道」の後、週末には音声データまでもが公開され、これは辞任待ったなしかと思っていたのだが、週明けには何とびっくりの「全面否定」に出た。 そして、それに輪をかけて驚かされたのは、被害者に「名乗り出よ」という前代未聞の驚くべき呼びかけをしたことだ。  まずは、「セクハラ疑惑」から見ていきたい。
▽「胸を触っていい?」「手を縛っていい?」
・事の発端は、4月12日発売の週刊新潮において、福田次官が女性記者に対し、「胸を触っていい?」「手を縛っていい?」などと、ここに記すのも憚られるようなセクハラ発言を繰り返したと報じられたことにある。 翌13日、その生々しい発言の音声データが公開され、福田次官はいよいよ窮地に陥ったかに見えた。報道によれば、一旦は自分の声であることを認めていたという。
・麻生財務大臣は、最初の報道の際は、「緊張感をもって対応するように訓示というか訓戒を述べたということで十分だと思っております」と述べ、進退は問わない意向を表明していた。 しかし、音声が公開されるや、「これが事実ならアウト」と発言するに至った。
・そして、4月16日、財務省が一連の報道を受けてのコメントを出したのであるが、それは官房長らが次官本人に聴取した内容を踏まえてのものであった。 部下がトップに対して聴取したわけであるから、公平性や客観性という意味では十分なものでないことは想像に難くない。 しかしその内容は、発言はおろか、会ってもいない、心当たりもないという「全面否定」だったわけである。
▽女性蔑視やセクハラに対する意識の低さ
・もちろん、現時点ではどちらが本当かはわからない。これだけ強く否定するのであるから、そのような事実はなかったのかもしれない。 しかし、発表された「聴取結果」を読むと、その文面にすら、女性蔑視やセクハラに対する意識の低さが見え隠れしている。 +福田事務次官に関する報道に係る調査について  https://www.mof.go.jp/public_relations/ohter/20180416chousa.html 
・例えば、福田次官は報道されたやりとりの真偽について問われた際、発言について、「悪ふざけ」であると評している。 しかし、一連の発言は明らかに「悪ふざけ」の域を超えている。 相手を対等の人間であると見ておらず、女性の人権を冒涜する発言である。それを軽々しく「悪ふざけ」と言ってしまえるところに、彼の認識の甘さが露呈している。
・さらに、「普段からこのような発言をしているのか」と問われた際には、「業務時間終了後、時には女性が接客をしているお店に行き、お店の女性と言葉遊びを楽しむようなことはある」と答えている。 これは、「接客業の女性であれば、セクハラ発言をしても構わない」と言っているのと同じである。 もちろん、事務次官といっても一人の人間であるし、羽目を外したり、酒の上で軽口を叩いたりすることはあるだろう。 しかし、この聴取では、そのようなことが問われているのではない。セクハラ発言について聞かれているのだ。それを真摯に受け止めているとは思えない回答ぶりである。
・きわめつけは、「その相手が不快に感じるようなセクシャル・ハラスメントに該当する発言をしたという認識はない」との苦しい言い訳である。 やっていないなら、「やっていない」と明確に答えればよいものを、「認識」という「受け止め方」の問題で逃げられる余地を作ろうとしているかのような発言である。 しかし、認識の違いは言い訳にはならない。
・そもそも一般的に、ハラスメントをする人は、それがハラスメントであるという認識がないから、ハラスメント行為に出てしまうのだ。「ハラスメントをしよう」という明確な意思をもって、ハラスメント行為に出る者はまずいない。 そして、相手から異議申し立てをされた際には、決まって「そのような認識はなかった」と言い訳をする。しかし、それは言い訳になるどころか、却って本人の「意識の低さ」を露呈する結果となってしまう。
▽一番の問題である「お願い」文書
・何より驚き、唖然としたのは、コメント発表の際に官房長名で出された「福田事務次官に関する報道に係る調査への協力のお願い」と題する記者クラブのマスコミ各社に宛てた文書のことだ。 そこでは、「各社内の女性記者の方々に以下を周知いただくよう、お願いいたします」と書かれ、女性記者が自ら名乗り出て財務省の調査に協力するように依頼している。
・不利益がないように「責任を持って対応」すると述べ、調査は弁護士事務所に委託するとしている。 しかし、何をもって「責任を持っての対応」とするのか、きわめて曖昧であるし、委託先の弁護士も財務省の顧問弁護士だというから、いわば「敵の陣地に自ら名乗り出よ」と言っているのと同じである。
・実際に名乗り出ることなどできるわけがないと端から高を括っているのか、それとも本気でこれが公平な対応と考えているのか、どちらであっても、とんでもない強権体質であり、弱者に対する思いやりや共感性のかけらも感じられない対応であるとしか言いようがない。
・麻生大臣は、「福田次官にも人権がある」「女性が名乗り出なければ事実の認定のしようがない」と述べるが、もちろんそれはそのとおりである。 福田次官にも人権があるし、本人が否定している以上、予断をもって決めつけてはいけない。しかし、人権のことを言うならば、被害に遭った女性の人権が第一である。
・また、すべて財務省が調査をしなければならないわけではないだろう。 一般に、セクハラやパワハラは、同じ会社の上司と部下、従業員同士などの間で生じることが多いため、その場合は「社内」ですべての調査をするしかない。しかし、この件は財務省と民間企業の間でのケースである。 当事者の片方であり、しかも強大な権力を持っている側が、一方的にすべて調査をしようとしているところに無理がある。
・それにしても、発表されるや否や、メディアや野党は言うに及ばず、現職の閣僚までが批判し、疑問を呈しているこの「お願い」文書。 財務省内部では誰も疑問に感じなかったのだろうか。あるいは、疑問に感じていても、誰も言い出せなかったのだろうか。 いずれの場合であっても、財務省は「劣化」したとしか言いようがない。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/55324

次に、ソーシャルビジネス・プランナー&CSRコンサルタント/株式会社ソーシャルプランニング代表の竹井善昭氏が4月24日付けダイヤモンド・オンラインに寄稿した「セクハラ問題で財務省とマスコミが露呈した絶望的な無理解」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・複数の女性記者に対するセクハラ疑惑に揺れる財務省・福田事務次官が辞任。またテレビ朝日は、福田次官からセクハラ被害を受けたとされる女性記者たちの中に自社の社員がいた、と発表した。展開がめまぐるしい今回の疑惑事件だが、福田氏はセクハラ疑惑を依然として否定(4月19日現在)。事務次官辞任で幕引きとせず、真相は徹底的に解明すべきだ。
・今回のセクハラ騒動でわかったことは、日本の社会がいかにセクハラ問題について理解していないかということ。だから、今回のようにマスコミで大きな話題となった事件は徹底的に解明して、セクハラを生む組織の土壌や文化について日本社会も学習する必要がある。財務省の対応は相当ひどいものだったが、マスコミの対応もひどいものだった。今回はそのことについて書く。
▽ジャーナリズムの大原則を無視した財務省の対応
・まず財務省。週刊新潮が福田氏のセクハラ疑惑を4月12日発売号で報じた後、16日には公式コメントを発表。そのポイントは以下の4つだった。 以下、『産経ニュース』2018年4月16日記事より引用 一、週刊新潮で報道された女性記者へのセクハラ疑惑を否定。 一、反省の上で緊張感を持って職務に取り組むとして辞任を否定。 一、名誉毀損で新潮社の提訴を準備。 一、財務省は外部の弁護士に委託して調査を続ける。同省記者クラブの加盟各社の女性記者に調査への協力を要請。
・この時点でたいした調査もせずに疑惑を否定したのもどうかと思うが、最悪だったのが4つめの「同省記者クラブの加盟各社の女性記者に調査への協力を要請」だ。これではまるで、取材源を明らかにしろとマスコミに迫っていることになる。ジャーナリズムのなんたるかがまったく理解できていない。
・言うまでもなく「取材源の秘匿」はジャーナリズムの大原則だ。かつて、アメリカのニクソン大統領(当時)を辞任に追い込んだウォーターゲート事件があった。この時、ワシントンポストの若き記者チームが膨大な調査報道を行い、ニクソン政権を追い込んでいった。その取材活動の裏には、“ディープ・スロート”と呼ばれる内部通報者がいた。「政権内部の重要人物」とされていたが、ニクソンが大統領を辞任して、事件が収束した後も、ディープ・スロートの正体はけっして明かされることはなかった。その正体が、当時のFBI副長官だったマーク・フェルトであったことが公表されたのは、事件から実に32年経ってからのことだった。
・情報源は徹底して守る――それがジャーナリズムの正義だ。もちろん、この財務省の協力要請に対してマスコミ各社は猛反発。財務省担当の記者が所属する「財政研究会」は18日に、この調査協力には「受け入れられず、財務省に対し抗議する」との文章を提出した。
・セクハラ問題という視点からも、この調査要求はデタラメもいいところだ。セクハラに限らず、加害者側が被害者に対して自分たちが雇った弁護士の調査に協力しろと迫り、告発者の不利益にならないように配慮しますから言ったところで、誰が安心してノコノコと出てこられるだろう。被害者の心理というものをまったくわかっていない。
・レイプ事件でもセクハラ事件でも、被害者の心はデリケートだ。被害の状況を誰かに語ることは非常に苦しくて重い。僕もレイプ被害に遭った女性の話を聞いたことがあるが、その女性はその時のことを思い出しながら話すので、あまりに感情が高ぶり、ワンワン大泣きしてしまい、途中でなにを言っているかわからなくなることが何度もあった。それぐらい、被害の話をする時は感情が乱れる。被害者が被害のことを誰かに話すということは、それほどまでに大変なことなのだ。だから被害者は、聞く者との絶対的な信頼関係がなければ話はしない。加害者側の弁護士にベラベラとしゃべる気になどならないのだ。
・またレイプ事件の裁判でもそうだが、加害者側の弁護士は、被害者女性に対してひどい質問をバンバン投げかけてくる。「あなたがこの男性を誘ったのではないですか?」とか、「その最中に声をあげませんでしたか?」とか、「助けを大声で求めなかったのは、合意があったからではないですか?」とか、被害者の尊厳を踏みにじるような詰問をする。マスコミの女性記者であれば、このようなことも知っているはずだし、だから加害者側の弁護士などの調査など受けたくないはずだ。
・財務省の調査協力依頼は、被害者女性のこのような心理をまったく無視したものであり、明らかなセカンドレイプである。財務官僚といえば、官僚の中でもトップクラスの人たちで、頭がいいとされているのに、なぜにこのようなことが理解できないのか。それこそ理解に苦しむ。今後は、国家公務員試験の中に、ジャーナリズムやセクハラに関する問題も入れておいたほうがいい。
▽劣悪だった ワイドショーのコメンテーターたち
・セカンドレイプという意味では、マスコミやネットでの反応もひどいものだった。特に劣悪だったのが、ワイドショーのコメンテーターたちだ。まるでセクハラを容認するかのような発言を、こともあろうに女性コメンテーターがしている。「男性から『おっぱいもませろ』とか『キスさせろ』とか言われても、うまくはぐらかしたり、話題を変えたりして(セクハラを)避ければいい」みたいなことを言う。「私なんか、芸能界に入ったその日からおっぱいをもまれた。そういうものだと思っていた」という、非常に意識の低い発言をしている女性芸能人もいた。
・お笑いタレントの柳原可奈子にいたっては最悪だ。4月17日放送のワイドショーで、「私だったら、この流れで『おっぱい触っていい?』て言われたら、「『どこがおっぱいでしょう』とか言って、『それより森友の件どうなっていますか?』って」と語った。これはまるで、セクハラ被害を受けたらお笑いで返せとでも言わんばかりの発言。
・さらに、「切り返し、切り返しを学んで来たので、大変なセクハラだと感じなかった。私は(セクハラに)慣れてきちゃっているのかな?」とまで発言した。セクハラは慣れてはいけない、という基本的なことをなにも理解していない発言だ。女性のこのような認識がレイプやセクハラを横行させる、ということがまったくわかっていない。まさに女の敵は女である。
・また、マツコ・デラックスも16日放送のとTOKYO MX「5時に夢中!」に出演し、ワイドショーやニュース番組などマスコミがこの問題一色になっていることに、次のように苦言を呈した。「財務省を取り巻くもっと重要な案件がある。(中略)日本を取り巻くなんとかハラスメントブームの中で、ナンチャラ学園(追及)を休んでまで、これを大盛り上がりしているのは、とっても稚拙な感じがします」「あくまでも被害に遭われた女性と事務次官の問題」と発言。モリカケ問題に比べれば、財務事務次官のセクハラ問題などたいしたことではない、と言っている。しかしセクハラは、女性の人権に関わる重大案件だ。
・いま世界では、人権はあらゆるものに優先されるべきことだとされている。しかし、モリカケ問題は人権問題ではない。だから、女性の人権に関わるセクハラは、モリカケ問題より優先されるべきなのだ。 さらに言えば、人権問題はLGBTQの人たちにとっては、そうでない人たち以上にセンシティブな問題であるはずだ。
・昔の欧米では、ゲイであるだけで逮捕されていた。ドイツの暗号エニグマを解読し、連合国側に勝利をもたらし、国家的英雄となった天才数学者チューリングも、戦後にゲイであることが発覚し逮捕され、自殺にまで追い込まれた。そのような歴史があるからこそ、同性愛者でゲイであることをカミングアウトしているマツコは、人権に関しては人一倍センシティブになるべきなのに、モリカケ問題のほうが重要と、人権問題に関してまったく理解していない。そして、人権問題はけっして、加害者と被害者の間の個人的な問題ではないのだ。
・ましてや今回の件は、後述するが、ジャーナリズム全体の問題でもある。言うまでもなく、ジャーナリズムもまた、民主主義を支える根幹である。マツコの発言は、人権問題に対してもジャーナリズムに対してもまったく理解できていないということであり、そのような人物にこの問題を語らせるマスコミにも問題がある。
・被害を受けたのがマスコミの女性記者なのに、自社ではなく週刊誌に情報提供したことへの疑義を唱えるコメンテーターも複数いる。たとえばある番組では、あるコメンテーターがこのように発言していた。 以下、『週刊新潮』4月18日発売号記事より引用 本当だったらああいうことがあったら自分が属しているメディアに対して言えばいいのに、(中略)事務次官の方だって当然、誰だってことは分かるわけじゃない。彼女自身がやりにくくないのかなあと思って」
・また、別の番組の別のコメンテーターも、下記のように発言している。 以下、『週刊新潮』2018年4月18日発売号記事より引用 女性記者の方だったら、なんでそれを週刊新潮さんに持っていくんですかね。自分でできないんですかね」 
・しかし世の中には、週刊誌では報道できても、テレビや新聞ではできない記事というものがある。週刊誌を先行させて、テレビ、新聞が後追いすることもある。素人ならともかく、コメンテーターとして長年テレビ番組に出ている人間がそのようなことを知らないはずがないし、知らなかったとすれば、メディアの特性や事情をまったく知らずテレビで発言していることになり、コメンテーターとしての資質に問題ありだろう。
▽「不適切」なことをしたのは いったい誰なのか
・かつて、田中角栄の金脈問題が大きな話題となった。1974年10月に発売された『文藝春秋』が田中角栄の大特集を掲載。この中で、立花隆が「田中角栄研究―その金脈と人脈」と題した記事で、次のように書いている。 以下、『文芸春秋』1974年10月発売号記事より引用 1969年から1970年にかけて田中ファミリー企業群が信濃川河川敷における約4億円で買収した土地が、直後に建設省の工事によって時価数百億円となった信濃川河川敷問題等の資産形成を暴き、児玉隆也の「淋しき越山会の女王」は越山会の金庫番である佐藤昭と田中の関係及び田中派内での佐藤の影響力を紹介し、2つの特集は合せて60ページに及んだ。
・この記事がきっかけで、当時総理大臣だった田中角栄に金銭スキャンダルが巻き起こり、最終的には内閣総辞職に追い込まれる。この記事は当時、文藝春秋の大スクープとされ、立花隆氏は一躍、スター・ジャーナリストになった。しかし実は、この記事で書かれたことは官邸周りの新聞記者なら誰もが知っていたことで、自社の新聞では報じられなかったという。これは僕も、新聞社の人間や雑誌の人間から何度も聞かされた話だ。
・報道畑の人間ならこのような話を知らないはずがないのに、「自社で報道しないで他の週刊誌に話したのはなぜか?」と発言するのはおかしい。事実、テレビ朝日は被害を受けたという女性記者が当初は上司にしていることを明らかにしている。 以下、『日刊スポーツ』2018年4月19日記事より引用 上司にセクハラの事実を報じるべきと訴えたが、上司は本人特定などの不安を理由に、難色を示したという。記者は、財務次官のセクハラ行為が黙認されることへの懸念から、自ら新潮サイドに連絡して取材を受け、録音の一部も提供したという。
・ちなみにテレビ朝日は、女性記者が週刊新潮に情報を提供したことを「不適切」としているが、これもまたセカンドレイプである。自社では報道できないネタを他社に流すことは、マスコミ業界ではよくあることだ。それで記者の間で貸し借り関係を作って、逆に情報をもらうこともある。そうやって動いている業界事情をテレビ局の人間が知らないはずがないし、そもそもこのネタは報告を受けながら捨てたネタだ。その捨てたネタを、しかも社会正義に関わるネタを他社の媒体に提供したことを、僕は「不適切」だとは思わない。
・テレビ朝日は「財務次官のセクハラ行為が黙認されることへの懸念」と言うが、誰だって追求されなければ黙認する。それを調査報道によって黙認できないようにすることがジャーナリズムの仕事ではないのか。また、ジャーナリストとして最も大切にすべきは、社内規定でもなく取材先の都合でもなく、社会的正義であるはずだ。財務事務次官のセクハラという大きな問題を追求することは、たとえ他社の媒体を使おうとも、ジャーナリストとしての正義だ。不適切なのは女性記者ではなく、情報を葬り去った上司のほうなのだ。さらに言えば、彼女がやったことを「不適切」と言うこと自体がセカンドレイプであることも、テレビ朝日は認識したほうがいい。
・セカンドレイプを防ぐためにも、なによりセクハラ自体を生まないためにも、セクハラ加害者には不寛容が必要だ。アメリカでは「#MeeTooムーブメント」の中で、ハリウッドの大物プロデューサーやニュースショーの大物司会者などが次々と追放、あるいは辞任に追い込まれている。
・今回福田氏は、セクハラ疑惑は完全否定している。しかし新潮報道では、被害女性は複数いるという。テレビ朝日以外のテレビ、新聞各社にも被害者がいるということだ。情報源が社内にいて、しかも記者なのだから、マスコミ各社は徹底的にこの問題を追及すべきだ。
・福田氏がもしセクハラをしていたとすれば、それは事務次官辞任で済むような話ではない。懲戒解雇すべき話だ。だからこそ、マスコミは真相追及する責任がある。今回の件は、まさに日本のジャーナリズムが問われているのだ。テレビ、新聞はのんきに週刊誌に負けている場合ではないのである。
・ちなみに、ジャーナリズム業界で最も栄誉ある賞とされているのがピューリッツァー賞だ。今年は、ハリウッドの大物プロデューサー、ワインスタイン氏などのセクハラ問題を報じた『ニューヨーク・タイムズ』と『ニューヨーカー』が受賞した。同賞事務局長のダナ・カネディ氏が語った受賞理由を、最後にお届けしておきたい。
・以下、『ハフィントンポスト』2018年4月17日記事より引用 権力と富を握り、弱みに付け込み性犯罪を犯す人間たちは、長い間被害者たちを抑圧し、野蛮な行為をし、黙らせた。(ニューヨーク・タイムズやニューヨーカーなどの報道機関は)その責任を追求した。その結果、全世界的に女性に対する性的虐待について深く考えるきっかけを与えた。 いまこの言葉は、日本のメディアに対しても突きつけられている――。
http://diamond.jp/articles/-/168388

第三に、健康社会学者の河合 薫氏が4月24日付け日経ビジネスオンラインに寄稿した「官僚セクハラを「色仕掛け」と批判する日本の闇 米国では「#Me Too」でピュリツァー賞」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・今回は「演じざるをえない人」というテーマで、アレコレ考えてみる。 今日はどんな問題が起きているのだろうか? またもや「マジか??」といった信じがたい対応を、頭のいい人たちは繰り広げているのだろうか?  ええそうです。先週、フツーでは考えられないような対応と反応が繰り返された、財務省の福田淳一前事務次官の“セクハラ事件”である。
・この件に関しては山のような意見が語り尽くされているので、もはやネタにするのも憚(はばか)られる。と同時に、本件に女である私が意見をちょっとでも述べた途端、「感情的」「フェミニスト」「女もセクハラする」と戦闘態勢に入る人たちが想像以上に多く、少々うんざりしている。 だが、これまで散々セクハラ問題を取り上げてきた身としては、書かざるをえない。
・といっても福田氏のセクハラ行為や、責任の取り方うんぬんに今さら言及するつもりはない。 被害者の女性記者に対する“美しい言葉”を利用した対応および意見について、だ。 「人権」という美しい言葉に乗じた、麻生太郎財務大臣及び財務省の「被害者出てこい!」発言。 「不徳のいたすところ」という謙虚な言葉に乗じた、テレビ朝日の「(週刊誌に音声データを渡したのは)報道機関として不適切な行為」発言。 「全体をみれば」というもっともらしい言葉を使い、「同社がどういう調査をしたか知らないが、会話の全体をみればセクハラに該当しないことは分かるはずだ」とした福田氏の発言。
・どれもこれも、わが国の“お偉い人”たちが自らの醜い感情を隠すために放った“正論”で、私の脳内の突っ込み隊は大騒ぎだった。だが、世間は意外にもそうではなかった。 例えば、私が先週水曜日にコメンテーターで出演したテレビ番組で、「財務省の対応について、『問題なし』「問題あり』『わからない』のどれか?」と視聴者に投票してもらったところ、次のような結果になった(この時点では、まだテレ朝の会見は行なわれていない)。 「問題なし」1023票 「問題あり」1770票 「わからない」309票
・問題ありが一番多いとはいえ、問題なしの意見も多いことに正直驚いた。 しかも、私が番組内で、 「福田さんの人権を守ることに異論はない。でも、それは、音声データの分析、編集の有無を検証すればいいし、録音された日付と場所に行っていないことは、当人の行動や携帯記録、お店の人たちへの聞き取りで潔白を証明できる」 と発言したことに対しても、 「それを財務省がやってるんでしょ? 訴えた人が出てこないことには正確なことはわからない」 という、私の知能では理解不能なTwitterをもらい困惑した。
・テレ朝の発言については「労働者である以前に人間である」ということに尽きる。女性記者の言動を責めるのはおかしいし、なぜ、事務次官を辞めてから公表したのかもひっかかる。 
・そして、何よりも驚いたのは、テレビのコメンテーターたちの中に、今回の事件発覚から最後の「全体発言」に至るまで、福田氏の発言に一定の理解を示す人が相当数いたことだ。 彼らは、 「でも、福田さんって、部下からの信頼も厚い、親分肌の人みたいですね」 「仕事だけじゃなく、遊びも上手い人みたいだからね」 などと繰り返した。
・事件がほぼ黒となってからは、「福田さんは悪いけど」と前置きをしながらも…… 「ハニートラップみたいのありますからね…」 「『やめてくださ~い』と『やめてください!』じゃ、まったく違うし」 「ジャーナリストなら、自局の上司を説得しなきゃ」 「色仕掛けで、情報取ろうとする姿勢がセクハラを生んでいる」 etc……。
▽「大年増の厚化粧」のときとまったく同じ
・ふむ。 これっていったいなんなのだろう? 被害者の女性が今回取った行動は、ここまで言われてしまうほど問題あるものだったのだろうか?メディアは福田氏や財務省の発言の「世間とのズレ」を指摘してたけど、スタジオで繰り広げられたコメントも不愉快だった。
・そう。あのときの“空気”と同じ。 小池旋風が吹き荒れた2016年の東京都知事選での、「大年増の厚化粧」(by 石原慎太郎氏)のときとまったく同じだ。 自他ともに認める“権力者”である石原元都知事が、増田寛也候補を応援する決起集会で 「大年増の厚化粧がいるんだな。これが困ったもんで、あの人は嘘つきだと思いますね」 と、攻撃したのを爆笑した壇上の男たち。ニヤニヤした対立候補の増田氏。
・「あの発言は、正直うま味があったのではないですか?」「あの発言は、ありがたかったのではないですか?」と、繰り返し小池氏に詰め寄ったメディアの記者。 さらには、アノ池上彰氏でさえ、 「(選挙戦では)厚化粧と呼んだ人がいましたが、『しめた』と思ったんじゃないですか」 と、小池さんに選挙速報後に迫った。
・もし、小池氏が「香水をプンプン臭わせているジジイがいるんですよ。これが困ったもんで、あの人は嘘つきだと思いますよ」と言ったら、男性たちは同じような質問を石原氏にしたのだろうか? 結局のところ「見下している」のだと思う。
・申し訳ないけど、私にはそう思えた。だって、年を重ねると疲れてもないのに「疲れてる?」と聞かれるから、どうしたって人前に出るときの化粧は念入りになる。男性が加齢臭に敏感になるのと一緒だ。 奇しくも社会学者の古市憲寿氏が、4月19日放送の「とくダネ!」(フジテレビ系)で、こう発言した。 「そもそも何がセクハラを生んだかということから考えるべきだと思います。 今、政治家や省庁幹部にテレビ局が取材しようとした時に、取材経験はそんなにないかもしれないけど、若くてかわいい女性記者を送り込もう、みたいなことが正直たぶんあると思うんですよ。そこで政治家と仲良くなってもらって、話をいろいろ聞き出すという、メディアの手法自体がセクハラを生みやすかった」
・一見正論を言っているようだが、私にはこの発言もまったく理解不能だった。 若くてかわいい女性記者を送り込む……? いったいいつの時代のコメントなのだろう。 どこまで女の人をバカにしているのか?  確かに一般企業に比べると、メディアの現場は男尊女卑の傾向はあるかもしれない。 だが、「若くてかわいい女性記者を送り込めばネタが取れる」と、マジで考えている上司がいたとしたら、残念ながらその人は無能だ。
・そんな下世話な考えでネタが取れるほど、相手はアホじゃないし、世の中は甘くない。色仕掛けに対しベラベラしゃべる人間のネタに、いったいどれほどの信憑性と価値があるというのだ。そのことは現場の人たちが一番分かっているはずだ。
・かつてテレビの出演者に対しても似たようなことを言う人たちがいた。「アイツは“女”を使って番組を取っている」と。 もし、ホントにそんなことでネタが取れたり、番組を取れるなら、女たちはもっと狡猾に女を使うぞ。その方が楽。そんなことで仕事がもらえるのなら、私だってこんなに必死に仕事に向き合わずに“女”だけを磨く。エステに行き、化粧を厚塗りし、打ち合せはすべて夜のバーにし、猫なで声ですり寄っていく……。 
・なんだかとってもバカにされた気がしてしまうのですよ。こんなことを言われるとね。 残念というか、ガッカリというか。 あ~、これが男女差別ということなんだなぁと痛感させられてしまうのである。 そうなのだ。今回の事件で私が感じた違和感は、色仕掛けという言葉に代表される、 男性=自立、独裁的  女性=従順、やさしい といった世間に蔓延(まんえん)するジェンダー・ステレオタイプだ。そして、こういうことを書くと、今度は「感情的」と。「なんでそんなに感情的になる?」と。いかなる文章にも、私は感情を込めているのに……。いったいどうしたらいいのか。自分でも情けなくなってしまうのである。
・人が持つ価値観には「意識できるもの」と「無意識のもの」がある。親の考え、子供の時によく見たテレビや雑誌で描かれていたこと、周りの人がよく言っていたことなど、社会に長年存在した価値観は「無意識のもの」で、ジェンダーの土台となる。 ジェンダー・ステレオタイプは、いわば“社会のまなざし”であり、社会が作り出した無意識の圧力だ。
・興味深い実験がある。 被験者の大人たちに(男女含む)に、生後3カ月の子どもとおもちゃのある部屋で3分間関わってもらうもので、3つの異なる条件を与え、大人たちの行動を比較した(以下)。 第1グループ:子どもは女児であると伝える 第2グループ:子どもは男児であると伝える 第3グループ:子どものジェンダーは伝えない
・その結果、 第1グループ:人形を用いて関わろうとした 第2グループ:プラスティックの輪を用いて関わろうとした 第3グループ:女性の被験者は自分なりにジェンダーを判断し、それにしたがって関わっていたが、男性の被験者は関わりを持とうとしなかった  つまり、大人たちは赤ちゃんが女か男かによって、赤ちゃんが好むであろうおもちゃで関わりを持とうとしたのだ。
・そして、こういった親たちの行動と共に、子どもは成長する。 3歳と5歳の子どもに、生後12カ月の赤ちゃんが遊んでいるビデオを見せるという実験で、ひとつのグループには「右側の赤ちゃんは女の子、左側の赤ちゃんは男の子」と告げ、もうひとつのグループには「右側は男の子、左側は女の子」と逆パターンを告げたところ…… なんとどちらのグループも「女の子」と告げられた赤ちゃんには、「弱い、遅い、無口、やさしい」と感想を述べ、「男の子」とされた赤ちゃんには「強い、すばやい、騒々しい、元気」といった感想を述べたのである(「生まれる―つくられる男と女」細辻恵子著より)。
▽社会的役割を演じることで成熟していく
・社会的動物である人間には、社会的役割を演じつつ自己を確立するというプロセスが組み込まれている。発達心理学用語ではこれを「社会化」と呼ぶ。 社会化の過程では、先の実験のようなジェンダー・ステレオタイプを植え付けられ、自らもそれに沿った言動を学んでいくので、社会化はジェンダー化の過程でもある。子どもが男性と女性の区別を知り、ジェンダー・ステレオタイプが刷り込まれていくのは2歳頃に始まり、5歳頃には「ジェンダー・ステレオタイプ」越しに他人を見る。
・フランスの哲学者ルネ・デカルトの「我思う、ゆえに我あり」という言葉は有名だが、米国の社会学者チャールズ・ホートン・クーリー博士は、「我々思うゆえに我あり」という名言を残した。 クーリー博士いわく、 「我々は自分の容姿や身のこなし方、さらには、目的や行為や性格や友達その他についての何らかの考えを、他人の心の中に想像し、その考えのいかんによって様々な影響を受ける」と。 社会的動物である人間は、常に他者との関係性で社会的役割を演じている。
・真に健康な人間とは、一方において個を確立するとともに、それが他者との分離を促進することなく、逆につながりを強化する。 「個」としての自己を生かすことと、「他者」との関係性の中で自己を生かすことを統合的に探索するプロセスを経ることで、私たちは成熟した人間になっていくのだ。
・他者との関係性の中で自己を生かすとは、社会的役割を“らしく”演じること。「演じる=悪」というイメージを持つ人がいるが、人間が健康的に社会の一員として生きるには、演じざるをえないのである。 新人らしく、学生らしく、上司らしく、部下らしく、先生らしく、リーダーらしく、父親らしく、母親らしく、年長者らしく……。それぞれの役割を“らしく”振る舞うためのスキルや能力を演じながら高めていくことで、自分の内面になかった感情や考え方、道徳的価値観などを育み、「自分は○○だ」と自分の居場所を社会の中に見いだしていく。  そこに性差は存在しない。人が人である以上、誰もが多かれ少なかれ「演じている」のだ。
・男性たちが「色仕掛け」と呼ぶことは、ただ単に「女らしく」振る舞っただけじゃないのか? もちろん仕事の場では「仕事人らしく」振る舞うことが優先されるので、「女らしさ」がそれを上回らないように気をつけなければならないこともあるだろう。 だが、今回の被害者の女性の言動は、果たしてそういったものだったのだろうか?
▽米国では「#Me Too」を合い言葉にピュリツァー賞
・福田氏がテレ朝の会見後も、セクハラを否定したことについて、夕方のニュースに出演していた某男性コメンテーターは、こうコメントした。 「僕ね、気持ちがわかるんですよ」と。 「僕もね○○にいるときに予算担当でね。みんなペコペコ頭さげてくるから、だんだんと自分がものすごい偉い人になったような気になった。すると何をやっても許されるって思っちゃうんですよ。だからね、そういう立場になった人は仕方がないんです」と。 ……。
・「仕方がない」は言い過ぎだと思いますよ。 肩書きは、他者の目を惑わす幻である。「社会的地位=自己の価値」と勘違いした人は、まるで子どものように自己中心的な感情だけの幼稚な人間に成り下がる。だからこそ、自己=自分を律する「個」を磨き続けなければならないんじゃないのか?それがリーダーに求められる資質なんじゃないのか?
・日本でセクハラ事件が盛り上がっている頃、米国では「#Me Too」を合い言葉に、社会のセクハラに対する見方を一変させたニューヨーク・タイムズ紙とニューヨーカー誌が、ピュリツァー賞を取った。 「裕福で権力を持つ性的搾取者を暴き出し、抑圧や残虐性、口止めに対する責任を追及し、女性への性的虐待を償わせる衝撃的な報道だった」(by カネディー事務局長)
・いろいろと意見はあると思う。でも、「セクハラを生み出す構造や環境」だけではなく、「私」たち自身が(男女に関係なく)、セクハラと正面から向き合う必要があると思う。 もちろん、私、自身も……。
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/200475/042300156/?P=1

第一の記事で、 『一般的に、ハラスメントをする人は、それがハラスメントであるという認識がないから、ハラスメント行為に出てしまうのだ。「ハラスメントをしよう」という明確な意思をもって、ハラスメント行為に出る者はまずいない。 そして、相手から異議申し立てをされた際には、決まって「そのような認識はなかった」と言い訳をする。しかし、それは言い訳になるどころか、却って本人の「意識の低さ」を露呈する結果となってしまう』、というのは、「認識」という言い訳を見事に論破している。 『一番の問題である「お願い」文書』、の指摘はまさに正論だ。
第二の記事で、 『「同省記者クラブの加盟各社の女性記者に調査への協力を要請」だ。これではまるで、取材源を明らかにしろとマスコミに迫っていることになる。ジャーナリズムのなんたるかがまったく理解できていない』、との指摘は私も気づかなかった重要な論点だ。 『特に劣悪だったのが、ワイドショーのコメンテーターたちだ。まるでセクハラを容認するかのような発言を、こともあろうに女性コメンテーターがしている』、というのは、ワイドショーを殆ど観ない私には、ここまでレベルが低いのかと驚きであった。あるいは、安部政権が放送法改正の意向をリークしたので、「忖度」したのだろうか。 『テレビ朝日は、女性記者が週刊新潮に情報を提供したことを「不適切」としているが、これもまたセカンドレイプである。・・・そもそもこのネタは報告を受けながら捨てたネタだ。その捨てたネタを、しかも社会正義に関わるネタを他社の媒体に提供したことを、僕は「不適切」だとは思わない』、というのはその通りだ。テレビ朝日は「ニュースステーション」でコメンテーターの古賀茂明氏を降板させることで、政権への恭順を示したが、その体質が続いているのだろうか。
第三の記事で、 『今回の事件で私が感じた違和感は、色仕掛けという言葉に代表される、 男性=自立、独裁的  女性=従順、やさしい といった世間に蔓延(まんえん)するジェンダー・ステレオタイプだ』、 『社会的動物である人間には、社会的役割を演じつつ自己を確立するというプロセスが組み込まれている。発達心理学用語ではこれを「社会化」と呼ぶ。 社会化の過程では、先の実験のようなジェンダー・ステレオタイプを植え付けられ、自らもそれに沿った言動を学んでいくので、社会化はジェンダー化の過程でもある。子どもが男性と女性の区別を知り、ジェンダー・ステレオタイプが刷り込まれていくのは2歳頃に始まり、5歳頃には「ジェンダー・ステレオタイプ」越しに他人を見る』、 『「セクハラを生み出す構造や環境」だけではなく、「私」たち自身が(男女に関係なく)、セクハラと正面から向き合う必要があると思う』、などの指摘は、大変、面白く、大いに参考になった。さすが河合氏である。
タグ:ハラスメント 日経ビジネスオンライン ダイヤモンド・オンライン 現代ビジネス 河合 薫 竹井善昭 原田 隆之 (その4)(福田財務次官セクハラ問題:「セクハラ調査お願い文書」からほとばしる財務省の強権体質、セクハラ問題で財務省とマスコミが露呈した絶望的な無理解、官僚セクハラを「色仕掛け」と批判する日本の闇) セクハラ・パワハラ・アカハラ 「「セクハラ調査お願い文書」からほとばしる財務省の強権体質 どれだけ呆れてもきりがないレベルだ」 スキャンダル連発の財務省 女性蔑視やセクハラに対する意識の低さ 「悪ふざけ」 一番の問題である「お願い」文書 「セクハラ問題で財務省とマスコミが露呈した絶望的な無理解」 ジャーナリズムの大原則を無視した財務省の対応 「取材源の秘匿」 財務省の調査協力依頼は、被害者女性のこのような心理をまったく無視したものであり、明らかなセカンドレイプである 劣悪だった ワイドショーのコメンテーターたち テレビ朝日は、女性記者が週刊新潮に情報を提供したことを「不適切」としているが、これもまたセカンドレイプである 「官僚セクハラを「色仕掛け」と批判する日本の闇 米国では「#Me Too」でピュリツァー賞」 何よりも驚いたのは、テレビのコメンテーターたちの中に、今回の事件発覚から最後の「全体発言」に至るまで、福田氏の発言に一定の理解を示す人が相当数いたことだ 社会的動物である人間には、社会的役割を演じつつ自己を確立するというプロセスが組み込まれている。発達心理学用語ではこれを「社会化」と呼ぶ 社会化の過程では、先の実験のようなジェンダー・ステレオタイプを植え付けられ、自らもそれに沿った言動を学んでいくので、社会化はジェンダー化の過程でもある 子どもが男性と女性の区別を知り、ジェンダー・ステレオタイプが刷り込まれていくのは2歳頃に始まり、5歳頃には「ジェンダー・ステレオタイプ」越しに他人を見る 、「セクハラを生み出す構造や環境」だけではなく、「私」たち自身が(男女に関係なく)、セクハラと正面から向き合う必要があると思う
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クールジャパン戦略(その6)(世界で「クールジャパン」が苦戦する原因、一風堂ニューヨーク店の成功でわかった日本人の「ヒドい勘違い」 日本ブームで何でも売れる は大ウソ、「クールジャパン」はこんなにひどいことになっていた) [経済政策]

クールジャパン戦略については、昨年8月14日に取上げた。今日は、(その6)(世界で「クールジャパン」が苦戦する原因、一風堂ニューヨーク店の成功でわかった日本人の「ヒドい勘違い」 日本ブームで何でも売れる は大ウソ、「クールジャパン」はこんなにひどいことになっていた)である。

先ずは、モナッシュ大学マレーシア校 スクールオブビジネス ニューロビジネス分野 准教授の渡部 幹氏が昨年11月8日付けダイヤモンド・オンラインに寄稿した「世界で「クールジャパン」が苦戦する原因」を紹介しよう(▽は小見出し)。
▽マレーシアのイセタンはなぜダメなのか?
・世界で「クールジャパン」が苦戦中と伝えられる原因とは――  「クールジャパン」のイベントが軒並み苦戦しているというニュース(記事はこちら)を読んだ。その中にも紹介されていたが、マレーシアの首都、クアラルンプールの中心部での、イセタン(伊勢丹)・ジャパンの苦戦ぶりが伝えられていた。
・そのイセタンには、開業以来、筆者も何度も足を運んでいる。「本物の日本」を売り込もうとするコンセプトのもと、ここでしか手に入らない優れた日本の品々が並んでいるからだ。だがその一方で、残念ながら、地元の人々の心をつかむのは難しいとも感じた。 例えば開業直後、食品売り場には、日本の麺類が多数置かれていた。そばだけでも、二八、十割、更科など、なかなか日本でも見かけないくらい素晴らしい品ぞろえだった。そばつゆも、市販のものから、さまざまな産地特産のユニークな出汁までたくさん揃えてあった。
・筆者が感心して見ていると、中華系マレーシア人と思しきカップルも興味深そうにみている。見るからに裕福そうな彼らは、店員にこう尋ねた。 「Do you have Towari-soba, which is made from 100% Soba-flour? (そば粉100%で作った、十割そばはありますか?)」 十割そばを知っているとは、かなりの「日本通」だと思った。 だがマレーシア人の店員が「これですよ」と指さしたのは、二八そばだった。失礼とは思ったが、筆者はその場に割り込み、十割そばの場所を教えた。
・その後、そのカップルは再び店員に、「そばつゆはどこですか」と尋ねた。店員が指さしたのはなんと醤油のコーナーだった。差し出がましいとは思ったものの、再び筆者はそばつゆのコーナーへ彼らを案内した。  この一件から、店員の教育がうまくいっていないことがわかる。まず、マレーシア人の店員自身、そもそも「そば」というものについてほとんど知らないはずだ。そこで、二八とか十割とかいきなり言われても何のことか、何が違いなのかも分からないし、学ぶモチベーションも低いだろう。
▽クールジャパンに欠けている「おもてなし」の精神
・彼らに「意識の高い」マレーシア人富裕層を惹きつける商品説明をさせるためには、相当な教育が必要なはずだ。しかし、コストと時間を考慮すれば、そのような教育が効率的とは思えない。 ならば、製品の説明を事細かに書いた解説を各所に置いておき、「本物の日本」に興味のある富裕層マレーシア人の購買意欲を刺激するような工夫が必要だと筆者は感じた。
・この例の根底にあるのは、「マーケティング不在」だと筆者は思っている。ターゲットである、日本に興味のあるマレーシアの富裕層の購買意欲を刺激するような情報をうまく与えなくては、購買行動まで結びつかない。上記の例のように、せっかく興味を持って売り場に来てもらっても、それを削ぐような案内をしていては、売れるはずがない。
・冒頭に挙げたニュースでは、クールジャパンを「戦略なき投資」と見ている。極端にいえば、相手国の事情や文化について深い考察をせずに「ジャパンってクールだろ?」と「日本の押し売り」をしている、と見ているのだ。 もともと日本の「おもてなし」は、きめ細かなマーケティングが基本のはずだ。京都のお茶屋である「いちげんさんお断り」は、排他的な意味ではなく、紹介者によってお客の好みを把握し、個人のニーズを満たす「カスタマイズされた」サービスを提供するためのものだ。
・オバマ元大統領が現役時に来日したときには鮨、今回来日したトランプ大統領は鉄板焼きでおもてなしをしたのも、個々人の好みをリサーチしてのことだろう。
▽マーケティングなき押し売りはかつての「アメ車」と同じ
・日本は親米度の高い国だが、かつて左ハンドルで図体が大きく、燃費の悪いアメリカ車が、日本用のカスタマイズをしないまま、日本市場に来て大失敗したことは、誰しも知っているだろう。日本人からしてみれば、いくらアメリカのことが好きでも、そんな仕様の車に日本では乗れるわけがないと感じるのは当然だ。「アメリカの押し売り」だからだ。
・同じことを、外国人は「日本の押し売り」について感じているはずだ。マレーシアは東南アジアの中でも、相当の親日国だ。好きな国の第1位は、自国を抜いて日本になるくらいなのだ。だがそれに胡坐をかいて、マーケティングなしで日本を売り込んでも、うまくいくはずがない。
・先日、日本の老舗着物屋と、シートベルトを使ったバッグなどを生産するマレーシアの社会起業家が組んで、新しい製品を開発。その発表会を、日馬国交60周年イベントとして行った。 そのイベントはかつてない盛り上がりを見せた。何よりもマレーシアメディアの取り上げ方が、他の周年イベントとは比較にならないくらい大きかった。日本の老舗伝統企業が、マレーシアのベンチャー企業と意気投合し、真の意味で「日本とマレーシアのコラボ」を実現してみせたことが、現地の人々にとって大きな喜びとなったのだ。 それは、マレーシアの文化を深く知り、マーケティングをしたうえでのコラボーレーションだから成しえた成功だと筆者は考えている。
・日本製品は優れている、日本文化は素晴らしい。筆者もそう感じる。だが、それを世界に知ってもらうには、現地の人々の文化や考えを真摯に知ることがまず必要なのだ。
http://diamond.jp/articles/-/148554

次に、『最強の働き方』『一流の育て方』著者で投資家/ビジネス作家のムーギー・キム氏が2月23日付け現代ビジネスに寄稿した「一風堂ニューヨーク店の成功でわかった、日本人の「ヒドい勘違い」 日本ブームで何でも売れる、は大ウソ」を紹介しよう(▽、○は小見出し)。
・「世界MBAランキング」で、直近2年連続で世界第1位、名実ともに世界最強の経営大学院「INSEAD(インシアード)」。世界80か国以上から学生が集まり、グローバル性、多様性を大きな特徴とするこの大学院、いったい何がそれほどすごいのか。 ビジネスパーソンのバイブルとも呼ばれる大ベストセラー『最強の働き方』『一流の育て方』、最新刊『最強の生産性革命』(竹中平蔵氏との共著)の著者で、自らインシアードの卒業生でもあるムーギー・キムさんをガイド役に、「世界最強の経営大学院」が生み出す人材たちの「最強の仕事術」に迫る。《これまでの連載はこちら》 
▽「ほっけの開き1枚40ドル」の世界もあるけれど
・シンガポールや香港に住んでいると、日本食の人気と価格に驚かされる。 寿司の値段は3倍、味のクオリティは格段に落ちるが、行列のない日本料理屋は海外には存在しない。 最近、シンガポールのリバーバレー(日本人駐在員に人気の地域)にある和食チェーンで、ほっけの開きを注文してビックリ。小ぶりのほっけ一枚が、実に40ドルという恐ろしい値段で売っているのだ。
・マンダリンオーチャード(シンガポールを代表する五つ星ホテル)の中にある最高級寿司店「はしだ」に行けば、二人でおまかせを食べて、軽く獺祭を一本入れるとその値段は1500ドル。それでも予約は途切れず、いつ行こうとしても予約で一杯である。
・近年の世界的な和食ブームで、世界各国で日本料理店の進出が目立つようになっている。「いきなりステーキ」のニューヨークでの快進撃の話などを聞くと、我も我もと海外進出を考える飲食店が出てくるのもわからないではない。 しかしながら、メディアで取り上げられる成功例の陰には、数えきれないほどの死屍累々とした「海外進出失敗組」がいることを忘れてはならない。
・今回のインシアード卒業生は、ニューヨークで飲食に限らず日本発サービスの海外進出をサポートする斎藤晃さん。「海外進出に失敗する日本人の残念な特徴」と「成功の秘訣」について、ニューヨークからの現地レポートを届けていただこう。
▽「自動車、ハイテク製品、寿司」は過去の話
・「3か月以内に売上伸ばせなかったらクビ」と上司から宣告され、泣かず飛ばずの時期を何度も乗り越えて、ニューヨークを拠点にコンサルタントを5年以上やってきました。仲良くなった同僚が突然クビになるのを目の当たりにし、次は自分の番かと怯えながら、恥ずかしい失敗を何度も重ね、何とかいままで食いつないでいます。
・サバイバルのためには、利益率の良いアメリカのコンサルティング案件だけやっていればいいものを、採算度外視でつい熱が入ってしまうのが、日本発の海外進出案件です。海外に住む日本人ビジネスマンとしては、日本のものが売れていくのは、ただ単純にうれしいものなのです。
・日本と言えば、高品質な自動車、ハイテク製品に寿司……というのはもう10年、20年も前の話。いまニューヨークで一番勢いがあるのはラーメン、アニメにゲームです。日本発のオリジナリティとクリエイティビティが求められているのです。
・日本を海外に売り込む可能性はまだまだあると思います。いくつもの案件に携わってきた経験から、日本人が海外で事業展開するときに陥りがちな失敗と、最低限これだけはやってほしいと思う秘訣を紹介したいと思います。海外進出を考えていない人にとっても、足もとのビジネスを見つめ直す役に立つのではないでしょうか。
▽アメリカに進出する日本人の誤解「あるある」
○ありがちな失敗(その1)「日本」と言えば売れると思っている
・確かに世界で和食店は増えています。寿司のファンも多いです。だからといって、世界中で日本ブームが巻き起こっていると思うのは、いくらなんでも勘違い。日本に好意的な印象を持っている人は多いと感じますが、実際のビジネスでお金を払うかどうかはまた別の話。ましてや「メイドインジャパンなら売れる」的な考えは、時代錯誤もはなはだしいというほかありません。
・けれども、筆者が初めてお会いするクライアントのなかには、そんな安易な考えに頼っている方が少なくありません。ニューヨークの人から見た東京というのは、東京の人からみた日本の地方都市のようなイメージ。東京は聞いたことはあるし、ある程度は認めるけど、ニューヨークで通用するかは別の問題でしょ、という感じなのです。
○ありがちな失敗(その2)「モノさえよければ売れる」という誤解
・日本には「いいモノを作れば売れる」という、一種のものづくり信仰があります。しかし、アメリカではそうはいきません。「何も言わなくても、わかる人にはわかってもらえる」などというのは甘い幻想です。過去の製品からの性能向上をアピールするだけでも不十分で、これまでにない目新しさや、どう役に立つのかをアピールすることが求められます。
・日本の商品をニューヨークに売り込みたいという人に共通なのは、商品ありきのプロダクトアウトの発想で話がはじまることです。最初に相談されるのはたいてい、「日本で作ったいい商品があるんだけど、アメリカで売れないか」。「アメリカにある課題を解決できるから、アメリカに進出したい」と考えている人に会ったためしがありません。
・また、日本(本社)側の事情で、アメリカでの売上目標があらかじめ設定されている場合が多いことにも驚かされます。日本での売れ残りを売り切るのが販売目標ということもありました。アメリカ市場の状況を考えずに、国内事情ありきで話が進んでいるので、現実離れしたプランを聞かされることもよくあります。 外国で成功したいなら、その国のどんな課題に対してあなたの商品がどう役に立てるのか、そのことをしっかりと考える必要があります。
▽堂々と語れば、自然と貫禄が出てくる
・では、海外展開で成功するためにはどうしたらよいのでしょうか。その秘訣はいくつもあるのですが、日本人にとって特に重要と思われる3点について紹介しましょう。
①あたかもその分野の第一人者として、商品の課題解決機能をひと言で表現する
・まず大切なのが、進出先の地域でオンリーワン・ナンバーワンの存在として、自分たちの売ろうとしているモノやサービスが、買い手の課題をどう解決できるのか、ひと言で説明できることです。買い手がその商品を買うべき理由を、堂々と淀みなく一文で説明してください。 
・ニューヨークは世界中からさまざまな個性を持ったモノやサービスが集まる場所。次々と新しいものが出てくる競争のなかでは、たとえ日本でナンバーワンであっても、ニューヨークにすでにあるもののコピーと見られてしまったらお終い。逆に、日本では2番手、3番手、いや10番手でも、ニューヨークでオンリーワン・ナンバーワンならチャンスはあるのです。
・筆者もコンサルティングというサービスを売っている一人です。何度も失敗を重ねました。 東京での実績をアピールしても大した関心が得られず、「で、私の課題をどう解決してくれるの?」と聞かれ、こちらが必死に答えようとしているうちに相手の興味が失われていくのがわかり、あっという間に打ち切られたことも幾度となくあります。アピールポイントを間違えたために、5分でミーティング終了ということもありました。
・それがうまく行きだしたのは、自分を「世界最高水準の日本の製造業のオペレーションで実績のあるコンサルタント」とひと言でアピールするようになってからです。正直言って、日本の製造業コンサルタントのなかでは平均程度の私ですが、ニューヨークでは珍しいタイプのハイレベルな経験をもった人材とみなしてもらうことができたのです。
・一つのトピックに精通した人間として堂々と語りだすと、貫禄のようなものが出るのでしょうか。相手は一目を置いて話を聞いてくれるのです。 なお、筆者は英語が堪能ではありませんが、それは問題ではありません。自分の専門分野に関する単語とアピールするための表現はしっかり覚えて、あとは自信たっぷりにふるまうことです。英語の文法や発音をエレガントにするための努力よりも、伝える中身で勝負しましょう。
▽「和牛」を宝飾品と同様に扱う発想
②ストーリーを語る~和牛とラーメンがニューヨークで売れているワケ
・「日本で人気」と言えば、アジア圏なら売れるかもしれませんが、ニューヨークではそうはいきません。あらゆるモノやサービスが身のまわりに揃っているニューヨーカーは、商品を買うにあたってあっと驚くようなストーリーを求めています。買い手にとって、その商品を買うことがどのような体験なのかをわかりやすく伝える必要があります。
・たとえば、「和牛」に関する私の経験をご紹介しましょう。 ニューヨークでは、和牛の値段は米国産高級ステーキ肉の3倍はします。そこで、近所のスーパーの陳列棚に並べるような売り方ではなく、洋服や宝飾の高級ブランドと同じように扱う必要があると考えました。 具体的にはどうしたかと言うと、タキシードを着たウェイターが和牛を桐の箱に入れて顧客に見せつつ、「この牛にはビールを飲ませ、モーツァルトを聴かせて育てたんです」といったエピソードを披露し、注文する時点からスペシャルな体験を演出しました。
・ストーリーを変えることで、同じ商品でもこれまでと違う価値をアピールして買ってもらえるようにもなります。
▽「一風堂ニューヨーク店」の成功に学ぶ
・ラーメン「一風堂」はこの点でとても成功しています。 一風堂ニューヨーク店は、混雑時には席に着くまで60分待ちという超人気店。待ち時間はウェイティングバーでカクテルを飲みながらゆっくりと過ごします。日本人の抱くラーメン店のイメージからは遠く離れた、おしゃれなデートスポットなのです。
・席に着いたら、まずは前菜をつまみながらワインを飲み、落ち着いたところでラーメンを食べて、最後にデザート。みなフルコースのディナーを2時間かけて楽しんで帰ります。ラーメン1杯で20ドル、お酒も合わせると2人で合計150ドル支払うこともざらにあります。
・日本では、ラーメン1杯1000円以下という感覚が染み込んでいますが、アメリカ人にはそういう思い込みはありません。日本人がおしゃれなイタリアンで前菜・パスタ・デザートにワインを飲むデートに2人で1万円使うのと同じ感覚で、ニューヨーカーにラーメンを食べてもらうことに成功した一風堂の作戦勝ちです。
・海外現地に住んでいる人と同じ視点に立って日本を見つめ直し、相手があっと驚くようなストーリーを生み出すことができれば、日本で売られているのと同じ商品を別の付加価値があるものととらえて、喜んでお金を払う人たちがいるのです。
③失敗をおそれないガッツを持つ~優秀さより、ガッツが重要
・アピールポイントが見えてきたところで、次はどう売り込んでいくかです。この問題の最良の解は、失敗を覚悟で「数を打つ」ことでしか見つかりません。失敗しても失敗しても、トライをくり返すことです。 私もこれは苦手でしたが、同僚のインド人が目を覚ましてくれました。彼は自分の営業のため、片っ端から電話しまくっているのです。そのしつこさで嫌がられることも多いのですが、コンタクトする量が多いので気がつくとトップクラスの売り上げを達成していました。
・受注確率を上げるよりも、圧倒的なコンタクト量を作るほうが受注を増やすための近道だと、彼のおかげで気づかされました。実際やってみると、やはりことごとく断られるのですが、「ニューヨークは失敗が許される街だからハートを強く持て」「失敗の量が少ないやつは成功しない」と同僚や上司に励まされ、とにかく続けています。
・「とにかく数を打て」だなんて、MBAホルダーの体験談なんだから、もっと深みのあるサジェスチョンを……と思われる方がいらっしゃるかもしれません。しかしこれこそが、私がインシアードに入学して間もなく教わったことなのです。 インシアードに留学して最初に受けた講義のゲストスピーカーに「インシアードに入学した時点で君たちが優秀なのはわかったから、これ以上の勉強は必要ない。君たちがビジネスで成功するために必要なのは『ガッツ』だ」と言われました。これから勉強しようという人に何てことを言うんだろうとそのときは思いましたが、いまは本当にその通りだと思います。
▽トライ&エラーのサイクルを回しまくれ
・海外に住んでいると日本の商品の良さをますます実感して、日本がまるで宝の山に見えてきます。とりわけ、アメリカは日本の数倍の市場規模があり、日本ファンも多いので、商品を売り込むチャンスはいくらでもあります。実際に売り上げを伸ばしている例を、私自身もたくさん目にしてきました。
・いまのニューヨークで新規事業を成功させるには、トライ&エラーをくり返してサイクルをどんどん回し、実験の量を速く多くこなすのが一番の近道だと言われます。第一線のビジネスパーソンたちはみなそれを実践しているのです。うまくいかないことも一つの成果と思って、どんどん前に進んでいくことが何より大事なのです。
・日本製品というだけでは売れず、東京で売れたからと言って世界では売れません。いかに現地で目立てるのか、いかにストーリーで付加価値をつけるのか、そして優秀さではなくガッツで負けないハートが、ニューヨークに限らず海外進出を成功させる三大要素なのだと思います。
(今回のインシアード卒業生:齋藤 晃(さいとう・あきら)  名古屋大学工学部を卒業後、外資系コンサルティング会社に勤務。2007年からINSEADへMBA留学。卒業後にコンサルタントとして拠点をニューヨークに移し、北米、中南米、ヨーロッパ、アフリカなどの企業のグローバル展開を、市場参入、現地組織・オペレーション立ち上げ、グローバル統合まで幅広く支援。)
http://diamond.jp/articles/-/148554

第三に、政治・外交ジャーナリストの原野 城治氏が4月23日付け現代ビジネスに寄稿した「「クールジャパン」はこんなにひどいことになっていた もちろん、最終評価は先の話だが」を紹介しよう(▽は小見出し)。
▽クールジャパン投資事業で44億円の損失
・大々的に喧伝されてきたクールジャパン政策が迷走している。 日本の文化を海外に紹介し、マンガ・アニメ、食、ファッションなどの輸出を支援すると官民ファンドの産業革新機構が投資した事業が成果ゼロのまま次々に打ち切られ、その株式が民間企業に極めて廉価で売却されている。
・中には20億円以上の「全損」案件もあり、税金の無駄遣いがはなはだしい。特に、2013年11月に鳴り物入りで設立された「海外需要開拓支援機構」(クールジャパン機構、東京都港区)のいくつもの投資事業案件が苦戦続きとなっている。 会計検査院は4月13日、アベノミクスの推進役として相次いでつくられた官民ファンドの投資損益調査結果を発表した。それによると、2017年3月末時点で全14のファンドの4割強にあたる6つのファンドが損失状態になっていることが判明した。
・言うまでもなく、官民ファンドの財源の大半が公的資金(税金)である。日本文化・インフラの輸出促進やベンチャー支援などのため企業や事業に投融資し、ファンドごとに保有株売却などで最終的に利益を確保、回収前することを目指している。 もちろん、官民ファンドの中には利益を上げて順調なところもある。しかし、出資先の純資産などをもとに時価評価額を試算したところ、6ファンドで回収額と保有株などの評価額合計が投融資額を下回り、損失状態となっていた。
・各ファンドは10~20年程度の設置期間を終えるまで運用実態が外部から見えないだけに、この損失状態を放置するとリスクを膨らませる可能性が高い。 その中でも、クールジャパン機構の損失が突出している。具体的には、2017年3月末時点での投融資17件、総額約310億円のうち損失は約44億円に上る。「森友学園」へ国有地売却での8億円値引き疑惑に劣らぬ無責任ぶりだといえる。
・当然、官民ファンドの損失が拡大すれば、今後は省庁をまたぐ再編が政治問題化するのは避けられず、当然、クールジャパン機構もその統廃合の対象になる可能性が高い。
▽中身の薄い官製”クール”
・第二次安倍政権の誕生(2012年12月)のあと、内閣府、経産省の主導で開始された「クールジャパン戦略」は、外国人が〝クール″ととらえる日本の魅力を情報発信して、海外への商品やサービスを展開、さらに観光によるインバウンドの増加を図ろうというもの。
・アベノミクスが掲げる成長戦略のひとつの柱であり、クールジャパン機構が大々的に事業を展開してきている。 同機構の名称からすると文化事業と勘違いするが、コンテンツへの補助金を配分する機関ではなく、海外需要を取り込むため民間事業者に対し投融資で支援する組織である。換言すれば「日本の魅力」を産業化し、海外需要獲得のためリスクマネーの供給を軸とする民間企業支援を行うというものだ。
・しかし、ブランド戦略である「クールジャパン」の戦略的コンセプトはイメージ先行で、コアが判然としない。  経産省商務情報政策局によれば、〝クール″とは「日本の生活文化の特色を生かした商品又は役務を通じて日本の生活文化が海外において高い評価を得ていること」と官庁用語で説明をするが、要は外国人がクール(かっこいい)と捉える日本の魅力のに他ならない。
・具体的にはマンガ・アニメ、ゲーム、ファッション、食、伝統文化、デザイン、ロボット、環境技術などを挙げている。しかし、マンガ・アニメを除けば、先進国の大半が広報戦略で普通に挙げる項目の羅列に過ぎない。官製クールの〝薄っぺらさ″が透けて見える。
・この中で、最も無責任な失敗投資が株式会社「ALL NIPPON ENTERTAINMENT WORKS」(ANEW)といえるだろう。 ANEWは、経産省が主導し官民ファンド・産業革新機構が2011年に総額60億円、100%出資という形で設立された官製映画会社である。その事業目的は、コンテンツの海外展開として日本の知的財産を活用しハリウッドで映画を製作するというものだった。
・しかし、ANEWは映画7作品の企画開発を打ち上げたが、1本も映画制作に至ることなく、2017年5月にベンチャーキャピタルに3400万円という破格の価格で身売りした。その結果、産業革新機構が投資した22億2000万円の出資をほぼ全額が損失した。
・設立当時から問題を抱えたANEWは日本側の最高執行責任者が次々と交代し、国会でも追及されたがうやむやになり、困った果てた末に損切り。しかも、身売り先の新会社は、所在地も人員も旧ANEWの業務執行体制を引き継いだだけ。不透明極まりない身売りだといえるだろう。
・官製クールジャパンの甘い計算で巨額公的資金が消えた出来事と指摘できる。関係者によると、6年間の総売上高が1500万円にも関わらず、外国人幹部には1回のボーナスで2000万円を支払っていたというような杜撰な経営が行われていた。
▽低空飛行の海外放送事業
・特に注目度の高いクールジャパン機構の出資金は2017年4月時点で、政府出資586億円、民間収支(正しくは「出資」?)107億円で総額693億円に上る。対象は、1)メディアコンテンツ、2)ライフスタイル、3)食・サービス、4)インバウンド、5)分野横断――の5ジャンルで、既に25件、約529億円が投資されている。
・ところが、設立から満4年を経過した時点で、投資案件の4割にあたる事業で赤字が累積しているという苦戦状況だ。 同機構の太田伸之社長は、『月刊経団連』(2017年5月号)への寄稿で、日本の魅力的コンテンツの海外展開の呼び水として、〝空中戦″の海外放送事業「WAKUWAKU JAPAN」と〝地上戦″の全館クールジャパンの百貨店「ISETAN the Japan Store」(クアラルンプール)を紹介しているが、この代表的案件がともに迷走状態にある。
・海外放送事業「WAKUWAKU JAPAN」は、スカパーJSATとの合弁事業で、日本のアニメ、ドラマ、スポーツ、音楽、情報などの番組を現地語で放送し、2020年までに22カ国で展開するのが目標。 しかし、著作権や版権さらにはコンテンツ自体の質的問題などから番組の視聴率は低迷し、赤字を垂れ流している。「日本へのインバウンド誘導に貢献できる」と太田社長は強調したが、電通関係者によると「やればやるほど赤字が増える」というのが実情のようだ。
▽アグリージャパンとならぬように
・地上戦″の代表例として挙げられた「ISETAN the Japan Store」も、2016年10月末にクアラルンプール中心部に地下1階、4階までという日本商品だけを展示したデパートとしてオープンしたが、歓迎されたのは初めだけ。 太田氏は「この店を舞台に日本のテレビ局がドラマを製作、マレーシアでも人気となった」(同誌)と自賛したが、現地の価格設定がバラバラで高すぎる上に、ありきたりな酒、寿司、そば、工芸品といった展示は自治体の「アンテナショップ」の拡大版でしかないというのが現地の冷めた評価だ。
・計画を推進した三越伊勢丹ホールディングス(HD)の大西洋前社長も2017年3月、独善的な経営手法が批判を浴びて突然失脚した。 現地の在留邦人の間では「マレーシア進出の日本企業は3年以内に7割が撤退」というジンクスがある中、日本製品特化のデパートはまさに、スタートから採算度外視のビジネスだとしか言えないのかもしれない。
・クールジャパン機構はそれに10億7000万円を投資している。日本ブランドの紹介で日本への観光インバウンドを期待することのようだが、税金が投入されている組織の仕事としては十分な説明が必要だ。そもそも、〝クールジャパン″は商売用の看板ではない。 しかも、投資案件は出資した民間企業23社(1社5億円、地方銀行2行は1億円)が手掛ける事業への投資が目立つ。
・三越伊勢丹HDもその1つだが、ニューヨークで人気のあるラーメン店「一風堂」を展開する「力の源ホールディングス」に7億円を投資し、ラーメンダイニング形式の店舗を展開している。融資枠は最大13億円まで確保されている。 しかし、海外展開を望む他の中小サービス企業への支援ならいざ知れず、海外で認知度が高く営業利益を上げている有力企業に敢えて支援する理由が分からない。
・さらに問題なのは、クールジャパン機構内で今年2月に従業員に対するセクハラ問題が表面化し裁判沙汰になるなど、組織自体のガバナンスも極めに杜撰としか言いようのない状況に陥っていることだ。 経産省は3月、クールジャパン機構の太田社長を6月開催予定の定時株主総会で、ソニー・ミュージックエンタテイント元社長の北川直樹氏に交代させる人事を発表した。
・組織立て直しの意図は明瞭だが、果たしてこうした人事で〝クールジャパン″の現場に立ち込める不可解な霧が晴れる保証はどこにもなさそうだ。 もちろん、投資案件は10年の期間を経て最終的に評価されるが、他の官民ファンドの苦戦状況と合わせて考えれば、省庁をまたぐ官民ファンドの整理や統廃合問題の中で、クールジャパン機構もその対象になる可能性は十分にある。
・官庁主導の"クールジャパン"はクールでないとの批判が常にあるが、いい加減な事業展開を続け一部で言われる「アグリージャパン」にならないよう最大限の注意が必要だろう。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/55359

第一の記事で、クアラルンプールの中心部での、イセタン(伊勢丹)・ジャパンで、 『日本でも見かけないくらい素晴らしい品ぞろえだった』、なのに、店員の商品知識がないという問題に対し、 『彼らに「意識の高い」マレーシア人富裕層を惹きつける商品説明をさせるためには、相当な教育が必要なはずだ。しかし、コストと時間を考慮すれば、そのような教育が効率的とは思えない。 ならば、製品の説明を事細かに書いた解説を各所に置いておき、「本物の日本」に興味のある富裕層マレーシア人の購買意欲を刺激するような工夫が必要だと筆者は感じた』、との冷静な判断は説得的だ。 『マーケティングなき押し売りはかつての「アメ車」と同じ』、 『日本製品は優れている、日本文化は素晴らしい。筆者もそう感じる。だが、それを世界に知ってもらうには、現地の人々の文化や考えを真摯に知ることがまず必要なのだ』、などの指摘もその通りなのだろう。
第二の記事で、 『タキシードを着たウェイターが和牛を桐の箱に入れて顧客に見せつつ、「この牛にはビールを飲ませ、モーツァルトを聴かせて育てたんです」といったエピソードを披露し、注文する時点からスペシャルな体験を演出しました』、との演出には恐れ入った。なるほどである。ただ、2度目、3度目の客にはどうするのだろう。 『一風堂ニューヨーク店は、混雑時には席に着くまで60分待ちという超人気店。待ち時間はウェイティングバーでカクテルを飲みながらゆっくりと過ごします。日本人の抱くラーメン店のイメージからは遠く離れた、おしゃれなデートスポットなのです』、というのは、なるほど上手いやり方だ。 『インシアードに留学して最初に受けた講義のゲストスピーカーに「インシアードに入学した時点で君たちが優秀なのはわかったから、これ以上の勉強は必要ない。君たちがビジネスで成功するために必要なのは『ガッツ』だ」と言われました。これから勉強しようという人に何てことを言うんだろうとそのときは思いましたが、いまは本当にその通りだと思います』、というのは、さすがインシアードだ。
第三の記事で、 『クールジャパン機構・・・2017年3月末時点での投融資17件、総額約310億円のうち損失は約44億円に上る』、というのは目を覆いたくなるような酷さだ。  『ANEWは・・・国会でも追及されたがうやむやになり、困った果てた末に損切り。しかも、身売り先の新会社は、所在地も人員も旧ANEWの業務執行体制を引き継いだだけ。不透明極まりない身売りだといえるだろう』、というのはやはり問題だ。野党ももっと追及すべきだ、 『〝空中戦″の海外放送事業「WAKUWAKU JAPAN」と〝地上戦″の全館クールジャパンの百貨店「ISETAN the Japan Store」(クアラルンプール)を紹介しているが、この代表的案件がともに迷走状態にある』、前者はニーズを度外視した無謀な事業、後者は支援する意味自体が疑問な事業だ。 『投資案件は10年の期間を経て最終的に評価される』、とはいえ、会計検査院がやったような投資損益調査を、毎年のようにやることで時価評価してゆくべきだろう。クールジャパン機構の社長を交代させて済む話ではなく、推進の主役、経産省の責任が問われている。そろそろ、マスコミも安部政権への遠慮を止めて、現政策の問題点を明確に伝えるべきだろう。
タグ:ダイヤモンド・オンライン anew 渡部 幹 会計検査院 現代ビジネス クールジャパン戦略 ムーギー・キム クールジャパン機構 (その6)(世界で「クールジャパン」が苦戦する原因、一風堂ニューヨーク店の成功でわかった日本人の「ヒドい勘違い」 日本ブームで何でも売れる は大ウソ、「クールジャパン」はこんなにひどいことになっていた) 「世界で「クールジャパン」が苦戦する原因」 マレーシアのイセタンはなぜダメなのか なかなか日本でも見かけないくらい素晴らしい品ぞろえだった マーケティング不在 戦略なき投資 相手国の事情や文化について深い考察をせずに「ジャパンってクールだろ?」と「日本の押し売り」をしている マーケティングなき押し売りはかつての「アメ車」と同じ 「一風堂ニューヨーク店の成功でわかった、日本人の「ヒドい勘違い」 日本ブームで何でも売れる、は大ウソ」 INSEAD(インシアード) アメリカに進出する日本人の誤解「あるある」 ストーリーを語る~和牛とラーメンがニューヨークで売れているワケ タキシードを着たウェイターが和牛を桐の箱に入れて顧客に見せつつ、「この牛にはビールを飲ませ、モーツァルトを聴かせて育てたんです」といったエピソードを披露し、注文する時点からスペシャルな体験を演出 「一風堂ニューヨーク店」の成功に学ぶ 原野 城治 「「クールジャパン」はこんなにひどいことになっていた もちろん、最終評価は先の話だが」 官民ファンドの投資損益調査結果を発表 投融資17件、総額約310億円のうち損失は約44億円に上る 中身の薄い官製”クール” 官製映画会社 、〝空中戦″の海外放送事業「WAKUWAKU JAPAN」 地上戦″の全館クールジャパンの百貨店「ISETAN the Japan Store」(クアラルンプール)
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タカタのリコール問題(その4)(タカタ倒産に見る 経営者が持つべき「覚悟」、タカタ 債権届出額3.7兆円のうち2.7兆円を認めず、タカタ製エアバッグの理不尽な余波 車検パニックは誰の責任か) [企業経営]

タカタのリコール問題については、昨年7月17日に取上げたままだった。その後の展開を含め、今日は、(その4)(タカタ倒産に見る 経営者が持つべき「覚悟」、タカタ 債権届出額3.7兆円のうち2.7兆円を認めず、タカタ製エアバッグの理不尽な余波 車検パニックは誰の責任か)である。

先ずは、元銀行員で経営コンサルタントの小宮 一慶氏が昨年7月27日付け日経ビジネスオンラインに寄稿した「タカタ倒産に見る、経営者が持つべき「覚悟」 背景にある2つの「甘え」」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・欠陥エアバッグ問題で経営が悪化していた自動車部品大手のタカタが、6月26日に民事再生法の適用を申請し、経営破綻しました。 米国でタカタ製のエアバッグが異常破裂する事故が起こってから同社は迅速な対応をすることなく、事態は悪化し続けました。最近ではオーストラリアでの死亡事故も明らかになり、タカタ製エアバッグを採用した車での死者は世界で18人と伝えられています。
・エアバッグで世界シェア2割を誇る優良企業を破綻に追い込んだのは、ダウンサイドリスク(最大限被る損失)の認識の甘さや初期対応のまずさとともに、その根底には「経営者の意識」の問題が大きかったと私は考えています。リーダーはどのような覚悟を持つべきなのか。決算の数字も含めて、一連の出来事を振り返りながらお話しします。
▽問題が拡大した米国はタカタの主戦場だった
・破綻直前のタカタの業績は、どのような状況だったのでしょうか。 2017年3月期決算内容によると、売上高は前の期より7.7%減の6625億円、営業利益は7.5%減の389億円。減収減益ではありますが、営業利益段階では売上高営業利益率6%弱のまずまずの黒字を確保しています。
・ところが、特別損失で欠陥エアバッグ問題関連の損失を差し引いた結果、最終利益は795億円の大幅赤字に陥りました。その結果、会社の中長期的な安全性を示す自己資本比率は27.5%から7.0%まで大きく低下しています。もちろん、この数字は危険ラインですが、今後の損失や資金繰りを考えると、これからさらに財務内容が悪化することから、民事再生法申請という選択肢をとったのです。また、タカタを買収する企業側から考えれば、ブランドがさらに棄損する前に破綻処理し、いったん債務をなしにして、新生タカタを早めに引き継ぎたかったという思惑もあったのでしょう。
・欠陥問題による損失がどこまで膨らむのか、正確なところはまだ分かっていません。問題のエアバッグを装着した自動車を回収して部品を交換するリコール費用は、整備費用や交換部品費用、輸送費などの費用を全て含めると1台あたり約1万円と言われています。今のところ、リコール台数は1億台超まで拡大する見通しですから、総額で1兆円を超えると考えられます。
・現時点では、リコール費用は最終製品を販売した自動車メーカーが負担しています。本来であれば自動車メーカーはタカタに費用を請求することになりますが、経営破綻により回収は難しくなりました。
・続いて、地域別の業績をまとめたセグメント情報を見てください。売上高、利益ともに大きいのが米州で、全体の営業利益の約3割を稼いでいます。米州のうち大半を占めるのは米国です。つまり、タカタの主戦場は米国だったわけです。 その米国を中心に、エアバッグの異常破裂事故が起こってしまいました。しかも、同国は訴訟社会です。不具合が発覚した時点で、もっと大変なことだと思って早急に対応していれば、ここまで問題は拡大せず、タカタの結末は違っていたかもしれません。
・残念ながら、タカタの対応はかなり遅れました。問題が深刻になった2014年の時点でも、同社は「構造的な欠陥を示す証拠はない」と主張していたのです。
▽公の場にほとんど姿を見せない高田重久社長
・6月26日の民事再生法の申請を発表する記者会見に出席したタカタの高田重久会長兼社長が、その前に公の場に姿を見せたのは、15年11月に米運輸省・高速道路交通安全局(NHTSA)から罰金を科されたことについて発表した会見以来のことです。特にここ2年ほどは、深刻な事態に陥っていましたから、高田社長は先頭に立って公の場に出てきて、ユーザーや自動車メーカー、そして株主にもっと十分な説明をするべきだったと思います。
・6月の会見では、こんな発言もありました。「なぜ起きたのか非常に不可解だし、いまだに(問題の)再現性がない」「予見不可能だったとはいえ、問題の解決をしなくてはならない」。 実際に多数の事故が起き、死傷者が多く出ているわけです。自動車メーカーも多大な迷惑を被っています。この発言は、あまりに不誠実に映るのではないでしょうか。
・私は、ここに根本的な原因があると思います。経営者のリーダーシップのあり方が問題なのです。 経営コンサルタントである私は、経営者たちに向けたセミナーを定期的に開いています。そこで繰り返し申し上げているのが、「経営者が人を動かすためには、二つの覚悟が要る」ということです。
・二つの覚悟とは何か。 一つは、「先頭に立って行動する覚悟」です。戦前に海軍のエリートを養成した海軍兵学校では、「指揮官先頭」ということを徹底して教えていました。「指揮官たる者は、常に先頭に立って行動すべきだ」ということです。 二つめの覚悟は、自分の権限内で起こることについて、「責任を取る覚悟」です。特に社長は、会社や事業に係るすべてに責任を取る覚悟がなければ、社員はついてきません。
・私の経営コンサルタントの大先輩に、一倉定(いちくらさだむ)先生という方がいらっしゃいます。中小企業のオーナー経営者たちに非常に慕われた方でした。 一倉先生は、よくこんなことを仰っていました。「リーダーとして成功したければ、電信柱が高いのも、郵便ポストが赤いのも、すべて自分のせいだと思え」。まさに、「責任を取る覚悟」を表現した言葉です。
・その点、高田社長は、先頭に立つことはほとんどありませんでしたし、責任も取りませんでした。いまだに被害者に謝罪もしていません。その時点で、彼は経営者として失格だと言わざるを得ません。
▽タカタ倒産の背景には、二つの「甘え」があった
・タカタには、二つの「甘え」があったのではないかと思います。 一つは、先ほども述べたようにダウンサイドリスクを甘く見ていたことです。最終的に被害はどれほどまで拡大するのか、そして、自社にどれだけのダメージがあるのか、事故当初から甘く見ていたと感じます。
・消費者保護の意識がとても強い米国で死亡事故が発生した時も、タカタは迅速な対応を取りませんでした。原因が自社にないのであれば、主張や証明をしなければなりませんが、そういったことも十分にはしませんでした。 おそらくは、タカタに原因があるという可能性が濃厚になってきた段階でも、高田社長は、重大な問題だという認識があまりなかったのではないでしょうか。あるいは、どうしていいかが分からなかったのでしょうか。
・もう一つは、シェアの高さによる甘えです。タカタは元々、繊維会社でしたが、その技術を活かして、1960年からシートベルトの製造を始めました。その後、ホンダと協力して1987年にエアバッグを実用化。日本で初めてエアバッグを搭載したのは、ホンダの高級車「レジェンド」でした。今では、エアバッグで約2割の世界シェアをタカタは持っています。
・こうして世界有数の自動車部品メーカーへと成長していったわけですが、徐々に甘えが出てきたのではないかと感じます。 タカタが民事再生法の適用を申請すれば、自動車メーカーにとってはリコール費用の回収が事実上できなくなってしまいます。ただ、法的処理によらず自動車メーカーが中途半端に救済してしまいますと、ダウンサイドリスクやその後の訴訟リスクを引き受けることにもなりかねません。そこで、民事再生法の適用申請に踏み切ったのですが、そうであれば、自動車メーカー各社や日本企業連合が出資をして立て直す。そういった救済の道も十分考慮されたはずです。
・それでも、結局はメーカーも日本連合もタカタ救済には乗り出さなかった。それは、もちろん、この先のリスクや展開が読めないということもあるでしょうが、これまでのタカタの対応の悪さも原因の一つだったのではないでしょうか。あくまで私の推測ですが、高田社長やタカタのこれまでの対応が、自動車メーカーの強い反感を招いたのではないかと思います。
▽「経営」と「所有」を分離し、能力ある人物をトップに
・民事再生法の適用申請を受け、タカタはスポンサー企業である中国傘下の米自動車部品メーカー、キー・セーフティ・システムズ(KSS)に1750億円で事業譲渡することを発表しました。タカタの健全な事業だけを新会社に移して、旧会社はリコール費用などの債務や賠償責任に対応していくとのことです。
・KSSにとっては、これ以上うまい話はありません。新会社は訴訟の対象にはならない上、世界有数の技術力を持つ会社を非常に安く買えたわけです。このスキームなら日本企業(連合)でもタカタを買収できたはずです。
・一方、日本にとっては大きな損失です。営業利益段階で数百億円を稼ぐ会社を失っただけでなく、技術の流出も避けられないでしょう。 エアバッグは、必ずしもハイテク製品とは言えませんが、長年の蓄積が生きるノウハウが要りますから、なかなか競合他社が追随できないのです。だから高いシェアを維持できたのです。日本の利益を考えれば、日本企業がタカタを買収するべきだったのではないでしょうか。
・2014年に米議会で開かれた、エアバッグ欠陥問題に関する公聴会にも、高田社長は出席しませんでした。タカタの品質管理を担当する清水博シニア・バイス・プレジデントが出席しましたが、米国内からは「なぜ高田社長が姿を見せないのか」といった批判の声が挙がりました。 先にも触れましたが、米国はタカタの主戦場です。経営者であれば、ここで信用を失えば、自社が大きなダメージを受けることくらい推測できたはずです。
・経営能力のない人物は社長に就任するべきではありません。タカタは元々優良企業だったわけですから、オーナーに十分な能力がないのなら、「所有」と「経営」を分離すべきだったのではないでしょうか。優秀な経営者は、世界中にたくさんいます。高い報酬を払えば、優秀な社長を据えることもできたはずです。
・一倉先生が、いつも繰り返し仰っていたことがあります。「会社には、良い会社、悪い会社はない。あるのは良い社長、悪い社長だけだ」。タカタのみならず、ダメな会社の本質を突く言葉ではないでしょうか。
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/16/011000037/072600017/?P=1

次に、昨年11月9日付けロイター「タカタ、債権届出額3.7兆円のうち2.7兆円を認めず=地裁提出資料」を紹介しよう。
・欠陥エアバッグ問題で経営破綻したタカタの民事再生手続きで、自動車メーカーが負担したリコール(回収・無償修理)費用など、債権者側が東京地裁に届け出た債権総額は約3兆7700億円に上ったことが、ロイターが入手した地裁提出資料で明らかになった。タカタ側はこのうち約2兆7000億円を受け入れておらず、地裁が認可すれば同社の負債総額は約1兆0500億円で確定する見通しだ。
・関係者によると、タカタが認めなかった届け出債権2兆7000億円のほとんどは、自動車メーカーによるリコール費用の求償分。負債総額約1兆0500億円の中にはリコール債権が6000億円程度含まれているものの、約1億個超に達している欠陥エアバッグ部品のリコールは、その費用の大半を自動車メーカー各社が負担することになる。
・タカタ側の債権認否状況について、タカタ製エアバッグの異常破裂で死亡事故が発生し、リコール台数の多いホンダは「法的にできる対応を引き続き検討中だ」(広報担当者)としている。
・タカタは6月26日に民事再生法の適用を申請。その際に同社が公表した負債総額は約3800億円(1ドル=111円で換算)だったが、これには自動車各社が肩代りしていたリコール費用は含まれていなかった。各社との補償合意ができていなかったためで、金額の確定は再生手続きに委ねられることになっていた。
・タカタの再建は中国の寧波均勝電子傘下の米自動車部品メーカー、キー・セーフティ・システムズ(KSS)がスポンサーとして支援する。タカタは問題となったエアバッグ部品のインフレーターなど一部の事業を除き、実質的にすべての事業と資産を1750億円でKSSに譲渡する。関係者によると、まもなく最終合意する見込みだ。
・タカタは11月27日までに再生計画案を東京地裁に提出、その中で債権の弁済率を示す見通し。弁済に充てる原資はKSSへの事業譲渡で得た資金などに限られる一方、米国司法省による罰金や仕入れ先への約300億円の支払いが優先されるため、社債、銀行借入金、リコール求償権などの一般債権の弁済率は1割未満になる可能性が高い。
https://jp.reuters.com/article/takata-idJPKBN1D8241

第三に、百年コンサルティング代表の鈴木貴博氏が4月20日付けダイヤモンド・オンラインに寄稿した「タカタ製エアバッグの理不尽な余波、車検パニックは誰の責任か」を紹介しよう(▽は小見出し)。
▽当分、車に乗ることができない?タカタ製エアバッグの意外な余波
・タカタ製エアバッグ不祥事の意外な余波が、今ごろ起きることになった。国土交通省は、タカタ製の欠陥エアバッグを搭載しているリコール対象車両のうち、年式が古いものを中心に約94万台の車検を未改修のままでは通さないことを決定した。
・タカタ製エアバッグのリコールは国内最大規模で、範囲はトヨタ、日産、ホンダなど大半の自動車メーカーに及び、届け出台数は過去最多の1981万台。わが国の乗用車保有台数が約6000万台だから、リコール対象はおおよそ3台に1台であった。 それでもすでに1700万台超の車については改修が終わり、残る246万台のうち、年式が古い94万台を5月以降このままでは車検に通さないと、国土交通省が決めたというのが今回のニュースである。
・このことで、一部の車の所有者に「車検パニック」が起きることが予想されている。おおむね次のような事態だ。 中古車の持ち主が5月に入って、整備工場などに車検を依頼する。すると、そこで自分の車がリコールの対象になっていて、このままでは車検に通らないと知らされる。
・本来であれば、無償回収修理が行なわれるリコールだが、古い車種の対応部品がメーカー欠品で手に入らない。だから最悪の場合、オーナーが「当分の間、車に乗ることができない」と突然知らされることになる。車がないと通勤ができない環境の持ち主であれば、生活が成り立たずパニックに陥る可能性もあるというわけだ。
・そもそも、メーカー系のディーラーや中古車販売会社から車を購入した人たち、つまりメーカーから連絡が届く人たちは、その大半がすでに改修を終えている。これが「1700万人が対応済み」という数字の意味だ。  逆に言えば、今回の車検にひっかかるであろう、まだ修理に応じていない車のオーナーは、(メーカー系列ではない)独立系の中古車屋さんで古い年式の車を購入したり、個人間売買で中古車を購入したり、ないしは引っ越して販売当初のディーラーがその行方を把握できていなかったりする人たち、ということになる。
・前回の車検もガソリンスタンドや近所の整備会社に頼んだという場合は、自動車の持ち主本人も、場合によっては車検を通したサービスマンも、そのリスクに気づいていないわけだ。そして車検パニックに直面するのは、最終的に情報弱者という構図になる。これがこの問題の深刻なところだ。
・思えば家電製品でも、似た構図の問題は起きてきた。老朽化すると一酸化炭素中毒を引き起こしたり、発火したりする恐れがあることがわかった暖房器具などが、全面回収となった事例がある。それでも100%の回収は無理である。 そして、そのリコール問題も世間が忘れた頃になって、老人たちが住むグループホームが火災事故を起こす。原因がその暖房器具であり、そんなものがまだ残っていたということを、事件が起きて関係者が初めて気づくことになる。
▽タカタ、国交省、オーナー… 「車検パニック」は誰の責任か
・自動車の場合は、車検というルールがあるがゆえに、こうした不幸を事前に防ぐことができる可能性がある一方で、強制的に車検で発見された未修理車が、一時的に使えなくなる危惧はある。ではいったいこの問題、誰の責任なのだろうか。
・そう、大問題を提起しておいて申し訳ないのだが、今回、もし車検パニックが起きるとすれば、それは残念ながら「自己責任」ということになる。それで仕事に出勤できなくなる、買い物に行けなくなり不便な状況になる、病院に通えなくなり病状が悪化する、といった状況になっても、それは自己責任だ。
・メーカーは販売した自動車に対して、製品面での責任を持つ。しかしその責任は、あくまで製品の不具合を無償で回収して修理するところまでだ。結果的に起きる二次的な経済損失まで負担するような責任はない。
・エアバッグをつくったタカタには本来、大いに責任があるのだが、すでに戦後最大と言われる倒産劇を起こしたことから、関係者にこれ以上の法的責任を問うことは難しい。 また国の責任は、安全が保証できる車だけを街中で走らせることにある。むしろ今回のように強権を発動しながら強制的に未修理の車を炙り出すことで、中古車市場の安全が保証できるようになることはいいことだ。全ての車が車検を通過するにはそれでも2年かかるが、中古車を買うとロシアンルーレットのように不具合を持つ車が混ざっていて、消費者がそれを知らずに買っているという今のような状況は、いずれ消える。
・部品が手に入らない車のオーナーのための車検時の救済措置は、本当は考えたほうがいいのだが、むしろ国土交通省がこれまで踏み込まなかった、4月以前に車検を通してしまった車の安全性についての方が、その責任が問われるはずだ。
・とはいえ、日本を代表する大手自動車メーカーの、誰もが知っている有名車種の車を購入したにもかかわらず、それが車検に通らない上に自己責任を問われるという事態は、一般消費者にとってどのように割り切るべき問題なのだろうか。
▽「喫煙の是非」と似ている車に乗ることの社会的責任
・この一件は、「自動車は便利だが、それを使うには社会責任が伴う」ということを、世の中が再認識するための教訓ではないかと私は思っている。
・経済学の逸話にこんな話がある。たばこをなくすべきかどうかという議論のときに使われる話だ。禁煙論者に対して、経済学者が次のような質問をするとしよう。 「ある商品が存在する。この商品は使っている本人にとってはいいのだが、統計的に見れば、実は本人の寿命を短くしている。それだけでなく、家族の寿命や見ず知らずの人の寿命にもマイナスの影響を与えている。そういった商品は禁止すべきか?」 たいていの禁煙論者は、この経済学者の質問に「即座に禁止すべきだ」と答えるだろう。そこで経済学者は「実はこの商品は自動車なのだが、それでも禁止すべきか?」と念のために確認する。それがこの話のオチになる。
・欠陥車が2000万台近く売られてしまったというのも不幸な話だが、その87%まで改修が済んでいることは、関係者の努力の成果とも言える。一方、まだ残っている246万台については、オーナーは万一の事故の際、本人だけではなく家族や知人などの周囲を巻き込む可能性がある。
・こうした状況を考えれば、今回の問題で起きる損失に対して責任を持つのは本人であると、言わざるを得ないのではないか。「割り切れない」と感じる人もいるかもしれないが、車の使用には社会責任が伴うのだから――。
http://diamond.jp/articles/-/167971

第一の記事で、 『公の場にほとんど姿を見せない高田重久社長』、という対応のお粗末さには、確かに驚かされた。 『経営者のリーダーシップのあり方が問題なのです・・・「経営者が人を動かすためには、二つの覚悟が要る」・・・一つは、「先頭に立って行動する覚悟」です・・・二つめの覚悟は、自分の権限内で起こることについて、「責任を取る覚悟」です』、というのはその通りだ。 『タカタには、二つの「甘え」があったのではないかと思います。 一つは、先ほども述べたようにダウンサイドリスクを甘く見ていたことです・・・・もう一つは、シェアの高さによる甘えです』、としているが、私はもっと重要な「甘え」を見逃しているように思う。それは、消費者との直接の接点を持たない、「部品メーカー(下請)としての甘え」があったように思う。 『日本の利益を考えれば、日本企業がタカタを買収するべきだったのではないでしょうか』、と指摘しているが違和感がある。 『日本連合もタカタ救済には乗り出さなかった』、のは、 『この先のリスクや展開が読めないということもあるでしょうが、これまでのタカタの対応の悪さも原因の一つだったのではないでしょうか』、というのは、日本連合でも救済ではなく、破綻後のスポンサーになることならできた筈で、それをしなかったのは、タカタの対応の悪さなどよりも、タカタに企業価値がないと、日本連合が判断したと見るべきなのではなかろうか。
第二の記事で、 『社債、銀行借入金、リコール求償権などの一般債権の弁済率は1割未満になる可能性が高い』、とやはりかなり低い弁済率になりそうだ。
第三の記事で、 『届け出台数は過去最多の1981万台・・・すでに1700万台超の車については改修が終わり、残る246万台のうち、年式が古い94万台を5月以降このままでは車検に通さないと、国土交通省が決めた』、とあるが、152=(246-94)万台はどうなるのだろう? 『古い車種の対応部品がメーカー欠品で手に入らない。だから最悪の場合、オーナーが「当分の間、車に乗ることができない」と突然知らされることになる』、というのは、メーカーの部品保存年数が書かれてないが、メーカー欠品を起こすというのは、保存年数が短か過ぎるのではないだろうか、記事では、オーナーの「自己責任」としているが、メーカーにも責任の一端があるように思う。
タグ:タカタ ロイター 鈴木貴博 日経ビジネスオンライン ダイヤモンド・オンライン 小宮 一慶 タカタのリコール問題 (その4)(タカタ倒産に見る 経営者が持つべき「覚悟」、タカタ 債権届出額3.7兆円のうち2.7兆円を認めず、タカタ製エアバッグの理不尽な余波 車検パニックは誰の責任か) 「タカタ倒産に見る、経営者が持つべき「覚悟」 背景にある2つの「甘え」」 欠陥エアバッグ 死者は世界で18人 世界シェア2割 問題が拡大した米国はタカタの主戦場だった 公の場にほとんど姿を見せない高田重久社長 二つの「甘え」 一つは、先ほども述べたようにダウンサイドリスクを甘く見ていたことです もう一つは、シェアの高さによる甘えです スポンサー企業である中国傘下の米自動車部品メーカー、キー・セーフティ・システムズ(KSS)に1750億円で事業譲渡 「タカタ、債権届出額3.7兆円のうち2.7兆円を認めず=地裁提出資料」 社債、銀行借入金、リコール求償権などの一般債権の弁済率は1割未満になる可能性が高い 「タカタ製エアバッグの理不尽な余波、車検パニックは誰の責任か」 届け出台数は過去最多の1981万台 それでもすでに1700万台超の車については改修が終わり 式が古い94万台を5月以降このままでは車検に通さないと、国土交通省が決めた 古い車種の対応部品がメーカー欠品で手に入らない
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安倍政権の教育改革(その7)(「幼児教育・保育無償化」の落とし穴、政府の教育無償化政策は「思いつき」に過ぎないといえる理由) [国内政治]

安倍政権の教育改革については、昨年9月16日に取上げた。今日は、(その7)(「幼児教育・保育無償化」の落とし穴、政府の教育無償化政策は「思いつき」に過ぎないといえる理由)である。

先ずは、みずほ証券チーフ・マーケット・エコノミストの上野 泰也氏が昨年12月5日付け日経ビジネスオンラインに寄稿した「「幼児教育・保育無償化」の落とし穴 SNSに「政府は何も分かっていない」の声」を紹介しよう(▽は小見出し)。
▽子育て世帯への支援の大枠が固まったけれど…
・マスコミ各社の報道によると、安倍首相が打ち出そうとしている2兆円規模の「人づくり政策」のうち、子育て世帯への支援の大枠が固まった。
・8%から10%への消費税率引き上げによる増収分のうち約8000億円を充てて、幼児教育・保育の無償化を行う。具体的には、①3~5歳児を保育所や幼稚園に預ける費用を、全世帯について原則として全額補助(無償化)する(所得制限なし。認可外保育所の場合は認可保育所の平均保育料である月3万5000円支給を検討、幼稚園の場合は国が定める公定価格上限の月2万5700円を支給する)、②0~2歳児を保育所に預ける費用を、住民税が非課税の低所得世帯について原則として全額補助(無償化)する。
・また、約8000億円を充てて、大学や専修学校など高等教育の無償化を行う。具体的には、住民税非課税の低所得世帯を対象に授業料を減免するほか、返済義務のない給付型奨学金を拡充して生活費も支援する。非課税世帯に近い低所得世帯向けにも給付型奨学金を拡充する。
・以上のほか、企業の新たな拠出金(年3000億円)を財源にして保育施設整備(20年度末までに32万人分)を行うなど、いくつかの施策がパッケージに含まれる見込み。 上記のうち、幼児教育・保育の無償化がこのまま実現すれば、金銭面で助かる家庭が存在することは事実である。しかし、少し考えてみれば、この政策には問題点がいくつも伴うことがわかるだろう。
▽日本を元気にする処方せんは、これでいいのか
・筆者の頭にまず浮かんでくるのは、上記の政策は何を最大の狙いとしているのかという、素朴な疑問である。 衆議院解散にあたって行われた9月25日の安倍晋三首相記者会見を振り返ると、「人づくり革命」に関する次のくだりがある。 「急速に少子高齢化が進むこの国が、これからも本当に成長していけるのか。この漠然とした不安にしっかりと答えを出してまいります。それは、生産性革命、そして人づくり革命であります」
・「もう1つの最大の柱は人づくり革命です。子供たちには無限の可能性が眠っています。どんなに貧しい家庭に育っても、意欲さえあれば専修学校、大学に進学できる社会へと改革する。所得が低い家庭の子供たち、真に必要な子供たちに限って高等教育の無償化を必ず実現する決意です。授業料の減免措置の拡充と併せ、必要な生活費を全て賄えるよう、今月から始まった給付型奨学金の支給額を大幅に増やします」
・ここで首相が展開したロジックは、人口減・少子高齢化に直面して日本経済の将来の成長が危うくなってきたことへの対応として、生産性向上と人づくり革命の2つを行っていく、後者の具体化として高等教育無償化などを推し進める、というものである。 だが、医者に例えて言えば、「日本経済がかかっている慢性的な病に対する処方せん」は、本当に上記の2つでよいのだろうか。
▽出生率の上昇に直結するとは考えにくい
・労働生産性を引き上げることによって経済の潜在成長力を高めるというお決まりの議論の適否について、ここではあまり触れない。1つだけ言っておくと、労働生産性というのは事前の計画に沿って思いのままに引き上げることが可能なものではなく、各経済主体がさまざまな試行錯誤を行った末に、事後的・結果的に数字が出てくるコンセプトである。
・では、幼児教育や大学教育の費用負担を支援することが、日本経済の成長力の下支えや底上げに大きく貢献するのだろうか。筆者には大いに疑問である。また、SNSでこの問題に関連する投稿を見ると、「(政府は)何もわかっていない」といった批判的な内容のものが数多く並んでいる。今回の施策の主な問題点を3つ指摘すると、以下のようになる。
・まず、人口動態が経済に及ぼす影響を重視しているエコノミストとしての立場から言うと、今回のような「すでに子どもがいる世帯」の教育費負担への公的支援が日本人の「数」を増やすこと、すなわち出生率の上昇に直結するとは考えにくい点が挙げられる。保育所・幼稚園の費用負担などがなくなるだけで、すでに子どものいる世帯で「子どもをもう1人持とう」という意欲が増大するだろうか。あるいは、子どもがいない世帯で「子どもを持とう」とする意欲が増大するだろうか。
・全くないわけではないだろうが、限定的な効果しか期待できまい。出産適齢期の女性の数の問題(後述)に鑑みると、人口対策の切り札はやはり、「新たな開国」すなわち外国人の受け入れ(一時滞在の観光客だけでなく、定住者の増加促進)に、消去法でならざるを得ない。だが、「食わず嫌い」を通してきた結果、「下向きの人口動態」が地方から、経済基盤やコミュニティーを崩壊させ始めているのが実情である。)
▽教育格差は、いっこうになくならないのでは
・次に、都市部で子育てした経験のある人なら容易にわかると思うのだが、子育てにかかる費用は多岐にわたるという、厳然たる事実がある。子どものさまざまな習い事や補習教育にかかる費用は決してばかにならない。ちなみに、筆者の子ども2人の場合、英会話教室、スイミングスクール、習字の3つはやらせていた(結果的に無駄な支出だった感は否めないが・・・)。そのほかに、リトミック(注)も一時やらせていた記憶がある。子供将棋教室にも足を一度運んだが、息子にそうした方面の才能が全くないことがすぐにわかり、入会しなかった。
(注)リトミックとは音楽を使って、身体的・感覚的・知的に優れた子どもたちの育成を図ろうとするもの
・そして、それらよりもはるかにコスト負担が大きいのが「お受験」である。私立の幼稚園や小学校を受けさせる場合、親の不安心理もあるため、どうしてもその分野の教育のプロに多額のお金を支払って、頼ることになる。模擬試験の費用も驚くほど高く、親が足元を見られている感が漂った。そうした状況下、習い事や補修教育と比べて相対的に金額が小さい保育所や幼稚園の費用負担が今回の政策でなくなっても、所得格差に由来する保育所・幼稚園外での活動も含めた教育格差(不平等)は、いっこうになくならないのではないか。
・さらに、無償化することによって、子どもを預ける必要性がそれほど大きくない家庭からも潜在需要が掘り起こされて、待機児童の問題が一段と悪化するリスクが否定できない。
▽「保育所のキャパを増やす方が先」との切実な声
・昔のことだが、老人医療が無料化された後、病院の待合室がお年寄りの談話室のようになってしまい、「きょうは○○さんが来てないね」「○○さんはきょうは体調が悪いらしいですよ」といった会話が病院の待合室で聞こえてきたというジョークが流行った。それと似たような不要不急の需要の掘り起こしを、幼児教育の無償化が行ってしまいかねない。保活で苦闘している親からは「無償化などしてくれなくていいから保育所のキャパシティーを一刻も早く増やしてほしい」といった切実な声があがっている。32万人分で足りるかどうか。
・以上、問題点のうち大きなものを3つ挙げたが、そのほかにも、学童保育のキャパシティー不足への対処など、子育てにまつわる政策課題はいくつもある。にもかかわらず、政治的にアピールしやすく反対を正面からぶつけにくい無償化政策の大枠が固まった。
・よく知られているように、いわゆる出産適齢期の女性の絶対数がすでに減少してしまったため、少子化対策を拡充して出生率を引き上げるだけで日本の人口減・少子高齢化の流れを食い止めるのは物理的に、もはや無理である。そして、最長5年にとどまる外国人技能実習制度に代表される日本の外国人受け入れ策は、何年たっても、踏み込み不足のままである。「1億総活躍」と言うが、このままでは2053年に日本の人口は1億人を下回る。
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/248790/113000119/?P=1

次に、NPO法人サルタック理事 ミシガン州立大学博士課程在籍の畠山勝太氏が1月4日付けダイヤモンド・オンラインに寄稿した「政府の教育無償化政策は「思いつき」に過ぎないといえる理由」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・安倍首相が掲げた「教育無償化」は、「改憲」や「選挙目当て」が意識された中で、地に足のついた議論はまったくなかった。今年夏に先送りされた制度設計に向けて、議論をどう深める必要があるのかー。世界銀行や国連児童基金に勤務し、いまはNPO法人サルタック理事をしながら米国の大学で教育政策などを研究する畠山勝太氏は、1) 経済成長のためにどのような教育投資が必要か、2)教育投資で政府が果たすべき役割の視点から、戦略的な教育投資の重要性を訴える。
▽経済成長での教育の役割はスキルをつけ生産性を上げること
・経済成長において教育が果たす役割は、主に「人的資本論」から説明することができる。 教育を通じて個々人は知識やスキルを身につけ生産性を向上させる。そして、向上した生産性によって、より高い賃金を得ることが可能となる。そしてこれを足し合わせたものが、経済成長となる。
・つまり、人的資本論に基づけば、いかに生産性向上につながる知識やスキルを教育が提供できるかがカギとなる。 人的資本論と対立する理論に、「スクリーニング仮説」がある。 これは、教育自体に特に意味はない(生産性向上につながる知識やスキルを提供しない)ものの、生産性の高い者がより高い学校歴や学歴を得るのは生産性の低い者より容易なため、教育水準がその人物の持つ生産性のシグナルとなり、雇用者はそのシグナルに応じて高い賃金を支払う、というものだ。
▽質の高い教育は所得増加や成長につながる
・この両者の関係は、教育の質とアクセス(量)の関係を見ると分かりやすい。 図1(左側)が示すように、国民の平均教育年数が伸びても経済成長にはつながらないが、図1(右側)が示すように国民の学力、すなわち教育の質向上は経済成長につながる。 (◆図1:平均教育年数・教育の質と経済成長の関係 はリンク先参照) 
・つまり、質が低ければスクリーニング仮説が主張するように教育は無意味なもの、ないしは能力に応じて人材を仕分けしていくトラッキングの役割を果たすに過ぎないが、質が高ければ人的資本論が主張するように教育は経済成長や個々人の所得向上につながる。
・次に考える必要があるのは、人はライフサイクルを通じて知識やスキルを習得していく、という事実だ。つまり、人生の出だしでつまづくと、その後の知識やスキルの習得が難しくなる。 では、人生の出だしとは一体いつ頃を指すのであろうか? それは、図2が示唆するように母体に宿った時から小学校に入学するまでを指す。 (◆図2:人的資本投資の収益率 はリンク先参照) 
・米国では、小学校入学時点で既に家庭の豊かさによる学力格差が出来上がっており、これが教育機会を通じて縮小することはないとされている。 これは、貧困層の所得が低いだけでなく、親の教育水準が低い上にシングルペアレント率も高いために、貧困が育児の貧困になってしまっているからだ。このため、貧困層を対象とした良質な就学前教育や産中産後の支援は、その子どものその後の技術や知識習得を円滑なものにするため、高い収益率を生みだす。
▽STEM系学部ではっきり 雇用や賃金の格差
・次の論点は、スキル偏向型技術成長である。 これは技術成長が機械化を加速させ、これにより人々の雇用が機械に奪われていくという現象だが、これは教育政策に対して3つの示唆をもたらした。 一つ目は科学・技術・工学・数学(英語の頭文字を取ってSTEMと呼ばれる)分野の教育の重要性だ。 図3が示すように、STEM系学部の卒業生と、卒業後の平均賃金が低い学部の卒業生の賃金を比較すると、その賃金の差は、高卒と大卒の賃金差よりも大きい。 (◆図3:大学の卒業学部別中位数年収(25-44歳) はリンク先参照)
・これはSTEM系の卒業者が機械に職を奪われる側ではなく、機械を使う側の職に回りやすいことを示唆する。 STEM系卒業者が非STEM系卒業者と同じ職についた場合でも賃金が高いことから、STEM教育は生産性向上につながりやすい知識とスキルも学生に与えていることが示唆される。
・二つ目は大学院教育の重要性だ。 米国では1960年代以降、高卒者の賃金が上昇しない一方で、大卒者の賃金が上昇し続けた。しかし、図4が示すように、21世紀に入ると大卒者の賃金が伸び悩む一方、院卒者の賃金は上昇を続けている。 (◆図4:アメリカにおける学歴別の時給 はリンク先参照)
・三つ目は社会スキルを伸ばす教育の重要性だ。  図5が示すように、高い社会スキルを持つ人材に対する賃金と需要は増している。 (◆図5:1980年を起点とした時給の変化 はリンク先参照)
・これは、機械化が進展したとしても、介護や福祉のような職場でコミュニケーション能力が高い人材に対する需要は減少しづらいことや、接客業の雇用は、工業ほどには機械によって奪われづらいことなどが関係する。
・最後の論点は、女子教育である。 これは女子教育が高い「外部性」を持つ分、男子教育よりも重要度が高いということだ(この「外部性」とは何かという点は後で詳述する)。 以上のように、教育分野の中でも、より生産性向上につながり高い収益率を持つ分野が存在するので、これらを重視した教育戦略を策定することが、人的資本投資を通じた経済成長へとよりつながっていく。
▽個人に任せると“過小投資”に 教育で政府の役割は重要
・次に、教育において政府が果たすべき役割を「外部性」という観点から考える。 教育における外部性とは、教育が教育を受けた者以外にも及ぼす恩恵の部分を指す。一般的に、個人が教育を受けるかどうか判断する際に、本人以外が受ける恩恵(波及効果)まで考慮して判断することはない。
・このため、個人に完全に教育投資を委ねてしまうと、教育投資の水準は、社会的に望ましい水準よりも低いところに落ち着いてしまう。このような状況を避け、社会的に望ましい水準まで教育投資の水準を引き上げるのが、教育投資において政府が果たすべき役割となる。
・では外部性とは具体的にどのようなものがあるのだろうか?  まず、空間的な波及効果を挙げることができる。 産業集積効果に象徴されるように、教育を受けて得た知識はその個人に留まることなく、他者へも波及していく。 ミクロレベルで言えば、教育を受けた個人は家族にその知識を伝える、ないしは得た知識を活用して家族の他のメンバーの厚生水準を改善させることができるし、少し目線を上げると、大学の多い街では高卒者の生産性も、そうでない街よりも高いことがある。
▽女子教育は世代を超えた波及効果がある
・次に、時間的な波及効果を挙げることができる。そして、この点が前述の女子教育が優先されるべき理由と強く関連する。 一般的に、母親の教育水準が向上すると、子どもの教育・健康水準、すなわち次世代の人的資本投資水準も向上する傾向がある。つまり、女子教育には時間を超える波及効果が存在する。
・さらに、経済活動に関連する教育の外部性として治安や健康を挙げることができる。 一般的に、特殊な犯罪を除けば、教育水準の高い者ほど罪を犯さない。また教育水準の高い者ほどより正確な健康情報を取得し、分析することができるようになるため、健康状況もいい。このため、教育水準の高い者が多い地域ほど公衆衛生が保たれやすい。
・だが一般的に、個人が教育を受けるかどうか決断する時に、上記のような1)他者への波及効果、2)次世代への波及効果、3)治安や公衆衛生などの改善による経済活動の改善、などは考慮しない。 このため個人に教育投資を完全に委ねると、社会的に望ましい水準よりも過少投資となってしまうのだ。 このため、外部性の分だけ政府の介入が必要となる。
▽貧困層には「流動性制約」の支援を
・さらに、政府は再分配や貧困削減の観点から、貧困層が直面する「流動性制約」を取り除く必要がある。  たとえ教育への投資が高い収益率を持っていたとしても、貧困層は手持ちの資金が不足しているために、教育投資を実施できないことが多い(これを流動性制約と呼ぶ)。 日本でもJASSO(注)の教育ローンで年に最大144万円を借り入れられるが、この金額であれば大半の大学の授業料はカバーできる。しかし、教育を受けるために支払うコストは授業料だけ(これを直接費用と呼ぶ)ではない点に注意が必要だ。
(注)独立行政法人日本学生支援機構
・日本では高卒労働者は最初の4年間で約1000万円の収入を得る。大学で4年間学ぶということは、4年間働くことを諦めることの裏返しである。すなわち、大学で学ぶということは、大学に行かなければ得られたであろう1000万の収入を失うということである。 これを放棄所得ないしは間接費用と呼ぶ。親からの支援も貯蓄もない貧困層はこの放棄所得に耐えられないが、この分まで適切な利子率でカバーする教育ローンは希だ。
・日本でも貧困層は流動性制約に直面していると考えられるが、これを取り除ける位置にいるのは政府だろう。 また、貧困層の特徴も理解する必要がある。貧困層の「時間選好率」が高い傾向は、教育投資に重要な意味を持つ。 時間選好率が高いというのは、将来のより大きな消費よりも現在の消費を重視するということだ。
・教育投資の本質は、教育を受けるために現在の消費を諦め、教育を受けた恩恵により将来より大きな消費ができるところにある。このため、時間選好率の高い貧困層は教育投資をする意義を見出しづらい。 さらに、貧困層とそれ以外を比較したときに、貧困層の子どもは身近に教育を受けるロールモデルとなり得る者がいないケースがあり、教育投資をする意義の見出しづらさに拍車がかかることがある。 再分配と貧困削減の観点から、この層には教育ローンの提供による流動性制約をなくすだけでなく、奨学金の提供も必要になってくるだろう。
▽公的収益にも効果 税収増や福祉費用などの削減
・政府は教育の公的収益を考慮することもできる。 教育を受けた個人は、生産性の向上を通じて、より高い賃金を得るが(私的収益)、これはより多くの所得税収入につながる。 さらに、教育水準が低く、生産性が低いために貧困層に陥り、公的扶助を必要としている者が、教育によってより高い賃金を得られた場合、生活保護などを必要としなくなるため、政府の支出削減にもつながる。 特に、日本ではシングルマザーの就労率が高いにもかかわらず、貧困率が高いことが社会問題となっているが、この背景の一つとしてシングルマザーが低い教育水準にとどまっているという問題がある。
・こうした女子教育を拡充することで、結果として政府支出を削減できるし、また、日本では莫大な医療費が政府財政を圧迫していることから、教育による国民の健康状態の改善を通じた医療費の削減も期待できる。 政府は、教育に対する公支出と、これによる税収増や公支出削減のバランスを考慮して、公支出の水準を決断することができるのだ。
▽政府の「無償化」政策では教育の質の低下を招く
・以上のことを考えれば、いまの日本では、基礎教育段階を除き、教育のアクセス(量)よりも教育の質の向上が重要であることが明らかだ。 教育へのアクセスを質よりも優先させる政策は得策とは言えない。 だが政府の「教育無償化」政策は、教育へのアクセスを劇的に向上させる可能性を持つものの、質を向上させるどころか、授業料+αの予算措置が為されなければ、生徒一人当たりの教育リソースが希薄化される分だけ、教育の質が低下する恐れがある。
・大学教育無償化についてもこれは当てはまる。 現在、日本の大学の世界ランキングは凋落の一途をたどっている。この状況で、+αの予算措置をしたうえで無償化に踏み切るなら100歩譲って理解できるものの、それなしに無償化に踏み切るのは、日本の大学教育の価値をさらに毀損するだけである。
▽アクセス(量)向上は女子とSTEM教育に絞る
・教育へのアクセスに焦点を当てるとしたら、フォーカスされるべきは女子教育とSTEM教育だ。 大学以降の日本の女性の男性との相対的な教育水準は、先進国の中で最低だ。このことはもっと認識され、取り組みがなされる必要がある。 特に、図6が示すように、大学・大学院でSTEM教育を受けた女性の割合は先進国でも最低水準にとどまっている。 (◆図6:STEM系学士・修士号取得者割合、女性:リンク先参照)
・これを解決するために女子大の工科大学を設立するなり、STEM系女子学生(いわゆるリケジョ)に対する奨学金を拡充するなどの対策が無償化よりも優先されるべきだろう。
・さらに、仮に無償化によって平等な大学教育へのアクセスを実現したいのであれば、取るべき政策は奨学金の拡充だ。 前述のように、仮に授業料が無償になったとしても、貧困層は放棄所得に耐えられず、大学教育へアクセスすることができない。 それどころか、図式としては、大学へ行かずに働いた者が納めた税金で、大学へ行った者の授業料がカバーされ卒業後には高い賃金を得るという、逆再分配的なものとなり得る。
・教育を通じて所得再分配を図りたいのであれば、授業料を維持しつつ、それを原資に貧困層に対して授業料と放棄所得をカバーするだけの奨学金を提供する方がまだましだ。 現在、授業料の卒業後の徴収も検討されているようだが、これは流動性制約を緩和するだけでなく、教育投資に伴う不確実性の問題を解消するので、リスク回避的な層の教育投資意欲を喚起でき、一定の評価はできる。 しかし、この方策も貧困層と放棄所得の問題を解決するものではないので、やはりこの制度で行くにしても貧困層向けの別建ての施策が必要となる。
▽幼児教育無償化は「超過需要」を招き状況が悪化する
・幼児教育無償化についても目指すべきは質の向上だ。 図7、8、9が示すように、日本の就学前教育は他の先進諸国と比べても教員一人当たりの児童数が多い上に、他の教育段階と比較して教員の準備教育の水準も低い上に、経験年数も顕◆図9:教育段階別、教員の勤務年数著に少ない。 (◆図7:就学前教育・教員一人当たり生徒数、◆図8:教育段階別、教員の準備教育の水準:リンク先参照) 
・また、それより下の年齢を見ると、待機児童という「超過需要」の問題が起きており、これに有効な手立てはまだ打てていない。 無償化を言い換えると託児の価格を下げるわけなので、さらなる超過需要を招くことになり、状況が悪化するのは必至となる。
・ノーベル経済学賞を受賞したヘックマン教授が就学前教育の投資の収益率の高さを示したから、ここは是が非でも無償化すべきという論もある。 だがそれは、ヘックマン教授の研究は、1)貧困が育児の貧困とほぼ同義となっている米国のの文脈でのことであり、さらに2)就学前教育が良質である、3)より早期の介入が重要、ということを前提にしている点を落とした論である。
・日本の就学前教育は質改善に大きな余地を残しているうえ、早期の介入という点では、貧困リスクの高い妊産婦の支援に向かわなければならないのに、これらを飛ばして「幼児教育無償化」というのは議論が稚拙すぎると言わざるを得ない。
▽勘や思い付きの政策でなく戦略的な教育投資が重要
・総選挙後、無償化の政策パッケージ作りでは、さまざまな異論が出て修正が加えられていることからも分かるように、政府が掲げた教育の無償化政策は、これまで失敗した過去の教育政策に見られるような勘や経験に基づく思いつきに過ぎない。 経済成長のための人づくり革命から遠くかけ離れた所にある。 日本がジャパン・アズ・ナンバーワンから滑り落ちた一つの理由に、このような勘と経験に基づく誤った人的資本政策があったことは、少子化や女子教育の問題を見れば明らかだ。
・日本に活力を取り戻すために必要なものは、思いつきによる無償化政策ではなく、経済成長に資する戦略的な教育政策である。
http://diamond.jp/articles/dol-creditcard/154019?skin=dol-creditcard

第一の記事で、 『子育てにまつわる政策課題はいくつもある。にもかかわらず、政治的にアピールしやすく反対を正面からぶつけにくい無償化政策の大枠が固まった』、という安部政権のいいかげんな人気取り政策に対する上野氏の批判は、全く同感である。
第二の記事は、かなり理論的な角度からの批判である。 『(教育の)質が低ければスクリーニング仮説が主張するように教育は無意味なもの、ないしは能力に応じて人材を仕分けしていくトラッキングの役割を果たすに過ぎないが、質が高ければ人的資本論が主張するように教育は経済成長や個々人の所得向上につながる』、 『貧困層を対象とした良質な就学前教育や産中産後の支援は、その子どものその後の技術や知識習得を円滑なものにするため、高い収益率を生みだす』、 『アクセス(量)向上は女子とSTEM教育に絞る』、などの指摘は、説得的で納得できる。 『幼児教育無償化は「超過需要」を招き状況が悪化する』、 『勘や思い付きの政策でなく戦略的な教育投資が重要』、などは、安部政権の官邸主導の政治スタイルの問題点を的確に指摘している。なるほどである。
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企業不祥事(神戸製鋼などの部材不正)(その6)(三菱マテリアル 社長の現場糾弾発言が示す「統治機能不全」、名ばかりの「第三者委員会」…日産 神鋼など不祥事5社名指し批判 弁護士ら『第三者委格付け団体』、3つの謎を残した神戸製鋼事件の報告書 企業不正の研究(上)、社員が不正に走る「危ない会社」に共通する欠陥 企業不正の研究(下)) [企業経営]

企業不祥事(神戸製鋼などの部材不正)については、1月14日に取上げた。今日は、(その6)(三菱マテリアル 社長の現場糾弾発言が示す「統治機能不全」、名ばかりの「第三者委員会」…日産 神鋼など不祥事5社名指し批判 弁護士ら『第三者委格付け団体』、3つの謎を残した神戸製鋼事件の報告書 企業不正の研究(上)、社員が不正に走る「危ない会社」に共通する欠陥 企業不正の研究(下))である。

先ずは、1月16日付けダイヤモンド・オンライン「三菱マテリアル、社長の現場糾弾発言が示す「統治機能不全」」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・「三菱マテリアルグループを率いる能力は、当然ながら持っていると考えている。持っていないと考えるならこの席にいるべきではない」 仕事納めだった人も多かったであろう、2017年12月28日。検査データ改ざん問題に対する特別調査委員会の中間報告会見の場で、竹内章・三菱マテリアル社長は、自身らについて大胆にもこう言ってのけた。だが、特別調査委によって明らかにされた不正の実態は深刻だった。
・何しろ、不正に手を染めていた同社子会社の三菱伸銅と三菱電線工業の製作所には、それぞれ「需要家別検査ポイント表」「シルバーリスト」なる不正の“指南書”が、少なくとも1990年代から存在していたというのだ。 特別調査委は、調査が完了した三菱伸銅を「製造業を営むものとして基本的な事項がないがしろにされていた」と批判。不正案件の数が膨大で、調査継続中の三菱電線についても「非常に深刻な内容を含んでいる」と懸念を示した。
・一方、現時点では経営トップに重い処分が下されているとは言い難い。社長辞任に追い込まれたのは三菱電線の村田博昭氏のみ。三菱マテリアル出身の堀和雅・三菱伸銅社長は13年4月に三菱伸銅の社長に就任して同社のガバナンスを取り仕切ってきたはずだが、今のところ18年1月の報酬を30%自主返上するだけで済まされている。
▽信頼なき親子関係
・村田氏の辞任は、下から不正の報告を受けてから7カ月以上も親会社に報告していなかった上、その間、不適合品の出荷を続けていたためだという。中間報告書を読み解くに、村田氏と親会社には、問題を共有し、解決に動くだけの信頼関係がなかった。親会社と子会社との間には、越えられない高い壁が立ちはだかっていた。
・同様のデータ不正問題が神戸製鋼所の本社とグループ会社でも勃発しているが、同社と三菱マテリアルには共通する点がある。事業領域が広範にわたる多角化経営を展開していることだ。 多角化には、ある事業の環境悪化で収益が毀損したとしても他の事業でカバーできるというメリットがある。だが半面で、事業領域が広ければ広いほど、本社の事業部はもちろん、子会社を含む関係会社の経営管理は難しくなる。
・竹内社長は会見で、不正が起こった最大の原因は「直接不正行為を行った人間のコンプライアンス意識の低さ」と言い切り、現場を糾弾した。しかし、この発言こそグループ統治が機能不全に陥っていたことを表している。そもそも、「現場任せを放置するなら、経営者なんか要らない」と大手化学メーカーの元首脳は手厳しい。
・身の丈に合った業容へ縮小するのか、コストを投じて統治体制を整えるのか。両社の経営陣は、先送りにしていた課題をたたき付けられている。
http://diamond.jp/articles/-/155924

次に、2月9日付けZAKZAK「名ばかりの「第三者委員会」…日産、神鋼など不祥事5社名指し批判 弁護士ら『第三者委格付け団体』」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・不祥事を起こした企業の外部調査に不十分な点があるとして、弁護士らで構成する「第三者委員会報告書格付け委員会」(委員長・久保利英明弁護士)が問題企業を名指し批判する声明を出した。なかには委員会すら設置していない企業もあり、「名ばかり第三者委員会」以下との指摘も上がっている。
・格付け委員会が問題視したのは、新車の無資格検査が発覚した日産自動車、アルミ・銅などの性能データ改竄(かいざん)が分かった神戸製鋼所、燃費データの書き換え疑惑が持たれているSUBARU(スバル)、子会社で製品データ改竄が発覚した三菱マテリアル、子会社による製品検査データ改竄が判明した東レ-の5社。
・久保利委員長は6日、「日本を代表する企業が不祥事を出すことも情けないが、外部調査といっても、評価に値するような報告を出していない」と声明を出した理由を話した。 日本取引所自主規制法人が2016年に出した「上場会社における不祥事対応のプリンシプル」では、調査の客観性・中立性・専門性確保のため第三者委員会設置が有力な選択肢とされている。
・だが、声明では「少なくとも、日産自動車とスバルは委員会を設置せず、東レの有識者委員会は調査を自ら実施せず、プリンシプルに即した対応を避けている」と批判した。さらに、経営者が不十分な調査に逃げないよう社外役員のリーダーシップを求め、名ばかりの第三者委員会にならないよう注意喚起した。
・不祥事を受けての外部調査はどうあるべきか。久保利氏は「『第三者委員会に、会社がよくなるためにどうしたらいいのか言ってもらわないと困る』という覚悟でやるCEO(最高経営責任者)がいれば、第三者委員会は劇的に変わる。ヘボな第三者委員会報告書や第三者の名前もかぶせられないような報告書を出すことはCEOがみっともないことの証左だと思う」と話した。
・不祥事をめぐる調査では、大企業だけでなく、公益財団法人の日本相撲協会に対しても世間の厳しい目が向けられた。格付け委員会の目に相撲協会の姿はどう映るのか。 久保利氏は「もともとガバナンスがない。そんなところに第三者委員会のように立派なものを期待するほうがかわいそうだ。そういう意味では公益財団法人の名に値しない」と批判した。
https://www.zakzak.co.jp/soc/news/180209/soc1802090002-n1.html

第三に、芝浦工業大学大学院工学マネジメント研究科教授の安岡 孝司氏が4月11日付け日経ビジネスオンラインに寄稿した「3つの謎を残した神戸製鋼事件の報告書 企業不正の研究(上)」を紹介しよう(▽は小見出し)。
▽BBC、ブルームバーグ、WSJが報じた「日本品質問題」
・このところ「日本品質」を代表する名門企業で不正事件が続いています。海外のメディアでは、「日本企業で何が起きているのか?」(BBC: What is happening with Japan Inc?、2017年10月13 日)や、「日本の品質管理は制御不能」(Bloomberg : Japan's Quality Control Is Out of Control、2017年10月11日) と報じられました。  この不信感は品質のみに限られてわけではありません。最近では「どこの企業も日本の製造業をまねてきたが、今やそのモデルはひびが入っている」(The Wall Street Journal : Companies Everywhere Copied Japanese Manufacturing. Now the Model Is Cracking、2018年2月4日)と、日の丸ビジネスモデルの日没が論じられ始めています。 私たちは、これらの事件を教訓として、足元を固めなおさなければいけません。
▽リスクマネジメントの根幹での不備
・筆者は今年3月、『企業不正の研究 リスクマネジメントがなぜ機能しないのか?』(日経BP社)という本を上梓しました。その中では、最近の企業不正事件8件を取り上げ、外部調査委員会の報告書などをもとにして、リスクマネジメントの限界や盲点などについて解説しました。
・そのうち神戸製鋼所に関しては、執筆時点では暫定報告「神戸製鋼:当社グループにおける不適切行為に係る原因究明と再発防止策に関する報告書(2017年11月10日)」だけしか発表されていませんでしたが、本の発売直前になって最終報告「当社グループにおける不適切行為に関するご報告(2018年3月6日)が発表されました。ここでは最終報告の内容を加味して、原因分析と再発防止策をリスクマネジメントの視点で考えます。
・本件に関して同社は米国司法当局の調査下にあり、カナダで損害賠償請求訴訟が提訴されていることから、外部調査委員会の報告書をそのまま公表していません。最終報告はそれに基づいて会社側の立場でまとめたものです。
・その内容はというと、以下で説明するように原因分析も再発防止策も不十分で、社会通念上期待される説明責任を果たすレベルには至っていません。信頼回復は極めて困難といえるでしょう。 しかし報告書の何が不十分なのかを考えることは、多くのビジネスパーソンに貴重なヒントをもたらすはずです。 最終報告を読み進める前に、まずは『企業不正の研究』の中で指摘していた、リスクマネジメントの根幹での不備について、解説しましょう。
▽「企業理念」と「リスク認識」の不一致
・企業リスクマネジメントの目的を一言でいうなら「経営理念の実現」に尽きます。したがってリスクマネジメントの基本は、経営理念をリスク管理の中心軸に据えることです。 神戸製鋼では企業理念の第1を「信頼される技術、製品、サービスを提供」としています。この理念はリスクマネジメントに反映されていたのでしょうか。
・下の表は同社の有価証券報告書に記されている8つの事業リスクをまとめたものです。そのほとんどは市場リスクで、品質に関するリスクは見当たりません。 (神戸製鋼所の事業リスクの表はリンク先参照)
・経営理念がリスクマネジメントに反映されていないため、品質不正が全社的に拡がり、「信頼」を失ってしまったといえます。同社の関係者に限らず、すべての経営者はこの失敗を教訓に活かすべきかと思います。
▽予測可能だった品質不正問題
・リスクマネジメントでは、過去に経験したか、十分予測可能な事象を管理の対象とします。逆に、未経験で予測不能な事件が起きた時はアクシデントだったと考えます。神戸製鋼は「信頼」を第一に謳うほどの企業です。品質不正は未経験で予測不可能だったのでしょうか。
・残念ながら、子会社の日本高周波鋼業では2008年に鋼材強度試験データのねつ造が発覚し、JIS認証を取り消されています。品質不正は同社グループとして経験済みのリスクなので、品質リスクをリスクマネジメントの対象にするべきでした。
・つまりリスクマネジメントの根幹の部分で二重の不備があったことになります。この不備は暫定報告にも最終報告にも触れられていません。同社はさまざまな再発防止策を打ち出していますが、形だけの対策に陥らないためには、リスクマネジメントの基本から考え直すことが必要です。
▽最終報告の謎(1)なぜ不正が広がったのかを解明していない
・筆者は、最終報告から神戸製鋼が把握した問題の全体像をまとめてみました。それが下の表です。 (神戸製鋼 試験データ改ざん・ねつ造の指示書と実行者の表はリンク先参照) 
・最終報告では国内19拠点で検査データの改ざん・ねつ造が43事案あったとし、不適切行為の指示者、実行者、方法、期間を記しています。 表からわかるように、データ改ざんの大半が品質保証室で行われています。そして同じ拠点内の製造部署や品質保証室の上席から担当者への指示があったこともわかります。
・しかし、「なぜ、そこでおきたのか?」が書かれていません。不正の根本的原因の第1を「収益偏重の経営」としているので、経営の圧力が重大な原因だったことになります。この圧力はどのように品質保証室に伝わったのでしょうか?
・同社ではすべての事業部門長が取締役でした。したがって、経営の圧力は事業部門長から事業部門内に直接加わります。しかしこの圧力は事業部門長から末端の品質保証室へ、どの経路で加わったのかが分析されていません。これが最終報告のもっとも不透明な点といえます。
・神戸製鋼では事業所間の人事異動がなく閉鎖的なところが不正の原因のひとつとしています。拠点間の人事異動がないのなら、従業員を介した伝染病型の不正拡大ではなさそうです。 ではなぜ不正が各拠点の品質保証室に広がったのでしょうか。同社に脈々と伝わっている風土病なのでしょうか。この疑問をしっかり解明したうえで、再発防止策を考えることが必要です。
▽品質管理に甘い組織体制
・品質保証室は検査部署なので、生産現場とは独立な立場で検査を行うことが期待されているはずです。その独立性を確保するために、収益責任のない位置づけとするのがセオリーです。なぜなら、もし検査部署が生産部署と同じ収益責任をもっていると、不良品を意図的に合格させることがあるからです。
・電化製品のように製品不良がユーザーにわかりやすいものでは、検査部署で意図的に不良品を合格させることはないかもしれません。しかし素材の品質はわかりにくい話です。仮に不適合品の割合が1%だったとして、これを0.1%に改ざんしてもユーザーは気づきませんし、実用上の問題に直結しないかもしれません。生産能力が苦しいと、納期に間に合わせるため検査結果の改ざんなどが起こりやすくなります。
・神戸製鋼では工場や事業部の下部組織として品質保証室が置かれています。これでは検査の独立性を確保しにくくなります。前出の表に記したように、神鋼アルミ線材では工場長が品質保証課長を兼務しているところに、品質管理に甘い姿勢を感じます。 (次回に続く)
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/15/226265/032500241/?P=1

第四に、上記の続の4月18日付け日経ビジネスオンライン「社員が不正に走る「危ない会社」に共通する欠陥 企業不正の研究(下)」を紹介しよう(▽は小見出し)。
▽最終報告の謎(2)経営責任を不透明なままにしている
・前回は、神戸製鋼所の不正事件に関する最終報告が残した謎の1つ目を取り上げました。今回は、あと2つの謎を取り上げます。
・最終報告の公表に合わせて、社長と担当副社長の引責辞任が発表されました。しかし最終報告では現経営陣や過去の経営陣と監査役の責任について説明していません。この点でも社会通念上期待される説明責任を果たしているとはいえず、社長の辞任という結論には不透明感と唐突感が免れません。前回の表に記したように本件は1970年代から続いている問題であり、過去の取締役には不正の実行者もいます。現経営陣も過去の経営陣も責任は同質だからです。
・また1972年以降、神戸製鋼の社長は11人が務めているので、社長の在任期間は平均4.2年です。現社長は就任5年目で、ちょうど代替わりの時期です。このタイミングでの辞任を実質的な引責といえるのでしょうか。
▽「現場の妨害行為」はプレス発表したのに、役員になった不正実行者の発表はなかった
・暫定報告と最終報告では、長府製造所のアルミ押出工場で自主点検に対する妨害行為があったため、外部調査委員会による調査を開始したとしています。さらに「当社グループの品質自主点検における妨害行為について、2017/10/20」というプレスリリースを出し、厳正に処分するとしています。
・一方、最終報告では昔のデータ改ざんの実行者がその後専務や副社長に昇格し、不正について取締役会に報告していなかったとしています。同社はこの件をプレスリリースしていないようですが、従業員の妨害行為に比べてプレスリリースに値しないことなのでしょうか。経営と現場との距離というよりも、地位の格差を感じてしまいます。 過去に船場吉兆(2008年廃業)が2007年に商品の賞味・消費期限を偽装していた問題で、当時の専務が「パート従業員の独断」と責任転嫁した発言を思い出してしまいました。
▽「水戸黄門型アクション」の偽物が増える?
・最終報告の再発防止策では「経営幹部が国内外の複数の事業所・拠点を定期的に回り、社員に直接語りかける」としています。これは従業員と経営陣との距離を縮めるための水戸黄門型アクションといえます。しかし、報告書の不透明さや報道の姿勢を正さない限り格差は消えず、ニセ黄門が増えるだけです。
・昨年の神戸製鋼事件の一連の報道からは、「経営者は真面目によく頑張っている」という印象を受けてきました。 しかし、同社のリリースや最終報告に現れていない部分から浮かび上がるのは、印象操作に長けた不気味さです。同社に求められているのは印象ではなく、数値に裏付けられた信頼のはずです。その意味では非常にもったいないことをしました。
▽最終報告の謎(3)再発防止策の実効性が未知数
・次に、最終報告が打ち出した再発防止策をいくつかの視点で考えます。 最終報告の再発防止策では、品質憲章を定め、取締役会の構成を見直すなどガバナンスレベルの改革案が打ち出されています。具体的には独立社外取締役の構成比を3分の1以上(5人)に増やすとか、「指名・報酬委員会」を設置するといった内容です。この委員会の体制は示されておらず、監査委員会の3人が社外取締役であることと、取締役の構成比からみて、社内出身取締役が支配力を保つ委員会になる可能性が高いように感じます。したがって実質的なガバナンス改革が進むのかについてはほとんど未知数です。
・わからないのは、このようなガバナンス改革がデータ改ざんの防止にどのようにつながるのかという点です。繰り返しになりますが、最終報告で経営陣の責任が記されていないこと、経営の圧力がどの経路で不正の現場に伝わったかが解明されていないからです。
▽3つのディフェンスラインは機能するか?
・次に、執行部門での再発防止策をチェックしてみましょう。その時に欠かせない考え方が「3つのディフェンスライン」です。 第1のディフェンスラインは、現場レベルでのリスクマネジメントを意味します。たとえば、製造部署での品質検査が第1のディフェンスラインです。
・第2のディフェンスラインは現場と独立な立場でリスクマネジメントを行うことです。たとえば、工場で作られた商品の品質や性能は検査部署でチェックしますが、この検査部門が第2のディフェンスラインになります。第1と第2の違いは、業務リスクをとっているかどうかで分かれます。
・第3のディフェンスラインは、内部監査です。第2と第3の違いは執行部門にあるか否かです。このことから内部監査部は社長や取締役会直属の組織になっています。
・3つのディフェンスラインは義務ではないので、できていなくても法的に問われることはありません。しかし、リスクマネジメント体制の有効性を検証するためには、わかりやすい考え方です。
▽「品質保証室」の置き位置が不適切
・暫定報告と最終報告で、試験・検査記録の自動化とデータ入力時の1人作業排除によってデータの改ざんを防止する対策が出ています。これは第1のディフェンスラインを強化するために有効な方法といえるでしょう。しかし不正行為はハッキングのようなもので、さらに巧妙な方法で不正が起きるかもしれません。
・品質保証体制の強化はすでに暫定報告で打ち出されています。具体的には各事業部門直轄の品質保証部(室)を置き、各事業所の品質管理と品質保証の機能を分離し、品質保証部署を事業所長直轄とするという対策です。 現場でミスや不正が起きないように監視するのが、第2のディフェンスラインの役割です。本来なら、品質保証部署は第2のディフェンスラインであるべきですが、事業所直轄に置かれているため、事業所内の製造を監視する立場での検査ができません。これは拙著『企業不正の研究』で繰り返し指摘したことです。
・また、同書の中で、改ざんが数十年続いている拠点では不正の関与者が昇格して事業部長や役員クラスに昇格している可能性があり、そのような体制では品質保証部署からの監視が効かなくなるとしました。最終報告をみると、不正の実行者のうち2人がその後製造部長や工場長、製造所長などを経て役員になっています。まさに懸念していたことが起きていました。
・再発防止策では、品質保証部署の長を事業所の設計・製造部門長と兼務させないなど、品質保証の独立性を強化しています。しかし、品質保証部署が事業所長直轄にある限り、第2のディフェンスラインは不在のままです。
▽危うい監査機能
・品質面での監査については、本社に品質統括部と品質監査室を新設し内部監査を行うとしています。つまり品質監査室が第3のディフェンスラインの役割を担います。上に書いたように、監査は第3のディフェンスラインとして、執行部門と独立な立場で行うものです。事業部門に監査機能を置いてしまうと、事業部門レベルでの不正を監視できないからです。
・とくにアルミ・銅事業部門では、品質保証部の品質監査室が部門内監査の企画、実施、フォローなどを行うとしています。ここが監査を企画して実施するということは、監査機能が事業部門に支配されやすくなるかもしれません。この体制では第3のディフェンスラインの監視が効きにくくなります。
・さらに理解できないのは、各事業部門・事業所内の品質保証部署が抜き打ち監査を行うという対策です。これも執行部門と独立であるべき監査機能を事業所内にもたせることになるからです。 この結果、監査機能が事業部門や配下の事業所に重複的に分散され、監査責任があいまいになるという危うさをはらんでいます。3重の監査体制は万全かというと、現場が関わっている限り逆効果です。
・再発防止策のリスクマネジメント上の問題点をまとめると、第2のディフェンスラインが不在なことと、監査機能の重複化によってその独立性が弱まる点に尽きます。全体として第1のディフェンスラインは強化されたものの、第2、第3のディフェンスラインが整備されたとはいえません。
▽コンプライアンス頼みの限界
・今の日本は、エリート官僚が公文書を改ざんし、東芝やオリンパスなど超名門企業の社長が不正会計の主役になる時代です。三菱自動車では社員が燃費不正の疑いを指摘しても、経営陣は真摯な対応を怠りました。
・にもかかわらず、神戸製鋼の品質保証は事業部門長や事業所長クラスのコンプライアンス頼みになっています。第2、第3のディフェンスラインを立て直すために思い切った対策を打つことが、信頼回復への課題といえるでしょう。(了)
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/15/226265/040600246/?P=1

第一の記事で、 三菱マテリアル社長が、『「三菱マテリアルグループを率いる能力は、当然ながら持っていると考えている』、と発言したというのには、心底、驚いた。能力がないからこそ、長年の問題を放置していたという反省が窺えない。 『最終報告は・・・原因分析も再発防止策も不十分で、社会通念上期待される説明責任を果たすレベルには至っていません。信頼回復は極めて困難といえるでしょう』、 『竹内社長は会見で、不正が起こった最大の原因は「直接不正行為を行った人間のコンプライアンス意識の低さ」と言い切り、現場を糾弾した』、などというのはあきれるばかりだ。これだけのガバナンス不全に対し、三菱グループであるため、外部の機関投資家からの圧力もあまりかからず、放置されてしまうのだろうか。
第二の記事で、 『東レの有識者委員会は調査を自ら実施せず、プリンシプルに即した対応を避けている』、というのが経団連会長会社というのだから、恐れ入る。 『名ばかりの「第三者委員会」』、の横行には、マスコミにも一端の責任がある。
第三の記事で、 外紙で 『日の丸ビジネスモデルの日没が論じられ始めています』、というのはみっともない話だ。 神戸製鋼の 『最終報告は・・・原因分析も再発防止策も不十分で、社会通念上期待される説明責任を果たすレベルには至っていません。信頼回復は極めて困難といえるでしょう』、 『工場や事業部の下部組織として品質保証室が置かれています。これでは検査の独立性を確保しにくくなります』、というのは飛んでもないことだ。
第四の記事で、 『「現場の妨害行為」はプレス発表したのに、役員になった不正実行者の発表はなかった』、 『昔のデータ改ざんの実行者がその後専務や副社長に昇格し、不正について取締役会に報告していなかったとしています』、 『再発防止策のリスクマネジメント上の問題点をまとめると、第2のディフェンスラインが不在なことと、監査機能の重複化によってその独立性が弱まる点に尽きます。全体として第1のディフェンスラインは強化されたものの、第2、第3のディフェンスラインが整備されたとはいえません』、などは、これだけの問題を起こしていながら、この程度の甘い報告書で済まそうとする姿勢には、あきれ果てるという他ない。
タグ:東レ 日産自動車 神戸製鋼所 SUBARU 三菱マテリアル 企業不祥事 日経ビジネスオンライン ZAKZAK ダイヤモンド・オンライン (神戸製鋼などの部材不正) (その6)(三菱マテリアル 社長の現場糾弾発言が示す「統治機能不全」、名ばかりの「第三者委員会」…日産 神鋼など不祥事5社名指し批判 弁護士ら『第三者委格付け団体』、3つの謎を残した神戸製鋼事件の報告書 企業不正の研究(上)、社員が不正に走る「危ない会社」に共通する欠陥 企業不正の研究(下)) 「三菱マテリアル、社長の現場糾弾発言が示す「統治機能不全」」 「需要家別検査ポイント表」「シルバーリスト」なる不正の“指南書” 少なくとも1990年代から存在 竹内社長は会見で、不正が起こった最大の原因は「直接不正行為を行った人間のコンプライアンス意識の低さ」と言い切り、現場を糾弾した 「名ばかりの「第三者委員会」…日産、神鋼など不祥事5社名指し批判 弁護士ら『第三者委格付け団体』」 「第三者委員会報告書格付け委員会」 委員長・久保利英明弁護士 、「名ばかり第三者委員会」以下との指摘も 少なくとも、日産自動車とスバルは委員会を設置せず、東レの有識者委員会は調査を自ら実施せず、プリンシプルに即した対応を避けている」と批判 安岡 孝司 「3つの謎を残した神戸製鋼事件の報告書 企業不正の研究(上)」 BBC、ブルームバーグ、WSJが報じた「日本品質問題」 リスクマネジメントの根幹での不備 予測可能だった品質不正問題 (1)なぜ不正が広がったのかを解明していない 品質管理に甘い組織体制 「社員が不正に走る「危ない会社」に共通する欠陥 企業不正の研究(下)」 経営責任を不透明なままにしている 再発防止策の実効性が未知数 3つのディフェンスラインは機能するか? 危うい監査機能
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