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幼児(児童)虐待(その5)(「これで無罪なら性犯罪は…」強制性交事件「無罪判決」の衝撃 裁判官が性犯罪の実態を知らなすぎる、精神科医が分析 札幌・目黒・野田…3つの虐待事件の鬼父像、宇都宮殺人託児所事件 録音されていた“虐待通報放置”の自白) [社会]

幼児(児童)虐待については、5月28日に取上げた。今日は、(その5)(「これで無罪なら性犯罪は…」強制性交事件「無罪判決」の衝撃 裁判官が性犯罪の実態を知らなすぎる、精神科医が分析 札幌・目黒・野田…3つの虐待事件の鬼父像、宇都宮殺人託児所事件 録音されていた“虐待通報放置”の自白)である。

先ずは、筑波大学教授(臨床心理学、犯罪心理学)の原田 隆之氏が5月27日付け現代ビジネスに寄稿した「「これで無罪なら性犯罪は…」強制性交事件「無罪判決」の衝撃 裁判官が性犯罪の実態を知らなすぎる」を紹介しよう。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/64846
・『名古屋地裁岡崎支部の唖然とする判決  このところ、悪質な性犯罪に対し立て続けに無罪判決が出され、大きな批判を浴びている。 なかでも、一番反発が大きく、今でも波紋が広がっているのが、名古屋地裁岡崎支部が今年3月26日に出した無罪判決である。 被告は、2017年に当時同居していた実の娘(当時19歳)と性交したとして、準強制性交罪で起訴され、懲役10年が求刑されていた。 強制性交罪というのは、かつての「強姦罪」のことであり、2017年の刑法改正によって罪名が改められた。 かつての強姦罪は、男性器を女性器に挿入する行為だけが対象であったのに対し、被害者の性別を問わず、口腔性交や肛門性交など「性交類似行為」も含めて「強制性交罪」とされることとなったのである。 また、「準」というのは、暴力や凶器を用いて力づくで性交したというのではなく、相手の心神喪失や抗拒不能の状態に乗じて性交した場合を指す。 たとえば、被害者が酔いつぶれていたときや、マインドコントロールなどで心理的に抵抗ができないような状態に置かれたときなどに成立する。 「準」というと、何か罪が軽いようなイメージを抱かせるが、けっして、強制性交罪よりも罪が軽いわけではなく、いずれも懲役5年以上という重罪である。 この事件で被害者は、「長年にわたって父親から虐待を受け続けており、心理的に抵抗することが不可能だった」と主張し、準強制性交罪で訴えていた。 一方、父親側は「被害者である娘は同意しており、抵抗できない状態ではなかった」と主張して争っていた。 判決で、鵜飼祐充裁判長は、性交はあったこと、娘からの同意はなかったことは認め、さらに「被告が長年にわたる性的虐待などで、被害者を精神的な支配下に置いていたといえる」ということも認めた。 しかし、「抗拒不能の状態にまで至っていたと判断するには、なお合理的な疑いが残る」として、無罪を言い渡した。 実の父親が、同意のない未成年の娘に対し、恐怖心から精神的支配下に置いたうえで性交をしたことまで認めているのに、「抗拒不能であったかどうかわからない」という理由での無罪判決である。 最後の最後で「大どんでん返し」のような理不尽で残酷な判決である』、「強制性交罪」に、「口腔性交や肛門性交など「性交類似行為」も含め」たのは前進であるが、鵜飼祐充裁判長の無罪判決には驚かされた。
・『準強制性交罪の構成要件  準強制性交罪は、その構成要件のハードルが非常に高い。これは、冤罪防止という理由が大きい。 性交は、密室で二人きりで行われるものであるため、一方が勝手な主張をして相手を陥れることもできる。 たとえば、本当は同意のうえでの性行為であったものが、喧嘩した腹いせに、女性側が「無理矢理セックスされた」などと訴えるケースがないわけではない。 したがって、このようなことを防ぐ意味で、強制性交罪の場合は、「明らかな暴行脅迫」があることが必要であるし、準強制性交の場合は、「明らかな抗拒不能の状態にある」ことが必要とされている。 「明らかな」というのは、たとえば被害者は恐怖におびえたり、相手に精神的に支配されていて抵抗ができない状態であったとしても、加害者側がそれを認識していないと罪に問えないということでもある。 同意にしても、抗拒不能状態にしても、心理的なものであって、客観的に目に見えるものではない場合が多いため、このような厳密な条件が科せられているのであろう。 しかしそれならば、加害者側が「認識していなかった」と言えば、何でも通ってしまう。 本件でも、被害者が「抗拒不能であった」という完全な証拠がない、父親にも認識のしようがないということで無罪になったわけである。 ほかにも、類似の判決がある。大量のテキーラを飲まされて酩酊状態にあった女性に性交した男性に対して、同じく今年3月に福岡地裁久留米支部は、「無罪」を言い渡した。 「女性はたしかに抗拒不能状態にあったが、男性にはその認識がなかった」というのが理由である。 女性から明確な拒絶の意思がなかったため、男性は「女性が許容している」と思い込んだという被告側の主張が認められたのである』、「準強制性交罪は、その構成要件のハードルが非常に高い。これは、冤罪防止という理由が大きい」、というのは一般論では当然であるが、「本件でも、被害者が「抗拒不能であった」という完全な証拠がない、父親にも認識のしようがないということで無罪になった」、というのは釈然としない。
・『疑わしきは罰せずなのか  このように、立証が非常に困難な性犯罪において、限りなく黒に近いが、疑いの余地が残るということで、無罪となったのだとすれば、それは刑事裁判の鉄則である「疑わしきは罰せず」ということなのかもしれない。 しかし、それ以上に、裁判官が性犯罪や被害者の心理に明らかな無知であることが大きな原因であると思う。 たとえば、加害者はいつもきまって「相手も同意していた」という言い訳をする。これは、先述のように、同意というのは心理的なもので、目に見えないものであることを悪用している場合もあれば、性犯罪者特有の「認知のゆがみ」による場合もある。 「認知のゆがみ」とは、偏った受け止め方をするということで、相手の意図や心理を自分の都合のよいように曲解する「考え方の癖」のようなものだ。 女性が明確な抵抗や拒否を示さなかったことで、「相手も同意していた」と受け取るのは、その典型的なものである。 レイプ犯が抱くこのような「認知のゆがみ」には、数多くのものがあり、それは「レイプ神話」と呼ばれている。 ほかにも、「露出の多い服を着た女性は、性行為を誘っている」「子どもにも性欲があって性行為を望んでいる」などが代表的なものである。 裁判官の判断は、このような「レイプ神話」を真に受けて、それをそっくりなぞっているようにしか思えない。 これらは意図的で白々しい嘘とは違って、加害者本人すら気づいていない「認知のゆがみ」であるので、このような心理状態を知らない裁判官は、まんまと乗せられてしまうことがある』、裁判官が「「レイプ神話」を真に受け」るようでは話にならない。原田氏のような専門家による研修が必要なようだ。
・『そもそも被害者は抵抗できない  裁判官が、性犯罪の実態を知らなすぎるのは、この点だけではない。 被害者は、そもそも明確に抵抗することなどできないのが実態である。大声で叫んだり、激しく抵抗したりするのは、テレビのなかの陳腐な場面だけである。それを現実と勘違いしているのであれば、不勉強も甚だしい。 また、この事件の被害者のように、長年の虐待で恐怖による支配を受けた場合は、相手のことを思い出しただけでも、体がすくんだり、何も考えられなくなったりするのが通常である。現実的に性行動を誘われたような場合はなおさらである。 大きな恐怖を抱くような場面では、「解離」という一種の変性意識状態に陥ることがめずらしくない。それは、そのときの心理を通常の心理状態から切り離してしまうことであり、危険な状態において、心を守ろうとする「正常な」な反応である。 それを周囲から見れば、さしたる抵抗もしていないように見えたり、被害者も受け入れているようにすら見えてしまう。 それまでの長い虐待や恐怖による支配という文脈を考慮せず、そしてこのような心理的プロセスについて無知のままで、「抗拒不能だったとはいえない」などと言ってのけることも、不勉強で無理解の誹りを免れることができないだろう。 また、裁判官ですらそうなのだから、加害者のほうも、こうした被害者の心理的プロセスには無知であることは容易に想像できる。 だとすれば、法律が求めるように、被害者が抗拒不能であることを加害者が認識することなど、土台無理だということになる。 つまり、法は現実的に不可能なことを構成要件として求めていることになり、このままでは、ほとんどすべての準強制性交が成立しないことになってしまう』、立法過程で原田氏のような専門家の意見を聞かなかったのであれば、大きな手落ちだ。
・『今後必要なこと  これらのことを考えると、今後早急に必要なことが2つある。 まずは、裁判官に対して、性犯罪被害者の心理に関する教育を徹底的に実施することである。これは今すぐにでもできることである。 もう1つは、これらの議論を踏まえたうえでの、刑法の改正である。強制性交罪や準強制性交罪の構成要件が厳格すぎることは、前回の刑法改正の際にも議論されたことであるが、前述のように冤罪防止の観点から見送られたという経緯がある。 もちろん、被害者の利益のために、少しの冤罪なら許容できるというものではない。しかし、現に被害があっても成立することが現実的にきわめて困難な構成要件であれば、現実に即して改正すべきである。 ただでさえ、性犯罪の被害者が被害を訴えることは、非常にハードルが高い。法務省の調査では、性犯罪の被害者のなかで、実際に届け出た人はわずか18.5%しかいない。 この事件の被害者も、実際の被害を受けてから、何年も経ってやっと訴え出ることができたのである。それを無理解な裁判官によって、無罪にされたのでは、どこに正義を求めればよいのだろう。 これでは、裁判所が「泣き寝入りをしろ」と言っているのと同じである。さらに、性犯罪者予備群に対しても、「これだけのことをやっていて無罪なのだから、レイプし放題だ」などというメッセージを伝えてしまうことになる。 このような正義なき裁判は、二度と繰り返されてはならない』、説得力の溢れた主張で、全面的に賛成である。

次に、精神科医の和田秀樹氏へのインタビューを中心とした6月16日付け日刊ゲンダイ「精神科医が分析 札幌・目黒・野田…3つの虐待事件の鬼父像」を紹介しよう。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/lifex/256055
・『またも児童虐待をめぐる凄惨な事件が世間を騒がせている。 今月、札幌市の池田詩梨(ことり)ちゃん(2)が衰弱死し、母親と交際相手が傷害容疑で逮捕され、詩梨ちゃんの体からは、たばこの火が原因とみられるやけどの痕が複数見つかった。 目をふさぎたくなるような“鬼父”による虐待と言えば、昨年3月に東京・目黒区で5歳の女の子が亡くなった事件があった。女児が書き記したノートから見つかった「おねがい ゆるして」というメッセージは社会に大きな衝撃を与えた。 そして、今年1月には千葉県野田市で小学4年生の10歳の女の子が父親に冷水シャワーを浴びせられるなどして自宅浴室で死亡している。 この3つの事件に関与したのは交際相手、継父、千葉は実父という違いはあるが、いずれも母親のパートナーだ。そして、母親単独の虐待よりも残酷な点が目立った』、確かに今年に入ってからの児童虐待死事件は、目を塞ぎたくなるほど悲惨だ。
・『精神科医の和田秀樹氏は父親らによる虐待をこう分析する。 「虐待を起こす原因は一概に言えませんが、自身が虐待を受けてきたことによる虐待の連鎖、妻の連れ子、貧困が背景にあります。目黒の事件はそれに当てはまる点が多いですが、野田のほうは当てはまる要素があまりない。野田は父親のパーソナル障害によるところが大きいと思います。仕事もしており、社会的にはしっかりしていたようですが、仕事や生活の欲求不満が子どもに向かったのではないでしょうか。双方とも父親による虐待であり、力加減が分からず、暴力がエスカレートし、自分自身を止めることができなかった。発達障害的なものの可能性も否定できません」』、仮に「発達障害的なものの可能性」があるとしても、刑事責任を問えないようなものではないと思いたい。
・『さらに、目黒、野田ともに、妻に対して高圧的な態度をとっており、母親にSOSを出させないようにしている点だ。また、妻たちは夫を追って、実家を出ているのも不可解だ。なぜDV夫から子どもを守ることをせず、妻たちは逃げないのだろうか。 「恐怖による支配によってサレンダー(降伏)心理というのが生じることが知られているのですが、母親たちはこのサレンダー心理に陥り、助けを求めることができなかったと思われます。また、サレンダー心理によって、暴力を振るわれた相手を理想化してしまうんです。その人に気に入られようと積極的に服従し、加担してしまう。人間の心理をそれまでと変えてしまうものなのです」(和田氏) さらに和田氏は日本の虐待を取り巻く現状に、こう警鐘を鳴らす。 「虐待によって子どもを殺した父親たちが責められるのは当然です。厳罰化を求める声も大きく、確かに、厳罰化によって抑止力が働くかもしれませんが、それだけでは虐待はなくなりません。今後は、虐待を抑止するための整備を日本は考えていかなければならない。アメリカでは子どもだけではなく、虐待をした親もしっかりとカウンセリングを受け、虐待をしないと認められるようにならなければ、子どもを返すことはない。しかし、日本では野田の事件のように、虐待をしていると把握しているにも関わらず、子どもを親元へ帰してしまう。カウンセリングを積み重ねていけば、今まで見えてこなかった親が虐待を犯す原因が見えてくることもあります」 自身の欲求不満を無抵抗な子どもに虐待という形でぶつける鬼父たち。鬼父たちの犠牲者をこれ以上出さないためにも、早急な改革が望まれる』、「サレンダー心理」とは初耳だが、ありそうなことだ。和田氏の主張通り、「厳罰化」だけでなく、親への「カウンセリング」体制も整える必要がありそうだ。

第三に、6月28日付けYahooニュースが女性自身の記事を転載した「宇都宮殺人託児所事件 録音されていた“虐待通報放置”の自白」を紹介しよう。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190628-00010005-jisin-soci
・『「あの日、娘は長時間の苦しみを受けながら殺されたのです。生後9カ月だったのに、ほかの子どもたちと同じようにグルグル巻きに縛られて、脱水症状に陥り……。警察の遺体安置所で私たちが見た愛美利の顔には無数のアザが、そして体には縛られたような痕も残っていました」と語るのは、栃木県宇都宮市在住のAさん(53)。 【写真】縛られて放置された子供たち。元職員が撮影していた(リンク先にあり)  Aさんとその妻・B子さん(41)の長女・愛美利ちゃんは'14年7月26日に、わずか9カ月の人生を閉じた。死因は熱中症だった。当時、愛美利ちゃんは認可外保育施設「託児室トイズ」に預けられていたが、38度を超える発熱があったにもかかわらず、施設の職員らは彼女を放置し、死に至らしめたのだ。 '16年6月に、宇都宮地裁は、託児室の元施設長・木村久美子(62)に懲役10年の判決を下し、その後刑は確定した。だがAさんとB子さんの闘いはいまも続いている』、「託児室トイズ」では夏場にも拘らず、冷房が入ってなかったらしい。「縛られて放置された子供たち」の写真は一見しただけで、これが保育施設のやることかと強い憤りを感じた。
https://jisin.jp/kasou/1751437/image/1/?rf=2
・『「私たちは宇都宮市の(保育施設への指導・監督を行っている)保育課が、きちんと立入調査を行っていれば、娘は死なずにすんだと思っています」(Aさん) 実は愛美利ちゃんの亡くなる2カ月前の'14年5月に、宇都宮市は立て続けに託児室トイズで横行している児童虐待にまつわる通報を受けていたのだ。 「1度目は5月27日、トイズに預けられた男児の人差し指の爪が剥がされていたというもの。さらに翌日には職員の関係者を名乗る人物から《職員を減らしているので、子供を毛布でグルグル巻きにして、ひもで縛って動けないようにしている》と、具体的に指摘があったのです」(Aさん) この2度にわたる虐待通報があったにも関わらず、宇都宮市が行ったのは、わずか30分の立入り調査のみ。それも施設に対して、事前に通告してから実施したものだった。 「そのときに抜き打ちで入念な立入り調査をし、そして継続的な調査が行われ、施設の実態が明らかになっていれば、愛美利を預け続けることはなかったでしょう。娘は市のずさんな対応のために殺されたのです」(Aさん) 「最近も虐待通報がありながら児童相談所が手をこまねいていたり、適切な対応をしなかったりで、犠牲になる子供たちが後を絶ちません。愛美利のケースもその典型例だと思います」(B子さん) 愛美利ちゃんが犠牲になった後も、託児室トイズは自分たちの罪を認めず、その死の真相を隠し続けていた。また保育課もトイズに関する虐待通報があったことを明かそうとはしなかったのだ。結局、AさんとB子さんが、事前に虐待通報があったことを知ったのは愛美利ちゃんの死去から3カ月後。市に対する地道な情報開示請求を続けた結果だった。驚いた2人はすぐさま保育課に抗議をしたという。 そのとき録音されたやり取りはこの今年7月の公判後に初めて開示される予定だったが、それに先んじて、本誌がその概要を公開する。 Aさん「たった30分だけの調査で終わりだと思っているんですか?」 保育課課長(以下課長)「この件については、その後の立入り(調査)などはしておりません」 Aさん「なぜ、しなかったのか? それは放置っていうんですよ。あなたが『徹底的に調査しろ』と、言ってくれていたら、うちの娘は死んでいない」 課長「(調査が)十分じゃなかったことはあるかもしれないですよ」 Aさん「(虐待通報があったのに30分程度の調査でその後)放置していたことについては責任者として、どう考えているのですか?」 課長「十分でなかったことは申し訳ないと思っていますよ」 Aさん夫妻が、施設に対する指導責任を怠ったとして宇都宮市に損害賠償を求める訴訟を起こしたのは、このやり取りから3カ月後の'15年1月のことだった。愛美利ちゃんが亡くなったあとの数年間、母・B子さんは睡眠障害で苦しんだという。 「眠ると娘が苦しんでいる夢を見るのです。そばに駆け寄れば助けられるのに、手が届かない……、そんな夢ばかり見ていました」 AさんとB子さんは、以前『赤ちゃんの急死を考える会』のメンバーとしても活動をし、保育施設に抜き打ちの立入り調査をするなど、行政サイドの指導・監督体制の整備を求めるよう国会議員に陳情したこともある。Aさんは最後にこう語った。 「愛美利の死を無駄にしないためにも、新しく生まれてくる子供たちのためにも、児童虐待や不適切な保育を見逃さない仕組みを作らなければいけません。私たちはこれからも、そのことを訴えていきますが、きっと長い道のりになることでしょう」』、「宇都宮市保育課」の生ぬるい対応は首を傾げざるを得ない。あるネット情報によれば、「託児所トイズの運営関係者には、以前に栃木県内で重要な公職を務めていた人間や教育関係者の存在が取りざたされており・・・この人物の存在が宇都宮市の姿勢に何らかの影響を与えた可能性は排除できません」とのことである。
https://yodokikaku.net/?p=6896
「宇都宮市に損害賠償を求める訴訟」の行方がどうなるのかを注視していきたい。
タグ:幼児 虐待 児童 女性自身 yahooニュース 日刊ゲンダイ 現代ビジネス 原田 隆之 (その5)(「これで無罪なら性犯罪は…」強制性交事件「無罪判決」の衝撃 裁判官が性犯罪の実態を知らなすぎる、精神科医が分析 札幌・目黒・野田…3つの虐待事件の鬼父像、宇都宮殺人託児所事件 録音されていた“虐待通報放置”の自白) 「「これで無罪なら性犯罪は…」強制性交事件「無罪判決」の衝撃 裁判官が性犯罪の実態を知らなすぎる」 名古屋地裁岡崎支部の唖然とする判決 被告は、2017年に当時同居していた実の娘(当時19歳)と性交したとして、準強制性交罪で起訴され、懲役10年が求刑 被害者は、「長年にわたって父親から虐待を受け続けており、心理的に抵抗することが不可能だった」と主張し、準強制性交罪で訴えていた 判決で、鵜飼祐充裁判長は、性交はあったこと、娘からの同意はなかったことは認め、さらに「被告が長年にわたる性的虐待などで、被害者を精神的な支配下に置いていたといえる」ということも認めた。 しかし、「抗拒不能の状態にまで至っていたと判断するには、なお合理的な疑いが残る」として、無罪を言い渡した 準強制性交罪の構成要件 構成要件のハードルが非常に高い。これは、冤罪防止という理由が大きい 強制性交罪の場合は、「明らかな暴行脅迫」があることが必要 準強制性交の場合は、「明らかな抗拒不能の状態にある」ことが必要 被害者が「抗拒不能であった」という完全な証拠がない、父親にも認識のしようがないということで無罪になった 疑わしきは罰せずなのか 裁判官が性犯罪や被害者の心理に明らかな無知であることが大きな原因 同意というのは心理的なもので、目に見えないものであることを悪用している場合もあれば、性犯罪者特有の「認知のゆがみ」による場合もある。 女性が明確な抵抗や拒否を示さなかったことで、「相手も同意していた」と受け取るのは、その典型的なも 「レイプ神話」 裁判官の判断は、このような「レイプ神話」を真に受けて、それをそっくりなぞっているようにしか思えない そもそも被害者は抵抗できない 大きな恐怖を抱くような場面では、「解離」という一種の変性意識状態に陥ることがめずらしくない。それは、そのときの心理を通常の心理状態から切り離してしまうことであり、危険な状態において、心を守ろうとする「正常な」な反応である 周囲から見れば、さしたる抵抗もしていないように見えたり、被害者も受け入れているようにすら見えてしまう 法は現実的に不可能なことを構成要件として求めていることになり、このままでは、ほとんどすべての準強制性交が成立しないことになってしまう 今後必要なこと 裁判官に対して、性犯罪被害者の心理に関する教育を徹底的に実施 これらの議論を踏まえたうえでの、刑法の改正である 現に被害があっても成立することが現実的にきわめて困難な構成要件であれば、現実に即して改正すべき 裁判所が「泣き寝入りをしろ」と言っているのと同じ 「精神科医が分析 札幌・目黒・野田…3つの虐待事件の鬼父像」 札幌市の池田詩梨(ことり)ちゃん(2)が衰弱死 目黒区で5歳の女の子が亡くなった事件 野田市で小学4年生の10歳の女の子が父親に冷水シャワーを浴びせられるなどして自宅浴室で死亡 いずれも母親のパートナーだ。そして、母親単独の虐待よりも残酷な点が目立った 精神科医の和田秀樹氏 自身が虐待を受けてきたことによる虐待の連鎖、妻の連れ子、貧困が背景にあります 発達障害的なものの可能性も否定できません 目黒、野田ともに、妻に対して高圧的な態度をとっており、母親にSOSを出させないようにしている 恐怖による支配によってサレンダー(降伏)心理というのが生じる 厳罰化によって抑止力 虐待をした親もしっかりとカウンセリング 「宇都宮殺人託児所事件 録音されていた“虐待通報放置”の自白」 愛美利ちゃん 認可外保育施設「託児室トイズ」 38度を超える発熱があったにもかかわらず、施設の職員らは彼女を放置し、死に至らしめた 宇都宮地裁は、託児室の元施設長・木村久美子(62)に懲役10年の判決を下し、その後刑は確定 宇都宮市の(保育施設への指導・監督を行っている)保育課 きちんと立入調査を行っていれば、娘は死なずにすんだと思っています 宇都宮市は立て続けに託児室トイズで横行している児童虐待にまつわる通報を受けていた 宇都宮市が行ったのは、わずか30分の立入り調査のみ。それも施設に対して、事前に通告してから実施 Aさん夫妻が、施設に対する指導責任を怠ったとして宇都宮市に損害賠償を求める訴訟を起こした
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メディア(その16)(小田嶋氏:ハゲタカとハイエナたちの生態系) [メディア]

メディアについては、6月25日に取上げたばかりであるが、今日も、(その16)(小田嶋氏:ハゲタカとハイエナたちの生態系)である。

コラムニストの小田嶋 隆氏が1月26日付け日経ビジネスオンラインに寄稿した「ハゲタカとハイエナたちの生態系」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/opinion/15/174784/012500128/?P=1
・『この2年ほど、当たるを幸いに有名人の婚外交渉や私生活上の不品行を暴き立てては、斯界に話題を提供してきたいわゆる「文春砲」が、ここのところ自爆気味に見える。 特に、先週号(1月25日号)で、小室哲哉さんの不倫疑惑を暴露した記事への反発は、これまでにない規模の「炎上」と申し上げてよい騒ぎを惹起している。 今回は、文春砲自爆の話題を蒸し返したい。 蒸し返したいという書き方をしたのは、この炎上騒動がおおむね終息したと判断している読者が少なくないと思ったからだ。 私は、終わりだとは思っていない。 むしろ、始まったばかりだと考えている。 何が始まっているのかは、以下に書き進めるなかでおいおい明らかにしていくつもりだ。 2016年の12月27日、私は以下のようなツイートを投稿した。 《2016年は週刊誌が死んだ年だと考えている。いわゆる「文春砲」で息を吹き返したと思っている人もいるんだろうけど、部数の復活も一瞬の話で、要するにああいう品の無いスキャンダリズムに舵を切った時点で真っ当なメディアとして自殺したわけだよね》(こちら) 今回の騒ぎは、私が一昨年の年末に書きこんだ観察が、事実として顕現している姿に見える。 いまわれわれが目撃しているのは、昭和の人間が考えていた「週刊誌ジャーナリズム」なるものが死滅して、新しい何かが誕生する過程で繰り広げられている愁嘆場だということだ。 小室哲哉さんの私生活をあからさまに暴露した今回の記事への評価は、観察する者の立場によって様々だとは思うのだが、個人的には、小室氏本人の口から 《「お恥ずかしい話ですが、普通の男性としての能力というものがなくて」》 という発言を引き出す事態を招いた一点だけをとっても、残酷な仕打ち以上のものではなかったと考えている。 何十人という記者と全国ネットのテレビカメラの前で、自分の男性機能の喪失を告白せねばならなかったご本人の気持ちはいかばかりであったろうか。 記者会見の当日、私は 《個人的な見解ですが、私は、不倫をしている人間より、他人の不倫を暴き立てて商売にしている人間の方がずっと卑しいと思っています。》(こちら)というコメントをツイッターに書きこんだ。 特に目新しい感慨ではない。目からウロコが落ちるような発見を含んでいるわけでもなければ、思わずヒザを打つ秀抜な修辞がほどこされているわけでもない。その、どちらかといえば凡庸な感想ツイートが、現時点で1万件以上のリツイートと、2万件以上の「いいね」を獲得している。それほど、共感する人が多かったということだ』、私も政治家向けの「文春砲」を別にすれば、悪趣味と眉を顰める口だ。
・『ツイッターをはじめて9年になるが、記憶している限りでは、1万RTも、2万件の「いいね」も、今回のこれがはじめてだ。 この数字は、一般の人々の間に底流している「文春砲」への反発が、思いのほか巨大であることを示唆している。でなくても、世間の不倫報道への忌避感を代弁している結果だろう。 私自身は、当欄でも何度か繰り返している通り、「文春砲」には、その言葉が誕生した直後から不快感を抱いている。 たとえば、2016年の6月から7月にかけて 《暴露→告発→糾弾→会見→辞任要求みたいなパパラッチ報道からリンチ制裁に至る流れを「文春砲」だとかいって持ち上げるバカがいるのは仕方ないのだとして、当の編集部が調子ぶっこいて「文集砲ライブ」とか言ってニコ生を流してる姿は醜悪すぎる》(こちら) 《文春砲LIVE」という恥ずかしいタイトルの左下に、わざわざ※(こめじるし)付きで、(※文春砲=週刊文春のスクープ、もしくはスクープ記者のこと)と注釈を付けている。カッペという死語を召喚せざるを得ない。》(こちら) という強い調子のツイートを発信している。 まあ、アタマに来ていたわけです。 興味のある向きは、「文春砲」というキーワードで検索すれば、文春砲の公式ツイッターアカウントにたどりつくことができる。 ぜひ見に行ってほしい。 見どころのひとつは、当該アカウントのホームページ上に登場する「文春(ふみはる)くん」と名づけられたアニメキャラの絵柄だ。 片目をつぶって舌を出しながら、片手でバズーカ砲のような携行火器を構えている「文春くん」の立ち姿は、私の目には 「へへっ、オレはターゲットを見つけたら何の遠慮もなくぶっ放すぜ」と宣言しているように見える。 表情は、いわゆる「ゲス顔」という言葉で分類される顔だと思う。 あれが、ゲス顔でないのだとしたら、私はほかに実例を思い浮かべることができない。 商業雑誌の編集部が、自分たちの取材活動を擬人化した二次元表象を設定するにあたって、どうしてこんな小面憎いゲス顔の半ズボンのガキを持ってきたのかを考えると、なかなか興味深い。 おそらく、彼らとしては、「ヘヘん。パパラッチと言わば言えだ。スクープは撮ったもん勝ちの記事は売ったもん勝ちってこった」「報道倫理がどうしたとか取材マナーがハチのアタマだとかいった書生くさい小理屈論争がお好きなら学校新聞の部室か昼下がりの牛丼屋で好きなだけ開陳してくれ。オレらプロは忙しくてそれどころじゃないんであしからず」「ケケケ。ウチの社屋の壁がどうして真っ黒なのか勉強してから苦情を持ち込みやがれ」ぐらいな一種捨て鉢なプロ根性を図案化したつもりでいるのだろう。 こういうところでいい大人が悪ぶってみせずにおれないのは、彼らが、一方において、うしろめたさを感じているからだと、そういうふうに見るのは、これはうがち過ぎであろうか。 ふみはるくんはふるえている。 そう思うと、いささか哀れだ』、「いい大人が悪ぶってみせずにおれないのは、彼らが、一方において、うしろめたさを感じているからだ」、というのは鋭い指摘だ。
・『何度も書いたことだが、もう一度書いておく。 不倫(本来なら「婚外交渉」という単語を使いたい。「不倫」という情緒に汚れた言い方は好まない。ただ、字数や語感の点で「不倫」を使った方が文章が書きやすかったりする。困ったことだ)は、好ましいことではない。民法上の不法行為であることはもとより、なによりパートナーの信頼を裏切る行為だからだ。 しかしながら、当事者でない人間にとって、他人の不倫は、文字通りの他人事だ。 このことはつまり、誰も他人の不倫を責める資格を持ってはいないし、面白がって話題にする権利も持っていないことを意味している。 それ以上に、仮に結果として誰かの不倫関係を知ることになったのだとしても、普通の人間はそれを暴く権利も理由も必然性も持っていない。なんとなれば、不倫ではあっても(あるいは不倫であるからこそ)それは個人の私生活の範囲内の出来事なのであって、その個人の私生活の秘密は、その彼または彼女が暮らしている社会が健全な市民社会である限りにおいて、最終的かつ不可逆的に防衛されなければならないものだからだ。 では、報道にたずさわる者なら、他人の不倫を暴く権利を持っているものなのだろうか。 これは、一概には言えない。 不倫をはたらいた当事者の立場にもよれば、その婚外交渉の当事者の関係性にもよる。 相手が政治家をはじめとする高い倫理基準を求められる人間であるのなら、そういう人間の不倫は、公益のために暴露されても仕方がない場合もあるだろう。 が、単に著名な人間だからという理由で、歌手や俳優やスポーツ選手の婚外交渉がもれなく世間に公表されなければならないのかといったら、私はそんなことはないと思っている。 文春砲が、誕生以来2年ほどの間、一部で強烈な反発を招きながらも、大筋として、スキャンダル好きの商業メディアと一般大衆の心をとらえてきた理由のひとつは、ターゲットの選び方が巧妙だったからだ。 どういうことなのかというと、彼らは、世間がなんとなく反発を抱いている人間に的を絞って、その不倫を暴く仕事を続けていたわけで、結果、世間は、内心で叩きたいと思っていた人間について、存分に叩いてかまわない材料を与えられることになったわけで、なればこそ、文春砲は、社会的なリンチをスタートさせるホイッスルとして制裁趣味を抱く人々に歓迎されていたということだ。 世間は、不倫を糾弾していたようでいて、実は不倫そのものにはたいして興味を持っていなかったし、怒りを覚えてもいなかった。彼らが熱中したのは、前々からなんとなく面白くなく思っていた人間の人格のあり方を指弾することであり、不倫実行者が不倫発覚前にかぶっていたいい子ぶりっ子の仮面を、よってたかって引き剥がして嘲笑することだったわけで、文春砲が果たしていた役割は、その「まだ無傷でいるパブリックエネミー予備軍」を見つけ出して、その彼らを不倫のタグ付きで公開処刑の刑場に送り込むことだったのである。 が、自ら「文春砲」を名乗り、「文春砲ライブ」なる小銭稼ぎのイベントを企画しはじめたころから、ゲス顔の文春くんの仕事ぶりは、あらかじめ狙いを定めたターゲットを編集部が想定したシナリオにハメこんで貶めにかかるテの、マッカーシズムじみた手法に移行していった。そんなこんなで、もともとは、読者の関心に応える取材だったはずのものが、不倫告発自体を自己目的化したうえで商売のシステムに乗っける「不倫狩り」の様相を帯びるに至って、いよいよ自爆への傾斜を深めつつあるわけですね。 文春砲のスキャンダル暴露記事は、編集部に、ワイドショーやスポーツ新聞などの後追い取材のメディアから得る情報提供料や、「dマガジン」(NTTドコモが運営する有料の雑誌閲覧アプリ)経由の閲覧料収入(クリック数に呼応して増加する設定になっている)をもたらしている。で、その貴重な現金収入は、おそらく相当な金額にのぼっているはずの取材手数料や経費をまかなうための必須のドル箱にもなっている。 ただ、このビジネスモデルは、本来の、部数による売上と単行本収入(と、連載記事の単行本化による収入)という雑誌本来の収益構造とは別立ての、「日銭稼ぎ」に近い』、「文春砲が果たしていた役割は、その「まだ無傷でいるパブリックエネミー予備軍」を見つけ出して、その彼らを不倫のタグ付きで公開処刑の刑場に送り込むことだったのである」、というのは実に本質を突いた指摘だ。
・『仮に当面はそれで採算がとれているのだとしても、中長期的に見て「文春砲」が文春に勝利をもたらすのかどうかは、いまだ未知数だと申し上げなければならない。 というのも、ゲス不倫を暴けば暴くほど、看板が泥にまみれている点が、伝統ある総合雑誌の立ち姿としてどうにも致命的からだ。 実際、文春の看板は泥よりももっと悪いものにまみれている。 その彼らの看板が昨年来まみれている泥よりもさらに悪いものを、彼らは、この先、食べねばならないハメに陥ることになるかもしれない。それはとてもつらい経験になるはずだ。 雑誌発売日のあとの最初の日曜日のお昼前に、とある民放のバラエティー番組に、週刊文春の記者がVTRで出演したのだそうだ。 そのVTRの中で、記者は、同誌の不倫疑惑報道をきっかけに引退を表明した音楽プロデューサー・小室哲哉氏(59歳)について「本意ではない結果になった」とコメントしたのだという(こちら)。 私は、この番組を見ていないのだが、伝えられているところによれば、記者は、顔を映さないアングルで画面に登場していたようで、ネット上では、その点に激しい糾弾の声が集中している。 「ヒトの私生活を暴いておいて、自分は顔出しNGかよ」「卑怯者と書いてぶんしゅんほうと読ませるみたいなw」「誰がゲスの極みなのか鏡を見てよく考えてもらいたいですね」 まあ、当然のツッコミではある。 この空気は、編集長自らが顔出しで記者会見を開いて説明しないと収まらないだろう。 というのも、これまで、文春砲を文春砲たらしめていたのは、 「世間を騒がせた人間は世間に向けて自分の潔白を証明するのか、でなければ世間に向けて自らの罪を詫びるのかせねばならない。とすれば、いずれにせよ、記者会見を開いて自分の言葉で説明しなければならないはずだ」 という感じの、メディアを公開裁判所に擬した理屈で、その種のメディア万能のフルオープン至上主義の正義を奉じてきた張本人が、これだけ世間を騒がせたあげくに、編集部の隅っこに隠れて会社員でございますみたいな顔をしていたのではスジが通らないからだ。 自らを「砲」になぞらえている人間が、チキンであるはずはないわけで、だとすれば、近いうちに、われわれは、編集長の記者会見を見ることができるはずだ。私は信じている。 さて、文春は死んだのだろうか。 私は、現段階では、死んだとは思ってはいない。 雑誌にかかわってなんだかんだで35年ほどになる。 その間、たくさんの雑誌の臨終に立ち会ってきた。ひとつの雑誌の編集部どころか、ジャンルまるごとが消える事態にも直面してきた。現在でも、雑誌の世界は、時々刻々、急速にシュリンクしつつある。このことを、私のような雑誌の世界で暮らしてきた人間は、身に迫る実感として、身にしみて感じている。 そんななかで、週刊文春は、私が生まれる前から一流の雑誌だったし、いまもって日本一の発行部数を誇る総合雑誌だ。簡単に死ぬとは思えない。 ただ、雑誌は、編集長のものだ。 看板が同じでも、編集長が変わると、誌面はかなり根本的に変貌する』、「小室哲哉氏」の「不倫疑惑報道」は確かに取り上げた意味を疑わせるものだ。「近いうちに、われわれは、編集長の記者会見を見ることができるはずだ。私は信じている」と編集長の記者会見を暗に催促しているが、果たして応じるだろうか。
・『私自身、さまざまな雑誌を舞台に、新任の編集長が着任するタイミングで連載企画をスタートさせてもらったり、逆に自分に声をかけてくれた編集長の退任のタイミングで連載陣から離脱したりした経験をいくつか重ねてきている。このことからもわかるように、雑誌の内容は、誌名の看板からやってくる伝統のDNAよりも、その時々のトップの人柄なり思想なりをより強く反映することになるものなのだ。 とすれば、ひとつの雑誌がどんなに煮詰まって見えるのであれ、編集長をはじめとするスタッフの顔ぶれを変えれば、内容が一新される可能性は常にある。その意味で、出口が見えなくなっているかに見える雑誌にも、必ず打開策は用意されている。 また、雑誌は一枚岩の組織でもない。 雑誌は、その本能として、誌面の中に一定量の異分子を養っておく習性をそなえている。 過度に純一な思想に偏った雑誌は生き残れない、と、長い経験が教えるからだ。 だからこそ、私のような書き手にもかろうじて生計の道が残されていたわけで(本来声のかかるはずのない雑誌で、誌面にそぐわない文章を書く機会が多かったのです)、結局のところ、雑誌はひとつの生態系だということなのだろう。 ハゲタカとハイエナを一掃しろとは言わない。 そんなことは無理にきまっているし、環境からスカベンジャー(注)を排除することは暴挙でさえある。 ただ、ハゲタカとハイエナだけでは、生態系は維持できないということを、一匹のフンコロガシとして申し上げて、ごあいさつに代えさせていただきたい。ご清聴ありがとう』、「雑誌はひとつの生態系だということなのだろう」、というのはその通りなのかも知れない。最後の締めはいつもながら見事だ。
(注)ここでのスカベンジャーとは、ハゲタカ、ハイエナなどの腐肉食動物(Wikipedia)。
タグ:メディア 小室哲哉 日経ビジネスオンライン 小田嶋 隆 メディア(その16)(小田嶋氏:ハゲタカとハイエナたちの生態系) (その16)(小田嶋氏:ハゲタカとハイエナたちの生態系) 「ハゲタカとハイエナたちの生態系」 「文春砲」 ここのところ自爆気味 品の無いスキャンダリズムに舵を切った時点で真っ当なメディアとして自殺 他人の不倫を暴き立てて商売にしている人間の方がずっと卑しいと思っています 世間の不倫報道への忌避感 「文集砲ライブ」 文春(ふみはる)くん 「へへっ、オレはターゲットを見つけたら何の遠慮もなくぶっ放すぜ」と宣言しているように見える いい大人が悪ぶってみせずにおれないのは、彼らが、一方において、うしろめたさを感じているからだと、そういうふうに見るのは、これはうがち過ぎであろうか 誰も他人の不倫を責める資格を持ってはいないし、面白がって話題にする権利も持っていないことを意味 それは個人の私生活の範囲内の出来事なのであって、その個人の私生活の秘密は、その彼または彼女が暮らしている社会が健全な市民社会である限りにおいて、最終的かつ不可逆的に防衛されなければならないもの 文春砲が果たしていた役割は、その「まだ無傷でいるパブリックエネミー予備軍」を見つけ出して、その彼らを不倫のタグ付きで公開処刑の刑場に送り込むことだったのである ゲス不倫を暴けば暴くほど、看板が泥にまみれている点が、伝統ある総合雑誌の立ち姿としてどうにも致命的からだ メディア万能のフルオープン至上主義の正義を奉じてきた張本人が、これだけ世間を騒がせたあげくに、編集部の隅っこに隠れて会社員でございますみたいな顔をしていたのではスジが通らない 近いうちに、われわれは、編集長の記者会見を見ることができるはずだ。私は信じている 結局のところ、雑誌はひとつの生態系だということなのだろう
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機構資本主義批判(その2)(産業革新投資機構 「取締役9人一斉辞任」に至る全内幕・・・、損しても責任不問「後は野となれ 山となれ」の危険な遊び、投資失敗でも役員報酬満額…92億円赤字の農水ファンド) [国内政治]

機構資本主義批判については、昨年12月11日に取上げた。今日は、(その2)(産業革新投資機構 「取締役9人一斉辞任」に至る全内幕・・・、損しても責任不問「後は野となれ 山となれ」の危険な遊び、投資失敗でも役員報酬満額…92億円赤字の農水ファンド)である。

先ずは、昨年12月13日付けダイヤモンド・オンライン「産業革新投資機構、「取締役9人一斉辞任」に至る全内幕・・・」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/188385
・『経済産業省と産業革新投資機構(JIC)のバトルは、JICの民間出身の取締役全員が辞意を表明することで幕を閉じた。一体なぜ巨大官民ファンドは機能不全に陥ったのか。その全内幕に迫った。 「もう終わりにしましょう」。12月8日土曜日、都内某所。官民ファンド、産業革新投資機構(JIC)の民間出身の取締役9人が集まった席上で、取締役会議長であるコマツ相談役の坂根正弘氏がそう切り出すと、9人全員の辞意が固まった。 所管官庁の経済産業省と前代未聞の対立を繰り広げた末、設立からわずか2カ月余りで、JICの事実上の活動休止が決まった瞬間だった。 坂根氏はこの前日まで、経産省の嶋田隆事務次官らと協議再開に向けて、10回以上にわたり接触を続けてきた。 JICの田中正明社長は「私がわびを入れてもいい」との意向を示したものの、経産省側は断固拒否。「これ以上の話し合いは無理だ」の一点張りだったという。 事ここに至るまでの間、経産省はJICへの批判を繰り返し、2019年度の概算要求予算の取り下げや、約2兆円の政府保証枠の凍結などをちらつかせては、執拗に田中社長の辞任を迫ってきた。 そして週明けの10日、東京・大手町のJIC本社で記者会見を開いた田中社長は、9人全員の辞意を表明するに至る──。 一体なぜ、経産省とJICは修復不可能なまでに対立を深めることになったのか。真相を探る中で“起点”として見えてくるのが、9月21日の出来事だ』、この問題は昨年12月11日付けの前回のブログでも取上げたが、今回はより詳細なようだ。
・『未調整だった役員報酬案  この日、JICのオフィスを訪れた経産省の糟谷敏秀官房長は、田中社長をはじめとする代表取締役を1人ずつ呼び出し、仰々しく書面を手渡した。 代表取締役たちは深々と礼をしながら受け取ったが、その書面には政府のお墨付きを得たことを示す経産相の印鑑が押されていなかった。それが後に重大な問題を引き起こすことになる。 その書面には、固定給と賞与に当たる短期業績連動報酬を合わせて最大5550万円の年間報酬に加え、投資実績に応じて後に支払われる「キャリー」と呼ばれる長期業績連動報酬の導入が明記されていた。この時点でキャリーの詳細は未定で、JICの報酬委員会が設計することとされていた。 キャリーの最大支給額は7000万円。いくら運用益が出ようとも上限を設定することでキャップをはめた格好だが、高額とのそしりを一部で受けることになる。 だが、実は前身のINCJ(旧産業革新機構)でも、上限7000万円のキャリーが導入されている。同社が解散する25年3月には、最大で7億円もの高額報酬が支払われる可能性があるが、経産省はこの部分については一切、不問の姿勢を貫いている。 それはさておき、JICの報酬委員会がキャリーなどの議論を始めたのは、書面を受け取った翌営業日の9月25日。コーポレートガバナンスの専門家で、JICの社外取締役を務める冨山和彦委員長の主導の下、約1カ月かけて報酬基準を策定したという。 その後、坂根氏に報告し、正式に機関決定したのが11月6日のことだ。 ところが、この直後に経産省が豹変する。報酬が「(最大で)1億円を超えるのか……」という首相官邸の何げない感想を過剰に忖度し、減額指示だと受け止めた経産省は突如、取締役の報酬案について白紙撤回したのだ。 だが、取締役会ですでに決議した事案を覆すことは、株式会社としてのガバナンスを否定することを意味する。 事態は混迷を深め、11月9日には嶋田次官がJICを訪れて田中社長に撤回について陳謝。だが、「信義にもとる行為だ」などと田中社長が激しく面罵することとなった。 その裏には、JICの別の危機感もあった。11月6日の取締役会では最大6000万円とする職員の報酬も決議しており、この基準によって採用した職員がすでにいたからだ。その報酬も白紙撤回されれば、訴訟リスクを抱えることになりかねない。また、たちまち国際金融市場に知れ渡り、今後のJICの採用活動に悪影響を与えるのは必至だった。 田中社長をはじめJICの取締役たちが、経産省への不信感を急速に募らせる中、こうした課題を解決するために設定されたのが11月24日の会合だった』、「前身のINCJ(旧産業革新機構)でも、上限7000万円のキャリーが導入されている。同社が解散する25年3月には、最大で7億円もの高額報酬が支払われる可能性があるが、経産省はこの部分については一切、不問の姿勢を貫いている」というのは不可解だが、「首相官邸の何げない感想を過剰に忖度し、減額指示だと受け止めた経産省は突如、取締役の報酬案について白紙撤回」、というので疑問は氷解した。経産省は首相官邸とは強いパイプで繋がっている筈なのに、「首相官邸の何げない感想を過剰に忖度」とは、全く情けない話だ。
・『「荒井ペーパー」の政治力  東京都内の帝国ホテル。会合に参加したのは、経産省からは嶋田次官、荒井勝喜大臣官房総務課長、佐々木啓介産業創造課長と同課の担当課長補佐の4人。一方のJIC側は、田中社長と社長室長、経産省出身の三浦章豪氏と財務省出身の齋藤通雄氏の両常務取締役の同じく4人だった。 先手を打ったのは経産省側だ。A4判12枚に及ぶペーパーを参加者に配り、なぜかこれまでJICとの議論に一度も参加したことのない、経産省で国会担当を務める荒井課長が説明を始めた。 ペーパーのタイトルは「基本的考え方」。書類をめくると、取締役の報酬を最大3150万円に大幅に減額することや、孫ファンドにも事実上認可を必要とすることなど、これまでの議論と全く異なる内容がふんだんに記されていた。とりわけ田中社長らの神経を最も逆なでしたのは、表紙にある「総論」部分の記述だった。 「事業遂行の基本哲学」として、(1)政策目的の達成と投資利益の最大化、(2)政府としてのガバナンス(ファンドの認可など)と現場の自由度(迅速かつ柔軟な意思決定の確保)の両立、(3)報酬に対する国民の納得感、透明性と優秀なグローバル人材の確保(民間ファンドに比肩する処遇)の両立という三つの論点が書かれていたのだ。 さらに官民ファンドの手法として、投資ファンドが日常的に行っているデリバティブ取引を禁じただけでなく、インデックス投資、不動産投資はリスクヘッジ目的でない限り認めないといった、当たり前過ぎることもご丁寧に記されていたのだ。 JIC側とすれば、そうした哲学について十分に理解した上で、幾度も議論を重ねてきた。にもかかわらず、これまでの議論を半ば無視するかのように国会担当者があらためて論点を提示し、まるで「おまえたちは政治に従っていればいい」と言わんばかりの態度だったという。 会合は2時間に及んだものの、そうした状態で不信と嫌悪という感情だけが交錯し、まともな議論には到底ならなかった。 「話が違う! このままではJICを育てることはできない!」。田中社長がそう怒りをあらわにし、最後は席を蹴ったことで両者の対立はついに決定的なものになった。 「(JICが)孫ファンドまで作って、そこから先は全く国として見えないということは想定していなかった。透明性に問題があると認識せざるを得ない。われわれは(JICの投資について)白紙委任をしているわけではない」 世耕弘成経産相は12月10日の記者会見で、JICとの認識のずれを生んだ点についてそう解説してみせた。確かに、迅速な投資判断をする上で、認可の範囲に孫ファンドを含めるかどうかは大きな論点である。だが、互いに歩み寄る余地もなく、落としどころを見いだすことすら難しいという内容では決してなかったはずだ。 投資実務をめぐる意見の対立や認識のずれと言えば世間に格好がつくのかもしれない。だが、問題は報酬案の白紙撤回をきっかけにして、建設的な議論がまともにできないほど、感情的に対立してしまった点にある。 田中社長をはじめJIC側は、官邸の顔色をうかがっては報酬や認可の範囲について、次々にハシゴを外してくる経産省に対して不信感が極限にまで増幅。 一方の経産省側は、田中社長がこれまで高圧的な言動を繰り返し、報酬案の白紙撤回という事務的失態について、次官が自ら謝罪した後も執拗に責め立てる姿を見て、一緒に仕事はできないと判断したにすぎないというわけだ。 ただし、自らの失態で、民間経営者が作り上げたガバナンスを形骸化させて、2兆円の投資枠を持つ巨大官民ファンドを機能不全に陥らせた罪は重い』、荒井課長が「「おまえたちは政治に従っていればいい」と言わんばかりの態度」で接してきたのでは、「田中社長をはじめJIC側」が怒り心頭に発して、「一斉辞任」したのも当然だ。
・『経産省は今後、新たに「JIC連絡室」を立ち上げ、新たな取締役の選任を急ぐ方針だ。連絡室長には糟谷官房長が就き、来春までは専任として業務に当たらせるため、官房長の業務は嶋田次官と総括審議官に代行させるという。 事実上の降格となった糟谷官房長は、昨年12月に田中氏に社長就任を打診した張本人。だからこそ、JICへの出向も視野に入れた上で人選に最後まで責任を持たせるのだろう。 だが、ここまでぶざまな混乱を招きながら、その渦中にいた人物に役員の招致を担わせるのは、いささか酷な話だ。トカゲの尻尾切りのごとく、糟谷氏一人に責任を押し付けた格好ともいえる。 辞任当日、JICの社外取締役5人が公開したレターにあるように、海外勢に対抗し得るトップレベルの政府系投資機関をつくり上げ、積年の課題であるリスクマネーの供給という当初の理念は、もはや雲散霧消してしまった』、現在は産業革新投資機構(JIC)傘下に産業革新機構(INCJ)があり、CEOは元日産の志賀俊之氏が留任、COOは専務だった勝又幹英氏が昇格している。これまでの投資を回収するという「敗戦処理」が主要業務になるのだろう。
https://www.incj.co.jp/about/overview/index.html

次に、元経産省官僚の古賀茂明氏が12月25日付け日刊ゲンダイに寄稿した「損しても責任不問「後は野となれ、山となれ」の危険な遊び」を紹介しよう。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/244111
・『官民ファンドはアベノミクスの目玉政策。今は14もあるが、どのファンドもボロボロで、失敗に終わるのがほぼ確実だ。どうしてそうなるのか。官と民の比較をしてみるとおのずと明らかになる。 まず、民間には資金が余っている。最近では、優れたベンチャーには資金がつき過ぎる「ベンチャーバブル」も生じているほどだ。また、経営や先端技術の目利きのノウハウでは官よりも民の方が明らかに優れている。さらに、情報の質も量も、最近は民間の方が上だ。何もかも民間の方が上。それなら官民ファンドなど不要ではないのか。 ところが官僚たちは、官民ファンドの存在によって、優秀な民間人でもできない案件が実行可能になるという。では、その官民ファンドの強みとは一体、何なのか。 それは、官のカネなら損をしても責任を問われないということしかない。しかも、情報開示も不徹底だから、失敗しても経歴に傷がつかない。つまり、無責任に安心して好きなことをできるからに他ならない』、「情報の質も量も、最近は民間の方が上だ。何もかも民間の方が上」なのに、「官民ファンドの強み」が「無責任に安心して好きなことをできるから」とはふざけた話だ。
・『官僚は経営を動かしていると錯覚して有頂天  官僚が監視する建前になっているが、実際は、官僚たちは、いつも民間人以上にイケイケどんどんだ。経営のド素人なのに、一企業の経営を動かしていると錯覚して、プライドの高い官僚たちは有頂天になる。経産省のように存在意義を失った役所ならなおさらだ。こうして、ファンドは、官僚の「オモチャ」と化す。役人は2年ほどファンドで夢を見たら異動。後は野となれ山となれだ。こんな危ない遊びはない。 官がしっかり管理するという世耕大臣は何もわかっていない。優秀な民間のプロは、報酬よりも自由を求める。今回の経産省による介入の顛末は、瞬く間に世界中に拡散し、「自由のない産業革新投資機構(JIC)」に優秀な人材はもはや集まらない。JIC廃止は必然だ。 JICの前身の産業革新機構創設時、担当課長が、経産省内でこれに強く反対していた私を居酒屋に呼び出して、「古賀さん、おとなしくしててください」と頭を下げたのを思い出す。ダイエーなどを再生し4年で解散した産業再生機構の元幹部たちも皆、「官民ファンドは不要」と口を揃える。JICだけではない。すべての官民ファンドは、即刻「解体」すべきだ』、説得力溢れた主張で、大賛成だ。

第三に、6月17日付けYahooニュースが朝日新聞記事を転載した「投資失敗でも役員報酬満額…92億円赤字の農水ファンド」のうち無料部分を紹介しよう。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190617-00000051-asahi-soci
・『投資が失敗続きの農林水産省所管の官民ファンドが、役員の報酬や退職慰労金を運用成績に左右されない全額固定額にしていることがわかった。常勤役員の報酬は毎年2千万円ほどだ。退職慰労金は、6億円超を投融資した会社が経営破綻(はたん)した案件を扱った役員でも満額の1400万円が支払われる。結果責任を問わない報酬の仕組みに疑問の声が出ている。 このファンドは農林水産物の生産から加工、流通・販売まで手がける「6次産業化」を後押しする目的の「農林漁業成長産業化支援機構(A―FIVE)」で、2013年1月に設立された。大半を政府が出資した319億円の資金を元手に、株式を購入するなどして企業を支援しているが、今年3月末時点で92億円の累積赤字を抱える。 昨年10月には、国産のブランド農産物の海外販路開拓を進めていた東京都内の会社が破綻し、出資金や返済の優先順位が低い「劣後ローン」の計約6億5千万円の多くが焦げ付いた。この案件を担当していたA―FIVEの役員は今月下旬に退任するが、1400万円の退職慰労金は満額支払われる予定だ』、「常勤役員の報酬」や「退職慰労金」は高級官僚の天下りとして世間相場なのだろうが、「92億円の累積赤字」や「焦げ付き」を出しているのに、満額支給とは優雅なことだ。「結果責任を問わない報酬の仕組み」に問題があることもさることながら、最大の問題はこんないい加減な「ファンド」がお手盛りで作られていることだ。ファンド形態を採っているのに、「結果責任を問わない」などあり得ない。第二の記事にあるように、官民ファンドは全て廃止すべきだ。
タグ:朝日新聞 yahooニュース 日刊ゲンダイ ダイヤモンド・オンライン 古賀茂明 機構資本主義批判 (その2)(産業革新投資機構 「取締役9人一斉辞任」に至る全内幕・・・、損しても責任不問「後は野となれ 山となれ」の危険な遊び、投資失敗でも役員報酬満額…92億円赤字の農水ファンド) 「産業革新投資機構、「取締役9人一斉辞任」に至る全内幕・・・」 産業革新投資機構(JIC) 民間出身の取締役全員が辞意を表明 取締役会議長であるコマツ相談役の坂根正弘 坂根氏はこの前日まで、経産省の嶋田隆事務次官らと協議再開に向けて、10回以上にわたり接触を続けてきた 経産省はJICへの批判を繰り返し、2019年度の概算要求予算の取り下げや、約2兆円の政府保証枠の凍結などをちらつかせては、執拗に田中社長の辞任を迫ってきた 未調整だった役員報酬案 経産省の糟谷敏秀官房長 その書面には政府のお墨付きを得たことを示す経産相の印鑑が押されていなかった。それが後に重大な問題を引き起こすことになる 前身のINCJ(旧産業革新機構)でも、上限7000万円のキャリーが導入されている。同社が解散する25年3月には、最大で7億円もの高額報酬が支払われる可能性 報酬が「(最大で)1億円を超えるのか……」という首相官邸の何げない感想を過剰に忖度し 減額指示だと受け止めた経産省は突如、取締役の報酬案について白紙撤回 取締役会ですでに決議した事案を覆すことは、株式会社としてのガバナンスを否定することを意味 最大6000万円とする職員の報酬も決議しており、この基準によって採用した職員がすでにいたからだ 「荒井ペーパー」の政治力 荒井勝喜大臣官房総務課長 JICとの議論に一度も参加したことのない、経産省で国会担当を務める荒井課長が説明 これまでの議論を半ば無視するかのように国会担当者があらためて論点を提示し、まるで「おまえたちは政治に従っていればいい」と言わんばかりの態度 感情的に対立 糟谷氏一人に責任を押し付けた格好 「損しても責任不問「後は野となれ、山となれ」の危険な遊び」 官民ファンドはアベノミクスの目玉政策。今は14もあるが、どのファンドもボロボロで、失敗に終わるのがほぼ確実だ 何もかも民間の方が上。それなら官民ファンドなど不要ではないのか 官民ファンドの強みとは一体、何なのか。 それは、官のカネなら損をしても責任を問われないということしかない 無責任に安心して好きなことをできるから 官僚は経営を動かしていると錯覚して有頂天 ファンドは、官僚の「オモチャ」と化す 役人は2年ほどファンドで夢を見たら異動。後は野となれ山となれだ。こんな危ない遊びはない すべての官民ファンドは、即刻「解体」すべきだ 「投資失敗でも役員報酬満額…92億円赤字の農水ファンド」 農林水産省所管の官民ファンドが、役員の報酬や退職慰労金を運用成績に左右されない全額固定額にしている 常勤役員の報酬は毎年2千万円ほどだ 退職慰労金は、6億円超を投融資した会社が経営破綻(はたん)した案件を扱った役員でも満額の1400万円が支払われる 結果責任を問わない報酬の仕組みに疑問の声 今年3月末時点で92億円の累積赤字 「劣後ローン」の計約6億5千万円の多くが焦げ付いた
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イラン問題(その2)(トランプ イラン攻撃取り消しは作戦開始10分前、ベトナム イラク イラン…アメリカが繰り返す「悪のレッテル作戦」 イランの犯行を裏付ける証拠はない、タンカー攻撃 自作自演だった。見えてきたトランプ政権と実行組織のつながり) [世界情勢]

イラン問題については、昨年8月24日に取上げた。ホルムズ海峡の緊張が俄かに高まった今日は、(その2)(トランプ イラン攻撃取り消しは作戦開始10分前、ベトナム イラク イラン…アメリカが繰り返す「悪のレッテル作戦」 イランの犯行を裏付ける証拠はない、タンカー攻撃 自作自演だった。見えてきたトランプ政権と実行組織のつながり)である。なお、タイトルは、中東情勢(その12)(イラン問題1)から変更した。

先ずは、6月22日付けNewsweek日本版「トランプ、イラン攻撃取り消しは作戦開始10分前」を紹介しよう。
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2019/06/10-59_1.php
・『トランプ米大統領は21日、イランによる米軍の無人偵察機撃墜に対する報復措置として軍事攻撃を承認したものの、その後撤回したことについて、軍事攻撃は無人偵察機の撃墜に対する報復措置としては釣り合いが取れないと判断したためだと説明した。 トランプ大統領は「昨晩、3カ所に対する報復攻撃を実施する準備を整えていたが、(イラン側で)何人が死亡する可能性があるのかと質問したところ、150人との答えが返ってきた」とし、「攻撃開始の10分前に中止を決めた。無人偵察機の撃墜に対する報復措置として(軍事攻撃は)不釣合いだ。急ぐことはない」とツイッターに投稿した。 その上で、イランに対する制裁措置は効果を発揮しており、20日夜に追加制裁を導入したと表明。ただ詳細については明らかにしなかった。 トランプ政権高官によると、ボルトン大統領補佐官(国家安全保障担当)やポンペオ国務長官、ハスペル米中央情報局(CIA)長官らが報復攻撃に賛成したという。高官は「大統領補佐官らや国防総省首脳部の間で、イランの活動に対する適切な対応を巡り完全に意見が一致していた。大統領が最終決断を下した」と話した』、「無人偵察機の撃墜に対する報復措置として(軍事攻撃は)不釣合い」として中止したというのは、不自然だ。「不釣合い」であることなど「報復攻撃を実施する準備」段階でも分かっていた筈で、国務長官やCIA長官らも分かっていながら、攻撃を大統領に進言したとは到底信じられない。緊迫感を出すために、初めから仕組まれたシナリオなのではなかろうか。
・『イラン当局者はロイターに対し、オマーンを通じてトランプ大統領から米軍による攻撃が近く実施されるとの警告を受けたことを明らかにしていた。ただトランプ氏は同時に、戦争には反対しており、協議を行う意向も示したという。 あるイラン政府当局者は匿名を条件に「トランプ(大統領)は、このメッセージでイランとの戦争に反対しており、様々な問題についてイランと協議したいと述べている。短期間で返答するよう求めているが、この問題について決めるのは最高指導者ハメネイ師だというのが、イランの現時点での返答だ」と発言した。 別の当局者は「われわれは(ハメネイ師が)いかなる協議にも反対していることを明確にしているが、メッセージは伝える。ただし、オマーン当局には、イランを攻撃すれば地域や国際社会に重大な結果を招くと伝えた」と述べた。 米NBCのチャック・トッド記者は、報道番組「ミート・ザ・プレス」でのトランプ大統領とのインタビュー後、トランプ氏がイランとの交渉に前提条件を一切設けず、ロウハニ大統領か最高指導者のハメネイ師と話し合う意向を示したと伝えた。 トランプ大統領の突然の決断は、ワシントンでさまざまな反応を呼んだ。尻込み批判の一方、抑制を評価する声も上がった。 ペロシ下院議長(民主党)は記者団に「あの規模の巻き添え被害を伴う攻撃を行えば、かなり挑発的とみなされるだろう。大統領がそうした選択をしなかったことをうれしく思う」と述べた。 米国が当面、外交的手段の模索に意欲を示す兆候も出ている。外交筋らによると、米国は国連安全保障理事会に24日の非公開会合招集を求めたという。 トランプ大統領は20日、イランが米軍の無人偵察機を撃墜したことについて「誤射」によるものとの見方を示していた。 記者団に「おそらく間違いをやらかしたのだと思う。将校か誰かが誤ってドローンを撃ち落してしまったのだろう」と述べた・・・』、攻撃中止が、イランを交渉に追い込むとでも思っていたのだろうか。どうも逆効果なのではあるまいか。

次に、『週刊現代』特別編集委員の近藤 大介氏が6月18日付け現代ビジネスに掲載した「ベトナム、イラク、イラン…アメリカが繰り返す「悪のレッテル作戦」 イランの犯行を裏付ける証拠はない」を紹介しよう。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/65285
・『タンカー攻撃の犯人  今週は、ファーウェイ本社視察の第2弾を書こうと思っていたが、安倍晋三首相がイランを訪問している真っ最中の6月13日に、2隻のタンカーへの攻撃事件が発生した。そのことで、5日が経ってもいまだに世界は騒然としているので、急遽イランの話を書くことにする。 このコラムは基本は中国問題をフォローしているが、中国はイラン最大の貿易相手国であり、中国とイランの「浅からぬ縁」についても後半で述べたい。 イラン時間の6月13日午前7時15分頃(日本との時差は4時間半)、東京千代田区に本社を置く国華産業が運行するパナマ船籍のタンカー「コクカ・カレイジャス」(全長170m、1万9349t)が、オマーン湾のホルムズ海峡付近で何者かに攻撃を受け、左舷後方のエンジンルームから火の手が上がった。この日はエタノール2万5000tを積んで、サウジアラビアのアルジュベール港を出て、シンガポールに向かっていた。 21人のフィリピン人乗組員が、慌ててCO2消火器を噴射して火を消し止めたが、約3時間後に再び、今度は左の船体中央に攻撃を受けた。これは危険と見た乗組員全員が、救命艇に乗り換えて脱出。近くを航行中の船に救出された。 もう一隻、ノルウェーのフロントラインが所有するタンカー「フロント・アルタイル」(全長251m、6万2849t)も同日、同じ海域で同様の攻撃を受けた。アブダビから台湾へ向けてナフサを積んでいたが、やはりフィリピン人11人、ロシア人11人、ジョージア人1人の乗組員は、救命艇に乗って脱出し、イラン海軍の艦艇に救出された。 以上が事件の概要だが、アメリカのドナルド・トランプ大統領は同日、早々と「イランの仕業に違いない」とコメント。マイク・ポンペオ国務長官も同日、「イランに責任がある」と断定した。 アメリカが「犯人」としているのが、イラン革命防衛隊(IRGC)だ。1979年のイラン革命後に創建された最高指導者アリ―・ハメネイ師直轄の「第2軍隊」で、総兵力は10万人以上に上る。 一方、イラン側は、犯行を名指しされたことに対して、怒り心頭である。モハンマド・ザリフ外相は同日、「根拠のない主張を断固否定する。イランの敵が背後にいる可能性がある」と述べた。BBCの映像を見ると、イラン国民もアメリカに対して、強いフラストレーションを溜めている。 アメリカは、そこまで「イラン犯行説」を主張するのであれば、イランの犯行であると世界の誰もが納得する証拠を示すべきである。 14日、パトリック・シャナハン国防長官代行は「これからできるだけの情報を開示していく」と述べたにとどまった。また同日、アメリカ軍は、「イラン革命防衛隊が攻撃された後のタンカーに近づき、不発の機雷を除去した映像」を公開した。 だが、自国の近海に爆発するかもしれないタンカーが漂流していれば、機雷除去に向かうのは当たり前のことだろう。 このように、誰もが納得する根拠を示さないで「悪のレッテル」を張るアメリカの手法は、現在、中国のファーウェイ・テクノロジーズ(華為技術)を非難しているのと、まったく同じである』、「アメリカの手法」は誰がみても不自然だ。
・『「ギリシャ悲劇」を繰り返すな  今回の事件で、私が思い起こしたのは、ベトナム戦争にアメリカが参戦するきっかけとなった1964年8月のトンキン湾事件である。 以下の引用は、27ヵ国に翻訳されたティム・ワイナー『ニューヨークタイムズ』記者の著作『CIA秘録』(邦訳は2011年、文春文庫)からのものである。〈 戦争はトンキン湾決議によって公認された。この決議は、8月4日にアメリカの船が国際水域で北ベトナムからいわれのない攻撃を受けた、と大統領と国防総省が発表し、これを受けて採択されたものだった。(中略)それは単純な間違いなどではなかった。ベトナム戦争は捏造された諜報に基づく政治的な嘘で始まった。(中略)だが事実の全容がNSA(国家安全保障局)公表の詳細な供述書によって明らかにされたのは、2005年11月になってのことだった 〉 ベトナム時間の1964年8月4日午後10時頃、トンキン湾を航行中のアメリカ海軍の2隻の駆逐艦は、北ベトナム軍から攻撃を受けたと勘違いし、反撃しながら回避行動を取った。 この軍からのこの報告と、NSAが8月4日夜のものと偽った2日前の出来事に関する傍受記録の報告から、リンドン・ジョンソン大統領は北ベトナムとの戦争を決意。8月7日に議会を通過させ、アメリカは泥沼のベトナム戦争へと突入していった。 〈 2005年11月のNSAの報告書は告白する。「厖大な量の報告を利用していたとすれば、(北ベトナムからアメリカへの)攻撃などなかった事実が明らかになっていただろう」。(中略)諜報は「攻撃があったとする見解を支えるために故意に歪められた」のである。(中略) この「ギリシャ悲劇」ともいうべき政治劇は、40年後に再演され、イラクの兵器に関する虚偽の諜報が別の大統領(ジョージ・W・ブッシュJr)の戦争を正当化することになった 〉 まさに、2度あることは3度あると言う通り、1964年のベトナム戦争、2003年のイラク戦争、そして今回ではないのか。「ギリシャ悲劇」を再々演させないためにも、われわれは何より、冷静に事実のみに基づいて判断することが求められている』、まさに、「2度あることは3度ある」のが今回のようだ。
・『国際常識に照らせばあり得ない  冷静に判断するということで言えば、そもそもアメリカとイランの対立が起こったのは、トランプ大統領が昨年5月8日、イラン核合意から一方的に離脱を宣言したことが原因である。 2002年の一般教書演説でブッシュ大統領は、イラク、イラン、北朝鮮を「悪の枢軸」と呼び、実際に2003年3月、イラク戦争を開戦した。 それが一段落し、イラクのサダム・フセイン大統領が処刑される半年前の2006年6月、イランとの核合意を目指す「P5+1」体制が発足した。「P5」とは国連安保理の常任理事国のアメリカ、中国、ロシア、イギリス、フランスで、「+1」とはイランと深い関わりを持つドイツだ。これに当事者イランを含めた7ヵ国で、イランの核開発問題を協議したのだ。 それから紆余曲折を経て、9年後の2015年7月、ついにイラン核合意(JCPOA)が成立した。簡単に言えば、イランが15年間、核開発を凍結し、国連及び各国は対イラン制裁を緩和するというものだ。日本外務省のある多国間交渉の専門家に言わせれば、「今世紀に人類が成し得た最高の芸術的外交作品」だという。 だが、「前任のオバマ大統領が行ったものはすべて悪」と考えるトランプ大統領は、この「芸術的外交作品」を、あっさりポイ捨てしてしまった。 さらに今年5月2日には、イラン産原油の禁輸制裁から8ヵ国(中国、インド、イタリア、ギリシャ、日本、韓国、台湾、トルコ)に認めてきた適用措置を終了させ、「今後もイラン産原油の輸入を続ければアメリカの制裁対象にする」とした。 これにイランは猛反発し、核合意が履行されない場合、7月8日から核開発を再開すると警告している。そんなさなかに、今回のタンカー攻撃事件が起こったのだ。 それにしても、百歩譲って、もしもアメリカが主張するようにイランの犯行だったとするなら、安倍首相はとんだ「赤っ恥外交」を行ったことになる。「敵対するアメリカとイランの仲裁に行く」と勇んで、あえて火中の栗を拾いに行ったというのに、結果は飛んで火に入る夏の虫のように、火に油を注ぐ結果になったのだから。 そもそも安倍首相が、ハサン・ロウハニ大統領や、最高指導者のハメネイ師と会談している時期に、イランが日本のタンカーを攻撃するものだろうか? ザリフ外相は5月16日、わざわざ訪日して首相官邸を訪れ、仲裁の労を取ってくれる安倍首相に、頭を下げているのだ。国際常識に照らせば、とてもあり得る話ではない。 むしろ日本の同盟国とは思えない不見識な行動に出たのは、アメリカの方だ。安倍首相がロウハニ大統領と会談した12日、アメリカ財務省は、「イラン革命防衛隊が支援する武装組織に武器を密輸した」として、企業1社と個人2人を新たに制裁対象に加えたと発表したのだ。 安倍首相としては、和平を仲介している最中に後ろから弾が飛んできたようなもので、二重に「赤っ恥外交」である』、アメリカの行動で、「安倍首相としては、和平を仲介している最中に後ろから弾が飛んできたようなもので、二重に「赤っ恥外交」である」というのは、本当に考えられないような暴挙だ。
・『日本とイランの関係  そもそもなぜこんな時期に、安倍首相はイランを訪問したのだろうか? ある側近に訊ねると、こう答えた。 「安倍総理の脳裏にあるのは、一にも二にも7月21日に控えた参院選だ。参院選に向けて『外交の安倍』をアピールしようと、『令和初の国賓』としてトランプ大統領を招き(5月18日~21日)、イランを訪問し(6月12日~14日)、大阪G20サミットを開く(6月28日~29日)。 もう一つ、北朝鮮を訪問して金正恩委員長と日朝首脳会談も行いたいと模索しているが、こちらは難航している。 安倍総理のイラン訪問の話が出たのは、先々月にホワイトハウスを訪問し、ワシントン近郊でゴルフをやった時だった(4月26日~27日)。安倍総理の方から、『近くイランを訪問して中東の緊張緩和に取り組みたい』と申し出たのだ。それに対し、トランプ大統領も『よろしく頼む』となった。 安倍総理は、父・安倍晋太郎外相の秘書官だった時(1983年8月)、当時イラン・イラク戦争の真っ最中だった両国を訪問し、戦争の仲裁に一役買ったことが、強く記憶に残っている。当時、イラクで饗されたユーフラテス川で釣ったばかりの大魚を食べたら、父子共に腹を下して大変だったなんてエピソードも聞いたことがある。 それで5月にトランプ大統領が来日した際、さらに具体的に詰めた。安倍総理としては、『外相秘書官時代の再現』のように、イランに加えて、敵対するイスラエル、サウジアラビアも含めた3ヵ国訪問にしようと考えていた。だが、これにはトランプ大統領の雷が落ちた。『オレも今回は中国と韓国へは行かず、日本だけに来たんだぞ。行くならイランだけにしろ!』。 トランプ大統領は、イランとの戦争を、決して望んでいない。言付かったのは、『ロウハニ大統領が新たな2国間交渉に応じるなら、自分も会う用意がある』ということだった」 選挙のために安倍外交があるのだとしたら、これほどお粗末なことはない。言うまでもないことだが、中東情勢は、日本の選挙にお付き合いしてくれるほど生易しい世界ではない。 ただ、今年は日本とイランの国交樹立90周年であり、長年の友好を示す機会ではあった。 資源エネルギー庁の石油輸入調査統計によれば、アメリカがイランへの禁輸を課す前の2017年度の日本の原油輸入先は、1位サウジアラビア39.4%、2位UAE24.8%、3位カタール7.6%、4位クウェート7.3%、5位ロシア5.3%、6位イラン5.2%で、イランは重要な原油輸入先の一つだった。 余談になるが、日本とイランは古代から、浅からぬ縁があった。孫崎享・元駐イラン大使の夫人で、イラン研究家として名高い孫崎紀子氏の労作に、『「かぐや姫」誕生の謎』(2016年、現代書館)がある。 孫崎夫人の研究によれば、日本最古の物語である『竹取物語』は、菅原道真の孫・菅原文時(899年~981年)の作だという。3世紀から400年続いたササン王ペルシャは、638年、アラブから押し寄せたイスラム勢力によって、首都クテシフォンが陥落。最後の王ヤズデギルド3世一族は、東方へ逃亡した。一部は唐の都・長安に辿り着き、王女の一人が高宗皇帝に嫁いでいる。 さらにその一部が、遣唐使の帰路の船に同乗して日本へ辿り着いたというのだ。「孝徳天皇5年(654年)夏4月、吐火羅国男2人女2人舎衛女1人風に被いて日向に流れ来たれり」(『日本書紀』)。「吐火羅」(トカラ)とは王族が一時避難していたトカリスタン(現アフガニスタン)で、舎衛(シャー)とは古代ペルシャ語で「王」の意だという。 以下は省略するが、様々な検証に基づき、「かぐや姫」はペルシャの王女だったというのが、孫崎紀子氏の見解だ。つまり、日本が最初に元号を定めた大化の改新(645年)の時期から、すでに日本とイランは交流していたことになる。マシュー・ペリー提督の黒船が浦賀の港に現れ、アメリカと修好を結ぶ1200年以上も前のことだ』、安倍首相は、「イランに加えて、敵対するイスラエル、サウジアラビアも含めた3ヵ国訪問にしようと考えていた。だが、これにはトランプ大統領の雷が落ちた」、というのはありそうな話だ。「大化の改新(645年)の時期から、すでに日本とイランは交流していた」、というの初めて知った。
・『中国・ロシアとイランの関係  さて、7世紀のヤズデギルド3世一族が中国の高宗皇帝を頼ったように、21世紀のロウハニ大統領も習近平主席を頼った ロウハニ大統領は6月13日午前、安倍首相とハメネイ師の会談に立ち会った。当初は同席予定がなかったが、やはり重要会談ということで、その後のことを考えて同席したのだろう。ハメネイ師は安倍首相に対して厳しい表情で、「トランプとはやりとりする価値もない」と一蹴した。 この会談が終わると、ロウハニ大統領は慌ただしく政府専用機に乗って、キルギスタンの首都ビシケクに向かった。翌14日に、第19回上海協力機構(SCO)サミットに出席するためである。 SCOは、上海でAPEC(アジア太平洋経済協力会議)が開かれた2001年に、主に中央アジアの安定と発展を図ることを目的として、同地で成立した。名称の通り、中国が主導した初の国際組織で、現在の参加国は、中国、ロシア、インド、カザフスタン、キルギス、パキスタン、タジキスタン、ウズベキスタンの8ヵ国。オブザーバーは、アフガニスタン、ベラルーシ、イラン、モンゴルである。 日本とノルウェーのタンカー攻撃事件で、アメリカとイランの対立がさらに激化する中、習近平主席とロシアのウラジーミル・プーチン大統領は、ロウハニ大統領を温かく迎えたのだった。 習近平主席はSCOサミットで、こう強調した。 「『上海精神』と『一帯一路』(シルクロード経済ベルトと21世紀海上シルクロード)の共通認識に則って、グローバルな貿易体制を維持・保護し、開放型の世界経済を構築しようではないか」 この日、習近平主席は、ロウハニ大統領と個別にも会談した。新華社通信が伝えた両首脳の発言は、以下の通りだ。 習近平: 「昨年(5月)、SCO青島サミットの期間に、私とロウハニ大統領は、両国関係及び互いに関心がある地域と国際問題について深く意見を交換し、重要な共通認識に至った。中国としては常に、高度に戦略的かつ長期的な立場から両国関係を見ている。国際情勢や地域の情勢がいかに変化しようと、中国はイランと共に努力し、両国の全面的な戦略的パートナーシップ関係を、引き続き安定して発展、推進させていくつもりだ。 両国は戦略的な意思疎通を強化し、双方の核心的な利益の問題について、互いに支持し合っていくことが大事だ。協調にして対処することを強化し、実務的な協力を安定して展開していくことだ。(中略) 中国はイラン核合意(2015年7月)を全面的に支持し、イランと共に国連、SCOなど多国間の枠組みでの協調や調整を強化していく。そして共同で国際関係の基本的な準則、グローバル主義を断固として守っていく。かつ中国とイランを含む発展途上国の共同利益を維持し、保護していく」 ロウハニ:「イランと中国の関係は、長期的かつ戦略的なものだ。イランは、対中関係を高度に重視し、全方位的に発展させていくよう尽力する。そして『一帯一路』を共に積極的に築き、双方の広範囲での協力の潜在力を掘り起こしていく。 イランは、アメリカが単独でイラン核合意から脱退するという誤った行動に、決然と反対する。そして中国が、国際的な実務社会で積極的な影響を発揮していることを、積極的に評価する。中国との意思疎通と協調を強化していきたい」 さらに習近平主席とプーチン大統領は、ロウハニ大統領を伴って、14日夕刻、隣国タジキスタンの首都ドゥシャンベに向かった。この地で15日に開かれた第5回アジア相互協力信頼醸成措置会議(CICA)に出席するためだった。 CICAは、1992年に独立直後のカザフスタンのナザルバエフ大統領が提唱して始まったアジアの安全保障問題を話し合う国際会議である。参加国は中国、ロシア、インド、イランを始め27ヵ国。オブザーバーは日本を含む13ヵ国である。 これだけのアジアのメンバーを主導しているのは、中国である。前回5年前の上海大会で議長を務めた習近平主席は、円卓に居並ぶ各国首脳を前に、野太い声を響かせた。 「君子は本に務め、本は道より生まれ立つと言うが、私は2015年以来、アジア運命共同体の構築を提唱してきた。4月に『第2回“一帯一路”国際協力サミットフォーラム』(習主席が主催して北京で開催)で共通認識となったように、アジアからゼロサム和の挑発や保護主義を放逐し、貿易と投資を自由化・利便化させ、『一帯一路』の国際協力プラットフォームのもとで、開放された包容力のあるアジアを共同で追い求めていくのだ」 こうして、まさに「捨てる神あれば拾う神あり」という感じで、中国(及びロシア)は、イランを取り込んでしまったのである』、「中国(及びロシア)は、イランを取り込んでしまった」、トランプ大統領もこうしたことは織り込んでいた筈だろうが、次はどうするのだろう。
・『中国経済の心臓部  思えば、中国とイランは、シルクロードの時代から2000年の長きにわたる友好国である。現在でもそのことは変わらず、テヘランの中国大使館のホームページには、こう記されている。 〈 中国とイランは、1971年8月16日に国交を結んだ。1979年にイランイスラム共和国建国後も、関係は良好に発展している。2016年1月、習近平主席は歴史的なイラン訪問を果たし、「制裁解除後時代」にふさわしい全面的な戦略的パートナーシップ関係を結んだ。 2017年に両国の貿易額は371.8億ドル(世界全体の0.9%)で、中国の輸入が185.8億ドル、輸出が186億ドルである。中国にとってイランは重要な原油の輸入国で、2017年の原油輸入は3100万トンを超える。 2017年、中国はイランに、36億3860万ドルの直接投資を行った(世界全体の2.91%)。2017年末時点で、中国のイランへの直接投資残高は36億9500万ドルに上る。同様に中国がイランで請け負っているインフラ整備は累計で587億300万ドルに達する。イラン核合意の後、両国の貿易は活性化している 〉 私は、北京で暮らしていた約10年前、三里屯(「北京の原宿」のような繁華街)にある大きなイラン料理のレストランで、イランの外交官と何度かランチしたことがある。アメリカの悪口を言いまくりながら、コカ・コーラをがぶ飲みするので、「アメリカ経済に貢献しているのでは?」と冷やかしたら、「アメリカを飲み干しているのだ」と切り返された。 その外交官が言っていた文句が、いまも耳に残っている。私が「中国の巨大な経済発展をどう捉えているか?」と聞いた時の返答だ。 「中国が巨人だとするなら、イランはその心臓部だ。なぜならイランが血液にあたる石油を供給してやって、初めて巨人は活動できるからだ。そのことは日本もインドも韓国も、アジアの経済大国はどこも同じだ」 そう言えば、当時付き合っていたモンゴルの外交官も、「万里の長城を造った中国が偉大なのではなく、それを造らざるを得ないほど強大だったモンゴルが偉大なのだ」と誇っていたものだ。 ともあれ、2017年のイランの原油の輸出先は、1位中国28%、2位インド22%、3位韓国18%、4位日本8.2%だから、そのイランの外交官の言葉は、あながち大言壮語とも言えない』、イランと中国の関係がこれほど深いとは、初めて知った。
・『安倍外交の成果が問われる  思えば、「中東を民主化させる」と言って2003年にイラク戦争を起こしたのはブッシュJr.大統領だったが、中東の多くの国がいまだに旧態依然とした独裁王制にある中で、一番民主的な選挙と議会政治を行っているのがイランである。 4月上旬に来日したセイエッド・サジャドプール元イラン外務次官(イラン国際問題研究所長)の講演を聞く機会があったが、次のように述べていた。 「トランプ大統領が昨日、イラン革命防衛隊をテロリストに指定したが、わが国は議会制民主主義がしっかり根づき、過去40年、毎年選挙を実施して物事を決めている。あの大変だった核合意も、6ヵ国と深い議論の末にまとめ上げた。トランプ政権の方こそ、国際協調を勝手に破って他国を追い詰めていく経済的テロリストだ。 イランは、議論と防衛を重要視する国だ。今後トランプ政権がどんな手段に出てこようとも、主体的に責任感を持って防衛していく」 この時、「スープより椀が熱くなってはいけない」というイランの諺を知った。 だが現実は、「アメリカvs.中国・ロシア」という前世紀の冷戦のようなブロック化が進み、スープ(イラン)よりも椀(周辺国)の方がデットヒートしそうな勢いだ。 そんな中で、来週末には、いよいよ大阪G20サミットが開催される。すでに日本にとって「重量オーバー」のような気がしてならないが、この6年半の安倍外交の成果が問われている』、「中東の多くの国がいまだに旧態依然とした独裁王制にある中で、一番民主的な選挙と議会政治を行っているのがイランである」、言われてみれば、その通りなのかも知れない。イランには、トランプ政権の挑発に乗らず、頑張ってほしいところだが、石油輸出がアメリカの圧力で減少するのに我慢できるかがカギだろう。

第三に、6月23日付けMONEY VOICEが高島康司氏の『ヤスの備忘録』連動メルマガ』を転載した「タンカー攻撃、自作自演だった。見えてきたトランプ政権と実行組織のつながり=高島康司」を紹介しよう。
https://www.mag2.com/p/money/714694
・『オマーン湾の日本タンカー攻撃について真実がわかってきた。米国は「イランの仕業」と決めつけたが、実行した組織と米国のつながりを示す証拠が出てきている。(『未来を見る! 『ヤスの備忘録』連動メルマガ』高島康司)※本記事は有料メルマガ『未来を見る! 『ヤスの備忘録』連動メルマガ』2019年6月21日号の一部抜粋です。ご興味をお持ちの方はぜひこの機会にバックナンバー含め今月分すべて無料のお試し購読をどうぞ』、これは第二の記事よりストレートなようだ。
・『アメリカが資金援助?イランを陥れる反体制組織とは何者なのか 早々に「イランの仕業」と決めつけ  現地時間の6月13日、東京に本社がある「国華産業」が運行するパナマ船籍のタンカー「コクカ・カレイジャス」は、オマーン湾のホルムズ海峡付近で攻撃を受けた。左舷後方のエンジンルームで爆発があり、船体には機雷が爆発したように見える小さな穴ができた。乗組員の証言では、飛行物体による攻撃に見えたという。乗組員全員は救命艇で脱出し、近くを航行中の船に救出された。 また、ノルウェーのフロントラインが所有するタンカー「フロント・アルタイル」も同じ海域で攻撃を受けた。乗組員は救命艇に乗って脱出し、イラン海軍の艦艇に救出された。乗組員は、魚雷による攻撃のようだったと証言している。 オマーン湾では5月12日にサウジやUAEのタンカーなど4隻が何者かに攻撃を受けた。今回の攻撃はこれに続く事件である。 前回同様、トランプ大統領は「イランの仕業に違いない」とコメント。マイク・ポンペオ国務長官も同日、「イランに責任がある」と断定した』、早手回しの決め付けだ。
・『イラン犯人説への疑念  しかし、トランプ政権のこのような非難に対して、イランは全面的に否認している。これは外部の勢力の陰謀であるとも声明している。 イランのザリフ外相は13日、自身のツイッターで「最高指導者ハメネイ師と日本の首相が広範かつ友好的な対話をしているときに起きた」とし、「イランが提案している地域の対話フォーラムが不可欠になる」と語って各国に外交的解決を呼びかけた。 また日本をはじめ諸外国も、この攻撃が実際にイランによるものかどうか疑念を呈している。 6月13日は安倍首相が、日本の首相としては40年ぶりに訪問し、緊張の高まるアメリカとの関係を仲裁しようとしていたときだ。イランのローハニ大統領、最高権力者のハメネイ師との会談も行われていた。 このようなときに日本の運営するタンカーを攻撃すると、イランにとっては貴重な友好国である日本との関係が損なわれる可能性が高い。これはイランが自らを追い詰める結果になる。 もちろん、このようなときだからこそ、イランはホルムズ海峡の閉鎖を睨んで、タンカーを攻撃する実力があることを明白に示す必要性があったとの見方もある。しかし、これはかなり疑わしい。イランはペルシャ湾に3000隻の自爆攻撃用の高速艇を主体に、ミサイル艇やフリゲート艦、そして小型の潜水艦部隊などを展開している。ホルムズ海峡を通過するタンカーの攻撃が可能なことは、あえて実演しなくても分かることだ』、確かにイランには攻撃のメリットがなさそうだ。
・『アメリカはこれまで多くの戦争をでっちあげてきた  2003年、当時のブッシュ政権は、イラクが大量破壊兵器を秘密裏に保有していることを示す明白な証拠があるとして、イラク侵略戦争を始めた。後にそうした事実はまったく存在せず、ブッシュ政権が提示した証拠はすべて嘘であったことが証明された。 また古くは、1964年には、北ベトナムのトンキン湾に停泊していたアメリカの駆逐艦に2発の魚雷が発射される事件が起こった。当時のジョンソン大統領はこれが北ベトナム軍の仕業だと決めつけ、即座に北ベトナム爆撃を実施した。後にこの攻撃はアメリカ軍による自作自演であったことが分かった。 アメリカには戦争を引き起こす口実をでっちあげる長い歴史がある。それもあって、オマーン湾で起こった今回のタンカーの攻撃事件に対するトランプ政権の説明は、あまり信用されていない』、「アメリカには戦争を引き起こす口実をでっちあげる長い歴史がある」、第二の記事でも指摘していた点だ。
・『鮮明な画像  一方トランプ政権は、このような状況を打破し、この攻撃がイランによるものであることを証明するために、日本が運用するタンカー「コクカ・カレイジャス」に付着させた不発の機雷を高速艇が撤去する様子を撮影したビデオを公開した。そこには、イラン革命防衛隊が保有する3,000隻の高速艇によく似た船が写っていた。 さらに18日には同じ高速艇のもっと鮮明なカラー画像が公開された。たしかに革命防衛隊の高速艇に似ていることは間違いない。 これらの証拠をもとにポンペオ国務長官は、「この海域でこうした攻撃を実施する能力があるのはイランだけだ」としてイランの責任を追求している』、「不発の機雷を高速艇が撤去」しているのであれば、後始末をしているのに過ぎないのに、犯人扱いとはトランプ政権の主張は乱暴過ぎる。
・『どう見てもイランではない  しかし、どれだけの証拠を見せられても、今回のような攻撃を行う動機はイランには見当たらないので、これがイランによるものだとはにわかには信じがたい。 この攻撃を実行した勢力が別に存在するのなら、それはどのような勢力なのだろうか? このような疑問に答えようと情報を集めていたら、極めて興味深い情報を見つけた。「イスラエリ・ニュースライブ」というネットメディアがある。ここはスティーブ・ベンヌンというキリスト教の原理主義者が、聖書の預言の実現過程を世界情勢に探ることを目的にして、中東に関連したニュースを解説するメディアである。興味深いことに、イスラエルのリクード政権には非常に手厳しく、批判的だ。 ここは5月7日に興味深い番組を放映した。5月7日はオマーン湾の4隻のタンカー攻撃があった5月12日の5日前である。この放送では番組のホストのスティーブ・ベンヌンが、イスラエルにいる情報筋から得たというメールを紹介していた。それは次のようなものだった。 スティーブへ ジョン・ボルトンと近い関係にあるイランの反体制組織(People’s Mojahaddin of Iran)のメンバーが、イラン革命防衛隊がペルシャ湾で使っている高速艇と同じような船を手に入れようとして逮捕されたようだ。 明らかに自作自演の偽旗作戦が進行しているが、これはアメリカというよりも、この反体制組織が状況を混乱させるためにやっていることだ。 まだ米海軍とイラン海軍は偶発的事故を回避するための調整が行われている。イラン海軍は厳戒態勢にあり、だれも休暇を取っていない。毎日100万バレルの原油を売っているのだからね。 このようなメールであった。これを見ると、イランの反体制組織が革命防衛隊によく似た高速艇を手に入れ、イランを追いつめるための偽旗作戦の実施を準備している可能性があることを示している。 6月13日のタンカー攻撃には、日本が運用するタンカーに革命防衛隊によく似た高速艇が接近し、機雷を外しているビデオが公開された。この事件が起こる1カ月以上前に、イランの反体制組織が高速艇の入手を試み、自作自演の偽旗作戦を実施しようとしていると警告する情報があるのだ』、高速艇が「イランの反体制組織」のものというもありそうな話だ。
・『モジャーヘディーネ・ハルグ  このメールにある「People’s Mojahaddin of Iran」とは、「モジャーヘディーネ・ハルグ」のことである。別名「MEK」とも呼ばれている。 「MEK」は、1965年に当時のイランを統治していたパーレビ国王の独裁体制の打倒を目標に設立された反体制組織だ。イデオロギーは社会主義で、イスラムとは距離を保っていたが、1979年のイラン革命でホメイニ師が指導する反体制勢力が強くなるとこれと協力し、パーレビ体制を打倒した。 しかし、ホメイニ師によるイスラム原理主義の国家体制が出現すると、今度は現在のイスラム共和国の体制に離反し、政権の打倒を目指すようになった。1980年から1988年まで続いたイラン・イラク戦争では、サダム・フセインの庇護のもと、イラク側で戦った。2003年にフセイン政権が崩壊すると、イラク国内にいた「MEK」のメンバーは米軍に投降した。 このように、イランと敵対するイラク側で戦ったために「MEK」はイラン国内では裏切りものと見なされ、国内の支持基盤はとんどない。「MEK」の唯一の基盤は、フランスに住みパーレビ政権を支持する人々だ』、なるほど。
・『本拠地はアルバニア  このような「MEK」だが、この情報を見るとかなり小さな組織であるように思うかもしれない。しかし、実際はそうではない。アルバニアに相応な規模の軍事施設を持ち、5千人から3万人のメンバーを有する強力な軍事組織である。 「MEK」はアメリカではテロ組織として指定されていたが、2012年にそれは突然と解除された。同じ年、アルバニアはイランとの外交関係を回復する準備をしていたが、それを突然と中心(正しくは中止)した。そして、やはり2012年に「MEK」がアルバニアに拠点を移し、巨大な本拠地の建設を始めた。 2012年にアメリカが「MEK」のテロ組織指定を解除した理由は分かっていないが、オバマ政権から多額の支援金の支払いと引き換えに、「MEK」の拠点をアルバニアに構築する提案がアルバニア政府にあったとの情報がある。 アルバニア政府はこれを受け入れたので、イランとの外交関係を破棄したのではないかと見られている』、アメリカのテロ撲滅hが如何に「ご都合主義的」かを物語っている。
・『ジョン・ボルトンとの関係  そして興味深いのは、「MEK」と安全保障担当補佐官のジョン・ボルトンとの関係である。 以前にも当メルマガの記事で何度か紹介しているが、アメリカには資金の流れから政治家の背後にいる勢力をあぶり出す「オープンシークレット・ドット・オルグ」というサイトがある。運営しているのは民主党系のNPO法人だ。 試みにこのサイトで「MEK」に関係する資金の流れを調べると、興味深いことが分かる。「MEK」にはアメリカでロビー活動を展開する「イランに抵抗する国民委員会(NCRI)」という名の団体を運営している。ここは「MEK」の支持を拡大するための、共和党を中心に多くの政治家に献金をしている。 なかでも「NCRI」から最大の献金を受けているのが、ジョン・ボルトンである。この献金もあってか、ジョン・ボルトンは2017年にパリの「MEK」支持集会で支持演説をしている』、「「NCRI」から最大の献金を受けているのが、ジョン・ボルトンである」、というのには驚かされた。「NCRI」の資金は元を辿れば、MEKへのCIAなどの秘密工作資金なのではなかろうか。ボルトンは自分たちで、国家予算で援助し、その一部を「献金」の形でキックバックさせているのかも知れない。
・『政権転覆後のイラン大統領  周知のようにジョン・ボルトンは、トランプ政権内でイラン攻撃と体制転換を進めるネオコンのタカ派である。 そしてボルトンがイランの体制転換後の大統領候補として熱烈に押すのが、マリアム・ラジャビという女性だ。マリアム・ラジャビこそ、「MEK」の指導者である。 このようにボルトンと「MEK」のつながりは強い。ボルトンは「MEK」から政治資金の献金を受け、「MEK」をトランプ政権内で支持しているのだ』、なるほど。
・『ボルトンとMEKの自作自演か  このような「MEK」のメンバーが、イラン革命防衛隊が保有する高速艇に類似した船を買おうとして、5月初旬に逮捕されたのだ。実際にこうした事件があったことは、クエートの新聞記事でも報道されている。 このように見ると、今回のタンカー攻撃はイランが実行したとはとてもいえないことははっきりしている。 タンカー攻撃をイランのせいにして戦争を画策しているボルトンと「MEK」が実行した自作自演である可能性は否定できない』、最もありそうなシナリオだ。
・『「MEK」被害者の会の情報  そして、さらに興味深いことが分かった。「MEK」には「ネジャット・ソサイティー」という名の被害者団体があった。イラン国内に支持基盤のない「MEK」は、メンバーを拉致同様の方法で確保している。そのため、娘や息子を拉致された家族が中心となり、被害者団体を立ち上げた。おそらくこの組織には、イラン政府も協力しているのだろう。このサイトが「MEK」に関する情報がもっとも充実している』、イランにも「拉致」問題があるとは、初めて知った。
・『アルバニア大統領が米空母に乗船?  「ネジャット・ソサイティー」の最近の記事には、実に興味深い情報があった。アルバニア大統領のイリル・メタが米空母に乗船している写真が掲載されていた。 乗船している空母は「エイブラハム・リンカーン」である。「エイブラハム・リンカーン」はイランに圧力をかけるために、ペルシャ湾に派遣されている空母だ。なぜそこにアルバニアの現役の大統領が乗船しているのだろうか? この画像が掲載されている記事が出たのは、5月15日だ。オマーン湾でUAEやサウジの4隻のタンカーが何者かによって攻撃された事件の3日後である。もしかしたら、攻撃があった日にアルバニア大統領は「エイブラハム・リンカーン」に乗っていたのかもしれない。何をしていたのだろうか? アルバニアは、「MEK」の本拠地のある国である。「MEK」を受け入れるための交換条件として、米政府から莫大な資金がアルバニアにわたっている可能性は否定できない。「MEK」に対してもそうだ。 このように見ると、今回のタンカー攻撃をイランのせいにするにはあまりに無理がある。 むしろ、ボルトン、「MEK」、アルバニアのつながりで起こった自作自演の偽旗作戦であった可能性は非常に高いように思う』、説得力溢れた主張だ。
・『これから大量に出てくるイラン犯人情報  しかし、今回のメルマガで紹介したような情報は日本の主要メディアで報じられることはないだろう。 むしろ、ボルトンやポンペオによって、タンカー攻撃の実行犯はイランであることを証明する膨大な情報が、これから流されるはずだ。 日本政府も日本の主要メディアも、こうしたアメリカが流す一方的な情報に流され、次第にイラン犯行説を信じるようになる可能性が高いように思う。残念である。 このメルマガでは、こうした流れに抵抗し、真実を明らかにするつもりだ。(続きはご購読ください。初月無料です)』、騙されないように気をつけたい。
タグ:高島康司 現代ビジネス トンキン湾事件 鮮明な画像 Newsweek日本版 MONEY VOICE 近藤 大介 イラン問題 (その2)(トランプ イラン攻撃取り消しは作戦開始10分前、ベトナム イラク イラン…アメリカが繰り返す「悪のレッテル作戦」 イランの犯行を裏付ける証拠はない、タンカー攻撃 自作自演だった。見えてきたトランプ政権と実行組織のつながり) 「トランプ、イラン攻撃取り消しは作戦開始10分前」 イランによる米軍の無人偵察機撃墜に対する報復措置として軍事攻撃を承認したものの、その後撤回 緊迫感を出すために、初めから仕組まれたシナリオ 「ベトナム、イラク、イラン…アメリカが繰り返す「悪のレッテル作戦」 イランの犯行を裏付ける証拠はない」 タンカー攻撃の犯人 コクカ・カレイジャス」 「フロント・アルタイル」 アメリカのドナルド・トランプ大統領は同日、早々と「イランの仕業に違いない」とコメント 誰もが納得する根拠を示さないで「悪のレッテル」を張るアメリカの手法は、現在、中国のファーウェイ・テクノロジーズ(華為技術)を非難しているのと、まったく同じである 「ギリシャ悲劇」を繰り返すな イラクの兵器に関する虚偽の諜報が別の大統領(ジョージ・W・ブッシュJr)の戦争を正当化 2度あることは3度ある 国際常識に照らせばあり得ない イラン核合意(JCPOA)が成立 「今世紀に人類が成し得た最高の芸術的外交作品」 「前任のオバマ大統領が行ったものはすべて悪」と考えるトランプ大統領は、この「芸術的外交作品」を、あっさりポイ捨てしてしまった 安倍首相としては、和平を仲介している最中に後ろから弾が飛んできたようなもので、二重に「赤っ恥外交」である 日本とイランの関係 中東情勢は、日本の選挙にお付き合いしてくれるほど生易しい世界ではない 孫崎紀子氏 『「かぐや姫」誕生の謎』(2016年、現代書館) 大化の改新(645年)の時期から、すでに日本とイランは交流していた 中国・ロシアとイランの関係 中国経済の心臓部 安倍外交の成果が問われる 『ヤスの備忘録』連動メルマガ』 「タンカー攻撃、自作自演だった。見えてきたトランプ政権と実行組織のつながり=高島康司」 アメリカが資金援助?イランを陥れる反体制組織とは何者なのか 早々に「イランの仕業」と決めつけ イラン犯人説への疑念 アメリカはこれまで多くの戦争をでっちあげてきた どう見てもイランではない モジャーヘディーネ・ハルグ 「MEK」 イランと敵対するイラク側で戦ったために「MEK」はイラン国内では裏切りものと見なされ、国内の支持基盤はとんどない 「MEK」の唯一の基盤は、フランスに住みパーレビ政権を支持する人々だ 本拠地はアルバニア 「MEK」はアメリカではテロ組織として指定されていたが、2012年にそれは突然と解除 ジョン・ボルトンとの関係 「NCRI」から最大の献金を受けているのが、ジョン・ボルトンである 政権転覆後のイラン大統領 ボルトンは「MEK」から政治資金の献金を受け、「MEK」をトランプ政権内で支持 ボルトンとMEKの自作自演か 「MEK」被害者の会の情報 アルバニア大統領が米空母に乗船? これから大量に出てくるイラン犯人情報
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新元号問題(その4)(「国体論」の白井聡氏が警鐘 安倍首相“元号私物化”の異様、侮れない改元の麻酔的効果、首相がダメ出ししてた!? 元号の選定で何が) [国内政治]

新元号問題については、5月1日に取上げた。今日は、(その4)(「国体論」の白井聡氏が警鐘 安倍首相“元号私物化”の異様、侮れない改元の麻酔的効果、首相がダメ出ししてた!? 元号の選定で何が)である。

先ずは、5月2日付け日刊ゲンダイ「「国体論」の白井聡氏が警鐘 安倍首相“元号私物化”の異様」を紹介しよう。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/253063
・『かつてあった厳粛さと慎みは、一方では「元号=天皇の時間」という側面ゆえの、天皇に対する配慮であったと同時に、民主主義=国民主権への配慮でもあっただろう。新時代は、元号が発表された時点では真っさらの状態にあり、それがどんな時代になるのかを決めるのは、日本国民である。ゆえに、決定に関わった当事者たちは、その具体的過程や言葉の意図などについて口を閉ざしている。元号が、真に国民のものとなるためには、あたかもそれは誰が決めたものでもないかのように、「どこからともなく」やって来なければならないからである』、確かに本来はその通りなのかも知れない。なお、白井聡氏は京都精華大学専任講師(社会思想、政治学)。
・『「令和」は最後の元号になるかもしれない  対照的に、安倍晋三は新元号発表を徹底的に政治ショー化した。その異様さが頂点に達したのは、首相談話発表に続く記者との質疑応答で、新時代を「1億総活躍社会」等の自分の政権の具体的な政策と結びつけたときにおいてである。これはまさに禁じ手だった。主権者たる国民と、「国民統合の象徴」のものであるはずの元号とそれが表象する時間が、私物化されたのである。 とはいえ、安倍はこの政権の原理を首尾一貫させたに過ぎない。その原理とは「私物化」に他ならないが、本質的な意味で私物化されているのは、国有地や公金ではなく、国家と国民そのものである。 しかし、つまらぬ世襲政治家に過ぎない安倍晋三が天皇をしのぐ権威を自力で獲得することなどできようはずがない。ここにまさに、私が「国体論 菊と星条旗」で論じた「国体」特有の現象が表れている。「戦前の国体」においては、国民はあたかも家長としての天皇の所有物であるかのように扱われ、悲惨な末路を迎えたが、占領と安保体制を通じ、「菊から星条旗へ」と頂点をすり替えて国体は生き延びた。新元号を巡る安倍の傲り高ぶった振る舞いを可能にする権威性とは、要するに、彼が米国の代官であること以外に求めようがない。天皇化した米国の代理人として、安倍は堂々と元号を私物化してみせた。 しかし、政権支持率の推移を見るに、事の異様さに気づいている国民は少数派であろう。「初めて国書を典拠とする元号」という与太話を聞かされて喜々としている国民に未来はない。令和は最後の元号になるかもしれない』、安倍首相による「“元号私物化」で穢れたとはいえ、マスコミが祝賀ムードを盛り上げ、商売人が便乗グッズを売り出すなかでは、国民が祝賀ムードに流されるのもやむを得ないのだろう。

次に、明治大学教授の西川伸一氏が5月15日付け週刊金曜日オンラインに寄稿した「侮れない改元の麻酔的効果」を紹介しよう。
http://www.kinyobi.co.jp/kinyobinews/2019/05/15/seiji-74/
・『4月1日、改元狂燥曲がこの国を駆け抜けた。一番はしゃいだのは安倍晋三首相である。 11時41分に菅義偉官房長官が新元号「令和」を発表した。この会見は約7分であり、まず冒頭の約2分の内で「令和」と書かれた額が左右交互に2回ずつ掲げられた。その後1分半ほど新元号の決定に至る手続きと典拠が簡単に説明された。 そして菅氏はこう述べた。「この新元号に込められた意義や国民の皆さんへのメッセージについては、この後、安倍総理の会見があります」。さらに記者が「令和」が選ばれた理由を問うたのに対して、「この後総理ご自身から(略)直接お伝えをすることになっております」と答えた。 こうして国民に気を持たせたあと、12時5分から首相は記者会見を開いて約18分にわたって談話を発表した。「この『令和』には、人々が美しく心を寄せ合う中で文化が生まれ育つという意味が込められております」「悠久の歴史と薫り高き文化、四季折々の美しい自然、こうした日本の国柄をしっかりと次の時代へと引き継いでいく」など、『美しい国へ』(文春新書)の著者らしい聞こえのよい文学的レトリックが次々と繰り出された。 同日夕方以降、首相は生放送や録画でテレビ出演を重ねた。これほどかと眉をひそめる露出ぶりである。前回の改元は天皇の死去に伴うものだった。だが今回は生前退位なので、「慶事」として心置きなく「利用」できるのだ』、安倍首相のハシャギぶり、それを臆面もなく伝えるマスコミは常軌を逸していた。
・『一強長期政権に対する「飽き」から国民の気分を一新させ、その目立つ綻びを覆い隠す格好の政治ショーになった。社民党の又市征治党首は「さまざまな批判を元号で全部そらさせようとしている」(4月2日付「朝日新聞デジタル」)と的確に批判した。 狙いどおり支持率は跳ね上がった。共同通信社が4月1、2日の両日に行なった全国緊急電話世論調査では、内閣支持率は3月の前回調査より9・5ポイント上がって52・8%に達した。 ところで、政治学に権威という考え方がある。権力は正しいので、権力の令することならその痛みを自覚せず進んで従おうという人々の心性を指す。権力の権威化が進むほど権力は支配しやすくなる。そこで、いかなる権力も自らの権威化に腐心する。たとえば「物語と歴史」を持ち出して権力の神聖さや偉大さを説くのである。 いみじくも首相は会見で、「令和」の出典となった『万葉集』について「1200年余り前に編さんされた日本最古の歌集であるとともに(略)我が国の豊かな国民文化と長い伝統を象徴する国書であります」と評した。改元にかこつけた権力の権威化の目論見が見え隠れする。国民に対するその麻酔的効果は決して侮れない。 さて、私は前回の当欄で、近藤正春内閣法制次長の昨年3月に延長された定年が、今年3月末日に迫っていると指摘した。このままでは、はじめての長官になれなかった次長として退官してしまうと。 なんと内閣法制局はその3月末日付で、彼の定年をもう1年延ばすきわめて異例の人事を決めた。理由は「天皇陛下の退位をめぐる憲法問題について、専門知識を有しているため」という(3月31日付『産経新聞』)。昨年の延長理由も同じだった。これでは定年の意味がなくなる。天皇の政治利用ならぬ行政利用ではないか』、「改元にかこつけた権力の権威化の目論見が見え隠れする。国民に対するその麻酔的効果は決して侮れない」、というのはその通りだ。内閣法制局には新安保法制で集団的自衛権を合憲判断をさせるため、外務官僚の小松一郎氏を長官にねじ込んだ経緯があり、腫れ物に触るように気遣っているのだろう。

第三に、新元号決定の舞台裏について、NHKの政治部 官邸クラブ取材班が執筆したNHK政治マガジン「首相がダメ出ししてた!? 元号の選定で何が」を紹介しよう。
https://www.nhk.or.jp/politics/articles/feature/17483.html
・『「新元号、どん引き」「訳わかんなくね」「新元号、不評。内閣支持率も急落」安倍総理大臣をはじめ、政権幹部がもっとも恐れたシナリオだ。 実際はそうならず、「令和」発表後、SNS上などでは高評価が目立ち、政府内からは安堵(あんど)の声が漏れている。その影響か、内閣支持率は各種世論調査で上昇傾向。新元号を発表した菅官房長官は、ポスト安倍の有力候補のひとりに躍り出た。 では、これが他の原案だったら、どうだったのだろうか? いまだ秘密のベールに包まれた新元号決定の舞台裏を探る中で、「令和」が「広至(こうし)」だった可能性があったことが見えてきた』、裏面を伝える報道はいまだ数少ないので、興味深い。
・『評価と歓迎ムード  4月1日、午前11時41分。 新元号が宮中に伝えられたという報告を受けた菅官房長官は、「奉書紙」と呼ばれる丈夫な和紙に「令和」と墨書された額縁を掲げ、新元号を発表。正午過ぎには安倍総理大臣みずからが記者会見し、「令和」を日本最古の歌集である万葉集から引用した意義を強調した。 発表直後から、SNS上では高評価が目立った。揶揄(やゆ)したり批判したりする声もあったが、テレビや新聞も、歓迎ムードの広がりを報じた。 菅官房長官は翌日の記者会見で、「国民に好意的な受け止めが広がっているとすれば」と慎重な姿勢を堅持しながら、新元号が広く国民に受け入れられるよう努める考えを強調した。 ただ政府内からは「退位の表明以来、苦労の連続だったが報われた」などと、安堵の声が相次ぎ、新元号に対する世論の動向に神経を尖らせていたことがうかがえた』、「テレビや新聞も、歓迎ムードの広がりを報じた」、安倍政権に近いNHKもそのお先棒を担いだ。
・『最初のヤマ場で、首相がダメ出し!?  では新元号は、どのように決まっていったのか? その選定過程は秘密のベールに遮られ、全容が明らかになっていないが、決定直前の2月末と3月末の2回、大きなヤマ場があったことが明らかになった。 最初のヤマ場となる、ことし2月末。 平成の30年間に極秘に有識者から集められた約70の案が安倍総理大臣に示された。 案を示したのは、政府内で、昭和から平成への改元直後から、次の改元に向けて新元号の選定作業を極秘裏に進めてきた部署=旧内閣内政審議室、現在の内閣官房副長官補室だ。通称「補室」と呼ばれるこの部署は2001年に行われた中央省庁の再編で誕生した。内閣府本府の中にある。 元号の選定は内政を担当する歴代の内閣官房副長官補を含め、ごく少数のメンバーで作業が進められてきた。 そして約70の案の中から「補室」で絞り込んだ10数案について、担当者は、典拠=出典や意味を1つ1つ安倍総理大臣に説明した。 政府内では、安倍総理大臣が第1次内閣の頃から周囲に、「新元号は国書が典拠になるといい」と漏らしていたことが共有されていた。こうしたこともあってか、10数案の中には、典拠が国書のものも含まれていた。 安倍総理大臣は担当者に対し、選に漏れたほかの案について、「なぜ、これは落とされたのか」などと質問したという。 担当者らは当初、10数案の中から、最終候補となる原案が選定されると考えていたため、「良いものがないのだろうか」と不安がよぎった瞬間だった。 予想は的中することになる。 安倍総理大臣は浮かない表情を浮かべながら、「まだ時間はあるので、もうちょっと考えてくれませんか」と追加の考案を指示したのだった。 政府関係者は、蓄積されていた約70の案について、「専門家には、慣性・惰性が働いているからか、過去の元号と似たようなものが多くあった。絞り込んだ中には、総理にとってピンと来るものがなかったのではないか」と振り返った』、「最初のヤマ場で、首相がダメ出し」、というのは初耳だが、安倍首相はことの外熱心だったようだ。
・『ある職員の死  安倍総理大臣に示された約70の案。 実は、この収集と選定作業を支えてきたのは「補室」の職員ではなかった。 国立公文書館に籍を置く、ひとりの職員だった。 政府は、昭和から平成への改元が行われた直後から、中国文学、東洋史、日本文学、日本史といった分野の大家とされる有識者にひそかに新元号の検討の依頼を始めていた。 案ができあがると、その案について、 ▽国内外の過去の元号やおくり名=(崩御後の呼び名)として使われていないか ▽俗用されていないか ▽国民の理想としてふさわしい、良い意味を持つか ということを、確認してきた。 インターネットが普及したとは言え、専門家でもない行政官が選定作業を行うのは容易ではない。 それを黙々と支えてきたのが、国立公文書館に籍を置いていた尼子昭彦氏だった。 尼子氏は「内閣事務官」の肩書きも与えられ、「補室」にも出入りし、有識者と選定作業にあたる行政官の橋渡し役を担っていた。 国立公文書館の元館長の1人は、「尼子氏は漢籍=中国の古典が専門で、二松学舎大学の出身。二松学舎大学で教授をしていた宇野精一氏からの推薦で国立公文書館に入った」と明かした。 宇野精一氏は、中国思想史が専門で、昭和からの平成への改元の際に、3つの原案に含まれた「正化」を考案したことで知られる。 政府関係者は「尼子さんは、今回の改元に向けた作業だけではなく、平成への改元の際も作業に関わっていたようだ」と述べ、尼子氏が長年にわたり、元号の選定作業に深く関わってきたことを明らかにした。 尼子氏は国立公文書館に在籍していた際、同僚には「内閣官房の仕事に行ってくる」などと言って外出することがあったが、何の仕事をしているのかははっきりせず、元館長でさえ、「元号に関する仕事をしているらしいがよく分からなかった」と振り返った。 尼子氏は、政府が内々に考案を依頼している有識者のもとをたびたび訪れ、元号についての意見交換を主に行っていたという。 2007年10月、国立公文書館で秋の特別展「漢籍」が催された。 尼子氏はこの展覧会の開催にあたって、中心メンバーとして心血を注いだ。国立公文書館のホームページには、展示会開催の記録がいまも残っている。 しかし展覧会が終わったころから体調を崩して仕事を休みがちになり、数年後、退職の手続きがとられたという。 尼子氏はその後、体調が回復して非常勤という形で、内閣官房で元号選定の仕事を続けていたが、定年を迎え退職し、その後、新元号「令和」を見届けることなく、去年の春に亡くなった。 口かずの少ない寡黙な人で、東京都内のマンションで1人暮らしをしていた。ある関係者は「孤独死のような亡くなり方だった」と沈痛な面持ちで話した。広島県に住む弟が上京して葬式を済ませ、「補室」の一部の職員が手伝いながら部屋の片づけが行われたが、部屋には膨大な数の漢籍の本があったということだ。 「縁の下で元号選定作業を支えて下さった人。本当に感謝しているし、そういう人が世に知られて評価されるのであれば嬉しい」と一緒に働いたこともある、政府職員は話していた』、文字通りの黒子がいたのも初めて知った。
・『一子相伝の選定作業  尼子氏が内閣官房を去って以降、10年ほど前から国立公文書館で勤め始めた職員が跡を継いだ。 その職員は現在は内閣官房に籍を移しているという。この職員も漢籍が専門で、内閣府本府の地下1階にある作業部屋を拠点に1人ひっそりと作業を進めたという。 事務方による選定作業は、古谷官房副長官補と開出内閣審議官、それに「尼子氏の後継者」となった職員の3人で主に進められ、後継者の職員は、新元号発表を前に立ち入り禁止となった「補室」のある5階と地下1階を頻繁に行き来していた』、なるほど。
・『5人の専門家  話しを元に戻そう。新元号発表まで残すところおよそ1か月となる中、安倍総理大臣の指示を受けて、政府は、専門家らに対して、候補案の追加を依頼した。同時に、過去の240余りに上る元号の選定過程で未採用となった案を引っ張りだし、今の時代にあったものはないか改めて検討を行った。 安倍総理大臣からも「俗用ばかり気にしていたら良いものは選べない」などという指摘も出され、約70の候補案について、意味や響きなどから再評価が行われ絞り込み作業が改めて行われていたことが新たに明らかになった。 こうした作業が水面下で進められる一方、政府は3月14日、複数の専門家に対して考案を正式に委嘱したことを発表した。政府は、何人の専門家に対し委嘱したのか、いまなお明らかにしていないが、委嘱されたのは5人だったことも今回、判明した。 ▼「令和」の考案者で、国際日本文化研究センター名誉教授の中西進氏 ▼東京大学名誉教授で、東洋史が専門の池田温氏 ▼二松学舎大学元学長で、中国文学が専門の石川忠久氏 ▼中央大学名誉教授で、中国哲学が専門の宇野茂彦氏 ▼残る1人は「国書」に精通する人物とみられるが、これまでのところ特定には至っていない しかし、政府関係者によると、体調を崩していた人もいたことなどから、これら5人の専門家全員には、追加の依頼は行われなかった。 追加の依頼が、まず行われたのは宇野茂彦氏だった。研究室のホームページによれば、宇野氏は4年前の教授としての最終講義の際にも、「漢學における『文學』」を説いた、漢籍の専門家である。 宇野氏の父は、前回の改元の際に、3つの原案の1つ「正化」を考案した宇野精一氏であり、尼子氏の師にもあたる。加えて「尼子氏の後継者」は宇野茂彦氏の教え子で、親子二代続いて元号の選定作業に関わったことになる。 その後、さらに中西氏と、われわれが特定に至っていない専門家に対し、追加の依頼が行われた。こちらの2人は、国書が専門だ。 万葉集の大家である中西氏に追加の考案を依頼した際、政府関係者は、万葉集で使われている「万葉仮名」は使わないように求めた。 日本語の音に漢字をあてはめた「万葉仮名」から考案すると、意味をとることが困難になるからだ。 そこで中西氏は、万葉集に限定しない形で考案を始め、3月下旬になって、「令和」を含む数案を提出したという』、なるほど。
・『第2のヤマ場  追加案が集まったのを受け、新元号発表の5日前の3月27日、総理大臣官邸では極秘の会議が開かれた。 第2のヤマ場だ。 出席者は、安倍総理大臣、菅官房長官、杉田官房副長官、古谷内閣官房副長官補、開出内閣審議官。事実上の最高レベルの意思決定の場だったと言える。 その場では、中西氏から提出された「令和」を含む複数案が示され、協議が行われた。 安倍総理大臣が初めて「令和」と対面した瞬間だった。 「令和」は、政府の依頼に応える形で、万葉仮名を避けつつ、漢文で書かれた万葉集の序文から考案されていた。安倍総理大臣の「令和」に対する反応は最初はそれほど、良くないように見えたが、議論が進むにつれ、「令和で関係者全員が一致した」という。 ただ政府関係者は、この時点で新元号が「令和」に決まっていた訳ではないと強調する。 「新元号決定前に開かれる有識者会議で、どのような意見が出るか分からない。気分としては『令和』だったが、『令和』に決め打ちしていた訳ではない。『広至』がいいという意見もあった」 新元号の決定後に発表する予定だった安倍総理大臣の談話も「令和」「広至」を含めた、3つの原案について準備されていたという。 こうした協議を経て、原案6つが最終的に確定したのは、新元号発表の3日前となる3月29日のことだった』、「事実上の最高レベルの意思決定の場」で腹案を決めた上で、有識者会議に諮ったということは、有識者会議そのものは全くの茶番だったことになる。
・『夜のリハーサル  発表前日の31日。 有識者などからなる懇談会などで配布される、原案が記された資料の作成が行われた。 保秘を徹底する観点から、開出審議官が官邸に泊まり込んで資料を管理したそうだ。 「万が一、官邸内のスタッフの中に協力者がいた場合、鍵を開けられ、部屋に入られたら保秘が貫徹できない」 政府関係者は「新元号を抜かれるかどうかは、みなさん(報道各社)とのまさに戦いだ」と話していたが、まさに徹底した情報管理が行われた。 夜になると、菅官房長官が人目を忍んで総理大臣官邸1階の記者会見室に入ったことも確認された。会見室には、菅官房長官のほか、「補室」などの関係者が集まっていた。 菅官房長官は会見の際のように演壇に立ち、「平成」と書かれた額縁を掲げるなど、翌日に備えたリハーサルが繰り返された。 額縁に書かれた新元号が、掲げる直前に、演壇の前に座る記者団から見えない角度などの確認も入念に行われた』、菅官房長官の会見も「翌日に備えたリハーサルが繰り返された」、「記者団から見えない角度などの確認も入念に行われた」、など安倍政権の思い入れの強さが、こんなところにまで現れるとは・・・。
・『発表の当日  迎えた発表当日。 各界の代表や有識者からなる「元号に関する懇談会」「衆参両院の正副議長からの意見聴取」そして「全閣僚会議」には、「令和」を含む、これら6つの原案が示された。 原案は、A3サイズの1枚の紙に50音順で示され、典拠=出典、そして意味が添えられていた。 ▼「英弘(えいこう)」は、現存する日本最古の歴史書「古事記」 ▼「久化(きゅうか)」は、儒教の基本的な考え方を示した中国の9つの古典「四書五経」の1つの「易経」 ▼「万和(ばんな)」は、中国の前漢の時代に作られた歴史書「史記」 ▼「万保(ばんぽう)」は、久化と同じく「四書五経」の1つ「詩経」 ▼「広至(こうし)」は、当初、日本と中国のそれぞれの古典を出典としているという情報もあったが、実際は日本の歴史書である「日本書紀」と「続日本紀」だった。 ▼「令和」が万葉集。 ただ政府関係者によると、この中には「広至」と同様に、複数の典拠を持つものもあるという。 また「英弘」は当初、安倍総理大臣に示された10数案には含まれていなかったが、再評価の過程で復活したものだった』、なるほど。
・『最終段階で評価は  「元号に関する懇談会」では、9人のメンバー全員が日本の古典を典拠とするのが望ましいという考えを示し、8人が、「令和」を推す一方、1人が「これまでに元号に使われていない漢字が使われている」などとして、別の原案が好ましいと発言した。 続く「衆参両院の正副議長からの意見聴取」では、菅官房長官が1人1人に「ご意見はありませんか」と求めた。 衆参両院の正副議長からは、「わが国の良き伝統と未来への希望を託せる新元号が望ましい。提示された原案は、いずれもこれにかなっている。内閣でこのうちのどれかに決めてもらえば良い」などと、特定の案を推す意見はなく、政府に任せるという意見で一致したという。 ただ「万葉集」の梅花の詩の序文からとられた「令和」を念頭に、「元号が特定の季節をさすのはいかがなものか」という指摘が出ていたという』、「衆参両院の正副議長」は自分らの役割を理解していたので、「政府に任せるという意見で一致した」という大人の対応を取ったのだろう。
・『“想定外”が起きた全閣僚会議  最後の議論の場となった「全閣僚会議」。当初の予定は10分程度だったが、意見が相次ぎ20分近くかかった。 ある政府関係者は、「手続きの中で唯一の『想定外』だった」と述べた。 この中で、杉田官房副長官は「元号に関する懇談会」について、「すべての有識者が日本の古典からの案を薦めたほか、『令和』を推す意見が多数を占めた」と報告したほか、「衆参両院の議長・副議長の意見聴取」については、政府一任となったと説明した。 そして菅官房長官が閣僚らに発言を促すと、河野外務大臣が最初に口火を切り、日本の古典から選ぶことを支持する一方、「令和」の「和」の字が昭和の「和」と同じだと指摘した。 するとほかの閣僚からも意見が相次ぎ、発言したのは閣僚の半分にあたる10人となった。 このうち9人は、日本の古典からの選定を求め、4人が「令和」を推す一方で、「英弘」や「広至」などが良いという意見も出された。 想定に反して時間がかかったため、菅官房長官が「ご意見を踏まえて、新元号は総理に一任することとしたい」と述べると、異議は出されず、一任となった。 これを受けて、安倍総理大臣は、「令和」が好ましいという考えを表明し、会議は幕を下ろしたのだった』、「河野外務大臣が最初に口火を切り」、というのは余り空気を読まない彼らしい。
・『選定のあり方とは  NHKの世論調査で、「令和」について、どの程度好感が持てるか尋ねたところ、「大いに好感が持てる」が30%、「ある程度好感が持てる」が51%と、支持する意見が8割を超えた。 また、初めて日本の古典「万葉集」から引用されたことについても、「評価する」が63%となった。 その後、行われた皇位継承の際には、列島は歓迎ムードに包まれた。 そうしたことの影響か、NHKをはじめとする報道各社の世論調査で、内閣支持率はいずれも上昇している。 この状況を受け、与野党双方から、夏の参議院選挙に合わせた衆参同日選挙をめぐって、さまざまな発言が出ている。 前回、昭和からの改元の際には、国会を含めて大きな論争が起き、全国でゲリラ事件も相次いだ。しかし今回は、受け入れるムードが広がっている。 ただ、先の大戦を経て現行憲法が施行され、国のあり方、天皇制、そして元号の持つ意味は大きく変化した。その意味合いを、少し立ち止まって考えてはどうだろうか。退位をにじませるお気持ち表明以来の一連の特集記事が、きっかけとなることを祈念してやまない』、皇位継承問題なども議論すべきだろう。いずれにせよ、元号決定に安倍政権が並々ならぬ思い入れで臨んだことは確かなようだ。
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メディア(その15)(小田嶋氏2題:「死ぬこと以外かすり傷」ではかなわない、コラボTシャツが越えた一線) [メディア]

メディアについては、5月23日に取上げた。今日は、(その15)(小田嶋氏2題:「死ぬこと以外かすり傷」ではかなわない、コラボTシャツが越えた一線)である。

先ずは、コラムニストの小田嶋 隆氏が5月24日付け日経ビジネスオンラインに寄稿した「「死ぬこと以外かすり傷」ではかなわない」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00116/00022/?P=1
・『幻冬舎という出版社の社長が、同社で出版している書籍の実売部数をツイッター上で暴露したことが話題になっている。 この件についての報道やネット上の反応を眺めながらあらためて思ったのは、出版界内部の反応が大きいわりに、世間一般のリアクションが思いのほか冷淡だったことだ。 おそらく、ほか一般の業界で仕事をしている人たちの中には 「出版もまたビジネスである以上、情報を公開するのは当然なのではないか」と考えている人が少なくないのだろう。そして、そう考えている人たちからすると、見城氏が津原泰水氏の前作の実売部数を暴露して揶揄したことに激越な反応をしている出版界の人々の態度は、理解に苦しむところなのかもしれない。 理屈としては理解できる。 21世紀のビジネスの常識で考えれば、商品として市場に出した書籍の情報を、その売り主である出版社の社長が公開したことは、市場主義経済の原則からして、しごく当然な判断に見えるからだ。 逆に言えば、自分たちが扱っている商品の売上高という、もっとも基本的な情報を「秘匿条項」「隠しておくべき常識」「誰にも知らせるべきでない数字」としている出版業界の商習慣ないしは業界体質の方が、どちらかと言えば異例だということでもある。 現在、見城徹氏は、実売部数を暴露したツイートを謝罪の上削除して、今後ツイッターで発言しない旨をアナウンスしている。 もっともこの「謝罪」と「ツイッター封印」に対してはいまなお批判が渦巻いている。 「『誰に』『何を』謝罪しているのかがまったくわからない」「とりあえず謝罪のポーズを示して事態を収拾したいという意図以外のナニモノをも感じ取ることができない」「ツイッター封印も、謝罪とは無縁だな」「むしろ逃亡というのか『姿をくらました』ということでしょ」「酒で失敗した人間が断酒するのとはまるで別で、むしろナイフで人を刺した犯人が凶器のナイフを川に捨てましたみたいな話だよな」 と、いたって評判がよろしくない。 たしかに、見城氏の謝罪ツイートは、実売部数を晒された当事者である津原泰水氏への明確な謝罪の形をとっていない。 ツイッター封印宣言も、昨今話題になっている某政党の「失言防止マニュアル」と似たようなものに見える。 見城氏がツイッターを封印するのは、「思ってもいないこと」をつぶやいてしまうことを防ぎたかったからではない。 「言葉尻をとらえて自分の真意と違う解釈で噛みついてくる有象無象から逃れる」ためでもない。 彼がツイッターを封印したのは、「内心で思っていること」を「うっかりつぶやいてしまうリスク」を恐れたからで、その理由も、結局のところ彼が「内心で思っていること」が、そもそも不見識であったり非常識だったり反社会的だったり無慈悲だったりすることから来ている。 ということは、見城氏がツイッターから撤退したのは、反省の気持ちを表現するためではなくて、むしろ、説明責任を回避する目的だったと見るのが自然だろう』、私も「見城氏が津原泰水氏の前作の実売部数を暴露して揶揄したことに激越な反応をしている出版界の人々の態度は、理解に苦しむ」1人だ。ただ、「見城氏がツイッターから撤退したのは、反省の気持ちを表現するためではなくて、むしろ、説明責任を回避する目的だった」とすれば、見城氏は卑怯だとはいえる。
・『ともあれ、出版まわりでは、見城氏を擁護する立場の人間はほぼ皆無と申し上げて良いかと思う。 どうして、これほどまでに評判が悪いのか。 今回はそこのところについて考えてみたい。 出版事業は、現代の産業に見えて、その実、現場の仕事ぶりは、街のパン屋さんや畳屋さんとそんなに変わらない昔ながらの手作業に支えられている。 一方で、10万部を超える書籍に関して言えば、「濡れ手で粟」ということわざが示唆する通りの利益率をもたらす。 100万部超ということにでもなると、これはもう、よく使われる比喩なのだが「お札を刷ってるみたいなものだ」という次第のものになる。 ということはつまり、出版という仕事は、その構造というのか前提自体がギャンブルなのである。 5000部以下の部数にとどまる大多数の赤字の書籍と、突発的に発生する何十万部のスマッシュヒットというまったく相容れないビジネスモデルが並立しているところに出版という事業の不思議さがある。 この出版界のピラミッドは、全体から見ればごく少数の例外に過ぎない10万部超のベストセラー書籍の売り上げが、何百人という赤字書籍の書き手を養っている構造ということになるのだが、忘れてならないのは、その1000部とか2000部という売れない書籍を制作しながら経験を積んだ書き手の中から、ある日ベストセラー作家が生まれるという形での新陳代謝が業界を活性化させているもう一方の事実だ。 ともあれ、そんなわけなので、編集者の常識も2つの矛盾したプリンシプルを同時に踏まえたものになる。 具体的に言えば、彼らは、10万部・100万部のヒット作を生み出すために、常に売上部数の極大化を目指さなければならない一方で、1000部とか2000部の部数で低迷している著者を大切に育成保護督励称揚し続ける義務を負っているのである。 編集者は、著者をリスペクトしなければならない。 一方で、彼らは、売れない書き手を切り捨てなければならない。 この2つの矛盾した態度を、一人の人間の中で両立させないと一人前の編集者にはなれない。 もちろん、書き手と編集者は、無論のこと2つの別々の独立した人格だ。 が、ひとつの書籍を制作している過程のある時期には、ほとんど一体化することが求められる。 それゆえ、二者のどこまでも複雑かつ微妙な感情を孕んだ関係を取り結ぶことになる』、「5000部以下の部数にとどまる大多数の赤字の書籍と、突発的に発生する何十万部のスマッシュヒットというまったく相容れないビジネスモデルが並立しているところに出版という事業の不思議さがある」、「編集者は、著者をリスペクトしなければならない。 一方で、彼らは、売れない書き手を切り捨てなければならない。 この2つの矛盾した態度を、一人の人間の中で両立させないと一人前の編集者にはなれない」、などというのは初めて知った。編集者は並大抵の人間には無理な「神業」のようだ。
・『以下、私の過去ツイートの中で「編集者」というキーワードを含む書き込みをいくつか抽出してみる。われわれの世界に蔓延するいたたまれない空気を多少とも感じ取っていただけたらありがたい。 《固定電話にかけてくる人々。1.セールス 2.料金の督促 3.慇懃な編集者 4.親戚のご老人 5.間違い電話 6.変態 …まあ、あんまり出たくないですね。》 《原稿を書く人間には「引き伸ばす」「嘘をつく」「放置する」「逃げる」「屁理屈をこねる」といった所行は、著者にのみ許された一種の権利なのだという思い込みがありまして、それを編集者の側から著者に向けて発動されると、やはり茫然とするわけですね。》 《テレビのスポーツ番組の中には、アスリートを単なる「素材」扱いにしている感じのものがたまにあって、たぶん、作ってるヤツはシェフ気取りなんだろうなと思ったりする。それはそれとして、出版の世界で、著者を「手駒」と考えて仕事をする編集者が成功するとは思えない。》 《編集者泣かせと言うが、編集者の主たる職分は泣くことではないのか。》 《鳴かぬなら 私が泣こう 編集者》 《ライターを「時々仕事をまわしてやってる出入りの業者」ぐらいに思っている編集者は実在する。いま言ってるのは「そういう態度をとる編集者」のこと。内心でそう思ってる組はもっと多いはず。まあ、こっちが「時々仕事をまわしてもらっている出入りの業者」であること自体は事実だし。》 《これはあくまでも私の憶測なのだが、メディア企業の社員(編集者とかディレクターとか)は、自分が担当する自由業者(書き手とか出演者とか)の他媒体での仕事をチェックしなくなる。理由は定期的に顔を合わせる現場で気まずくなりたくないから。だからこそ座持ちが良いだけの人間が生き残る。》 《「天才編集者」という言葉をサラリと使ってしまえる編集者のアタマの中では、書き手は素材なのだろうな。おまえらはしょせんじゃがいもで、シェフのオレが味をつけて演出してやってるからはじめて料理になる、と。で、オレらは試験通ったエリートで、お前ら書き手は道具だ、と。上等だよな。ほんと。》 《ライターと編集者の関係では、慣例上、編集者がライターを「先生」と呼んで敬うことになっている。が、その一方で、ライターにとって編集者は、金主であり発注元であり自分の生殺与奪の権を握る全能の人間だったりもする。そんなわけなので、われわれは互いに皮肉を言い合わずにおれない。》 もう一つ厄介なのは、編集者が、ある部分では著者と二人三脚で書籍を制作するクリエイターの側面を備えている点だ。 このため、著者と編集者の間には、ともすると 「ここ、違うんじゃないですか?」「うるせえ。余計なお世話だ」式の緊張感がただようことになる。 これもまた厄介なことだ。 ここまでのところを読んで 「何を甘ったれてやがる」「出版が無から有を生む魔法だとかって、制作側の思い込みに過ぎないんじゃないでしょうか」「編集者は著者をリスペクトすべきだって、どこまで思い上がれば気が済むんだ?」 と思った人はかなりの度合いで正しい』、編集者とライターの関係も極めて微妙なバランスの上に成立しているようだ。
・『実際、出版は、甘えと思い上がりを産業化するための枠組みなのであり、それを実体を伴う事業
として回転させるためには、強固な思い込みが不可欠だからだ。 別の言葉でいえば、出版というのは、思い込みを商品化する過程なのである。 それゆえ、10のうち9つまでが空振りであるのは、この事業の必然というのか、宿命ですらある。 ただ、その10にひとつのヒットが、残りの9つの書き手を食いつながすことで、出版という魔法が成立していることを忘れてはならない。 であるから、仮にも書籍の出版に携わる会社の人間が、自分たちが手がけた書籍の実売部数を世間に晒してその著者を嘲弄することは、自分たちの販売努力を無化しているという点でも、金の卵を生むかもしれない自分たちの産業の宝物である書き手のプライドを傷つけているという意味でも、完全に論外な態度だと申し上げねばならない。 編集者(あるいは出版業者)は、思うように部数のあがらない著者のプライドをこそ命がけで防衛せねばならない。 なんとなれば、売れている書き手のプライドは、部数と収入と世評がおのずと支えてくれるからだ。 売れていない本の書き手は、自分の書いた本が売れていないことに気持ちを腐らせている。自信を失いかけている。生活が荒みはじめているかもしれない。 こういう時、彼または彼女の自尊感情を高めることができるのは、編集者と数少ないファンだけだ。 そして、ここが大切なポイントなのだが、世の中にいる書き手のほとんどすべては、こちら側(つまり売れていない本の著者)に属していて、その彼らの奮起と努力と自信回復なしには、出版という事業は決して立ち行かないものなのである。 私自身、自分の著書の中で10万部以上売れた作品は皆無だ。 それでもなんだかんだ40年近くこの業界で糊口をしのいでこれた理由の半分以上は、適切なタイミングで優秀な編集者にめぐりあうことができたからだと思っている。 入院先の病院から昨今の出版界を概観しつつあらためて思うのは、業界全体のパイの縮小が続く中、良い本を作ることよりも、「マーケティング」や「仕掛け方」にばかり注力する出版人が悪目立ちしていることだ。 今回の事件も、その発端は、売上部数を偽装に近い形で演出しつつ、肝心の内容はあられもない剽窃とコピペに頼っている同じ出版社の書籍をめぐる揉め事から来ている。 当該の書籍の作られ方や訂正のされ方について苦言を呈し続けた書き手の存在が、出版社にとって邪魔だったからこそ、彼は自著の実売部数を晒されるという形で「罰」(あるいは「警告」)を受けなければならなかった。 同じ事件を、出版社の社長の側から見ると、彼は、売れている著者のごきげんを取り結ぶために 「売れていない書き手を邪魔者扱いにする」という、出版業者として絶対にやってはならない所業に及んでしまったわけだ』、「出版というのは、思い込みを商品化する過程」、「10にひとつのヒットが、残りの9つの書き手を食いつながすことで、出版という魔法が成立していることを忘れてはならない」、見城氏は「売れている著者のごきげんを取り結ぶために 「売れていない書き手を邪魔者扱いにする」という、出版業者として絶対にやってはならない所業に及んでしまったわけだ」、なるほど、その通りなのかも知れない。
・『編集者は著者をリスペクトしなければならない。 これは、寿司屋が寿司ネタを足で踏んではいけないのと同じことで、彼らの職業の大前提だ。 しかも、執筆中の書き手は、どうにも扱いづらい困った性格を身に着けている。 私の場合について言えば、原稿を書いている時の私は、自信喪失に陥っていたり自己肥大していたりして、気分が安定していない。しかもそんなふうに自己評価が乱高下している状態でありながら、プライドだけは野放図に高走っていたりする。 こういう人は、編集者がなだめすかして作業に没頭させないと自滅しかねない。 「甘ったれるな」と言う人もあるだろう。 が、さきほども申し上げた通り、出版というのは、甘えと思い上がりを産業化する事業なのであるからして、その中でコンダクターの役割を担う編集者には、ナースや保育士に近い資質が期待されるものなのだ。 聞けば、幻冬舎には 「死ぬこと以外かすり傷」という言葉を自らのキャッチフレーズとして掲げて活動している編集者がいるのだそうだ。 思うに、この言葉は、自分自身を叱咤してエンカレッジする意味もあるのだろうが、実質的には、他人をぞんざいに扱うためのイクスキューズとして機能しているはずだ。 翻訳すれば「殺人以外は軽犯罪」「殺さなければ無問題」てなところだろうか。 こんな態度で編集をされたのではかなわない。 わたくしども書き手は 「かすり傷でも致命傷」「軽んじられたら死んだも同じ」といった感じの不遜な繊細さで世の中を渡っている。 そうでなければ原稿なんか書けない。 奇妙な原稿になってしまった。 こんな調子になってしまった理由は、私がそれだけ怒っているからだと解釈してもらってかまわない』、「編集者には、ナースや保育士に近い資質が期待されるものなのだ」、とすると、「「死ぬこと以外かすり傷」という言葉を自らのキャッチフレーズとして掲げて活動している編集者がいる」幻冬舎は、やがて書き手からソッポを向かれることになるのだろうか。

次に、同じ小田嶋氏が6月14日付けで日経ビジネスオンラインに寄稿した「コラボTシャツが越えた一線」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00116/00026/?P=1
・『昨今、出版の世界から耳を疑うようなニュースが流れてくることが増えた。 新潮社の月刊誌「新潮45」が、LGBTの人々を「生産性がない」という言い方で貶める杉田水脈衆議院議員による極めて差別的な論文を掲載したことで批判を浴びたのは昨年の夏(8月号)のことだった。 批判にこたえるかたちで、「新潮45」の編集部は、10月号の誌面上で、「そんなにおかしいか、『杉田水脈』論文」という特集企画を世に問うた。 全体的に粗雑かつ低劣な記事の並ぶ特集だったが、中でも小川榮太郎氏の手になる記事がひどかった。 「LGBTの生き難さは後ろめたさ以上のものなのだというなら、SMAGの人達もまた生きづらかろう。SMAGとは何か。サドとマゾとお尻フェチ(Ass fetish)と痴漢(groper)を指す。私の造語だ。」などと、LGBTを世に言う「変態性欲」と意図的に混同した書き方で中傷した氏の文章は、当然のことながらさらなる炎上を呼び、結果として、「新潮45」は廃刊(表向きは「休刊」ということになっている)に追い込まれた。 以上の出来事の一連の経緯を傍観しつつ、私は当連載コーナーの中で、3本の記事をアップしている。 杉田水脈氏と民意の絶望的な関係 「新潮45」はなぜ炎上への道を爆走したのか 「編集」が消えていく世界に  これらの記事は、いずれも、今回、私が俎上に載せるつもりでいる話題と同じ背景を踏まえたものだ。 その「背景」をあえて言語化するなら 「雑誌の断末魔」ということになる。あるいは「出版業の黄昏」でもかまわない。 いずれにせよ、私たちは、20世紀の思想と言論をドライブさせてきたひとつの産業が死に絶えようとするその最期の瞬間に立ち会おうとしている。 お暇のある向きは、上に掲げたリンク先の3本の記事を順次読み返していただきたい。 ついでに、幻冬舎の見城徹社長が、同社から発売されている「日本国紀」(百田尚樹著)の記述の中にある剽窃をめぐって、同社で文庫を発売する予定になっていた津原泰水氏を中傷し、氏の前作の実売部数を暴露した問題について考察したつい半月ほど前の原稿にも、目を通しておいていただくとありがたい。 どちらの事件も、登場人物の振る舞い方や処理のされ方こそ若干違っているものの、「出版の危機」がもたらした異常事態である点に関しては区別がつかないほどよく似ている』、「「出版の危機」がもたらした異常事態」というのは、その通りなのだろう。
・『なんというのか 「貧すれば鈍する」という、身も蓋もない格言が暗示しているところそのままだと申し上げてよい。 あるいは今回取り上げるつもりでいる話題も、「貧すれば鈍する」というこの7文字で論評すれば、それで事足りる話なのかもしれない。 たしかに、業界の外の人間にとっては 「しみったれた話ですね」という以上の感慨は浮かばないのかもしれない。 なんともさびしいことだ。 話題というのは、講談社が発売している女性ファッション誌「ViVi」のウェブ版が、自民党とコラボレーションした広告企画記事を掲載した事件だ。 「ハフポスト」の記事によれば経緯はこうだ。 《講談社の女性向けファッション誌「ViVi」のウェブ版が、自民党とコラボしたことが話題となっている。 「ViVi」は6月10日、公式Twitterで「みんなはどんな世の中にしたい?」と投稿。「#自民党2019」「#メッセージTシャツプレゼント」の2つのハッシュタグをつけて自分の気持ちをつけて投稿するキャンペーンを発表した。 計13人に、同誌の女性モデルら9人による政治へのメッセージが描かれたオリジナルTシャツが当たるという。─略─》 私がこのコラボ広告記事の企画から得た第一印象は、「あさましさ」だった。 これまで、雑誌や新聞が政党や宗教団体の広告を掲載した例がないわけではない。 というよりも、選挙が近づくと、各政党はあたりまえのように広告を打つ。これは、政党と広告に関する法規制が緩和されて以来の日常の風景だ。 であるから、私自身「政党が広告を打つのは邪道だ」と言うつもりはない。 逆に「雑誌が政党の広告を乗せるのは堕落だ」と主張するつもりもない。 ただ、今回の「コラボ・メッセージつきTシャツプレゼント企画」に関して言えば、「一線を越えている」と思っている。 具体的に言えば 「政党が雑誌購読者に告知しているのが、党の政策や主張ではなくて、Tシャツのプレゼントであること」が、うっかりすると有権者への直接の利益ないしは利便の供与に当たるように見えることと、もうひとつは、「今回のぶっちゃけたばら撒きコラボ広告は、ほんのパイロットテスト企画で、自民党の真の狙いは、参院選後の憲法改正を問う国民投票に向けたなりふりかまわない巨大広告プロジェクトなんではなかろうか」という個人的な邪推だ。 「なんか、駅前でティッシュ配ってるカラオケ屋みたいなやり口だな」「オレはガキの頃おまけのプラスチック製金メダルが欲しくてふりかけを1ダース買ったぞ」「そういえば、シャッター商店街の空き店舗で電位治療器だとかを売りつけるSF商法の連中は、路上を行く高齢者に卵だのプロセスチーズだのをタダで配っていたりするな」 さて、自社の雑誌に自民党とのコラボレーションによる広告企画記事を掲載したことについて、「ViVi」を制作・販売している講談社は、以下のようにBuzzFeed Newsへの取材に対してコメントしている。 《このたびの自民党との広告企画につきましては、ViViの読者世代のような若い女性が現代の社会的な関心事について自由な意見を表明する場を提供したいと考えました。政治的な背景や意図はまったくございません。読者の皆様から寄せられておりますご意見は、今後の編集活動に生かしてまいりたいと思います。》 このコメントには、正直あきれた』、「「今回のぶっちゃけたばら撒きコラボ広告は、ほんのパイロットテスト企画で、自民党の真の狙いは、参院選後の憲法改正を問う国民投票に向けたなりふりかまわない巨大広告プロジェクトなんではなかろうか」、というのは案外、正鵠を突いているのかも知れないが、事実とすれば恐ろしいことだ。
・『言葉を扱うことの専門家であるはずの出版社の人間が、政党の広告を掲載することに「政治的な」「意図」や「背景」がないなどと、どうしてそんな白々しい言葉を公の場で発信することができるのだろう。 羞恥心か自己省察のいずれかが欠けているのでなければ、こんな愚かな妄言は吐けないはずだと思うのだが、あるいは出版社の台所事情は、自分にウソをついてまでなりふりかまわずに広告収入を拾いにかからねばならないほど危機的な水準に到達しているのだろうか。 仮に講談社の人間が 「わたくしどもが発行している雑誌に特定の政党の広告を掲載する以上、政治的な意味が生じることは当然意識していますし、われわれが政治的な意味での責任を負うべきであることも自覚しています。ただ、それでもなお、社会に向かって開かれた思想と多様な言論を供給する雑誌という媒体を制作する人間として、われわれは、政治に関連する記事や広告を排除しない態度を選択いたしました。」 とでも言ったのなら、賛否はともかく、彼らの言わんとするところは理解できたと思う。 が、彼らは、政党の広告に政治的な背景があることすら認めようとしない。 これは、酒を飲んで運転したドライバーが 「このたびの運転に際して、私は2リットルほどのビールを摂取いたしましたが、あくまで会社員の付き合いとして嚥下したものでありまして、飲酒の意図やアルコール依存症的な背景は一切ございません。警察署の皆様から寄せられておりますご意見は、今後のビール摂取と自動車運転の参考に生かしてまいりたいと思います。」 と言ったに等しいバカな弁解で、たぶんおまわりさんとて相手にはしないだろう』、講談社のコメントに対して、「酒を飲んで運転したドライバー」の言い訳を対比させるとは、さすがだ。
・『もうひとつ私が驚愕しているのは、今回の自民党&講談社のコラボ広告企画を、不可思議な方向から擁護する意見が湧き上がってきていることだ。 ハフポストがこんな記事を配信している。 この記事の中で東京工業大学准教授の西田亮介氏は、 1.責められるべきは、自民ではなく「多様性の欠如」 2.公教育では身につかない政治リテラシー 3.政治を語ることをタブー視してはいけない という3つの論点から、自民党によるこのたびのコラボ広告出稿を 「よくできている」「自分たちの政治理念を政治に興味がない人たちに広く訴求したい、若者や無党派層を取り込みたい、とあれこれ手法を凝らすのは、政党として当然です」と評価し、むしろ問題なのは、自民党以外の政党が自民党の独走を許している状況であると説明している。 さらに氏は、結論として、政党広告への法規制が解除されている現状を踏まえるなら、政党に限らず、雑誌をはじめとするメディアやわれわれ有権者も含めて、もっと政治についてオープンに語る風土を作っていかなければならないという主旨の話を述べている。 この記事の中で西田氏が述べている論点は、ひとつひとつの話としては、いちいちもっともだと思う』、なるほど。
・『ただ、個々の論点がそれぞれに説得力を持っているのだとしても、それらの結論は、今回の自民党と講談社によるコラボ広告企画が投げかけている問題への説明としては焦点がズレている。 というよりも、私の目には、西田氏が、今回の問題から人々の目をそらすために、政治と広報に関する角度の違う分析を持ち出してきたように見える。 あるいは、私が西田氏のような若い世代の論客の話を、かなり高い確率でうまく理解できずにいるのは、「競争」という言葉の受け止め方が、違っているからなのかもしれない。 私のような旧世代の人間から見ると、21世紀になってから登場した若い論客は、「競争」を半ば無条件に「進歩のための条件」「ブラッシュアップのためのエクササイズ」「組織が自らを若返らせるための必須の課題」「社会を賦活させるための標準活動」ととらえているように見える。 もちろん、健全な市場の中で適正なルールの範囲内において展開される競争は、参加者に不断の自己改革を促すのだろう。 ただ、私はそれでもなお「競争」には、ネガティブな面があることを無視することができない。 たとえば、政治に関する競争について言うなら、政策の是非を競い、掲げる理想の高さを争い、政治活動のリアルな実践を比べ合っている限りにおいて、「競争」には、積極的な意味があるのだ、と私は思っている。だからこそ、政党や政治家は、もっぱら「政治」というあらかじめ限定されたフィールドの中で互いの志と行動を競っている。 ところが、広報戦略の優劣を競い、民心をつかむ技術の巧拙を争うということになると、話のスジは若干違ってくる。 その政治宣伝における競争の勝者が、政治的な勝利を収めることが、果たして政治的に正しい結末なのかどうかは、大いに疑問だ。 さらに、政治家なり政党が、雑誌広告の出稿量や、メディアへの資金投入量や、広告代理店を思うままに動かす手練手管の多彩さを競わなければならないのだとすると、その種の「競争」は、むしろ「政治」を劣化させる原因になるはずだ。 より多額な資金を持った者、より多様なチャンネルを通じて商業メディアを屈服させる手練手管を身につけている者、あるいは、より恥知らずだったり悪賢かったりする側の競争者が勝利を収めることになるのだとすると、「政治」は、カネと権力による勝利を後押しするだけの手続きになってしまうだろう』、最後の部分は、説得力に溢れ、その通りだ。西田氏の主張は、新自由主義者らしく単純化され過ぎているようだ。
・『「条件は同じなのだから、野党も同じように工夫して広告を通じたアピール競争に参戦すればよい」「より優れた政党広告を制作し、より洗練された戦略で自分たちの存在感を告知し得た側が勝利するのであるから、これほど分かりやすい競争はない」 と、「市場」と「競争」がもたらす福音を無邪気に信奉する向きの人々は、わりと簡単に弱肉強食を肯定しにかかる。 私の目には、彼ら「競争万能論者」が「弱者踏み潰し肯定論者」そのものに見える』、競争が同一の条件下で行われるのならまだしも、広告費を湯水のように使える自民党と、野党とでは、初めから競争条件には著しい相違があり、これでは競争の結果は初めから決まっている。
・『彼らは、自分たちが負ける側にまわる可能性を考えていない。 あるいは、誰であれ人間が必ず年を取って、いずれ社会のお荷物になる事実を直視していないのかもしれない。 ともあれ、自分が弱っている時、「勝者のみが報われるレギュレーションが社会の進歩を促すのです」式の立論は、まるで役に立たない。 対象が「政治」でなく、これが、一般の商品なら、優れた広告戦略を打ち出した企業が勝つ前提は、たいした不都合をもたらさない。 実際、わたくしどもが暮らしているこの資本主義商品市場では、スマッシュヒットを飛ばすのは、必ずしも歌の巧い歌手ではなくて、より大きな芸能事務所に所属して、より強烈な販促キャンペーンの中で一押しにされている歌手だったりする。 クルマでも即席麺でも事情は同じで、現代の商品は、商品力とは別に、なによりもまず優れたマーケティングと広告戦略の力で顧客の心をつかまなければならない。 ただし、政治の世界の競争は、商品市場における商品の販売競争と同じであって良いものではない。 政党ないし政治家は、議会における言論や、議員としての政治活動を競うことで互いを切磋琢磨するものだ。あるいは、政府委員としての住民サービスの成果を競うのでも良い。 政党なり政治家が、マーケティング戦略や広告出稿量の分野で「競争」することで、政治的に向上するのかというと、私はむしろ堕落するはずだと思っている。 出版も同じだ。 販売部数を競い、売上高で勝負しているのであれば、たいした間違いは起こらない。 読者に媚びるケースも発生するだろうし、流行に色目を使ったり、二匹目のドジョウを狙いに行って自分たちのオリジナリティーを捨てたりするような悲劇が起こることもある。 ただ、広告収入にもたれかかるようになると、点滴栄養で生きながらえる病人と同じく、後戻りがきかなくなる。 オリンピックと憲法改正を睨んで、出版業界の目の前には、巨大な広告収入がぶら下がっている。 編集部の人間には、美味しく見えるエサには、釣り針がついていることを思い出してほしい。 まあ、ウジ虫がおいしそうに見えている時点ですでに負け戦なのかもしれないわけだが』、「政党なり政治家が、マーケティング戦略や広告出稿量の分野で「競争」することで、政治的に向上するのかというと、私はむしろ堕落するはずだと思っている」、というのはその通りだ。「オリンピックと憲法改正を睨んで、出版業界の目の前には、巨大な広告収入がぶら下がっている。 編集部の人間には、美味しく見えるエサには、釣り針がついていることを思い出してほしい」、は冴えた締めで、さすがだ。 
タグ:メディア 日経ビジネスオンライン 小田嶋 隆 (その15)(小田嶋氏2題:「死ぬこと以外かすり傷」ではかなわない、コラボTシャツが越えた一線) 「「死ぬこと以外かすり傷」ではかなわない」 幻冬舎という出版社の社長が、同社で出版している書籍の実売部数をツイッター上で暴露 見城氏が津原泰水氏の前作の実売部数を暴露して揶揄 見城氏がツイッターから撤退したのは、反省の気持ちを表現するためではなくて、むしろ、説明責任を回避する目的だったと見るのが自然だろう 出版まわりでは、見城氏を擁護する立場の人間はほぼ皆無 5000部以下の部数にとどまる大多数の赤字の書籍と、突発的に発生する何十万部のスマッシュヒットというまったく相容れないビジネスモデルが並立しているところに出版という事業の不思議さがある 全体から見ればごく少数の例外に過ぎない10万部超のベストセラー書籍の売り上げが、何百人という赤字書籍の書き手を養っている構造 編集者の常識も2つの矛盾したプリンシプルを同時に踏まえたものになる 彼らは、10万部・100万部のヒット作を生み出すために、常に売上部数の極大化を目指さなければならない一方で、1000部とか2000部の部数で低迷している著者を大切に育成保護督励称揚し続ける義務を負っているのである 編集者は、著者をリスペクトしなければならない。 一方で、彼らは、売れない書き手を切り捨てなければならない。 この2つの矛盾した態度を、一人の人間の中で両立させないと一人前の編集者にはなれない 出版というのは、思い込みを商品化する過程 出版社の社長の側から見ると、彼は、売れている著者のごきげんを取り結ぶために 「売れていない書き手を邪魔者扱いにする」という、出版業者として絶対にやってはならない所業に及んでしまったわけだ 編集者には、ナースや保育士に近い資質が期待される 「コラボTシャツが越えた一線」 「雑誌の断末魔」 「貧すれば鈍する」 講談社が発売している女性ファッション誌「ViVi」のウェブ版が、自民党とコラボレーションした広告企画記事を掲載した事件 今回の「コラボ・メッセージつきTシャツプレゼント企画」に関して言えば、「一線を越えている」と思っている 有権者への直接の利益ないしは利便の供与に当たるように見える 今回のぶっちゃけたばら撒きコラボ広告は、ほんのパイロットテスト企画で、自民党の真の狙いは、参院選後の憲法改正を問う国民投票に向けたなりふりかまわない巨大広告プロジェクトなんではなかろうか」という個人的な邪推だ 出版社の人間が、政党の広告を掲載することに「政治的な」「意図」や「背景」がないなどと、どうしてそんな白々しい言葉を公の場で発信することができるのだろう 不可思議な方向から擁護する意見が湧き上がってきている 東京工業大学准教授の西田亮介氏 自民党によるこのたびのコラボ広告出稿を 「よくできている」「自分たちの政治理念を政治に興味がない人たちに広く訴求したい、若者や無党派層を取り込みたい、とあれこれ手法を凝らすのは、政党として当然です」と評価し、むしろ問題なのは、自民党以外の政党が自民党の独走を許している状況であると説明 西田氏が、今回の問題から人々の目をそらすために、政治と広報に関する角度の違う分析を持ち出してきたように見える より多額な資金を持った者、より多様なチャンネルを通じて商業メディアを屈服させる手練手管を身につけている者、あるいは、より恥知らずだったり悪賢かったりする側の競争者が勝利を収めることになるのだとすると、「政治」は、カネと権力による勝利を後押しするだけの手続きになってしまうだろう 「競争万能論者」が「弱者踏み潰し肯定論者」そのものに見える 政党なり政治家が、マーケティング戦略や広告出稿量の分野で「競争」することで、政治的に向上するのかというと、私はむしろ堕落するはずだと思っている オリンピックと憲法改正を睨んで、出版業界の目の前には、巨大な広告収入がぶら下がっている 集部の人間には、美味しく見えるエサには、釣り針がついていることを思い出してほしい
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武田薬品巨額買収(その2)(巨額買収決議の武田 次の焦点は「アリナミン」 大衆薬業界が熱視線、武田薬品の「大バクチ」7兆円巨額買収が日本社会に問いかけること リスクは大きいがこのままではジリ貧だ、労基法違反の武田薬品 遠いメガファーマの道 急速なグローバル化の陰で社内にきしみ) [企業経営]

武田薬品巨額買収については、昨年5月15日に取上げた。久しぶりの今日は、(その2)(巨額買収決議の武田 次の焦点は「アリナミン」 大衆薬業界が熱視線、武田薬品の「大バクチ」7兆円巨額買収が日本社会に問いかけること リスクは大きいがこのままではジリ貧だ、労基法違反の武田薬品 遠いメガファーマの道 急速なグローバル化の陰で社内にきしみ)である。なお、タイトルからこれまの「日本企業の海外M&Aブーム(そのX)」を外した。

先ずは、昨年12月6日付け日経ビジネスオンライン「巨額買収決議の武田、次の焦点は「アリナミン」 大衆薬業界が熱視線」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/report/15/110879/120500907/?P=1
・『武田薬品工業は12月5日、臨時株主総会を開き、アイルランドの製薬大手シャイアーの買収を決議した。買収額は7兆円弱となる見通し。財務基盤の悪化を防ぐため、武田薬品は事業売却を進める方針。そこで次の焦点として浮上するのが、栄養ドリンク剤「アリナミン」の売却だ。 武田薬品工業は12月5日に開いた臨時株主総会で、アイルランド製薬大手シャイアーの買収を決議した。買収額は約7兆円で日本企業による過去最大のM&A(買収・合併)となる。3兆円は借り入れや社債で賄う計画だが、残りの4兆円を新株発行で対応する。新株発行の是非について、今回の総会で3分の2以上の賛成を得る必要があった。財務の悪化などを懸念する創業家やOBら一部株主が反対していたが、機関投資家などの支持を得て承認された。 買収手続きは2019年1月8日に完了する見通し。武田薬品は売上高が世界上位10位圏内に入るメガファーマ(巨大製薬会社)として新たな成長軌道に乗せる構えだが、市場関係者や業界関係者は、武田薬品が今後、資産売却にどこまで踏み切るかに関心を示す。 資産売却について、クレディ・スイス証券の酒井文義氏は「合計金額は1兆円規模になる」とみる。武田薬品は新株発行後も年180円程度の株主配当金を維持するとしており、その原資を確保するには資産売却は避けられない。手元資金に余裕が出れば、シャイアーの抱える有利子負債の削減も前倒しで進めるとみられる。5日の臨時株主総会でも、クリストフ・ウェバー社長が「非中核事業の売却を進める」と表明した。 ウェバー社長は具体的にどの事業を売却するか明らかにしていないが、市場関係者や業界関係者が「目玉」とみるのが、栄養ドリンク剤「アリナミン」に代表される大衆薬事業だ。「売りに出されれば3000億から5000億円程度になるはず。多くの企業が手を上げるだろう」と国内の大衆薬メーカー関係者は話す』、自らの時価総額を超えるような超大型買収をした以上、資金調達で事実上の「銀行管理」の状態にあるなかでは、「非中核事業の売却を進める」との社長表明は当然のことだ。
・『「テレビCMがなくなると寂しい」  アリナミンは1954年に、ビタミンB1欠乏症である脚気の治療薬として発売され、栄養ドリンク剤や錠剤に加え、注射薬としても提供している。当初はほとんどが医療用医薬品だったが、栄養ドリンク剤が医薬部外品に移行したことで、大衆薬としての認知度が高まった。 武田は潰瘍性大腸炎・クローン病治療薬「エンティビオ」や、多発性骨髄腫治療薬「ニンラーロ」など医療用医薬品を収益の柱に据えており、相対的に大衆薬の比重は下がっている。「非中核事業」と目されるのも、このためだ。 もっとも、アリナミン事業は株主からの支持も高い。5日の臨時株主総会に参加した個人株主は「アリナミンは数少ない一般向け商品。もし事業が売却されてテレビCMがなくなると寂しい気持ちもする」と話した。ウェバー社長は総会で「収益性の高い会社を目指す」と改めて強調したが、医療用医薬品の研究開発費は大きく失敗するリスクも大きい。安定収益が見込める大衆薬事業を切り離す可能性はあるのか。注目が集まりそうだ』、アリナミンの「テレビCMがなくなると寂しい」との声や、「安定収益が見込める大衆薬事業を切り離す」ことによる経営不不安定化のリスクは、確かにあっても、悪化した財務内容の立て直しが急務なようだ。

次に、経済評論家の加谷 珪一氏が12月12日付け現代ビジネスに寄稿した「武田薬品の「大バクチ」7兆円巨額買収が日本社会に問いかけること リスクは大きいがこのままではジリ貧だ」を紹介しよう。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/58934
・『国内製薬最大手の武田が、総額7兆円という日本企業としては最大規模のM&A(合併・買収)を決断した。同社はガラパゴスの典型といわれる日本の製薬業界で唯一、グローバルに戦えるポテンシャルを持つとされてきたが、思い切った買収ができず、このままでは本格的なグローバル化を実現できない状況となりつつあった。 今回の決断は、武田にとって世界に飛躍する最後のチャンスだったが、同時に国内トップという居心地のよい環境に後戻りすることもできなくなった。同社は従来の立場を捨て、グローバル市場における挑戦者にシフトしたことになる』、「国内トップという」ぬるま湯を出て、寒風吹きすさぶ「グローバル市場における挑戦者にシフトした」とは、遅きに失したきらいはあるとはいえ、大したものだ。
・『医薬品メーカーに残された3つの道  武田薬品工業は2018年12月5日、臨時株主総会を開催し、アイルランド製薬大手シャイアーの買収について株主の承認を得た。買収金額は何と7兆円近くになる見込みで、武田自身の時価総額をはるかに上回る巨額買収が実現する。国内企業のM&Aとしては過去最高金額である。 今回の買収提案については、自身よりも時価総額が大きい企業を買収するというリスクの高いスキームであったことから、創業家など一部の株主が反対を表明していた。 武田はオーナー企業ではあるが、創業家は数%の持ち分しかなく、創業家出身の経営者だった武田國男氏は2003年にトップを退任しており、事業には直接タッチしていない。過半数の株主は機関投資家という状況なので、総会では大きな混乱もなく買収提案が可決された。だが、今回の決断が創業以来の「大きな賭け」であることは間違いない。 武田がこれだけリスクの大きい買収を決断した背景となっているのは、このままではグローバル市場に取り残されてしまうという危機感である。 同社は国内トップの製薬会社だが、グローバル市場では中小企業に過ぎない。武田の2018年3月の売上高は約1兆8000億円。これに対してロシュやノバルティス、ファイザーといったトップグループの企業は軒並み5兆円規模の売上高がある。 製薬業界は新薬の開発に巨額投資を行う必要があり、企業体力が小さい企業は圧倒的に不利になる。一方で、ジェネリック医薬品の普及によって、製品のコモディティ化も急速に進んでいる。 グローバル市場においては、圧倒的な規模を持つ巨大製薬メーカー(いわゆるメガファーマ)になるか、ジェネリックのメーカーになるか、もしくは特定分野にフォーカスしたニッチ・メーカーになるのかという3つの選択肢しかない。 今回の買収で武田の売上高は4兆円に近づき、何とかメガファーマの一角を占めることが可能となる』、武田を踏み切らせた強い「危機感」はその通りだろう。
・『花形職種MRのリストラが相次ぐ  これまで世界の製薬業界では、大手各社がメガファーマを目指して巨額買収合戦を繰り広げてきたが、このゲームはほぼ終盤戦に差し掛かっている。つまり武田にとっては、今のタイミングを逃してしまうと、買う会社がなくなってしまい、メガファーマになるという道は諦めなければならない。 一方、武田は国内トップのメーカーなので、国内市場に特化するという選択肢もあるが、そうもいかないのが現実だ。 国内の製薬業界では、花形職種ともいわれてきたMR(医薬情報担当者)の早期退職が相次いでいる。MRというのはいわゆる営業職のことで、かつては予算をふんだんに使って医師を接待するなど、製薬業界を象徴する仕事だった。最近は従来型の接待営業から、専門医療情報を医師に提供するという知的なスタイルにシフトしているが、会社の稼ぎ頭であることに変わりはなかった。 各社が稼ぎ頭であるMRをリストラしているのは、価格の安いジェネリック医薬品が急速に普及してきたからである。かつてジェネリック医薬品は、臨床での実績が少ないことから使用をためらう医師も多かったが、医療費抑制の流れから最近では一般的に使われるようになってきた。 高齢化によって医療費そのものは増えているが、ジェネリックが普及すれば、新薬のメーカーにとっては逆風となる。日本の財政は今後、さらに厳しい状況となるのは確実であり、医療費抑制の動きも顕著となるだろう。長期的には人口減少で患者そのものが減ってしまうことを考えると、国内市場がメインの企業は、規模を縮小する以外に生き残る方法がなくなってしまう』、「ジェネリック医薬品」の普及は確かに急速だ。「MRのリストラが相次ぐ」のも当然だろう。
・『リスクは大きいけれど…  国内の製薬業界は典型的なガラパゴスとされ、再編が続くグローバルな流れとは無縁の状況が長く続いてきた。しかし、国内トップの武田だけはグローバルで戦えるポテンシャルを持っていると認識されており、経営陣が決断すれば、グローバル企業に脱皮できる可能性があった。 今回の買収がその最後のチャンスだったわけだが、このスキームに対しては「価格が高すぎる」との声が上がっている。武田自身の時価総額が3兆円台であるにもかかわらず、2倍の規模の会社を買収するのだから無理もない。 だがM&Aというのは売り手と買い手が揃ってはじめて成立するものであり、買い手の都合がよい時にベストな売り手が出てくるとは限らない。場合によっては割高であることが分かっていても、決断せざるを得ない時もある。 価格面以外にも懸念材料を挙げればキリがない。 もっとも大きいのは、武田がグローバルに打って出るための相手としてシャイアーがふさわしいのかという問題である。武田は規模こそ小さいものの「がん」「消化器」「中枢神経」といったメジャーな領域をカバーする総合メーカーであり、最終的にはメガファーマとしてのシェア拡大を狙っていると考えられる。 ところがシャイアーは、血友病や免疫疾患など希少疾患を得意とするメーカーであり、どちらかというとニッチ戦略に近い。武田から買収提案が出された前後に、がん治療薬の事業をフランスの製薬会社に売却していることからも、その傾向を伺い知ることができる。 両社の事業領域に重複は少なく、統合によるコスト削減効果もそれほど大きくない(会社側は1600億円と説明している)。シャイアーはニッチであるがゆえに高収益となっており、2017年12月期の決算では、4300億円の営業キャッシュフローを確保したが、この高収益が今後も継続する保証はない』、「統合によるコスト削減効果もそれほど大きくない」、「シャイアー・・・の高収益が今後も継続する保証はない」、などから、今後の「買収後の成長戦略」がカギになるのだろう。
・『武田の決断が日本社会に突きつけること  最終的に武田はシャイアーの創薬基盤をフル活用し、大きな利益を生み出す新薬を開発していく以外に、高額買収を正当化する手段はないだろう。 本来であれば、武田は10年前にこうした決断をしておくべきだったが、現実はそう簡単ではなかったと考えられる。 武田國男氏の後を継いでトップに就任した長谷川閑史氏は同社のグローバル化を推し進め、グラクソ・スミスクラインの部門責任者だったクリストフ・ウェバー氏をトップに招聘するなど着々と布石を打ってきた。それでも、大型買収を実施できるまでの体制を構築するには時間がかかったものと思われる。 今回の買収で武田の財務状況は一気に悪化するので、もはや後戻りはできない。だが国内トップという居心地のよい環境を自ら捨て去り、グローバル市場のチャレンジャーになるという姿勢は評価してよいだろう。 巨額買収を決断した同社の一連の経緯は、今の日本社会を象徴しているといってよい。 1990年代まで日本の大手メーカー各社は世界トップ企業と肩を並べる水準だったが、失われた30年によって、多くが国内では大手のままでもグローバル市場では中小企業に転落してしまった。国内市場だけで活動していれば、すぐに会社が消滅することはないだろうが、人口減少と日本の相対的なポジションの低下で、さらなる規模の縮小と低収益化を余儀なくされる。 一方、このタイミングでグローバル市場に出て行くにはタイミングが遅く、決断にはかなりのリスクが伴う。だが5年後にはこうしたチャンスすら消滅しているかもしれない。 国内市場だけでやっていけばよいという意見もあるが、鎖国でもしない限り、グローバル市場の影響を受けてしまうので、日本経済単独で豊かな社会を築くことは現実的に難しい。成長を諦め、貧しさを甘んじて受け入れるのか、リスクを取って豊かさを目指すのか、平成という失われた30年が終わろうとしている今、武田の決断は日本社会に対する最後の問いかけといってよいだろう』、説得力に富んだ分析だ。これだけ大きな決断は、やはり外国人社長でないと出来なかったのだろうか。残された国内の製薬大手がどうするのかも注目される。

第三に、6月23日付け東洋経済オンライン「労基法違反の武田薬品、遠いメガファーマの道 急速なグローバル化の陰で社内にきしみ」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/288079
・『6兆円強の大金を投じて欧州製薬大手のシャイアーを買収し、売上高3兆円を超える世界9位のメガファーマに躍り出た武田薬品工業の足もとで、お粗末な労働基準法違反が発覚した。 2018年9月から今年5月までの9カ月間で、労働基準監督署から合計5件の労働基準法違反(是正勧告4件、指導1件)を指摘されていたのだ。 具体的には、東京・日本橋のグローバル本社において、労使間で結ぶ三六(サブロク)協定で定めた時間外労働の上限(月70時間)を超過したケースが2件あった(昨年11月と今年4月)。さらに、昨年9月には同じグローバル本社で、就業前後の時間外に勤務の実態がありながら賃金不払いとなっていた案件も1件発生し、東京の中央労働基準監督署から是正勧告を受けている』、信じられないような「お粗末さ」だ。
・『労基法違反を繰り返したのに「ホワイト企業」  労基署の是正勧告を受けると、期日までに指摘された違反内容を改善したうえで、防止策などを記した是正報告書を提出することが義務づけられる。是正勧告は行政指導の一種で、罰金などの処分はない。ただ、改善がみられなかったり、違反を繰り返した場合などは、まれではあるが、検察庁に送検されるケースもある重い処分だ。 さらに問題なのは、とくに優良な健康経営を実践している企業に経済産業省がお墨付きを与える「健康経営優良法人」の認定を武田が受けていたことだ。 武田は、2019年2月に認定された2019年の大規模法人部門(ホワイト500)に選ばれた。これは大企業なら「取ってないとおかしい」というほどポピュラーな存在で、製薬関連企業で33社が取得している。大塚製薬や第一三共、エーザイ、塩野義製薬などが2018年にも認定されているが、武田は2019年からと遅かった。 しかし、労基法違反が発覚し、ホワイト500の認定を自主返上せざるをえなくなった。「労基法などの同一条項で複数回違反しないこと」という認定基準に抵触したからだ。武田の説明によると、4月末に2度目の是正勧告を受けたことを受けて5月のゴールデンウイーク明けに経産省に報告し、経産省との協議のうえ、6月5日に自主返上の手続きを開始したという。 従業員に子育てがしやすい労働環境などが整った企業を厚生労働省が認定する「プラチナくるみん」も取得済みだったが、ホワイト500と同様、こちらも自主返上の手続に入っている。 労基法違反が明るみに出たのは、法令違反事案の存在を認めた社内資料を基にした内部告発があったためだ。 経産省への内部告発は、会社が認めた前述の5件以外にも違法行為があると示唆したうえで、ホワイト500に申請する際に会社は「重大な労働基準関係法令の同一条項に複数回違反しているにもかかわらず、虚偽の内容で申請し、認定を受けました」と指摘している』、「内部告発」は経産省だけでなく、肝心の労基署にも行われたのだろう。経産省の「ホワイト500」、厚生労働省の「プラチナくるみん」、それぞれ別の目的があるとはいえ、こんなくだらない賞を作る省庁も問題だ。
・『武田は内部告発のいう「虚偽」を完全否定 しかし、武田は「人事が社内調査を行ったうえで、ほかに重大な法令違反の隠ぺいや虚偽申請などの事実はないことを確認した」と内部告発を完全否定する。昨年11月の経産省への申請時点で労基署からの是正勧告はあったが、「同一条項で複数回違反」ではなかったため申請したという。その後、今年4月に2回目の是正勧告を受けたため、規程に従って認定の自主返上手続に入ったと説明する。 もし告発どおりだと、ホワイト500の申請は虚偽となり、自主返上では済まずに認定が剥奪され、最大4年間申請もできないペナルティーも課される。経産省は現時点では虚偽申請だと考えておらず、会社が言う通りの自主返上の手続きに入っているという立場だ。 それにしても、先進的なグローバル経営を標榜する企業の足もとで、なぜこのような事態が起きているのだろうか。 武田の広報担当者は「昔の武田では(労基法違反は)あったが、ここしばらくは減ってきていた」という。近年は違反をしないように社員にも厳しく指導がいくようになったことが違反減少につながった、というのが武田関係者の解説だ。武田の内部事情に通じた複数の業界関係者からも同じような声が聞かれる。 是正勧告を受けた社員やその上司らに聞き取りをした結果、武田の人事部門は「上司と部下のコミュニケーションの問題が主因」と判断しているようだ。上司は部下の仕事ぶりをみて、過重だと思えば、部下と話し合って上限を超えないように解決策を出す必要がある。一方、部下は早めの相談が求められるが、今回は両者間のコミュニケーションに問題があったというのだ。 ただ、この説明にはやや無理がある。複数の武田OBは、昨年春以降のシャイアーとの買収に絡むタフな交渉が社員の仕事量を増加させたのではないかと指摘する。労基法違反5件のうち3件がグローバル本社で起きていることも、その疑いを強める』、「経産省は現時点では虚偽申請だと考えておらず、会社が言う通りの自主返上の手続きに入っているという立場だ」、というのは経産省らしいが、国民の立場からは情けない姿勢だ。「シャイアーとの買収に絡むタフな交渉が社員の仕事量を増加させたのではないか」、というのは大いにありそうなことだ。
・『フレックスタイム制や「中抜け勤務」も柔軟に  2018年8月には生産性を向上させるために、これまで以上に働き方の柔軟性を増す制度を導入した。1日の標準勤務時間のうち最低でも2分の1以上は働かないといけなかったという設定をなくし、半日休暇を取得した場合でも残り半日にフレックスタイム制を利用できるようにした。 勤務時間中に病院や銀行に行くなどのプライベートな用事のために、勤務を短時間中断する働き方(中抜け勤務)も、上司の了解を得れば可能になった。在宅勤務に限らず、一定要件を満たせば、自宅以外でも勤務できるテレワーク制度も取り入れた。 ただこれは、従業員には使い勝手のよい制度だが、労働時間を管理する立場からいうと逆に難しい面を伴うものだ。 そこに武田をグローバル企業として脱皮させる、シャイアー買収という過去にない大型案件が重なった。グローバル本社に集う広報や経理、財務、法務、事業開発などの部門は、イギリスに株式を上場し、事業の本拠を置くシャイアーとの折衝が重なる。関係者が「季節労働」と口をそろえるように、時期ごとに訪れる仕事量の多い山がさらに高くなったうえに、柔軟な働き方導入により、労働管理やコミュニケーションの高度化が要求されるようになった。 5月24日にはグローバルHR日本人事室名の「【至急・緊急】時間管理におけるコンプライアンス順守の再徹底」、6月7日には「時間管理におけるコンプライアンス順守徹底に向けた私たちのコミットメント」と題した文書が日本国内の全従業員に送付された。 ともに法令順守の徹底を訴える内容で、「法令違反に抵触する事案が複数の事業場で再三発生しています。(中略)きわめて深刻な状況です」などと危機感をあらわにしている。 とくに後者は、国内部署のトップ18人が宣誓・署名する形をとっている。CFO(最高財務責任者)のコスタ・サルウコス、日本ビジネス部門トップの岩﨑真人の各氏ら、武田の最高執行機関であるタケダ・エグゼクティブチーム(TET)メンバー数名を含む上位管理職が名を連ねている』、こんな文書は「出した」というだけで、時間管理をどのように推進していくのかという具体策がないままでは、意味のない単なる精神論だ。
・『主要部門トップの連名で危機感を共有?  国内主要部門のトップが連名で従業員に法令順守などを訴えるのは武田では初めてのこと。危機感の醸成と共有が狙いだろうが、内部告発は「これはあくまでも労働基準監督署に向けたポーズであり、(中略)労基法違反について真剣に受け止めている、と見せかけるために送信されたメールである」と手厳しく批判している。 そして、最大の疑問はトップのクリストフ・ウェバー社長のこの件への肉声が武田の社内外に伝わってこないことだ。一連の問題について、トップがどのように考え、どのように解決していくかを聞きたいところだが、今のところウェバー氏は音なしの構えだ。 6月27日の株主総会では、議決権行使助言機関のISSが、ROE(自己資本比率)が低いことを理由にウエバー社長の取締役選任への反対推奨を突きつけている。 武田OB株主や創業家の一部からなる有志団体「武田薬品の将来を考える会」も、昨年のシャイアー合併反対に続き、今年の株主総会でも損失発生時に経営陣に役員報酬の返還などを請求できる「クローバック条項の定款への採用」「全取締役の個別報酬も開示」を株主提案している。 株主総会でウェバー社長はどんな説明をするのだろうか』、「一連の問題について、トップがどのように考え、どのように解決していくか」、といった純粋な国内労務問題については、ウェバー社長が関心を持つとは思えない。株主提案は否決されて終わりだろう。 
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介護施設(老人ホーム)問題(その4)(有料老人ホームの主役が「介護型」から「住宅型」に交代しつつある事情、92歳の老人ホーム入居者が憂う「男やもめ」の恫喝) [社会]

介護施設(老人ホーム)問題については、2月5日に取上げた。今日は、(その4)(有料老人ホームの主役が「介護型」から「住宅型」に交代しつつある事情、92歳の老人ホーム入居者が憂う「男やもめ」の恫喝)である。

先ずは、福祉ジャーナリスト(元・日本経済新聞社編集委員)の浅川澄一氏が2月27日付けダイヤモンド・オンラインに寄稿した「有料老人ホームの主役が「介護型」から「住宅型」に交代しダつつある事情」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/195285
・『鹿児島では1ヵ月で7人が死亡「住宅型」老人ホームが増加の一途  「老人ホーム6人相次ぎ死亡」「老人施設 1ヵ月6人死亡」「介護担当の全8人退職」「6人と別 入居者死亡」「別の4人への虐待確認 7人死亡の老人ホーム」――。 昨年11月21日から立て続けに新聞報道された。いずれも鹿児島県鹿屋市の高齢者施設「風の舞」で10月中旬から約1ヵ月の間に起きた死亡事件である。 高齢の女性入居者6人が短期間に次々亡くなり、直後に7人目も亡くなった。介護職員全員がその1~2ヵ月前に辞めており、夜間の対応は施設長1人が担っていたという。 同市に「亡くなる入居者が多い」と通報があったことで判明し、県と市はそれぞれ老人福祉法、高齢者虐待防止法に基づき検査に入った。この「施設」は「住宅型有料老人ホーム」である。と言われても、「普通」の有料老人ホームとどこが違うのか分かりにくい。建物の外見や現場の介護状況を見てもほとんど変わらないように見えるからだ。 有料老人ホームには3種類ある。「介護付き」と「住宅型」、それに「健康型」だ。全体の0.1%しかない「健康型」は、健康老人しかいられないので、今や時代遅れとなりつつある。要介護者のための施設が求められるようになったためだ。「住宅型」は元気な高齢者が入居し、要介護状態になっても居続けられ、「介護付き」は入居時から要介護の人向けと見られていた。昨今の状況から、当然「介護付き」が主流であった。 ところが一昨年の2017年6月末時点で、「住宅型」が「介護付き」の定員数を追い越して主役が入れ替わった(図1)。「介護付き」が24万人なのに対して、「住宅型」は25万人になった。「住宅型」は規模が小さいので、施設数ではこれまでも上回っていたが、定員数で初めて逆転した。近年、「住宅型」の施設が急増し、この6年間で倍増以上の勢いだ(図2)。 特別養護老人ホーム(特養)の定員58万人には及ばないが、いずれ特養の入居者は重度の低所得者に限定されそうなので、サービス付き高齢者向け住宅(サ高住)と並んで高齢者住宅の主役になるだろう(図3)。 サ高住と「住宅型」はいずれも介護保険施設ではない。特養や「介護付き」は介護保険の給付を得られる施設で、市町村の介護保険計画で新規開設が限定される。そのため制約のないサ高住と「住宅型」が高齢者住宅のリーダーとなる可能性が高い。 事件のあった「住宅型」の「風の舞」は、よくある形態なのである。だが、「住宅型」と「介護付き」の違いはあまり知られていない。「介護担当の8人全員が退職」という報道内容からは、施設内に常駐する職員がいると思われかねない。そうなると「介護付き」と同じように見えてしまう』、「約1ヵ月の間に・・・高齢の女性入居者6人が短期間に次々亡くなり、直後に7人目も亡くなった」、とは驚きである。詳しい事情をみていこう。
・『「住宅型」で受ける介護は、自ら選んで自由に利用できる選択型  有料老人ホームといえば、マンションのような大きな建物に介護スタッフが常駐し、食事をはじめ入浴やトイレ、着脱などの介助をしてくれる施設といわれる。介護をすべて事業者に委ねる「お任せ型」である。これが普通のタイプで、正式には「介護付き有料老人ホーム」とされ、介護保険では「特定施設入居者生活介護」というサービス名になる。 入居者3人に対し職員1人以上の配置が必要など介護保険の施設基準を求められる。事業者は「特定施設」として得る介護報酬のほかに、別途利用料を自由に設定できる。この点が、同じ「お任せ型」でも社会福祉法人が運営する特養とは異なり、利用料が高額となる。 一方、「住宅型」はその名の通り多人数の単なる「住まい」である。自宅と同じ扱いだ。必要な介護サービスは、ケアマネジャーを通じて地域の訪問介護事業所や通所介護(デイサービス)事業所を選んで個別に受ける。介護保険サービスを自分で選んで自由に利用できる「選択型」である(図4)。 「風の舞」を辞めた職員は、実は同じグループの訪問介護事業所「風の舞介護センター」の所属だった。施設とは違う別の事業所から介護サービスを受けるのが、介護付き有料老人ホームと異なるところだ。 だが、介護保険の訪問介護サービスのスタッフが、施設内に常駐して保険外の日常生活の世話もすることが多い。保険の内外の区別がつき難く、利用者やその家族には施設職員と受け取られかねない。通所介護にしても、施設内や隣接に併設されており、一体運営のように見える』、「風の舞」では、「介護職員全員がその1~2ヵ月前に辞めており、夜間の対応は施設長1人が担っていたという」、というが、昼間の対応は誰がやっていたのだろう。元新聞記者が書いている割には、お粗末だ。
・『「住宅型」の方が「介護付き」より中重度の入居者が多い  入居者は高齢で、かつ認知症の人も多く、ほとんど決定権は家族にある。家族の多くは、個々のサービスは「事業者にお任せします」となり、「毎月の費用はどのくらい?」と総費用しか関心がなく、「介護付き」と区別ができているかあやしい。では、そのようなあいまいな住宅型がなぜ増えてきたのか。 その理由の第一は、「介護付き」と「住宅型」の利用者の状態から手掛かりが得られそうだ。「住宅型の入居者の平均要介護は2.7で、介護付きの2.4より高い」という衝撃的な結果が判明した。野村総合研究所が2017年に実施した調査によるものだ。 また、同調査から要介護3、4、5の中重度の入居者に占める割合を見ると、「介護付き」が各14.7%、15.2%、11.2%で合計41.1%なのに対し、「住宅型」は各18.5%、17.6%、12.9%で合計49.0%となる(図5)。元気老人が多いとみられていた「住宅型」の方が、中重度者の割合で「介護付き」を上回っている逆転の事実が明らかになったわけだ。これは何を意味するのか。 答えは明白だ。重度になっても「住宅型」で十分暮らしていけるのである。それがはっきり分かるのは、最重度の要介護5の入居者割合が「住宅型」の方が多いことだ。両者にケアのレベルの差はないといえるだろう。それだけ、「住宅型」の事業者が重度になった入居者への介護に熱心に関わっているといえるかもしれない。 では、ケアサービスに差はないなら、後は利用料金が問題だ。同じ野村総合研究所の調査では、外部サービス料金を除くと、「介護付き」は月平均で26万2515円なのに、「住宅型」は半額以下の12万2202円になるという。 「介護付き」には施設職員による介護サービスが含まれている。「住宅型」では、介護保険の在宅サービスを外部事業者から求めねばならないが、それでも1割負担なので要介護5でも3万5000円前後で済む。その費用を加えても、約16万円となり、「介護付き」より10万円ほど安い。この低価格は相当に訴求性があるとみていいだろう。 「風の舞」の入居者にも重度者が多く、なお月額の費用は介護保険の1割負担を含めても要介護5の場合11万円前後で足りる。全国的に見ても、ユニット型個室の特養のレベルとほとんど変わらない。つまり、中重度で10万円前後の総費用であれば、特養待機者の受け皿になり、現実的にそのように機能しているといえそうだ。 「住宅型」の都道府県別の定員数を見ると、数のベスト10には第1位の大阪府に次いで、北海道、宮崎、青森、大分、熊本、沖縄など最低賃金基準が低い各県が顔をそろえている。低所得者の多い地方で「住宅型」が存在意義を発揮しているといえるだろう』、「元気老人が多いとみられていた「住宅型」の方が、中重度者の割合で「介護付き」を上回っている逆転の事実が明らかになった」、「両者にケアのレベルの差はないといえるだろう」、費用面では「住宅型」が、「約16万円となり、「介護付き」より10万円ほど安い。この低価格は相当に訴求性がある」、ということであれば、「住宅型」の方がよさそうにも思えるが、「風の舞」は何が問題だったのだろう。
・『「住宅型」の増加は、「たまゆら事件」も大きなきっかけに  このような「住宅型」自体の変容が、多くの利用者に受け入れられたことが増加要因に挙げられる。この内部要因のほかに外部要因もある。 「たまゆら事件」である。2009年3月に群馬県渋川市の高齢者住宅「静養ホームたまゆら」で火災が起き、入居者16人のうち10人が亡くなった。批判を受けて厚労省は「認可外有料老人ホームを放置できない。基準に達していなくても、有料ホームの届けを出させて定期的に立入検査する」ことに方針転換した。「届けを出させるように」と指定権限を持つ都道府県や政令市を指導する。 そもそも有料老人ホームは老人福祉法で「10人以上の老人を住まわせて、食事を提供する」と定義されていた。2006年の改定で、「10人」が消え、食事のほかに家事や介護、健康管理を加え、かつ「そのうちのどれかを提供」として網を広げた。集合住宅に1人の老人が食事だけを提供されていても登録対象になった。 だが、「たまゆら」火災前までは、各自治体はガイドラインの「有料老人ホーム設置運営指導指針」により廊下幅や専門職員の配置、個室要件、部屋面積など細かい基準を定め、それを満たさなければ届けを受理せず、「類似施設」と命名し「継子」扱いだった。火災後に厚労省は「まずは届けを出させ、改装時に基準を満たすように指導せよ」と自治体に伝える。 これにより、普通の民家を活用していた小さな集合住宅が次々自治体に登録させられた。「宅老所」として「普段の暮らし」をうたう良質な事業者もやむなく移行していった。 宅老所は、志の高い看護師や薬剤師、あるいは介護職などが病院や大規模特養、老人保健施設のケアに疑問を抱いて独立するケースが多く、零細な事業者が大半。利用者も低所得者が多く、制度の隙間からこぼれた弱者救済という色彩が濃い。 次に、「特定施設」の指定を受けたいが、受けられない有料老人ホームの存在も「住宅型」の増加要因となっている。保険者の区市町村は介護保険料を算出するため、3年ごとに全介護サービスの総量を定め、介護保険事業計画を策定する。 特定施設の新規入居者数も上限が決まる。事業者からの申請が計画数以上になると指定を止めてしまうため、はじかれた特定施設待機組が「住宅型」に回ることになる。 特定施設の基準に合わせてハードの建物を造り、ソフトの介護サービスも同様の運営をしがちだ。介護サービスを外部でなく、形式的に別事業所を作って送り込むことになる。施設をチェーン展開する大手事業者にこのタイプが多い。従って、「介護付き」と「住宅型」の両方を数十ヵ所持っている。 こうしたさまざまの内部要因と外部要因が重なり「住宅型」が全国的に増えている。「介護付き」の1施設当たりの定員は61人だが、「住宅型」は29人と少ない。 合計定員数が全国5位で9995人の宮崎県では平均定員が24人、9位で合計定員数8201人の熊本県は同23人、また10位で7658人の沖縄県は同20人といずれも全国平均より少ない。施設が小さければ小さいほど、普通の住宅に近づきケアは行き届く。採算が取れる中で、小規模な施設が増えていくことは歓迎すべきことだろう』、最後の部分はその通りだろう。しかし、一般論中心で、「風の舞」の問題を掘り下げなかったのは残念でならない。

次に、健康社会学者(Ph.D.)の河合 薫氏が5月28日付け日経ビジネスオンラインに寄稿した「92歳の老人ホーム入居者が憂う「男やもめ」の恫喝」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00118/00025/
・『また、痛ましい事件が起きてしまった。 82歳までがんばって生きて、なぜ、ついの住み家で虐待され、命を落とさなければならなかったのか。先週、品川区の老人ホームに入所していた男性を殺害したとして、元職員の男(28歳)が逮捕された。 事件当日の夜、入所者の男性の手や足をひっぱって部屋の中に引きずり入れている姿が、施設の防犯カメラに映っていた。死因は激しい内臓損傷による出血性ショック。 亡くなった男性は、10年ほど前から認知症が進んだため50代の次女が面倒をみてきたが、次女ががんを患い治療に専念するため3月に入所したばかりだった。 報道陣の取材に対し、「ずっと私が父親を介護していましたが、自分自身が病気になり、わらにもすがる思いで施設に父親を託しました。それなのにどうしてこんなことになってしまったのかという思いでいっぱいです」と語ったそうだ。 2015年9月に、川崎市の老人ホームで入所者の男女3人が相次いで転落死した事件のときには、職員が耳を疑いたくなるような暴言を吐き、目を背けたくなるような暴力的な行為とともに、おばあちゃんの「死んじゃうよ……」と振り絞るような悲痛な声が映し出された。 “あの時”と同じようなことが密室で行われていたのだろうか。もし、自分の親が手足を引きずられていたら……、考えるだけで胸がつまる。激しい怒りと悲しみとやるせなさと自責の念でグチャグチャになり、複雑な感情に翻弄される。 で、こういう事件が起こる度に、決して他人ごとではない、と暗澹たる気持ちになってしまう。 介護施設の職員による虐待は、5年間で3倍も増えた。 2017年度の1年間に発覚した65歳以上の高齢者に対する虐待の件数は、過去最多の510件に達している。虐待を受けた高齢者は約7割が女性で、認知症の症状が深刻化しているなど、状態の重い人ほど被害を受けやすい傾向にあり、介護度が重いほど「身体的虐待」を受けた割合が高いこともわかった。 また、虐待をした介護職員の54.9%が男性で、介護従事者全体に占める男性の割合は2割であることから、虐待者は相対的に男性の割合が高いと解釈できる』、「次女ががんを患い治療に専念するため3月に入所したばかり」なのに、殺されたとは本当に気の毒だ。「介護施設の職員による虐待は、5年間で3倍も増えた」というのも困ったことだ。
・『介護職員の慢性的な人手不足が背景に  いかなる状況であっても、虐待は許されるものではない。 だが、慢性的な人手不足に加え、要介護度の高い人を優先的に入所させる施設が多く、職員の負担が増え続けても、その対応は現場頼みとなっている現実がある。 「とにかく人手が足りないので、問題ある職員でも雇いづつけるしかないんです。でも、結果的にはそれが真面目に働いている職員の負担になったり、職員同士の人間関係の悪化につながったり。悪循環に陥ってしまうんですよね……」。こう話す関係もいる。 これまでも書いてきたように、介護現場は問題山積で、施設での虐待を「個人の問題」ととらえていては、悲惨な事件があとを絶たないことは誰もがわかっているはずだ。しかし「環境の問題」は一向に解決されず、その介護現場を取り巻く環境の力が、暴力的なまでに、そこにいる人の生きる力を食い荒らす“化け物”になり、現場はリアルな暴力と背中合わせになっている。 ただ、今回の事件が発覚し、これまでとは違う視点が加わったことに、良い意味で少々驚いている。いくつかのメディアから取材を受けたのだが、「施設を利用している高齢者の、職員に対する暴行、暴言なども虐待の背景にあるのでは?」と相次いで聞かれたのだ。 1年前の2018年3月、「介護職員への暴行、杖を股に当てるセクハラも」で、公にすることがタブーとされていたこの問題について書いて以降、さまざまなメディアが「介護される側」の問題を取り上げるようになったことも関係しているのかもしれない。 いずれにせよ、先に見解を述べると「介護職員の高齢者への暴言と暴行」と「高齢者の介護職員への暴言と暴行」を直接的に結びつけるのは、いささか乱暴だと個人的には考えている。が、それは何も「高齢者の暴言と暴行」が「介護職員の暴言と暴行」につながっている可能性を否定しているわけではない』、冷静な判断だ。
・『ハラスメントを受けても我慢すべきだという風潮  先のコラムに書いた通り、施設介護職員では77.9%が身体的・精神的暴力を経験しており、日本介護クラフトユニオンが昨年、7万8000人の介護職員を対象に行ったアンケート調査では生々しい不条理な現実が明かされている。 +74.2%が何らかのハラスメントを受けたことがあるとし、そのうち94.2%がパワハラに該当する行為を受けている +しかも7割が上司や同僚に相談をしたものの、4割超が「何も変わらなかった」としている +相談しなかった人の4割が「相談しても解決しないと思った」とした理由について、「介護職は我慢するのが当然という風潮があり。相談すると力量不足と考えられてしまう」「プロの介護職はその程度のことは受け流すべきだ、と言われる」「利用者からのハラスメントは、専門職だからうまくかわす、辛抱するという風潮」「その程度のことは、自分でうまく対応すべきだと考えていた」「みんながハラスメントはよくある、と言っているし、あしらえなければならない、と思ったから」と回答している。 介護職員は利用者の「下僕」でもなければ、介護という仕事は「聖職」でもない。であるからして、介護される側=高齢者の問題にもきちんと向き合う必要があることは明白だし、当然のこと』、「ハラスメントを受けても我慢すべきだという風潮」に対して、「介護職員は利用者の「下僕」でもなければ、介護という仕事は「聖職」でもない。であるからして、介護される側=高齢者の問題にもきちんと向き合う必要があることは明白だし、当然のこと」というのはその通りだろう。
・『そこで今回は有料老人ホームに要介護の夫(車椅子)と入所している、92歳の私の最高齢の“お友だち”がメールしてくれた「介護施設の今」を紹介するので、みなさんにも是非、一緒に考えていただきたい。 =======以下引用 「私が入所している介護施設の現状をお知らせします。 最近 ヘルパーが4名辞めてしまいましたが、1カ月たっても代わりが見つからず、そのまま残ったヘルパーが悪戦苦闘しています。 そんな現状なのに、新しい入所者は増え続けているので、そのしわ寄せは夫のような車いすの移動を余儀なくさせられている者にきています。食事後、部屋に移動させてくれるヘルパーはわずか2~3名しかいません。 私のいる施設には、現在90名近い入所者がいるのですが、車椅子での移動者は、順番がくるのを1時間以上待たされてしまうのです。 人手不足を緩和するため、これからは外国人労働者の手を借りることになると思いますが、このような事態が起きることは、早くから分かっていたと思います。 シンガポールは過去、同じような問題が起きた時、移民で補填し続け現在のような地位を得た、と聞きます。日本は何事においても、初動が遅いと思います。2025年には団塊の世代が全員後期高齢者になるというのに……。 ヘルパーの数が足りないことは、すべての介護に支障をきたし、入所者のストレスもたまっています。その結果、思うようにならず暴言を吐く者が多くなり、この3、4年の間に施設の雰囲気が非常に悪化しています。 先週はメンテナンスを主業務にしていた男性が過労のため離職しましたが、補充がいないので、食堂の椅子が壊れているのに気づかずに座っていた女性が、あおむけに倒れてしまいました。 私は椅子が壊れているのに、気づかずにいた施設長の責任だと思っていますが、彼らの日常を目の当たりにしているので、深く責任を問うことができませんでした。 ところが1人の入所者が、それはそれは大きな声で恫喝(どうかつ)し、周りで見ていても気の毒なほどでした。 入所者の中には、ヘルパーを使用人のように思っている者(特に高い地位にいた男性)がいますが、意識改革も必要だ、とも思っています。 入所者は男女ともやもめ、後家さんが多いです。 やもめの方は、元気もなく静かですが、欲求不満がたまっているらしく、ときどき、びっくりするような大声で怒鳴ります。相手はいつも新参者のヘルパーです。昔の上から目線の悪しき癖が温存されているようです。 入所者の中には大声でわめき散らす人、たえずヘルパーを呼びつける人、自分が分からなくなってしまった人、思うようにならないとヘルパーの手にかみつく人など、さまざまです。 35年前91歳の母を在宅介護でみとったので、今の介護政策のありがたみをいつも感じていますが、よりよいものにするための施策を切望してやみません」============引用おわり) 92歳の“お友だち”は定期的にこういった状況をメールしてくれるのだが、それは「介護の現場の現実を世間に訴えてほしい。自分たちが施設の運営会社に訴えても、聞く耳を持たない」からと明言する。 以前、いただいたメールにはこんなことも書かれていた。 「ここはまさしくうば捨山です。入居者たちはみんなそういっています。 入所者は家族が介護の限界にきたために本人の意志でなく入れられた人が多いので、私のように発言できる入所者はめったにいないと思います。 私のコメントがお役に立つようでしたら、こんなうれしいことはありません。どうか薫さんのお力で、たくさんの方に現状を知ってもらってください」 そのため、私はことあるごとに“お友だち”のメッセージを公開しているのだが、今回のメールはまさに「高齢者の暴言と暴行」のリアルだった』、歳を取れば、気が短くなりがちで、「車椅子での移動者は、順番がくるのを1時間以上待たされてしまう」のでは、「入所者のストレスもたまっています。その結果、思うようにならず暴言を吐く者が多くなり、この3、4年の間に施設の雰囲気が非常に悪化」、という人手不足による悪循環は困ったものだ。
・『迫りくる「老い」の現実がストレスを生む  年をとると脳も老化し、とくに感情をコントロールする前頭葉の萎縮が進むと、怒りっぽくなったり、ものごとを柔軟に考えられなり、自己中心的になる。そこにストレスが加わると、キレやすくなる。 特に年をとると新しい環境に適応するのに時間もかかるし(最低でも半年)、「昨日できていたことができなくなる不安」が高まり、「なぜ、こんなにバカになってしまったんだろう」と自分を責めたりもする。 つまるところ「老化へのストレス、人手不足による入所者のストレス、ストレスによる暴言」という悪循環が介護の現場で起きているのだ。 そして、「入所者の中には、ヘルパーを使用人のように思っている者(特に高い地位にいた男性)」との指摘から、介護という職業への“社会のまなざし”も利用者である高齢者に影響を与えていることがわかる。 介護職の人たちを「大変な職業」と同情する人は多いが、介護職の社会的地位は決して高くない。いや、高いどころかむしろ低い。低すぎる。 職業の、いわゆる社会的地位の高低は人間関係にも大きな影響を及ぼすやっかいな代物である。職業の社会的地位が高いと「リスペクト」という感情を相手から得ることができるが、社会的地位の低いとされる職業に就く人たちにはそれがない。 とりわけ老化した脳は、「個人」に関する情報が属性でひもづけられたステレオタイプで短絡的に処理されてしまうため、介護職という仕事への社会的地位の低さが暴言や暴行のひきがねになっていると考えられる。特に社会的地位の高い職業に就いていた男性ほど、「自分より下」と見下し、「何を言っても許される」と勘違いしてしまうのだろう』、最後の部分は、確かに、日本の階層社会では拭い難い現実のようだ。 
・『手始めに介護職への「リスペクト」が必要  もし、介護職の社会的地位が高まれば、利用する高齢者と介護する介護職員の関係性を良い方向に導くリソースになるのではないか。 例えば、医師。私たち親の世代にとって、医師は「お医者さま」で常にリスペクトの対象だった。 私の父も闘病中は「お医者さま」の言葉を何よりも頼りにしていたし、通院しているときに医師から忙しそうな態度で接せられても、「お医者さんも忙しいから、大変なんだよ」とかばうことがあった。 父はめったに属性で人を見る人ではなかったけど、それでも「お医者さま」は特別で、私が驚くほど寛容だった。 介護という仕事は、「人」という感情の生き物をケアする究極の感情労働で、高い対人関係スキルや感情コントロールスキルが求められる。そのことを“私たち”がもっと理解し、介護職の人たちをリスペクトすれば、利用者の暴言のストッパーになるのではないか。 と同時に、利用者からのリスペクトは介護職員が、ストレスに対処するためのリソースになり、“一線を越えそうになる感情”のストッパーにもなる。もちろんそれが人手不足や多忙な状況を解決するわけじゃない。だが、せめて、そう。せめて究極の感情労働であり、肉体労働である介護職の職業の社会的地位がもっと高まれば、介護現場の崩壊を食い止めるきっかけになるように思う』、その通りだが、理想論に過ぎる印象も受ける。「介護職の職業の社会的地位」の向上には極めて長い時間を要する筈だ。それまでは、入居者に対し、施設長や家族が「介護職の人たちをリスペクト」すべきと繰り返し注意することも必要だろう。
タグ:介護施設 日経ビジネスオンライン ダイヤモンド・オンライン 河合 薫 住宅型有料老人ホーム 浅川澄一 (老人ホーム)問題 (その4)(有料老人ホームの主役が「介護型」から「住宅型」に交代しつつある事情、92歳の老人ホーム入居者が憂う「男やもめ」の恫喝) 「有料老人ホームの主役が「介護型」から「住宅型」に交代しダつつある事情」 鹿児島県鹿屋市の高齢者施設「風の舞」 10月中旬から約1ヵ月の間に起きた死亡事件である。 高齢の女性入居者6人が短期間に次々亡くなり、直後に7人目も亡くなった 介護職員全員がその1~2ヵ月前に辞めており、夜間の対応は施設長1人が担っていたという 有料老人ホームには3種類ある。「介護付き」と「住宅型」、それに「健康型」だ 「住宅型」が「介護付き」の定員数を追い越して主役が入れ替わった 近年、「住宅型」の施設が急増し、この6年間で倍増以上の勢い 制約のないサ高住と「住宅型」が高齢者住宅のリーダーとなる可能性が高い 「住宅型」で受ける介護は、自ら選んで自由に利用できる選択型 「住宅型」はその名の通り多人数の単なる「住まい」である。自宅と同じ扱いだ 必要な介護サービスは、ケアマネジャーを通じて地域の訪問介護事業所や通所介護(デイサービス)事業所を選んで個別に受ける 「住宅型」の方が「介護付き」より中重度の入居者が多い その費用を加えても、約16万円となり、「介護付き」より10万円ほど安い。この低価格は相当に訴求性がある 「住宅型」の増加は、「たまゆら事件」も大きなきっかけに 施設が小さければ小さいほど、普通の住宅に近づきケアは行き届く。採算が取れる中で、小規模な施設が増えていくことは歓迎すべきことだろう 「92歳の老人ホーム入居者が憂う「男やもめ」の恫喝」 品川区の老人ホームに入所していた男性を殺害したとして、元職員の男(28歳)が逮捕さ 介護施設の職員による虐待は、5年間で3倍も増えた 2017年度の1年間に発覚した65歳以上の高齢者に対する虐待の件数は、過去最多の510件に達している 状態の重い人ほど被害を受けやすい傾向 虐待をした介護職員の54.9%が男性で、介護従事者全体に占める男性の割合は2割であることから、虐待者は相対的に男性の割合が高いと解釈できる 介護職員の慢性的な人手不足が背景に 介護職員の高齢者への暴言と暴行 高齢者の介護職員への暴言と暴行 ハラスメントを受けても我慢すべきだという風潮 施設介護職員では77.9%が身体的・精神的暴力を経験 介護職員を対象に行ったアンケート調査 74.2%が何らかのハラスメントを受けたことがあるとし、そのうち94.2%がパワハラに該当する行為を受けている 介護職員は利用者の「下僕」でもなければ、介護という仕事は「聖職」でもない。であるからして、介護される側=高齢者の問題にもきちんと向き合う必要があることは明白だし、当然のこと 車椅子での移動者は、順番がくるのを1時間以上待たされてしまう ヘルパーの数が足りないことは、すべての介護に支障をきたし、入所者のストレスもたまっています 思うようにならず暴言を吐く者が多くなり、この3、4年の間に施設の雰囲気が非常に悪化 入所者の中には、ヘルパーを使用人のように思っている者(特に高い地位にいた男性)がいますが、意識改革も必要 迫りくる「老い」の現実がストレスを生む 入所者の中には、ヘルパーを使用人のように思っている者(特に高い地位にいた男性)」との指摘 職業の社会的地位が高いと「リスペクト」という感情を相手から得ることができるが、社会的地位の低いとされる職業に就く人たちにはそれがない 老化した脳は、「個人」に関する情報が属性でひもづけられたステレオタイプで短絡的に処理されてしまうため、介護職という仕事への社会的地位の低さが暴言や暴行のひきがねになっている 手始めに介護職への「リスペクト」が必要 究極の感情労働であり、肉体労働である介護職の職業の社会的地位がもっと高まれば、介護現場の崩壊を食い止めるきっかけになるように思う
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哲学(その1)(AI時代だからこそ哲学を学ぶ、「正義の教室」:正義を哲学すると「3つ」に分類できる、悪を哲学すると「3つの行為」に行きつく、多数決を哲学すると、なぜ「悪」になるのか?) [社会]

今日は、哲学(その1)(AI時代だからこそ哲学を学ぶ、「正義の教室」:正義を哲学すると「3つ」に分類できる、悪を哲学すると「3つの行為」に行きつく、多数決を哲学すると、なぜ「悪」になるのか?)を取上げよう。

先ずは、元ボストンコンサルティング社長の堀 紘一氏が6月3日付けダイヤモンド・オンラインに寄稿した「AI時代だからこそ哲学を学ぶ」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/203804
・『ボストンコンサルティング社長として名を馳せたビジネス界きっての読書家が、どう読書と向き合ってきたか、何を得てきたか、どう活かしてきたかを縦横無尽に語り尽くす。 自分を高める教養と洞察力が身につき、本を武器に一生を楽しむ、トップ1%が実践する『できる人の読書術』を説き明かす。 リーダーになるには哲学が不可欠であり、古今東西の哲学書を読むことはリーダーシップの育成につながる。 そう私は常々説いてきた。 本格的なAI時代を迎えると、ビジネスパーソンが哲学を学ぶ重要性は、さらに高まってくる。 AIとロボットが全盛の時代になるほど、その対極にある人間について勉強して、よく理解している人が重宝がられる。 そのためにも、哲学を学んでおきたい。 AIとロボットの組み合わせは最悪である。 こちらの立場や感情を汲んではくれないし、自分たちが絶対に正しいと知っている(と思い込んでいる)から、価値観を一方的に押しつけてくる。 哲学を学ぶと、AIとロボットという最悪コンビと大きく差別化できる。 哲学を学んだ人と学んでいない人では、何が違うのか。 哲学とは、人間の核心に迫ろうとする学問である。 哲学を学ぶと人間理解が深まり、考える力が格段に上がる。 超一流になるための洞察力も身につく。 哲学を学んでいない人は考える力に乏しく、そのうえ読書量も少ないと、自分の体験と価値観という狭い了見だけに頼って何でもかんでも判断しようとする。 人間理解が浅く、自分自身を客観的に認知するメタ認知(注)ができていないから、相手から底の浅さを見透かされてしまい、全てが独善的な振る舞いだと思われてしまう。 これでは、お互いに有意義な関係は結べない。 哲学を学んでいる人は、おそらく読書量も総じて多いはずだ。 メタ認知ができるから、安易に自分の体験と価値観を他人に押しつけたりはしない。 考える力があり、「ひょっとしたら相手は自分とは違った価値尺度を持っていて、違う感じ方をするかもしれない」と想定できる。 人間理解も深いから、相手の立場に立った良好なコミュニケーションが取れる。 だから、人間関係もスムーズになる。 単純化するなら、哲学を学んだ人材は超一流の予備軍であり、学んでいない人材はせいぜい一流止まりで終わってしまう可能性が高い。 あなたが上司だったら、一体どちらの人材がほしいか。それは自明である』、「哲学を学ぶと、AIとロボットという最悪コンビと大きく差別化できる」、「哲学を学んだ人材は超一流の予備軍であり、学んでいない人材はせいぜい一流止まりで終わってしまう可能性が高い」、などいうのは、確かにその通りだろう。
(注)メタ認知:自己の認知のあり方に対して、それをさらに認知すること・・・自分の認知行動を正しく知る上で必要な思考のありかたを指すことが一般的(Wikipedia)
・『未来志向の肯定的な最適解を見つけ出す  実社会では、数学の試験問題のように、正解を1つに絞れないケースが多い。 そこで正解を見つけ出すのに役立つのも、哲学の学びを通じて磨かれた考える力である。 ある商品が売れないというマーケティング上の課題に直面し、「その理由は何かを考えろ」と上司から指示を受けたとしよう。 そこでなぜ売れないかという理由を考えるだけでは足りない。 聞かれたことには答えているから、学校の宿題なら及第点がもらえる。 しかし、ビジネスの世界では、聞かれたことに答えるだけでは落第なのだ。 なぜ売れないのかという問題の核心を見極め、それを踏まえてどうすれば売れるようになるかの最適解を導き出し、上司に斬新な提案ができて初めて正解といえる。 売れない理由を導き出すだけなら、コンピュータで過去のマーケティングのケーススタディをたくさん集めれば済む。 それはAIが何よりも得意とする分野だ。 AIとコンピュータは過去を振り返って「~してはいけない」という否定的な答えを導き出すのは得意だが、これから先に「~すればいい」という未来志向で肯定的な答えを出すのは不得意である。 未来志向で肯定的な答えを導き出すのは、世の中に存在していなかった最適解を見つけるクリエイティブな作業である。 誰も考えなかったことを考えなくてはならない。 しかも「~すればいい」という正解は、1つに絞れないのが普通である。 そこで活きてくるのが、哲学を通して学んだ考える力であり、洞察力なのである。 AIとコンピュータが集約した過去のケーススタディでピラミッドの土台を作り、その天辺に人間が洞察した正解をのせる。 現在、AIと人間は、そういうスタイルで協業している。 この先AIが進歩すれば、土台作りから天辺に正解をのせるところまで、すべてをこなす時代がやってくる。 少なくともそれまでは、哲学を学んだビジネスパーソンとAIの協業がベストマッチングなのである』、「この先AIが進歩すれば、土台作りから天辺に正解をのせるところまで、すべてをこなす時代がやってくる」ということは、人間が関与する余地や、哲学の存在意義すら無くなってしまうような恐ろしい時代のようだ。

次に、会社経営者で哲学サロンを主宰している飲茶氏がダイヤモンド・オンラインに掲載した「正義の教室」シリーズのうち、6月17日付け「正義を哲学すると「3つ」に分類できる。」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/206021
・『哲学史2500年の結論! ソクラテス、ベンサム、ニーチェ、ロールズ、フーコーetc。人類誕生から続く「正義」を巡る論争の決着とは? 哲学家、飲茶の最新刊『正義の教室 善く生きるための哲学入門』の第2章を特別公開します。 本書の舞台は、いじめによる生徒の自殺をきっかけに、学校中に監視カメラを設置することになった私立高校。平穏な日々が訪れた一方で、「プライバシーの侵害では」と撤廃を求める声があがり、生徒会長の「正義(まさよし)」は、「正義とは何か?」について考え始めます……。 物語には、「平等」「自由」そして「宗教」という、異なる正義を持つ3人の女子高生(生徒会メンバー)が登場。交錯する「正義」。ゆずれない信念。トラウマとの闘い。個性豊かな彼女たちとのかけ合いをとおして、正義(まさよし)が最後に導き出す答えとは!?』、以前にNHKでマイケル・サンデル教授によるハーバード白熱教室のシリーズをやっていたが、それに近いものなのだろう。興味深そうだ。
・『そもそも「正義」とは何か?  「正義とは何か?」 風祭封悟(かざまつりふうご)先生は、倫理の授業が始まるやいなや生徒たちを見回し、そう問いかけた。 もちろん答える者はいなかった。というより、まともに話を聞いてる生徒の方が少なかったと言うべきかもしれない。 うちの学校の生徒たちは、特別授業として「日本史、世界史、地理、倫理」のいずれかを選択できるのだが、なかでも倫理は一番人気が少なく、そのため教室は閑散としていた。なぜ倫理の授業は人気がないのか。それは、なんとなくわかる気がする。だって、日本史や地理は何を勉強するのかはっきりわかるが、倫理は何を勉強する科目なのかあまりピンとこないからだ。 「さて、今日からキミたちは倫理の授業を受けるわけだが、この授業は何を学ぶ授業だろうか」 生徒からの回答がないのも気にせず風祭先生は授業を進めた。スキンヘッドにタートルネック、そして少し赤みの入った色眼鏡という、およそ教師とは思えない個性的な風貌の先生は、学校でも変わり者で有名だ。 「まず辞書的に言えば、倫理とは、『人として守るべき道』『道徳』『正義』といった意味を持つ言葉である。ゆえに、『倫理の授業』とはすなわち『正義の授業』だと言える。つまり、この授業は、『正義とはどういうものなのかを学ぶ授業』だと思ってもらえればいいだろう」 この話を聞いて、僕はちょっとガッカリした。なんだ、倫理って「正義」について学ぶ授業だったのか。それを知ってたら選択なんかしなかったな。だって、そんなものに答えなんてあるはずがないからだ。 「山下正義(まさよし)くん、君は、生徒会の会長だったね」 考え事の最中にいきなり先生に声をかけられ、僕は一瞬ドキリとした。が、よく考えてみればそれはそんなに不思議なことではなかった。 なぜなら、僕は一番前の席、先生の目の前に座っていたからだ。ちなみに、数少ない他の生徒たちは、みな後ろの方の席に座っている。基本的にこの倫理の授業を受けている者たちはジャンケンに負けた者たち―日本史、世界史の授業が定員オーバーになったのでジャンケンに負けてしかたなく倫理を選択する羽目になった者たち―である。 当然彼らにやる気はなく、ただでさえ閑散とした教室の後方の席を陣取り、各々勝手に違う教科の勉強をしていた。正直に言えば、僕だってそうしたかった。一番後ろの席でのんびりとしていたかった。だが、そんなことは隣に座っている副会長の倫理(りんり)が許すはずがない。 「生徒会役員は、全校生徒の模範たれ」それが座右の銘の副会長が、「前の席が空いてるのに、後ろの席に座って授業を受ける」なんてことを認めるわけはないのである。 というわけで、僕は今、一番前の席。左右を倫理と千幸に挟まれて座っていた。ちなみに、ミユウさんはというと、一番後ろの席でいつものようにだらんと座っている。彼女は、上級生だが、今年は生徒会メンバーに合わせて倫理の授業を選択したそうだ。副会長の圧力に屈せず、マイペースに後ろに座るミユウさんのメンタルが本当に羨ましい。 ともかく、そんなわけで、生徒会メンバーは全員この授業を受けていた。 「生徒会長のキミに問おう。正義とは何だろうか?」 「え、えーっと、正義とは……正しい行為をすること……でしょうか」 さすがに建前だとは言えなかったので、咄嗟に別の答えを用意したのだが、我ながらなんて稚拙な答えだろうか。頭痛とは何かと問われて「頭が痛いことです」と答えてしまったみたいで、ちょっと恥ずかしい。後方席の一般生徒はともかく、隣の生徒会メンバーの顔を見るのが怖い。 「なるほど。正義とは、正しい行為をすること……。シンプルな答えであるが……、いやいやどうして大正解だ。素直でとても好感の持てる答えでよろしい」 先生的にはどうやら満足のいく回答だったみたいだ。 「いま彼が述べたように、たしかに正義とは『正しい行為をすること』である。しかし、ではどうすればその『正しい行為』ができるだろうか? これは簡単な問題ではない。たとえば、『少数を殺せば多数が助かる』というような状況を思い浮かべてみてほしい。そういう状況に置かれたとして、果たしてキミたちは『正しい行為』、すなわち『正義』を選択することができるだろうか?」 たしかそれって「トロッコ問題」とかいうやつだったかな』、私の高校時代は、「倫理」の科目はなかったが、あれば取っていたと思う。
・『70億人を殺して、1人を救う?  1. 暴走したトロッコの先に5人がいて、そのままトロッコが突っ込むと5人全員が死んでしまう。 2.でも、あなたが路線を切り替えるレバーを引けば、5人の命を助けることができる。 3.しかし、そうすると今度は切り替えた路線の先にいる別の1人にトロッコが突っ込み、本来無関係のはずの人間が1人犠牲になってしまう。 つまり、こうした状況設定において「さあ、あなたならどうするか」という話で、ようは「そのまま5人を見殺しにすべきか? それとも1人を犠牲にして5人を救うべきか?」という問題だ。少し前に、そういうことを話し合う海外の授業が話題になったからよく覚えている。 「多数の人間を助けるためには少数の人間の命は奪ってもよい、というのはどう考えても正義に反するように思える。しかし、だからといって、それにこだわって目を覆うような大惨事の発生を見過ごすというのも間違っているような気がする。 たとえば極端な話だが、多数が70億人で、少数が1人でしかも殺人鬼の死刑囚だった場合を考えてみてほしい。それでもキミたちは、70億人が死ぬという大惨事を見過ごすべきだと思うだろうか?」 いや、さすがにそれは思わない。思わないけど……、でも、逆に、その1人が自分の恋人だったり、家族だったり、唯一かけがえのない人だったらどうだろう……。 その場合には、多数が100人でも1000人でも、それこそ全人類であったとしても、少数の1人の命を優先しようとする人もいるんじゃないだろうか。うーん、だとしたら、この問題の答えは……。 「生徒会長はどう思うかな?」「え? やっぱり人それぞれ、かなと」 しまった。突然、先生に質問され、ついそのまま答えてしまった。 もちろん、この答えは僕の本心だ。 だが、この手の問題に「人それぞれでしょ」なんて一番言ったらダメな言葉であろう。ましてや僕は生徒会長で、一応、さまざまなトラブルを解決する立場にあるのだから、本心はともかく考えることを放棄している感満載のこの回答は非常にマズい気がする。 ふと心配になり、首は動かさず視線だけで左隣を見てみると、副会長の倫理がうつむいて口元をおさえながらぶるぶると震えていた。やばい、怒りをおさえてる。やっぱり、この回答は彼女的に完全にアウトだったようだ。 「人それぞれか、なるほど、それもとても素直な答えだね」 先生やさしい……。空気を読まない僕の発言に対し、風祭先生は不快感をいっさい示すことなく、そのまま授業を続けてくれた。日頃、ちょっとした軽率な言動にも必要以上のツッコミを入れられる身としては、とてもありがたい。 「いま彼が言った通り、一見すると、この問題は人それぞれで答えが異なるもののように思えるし、実際その通りであろう。であるならば、こうした問題について『正義』を問いかけるのは、そもそもがナンセンスなのだろうか。いや、そうではない。たしかに、この問題に明確な答えは存在しないかもしれない。だが、人がこういう状況に置かれたとき、どのように『正義』を判定するのか、その判断基準を分析し、妥当性を議論することはできるはずだ」』、「トロッコ問題」はサンデルの白熱教室でも出てきた有名な話だ。
・『正義の判断基準はたった3つ  先生は背を向け、何ごとかを黒板に書き始めた。 「では、人が何かを正義だと判断するとき、それはどのような判断基準によって行われるのか? 実のところ、その判断基準は大きく分けると3種類しかない」 え? それは初耳だ。何が正義かなんて、そんなものは、それこそ人それぞれ。正解なんてあるわけがない。そう思ってきたし、だからこそ正義について考えたり議論しても意味がないとも思ってきた。 でも、人それぞれと言いつつも、実は「その判断基準はたったの3種類しかない」と風祭先生は言うのだ。その話に、不覚にも僕は少し興味をそそられてしまった。 先生は、黒板に3つの単語を書き終え、振り返ってこう述べた。 「人間が持つ3種類の『正義の判断基準』、それは『平等、自由、宗教』の3つだ」 意外にあっさりとした答えだった。本当にそんなものなのかな。 「本当にこの3つだけなのか? そう疑問に思う人もいるだろう。だが、少し視野を広げて、世界レベルで考えてみてほしい。実際のところ世界を見渡せば、『平等』を尊重する国、『自由』を尊重する国、『宗教』を尊重する国の3種類があって、それぞれが自国の正義を訴えて、いがみ合っていることに気がつくはずだ」 あっ! と思った。言われてみればたしかにそうだ。 「たとえば、共産主義や社会主義といった『平等』を絶対的な正しさとする国がある。 一方で、そんな国を抑圧的だと批判して『自由』を絶対的な正しさだとする国がある。 そして、最後に、何らかの『宗教』すなわち『自分たちの国の伝統的な価値観』を絶対的な正しさだとする国がある」 なるほど。今まで考えたこともなかったが、世界レベルで「自国の正義を主張する国」を大きく分ければ、たしかに3色で色分けができてしまう。 次回に続く』、『正義の判断基準』、それは『平等、自由、宗教』の3つだ」というのは、言われてみればその通りなのだろう。

第三に、この続き、6月20日付けダイヤモンド・オンライン「悪を哲学すると「3つの行為」に行きつく。」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/206178
・『・・・「悪いこと」とは何か?  今まで考えたこともなかったが、世界レベルで「自国の正義を主張する国」を大きく分ければ、たしかに3色で色分けができてしまう。 「さて。では、その3種類……『平等、自由、宗教』。これらの判断基準によってなされる行為が、なぜ『正義』だと言えるのか。それは、それぞれの逆を考えてみればわかりやすいだろう。たとえば、平等の逆、すなわち、不平等。これは普通に考えて悪いことだと言えるはずだ」 それはまあ、そうだろうな。みんなが同じ仕事をして、ひとり1個のリンゴを報酬としてもらっているときに、何の理由もなく―もしくは暴力や生まれの差などによって―ある人だけが10個のリンゴをもらっていたら、それはどう考えてもおかしいわけで、善い悪いで言えば間違いなく「悪いこと」だろう。 「もしもキミたちが、『特定の誰かが特権的に利益を得ている』もしくは『差別的に損害をこうむっている』といった不平等な状況を『悪いこと』だと思うなら……、当然、それを改善しようとする行為、すなわち平等を目指す行為は『正義』だということになる」 あー、そういうことか。「正義の反対は悪」なのだから、ある行為が「正義」かどうかを確かめたければ、その反対の行為が「悪」かどうかを問いかけてみればいい。で、その理屈で言えば、実際僕たちは「不平等や差別」を悪だと思っているわけだから、その反対である「平等」は僕たちにとって正義ということになるわけか。 「では同じように、自由の逆……、不自由についても考えてみよう。不自由とは、つまり強制や拘束や支配などによって、自由に生きる権利が奪われた状態を指すわけだが、『誰かを不自由にする』つまり『人の自由を奪う』なんてまさに典型的な悪の行為だと言えるだろう」 それは完全に同意だ。ヒーローものに出てくる悪の組織が、なぜ悪なのかと言えば、それは彼らが世界を征服したり幼稚園バスをジャックしたりすることが、人々の自由を奪うことにつながっているからだ。 結局、彼らはその一点のみで「悪」だと評されているわけであり、もし彼らが無人島で同じことをやったとしたら、誰も彼らを「悪」とは呼ばないだろう。 ためしに、「わはは、無人島を支配した! 誰も乗っていないイカダをジャックしてやったぞ!」という組織を想像してみたが……、うん、ぜんぜん悪じゃない。だから、やはり「悪の組織」は、人々の自由を奪うからこそ「悪」なのであり、「正義のヒーロー」はその悪を食い止めるからこそ「正義」なのだ。 「最後に、宗教の逆、反宗教だが……、これは、宗教になじみのない人には少しわかりにくいかもしれない。とりあえずは『社会の伝統的な価値観に反する行為』を思い浮かべてみてほしい。たとえば、お墓をむやみに壊したり、老人を粗末に扱うような行為だ。他には複数の異性と仲良くする行為も入るだろうか。これらについても、おそらくキミたちは不正義という感覚を得るはずだ」 そう言いながら、風祭先生は、ジーッとにらみつけるような視線で僕の顔を見つめた。え? いやいや、たしかに僕の両隣には女の子がいますけど、全然そういうんじゃないですから! しかし、そんな僕の狼狽を無視し、先生は「ちょっとまとめてみよう」と言って次のことを書き出した。
 (1)不平等:正当な理由もなく、人間を差別して平等に扱わない行為 → 悪
 (2)不自由:人間の自由に生きる権利を奪う行為 → 悪
 (3)反宗教:宗教または伝統的な価値観を破壊する行為 → 悪 
「と、このように、我々が悪と呼ぶものは、おおよそこの3種類に分類できるわけだが、逆にこれらの悪を犯さず改善しようとする行為を『正義』だと言うことができる。つまり、『平等、自由、宗教』を推し進める行為が『正義』だと定義できるわけだ。では、これらの正義を具体的に実現するには、どのような思想、考え方が必要になるだろうか? 次回に続く』、「反宗教」を『社会の伝統的な価値観に反する行為』としたのは、巧みな言い換えだ。

第四に、この続きを、6月22日付けダイヤモンド・オンライン「多数決を哲学すると、なぜ「悪」になるのか?」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/206450
・『・・・「平等は正義である」。なぜか?  「前回の授業では、正義には『平等、自由、宗教』の3種類の判断基準があるという話をした。今日は、このうちの『平等』についてより詳細に説明していこうと思う」 「さて、『平等は正義である』……という言葉を聞いてキミたちはどう思うだろうか。必ずしもすべてを平等にする必要はないと考える人も多いかと思うが、とりあえずは、特別な理由がないかぎり『不平等よりは平等の方が善い』、そう考えてよいのではないだろうか」 「たとえば、大多数の人間が飢えに苦しみながら貧乏な生活を送っているなか、一部の人間が特権により働かず搾取した富で裕福な生活を送っているという状況を思い浮かべてみてほしい」 「この状況について、当然キミたちは『不平等であり善くないことだ』と思うだろうし、可能なら改善すべきだとも思うだろう」 「つまり、今述べたような『特権』『搾取』『差別』といった『人間を不当に不平等に扱う行為』を、我々は基本的に悪いことだと考えているというわけだ」 「しかし、とはいえだ。不平等より平等の方が善いと言いつつも、『何をもって平等とみなすか』という難しい問題がある。たとえば、みんなで荷物を運ぶとき、事故で怪我をした人や病気の人にも同じ重さの荷物を均等に持たせることは、決して平等でも正しいことでもないだろう」 「もしくは、一生懸命仕事をしている人と、ぐうたらで何もしない人、そのどちらにも同じ報酬を支払うべきだとはキミたちも思わないはずだ。このように、単純に物事を『均等に分ける』ということが必ずしも平等ということにはならない。人それぞれの違い、個人の努力や才能を無視して、すべて完全に同じにしようという行為は、『悪平等』とも呼ばれ、一般的にも悪いこととされている」 「では、どのようにすれば、個々の違いを考慮した『真の平等』を達成することができるだろうか? 生徒会長の正義くん」 「あ、はい」 「君はこの学校で、できるだけ平等に何かを決めたいと思ったときどうするかな?」 「えっと、そうですね……多数決とかですかね」 突然の質問だったので、平等に物事を決めると言えば、という連想でなんとなく答えただけであり特に深い考えはない。というか、僕はこれからもずっとこんなふうに授業中に質問され続けるんだろうか。もう一番前に座るの止めたい……。 と、そのとき、隣からフッとあからさまにバカにしたような鼻息が聞こえてきた。もちろん千幸だ。イラッときて反射的に右に顔を向けるが、予想以上に千幸の顔が近くにあり、僕は慌てて前を向いた。 「隣の彼女は、今の答えに何か不満がありそうだね」 「はい! 多数決は、ぜんぜん平等な決め方ではないと思います!」 「ほう、どうしてかな?」先生に続きを促され、千幸は立ち上がる』、確かに「多数決」の正当性は難しい問題だ。
・『どんなに残酷で不当で愚かなことでも多数決なら、、、  「多数決は、みんなの意見を尊重した平等な物事の決め方のように思えますが、実際には『多数派による少数派への不当な暴力』を正当化した不平等なやり方だと思います」 「たとえば、たまたまうちの学校で男子が過半数だったとして、多数決をしたら『少数派の女子を奴隷として扱う』という結果が出ても―もちろんそれは『正しいこと』だと言えないと思いますが―多数決ではそれが『正しいこと』になってしまいます」 「つまり、結論として多数決というのは、多数派の利益のために少数派を不当にないがしろにすることができてしまう、不完全な選択システムだと言えると思います。ね、そうでしょ?」 最後の「そうでしょ」は、僕に顔を向けてのものだった。まあ、言いたいことはわかる。そして、実際なるほどなとも思った。千幸に論破されるなんてとても悔しいことではあるが。 いや、待てよ。よくよく考えたら、やりたくもない学級委員に僕がさせられたのは、千幸が煽動した不当な多数決のせいだったじゃないか。あれこそまさに多数派の暴力。その中心にいたおまえが多数決の問題点を語るなど、まさしく語るに落ちるであり、釈然としないものがあるぞ。 そんなふうに当てこすってやろうかと思ったが、「じゃあ、生徒会長もやりたくないのになったのですか」と、今度は左隣の倫理に責められそうなのでやめておいた。 「いま彼女が言ったことは基本的に正しい。多数派の意見を採用することが必ずしも正義になるとは限らない。どんなに残酷で不当で愚かなことでも多数派によって選択されてしまうことがありうる。多数決の問題は、たしかにそこにあると言える」 「しかし、ではどうすればよいか? どうすれば物事を真に平等に決めることができるだろうか? 単純に均等に分けるのはダメ。多数決もダメ。そこで、人類は『功利主義』という新しい考え方を発明する」 待ってました、という顔で千幸の顔がほころぶ。そして満足したのか、そのまま席に座った』、『功利主義』もサンデルの白熱教室に出てきた。
・『功利主義とは何か?  「功利主義とは、『物事の正しさを功利によって決めよう』という考え方のことであるが、功利は日常的に使う言葉ではないから、あまりピンとこないかもしれない。もともと功利とは、効能とか有用といった意味を持つ言葉であるのだが、より日常的な単語である『幸福』という言葉に置き換えてみるとわかりやすい」 「つまり、功利主義とは、幸福主義……、すなわち『物事の正しさを幸福の量によって決めよう』という考え方のことだと思ってもらえればよいだろう」 「ただし、この説明で特に気に留めておいてほしいのは、幸福の『量』という部分だ。ここはとても重要なところで、この『量』という概念を無視して単純に幸福になる『人数』で正しさを決めてしまうと、多数決と変わりなくなってしまう」 そりゃあそうだ。ある法律を決めるとして、それが1000人を幸福にする一方で100人を不幸にするものである場合、幸福になる人数の方が多いからといってその法律を採用するなら、それは多数決と同じだと言える。 「だから、功利主義においては、『幸福になる人数』ではなく、あくまでも『幸福の量』を問題にする」 「あ、はいはい! つまり、ハッピーポイントを計算して、その合計値が大きくなるような選択をすることが正義ってことですよね」 突然、千幸が手を挙げて先生の説明に割り込んだ。おいおい、いきなりハッピーポイントとか、おまえのオリジナル用語を言ったところで先生に通じるわけないだろうが。 「ハッピーポイント……? それは、幸福度の指標値という意味かな? なるほど、そちらの方がわかりやすい名称かもしれないな」 通じたし、受け入れられてしまった……。 「さて、功利主義の理念を表すものとして『最大多数の最大幸福』という有名な言葉がある。これは文字通り『なるべく大勢の人間について、その幸福度の総量が最大になるような行動をすべきだ』という意味であるが、功利主義者は、この理念に従って全員の幸福度の総量……つまりハッピーポイントの合計値がより大きくなるような選択を行うことが正義だと考える」次回に続く』、「功利主義」のベンサムの主張まで出てくるとは、かなり高度だ。この続きは、後日、ある程度まとめて紹介したい。
タグ:哲学 飲茶 多数決 ダイヤモンド・オンライン ハーバード白熱教室 マイケル・サンデル教授 反宗教 (その1)(AI時代だからこそ哲学を学ぶ、「正義の教室」:正義を哲学すると「3つ」に分類できる、悪を哲学すると「3つの行為」に行きつく、多数決を哲学すると、なぜ「悪」になるのか?) 堀 紘一 「AI時代だからこそ哲学を学ぶ」 できる人の読書術 リーダーになるには哲学が不可欠 AIとロボットが全盛の時代になるほど、その対極にある人間について勉強して、よく理解している人が重宝がられる。 そのためにも、哲学を学んでおきたい 哲学とは、人間の核心に迫ろうとする学問 哲学を学ぶと人間理解が深まり、考える力が格段に上がる 哲学を学んでいる人は、おそらく読書量も総じて多いはずだ。 メタ認知ができるから、安易に自分の体験と価値観を他人に押しつけたりはしない 哲学を学んだ人材は超一流の予備軍であり、学んでいない人材はせいぜい一流止まりで終わってしまう可能性が高い 未来志向の肯定的な最適解を見つけ出す 未来志向で肯定的な答えを導き出すのは、世の中に存在していなかった最適解を見つけるクリエイティブな作業である この先AIが進歩すれば、土台作りから天辺に正解をのせるところまで、すべてをこなす時代がやってくる 「正義の教室」 「正義を哲学すると「3つ」に分類できる。」 飲茶の最新刊『正義の教室 善く生きるための哲学入門』 そもそも「正義」とは何か? 『倫理の授業』とはすなわち『正義の授業』だと言える 「トロッコ問題」 正義の判断基準はたった3つ 平等、自由、宗教』の3つだ 「悪を哲学すると「3つの行為」に行きつく。」 「悪いこと」とは何か? 社会の伝統的な価値観に反する行為 不平等:正当な理由もなく、人間を差別して平等に扱わない行為 不自由:人間の自由に生きる権利を奪う行為 反宗教:宗教または伝統的な価値観を破壊する行為 「多数決を哲学すると、なぜ「悪」になるのか?」 「平等は正義である」。なぜか? 『悪平等』 平等に何かを決めたいと思ったときどうするかな? どんなに残酷で不当で愚かなことでも多数決なら、、、 多数決というのは、多数派の利益のために少数派を不当にないがしろにすることができてしまう、不完全な選択システム どうすれば物事を真に平等に決めることができるだろうか? 『功利主義』 『物事の正しさを功利によって決めよう』という考え方 功利主義とは、幸福主義 あくまでも『幸福の量』を問題にする 『最大多数の最大幸福』 なるべく大勢の人間について、その幸福度の総量が最大になるような行動をすべきだ』
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子育て(「親の言うことを聞く子どもになってほしくない」 入山章栄准教授が明かした「僕の子育て」論(前編)、「育児とは、答えが見えない永遠の学習」 入山章栄准教授が明かす「僕の子育て」(後編)、茂木健一郎氏が語る なぜ本に囲まれた家庭で「頭のいい子」が育つのか) [生活]

今日は、子育て(「親の言うことを聞く子どもになってほしくない」 入山章栄准教授が明かした「僕の子育て」論(前編)、「育児とは、答えが見えない永遠の学習」 入山章栄准教授が明かす「僕の子育て」(後編)、茂木健一郎氏が語る なぜ本に囲まれた家庭で「頭のいい子」が育つのか)を取上げよう。

先ずは、5月7日付け日経ビジネスオンライン「「親の言うことを聞く子どもになってほしくない」 入山章栄准教授が明かした「僕の子育て」論(前編)」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/skillup/16/030900024/050100001/
・『「オトコが育児に参加するのが当たり前」の時代に変わりつつある。旬の経営者や学者、様々な分野で活躍するプロフェッショナルたちも、自らの育児方針や育休取得についてパブリックに言及することが増えてきた。優秀なリーダーたちは、我が子にどんな教育を与えようとしているのか。また自身はどう育てられたのか。そしてなぜ、育児について語り始めたのか。 連載1回目に登場するのは、早稲田大学大学院経営管理研究科の入山章栄准教授。SNS(交流サイト)などで、子育ての様子を公開する入山准教授は普段、どんなふうに子供や妻と向き合っているのか。そして入山准教授自身は、どのように育てられてきたのか。直球で聞いた』、興味深そうだ(Qは聞き手の質問)。
・『Q:入山先生は気鋭の経営学者として活躍する一方、2児の父として育児に携わり、SNSでは頻繁に家族の写真をアップしています。「経営」と「育児」のどちらにも深く関わっている立場として、両者に共通点はあると思いますか?  入山先生(以下、入山):僕はあくまで学者なので、経営そのものを偉そうに語る資格はありません。でも、組織と子ども、この2つを育てるのに共通しているのは「自己肯定感を高めることの重要性」ではないかとは思います。 これは僕がいつも伝えていることですが、チャレンジングな事業に立ち向かうには、「自分はやればできる」という自信や、セルフエフィカシー(自己効力感)を備えていることが重要なのは、経営学の研究でも分かっていることです。 このロジックが子育てにも共通していると気づいたのは、医師・カウンセラーの明橋大二さんの『子育てハッピーアドバイス』(1万年堂出版)を読んだ時でした。 僕は普段、マニュアル本をほとんど読まないのですが、この本だけはすごく共感しました。子どものありのままの感情を受け入れて存在を尊重する考えは、そのまま組織論に生かせると思いますね。 一方で、経営と育児の決定的な違いもあります。それは育児に“答え”がないことでしょう。経営にも答えがないとよく言われますが、一定の期間でどれだけ企業が成長したかという結果と照らし合わせながら、経営手法の成否を評価することはできます。 けれど育児の場合、まず「何をもって成功とするか」というにも答えすらありません。たとえ有名大学に入って、一部上場企業に入社できて、結婚ができたとしても、その人が本当に幸せな人生を送れたかどうかは、本人が死ぬ瞬間まで分からない。そして、子どもが天寿を全うして死ぬ瞬間に、親が立ち会う確率は極めて低い。 ということは、育児に正解はないし、あったとしても立ち会えない。それでもなお、親として子どもに何を与えていくか。答えのない問いを永遠に立ち向かうのが子育てなのでしょうね』、「組織と子ども、この2つを育てるのに共通しているのは「自己肯定感を高めることの重要性」」、「育児に正解はないし、あったとしても立ち会えない。それでもなお、親として子どもに何を与えていくか。答えのない問いを永遠に立ち向かうのが子育てなのでしょうね」、などというのはその通りだろう。
・『わが子には、とにかく表情豊かに育ってほしい  Q:入山先生がわが子に与えていきたいと思うものは何ですか。 入山:これからの世界で生き抜くための共通言語を与えてあげたいですね。 これは、あくまで僕が考えていることですが、世界中の人とコミュニケートできる共通言語、つまりプロトコルをもっているほど、挑戦できるフィールドが広がるし、ビジネスであれば一気にスケールできる可能性が高まると思います。 現在、世界の共通言語(プロトコル)は4つあると思っていて、1つ目は現時点で世界最大の自然言語の共通語である英語。2つ目は数学。3つ目はプログラミング言語。そして4つ目が、意外に思うかもしれませんが“表情”です。 嬉しい時には笑う、悲しい時には泣く。感情にひも付いた表情は、人種や文化を問わず、すぐに交換し合える最強のプロトコルだと僕は思っています。人間どころか、犬だって悲しさが表情から伝わります。生物の種さえ越える共通言語の表情の力は、すごいんです。 だから、うちの子たちには、とにかく表情豊かな人間に育ってほしい。楽しい時にはワハハと笑って、悲しい時にはワーンと泣ける子になってほしい。子どもが泣いている時は、「思い切り泣け」って言っていますね。 あとは「子どもを自分のコピーだと思うな」と、自分自身に言い聞かせています。同性の息子に対しては特に。 息子と自分をつい重ねて、「昔のオレみたいに本を読んでないのはどうしてだ」といらだったりします。けれど、彼には、彼の得意分野がある。実際、僕よりも息子の方が、数学的な才能は断然高い。我が子に過去の自分をトレースさせるのではなく、全く別の人格であることを自覚しないといけません。 それに、僕らの世代が生き抜いてきた時代の環境と、息子たちがこれから生き抜く環境は全然違います。変化のスピードは、これからますます加速するでしょう。だから親世代の成功体験を押し付けることは、参考になるどころか、リスクでしかありません。あるメディアで社会学者の古市憲寿さんが、「親の言うことは聞くな」と言っていましたが、強く同意しますね。 とにかく、「親の言うことを聞く子どもにだけはなってほしくない」、「自分の価値観で自分のことを決めて欲しい」とだけは、強く思います』、「世界の共通言語(プロトコル)は4つあると思っていて、1つ目は・・・英語。2つ目は数学。3つ目はプログラミング言語。そして4つ目が、意外に思うかもしれませんが“表情”」、4つ目に“表情”を挙げたのは、言われてみればその通りなのかも知れない。「「古市憲寿さんが、「親の言うことは聞くな」と言っていましたが、強く同意しますね」、私は子育て時代には、「聞かそう」と悪戦苦闘したが、今になっては同意したい。
・『毎週月曜は育児の日  改めて、入山先生の育児の実情について聞かせてください。普段、お子さんとどんな関わり方をなさっていますか。 入山:うちの場合、妻は開発援助関係の機関で働いていて、たまにアフリカに1週間出張することもあるほど多忙です。ですから子育ては、夫婦で協力しています。 とはいえ、僕も忙しくて、偉そうにちゃんと育児に携わっているとはとても言えません。そもそもこの連載の第1回の取材対象が僕でいいのか、という気すらします。けれど、比較的時間の調整が自由にできる学者という職業を生かして、毎週月曜日、まずこの日だけは1日中家にいて、「育児にコミットする」ようには決めています。それ以外にも、大学の仕事のない日はなるべく家にいるようにしています。 月曜は、朝、子どもを幼稚園や小学校に送り出し、家で仕事をしながら、少し家事もやりつつ、息子が小学校から帰ってきたら塾に送り、17時半に幼稚園に娘を迎えに行く。息子が塾に通いだすまでは、習い事のテニスに連れていっていました。月曜日は、妻は遅くなっても大丈夫なので、思い切り残業して帰ってくることもありますね。 夕食の定番は、焼きそば。近所の食品スーパー「マルエツプチ」で、お気に入りの「深蒸し焼きそば」を5〜6玉買って、大量の焼きそばを作ります。 以前はあらかじめ妻に作ってもらった料理を温め直していたこともあったのですが、自分で作っちゃった方が子どもたちも喜ぶので、ホットプレートを引っ張り出してジャジャーッと。ビール片手に豚こま肉を1kgくらい焼いて、つまみながら、次はキャベツ1玉分と麺6玉を投入。「できたぞー」と。大食いですよね(笑)。 入山:子どもたちが焼きそばを頬張る顔を見るのが好きなので、よく写真を撮ってSNSに上げていたら、親しくさせていただいているユニリーバ・ジャパン取締役の島田由香さんが、「うちの息子も食べに行かせたい」とコメントしてくれました(笑)。念のためですが、他のメニューも作りますよ。餃子もチャーハンも、カルボナーラも得意です。 僕はたまたま、自分でスケジュールを調整できる学者という職業だから、こういう日常を送れるわけです。ただこれからは働き方改革が進んで、企業に勤めるビジネスパーソンの勤務スタイルも自由度が高まれば、日本の育児の風景は変わると思いますよ』、「日本の育児の風景」は変わってもらいたいところだ。
・『育児は「夫婦を映す鏡」  「できていない」とおっしゃりながら、しっかり育児に関わっていますね。多忙な入山先生を育児に向かわせている原体験は何でしょう。 入山:育児は「夫婦を映す鏡」だと思っています。うちの場合も、夫婦の成り立ちが関係しているような気がしますね。 僕が妻の裕実と出会ったのは、三菱総合研究所を退職して、アメリカのピッツバーグ大学経営大学院に留学していた頃のこと。彼女も同じく、日本から留学していた同級生でした。彼女はもともと、みずほ銀行の総合職で、M&A(合併・買収)向け融資などを担当していたのですが、国際開発援助に関わりたい気持ちを捨てきれず、銀行を辞めて渡米していた。 出会って2年後に彼女は修士を取って、日本の別の援助機関に就職。ベトナムのハノイで1年間働いていました。その間、僕はアメリカで博士課程の学生でした。ハノイの任期を終えた後で、彼女は契約を延長する選択肢があったのに、僕と結婚するためにアメリカに戻ってきてくれた。 その後、結婚してすぐに彼女は妊娠。僕が33歳、裕実が31歳の時でした。 ピッツバーグで長男が生まれた後、僕がニューヨーク州立大学の助教授の職を得て、一緒にバッファローへ移りました。当時のバッファローは、“ど”がつくほどの田舎で、開発援助に関われる仕事はなく、彼女はたまにボランティアをする程度。基本的には、主婦業が中心の生活を送っていました。 バッファローに移った後に長女も授かり、頼れる親類もいない環境の中、とにかく必死で、夫婦で育児をしていた記憶があります。 子どもが小さい時期ならではの夫婦ゲンカはしょっちゅうでした。互いにストレスで爆発しそうになったことも数知れず。それでも何とかしなくちゃならないと、2人とも学習しながら、価値観をすり合わせていきました。お金もあまりない時代、遠い異国の地で、2人で育児に奮闘した経験は、今の生活の源流になっているのかもしれません。 2人の性格は正反対。僕は「超」のつくいい加減な性格で、元銀行員の妻からすると「あり得ない」とよく叱られます。大事なのは、こまめに「ありがとう」と言うことでしょうか。なんだかんだ言って日常の家事や育児のほとんどは、妻がやってくれていますから。でも「ありがとう」も何度も言っていると、相手も慣れて喜ばなくなるので難しいところです(笑)。 つい先日も、彼女から「風呂掃除が雑だ」とダメ出しされたばかりです。だったらと、洗剤を多めにつけて一生懸命シュッシュッとやっていたら、今度は「洗剤、使い過ぎ!」と。「そういうの、家事ハラって言うらしいぞ!」と反論しましたが、全く届いていませんね(笑)』、微笑ましいやり取りだ。
・『赤ん坊を抱っこしながら大学の試験監督も  Q:夫婦が完全に対等なパートナーなのですね。アメリカならではの育児の価値観に触れたことによる影響はありましたか。 入山:日本と違う育児風景を目の当たりにしたことが、僕の育児観に影響を与えた可能性はあると思います。 まず、地域コミュニティの交流が活発であったこと。これは精神的な支えになりました。米国では「parent dating」といって、親子セットでご近所付き合いをする機会が多くて、互いの家に遊びに行ったりすることも頻繁にあります。だから育児の生活が孤独になる感覚はあまりなくて、長男も楽しかったと記憶しているようです。 父親の育児参加も当たり前。ただしアメリカ人の中には、「育児をやっているように見せているだけ」という男性も意外と少なくない、と僕は感じましたけれど。田舎にいたからかもしれないけど、やはり女性の負担が大きい家庭は多いと思います。 一番大きな影響を受けたのは、「子どもは無条件に可愛くウェルカムな存在である」という姿勢を見せる地域社会の姿です。とにかく、ただ赤ん坊を連れて歩いているだけで、道端で見知らぬ人が笑顔で寄ってきて「Oh, she is adorable!(なんて可愛いの!)」「Cutie!」といったポジティブな言葉を浴びまくる。ほめられるとやっぱり嬉しくなりますよね。 そういえば少し前に、議員が職場に子連れで訪れたことが話題になっていましたが、僕もニューヨーク州立大学の教員時代には、どうしても奥さんの用事がはずせず、赤ん坊だった長女を抱っこしながら大学の試験監督を務めたことがありました。お咎めは全くありませんでしたし、学生たちも「可愛い!」という人はいても、文句を言う人はいませんでしたね。 そういえば、中国人も子どもを無条件に歓迎する傾向がありますよね。長い間、一人っ子政策を続けてきたという背景があるのかもしれませんが、興味深いのは、米国も中国も、まだ経済が伸びている二大大国が、子どもを尊重する国であるということです。 Q:子どもをポジティブに受け入れる。つまり未来志向の社会である、ということでしょうか? 入山:まさに未来に投資する姿勢の、潜在的な表れなのかもしれませんね。子どもは社会の共有財であるという概念が浸透しているから、個人や組織が子育てに積極的であることが歓迎され、評価される。それがますます子どもを大切に扱う循環につながっているのかもしれません。経済大国の共通項がキッズファーストであるというのは、興味深い指標ですね』、「経済大国の共通項がキッズファーストであるというのは、興味深い指標」、その通りだ。日本では、保育園が出来ると「子供の声が煩い」と反対運動が起きるという身勝手さとは「生反対」のようだ。
・『アメリカでも日本語をしっかりと教えていた  ご長男は6歳まで、ご長女は2歳までアメリカで育児されたわけですが、言語教育はどうしていましたか。 入山:僕も妻も、まずは日本語の能力をしっかりと備えさせたいという考えだったので、家庭内では日本語オンリー。日本語の絵本を読み聞かせるのも当時の僕の役割でした。 長男はあちらで「day care」と呼ばれる幼稚園のような場所に通っていたので、彼の周辺でコミュニティができ始めると、自然と英語にも慣れてきたようです。 子どもたちは2人ともアメリカで生まれたので米国の国籍も持っていて、ミドルネームも付けました。使う機会はほとんどないんですけれど、せっかくだからと思って(笑)。長男はオーランド。長男を可愛がってくれたアメリカ人夫妻につけてもらったんです。今のところ、「オーランド感」はゼロですが(笑)。長女のミドルネームはキランで、僕の恩師のインド系アメリカ人につけてもらいました。サンスクリット語で「太陽の光」という意味だそうです』、子供たちの英語力を帰国後にどう維持するかは、難しい問題だ。
・『妻にも、やりたいことに打ち込んでほしい  2013年に日本に戻って現職に。教育のことを考えて帰国を決断したのでしょうか。 入山:それも大いにあります。長男がちょうど小学校に入学するタイミングに合わせて仕事を調整して、家族全員で帰国しました。 ただ、僕が重視したのはどちらかというと、妻のキャリアでした。ハノイ時代、かなえられたはずの自分の目標を一旦諦めて、僕のキャリアを優先してくれた。そんな彼女に感謝していましたし、「できるだけ早く、彼女も思い切りやりたいことに打ち込んでほしい」と思っていました。  実は、夫婦ともグリーンカードを取得していたので、アメリカに永住する人生も選べたわけです。それでも東京の方が彼女が活躍しやすい場所を選べる、と判断しました。その少し前に僕の父が亡くなり、母が東京で一人暮らしになったこともあって、生まれ育った東京に戻りました。僕、東京が大好きなんで。(後編に続く)』、「夫婦ともグリーンカードを取得」というのは驚かされた。後編が楽しみだ。

次に、後編として、5月8日付け日経ビジネスオンライン「「育児とは、答えが見えない永遠の学習」 入山章栄准教授が明かす「僕の子育て」(後編)」を紹介しよう(Qは聞き手の質問)。
https://business.nikkei.com/atcl/skillup/16/030900024/050100002/
・『・・・Q:前編(「親の言うことを聞く子どもになってほしくない」では、普段の入山先生の育児の様子などをうかがいました。アメリカでの赴任経験を経て日本に帰国した後、お子さんが通う学校や幼稚園はどのような基準で選びましたか。 入山先生(以下、入山):すごく大事なテーマですよね。 アメリカでは、長男をモンテッソーリ教育の「day care」に一時期行かせてとても良かったので、日本でも子どもの好きなことを自由に伸ばしてくれる方針の学校や幼稚園に通わせたいと思っていました。 特に娘は、ちょうど幼稚園に入る年齢だったので、夫婦で家の近くの幼稚園を何カ所も回ってリサーチしました。娘を持っている父親なら分かると思うんですが、僕は本当に娘を溺愛しているので(笑)、足を運べるところにはできるだけ見学に行きました。 その時に妻が入手した情報が面白くて、「幼稚園の教育方針は、運動会を見れば分かる」と言うんです。なるほどと思って実際に見に行ったのですが、驚愕しました。かなり幼稚園で違いがあるのです。 中には、一糸乱れぬ統制で完璧に叩き込まれた組体操を運動会で披露するところもありました。これは価値観の違いなので、決してそういうところが悪いわけではないのですが、僕には違和感しかありませんでした。保護者たちから拍手をもらって満足そうなのは、それを指導している体育会系の男性教師だけだったような気がして、「それ、お前の自己満足だろ!?」と突っ込みたくなりました。 繰り返しますが、そういうところが悪いと言いたいわけではありません。ただ、やはり幼稚園は文科省下の“教育”をする組織ですから、規律が重視されるところが多いのかも、と思いました。僕も妻も幼稚園育ちだったので、何となく「保育園より幼稚園の方がいいんじゃないか」と思っていたのですが、その仮説が一気に揺らぎました。 絶望しかけた時、最後に見に行ったある幼稚園に救われたんです。ここは感動的なほどに“激ユル”だった(笑)。運動会の出し物は、大きな布の端を子どもたちが持って「せーの」で上げ下げするだけ。ぎちぎちに練習しなくてもできそうな演技です。 子どもたちは子どもらしく列を乱し、それぞれが伸びやかで、リラックスした表情をしている。運動会を終えて教室に戻る時、先生が一人ひとりを抱きしめていたのもいいなと思いました。 これは経営学の理論とも共通しているのですが、人が成長するには自己肯定感を高めることが重要だと僕は考えています。だから「ここにしよう!」と即決しました。妻も賛成で、こういう時に妻と価値観が揃っていたのは良かったですね。 今は妻も働いているので、その幼稚園で17時半までの預かり保育を利用しています。結果的には、娘を通わせる先としては素晴らしい幼稚園に出合えたので、とても満足しています。ただ「日本の幼稚園教育を変えないと、本当に優秀なビジネスパーソン・イノベーターは育たないのでは?」という仮説は持つようになりましたね』、「一糸乱れぬ統制で完璧に叩き込まれた組体操を運動会で披露するところもありました・・・保護者たちから拍手をもらって満足そうなのは、それを指導している体育会系の男性教師だけだったような気がして、「それ、お前の自己満足だろ!?」と突っ込みたくなりました」、私も同感で、そんな堅苦しい幼稚園は御免こうむりたい。
・『まずは幼児教育の現場を“カオス”に  Q:日本のビジネスの成長のために、幼稚園改革が必要だと。 入山:先日、ある方から、「幼稚園を出た子と保育園を出た子で、将来の活躍度を総合的に追跡すると、実は保育園出身者の方が活躍しているという結果が出た」と聞きました。 僕はこの研究の真偽は分からないのですが、もし仮にこの結果が確かなら、興味深いと思いますね。「幼稚園がダメで、保育園だからいい」という単純な問題ではなく、要はどんな環境を提供しているかという質の問題だと思うんですが、僕が考える決定的な違いは、「多様性」です。 一般的な保育園は、ひと言で言えば“カオス”。共働きで比較的裕福な家庭の子もいれば、厳しい家庭の子や、シングルペアレントの子もいたりして、バックグラウンドが実に多様です。 しかも、厚労省管轄の保育園は「教育の場ではない」から、基本的に先生たちに統一された教育方針が幼稚園よりはなくて、1日のカリキュラムもゆるくて自由時間が多い。いい意味で、子どもを“野放し”にしている環境とも言えます。 そこで何が起きるかというと、子どもたちのダイバーシティ・ソサエティが成り立つわけです。今まさに、日本の経営者が欲しているダイバーシティが、保育園には自然にある。様々な属性・タイプが入り混じるカオスの中で、子どもは自然と「異と交わるリーダーシップ」を獲得していくのではないでしょうか。 例えば、園庭で遊ぶ時間。ブランコで遊ぶ子、砂場で遊ぶ子とバラバラに散らばっている中で、「鬼ごっこしたい」と思ったら、複数の友だちを巻き込まないといけない。仲間を巻き込んで、やりたいことを実現していく。これは起業家の姿そのものですよね。 逆にリーダーではなく、フォロワーの資質を発揮する子どももいるかもしれない。この疑似体験を幼児期にしているかどうかが、実はものすごい差を生む可能性はあるかもしれない、と僕は思います。 だから、日本政府が本気で経済にイノベーションを起こしたいなら、「まずは幼児教育の現場を“カオス”にすることから始めよ」と言いたいですね』、私は3人の子供を幼稚園に行かせたが、「ダイバーシティが、保育園には自然にある」をもっと早く知っていれば保育園に行かせたのにと後悔した。
・『子どもたちを公立小学校に進ませたワケ  Q:早くからダイバーシティの経験をさせるのが、入山先生の育児ポリシーであるということですね。その娘さんも今春、小学校に入学しました。今後の教育プランは具体的に描いていますか。 入山:長女も、長男と同じ、自宅近くの公立小学校に入学しました。 小学校受験もちらっと考えなくもなかったのですが、夫婦とも忙しく働いている間に塾に通わせる余裕もなく、何もしないまま終わってしまいました。 ただ、先ほどと同じ理由で、様々なバックグラウンドを持つ子どもたちが通う公立小学校には、ダイバーシティ経験をさせられる価値があると思ってもいます。 逆に言えば、「小学校から一貫校に入れたから安心」と簡単に考えるのは、もしかしたらリスキーなのかもしれません。そういう私立の系列校は、同質性の高い環境になりがちかもしれないからです。そういった環境で長く過ごすと、いざ社会に出た時、異文化に対応できなくなっている可能性がある。 一貫教育を否定するつもりはありませんが、経営学的観点から見ると、これほど多様性が求められている時代に、同質性の高い人材を育てる教育に偏るのは、ますますイノベーションを遠ざけるんじゃないかと危惧しています。 「有名大学に入れるルートを確保すれば、将来の子どもの就職に有利になる」というロジックも、今後は怪しくなるはずです。大学全入時代と言われ、有名私立大も続々とOA入試を導入して、エントリーの間口を広げている。そんな中で、出身大学のブランド価値は薄れる一方でしょう。 実際、企業の人事担当者は、学生の大学名ではなく、高校名を見るようになったと言われています。学歴というのは「その人がいかに努力したかのシグナルになる」というのは経済学でよく言われることですが、「努力のシグナルとしての大学の名前」の価値が薄れてきているわけです。大学のブランドを獲得するだけの教育は過信しない方がいい。早稲田大学の教員をやっている僕が言うのも何ですが……。 ちなみに僕自身は、5~6歳の頃は、「右」と「左」の区別がつかないような子どもだったのですが、たまたま当てずっぽうの答えが当たって受験に受かり、学芸大附属の小学校に入学しました。その後、中学・高校と出て、一浪して慶応大学に入っています。妻は中学受験の経験者。教育の良し悪しは、結局は個人の経験からしか語れないのが難しいところですよね。 自分で納得できる人生を歩んでいたら、中学受験経験者は「中学受験がいい」と言いたくなるし、高校受験経験者は「いや、高校からでしょ」と考える。唯一の基準が自分の経験で、それ以外の経験とは結果を比較しようがありません。だから、夫婦間のすり合わせは結構、難しい。うちもまだ完全な結論は出ていません』、「一貫教育を否定するつもりはありませんが、経営学的観点から見ると、これほど多様性が求められている時代に、同質性の高い人材を育てる教育に偏るのは、ますますイノベーションを遠ざけるんじゃないかと危惧しています」、完全に同意する。
・『「総合的な判断力」を養うには?  Q:将来の海外経験についてはどうでしょうか。グローバル教育に関心はありますか。 入山:前向きに考えています。具体的には決めていませんが、いつか、家族一緒に海外で暮らす期間を少しでもつくれたらいいなと思っています。本当はパリに憧れるけれど、やはり子育てを考えるとアメリカですかね。 息子も、6歳まで過ごしたアメリカ生活を時々思い出すらしくて、「懐かしいな」と言ったりするんです。ただ子どもならではの順応力で、もうすっかり日本の暮らしに染まっていますね。今は「キュウレンジャー」(取材時に放送されていたテレビ朝日の戦隊ヒーロー番組)と「コロコロコミック」、スプラトゥーンとヒカキンのことしか考えていません(笑)。 Q:ほかに、日本の教育システムで気になっている点などはありますか。 入山:多様性に対応する教育を目指してほしいですね。同時に、縦割のセクショナリズムを取り払う必要もあるのでは、とも思っています。 例えば、科目別教育です。これはリスペクトしているニューヨーク州立大学ビンガムトン校教授の佐山先生がおっしゃっていたことなのですが、物事の原理原則を理解するのに、国語、算数、社会、理科……と科目を明確に分けるのは、実は不自然なことなのかもしれない。社会に出て意思決定する時には、頭の中ですべてをつなげた状態で思考しているはずですから。 文系・理系という分け方もナンセンスでしょう。理系出身者しかコンピュータサイエンティストになれないことは絶対になくて、自然言語の能力も問われるはずです。 世界で勝てるリーダーを育てるには、分野を自由に行き来する、総合的な判断力を培う教育を目指してほしい。それが僕の希望です』、「科目別教育」でなく横断的にやるとはいっても、子供たちに理解させるためには、かなり高度な教育方法が求められるのではなかろうか。
・『家族はいつも一緒にいよう  Q:夫婦で決める子育ての方針として、特に重視してきたことはありますか。 入山:「家族はいつも一緒にいよう」ということですね。これは夫婦の共有の価値観かもしれません。アメリカでも、日本でも、いつも4人で一緒に動いてきました。幸い僕の職業がそれを許した部分と、妻の寛容さが大きいですが。会社勤めだと単身赴任もやむをえない場合がありますよね。 長男はもう10歳になったので、いつまで一緒に絡んでくれるか分かりませんが、今でも寝る時は4人で川の字です。一緒の布団で寝るだけで、子どもたちがすごく嬉しそうなんです。 共働きだと、「関われる時間が少ないから充分に愛情をかけられない」と悩む人もいるようですが、僕はそうは思ません。むしろ時間に限りがある方が濃密な過ごし方ができるはずだし、「愛情は可能な限り注ぐ」というのは夫婦でずっとやってきたと思っています。 Q:では、子育てで迷いがちな点についていくつか教えてください。まずはお小遣いについて。 入山:お小遣い制はまだ導入していなくて、ほしいものがあれば申請を受け付ける感じです。でも、子どもたちにはそれほど物欲がないようで、「あれほしい」「これほしい」とはあまり言ってきませんね。今後そういう意思表示があったら、検討していこうと思っています』、なるほど。
・『ゲームをやりたいなら、無尽蔵にやっていい  Q:ゲームについては。 入山:ゲームに関しては、僕はちょっと妻と意見が違っています。 僕は「ゲームをやりたいなら、無尽蔵にやっていい」という考えなんです。ゲームに限らず、本人がやりたいと思うことは何でも、ということなんですけれどね。 これは、僕が母からしてもらったことがベースになっています。母はとにかく、僕の意志を尊重して自由にさせてくれた。高校時代、僕はハンドボール部に所属していて、高校3年の夏にインターハイ予選で負けた途端、燃え尽きて、しばらく学校に行かなくなったんです。別に学校が嫌いになったわけじゃなくて、単に気が抜けたんです。 朝起きたらゆっくりお風呂に入って、10時くらいからようやく学校に行く、みたいな。学校に行くふりをして、友だちと雀荘に入り浸ったことも多々あります。親には全部バレていたと思うんですが、でも何も言われなかったですね。 大学も、自宅から通っていましたが、ドラクエの新作が出ると、「お母さん、僕はこれから1週間くらい部屋から出ないから」と言って自室にこもってドラクエ三昧。そんな息子を、母は特にとがめずに放置してくれた。 僕は、親とはこういうものかと思っていたんですが、「いや、入山、それは普通じゃない」と周りから言われて、母の偉大さに気づいたわけです(笑)。 一事が万事、こんな調子で、僕が「これ、やってみたい」と意思表示したことに対して、母から否定されたことは一度ありませんでした。それって実は、すごく大事な気がしています。 僕は少なくとも、「こんなことをやってみたい」と自ら発したり、その通りに行動したりすることに抵抗がない大人に育った。そして他人に対しても、同じように受け入れることができるんです。 僕はたまに「入山さんが登壇するイベントはいい雰囲気で盛り上がる」と喜んでもらえることがあるのですが、もしそうだとしたら、それは僕が「何でもありですよ」という空気を醸し出しているからではないかと思います。 奥さんには僕のような経験がないので、結構細かく子どもに口を出したくなっちゃうようです。逆に僕は、息子が床にボーッと寝っ転がっているのを見ると、「いいぞ、いいぞ。いくらでも転がっとけ」と言いたくなります(笑)』、ここまでの自由放任主義は珍しいが、経営学の知見に裏付けられているだけに本物なのだろう。
・『育児は「答えが見えない永遠の学習」  Q:育児を円滑にするための工夫はほかにありますか。 入山:すごく助かっているのは、クルマで15分の距離に住んでいる母のサポートです。僕たちが甘え過ぎない、ほどよい距離を保つためにも同居はしていませんが、週に1回、多い時は2回、来てもらっています。妻が海外出張に行く時はもっとですね。 母はもともと家事が得意で、子どもたちもすっかり懐いている。高齢なので、体力と相談しつつではありますが、家族の中で「頼られている」ことが、母の健康寿命を延ばすのに一役買っているとも感じています。 僕が嬉しいのは、妻とうちの母の仲がいいこと。母が来てくれている日に、僕が遅くなって帰宅したら、2人でワイン片手にほろ酔いでしゃべっていたりして。 「お義母さん、いつもすみません」と言っている裕実に、母は「いいのよ。私は、子どもが生まれた後は家庭に入って働かなかったことを少し後悔しているから、あなたは思い切りやりなさいね」と。建前かもしれないけれど、奥さんと母がこういう会話をしているのは嬉しいじゃないですか。 何だかいいことばかり話していますが、実際には嵐のような衝突も経て、少しずつ学習して、やっとここまで来たという感じです。本当に「答えが見えない永遠の学習」の一言に尽きます』、子育てはどうも夫婦が置かれた環境によっても大きな影響を受け、「答えが見えない永遠の学習」なのだろう。

第三に、5月27日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した脳科学者・理学博士の茂木健一郎氏へのインタビュー「茂木健一郎氏が語る、なぜ本に囲まれた家庭で「頭のいい子」が育つのか」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/202512
・『近い将来、AIやロボットが多くの仕事を代替すると考えられている。そのときに人間に必要なのは、「AIにできない仕事をする」能力だ。脳科学者・茂木健一郎氏は、これからの時代には「自分の頭で考えられる力=地頭の良さ」が重要だと語る。氏の最新刊『本当に頭のいい子を育てる 世界標準の勉強法』から一部を抜粋して、自分の頭で考えられる力を育む「探究学習」を紹介する』、興味深そうだ。
・『小学生のエジソンは、先生を質問攻めにした  自分から進んで勉強や探究をする子に育てるには、親が教育に熱心であるよりも、むしろ「子どものことは見守りつつも野放し」である方が良いのです。 なぜかというと、親が教育熱心な場合は、親は本を読んだりインターネットを使ったり、知り合いからの情報を得ながら、集めた情報を子どもに教えたくなります。すると、つい「成績を上げるには〇〇をした方がいいよ」とか、あるいはもっと強い口調で「〇〇をしなさい」と指示を出してしまいがちです。 親から命令や指示を出されることに慣らされてしまった子どもは、やがて自分で考えて動けなくなってしまいます。親としては子どものためを思ってしていることが、かえって子どもから自主性や好奇心を奪い、親の顔色ばかりを窺う萎縮した子どもに育ってしまいます。 また、親から命令や指示ばかり出されている子は、何か疑問があってもすぐ親に聞いてしまい自分で調べなくなるか、疑問すら浮かばなくなることもあります。 子どもは本来、好奇心の塊で「なぜ?」「どうして?」が常に頭の中をかけめぐり、それが探究心へと繫がっていくものです。誰もが知っている偉大な発明家エジソンは、幼い頃から「なぜ、なぜ」と疑問を持つ好奇心旺盛な少年でした。 エジソンは小学校に上がっても、「なぜ、なぜ」がおさまらず、ときには先生を質問攻めにしました。そして学校の授業を妨害したという理由で、わずか3ヵ月で退学させられてしまいます。 そのため、元教師であった母親がエジソンに勉強を教えたという逸話が残されています。今でいう、ホームスクーリングというわけです。エジソンの母親は、エジソンの「なぜ?」に対して、できる限り丁寧に説明したと聞きます。また、自分がわからないところは、エジソンと一緒になって調べたとか。エジソンの母親は、「なぜ?」をとても重要視したということです。 繰り返しますが、子どもの「なぜ?」は子どもの探究心を刺激し、子どもの可能性を引き出してくれます。それは「なぜ?」という疑問の答えを見つけることが、子ども自身の考える力を養い、探究心を伸ばすことに繫がるからです。 さて、先ほど僕は「親に聞くよりも、自分で調べる子になろう」といいましたが、エジソンが母親に勉強を教わっていたくらい小さいうちは、親に教えてもらってもいいでしょう。ただし、エジソンの母親は元教師でしたから、普通の親とは違って親というより先生という感じだったと思いますが。 しかも、教師である母親さえもわからないことは一緒になって調べたわけですから、この時点でも2人の関係は、教える者と教えられる者という関係というよりは、同志に近かったかもしれません。やがてエジソンは科学に興味を持つようになり、母親が教えられない化学や物理学の知識は、図書館に通って独学で学びました。こうしてエジソンは、疑問を持ったら、自分で調べ学べる子どもへと変わっていったのです』、「エジソンは小学校に上がっても、「なぜ、なぜ」がおさまらず、ときには先生を質問攻めにしました。そして学校の授業を妨害したという理由で、わずか3ヵ月で退学させられてしまいます。 そのため、元教師であった母親がエジソンに勉強を教えた」、エジソンの母親は本当に立派な人物だったようだ。
・『子どもが自主的に動くように「誘導」する  子どもが小さいうちは、子どもが質問してきたら、一緒になって調べましょう。こうすることで、子どもは親に頼るばかりでなく、自分で考えることを学びます。そうなれば、しめたもので、子どもはやがて自分で興味を持ったテーマを、自ら学び始めます。そして、自分で決めたことをやり遂げたときには、ドーパミン・サイクルがまわり、達成感や喜びを感じることができます。 親や先生にいわれて「やらされている」と思ってやるのか、自分の課題として「やりたいからやる」のかは、全然違います。「やりたいからやる」のであれば、勉強も探究も苦痛ではなくなり、むしろ楽しみに変わるでしょう。そうなれば、親が口うるさくいわなくても、自分から進んで勉強する子になります。 とはいえ、そう簡単にはいかないのでは、と考えている親御さんも多いのではないでしょうか。とっておきの方法があります。 子ども自身に「どうする?」と問いかけて、自分で決めさせるのです。勉強してほしかったら、「勉強しなさい!」ではなく、「今日の宿題は何?」「今日は何から始めるの?」と、子どもから動くように「誘導」してあげましょう。 人は他者に命令されると、やる気を失う生き物です。ですから、それとは逆に「自分で決めたんだ」という自覚を持たせることで、やる気はアップします』、最後の部分は、その通りなのだろうが、「子どもから動くように「誘導」」するには、親にも心の余裕が必要で、簡単に出来る技ではなさそうだ。
・『16歳の時点で家に本が何冊あったかが、学力を決める  僕は子どもの頃、親から「勉強しなさい」といわれたことは一度もありません。「塾に行きなさい」ともいわれませんでした。ですから、僕は自主的に勉強はしたけれど、塾に通ったことも、家庭教師についたこともありません。 僕の両親の教育方針は、徹底的に子どもの自主性に任せるというものでした。ただ、前述したように、蝶好きな少年だった僕を日本鱗翅学会へ連れていってくれるなど、僕が興味を持っていることに対しては、力を尽くしてくれました。 また、家には父親のコレクションとしてクラシックのレコードとたくさんの本がありました。僕は幼い頃、父に隠れて父のレコードを聴き、本を読みました。その経験が、今の僕をつくったと思っています。 さて、僕が育った家庭環境、とくに父親の蔵書に関連しているな、と感じた面白い学術論文が発表されたので紹介したいと思います。 2018年秋、学術誌『ソーシャル・サイエンス・リサーチ』に、本にまつわる興味深い調査結果が発表されました。オーストラリア国立大学と米ネバダ大学の研究者たちが行なった調査です。彼らは、2011年から2015年に、31の国と地域で、25~65歳の16万人を対象にして行なわれた「国際成人力調査」のデータを分析しました。 その結果、「16歳の時点で家に紙の本が何冊あったかが、大人になってからの読み書き能力、数学の基礎知識、ITスキルの高さに比例する」ことがわかりました。そしてデータを分析した研究者たちは、「子どもの頃に自宅で紙の本に触れることで、一生ものの認知能力を高めることができる」といっています。 調査では、16歳のときに自宅に何冊本があったか、被験者に質問し、その後、読み書き能力、数学、情報通信技術のテストを受けてもらったといいます。すると、本がほぼない家庭で育った人の場合、読み書きや数学の能力が平均よりも低かったのです。自宅に本が多くあった人ほどテストの結果は良く、自宅に本が80冊ほどあった場合、テストが平均的な点数になりました。とはいえ350冊以上になると、本の数とテスト結果が比例するという傾向は見られなくなったということでした』、私の子供時代はまだ家にテレビがなかったので、大人用の本を理解も出来ないのに、乱読した記憶がある。しかし、私の子供たちは、テレビやゲームの虜になって、本は殆ど読んでなかったようだ。
・『大切なのは、本を「たくさん読む」ことではない  さらに、本に囲まれて育った中卒の人と、本がない環境で育った大卒の人はほぼ同じ学力だということもわかりました。調査によると、最終学歴が中学卒業程度であっても、たくさんの本に囲まれて育った人は、大人になってからの読み書き能力、数学、IT能力が、本がほぼない家庭で育った大卒の人と同程度(どちらも全体の平均程度)だということです。このことから、研究者たちは読み書きや数学の基礎知識において、子どもの頃に本に触れることは、教育的な利点が多いと述べています(『ニューズウィーク』日本版2018年10月18日記事)。 この調査結果の面白いところは、自宅に本が多いことで鍛えられると予想される読み書き能力だけでなく、数学の能力も強化することがわかったことです。これは「子どものときに本を読めば大人になって読み書きが得意になる」という単純な話ではないということでしょう。 また、自宅の本を読んでも読まなくても、効果は変わらなかったそうです。つまり「本をたくさん読めば学力が上がる」という単純な話ではなく、大切なのは「子どもたちが、親や他の人たちが本に囲まれている様子を目にすること」だと研究者たちは結論づけています。 よく「子どもは、親の背中を見て育つ」といいますが、家に本がたくさんあること、それ自体が「親の背中」なのだと思います。子どもにとっての「普通」は、常に自分の家庭が基準になっています。親が普段から本を読んでいたり、勉強をしたりしている姿を目にして育った子であれば、「どこの家庭でも、大人とは勉強しているものなのだ」と思います。反対に、親がテレビばかり観ている家庭の子は、それが大人のスタンダードだと感じるでしょう。 家に本がたくさんあれば、たとえ子どもがそれを読まなくても、子どもはそれが大人の姿なのだと思い、自ら勉強する子になります。 そのためにも、親は本を揃えたり、自らが勉強する姿を見せたりするなど、まずは自分が手本となる意識を持つことも必要でしょう』、「積読」にも教育的効果があるとは初めて知ったが、もう時すでに遅しだ。
タグ:子育て 日経ビジネスオンライン ダイヤモンド・オンライン (「親の言うことを聞く子どもになってほしくない」 入山章栄准教授が明かした「僕の子育て」論(前編)、「育児とは、答えが見えない永遠の学習」 入山章栄准教授が明かす「僕の子育て」(後編)、茂木健一郎氏が語る なぜ本に囲まれた家庭で「頭のいい子」が育つのか) 「「親の言うことを聞く子どもになってほしくない」 入山章栄准教授が明かした「僕の子育て」論(前編)」 「オトコが育児に参加するのが当たり前」の時代に変わりつつある 組織と子ども、この2つを育てるのに共通しているのは「自己肯定感を高めることの重要性」ではないか 明橋大二さんの『子育てハッピーアドバイス』 子どものありのままの感情を受け入れて存在を尊重する考え 、経営と育児の決定的な違いもあります。それは育児に“答え”がないことでしょう 育児の場合、まず「何をもって成功とするか」というにも答えすらありません 本人が死ぬ瞬間まで分からない。そして、子どもが天寿を全うして死ぬ瞬間に、親が立ち会う確率は極めて低い 育児に正解はないし、あったとしても立ち会えない わが子には、とにかく表情豊かに育ってほしい 世界の共通言語(プロトコル)は4つある 1つ目は現時点で世界最大の自然言語の共通語である英語。2つ目は数学。3つ目はプログラミング言語。そして4つ目が、意外に思うかもしれませんが“表情”です 古市憲寿さんが、「親の言うことは聞くな」 これからは働き方改革が進んで、企業に勤めるビジネスパーソンの勤務スタイルも自由度が高まれば、日本の育児の風景は変わると思いますよ 育児は「夫婦を映す鏡」 赤ん坊を抱っこしながら大学の試験監督も 経済大国の共通項がキッズファーストである 「「育児とは、答えが見えない永遠の学習」 入山章栄准教授が明かす「僕の子育て」(後編)」 日本でも子どもの好きなことを自由に伸ばしてくれる方針の学校や幼稚園に通わせたいと思っていました 一糸乱れぬ統制で完璧に叩き込まれた組体操を運動会で披露するところもありました 保護者たちから拍手をもらって満足そうなのは、それを指導している体育会系の男性教師だけだったような気がして、「それ、お前の自己満足だろ!?」と突っ込みたくなりました ある幼稚園に救われたんです。ここは感動的なほどに“激ユル”だった 日本の幼稚園教育を変えないと、本当に優秀なビジネスパーソン・イノベーターは育たないのでは?」という仮説は持つようになりましたね まずは幼児教育の現場を“カオス”に 一般的な保育園は、ひと言で言えば“カオス”。共働きで比較的裕福な家庭の子もいれば、厳しい家庭の子や、シングルペアレントの子もいたりして、バックグラウンドが実に多様です。 しかも、厚労省管轄の保育園は「教育の場ではない」から、基本的に先生たちに統一された教育方針が幼稚園よりはなくて、1日のカリキュラムもゆるくて自由時間が多い。いい意味で、子どもを“野放し”にしている環境 子どもたちのダイバーシティ・ソサエティが成り立つわけです。今まさに、日本の経営者が欲しているダイバーシティが、保育園には自然にある。様々な属性・タイプが入り混じるカオスの中で、子どもは自然と「異と交わるリーダーシップ」を獲得していくのではないでしょうか 子どもたちを公立小学校に進ませたワケ 一貫教育を否定するつもりはありませんが、経営学的観点から見ると、これほど多様性が求められている時代に、同質性の高い人材を育てる教育に偏るのは、ますますイノベーションを遠ざけるんじゃないかと危惧しています 多様性に対応する教育を目指してほしいですね。同時に、縦割のセクショナリズムを取り払う必要もある 科目別教育 ゲームをやりたいなら、無尽蔵にやっていい 育児は「答えが見えない永遠の学習」 「茂木健一郎氏が語る、なぜ本に囲まれた家庭で「頭のいい子」が育つのか」 小学生のエジソンは、先生を質問攻めにした 子どもが自主的に動くように「誘導」する 人は他者に命令されると、やる気を失う生き物です。ですから、それとは逆に「自分で決めたんだ」という自覚を持たせることで、やる気はアップします 16歳の時点で家に本が何冊あったかが、学力を決める 親が普段から本を読んでいたり、勉強をしたりしている姿を目にして育った子であれば、「どこの家庭でも、大人とは勉強しているものなのだ」と思います。反対に、親がテレビばかり観ている家庭の子は、それが大人のスタンダードだと感じるでしょう。 家に本がたくさんあれば、たとえ子どもがそれを読まなくても、子どもはそれが大人の姿なのだと思い、自ら勉強する子になります 親は本を揃えたり、自らが勉強する姿を見せたりするなど、まずは自分が手本となる意識を持つことも必要でしょう
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