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経済学(世界随一の経済学者が すべてを投げ捨てても守りたかったもの 宇沢弘文の孤独と怒り、なぜ米国の一流経済学者が日本に二流のアドバイスをするのか) [経済政策]

今日は、経済学(世界随一の経済学者が すべてを投げ捨てても守りたかったもの 宇沢弘文の孤独と怒り、なぜ米国の一流経済学者が日本に二流のアドバイスをするのか)を取上げよう。

先ずは、日経新聞社出身のジャーナリスト、佐々木 実氏が3月29日付け現代ビジネスに寄稿した「世界随一の経済学者が、すべてを投げ捨てても守りたかったもの 宇沢弘文の孤独と怒り」を紹介しよう。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/60245
・『日本人唯一の世界的経済学者、宇沢弘文(宇沢弘文(1928−2014)とはじめて会ったのは、わたしの前作『市場と権力 「改革」に憑かれた経済学者の肖像』(講談社)の取材をしているときでした。 竹中平蔵という経済学者の人生の歩みを追った評伝だったのですが、竹中は若いころ、宇沢が指導する研究機関に在籍していたことがあったのです。 もっとも、竹中について宇沢に取材するという行為が本末転倒であることぐらい、自覚はしていました。世界的に評価されている経済学者に、学問的業績などほとんどない経済学者の話を聞くわけですから、話がアベコベだ。 竹中の話は早々に切り上げ、わたしはこの碩学にぜひとも聞きたかったことを息せき切ってたずねていました。経済学という学問、経済学者という職業的専門家に対する疑問についてです。 日常生活から国際政治まで、いまほど資本主義に起因する問題が山積みになっている時代はない。それなのに、なぜ職業的専門家たちは「声なし」なのか。それどころか、社会を誤った方向に先導しているようにすらみえるのはいったいどういうことか。 いまでも不思議におもうのですが、わたしの理解が一知半解であることぐらいすぐにわかったはずなのに、宇沢は至極真剣な面持ちでわたしの話を聞いていました。ある質問をした際、絶句して黙り込んでしまった宇沢の姿をいまも鮮明におぼえています。 宇沢は経済学という学問の「奥の院」にいた、日本人としては唯一の人物でした。スタンフォード大学、シカゴ大学を拠点に活躍し、アメリカの経済学界で一、二を争う理論家となりました。世界の名だたる経済学者たちと親交を結び、学界の指導者のひとりとなっていたのです。 ところが、不惑を迎える年に突然、栄光ある地位を放り投げ、日本に帰国してしまいます。そればかりか、しばらくすると猛然と経済学を批判しはじめ、周囲を戸惑わせるようになるのです』、宇沢弘文は一時はノーベル経済学賞に最も近い日本人とも言われたが、「猛然と経済学を批判しはじめ、周囲を戸惑わせるようになる」というのでは、ノーベル経済学賞など馬鹿にしていたのだろう。
・『グローバリゼーションの荒波に対抗して  宇沢が闘っていた相手は、いわば、現在のグローバリゼーションを推進した経済学者たちです。 論敵の名をひとりだけ挙げるなら、シカゴ大学の同僚だったミルトン・フリードマンでしょう。『Capitalism and Freedom(資本主義と自由)』『Free to Choose(選択の自由)』という、世界中で熱狂的な読者を獲得した市場原理主義の啓蒙書を著した経済学者です。 フリードマンは「シカゴ学派」を率い、新自由主義思想を世界に布教することに成功しました。フリードマン信者(“Friedmanite”)にアメリカのロナルド・レーガン大統領、イギリスのマーガレット・サッチャー首相という大物がいたからです。 「自由」の概念でさえ、資本主義との関係のなかで論じなければ意味をもたない。それがグローバリゼーションという時代です。高度に発展した資本主義の社会では、思想闘争の中心に経済学者がいる。 問題は、経済学という学問内の闘争はわれわれシロウトには容易にはわからないということです。 ところで、フリードマンは好敵手として親しく交わった宇沢が日本に帰国してからというもの、フリードマン信奉者の日本人に依頼して、宇沢が日本語で著した論文や記事を英語に訳させ、丹念にチェックしていました。自分にとって脅威となりうる経済学者とみなしていたのです。 思想闘争では「敗者」とならざるをえなかった宇沢は、「自由」をめぐる論戦の世界的な動向と深く関わりつつ、新たな経済理論の構築に悪戦苦闘しました。 しかし残念ながら、彼が何とどのように闘っていたのか、経済学という専門知の壁にさえぎられ、当時もいまも、ほとんどの人には理解がおよびません。宇沢の闘いの全貌を描いた作品がこのたび上梓した『資本主義と闘った男 宇沢弘文と経済学の世界』なのです。 思い返せば、初対面の場面から、わたしは術中にはまっていました。宇沢亡きあと浩子夫人から教えられたのですが、宇沢独特の教授法はアメリカ滞在時代、「Socratic Method(ソクラテス式問答法)」と呼ばれ、教え子たちのあいだで有名だったそうです。 対話を重ねるたび、わたしも自分が何を知らないのかはっきり認識するようになりました。自分の思考がいかに薄っぺらなものであるか、いやというほど思い知らされました。宇沢はまるで魔術のような対話術をもっていたのです。 落とし穴もそこにありました。魔術のような問答法をもつ経済学者に、術中にはまっているシロウトがインタビューするのですから、当然といえば当然です。 わたしは宇沢に誘われ、宇沢がセンター長をつとめる同志社大学の社会的共通資本研究センターに参加するようになりました。 とはいっても、わたしは研究者ではありません。はじめから、なんとかして宇沢弘文に本格的インタビューを試みるチャンスはないものかとうかがっていました』、フリードマンが宇沢帰国後に、「宇沢が日本語で著した論文や記事を英語に訳させ、丹念にチェックしていました」、やはり強いライバル意識があったのだろう。
・『宇沢の怒りと孤立  研究センターの研究の一環としてインタビューを企画したとき、意外にもあっさり本人の承諾を得ることができました。 なぜ意外だったかというと、わたしが持ち合わせている知識では、難解な数理経済学者であり厳密な理論経済学者である宇沢の真髄に迫るインタビューなど困難であることはあきらかだったからです。 宇沢邸での聞き取りは幼少期の思い出からスタートしましたが、わたしの頭のなかは、経済学に関するインタビューをどうするかという問題で一杯でした。宇沢の思想を理解するには、宇沢の難解な経済理論を深く読み解かなければならないからです。 思案のすえ、経済学者を同伴することを思いつき、提案してみたのです。口にこそ出しませんでしたが、具体的な候補者まで考えていました。 ところが、そのときでした、宇沢が激怒したのは。怒るというより、はげしく動揺し取り乱したといったほうが適切かもしれません。宇沢は、感情の昂りをおさえきれず吃りながらまくしたてると、「そんなことなら、もうこの話はなかったことにしよう!」と言い放ちました。わたしは皆目わけがわからず、押し黙っているしかありませんでした。頭のなかは真っ白でした。 「ごめん、ごめん……ちょっと呑もうか?」 興奮から醒めて我に返った宇沢がいい、キッチンに立ってビールを2本もってもどってきましたが、怒りのわけを理解できないわたしは呆然としたままでした。 この出来事は、それまで回を重ね順調に進んでいたインタビューが滞る原因ともなってしまいました。 情けないことに、怒りの意味を理解できたのは、宇沢が世を去ったときでした。 追悼文で称揚されている宇沢が、宇沢自身が語っていた宇沢とは別人であるようにしかおもえなかった。宇沢の薫陶を受けたと前置きしながら、的外れとしかおもえない宇沢論を展開している人もいたのです。 もちろん、批判したいのではありません。宇沢の孤立はそこまで深刻なものだったのか。あのときの怒り、動揺した姿を思い出しながら、私自身が確認したまでです。 宇沢は、資本主義が惹き起こす現実の問題をとらえるための理論を構築しようと苦闘する過程で、新たな思想を産み出しました。 しかし、経済学者として知名度があるにもかかわらず(「それゆえに」かもしれません)、彼の思想が広く知られることはありませんでした。 当初わたしを買いかぶっていた宇沢は、わたしというメディアを通して、自分の思想を伝えることができるかもしれないと考えていた時期がたしかにありました。 生前の期待に応えることはできませんでしたが、遺志を継ぐつもりで、『資本主義と闘った男』を著しました。 宇沢弘文は故人となりましたが、彼の思想はいま誕生したばかりです。ひとりでも多くの方に本書を手に取っていただき、新たな思想に触れてもらいたい。宇沢弘文が身命を賭して表現しようとしたLiberalismに。』、自著を売りたいためか、宇沢思想の本質については殆ど説明がないのは残念だ。Wikipediaでみると、宇沢は、大気や水道、教育、報道など地域文化を維持するため一つとして欠かせない社会的共通資本であると説き、市場原理に委ねてはいけないと主張したようだ。ただ、これが主流派とどのような論争になったかについては、もっとネット検索して調べる必要がありそうだ。

次に、元財務省出身で慶応義塾大学准教授の小幡 績氏が7月8日付けNewsweek日本版に寄稿した「なぜ米国の一流経済学者が日本に二流のアドバイスをするのか」を紹介しよう。
https://www.newsweekjapan.jp/obata/2019/07/post-35_1.php
・『<早朝のソウルを散歩し、行きかう人々の姿を観察していた筆者は、韓国経済への素晴らしい処方箋を思いつく。しかし、それはとんでもない間違いだった。アメリカの一流学者も日本に同じことをやっている> 授業で韓国に来ている。 ソウルは36度と暑さが厳しいので早朝街を歩くことにした。 するとちょうどよい遊歩道が川沿いにあるのを見つけた。地元の人々が大勢ウォーキングをしていた。 すぐに私はあることに気がついた。 まず、走っている人がいない。全員歩いているのである。 これはちょっと不思議だった。日本ではランニングが流行しすぎるほどしすぎているのに。日本と韓国は近くて似ていると思っていたが、そうでもないのか。 さらに不思議だったのでは、歩いている人たちの多くが不気味な手袋をつけていることである。肌色でそれにペイズリー柄など様々な模様がプリントしてある。刺青かと思ってびっくりした。 そして、よく見ると、その変な手袋をしているのはみんな老人しかも女性なのである。日焼け防止かと思うと顔は無防備だし、その頬もしわしわだが健康そうに焼けている。 ふと見回すと、歩いているのは全員老人なのである。朝のウォーキングをしているのは全員老人で、若者はどこにもいないのである。 ここに韓国社会と日本社会の違いを見た。日本よりも深刻な高齢化と格差社会の問題が存在しているのである。 中国でもそうだが、韓国で豊かなのは若者だ。中年の起業成功者、若いエリート社員、そして起業家である。高齢で裕福なのは財閥で成功した一部に過ぎない』、なるほど。
・『貧しい高齢者と豊かな若者?  ソウルの街は、豊かな若者であふれている。日本よりも価格が高いスタバで惜しげもなく注文し、勉強し、スマホをしている。ブランド物の持ち物にあふれ、化粧とサプリに入念である。若い層が豊かだとエネルギーがある。新しいモノ、サービス、企業を生み出す力につながる。そういう若い成功者に憧れ、若者が勉強し起業し成功し豊かな生活を謳歌している。 一方で、昔ながらの老人たちはカネのかからない川沿いの遊歩道でのウォーキングに励む。走る気力はないが、健康ではいたい。そんな老人たちを省みず(家庭内では世代間の様々な問題があるのだが)、豊かな若者はジムで汗を流す。 やはり日本は格差を広げてはいけない。老人が年金をもらいすぎ、氷河期世代の若者が若くなくなり貧しくなっていくというのはなんとしても抑えなければいけない。そして、韓国は経済成長、GDP、グローバル企業とK-POPなどを目指す前に、貧しい高齢者と豊かな若者の、貧富の格差をなんとかしなければいけない。授業でそういうアドバイスもしてみようか。 ここまで考えて、結構歩きすぎたことに気づき、ホテルに戻ることにした。もうすでに結構暑くなってきた。汗もかいている。時間もいつのまにか8時近い。 急いで同じ道を引き返していると、行きと帰りでは同じ道でも印象が違うとはよく言うが、別世界を目の当たりにした。 私のほうへ向かって、つまり私とは逆向きに、多くの若者がiPhone(いやSamsungかもしれない)とイヤホンで音楽を聴きながら、ジョギングをしているのである。 私は呆然とした。 私の1時間半の散歩中の思索による政策提言はすべて無駄だったのである。 無駄であるどころか、大間違いである可能性があったのである。 日曜日の朝、若者たちは土曜日の夜遊びに行かなくてはならず(そういう強迫観念がソウルの若者にはあるらしい)、誰も日曜日の朝は早起きできないのである。8時を過ぎてようやく少しずつ若者が出てきたのであり、時間を追うごとに河川敷の遊歩道は年齢層がどんどん低下してきたのである。 老人だけを私が見たのは、たまたまそういう時間帯だったというだけだったのである。 お前はただの阿呆か、と言われるだろう。 もちろん、阿呆である。 しかし、阿呆なりに学んだのは、これで米国一流経済学者が日本にリフレ政策やMMT、果ては消費税引き上げ延期、財政出動をまじめな顔でえらそうに提案する理由がわかったのである』、小幡氏が自分の思索の誤りを、米国一流経済学者による日本への提案と結び付けたのはさすがだ。
・『アメリカでは間違わない理由  彼らは、お気楽に無邪気に思い付きをしゃべっているだけなのである。しかも、米国経済学者は世界一であるという(正しい面もあるのだが)優越感から、ヴォランティア精神で、親切にアドバイスしているつもりなのである。 そして、そのアドバイスが間違っているのは、日本のごく一部を観察して、自分の価値観に都合よく結びつけて、いいことを思いついたことにうれしくなり、提案しているのである。 そんなことを自国の米国経済に提案しないじゃないか、無責任じゃないか、よその国で実験しやがって、と思うだろうが、彼らは米国でも実験することはやぶさかではないのだが、米国では一応社会、経済の全体像を知っていて、観察機会も多いからデータが多い、ケースも多いので、誤った提案は誤っていることに気づくのである。 自分のよく知らないことに対しては、いわば観光客気分で、親切に無邪気に、サンプル1、ケース1で、いいことを思いつき、気軽に言ってみるのである。 私はもちろんそんな一流経済学者ではないから、無邪気な政策提案を万が一したとしても誰も聞かないので、幸運なのである。 このエッセイで吠えて、読者に間違っていると指摘されるぐらいが関の山なのである』、「自分のよく知らないことに対しては、いわば観光客気分で、親切に無邪気に・・・いいことを思いつき、気軽に言ってみるのであ」、との指摘はその通りだろう。彼らの無責任な発言を、もっともらしく紹介する日経新聞に読ませてやりたい。
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