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ビジット・ジャパン(インバウンド)戦略(その12)("京都の町並み"が急速に壊れつつあるワケ 中国資本が「町家」を買い漁る事情、日本の観光地はなぜ「これほどお粗末」なのか 情報発信の前には「整備」が絶対に必要だ、日本人の“京都離れ”が進行中 インバウンドがもたらす「観光公害」という病) [経済政策]

ビジット・ジャパン(インバウンド)戦略については、3月24日に取上げた。今日は、(その12)("京都の町並み"が急速に壊れつつあるワケ 中国資本が「町家」を買い漁る事情、日本の観光地はなぜ「これほどお粗末」なのか 情報発信の前には「整備」が絶対に必要だ、日本人の“京都離れ”が進行中 インバウンドがもたらす「観光公害」という病)である。

先ずは、東洋文化研究者 アレックス・カー氏とジャーナリスト 清野 由美氏が3月26日付けPRESIDENT Onlineに寄稿した「"京都の町並み"が急速に壊れつつあるワケ 中国資本が「町家」を買い漁る事情」を紹介しよう。
https://president.jp/articles/-/27981
・『京都の「町」が、外国資本の買い占めにあっている。中国の投資会社は町家が並ぶ一角を買い取り、そこを中国風の名前で再開発する計画を発表した。京都在住の東洋文化研究者アレックス・カー氏とジャーナリストの清野由美氏は「このままでは京都の最大の資産である『人々が暮らしをする町並み』が消えてしまう」と警鐘を鳴らす――』、これは大変なことで、インバウンドブームに浮かれている時ではない。
・『外国人観光客は「効率のよい」お客さん  京都市産業観光局が2017年に調査した結果をまとめた「京都観光総合調査」によると、京都には、外国人、日本人を合わせて、年間5000万人以上の観光客が訪れています。 そのうち外国人宿泊客数は353万人で、宿泊日数をかけた延べ人数は721万人となっています。ただし、これは無許可の民泊施設への宿泊客は含みません。同調査では、無許可民泊施設での宿泊客数を、約110万人と推計しています。 観光客数に占めるインバウンドの割合は13.9%と、数では国内客に及びません。しかし、観光消費額に占める外国人消費額2632億円は全体の23.4%となっており、外国人観光客が「効率のよい」お客さんであることを示しています。 2015年に発表された『京都市宿泊施設拡充・誘致方針(仮称)』によると観光客、特に消費額が大きいインバウンド客をあてこんで、京都市は「2020年までに1万室の増加」を観光政策に掲げています。 『京都新聞』の調査では、「京都市内の宿泊施設の客室数が、15年度末からの5年間ですくなくとも4割増の約1万2000室に増える見込み」となっています(2017年12月5日)』、最新時点ではさらに大幅に増えることになっている可能性が高そうだ。
・『「簡易宿所」が3倍以上に増えた2015年  市の政策をはるかに上回るペースで客室数が増えているのは、インバウンドをあてこんだホテルや簡易宿所の開業が、予想を超えたスピードで増えているからです。 ちなみに簡易宿所とは、宿泊する場所や設備を複数の人が共同で使用する有料の宿泊施設のことで、民宿、ペンション、カプセルホテル、山小屋、ユースホステルなどが該当します。 京都市が発表した「許可施設数の推移」によれば、18年4月現在の京都市内の宿泊施設はホテルが218軒、旅館が363軒に対して、簡易宿所が2366軒と、際立って多い数となっています。 京都市における簡易宿所の新規営業数が、飛躍的に跳ね上がったのは15年で、前年の79軒から、一気に3倍以上の246軒に増えました。 これは住民が普通に暮らしていた町家を、宿泊施設に転換する動きとも連動しています。宿泊施設として新規許可を得た京町家は、14年には25軒でしたが、15年には106軒と4倍以上になりました。 なお15年は日本政府が中国に対してビザ発給条件の緩和を行った年です。その前から円安が始まり、日本に来る外国人観光客、特に中国人をはじめとするアジアからの観光客の数が爆発的に増えました。「爆買い」が流行語大賞に選ばれたのも、同じく15年です』、「京町家」をそのまま「簡易宿所」にするのはやむを得ない。
・『町家が並ぶ一角を買収し「中国風の名前」で再開発  その後、京都ではインバウンド消費への期待がますます高まりました。 不動産のデータベースを取り扱うCBREの調査によれば、京都で17年から20年までの間に新しく供給されるホテルの客室数は、16年末の既存ストックの57%に相当するとされています。 これはつまり、16年に比べて1.5倍以上の客室数がこの数年で必要とされるようになった、ということです。 そのような背景の中で、京都の町中では今、驚くべき事態が進んでいます。筆頭が、外国資本による「町」の買い占めです。 NHKによれば、中国の投資会社「蛮子投資集団」は18年に半年の期間で120軒もの不動産を買収したそうです。中には町家が路地に並ぶ一画を丸ごと買って、そこを「蛮子花間小路」という中国風の名前で再開発するという計画まで発表されています(『かんさい熱視線』、18年6月29日)。 外国人が京都を買い求めているのはなぜでしょうか。 大前提として、続く観光ラッシュと、2020年東京オリンピック・パラリンピックを前に、観光地の土地の需要と価値が高まっているということがあります。 その一方で、円安の状況が続いているため、外国人から見れば割安感がある、ということも考えられます。また日本はローンの金利も低く、不動産は定期借地ではなく私有が基本なので、一度買ったら永久に所有できるのも大きいでしょう』、「町家が路地に並ぶ一画を丸ごと買って、そこを「蛮子花間小路」という中国風の名前で再開発するという計画まで発表」、というのは明らかに行き過ぎだ。売り物である筈の「町家」の雰囲気がなくなってしまうのでは、本末転倒だ。なんとか開発規制で阻止してもらいたいものだ。
・『日本は「安くてお得な」不動産投資先になっている  それらの要素は、地理的な距離が近い場所にいる中国人にとっては、とりわけ有利に働きます。 経済発展とともに上海や北京など大都市では不動産の値上がりが激しく、もはやその価格は東京を凌ぐようになりました。要するに、日本は外国人にとって、「安くてお得な」不動産投資ができる場所になっているのです。 国土交通省が発表した18年の基準地価では、商業地の地価上昇率トップが、北海道の倶知安町でした。町名だけでは、なぜ倶知安が1位なのか、にわかに分かりませんが、ここはニセコのスキーリゾート地として、外国人観光客に大人気の土地です。 同調査では、トップ5の2位から4位までは、京都市東山区と下京区が占めました。前年に比べた変動率、つまり上昇率は倶知安で45%以上、京都ではいずれも25%を上回っています。 京都の不動産を狙うのは、もちろん外国資本だけではありません。京都の市街地では、風情ある町並みの中に、安手のホテルを建設するパターンも増加しています。 これまで、空き家になった町家跡にコインパーキングが乱造されていました。今ではそれが立体化してホテルが建設されるようになったのです』、コインパーキングも興ざめだが、「安手のホテル」も街並みを破壊する。
・『ビジネスホテル建設で町家が破壊されていく  私が京町家を一棟貸しの宿に改修する取り組みを始めた2000年代初頭は、まだその価値が見出されておらず、町家は次々と取り壊されていました。 そのような事態を、ただ手をこまぬいて眺めるだけでなく、新しい仕組みを作って運用することで、町家と家並みを救いたいと考え、一つ一つ法律や規制をクリアしていきました。やがて町家の宿泊施設転用は一つのムーブメントになり、京都ではその後、数百軒以上の町家が宿泊施設として再生されました。 しかしこの数年で流れは逆行し、今は町家を残すより、小さなビジネスホテルを建設することの方が活発化し始めています。足元の観光ブームが、町家保存から町家破壊へと、さらなる転換を促しているのです。 京都市にも古い民家の保存をうながす規制はあります。しかし重要文化財級の町家であっても、それを守り抜くような断固とした仕組みにはなっていません。 たとえば2018年には室町時代に起源を持つ、京都市内でも最古級という屈指の町家「川井家住宅」が解体されました。オーバーツーリズムが問題になる以前は、不動産業者は古い町家には目もくれませんでしたが、そこの土地がお金になると分かった途端に、町並みは不動産原理に則って、急速に破壊されていきます』、「京都市にも古い民家の保存をうながす規制はあります。しかし重要文化財級の町家であっても、それを守り抜くような断固とした仕組みにはなっていません」、というのはもっと丁寧な説明が必要だ。
・『このまま地価が上昇するとコミュニティと町並みが崩壊する  業者は通常よりも高い稼働率と、短い投資回収期間で宿泊施設の事業計画を作り、調達した資金をもとに、次々と町家を買い漁っていきます。 当然のことながら、事業で最も重視されるのは利回りであって、町並みの持続可能性や、住民の平和で健全な生活ではありません。ただし非現実的な数字をもとに回していく計画は、投資ではなく「投機」です。 京都は商業地と住宅地がきわめて近いことが特徴で、それが京都のそもそもの魅力になっています。名所に行く途中に、人々が日常生活を営む風情ある路地や町家が、ご近所づきあいというコミュニティとともに残っているのです。 しかし、地価の上昇は周辺の家賃の値上がりにつながります。土地を持っている人であれば、固定資産税が上がります。観光客は増えていても、京都市は高齢化が進んでいますので、住民はそのような変化への対応力を持っていません。家賃や税金を払いきれずに引っ越す人が相次げば、町は空洞化し、ご近所コミュニティはやがて町並みとともに崩壊していくことでしょう。 観光客が増えて、彼らが落とすお金で地域が潤う、というのが京都市をはじめとする関係者の希望だと思います。しかし現実をみるかぎり、残念ながら、既にそのような楽観的なレベルをはるかに超えている、と言ったほうが適切です。 「観光」を謳う京都のいちばんの資産は、社寺・名刹(めいさつ)とともに、人々が暮らしを紡ぐ町並みです。 皮肉にも京都は、観光産業における自身の最大の資産を犠牲にしながら、観光を振興しようと一所懸命に旗を振っているのです』、最後の部分の皮肉はその通りだ。「町並み」の維持にも、注力すべきだろう。

次に、元外資系証券アナリストで小西美術工藝社社長のデービッド・アトキンソン氏が5月23日付け東洋経済オンラインに寄稿した「日本の観光地はなぜ「これほどお粗末」なのか 情報発信の前には「整備」が絶対に必要だ」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/282367
・『オックスフォード大学で日本学を専攻、ゴールドマン・サックスで日本経済の「伝説のアナリスト」として名をはせたデービッド・アトキンソン氏。退職後も日本経済の研究を続け、日本を救う数々の提言を行ってきたアトキンソン氏は、近著『日本人の勝算――人口減少×高齢化×資本主義』で日本の生存戦略を明らかにしている。 アトキンソン氏の提言どおり、人口減少時代に対応して「変化しつつある」のが観光業だ。本稿では、日本の多くの産業の参考になりうる考え方が詰まった「観光業の変革」について述べてもらう』、興味深そうだ。
・『観光業の「負のスパイラル」はあらゆる産業に見られる  前回の記事(日本の観光業は「生産性向上」最高の教科書だ)では、日本政府が2020年の達成目標として掲げている「4000万人の訪日外国人客数、8兆円の観光収入」のうち、国が大きな役割を担う人数目標は達成可能な一方、民間の役割が大きい収入目標は達成が難しいという説明をしました。 政府は、2020年の8兆円に続いて、2030年には15兆円を観光収入の目標として掲げていますが、今のままではこの目標の達成も厳しいことが予想されます。 では、どうすれば2030年の15兆円の目標を達成する可能性が高くなるか。今回はこの点について考えていきたいと思います。 2020年の8兆円の観光収入目標の達成が難しいのは、いろいろな問題が原因として入り組んでいるからです。 日本の観光業は、伝統的に生産性の低い業界でした。なぜ観光業の生産性が低かったのか、その原因にはさまざまな歴史的な背景があるのですが、中でも、人口激増がもたらした歪みが大きいように思います。 少し単純化しすぎかもしれませんが、人口が増加していた時代の日本の旅行の主流は、社員旅行や修学旅行など、いわゆる団体旅行でした。つまり、都市部から大量の人間を地方に送り届けるという行為が、日本の観光業界の主要な仕事だったのです。マス戦略です。 マス戦略なので、旅行先の地方でお客さん一人ひとりが落とす金額は少なかったのですが、やってくる人間の数が多いので、ある程度まとまったお金が地方にも落ちるようなシステムができていました。 当時の交通機関や旅行会社は、送り届ける人間の数を盾に、地方の受け入れ先の料金を下げさせました。その結果として、主に旅行会社や交通機関が儲かる仕組みが出来上がっていたのです。これはこれで、人口増加時代ならではの、賢い儲け方だったと言えると思います。 人口が増えていた時代の旅行のほとんどは国内旅行でした。そのため、滞在日数も短く、ゴールデンウィークや夏休みなどの特定の期間にお客さんが集中する一方、それ以外の季節はあまり人が集まらず、閑散期の長い非効率な業界でもありました。 一方、繁忙期には黙っていてもお客さんが集まります。この2つの要因によって、当時は個々の観光資源に付加価値をつけるというインセンティブが働かず、観光地としての整備レベルが相対的に低いまま放置されていました。当然、お客さんの満足度も決して高くはなかったはずですが、それすら「当たり前のこと」として見逃されていました。 要するに、単価が低くても、数の原理で売り上げを増やせばいいというビジネスモデルだったと言えます。厳しい言い方をすれば「安易な稼ぎ方」でした。 単価が低いから満足度も低くていいというのは、人口が増えているときには通用するロジックだったかもしれませんが、人口が減り始めた今、そんなことは言っていられません。 実際、1990年台に入ってから若い人が増加しなくなった途端、日本各地の観光地では観光客がどんどん減っていきました。しかし、そもそも利益水準ギリギリで運営していたので、時代に合わせてビジネスモデルを変更するための設備投資をする余裕もありません。 ビジネスモデルを時代に合わせられないのですから、必然的に衰退の一途をたどるというのが、日本国内の多くの観光地が陥った悪循環です。時代の変化によって、ビジネスモデルが崩壊してしまったのです。この状態は、まさに、生産性の低い業界や会社が陥る典型的な「負のスパイラル」です。 私は、本業である小西美術工藝社の仕事の関係や、各種の会議や視察でさまざまな場所を訪問する機会が多くあります。そのたびに、先ほど説明したような疲弊のプロセスを、日本各地で嫌というほど目にしてきました。ですので、自信を持って言えますが、このような悪循環に陥ってしまったのは、一部の観光地に限った話ではないのです』、確かに、会社などの団体旅行向けの温泉旅館などは閑古鳥が鳴いて、次々に潰れているようだ。
・『「観光施策=情報発信」という勘違い  国内を中心とした、「整備より、とりあえず多くの人に来てもらえばいい」というモデルからすると、当然、「観光施策=情報発信」が観光戦略の基本となります。なぜ観光収入8兆円の達成が難しいのか、その理由の根っこには、いまだに日本に根付いている、この「観光施策=情報発信」という昭和時代のマインドがあります。 事実、多くの観光地では現在、外国に対して「とりあえず情報発信すればいい」という観光施策を実施しています。 誰も見ていないホームページの開設や観光動画の掲載、誰もフォローしていないFacebookでの情報発信、ゆるキャラやキャッチコピーを使ったブランディング、交通機関頼みのデスティネーションキャンペーンなど、昭和時代のマインドのまま展開されている情報発信の事例は枚挙にいとまがありません。 ちなみに、世界遺産、日本遺産、国宝、重要文化財に登録されるなど、お墨付きさえもらえれば人が来ると期待するのも、同様に昭和時代のマインドです。 私は「日本遺産審査委員会」の委員を設立当初からつとめていますが、この事業は本当に残念に思います。もともとは下村博文議員が文部科学大臣のときにできた事業です。 日本の文化財は点々と存在して説明も少ないので、本来の歴史・文化のストーリーを整備して、その歴史・文化を見える化して、解説案内板やガイドさんを整備するための事業でした。文化財をただの建物として見るのではなく、その文化財をより深く理解してもらうための企画でした。 しかし、どうなったか。行政と業者が悪いと思いますが、構成文化財はほとんど整備されることがありませんでした。薄っぺらいパンフレットすら、できるのは一部。ほとんどの場合、訪れると何の整備、解説などもされていないのです。 では何をしているかというと、とんでもないお金をかけて作った動画や集客につながらないことがほぼ確実なSNS、誰も見ないホームページ、NHKで紹介されたことなどを誇っています。本当にお粗末です。各日本遺産のホームページを検索してもらえばわかりますが、情報はほとんどなく、写真が数枚、説明が数行だけというところも少なくありません。Wikipediaのほうがよっぽど充実しています。 残念ながら、日本遺産に認定されても、その観光地は認定される前と何も変わっていないことが多いのです。ただ単に、極めて高価な動画と、まったく意味のないホームページ、シンポジウムなどが無駄に作られただけです。情報発信を得意とする広告代理店などが儲けただけなのです。 委員会で、何度も何度も「整備をしてから情報発信をしたほうがいい」と訴えてきましたが、今年の認定でも、大半の予算は情報発信のために使われることになっています』、「委員会」運営でも、アトキンソン氏のような手間のかかる提言は無視して、「広告代理店」の言うがままに、「極めて高価な動画と、まったく意味のないホームページ、シンポジウムなどが無駄に作られただけ」というのは官僚のだらしなさを示している。
・『「情報発信すれば外国人が来てくれる」という甘い戦略  その延長線で、「とりあえず情報発信をしておけば、外国人が見てくれて、たくさんの人が来る」という妄想を、観光業に携わっている多くの人が抱いているように思わざるをえません。 とくに、自分たちで外国への情報発信を開始したタイミングが、たまたま日本政府が国をあげて訪日観光客の誘致に力を入れ始めた時期と重なり、実際に外国人の訪日客が増えたため、来訪客が増えた理由が自分たちの情報発信によるものだと勘違いしてしまったところが多いようです。しかし、この認識は正しくありません。 言わずもがなですが、なんでもかんでも情報発信さえすればいいというものではありません。 例えば、ホームページを作ったものの、英語のページは自動翻訳の結果をそのまま使っているのか、何が書いてあるのか意味不明で、何の役にも立たないといったケースを目にすることが多々あります。 これでは、文字自体はアルファベットで外国人の目にも違和感なく映るかもしれませんが、ただ単に文字を並べただけなので、漢字の読めない外国人が形だけを見て並べた何の意味もなさない文章と変わりません。こういう意味不明、かつ無意味なものにも、それなりの費用が投下され、大金が浪費されているのを見るにつけ、いつももったいないなぁと思います。 ほかにも残念な情報発信の例はたくさんあります。すばらしい出来の動画が掲載されているのですが、撮影された場所が立ち入り禁止だったり、一般の人には未公開だったり、行こうにも交通機関がまるでなかったり、泊まる場所もまったくない場所だったり、夕方5時になると真っ暗になる街中だったり……。 こんなものを見せられても、観光客が持続的に集まるわけがありません。これは、地元の魅力に酔いしれ、どうしても魅力的に見せたいという自分たちの願望が優先され、相手の外国人のことを考えていないことの表れです。 ほかにも、ピント外れな情報発信をしている例は少なくありません。例えば、「サムライの精神性に触れられる街」と盛んに宣伝している地域なのに、武家屋敷もなければ、道場も公開されていない。何かの体験ができるようになっているわけでもなければ、博物館などサムライの文化を説明する施設もない。お城はあるにはあるものの、鉄筋コンクリートで中はほとんど空っぽの状態で、楽しめるものは何もない。 要するに、この地域における「サムライ文化」は、その地域の過去の特徴で、その地方の誇りですが、もはや現在では「架空の世界」なのです。お話にすぎません。 このような状態では、「日本の魅力の1つであるサムライ文化に触れられる」と期待して、有給休暇をとったうえ、高いお金を払ってやってきた海外からのお客さんを困惑させるだけです。 歴史的な事実があっても、それを実感できるものが何も整備されていないようでは、外国人観光客を満足させることはできません。日本人であれば「何々の跡」という石碑をありがたがって足を運ぶ人もいるかもしれませんが、時間もお金も日本人の何倍、何十倍もかけてやってくる多くの外国人にとっては、石碑はただの石でしかなく、それほど魅力のあるものではありません。 日本で観光業に携わっている人に対して、声を大にして言いたい。重要なのは、まず観光地としての十分な整備をし、インフラを整えることです。情報発信はその後で十分です』、ガッカリさせられた外国人観光客は、二度と日本になど行かないとなるので、逆効果も甚だしい。
・『宣伝の前に商品開発するのは当たり前  ちょっと考えれば、私の言っていることが常識なのはすぐわかると思います。要は、情報発信をする前に、商品開発をきちんとやろうと言っているだけだからです。 まだ売る車が出来てもいないのに、車を作る技術、その車の名前、イメージを自慢する動画を作って発信したところで、ビジネスにはなりません。 多くの観光地は、これと同じことをやっているのです。道路表記はない、文化財の説明も多言語化していない、二次交通もなければ、十分な宿泊施設もない。各観光資源の連携もできていないのに、情報発信だけはしている。こんな観光地が日本中にあふれかえっています。 多少はマシなところでも、パッチワークのように部分的にしか整備ができていないのが現実です。車の例で言うと、エンジンの一部と、車体の一部しか出来ていないのに売ろうとしているのと同じです。観光地の場合、総合的な整備がされていないところが実に多いのです。それなのに情報発信にばかり熱心なのは、やはり順序が違うと思わざるをえません。 とくに、今はネットの普及によって、観光資源の魅力があれば勝手に口コミで広がってくれるので、昔のように観光地が情報発信する必要性が薄れています。 魅力的であれば、お客が代わりに発信してくれる。逆に魅力が足りない場合、どんなに観光地が発信しても、観光客が持続的に来ることはない。そのことを理解するべきです』、「魅力的であれば、お客が代わりに発信してくれる。逆に魅力が足りない場合、どんなに観光地が発信しても、観光客が持続的に来ることはない」、というのはその通りだ。「「とりあえず情報発信をしておけば、外国人が見てくれて、たくさんの人が来る」という妄想」ほど、空しいものはない。
・『当たり前の「やるべきこと」をやろう  先走って情報発信を始める前に、訪れた外国人観光客に満足してもらうには、まずは地域の可能性を探り、どういった観光資源をいかに整備し、どういう観光地開発をするかを決めるのが先決です。 やるべきことはたくさんあります。泊まる場所の確保、文化財ならば多言語対応、自然体験コースづくり、カフェや夜のバーなど飲食店の整備、それに交通手段の確保、各観光資源の連携。わかりやすい道路表記や、お昼のレストラン、文化体験、案内所などなど、整備しなくてはいけないことは山ほどあります。 個別の整備もぬかりないようにしなくてはいけません。例えば、多言語対応は完璧を期すべきです。英語であれば、英語圏のネイテイブが書かなくてはいけません。日本語を英語に「翻訳する」だけでは、訪日客を満足させることはできません。 ほとんどの外国人は日本の歴史や文化に関する基礎知識が乏しいので、それもわかりやすく、面白く説明する必要があります。日本について学ぶことは、彼らにとって日本に来る重要な楽しみの1つなので、丁寧にやらなくてはいけません。 このように細心の注意をもって外国人に対応すべきだと私が言うと、必ず「そんなこと、できている国がどこかにあるのか」と批判めいたことを言う人が現れます。しかし、どこかの国ができているか否かは、日本でやるべきかどうかという議論とはなんの関係もありません。 ほかの国以下に甘んじることは論外ですが、ほかの国がやっていないのであれば、諸外国を凌駕するレベルの外国人対応の準備を日本がやって、世界にお手本を示してやればいいのです。 情報発信はこういう整備をやりながら、もしくは終わってから、初めてやるべきです。私が、2020年の観光収入8兆円の達成が難しいのではないかと考える根拠は、日本ではまだ外国人訪日客に十分にお金を落としてもらえるだけの整備ができていないからなのです。 「郷に入れば、郷に従え」「観光客なんだから、あるがままの日本で満足しろ」という上から目線の反論が聞こえてきそうですが、この考え方は間違いであり、愚かだと断言しておきましょう。 観光戦略は、地方がお金を稼ぐため、要は地方創生のために実行されています。今のままでは、訪日外国人が落としてくれるはずのお金を、落としてくれはしません。そのための準備が整っていないために、みすみす取り逃しているのです。つまり、日本の地方には機会損失が発生している。観光戦略の本質的な目的に反していることになります。 外国人の満足は、地方の利益に直結していることを、観光業に携わる人にはぜひ肝に銘じてほしいと思います。せっかく来てもらった観光客に十分なお金を落としてもらわないと、観光戦略の意味がないのです。 たいした金額を落とさない観光客がたくさん来ても、それは単なる観光公害でしかありません。今までの誘致人数主義を1日も早くやめて、稼ぐ戦略を実行するべきです。稼ぐ戦略に必要なのは間違いなく、本稿で説明してきた着地型の整備です』、「そんなこと、できている国がどこかにあるのか」との批判は、欧州であれば、共通の文化的基盤があるが、そうしたものがない、つまり独自性が強い日本の場合には、特に必要になることを理解してない戯言だ。「今までの誘致人数主義を1日も早くやめて、稼ぐ戦略を実行するべきです。稼ぐ戦略に必要なのは間違いなく、本稿で説明してきた着地型の整備です」、諸手を上げて賛成したい。

第三に、7月7日付けデイリー新潮「日本人の“京都離れ”が進行中、インバウンドがもたらす「観光公害」という病」を紹介しよう。
https://www.dailyshincho.jp/article/2019/07080800/?all=1&page=1
・『日本政府は、東京オリンピックが開催される2020年に訪日外国人観光客数4000万人の誘致を目指している。18年度は約3200万人だったから、2年で800万人増やすということになる。ところが、 「こうしたインバウンド(訪日外国人旅行)の増加は、旅行者による消費拡大という恩恵をもたらしますが、一方、マナー違反や環境破壊、住宅価格の高騰という副作用も生みます。それが観光公害です」と、解説するのは、7月1日に『観光公害―インバウンド4000万人時代の副作用』(祥伝社新書)を刊行した、京都光華女子大学キャリア形成学部教授の佐滝剛弘氏である。同氏は、元NHKディレクターで、NPO産業観光学習館専務理事も務め、著書に、『旅する前の「世界遺産」』(文春新書)、『日本のシルクロード―富岡製糸場と絹産業遺産群』(中公新書ラクレ)などがある。 佐滝氏は1年前から京都で暮らしているが、 「観光公害で、近年、特に酷いのが京都ですね。日本人の間でも人気の高い清水寺、金閣寺、伏見稲荷は常に初詣のように人が溢れています。これだけ多いと風情が失われてしまいます」 京都に宿泊した外国人観光客の数は、00年で40万人だったが、10年にほぼ倍に増加。11年の東日本大震災で52万人まで下がったが、翌年から右肩上がりとなり、17年ではなんと353万人にまで増えているのだ。ところが、外国人観光客の増加に伴い、日本人の“京都離れ”が加速してきた。主要ホテルでの日本人宿泊数は、近年で毎年4%前後のマイナスとなっているが、18年は9・4%も落ち込んだ。 何故、日本人の“京都離れ”が始まったのか。 「紅葉の季節になると、どの寺院も外国人客が押し寄せて、“穴場”というものが無くなってしまいました」 京都駅からJR奈良線で、1駅で行ける東福寺はどうか。『観光公害』から一部を紹介すると、 〈18年11月の、とある平日。(中略)東福寺の境内は立錐(りっすい)の余地もない、と言ってよいほどの混雑ぶりであった。(中略)ざっと見たところ、あくまでも私見であるが、観楓(かんぷう)客のほぼ半数が中国を中心にしたアジア系。欧米人の姿もかなり多い。もちろん、日本人にとっても、訪れたい紅葉の名所として名高いはずだが、全体の3割くらいしかいない感じである。東福寺は境内に入るだけなら拝観料は不要だが、紅葉シーズンは、紅葉見物のハイライトと言える「通天橋(つうてんきょう)」を行き来するルートが有料となる。にもかかわらず、橋の上はまさに身動きが取れないほどの混雑で、しかもほぼ全員が一眼レフカメラやスマホで一方向に身を乗り出すようにして、紅葉の風景とそれをバックにした自分やグループの写真を撮ろうとする。自撮り棒を使っているのは、ほぼ中国系の観光客と見てよいだろう〉 紅葉だけでなく、4月の桜の季節は、さらにすごいことになるという。 「海外でも、日本の花見はブームになっています。祇園は、京都観光の中で一番の人気エリアですが、桜の季節はすごいですよ。町家が連なり、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定された祇園白川は、桜がひときわ美しいので、16年には30万人もの観光客が殺到。身動きが取れないほど混雑し、車と接触する危険が高まったほか、写真を撮るために桜の枝や花を折ったりするマナー違反が相次いだため、17年のライトアップを中止しました。今年は警備を強化してライトアップは再開されましたが、マナー違反は続いています。白川沿いの通りには竹垣があり、それにもたれたり座るのは禁止されているのですが、平気で座って写真を撮っている中国系の観光客をよく見かけます」 市バスも大変なことになっている。 「JR京都駅烏丸口のD1乗り場は、清水寺、祇園、平安神宮を経由して銀閣寺に向かうのですが、観光客が大行列をつくり、バスを2本見送らなくては乗れません。バスは7、8分おきに来ますから2本で15分ほど待つことになります。観光客は、15分くらいどうってことのない時間ですが、市民への影響は大きい。私は京都の大学で観光学を教えているのですが、学生から、『バスが2台続けて満員で、バス停を通過してしまって遅刻しました』と言われれば、怒りづらいですね」』、「紅葉だけでなく、4月の桜の季節は、さらにすごいことになる」、というのでは、私なども行く気がなくなった。「日本人の“京都離れ”が加速」、というのは残念ながら避けられないようだ。
・『地元民が敬遠しだした「祇園祭」  「7月から1カ月続く祇園祭は、17日の“山鉾巡行”は観光客が集中し、その前日に各町内で行われる“宵山”は、巡行当日は近づけなかった山鉾を間近で見られ、多数の露店が出て、厄除けとして玄関に飾る粽(ちまき)を買うのが市民の楽しみになっていました。“巡行は観光客、宵山は市民”という具合に棲み分けができていたのですが、近年の観光客の増加で宵山にも観光客が押し寄せた。山鉾を飾る場所は、狭い路地が多いので、歩くこともままならないほど混雑します。それで市民から、『行く気が失せた』、という声をよく聞きます」 京都っ子の台所「錦市場」は食べ歩き天国に……。 「市民の台所と呼ばれた錦市場は、四条通の1本北にある錦小路通のうち、寺町通と高倉通に挟まれた400メートルほどの商店街で、魚屋が多く、刺身をサクで売っていました。それが12年以降の外国人観光客の増加で、食べ歩きができるように、刺身やイカ、エビ、はんぺんなどを串に刺して、店の一番目立つところに置いて売るようになったのです。市民が買いたい商品は店の奥に引っ込み、地元の人の足が遠のいてしまいました」 舞妓・芸妓がパパラッチに狙われることも。 「祇園界隈では、舞妓や芸妓が歩いていると、外国人観光客がカメラを向けるというケースが多くなっています。中には着物に触れたり、付け回したりするケースも。芸妓の見習いである舞妓は20歳前後と若いので、外国人に囲まれて怖い思いをした人もいたと思いますが、根本的な解決策がないというのが現状です」 住宅事情も大きく変わりつつあるという。 「京都のホテル建設ラッシュで、地価もここ4、5年で2、3割高騰しています。ホテル建設のため、マンションの建設が難しくなったため、滋賀県でマンションが次々に建っていますよ。草津から京都まで電車で30分かかりませんからね。郵便受けには、滋賀県のマンションのチラシが入るようになりました」 日本人からも敬遠され始めた京都。観光公害を解決する術はあるのか。 「ハワイのオアフ島のトローリーバスのような、観光客専用のバスを設けて、市民用のバスと分離するべきですね。マナーの問題では、訪日客はほとんどが航空機を使いますから、機内で日本でのマナーを伝授してみてはどうでしょうか。さらに、人気のある寺院だけに観光客が集まらないように、入館者の数を制限したり、拝観時間も夜まで延長、マイナーな寺院をアピールするなどして、観光客を分散させることも必要でしょう」』、観光公害はベネチアなど海外でも深刻化しているようだ。「観光客を分散」には限界があるので、やはりインバウンド戦略の見直しも必要なようだ。
タグ:東洋経済オンライン アレックス・カー PRESIDENT ONLINE デービッド・アトキンソン ビジット・ジャパン デイリー新潮 (インバウンド)戦略 清野 由美 (その12)("京都の町並み"が急速に壊れつつあるワケ 中国資本が「町家」を買い漁る事情、日本の観光地はなぜ「これほどお粗末」なのか 情報発信の前には「整備」が絶対に必要だ、日本人の“京都離れ”が進行中 インバウンドがもたらす「観光公害」という病) 「"京都の町並み"が急速に壊れつつあるワケ 中国資本が「町家」を買い漁る事情」 外国人観光客は「効率のよい」お客さん 『京都新聞』の調査では、「京都市内の宿泊施設の客室数が、15年度末からの5年間ですくなくとも4割増の約1万2000室に増える見込み」 「簡易宿所」が3倍以上に増えた2015年 宿泊施設として新規許可を得た京町家は、14年には25軒でしたが、15年には106軒と4倍以上に 中国の投資会社「蛮子投資集団」は18年に半年の期間で120軒もの不動産を買収 中には町家が路地に並ぶ一画を丸ごと買って、そこを「蛮子花間小路」という中国風の名前で再開発するという計画まで発表 「蛮子花間小路」 観光ラッシュと、2020年東京オリンピック・パラリンピックを前に、観光地の土地の需要と価値が高まっている 円安の状況 外国人から見れば割安感 日本は「安くてお得な」不動産投資先になっている 18年の基準地価 トップ5の2位から4位までは、京都市東山区と下京区 京都の市街地では、風情ある町並みの中に、安手のホテルを建設するパターンも増加 コインパーキングが乱造 立体化してホテルが建設 ビジネスホテル建設で町家が破壊されていく 今は町家を残すより、小さなビジネスホテルを建設することの方が活発化し始めています 京都市にも古い民家の保存をうながす規制はあります。しかし重要文化財級の町家であっても、それを守り抜くような断固とした仕組みにはなっていません このまま地価が上昇するとコミュニティと町並みが崩壊する 「観光」を謳う京都のいちばんの資産は、社寺・名刹(めいさつ)とともに、人々が暮らしを紡ぐ町並みです 皮肉にも京都は、観光産業における自身の最大の資産を犠牲にしながら、観光を振興しようと一所懸命に旗を振っているのです 「日本の観光地はなぜ「これほどお粗末」なのか 情報発信の前には「整備」が絶対に必要だ」 『日本人の勝算――人口減少×高齢化×資本主義』 観光業の「負のスパイラル」はあらゆる産業に見られる 日本政府が2020年の達成目標 「4000万人の訪日外国人客数、8兆円の観光収入」 どうすれば2030年の15兆円の目標を達成する可能性が高くなるか 日本の観光業は、伝統的に生産性の低い業界 人口が増加していた時代の日本の旅行の主流は、社員旅行や修学旅行など、いわゆる団体旅行 マス戦略 当時の交通機関や旅行会社は、送り届ける人間の数を盾に、地方の受け入れ先の料金を下げさせました。その結果として、主に旅行会社や交通機関が儲かる仕組みが出来上がっていたのです 滞在日数も短く、ゴールデンウィークや夏休みなどの特定の期間にお客さんが集中する一方、それ以外の季節はあまり人が集まらず、閑散期の長い非効率な業界 当時は個々の観光資源に付加価値をつけるというインセンティブが働かず、観光地としての整備レベルが相対的に低いまま放置 単価が低くても、数の原理で売り上げを増やせばいいというビジネスモデル ビジネスモデルを時代に合わせられないのですから、必然的に衰退の一途をたどる 生産性の低い業界や会社が陥る典型的な「負のスパイラル」 「観光施策=情報発信」という勘違い 多くの観光地では現在、外国に対して「とりあえず情報発信すればいい」という観光施策を実施 誰も見ていないホームページの開設や観光動画の掲載、誰もフォローしていないFacebookでの情報発信、ゆるキャラやキャッチコピーを使ったブランディング、交通機関頼みのデスティネーションキャンペーンなど、昭和時代のマインドのまま展開されている情報発信の事例は枚挙にいとまがありません 世界遺産、日本遺産、国宝、重要文化財に登録されるなど、お墨付きさえもらえれば人が来ると期待するのも、同様に昭和時代のマインド 「日本遺産審査委員会」の委員 その文化財をより深く理解してもらうための企画 構成文化財はほとんど整備されることがありませんでした。薄っぺらいパンフレットすら、できるのは一部。ほとんどの場合、訪れると何の整備、解説などもされていないのです。 では何をしているかというと、とんでもないお金をかけて作った動画や集客につながらないことがほぼ確実なSNS、誰も見ないホームページ、NHKで紹介されたことなどを誇っています 情報発信を得意とする広告代理店などが儲けただけ 「情報発信すれば外国人が来てくれる」という甘い戦略 重要なのは、まず観光地としての十分な整備をし、インフラを整えることです。情報発信はその後で十分です 宣伝の前に商品開発するのは当たり前 今はネットの普及によって、観光資源の魅力があれば勝手に口コミで広がってくれるので、昔のように観光地が情報発信する必要性が薄れています 魅力的であれば、お客が代わりに発信してくれる。逆に魅力が足りない場合、どんなに観光地が発信しても、観光客が持続的に来ることはない 当たり前の「やるべきこと」をやろう 多言語対応は完璧を期すべき 英語圏のネイテイブが書かなくてはいけません 「日本人の“京都離れ”が進行中、インバウンドがもたらす「観光公害」という病」 マナー違反や環境破壊、住宅価格の高騰という副作用も生みます。それが観光公害 『観光公害―インバウンド4000万人時代の副作用』(祥伝社新書) 観光公害で、近年、特に酷いのが京都ですね。日本人の間でも人気の高い清水寺、金閣寺、伏見稲荷は常に初詣のように人が溢れています。これだけ多いと風情が失われてしまいます 「紅葉の季節になると、どの寺院も外国人客が押し寄せて、“穴場”というものが無くなってしまいました」 JR京都駅烏丸口のD1乗り場は、清水寺、祇園、平安神宮を経由して銀閣寺に向かうのですが、観光客が大行列をつくり、バスを2本見送らなくては乗れません 日本人の“京都離れ”が加速 地元民が敬遠しだした「祇園祭」 京都っ子の台所「錦市場」は食べ歩き天国に 舞妓・芸妓がパパラッチに狙われることも 観光客を分散させることも必要
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経済学(世界随一の経済学者が すべてを投げ捨てても守りたかったもの 宇沢弘文の孤独と怒り、なぜ米国の一流経済学者が日本に二流のアドバイスをするのか) [経済政策]

今日は、経済学(世界随一の経済学者が すべてを投げ捨てても守りたかったもの 宇沢弘文の孤独と怒り、なぜ米国の一流経済学者が日本に二流のアドバイスをするのか)を取上げよう。

先ずは、日経新聞社出身のジャーナリスト、佐々木 実氏が3月29日付け現代ビジネスに寄稿した「世界随一の経済学者が、すべてを投げ捨てても守りたかったもの 宇沢弘文の孤独と怒り」を紹介しよう。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/60245
・『日本人唯一の世界的経済学者、宇沢弘文(宇沢弘文(1928−2014)とはじめて会ったのは、わたしの前作『市場と権力 「改革」に憑かれた経済学者の肖像』(講談社)の取材をしているときでした。 竹中平蔵という経済学者の人生の歩みを追った評伝だったのですが、竹中は若いころ、宇沢が指導する研究機関に在籍していたことがあったのです。 もっとも、竹中について宇沢に取材するという行為が本末転倒であることぐらい、自覚はしていました。世界的に評価されている経済学者に、学問的業績などほとんどない経済学者の話を聞くわけですから、話がアベコベだ。 竹中の話は早々に切り上げ、わたしはこの碩学にぜひとも聞きたかったことを息せき切ってたずねていました。経済学という学問、経済学者という職業的専門家に対する疑問についてです。 日常生活から国際政治まで、いまほど資本主義に起因する問題が山積みになっている時代はない。それなのに、なぜ職業的専門家たちは「声なし」なのか。それどころか、社会を誤った方向に先導しているようにすらみえるのはいったいどういうことか。 いまでも不思議におもうのですが、わたしの理解が一知半解であることぐらいすぐにわかったはずなのに、宇沢は至極真剣な面持ちでわたしの話を聞いていました。ある質問をした際、絶句して黙り込んでしまった宇沢の姿をいまも鮮明におぼえています。 宇沢は経済学という学問の「奥の院」にいた、日本人としては唯一の人物でした。スタンフォード大学、シカゴ大学を拠点に活躍し、アメリカの経済学界で一、二を争う理論家となりました。世界の名だたる経済学者たちと親交を結び、学界の指導者のひとりとなっていたのです。 ところが、不惑を迎える年に突然、栄光ある地位を放り投げ、日本に帰国してしまいます。そればかりか、しばらくすると猛然と経済学を批判しはじめ、周囲を戸惑わせるようになるのです』、宇沢弘文は一時はノーベル経済学賞に最も近い日本人とも言われたが、「猛然と経済学を批判しはじめ、周囲を戸惑わせるようになる」というのでは、ノーベル経済学賞など馬鹿にしていたのだろう。
・『グローバリゼーションの荒波に対抗して  宇沢が闘っていた相手は、いわば、現在のグローバリゼーションを推進した経済学者たちです。 論敵の名をひとりだけ挙げるなら、シカゴ大学の同僚だったミルトン・フリードマンでしょう。『Capitalism and Freedom(資本主義と自由)』『Free to Choose(選択の自由)』という、世界中で熱狂的な読者を獲得した市場原理主義の啓蒙書を著した経済学者です。 フリードマンは「シカゴ学派」を率い、新自由主義思想を世界に布教することに成功しました。フリードマン信者(“Friedmanite”)にアメリカのロナルド・レーガン大統領、イギリスのマーガレット・サッチャー首相という大物がいたからです。 「自由」の概念でさえ、資本主義との関係のなかで論じなければ意味をもたない。それがグローバリゼーションという時代です。高度に発展した資本主義の社会では、思想闘争の中心に経済学者がいる。 問題は、経済学という学問内の闘争はわれわれシロウトには容易にはわからないということです。 ところで、フリードマンは好敵手として親しく交わった宇沢が日本に帰国してからというもの、フリードマン信奉者の日本人に依頼して、宇沢が日本語で著した論文や記事を英語に訳させ、丹念にチェックしていました。自分にとって脅威となりうる経済学者とみなしていたのです。 思想闘争では「敗者」とならざるをえなかった宇沢は、「自由」をめぐる論戦の世界的な動向と深く関わりつつ、新たな経済理論の構築に悪戦苦闘しました。 しかし残念ながら、彼が何とどのように闘っていたのか、経済学という専門知の壁にさえぎられ、当時もいまも、ほとんどの人には理解がおよびません。宇沢の闘いの全貌を描いた作品がこのたび上梓した『資本主義と闘った男 宇沢弘文と経済学の世界』なのです。 思い返せば、初対面の場面から、わたしは術中にはまっていました。宇沢亡きあと浩子夫人から教えられたのですが、宇沢独特の教授法はアメリカ滞在時代、「Socratic Method(ソクラテス式問答法)」と呼ばれ、教え子たちのあいだで有名だったそうです。 対話を重ねるたび、わたしも自分が何を知らないのかはっきり認識するようになりました。自分の思考がいかに薄っぺらなものであるか、いやというほど思い知らされました。宇沢はまるで魔術のような対話術をもっていたのです。 落とし穴もそこにありました。魔術のような問答法をもつ経済学者に、術中にはまっているシロウトがインタビューするのですから、当然といえば当然です。 わたしは宇沢に誘われ、宇沢がセンター長をつとめる同志社大学の社会的共通資本研究センターに参加するようになりました。 とはいっても、わたしは研究者ではありません。はじめから、なんとかして宇沢弘文に本格的インタビューを試みるチャンスはないものかとうかがっていました』、フリードマンが宇沢帰国後に、「宇沢が日本語で著した論文や記事を英語に訳させ、丹念にチェックしていました」、やはり強いライバル意識があったのだろう。
・『宇沢の怒りと孤立  研究センターの研究の一環としてインタビューを企画したとき、意外にもあっさり本人の承諾を得ることができました。 なぜ意外だったかというと、わたしが持ち合わせている知識では、難解な数理経済学者であり厳密な理論経済学者である宇沢の真髄に迫るインタビューなど困難であることはあきらかだったからです。 宇沢邸での聞き取りは幼少期の思い出からスタートしましたが、わたしの頭のなかは、経済学に関するインタビューをどうするかという問題で一杯でした。宇沢の思想を理解するには、宇沢の難解な経済理論を深く読み解かなければならないからです。 思案のすえ、経済学者を同伴することを思いつき、提案してみたのです。口にこそ出しませんでしたが、具体的な候補者まで考えていました。 ところが、そのときでした、宇沢が激怒したのは。怒るというより、はげしく動揺し取り乱したといったほうが適切かもしれません。宇沢は、感情の昂りをおさえきれず吃りながらまくしたてると、「そんなことなら、もうこの話はなかったことにしよう!」と言い放ちました。わたしは皆目わけがわからず、押し黙っているしかありませんでした。頭のなかは真っ白でした。 「ごめん、ごめん……ちょっと呑もうか?」 興奮から醒めて我に返った宇沢がいい、キッチンに立ってビールを2本もってもどってきましたが、怒りのわけを理解できないわたしは呆然としたままでした。 この出来事は、それまで回を重ね順調に進んでいたインタビューが滞る原因ともなってしまいました。 情けないことに、怒りの意味を理解できたのは、宇沢が世を去ったときでした。 追悼文で称揚されている宇沢が、宇沢自身が語っていた宇沢とは別人であるようにしかおもえなかった。宇沢の薫陶を受けたと前置きしながら、的外れとしかおもえない宇沢論を展開している人もいたのです。 もちろん、批判したいのではありません。宇沢の孤立はそこまで深刻なものだったのか。あのときの怒り、動揺した姿を思い出しながら、私自身が確認したまでです。 宇沢は、資本主義が惹き起こす現実の問題をとらえるための理論を構築しようと苦闘する過程で、新たな思想を産み出しました。 しかし、経済学者として知名度があるにもかかわらず(「それゆえに」かもしれません)、彼の思想が広く知られることはありませんでした。 当初わたしを買いかぶっていた宇沢は、わたしというメディアを通して、自分の思想を伝えることができるかもしれないと考えていた時期がたしかにありました。 生前の期待に応えることはできませんでしたが、遺志を継ぐつもりで、『資本主義と闘った男』を著しました。 宇沢弘文は故人となりましたが、彼の思想はいま誕生したばかりです。ひとりでも多くの方に本書を手に取っていただき、新たな思想に触れてもらいたい。宇沢弘文が身命を賭して表現しようとしたLiberalismに。』、自著を売りたいためか、宇沢思想の本質については殆ど説明がないのは残念だ。Wikipediaでみると、宇沢は、大気や水道、教育、報道など地域文化を維持するため一つとして欠かせない社会的共通資本であると説き、市場原理に委ねてはいけないと主張したようだ。ただ、これが主流派とどのような論争になったかについては、もっとネット検索して調べる必要がありそうだ。

次に、元財務省出身で慶応義塾大学准教授の小幡 績氏が7月8日付けNewsweek日本版に寄稿した「なぜ米国の一流経済学者が日本に二流のアドバイスをするのか」を紹介しよう。
https://www.newsweekjapan.jp/obata/2019/07/post-35_1.php
・『<早朝のソウルを散歩し、行きかう人々の姿を観察していた筆者は、韓国経済への素晴らしい処方箋を思いつく。しかし、それはとんでもない間違いだった。アメリカの一流学者も日本に同じことをやっている> 授業で韓国に来ている。 ソウルは36度と暑さが厳しいので早朝街を歩くことにした。 するとちょうどよい遊歩道が川沿いにあるのを見つけた。地元の人々が大勢ウォーキングをしていた。 すぐに私はあることに気がついた。 まず、走っている人がいない。全員歩いているのである。 これはちょっと不思議だった。日本ではランニングが流行しすぎるほどしすぎているのに。日本と韓国は近くて似ていると思っていたが、そうでもないのか。 さらに不思議だったのでは、歩いている人たちの多くが不気味な手袋をつけていることである。肌色でそれにペイズリー柄など様々な模様がプリントしてある。刺青かと思ってびっくりした。 そして、よく見ると、その変な手袋をしているのはみんな老人しかも女性なのである。日焼け防止かと思うと顔は無防備だし、その頬もしわしわだが健康そうに焼けている。 ふと見回すと、歩いているのは全員老人なのである。朝のウォーキングをしているのは全員老人で、若者はどこにもいないのである。 ここに韓国社会と日本社会の違いを見た。日本よりも深刻な高齢化と格差社会の問題が存在しているのである。 中国でもそうだが、韓国で豊かなのは若者だ。中年の起業成功者、若いエリート社員、そして起業家である。高齢で裕福なのは財閥で成功した一部に過ぎない』、なるほど。
・『貧しい高齢者と豊かな若者?  ソウルの街は、豊かな若者であふれている。日本よりも価格が高いスタバで惜しげもなく注文し、勉強し、スマホをしている。ブランド物の持ち物にあふれ、化粧とサプリに入念である。若い層が豊かだとエネルギーがある。新しいモノ、サービス、企業を生み出す力につながる。そういう若い成功者に憧れ、若者が勉強し起業し成功し豊かな生活を謳歌している。 一方で、昔ながらの老人たちはカネのかからない川沿いの遊歩道でのウォーキングに励む。走る気力はないが、健康ではいたい。そんな老人たちを省みず(家庭内では世代間の様々な問題があるのだが)、豊かな若者はジムで汗を流す。 やはり日本は格差を広げてはいけない。老人が年金をもらいすぎ、氷河期世代の若者が若くなくなり貧しくなっていくというのはなんとしても抑えなければいけない。そして、韓国は経済成長、GDP、グローバル企業とK-POPなどを目指す前に、貧しい高齢者と豊かな若者の、貧富の格差をなんとかしなければいけない。授業でそういうアドバイスもしてみようか。 ここまで考えて、結構歩きすぎたことに気づき、ホテルに戻ることにした。もうすでに結構暑くなってきた。汗もかいている。時間もいつのまにか8時近い。 急いで同じ道を引き返していると、行きと帰りでは同じ道でも印象が違うとはよく言うが、別世界を目の当たりにした。 私のほうへ向かって、つまり私とは逆向きに、多くの若者がiPhone(いやSamsungかもしれない)とイヤホンで音楽を聴きながら、ジョギングをしているのである。 私は呆然とした。 私の1時間半の散歩中の思索による政策提言はすべて無駄だったのである。 無駄であるどころか、大間違いである可能性があったのである。 日曜日の朝、若者たちは土曜日の夜遊びに行かなくてはならず(そういう強迫観念がソウルの若者にはあるらしい)、誰も日曜日の朝は早起きできないのである。8時を過ぎてようやく少しずつ若者が出てきたのであり、時間を追うごとに河川敷の遊歩道は年齢層がどんどん低下してきたのである。 老人だけを私が見たのは、たまたまそういう時間帯だったというだけだったのである。 お前はただの阿呆か、と言われるだろう。 もちろん、阿呆である。 しかし、阿呆なりに学んだのは、これで米国一流経済学者が日本にリフレ政策やMMT、果ては消費税引き上げ延期、財政出動をまじめな顔でえらそうに提案する理由がわかったのである』、小幡氏が自分の思索の誤りを、米国一流経済学者による日本への提案と結び付けたのはさすがだ。
・『アメリカでは間違わない理由  彼らは、お気楽に無邪気に思い付きをしゃべっているだけなのである。しかも、米国経済学者は世界一であるという(正しい面もあるのだが)優越感から、ヴォランティア精神で、親切にアドバイスしているつもりなのである。 そして、そのアドバイスが間違っているのは、日本のごく一部を観察して、自分の価値観に都合よく結びつけて、いいことを思いついたことにうれしくなり、提案しているのである。 そんなことを自国の米国経済に提案しないじゃないか、無責任じゃないか、よその国で実験しやがって、と思うだろうが、彼らは米国でも実験することはやぶさかではないのだが、米国では一応社会、経済の全体像を知っていて、観察機会も多いからデータが多い、ケースも多いので、誤った提案は誤っていることに気づくのである。 自分のよく知らないことに対しては、いわば観光客気分で、親切に無邪気に、サンプル1、ケース1で、いいことを思いつき、気軽に言ってみるのである。 私はもちろんそんな一流経済学者ではないから、無邪気な政策提案を万が一したとしても誰も聞かないので、幸運なのである。 このエッセイで吠えて、読者に間違っていると指摘されるぐらいが関の山なのである』、「自分のよく知らないことに対しては、いわば観光客気分で、親切に無邪気に・・・いいことを思いつき、気軽に言ってみるのであ」、との指摘はその通りだろう。彼らの無責任な発言を、もっともらしく紹介する日経新聞に読ませてやりたい。
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働き方改革(その21)(安倍政権「就職氷河期支援策」で非正規労働者を食い物に、中間管理職がヤバい!死亡率急増と身代わり残業、今後の日本で「賃金が際限なく下がる」と考えられるこれだけの理由 雇用制度改革が暗示する未来) [経済政策]

働き方改革については、5月20日に取上げた。今日は、(その21)(安倍政権「就職氷河期支援策」で非正規労働者を食い物に、中間管理職がヤバい!死亡率急増と身代わり残業、今後の日本で「賃金が際限なく下がる」と考えられるこれだけの理由 雇用制度改革が暗示する未来)である。

先ずは、6月6日付け日刊ゲンダイ「安倍政権「就職氷河期支援策」で非正規労働者を食い物に」を紹介しよう。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/255430
・『政府が6月に閣議決定する「骨太の方針」に盛り込む「就職氷河期世代支援プログラム」に、あの竹中平蔵東洋大教授(パソナグループ会長)の影がチラついている。 支援策は、今後3年間で就職氷河期世代に当たる35~44歳の正規雇用者を30万人増やすと、聞こえはいいが、対策の柱に「キャリア教育や職業訓練を人材派遣会社などに委託し、就職に結びついた成果に応じて委託費を払う」と、人材派遣会社にとっていいことずくめの内容が含まれている。そこで「支援プログラムは竹中会長案件か」(厚労行政関係者)との見方が出ているのだ。 支援策の構想が持ち上がったのは、今年3月27日の経済財政諮問会議。議事録によると、議長の安倍首相は〈就職氷河期世代への対応が極めて重要〉とぶち上げ、竹中氏がメンバーに名を連ねる「未来投資会議」と連携しながら検討を進めるよう諮問会議に要請したのだ。 すると、4月10日の諮問会議では、柳川範之東大大学院教授と竹森俊平慶大教授ら民間議員が支援策の骨子を提言。柳川氏は〈民間事業者の協力を得て、官民一体、地域横断型で新規能力開発のプログラムを充実していく。その時には、やはり成果報酬型の業務委託なども積極的に活用していくということが大事〉と、人材派遣会社への委託と成果に応じた委託費導入の必要性を強く訴えている。竹森氏もこれに追随した。 この2人、実は“竹中一派”とみられている。柳川氏は、竹中氏が理事長を務める「SBI大学院大学金融研究所」の研究員。一般社団法人「G1」のシンクタンク「G1政策研究所」では、顧問を務める竹中氏と共に幹事として名を連ねている』、経済財政諮問会議は加計学園問題でも使われたが、利益誘導のためには使い勝手がよいようだ。それにしても、“竹中一派”は、柳川氏、竹森氏など錚々なる顔ぶれだ。
・『人材派遣会社を2度儲けさせる  竹森氏は、「日経ビジネスオンライン」(2009年7月22日)に「竹中氏は日本経済の恩人である」と題したヨイショ記事を寄稿している。竹中氏に近い人物が氷河期世代ビジネスの門戸を開いた格好だ。 氷河期世代計約1700万人のうち、非正規社員とフリーターは371万人で、世代全体の約22%を占める。そもそも、大勢の氷河期世代を不安定な就労環境に追い込んだのは、大規模な規制緩和を進めた小泉純一郎政権だ。当時、経済財政担当相だった竹中氏は小泉首相と二人三脚で04年に労働者派遣法を改定し、製造業への派遣を解禁。以来、非正規社員は増え続けた。それを今さら「救う」とは、どう見てもマッチポンプだろう。労働問題に詳しい法大教授の上西充子氏はこう言う。 「政府の方針は、氷河期世代を『救う』というより、商売の道具にしているように見えます。過去には規制緩和で派遣労働者を増やし、一部の人材派遣会社に儲けさせ、今度は不安定な雇用環境に陥った人たちを『救う』という名目でビジネスチャンスをつくる。人材派遣会社に2度、儲けさせている格好です。そもそも、氷河期世代の非正規問題は08年のリーマン・ショック後に表面化しています。過去に対策を打てず、今さら『救う』というのは、あまりにも無反省でしょう」 安倍首相と“竹中一派”は労働者を“金目”としか思っていない』、「人材派遣会社を2度儲けさせる」とは腹立たしい限りだ。

次に、健康社会学者(Ph.D)の河合 薫氏が6月18日付け日経ビジネスオンラインに寄稿した「中間管理職がヤバい!死亡率急増と身代わり残業」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00118/00028/?P=1
・『「働き方改革ってどうなんですか? 他の会社とかうまくいってるんでしょうか? いえね、なんと言うか、働き方改革って仕事よりプライベートを大切にする若い世代だけのためにあるような気がするんです」 こう話すのは大企業に勤める課長職の男性である。 職場では上からも下からも責められ、家庭では妻からも責められる中間管理職は、いつの時代も“会社の変化”のとばっちりを真っ先に受けてきた気の毒な存在である。その中間管理職が「働き方改革で追い詰められている」と言うのだ。 部下と上司の“働き方改革格差”は、今年2月に公開された日本能率協会のアンケート調査でも確認されている。働き方改革が進んだと実感する理由として「有休取得」「残業減」をあげた人が多かった一方で、「働き方改革実感なし」と7割が回答。年齢別では、20代が61.5%であるのに対し、40代は69.0%、50代では75.0%と、年齢が高いほど否定的な意見が増える傾向が認められていたのである。 そもそも「働き方改革」が「働かせ方改革」になってしまったことで、そのひずみがあちこちで表面化し始めているとは感じていたけど、管理職の“それ”は本人の自覚以上に深刻。そこで今回は「中間管理職の呪縛」をテーマにあれこれ考えてみようと思う。 まずは男性の現状からお聞きください。 「うちの会社は‥‥私も含めて‥中間管理職が疲弊しています。と言っても、ラインの管理職ではなく、現場付きのプレイング・マネジャーです。例の広告代理店の事件以来、長時間労働の締め付けがきつくなりました。 『部下に残業をさせるな!』と上からはことあるごとに言われますし、会社もSNS告発にかなり敏感になっているので、とにかくうるさい。部下にツイッターでブラック企業だの、パワハラ上司だの言われたら株価だって左右されるご時世です。 なのでどんなに忙しくても若い社員は一刻も早く帰さないとダメなんです。 すると必然的に管理職が、部下の業務を肩代わりするしかない」』、最もシワ寄せされているのが、「現場付きのプレイング・マネジャー」とはありそうな話だ。
・『件の中間管理職男性は続ける。 「もちろん業務の効率化も進めてはきました。でも、お客さん相手の現場は変えられないんです。今までやっていたことを『できない』とは到底言えません。 残業はこの1、2年で倍増しました。月100時間なんてのもザラです。 しんどいですよ。ただ、私たちの世代は残業やってなんぼで育ってきましたから、精神的な負担はさほどない。部下に長時間労働させて、万が一を心配するくらいなら自分でやった方がましです。 でも、健康不安はかなりあります。 つい先日も、大学時代の先輩が朝ランニングに行ったきり帰ってこなくて奥さんが心配してたら、途中で倒れて病院に運ばれてました。そんな話を聞くと、やはり怖くなりますよね。 働き方改革を進めれば進めるほど、自分たちの首を絞めているような気がします。ここまでして残業を規制する必要があるんですかね。体を壊すまで残業するのは本末転倒ですけど、そこは自分でコントロールすればいいと思ってしまうんですけど。あ、こういうこと言ってしまうのが、昭和の価値観なんですかね?」』、「残業はこの1、2年で倍増しました。月100時間なんてのもザラです」、確かに大変そうだ。「部下に長時間労働させて、万が一を心配するくらいなら自分でやった方がましです」、というのは多くのプレイング・マネジャーの本音だろう。
・『残業規制だけでは何も解決しない  ‥‥“部下の肩代わり残業”とは、なんともやるせない事態だが、男性はどこか他人事だった。残業を嘆きながらも、残業規制を批判するという、この世代によく見られる複雑な心情が垣間見られたのである。 そもそも残業削減が働き方改革の代名詞になっているけれど、残業ありきで成立している企業で「残業削減」だけに手をつけたところでできるわけがない。 本来であれば経営陣が経営判断として、業務量の調整、効率化に乗り出すべきなのに、中間管理職の上の人たち=上級管理職に「ひとつ、よろしく!」と押し付ける。 前述の男性の会社では、「部下の残業量は上司の無能のパラメーター」と言わんばかりに、「無駄な仕事を効率化する」という明確なミッションが管理職に課せられていて、業務を減らす権限はないのに、効率化だけを任されるという、なんともトンチンカンな事態が横行しているのだという』、「“部下の肩代わり残業”」とは言い得て妙だ。「業務を減らす権限はないのに、効率化だけを任されるという、なんともトンチンカンな事態が横行」、というのも本質を突いた鋭い指摘だ。
・『いずれにせよ、“日本株式会社”の歴史は「管理職の命」と引きかえに発展してきたと言っても過言ではない。 1970年代後半に中小企業の管理職層で心筋梗塞発症が急増した「過労死=KAROSHI」も、まさにそれだった。 第1次オイルショックで景気が冷え込み、国は企業に助成金を出すことで雇用を守った。ところが、助成金で不景気を乗り切った企業が、その後の景気回復に伴い人を増やすのではなく、少ない人数で長い時間働かせることで生産性を向上させるようになる。 このとき生まれたのが「残業」という概念である』、「残業」の歴史はもっと古いと思われるが、激化したのは確かに「1970年代後半」なのかも知れない。
・『残業という非日常が日常になってしまった  その後も「メード・イン・ジャパン」の需要は拡大しつづけ、企業は残業ありきで従業員を雇い、賃金も残業ありきで定着。やがて1990年代に入ると精神的なストレスでうつ病などの精神障害に陥った末の自殺である「過労自殺」が急増する。 会社を生かすために、管理職の生きる力が奪われていったのだ。 昭和後期から平成初期ににかけての管理職の痛ましい実態は統計的な分析からも確かめられている。 北里大学公衆衛生学部の和田耕治氏らの研究グループが、30~59歳の男性の死因および死亡前に就いていた職業のデータなどを、1980年から2005年まで縦断的に解析したところ、管理職の自殺率は1980年から2005年の25年間で、271%も激増し、管理職の死亡率が5年で7割も増加。さらに、心筋梗塞や脳卒中で亡くなる人は他の職種で漸減していたのに、管理職と専門職では70%も増加していたのである。 また、この調査では30~59歳の日本人男性の人口に占める管理職の割合も調べているのだが、1980~2005年の25年間で、8.2%だったのが3.2%と半分未満に減少していることもわかった。 つまり、もともと少ない人数が「残業」でこなしていた業務を、さらに少ない人数でやる羽目になり、そこに「生産性向上」という銃弾が飛び交う時代に突入したのである』、「管理職の自殺率」の激増、「心筋梗塞や脳卒中で亡くなる」「管理職と専門職」の急増は、確かに顕著で、悲惨な事態だ。
・『欧州では低い管理職の死亡率が高い韓国と日本  と、ここまでは国内のデータ分析なので、「それって日本だけのことじゃないでしょ? 世界的にも中間管理職ってリスクあるポジションなんじゃないの?」と思われる方もいるかもしれない。 そこでその答えを探ろうとしたのが、東京大学大学院医学系研究科の小林廉毅教授らの研究チームだ。(「日本と韓国では管理職・専門職男性の死亡率が高い」) 調査では、デンマークやスイス、フランス、英国など欧州8カ国と日本および韓国の35~64歳男性の死亡データ(1990年から2015年)を分析。その結果、「日本の管理職や専門職の男性の死亡率が高い」という、いたたまれないリアルが確かめられてしまったのである。) 研究グループによれば、欧州は90年代から一貫して「管理職と専門職」の死亡率が低く、「事務・サービス系」「工場や運輸など肉体労働系」の死亡率が高い傾向が続いていて、デンマークやスイスでは10~14年の肉体労働系の死亡率が、管理職と専門職の2倍強だった。 ところが、日本では正反対の結果となってしまったのだ。日本では「管理職と専門職」の死亡率が急激に上昇し、2000年代に入り若干下がったものの、依然として高い傾向が続いていた。一方で、その他の職業階層での死亡率は継続的に低下していたのである。 2015年には10万人当たり357人で、事務・サービス系の1.4倍。主な原因はがんと自殺だ。 ちなみに日本同様、労働時間の長さが世界トップクラスの韓国でも管理職と専門職の死亡率が高いが、日本がバブル崩壊後急上昇したのに対し、韓国ではリーマン・ショック以降だったという。 研究グループの小林教授はこれらの結果に対し、「時間の自己管理が建前の管理職は、自らを長時間労働に追い込みがちだ」と指摘している。 自らを長時間労働に追い込みがち―――。 言葉はシンプルだが、その行動に至る「心」は実に複雑である』、「時間の自己管理が建前の管理職は、自らを長時間労働に追い込みがちだ」、というのは正鵠を突いた指摘だ。
・『今、健康な人が危なさを実感するのは難しい  私は一貫して長時間労働は規制すべきだと訴えてきた。だが、どんなに私が訴えたところで、「残業を規制するのはおかしい」という人たちには、私の言葉は全く届かなかった。 どんなに「長時間労働だけじゃなく、睡眠不足もダメなんです!」と訴え、「ほら、こんなエビデンスもあるんですよ!」と統計的に分析された結果を示してもダメ。 「週労働60時間以上、睡眠6時間以上」群の心筋梗塞のリスクは1.4倍で「週労働60時間以上、睡眠6時間未満」群では4.8倍ですよ、だの、1日の労働時間が「11時間超」労働群は「7~10時間」群に比べ、脳・心臓疾患を発症するリスクが2.7倍ですよ、だのと具体的に数字で示しても、今元気な人には全く実感が持てない。 「労働基準法の第1章第1条には『労働条件は、労働者が人たるに値する生活を営むための必要を充たすべきものでなければならない』と書かれているにもかかわらず、日本の企業は違反、違反、違反を繰り返してきた。その間、何人もの人たちが大切な命を奪われているんです」と諭されても、全く腑(ふ)に落ちない』、「今、健康な人が危なさを実感するのは難しい」、というのは自分にとって都合の悪い情報を無視したり、過小評価したりしてしまう「正常化バイアス」のためなのかも知れない。
・『悲しいかな、人は健康を害するまで「健康」の大切さがわからない。どんなに「たまたま生き残ってるだけですよ。明日死ぬかもしれませんよ」と脅されても苦笑いするだけ。 つい先日の講演会で「政府の残業規制を守ろうとすると会社がつぶれてしまう。従業員だって残業代が欲しいから働かせてくれって言うし、残業を悪とする流れが全く理解できない」と社長さんに問われたときもそうだった。 「法律は弱者に合わせるべきだ。どんなにやる気があって仕事好きでも、長時間労働と睡眠不足が心身をむしばむことは避けられない」と私が答えても、社長さんは「でも、ストレス耐性には個人差がある。会社がつぶれては元も子もない」と言い返した。 そこで「社長さんは、きっとうまくコントロールしてきたのかもしれません。でも、それはたまたま結果的にそうなっただけのこと。社長さんの気づかないところで、体を壊していたり、精神的に追い詰められたりして会社を離れていった人もいたんじゃないでしょうか」と諭したが、その社長さんは全く納得していない様子だった』、ここまで河合氏に諭されても「全く納得していない様子」の社長には、やはり法規制の網をかぶせるしかないのだろう。
・『経営者自身が自分ごとと認識しているかが問題  ところが、同じ会場にいた他の企業の社長さんが、とっさに手をあげ、 「今の河合さんのお話には涙が出ました。実は私の部下がくも膜下出血で倒れて亡くなったことがあったんです。なので自分が社長になったとき、最初に手をつけたのは業務の見直しでした」と言ってくれたのである。 つまるところ、1回でも長時間労働でヤバイ状態を経験していれば、経営者自らが業務の適正化に積極的に関わり、管理職も部下の肩代わりをするのではなく、上に願い出る。 が、その経験がない経営者は管理職の身代わり残業を「容認」し、管理職自身は悲鳴をあげながらも「自らを長時間労働に追い込んで」しまうのである。 誰もが「中間管理職は大変だよね」と嘆くのに、どういうわけか「中間管理職を守る制度」はほとんどない。会社の要である管理職の健康にもっとクローズアップする必要があるのではないか。 なんでも「見える化」、なんでも「数値目標」の時代なのだから、管理職の健康状態も見える化し、女性活躍推進に優れた企業を認定する「なでしこ銘柄」のような制度を作ればいいではないか。 「わが社の管理職の残業時間はゼロ。健康状態良好群は90%。モチベーション高群100%」とか。中間管理職の健康を守ることに、そろそろ真剣に乗り出してもいいように思う。 そして、どうか自分の体を守ってください。失った客は取り戻せても、健康は戻ってきませんから‥‥』、説得力溢れた主張で、諸手を挙げて賛成したい。

第三に、経済評論家の加谷 珪一氏が6月26日付け現代ビジネスに寄稿した「今後の日本で「賃金が際限なく下がる」と考えられるこれだけの理由 雇用制度改革が暗示する未来」を紹介しよう。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/65489
・『2019年に入って、雇用に関する従来の常識がことごとく崩壊している。70歳までの雇用延長、役職定年、残業規制やパワハラ禁止など、ニッポンの会社員にとって、これまで経験したことのない変化といってよいだろう。年金や退職金の減額など、老後の生活を支える仕組みの機能不全も明らかとなっており、ますます混迷の度合いを深めている。 一連の雇用制度改正は、産業構造の変革を伴うものであれば効果を発揮するが、現状のままでは、際限ない賃金の低下をもたらす可能性が高い。雇用について、今、起こっている変化を整理し、今後の推移について考察してみたい』、不吉な予測だ。
・『「雇用延長」は確実に賃金を低下させる  一連の雇用制度改正の中でもっともインパクトが大きかったのは、やはり70歳までの雇用延長だろう。背景となっているのは、言うまでもなく年金制度の限界である。金融庁が5月にまとめた、人生100年時代に対応した資産形成の指針が炎上するという騒ぎがあったが、それは公的年金の限界をハッキリ指摘してしまったからである。 官庁がストレートな言い方で「年金はアテにならない」と明言したのは、おそらく初めてなので、多くの人がショックを受けたわけだが、これはあくまで表現の問題に過ぎない。公的年金が将来、減額になることは厚生労働省のシミュレーションなどですでに示されており、70歳までの定年延長も当然のことながら年金の減額を補完するための措置である。 定年が延長されれば、社員を今よりも長期間雇用する必要があるので、企業側は総人件費の増大を強く警戒することになる。企業側に総人件費を大幅に増やすという選択肢はないので、定年が延長されてコストが増えた分、若い世代の賃金が引き下げられるのはほぼ確実である。70歳までの雇用延長は平均賃金の引き下げ効果をもたらすだろう』、その通りだろう。
・『40代が年収のピークになる  定年延長に伴う総人件費の増大については、若い世代の賃金引き下げだけでは対処できないので、当然のことながら高齢社員の年収も大幅に引き下げられる。年収引き下げのタイミングとなるのが、役職定年と再雇用だろう。 企業は一定の年齢に達した段階で、高い役職に就いていない社員を管理職から外す、いわゆる役職定年を強化している。役職のない仕事に異動するタイミングで年収は大幅に下がる可能性が高く、次にやってくるのは60歳、あるいは65歳での再雇用をきっかけとした年収引き下げだろう。 企業は社員が希望すれば定年後も社員を再雇用する義務があるが、ほとんどの場合において年収は大幅に下がる。大企業や公務員の場合には7割程度、業績が悪い企業や中小企業の場合には5割になると思った方がよい。これからの時代は、役員まで出世する一部の人を除いて、40代が年収のピークとなる』、晩婚化で教育費のピークは年収のピークより遅れるとすれば、計画的な生活設計が必要だろう。
・『退職金が消滅  定年が70歳まで延長されれば、これは事実上の生涯労働といってよく、そうなると高額の退職金を支払う意味がなくなってしまう。 厚生労働省の調査によると2017年に大卒の定年退職者に企業が支払った退職金の平均額は1788万円となっており、5年前との比較で153万円減少した。20年前との比較ではなんと1083万円も減っている。事実上、退職金は消滅に向けて動き出したといってよい。 退職金は定年とセットになったものであり、定年制度が崩壊しつつある今、企業にとっては退職金を支払うメリットがなくなっている。退職金の支払いを前提したライフプランは、今後は成立しないと考えた方がよいだろう』、退職金を住宅ローンの返済原資にする慣行も変わらざるを得ないだろう。
・『残業規制は「生産性の低い企業」に大打撃  雇用に関する変化は、働く年月についてだけではない。これからは日々の働き方も大きく変わる。今年の4月から働き方改革関連法が施行され、残業時間に厳しい上限規制が設けられた。一連の制度改正は、多くの会社員に根本的な価値観の転換を迫ることになる。 日本において無制限の残業が認められてきたのは、終身雇用と年功序列の制度があったからである。雇用と賃金を保障する代わりに滅私奉公的な働き方を社員に求めてきた。一連の制度は、昭和の時代においてはうまく機能したが、今では生産性を引き下げる元凶となっている。 残業規制の導入は、企業の優劣を鮮明にする効果をもたらすだろう。 一部の企業では、残業規制の導入後、一律に残業時間を削減するという場当たり的な対応を行っている。業務のムダを見直さず、ただ労働時間だけを削減した場合、企業の生産量は確実に減るので、売上高と利益の減少につながる。生産性が上がらないと賃金も上げられないので、社員の年収がさらに下がるという悪循環に陥る。生産性の向上を実現できず、市場退出を迫られる企業が出てくるかもしれない』、「生産性の向上」のためには、企業の整理淘汰もある程度は必要なのだろう。
・『パワハラ防止法があぶり出す日本企業の経営実態  この状況にダメ押し的な効果をもたらすのが今国会で成立したパワハラ防止法である。これまでパワハラには明確な定義がなかったが、関連法の整備によって何がパワハラで何がパワハラではないのかハッキリすることになった。詳細な判断基準については現在、検討中だが、同僚の目の前で叱責する、大量の仕事を押しつける、仕事を与えない、といった行為は明確にパワハラと認定されることになる。 日本企業においては、パワハラと無制限の残業は事実上セットになっていた。生産性の低さを滅私奉公と暴力的な社風でカバーするという図式である。この両方が法律で明確に禁止されるので、低付加価値な企業は息の根を止められてしまうだろう。 日本の場合、企業は自由に社員を解雇することができない。諸外国において日本のようなパワハラ問題が存在しないのは、企業がいつでも社員を解雇できるからである。日本では、能力のない社員も含めて、全員を丁寧に扱い、かつ短時間で仕事を切り上げる必要がある。これからの時代における日本の経営者の負担は計り知れない』、「生産性の低さを滅私奉公と暴力的な社風でカバーする」のが不可能になれば、「低付加価値な企業は息の根を止められてしまう」のは避けられない。「企業は自由に社員を解雇することができない」というのは、大企業の正社員の話で、既に派遣社員などの非正規労働者をバッファーに使ってきたので、「経営者の負担は計り知れない」というのはややオーバーだろう。
・『強制転勤の禁止  パワハラ防止法と関連するが、一連の法改正によって、強制的な転勤を社員に命じるのも困難になってくるだろう。多くの日本企業では、辞令があれば、どこにでも転勤するというのが当たり前だった。しかし、近年になって転勤を拒否する社員が増えており、企業の中には、強制的な転勤を抑制するところも出てきている。 日本の転勤制度は、やはり終身雇用制度と密接に関わっている。企業のビジネスは時代によって変化するので、業務を行う場所も変化する。諸外国の企業であれば、新規事業を行う場合には、新しい場所で社員を採用し、余剰となった人材は解雇することが多い。日本ではそれができないので、雇用を保障する代わりに、転勤を受け入れるという暗黙の了解が出来上がっていた。 化学メーカーのカネカが、育休を取得した社員に関西への転勤を命じたことが明らかになり、大きな批判を浴びているが、パワハラ防止法が施行された後は、強制的な転勤もパワハラに認定される可能性があり、企業は慎重にならざるをえないだろう。だが、終身雇用を保証した状況で、転勤も強制できないとなると、企業はさらに手枷足枷をはめられることになる』、「終身雇用」は判例などの慣行に根差したもので、決して「保証」しているわけではない。企業の存続がかかった場合には、「強制的な転勤」も認められるのではなかろうか。
・『暴力的なまでの「企業間格差」拡大  一連の雇用制度の改正は日本に何をもたらすだろうか。 筆者は、優秀な経営者がリードするごく一部の優良企業と、それ以外の企業との格差が絶望的なまでに拡大すると予想している。 経営者の仕事は儲かる仕組みを構築することだが、これができる経営者はごく少数である。プロ経営者が少ない日本の場合なおさらだろう。ごく一部の優秀な経営者が経営する企業は、儲かる仕組みができているので、社員の労働時間は短く、社風は穏やかで、育休などの制度もしっかり完備されることになるだろう。生産性が高いので当然、社員には高い賃金を払うことができる。 だが、こうした企業は全体のごく一部であり、従来型の薄利多売のビジネスから脱却できない企業の方が圧倒的に多い。本来であれば、市場メカニズムによってこうした企業は退場させ、雇用も流動化させた上で、経済の仕組みを抜本的に再構築する必要があるが、大方の日本人はこうした施策を望んでおらず、一連の改正も現状維持を大前提にしたものとなった。 低い付加価値しか生み出せない企業は、これまで無制限の残業やパワハラまがいの労働環境で何とかしのいできたが、一連の制度改正後は、こうした施策も不可能となる。企業の体質を変えられない経営者にとって、残された手段は、賃金の引き下げと際限のないコストカットしかない。 これは、限られたパイを奪い合う経済なので、立場の弱い企業は、今後、さらに劣悪な環境に置かれることになる。高い付加価値を実現した企業には、人が殺到するので、優良企業に入社するためのレースは壮絶なものとなるだろう』、「暴力的なまでの「企業間格差」拡大」、は概ねその通りだろう。しかし、こうした整理淘汰を通じて、日本全体の生産性も向上していくのだろう。
タグ:竹森俊平 過労死 日刊ゲンダイ 経済財政諮問会議 日経ビジネスオンライン 1970年代後半 役職定年 現代ビジネス 河合 薫 柳川範之 働き方改革 加谷 珪一 (その21)(安倍政権「就職氷河期支援策」で非正規労働者を食い物に、中間管理職がヤバい!死亡率急増と身代わり残業、今後の日本で「賃金が際限なく下がる」と考えられるこれだけの理由 雇用制度改革が暗示する未来) 「安倍政権「就職氷河期支援策」で非正規労働者を食い物に」 「就職氷河期世代支援プログラム」 竹中平蔵東洋大教授(パソナグループ会長)の影 「キャリア教育や職業訓練を人材派遣会社などに委託し、就職に結びついた成果に応じて委託費を払う」 支援プログラムは竹中会長案件か 安倍首相は〈就職氷河期世代への対応が極めて重要〉とぶち上げ “竹中一派” 人材派遣会社を2度儲けさせる 大勢の氷河期世代を不安定な就労環境に追い込んだのは、大規模な規制緩和を進めた小泉純一郎政権 竹中氏は小泉首相と二人三脚で04年に労働者派遣法を改定し、製造業への派遣を解禁。以来、非正規社員は増え続けた 今さら「救う」とは、どう見てもマッチポンプ 「中間管理職がヤバい!死亡率急増と身代わり残業」 働き方改革って仕事よりプライベートを大切にする若い世代だけのためにあるような気がする 中間管理職が「働き方改革で追い詰められている」 「働き方改革実感なし」 年齢が高いほど否定的な意見が増える傾向 「中間管理職の呪縛」 現場付きのプレイング・マネジャー どんなに忙しくても若い社員は一刻も早く帰さないとダメなんです。 すると必然的に管理職が、部下の業務を肩代わりするしかない 残業はこの1、2年で倍増しました。月100時間なんてのもザラ 残業規制だけでは何も解決しない 残業ありきで成立している企業で「残業削減」だけに手をつけたところでできるわけがない 「無駄な仕事を効率化する」という明確なミッションが管理職に課せられていて、業務を減らす権限はないのに、効率化だけを任されるという、なんともトンチンカンな事態が横行 “日本株式会社”の歴史は「管理職の命」と引きかえに発展 「残業」 残業という非日常が日常になってしまった 1990年代に入ると精神的なストレスでうつ病などの精神障害に陥った末の自殺である「過労自殺」が急増 管理職の自殺率は1980年から2005年の25年間で、271%も激増し、管理職の死亡率が5年で7割も増加 心筋梗塞や脳卒中で亡くなる人は他の職種で漸減していたのに、管理職と専門職では70%も増加 欧州では低い管理職の死亡率が高い韓国と日本 「時間の自己管理が建前の管理職は、自らを長時間労働に追い込みがちだ」 今、健康な人が危なさを実感するのは難しい 人は健康を害するまで「健康」の大切さがわからない 経営者自身が自分ごとと認識しているかが問題 中間管理職の健康を守ることに、そろそろ真剣に乗り出してもいいように思う 「今後の日本で「賃金が際限なく下がる」と考えられるこれだけの理由 雇用制度改革が暗示する未来」 70歳までの雇用延長 残業規制やパワハラ禁止 一連の雇用制度改正は、産業構造の変革を伴うものであれば効果を発揮するが、現状のままでは、際限ない賃金の低下をもたらす可能性が高い 「雇用延長」は確実に賃金を低下させる 40代が年収のピークになる 退職金が消滅 定年が70歳まで延長されれば、これは事実上の生涯労働といってよく、そうなると高額の退職金を支払う意味がなくなってしまう 残業規制は「生産性の低い企業」に大打撃 パワハラ防止法があぶり出す日本企業の経営実態 日本企業においては、パワハラと無制限の残業は事実上セットになっていた 生産性の低さを滅私奉公と暴力的な社風でカバーするという図式 強制転勤の禁止 暴力的なまでの「企業間格差」拡大
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日銀の異次元緩和政策(その30)(日銀保有の国債を変動利付きにすべき理由 岩村充・早大教授が出口への準備策を提言、骨太解説「日本の金融政策」がかくも無力なワケ 経済学の重鎮が「追われる国の経済学」を読む、参院選直前に日銀の梯子を外した安倍首相の無責任 政府と日銀が実施してきた金融緩和政策の必要性を否定) [経済政策]

日銀の異次元緩和政策については、昨年8月10日に取上げたままだった。久しぶりの今日は、(その30)(日銀保有の国債を変動利付きにすべき理由 岩村充・早大教授が出口への準備策を提言、骨太解説「日本の金融政策」がかくも無力なワケ 経済学の重鎮が「追われる国の経済学」を読む、参院選直前に日銀の梯子を外した安倍首相の無責任 政府と日銀が実施してきた金融緩和政策の必要性を否定)である。

先ずは、やや理論的だが、昨年9月26日付け東洋経済オンライン「日銀保有の国債を変動利付きにすべき理由 岩村充・早大教授が出口への準備策を提言」を紹介しよう(Qは聞き手の質問、Aは岩村氏の回答)。
https://toyokeizai.net/articles/-/239310
・『自民党総裁選の討論会で、安倍晋三首相は日本銀行の異次元金融緩和について「何とか任期のうちにやり遂げたい」と初めて時期について言及し、注目を集めた。巨額の日銀の損失が予想される出口戦略について、どう道筋をつければよいのか。日本に初めて「物価水準の財政理論(FTPL)」を紹介し、積極的に金融政策への提言も行っている岩村充早稲田大学教授に具体的な日銀の出口対策を聞いた。 Q:日本銀行の量的金融緩和政策を理論面から支えてきた浜田宏一米イエール大学名誉教授が2016年にその理論に接して「目からウロコが落ちた」と語った「物価水準の財政理論」(FTPL、Fiscal Theory of the Price Level)。岩村先生は2000年ごろ、FTPLを日本に初めて紹介しましたね。 A:渡辺努一橋大学教授(当時、現在は東京大学教授)と一緒に日本のデフレを解明しようと試みているうちに、FTPLのような枠組みにたどり着いた。ただ、その頃は異端の説といった扱いで、なかなか真剣に取り上げてもらえなかった』、FTPLについては、2017年2月20日付けのこのブログで取上げたが、岩村氏が日本で最初に紹介したとは初めて知った。
・『FTPLによって、金融政策の限界は明らかだ  Q:簡単に言うと、FTPLとはどんなものですか。 A:物価水準がどう決まるのかという問題を解くとき、そこでの財政の役割を重視する理論だ。FTPLのポイントは、政府と中央銀行は財務的に不可分であることが貨幣価値の決定に影響を与えていると考えることだ。中央銀行は自国の政府が発行する国債を買い入れて貨幣を発行しているし、そもそも中央銀行の資本勘定は財政に帰属している。 現代の中央銀行は、国の有利子債務である国債を、無利子の銀行券その他のベースマネー(銀行券+中央銀行当座預金)に変換する社会的装置だ。政府と中央銀行を財務的に連結したものを「統合政府」と言うが、その統合政府の負債の大半は国債とベースマネーなのだから、これと統合政府の債務償還財源との資産負債バランスで物価水準が決まるはずというのがFTPLの出発点だ。 Q:「統合政府債務償還財源」というのは、聞き慣れない言葉ですね。 A:現在から将来にわたっての、税収その他の全財源から政府の支出を控除した残差についての人々の予想のことだ。だから、それには政府がその気になれば行える国有財産売却や歳出削減なども含まれる。重要なのは、この統合政府債務償還とは、貨幣価値で評価した名目額でなく、実物的な財やサービスつまり実質ベースで測った統合政府の「実力」への人々の評価であることだ。 Q:そして、FTPLは次のような簡単な式に表現されるわけですね。 A:P=(M+B)/S  P:物価水準 M:ベースマネー B:市中保有国債 S:統合政府債務償還財源 この式の意味は、長期的には、統合政府の負債(式の分子)と資産(式の分母)はバランスしなければならない。両者をバランスさせるように実質ベースの価値(式の分母)と名目ベースの価値(式の分子)との交換比率である貨幣価値が決まる。 つまりは、貨幣価値の逆数である物価水準が決まるということだ。たとえば、政府の国債発行が増えても、将来の増税や歳出削減などで財源(=統合政府債務償還財源)は確保されるだろうと人々が予想すれば、分子も分母も増えるため、物価は動かない。 Q:では、金融政策はこのFTPL式の中ではどこに登場するのですか。 A:分子の市中保有国債と統合政府債務償還財源は、現在から将来にわたっての割引現在価値で表現される。このうち市中保有国債の割引率に使われるのが名目金利であり、これは中央銀行の金融政策で決定される。金融政策で物価水準を操作できる理由はここにある。 一方、分母の統合政府債務償還財源は実質ベースなので、割引率は自然利子率(実質金利)なのだが、この自然利子率は技術や人口動態などの基礎的条件で決まってしまう。分母は金融政策では操作できない外部条件なのだ。 Q:FTPL式の中で金融政策はどう作用するのですか。 A:中央銀行が名目金利を引き上げれば、割引率の増加で分子の市中保有国債現在価値は小さくなるため、物価水準は低下する。反対に、名目金利を引き下げれば物価水準は上昇するはずだが、名目金利にはゼロの下限があり、日銀はずっと以前からこの下限にぶつかっている。もはや日銀による金利操作では物価を上昇させられない。 Q:FTPLで考えると、日銀の量的緩和政策に効果がなかったことがわかるということですね。 A:先ほど言ったように日銀は金利操作による物価支持力を失っている。そこで始めた量的緩和とは、日銀が大規模に市中から国債を購入して、その分をベースマネーとして市場に供給することだが、分子のベースマネーをいくら増やしても、同じ額だけ分子の市中保有国債が減るので物価には意味がないことは明らかだろう』、「統合政府債務償還とは、貨幣価値で評価した名目額でなく、実物的な財やサービスつまり実質ベースで測った統合政府の「実力」への人々の評価であることだ」、というのはずいぶん難しい概念のようだ。
・『ヘリマネなら物価は上がるが、制御不能のリスクも  Q:逆にいうと、市中保有国債を減らさずにベースマネーを増やすことができれば、物価は上昇するということになりますね。 A:それが、俗に言う「ヘリコプターマネー(ヘリマネ)」だ。2003年にジョセフ・スティグリッツ米コロンビア大学教授が日本に提案した政府紙幣が典型例だろう。政府が将来的な回収への準備をせずに紙幣を刷ってばらまくなら、FTPL式の分子であるベースマネーだけを増やすことになるので物価は上昇する。 Q:FTPLでは、クリストファー・シムズ米プリンストン大学教授が日本に対し「インフレ目標が達成されるまで、消費増税と財政黒字化目標を凍結すると宣言したらどうか」と提案しましたが、どういう意味ですか。 A:これは、FTPL式の分母=統合政府債務償還財源の予想のほうに働きかけようとするものだ。ただ、このシムズ案がうまくいくかはいささか疑問だ。目標が達成されたら結局消費増税などが復活すると人々が考えれば、結局、統合政府債務償還財源への予想を変化させることはできないからだ。人々の期待に働きかける政策は難しい。 シムズ案以上に無理筋なのは、英国金融サービス機構(FSA)のアデル・ターナー元長官による、日銀保有国債の消却を行えという2016年の提案だ。彼は、日銀が持っている国債の一部をもともと存在しなかったことにして利払いも償還もやめてしまえと主張したわけだが、それをしても政府から日銀への元利払いが減る分、日銀からの国庫納付金が減るだけだ。それではヘリマネにすらなりそうもない。 Q:岩村教授は、日銀の量的緩和政策の出口について警鐘を鳴らしていますね。 A:日銀が保有する国債はすでに400兆円を超えたが、そのことは緩和終了時における金利上昇が、日銀保有国債の時価を大幅に下落させることを通じ、新たな危機を発生させてしまう可能性を示唆する。たとえば、日銀保有国債の金額が400兆円で、その元利収入見込額の加重平均期間が3年程度だとすれば、金利上昇幅がわずか0.5%でも現在価値損失額は6兆円、1.0%なら12兆円にもなる。一方、日銀の自己資本は8兆円ほどだから、日銀への信認は大きく傷付く。これが金融緩和の出口問題だ。 Q:インフレ目標に達しても、日銀が量的緩和を続けるという手はありますか。 A:異次元緩和で膨らみきったベースマネーを回収できないと思われてしまうリスクは無視しないほうがよい。いったん人々にそう思われるようになったら、その効果は回収のスケジュールがない政府紙幣の発行、つまりヘリマネと同じことになってしまう。ヘリマネの問題点は、それで生じた人々の期待が暴走すれば、制御の効かないインフレなど最悪の事態になる可能性があることだ。今の日本で必要なことは、期待の暴走が止められなくなることがないよう、いつでも日銀保有国債を市中に売却できるように準備をしておくことだ』、最後の部分はその通りだろう。
・『マネーを散布するが、回収も可能にしておく  Q:具体的な準備として、岩村教授は、日銀保有国債の変動利付き国債への転換と、新規発行国債の日銀引き受けとを提案していますね。これはどういう意味ですか。 A:ヒントにしたのは、新規発行国債は日銀が引き受けてしまい、日銀は市場の状況を見て保有国債を売却していくという戦前の高橋財政のスキームだ。ただし、今それを参照するなら、日銀が保有することになる国債の法的性格は工夫して、それが日銀の金庫の中にある間は「無利子の永久国債」とする一方、それを日銀が売却した後では、「変動利付きの国債」として利払いを復活させるというのが提案の骨子だ。 このほうが、政策メッセージとして明確だし期待暴走のリスクも制御できる。形式上、国債は市中消化されるが、その後は日銀がほぼ自動的に買い入れるという今の状況は、国民の眼を欺くものだ。 Q:大胆な政策であり、批判も起きそうです。 A:回収の見通しなきマネー供給はヘリマネと同じことだ。異次元緩和にしてもヘリマネにしても、そのいけないところは、往路(マネーの散布)はあっても復路(マネーの回収)の設計がないことだ。大事なのは、政策がヘリマネかどうかという分類学ではなく、その効果とリスクについての具体的な見極めだ。 2003年にベン・バーナンキ元FRB(米国連邦準備制度理事会)議長も変動利付き債への転換を提言したことがあった。異次元的な量的緩和に踏み込む前の日本への提言として必要だったかどうか別として、大規模緩和後の出口リスク対策としてなら理に適った議論だったと思っている』、日銀が「無利子の永久国債」を引き受け、「日銀が売却した後では、「変動利付きの国債」として利払いを復活させる」、というのは「戦前の高橋財政のスキーム」らしいが、日銀による売却時に、利払い義務を負う財務省が関与できないというのは、いささか不自然で、国債管理政策上も問題がありそうだ。「異次元緩和にしてもヘリマネにしても、そのいけないところは、往路(マネーの散布)はあっても復路(マネーの回収)の設計がないことだ」、というのはその通りだ。
・『市場の受け止め方は不確実、両方の動きに備えよ  Q:変動利付債への転換は、政府の財政規律にも影響を与えそうですね。 A:少なくとも「今は金利が安いから借り得だ」的な財政拡張論は抑制されるだろう。長期的には財政規律にプラスになる面もあるはずだ。 Q:仮に、変動利付き債への転換を発表するときは工夫が必要ともおっしゃっていますね。 A:今の日銀自身による出口論の封印にも同じことが言えるが、いくら日銀が、「復路もちゃんと考えている。それで適切かつ大胆に金融政策を運営するのだ」などと説明しても、それを受けたマーケットのセンチメントが、緩和という方向に大揺れするか、引き締め準備と受け取られるかは、不確実だ。私が、日銀保有国債の変動利付き債への転換と新規発行国債の日銀引き受けとをセットで行うことを提案しているのは、政策運営というものは、アクセルとブレーキの両方を備えるべきと思うからだ。 Q:ドル金利上昇で新興国通貨が下落したり、トランプ米大統領の貿易戦争が先鋭化したりと世界経済の先行きが不透明になっています。 A:米中対立による株価急落や南米諸国の財政破綻で次の危機があるかもしれない。そのとき、円の価値や物価期待がインフレ、デフレのどちら方向に動くかは不明だ。リーマンショックのときは円高、デフレ方向に動いたため、みんなは次も同じことが起きると考えているようだが、はたしてどうか。リーマンショックの時に円の価値が上がった理由だって、理論として完全に解析されているわけではない。今度危機が来たときに、日本政府の長期的な支払い能力が傷つくと予想されれば、円安、インフレ方向に動くこともありうる。 Q:日銀は金融政策の「のりしろ」、つまり景気が悪くなったときの政策余地がないと指摘されています。 A:だからこそ、ヘリマネとセットでの変動利付き債への転換を提案している。仮に円高、デフレ方向へのショックであれば、日銀はヘリマネ的な政策に追い込まれるだろう。変動利付き債転換で復路の設計ができていれば、それでもリスクは小さくなる。逆に、円安、インフレ方向へのショックなら、物価が上昇するため、日銀は量的緩和をやめ、マネーの回収に乗り出さねばならない。どちらになっても往路復路両方の設計があることが重要だ』、「政策運営というものは、アクセルとブレーキの両方を備えるべきと思う」、というのは日銀出身の学者らしい実務的で誠実な姿勢である。

次に、早稲田大学政治経済学術院名誉教授の藪下 史郎氏が6月12日付け東洋経済オンラインに掲載した「骨太解説「日本の金融政策」がかくも無力なワケ 経済学の重鎮が「追われる国の経済学」を読む」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/285155
・『現在、日本はじめ世界の先進諸国は一様に異常な経済状況に直面している。ゼロないしマイナスの金利、天文学的とも言うべき金融の量的緩和にもかかわらず、多くの経済はいまだ力強い回復を取り戻せていない。 なぜバブル崩壊後の経済が長期不況に苦しまなければならないのか。なぜ伝統的な金融政策はそうした不況に対して総じて無力なのか。なぜ財政赤字が拡大しているのに長期金利が低下するのか。 こうした疑問に答える書として、リチャード・クー氏の新刊『「追われる国」の経済学』が高い評価を受けている。経済学の重鎮である藪下史郎氏が、クー氏が展開している経済理論の本質について読み解く』、クー氏はアメリカ国籍で野村総合研究所のチーフエコノミスト(Wikipedia)。かつては、経済誌に活発に寄稿していたが、現在も野村総研で活躍しているようだ。
・『金融政策が無力な理由  『「追われる国」の経済学』(以下、本書)で展開される議論の基礎となるクー氏の日本経済の捉え方は、以下のようにまとめることができるだろう。 資金の主たる借り手は民間企業であるが、高度成長期においては設備投資のための資金需要が旺盛であり、とくにアメリカなどの先進国の後を追う形で投資を拡大するため資金需要も増加した。そのときには物価・賃金も上昇してきた。この期間を黄金時代と呼んでいるが、日本は成熟経済であった。 しかし、物価・賃金の上昇と新興国による追い上げによって、日本経済の国際競争力が低下し、市場が奪われることになる。その結果、企業にとって投資機会が減少することによって、企業による資金需要がなくなる。すなわち、日本が追われる国になってしまい、資金の借り手の多い成熟経済から借り手のいない状況に変わってしまった。 さらに、クー氏が強調するのは、バブル崩壊による企業のバランスシートの悪化と企業行動の変化である。従来の経済学が前提とする企業は、利潤最大化に基づき投資と資金需要を決定したが、バランスシートが悪化した企業はそうでなく、債務の最小化、すなわちバランスシートの改善を目指して借金をできるだけ早く返済しようとする。 企業経営者にとっては、バランスシートの悪化で資金調達に苦労した経験がトラウマとして残り、利益最大化から債務最小化に企業行動が変化したために、資金需要がなくなったと主張している。 しかし、バランスシート問題を抱えた企業が債務を削減することが、企業の利益最大化原理の変更を必ずしも意味するものではない。すなわち、バランスシートが悪化した経営状況での資金調達コストや倒産リスクを考慮に入れると、投資収益との比較で債務減少が利益最大化にかなうものであり、債務削減は利益最大化行動の合理的決定の結果であると考えられるのではなかろうか。 こうした経済状況すなわちバランスシート不況では、ゼロ金利という超低金利の下でも、企業による資金需要がなくなるのである。 日本経済は現在こうした状況にあるため、従来の経済学に基づいた低金利政策は、バランスシート不況から脱却するためには無力であると、クー氏は主張する。黄金期で資金需要がある成熟経済には従来の金融政策が有効であるとしても、現在日本経済が直面している状況では無効であることを政策当局者や多くのエコノミストは理解していないと批判する。 すなわち、企業等の資金需要のある経済での金融政策は、中央銀行のマネタリーベース供給と銀行貸し付けによる信用創造を通じてマネーサプライを変化させ、実質金利をコントロールし景気調整を行う。しかしバランスシート不況の下では、企業の資金需要がないため、銀行信用を通じた貨幣乗数効果が働かない。そのため金融緩和政策はマネーサプライを増加させることができず、期待したような効果を及ぼさないのである。 金融政策が有効でなくなったときのマクロ経済政策として財政支出の増加を提言したのはケインズである。 ケインズ経済学では、失業の存在する経済不況の下で市場金利がゼロに近づき流動性のわなに陥った経済状況では、マネーサプライを増加させたとしても金利を低下させることができない。そのため金融政策は無効になり、有効需要を増加させることができなくなる。それに代わり、政府が財政支出を増加させると、有効需要に直接影響を及ぼし、その効果が国民所得、そして消費に波及し、乗数効果を通じて景気を刺激するとした。 こうしたケインズ政策に対して、ミルトン・フリードマン等のマネタリストは、財政支出による景気刺激策は有効でないと反論し、また多くのエコノミストも、財政支出のための政府の資金調達は、民間投資資金と競争的になるため、市場金利を上昇させるなどクラウディングアウト効果が働くため、乗数効果も小さいと主張してきた』、ケインジアンらしい主張だ。
・『景気対策の中心は財政政策に  クー氏は、民間企業の投資意欲が旺盛であり資金需要が大きい経済状況では、景気調整は財政政策よりも金融政策で行うべきであり、政府の資金需要が民間投資を押しのけるとしている。しかし民間の資金需要がない状況では、ノーマルの経済状況に回復させるためには、公共投資に依存するしかないと主張する。 経済が被追国になってしまったときには、魅力的な民間投資が見いだせない状況にあるため、経済を成長過程に戻すには社会収益率の高い公的投資に財政資金を回す必要がある。公共投資は、民間の私的投資と異なり、社会資本、教育制度の充実など、多くの企業の生産性を高め経済全体に外部性が及ぶことになる。 ただし、どのような公共投資を行うかは難しい課題であるため、一部集団のための利益誘導型政府支出にならないように独立した財政委員会を設立し、専門的技術・知識を有する委員によって、適切な公共事業プロジェクトを探すことが重要であるとしている。 こうした有能なスタッフからなる独立財政委員会の設立は容易なことでないように思われるが、超低金利のバランスシート不況の下では、その金利水準を上回る社会的収益率をもたらす公共事業プロジェクトを見いだすことができるだろうと、クー氏は比較的楽観的である。 クー氏の、こうした提言は、アベノミクスの第3の矢である成長戦略に密接に関係するものである。さらに、減税と規制緩和により、イノベーション、新規企業により構造改革を推進することを提言している。さらには、一般教育の充実など大学教育の改善などが、被追国の日本にとって不可欠であるとしている。 またこうした構造改革が成功し、資金需要が旺盛になる成熟経済に戻るまでには10年以上待たなければならないと予測している。これは、アベノミクスが成功したかどうかを判断できるのは安倍政権後であるということを意味している』、「その金利水準を上回る社会的収益率をもたらす公共事業プロジェクトを見いだすことができるだろう」、というのは確かに「楽観的」過ぎる。
・『ヨーロッパ諸国が抱える財政問題  被追国になったのは日本だけでなく、所得の伸び悩みが続いているヨーロッパ諸国も同じであるとしている。また、EU諸国がバランスシート不況に陥っているにもかかわらず、ヨーロッパの金融当局とエコノミストが、そのことを認識せず、黄金期の経験と従来の経済学に基づき低金利政策を推し進めていると、クー氏は批判している。 こうした不況には財政政策で対応すべきであるが、EUの財政赤字に関する規定によって各国がそうした財政政策を実行することができなくなっていると指摘している。 経済発展の過程で多くの国が被追国になるが、これから中国も同じようにルイスの転換点(注:工業化の過程で農業部門の余剰労働力が底を突く時点のこと)を迎えた後にどうなるのかは興味深い点である。ルイスの転換点を越えたアメリカが、なぜ現在でも日欧諸国よりも高い成長を遂げているかを知るのも、日本経済の将来を考えるうえで重要である。 これまでは、資金の借り手がある経済とない経済についての議論であったが、クー氏は資金の供給サイドについても貸し手がいる状況といない状況とを区別している。 貸し手がいない状況とは、金融機関の不健全化によって貸し渋りなどで資金供給が行われなくなる状況である。これもバブル崩壊の結果、不良債権の発生とその累積は、金融機関にバランスシート問題を引き起こしたため、貸付資金の回収や貸し渋りが行われた。 こうした金融機関の不健全化は、金融システム全体の不安定性をもたらす可能性がある。ある銀行のバランスシートや流動性の悪化が、健全な銀行にも信用不安を波及させ、銀行全体の持つ決済機能や貸し付け機能が破綻してしまう。 このように、銀行システム全体では銀行間で外部性が存在する。そのためシステミック・リスクを回避するためには、銀行への公的資金の投入などの金融当局による介入によって、信用不安が他金融機関に波及しシステム全体に広がるのを素早く阻止しなければならない』、一般論としては異論はないが、現在の銀行システムは不良債権問題は終了し、異次元緩和による超低金利により不安定化していると捉えるべきだろう。
・『過去の奴隷になってはならない  このように、外部性が存在するときには、それがプラスの場合でもマイナスの場合でも、市場に任せるのではなく、果敢な政府介入が必要になる。さらに、グローバリズムが進む世界経済で資本移動の自由化が、新自由主義の主張するようなプラスの結果をもたらしていない点でも、すべて市場メカニズムにまかせるという市場原理主義ではなく、現実主義的な政策が欠かせないのである。 主義・原理にむやみに従うのでなく、現実経済の動きを見て政策運営を行う必要があるとするのが、クー氏のメイン・メッセージの1つである。 クー氏は、日銀政策当局者、欧州中央銀行さらに多くのエコノミストは、彼らが学んだ経済学に基づく政策を遂行しており、現実の経済が変化したことを認識していないと批判している。この批判は、「どのような知的影響とも無縁であると自ら信じている実際家たちも、過去のある経済学者の奴隷であるのが普通である」という、ケインズ『雇用・利子および貨幣の一般理論』の一文を思い出させる。 本書の訳文は大変読みやすい。本書は多くの読者に対して、失われた20年と揶揄される日本経済やその将来を考える際などに多くの示唆を与えてくれるものである』、「すべて市場メカニズムにまかせるという市場原理主義ではなく、現実主義的な政策が欠かせない」、「日銀政策当局者、欧州中央銀行さらに多くのエコノミストは・・・現実の経済が変化したことを認識していないと批判」、などはその通りだろう。

第三に、7月11日付けJBPressが元ロイター記者で金融ジャーナリストの鷲尾香一氏による新潮社フォーサイト記事を転載した「参院選直前に日銀の梯子を外した安倍首相の無責任 政府と日銀が実施してきた金融緩和政策の必要性を否定」を紹介しよう。
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/56961
・『政府と日本銀行の軋轢が深まっている。 安倍晋三首相が6月10日、参議院決算委員会での答弁で「金融政策は目的をすでに達成している」と発言。アベノミクスの原動力ともなっていた、日銀の金融緩和政策の必要性を、ここにきて首相自らが否定する見解を示した。 これに対して、日銀内部では、「まったく想定していなかった発言」「日銀が進める金融緩和政策に対して、政府が梯子を外した」「安倍首相は本気でデフレ経済からの脱却を目指しているのか」などの声が上がった。 安倍会首相の発言は国民民主党所属の大塚耕平議員への答弁で、「日本銀行の2%の物価安定目標は一応の目的だが、本当の目的は雇用に働きかけ、完全雇用を目指していくこと。その意味で、金融政策は目標をすでに達成している」とした。 周知のとおり、そもそも、2012年12月に発足した第2次安倍政権で経済政策「アベノミクス」を打ち出し、金融政策・財政政策・成長戦略の「3本の矢」を政策の柱として、2%の物価安定目標に強力な金融緩和政策を行うように日銀に要請したのは、ほかならぬ安倍首相だった。 強力な金融緩和政策を実施するために、黒田東彦氏を日本銀行総裁に登用し、金利の引き下げや財政支出の拡大などにより景気を刺激し、景気回復を図る「リフレ(リフレーション)政策」に踏み出した張本人にもかかわらず、「日銀の金融政策は目的を達成した」と発言したのだから、日銀の受けた衝撃は大きかった』、安倍首相の発言は、まさに「日銀が進める金融緩和政策に対して、政府が梯子を外した」ことに他ならない。全く無責任極まる姿勢だ。
・『「出口戦略」容認のシグナルを意味する  この安倍首相の発言を分析すると、ある意図が浮かび上がる。 「物価安定目標は一応の目的」とし、「本当の目的は完全雇用」と位置付けているということは、つまり、アベノミクスの本当の目的は完全雇用であり、2%の物価安定目標ではないと定義したことになるのだ。それは、「金融政策は目的をすでに達成している」以上、金融緩和政策の正常化(いわゆる出口戦略)の開始を容認するというシグナルを意味しているのではないか。 この点について、安倍首相は先の国会答弁で、「それ以上の出口戦略云々については、日本銀行に任せたい」と明言を避けたが、安倍首相が日銀の金融緩和政策を重視していないのは明らかだ。 だが、そもそも日銀自身の金融政策目標に「雇用」は含まれていない。日銀に金融緩和政策を実施させることの「本当の目的は完全雇用」とは、安倍首相自身もこれまで一度も発言したことがなく、いかにも後付けのように聞こえる。 事実、日本銀行法の第2条では、「日本銀行は、通貨及び金融の調節を行うに当たっては、物価の安定を図ることを通じて国民経済の健全な発展に資することをもって、その理念とする」とされており、“雇用の雇の字”も出てこない。 さらに問題なのは、第2次安倍政権と日銀の間で2013年1月22日に交わされた「政府・日本銀行の共同声明」の存在だ。 同声明には、「日本銀行は、物価安定の目標を消費者物価の前年比上昇率で2%とする」ことが明記され、この目標達成にあたって、「政府及び日本銀行の政策連携を強化し、一体となって取り組む」ことが宣言されており、政府と日銀の政策連携の合意文書と位置付けられている。 もし、2%の物価安定目標を放棄するのであれば、同文書を改訂するか、破棄する必要がある。もちろん、2%の物価安定目標を達成する前に、金融緩和政策の出口戦略を行うのであれば、同文書の改訂か、破棄が必要というのは、学者や学識経験者、金融実務家の間で言われていることでもある。 つまり、この文書がある以上、いくら安倍首相が「金融政策は目的をすでに達成している」と言っても、日銀は簡単に金融緩和政策の出口戦略に踏み出すわけにはいかないのだ。同文書の改訂か破棄をしないままで、日銀が出口戦略に踏み出せば、それは政府との政策連携の合意を日銀が反故にしたことになるからだ』、安倍首相は口頭での発言だけでなく、「政府と日銀の政策連携の合意文書」の「改訂か破棄」にも踏み込むべきだ。マスコミもこの点を追求すべきだ。
・『簡単に出口戦略に踏み出すわけにいかない理由  だが、安倍首相が日銀の金融緩和政策に重きを置かなくなっているのは、実は今に始まったことではない。 2018年9月14日に行われた自民党総裁選の討論会で、安倍首相は「異次元ではあるがやるべきことをやった。でも、ずっとやってよいとはまったく思っていない」と、日銀の金融緩和政策(いわゆる異次元緩和)について述べ、さらに、「よい形で経済が成長してきている中で、私の任期(2021年9月)のうちにやり遂げたい」と発言している。その後、麻生太郎財務相も「こだわりすぎるとおかしくなる」と発言しており、要するにすでに、政府は日銀の金融緩和政策に見切りを付けていたのだ。これについては、新潮社フォーサイト2018年10月18日の拙稿「カウントダウンが始まった『リフレ政策』終わりの始まり」を参考にしていただきたい。 いわば、政府から“三行半”を突き付けられた格好の日銀だが、“はいそうですか”と簡単に出口戦略に踏み出すわけにいかないのは、前述した政府との合意文書の存在だけが理由にあるわけではない。 そこには、「中央銀行の独立性とプライド」もさることながら、リフレ派で構成され“リフレ政策執行部”と揶揄される日銀の金融政策決定会合メンバー(審議委員など)の存在がある。2%の物価安定目標という“錦の御旗”を降ろし、金融緩和政策の出口戦略を開始すれば、それはリフレ派が自らの敗北を認めたことになるからだ。 安倍首相の「金融政策は目的をすでに達成している」との発言から10日後の6月20日、日銀の金融政策決定会合後の記者会見で、黒田総裁は2%物価安定目標に向けた勢いが損なわれれば、「ちゅうちょなく追加緩和を検討していく」と強気の構えを見せた。 その上で、政府との政策協調について黒田総裁は、「中央銀行は財政赤字の穴埋めをする財政ファイナンスではない」とクギを刺したうえで、「仮に政府が国債を増発して歳出を増やしても金利は上がらないようにしている」と述べ、財政支出の拡大による国債の増発に対応していく意向を示した。さらに、それが、「結果的に財政と金融政策のポリシーミックス(政策協調)になりうる」と、政府に寄り添う姿勢を強調した。まるで、“浮気癖のある亭主(安倍首相)”を“健気に支える妻(黒田総裁)”とでも言えそうな関係ではないか』、「“リフレ政策執行部”」も、元々は安倍政権が両院の同意を得て任命したものだ。黒田総裁がこの段階になっても「府に寄り添う姿勢を強調」したとは、「御殿女中」の面目躍如だ。
・『日銀に、トランプ大統領という「援軍」  政府から冷たい態度をとられている日銀だが、思わぬ援軍が意外な方面から現れた。誰あろう、ドナルド・トランプ米国大統領だ。 2020年の再選を目指しているトランプ大統領は、景気底上げのため「1%程度の利下げ」をFRB(連邦準備制度理事会)に求め、政治的圧力を強めている。得意のツイッターで連日ジェローム・パウエルFRB議長の個人攻撃も繰り返している。 確かに、世界経済に陰りが見えていることも事実だ。日銀の金融政策決定会合の前日の6月19日、FOMC(米連邦公開市場委員会)は政策金利の据え置きを決定したが、その後の記者会見でパウエル議長は、「世界景気の力強さに懸念が生じている。多くのメンバーが金融緩和の必然性が高まっていると考えている」と述べ、利下げに転じる可能性を強く示唆した。 実際、米国対中国の貿易戦争が大きく影響し、米国の主要経済指標には悪化が目立っている。自らが仕掛けた対中戦争でありながら、その結果で自国経済に陰りが見え始めるや、トランプ米大統領は7月のFOMCで金融緩和政策への転換を図るように繰り返し圧力をかけ、パウエル議長を理事に降格させる可能性までほのめかしている。 パウエル議長が利下げに傾く背景には、2020年にトランプ大統領が再選すれば、2022年に任期の切れるパウエル議長が解任され、その後任にトランプ大統領の“意のままに動く人物”が座り、FRBの独立性にとって危機的な状況が生まれることへの懸念もあるのだろう。7月のFOMCで利下げが実施される公算は高い。 米国では金融政策の正常化に向け、2015年末以降に9回の利上げを実施しており、ECB(欧州中央銀行)も金融政策の正常化を打ち出していた。それがここにきて、米国は金融緩和政策への転換、ECBは政策の先行き指針を変更し、年内の利上げを断念している。 金融緩和政策から金融政策の正常化という世界的な流れの中で、“1人取り残されて”金融緩和政策を継続している日銀にとって、世界経済の悪化懸念、トランプ米大統領の利下げ要求は、再び金融緩和へと戻りつつある世界の潮流に乗り、日銀の金融政策の正当性を主張するための“神風が吹いた”ようなものと言えよう』、日銀にとっては「“神風が吹いた”ようなもの」なのかも知れないが、超低金利の是正を密かに期待していた銀行にとっては”悪夢”が続くことになる。
・『政策の失敗を選挙の争点とされたくない  自民党関係者は、「金融庁による老後には2000万円の資金が必要という金融庁の報告書の問題があったが、すでに突入した参院選挙で国民生活に関わる政府の失策が争点となることは避けなければならない」と危機感を示す。 安倍首相が要請し、日銀が進める金融緩和政策では、低金利政策による利ザヤの縮小により、銀行の収益が急激に悪化するなど様々な副作用が出ている。安倍首相が出口戦略をチラつかせた背景には、政策の失敗を選挙の争点として追及されたくないとの気持ちの表れであることは明らかだ。 だが、6年もの間、2%の物価安定目標を目的に政府と日銀が政策連携として実施してきている金融緩和政策を、安倍首相の「金融政策は目的をすでに達成している」との一言で片づけるのは、あまりにも無責任というほかない。 せっかくの国政選挙である。政府には、国民に対して説明する義務と責任がある』、安倍政権は、「国民に対して説明する義務と責任」とはどうやら無縁のようだが、少なくとも金融政策に関しては、きちんと果たしてもらいたいものだ。
タグ:東洋経済オンライン リチャード・クー JBPRESS 黒田総裁 異次元緩和政策 藪下 史郎 新潮社フォーサイト 日銀の (その30)(日銀保有の国債を変動利付きにすべき理由 岩村充・早大教授が出口への準備策を提言、骨太解説「日本の金融政策」がかくも無力なワケ 経済学の重鎮が「追われる国の経済学」を読む、参院選直前に日銀の梯子を外した安倍首相の無責任 政府と日銀が実施してきた金融緩和政策の必要性を否定) 「日銀保有の国債を変動利付きにすべき理由 岩村充・早大教授が出口への準備策を提言」 物価水準の財政理論(FTPL) 岩村充早稲田大学教授 FTPLによって、金融政策の限界は明らかだ FTPLのポイントは、政府と中央銀行は財務的に不可分であることが貨幣価値の決定に影響を与えていると考えることだ 政府と中央銀行を財務的に連結したものを「統合政府」と言うが、その統合政府の負債の大半は国債とベースマネーなのだから、これと統合政府の債務償還財源との資産負債バランスで物価水準が決まるはずというのがFTPLの出発点 統合政府債務償還財源 貨幣価値で評価した名目額でなく、実物的な財やサービスつまり実質ベースで測った統合政府の「実力」への人々の評価である ヘリマネなら物価は上がるが、制御不能のリスクも クリストファー・シムズ米プリンストン大学教授 日本に対し「インフレ目標が達成されるまで、消費増税と財政黒字化目標を凍結すると宣言したらどうか」と提案 これは、FTPL式の分母=統合政府債務償還財源の予想のほうに働きかけようとするもの 日銀が保有する国債はすでに400兆円を超えたが、そのことは緩和終了時における金利上昇が、日銀保有国債の時価を大幅に下落させることを通じ、新たな危機を発生させてしまう可能性を示唆 ヘリマネの問題点は、それで生じた人々の期待が暴走すれば、制御の効かないインフレなど最悪の事態になる可能性があること 今の日本で必要なことは、期待の暴走が止められなくなることがないよう、いつでも日銀保有国債を市中に売却できるように準備をしておくことだ マネーを散布するが、回収も可能にしておく 新規発行国債は日銀が引き受けてしまい、日銀は市場の状況を見て保有国債を売却していくという戦前の高橋財政のスキーム 日銀の金庫の中にある間は「無利子の永久国債」とする一方、それを日銀が売却した後では、「変動利付きの国債」として利払いを復活させる 異次元緩和にしてもヘリマネにしても、そのいけないところは、往路(マネーの散布)はあっても復路(マネーの回収)の設計がないことだ 市場の受け止め方は不確実、両方の動きに備えよ 政策運営というものは、アクセルとブレーキの両方を備えるべき 「骨太解説「日本の金融政策」がかくも無力なワケ 経済学の重鎮が「追われる国の経済学」を読む」 『「追われる国」の経済学』 金融政策が無力な理由 日本が追われる国になってしまい、資金の借り手の多い成熟経済から借り手のいない状況に変わってしまった バブル崩壊による企業のバランスシートの悪化と企業行動の変化 景気対策の中心は財政政策に 民間の資金需要がない状況では、ノーマルの経済状況に回復させるためには、公共投資に依存するしかないと主張 一部集団のための利益誘導型政府支出にならないように独立した財政委員会を設立し、専門的技術・知識を有する委員によって、適切な公共事業プロジェクトを探すことが重要である ヨーロッパ諸国が抱える財政問題 EUの財政赤字に関する規定によって各国がそうした財政政策を実行することができなくなっていると指摘 過去の奴隷になってはならない すべて市場メカニズムにまかせるという市場原理主義ではなく、現実主義的な政策が欠かせない 「どのような知的影響とも無縁であると自ら信じている実際家たちも、過去のある経済学者の奴隷であるのが普通である」 鷲尾香一 「参院選直前に日銀の梯子を外した安倍首相の無責任 政府と日銀が実施してきた金融緩和政策の必要性を否定」 安倍晋三首相が6月10日、参議院決算委員会での答弁で「金融政策は目的をすでに達成している」と発言 アベノミクスの原動力ともなっていた、日銀の金融緩和政策の必要性を、ここにきて首相自らが否定する見解を示した 「日銀が進める金融緩和政策に対して、政府が梯子を外した」 日本銀行の2%の物価安定目標は一応の目的だが、本当の目的は雇用に働きかけ、完全雇用を目指していくこと。その意味で、金融政策は目標をすでに達成している 2%の物価安定目標に強力な金融緩和政策を行うように日銀に要請したのは、ほかならぬ安倍首相 「出口戦略」容認のシグナルを意味する アベノミクスの本当の目的は完全雇用であり、2%の物価安定目標ではないと定義したことになるのだ。それは、「金融政策は目的をすでに達成している」以上、金融緩和政策の正常化(いわゆる出口戦略)の開始を容認するというシグナルを意味 「政府・日本銀行の共同声明」 「日本銀行は、物価安定の目標を消費者物価の前年比上昇率で2%とする」ことが明記 金融緩和政策の出口戦略を行うのであれば、同文書の改訂か、破棄が必要 簡単に出口戦略に踏み出すわけにいかない理由 リフレ派で構成され“リフレ政策執行部”と揶揄される日銀の金融政策決定会合メンバー(審議委員など)の存在 政府に寄り添う姿勢を強調 日銀に、トランプ大統領という「援軍」 政策の失敗を選挙の争点とされたくない 政府には、国民に対して説明する義務と責任がある
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働き方改革(その20)(同期の上司から受けたいじめと 無言で抗う役職定年社員、新入社員は短期間で劣化する 日本人の「仕事への熱意」は世界最低レベル、「長時間労働がない」ドイツと日本の致命的な差 「仕事は原則8時間以下」が彼らのモットーだ) [経済政策]

働き方改革については、1月5日に取上げた。今日は、(その20)(同期の上司から受けたいじめと 無言で抗う役職定年社員、新入社員は短期間で劣化する 日本人の「仕事への熱意」は世界最低レベル、「長時間労働がない」ドイツと日本の致命的な差 「仕事は原則8時間以下」が彼らのモットーだ)である。

先ずは、健康社会学者(PhD)の河合 薫氏が3月12日付け日経ビジネスオンラインに寄稿した「同期の上司から受けたいじめと、無言で抗う役職定年社員」を紹介しよう』。
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00118/00013/?P=1
・『「相手にしてもらえないのが、こんなにも辛いことなのかと。自分がいつまで持つのか、自信がなくなってしまいました」役職定年になった会社員は、うつむいたままこう話した。 男性の会社では55歳になると、大まかには次の3つのキャリアプランから選択を強いられるという。 (1)役職を外れ、同じ職場に残る (2)人材派遣会社を1年間利用し、転職を検討する (3)関連会社に転籍する 彼は「会社に貢献したい」との思いから、同じ職場に残ることを選択した。ところが、そこで待っていたのは「集団いじめ」だったのである。 というわけで今回は「役職定年のリアル」を取り上げる。まずは男性の「今」をお聞きください。「青臭いこと言うようですが、私は会社に恩義を感じているんです。いろいろな現場を経験させてもらったし、上司にも恵まれました。なので、自分の経験を生かして後輩のサポーターになれればと考えていたんですが、周りは私を歓迎していませんでした。 ある程度、予想はしていましたが、『自分が前向きにやれば問題ない』と考えていたんです。 ところが、与えられるのは1人で切り盛りする仕事ばかりで、周りとの接触は一切なし。終わらなければ家に持ち帰らなくてはなりません。仕事の内容もあまり意味のあるようなものではなく、データを打ち込むだけの仕事だったり、関連会社との会合をセッティングする仕事だったり。 それで『若手を1人つけてほしい』と上にお願いしました。でも、無視されました。本当に無視です。無言で『あんた何言ってんだ?』というような蔑んだ目で見返されただけでした。 しかも、そういう上司の態度を若手も見てるでしょ。すると同じように無視するようになる。そこに「私」がいるのに、まるでいないように扱われる。今まで一緒にやってきた同僚や部下が、役職がなくなった途端、まるで小学生の“いじめ”のように無視するんです」』、大いにあり得そうな話だが、「『若手を1人つけてほしい』と上にお願いしました」、と要求した本人にも問題がありそうだ。
・『「あれは彼らのせめても抵抗だったんじゃないか」  彼はこう続けた。 「私は役職定年者が、役職から離れられず、偉そうに口を出したり、年下上司をあからさまに批判したりするのを見て、『ああはなりたくない』ってずっと思っていました。でも、今、自分が役職定年になり、あれは彼らのせめても抵抗だったんじゃないかと思うようになった。自分の居場所を確保するために抗っていたんじゃないかって。 シニア社員は、モチベーションが低いってよく言いますよね? でも、それはモチベーションを保てないような扱いを受けるからなんじゃないでしょうか。 私も『腐りたくはない』という思いと、相手にしてもらえないことへの屈辱感が、日々交錯してます。周りとの接点を意図的に断絶させられる苦痛は、想像以上です。自分がいつまで持つのか、自信がない。何よりもショックだったのは……最初に無視した“上”が、同期ってことなんです」 ……ふむ。 ここまで読んで、「この男性の性格に問題があるのでは?」だの、「役職定年する前の態度に問題があったのでは?」だの、「仕事があるだけいいじゃん」だの、男性側にも大きな原因があるのでは……と考えた人もいるかもしれない。 だが、そうやって「個人の問題」としたままでいいのか? というのが今回の私の問いかけである。 確かに、男性からの一方的な意見しか聞いていないので、ひょっとしたら「鶏と卵」のようなもので、男性に何がしかの問題があった可能性はある。 それでもやはり、「みなで無視」とは大人のすることか、と解せない。仮に「無視」が少々大げさな表現だったとしても、彼が「周りに軽んじられている」「モチベーションを保てない」と感じていたことは間違いないし、私が知る限り、同様に感じているシニア社員は決して少なくない。 そもそも会社という組織は「人」の集合体であり、さまざまな「感情」がうごめく場所だ。どんなにやる気があっても、自分に向けられる「感情」次第で、やる気がなえることは往々にしてある。 ただでさえ、役職定年者は「自分も、『働かない、お荷物社員』と思われているんじゃないか」という、ステレオタイプ脅威(Stereotype Threat)のプレッシャーを受けるだけに、他人の“まなざし”に過敏になる。 ステレオタイプ脅威は、「自分と関連した集団や属性が、世間からネガティブなステレオタイプを持たれているときに、個人が直面するプレッシャー」と定義され、その脅威にさらされた人は、不安を感じ、やる気が失せ、パフォーマンスが低下しがちだ。 例えば、「女性は数学が不得意」というステレオタイプが存在した場合、その“世間のまなざし”を意識した女性は、本当に数字が不得意になったり、「老人は物忘れがひどい」というステレオタイプは、本当に老人の記憶力を低下させる。「ウチの部下は使えない」と上司が、あっちこっちで言い続けていると、ホントに部下は使えなくなってしまうのだ』、相談者は既に「役職定年者」のケースを見て知っている筈の割には、自分がそれらと違うのかどうかを認識しているのだろうか、いささか頼りない印象を受ける。「ステレオタイプ脅威、・・・脅威にさらされた人は、不安を感じ、やる気が失せ、パフォーマンスが低下しがちだ」、初耳だが、納得できる話だ。
・『「下」だけではなく、「横」も「上」も“加害者”  人間とは自分を自分だけで定義できない。他人のまなざしに拘束され、自分を規定する。 であるからして、私はこれまで何度も、役職定年の是非について問い、「役職定年=働かないおじさん=無駄な人」と批判する若い社員の考え方に警鐘を鳴らす一方で、「心の定年」を勝手に迎えて会社にしがみつく働かないオジさんの“ケツを叩く”コラムを何本も書いた(「現実、企業は50歳以上を“使う”しかないのだ」「「50代社員は無駄」若手にそう思わせる会社の罪」ほか)。 ただ、今回の紹介したエピソードの“主犯”は、若手でも本人でもない。同期。自分と同年代で「自分の気持ち」を一番わかってくれてもいいはずの同期が、普通だったら「パワハラ」になりかねない行為を平然と繰り返し、それが若手に伝染し、「役職定年の孤立」を生じさせた。 「下」だけではなく、「横」も「上」も“加害者”……。役職定年者にとっては、あまりに過酷な環境と言わざるを得ない。 で、今回、私が彼のインタビューを取り上げた理由は、もう1つある。 最近、役職定年になったいわゆる“シニアスタッフ”と接する機会がとても増えたのだが、彼らに対する経営幹部たちの態度に、何とも言葉にし難いトゲトゲしさを感じていたのである。 例えば、講演会。以前は、お世話をしてくれるのは、課長よりちょっと下くらいの40歳前後の社員が中心だった。ところが最近は、年配のいわゆるシニアスタッフが控え室に案内してくれるパターンが増えた。 控え室に入るとほどなくして、経営幹部の方たちが挨拶に来る。大抵、2、3名。社長さんの時もあれば、部長さんの時もある。でもって、そういうお偉い方たちとお話をする時間は、私にとって会社の空気を察するとても貴重な時間だ。ご本人たちが考える以上に「その人の人間性と、周囲との関係性」が露呈する“人間ウォッチング”の場が、控え室といっても過言ではない。 例えば、お世話役のスタッフが一目置かれる存在だったり、幹部との関係性が近かったりする場合、控え室全体の空気がいい。「輪」ができるというかなんというか。誰1人として、そこにいる「人」が疎外されることのない「包まれた空気」を感じとることができる。 逆に、会社の人間関係が悪いと、幹部が入ってきた途端、空気が凍る。それまで笑顔で接していたお世話係の顔がこわばり、異様な緊張感が漂うようになる』、その通りだろう。
・『「やむにやまれず追い出し部屋を作った」  もちろんこれは私の“肌メーター”による、極めて主観的なものでしかない。 しかしながら、自分で言うのもなんだが、肌メーターの感度はかなり優秀。そのときの空気感はまんま講演会会場の空気であり、講演会後の懇親会にまで続き、そこで聞こえる“声”に「ああ、やっぱりそうなんだぁ〜」と納得することがほとんどなのだ。 で、話を控え室に戻すと……、シニアスタッフがアテンドしてくれた場合、経営幹部が入ってきてもシニアスタッフの態度が変わることはない。しかしながら、肌メーターが「極寒」を感じる会社の場合、幹部の方たちの視界にシニアスタッフが全く入っていない。 そうなのだ。そこに「いる」のに、まるで「いない」かのように振る舞う幹部が確実に存在し、とりわけ、同年代の、「あなただってやがて同じ立場になるかもしれないのよ!」と言いたくなるような人たちの冷淡な態度に、ちょっとばかり驚かれされるのである どこの会社でも、「女性活躍」とセットで「シニア活用」が掲げられているが、会社組織全体の意識改革を促すような取り組みなしにシニア活用問題は解決しないのではないか。「シニア社員のモチベーションをいかにして上げるか」という議論の大前提は、彼らは“やる気がない”というもの。だが、その前提そのものが間違っているとしか思えないのである。 例えば、終身雇用や年功序列が一般的ではない欧米では、基本的に年齢を基準にした処遇は行わない。管理職として生きる人材は、年齢に関係なく、限られたポストをめぐり厳しい競争に耐えねばならず、処遇に満足できなければ転職するかの二者択一を迫られることもある。その代わり、役職定年はない。 以前、グローバル展開を図るある日本企業が、グローバル基準に合わせ役職定年を廃止した。だが、人材の新陳代謝の阻害と人件費の高騰という二重の問題が重くのしかかり、「やむにやまれず追い出し部屋を作った」と、上級幹部社員が明かしてくれたことがあった。 なんとも皮肉な話ではあるが、このエピソードから分かるのは、そもそもの問題は「役職定年」という制度そのものではないってこと。言葉を変えれば、企業が「人」をどう育てるか? どう評価するか? どう処遇するか? という大きな視点での検討が必要なのだ』、正論で、その通りだ。
・『ごく一部を除き、誰もがそうなる  役職定年はそもそも、低成長期における中高年社員の増加を背景に、人件費コントロールの目的で広がった側面が大きい。極論すれば、役職定年となった社員は「やめてもらっても構わない」という考え方だ。当然、役職定年社員の活用という視点はもともと希薄なのだ。 一方、シニア活用がうまくいっている企業の方に話を聞くと、「定年まで働き続ける人を増やす」策を講じているケースが多い。つまり、「やめてもらう」が前提ではなく、「定年まで勤め上げてもらう=会社を去るまで貴重な戦力」を前提にさまざまな制度を導入し、社員教育を行い、役職定年になった社員の役割を明確にし、雇用の安定と福利厚生の整備を徹底しているのだ。「社員の経験は会社の宝物。長年企業を支えてきた土台を引き継ぐことが企業の成長には欠かせない」という経営哲学の下、長い年月をかけてひとつひとつ問題を解決しつつ、「誰もが年齢に縛られずに働き、パフォーマンスを発揮できる仕組み」の試行を積み重ねている。 例えば大和ハウス工業は、2003年にいち早く60歳定年後の「嘱託再雇用制度」を導入。その後、11年にはモチベーションの向上を目的に定年後も部門長処遇が可能になる「理事制度」を採用した。驚くべきなのは、60歳定年後に再雇用を希望する人が以前は50%だったのが、12年には70%にまで増加しているという事実である。13年には「65歳定年制」、15年には、定年以降も働き続けられる「アクティブ・エイジング制度」をスタート。60歳で役職定年になり、65歳で定年を迎えるが、その後も1年更新の嘱託社員として勤務することができる。嘱託社員は原則週休3日となるが、ボーナスも支給され、寮や社宅も利用可能だ。 もちろんある企業での成功事例が、他の企業でもそのまま使えるわけではないかもしれない。「50歳以上って、個人差がすごいあるでしょ」といったシニア雇用に関する難問も、すべてが解決できるわけではないだろう。 しかしながら、人手が足りない、役職定年社員は使えない、と嘆く前に、目の前にいる社員を、「会社に貢献したい」と考えている社員を、フルに生かす仕組みや組織風土を作る手間を惜しまないことが必要なんじゃないだろうか。 「まずは呼び名から!」と、「シニアスタッフじゃなく、シニアプロ」「シニアスタッフじゃなく、エルダースタッフ」「シニアスタッフじゃなく、メンタープロ」などとネーミングに工夫を凝らす例も増えつつあるようだが、ラインから外れた社員が「敗者」とならないような複線的なキャリアプランであったり、意欲が向上するようなちょっとした成果報酬であったり、それ以外にもできることはいろいろとあるはずだ。 「課長になれるのは7人に1人」と言われる時代。早い時期にラインを外れた社員、役職定年を迎えた社員――彼らは少数派ではないし、決して“敗者”ではない。ごく一部を除き、誰もがそうなる。そして、目を凝らせば、そこには貴重な経験やスキルが多く埋まっている。人手の確保がますます難しくなるこれからの時代、彼らがいなければ、会社組織は回らない。 そのことを胸に留めれば、もっと優しい気持ちで、相手を大切に感じられるのでは。きれいごとかもしれないけど、互いに尊重し合う組織風土なくして、未来はないと思う』、原則的にはその通りだが、役職定年者の経験やスキルの活用は、既存の指揮命令系統との関係など現実には難題が山積している。

次に、4月8日付けAERAdot.「新入社員は短期間で劣化する 日本人の「仕事への熱意」は世界最低レベル」を紹介しよう。
https://dot.asahi.com/dot/2019040500080.html?page=1
・『新しい年度がスタートし、新入社員の初々しい姿が街にあふれるこの季節、桜の花色に誘われるように初心を思い出し、新たな目標を立てた人も多いだろう。 だが、その志が続く人は少ないようだ。これまで、日本人は「勤勉」で「仕事熱心」だと世界中から思われてきた。いや、日本人自身もそう思ってきたはずだ。ところが、近年の調査では、そのようなイメージをくつがえすような結果が次々と出ている。 米国の調査会社ギャラップによると、日本人で「仕事に主体的に取り組む人」は全体のわずか6%。世界139カ国中で132位で、仕事への熱意は世界最低レベルだ。やる気のない社員は71%にのぼり、周囲に不平不満をまき散らしている社員も23%いた』、これは初耳で、驚くべき結果だ。
・『元号が「平成」に変わる前年の1988年、日本では栄養ドリンク「リゲイン」が発売されて「24時間、戦えますか」のフレーズが一世風靡した。仕事に全人生をかける会社員は、もはや遠い昔の話だ。 もちろん、モーレツサラリーマンに代表される昭和的価値観だけが人生なわけではない。IT技術が発達した21世紀の社会で、朝から晩まで会社で働き詰めるなど、時代遅れでしかない。得たい情報があれば手軽に入手でき、会いたい人がいればSNSで気軽につながることもできる。同僚や上司と“ノミニケーション”をしながら仕事の極意を教えてもらわなくても、学ぶ機会はあふれている。だが、今の日本人が情報化社会を十分に活用できているかというと、心もとない。 リクルートワークス研究所が全国の15歳以上の約5万人を対象に実施した調査によると、2017年の1年間で仕事に関わる自己学習をした人は、全回答者のうち33.1%しかいなかった。設問でたずねた「自己学習」とは、「本を読む」「詳しい人に話を聞く」といった手軽なものも含まれていたが、3分の2の人が「何もしていない」ことになる。同研究所の萩原牧子主任研究員は、こう話す。 「年齢別では、20代前半の約4割が自己学習をしていますが、年齢を重ねるとともに徐々に下がり、40代で約3割になります。学ばない理由について『転職や独立を予定していない』(17.2%)や『仕事や育児で忙しい』(15.0%)を大きく引き離して、51.2%の人が『あてはまるものはない』と回答しています。日本人の多くは、そもそも聞かれても特段の理由はないくらい、学ばないことを普通だと感じているのかもしれません」 ちなみに、学ぶ習慣について2回の退職経験がある人と比べると、一度も退職経験がない人は確率として4%低く、退職経験が3回以上ある人は4.3%高かった。日本企業の終身雇用と年功序列の雇用形態は、社員の学ぶ意欲を削いでいる可能性もある。 調査結果に異論もあるだろう。真っ先に思い浮かぶのが、「日本人は仕事が忙しすぎて、学ぶ時間が作れない」というものだ。残念ながら、これも事実ではない。同調査では、週労働時間が35時間未満の人が最も勉強しておらず(25.1%)、45~60時間未満の人が最も勉強している(34.6%)。さすがに、週60時間以上の「過労死ライン」を超えると割合が下がるが、それでも30.6%が何らかの学びをしている』、「週労働時間が35時間未満の人が最も勉強しておらず」というのは、ヒマだと問題意識も低いためなのだろうか。
・『希望を持って企業に入社した新入社員にとっては、これらはショックな結果かもしれない。就職や転職は人生の大きな転機だが、同僚や先輩たちのほとんどはスキルアップに興味がない。日々の仕事をただこなしているだけ。それが今の日本人サラリーマンの“平均的な姿”なのだ。 人口減少、少子高齢化、国際社会における地位低下……。日本は今、社会的にも経済的にも安定しているように見えて、近い将来、確実に大きな変化が訪れる。そのなかで、学ぶ習慣がなければ激しく変化する時代に追いつくことは容易ではない。 では、学ばない日本人は、どうすれば学ぶようになるのか。電通若者研究部プランナーで『仕事と人生がうまく回り出す アンテナ力』(三笠書房)の著書がある吉田将英氏は、こう話す。「多くの会社では人口構成がいびつで、上司の人数が多い。商品開発も高齢者向けが多く、若者の感性は尊重されにくい。そんな時代だからこそ、会社にこだわらなくてもいい。SNS時代だからいろんな人とつながることができるし、会社以外の組織で活動することも学びにつながるはずです。それが最終的に、意外な形で会社の仕事に良い影響を与えることもあります」  日本人が学ばなくなったのは個人の責任だけではない。厚生労働省の調査によると、社員一人あたりの教育訓練費は月額1112円(16年)で、1991年の1670円と比べると33%も減少している。企業が提供する学びの機会も減少している今、やはり自ら学習する姿勢が不可欠だ。前出の萩原氏は言う。 「『学び』と聞くと、多くの人が学生時代の試験対策や受験勉強など『負荷がかかるもの』を想像してしまう。しかし、情報化社会が進めば、詰め込み型の暗記学習の価値は低下していきます。一方、変化が激しい社会において、求められている学び行動は、答えがないもの、日常で感じた疑問に向き合う行動です。ふと感じた『なぜ』を解き明かす過程は本来はもっとワクワクする、楽しいもの。私たちは、『学び』の概念を改める必要があります」 前出の吉田氏も、こう話す。「たとえAI(人工知能)による効率化が進んで残業時間が減っても、学ばない人は学ばない。そもそも仕事に対する動機づけをあげるのは会社や上司の仕事ではありません。自分の好奇心を守り、育てること。身近なところに学ぶための“ラッキー”が転がっているので、まずはそれを知ることがスタートラインになるのではないでしょうか」 ギリシャ時代の哲学者アリストテレスは、自著『形而上学』の冒頭で「人は、生まれながらにして知ることを欲している」と書いた。かくいう記者も、日常に忙殺されて学ぶことから遠ざかり気味だ。あらためて新入社員が職場にやってくるこの季節に、学ぶこと、学び続けることの大切さを再認識したい。自戒を込めて』、「同僚や先輩たちのほとんどはスキルアップに興味がない。日々の仕事をただこなしているだけ。それが今の日本人サラリーマンの“平均的な姿”なのだ」というのは危機的だ。人事考課の項目に自己研鑽がある企業もあると思うが、こうした細かなことの積み重ねが重要なのではなかろうか。

第三に、在独ジャーナリストの熊谷 徹氏が5月8日付け東洋経済オンラインに寄稿した「「長時間労働がない」ドイツと日本の致命的な差 「仕事は原則8時間以下」が彼らのモットーだ」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/273436
・『日本よりも労働時間が圧倒的に短いドイツ。にもかかわらず、名目GDP(2017年度)は世界4位にいます。ドイツ人にとって、「長時間労働がありえない理由」を在独ジャーナリストの熊谷徹氏が解説します。 日本とドイツはどちらも物づくりに強い経済大国だ。しかしその働き方には天と地ほどの違いがある。 まず、ドイツ人の労働時間は日本に比べて圧倒的に短い。OECDによると、ドイツの労働者1人あたりの2017年の年間労働時間は、1356時間で、日本(1710時間)よりも約21%短い。彼らが働く時間は、日本人よりも毎年354時間短いことになる。EU平均と比べても、約17%短い。ドイツ人の労働時間は、OECD加盟国の中で最も短い』、確かに年間労働時間の格差は顕著だ。
・『勤労者を守る「厳しい法律」  なぜドイツの労働時間は大幅に短いのだろうか。1つの理由は、法律だ。ドイツ政府は、勤労者の健康を守るために、労働時間についての法律による縛りを日本よりもはるかに厳しくしている。 ドイツの労働時間法によると、1日の労働時間は原則として8時間を超えてはならない。1日あたりの労働時間は10時間まで延長できるが、ほかの日の労働時間を短くすることによって、6カ月間の平均労働時間を、1日あたり8時間以下にしなくてはならない。 1日につき10時間を超える労働は、禁止されている。この上限については例外はありえず、「繁忙期だから」とか、「客からの注文が急に増えたから」という言い訳は通用しない。 経営者は、業務が増えそうだと思ったら、社員1人あたりの1日の労働時間が10時間を超えないように、社員の数を増やさなければならない。 さらに、監督官庁による労働時間の監視が日本よりも厳しい。事業所監督局という役所が時折抜き打ちで、企業の社員の労働時間の記録を検査する。その結果、企業が社員を組織的に毎日10時間を超えて働かせていることが判明した場合、事業所監督局は、企業に対して最高1万5000ユーロ(約195万円)の罰金を科すことができる。社員が労働条件の改善を要求しても経営者が対応しない場合には、社員が事業所監督局に通報することもある。 事業所監督局は、とくに悪質なケースについて、経営者を検察庁に刑事告発することもある。例えば企業経営者が一度長時間労働について摘発された後も、同じ違反を何度も繰り返したり、社員の健康や安全に危険を及ぼすような長時間労働を強制したりした場合である。 裁判所から有罪判決を受けた場合、企業経営者は最長1年間の禁錮刑に処せられる可能性がある。長時間労働を社員に強いるブラック企業の経営者には、罰金ばかりでなく刑務所も待っているのだ。つまり、労働時間の規制を守らない経営者は、「前科者」になるリスクを抱えている。 企業の中には、罰金を科された場合、長時間労働をさせていた部長、課長など管理職にポケットマネーで罰金を払わせることがある。さらに長時間労働を部下に強いていた管理職の社内の勤務評定は非常に悪くなる。このため、ドイツの管理職たちは繁忙期でも社員たちに対し口を酸っぱくして、1日10時間を超えて働かないように命じるのだ』、「ドイツの労働時間法」や「監督官庁による労働時間の監視」は大いに学ぶべきだ。日本は経営側に余りに優し過ぎる。
・『10時間を超える労働には警告  会社によっては、1日の労働時間が10時間近くなると、社員のPC画面に「このまま勤務を続けると労働時間が10時間を超えます。10時間を超える労働は法律違反です。ただちに退社してください」という警告が出るケースもある。 また、管理職のPCの画面に、部下の1日の労働時間が10時間を超えると警告が出るようにしている企業もある。このようにしてドイツの管理職たちは、売上高や収益を増やすだけではなく、部下たちの労働時間の管理にも心を砕かなくてはならないのだ。 日本の働き方改革は残業時間に上限を設けるものだが、ドイツでは1日あたりの労働時間に上限を設けている。これは大きな違いである。 ドイツの企業では、自宅のPCから企業のサーバーにログインして働く「ホーム・オフィス」制度も急速に広がっている。とくに金融サービス業界では、書類の大半が電子化されているので、自宅からの労働が可能になる。会議には電話で参加する。自宅で働いた時間は、会社に自分で申告する。 幼い子どもを抱える社員の間では、ホーム・オフィスは好評である。「毎週金曜日は、ホーム・オフィス」と決めている社員も少なくない。1990年代までドイツでは、社員に対して「午前9時から午後3時までは、オフィスにいる義務」を課す企業が多かったが、最近では「オフィスにいなくても、成果が上がればよい」と考えるのが当たり前になっている。 ドイツ政府と産業界が一体となって進めている製造業のデジタル化プロジェクト「インダストリー4.0」が普及すれば、銀行や保険会社だけではなくメーカーでも自宅からの作業が可能になる』、「10時間を超える労働には警告」にはここまでやるのか、と驚かされた。「ホーム・オフィス」制度も大いに見習うべきだろう。
・『有給休暇は「30日」が基本  もう1つ、日独の働き方の大きな違いは、有給休暇である。1963年、つまり今から半世紀以上前に施行された「連邦休暇法」によって、企業経営者は社員に毎年最低24日間の有給休暇を与えなくてはならない。 だが実際には、ドイツの大半の企業が社員に毎年30日間の有給休暇を与えている(有給休暇の日数が33日の企業もある)。これに加えて、残業時間を1年間に10日間まで代休によって振り替えることを許している企業も多い。つまり、多くの企業では約40日間の有給休暇が与えられていることになる。 さらに土日と祝日も合わせると、ドイツ人のサラリーマンは毎年約150日休んでいることになる。1年のうち41%は働かないのに会社が回っており、ドイツが世界第4位の経済大国としての地位を保っていられるのは、驚きである。 OECDが2016年12月に発表した統計は、各国の法律で定められた最低有給休暇の日数、法定ではないが大半の企業が認めている有給休暇の日数と、祝日の数を比較している。ドイツの大半の企業が認めている有給休暇(30日)と祝日(9~13日間=州によって異なる)を足すと、39~43日間となり世界で最も多い。日本では法律が定める最低有給休暇(10日)と祝日(16日)を足すと、26日間であり、ドイツに大きく水をあけられている。 日本の特徴は、法律が定める有給休暇の最低日数が10日と非常に少ないことだ。これはドイツ(24日)の半分以下である。しかも、ドイツでは大半の企業が、法定最低日数(24日)ではなく、30日という気前のいい日数の有給休暇を与えている。 日本では、継続勤務年数によって有給休暇の日数が増えていく。例えば、半年働くと10日間の有給休暇が与えられ、3年半以上働いた人の有給休暇日数は14日、勤続年数が6年半を超えると、20日間の有給休暇を取れる。 これに対し、ドイツの大半の企業では、6カ月間の試用期間を無事にパスすれば、最初から30日間の有給休暇が与えられる。この面でも、日本のサラリーマンはドイツの勤労者に比べて不利な立場に置かれている。 さらに、日独の大きな違いを浮き彫りにするのが、有給休暇の取得率である。旅行会社エクスペディア・ジャパンが2018年12月に発表した調査結果によると、同年の日本の有給休暇取得率は50%。これは、同社が調査した19カ国の中で最低である』、日本の有給休暇については、「法律が定める有給休暇の最低日数が10日と非常に少ない」だけでなく、「取得率は50%」と「9カ国の中で最低」(私が考えていたより高いとはいえ)というのは、やはり問題だ。
・『「有給取得率100%」が常識  ドイツは、エクスペディアの統計に含まれていない。しかし、私がこの国に29年住んでさまざまな企業を観察した結果から言うと、ドイツ企業では管理職を除く平社員は、30日間の有給休暇を100%消化するのが常識だ。 有給休暇をすべて取らないと、上司から「なぜ全部消化しないのだ」と問いただされる会社もある。管理職は、組合から「なぜあなたの課には、有給休暇を100%消化しない社員がいるのか。あなたの人事管理のやり方が悪いので、休みを取りにくくなっているのではないか」と追及されるかもしれない。したがって、管理職は上司や組合から白い目で見られたくないので、部下に対して、有給休暇を100%取ることを事実上義務付けている。 つまり、ドイツの平社員は、30日間の有給休暇を完全に消化しなくてはならない。日本人のわれわれの目から見ると、「休暇を取らなくてはならない」というのは、なんと幸せなことだろうか。しかも毎年30日、つまり6週間である。 さらに、エクスペディアの調査によると日本では、「有給休暇を取る際に罪悪感を感じる」と答えた人の比率が58%と非常に高かった。フランスでは、この比率はわずか25%だ』、日本では有給休暇を病気に備えてとっておく傾向が強いが、ドイツやフランスでは病欠でも不利にならない制度的手当てがあるのかも知れない。いずれにしても、日本のサラリーマンは、低いと言われている生産性を上げて、有給休暇をもっと取れるようにメリハリのある働き方が求められているのだろう。
タグ:東洋経済オンライン ギャラップ 日経ビジネスオンライン 役職定年 河合 薫 働き方改革 熊谷 徹 AERAdot. リクルートワークス研究所 (その20)(同期の上司から受けたいじめと 無言で抗う役職定年社員、新入社員は短期間で劣化する 日本人の「仕事への熱意」は世界最低レベル、「長時間労働がない」ドイツと日本の致命的な差 「仕事は原則8時間以下」が彼らのモットーだ) 「同期の上司から受けたいじめと、無言で抗う役職定年社員」 今まで一緒にやってきた同僚や部下が、役職がなくなった途端、まるで小学生の“いじめ”のように無視するんです ステレオタイプ脅威 その脅威にさらされた人は、不安を感じ、やる気が失せ、パフォーマンスが低下しがち 「下」だけではなく、「横」も「上」も“加害者” 「やむにやまれず追い出し部屋を作った」 「女性活躍」とセットで「シニア活用」が掲げられているが、会社組織全体の意識改革を促すような取り組みなしにシニア活用問題は解決しないのではないか そもそもの問題は「役職定年」という制度そのものではないってこと。言葉を変えれば、企業が「人」をどう育てるか? どう評価するか? どう処遇するか? という大きな視点での検討が必要なのだ 互いに尊重し合う組織風土なくして、未来はないと思う 「新入社員は短期間で劣化する 日本人の「仕事への熱意」は世界最低レベル」 日本人で「仕事に主体的に取り組む人」は全体のわずか6%。世界139カ国中で132位で、仕事への熱意は世界最低レベルだ 全国の15歳以上の約5万人を対象に実施した調査によると、2017年の1年間で仕事に関わる自己学習をした人は、全回答者のうち33.1%しかいなかった 週労働時間が35時間未満の人が最も勉強しておらず(25.1%)、45~60時間未満の人が最も勉強している(34.6%) 同僚や先輩たちのほとんどはスキルアップに興味がない。日々の仕事をただこなしているだけ。それが今の日本人サラリーマンの“平均的な姿” 社員一人あたりの教育訓練費は月額1112円(16年)で、1991年の1670円と比べると33%も減少 「「長時間労働がない」ドイツと日本の致命的な差 「仕事は原則8時間以下」が彼らのモットーだ」 ドイツの労働者1人あたりの2017年の年間労働時間は、1356時間で、日本(1710時間)よりも約21%短い。彼らが働く時間は、日本人よりも毎年354時間短いことになる。EU平均と比べても、約17%短い ドイツ人の労働時間は、OECD加盟国の中で最も短い ドイツ政府は、勤労者の健康を守るために、労働時間についての法律による縛りを日本よりもはるかに厳しくしている 日につき10時間を超える労働は、禁止 監督官庁による労働時間の監視が日本よりも厳しい 10時間を超える労働には警告 「ホーム・オフィス」制度も急速に広がっている 有給休暇は「30日」が基本 連邦休暇法 毎年最低24日間の有給休暇を与えなくてはならない 実際には、ドイツの大半の企業が社員に毎年30日間の有給休暇を与えている 土日と祝日も合わせると、ドイツ人のサラリーマンは毎年約150日休んでいることにな ドイツの大半の企業が認めている有給休暇(30日)と祝日(9~13日間=州によって異なる)を足すと、39~43日間となり世界で最も多い 日本では法律が定める最低有給休暇(10日)と祝日(16日)を足すと、26日間 ドイツの大半の企業では、6カ月間の試用期間を無事にパスすれば、最初から30日間の有給休暇が与えられる 日本の有給休暇取得率は50% 9カ国の中で最低 「有給取得率100%」が常識 日本では、「有給休暇を取る際に罪悪感を感じる」と答えた人の比率が58%と非常に高かった フランスでは、この比率はわずか25%
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外国人労働者問題(その12)(「消えた留学生」問題は必然 安倍政権が生む「外国人労働者大量逃亡時代」、「日本語学校」の悲惨な実態 授業崩壊・入学翌日に失踪…) [経済政策]

外国人労働者問題については、1月24日に取上げた。今日は、(その12)(「消えた留学生」問題は必然 安倍政権が生む「外国人労働者大量逃亡時代」、「日本語学校」の悲惨な実態 授業崩壊・入学翌日に失踪…)である。

先ずは、ノンフィクションライターの窪田順生氏が3月21日付けダイヤモンド・オンラインに寄稿した「「消えた留学生」問題は必然、安倍政権が生む「外国人労働者大量逃亡時代」」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/197546
・『消えた留学生問題が大騒ぎになっている。しかし、日本政府が外国人労働者を受け入れ始めれば、さらに多くの外国人が「消える」ことになるのは間違いない。そもそも、日本人もいやがる低賃金労働を「外国人ならやってくれるはず」という思い込みは間違っている。なぜなら、彼らが日本に来る動機は間違いなく「お金」だからだ』、消えた留学生問題が改正法を強行採決してからだいぶ経った今頃になって報じられたのには、政府がもはや抑える必要が薄らいだと判断したため、なのかも知れない。
・『消えた留学生問題から予想できる将来の日本の惨状  後からボロボロとこういう話が出てくるということは、これもまだ「氷山の一角」に過ぎないのではないか。 ベトナム、ネパール、中国国籍などの留学生約700人が「所在不明」になっている東京福祉大学で、文科省などが調査を進めたところ、所在不明者は700人どころの騒ぎではなく、過去3年間で1400人にも上ることがわかったというのだ。 報道によると、この「消えた留学生」たちの多くは、授業に出たのはわずか数回で、ある日忽然と姿を消し、学費未納で「除籍」扱いになった者である。 じゃあ、そこでこういう人たちは故郷に帰るのかというと、そうではなく、多くはビザが切れても不法残留し、外食や建設現場など、日本人労働者に敬遠される「人手不足業界」で、労働力として重宝されているのだという。 という話を聞くと、「ほらみろ、こういうことになるから、留学生とかじゃなくて外国人労働者としてしっかりとした受け入れ体制をつくらないといけないのだ!」なんて感じで胸を張る人たちがいるが、筆者の考えはまったく逆である。 こういう問題が起きるから、外国人労働者の受け入れ拡大はやめた方がいいのだ。 今の流れのままでいけば、数百人、数千人規模の外国人労働者が「所在不明」となる。今回の「消えた留学生」問題というのは、近い将来に日本を震撼させる「消えた外国人労働者」のプロローグに過ぎないのである。 今回の一件から我々が学ばなくてはいけないことは、「外国人留学生にはもっと厳しい監視が必要だ」とか、「留学生を受け入れると補助金が出ることも問題だ」というような規制や制度うんぬんの話ではなく、ごくシンプルな「人間心理」である。それを一言で言ってしまうとこうなる。 「人間は時にルールを破ってでも、待遇の良い方向へ流れていく」 留学生が学校を除籍になれば当然、不法残留になる。にもかかわらず、留学生たちは学校から消えた。学費を支払いながら留学生を続けるよりも、バイトでガッツリ稼いだ方がよほど稼げるからだ。待遇の良さが、リスクを上回ったのだ』、私も東京福祉大学の話は酷いと当初は憤慨したが、「今回の「消えた留学生」問題というのは、近い将来に日本を震撼させる「消えた外国人労働者」のプロローグに過ぎないのである」、との鋭く本質を突いた指摘に改めて問題の深刻さを再認識させられた。
・『外国人労働者は制度を守って働いてくれるのか?  このような「人の心」という視点が昨年、選挙のために政府がゴリ押しした「外国人労働者の受け入れ拡大」ではゴッソリ抜けている。 安倍政権によると、「外国人労働者」は「移民」ではなく、「特定技能」という在留資格で、14業種の特定産業分野で働くことを条件として在留が許可される人だ。つまり、介護職で日本に来た人は介護職を辞めたら日本から出てってね、というわけだ。 だが、この制度を適応する相手は「奴隷」ではなく、職業選択の自由を持つ人間である。当然、「消えた留学生」らと同じような心理が働く。 例えば、介護職の「特定技能」で日本にやってきた中国人の女性がいたとしよう。しかし、ご存じのように、日本の介護現場はハードな割に賃金も低い。今や中国の介護現場の方が待遇がいいという話もあるくらいだ。 ということで、程なくしてこの女性、勤務先どころか、日本で介護の仕事をすること自体を辞めたいと思い立った。 介護を辞めれば、「在留資格」を奪われて日本から出ていかなければならないのだが、彼女はサクッと職場から消えた。同郷の友人から紹介された夜の仕事でガッツリ稼げるからだ。待遇の良さが、不法残留というリスクを上回ってしまったのだ。 こうして一人、また一人と外国人労働者が何の断りもなく職場から姿を消して行き、気がつけば、「人手不足の救世主」と崇めていた外国人労働者が、何千人も「所在不明」となり結果、日本は、何をしているのかよくわからない「不法移民」が溢れかえる国になりましたとさ――。 「はいはい、妄想おつかれさん」という声が聞こえてきそうだが、筆者がこういう最悪な未来を予想してしまうのは、他にも理由がある。実は今回の「消えた留学生」問題というのは図らずも、政府が推進する「特定技能外国人労働者」という制度の致命的な欠陥を露呈させてしまっているからだ』、政府の甘い想定に対する手厳しい批判で、その通りだろう。
・『外国人留学生の第一目標は当然「お金」である  この制度は、「特定技能」を持つ外国人労働者の皆さんは、人手不足に悩む業界で文句ひとつ言わずにキビキビ働いてくれる、ということが大前提となっている。 これらの業界は、仕事がきつくて、賃金も安いということで、日本人労働者から敬遠されているが、外国人労働者の方たちは「日本で働けるだけで幸せです!」と考えるであろうという前提がある。だが、「消えた留学生」問題を見る限り、それは何の根拠もない「妄想」だと言わざるを得ない。 そもそも、消えた1400人の外国人留学生に限らず、東京福祉大学に来ているほとんどの外国人留学生は、この学校を経て日本で仕事に就きたい、キャリアアップをしたいということを目的としている。要は「お金」が目的である。 もちろん、「少子高齢化で悩む日本の方たちを助けるため、介護施設で働きたいんだ!カネなんて二の次だ!」という、ありがたい外国人の方たちもいらっしゃるかもしれないが、入学希望者の多くは「お金」を第一目標としている。その動かぬ証拠が、東京福祉大学留学生向けパンフレットにデカデカと記されたこの文言だ。《「お金持ち」になる夢につながる》 わざわざカギカッコと赤字で「お金持ち」を強調しているのだ。こういう呼びかけをして、それに応じてやってきた留学生の多くが「お金」を目的として、日本にやってくるのは当然である。 そう聞くと、金目的で日本に来る留学生を批判しているように聞こえるかもしれないが、そんなつもりは毛頭ない。むしろ、安くない学費を捻出して海外で勉強をしようという者ならば、当然のモチベーションだ。 そして、このモチベーションは「外国人労働者」になれば、さらに高くなることは言うまでもない。 しかし、先ほども申し上げたように、「外国人労働者」が働けるのは、「人手不足業界」に限定されている。なぜこれらの業界が人手不足になっているのかというと、仕事がハードということもあるが、何よりも賃金が低いからだ。 もう何を言わんとしているかお分かりだろう。政府の進める「外国人労働者の受け入れ拡大」というのは、「お金」が目的で日本にやってくる外国人たちに、彼らの来日目的にマッチしないどころか、自国民が嫌がるような「低賃金労働」をあてがう、というかなり無理のある話だ』、「東京福祉大学留学生向けパンフレットにデカデカと記されたこの文言だ。《「お金持ち」になる夢につながる》」とまで露骨に謳っているとは、驚かされた。政府も外国人労働者たちの訪日の目的を分かっていながら、建前では「キレイ事」を前提にして制度づくりをするとは、やがて矛盾が爆発する懸念も強いといえよう。
・『年間85万円の学費を4年払って月給23万円の将来はアリか?  どれくらい無理かというと、経営者やエリートビジネスマンと結婚したいと願う女性に、アルバイトで夢を追いかける若者とお見合いさせるくらい無理だ。どんなにゴリゴリ押しても「破談」間違いなし、というのが日本の「外国人労働者の受け入れ拡大」なのだ。 そして、このような日本側が外国人に求めることと、外国人が日本に求めることの悲劇的なすれ違いの結果が、「消えた留学生」問題である可能性が極めて高い。 多くの所在不明者を出した、東京福祉大学の「研究生」の1年間の学費は62万8000円。この準備過程を終えて学部に編入すると年間85万かかる。かなりの額だ。では、このような学費を毎年払い続けて、晴れて日本で働くことができた時、果たして「パンフレット」に書かれていたような「お金持ち」になれるのかというと、かなり難しい。 例えば、東京福祉大学卒業生の多くが進むであろう「介護職員」(施設)の1ヵ月の賃金は約23万3600円(平成29年賃金構造基本統計調査)である。国内での業種の中でも決して高いとは言えない賃金だ。 いや、これなどまだマシな方だ。昨年7月に放映された「ワールドビジネスサテライト」(テレビ東京)が取り上げた、介護施設で働くフィリピン人看護師の月給は14万だった。果たして、このような賃金を手にして、彼らは「お金持ち」だと感じるだろうか。感じるわけがない。 国によっては祖国へ仕送りすれば、一家全員が暮らせるくらいの額にはなるが、働いている外国人自身も日本で生活しなくてはいけないのだ。中には、「聞いていた話と違う」「騙された」と思う人もいるだろう。 いずれにせよ、「お金」が目的で日本にやってきた留学生たちとって、日本で福祉や介護の職に就くということは、あまりにも費用対効果の悪い話だったことは間違いない』、「日本側が外国人に求めることと、外国人が日本に求めることの悲劇的なすれ違いの結果が、「消えた留学生」問題である可能性が極めて高い」、問題の本質を突いた鋭い指摘だ。
・『外国人を「部品」のように扱う心なき日本政府の行く末は  「仕事ってのはそんな甘いもんじゃない!そういう苦労をすれば、いつかちゃんと報われるんだ」と怒り出すおじさんも多いかもしれない。 ただ、日本人相手ならそういう説教も通用したかもしれないが、彼らは「外国人」である。日本人のように責任を求めるなら、日本人と同じような権利を与えるのが筋だ。それができないのに義務やリスク、そして重労働を押し付けるのなら、「お金」などの見返りを保障するしかないのだ。 しかし、現行の「外国人労働者の受け入れ拡大」にはそういう視点はゼロだ。 外国人は、日本人が嫌がる低賃金・重労働の仕事を黙々とこなせばよし。外国人には職業選択の自由はないので、決められた仕事以外はしてはならぬ――。そんな都合のいい「奴隷」制度のような話がうまくいくわけはないのである。 「消えた留学生」問題は、この国が「外国人」という人たちの「心」をまったく考慮せず、「部品」のひとつのようにしか捉えていないという事実を、これ以上ないほどわかりやすく露呈させた。 これまで本連載で繰り返し指摘してきたように、人手不足業界の待遇改善、つまりは賃金を上げていくことをせずに、外国人労働者を受け入れても、日本人の低賃金労働の現場で既に起きているブラック企業、パワハラ、バイトテロなど「恥」を世界へ向けて発信することにしかならない。 今回の問題を受けて、TBSの取材に対して東京福祉大学は「留学生を増やすという国策に沿ってやっている」と答えていた。 これから外国人労働者をめぐるトラブルが日本中で増える。劣悪な労働環境やパワハラ、長時間労働を強いたとして告発されるブラック企業、悪徳ブローカーなども、自分たちの正当性を主張するため、「だって、これは国策ですから」というような釈明をするのは、容易に想像できる』、「「消えた留学生」問題は、この国が「外国人」という人たちの「心」をまったく考慮せず、「部品」のひとつのようにしか捉えていないという事実を、これ以上ないほどわかりやすく露呈させた」、というのも手厳しい政府批判だ。
・『実はこの構図は、70年を経てもいまだに日本を悩ます「従軍慰安婦」や、「徴用工」の問題とまったく同じである。 慰安所に女性を売り飛ばした韓国の女衒や、外国人の炭鉱夫をこき使った企業は口が避けても、「外国人は低賃金でこき使えるから」とは言わなかった。では、どういう大義名分を掲げたかというと、「日本のため」である。 このように、日本人労働者から敬遠されるブラック業界の救済のため、「国策」を持ち出してしまったことが、すべての悲劇の始まりなのだ。 日本に来たい、働きたい、と言っていた外国人が、ある日を境に「被害者」へと変わるのがこの手の問題の恐ろしいところだ。やはり「外国人労働者」問題の行き着くところは、「従軍慰安婦」や「徴用工」のような国際的人権問題なのかもしれない』、最後の予言はそら恐ろしいが、こんな制度を作ってしまった以上、日本国民として覚悟が必要なようだ。

次に、ジャーナリストの姫田小夏氏が3月22日付けダイヤモンド・オンラインに寄稿した「「日本語学校」の悲惨な実態、授業崩壊・入学翌日に失踪…」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/197557
・『ベトナム人留学生の万引き、モンゴル人留学生の無免許運転、ネパール人留学生の刃物を持ち出した喧嘩――、アジア人留学生が起こす問題が多発し、その対応に追われる日本語学校。その現場は、もはやまともな日本語教育どころではない、というところにまで来ている。 元凶は、日本政府の政策にあるといえるだろう。政府は2013年に、アベノミクスの第三の矢として「日本再興戦略」を打ち出し、「人材こそが最大の資源」という認識から“優秀な外国人留学生”の積極的な受け入れを始めた。少子高齢化と人口減が急速に進行する中、留学生を就業人口として定着させることも視野に入れ、2020年までに30万人を受け入れる目標を立てた。2019年には29万8980人を受け入れ、目標達成はすでに射程距離に入っている。 注目すべきは、2013年以降2018年までの5年間における“急激な人口増”だ。この短期間で留学生は13万0835人も増えた。この数は、神奈川県海老名市や千葉県成田市の人口に匹敵する。日本語学校への留学生も急増している。2018年は9万79人となり、この5年間で5万7453人も増加した。 現在、留学生の受け入れが可能な日本語学校は全国で749校ある。いずれも規定をクリアした日本語学校として、法務省が告示する日本語教育機関に名を連ねている。中には、留学生をきちんと選考し、寄り添うようにして面倒を見るまともな日本語学校もある。だが、ここで取り上げるのは、リスト中にある大手有名校の惨状だ。 筆者は複数の日本語教師から話を聞いた。この日本語学校をA校とし、登場する日本語教師をBさん、Cさん、Dさん、Eさんとした。それぞれの話から浮き彫りになるのは、学生を金づるとしか思わない日本語学校と、金稼ぎが目的でやってくる留学生、そしてその間に挟まれて報われない労働を強いられる日本語教師たちだ』、日本語学校の実態とは、大いに興味をそそられる。
・『授業崩壊が始まる日本語学校  卒業式を終え、教師たちがほっとしたのもつかの間、4月から始まる怒涛の新学期に向けて、A校は静かに臨戦態勢に入りつつあった。というのも、A校ではこの春、前代未聞の数の新入生を迎えるからだ。通常なら1学年5~6クラスが編成されるが、今年はなんと16クラスになるという。 近年、教室の主流を成すのはベトナムとネパールからの留学生で、ミャンマーとスリランカが次に続くという。一昔前の主役だった中国人は、すでに数を減らしつつある。その留学生たちと向き合うのは、担任となった常勤の日本語教師だ。Bさんは「こんなに増えた留学生に教えるのは正直気が重い。なぜなら、まともな授業にならないから」と打ち明ける』、クラス数が一挙に3倍というのは、信じられないような話だ。
・『筆者は近年、A校以外の日本語学校でも「手の施しようがない学生が送られてくる」という声をよく耳にしていたが、大手のA校でも状況は同じようだ。授業に出席しない学生、単元テストで集団カンニングする学生、それでも合格点をはるかに下回り、追試をしても、“追追試”、“追追追試”となってしまう学生、自分の名前をローマ字入力のカタカナで打てない学生――Bさんは「何年も前から授業は崩壊しています」と嘆く。 さらに目も当てられないのは、「入学した翌日から来なくなる新入生」だという。Bさんによれば、「学校は長期欠席で、(学校が把握している)バイト先にも姿を見せない。そんなふうにして失踪していく学生はとても多い」という。 Cさんも、「日本に来るのは稼ぐため。留学生の目的は日本語の習得ではない」と言い切り、こう続ける。 「学校側は海外の提携先に依頼して、とにかく誰でもいいから日本に留学したい学生をかき集めています。その勧誘トークは『日本に行けば金が稼げる』、『家電も買えるし、化粧品も買える』というもの。学生たちの日本留学の動機なんてその程度のものです。留学期間中はできるだけアルバイトをして祖国に送金し、貯金を蓄えて帰国するパターンです」 結果として“大手有名A校”には、“優秀な外国人留学生”とは程遠い、日本政府の期待から大きく外れた“出稼ぎアルバイター”が集まってしまった。 留学生の中には、ベトナムの窃盗団に関わっている生徒もいるという。酒に酔った勢いでの派手な喧嘩も少なくない。女性教師に深夜に誘いの電話をかける男子留学生や、売春で金を稼ぐ女子留学生もいるという。「本当に勉強がしたくて日本に来る子はほとんどいない」と、Cさんは繰り返す』、こんなことでは、「消えた留学生」による日本人への犯罪が多発するのも時間の問題だろう。
・『日本語教師は報われない  そんなA校では、辞めていく日本語教師が後を絶たない。そこにあるのは、どんどん辞めていく日本語教師の穴を、どんどん採用して補うという不毛な循環だ。A校はこの春、数百人規模の新入生を迎えるわけだから、日本語教師は輪をかけて不足する。 しかも、業務内容は多岐に及ぶ。日本の文化や生活習慣を正しく教えるという役目も担う、日本語学校の教師の仕事は実にエンドレスなのだ。 「日本語教師は日本語だけ教えていればいいと思われていますが、決してそうではありません。クラスの出欠管理や校内行事の準備はもちろんのこと、アルバイト希望者への対応や進路指導、果てはゴミの分別などの日本の生活指導まで、細かく行わなければなりません」(Dさん) DさんはA校に入社した際の契約で、「週に10コマを教える」というのが労働条件だったが、いつの間にか「週20コマ」も持たされるようになった。その結果、契約で定められた「8時30分~17時30分」の勤務時間帯を大きく超過する状況に陥り、朝8時から終電間際までといった残業が続くようになった。しかも、給料は依然としてスズメの涙ほどの残業代しかつかない“薄給”である。 教育職は人間が相手だ。ましてや言葉も習慣も異なる留学生が相手となれば、なかなかその指導も一筋縄ではいかない。気力体力も限界に達し、入社当時の熱意も枯渇寸前となり、誰もがギリギリの状況に追い詰められ、そして辞めていってしまう。 Eさんは日本語教師という仕事を「報われない仕事」だという。 「日本語を一所懸命に教えようとしても、留学生も学校側も、それを望んでいないからです」 日本における日本語教師の地位は決して高いとはいえない。ベテラン教師が少ないといわれているのも、専門職として相応(家族を養える程度)の報酬を得られないためでもある。こうした空気は留学生にも伝わり、日本語教師は留学生との距離の取り方に腐心する。 「留学生は日本語教師という存在に敬意を払っていません。日本語教師は女性が多く年齢も留学生たちとさほど変わらないので、『友達になろう』くらいの感覚で接してくるのです。ひどい場合は“恋愛対象”にさえなることがあります。高齢の先生にも敬意を持たない子が多いですね。卒業間近ともなると、学生は教師を無視して授業中の教室で堂々とトランプ遊びをしています」(Eさん) 現場では日本語教師の地位向上どころか、質の低下が進んでいる。政府が打ち出した「30万人計画」のおかげで留学生は激増したが、とにかく手が足りず、日本語教師すら“かき集め”てくるのが実態なのだ。 「最近は学校側も『教壇に立てるなら誰でもいい』といった状況で、応募してくるのも『働けるならどこでもいい』といった人材が多くなりました。留学生にきちんとした教育を与えようなどという志なんか、あったものではありません」(Cさん) 日本語教師になるには、大学で日本語教育を専攻するか、あるいは日本語教育能力検定試験に合格することが求められる。それらと並ぶ資格として、「日本語教師養成講座420時間コース」の修了がある。採用面接に際しては、教案を提出し、模擬授業を行うというプロセスを踏むが、A校ではだいぶ以前からこのプロセスを省いているという。辞める教師があまりに多すぎるからだ。 日本語教師が次々と辞めていく中、いくら募集をかけても人材は追いつかない。「検定合格者や養成講座修了者を待っていたら、担任不在のクラスができてしまう」(Cさん)ため、まったくの無資格者でも起用することさえあるという』、「日本語教師は日本語だけ教えていればいい」わけではなく、幅広い指導力が本来は必要となのにも拘らず、「「日本語を一所懸命に教えようとしても、留学生も学校側も、それを望んでいないからです」というのでは、本当に「報われない仕事」だ。
・『“二重名簿”で学生管理  さて、急増する留学生に対応するために、A校ではこんな「苦肉の策」を講じている。それは“二重帳簿”ならぬ“二重名簿”だ。 法務省入国管理局の「日本語教育機関の告示基準」は、「日本語の授業は、同時に授業を受ける生徒数を20人以下とする」と指導しているが、A校では出席簿を20人の名簿と5人の名簿に分け、教室には25人を詰め込んで授業を行っているのだ。当局の検査が入るときには“余分な机”をみんなで一斉に隠すこともあるという。 かつては、一般財団法人日本語教育振興協会(以下、日振協)がこうした「現場チェック」を行っていたが、今では「第三者機関が評価を行うという定期検査はなくなった」(法務省入国管理局)。日振協は現在、会員である日本語学校258校に対して検査体制を維持している。日振協は昨今の実情を踏まえ、「評価事業は質の維持・向上には欠かせない」(同)と主張する。年間70校という異例の数で増え続ける日本語学校は玉石混交、そんな中でさらに厳しい管理体制が求められるのは必然だ。 過去3年間で1400人の外国人留学生の「所在不明者」を出した東京福祉大学も根っこは同じところにある。留学生だけではない。労働者も観光客も“数の確保”ばかりが先走る。 ひたすら数字だけを追う「留学生のかき集め」は、若い留学生の将来を歪め、日本の教育水準を低下させ、果ては日本語教師の熱意をもくじく。負の循環を断ち切れる有効策を期待したい』、これほど酷い状況では、国内の治安問題だけでなく、国際的にも批判の的になりかねないだろう。安倍政権の罪は誠に深いようだ。
タグ:ダイヤモンド・オンライン 窪田順生 東京福祉大学 アベノミクス 外国人労働者問題 姫田小夏 (その12)(「消えた留学生」問題は必然 安倍政権が生む「外国人労働者大量逃亡時代」、「日本語学校」の悲惨な実態 授業崩壊・入学翌日に失踪…) 「「消えた留学生」問題は必然、安倍政権が生む「外国人労働者大量逃亡時代」」 消えた留学生問題 消えた留学生問題から予想できる将来の日本の惨状 「氷山の一角」 所在不明者は700人どころの騒ぎではなく、過去3年間で1400人にも上る 多くはビザが切れても不法残留し、外食や建設現場など、日本人労働者に敬遠される「人手不足業界」で、労働力として重宝されている 今回の「消えた留学生」問題というのは、近い将来に日本を震撼させる「消えた外国人労働者」のプロローグに過ぎないのである 人間は時にルールを破ってでも、待遇の良い方向へ流れていく 外国人労働者は制度を守って働いてくれるのか? この制度を適応する相手は「奴隷」ではなく、職業選択の自由を持つ人間である 気がつけば、「人手不足の救世主」と崇めていた外国人労働者が、何千人も「所在不明」となり結果、日本は、何をしているのかよくわからない「不法移民」が溢れかえる国になりましたとさ―― 今回の「消えた留学生」問題というのは図らずも、政府が推進する「特定技能外国人労働者」という制度の致命的な欠陥を露呈させてしまっているからだ 外国人留学生の第一目標は当然「お金」である 東京福祉大学留学生向けパンフレットにデカデカと記されたこの文言だ。《「お金持ち」になる夢につながる》 なぜこれらの業界が人手不足になっているのかというと、仕事がハードということもあるが、何よりも賃金が低いからだ 「お金」が目的で日本にやってくる外国人たちに、彼らの来日目的にマッチしないどころか、自国民が嫌がるような「低賃金労働」をあてがう、というかなり無理のある話だ 年間85万円の学費を4年払って月給23万円の将来はアリか? 日本側が外国人に求めることと、外国人が日本に求めることの悲劇的なすれ違いの結果が、「消えた留学生」問題である可能性が極めて高い 外国人を「部品」のように扱う心なき日本政府の行く末は 「消えた留学生」問題は、この国が「外国人」という人たちの「心」をまったく考慮せず、「部品」のひとつのようにしか捉えていないという事実を、これ以上ないほどわかりやすく露呈させた 「恥」を世界へ向けて発信 実はこの構図は、70年を経てもいまだに日本を悩ます「従軍慰安婦」や、「徴用工」の問題とまったく同じである やはり「外国人労働者」問題の行き着くところは、「従軍慰安婦」や「徴用工」のような国際的人権問題なのかもしれない 「「日本語学校」の悲惨な実態、授業崩壊・入学翌日に失踪…」 「日本再興戦略」 “優秀な外国人留学生”の積極的な受け入れを始めた 2020年までに30万人を受け入れる目標 日本語学校への留学生も急増している。2018年は9万79人となり、この5年間で5万7453人も増加 通常なら1学年5~6クラスが編成されるが、今年はなんと16クラスになるという 手の施しようがない学生が送られてくる 授業に出席しない学生、単元テストで集団カンニングする学生、それでも合格点をはるかに下回り、追試をしても、“追追試”、“追追追試”となってしまう学生、自分の名前をローマ字入力のカタカナで打てない学生 「入学した翌日から来なくなる新入生」 「学校側は海外の提携先に依頼して、とにかく誰でもいいから日本に留学したい学生をかき集めています。その勧誘トークは『日本に行けば金が稼げる』 日本語教師は報われない 日本語教師は日本語だけ教えていればいいと思われていますが、決してそうではありません。クラスの出欠管理や校内行事の準備はもちろんのこと、アルバイト希望者への対応や進路指導、果てはゴミの分別などの日本の生活指導まで、細かく行わなければなりません 「日本語を一所懸命に教えようとしても、留学生も学校側も、それを望んでいないからです」 「報われない仕事」 最近は学校側も『教壇に立てるなら誰でもいい』といった状況で、応募してくるのも『働けるならどこでもいい』といった人材が多くなりました “二重名簿”で学生管理 国内の治安問題だけでなく、国際的にも批判の的になりかねないだろう 安倍政権の罪は誠に深い
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ビジット・ジャパン(インバウンド)戦略(その11)(忍び寄るオーバーツーリズム 日本も危機に?、ベイブリッジがくぐれないほどの「超大型客船」が横浜港に押し寄せる理由、外国人が震える旅館の実は怖い「おもてなし」 プライバシーがダダ漏れ過ぎる問題、中国人の「日本製品信仰」に陰り?観光客の消費は曲がり角) [経済政策]

昨日に続いて、ビジット・ジャパン(インバウンド)戦略(その11)(忍び寄るオーバーツーリズム 日本も危機に?、ベイブリッジがくぐれないほどの「超大型客船」が横浜港に押し寄せる理由、外国人が震える旅館の実は怖い「おもてなし」 プライバシーがダダ漏れ過ぎる問題、中国人の「日本製品信仰」に陰り?観光客の消費は曲がり角)を取上げよう。

先ずは、昨年10月17日付けNHK NEWS WEBで国際放送局記者 望月麻美氏が取材した「忍び寄るオーバーツーリズム 日本も危機に?」を紹介しよう。
https://www3.nhk.or.jp/news/web_tokushu/2018_1017.html
・『旅好きの皆さん!「オーバーツーリズム」という言葉をご存じですか? 今、世界の有名観光地の多くがこの問題に直面しています。そもそも、観光地は、お客さんに1人でも多く来てもらえればうれしいはず。でも、もし期待よりもはるかに大勢の観光客が押し寄せてきたらどうなるでしょうか…。増えすぎる観光客でさまざまな弊害が起きる事態。それが「オーバーツーリズム」です』、昨日の小田嶋氏のコラムでも触れられていた深刻な問題である。
・『急浮上してきた問題  この「オーバーツーリズム」、2年ほど前から世界で使われ始めた造語ですが、今や世界の観光を語るうえで、業界でも学術界でも欠かせない言葉になっています。 観光地に人があふれると、まず、街の混雑、交通渋滞、夜間の騒音、ゴミ問題、トイレ問題、環境破壊…さまざまな問題が起き、地元の人たちの日常生活に大きな影響を与えます。 さらに、こうした問題の発生で、観光地が魅力そのものを失ってしまうこともあります。オーバーツーリズムはこうした状態の総称と言えます』、昨日はバルセロナでの不動産価格高騰で、賃料が上昇、古くからの住民が追い出されかねないエピソードも紹介した。
・『世界では深刻な事態も  このオーバーツーリズム、世界各地で深刻な事態を生み出しています。 イタリアのベネチアでは、増えすぎた観光客に地元住民が「激怒」。怒りの矛先は、一度に大量の観光客を運び込む大型豪華客船に向かい、港に近づく船の周辺をボートで取り囲み「ベネチアに来るな」と海上デモを展開するまでになりました。 これを受けて政府も、観光船のルート変更を決めたほか、ピーク時には路上にもゲートを設置、地元住民を優先して通行させる措置を取らざるをえませんでした。 オランダのアムステルダムでは、去年、街の中心部から名物が消えました。一度に10人前後の人たちがビール片手にペダルをこいで進む観光用の乗り物「ビアバイク」です。観光客が増える中、交通渋滞や酔っ払って騒ぐなどマナーの悪化が頻発。とうとう裁判所も、「無秩序な振る舞いはまかりならん」と、営業禁止にゴーサインを出しました。 フィリピンのボラカイ島は、環境破壊が深刻化。観光客激増によるゴミや排水の汚染で海の水質が悪化したとして、政府はことし4月、観光客の立ち入り禁止措置を取りました』、大型豪華客船の大量の観光客は、宿泊代や夕食代を地元に落とさないだけに、ベネチア住民が怒るのも当然だろう。
・『島に向かう船乗り場「観光客は禁止」  改善が見られたとして10月、一部立ち入りを認めることになりましたが、私たちの取材に応じたフィリピン観光相は、観光による発展と環境保全の両立がいかに難しいかを切々と語っていたのが印象的でした』、島であれば環境保全は持続的発展に必須だ。
・『日本では?  いずれの観光地も「増えすぎた観光客」によって、その地域の持つ本来の良さを失ってしまっていることが分かります。 そして、日本にもこの「オーバーツーリズム」、じわじわと忍び寄っています。日本を代表する観光地、京都を取材してそのことを痛感しました。 バスに乗れない京都の住民  国内外から年間5000万人以上が訪れる京都。私たちは9月中旬の連休に、まず世界遺産の清水寺近くの大通りに向かいました。 そこには、観光客によるバス待ちの長い列。京都のあちこちで、もうすっかりおなじみの風景になってしまったそうです。 バスを待っていた京都在住の女性は「すごく混んで乗れないときもありますし、普通でも1、2台は待たないと乗れません。秋の紅葉シーズンはこれに渋滞が重なってバスが動かなくなります」と諦め顔。 また男性住民は「この辺りは観光で食べてますから、観光客が来ないほうが良いとは言えませんが、いろいろ弊害も出ています」と複雑な心境をのぞかせました。 また近くの住宅地で取材した別の女性住民は民泊の増加をあげ、「この辺りは住宅密集地ですが、民泊が増えて、夜中すぎても騒がしくなりました」と戸惑った様子でした。 私は2008年まで奈良放送局に赴任していて、ここ京都にもよく足を運びましたが、確かに10年前と比べ、今の外国人観光客の増加ぶりには目を見張ります。それだけ、地元住民の方々には、切実な問題が迫っていると感じました』、観光で生きている京都ではどうやっているのだろう。
・『京都は「3つの分散化」で対応  京都は、日本がオーバーツーリズムの問題に取り組むモデルケースになる。そう感じた私は、門川大作京都市長を取材しました。 市長は9月、東京で開かれた観光関連の国際的な展示会に出席、オーバーツーリズムに対する市の取り組みを紹介しています。 市長の取り組みの鍵は「分散」です。やって来る観光客の量を「制限」するのではなく、その量を「散らばらせる」ことで、混雑や渋滞などの問題を解消しようというものです。 門川市長は「混んでる時間に、混んでる場所に行ったら、混んでいるのは当たり前。これをどう分散させるかが勝負」と語ります』、「分散」は確かに平準化させるといった一定の効果はあるだろうが、絶対数が増え過ぎれば、焼け石に水だろう。
・『分散その1 時間の分散 ~朝観光の推進~  ことし、京都を代表する世界遺産 二条城は、夏季、オープン時間を、通常よりおよそ1時間早い8時に設定、観光客の分散を図りました。 8時の開城とともに訪れたアメリカから来たカップルは、「混んでなくて良いです。朝早くに来られてよかったです」と満足そうでした。 また二条城では、オープンをただ早くしただけではなく、城内の「香雲亭」を特別公開、そこで予約制の朝食を提供しました。連日満席の盛況ぶりで、「朝観光」は成果を上げていたようです』、朝に強い観光客にはいいだろうが、弱い人はついていけないだろう。
・『分散その2 場所の分散 ~新たな魅力開拓~  京都市南部の伏見区は伏見稲荷大社が混雑スポット。つまりそこ以外は比較的すいていて、観光客をどう呼び込むかが課題だったため、混雑が激しい場所から観光客を「分散」させようというのです。 私が取材した地元の商店街や観光業者らの組合が考え出したのは、まだ認知度の低い「酒どころ伏見」をアピールするツアー。酒蔵の見学と利き酒体験がセットになっています。人気も上々とのことで、取材した日には、アメリカやノルウェーなどから12人が参加していました。 イスラエル人の男性は「市の中心部とは一味違った体験でした」。また、イギリス人女性は「すいていて良いです。また来たいです」と、「人混みのない京都」を堪能していました』、これは新たな観光資源を開拓したことになり、上手くいけば効果は大きいだろう。
・『分散その3 季節の分散 ~桜と紅葉以外も楽しんで~  京都は桜の春、紅葉の秋が混雑のピークです。このため、この2つのピーク以外の季節に観光客を呼び込めないかと生まれたアイデアが、「青もみじ」です。 要するに初夏の若々しい青葉のもみじを取り上げ、「美しいのは春と秋だけではありませんよ」とアピールしているのです。 京都市は市内の寺社とも連携し、SNSによる写真の拡散につながるはたらきかけを積極的に行い、今やネットで「京都・青もみじ」と検索すれば、インスタ映えしそうな鮮やかな緑の風景がずらりと並びます。認知度も徐々に上がってきているということです』、これは、やや無理があるような気がする。
・『日本の未来とオーバーツーリズム  今、日本は、文字どおり国を挙げてインバウンド(訪日外国人旅行)の増加を狙っています。東京オリンピック・パラリンピックの2020年には、外国人旅行者を今より1000万人以上多い、4000万人に増やすことも目標としています。 観光客が増えれば当然、地域の経済効果は大いに期待できるでしょう。しかし、それはとりもなおさず、日本各地の観光地が今後、程度の差こそあれ、オーバーツーリズムの問題に直面する危険性が増すことも意味しています。 私が取材した国連世界観光機関のポロリカシュヴィリ事務局長は「世界の観光客は、ここ5年の間、毎年3%から4%の割合で伸びている」と語り、格安航空会社の進出や途上国の経済発展が、世界の「旅行ブーム」に拍車をかけている現状を指摘し、「持続可能な観光の発展」が国際社会にとって急務であることを強調していました。 国連は2017年を「持続可能な観光国際年」と定め、各国で会合を開いて問題の解決策を議論しています。そして、国連世界観光機関は先月末、提言書をまとめ、11項目の解決策を提示しました。閑散期に、観光客をひきつけるイベントを作るなど、やはり、時間や場所の「分散化」、観光関連の仕事を増やすなど「地元にメリットを感じてもらう」、混雑時のう回路などインフラを整える「まちづくりの改善」などを挙げています。 観光は地域や国の発展には欠かせない重要な要素です。観光と地域の共生のためには、なすべきことが多くあります。そして、旅を愛するひとりとして、地元の方の生活や文化を尊重する、環境や文化財を守るためにできることをもっとする、穴場のスポットを積極的に探してみるなど、訪れる観光客の側にもできることが多くあるのではと感じています』、国連でも「11項目の解決策を提示」とは、この問題の世界的な広がりを表しているようだ。日本政府もインバウンド観光客数の目標を威勢よく掲げるだけでなく、課題解決にももっと注力してほしいものだ。

次に、2月5日付けダイヤモンド・オンライン「ベイブリッジがくぐれないほどの「超大型客船」が横浜港に押し寄せる理由」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/192672
・『近年、客船の巨大化が著しい。2018年4月には、東京タワーを横に倒したよりもまだ長い全長362.12m、高さ66m、総重量23万トンの超大型客船「シンフォニー・オブ・ザ・シーズ」が就航した。客船の巨大化に伴い、船を受け入れる港も近年変化しつつあるのだという。今、港には何が起きているのか?横浜市港湾局の藤岡信剛氏に話を聞いた』、興味深そうだ。
・『全長300m超えの超大型客船が近年立て続けにデビュー  「横浜港のメインターミナルとなる大さん橋ふ頭の長さは、450mあります。そのため長さの面だけで見れば、たとえば全長300m超えの客船であっても、港に着けること自体は可能です」(藤岡氏、以下同) ただし、大きな船は、その分高さもある。大さん橋ふ頭に着く以前に、横浜ベイブリッジの下を通過することができないという問題が立ちはだかる。 「海上から橋まで約56mですので、それ以上の高さの船は、ベイブリッジの下を通過できません。過去には、高さ56.6mのキュナード社の大型客船『クイーン・エリザベス』が大さん橋に寄港したこともありますが、干潮時、海面が低くなる時間帯を狙っての寄港でした。昨年横浜港に寄港した『クァンタム・オブ・ザ・シーズ』のような客船は、たとえ干潮時でも、大さん橋ふ頭まで入ることはできないでしょう」 現存する船で、ベイブリッジを通過できないであろう超大型客船は、ほかにも多数ある。「シンフォニー・オブ・ザ・シーズ」の姉妹船で、全長362.12mを誇る「ハーモニー・オブ・ザ・シーズ」をはじめ、「オアシス・オブ・ザ・シーズ」、「MSCメラビリア」などだ。いずれも全長300m超え、総重量は20万トン近い。 しかし、横浜港ではこうした超大型客船を受け入れる対応策がすでにある。横浜ベイブリッジをくぐれない船を迎え入れる際は、大さん橋ふ頭ではなく、大黒ふ頭を利用しているのだ。横浜ベイブリッジよりも手前(東京湾側)にあるため、橋をくぐる必要がない。大黒ふ頭は、主に自動車専用船のために利用されてきたが、現在では、超大型客船の受け入れにも利用されることが決まっている。 横浜港の過去のデータを見ると、2017年、横浜港に全長300m超えの船が寄港したのは1回のみ。ところが2018年は11回に。2019年は「さらにその倍は寄港することが予想されている」というのだ。 「すでに寄港が決定している超大型客船はいくつもあり、さっそく4月、5月には、『クイーン・エリザベス』が大黒ふ頭で発着クルーズを行う予定です」』、大黒ふ頭が既に超大型客船の受け入れにも利用されているとは、初めて知った。
・『日本のレジャーの1つにクルーズが浸透してきた  大型客船が増加している背景には、日本人のクルーズ需要の高まりが関係しているのでは、と藤岡氏は分析する。ここ数年、外国船社が日本人をターゲットにクルージング事業を広く展開するようになっており、客足は好調なのだという。 「クルーズというと、かつては資産を持つシニア層の楽しみのようなイメージがありましたが、今は違います。1泊1万円程度のクルージングなど、若い世代でも手が届きやすいプランもたくさんあります」 クルーズ需要が伸びるに従い、客船もより大きなものへと変化していく。そして客船の就航隻数が増えれば必然的に寄港数も増えるというわけだ。加えて、日本が寄港地として人気を伸ばしているという側面もある。 国土交通省が発表した『2017年の訪日クルーズ旅客数とクルーズ船の寄港回数(速報値)』によれば、2017年の訪日クルーズ旅客数は、前年比27.2%増の253.3万人。クルーズの寄港回数は前年比37.1%増の2765回と、いずれも過去最高を記録している。 訪日クルーズ、すなわち、外国船社が運航するクルーズ船の寄港回数も、近年急激に増えている。日本船社が運航するクルーズ船の寄港回数が横ばいであることとは対照的だ。とりわけ、春と秋の行楽シーズンは人気が高く、寄港数が集中する傾向にある。 「外国人の多くは中国人観光客が占めており、沖縄や九州に多く訪れていると聞いています。2017年の寄港数は、第1位が博多港、第2位が長崎港、第3位が那覇港です。3泊や4泊のショートクルーズが人気だそうです」』、奄美大島にもクルーズ船が寄港できる港湾設備を作ろうとする動きがあったが、反対運動で流産になったようだ。
・『4月からは大黒ふ頭客船ターミナルが全面供用開始  増加する大型客船受け入れのため、横浜港では、新たな取り組みが着々と進んでいる。大黒ふ頭には、今まで出入国審査や税関検査をするためのターミナルがなかった。そのため、乗客は下船したあとにバスなどを使って、入国手続きができる場所まで移動するなどの対応をしてきた。この状況を打破すべく建設中なのが大黒ふ頭客船ターミナルというわけだ。 「今年の4月から、大黒ふ頭でも出入国審査や税関検査、乗船チェックインなどができる、ターミナルの供用が開始されます。また、見物客が集まるような大型客船の寄港に向けて見学スペースも整備中で、横浜ベイブリッジの下を通る『横浜スカイウォーク』の一部を開放し、そこを客船の見学施設にする予定です」 『横浜スカイウォーク』は、大型客船を真下に見ることができる絶好の見物スポットということで、ぜひ行ってみたいところ。ただし、スペースが限られているため、詳細については現在調整中とのことだ。 前述した『クイーン・エリザベス』をはじめ、今年は超大型客船が多数、横浜港に姿を見せる。一度その目で超大型客船の迫力を味わってみてはどうか』、「大黒ふ頭客船ターミナル」の供用開始、「見学スペースも整備中」、などは離島と違ってマイナスが余りないだけに、楽しみだ。

第三に、Agentic LLC(アメリカ)代表でプロデューサーの ジュンコ・グッドイヤー 氏とAgentic LLC共同創設者でBizSeeds編集長の村山 みちよ 氏が2月6日付け東洋経済オンラインに寄稿した「外国人が震える旅館の実は怖い「おもてなし」 プライバシーがダダ漏れ過ぎる問題」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/263394
・『日本では来年、東京オリンピックとパラリンピックが開催され、2025年には、大阪万博の開催が決定している。訪日観光客の数は年々増えており、この傾向はこの先もしばらくは続く見込みだ。多くの企業や自治体はそれを商機と捉えているだろう。 だが、本当の意味で外国人を取り込みたいのであれば、性別や人種などの偏見・差別を防ぐために政治・社会的に公平な言葉や表現に配慮する「ポリティカル・コレクトネス」は避けて通れない道だ。本連載では、日本人にはOKでも、外国人にはNGといったあれこれを検証する』、面白そうだ。
・『旅館について宿泊客一同が固まった  日本の旅館での宿泊は、欧米型ホテルとは異なる体験ができるとあって、「日本に行ったら、ぜひ旅館に宿泊したい」という外国人は多い。女将のお出迎えから始まり、美しい庭、畳の部屋、豪華な食事にお風呂と、日本でなければ体験できないそれらの一つひとつは、海外の人からするとエキゾチックで、期待に胸が膨らむだろう。 しかし、旅館にとっては長年の慣習であっても、今の時代では変えたほうがいいものもある。それが「お出迎え看板」だ。 久しぶりに帰国し、旅館を借りて顧客との打ち合わせをした際に、自分たちの名前が歓迎のお出迎え看板に掲げられていたことがある。黒い板に白字で「歓迎、○○御一行様」と書かれた、あの看板だ。私たちはそれを見て、あまりの驚きにその場で固まってしまった。そして、さらに驚いたのはその日に宿泊する部屋のドアの横に、「歓迎○○様」という張り紙が貼られていたことだ。 廊下を見渡すと、どの部屋にも宿泊客の名前が貼り出されていた。「この習慣は、まだあったのか」――。しかも、それは海外からも頻繁に客が来ると知られる老舗の旅館であったため、驚きは大きかった。 旅館に限らず、この歓迎スタイルは日本の多くの場所で見られる。観光バスや、それで乗り付けるような地方のレストランの入口などにも、こうした歓迎看板を目にする。しかし、これは客のプライバシーに触れることでもある。 守られるはずのプライバシーが、このように堂々と公開されることをありがたいと思わない人も、世の中には大勢いるはずだ。「海外生活が長いので久しぶりに歓迎看板を見ましたが、今でもある習慣なんですね」と、少し皮肉のつもりで旅館のスタッフに話しかけると、「これこそ日本の『おもてなし』ですから」と胸を張って答えていた。 セキュリティの観点からも、客の中には「自分がその旅館にいることを外部に知られたくない」という人もいるはずなのだ。それなのに、なぜ日本では先にそれを個々に尋ねないのだろうか?』、「海外からも頻繁に客が来ると知られる老舗の旅館」でもいまだにこんな有様とは、恐れ入った。海外系の旅行代理店からクレームなどが来ないのだろうか。
・『太っている人を揶揄するのも「アウト」  ポリティカル・コレクトネス(以下、ポリコレ)と聞いて、それがなんだかハッキリ答えられる人は少ないかもしれない。「デジタル大辞泉」によると、「人種・宗教・性別などの違いによる偏見・差別を含まない中立的な表現や用語を用いること」とある。しかし、多種多様な民族や宗教背景を持つ人で人口が構成されているとは言えない日本では、理解しにくい部分があるかもしれない。 移民や性の多様性に寛大であろうとする欧米諸国ではもともと、公平や中立さに欠ける発言や、差別や偏見が少しでも含まれる発言は、人として口に出してはいけないという風潮はあった。が、特にアメリカでは、ポリコレは前オバマ政権下において、社会の「常識」として定着した感がある。 例えば、性の多様性への理解は、ポリコレの浸透によって劇的に高まった例と言えるだろう。アメリカ連邦最高裁判所は、2015年に合衆国憲法下での同性婚を合法化したが、こうした動きは、全世界的にマイノリティーの人権理解に対して大きく貢献したと言える。 ポリコレによる新しい常識は、かつてのアメリカの常識を「非常識」にもした。例えば、以前はアメリカでも、「太りすぎは自分をコントロールできない証拠」などと、よく言われていた。 が、これはポリコレ的には正しくない。人の体型に関する発言をすることは、今のアメリカでは許されないからだ。今は、「どんな体型であっても、すべての人間は美しい」という考えが、社会では正しいものだと認識されている。 こうした中、日本人としてアメリカに暮らし、時折、日本に仕事で戻ることを繰り返す筆者たちは、毎回、日本に帰国するたびに日本のポリコレ対策は十分ではないとヒヤヒヤすることが多い。 ポリコレがアメリカにおける一握りの特異な文化であるならそれほど心配はないかもしれない。しかし実際には、世界を牽引するグローバル企業がこぞってポリコレを重視する傾向もあることから、経済活動を妨げないためにも、ポリコレの常識は知っておいたほうがいいのではないか』、「ポリコレ」はトランプ時代になってからは、やや下火になってはいるようだが、日本は余りにも遅れているのは確かだ。
・『年齢や結婚歴などは親しくないかぎり聞かない  日本とアメリカを往復して感じるのは、日本人はひょっとしたらプライバシーについてとても大らかな国民なのではないか、ということだ。例えば年齢や結婚歴、子どもの有無などは、欧米ではかなり親しいか、相手がその話を出さないかぎりは「あえて」話題には出さないプライベートなことだ。 しかし、日本ではこれらをいきなり人に質問することが多い。日本の履歴書の定型フォームなどを見ても同じことが言える。日本では履歴書に性別や生年月日を必ず記載することになっているが、アメリカでは性別や生年月日を開示する必要はない。 重要なのは過去に、その人物がどんなキャリアを築いてきたか、どんなスキルを持っているかであって、年齢や性別などは選考には関係ないからだ。そして、その情報によってバイアスがかかってしまうことは避けるべきと考えるのが一般的なのだ。 このように、プライバシー情報の扱い方に関する欧米諸国と日本との認識のずれは、日本社会のあらゆるところに潜んでいる。前述の旅館の例なども、日本人の視点で考えれば、旅館の看板は純粋な「おもてなし」であり、それ以上でも以下でもないと思えるだろう。 しかし、プライベート情報の開示に関する文化が日本とは異なる諸外国では、その「おもてなし」はともすると「個人情報の侵害」でしかない可能性につながることは、頭の隅においておいたほうがいいのではないか。 実際にアメリカやヨーロッパからの顧客にアテンドして、日本人とアメリカ人が同席する会議や会食などに立ち会うと、ほぼ毎回、外国人側から「日本人は、どうしてこちらのプライベートな情報について聞きたがるのか?」と質問される。 以前、ある交渉の席で日本人ビジネスマンが、身長がそれほど高くないドイツ人の男性に対して、「いやー、ドイツにも自分と同じような背丈の人がいるんですね。親近感を覚えますよ」と言って握手を求めたことがあった。無神経な言い方ではあるが、日本人であれば、この日本人男性が相手に対し親しみを込めて発言したと推測できるだろう』、こんなのは外国人だけでなく、日本人に対してであっても失礼なことだ。
・『人の体形へのコメントはプライバシーの侵害  しかし、この発言がきっかけで、その場の空気が凍った。日本語を理解するこのドイツ人は、求められた握手には応じなかった。これはポリコレ的にも非常によくない発言である。その場を出たドイツ人は、「あんなにズケズケとプライベートな部分に突っ込む指摘を人から受けたのは、生まれて初めてだ」と憤慨していた。 その後、取引の交渉がどのような結果に至ったかは想像にかたくないだろう。人の体形に対してコメントをするということは、欧米ではプライバシーの侵害でもあるのだ。「本当のことなのに、なぜ言ってはいけないのか?」と納得いかない方もいるかもしれないが、本当のことだとしても口にはしてはいけないことがある。それがポリコレなのだ。 これからの訪日外国人対策において、日本流のコミュニケーションやおもてなしが海外のポリコレに対応しているかどうか、は日本ではほぼ議論されていない。ポリコレには賛否両論もあり、欧米でも「ポリコレを気にするあまり、円滑なコミュニケーションが取りにくい」など、これによる弊害を指摘する人もいる。 しかし、世界の経済の中心を動かすような大手グローバル企業ほど、ポリコレを重視する傾向がある流れを考えると、オリンピック開催前のこの機会に世界的なポリコレの動きを理解し、日本が誇るおもてなしが世界の流れに合っているかを検証してみても損はないだろう。 今はソーシャルメディアを通じて何でもすぐに拡散されてしまう。せっかくのオリンピック商機に日本でのネガティブな経験が世界に拡散されないためにも、ポリコレをある程度は意識することや、海外の慣習の常識への対応策を用意しておくのは悪いことではないと思うのだが、どうだろうか』、その通りで、全面的に賛成だ。

第四に、ジャーナリストの姫田小夏氏が2月8日付けダイヤモンド・オンラインに寄稿した「中国人の「日本製品信仰」に陰り?観光客の消費は曲がり角」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/193352
・『横づけされた観光バスからドッと降りてくる観光客。店内はにわかに活気づき、販売スタッフも汗だくになって接客――今や日本でも恒例になった春節商戦が今年も始まった。春節が到来した銀座・数寄屋橋界隈では中国人観光客がにわかに増え、売り場は臨戦態勢に切り替わった。 だが、過去と比べると大きな変化に気づかされる。銀座四丁目の交差点では、すでに“トランク族”が姿を消していた。“ブランド品買いまくり族”も減った。かつては、大量の買い物をしてトランクに詰め込んで歩く中国人観光客が目立った銀座だったが、その光景もどうやら過去のものとなってしまったようだ。 その変化は旅行消費にも表れる。2015年に前年比70%増の高い伸びを見せたものの、その後の伸びは鈍い。観光庁の「訪日外国人消費動向調査」速報値によれば、2018年の訪日外国人客による旅行消費額は4兆5064億円(3119万人)と過去最高を記録したが、前年比の伸び率はわずか2%増にとどまった。 そのうち、訪日中国人客の旅行消費は1兆5370億円(838万人)と、全体の3分の1を超える。日本のインバウンド市場は、中国人観光客による消費に大きく依存していることは周知のとおりであり、その底上げに貢献したのが「代購(代理購入)」だった。 しかし、今年は違う。インバウンド動向に詳しい(株)クロスシーの山本達郎氏によれば「1月1日から中国で施行された『中国電子商取引法』により、海外からの代購に規制がかかったのと越境ECの普及で、訪日旅行者の買い物が消極的になっている」という。「空港の税関では取り締まりが強化されている」(日本人出張者)ことも、消費マインドを冷やす可能性がある。恐らく今年は1人当たりの購入単価がさらに減るかもしれない』、「爆買い」などの異常現象が沈静化したのは、好ましいことだ。
・『欲しい日本ブランドは減る傾向に  中国人観光客が欲しい日本ブランドも減ってきた。一昔前まで土産品に喜ばれたのは「髭剃り」だった。2014年に発売された「iPhone 6」には中国人バイヤーが殺到した。「炊飯器」「温水洗浄便座」などの電気製品もバカ売れした。だが、こうした電気製品の購入にはすでに一服感が現れている。 中国でスマートフォンの一番人気はもはや「iPhone」ではなく、国産の「シャオミ」や「ファーウェイ」だ。炊飯器も国産メーカー各社がおいしく炊ける自社ブランドを開発している。パソコンがそうだったように、電気製品は技術移転が進められたため、もはや中国で何でも生産できてしまうのだ。中国人観光客にとって「日本ブランド」の家電製品は“卒業間近”なのかもしれない。 こうした傾向を如実に映し出すのが、家電量販店の売り場だ。観光客向けの売り場は、家電製品ではなく化粧品や健康食品の棚が広がる。エスカレーターを上がりきって正面の、最も目立つゴールデンゾーンに「化粧品コーナー」を設ける家電量販店もある。 今や百貨店、家電量販店、ドラッグストア、免税店とさまざまな業態で力を入れるのが化粧品、健康食品だ。“際立つ日本ブランド”が減る傾向にある中で、比較的単価の高い化粧品は日本ブランドの頼みの綱だ。 銀座には「空港型免税店」という新しい業態ができたが、化粧品と海外のオーソリティブランド以外にも、中国人観光客向けに日本ブランドを陳列したコーナーがある。100年余の歴史を持つ腕時計や、保温・保冷機能付きのステンレスマグは依然人気アイテムだ。しかし、中国では国産ブランドが追い付け追い越せで迫っている。 ステンレスマグは、中国産ブランドが力をつけている。筆者は中国の高速鉄道駅の待合室で巨大スクリーンに繰り返し映し出される中国産ブランド「SUPOR」の広告に圧倒された。「もはや時代は中国産だ」と洗脳するには十分すぎる迫力と効果がある。このスクリーン広告費は5秒で最低70万元(約1120万円)。製品の超薄型と超軽量を実現する技術力もすごいが、人気女優を起用しての高額な広告費をポンと支払えてしまう「国産メーカー」の資本力も恐れ入る。 上海の旅行関連企業に駐在する日本人職員は、“日本ブランド信仰”がこの先いつまで続くか心配している。 「時代は『中国で生産し中国で消費する』という大きな流れの中にあることは間違いありません。中国人にとって魅力的な日本ブランドも、技術を移転させたり、企業を買収しながら、いずれは中国産に置き換えられていくでしょう」』、“日本ブランド信仰”も危ういというのは多少ショッキングだ。「もはや時代は中国産だ」ばる中国企業のキャッチコピーも残念ながらリアリティを感じさせる。
・『日本のインバウンド市場に参入する外国資本  日本のインバウンド市場には、外国資本の日本ブランドも参入する。前回もこのコラムで取り上げたが、日本や中国、そしてアジアの国々で販路を広げる“中国資本の日本コスメ”もある。 一方、某大手化粧品メーカーの関係者によれば、「定年退職後、中国企業に再就職する日本人は少なくない」という。ひと昔前は、電機や自動車業界で日本人退職者が中国企業に雇われるといった話をよく聞いたが、ついにそれは化粧品にまで及んでいるというわけだ。 外国資本には度肝を抜くような健康食品を開発する企業もある。銀座の中国系ドラッグストアでは、納豆のねばり成分であるナットウキナーゼのサプリメントが、通常価格24万8000円で売られていた。目下、セール中につき14万8000円にまで値段は下げられているが、380粒入りで約25万円のナットウキナーゼサプリとは、いったいどんな商品なのだろうか。 バングラデシュ人が代表を務めるこの企業に「価格の根拠」について電話で尋ねたが、原稿の締め切り時点でついにそれへの回答はなかった。 大阪市に拠点を置く日本ナットウキナーゼ協会にこの会社について尋ねたところ、「確かに認証マークを与える会員企業だが、価格については各社戦略があるので把握していない」とのこと。ちなみにナットウキナーゼのサプリメントは1粒が1日分(1日の摂取量の目安2000FUを含有)として30粒入りのパッケージで6000~7000円が相場だという。消費者にとって身近な製品としては、小林製薬のナットウキナーゼ(2000FU)30粒入りは通常価格1620円、DHC(3100FU)の30粒入りは1430円がある。 「やり過ぎ」は消費者の商品への信頼にとどまらず、外国人観光客の日本に対する信頼をも損ねないので要注意だ』、「大手化粧品メーカーの関係者によれば、「定年退職後、中国企業に再就職する日本人は少なくない」」、ここまできたかというのが正直な感想だ。外国系の悪徳業者は、悪評が中国でも広がれば、淘汰されるだろうが、それまでにボロ儲けしていることだろう。
・『上海でも高級品が売れなくなった  ドラッグストアでも賑わっているのは化粧品売り場だが、そこにも変化が現れている。ドラッグストアの陳列からは、売り手が注力するのが資生堂「エリクシール」であることが見て取れる。 資生堂が販売する数あるブランドの中で、エリクシールといえば中間ラインに相当する。ドラッグストアや家電量販店の売り場では、一部商品に「売り切れ」の札がかかるものもあるように、昨年から今年にかけて欠品が出るほど需要が殺到している。中国人観光客のお好みは「百貨店で売られているような高級路線」だと信じられていたが、必ずしもそうではなくなったようだ。 中国の消費市場に目を移せば、そこにもひとつの変化が始まっている。流通小売業の動向に詳しい日本人駐在員の話は興味深い。 「上海では昨年夏以降、高級百貨店、高級飲食店の売り上げに陰りが見えています。その一方で、カジュアルな小売業態や商品はよく売れています。消費をより安価なものに置き換えていく傾向が強い。今後これが消費の本流となるのかどうかは見極めどころです」 さて、冒頭で新法の施行について触れたが、「代購」への規制は一時的なものではなさそうだ。代購を一言でいうなら、「個人による仕入れ・転売」だが、これら“転売ヤー”の関税のすり抜けに中国当局は頭を痛めてきた。 他方、日本のインバウンド市場は過去数年間にわたり、このグレーゾーンでのビジネスに大きく依存してきたわけだが、「今後は正規ルートの輸出に切り替える必要がある」(日本の某化粧品メーカー)。 振り返れば昨秋、上海で輸入博覧会が開かれた。この博覧会が発したのは「中国は対外開放する」。だから正規ルートで納税せよ、というメッセージに他ならない。“代購だのみ”はこれにて手仕舞い、日本ブランドもこれからは“正規輸出”が勝負どころとなりそうだ』、現地生産では「日本ブランド」ではなくなってしまうのだろうか。それにしても、“正規輸出”で勝負できる強いブランドを持った企業はそう多くはないだろう。いずれにしろ、中国人観光客に偏ったインバウンド消費ではなく、裾野をもっと広げたいものだ。
タグ:ベネチア 戦略 二条城 東洋経済オンライン インバウンド ダイヤモンド・オンライン NHK News web ビジット・ジャパン 姫田小夏 ジュンコ・グッドイヤー (その11)(忍び寄るオーバーツーリズム 日本も危機に?、ベイブリッジがくぐれないほどの「超大型客船」が横浜港に押し寄せる理由、外国人が震える旅館の実は怖い「おもてなし」 プライバシーがダダ漏れ過ぎる問題、中国人の「日本製品信仰」に陰り?観光客の消費は曲がり角) 望月麻美 「忍び寄るオーバーツーリズム 日本も危機に?」 増えすぎる観光客でさまざまな弊害が起きる事態 急浮上してきた問題 2年ほど前から世界で使われ始めた造語 街の混雑、交通渋滞、夜間の騒音、ゴミ問題、トイレ問題、環境破壊…さまざまな問題が起き、地元の人たちの日常生活に大きな影響を与えます 観光地が魅力そのものを失ってしまうことも バルセロナでの不動産価格高騰 古くからの住民が追い出されかねないエピソード 世界では深刻な事態も 増えすぎた観光客に地元住民が「激怒」。怒りの矛先は、一度に大量の観光客を運び込む大型豪華客船に向かい、港に近づく船の周辺をボートで取り囲み「ベネチアに来るな」と海上デモを展開 アムステルダムでは、去年、街の中心部から名物が消えました。一度に10人前後の人たちがビール片手にペダルをこいで進む観光用の乗り物「ビアバイク」 フィリピンのボラカイ島は、環境破壊が深刻化。観光客激増によるゴミや排水の汚染で海の水質が悪化したとして、政府はことし4月、観光客の立ち入り禁止措置 島に向かう船乗り場「観光客は禁止」 日本では? バスに乗れない京都の住民 民泊が増えて、夜中すぎても騒がしくなりました 京都は「3つの分散化」で対応 分散その1 時間の分散 ~朝観光の推進~ 分散その2 場所の分散 ~新たな魅力開拓~ 「酒どころ伏見」をアピールするツアー 分散その3 季節の分散 ~桜と紅葉以外も楽しんで~ 「青もみじ」 日本の未来とオーバーツーリズム 国連世界観光機関は先月末、提言書をまとめ、11項目の解決策を提示 「ベイブリッジがくぐれないほどの「超大型客船」が横浜港に押し寄せる理由」 全長300m超えの超大型客船が近年立て続けにデビュー 横浜ベイブリッジの下を通過することができないという問題 大黒ふ頭を利用 1泊1万円程度のクルージングなど、若い世代でも手が届きやすいプランもたくさんあります 外国人の多くは中国人観光客が占めており、沖縄や九州に多く訪れている 4月からは大黒ふ頭客船ターミナルが全面供用開始 村山 みちよ 「外国人が震える旅館の実は怖い「おもてなし」 プライバシーがダダ漏れ過ぎる問題」 「ポリティカル・コレクトネス」 旅館について宿泊客一同が固まった 「お出迎え看板」 「これこそ日本の『おもてなし』ですから」と胸を張って答えていた 海外からも頻繁に客が来ると知られる老舗の旅館 太っている人を揶揄するのも「アウト」 年齢や結婚歴などは親しくないかぎり聞かない 人の体形へのコメントはプライバシーの侵害 「中国人の「日本製品信仰」に陰り?観光客の消費は曲がり角」 欲しい日本ブランドは減る傾向に 日本のインバウンド市場に参入する外国資本 上海でも高級品が売れなくなった “正規輸出”が勝負どころ
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ビジット・ジャパン(インバウンド)戦略(その10)(小田嶋氏:われわれの国は「安く」なった) [経済政策]

ビジット・ジャパン(インバウンド)戦略については、昨年6月10日に取上げた。久しぶりの今日は、(その10)(小田嶋氏:われわれの国は「安く」なった)である。

コラムニストの小田嶋 隆氏が3月22日付け日経ビジネスオンラインに寄稿した「われわれの国は「安く」なった」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00116/00012/?P=1
・『4年ほど前、さる月刊誌の編集部から取材依頼の電話を受けた。 なんでも、次の発売号の特集で、「『ニッポン凄い』ブームの実態をさぐる」的な特集企画を予定しているということで、私に求められていた役割は、制作中の記事のうちの一本を読んで、感想のコメントを提供することだった。 記事は、電話を受けた時点では、まだ執筆途中だったのだが、ざっと以下のような内容だった。 「日本にやってくる外国人観光客は、数の上では、中国、韓国をはじめとするアジアからの人々が圧倒的に多い。ところが、アジアからの観光客が増えている事実とは裏腹に、どうしてなのか、テレビで放映されている日本礼賛番組でコメントしている外国人は、ほぼ非アジア圏からの観光客に限られている。編集部ではこの不可解な食い違いの謎を解くべく……」 なるほど。好企画じゃないか。 私は、その旨(「素晴らしいところに目をつけましたね」)を伝えた上で、ラフ段階の原稿についての暫定的なコメントを送った。 ところが、1週間ほどすると、電話がかかってきて、「申し訳ありません。あの企画はボツになりました」 という残念な報告を聞かされなければならなかった。 企画が流れた理由は、尋ねなかった。たぶん、中国や韓国からの観光客の声を積極的に紹介しようとしないテレビ番組制作現場を支配しているのとよく似た空気が、雑誌の編集部にも流れてきているのだろうと思ったからだ』、その雑誌の企画は興味深い問題意識で、是非知りたいところだったが、流れたというのは残念だ。
・『われわれは、飲み込みにくい事実よりは、納得しやすいファンタジーを好む。それは、テレビ視聴者や雑誌読者にしても同じことで、だからこそ、制作側の人間には、事実を飲み込みやすい形に加工する技巧が求められる、と、どうせ、そんな調子の話なのだ。 ちなみに、その雑誌は今年の1月をもって不定期刊に移行している。まあ、事実上の休刊(あるいはもっとあからさまな言葉を使えば「廃刊」)ということだ。あんなにまでして生き延びようとしていたのに。 参考までに、2015年5月23日のツイートを採録しておく。 《ある雑誌の若い編集者が「日本にやって来る観光客の数は中国、韓国がトップなのに、テレビの日本礼賛番組に登場するのが非アジアからの外国人観光客ばかりなのはなぜか」というテーマで、実数を調査して書き進めていた記事にコメントしたのだが、企画自体がボツになったとのこと。残念。》 この時以来、私は、テレビの番組テーブルの中で相変わらず異彩を放っている「ニッポン礼賛企画」の行く末を、なんとなく気にかけている。本当のところ、われわれの国は世界の人々の憧れと愛着の対象なのだろうか。それとも、テレビ局のスタッフが「ニッポン」への称賛を集約して番組に結実させたがるのは、わたくしども日本人が、称賛の声を聞かされ続けていないと自分を保てないほどに自信を喪失していることのあらわれなのだろうか』、「ニッポン礼賛企画」については、このブログでも「クール・ジャパン戦略」として、最近では3月12日に取上げた。「自信を喪失していることのあらわれ」とは鋭い考察だ。
・『つい先日、その私の年来の疑問に貴重なヒントをもたしてくれる本を読んだ。タイトルは「観光亡国論」。東洋文化研究者のアレックス・カー氏と、ジャーナリストの清野由美さんの共著で、中央公論新社(中公新書ラクレ)からこの3月に出版されたばかりの新書だ。 本書の「まえがき」の中でも明らかにされている通り、「日本ブーム」は、少なくとも来日観光客の増加カーブを見る限り、現在進行系の、明らかな事実だ。 データを見ると、2011年には622万人に過ぎなかった観光客数が、7年後の2018年には、3000万人を超えている。実に5倍増に近い急激な増加ぶりだ。 この調子だと、東京オリンピックが開催される2020年には、政府が目標としてあげている来日外国人4000万人を達成することになるはずだ。 ただ、来日外国人の数が増えて、インバウンド需要が拡大すれば、すべてがめでたしめでたしの好循環でうまく回転するのかというと、話はそう簡単には進まないと思う。 現在でも既に、急激な観光客の増加は、さまざまな場面に軋轢や摩擦をもたらしている。 早い話、ビジネスマンの地方出張でホテルが取りにくくなっている。ビジネスホテルの宿泊料金の相場は、この先、オリンピックに向けてますます上昇するだろうと言われている。 これ以上観光客が増えたら、いったいどんなことが起こるものなのだろう。 今回は、うちの国が歩みつつある「観光立国」の行く末についてあれこれ考えてみたい』、漸くオーバーツーリズムの諸問題が取上げられるようになりつつあるようだ。
・『今年の2月、京都にある製薬会社のお招きで、ほんの束の間だが、3年ぶりに京都を訪れた。 食事の間、その会社の人たちとしばし歓談する時間を持つことができたのだが、話題になったのは、やはりご当地の観光客の急増についてだった。 3年前の秋に、ほぼ30年ぶり(その前年に一瞬だけ通りかかったことがあったのだが)に京都を訪れた折、私は、観光客の圧力に圧倒されて、街路を歩く意欲を失ってしまった次第なのだが、当地の人たちの言うには、観光客は、その3年前の京都旅行の時点から比べても、さらに確実に増加しているらしい。 「ホントですか?」「ほんまです」「だって、3年前ですら、四条河原町のメインストリートは、渋谷のセンター街みたいな人だかりでしたよ」「それがいまはスクランブル交差点みたいなことになってはるわけです」「ホントですか?」「まあ、ちょっと大げさですけど。ははは」 京都の人は、洛外の人間の前で、観光客の殺到ぶりに苛立っているようなそぶりは見せない。あっさりはんなりというのか、いとも鷹揚に受け止めている。そういうところはさすがだと思う。でも、それにしても、こんな調子で人が増えたら、いずれインフラが崩壊して、その時は応仁の乱以来の生き地獄が現出するはずなのだが、京都の人たちはそういう修羅場に立ち至ってもなお、あの余裕の構えを崩さないものなのだろうか』、京都の人が「いとも鷹揚に受け止めている」のがいつまで続くかは確かに問題だろう。
・『「観光亡国論」の中では、都市のキャパシティーを超えた観光客によるオーバーツーリズム(観光過剰)の問題を世界各地の観光地に材をとってていねいに紹介している。 たとえば、つい10年ほど前までは、地域再生の成功例として世界中から注目を集めていたバルセロナは、現在、「ツーリズモフォビア」(観光恐怖症)という造語で説明される、次の段階の困難に直面している。 歴史を振り返ると、バルセロナは1992年のバルセロナ五輪を機に、旧市街や観光名所の再整備を敢行し、独自のプランで「まちおこし」を本格化させた。この時、市が経済発展の基盤として重点を置いたのが観光で、そのために、市は、サグラダ・ファミリア教会に代表される文化資産を再評価し、住宅街、商店街の再整備事業を推進し、さらに国際会議なども積極的に誘致した。この試みは、世界中から観光客を呼び寄せることに成功し、都市再生と観光誘致の理想形として、世界で絶賛された。 ところが、人口約160万人に過ぎないバルセロナ市に、年間4000万人とも5000万人とも言われる観光客が常時押しかけるようになると、やがて肝心の市民生活が機能不全に陥る局面に到達する。人々は自分たちが住んでいる町のバスに乗れなくなり、自宅の前の道路を自分のクルマで走るのに、恒常的な渋滞に悩まされるようになる。 それだけではない。土地価格の高騰に伴って、オフィスや賃貸住宅の相場も急上昇する。と、平均的な市民は、やがて、自分たちが生まれ育った町で暮らすための最低限の家賃を支払えなくなる。 そうこうするうちに、「観光客は帰れ」というスローガンを掲げたデモが頻発し、街路には、「観光が町を殺す」という不穏なビラが張られる事態に立ち至っている。 よくできた寓話みたいな話だが、これは、現実に起こっているリアルな都市での出来事だ』、「恒常的な渋滞」だけならまだしも、「自分たちが生まれ育った町で暮らすための最低限の家賃を支払えなくなる」というのでは、「観光客は帰れ」となったのは十分理解できる。
・『日本では、京都の例が有名だが、実のところ、ちょっとした観光地はどこであれ似たような問題に直面しつつある。 私がこの何年か、年に3回のスケジュールで通っている箱根も同様だ。 あそこも、最近は中国人観光客のための温泉地に変貌しつつある。 私の箱根通いは、まだ3年目にはいったばかりで、通算でも7回目なのだが、一緒に卓を囲む(まあ、麻雀合宿をやるわけです)メンバーは、なんだかんだでこの20年以上、毎年3回2泊3日の箱根泊を敢行している箱根通ばかりだ。 その彼らに言わせると、この5年ほどの変化は、まことにすさまじい。 良い変化なのか悪い変化なのかの評価は措くとして、とにかく、食事のメニューや冷蔵庫の中身や、浴衣や手配といった、あらゆるサービスの手順が、徐々に中国人観光客向けにシフトしてきているというのだ。 その変化を一概に「サービスの質の低下」と断じることはできないが、それでも、その変化の中には、20年来の常連客からしてみれば、配膳されるメニューのコメのメシへの適合度の低下といった、年配の人間にはなかなか受け入れがたい退廃が含まれていたりする。 外国人観光客が増え続けてきたこの10年ほどの変化をどう評価するのかについては、二つの相反する見方がある。 ひとつは、来日観光客増加の原因を、ほかならぬわれら日本人の「おもてなし」の精神に根ざした質の高いホスピタリティや、日本文化の繊細さや、日本の四季の自然の美しさに求める考え方だ。 要するに、わが日本に外国人が蝟集(いしゅう)するのは、この国が安全で快適な土地柄で、われら日本人自身が世界の誰よりも正直で心の温かい民族だからだという評価だ。 この評価が間違っていると断ずるつもりはない。 ただ、一方には、観光客増加の理由を、単に日本の「安さ」に求める意見があることも、意識しておいた方が良い。 バブル崩壊からこっちの約30年間にわたって、物価も実質賃金も低迷したままで、おまけに通貨としての円の価値自体も、最も強かった時代から比べれば3割以上安くなっている。 ということは、日本を訪れる外国人の立場から見て、日本での滞在費は、食事、交通費、宿泊費なども含めて、すべてが破格に「安い」ということになる。 もちろん、日本の治安の良さやホスピタリティの優秀さが評価されているという側面はあるにしても、日本の経済が低迷していて、外国人から見てあらゆる商品が割安であることが観光地としての日本の魅力の大きな部分を占めているということだ。そうでなければ、たった7年で来日観光客が5倍に増えるようなことが起こるはずがないではないか』、「日本の「安さ」に求める意見」というのは確かに最も有力そうだ。
・『ちなみに、円は震災直後の11年3月17日に史上最高値の76円25銭を記録している。 そこから換算すると、昨今の111円台の円相場は46%ほど安い。ということはつまり、同じ1ドル紙幣が1ドル46セントの価値を持つことになる。 それ以上に、500円以下でランチが食べられる日本の物価は、どう安く食べようと思っても絶対に10ドル以下では満足な食事ができない欧米の観光都市と比べて、破格に廉価だ。 これは、見方によっては、日本の経済の敗北というふうに見ることもできる。 要するに、われわれの国は、「安い」国になったのである。 1980年代の半ば過ぎ、たぶん1985年か86年だったと思うのだが、フィリピンのネグロス島にあるドゥマゲティという町に遊びに行ったことがある。 きっかけは、青年海外協力隊の一員としてフィリピンで暮らしていた高校時代の同級生Kが、当地にある大学の学長の娘さんと結婚したからだった。 当時、フィリピンの物価は、日本人の若者であった私から見て、アタマがくらくらするほど安かった。 円が高かった(1985年の円/ドル相場は250円前後)こともあるが、とにかくフィリピンの田舎の物価は、おとぎ話の中の猿とカニの取り引きみたいだった。ゴルフを一日やってプレイフィーが400円。LPレコードが300円。昼飯は100円あれば充分に食えた。 何をお伝えしたいのかを言おう。 フィリピンに向けて出発する前に、友人のKが口を酸っぱくして言っていたことを、私はいまでも覚えている。 「いいか。考えなしにチップをばらまくなよ」「特に子供たちには安易にドルを与えてはいけない」「20ドル紙幣とかばらまいたらぶっ殺すぞ」と、彼はくどくどと繰り返していた。 「なんでさ」「喜捨って言うじゃないか」「現地の人間が喜ぶことをして何が悪いんだ?」という私の質問を、Kは丁寧に論破した。 「いいか、フィリピンみたいな国で外国人がドルをばらまくと、現地の子供は自分の国の大人をバカにするようになる」「大人だけじゃない。マジメに働くことや、きちんと勉強することもバカにするようになる」「どうして」「考えてもみろよ。路上で観光客に煙草を1本売って、気前の良い日本人が気まぐれに20ドルくれたら、それだけでオヤジの一週間分の稼ぎになるんだぞ」「了解。チップは1ドルにする」「子供には1ドルでも多い。クルゼーロというコインを両替しておいて、それを与えるようにしてくれ」「お前には関係ないだろ」「お前はフィリピンのことなんかどうでも良いと思ってるからそういうことを言ってるけど、ドルっていうのは、あれは国を滅ぼすんだぞ」 あの時のKの説教を、どう説明したら現代の日本の読者に伝わるだろうか。 ともあれ、Kは、フィリピンで言うパトリオット(愛国者)で、彼なりに国を憂えていた。 で、そのKに言わせれば、今の言葉で言う「インバウンド需要」で国が潤うことは、外国人の落とすカネで暮らす人間がそれだけ増えるということで、国の経済のおおもとのところが、タカリ体質に変貌することにほかならなかった。そのことを彼は警戒していたのである。日本のためにではない。フィリピンのために、だ』、友人のK氏のアドバイスは極めて的確で、まさに「パトリオット」だ。
・『インバウンド需要のすべてが悪いとは言わない。 インバウンドで潤う業界があるのはそれ自体としては悪いことではないし、そこから派生したカネがめぐりめぐって国の経済を活性化するのであれば、それは歓迎すべき流れなのだろう。 ただ、カジノや万博やオリンピックや行きずりの観光客が落とす日銭を当てにしたところから経済計画を立案する態度は、一国の経済政策としては好ましくない。一人の愛国者として、私はそのように考える。 もうひとつ、旅嫌いの出不精の人間の偽言と思って、3割引きくらいの力加減で聴いてもらって差し支えないのだが、私は、観光地の商売というものをいまひとつ信用していない。 行きずりの観光客相手の商売は、リピーターを増やすために努力している街場の人間の商売とは性質が違う。 であるから、世界中どこに行っても、観光客相手に土産物を商う人々の価格設定は、地場の人間に必需品を売る商人の値付けとはその根本の精神が違っている。 悪い言葉を使えば、観光客相手の商売人は、ぼったくることをなんとも思っていない。どうせ同じ客とは二度と会うこともないからだ。 もっとも、観光業に従事する誠実な人たちがたくさんいることもわかっている。 だが、インバウンドの客を相手にするということは、行きずりの客相手に商品を売るということで、これは、商売の質そのものが荒れるということでもある。 日本人の商店主が諸外国の商売人と比べて正直だと思われている原因のひとつは、コミュニティー外の人間と取引をすることの少ない島国の人間であるわれわれが、瞬間的な稼ぎよりも長期的な信用を重んじる態度で商売をしてきたからだと思う。 その伝統が海外からの客を相手にしているうちに、じきに失われるのではないかと危惧している。 というのも、「どうせあの人たちは値打ちがわからないから」「どうせ、二度と来ない客だから」という感じの、モロな観光地商売を展開する人間は、いずれ、商品と価格への真摯な感覚を失うはずだからだ。 典型的な観光地の典型的な土産物屋の商売が、行き当たりばったりの出たとこ勝負であること自体は、たいした問題ではないし、それはそれで天晴な態度ですらある。 事実、世界の観光ビジネスはそういう原則で動いている。 ただ、日本中にインバウンドの経済が影響を与えるようになり、この国の主要な産業が観光だということにでもなったら、われわれは、いずれその種の商道徳で世間を渡る人間になって行くはずだ。 具体的にどういう人間になるのかというと、空港前の路上で、信号待ちの度にタクシーの窓ガラスを叩いてバラ売りの煙草を売りにやってくる5歳児みたいな人間ということなのだが、その5歳児は、煙草が売れないとなると、母親を売ろうとするのだ。 いや、これは、「キャッチ22」からパクったネタなのだが、たいして面白くもないうえに、品も良くなかった。 いつでも品の大切なのは、良い人間として振る舞おうとする心がけだ。それを忘れてはならない。 インバウンド需要に特化した日本人が、自分たちの品格を保てるのかどうか、私はその部分をとても心配している』、こうしたインバウンド経済の副作用を的確に指摘した小田嶋氏には、いつもながらさすがと頭が下がる。インバウンドのあり方を冷静に見直してみる必要がありそうだ。
タグ:バルセロナ 戦略 フィリピン 日経ビジネスオンライン インバウンド ビジット・ジャパン 小田嶋 隆 「われわれの国は「安く」なった」 ニッポン礼賛企画 本当のところ、われわれの国は世界の人々の憧れと愛着の対象なのだろうか それとも、テレビ局のスタッフが「ニッポン」への称賛を集約して番組に結実させたがるのは、わたくしども日本人が、称賛の声を聞かされ続けていないと自分を保てないほどに自信を喪失していることのあらわれなのだろうか 「観光亡国論」 急激な観光客の増加は、さまざまな場面に軋轢や摩擦をもたらしている 地方出張でホテルが取りにくくなっている 「観光立国」の行く末 3年前ですら、四条河原町のメインストリートは、渋谷のセンター街みたいな人だかりでしたよ それがいまはスクランブル交差点みたいなことになってはるわけです いとも鷹揚に受け止めている 都市のキャパシティーを超えた観光客によるオーバーツーリズム ツーリズモフォビア 恒常的な渋滞に悩まされる 平均的な市民は、やがて、自分たちが生まれ育った町で暮らすための最低限の家賃を支払えなくなる 「観光客は帰れ」 根も同様だ。 あそこも、最近は中国人観光客のための温泉地に変貌しつつある 観光客増加の理由を、単に日本の「安さ」に求める意見があることも、意識しておいた方が良い 約30年間にわたって、物価も実質賃金も低迷したまま 円の価値自体も、最も強かった時代から比べれば3割以上安くなっている 外国人から見てあらゆる商品が割安であることが観光地としての日本の魅力の大きな部分を占めている 要するに、われわれの国は、「安い」国になったのである 「いいか。考えなしにチップをばらまくなよ」「特に子供たちには安易にドルを与えてはいけない」「20ドル紙幣とかばらまいたらぶっ殺すぞ」 ドルっていうのは、あれは国を滅ぼすんだぞ 「インバウンド需要」で国が潤うことは、外国人の落とすカネで暮らす人間がそれだけ増えるということで、国の経済のおおもとのところが、タカリ体質に変貌することにほかならなかった 観光客相手に土産物を商う人々の価格設定は、地場の人間に必需品を売る商人の値付けとはその根本の精神が違っている ぼったくることをなんとも思っていない 日本中にインバウンドの経済が影響を与えるようになり、この国の主要な産業が観光だということにでもなったら、われわれは、いずれその種の商道徳で世間を渡る人間になって行くはずだ インバウンド需要に特化した日本人が、自分たちの品格を保てるのかどうか、私はその部分をとても心配している
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消費税増税問題(その4)(無意味な消費増税対策や“粉飾計画”でなくまともに「財政危機」に向き合え、政府のポイント還元事業、その「意外な狙い」 増税を機にキャッシュレス決済は普及するか) [経済政策]

消費税増税問題については、2015年12月に取上げた。久しぶりの今日は、(その4)(無意味な消費増税対策や“粉飾計画”でなくまともに「財政危機」に向き合え、政府のポイント還元事業、その「意外な狙い」 増税を機にキャッシュレス決済は普及するか)である。たお、タイトルから、軽減率制度などを外し、増税問題に変えた。

先ずは、立教大学大学院特任教授・慶應義塾大学名誉教授の金子 勝氏が昨年12月5日付けダイヤモンド・オンラインに寄稿した「無意味な消費増税対策や“粉飾計画”でなくまともに「財政危機」に向き合え」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/187342
・『19年10月の消費増税の際に景気の落ち込みを防ぐ目的で、来年度の当初予算からという異例の対策が検討されている。 予算編成作業は増税対策作りがまるですべてのようになり、肝心の財政再建は脇に置かれてしまっている。「今度、消費税率引き上げに失敗すれば、二度と消費増税はできない」ということからなのだろうか。 だが、ポイント還元やプレミアム商品券配布で景気を維持しようとしたところで無意味だ。そもそも安倍政権のもとで改定された財政健全化計画自体が、大幅に“かさ上げ”された成長率や物価見通しのもとで作られているからだ』、どうも安倍政権は、重要政策でまで「粉飾」をしまくっているようだ。
・『財政健全化計画の「嘘」かさ上げされた成長率や物価  国の借金は2017年度で1087兆円に達する。だが国の財政再建シナリオは実現可能性があるとはいえないものになっている。 内閣府が「新財政健全化計画」策定に伴い今年7月に出した「中長期の経済財政に関する試算」では、プライマリーバランスの達成時期が従来の2025年から2027年に引き延ばされた。 しかもそれだけでなく、試算はあちこちで“粉飾”が施された代物だ。 「試算」の数値とグラフは以下を参照していただきたい。 http://www5.cao.go.jp/keizai-shimon/kaigi/minutes/2018/0709/shiryo_01.pdf  もともとこの手のシミュレーションは恣意的ではある。経済成長率(GDP成長率)を高く設定し、金利を相対的に低く設定すれば、財政は健全化するようにできる。 だが安倍政権で改定された計画はかなりひどい。 健全化計画の前提になっている成長率や物価、金利などの見通しを詳しく見ると、名目経済成長率が来年2019年度に1.7%から2.8%に跳ね上がる一方で、名目長期金利はほぼ0%で推移し、21年度にようやく0.3%になる。 消費者物価上昇率も2018年が1.1%で、19年度には1.5%、20年度には1.8%になる。21年度には1.9%と、政府が「2%物価目標」で掲げる水準にほぼなり、「デフレ脱却」が達成される。 それを踏まえ、実質経済成長率は、1.5%前後から21年まで2%に上がっていって、そのままで推移する。 これは、20年の東京オリンピックの後も現在の異常な金融緩和政策が続く中で、景気が上昇するというシナリオだ。だが、こんな楽観的なシナリオが成り立つだろうか。 異次元緩和を柱にしたアベノミクスが5年半も続けられてきたが、それでも2%の物価上昇すらも実現できていない。それが、これから先の2~3年で経済が「正常化」するとはとても思えない。 試算が発表された翌月に明らかにされた今年4―6月期の実質GDPの速報値は前期比年率でマイナス1.6%となった。3期ぶりのマイナス成長である。米中貿易戦争の影響で対中国輸出が減少し、災害などもあって個人消費が落ち込んだからだ。 消費者物価上昇率についても、同時期に日銀が発表した展望レポートでは、19年の見通しは0.9%に引き下げられた。試算の1.5%を0.6%ポイントも下回る』、「試算」はどうみても不自然に楽観的なシナリオだ。いくら「辻褄合わせ」とはいえ、現実離れし過ぎている。
・『安倍政権の任期後に急速に正常化が進む?  奇妙なのは、アベノミクスの成果を政府がこれだけ強調していながら、安倍政権の任期が過ぎる2021年から急に日本経済が正常化して動くというシナリオになっていることだ。 名目成長率が来年2021年度の3%から23年度には3.5%に跳ね上がっていき、名目長期金利は21年の0.3%から27年度の3.5%まで急速に上がっていく。 エコノミストや民間のシンクタンクの多くが、少なくとも東京オリンピック後に景気が落ち込むと予想しているのに、しかも、どんどん産業競争力が低下していく中で、どうして名目経済成長率3.5%を達成できるのだろうか。 とにかく政権在任中は、この健全化計画で財政再建が達成できるかのように帳尻を合わせておくといった感じだ。 どう見ても、5年半の失敗が急速に取り戻されるとは考えにくい。真実味が著しく欠けているのだ。 むしろ、成長率や物価上昇が思うように伸びないまま、日銀が国債などを購入し続けて、財政赤字のファイナンスを続けていくことになると考えるのが自然だろう。27年度の財政健全化目標を実現するのは難しいと予想される』、「安倍政権の任期が過ぎる2021年から急に日本経済が正常化して動くというシナリオになっている」のは、在任中に正常化してないとの批判を逃れるためだろうが、姑息なやり方だ。
・『消費増税対策は無意味 数字のつじつま合わせ  こうした非現実的な財政健全化計画を見直そうともせず、政府や自民党が奔走しているのが、消費増税対策作りだ。 安倍首相は、これまで、2度の消費税引き上げを先延ばしした。そのポピュリスト的体質から考えて、来夏の参議院選挙前に、また延期を言い出す可能性はなくはないが、今のところ、来年10月に予定されている消費税の8%から10%への増税を実施すると言っている。 この消費税の増税によって、5.6兆円の増収が見込まれている。そのうち半分は財政赤字の削減(国債発行の抑制)のために、1.7兆円が幼児教育や保育士増員などの少子化対策に、1.1兆円が低所得者の高齢者支援など社会保障費に充てられる予定だ。 しかし、増税の影響で消費が減退しGDP成長率の数字が落ち込むと、財政健全化目標が達成されないことになるので、当面、計画の数字の信憑性が完全に失われるのを防ぐために、あれこれ対策を検討しているわけだ。 その1つが、クレジットカードなどを使ったキャッシュレス決済をすれば、増税2%分を超えて5%もポイントで還元する制度(つまり3%消費税減税)を、2020年の東京オリンピックまで導入することだ。 だがこれだと、カードを持たない人はポイント還元が利用できないことになり、今度は公明党が抜け穴をカバーするために低所得者向けプレミアム付き商品券の発行を提案している。 一方、自民党の税制調査会(宮沢洋一会長)は住宅ローン減税の拡充や自動車取得にかかる税負担の軽減措置などの検討を始めた。大型の設備投資を行った医療機関の消費税負担の軽減という声も出ていて、まるで「消費増税対策」を名目にしたばらまきオンパレードの様相だ。 だが本当に効果があるのか、これが恒久化しないか、きちんとした検証が必要である。 GDP成長率の数字のつじつま合わせのために、消費税の使い道を変えたり、他の税で減税をしたりというのでは、本末転倒である。何より効果が怪しい。 2014年の消費税率5%から8%への引き上げの際にも、経済成長を損なわないためとして法人税減税が実施された。 2014年には復興特別法人税の前倒し廃止、15年は法人税率を25.5%から23.9%へ引き下げ、16年は23.4%へ引き下げ、18年は23.2%へと引き下げられている。だが効果は疑わしいものだった。 この法人税減税に合わせて、租税特別措置や繰越欠損金の見直しや外形標準課税の強化といった課税ベースの拡大も実施されたから、税率引き下げだけで効果を判断するわけにはいかないが、それでも法人税全体では減収になった。 2018年10月18日に行われた野党5党による合同ヒアリングでの財務省担当者の説明によれば、安倍政権になってから法人税減税による減収は5.2兆円になるという。 だが結果はどうだったか。結局、この間、企業は内部留保を大幅に積み上げ、企業同士が受け取る配当収入を増やしただけだ。しかも、外国企業が日本への投資を増やす効果があったかどうかも疑問が残る』、「「消費増税対策」を名目にしたばらまきオンパレードの様相だ」とはポピュリズムもここに極まれりだ。
・『成長の果実で社会保障をまかなえるのか  悪循環が生じている。 政府まず社会保障財源が足りないから消費税増税が必要だという。ところが、消費税増税は消費を落ち込ませ景気を悪化させるからという理由で、さまざまな減税措置を導入する。 こうしていつの間にか、成長で税収を増やして成長の果実で社会保障をまかなうという論理にすり替わってしまう。 ところが、思ったほどに経済が成長せず、減収効果が効いて税収不足になる。そして、国民に社会保障や福祉の実感が届かないまま、また社会保障の財源不足が強調されるという具合である。 今回の消費税増税で、もうひとつの焦点になっているのは、食料品などの税率を8%に据え置く軽減税率が導入される点である。これに伴う1兆円程度の減収分の財源は一部しか確保されていないまま実施が予定されている。 また家計消費の低迷とともに、消費税増税の増収効果が落ちている可能性があり、結局、見込み通り5.6兆円の税収が確保できるかどうかも疑わしい。 そうした状況下で、軽減税率が本当に必要な政策かどうかはきちんと考えておかねばならない』、公明党のメンツを立てるために効果の疑わしい軽減税率を導入することで、さらに混乱をひどくしているようだ。
・『軽減税率で逆進性緩和の効果は疑問  現在、軽減税率に関しては、外食やケータリングと食料品との区別、包装紙や容器はどうするか、食品と物品がセットになっている商品はどう扱うか、など扱いの不公平や手続きの煩雑さが問題になっている。 だが、問題の本質はこうした実務上のことではない。食料品や生活必需品に軽減税率を設ける理由は、所得の低い者ほど負担が重いという「逆進性」への対処である。 だが、そもそも軽減税率を導入すれば、逆進性が緩和されるのかどうか、その効果自体は疑わしい。 実際、2010~11年にかけて、イギリスの有名な財政研究所(Institute of Fiscal studies)が発表した「マーリーズ・レビュー(Mirrlees Review)」では、食品や子ども服に関する付加価値税の軽減税率やゼロ税率は鈍い効果しかなく、廃止すべきだと提言した。※Mirrlees ReviewはDimensions of Tax Design(2010)とTax by Design(2011)からなる。 理由は2つ。1つは、ずっと低所得の人もいるが、若いときに低所得でも年齢が上がると所得が高くなる人もいる。生涯所得で見れば、ずっと逆進性が働く時期が続くとは限らず、所得再分配効果は低くなるという点だ。 もう1つの理由は、高所得の人は高い食費を支払っており、高所得者ほど軽減税率やゼロ税率の効果が及ぶことである。 それゆえ、「マーリーズレビュー」は軽減税率やゼロ税率を廃止し、その税収増加分で、失業手当や税額控除、あるいは低所得層への所得支援や住宅手当を行った方が、所得再分配効果が上がるとしている。 この結論を活かすとすれば、効果が鈍い軽減税率やゼロ税率の導入は見送り、この分も含めて、消費増税の増収分は全額を社会保障や福祉に回すべきである。 それがもともと、今回の消費増税を当時の民主、自民、公明が約束した「3党合意」の趣旨だったはずだ。 ちなみに、一部の論者から、金融緩和をさらに行い、「貨幣発行益」で社会保障をまかなうというポピュリスト(大衆迎合)的な主張が語られているが、これもまともなやり方とは思えない。 今の異次元緩和策で、日銀が国債を購入することで金融機関に大量の資金を供給しているが、この量的金融緩和(つまり財政赤字)によって、社会保障費をまかなうことで、低所得の人たちを支えようという。 だが、これは格差をかえって拡大する。金融緩和を続ければ、株や不動産のバブルを作り出し、一部の富裕層と外国人投資家を潤すだけだからだ。 今の格差拡大は、一様に生じているのではない。中位の所得層の割合が継続的に低下しながら、ごく一部の富裕層の富の増大が突出する形になっている。 調査会社「ウエルスX」の報告書によれば、2017年で3000万ドル(約33億円)以上の資産を保有する「超富裕層」が多く住んでいる都市では、香港、ニューヨークについで東京が3位になっている。 こうした状況で、「貨幣発行益」のような持続可能性のない「財源」で社会保障をまかなっても、決して人々の将来不安はなくならない。国民を愚弄するような主張は慎まなければならない。 少子高齢化時代に社会保障の拡充のために今回の消費税増税が避けられないというなら、増収分の全額を社会保障や社会福祉へ充当し、納税者に負担増の恩恵が及ぶようにすべきである。 消費税の逆進性を緩和するということでも、それが筋である』、政権交代と共に「3党合意」は吹っ飛んでしまったようだ。「「超富裕層」が多く住んでいる都市では」、東京が3位とは初めて知ったが、「増収分の全額を社会保障や社会福祉へ充当し、納税者に負担増の恩恵が及ぶようにすべき」との金子氏の主張には全面的に賛成である。
・『財政再建は税体系や歳出の抜本見直しで  その一方で、財政赤字の削減を目指すためには、税体系全体の見直しか、歳出の見直しが必要だ。 いくつかすぐにできる改革がある。まず、より簡素で中立的な法人税への見直しが必要だ。 これだけ内部留保が積み上がる状況の下では、今なお60兆円もある繰越欠損金の優遇措置をさらに見直し、また企業が受け取る配当が法人税率より低い源泉分離20%の所得課税が適用されている配当益金不算入や依然として大きい租税特別措置の見直しなどを行うべきだろう。 また格差の是正を考慮するなら、金融所得への分離課税や軽減措置を見直すべきである。高所得者への最高税率の付加税率も検討に値するだろう』、これもその通りだ。
・『本当の財政危機とは何なのか 産業衰退と貿易黒字の減少  もちろん、経済成長率が上がらない状況が続けば、財政再建はますます遠のくというのはその通りだ。その意味で本当に問題なのは実は産業の衰退だ。 事実上の財政ファイナンス政策になっていて、金融緩和をやめるにやめられないまま長く続けてきた間に、産業衰退が一層進んでいる。 本来なら淘汰されるゾンビ企業が残り、また産業の新陳代謝が進まない。時代遅れの原発再稼働に突き進み、リニア新幹線や東京オリンピックの建設ブームに頼っていては、東京オリンピック後には経済成長率が落ち込むのは避けられない。 産業競争力が低下することで最も問題が深刻なのは貿易黒字の縮小である。 図を見てみよう。リーマンショックで円高に振れて貿易収支が赤字になった後、為替レートが元に戻ったが、貿易黒字はかつての半分以下にとどまっている。 しかも、貿易黒字の約7割は自動車が稼ぐ「一本打法」の競争力だ。かつて高い世界シェアを誇っていたスーパーコンピューター、半導体、太陽光電池、液晶製品、携帯音楽プレーヤー、カーナビなど見る影もない。 このことは、「アベノミクスがあと3年続けば日本の産業衰退が一気に露呈する」(『ダイヤモンド・オンライン』2018年9月18日)に書いた。 日本の産業衰退は1986年の日米半導体協定以降に始まったが、今やなけなしの自動車でさえ、年明けから始まる実質上の日米FTA交渉で、為替条項で円安誘導を抑えられ、関税か米国生産への切り替えなどで、輸出を抑えられる可能性が出てきている。 さらに世界で起きている電気自動車(EV)転換や化石燃料輸入を大幅に減らすエネルギー転換に立ち遅れれば、2020年代半ば以降に貿易黒字が消えていく危険性がある。 高齢化で国内の貯蓄も減るので、国内での国債が消化できなくなる。その時に、日本は本当の「財政危機」に直面する。 現在、外国人投資家が持つ国債の割合は1割を超えてきている。これが2割、3割となった状況で、国債格付けを下げられたら、日本国債の投げ売りが起き、収拾がつかない財政危機に陥れられてしまう。 1990年代初めはAAAだった格付けは下がり続け、今はシングルAでとどまっているが、それがBに移行していけば、財政危機は現実化していく。 粉飾の財政健全化計画で糊塗して、消費増税対策に狂奔している余裕はない。2027年を念頭に財政健全化を考えるなら、この最悪のリスクを真剣に考えなければならない時期に来ている』、説得力溢れた主張で、これにも全諸手を挙げて賛成だ。

次に、 慶應義塾大学 経済学部教授の土居 丈朗氏が3月18日付け東洋経済オンラインに寄稿した「政府のポイント還元事業、その「意外な狙い」 増税を機にキャッシュレス決済は普及するか」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/271193
・『今年10月から実施されるキャッシュレス決済へのポイント還元事業に参加する決済事業者の募集が3月12日から始まった。所管する経済産業省は当初3月6日から始める予定にしていたが、募集開始に必要な準備に時間を要することから12日に延期した。 このキャッシュレス決済へのポイント還元事業は10月の消費税率引き上げに併せ、増税対策の一環として行われるのだが、その意外な狙いが見えてきた。 ポイント還元事業の対象事業者は2段階で募集する。2018年度内は事業に参加する決済事業者の仮登録申請を3月20日まで受け付ける(4月以降も順次参加できるようにする見込み)』、キャッシュレス決済の促進は分かるが、消費増税対策として打ち出したのは経産省の「悪ノリ」で筋が悪い。
・『大手カード会社やLINEなどが参加  次に、経済産業省は4月にも、登録された決済事業者を一覧にして中小・小規模事業者向けに公表することにしている。中小・小規模の小売店や飲食店舗などは、登録された決済事業者の中からどの事業者に加盟するかを決め、決済事業者経由でポイント還元が受けられる加盟店として登録する。その後、2019年10月から2020年6月までの9カ月間にキャッシュレス決済手段を使うと、支払った金額に応じて消費者にポイントが還元される。 キャッシュレス決済手段としては、クレジットカードと電子マネー、QRコードが想定されており、大手カード会社や非金融系のペイペイ、LINE、メルカリなどが参加する方針であると報道されている。 日本でキャッシュレス決済がなかなか浸透しない理由の1つは、加盟店手数料が高いことだ。中小・小規模事業者は、キャッシュレス決済の加盟店になろうにも、決済事業者に支払う加盟店手数料が高くて割が合わないことから、キャッシュレス決済手段の導入を躊躇している。 今回のポイント還元事業では、ポイント還元事業の期間中に加盟店手数料を3.25%以下にしなければ、事業の対象にならない。それとは別に加盟店手数料補助事業もあり、対象事業者になると、同じ対象期間中の加盟店手数料の3分の1は、国から補助金が出ることになっている。 さらに、キャッシュレス決済のための端末を中小・小規模事業者が導入する場合、国は導入費用の3分の2を補助する(残り3分の1は決済事業者が負担することが必要)。キャッシュレス決済の端末を導入したい中小・小規模事業者は、対象期間中なら事実上自己負担ゼロで導入できる。決済事業者から見れば、導入費用の3分の1だけ負担すれば、加盟店に決済端末を置いてもらえる。 こうして、政府はキャッシュレス決済の比率を高めようとしているが、この事業の効果がどれだけ上がるかはふたを開けてみなければわからない。ただ、この事業の予算をみると、キャッシュレス決済が浸透しそうな仕掛けが見え隠れする』、「日本でキャッシュレス決済がなかなか浸透しない理由の1つは、加盟店手数料が高いことだ」というのは経産省の主張であり、カード会社側は激烈な加盟店獲得競争をしているが、中小・小規模事業者ではコスト高になるので高止まりせざるを得ないと主張している。経産省側の主張だけを取上げるとは、さすが御用学者の面目躍如だ。
・『キャッシュレス関連予算は約2800億円  このポイント還元事業は、経済産業省の2019年度当初予算における「キャッシュレス・消費者還元事業」の1つである。それは4つの事業からなり、ほかの3つは、決済端末導入補助と加盟店手数料補助、キャッシュレス決済の周知・普及である。 4事業合計で2798億円が予算に計上されている。経済産業省の見込みでは、このうちポイント還元事業に千数百億円、キャッシュレス決済の周知・普及のために数十億円を使い、残りは決済端末の導入補助と加盟店手数料補助に使う予定である。もし1つの事業で想定より多く使うと、ほかの事業で使える予算がそれだけ減ることになる。 ポイント還元事業は消費者への還元が主目的であり、国民の関心も高い。しかし、予算の中には加盟店手数料の補助も含まれている。ということは、加盟店手数料の補助金で多く予算が使われると、ポイント還元事業に回せる予算がそれだけ減るということになる。 予算執行の側からみれば、キャッシュレス決済が普及しない一因である加盟店手数料を下げるように促すことができれば、キャッシュレス決済が進むだけでなく、消費者のポイント還元予算をより多く確保できるメリットがあるのだ。 ちなみに、ポイント還元事業では、消費者がキャッシュレス決済で支払った額に対し、中小の個別店舗には5%、フランチャイズチェーン加盟店には2%のポイント還元を行う。ただし、還元分の全額を国が補助金で出すわけではない。なぜなら、受け取ったポイントを期限までに使わずに失効すれば、消費者には還元されないことを考慮するからである』、なるほど。
・『不正防止策として還元額に上限  つまり、消費者がもらったポイントのうち失効しそうな分は、国は補助しないのだ。失効率は決済事業者が過去の実績データを持っていればその数字を用いるが、そうでない場合は国が失効率を40%と設定する。加えて、不正防止や高額取引の排除を目的に、決済事業者には消費者への還元額に上限を設けるよう求めている。 要するに、ポイント還元事業に割くことのできる予算には限りがあるということだ。したがって、ポイント還元事業により多く予算を充てるには、加盟店手数料を下げてもらうことが表裏一体になっているともいえよう。 経済産業省は、登録された決済事業者が提示する加盟店手数料などのデータを一覧にして公表することで、手数料を事業者間で比較できるようにして競争を促し、引き下げを強力に推し進める意向である。 このように、キャッシュレス・消費者還元事業は、消費増税対策の一環の事業ではあるが、キャッシュレス決済普及に向けた仕組みが埋め込まれた事業でもあるようだ』、「消費者がもらったポイントのうち失効しそうな分」が曲者だ。「決済事業者が過去の実績データを持っていればその数字を用いるが、そうでない場合は国が失効率を40%と設定」、とあるが、実績データの不適切な申告も大いにあり得ることだ。不正が生じる余地が大きく、制度設計がズサン過ぎる。
タグ:東洋経済オンライン 法人税減税 ダイヤモンド・オンライン 消費税増税問題 土居 丈朗 金子 勝 (その4)(無意味な消費増税対策や“粉飾計画”でなくまともに「財政危機」に向き合え、政府のポイント還元事業、その「意外な狙い」 増税を機にキャッシュレス決済は普及するか) 「無意味な消費増税対策や“粉飾計画”でなくまともに「財政危機」に向き合え」 財政健全化計画の「嘘」かさ上げされた成長率や物価 「中長期の経済財政に関する試算」 異次元緩和を柱にしたアベノミクスが5年半も続けられてきたが、それでも2%の物価上昇すらも実現できていない。それが、これから先の2~3年で経済が「正常化」するとはとても思えない 安倍政権の任期後に急速に正常化が進む? 成長率や物価上昇が思うように伸びないまま、日銀が国債などを購入し続けて、財政赤字のファイナンスを続けていくことになる 消費増税対策は無意味 数字のつじつま合わせ その1つが、クレジットカードなどを使ったキャッシュレス決済をすれば、増税2%分を超えて5%もポイントで還元する制度(つまり3%消費税減税)を、2020年の東京オリンピックまで導入することだ 公明党が抜け穴をカバーするために低所得者向けプレミアム付き商品券の発行を提案 自民党の税制調査会(宮沢洋一会長)は住宅ローン減税の拡充や自動車取得にかかる税負担の軽減措置などの検討を始めた 「消費増税対策」を名目にしたばらまきオンパレードの様相 減収は5.2兆円 内部留保を大幅に積み上げ、企業同士が受け取る配当収入を増やしただけだ 成長の果実で社会保障をまかなえるのか 思ったほどに経済が成長せず、減収効果が効いて税収不足になる。そして、国民に社会保障や福祉の実感が届かないまま、また社会保障の財源不足が強調されるという具合である 軽減税率で逆進性緩和の効果は疑問 「超富裕層」が多く住んでいる都市では、香港、ニューヨークについで東京が3位に 財政再建は税体系や歳出の抜本見直しで 本当の財政危機とは何なのか 産業衰退と貿易黒字の減少 1990年代初めはAAAだった格付けは下がり続け、今はシングルAでとどまっているが、それがBに移行していけば、財政危機は現実化 「政府のポイント還元事業、その「意外な狙い」 増税を機にキャッシュレス決済は普及するか」 キャッシュレス決済へのポイント還元事業 大手カード会社やLINEなどが参加 キャッシュレス関連予算は約2800億円 不正防止策として還元額に上限
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ふるさと納税制度(その3)(ふるさと納税は、制度見直しでどう変わるか 野田総務相が自治体の競争過熱に「待った」、ふるさと納税の見直しは「愚策」 総務省にとっては「目の上のたんこぶ」に、ふるさと納税「違反自治体」に寄付殺到!返礼品競争が制御不能に、泉佐野の100億円還元に「許せない」 地方同士の戦いへ) [経済政策]

ふるさと納税制度については、2016年7月6日に取上げたままだった。久しぶりの今日は、(その3)(ふるさと納税は、制度見直しでどう変わるか 野田総務相が自治体の競争過熱に「待った」、ふるさと納税の見直しは「愚策」 総務省にとっては「目の上のたんこぶ」に、ふるさと納税「違反自治体」に寄付殺到!返礼品競争が制御不能に、泉佐野の100億円還元に「許せない」 地方同士の戦いへ)である。

先ずは、慶應義塾大学 経済学部教授の土居 丈朗氏が昨年9月17日付け東洋経済オンラインに寄稿した「ふるさと納税は、制度見直しでどう変わるか 野田総務相が自治体の競争過熱に「待った」」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/237838
・『9月11日、野田聖子総務相は「ふるさと納税」制度を見直す方針を発表した。地方税制を所管する総務省は、ふるさと納税で「返礼品の調達価格を寄付額の3割以下とする」とした通知を守らない自治体に対して、制度の対象外にできるよう、見直すことを検討するという。 ふるさと納税については、返礼品競争の過熱が以前から問題視されていた。本連載の「『ふるさと納税』、返礼品目的以外の活用法」でも触れたが、寄付金に対し返礼割合が3割を超える返礼品や地場産品以外の返礼品を送付している市区町村で、2018年8月までに見直す意向がなく、2017年度受入額が10億円以上の市区町村について、総務省が実名で公表。早急に是正を求めていた』、通知を守らない手前勝手な自治体に対して、制度の対象外にするというのは、当然の措置だろう。
・返礼品競争は、なぜ問題なのか  返礼割合が高いということは、ふるさと納税で寄付をした人にとってはお得なのだが、寄付をもらう自治体側からすると、それだけ収入が失われることを意味する。 自治体に寄付した金額から2000円を除いた分が、居住する自治体の住民税と国の所得税から控除され、結果的に税負担が相殺されるのが、ふるさと納税の仕組みだ。だから返礼割合が高いほど、どの自治体や国にも収入が入らないことになる。 返礼割合をどのぐらいにするかは、各自治体の判断で決められる。返礼割合を高くする自治体は、そのお得感に引き付けられて、ふるさと納税の受入額が増える。それに負けじと近隣の自治体が、返礼割合を上げたりすれば、まさに問題視されている返礼品競争をあおることになる。だから総務省は、返礼割合を下げるよう求めてきたのだ。 9月11日に野田総務相の方針表明と合わせ、「ふるさと納税に係る返礼品の見直し状況 についての調査結果 (平成30年9月1日時点)」が公表された。それによると、返礼割合3割超の返礼品を送付している自治体は、2016年度には1156団体と全体の約65%を占めていた。それが、返礼割合を3割以下とし、原則として地場産品とするよう求める総務相の通知を発出して以降、着実に減少、今年の6月には327団体まで減って、9月1日現在では246団体となった。 ただ、それでもまだ、246市町村が返礼割合3割超の返礼品を送付している。加えて、地場産品でない品物を返礼品としているのは、190市町村もあった。 そこで総務省は、通知では限界があるとみて、”より強い措置”を検討することを表明したのだ。ふるさと納税の返礼割合を、総務省が自治体に強制することはできない。とはいえ、どの寄付をふるさと納税の対象とするかを、国の法律で定めることはできる』、総務省が要請しても、返礼割合を高くしたままで、制度から大きく逸脱している自治体に対し、「伝家の宝刀」を抜くのは当然で、むしろ遅過ぎたぐらいだ。
・『通知を守らない自治体を控除対象から除外へ  そもそもふるさと納税制度は寄付税制の一環だ。寄付をすることは、社会的に貢献するものなら税金を払うのと同じ効能があるとみて、寄付をした分は所得税や住民税を払わなくてよいようにする、というのが寄付税制である。寄付ならどんな寄付でも、寄付税制の恩恵が受けられる、というわけではない。寄付税制の恩恵が受けられる寄付は法令で定められている。 そこで、総務省の通知を守らない自治体をふるさと納税の対象から外し、寄付した者がそうした自治体に寄付をしても住民税などの控除を受けられないようにする方向で、検討を進めたい意向である。 確かに、返礼割合3割超の返礼品を送付している自治体は、まだ残っていて、総務省の資料によると、10月末までに見直すとの意向を示した自治体を除いても174市町村あるという。とはいえ、返礼割合を3割以下にしている自治体は1600を超えており、通知を守っている自治体のほうが多い。 通知を守っている自治体からすれば、返礼割合を下げたために前の年より寄付額が減っていたりするのに、他方で通知を守っていない自治体は引き続き寄付額を多く集めているということなら、何のために通知を正直に守っているのかということになる。総務省も、そうしたことで、通知を守る自治体を不利にするわけにはいかない。これも、今回の制度見直しの引き金になっている。 今回の制度見直しには、副次的によい効果もあるだろう。これまで、どんな返礼品にするかや返礼割合については、地方議会の議決を経ずに首長や担当部局の裁量で決められた。その意味でふるさと納税の返礼品は、チェックが甘い仕組みであるといえる。 今回の見直しによって、ふるさと納税の適用を受けたいなら、返礼割合を3割以下にするよう求められるわけだから、3割以下になっていることを根拠をもって示さなければならないこととなる。その根拠は当然ながら、住民・国民に広く公表されることとなる。 そうすることで地方議会の議員も、ふるさと納税の返礼品の内容や返礼割合について、議会の場で質問などを通じて広く議論できるようになる。知事や市町村長は、返礼品について「やましいことがない」と、しっかりと議会で説明しなければならない。 これまで、寄付がいくら入ったかは議会にて予算や決算で示すことはあっても、返礼品のためにいくら使ったかを議会で説明する必要がなかった。返礼品は、寄付を受け取る手前で寄付者に渡すものであり、いったん収入として入った後で、議会での議決を経て執行する支出ではないからだ』、これまで返礼品については、「議会で説明する必要がなかった」というのは、確かに急ごしらえの制度の欠陥の1つだ。
・『ふるさと納税制度の透明化が進む可能性  とはいえ、今後自治体は、どんな返礼品にいくら使い、だから返礼割合が3割以下になり、ふるさと納税の適用が受けられる、と根拠をもって示さなければならない。そうなれば、ふるさと納税制度の透明化に寄与し、返礼品合戦の過熱を抑える効果以外の点で、副次的によい効果になる。 一方、返礼品に関心がある人からすれば、返礼割合が下がるとふるさと納税のお得感が減るかもしれないが、それだけ自分の寄付が寄付先の自治体で活用してもらえる面を、評価してもらえるとよいだろう。 ふるさと納税制度の見直しは、今年末までに与党税制調査会で議論され、早ければ2019年の通常国会に地方税法改正案を提出、可決されれば、4月から適用されることになる。ぜひ実のある制度に見直してもらいたい』、遅過ぎたきらいはあるが、きちんと見直しを成立させるべきだ。

次に、これに対する反対意見として、日経新聞出身の経済ジャーナリストの磯山 友幸氏が9月21日付け日経ビジネスオンラインに掲載した「ふるさと納税の見直しは「愚策」 総務省にとっては「目の上のたんこぶ」に」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/report/15/238117/092000085/
・『野田聖子総務相が制度見直しを表明  野田聖子総務相が9月11日の記者会見で表明した「ふるさと納税」の制度見直し方針が、大きな波紋を呼んでいる。 「ふるさと納税制度は存続の危機にあります。このまま一部の地方団体による突出した対応が続けば、ふるさと納税に対するイメージが傷ついて、制度そのものが否定されるという不幸な結果を招くことになりかねません」 野田総務相はこう述べて、制度見直しの必要性を強調した。 野田氏が言う「突出した対応」というのは、一部の自治体が高額の返礼品を用意することで、巨額のふるさと納税(寄付金)を集めていること。昨年度に寄付受け入れ額トップに躍り出た大阪府泉佐野市は特設のふるさと納税サイトを設け、約1000種類もの返礼品を取りそろえ、135億円もの寄付を集めた。前年度に比べて100億円も増加した。 あたかも通信販売サイトのような泉佐野の返礼品サイトが人気を集めたのは、「泉州タオル」などの地場製品に限らず、近江牛や新潟産のコメ、北海道のいくら、ウナギなど全国の逸品を取りそろえたこと。食品だけでなく、ホテルの食事券や航空券が買えるポイント、日用雑貨など様々だ。 これまでも地元特産の牛肉や海産物、果物などを返礼品としていた自治体が寄付額上位に名を連ねていたが、泉佐野は「地元産」という枠を一気に取り払ったことで、返礼品を求める人たちの寄付を集めたのだ。 総務省は2017年4月と2018年4月に総務大臣名の通達を出し、寄付金に対する返礼品の調達額の割合を3割以下に抑えることや、地場産品でない返礼品を扱わないよう自治体に「通知」してきた。ところが、要請に応じないどころか、泉佐野のように「開き直る」ところまで出てきたことで、いよいよ規制に乗り出すことにした、というわけだ。 野田氏は会見で「これまでと同様に見直し要請を行うだけでは自発的な見直しが期待できない状況」だとして、「過度な返礼品を送付し、制度の趣旨を歪めているような団体については、ふるさと納税の対象外にすることもできるよう、制度の見直しを検討する」としたのだ。 これに対して、地方自治体からは反発する声が上がっている。自治体が疑問視するのは、「調達額3割」の妥当性や、「地場産品」の定義である』、制度の恩恵を受けてきた地方自治体が反発するのは当然だが、その言い分をみてみよう。
・『「地場産品」の定義はどうなる?  調達額3割については、自治体がふるさと納税の返礼品用に地場産品を買い上げることで、産業振興につながっているのに、なぜ3割とするのか。寄付という税収の使い道を総務省がとやかく言うのは、そもそも地方自治の本旨に反するのではないか、というわけだ。 また、「地場産品」についてはその定義をどうするのか、という問題もある。地元に工場がある大手電機メーカーの製品は地場製品なのか、最終製品は米国製の電話機かもしれないが、その部品は地場の工場で作っている、といった主張もある。また、牛肉やうなぎなどでも、途中までは他地域や外国で育ったものもある。 総務省が一律に基準を押し付け、それに従わない自治体は制度から除外するという「上から目線」のやり方に反発する声も多い。 総務省はかねてから高額返礼品への批判を繰り返してきた。それがここへ来て強硬手段をちらつかせるようになったのには、明らかに総務省としての事情がある。 ふるさと納税の受け入れ額は2017年度で3653億円。2014年度は388億円だったので、この3年で10倍近くになった。ふるさと納税は2008年に導入されたが、時の総務大臣は菅義偉・現官房長官。菅氏の後押しで実現したが、当初から総務省自体は導入に消極的だったとされる。 ふるさと納税の発想の根源は、東京に一極集中している税収を地方に分散させることにある。東京に住んで働く人が自らの意思でふるさとに税の一部を納めるというものだった。最終的には寄付という形が取られたが、税収を納税者の意思で移動させることができると言う点では、当初の発想どおりになった。 もともと地域間の税収格差を調整する仕組みとして、地方交付税交付金制度がある。この分配は総務省が握っており、これが総務省が地方をコントロールする権益になっているのは間違いない事実だ。ふるさと納税で、納税者の意思が税収再分配に反映されるようになると、もともとの総務省の利権に穴が開く。 2008年にふるさと納税が導入された年はわずか81億円で、15兆円を超える地方交付税交付金からすれば微々たる金額だった。それが急激な伸びで無視できない存在になってきたのだ。2016年度の地方税収は39兆3924億円で、仮におおむねの上限とされる2割がふるさと納税で動いたとして8兆円になる。それから比べれば昨年の3653億円はまだまだごく一部ということだが、返礼品競争が激しさを増し、納税者の関心をひくことになれば、さらに爆発的にふるさと納税が増えることになる。そんな危機感を総務省は持っているのだろう』、確かに菅義偉・現官房長官に押し切られて制度を導入した総務省には、「もともとの総務省の利権に穴が開く」ので危機感を強めたのは事実だろう。「地場産品」の定義も難しいのもその通りだ。しかし、かといって制度を大きく逸脱した返礼品競争の放置を暗に主張している磯山氏の主張は、日経新聞記者出身とは思えない粗さが目立つ。ひょっとして菅義偉・現官房長官への「忖度」が働いているのではとすら思える。
・『地方の消費を下支えする効果は無視できない  では、本当に通達に従わない自治体を対象から除外するような立法が可能なのだろうか。仮に一部の自治体への寄付を控除対象として認めないとした場合、寄付する納税者の側に大混乱をもたらすに違いない。また「3割」や「地場産品」といったルールの具体的な基準を明記しないと、法律としては成り立たないだろう。 総務省は今回の「警告」によって多くの自治体が3割以下に返礼品の調達額を抑えたり、地場産品でないものの取り扱いを止めることを期待しているに違いない。11月に再度の調査を行うとしており、それまでに改善されれば、法改正の動きは立ち消えになるかもしれない。10月には内閣改造も予想されており、野田総務相の交代も噂される。 結局は、自治体に自制を促すための「警告」にとどまり、ふるさと納税の仕組みが大きく変わることはないだろう。 ただし、一方で、納税する側の意識変革も必要になるかもしれない。このふるさと納税が本当にその自治体を応援することになるのか、返礼品が魅力的かどうかだけでなく、税の使われ方として正しいかどうかも重要な判断基準にすべきだろう。 もっとも、高額返礼品人気は、低迷している地方の消費を下支えする効果があることも忘れてはいけない。その自治体に住んでいない人が返礼品を目的に寄付をすることで、その地域内で返礼品が買い上げられ、地域の「消費」が上向くことになる。一種の「インバウンド消費」である。 消費を盛り上げるために、むしろ返礼品の金額を引き上げて、地域での購入額を積み増すのも景気対策として意味があるのではないか。いったん税金として集めてそれを産業振興予算や景気対策などに配るよりも、ふるさと納税(寄付)というすぐに現金が入ってくるものを、地場の産業に回した方が即効性がある、とみることもできる。しかも、首長や議会などが補助金の助成先を決めるよりも、返礼品として人気のある商品の企業に直接恩恵が及ぶ方が、競争原理が働き、地域活性化に役立つとも考えられる。 災害が多発する中で、ふるさと納税の仕組みを活用して被災地を支援する取り組みも広がっている。そうしたふるさと納税には返礼品はなしというものも多い。返礼品がなくても、税金(寄付金)の使われ方が明確なものに対しては、応援しようと言う納税者も増えているということだろう。 ふるさと納税を巡る論議を、税金の使われ方をどう透明化し、そこに納税者の意思をどうやって反映させるかを考えるきっかけにすべきだろう。分配権限を握る総務省にとっては、ますますふるさと納税は目の上のたんこぶになっていくに違いない』、野田総務相の後任の大臣も同様の主張をしていり、「立ち消え」にはならなかったようだ。ふるさと納税の税収を大きく上げたところは、地場産品を殆ど取り入れてないので、「地方消費下支え効果」は期待できる筈もない。お粗末極まりない主張だが、参考までに紹介した次第である。

第三に、1月24日付けダイヤモンド・オンライン「ふるさと納税「違反自治体」に寄付殺到!返礼品競争が制御不能に」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/191745
・『『週刊ダイヤモンド』1月26日号の第1特集は「バラマキ7000億円を取り戻せ!!最新税攻略法」です。自分で選んだ自治体に寄附をすることができる、ふるさと納税。所得税や住民税の還付・控除が受けられるほか、豪華な返礼品が注目されていますが、競争が激しくなるにつれその返礼品が年々過激になってきています。そこで政府は、昨年一部“違反”自治体に自粛を求める通知を送りました。 「依然として一部団体で、返礼割合が高い返礼品をはじめ、ふるさと納税の趣旨に反するような返礼品が送付されている状況が見受けられます」「仮にこのような状況が続けば、ふるさと納税制度全体に対する国民の信頼を損なうこととなります」 昨年4月、一部自治体で依然として続く過剰な返礼品競争をめぐって、自粛を求める通知を自治体に送った総務省。その後も過熱ぶりが一向に収まらない状況に業を煮やし、同年7月には(1)返礼割合が3割超、(2)地場産品ではない返礼品を送付している、(3)同年8月までに見直す意向がない――などとして、大阪府泉佐野市や佐賀県みやき町など12の自治体名の公表に踏み切った。 名指しされた自治体では、総務省の動向に一段と神経をとがらせているかに思えたが、実際には笑いが止まらなかったようだ。なぜなら、返礼割合が高いなどと総務省が全国に広く「宣伝」してくれたことで、一部の自治体では寄付が急増したからだ』、総務省の注意喚起が逆にPRになったとは皮肉だ。
・『その後、ついに総務省は通知に反する行為を続ける自治体を、寄付金控除の対象から外す方針を決定。今年6月以降は、違反する自治体にふるさと納税で寄付をしても控除を受けられなくなるよう、今春までに法改正することになり、泉佐野市をはじめ名指しされた自治体からは怨嗟の声が上がった。 一方で、控除対象を決める5月まではまだ猶予があるとみた自治体では、駆け込むようにして家電製品や金券を返礼品として大量投入したり、果ては監視の目をくぐり抜けようと「ゲリラサイト」を開設し、豪華な返礼品で寄付を集めるとすぐに消去したりと、やりたい放題だった』、駆け込む自治体が出たとは、自治体もしたたかだ。
・『総務省と自治体によるいたちごっこ 過剰返礼品  さらに、通知の抜け穴を探るような手法も登場している。食品などの返礼品と合わせて、寄付額に応じてインターネット通販大手のアマゾンの「ギフト券」を送り、実質的な返礼割合が3割を超えるようにするといった手法だ。 各自治体の返礼品を載せる一部のポータルサイトが、キャンペーンと称し自治体に知恵を付けて支援したこともあり、同手法は一気に拡散。昨年末に総務省が慌てふためき「不適切」と指導し、違反した自治体名を公表する結果となった。 これまでもポータルサイト上では、「ポイント還元10倍」などとして、寄付額に応じて独自のポイントを期間限定で付与するといったサービスが横行しており、ギフト券を規制したところで、もはやいたちごっこの状態といえる。 2000円を寄付するだけで豪華な返礼品を受け取れる制度は、納税者のみならず、返礼品を提供している地方の事業者にとっても恩恵が大きいが、制度のありようが問われているのも間違いない。(次頁に「ふるさと納税の概要」の図)』、「ギフト券」や「ポイントサービス」なども含め、無駄な実質的な返礼競争は法改正で止めさせるべきだろう。

第四に、2月18日付け日経ビジネスオンライン「泉佐野の100億円還元に「許せない」、地方同士の戦いへ」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/gen/19/00002/021500093/
・『大阪府泉佐野市が打ち出した、ふるさと納税の寄付者にアマゾンのギフト券を配る「100億円還元」に対し、自治体の間で反発が強まっている。ふるさと納税の返礼品をめぐっては、これまで総務省と自治体、都市部の自治体と地方の自治体といった対立構図が目立っていた。ここに来て、地方の自治体同士の反目が鮮明になっている。 「あれでうちの税収も奪われるのは許しがたい」。ふるさと納税サイト運営のトラストバンクが13日に都内で開いた勉強会で、青森県三戸町の担当者が憤った。「アマゾン100億円還元」に対して「本来の行政がやるべきことでない」などと反発する声が相次いだ。 自分の選んだ自治体に寄付をすると、自己負担の2000円を超えた金額が上限付きで、所得税や住民税から控除されるふるさと納税は、2008年度にスタート。当初から高級和牛やカニといった、各自治体が寄付者に用意する豪華な返礼品で話題を集めていた。 制度は15年度に爆発的に広まった。納税先が5自治体以内であれば、確定申告をしなくても控除が受けられる「ワンストップ特例制度」の導入がきっかけだ。全国の寄付総額は前年度の388億円から1652億円にまで急増した。 返礼品競争も過熱し、地元に関係のない高級食材や家電製品、商品券などで寄付を集める自治体が増え、カタログギフトショッピングの様相に。地方の振興に資する寄付税制という本来の趣旨からは大きく逸脱していく。 当初は特産品に乏しい都市部の自治体に不満が募っていた。住民が地方にふるさと納税をすれば、自らの税収を奪われるのと同じだからだ。東京都世田谷区など都市部の自治体を中心に行き過ぎた返礼品競争に懸念の声が上がっていた。 その後、返礼品の充実に力を入れる自治体と、カタログギフトショッピングのようになった事態を重く見る総務省との対立が激しくなった。大臣名で返礼品の自粛を度々要請。調達費用を寄付額の3割以内に抑えることや、高額だったり換金性が高かったりするものなどを送らないよう求めてきた。 昨年末に決着した19年度税制改正では、ふるさと納税に初めて“規制”が導入されることになった。今年6月以降は、制度の趣旨に基づいたルールを守らない自治体は制度の対象外になる。泉佐野市の「100億円還元」は、閉店キャンペーンとうたっているように、まさに規制強化直前の駆け込みを狙ったもの。なりふりを構わない手法に反発は強まっており、地方対地方という新たな構図で軋轢を生んでいる』、「泉佐野市の「100億円還元」は、閉店キャンペーンとうたっている」とは、居直りの極致だ。外野席には面白くても、真面目にやっている自治体には腹立たしい限りだろう。確実に実効性ある法改正をしてもらいたいものだ。
タグ:泉佐野市 東洋経済オンライン ふるさと納税制度 日経ビジネスオンライン ダイヤモンド・オンライン 磯山 友幸 土居 丈朗 (その3)(ふるさと納税は、制度見直しでどう変わるか 野田総務相が自治体の競争過熱に「待った」、ふるさと納税の見直しは「愚策」 総務省にとっては「目の上のたんこぶ」に、ふるさと納税「違反自治体」に寄付殺到!返礼品競争が制御不能に、泉佐野の100億円還元に「許せない」 地方同士の戦いへ) 「ふるさと納税は、制度見直しでどう変わるか 野田総務相が自治体の競争過熱に「待った」」 野田聖子総務相は「ふるさと納税」制度を見直す方針を発表 返礼品競争の過熱が以前から問題視 返礼割合をどのぐらいにするかは、各自治体の判断で決められる 返礼割合3割超の返礼品を送付している自治体は 9月1日現在では246団体 地場産品でない品物を返礼品としているのは、190市町村 通知を守らない自治体を控除対象から除外へ 3割以下になっていることを根拠をもって示さなければならないこととなる 根拠は当然ながら、住民・国民に広く公表 知事や市町村長は、返礼品について「やましいことがない」と、しっかりと議会で説明しなければならない ふるさと納税制度の透明化が進む可能性 2019年の通常国会に地方税法改正案を提出 可決されれば、4月から適用 「ふるさと納税の見直しは「愚策」 総務省にとっては「目の上のたんこぶ」に」 特設のふるさと納税サイトを設け、約1000種類もの返礼品を取りそろえ、135億円もの寄付を集めた。前年度に比べて100億円も増加した 「地場産品」の定義はどうなる? 総務大臣は菅義偉・現官房長官。菅氏の後押しで実現したが、当初から総務省自体は導入に消極的だった ふるさと納税で、納税者の意思が税収再分配に反映されるようになると、もともとの総務省の利権に穴が開く 地方の消費を下支えする効果は無視できない 違反自治体」に寄付殺到!返礼品競争が制御不能に」 礼割合が高いなどと総務省が全国に広く「宣伝」してくれたことで、一部の自治体では寄付が急増したからだ 通知に反する行為を続ける自治体を、寄付金控除の対象から外す方針 控除対象を決める5月まではまだ猶予があるとみた自治体では、駆け込むようにして家電製品や金券を返礼品として大量投入したり、果ては監視の目をくぐり抜けようと「ゲリラサイト」を開設し、豪華な返礼品で寄付を集めるとすぐに消去したりと、やりたい放題だった 総務省と自治体によるいたちごっこ 過剰返礼品 アマゾンの「ギフト券」を送り、実質的な返礼割合が3割を超えるようにするといった手法 独自のポイントを期間限定で付与するといったサービスが横行 「泉佐野の100億円還元に「許せない」、地方同士の戦いへ」 ここに来て、地方の自治体同士の反目が鮮明に 「あれでうちの税収も奪われるのは許しがたい」 制度は15年度に爆発的に広まった。納税先が5自治体以内であれば、確定申告をしなくても控除が受けられる「ワンストップ特例制度」の導入がきっかけだ 全国の寄付総額は前年度の388億円から1652億円にまで急増した 地元に関係のない高級食材や家電製品、商品券などで寄付を集める自治体が増え、カタログギフトショッピングの様相に 泉佐野市の「100億円還元」は、閉店キャンペーンとうたっている 規制強化直前の駆け込み
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