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無差別殺人事件(その1)(「一人で死ね」でなく 「巻き込むな、でもお前も死ぬな」と言いたい【川崎事件】排除のない社会に向けて、「一人で死ねばいい」論争の不毛さと不条理な社会) [社会]

今日は、無差別殺人事件(その1)(「一人で死ね」でなく 「巻き込むな、でもお前も死ぬな」と言いたい【川崎事件】排除のない社会に向けて、「一人で死ねばいい」論争の不毛さと不条理な社会)を取上げよう。

先ずは、筑波大学教授(臨床心理学・犯罪心理学)の原田 隆之氏が6月4日付け現代ビジネスに寄稿した「「一人で死ね」でなく、「巻き込むな、でもお前も死ぬな」と言いたい【川崎事件】排除のない社会に向けて」を紹介しよう。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/64993
・『「巻き込むな、一人で死ね」  5月28日に神奈川県川崎市で起きた無差別殺傷事件は、小学生の子どもを中心に20人が死傷する大惨事となった。凶行の直後に、容疑者も首を切って自殺し、事件は拡大自殺の様相を呈した。 それに対し、テレビやネット上では、「子どもを巻き込むな、死にたいなら一人で死ね」という意見があふれた。 落語家の立川志らくは、テレビで「一人の頭のおかしい人が出てきて、死にたいなら一人で死んでくれよって、そういう人は。何で弱い子供のところに飛び込んでんだって。信じられないですね」と発言した。 その発言には賛否両論が沸き起こったが、彼は反論に対して「普通の人間の感情だ」「なぜ悪魔の立場に立って考えないといけないんだ?」とツイートした。 ネット上でも、賛否両論あるなかで、志らくのように「一人で勝手に死ね」「死ぬなら迷惑かけずに死ね」などの意見のほうが相当多いように見受けられた』、どうせ自殺するなら世間を巻き込んでという「拡大自殺」には、「一人で勝手に死ね」「死ぬなら迷惑かけずに死ね」という意見が溢れたのは、純粋な怒りの反応なのだろうが、犯人と同じような状況にある人々への影響も考慮すべきだろう。
・『「一人で死ぬべき」という非難は控えてほしい  一方、それに真っ向から対立する声も上がった。 NPOほっとプラス代表理事の藤田孝典氏は、「死にたいなら一人で死ぬべきという非難は控えてほしい」とネットニュースに投稿した。 ついで、「死ぬべき人間がいるかのような暴力的な言葉は社会への絶望感や分断を招きます。次の凶行を生まないために(自身の投稿内容を)お読みいだだけたらと思います」とも述べた。 テレビ朝日の玉川徹氏は、藤田氏に共感を寄せ、影響力の大きなテレビで「死ね」という感情を露わにした言葉を発することを疑問視し、志らくの発言を批判した。 また、評論家の古谷経衡氏は、藤田氏への反論を展開し、「この人の意見に私は絶対反対です。『死にたいのなら一人で死ぬべき』は正論です」とツイートした。 さらに、藤田氏と古谷氏は、テレビ番組でも意見を交わしていたが、あまりかみ合っていない印象を受けた』、論争の論点を整理することは大いに意味がある。
・『論争を受けて思うこと  二人がかみ合っていなかったのは、どちらも部分的に正しく、しかもどちらも言葉足らずだったからではないかと思う。 また、ネット上でもテレビでも、意見が対立したままであるのも同じ理由からであるように思える。 まず、「巻き込むな、死にたいなら一人で死ね」という言葉を、私は前半と後半で分けるべきだと思う。これを一連の言葉として、全体で賛成反対を言うから、意見がかみ合わなくなるのだ。 前半の「巻き込むな」については、誰もが賛成であろうし、おそらく藤田氏も賛成なのではないだろうか。そしてこれは、古谷氏の言葉を借りれば「正論」である。 しかし、後半の「死にたいなら一人で死ね」というのは、「正論」ではなく「感情論」だ。藤田氏は、前半と後半を区別せずにざっくりとまとめて、「控えてほしい」と主張している。 しかし、まず「巻き込むな」の部分をきちんと押さえて、それに対する意見を明確にしたうえで、後半部分への問題提起をするべきであった。 それをせずに、前半も含めてすべて「控えてほしい」と言っているように受け取られたため、大きな反論が巻き起こったのではないだろうか。 記事には、危機意識から緊急に配信した旨が記載されているが、急ぐあまりに勇み足になってしまったように思う』、藤田氏の主張を誰もが賛成な前半と、「感情論」に過ぎない後半に分けたのは、さすがに鮮やかだ。
・『「巻き込むな、でもお前も死ぬな」  私が提案したいのは、藤田氏の意見でも、それに反対する多数の人の意見でもない。それは、「巻き込むな、でもお前も死ぬな」という言葉である。 もちろん、自殺をするときに、無辜の多くの人々を巻き込むようなことは言語道断である。今回の事件も憎むべき凶行であることは間違いない。不幸な境遇にあったのかもしれないが、だからと言ってそれは何の言い訳にもならない。 ここでもう1つ、藤田氏とそれに反対する人々の多くがかみ合っていないことがある。 それは、藤田氏は本件の容疑者ではなく、彼と同様に社会的に孤立し、絶望している人々に向けた言葉として、「巻き込むな、一人で死ね」という言葉をとらえている。 それに対し、藤田氏に反論している人々は、この憎むべき事件の容疑者に宛てた言葉として想定している。 これは大事なポイントであり、この違いを認識していないと議論がかみ合わないのは当然である。 容疑者への憎しみのあまり、どんな強い言葉を投げかけようとしても、残念ながら、当人は既に多くの人を巻き込んだうえで、死んでしまったのだから、何を言っても届かない。 事件に対して行き場のない大きな憤りを抱いているのは、皆同じだ。だからと言って、「一人で死ね」という言葉を投げかけても、それは空しく響くだけだ。 容疑者にはもうこの罵倒は届かないが、もしかすると、孤立し、疎外感を抱き、途方に暮れて、死を選ぼうとしている人が耳にするかもしれない。 だとすると、既に死んでしまった容疑者に向けてではなく、藤田氏が想定しているように、孤立のなかで、死んでしまいたいと思っている人に向けての言葉として考えてはどうだろうか。 そのときわれわれは、「巻き込むな」と言ってもよいだろうが、「死ぬなら勝手に一人で死ね」と言うべきだろうか。 やはり、「巻き込むな、でもお前も死ぬな」という言葉をかけるべきではないだろうか』、「「巻き込むな、でもお前も死ぬな」というのは絶妙な表現だ。
・『排除のない社会へ  藤田氏が言いたかったことは、孤立した人々をこれ以上追い込むような言葉を控えようということである。それには私も全面的に賛成する。 しかし、追い込むことがさらなる凶行を生むというのは、少し論理の飛躍がある。 凶行を生むからやめようではなく、孤立した人をさらなる孤立へと追いやったり、社会から排除して切り捨てるようなことをやめようというだけでよいのではないだろうか。 彼らは犯罪予備軍でもないし、追い詰められたからといって誰もが犯罪に赴くわけではない。 犯罪予備軍から社会を守るというためではなく、寛容な社会をつくり、さまざまな人を切り捨てずに受け入れる社会をつくるために、「一人で勝手に死ね」などという言葉は控えて、その代わり「死ぬな」という言葉を届けよう。それこそを目的とすべきだと思う。 それはもちろん、犯罪のない社会をつくることにもどこかでつながっていくはずである』、新自由主義的風潮のなかで自己責任論ばかりが強調され、弱者の「排除」傾向が強まっているのは、嘆かわしいことだ。原田氏の説得力ある主張には全面的に賛成したい。

次に、健康社会学者(Ph.D.)の河合 薫氏が6月4日付け日経ビジネスオンラインに寄稿した「「一人で死ねばいい」論争の不毛さと不条理な社会」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00118/00026/?P=1
・『今回は「個人と社会」について考えてみる。 川崎市多摩区の路上で登校中の児童や保護者らが刃物を持った男に襲われ、2人の大切な命が不条理に奪われた事件で、犯人に対するコメントが物議をかもしている。 「死ぬなら一人で死ねばいい」「死ぬのに人を巻き込むな」といった言葉が、テレビのコメンテーターから、あるいはSNS上で、飛び交ったことに対し、「次の凶行を生まないために、こういった言説をネット上で流布しないでほしい。こういった事件の背後には『社会に対する恨み』を募らせている人がいる場合が多いので、辛いことがあれば、社会は手を差し伸べるし何かしらできることはあるというメッセージが必要」と、貧困などの問題に関わるNPO法人の代表の男性が投稿したのだ。 男性の呼びかけに賛同する人がいた一方で、ネット上では「遺族の気持ちを考えろ!」と激しい批判と反発があふれる事態となった。詳しくはテレビのワイドショーでも取り上げられたり、多くの識者たちがコメントを発信したりしているのでご存じの方も多いと思う。 個人的には私は全く関係ない子供や大人たちを残酷な目に遭わせた犯人に激しく憤っており、今、この時点で「次の凶行を生まないためのメッセージ」を出す気持ちにはなれない。これは他のメディアでもコメントしている通りである。 亡くなった方、傷つけられた方、その家族の方たちの心情をおもんぱかると、とてもじゃないけど、「次の……」とは思えない。この議論がセンセーショナルに取り上げられることで、苦しむ被害者の関係者もいるのではないか。そう思えてならないのである』、「この議論がセンセーショナルに取り上げられることで、苦しむ被害者の関係者もいるのではないか」との立場で、NPO法人代表の投稿に賛成できないとの河合氏の主張は理解できるが、上記の原田氏流の「巻き込むな、でもお前も死ぬな」であればどうだろうか。
・『ただ、以前、私が刑務所を訪問したときに抱いた「気持ち」や、刑務官の人たちから聞いた言葉。さらには「人は環境で変わる」という自分が大切にしている信条から、「無差別殺人」を理解不可能なものとして捉えるのではなく、犯罪に駆り立てる社会背景を紐解き、社会空間に不可避な不条理を理解しようとすることは極めて重要だと考えている。 その場合に「どんなデータ」を用いるか、そのデータを「いかに読み解くか」が極めて重要になる。ステレオタイプ的に「無差別殺人を起こす人=孤独」だの、「仕事もせず引きこもり傾向にある=社会への恨みを募らせている」だのと直接的に捉えるのはいささか危険だし、そうあってはならない。 そもそも犯行が生まれる背景や犯人の心情を分析するのは、どんな叡智が集結したところで完全には無理。人の心は極めて複雑で、多面的なのだ。 例えば、2008年に起きた「秋葉原通り魔事件」では、白昼の繁華街で起きたことから、誰もが「自分がそこに居合わせた可能性」に震え、日本中が恐怖に包まれた一方で、世間やマスコミの関心は、単に男の「派遣社員」という立場に集まり、負け組、社会的孤立、学歴、容姿への自己評価にスポットを当て、男は「誰かに認められたい」という欲望が満たされずに犯行に至ったのではないか、という議論を展開した。 リーマン・ショックで派遣切りが社会問題化していたことも重なり、「氷河期世代のテロ」と呼ぶ識者もいた』、「犯罪に駆り立てる社会背景を紐解き、社会空間に不可避な不条理を理解しようとすることは極めて重要だ」、一般論はその通りだが、河合氏はどう分析するのだろう。
・『社会構造と事件の関係性が分析された永山事件  社会学的には、秋葉原通り魔事件は1968年の「永山則夫連続射殺事件」と重ねて論じられてきた経緯がある。 永山事件は、犯行当時19歳だった永山則夫が(1990年に死刑確定、97年に少年死刑囚として死刑執行)が、アメリカ海軍横須賀基地に侵入し拳銃を盗み、東京プリンスホテルで警備員を殺害したことを発端に、逃亡しながら京都、函館、名古屋で3人を拳銃で射殺した連続殺人事件だ。 永山は高度成長期に地方から「安価な労働力」として上京した金の卵の一人で、幼少期は極貧状況で育ち、中学もろくに通えていなかった。永山と似たように「地方から夢」を抱き、不安定な労働環境に投げ込まれた少年たちが多くいたことで、犯人への社会的関心は極めて高かった。 一方、永山自身は刑務所で独学で字を覚え、71年に手記『無知の涙』を出版する。 その内容に共鳴したのが、社会学者で東京大学名誉教授の見田宗介先生。子供時代貧しかった見田先生は、学生時代に周りからあからさまに差別された経験があった。 そこで手記に書かれている内容と事件当時の統計データから、若者たちを取り巻く社会構造や社会と個人の関係性を分析し、「人を出自などで差別する都市のまなざし」を描いた『まなざしの地獄』(1973年)と題された論文を雑誌「展望」に投稿したのである(2008年に書籍化)。 この論文は大量殺人を社会的に描いた極めて良質な指南書として、時代を経て読み継がれ、秋葉原事件のときに広く引用された。 その理由が、どちらの事件の犯人も、その時代の「働かせ方」の象徴的存在だったからに他ならない。 永山は「金の卵」、加藤は「契約社員」。それらは時代を象徴する新しい存在でありながら、極めて不安定で、その属性は「身分格差」のように扱われた。そこで見田先生の『まなざしの地獄』を引用することで、秋葉原連続殺人を生んだ社会的文脈の「共通点と差異」を見いだそうとしたのである。 が、これらの社会的分析は、結果的に犯罪の社会的分析の難しさを露呈させることになる』、どういうことなのだろう。
・『当事者たちが有識者の論考を否定  奇しくもどちらの事件も、当事者自身が書籍を出版し、社会学者たちによる「自分が犯行に至る心情」の分析や論考を否定。 永山は『反―寺山修司論』の中で、見田先生をはじめとする識者の自分に対する「理解の間違い」を論じ、秋葉原通り魔事件の加藤智大も著書の中で、「有識者に騙されるな」と専門家たちの自分に関する分析や論考を全面的に否定したのだ。 「それって、人からあれこれ言われるから反骨的に批判したんじゃないのか?」 ふむ。そういう考え方もあるかもしれない。 だが、私は犯罪者の心理を社会との関係から捉えることに関して見田先生が、「平均値としてではなく、一つの極限値において代表して体現している」と指摘した通り、犯罪者の心理を「社会の窓」から分析する作業の意義は、社会への警告だと考えている。 つまり、それは『まなざしの地獄』というタイトルが示すように、社会構造の中で無意識に社会に生まれる「私たちのまなざし」への警告だと、私は理解しているのだ』、「当事者たちが有識者の論考を否定」しても、「犯罪者の心理を「社会の窓」から分析する作業の意義は、社会への警告」というのはその通りなのかも知れない。
・『こういった前提を踏まえ、紹介したい研究がある。タイトルは「無差別殺傷事犯に関する研究」。法務省が2013年に公表した論考である。 この研究では、2000年~10年までの間に判決が確定した無差別殺傷事件で、刑事施設に入所した52人の属性、犯行内容、動機、犯行の背景などの実態を調査し、無差別殺傷事犯の実態を明らかにしている。目的は繰り返される無差別殺傷事件の効果的な防止策と、適正な処遇を図るための基礎的資料の提供だ。 本研究では無差別殺傷事件を、「分かりにくい動機に基づき、それまでに殺意を抱くような対立・敵対関係が全くなかった被害者に対して、殺意をもって危害を加えた事件」と定義し、刑事事件記録、刑事施設の記録、保護観察所の記録などに基づき分析した結果、次のようなことが浮かび上がった。 【犯人の基本属性および生活状況】 +多くは男性であり、年齢層は一般殺人と比べると低く、高齢者は少ない +就労経験があっても長続きせず、犯行時には無職や非正規雇用等の不安定な就労状況にある者がほとんど +収入は少なく、住所不定だったり、社会福祉施設に居住するなど安定した住居がない者が多い 【人間関係】+年齢層が低い者は親と同居している者が多いが、 それ以外は単身で生活し、配偶者等と円満な家庭生活を送っている者は少ない +犯行時に異性の交際相手がいる者はほとんどいない +犯行時に友人がいなかったり、交友関係が希薄、 険悪である者が多数 +学校や職場に在籍していた時点から、友人関係を築くことができなかった者が多い 【犯行に至るまでの状況】+犯行前に自殺を図った経験がある者が4割超と多く、引きこもりも2割 +犯行を相当前から決意していた者は少ないものの、犯行時にいきなり思い立ったものではなく、その前から犯行を決意した計画的犯行が多い +犯行時にいらいらなどの精神的な不調、不安定な状態にあった者が多い。 +犯行前に、医師等に犯行に関する内的衝動を相談していた者も一定の割合いた +過去の無差別殺傷事件を明確に模倣して犯行を行った者は少なく、マスコミ報道によるアピー ルを明確に意図していた者も少なかった また、無差別殺傷事犯者の約半数に前科があり、特徴的な点として放火の前科を有する者の比率が一般殺人に比べて高い。他方、犯行時に不良集団に所属している者は少なかった。被害者については、女性、子供、高齢者などの弱者を攻撃対象として選定する場合が多いことも明かされている。 さらに、犯人のインタビューなどを通じ、 +誰からも相手にされないという対人的孤立感 +誰にも必要とされていないという対人的疎外感 +失職したことを契機とする将来への不安 +生活に行き詰まり、生きる気力を失った絶望感 +努力しても何も報われないという諦め +職場でのいじめやストレスへの怒り +守るもの、失うもの、居場所が何もないという孤独感や虚無感 +自分だけがみじめな思いをしてきたのに周りがぬくぬくと生きているという怒り +失職や交際相手との復縁がかなわず何事も自分の思惑通りに行かないという憤り といった不満や閉塞感などが共通して認められた、とまとめている』、「法務省」も時にはいい分析を行うものだ。
・『……さて、いかがだろうか。 これらは法務省も「サンプルが限られている」として調査の限界を示している通り、あくまでも過去に無差別殺人を犯した52人を分析したものでしかない。 それでも結果からは、「働いて賃金を得る」ということ、「人と共に生活する」ということ、「安定した住居がある」という、「基本的な生活経験の欠損」が人の心にネガティブな影響を及ぼすと読み解くことが十分に可能だ。 さらに、「人間関係の希薄さ」がある一定のパターンとして認められていることは、特筆すべき事項である。 社会的動物である私たちは他者と協働することで、生き残ってきた。私たちのカラダの奥底には他者とつながらないと安心が得られないことが刻まれているといっても過言ではない。 それは、自分が生き残るためには他者から「コイツと力を合わせたい!」とみなされる必要があるという性質を生み、そのためヒトは「他者にどう評価されるか?」を気にするようになった。 その「他者からのまなざし」が、孤立感や疎外感、諦め、怒り、虚無感をかき立てるのだ』、「「他者からのまなざし」が、孤立感や疎外感、諦め、怒り、虚無感をかき立てるのだ」、人間とはやっかいな生き物のようだ。
・『孤独担当大臣のポストを置いたイギリス  繰り返すが、「他者のまなざし」は「私のまなざし」である。 不条理な事件を一つでも減らすために私たちができることがあるとすれば、その「まなざし」を自覚し、戒めること。感情が極限状態になればなるほど、人は言葉よりまなざしに反応する。 2018年1月にイギリスで、孤独担当大臣という日本ではあまり聞きなれない大臣ポストが設置され、孤独の問題に対して本格的に取り組むことが政府により表明された。 イギリスでは、約900万人の成人が孤独に苦しんでいると推定され、子を持つ親の24%が常に孤独を感じ、10代の子供の62.2%、75歳以上の3人に1人が、「時々孤独を感じる」とされている。 孤独問題の本質は、それが「声にならない声」だということ。実際イギリスで行われた調査では、孤独を感じている人の3分の2が「孤独と感じている」ことを公にしたことはなかった。また、本人が孤独を自覚できていないケースも散在した。 そもそも孤独(loneliness)とは、あくまでも主観的な感情のことであって、外部から観察可能な孤立(isolation)とは区別されている。 そこでイギリスが現在徹底して行っているのが、さまざまな観点から孤独の問題を「指標化」する作業だ。 具体的には「孤独を直接的に測る尺度」(例:あなたはどのくらいの頻度で孤独を感じますか?)と「間接的に測る尺度」(例:私には自分の問題を相談できる人がいる。とても信頼できる人が大勢いる)が検討されていて、これをもとに今後介入研究を行い、具体的な政策課題を進めることになる。 孤独の指標化は「自分が孤独である」ことを認識することにも多いに役立つはずだ。 私は孤独へのアプローチは不条理な殺人事件などを減らすためにも極めて重要な取り組みだと考えている。 イギリスで孤独問題が悪化しているのは、社会福祉のサービスが削減され、母子家庭への支援の削減や、児童や若者が集う「ユースセンター」の閉鎖によるとの指摘がある。それを踏まえて「生活基盤の不十分さという問題を解決せずに孤独問題を解決できると思っているのだろうか」と批判する識者は多い』、「孤独担当大臣のポスト」を置き、「さまざまな観点から孤独の問題を「指標化」する作業」を行っているとは、批判があるとはいえ、見習うべき動きだ。
・『孤独を個人の問題ではなく、社会問題として向き合う  実際、その通りなのだとは思う。 だが、「孤独」という個人の問題にされがちな問題を、社会問題として向き合う取り組みは、日本も学ぶべきではないか。 BBCのニュースサイトでは「Lonliness」というコーナーを設け、孤独に悩む人や孤独にさせないための「私たちができること」を動画などで紹介。 昨年、1月には次のような具体的なアプローチも公表されている。日本語サイト  孤独な高齢者に対しては、「話しかける」「代わりに買い物に行く、郵便物を出すなどの実用的な支援を行う」「慈善組織のボランティアになる」「総菜を分け合う」。 孤独な若年層に対しては、「こちらから会う機会を作る」「孤独について話せる場所を地元で探すのを手伝う」「聞き役に回り、先入観を持たない。忙しそうに見える人が孤独感を味わっていることもあると意識して接する」といった対応を勧めている。 日常的の中のちょっとした「私」の言動の積み重ねが、社会が生む犯罪を減らすことに役立つのではないか。それが「当事者ではない」私たちにできる唯一のことのように思う』、「「孤独」という個人の問題にされがちな問題を、社会問題として向き合う取り組み」は、確かに「日本も学ぶべき」だろう。「日常的の中のちょっとした「私」の言動の積み重ねが、社会が生む犯罪を減らすことに役立つのではないか」、というのには全面的に同意する。暗いテーマのなかで、前向きの対応の方向性を示してくれたのは救いで、さすが河合氏だ。
タグ:無差別殺人事件 日経ビジネスオンライン 現代ビジネス 河合 薫 原田 隆之 (その1)(「一人で死ね」でなく 「巻き込むな、でもお前も死ぬな」と言いたい【川崎事件】排除のない社会に向けて、「一人で死ねばいい」論争の不毛さと不条理な社会) 「「一人で死ね」でなく、「巻き込むな、でもお前も死ぬな」と言いたい【川崎事件】排除のない社会に向けて」 川崎市で起きた無差別殺傷事件 テレビやネット上では、「子どもを巻き込むな、死にたいなら一人で死ね」という意見があふれた 「一人で死ぬべき」という非難は控えてほしい NPOほっとプラス代表理事の藤田孝典氏 論争を受けて思うこと 前半の「巻き込むな」については、誰もが賛成 後半の「死にたいなら一人で死ね」 「感情論」 「巻き込むな、でもお前も死ぬな」 排除のない社会へ 寛容な社会をつくり、さまざまな人を切り捨てずに受け入れる社会をつくるために、「一人で勝手に死ね」などという言葉は控えて、その代わり「死ぬな」という言葉を届けよう。それこそを目的とすべきだと思う 「「一人で死ねばいい」論争の不毛さと不条理な社会」 この議論がセンセーショナルに取り上げられることで、苦しむ被害者の関係者もいるのではないか 犯罪に駆り立てる社会背景を紐解き、社会空間に不可避な不条理を理解しようとすることは極めて重要 「秋葉原通り魔事件」 社会構造と事件の関係性が分析された永山事件 東京大学名誉教授の見田宗介先生 『まなざしの地獄』 当事者たちが有識者の論考を否定 犯罪者の心理を「社会の窓」から分析する作業の意義は、社会への警告だと考えている 「無差別殺傷事犯に関する研究」 法務省が2013年に公表した論考 2000年~10年までの間に判決が確定した無差別殺傷事件で、刑事施設に入所した52人の属性、犯行内容、動機、犯行の背景などの実態を調査し、無差別殺傷事犯の実態を明らかにしている 「他者からのまなざし」が、孤立感や疎外感、諦め、怒り、虚無感をかき立てるのだ 孤独担当大臣のポストを置いたイギリス さまざまな観点から孤独の問題を「指標化」する作業 孤独を個人の問題ではなく、社会問題として向き合う 日常的の中のちょっとした「私」の言動の積み重ねが、社会が生む犯罪を減らすことに役立つのではないか。それが「当事者ではない」私たちにできる唯一のことのように思う
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