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日本の政治情勢(その34)(今の日本をNYタイムズ紙が「独裁国家」と表現するのは当然、「安倍やめろ」で即排除 首相演説を“言論封じ”で守る矛盾、参院選「特定枠」の想像以上にひどい現実 自分の名前連呼せず 「付け足し」候補の悲哀、小田嶋 隆:誰かを落とすための一票だってある) [国内政治]

日本の政治情勢については、7月9日に取上げたばかりだが、参院選投票日も近づいた今日は、(その34)(今の日本をNYタイムズ紙が「独裁国家」と表現するのは当然、「安倍やめろ」で即排除 首相演説を“言論封じ”で守る矛盾、参院選「特定枠」の想像以上にひどい現実 自分の名前連呼せず 「付け足し」候補の悲哀、小田嶋 隆:誰かを落とすための一票だってある)である。

先ずは、元外交官で外交評論家の孫崎享氏が7月12日付け日刊ゲンダイに寄稿した「今の日本をNYタイムズ紙が「独裁国家」と表現するのは当然」を紹介しよう。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/258084
・『「日本は独裁国家か」――。国内外の多くの人が日本は民主主義国家だと思ってきた。そのため、今日まで「日本は独裁国家か」という質問すら、あり得なかった。 しかし、世界で最も権威のある新聞の一つ、ニューヨーク・タイムズ紙が5日、日本を「独裁国家」と表現した。重要なので翻訳する。〈日本は憲法によって報道の自由がうたわれている近代民主主義国である。本来ジャーナリストが『国家の敵』とみなされるような国ではない。だが、記者が記者会見に臨むのを拒否したり、記者を懐柔するため、政治家と記者との間でクラブ的関係を使う等、日本政府は時々、独裁国家を想起させる方法で行動する〉』、昨日のこのブログ、「安倍政権のマスコミへのコントロール(その11)」でも、紹介した通りである。
・『民主主義の根幹に「報道の自由」がある。「報道の自由」のない国に民主主義はない。その「報道の自由」に対して、さまざまな国際機関が日本の状態に警鐘を鳴らしている。 「国境なき記者団」は毎年報道の自由度についてのランキングを発表しており、今や日本は67位である。日本の前後にどのような国があるかといえば、59位にポーランド、60位にジョージア、61位にアルメニア、62位にハイチ、63位にボスニア・ヘルツェゴビナ、64位にクロアチア、65位にギリシャ、66位にニジェール、68位にマラウイである。いずれも世界的に独裁国家と評されたことのある国々であり、日本人が「仲間」と考えているであろう北欧やオランダ(4位)、スイス(6位)やドイツ(13位)は同じグループにいない。 今の日本は「忖度社会」といわれる。しかし、この忖度は、個々人が自由な判断で忖度しているのではない。政府の厳しい「アメとムチ」の中で社会全体が忖度を選択しているのである。安倍政権への隷属姿勢をとらなければポストを外され、隷属すればポストが与えられる。こういう状況が社会の隅々まで浸透している。その「アメとムチ」が最も厳しく実施されているのが、日本メディアと各省庁なのである』、最後の部分はその通りだろう。
・『2017年8月2日。福田元首相は「各省庁の幹部は皆、官邸(の顔色)を見て仕事をしている。恥ずかしく、国家の破滅に近づいている。忖度以上のことをしようとすり寄る人もいる。能力のない人が偉くなり、むちゃくちゃだ」と発言したが、この発言が指している状況は報道機関でも変わらない。日本はひたすら破壊に向かって進んでいるといえ、ニューヨーク・タイムズ紙が「独裁国家」と表現したのも当然である』、「福田元首相」までが官邸による各省庁支配を、「恥ずかしく、国家の破滅に近づいている」批判するとは驚かされた。「国家の破滅」とは、恐らく「民主主義国家の破滅」の意味だろう。

次に、7月18日付け日刊ゲンダイ「「安倍やめろ」で即排除 首相演説を“言論封じ”で守る矛盾」を紹介しよう。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/258517
・『15日のJR札幌駅前での安倍首相の演説中、肉声でヤジを飛ばした男性が警官にいきなり強制排除された。ネット上では〈言論封じだ〉と大炎上している。 排除された本人のソーシャルメディア「note」によると、安倍首相が好き勝手に権力を行使し、庶民生活が苦しくなる状況に怒りを感じていたところ、自分の住む札幌に安倍首相が来るというので〈直接文句を言う、またとないチャンスだ〉と演説会に向かった。 安倍首相が話し始めても周囲からヤジは聞こえない。覚悟を決め、自分が「帰れ」「やめろー」と叫ぶと、聴衆が一瞬ざわつき、ものすごい速度で警官が駆け付けた。あっという間に体の自由が奪われ、強制的に後方に排除されたという。 「増税反対」と声を上げた女性1人も同様に排除された』、単に「ヤジを飛ばした」だけで、「あっという間に」「強制的に排除された」というのは、いくら何でも行き過ぎだ。東京都議選最終日の秋葉原での安倍首相への「安倍やめろ」コールによほど懲りたのか、最近は応援演説日程も非公開になったようだ。警備強化の指示も出ていたのかも知れない。
・『公選法で規制される演説妨害は、演説を聞き取れなくするような行為を指す。肉声で、しかも言った瞬間での強制排除は言論封じにしか見えないが、警察は野党の演説については甘い。12日、山本太郎代表(れいわ新選組)は京都で共産候補の応援演説をした。 「演説が始まると男性が拡声器を使ってヤジを始めた。警察官がやってきたが、取り囲むだけで演説が終わるまでの約20分間ヤジは続けられた」(現場で目撃した男性) 演説者が安倍首相だと肉声でも即排除、山本太郎氏なら拡声器でも野放しということだ。 北海道警は「トラブルや犯罪を未然に防止するため措置を講じた。事実関係は確認中です」(広報課)と答えたが、いくら何でもやり過ぎだ。 「7日の中野駅前の安倍首相の演説で、〈安倍やめろ〉の大合唱になった。それを受けて、道警は〈ヤジがあってはならない〉と過剰に反応してしまったようです。2人もいきなり排除したのはさすがにやり過ぎだとの声が政府内からも上がっています。選挙戦最終日に予定されている首相の秋葉原演説で、ヤジにどう対応するのか官邸は頭を抱えています」(官邸担当記者) 聴衆の声に対して、力ではなく、言葉で向き合えないものか』、「2人もいきなり排除したのはさすがにやり過ぎだとの声が政府内からも上がっています」、というのは正常な判断だ。明日に予定されている「首相の秋葉原演説」は、どうなるのだろうか。

第三に、東洋大学教授の薬師寺 克行氏が7月19日付け東洋経済オンラインに寄稿した「参院選「特定枠」の想像以上にひどい現実 自分の名前連呼せず、「付け足し」候補の悲哀」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/292607
・『ちょうど1年前、当時の国会で審議され成立した公職選挙法の改正により、参院選比例区に「特定枠」が新設された。 その際、特定枠という制度がいかにひどいものかということをこの欄で取り上げたが、そのときは制度として多くの矛盾や問題がある点を指摘するにとどまった。ところが参院選が公示され、候補者が実際に活動を始めると、特定枠が生み出す現実は想像以上にひどいようだ』、「特定枠」のことはすっかり忘れていた。どんなに酷いのだろう。
・『特定枠候補は選挙区候補の「下働き」に  今回の参院選に特定枠で立候補したのは自民党が2人、「れいわ新選組」が2人の合計4人だった。候補者が少ないこともあってマスコミは特定枠について詳しく報じていないが、東京新聞が自民党の2人の特定枠候補を記事にしている(7月12日付朝刊など)。それに合わせて筆者も取材を受けたが、場当たり的な制度いじりがここまで選挙を歪めるのかと驚かされた。 自民党の特定枠候補は、選挙区が合区となった「鳥取・島根」と「徳島・高知」の2人で、候補者を出せないほうの県から立候補している。特定枠の制度上、2人は自民党比例区の当選順位の1位と2位に位置づけられるので、当選することは間違いない。 ほかの候補者のように一生懸命、選挙運動をしなくても当選するのであるからさぞかし喜んでいるかと思いきや、東京新聞のルポは候補者自身や支持者がこの制度の問題点や矛盾をいやというほど感じていることを伝えている。 「島根県枠」で特定枠候補となった元衆院議員の三浦靖氏(比例中国ブロック)は、「自分の選挙活動はほぼ何もできない」と話し、鳥取・島根選挙区に立候補した候補者の応援に徹しているという。特定枠候補は公職選挙法によって選挙事務所の設置や選挙カーの使用、ポスターの配布や掲示、さらには個人演説会も禁止されている。 つまり自分のための選挙運動はほぼすべてできない。したがって秘書や支持者も、選挙区候補の運動の下働きのようなことしかできなくなっているのだ。 「徳島県枠」の候補となった現職の参院議員、三木亨氏も選挙区候補の支援に徹している。三木氏は2013年に初当選したが、今回は自分の名前の連呼ができないまま当選することになる。次の参院選挙は2025年であるからこのままだと12年間、選挙運動ができない。「自分の名前を覚えてもらえないという不安はある」と語るのも、もっともなことだろう。 もちろん2人は全国を対象とする比例区の候補者だが、地元を出て活動をすることもない。あくまでも特定地域の代表なのである。 新聞に掲載された自民党比例区候補の広告での特定枠候補の扱いもひどいものだ。安倍首相の大きな写真とともに、31人の比例区候補者の顔写真と肩書などが一覧として並んでいる。ところが、特定枠の2人は、最下段に顔写真なしで名前と肩書だけがとってつけたように記されていた』、「特定枠候補は公職選挙法によって選挙事務所の設置や選挙カーの使用、ポスターの配布や掲示、さらには個人演説会も禁止されている」、選挙の洗礼を受けられない議員というのは、果たして議員といえるのか疑問だ。
・『特定枠候補が受ける、さまざまな冷遇の中身  特定枠候補は当落では優先的扱いを受けるが、選挙中の扱いは完全な付け足しでしかない。そもそも選挙は候補者の名前や顔とともに、政策や主張などを含め、どういう人物かを広く有権者に知ってもらうことで成り立っている。したがって、特定枠のように、意図的に候補者を見えなくするのは選挙とは言えない。そして、大半の有権者は特定枠という複雑怪奇な制度を知る機会もないまま投票日を迎えるだろう。 そもそも特定枠は、参院選で2つの県を1つの選挙区にする合区に伴い、議席がなくなってしまう側からの不満に対応するために作られた制度だ。建前上、自民党は地方を重視しているのだという姿勢を見せることになるはずだが、実際には特定枠候補はさまざまな「冷遇」を受けている。2人の地元支持者は、このことをどこまで知っているのだろうか。 一口に国会議員と言っても現行法では当選の仕方にいくつもの種類がある。衆院議員の場合、①小選挙区で当選②比例区で当選③小選挙区で落選したが、重複立候補した比例区で復活当選、の3種類の議員がいる。参院も①選挙区で当選②比例区で当選③比例区の特定枠で当選、とやはり3種類になる。 どういう選挙で当選しようが議員であることには変わりない。歳費などの差もない。しかし、政治の世界はそれほど単純ではない。とくに長く政権を担っている自民党は複雑である。 衆院議員はまず、小選挙区での当選を最優先する。小選挙区当選議員は比例区議員よりも、ましてや復活当選議員よりも格が上という意識がある。実際、比例区復活当選した議員が、落選した小選挙区での当選者が亡くなったり失職した場合に行われる補欠選挙に、衆院議員を辞職して立候補するというケースは多い。衆院議員をやめて衆院議員の補欠選挙に立候補するというのであるから、わけがわからない話である。 2000年代初め、衆議院の綿貫民輔議長(当時)が、補欠選挙への立候補を理由として、ある衆院議員の辞職願を受理しなかったことがある。残念ながら、綿貫議長の問題提起は真剣には受け止められないまま今日に至っている。 また、自民党内には参議院より衆議院が格上という意識が根強い。これまでの自民党総裁は全員が衆院議員であり、主要派閥の会長も大半が衆院議員だ。閣僚の数も圧倒的に衆院議員が多い。そのため党内で力を持つために参院議員から衆院議員に鞍替えを目指す議員も珍しくない。 背景には参院は「良識の府」であって、権力闘争は衆院議員のやることという不文律のようなものもあるようだ。 その参院で今回誕生する「特定枠議員」が周囲からどう見られるかは明らかだろう』、「合区に伴い、議席がなくなってしまう側からの不満に対応するために作られた制度」、如何に妥協のためとはいえ、選挙制度の基本に矛盾するような「特定枠」はやはり作るべきではなかった。
・『特定枠候補を増やすこともいずれ限界に  選挙制度は国民が理解しやすい単純なものがよいに決まっている。ところが、自民党は選挙制度を場当たり的に改正し、複雑でわかりにくいものにし続けてきた。その結果、議員の種類が増え、一種の議員格差を生みだし、政治をますますわかりにくくしている。 参院比例区の特定枠は今後どうなっていくのであろうか。東京などごく一部の地域の人口増が続く一方で、大半の地域の人口の減少は続いている。その結果、1票の格差が拡大し続け、遠からず再び違憲状態になってしまうことは確実だ。 ところが議員の既得権を守りたい政治の世界は、最高裁判所が求めるような抜本的改革には手を付けようとしない。自民党は憲法改正で「都道府県から最低1人ずつ、議員を選ぶ」案を盛り込み、1票の格差問題を解消しようと提案しているが、もちろん見通しは立っていない。 人口増の選挙区の議員定数を増やせば違憲状態は一時的には解消できるが、人口減少時代に議員定数を増やすことに国民は納得しないだろう。そうすると、できることは新たな合区を作ること。合区の対象となった県で、自民党は特定枠候補を増やし続けるのだろうか。しかし、非拘束名簿式が原則の比例区の候補者の中に、上位当選が保障される特定枠候補を増やしていくことは、いずれ限界に達するであろう。 1票の格差解消策としての合区は、わかりやすくかつ合理的な制度である。ほかにいい案がないのであれば、特定枠のような余計な手立てを講じず、単純な制度改正を進めていくしかないだろう』、結論部分はやや分かり難い。私は、枝葉を取り払って、「1票の格差解消策としての合区」は、「特定枠のような余計な手立てを講じず、単純な制度改正を進めていくしかないだろう」、とストーレートに主張したい。

第四に、コラムニストの小田嶋 隆氏が7月19日付け日経ビジネスオンラインに寄稿した「誰かを落とすための一票だってある」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00116/00031/?P=1
・『投票日も近いことなので、今回は選挙関連の話をする。 この話題は、おそらく荒れるだろう。 もちろん、読者の圧倒的多数が、黙って読んでくれる穏当な人たちであることは承知している。 ただ、インターネット上に公開されたテキストを取り巻く空気は、ごく少数の「声の大きい人たち」が作り上げる決まりになっている。であるから、揮発性の高い選挙の話題を含む文章は、毎度のことながら、あっという間に炎上する。そういうことになっている。 選挙の場合とは逆だ。 どういうことなのかというと、選挙の結果を左右しているのは、熱心な政党支持者による個々の一票であるよりは、むしろ最大多数を占める「投票に行かない人たち」の「投じられなかった票」だったりするということだ。それゆえ、皮肉なことだが、21世紀に入ってからこっちの、投票率が頭打ちの状況にあるわが国の選挙の結果は、「投票所にやって来なかった人たち」の巨大な沈黙を反映して、毎度毎度、「声のデカい人々」の蛮声を増幅する結果に落着している。 すぐ上のパラグラフは、ちょっとわかりにくい書き方になっている。 言い直してみる。 私は「投票に行かない最大多数の有権者による声なき声が世界を動かしている」と言いたかったのではない。 逆だ。私が強調したいと思っているのは「投票に行かない最大勢力である無党派層という人々の巨大な沈黙が、必ず投票に行く少数の極端な考えを抱いた人々の声を過度に強調する結果をもたらしている」ということで、つまりこの話のキモは、「黙っていると、短絡的で声のデカい少数派の好きなようにされてしまうよ」というところにある。 ただ、この話をあんまりくどくどと繰り返すのは得策ではない。 というのも、政治に対してシラけた気持ちを抱いている若い人たちは、選挙の度に繰り返される年長者によるおためごかしの説教にうんざりしているはずだからだ。 先週の今頃、以下のようなツイートを放流した。《若い人たちに投票を促すのに「説教」(君らのためなんだぞ) 「脅迫」(行かないとひどいことになるぞ) 「挑発」(老人の天下になっても良いわけだな?) 的なツイートを発信する人たちがいますが、どれも「若者は現状を把握できていない」と決めつけている点で失礼だし、逆効果だと思います。6:46 - 2019年7月10日》 若年層の投票率が長らく伸び悩んでいることの背景には、選挙の度にインターネット上の画面を埋め尽くす「激越な言葉」に対する、あらかじめの疲労感がある。 もう少し丁寧な言い方をすれば、令和の日本人が政治の話題を嫌うのは、政治そのものを忌避しているからというよりは、「論争的な場所に関与せねばならない機会」を何よりも恐れているからだということでもある』、情けない話だ。
・『上のツイートを書いた同じ日に、私は、引き続き以下のツイートを連投している。《私自身、投票に行かなかった時代、何がいやだといって上から説教されるのが一番不快でした。現状を把握できていない若者がいないとはいいませんが、彼らを投票から遠ざけている最大の理由は、日常の中で政治が忌避されているからです。選挙の時だけ「政治的になれ」と言われてもシラけます。6:48 - 2019年7月10日》 《10~20代の若い世代は、同世代のコミュニティの中で「政治的に振る舞う人間は面倒くさい」という認識を共有しています。さらに就活や入試の面接では、「政治・宗教に関する話題はタブー」であることを強く印象付けられます。こういう中で暮らしている人たちに「選挙に行け」と言うこと自体無理です。9:59 - 2019年7月10日》 政治への忌避感を持たされているのは、平成生まれの若者に限った話ではない。 この50年ほど、子供たちは、大人に成長していく過程の中で、最も身近な大人である両親や教師から、 「政治にはかかわらないほうが無難だぞ」「政治について考えるのはかまわない。ただし、他人のいる場所で政治的な発言をすると必ず友達を失うことになることは覚えておいたほうがよい」「いいかね。政治について語る人間とは距離を置くのが賢い処世なのだよ」てな調子で、こと政治と宗教については「知らないふり」「考えていないふり」を押し通しておくのが要らぬトラブルを避ける賢明な態度である旨をそれとなく聞かされながら育ってきた。 そんなふうに、なにかにつけて 「目立つな」「声をあげるな」「黙って大勢に従ったふりをしておけ」「本音とかは広告の裏にでも書いとけ」と言ってくるその大人たちが、あらまあびっくり、ひとたび選挙がはじまると態度を一変させて、 「政治は大切だよ」てなことを言い出す。 もっとも子供たちに政治的な振る舞い方を要求するのは、彼らの身近にいるリアルな大人ではない。テレビに出てくる文化人や、新聞の紙面で説教を垂れている「有識者」と呼ばれる、たぶんに芝居がかったロール(役割)としての「大人」だ。 彼らは 「投票を通じて自分の声を政治に反映させましょう」「無投票、白票は、現体制への承認と同様に解釈されるのですよ」「若い世代の投票率の低さが、老人優先の政策選択を招いています」てな調子で、作り声の政治賛美演説を押し付けてくる。 言われる側の若者にしてみれば、「うるせえ」と思わないほうがおかしい』、大人の「政治」に対するダブルスタンダード的な姿勢が、若者を遠ざけているというのは、その通りなのかも知れない。
・『私自身、長らく「うるせえばか」と思っていた。 じっさい、40歳になるまで、私は有効投票をしたことがない。 両親や周りの人間がグダグダうるさいので、投票所に足を運ぶところまでは付き合ったものの、どうしても候補者の名前を書く気持ちになれなかったからだ。 だから、投票用紙に自作の俳句を書き込んだり、好きなロックスターの名前を書いたりというカタチでその場をしのいでいた。 まあ、バカな話だ。弁解の余地があるとは思っていない。 ただ、ここで大切なのは、私が、単に「面倒くさいから投票には行かないよ」という消極的な理由で投票を回避していたのではない、ということだ。 現に私は何回か投票所に足を運んでいる。 それでもなお、私が有効な一票を投じなかったのは、私自身が、積極的に投票をボイコットする気持ちを持っていたということだ。 まあ、スネていたわけですね。 あなたの一票があなたの未来を作るのです的なおためごかしの演説に、なんだか猛烈に腹を立てていたということです。 はい。バカな反応でした。 反省しています。 ただ、40歳を過ぎた頃からは、毎回投票に行っている。 理由は、必ずしも一票の重みを自覚しはじめたからではない。 私が投票するようになったのは、メディアを通じて発言する機会を持つようになったことと関連している。 もう少し具体的に言うと、公共的な場所で、「言論人」に近い扱いを受けている人間が「えーと、選挙には行っていません」「えっ? 投票ならしてませんが?」みたいな発言を垂れ流すことが、絶対的に許されないことを、いくつかの機会を通じて思い知らされたからだ。 特にインターネットが普及してからは、 「オダジマは投票ボイコット組らしいぞ」「あいつ選挙にさえ行かないんだとさ」「そのくせ、政治には一家言あるみたいだぜ」「最悪だな」「クソだな」という感じの噂(まあ、半ば以上は事実だったわけだが)にずいぶん苦しめられた。 自業自得であることはよくわかっている。とにかく、私としては、説教のつむじ風みたいなコトバの塊が選挙の度に訪れることに閉口して、有効投票を実行する方向に方針変更した次第なのである』、小田嶋氏が、「40歳になるまで、私は有効投票をしたことがない」、「説教のつむじ風みたいなコトバの塊が選挙の度に訪れることに閉口して、有効投票を実行する方向に方針変更した次第」、などという告白には驚かされた。
・『そろそろ結論を述べる。 2日ほど前、以下のようなツイートを書き込んだ。《若い頃、自分が投票に行かなかった理由は、信頼できる政治家や支持できる政党を見つけられなかったからなのだが、20年ほど前から投票するようになったのは、「きらいな候補者を落選させ、不快な政党にダメージを与えるためには、当面、誰に投票すれば良いのか」という視点を得たからだと思っている。16:30 - 2019年7月16日》 このツイートは、意外に大きな反響を呼んで、これまでのところ、約4000件のRTと、7000件以上の「いいね」を獲得している。 反応してくれた人の全員が共感を抱いてくれたとは思っていないのだが、こういう考え方で投票するのもアリだという感想を通じて、何人かの投票回避派が、投票所に赴いてくれたらうれしい。 ことのついでに、絵に描いたような建前論を述べるなら、投票は、最も簡単で有効な政治参加だ。 その意味で、「投票」は「開票」で終了する動作ではない。 「選挙」自体も、「当落の決定」をもって決着するイベントではない。 政治における選挙の意味は、むしろ選挙期間が終わって、当選した議員が政治家としての第一歩を踏み出した時にはじまると言い換えてもよい。 じっさい「あいつはオレが投票した議員だ」ということになれば、おのずと見る目も違ってくる。 選挙の面白さは、投票した人間の思考や行動パターンが、ほかならぬ自らの投じた一票によって微妙に変化するところにある。 であるからして、選挙の時点で「死に票」を投じたのだとしても、一票の意味そのものは死なない。 投票した人間は、次の選挙までの間、自分の選挙区から選出された議員の一挙手一投足を、投票に行かなかった有権者よりはずっと真剣な目で監視することになる』、これはキレイ事過ぎる印象を受ける。不祥事を引き越した代議士で、辞職せずにいる人間も多いが、選挙民から辞職を迫られた例を思い出すことは出来そうもない。
・『自分が馬券を買っていない競馬中継のつまらなさを知っている人なら、逆の意味で見当がつくと思うのだが、なんであれ一票を投じておくことで、政治を見る目は、よりリアルになる。 最後に個人的な話をする。 この4月に投開票がおこなわれた統一地方選で、私が住んでいる地域では、区長選挙が実施された。選挙戦は、公示の時点で84歳になる現職と、新人で都議から転じた30代の候補者との一騎打ちになると見られていた。 私自身は、当初、この選挙について、さしたる関心を抱いていなかったのだが、ツイッターのタイムラインに流れてくる若い候補者の言動のいくつかを見るうちに、私は、彼を落選させなければいけないと考えるようになった。 というのも、若い候補者は、その時点で自分がいずれ国政に打って出ることを隠そうともしていなかったからだ。 「ってことは、うちの地域の区長のポストは、あんたにとって踏み台のひとつに過ぎないってことか?」と、住民として、そう受け止めないわけにはいかなかった。 もっとも、84歳の現職区長を積極的に支持できるのかというと、それも簡単なことではなかった。 年齢も年齢だし、それ以外にも、やがてめぐってくることがわかっていたはずの区長選に向けて、後継者を指名して後援会を一本化することができなかったのは、失態だと思ったからだ。 決め手となったのは、若い候補者を支持するアカウントが発した 《おい、東京都○区の若者、選挙行け! もしかしたら「将来の総理大臣の第一歩をオレは投票したんだぜ」と言えるかもしれねぇぞ》という高飛車なツイートだった。 こんな連中にうちの地域の大切なポストを踏み荒らされてはかなわない……そう思って私は、84歳の現職区長に投票した。 その私の一票は、結果として、投票した候補者が当選するという10何年かぶりの喜びをもたらした。 当選後3ヶ月を経過して、区長は、意外なほど元気に活躍している。 私自身は、まだ、支持とか応援というまでの気持ちには至っていないのだが、投票した責任は少し感じている。 誰かを落とすために投じた一票が、結果としてほかの誰かの政治生命を延命させることもある。 そうやって世界はまわっている。 区長にはがんばってほしいと思っている』、小田嶋氏のように当選後の活動を監視する選挙民が増えてくれればいいのだが・・・。
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日本の政治情勢(その33)(安倍首相の評価が真っ二つに分かれる「これだけの理由」、安倍首相「沖縄の基地を減らすことに尽力すべき」と発言した過去「アンチ・リベラル」という姿勢、「日本、独裁政権のよう」ニューヨーク・タイムズが批判、小田嶋氏:プチホリエモンたちの孤独) [国内政治]

昨日に続いて、日本の政治情勢(その33)(安倍首相の評価が真っ二つに分かれる「これだけの理由」、安倍首相「沖縄の基地を減らすことに尽力すべき」と発言した過去「アンチ・リベラル」という姿勢、「日本、独裁政権のよう」ニューヨーク・タイムズが批判、小田嶋氏:プチホリエモンたちの孤独)を取上げよう。

先ずは、東京工業大学教授(政治学)の中島 岳志氏が7月8日付け現代ビジネスに寄稿した「安倍首相の評価が真っ二つに分かれる「これだけの理由」 自民党のあり方を疑問視していた時期も」を紹介しよう。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/65698
・『いま権力の中心にある「自民党」とはどのような政党なのか? 安倍首相とはどんな人物なのか? これからの日本の選択を考える際の重要な指標となる、政治学者・中島岳志氏の最新作『自民党 価値とリスクのマトリクス』(スタンド・ブックス)。安倍首相を分析した章を特別公開!(初出:『論座』「中島岳志の『自民党を読む』」朝日新聞社)』、安倍首相の人物像とは興味深そうだ。
・『安倍晋三という政治家の「地金」  史上最長の首相在位期間が射程に入ってきた安倍晋三総理大臣。 肯定的な評価と否定的な評価に真っぷたつに分かれる人物ですが、どのようなヴィジョンや政策、特徴を持った政治家なのか、私たちははっきりとつかみ切れていないのではないでしょうか。 現役総理の著書をじっくり読むことで検証してみたいと思います。 安倍さんが著者として出している書籍は、共著を含めると基本的に以下の7冊です。 1『「保守革命」宣言― アンチ・リベラルへの選択』栗本慎一郎、衛藤晟一との共著 1996年10月、現代書林 2『この国を守る決意』岡崎久彦との共著 2004年1月、扶桑社 3『安倍晋三対論集 日本を語る』2006年4月、PHP研究所 4『美しい国へ』2006年7月、文春新書 5『新しい国へ― 美しい国へ 完全版』2013年1月、文春新書 6『日本よ、世界の真ん中で咲き誇れ』百田尚樹との共著 2013年12月、ワック 7『日本の決意』2014年4月、新潮社 このうち実質的な単著は『美しい国へ』の一冊です。『新しい国へ』はその増補版。『「保守革命」宣言』は共著。『この国を守る決意』、『日本を語る』、『日本よ、世界の真ん中で咲 き誇れ』は対談本。『日本の決意』は総理大臣としてのスピーチ集なので、必ずしも本人が書いた原稿ではないでしょう。 石破茂さんや野田聖子さんに比べて、安倍さんは著書の少ない政治家であり、その著書も第一次安倍内閣以前に出版されたものが大半です。かつ、主著である『美しい国』も、過去の本などからのコピペに近い部分が散見されます。 そのため、ここでは比較的若い時期に、率直な意見を述べている『「保守革命」宣言』、『この国を守る決意』を中心に見ていくことで、安倍晋三という政治家の「地金(じがね)」の部分を明らかにしたいと思います』、「石破茂さんや野田聖子さんに比べて、安倍さんは著書の少ない政治家」、というのはやや意外だ。
・『議員生活は歴史認識問題からスタート  安倍さんが初当選したのは1993年の衆議院選挙です。この時、自民党は大転換期を迎えていました。 戦後最大の贈収賄事件であるリクルート事件などがあり、宮澤喜一内閣は政治改革の激流に飲み込まれていました。しかし、宮澤首相は小選挙区の導入などに消極的な態度を示したため、内閣不信任案が提出されます。 これに同調したのが、竹下派から分裂した小沢一郎さんや羽田孜さんらのグループ(改革フォーラム)でした。6月18日に衆議院が解散され、総選挙の結果、8月9日に野党勢力が結集する細川護熙内閣が成立することになります。 その5日前には、慰安婦問題について謝罪と反省を述べた「河野談話」が出されています。これが宮沢内閣の実質的な最後の仕事になりました。 安倍さんはいきなり野党の政治家としてキャリアをスタートさせます。そして、このことが安倍晋三という政治家を考える際、重要な意味を持ちます。 安倍さんは、この当時、自民党のあり方に疑問を持ったそうです。本当に自民党は保守政党なのか。保守としての役割を果たせているのか。そもそも保守とはなんなのか(『「保守革命」宣言』)。この思いが、野党政治家として〈保守政党として自民党の再生〉というテーマに向かっていくことになりました。 さて、非自民政権として発足した細川内閣ですが、組閣からまもなくの記者会見で、細川首相が「大東亜戦争」について「私自身は侵略戦争であった、間違った戦争であったと認識している」と述べました。 これに野党・自民党の一部は反発します。8月23日に党内に「歴史・検討委員会」が設置され、次のような「趣旨」を掲げました。 細川首相の「侵略戦争」発言や、連立政権の「戦争責任の謝罪表明」の意図等に見る如く、戦争に対する反省の名のもとに、一方的な、自虐的な史観の横行は看過できない。われわれは、公正な史実に基づく日本人自身の歴史観の確立が緊急の課題と確信する。(歴史・検討委員会編『大東亜戦争の総括』1995年、展転社) 彼らは、日本の歴史認識について「占領政策と左翼偏向の歴史教育」によって不当に歪められていると主張します。こんなことでは子どもたちが自国の歴史に誇りを持つことができない。 戦後の教育は「間違っていると言わなければならない」。「一方的に日本を断罪し、自虐的な歴史認識を押しつけるに至っては、犯罪的行為と言っても過言ではない」。そんな思いが血気盛んに語られました(前掲書)。  新人議員の安倍さんは、この委員会に参加し、やがて右派的な歴史認識を鼓舞する若手議員として頭角を現します』、出発点からして「右派的な歴史認識」では筋金入りのようだ。
・『「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」事務局長に  1997年には中川昭一さんが代表を務める「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」が発足し、安倍さんは事務局長に就任しました。 この会の記録が書籍となって残されていますが、そこでは歴史教科書問題や慰安婦問題などをめぐって、官僚やリベラル派の政治家、左派的知識人に対する激しい批判が繰り返されています。 安倍さんの発言(登壇者への質問)を読んでいくと、その大半は慰安婦問題を歴史教科書に掲載することへの批判にあてられています。安倍さんの歴史教育についての思いは、次の言葉に集約されています。 私は、小中学校の歴史教育のあるべき姿は、自身が生まれた郷土と国家に、その文化と歴史に、共感と健全な自負を持てるということだと思います。日本の前途を託す若者への歴史教育は、作られた、ねじ曲げられた逸聞を教える教育であってはならないという信念から、今後の活動に尽力してゆきたいと決意致します。(日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会編『歴史教科書への疑問―若手国会議員による歴史教科書問題の総括』1997年、展転社) 小学校・中学校では、自国に対する誇りを醸成する教育をしなければならない。まずは、健全な愛国心を養う教育をしなければならない。左翼によって曲解され、捻じ曲げられた歴史観を教えてはならない。そう強く訴えます。 安倍さんは例えとして、子ども向けの偉人の伝記を取り上げます。小学生を対象に書かれた偉人伝には、その人物の立派な側面ばかりが綴られています。しかし、実際の人物は様々なネガティブな側面を持っています。酒に溺れたり、家庭の外に愛人をつくったり。この負の部分をどのように伝えるべきか。 安倍さんは「私もこういう素晴らしい人間になりたいなと思わせる気持ちを育成するということが大切」なので、まずは立派な部分だけを教えればよいと言います。負の部分を教えると「極めてひねくれた子供が出来上がっていく」のでよくない。人間は複雑な側面を持っているということがよくわかってきた段階で、負の側面を教えればよいので、歴史教育については小学校・中学校・高校と大学のような場所では「それなりに教える内容とか態度が違って(中略)いいんじゃないか」と続けます(前掲書)。 だから、慰安婦問題は歴史教科書で教える必要はない。自国への誇りを持たせるための教育段階では、教科書に掲載する必要などない。 社会問題になっているから掲載するというのであれば「『援助交際』を載せるつもりがあ るのかどうか」(前掲書)。性暴力の問題を教えるべきというのであれば、痴漢行為を行って捕まった「ある新聞のある論説主幹」の性暴力はどうなるのか。こちらのほうが性暴力の本質なのではないのか(前掲書)。そう主張します。 さらに元慰安婦の証言には「明らかに噓をついている人たちがかなり多くいる」と言及し、長年沈黙を続けてきたことへの疑問を述べたうえで、次のように発言しています。 もしそれが儒教的な中で五十年間黙っていざるを得なかったという、本当にそういう社会なのかどうかと。実態は韓国にはキーセン・ハウスがあって、そういうことを たくさんの人たちが日常どんどんやっているわけですね。ですから、それはとんでもない行為ではなくて、かなり生活の中に溶け込んでいるのではないかとすら私は思っているんです(略)。(前掲書) そして、慰安婦問題を追及する左派知識人への反発を述べます』、「負の部分を教えると「極めてひねくれた子供が出来上がっていく」のでよくない。人間は複雑な側面を持っているということがよくわかってきた段階で、負の側面を教えればよい」、には笑ってしまった。
・『アンチ左翼、アンチ・リベラル  安倍さんの最大の特徴は、「左翼」や「リベラル」に対する敵意を明確に示すところです。 最初の著作である『「保守革命」宣言』では、日本の「リベラル」はヨーロッパ型ではなく、アメリカ型であるとしたうえで、それは「社会主義」に極めて近いかたちの「福祉主義」であり、進歩主義と親和的であると言います。 また、村山富市内閣の「人にやさしい政治」はこの「リベラル」に当たると述べたうえで、自分の「保守」は「曖昧な「リベラル」的ムードに、明確に「否」と意思表示していく立場」であると規定します(『「保守革命」宣言』)。『「保守革命」宣言』のサブタイトルは、「アンチ・リベラルへの選択」です。 安倍さんは政治家になりたての頃、保守思想家・西部邁さんの保守の定義に「一番共鳴」したようですが(前掲書)、そもそもは保守への思想的関心よりも、アンチ左翼という思いが先行していたと率直に述べています。 私が保守主義に傾いていったというのは、スタートは「保守主義」そのものに魅か れるというよりも、むしろ「進歩派」「革新」と呼ばれた人達のうさん臭さに反発したということでしかなかったわけです。(前掲書) 安倍さんの左翼批判は加速していきます。首相就任を2年後に控えた2004年の対談本『この国を守る決意』では、露骨な左翼批判が繰り返されます。 安倍さんによると、左派の人たちは「全く論理的でない主張をする勢力」であり、「戦後の空気」のなかにあると言います(『この国を守る決意』)。 そうした人々は、例えば自国のことでありながら、日本が安全保障体制を確立しようとするとそれを阻止しようとしたり、また日本の歴史観を貶めたり、誇りを持たせないようにする行動に出ます。一方で、日本と敵対している国に対しての強いシンパシーを送ったり、そうした国の人々に日本政府に訴訟を起こすようにたきつけたり、いろいろなところでそういう運動が展開されています。(前掲書) 安倍さんは、自民党議員の一部も「戦後の空気」に感染していると指摘し、いら立ちをあらわにします。拉致問題をめぐっては「情」よりも、核問題に対処する「知」を優先すべきだという議論が党内から出てきたのに対し、「これはおかしいと思って、私はあらゆるテレビや講演を通じて、また国会の答弁などで徹底的に論破しました」と語っています(前掲書)。 ここで「論破」という言葉を使っているのが、安倍晋三という政治家の特徴をよく表していると言えるでしょう。相手の見解に耳を傾けながら丁寧に合意形成を進めるのではなく、自らの正しさに基づいて「論破」することに価値を見出しているというのがわかります。しかも、その相手は同じ自民党のメンバーです。 安倍さんは次のようにも言います。 戦後の外交安全保障の議論を現在検証すると、いわゆる良心的、進歩的、リベラルという言葉で粉飾した左翼の論者が、いかにいいかげんで間違っていたかがわかります。議論としては勝負あったということなのですが、いまだに政界やマスコミでスタイルを変えながら影響力を維持しています。(前掲書) このような一方的な勝利宣言をしたものの、不満はおさまりません。自分たちは正しく、 左翼が間違えていることが明確にもかかわらず、自分たちのほうが少数派で、「ちょっと変わった人たち」とされてきたことに納得がいかないと言います(前掲書)。 安倍さんが、アンチ左翼の標的とするのが、朝日新聞と日教組(日本教職員組合)です。 彼は初当選時から、マスコミに対する強い不信感を示しています。 『「保守革命」宣言』では1993年選挙において「日本新党や当時の新生党にマスコミは明らかな風を送りましたよね」と言及し、「自民党は倒すべき相手」とみなされていると指摘します(『「保守革命」宣言』)。 小選挙区比例代表並立制では50%の得票が必要になるため、マスコミを通じて多くの人に知ってもらう必要があり、「マスコミの権力というのはますます大きくなって いく」と警戒しています(前掲書)。 安倍さんは、繰り返し朝日新聞を目の敵にし、強い言葉で攻撃していきます。例えば、日本人の対アメリカ認識について、「国民を誤解するようにしむけている勢力」が存在していると指摘し、朝日新聞をやり玉に挙げています(『この国を守る決意』)。 また、日本人の教育が歪められているのは日教組の責任が大きいとして、警戒心を喚起します。村山内閣以降、自民党のなかにも日教組と交流する議員が出てきたものの、融和ムードは禁物で、「日教組に対する甘い見方を排したほうがいいと思います」と述べます。日教組は文部省とも接近することで「隠れ蓑」を手に入れ、「地方では過激な運動を展開しているというのが現実」と言います(前掲書)』、マスコミ・コントロールの重要性を当時から意識していたようだ。

次に、この続きの後編、「安倍首相「沖縄の基地を減らすことに尽力すべき」と発言した過去「アンチ・リベラル」という姿勢」を紹介しよう。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/65706
・『靖国参拝は国家観の根本  安倍さんの具体的政策についてですが、首相就任以前の提言は、歴史認識や外交・安全保障の分野に集中しています。 まず力説するのが、靖国神社への首相参拝の正当性です。この問題はすでに中曽根内閣の時に決着済みで、公式参拝というかたちをとらなければ合憲という見解を強調します。 安倍さんは言います。靖国神社参拝を直接、軍国主義と結びつけるというのは全く見当外れな意見と言えましょう。ですから総理が自然なお気持ちで参拝をされる、そしてそれを静かに国 民も見守るということが、最も正しい姿だろうと思うのです。(前掲書) 安倍さんが靖国神社参拝にこだわるのは、そこに重要な国家観が集約されていると考えるからです。国家は命を投げうってでも守ろうとする国民がいなければ成立しない。だとすれば、国のために命を捨てた人の顕彰がなければ、国家は成り立たない。そう説きます。 靖国神社の問題は、常に国家の問題を考えさせられます。私たちの自由など、さまざまな権利を担保するものは最終的には国家です。国家が存続するためには、時として身の危険を冒してでも、命を投げうってでも守ろうとする人がいない限り、国家は成り立ちません。その人の歩みを顕彰することを国家が放棄したら、誰が国のために汗や血を流すかということですね。(前掲書)』、「国家は命を投げうってでも守ろうとする国民がいなければ成立しない。だとすれば、国のために命を捨てた人の顕彰がなければ、国家は成り立たない」、という国家主義的な信念が靖国神社参拝の背景にあったようだ。中国などから批判されて、その後、自粛しているのは、本人にとっては、さぞかし耐え難いことだろう。
・『日米安保強化を一貫して強調  外交・安全保障については、当初から一貫して「日米基軸」を強調し、日米安保の強化を説いています(『「保守革命」宣言』)。ちなみに安倍さんが大きな影響を受けたという西部邁さんは、一貫した日米安保反対論者でした。 安倍さんはアジア主義への警戒を強調します。 われわれはアジアの一員であるというそういう過度な思い入れは、むしろ政策的には、致命的な間違いを引き起こしかねない危険な火種でもあるということです。(前掲書) 日本は「欧米との方が、慣習的には分かり合える部分があるのかもしれない」。かつて岡倉天心が『東洋の理想』で説いた「アジアは一つ」という観念は、排除するべきであると主張します(前掲書)。 安倍さんが言及するのは、中国やベトナム、北朝鮮など共産主義国との価値観の違いです。同じアジアといっても国家体制が違いすぎる。価値の体系も違いすぎる。そのような国とは、やはり距離をとるべきだというのが主張の中心にあります。 この観点から、アジアに「マルチな対話機構」もしくは「集団安保機構」をつくって安全を確保すべきという意見に強く反発します。これは「絶対に不可能」と断言し、アメリカが最も重要であることを繰り返し確認します(前掲書)。 安倍さんは当選当初から、集団的自衛権を認めるべきとの見解を示していました。 「現行憲法のもとで後方支援の範囲内での行動の前提となる集団的自衛権くらいは、せめて認めなければならない」とし、憲法改正以前の問題だと論じています(前掲書)。 このような信念があったからこそ、のちに憲法九条の改正をせずに安保法制の整備を進めたのでしょう。 ただし、安倍さんが改憲に消極的だったというわけではありません。「憲法を不磨の大典のごとく祀りあげて指一本触れてはいけない、というのは一種のマインドコントロール」と述べ、次のように言います。 私は、三つの理由で憲法を改正すべきと考えています。まず現行憲法は、GHQが 短期間で書きあげ、それを日本に押し付けたものであること、次に昭和から平成へ、二十世紀から二十一世紀へと時は移り、九条等、現実にそぐわない条文もあります。 そして第三には、新しい時代にふさわしい新しい憲法を私たちの手で作ろうというクリエイティブな精神によってこそ、われわれは未来を切り拓いていくことができると思うからです。 (『この国を守る決意』) 親米派の安倍さんは、イラク戦争についてもアメリカを支持。自衛隊派遣についても民主制を定着させるという「大義」と石油確保という「国益」のために、積極的に進めるべきとの立場をとりました(前掲書)。 安倍さんの親米という姿勢は揺らぎません。 「世界の中の日米同盟」とは日米安保条約による日米のこの絆、同盟関係を世界のあらゆる場面で生かしていくということです。米国との力強い同盟関係を、世界で日本の国益実現のテコとするということでもあり、国際社会の協力構築にも資することになります。(前掲書) ただ、沖縄の基地負担については、しっかりと対策を講じなければならないと言及します。沖縄の基地は「可能な限り減らしていく」ことに尽力すべきであり、「沖縄に過度に基地が集中しているという現実には、やはりわれわれ政治家は、正面から向き合わなければならないと思います」と述べています(『「保守革命」宣言』)。 この点、沖縄県知事と対立し、辺野古移設を進める現在の安倍首相はどのように過去の発言を振り返るのでしょうか? おそらく辺野古移設こそが普天間基地の返還の唯一の方法であり、沖縄の負担軽減になると主張するのだと思いますが、沖縄の理解が得られていないというのが、玉城デニーさんが8万票以上の大差で勝利した2018年の沖縄県知事選挙の結果なのでしょう』、「「アジアは一つ」という観念は、排除するべきであると主張」するのは、いいにしても、西部邁と袂を分かっても「日米安保強化を一貫して強調」するのは、岸の流れを引く思いがあるのかも知れない。トランプが日米安保の見直しを主張しているのは、気が気ではないだろう。
・『政治家は結果責任をとることで免罪される  安倍さんが繰り返し語る思い出話に、祖父・岸信介とのエピソードがあります。 60年安保当時、首相だった祖父に馬乗りになりながら、デモ隊のまねをして「アンポハンターイ」と言うと、父・安倍晋太郎に叱られたというエピソードはよく知られています。 私が注目したいのは、岸が安保条約を通すために、安保条約に厳しい態度をとっていた大野伴睦の賛成を得ようとして「次の政権を大野氏に譲る」という趣旨の念書を書いたという話です。この点について、親族のひとりが岸に尋ねたところ、「たしか、書いたなあ」と答えたといいます。しかし、大野への首相禅譲はなされませんでした。要は約束を反故にしたのです。 親族が「それはひどいんじゃないの」と言うと、「ひどいかもしれないが、あの念書を書かなければ安保条約はどうなっていたかな」と言ったといいます(『この国を守る決意』)。 このエピソードを踏まえて、安倍さんは次のように言います。 私はその後、読んだマックス・ウェーバーの『職業としての政治』で、「祖父の決断はやむを得なかった」との結論に至りました。祖父の判断は、心情倫理としては問題があります。しかし、責任倫理としては、「吉田安全保障条約を改定する」という課題を見事に成就しています。とくに政治家は、結果責任が問われます。政治家は、国益を損なうことなく、そのせめぎ合いのなかでどう決断を下していくか―ということだろうと思います。(前掲書) このエピソードは『「保守革命」宣言』でも述べられており、安倍晋三という政治家の重要な指針になっているようです。 首相在任中の安倍さんの言葉については、その場しのぎのごまかしや不誠実さが目立つと指摘されます。しかし、安倍首相は動じていないでしょう。彼は祖父・岸信介の態度を継承しながら、心情倫理として問題があっても、結果責任をとることで免罪されると考えているのですから。 安倍首相の行動原理の「根」の部分には、岸の政治姿勢の継承という側面があると言えます』、やはり「岸の政治姿勢の継承」が「行動原理の「根」」にあったようだ。
・『日本型ネオコン勢力の権力奪取  さて、安倍さんの行政に対する姿勢や経済政策を見てみましょう。 1996年に出版された『「保守革命」宣言』では、「徹底した行革が必要だと思いますね」と述べ、徹底した民営化を進めていくべきだとの立場を示します。特に公務員削減を徹底すべきと強調し、10年間で半減を実現すべきと説きます。 実は、『「保守革命」宣言』、『この国を守る決意』において述べられている行政政策は、これだけです。経済政策については、まったく言及がありません。 社会保障政策についての言及が見られるのは、首相就任が目前に迫った2006年の著作(『日本を語る』、『美しい国へ』)以降です。それ以前は、繰り返しになりますが歴史認識問題や外交・安全保障問題に集中しています。 このバランスの悪さも、安倍さんの特徴ということができるでしょう。 ここまで、安倍さんの政治家としての「地金」を見てきました。 安倍さんの本来の関心は、横軸(価値の問題)に集中しています。そして、その姿勢は本人が言及するように「アンチ・リベラル」です。 わずかに語られる縦軸については、「徹底した行革」を強調していることから、「リスクの個人化」を志向していることがわかります。首相就任が迫る頃(2006年)になると、小泉構造改革の影響から格差・貧困問題が社会現象となり、政治家の多くが対応策を示すことを迫られました。 安倍さんは「再チャレンジ」という概念を打ち出して、構造改革・新自由主義路線を評価しながら、貧困問題をフォローすべきとの立場を打ち出すことになりますが、小泉改革への支持と継承という路線は揺らぎませんでした。 「アベノミクス」というリフレ(通貨再膨張)的経済政策が出てくるのは、一度、首相の座から降り、民主党政権(2009〜2012年)を経験したあとの話です。 よって、安倍さんはIVのタイプの政治家であると位置づけることができるでしょう。小泉純一郎さんは横軸にはあまり関心がなく、縦軸における「リスクの個人化」を進めることに強い関心があった政治家です(リンク先のグラフでは、縦軸に「リスクの社会化」VS「リスクの個人化」、横軸に「パターナル」VS「リベラル」を取っている)。そのあとを継いだ安倍さんは、タイプがまったく異なり、横軸に強い関心を示した政治家でした。 このふたりの路線が合流した時、日本型ネオコン(新保守主義)勢力としてのIVがヘゲモニーを握ることになったのです』、IVはグラフでは、「リスクの個人化」と「パターナル」である。なお、パターナリズムとは、強い立場にある者が、弱い立場にある者の利益のためだとして、本人の意志は問わずに介入・干渉・支援することをいう。家族主義、温情主義、父権主義、家父長制(Wikipedia)。安倍首相のことがだいぶ理解できたようだ。

第三に、7月6日付けYahooニュースが朝日新聞記事を転載した「「日本、独裁政権のよう」ニューヨーク・タイムズが批判」を紹介しよう。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190706-00000045-asahi-int
・『米紙ニューヨーク・タイムズ(電子版)は5日、菅義偉官房長官が記者会見で東京新聞記者の質問に対する回答を拒むなど、そのメディア対応を指摘したうえで、「日本は憲法で報道の自由が記された現代的民主国家だ。それでも日本政府はときに独裁政権をほうふつとさせる振る舞いをしている」と批判した。 同紙は、菅氏が会見で東京新聞記者の質問に「あなたに答える必要はありません」と述べたエピソードなどを紹介。菅氏ら日本政府に対するマスコミ関係者らの抗議集会が3月に開かれ、参加した600人が「Fight for truth(真実のためにたたかえ)」と訴えたことも伝えた。 一方で、同紙は日本政府の記者会見をめぐる振る舞いの背景には「記者クラブ」の存在があると指摘。「記者らはクラブから締め出されたり、情報にアクセスする特権を失ったりすることを恐れ、当局者と対立することを避けがちになる」との見方を示した。 日本政府のメディア対応をめぐり、海外の視線は厳しくなっている。言論と表現の自由に関する国連の特別報告者デービッド・ケイ氏は6月、日本メディアは政府当局者の圧力にさらされ、独立性に懸念が残るとの報告書をまとめている』、確かに現在の首相官邸のメディア対応には、目に余るものがあり、「日本、独裁政権のよう」との外紙の批判はもっともだ。

第四に、コラムニストの小田嶋 隆氏が6月21日付け日経ビジネスオンラインに寄稿した「プチホリエモンたちの孤独」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00116/00027/?P=1
・『先日来、香港の路上を埋め尽くしていたデモは、今後、どういう名前で呼ばれることになるのだろう。 現時点(6月19日までに報道されているところ)では、香港政府のトップが「逃亡犯条例」の改正を事実上断念する考えを示す事態に立ち至っている。 してみると、デモは「成功」したと見て良いのだろうか。 私は、まだわからないと思っている。 この先、北京の中国政府がどんな態度に出るのかがはっきりしていない以上、現段階で軽々にデモの成果を評価することはできない。 ただ、デモをどう評価するのかということとは別に、この1週間ほどは、海をはさんだこちら側からあの小さい島で起こっているデモを観察することで、むしろ自分たち自身について考えさせられることが多かった。 たとえば、香港市民のデモへの評価を通して、論者のスタンスが意外な方向からはっきりしてしまう。そこのところが私には面白く感じられた。 わたくしども日本人の香港のデモへの態度は、ざっと見て 1.中国政府を敵視する観点から香港市民によるデモを支持する立場 2.デモという手段での政治的な示威行為そのものを敵視するご意見 3.デモに訴える市民であれば、主張がどうであれとりあえず応援する気持ちを抱く態度 4.沈黙を貫く姿勢 という感じに分類できる。 だが、実際には、人々の反応はもう少し複雑なものになる。というよりも、SNS上でかわされている議論を見る限り、彼らの議論はほとんど支離滅裂だ。 理由は、たぶん、香港のデモに関する感想と、沖縄のデモへの評価の間で、一貫性を保つことが難しかったからだ。 実際、沖縄の基地建設をめぐって展開されているデモを 「単なる政治的な跳ね上がりであり、事実上の暴動と言っても過言ではない」「特定の政治的な狙いを持った勢力によって雇われた人間たちが、カネ目当てで参加しているアルバイト行列に過ぎない」てな言い方で論難している人間が、同じ口で香港のデモを「市民が自発的意思を表明した勇気ある民主主義の実践だ」と称賛するのは、ちょっとぐあいが悪い。昨今流行の言い方で言えば、「ダブルスタンダード」ということになる。 一方、沖縄のデモを手放しで応援していた同じ人間が、香港のデモに対しては見て見ぬふりのシカトを決め込んでいるのだとすると、それもまた一種のダブスタと言われても仕方がなかろう。 で、ネット上に盤踞する党派的な人々は、互いに、敵対する人間たちのダブルスタンダードを指摘し合ったりなどしながら、結局のところ、香港のデモのニュースを、単に、消費する活動に終始していた。 どういうことなのかと言うと、香港のデモをめぐる論戦に関わっている人々の多くは、デモ参加者の主張そのものにはほとんどまったく関心を抱いていなかったということだ。彼らが熱い関心を寄せていたのは、当地のデモの帰趨が自分たちの主張を補強する材料として利用できるかどうかということだけだった。 実にわかりやすいというのか何というのか、見ていてほとほと胸糞の悪くなる論戦だった。 彼らは、「香港と日本の民主主義の成熟度の違い」だとか「公正な選挙が担保されている国とそうでない国での、デモの重要度の違い」あるいは「反体制的な政治活動に関わる人間が命がけの危険を覚悟しなければならない国と、首相の人形を踏みつけにしても後ろに手が回る恐れのない国での、デモに参加する人々の覚悟の違い」あたりの前提条件を出し入れしながら、ランダムに浮かび上がる課題を、その都度自分の主張にとって有利に運ぶ方向で展開しようと躍起になっている。 実にバカな話だ』、確かに殆どの日本人にとっては、香港のデモは遠い海の彼方の出来事なのだろう。
・『この話題は、この6月の16日に日比谷公園周辺で展開された「年金」に関するデモ行進のニュースをめぐって、さらに醜い形で尾をひくことになる。 これも、詳細を追うと胸糞が悪くなるばかりなので、私は別の視点から、もっぱら自分の感想を書くつもりだ。 ということで、今回は、デモをめぐる議論の行方について思うところを書こうと思っている。 最初に結論を述べておく。 私は、先の震災以来、われわれの国が、極めて内圧の高い相互監視社会に変貌している感じを抱いていて、そのことの最もわかりやすい一例として、「デモ」を危険視し、「政治的であること」を異端視するマナーが、一般市民のための「常識」として共有されつつある現状を挙げることができると思っている。 21世紀の普通の日本人は、政治的な発言をする人間を、全裸でラッパを吹きながら歩いている人間を見る時のような目で遠巻きに観察するばかりで、決して近づこうとはしない。ましてや、話を聞くなんてことは金輪際考えない。なぜなら、自身の政治的なスタンスを明らかにすることは、寝室での個人的な趣味をあけすけに語ること以上にたしなみを欠いた、上品な隣人をどぎまぎさせずにはおかない、悪趣味でTPOをわきまえない、自分勝手で下品なマナーであって、あえて白昼堂々政治的な話題を開陳することは、社会的な自殺企図に等しいからだ。 ひとつ補足しておかなければならない。 「政治的」という言葉は、最近、少しずつ意味が変わりつつある。 まだ入院中だった6月の11日に私はこんなツイートを発信している。《この5年ほどの間に「政治的」という言葉は、もっぱら「反政府的」という意味でのみ使用され、解釈され、警戒され、忌避されるようになった。政権に対して親和的な態度は「政治的」とは見なされず、単に「公共的」な振る舞い方として扱われている。なんとも薄気味の悪い時代になったものだ。》 このツイートは、約3900回RTされ、約7100件の「いいね」が付いている。 「いいね」をクリックした全員が同意してくれたとは思わない。 しかし、同じ感想を抱いている人が相当数いることはたしかだと思う。 われわれは、「政治的」であることを自ら抑圧しながら、結果として、自分の意図とはかかわりなく、全員が「お上」の手先となって「非国民」を自動的にあぶり出す社会を形成しはじめている。 先の大戦に向かって傾斜して行く日常の中で、ある日、ふと気がついてみると、若い男女が手をつないで歩くことさえはばかられる社会が、すでに到来してしまっていた80年前の教訓を活かすこともできずに、私たちは、またしても同じ経路を歩きはじめている、と、私はそう思いながらここしばらくの世の中を眺めている。 もっとも、反体制的であろうが、現政権に親和的であろうが、どっちにしても政治に関わる態度そのものが一般社会の中で煙たがられる傾向は、この何十年かの間に、少しずつ進行してきた動かしがたい流れではあった。 ネット上で展開されるデモをめぐる論争が、毎度毎度極論のぶつかり合いに終始している現状も、結局のところ、平場の日常で政治を語ることが、タブー視されていることの裏返しだったりする。 別の言い方をすれば、極論でしか語れないバカだけが、政治について発言する社会では、賢い人たちは沈黙しがちになるわけで、そうするとますますバカだけが政治発言を繰り返す結果、政治は、どこまでもバカな話題になって行く。 21世紀の日本人は、普通の声量で、激することなく、互いの話に耳を傾けながら政治の話をするマナーを失って久しい。それゆえ、いまどき政治なんぞに関わって、ツバを飛ばし合っているのは、政治好きというよりは、単に議論好き論破好き喧嘩好きな、ねずみ花火みたいな連中ばかりという次第になる。 不幸ななりゆきだが、これが現実なのだから仕方がない』、「先の震災以来、われわれの国が、極めて内圧の高い相互監視社会に変貌している感じを抱いていて、そのことの最もわかりやすい一例として、「デモ」を危険視し、「政治的であること」を異端視するマナーが、一般市民のための「常識」として共有されつつある現状を挙げることができると思っている」、「われわれは、「政治的」であることを自ら抑圧しながら、結果として、自分の意図とはかかわりなく、全員が「お上」の手先となって「非国民」を自動的にあぶり出す社会を形成しはじめている」、などの危機感には強く同意する。
・『全共闘世代が大学生だった時代は、大学のキャンパスがまるごと政治運動の波に呑まれた政治の時代だったと言われている。 私は、彼らから見て10年ほど年少の世代だ。 一般的には、全共闘による政治運動が一段落して、キャンパスに空白と虚脱が広がっていた時代の学生だったということになる。 その、世間からは「シラケ世代」と言われた私たちの時代でも、政治は、依然としてキャンパスを歩き回る学生にとっての主要な話題のひとつだった。 ただ、この点は40歳以下の若い人たちには何回説明してもよくわかってもらえないポイントなのだが、70年代の学生にとって、政治は主要な話題でありながらも、なおかつ、その一方で、昼飯のサカナにして遊ぶバカ話の一部に過ぎなかった。 つまり、カジュアルな話題であったからこそ、誰もが気軽に口にしていたわけで、逆に言えば、政治向きの話題は、そうそう必死になってツバを飛ばしながら議論する話題でもなかったということだ。 このあたりの力加減は、とてもわかってもらいにくい。 私自身の話をすれば、大学時代、最も頻繁に行き来していたのは、「東洋思想研究会」(つまり創価学会ですね)というサークルに所属している(後に脱退しましたが)男だった。 民青の幹部だった男とも詩の同人誌を出しているとかの関係で、そこそこ懇意にしていた。 雄弁会というサークルにいたわりとはっきりと右寄りだった同級生(「皇室の万世一系は世界に誇り得る日本の財産だ」とか言ってました)とも、レコードの貸し借りを通じて互いに敬意を持って付き合っていた。 何が言いたいのかを説明する。 私は、自分が無節操なノンポリで、たいした考えもなく政治的に偏った人々と交友を深めていたという話を強調しているのではない。 政治がカジュアルな話題としてやりとりされている場所では、政治的な見解の違いは、致命的な対立を招きにくいものだという、とても当たり前の話をしているつもりだ。 であるから、若い人たちはピンと来ないかもしれないが、党派的な人々がゴロゴロ歩いていた70年代のキャンパスは、その一方で、その党派的な学生同士がわりとだらしなく党派を超えてツルんでいた場所でもあったのだ。 タイガースのファンは、カープのファンと相互に相手を敵視している。当たり前の話だ。だから、フィールド上でゲームが展開されているスタジアムで顔をあわせることになれば、当然、両者は罵り合うことになる。 ただ、平場の飲み屋で会えば、両者は、同じ「プロ野球ファン」という集合に属する「同好の士」になる。 つまり、出会う場所が場所なら、彼らは、話の噛み合う愉快な仲間同士でもあり得るわけで、少なくとも、インフィールドフライの何たるかさえ知らない野球音痴の課長代理なんかよりは、ずっと一緒にいて楽しい。 政治の場合は、もう少し複雑になる。 とはいえ、ネット上の、文字だけの付き合いとは違って、実際に生身の人間としてリアルな場所で話をすれば、支持政党が違っていてもまるで問題なく付き合えるはずだし、そもそも宗教や支持政党が違う程度のことで話ができなくなってしまうのは、未熟な人間の前提に過ぎない』、「全共闘世代が大学生だった時代」は、小田嶋氏のように牧歌的ではなく、もっとギスギスしていたように思う。
・『ネット上では、堀江貴文氏のツイートが話題になっている。 彼は、まず、今回の「年金」デモの参加者を、「税金泥棒」と決めつけている。《ほんとそんな時間あったら働いて納税しろや。税金泥棒め。》 さらに、デモの様子を伝える朝日新聞の記事を引用しつつ《バカばっか「生活できる年金払え」日比谷でデモ 政府の対応に抗議 (朝日新聞デジタル) …》という、挑発的なコメントを投げつけている。 このツイートにリプライする形で《やはりあなたはそんな考え方しかできず、デモ参加者をバカばっか、と一蹴するのですね。一度刑務に服した人なら人の気持ちがわかったかと思っていましたが、逆でしたね。庶民のささやかな抵抗すらこんな汚い言葉で一蹴するようなことだけはしないでほしい。人を傷つけるくらいなら黙っていなさい。》とツイートしたアカウントに対しては、 《え?バカはバカって言われないと自覚できないだろ?》という返答を返している。 私が強い印象を抱いたのは、堀江氏の主張の内容や口調そのものよりも、その彼の挑発的な極論を支持する人の数の多さと、その彼らの間に共有されているかに見える「連帯感」の強烈さだった。 ほとんど誰も堀江氏をたしなめようとしない。 そして、圧倒的な数のフォロワーが堀江氏の主張に賛同している。 われわれはいったいどんな異世界にまよいこんでしまったのであろうか。 以上の状況を踏まえて、私はこう書き込んだ。《堀江貴文氏が、無礼な口調で極論を拡散するのは、彼のビジネスでもあれば持ちキャラでもあるのだろう。賛同はできないし、支持もできないが、理解はできる。私が軽蔑してやまないのは、堀江氏によるこの種の発言に乗っかって浅薄な自己責任論を展開しているアカウントの卑怯な振る舞い方だ。》 実際、堀江貴文氏自身は、ときに、政府の施策をクソミソにやっつけるツイートを垂れ流していることからもわかる通り、政権に近い立場のアカウントではない。おそらく安倍首相の個人的な支持者でもないはずだ。 堀江氏は、その場その場で思いついた考えを、特に留保することなく、脊髄反射的に吐き出しているように見える。もちろん、堀江氏なりの基準で、言うべきことと言わずにおくべきことを見極めながら情報発信しているのだとは思うが、少なくとも彼が、なんらかの党派的な思惑に沿って発言内容を調整しているのではないことは事実だと思う。 ただ、それはそれとして、堀江氏のような一匹狼の論客が、政権にとって好都合な存在であることもまた事実ではある。 というのも、彼のような自己責任論者のオレオレ万能思想の実践者は、政府には一切期待しないわけだし、仮に政権に失策や不正があっても、まるで気にしない立場のインフルエンサーだからだ。 そんなわけで、「政治なんてそんなもんだろ?」「ってか、人間なんてもともと利己的なわけでどこが問題なんだ?」式の、北斗の拳(古い)式の中二病的ニヒリズム&自己超克思想を体現しているホリエモンは、自己啓発書籍にハマりがちなオレオレヒロイズム&一発逆転ロマンチシズム酩酊者にとってはヒーローになぞらえるに最もふさわしいピカレスクなキャラクターになる。 ついでに申せば +独立独歩 +背水の陣 +一点突破全面展開 +自己責任 +背水の陣 +徒手空拳 +この広い世界にオレ一人 という、自己陶酔的な世界観にカブれているプチホリエモンたちにとって、デモに集う人間は、「大勢でツルんでいる」時点で、どうにも矮小な存在に見える』、「彼のような自己責任論者のオレオレ万能思想の実践者は、政府には一切期待しないわけだし、仮に政権に失策や不正があっても、まるで気にしない立場のインフルエンサーだからだ」、というのは鋭い指摘だ。
・『「オレはどこまでもオレ自身としてオレ一人で勝負してやんよ」と思い極めているホリエモンフォロワーたちは、実際のところは「無党派層」という圧倒的なマジョリティーに属している。 が、そのマジョリティーを微分した一人ひとりの無党派の個人は、自分を孤立無援の徒手空拳の独立独歩のマイノリティーだと思いこんでいたりする。 で、自身を孤独なマイノリティーだと思いこんでいるからこそ「徒党を組む脆弱な個人の集合体」である、デモの人々を心の底から軽蔑しているわけなのだ。  さて、堀江氏による一連のツイートのハイライトは、米国在住の映画監督・想田和弘氏の《デモに参加するとなんで「税金泥棒」になるのだろうか。デモに参加するとどうやって税金を泥棒できるのだろうか。意味がわからない。香港のデモに参加した200万人は税金を泥棒しているのだろうか。》という問いかけに対して 《お前相変わらず文脈とか行間読めねーんだな。親切に教えてやるよ。このデモに参加してる奴の大半は実質的に納税してる額より給付されてる額の方が多いんだよ。それを税金泥棒って言ってんだよ》と回答した言葉の中にある。 この回答の中で、堀江氏は、納税額の少ない人間は、発言権も抑えられてしかるべきだという、空恐ろしい高額納税者万能思想をうっかりもらしてしまっている。 このおよそ尊大な思想に乗っかる形でデモ隊を罵倒しているプチ・ホリエモンたちは、もしかして、富豪揃いのメンバーズなのだろうか。 たぶん、ノーだ。 ネット上の架空人格として、「富裕層の自分」を選んだアカウントが多かったということなのだと思う。 つまり、彼らはそれほどまでに孤独なのだ』、「堀江氏は、納税額の少ない人間は、発言権も抑えられてしかるべきだという、空恐ろしい高額納税者万能思想をうっかりもらしてしまっている」、堀江氏にとっては「うっかり」ではないのかも知れない。「彼らはそれほどまでに孤独なのだ」とのオチはやや分かり難い印象を受けた。 
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日本の政治情勢(その32)(国会議員267人の選挙「余剰金が行方不明」の謎 調査対象の6割、公開資料で使途を追えず、議員秘書が語る「選挙余剰金」のすさまじい実態 現役3人が匿名回答「報告書はまったく違う」、公職選挙法の改正で「余剰金」の抜け穴を防げ 岩井奉信・日本大学法学部教授インタビュー、「最後のフィクサー」が直言 この国を破滅させるカネの亡者たち 安倍政権とその仲間たちこそ国民の敵) [国内政治]

日本の政治情勢については、5月30日に取上げた。今日は、(その32)(国会議員267人の選挙「余剰金が行方不明」の謎 調査対象の6割、公開資料で使途を追えず、議員秘書が語る「選挙余剰金」のすさまじい実態 現役3人が匿名回答「報告書はまったく違う」、公職選挙法の改正で「余剰金」の抜け穴を防げ 岩井奉信・日本大学法学部教授インタビュー、「最後のフィクサー」が直言 この国を破滅させるカネの亡者たち 安倍政権とその仲間たちこそ国民の敵)である。

先ずは、6月17日付け東洋経済オンラインが掲載したFrontline Press / 日本大学・岩井研究室による「国会議員267人の選挙「余剰金が行方不明」の謎 調査対象の6割、公開資料で使途を追えず」を紹介しよう(Qは聞き手の質問、Aは岩井氏の回答)。
・『選挙で余ったお金の使途が確認できない――。各候補の選挙運動費用の収支を示す書類を分析すると、お金を余らせてその使い道を公開資料で確認できない現職議員が、衆参両院で268人いることがわかりました。調査や分析の対象とした議員460人の6割近くに当たります。余剰金には、国からの政党助成金や国が負担する選挙ポスター代などが含まれており、「公的」な性質を帯びています。 なぜ、こんな事態が起きているのでしょうか?現行の制度に問題はないのでしょうか?取材記者グループ「Frontline Press (フロントラインプレス)」と日本大学・岩井奉信教授(政治学)の研究室は、「選挙運動費用の余剰金」をめぐる全体像を初めて明らかにしました』、意欲的な調査報道で、興味深そうだ。
・『公開情報をベースに調査を開始  この共同取材では、衆議院は2014年12月、参議院は2013年7月および2016年7月の選挙を対象とし、各議員が選挙管理委員会に提出した「選挙運動費用収支報告書」の要旨を集めることから始めました。「報告書」は官報や都道府県の公報に掲載されており、誰でも入手可能。国立国会図書館でも閲覧できます。 ただ、報告書提出の義務のない衆院比例代表に単独で立候補した議員などは、調査・分析の対象から外しています。余剰金が5万円未満の議員についても同様です。 選挙運動で余ったお金は「報告書」の数字から算出します。 必要な項目は3つです。まず、候補者が選挙資金として集めた「収入」。事務所の設営などに使った「支出」。そして、看板やポスター代などを税金で賄う「公費負担」です。 選挙運動の「収入」は、支持者からの寄付、政党からの資金、自己資金などから成ります。候補によっては多額の自己資金を「収入」に計上しているケースもあり、お金が余ったからといって、それ自体がすぐ問題になるわけではありません。ポイントは「余剰金の行方」です。 「収入」には、政治団体などを経由して候補者に入ってくる「政党本部からの資金」が一定の割合を占めている(政党公認候補の場合)。共産党を除く各政党は国から政党交付金を受け取っており、その額は年間で合計約320億円になる。一方、「支出」に含まれる「公費負担」とは、ポスターや法定ビラの印刷、選挙カーの借り上げ費用などを指す。報告書の支出欄にのみ記載し、収入欄には記載しない』、「公費負担」を別にしても、「国から政党交付金」が「年間で合計約320億円」も出しているのであれば、収支報告書はキチンとすべきだ。
・『使途不明の最高額約2725万円  共同取材チームは続いて、各議員に関係する政治団体の「政治資金収支報告書」に目を通すことにしました。 この報告書には、1年間の政治活動にかかったお金の動きが載っています。一方、選挙のときは公職選挙法によって、政治団体の会計とは別に、選挙用の会計帳簿を新たに作らなければなりません。そこに政治団体の資金を入れるケースが一般的。報告書を調べたのは「選挙後にお金が余った場合、再び政治団体に入れたのか」を確認するためです(ただし、政治団体は5万円未満の収入については、相手方の名称を報告書に記載する義務がない)。 対象は「余剰金」を出したすべての議員の政治団体です。すると、思いがけないことが次々に見えてきました。 「余剰金」を政治団体に戻したことを確認できず、使途がわからない議員が268人もいたのです。それら議員の余剰金を合計すると、約9億5000万円。最高額は約2725万円でした。 公選法は、余剰金の処理について何も定めていません。「政治団体への返却」や使いみちの報告も義務付けていません。ですから、余剰金をどう使っても公選法に触れることはないのです。 余剰金を政治団体に戻していたら、政治団体の収支報告書を調べることによって、余剰金の行方がわかります。では、政治団体に戻していなかったら?「報告の義務がない」という壁に阻まれ、誰でも閲覧できる公開情報では追うことができなくなるのです。 つまり、政党交付金や公費負担など「公的資金」でサポートされているにもかかわらず、余ったお金の行方を確認できないという事態が続出しているのです。 議員たちは、これをどう説明するのでしょうか』、「公選法は、余剰金の処理について何も定めていません」、というのではまさに「ザル法」の典型だ。
・『議員たちの言い分は「報告義務ない」  「公職選挙法では選挙運動費用の残金の使途について、とくに規定を設けていないし、報告義務もない。残金は法令に従って適正に処理しています」 余剰金の行方を確認できなかった議員への共同取材で、最も多かったのはこうした回答でした。与野党に違いはありません。自民党では、内部で“模範回答”が示されたのか、質問状に対し多くの議員が、一言一句、同じ文面の回答を寄せました。 余剰金に関する公選法の規定はないのに、「法令に従って適正に処理」とは、いったい、何を意味するのでしょうか。 「政治と金」に詳しい日大法学部・岩井奉信教授の話:「『適正に処理』といったあいまいな言葉で逃げるしか方法がなかったのでしょう」「政治活動に使ったなら、政治資金収支報告書に収入として余剰金の返却を記していなければなりません。それがないと、政治資金規正法違反(不記載)です。一方、余剰金を議員側が仮に私的流用していたとしても、それを公には言えないでしょう」』、「余剰金に関する公選法の規定はないのに、「「法令に従って適正に処理」」、とはよくぞ恥ずかし気もなく回答すると呆れる。
・『1円単位まで返却の議員「公金入っているから当然」  余剰金をピッタリ1円単位まで正確に政治団体に戻した議員はいるのでしょうか。 「ピッタリ組」は64人でした。 現職閣僚20人のうちでは、安倍晋三・首相、菅義偉・官房長官、山本順三・国家公安委員長の3人です。 そのほかの主な「ピッタリ組」を見ると、自民党では、小野寺五典・前防衛相、野田聖子・前総務相、稲田朋美・元防衛相、田村憲久・元厚生労働相、高市早苗・元総務相、伊吹文明・元文部科学相らがいます。 野党側では、枝野幸男・立憲民主党代表、野田佳彦・社会保障を立て直す国民会議代表、大塚耕平・国民民主党代表代行、福山哲郎・立憲民主党幹事長、安住淳・元財務相、山本太郎・参議院議員らが「ピッタリ組」でした。 こうした議員は、現行制度の枠内で、余剰金の行方を可能な限り明らかにしたと言えます。 「ピッタリ組」では例えば、大塚・国民民主党代表代行の事務所は次のように回答しています。「党本部の原資には政党交付金も含まれているため、余剰金が発生した場合には政党支部に戻すべきと考えている」 専門家は、余剰金の処理について公選法の見直しを指摘しています。 選挙をめぐる公費負担に詳しい日大法学部・安野修右助教の話:「候補者のために税金が使われているのだから、余ったお金の行き先は公選法ではっきりさせるよう規定すべきです。しかし、自らを縛るような法改正に議員が踏み出せるでしょうか」』、「自らを縛るような法改正に議員が踏み出せる」ようにさせるのが、マスコミの役割だろう。
・『行方を確認できない議員の50人余りは未回答  取材チームは、報告提出義務のない比例単独当選の衆院議員などを除く500人余りに質問状を送りました。余剰金の行方が確認できない国会議員268人のうち、6月14日現在、50人余りから回答が得られていません。 余剰金の行方をどこまで明らかにするのかは、各議員の政治姿勢に直結する問題です。共同チームはこの問題を引き続き取材していきます。 次回は閣僚を中心に、個別事情に迫ります。(この後の共同取材チームの紹介や追記は省略)』、この続きでは、「閣僚を中心にした個別事情」は省略して、議員秘書が語る実態を紹介しよう。

次に、この続きを、6月26日付け東洋経済オンライン「議員秘書が語る「選挙余剰金」のすさまじい実態 現役3人が匿名回答「報告書はまったく違う」」を紹介しよう(Qは聞き手の質問、Aは岩井氏の回答)。
https://toyokeizai.net/articles/-/288012
・『「法律で特段の報告の義務もない」――。選挙で余ったお金の行方を公開資料で確認できない衆参両院の現職国会議員268人のうち、多くの議員がこのフレーズを使って回答しました。そこに与野党の違いはありません。では、余剰金は一体、どこにいったのでしょうか。取材チームは、国会議員を最も間近で支える現職の秘書たちに接触を試みました。「実態を打ち明けるなら、匿名が絶対条件」。秘書が知る本当の余剰金の使い道とは?取材記者グループ「Frontline Press(フロントラインプレス)」と日本大学・岩井奉信(政治学)研究室の共同取材チームによる報告、その5回目です』、「実態」とは興味深そうだ。
・『「絶対匿名」の条件で明かされた内実  国会議員の秘書は、「公設秘書」と「私設秘書」にわかれます。公設秘書は、国費で給与が支払われるため、法律上の身分は国家公務員と同じ立場にあります。議員1人当たり3人まで、と国会法で決まっています。私設秘書は、議員が私的に雇うため人数に制限はありません。 つまり、永田町の国会議員会館や地元事務所などで働く秘書は、総勢で3000人近くいる計算です。 秘書の仕事は多岐にわたります。議員のスケジュール管理に始まり、国会質疑のための資料集め、陳情の処理、政治資金パーティーの運営や出席者の確保などです。選挙になると、効果的に主張を伝える広報戦略を立てたり、後援会組織を立ち上げたりします。そして最も重要な仕事が、選挙資金の収集と支持票の確保です。 したがって、「選挙運動費用の収支」や「余剰金の行方」についても実態を熟知しているはず――。そう考えて取材チームは秘書たちに取材を試みました』、「実態」を最も熟知している「秘書たち」の言い分はどんなものなのだろう。
・『X議員の秘書余剰金は「票のとりまとめ」にも  まずは、自民党のX国会議員のベテラン秘書。何人かの議員の秘書を経験しています。X議員の余剰金は5万円未満。そのため、調査・分析の「対象外」としていますが、この秘書の語る「余剰金の実態」はすさまじいものでした。 「選挙運動費用収支報告書に載せられない支出に使った。うちの余剰金はたしか、数万円だったと思うが、実は余った金はもっと多かったと引き継ぎを受けている。(本当の余剰金は)数百万だったと聞いている」「(そうなるのは)支援してくれる方が『領収書なしでいい』と言って、寄付の形でお金を渡してくれるからだ。もちろん現金。振り込みは記録に残ってしまう。だから、振り込みの金はしっかり説明できるところに使う。領収書を発行しないお金は、選挙の時、けっこうたくさん集まる。余剰金は、ぶっちゃけて言えば、票のとりまとめをお願いする意味を込めて、企業幹部や自治会関係者などの接待に使う。ほかには、選挙の手伝いに来てくれた方たちへの差し入れや弁当代、つまり飲食代。公選法では報酬をもらえる人数や額が決まっているので、報酬を渡せない人たちへのお礼として使っている。報酬といっても、現金を渡すのでなく、飲食代を事務所で負担するとか、野球やコンサートのチケットなどにして渡すとか。これは、ほかの議員事務所にいた時も同じだった」 Q:選挙運動費用収支報告書の数字は、デタラメなのでしょうか? A:「政治資金パーティーの収支報告と一緒で、ザルだし、収支報告の数字が全部正しいわけではない。例えば、パーティーの場合も、(政治資金規正法に基づく)政治資金収支報告書の収入を少なく記載するとか。現金でパーティー券を10枚とかまとめて買ってくれて、領収書も要らない、と言ってくれる中小企業の社長さんは多い。そういう金は収支報告書に載せられないので、表に出ない金となる」 Q:裏金? A:「そう、裏。選挙資金の収支報告書の場合、公費負担額は変更できないので、収入部分をいじる。少なくする。領収書を出してしまうと、(先方の)企業会計との関係で、こちらもしっかり(報告書の収入に)記載しないといけないから、領収書をもらわない形でお金をもらえるようにするのがポイント。世間のみなさんからはご批判を受けるかもしれないけど、秘書の力の見せどころ。(先方が)会社として支出すると、領収書が必要になってしまうので、相手のポケットマネーとして出してもらう。だから、会社員でなく、会社経営者からいただく。領収書を発行しないお金というのは、正々堂々説明できない使われ方をしていると言ってもいい。うちの事務所は(それらの資金集めを)秘書に任せきり(だから議員は知らないかもしれない)」』、「選挙運動費用収支報告書の数字」は、計上されない収入が多いのであれば、全く信頼に値しないようだ。その収入を経営者個人が出すのであればともかく、実際には企業にも裏金のプールがある場合も多く、そこから支払われているのだろう。
・『Y議員の秘書 「手伝ってくれた人にお礼必要」  続いては、参院自民党のY議員の秘書です。Y議員は今回の調査対象となった選挙で、100万円前後の余剰金を出しています。取材チームの質問に対しては「余剰金の使途に規制はない」「報告義務はないが、適正に処理」という内容の回答を寄せていました。 「秘書にとって一番ありがたいお金は、振り込み入金など金融機関を通じた金銭でなく、現金だ。選挙になると、僕ら秘書は、とにかく寄付してもらえるようにお願いして歩き回る。(余剰金は)選挙を手伝ってくれたのに、公選法上支払いができないみなさんに使う。主に食事代として。ミニ集会開催を企画してくれたり、演説の人集めを助けてくれたり(した人に)」 Q:公選法が定める以外の運動員に報酬を支払うと、法に抵触します。 A:「わかっている。今の公選法は、運動員報酬の規定が細かいし、規模も小さい。もう少し枠を広げてほしい。ボランティアとしてやってくれる人もいるが、甘えてばかりいると、『あの事務所は義理を知らない』『弁当すら出さない』と言われてしまう。地方ほど、こうした傾向は強いと思っている。公選法上、支払いができないことを説明することもあるが、気持ちの問題なので法律論を説明して終わりというわけにはいかない」 Q:お礼として数十万円の現金を渡すケースも? A:「むしろ、1万円とかの飲食代。あっという間に数十万になってしまう。今回の余剰金(100万円前後)は、そうやって使ったと記憶している。だから(報告書に収入の記載義務がある政治団体に)戻すことはできない。手元に残っていないから。(飲食に使った際、手帳などに誰にいくら使ったかの記録は)するわけない。もし見つかったら、証拠になってしまう。誰にいつ、いくらかはわからない」 Q:本当は使ってはいけない相手に対し、飲食代として使ったと? A:「そう」 Q:公選法で余剰金の処理が規定されていないことは知っているのでしょうか? A:「知っている。お金がたくさんある事務所は政治団体にしっかり戻すことができるかもしれないが、うちはお金がない事務所。その中で、やりくりをしている。私も個人的に数百万の借金をした」「(寄付を集める際に領収書を出さないお金も)ないとは言わない。100万円くらい(あった)。それも手元にはない。使っている。追及しないでほしいけど。(「投票依頼の趣旨?」)そういう感じ。(市町村の)議員というより、団体幹部のみなさんや社長のみなさんとか。10万円ほどの単位。参院選の場合、衆議院と違って(エリアも)広くお願いしないといけない。公明党に頼ってばかりいられない」』、「飲食代」ならまだしも、「10万円ほどの単位」で配るのは本来は「公選法」違反だ。
・『Z議員の秘書公選法の“抜け穴”は「承知」  もう1人、現職秘書に取材できました。自民党のZ衆院議員に仕えています。Z議員は2014年選挙で数百万円の余剰金を出しており、その行き先は公開資料で確認できません。そして、取材チームの質問には、やはり「報告義務がない」などと答えています。 「会計担当は私ではないのでわからない部分もあるが、200万~300万円は議員に戻したと思う。議員も、今回の選挙だけでなく、政治資金管理団体に(自分が)寄付するなどいろいろな場面で、自分の資金を使っているので、一部返済という趣旨」 Q:選挙運動費用収支報告書上、余剰金はもっとあります。残りは? A:「どこの事務所も同じだと思うが、選挙を助けてくれた人たちへのお礼に使った。現金は生々しいので飲食代を負担するとか。お店を用意して、支払いはあとで事務所が負担するようにしている。それと、選挙後の会合代とかに使った。(余剰金を政治団体に戻せば、その収支報告書の支出に記載しなければならないが、余剰金の使途は定められていないため、戻さずに使えば)報告書の支出欄に載せないで済む。使い勝手がいい。(公選法が余剰金の処理を定めていないことは)少なくとも私は知っていた。ある意味、抜け穴だと思う。でも公選法が変更されて、余剰金の処理方法が決まっても、なるべく領収書の要らないお金を集めて、同じことをすると思う」』、「余剰金の処理方法」の問題だけではないようだ。
・『元秘書の男性 「政治改革で使い道を透明にすればよかった」  X、Y、Zの3議員に仕える秘書たちが語った余剰金の実態。それらはすなわち、選挙運動費用収支報告書の内容は、選挙で使ったお金の動きとまったく合っていない、という事実です。永田町で有力政治家の秘書として長く働いてきた男性にも話を聞きました。 男性は取材に対し、選挙運動費用収支報告書に記載している金額よりも「実際はもっと(お金を)出している」と明言。そのうえで、報告書上は余剰金を含めて、収支を「プラスマイナスゼロで収めている」と話します。 「余剰金がゼロの人は、それなりに当選回数を重ねている人が多いのではないか。慣れている秘書がいるか、議員が選挙慣れしている。(余剰金が出ると問題視されることもあるので)ゼロにしておいたほうがいい。ゼロにするテクニックは(会計担当者や秘書が)それぞれで持っていると思う。使い切るためには、例えば、付き合いのある後援者に(物品などを)発注して、後で(収支を合わせることができる額の)請求書を出してもらう。私の経験から言えば、ゼロの人は(報告書の記載)以上に使っていると思う」 政治と金。この問題がなぜ、いつまでもくすぶるのでしょうか。政党助成金の制度や小選挙区制が導入された「政治改革」は1990年代、日本政治の大テーマでした。永田町を生き抜いてきた元秘書の男性はこう言いました。 「(かつての政治改革では)政治資金を小選挙区の話にすり替えてしまった。政治のお金をガラス張りにすればいいだけの話だった。どこから献金を受けたとか、使い道を透明にする法律(関連法の成立)ならよかったが、政治改革では、それを小選挙区の話にすり替えて、公費で政党助成をするという話にしてしまった。公費は、なくした方がすっきりすると思う。政治家は、自分でお金を集められる才覚がないとできないのではないか。人の話を吸い上げることができないといけない。話を聞いて、この人に寄付をしようと思わせられる人間でないと、いい政治はできない」 X、Y、Zの3議員の現職秘書もそろって、公選法の“抜け穴”を使って余剰金を使っていることを明かし、報告書の内容と実態が全く合致していないことを赤裸々に語っています。この問題をどう考えればいいのか。次回は、共同取材チームの一員でもある日本大学の岩井教授にじっくりと聞きます』、「(かつての政治改革では)政治資金を小選挙区の話にすり替え・・・公費で政党助成をするという話にしてしまった」というのは、重要な指摘だ。岩井教授の話が楽しみだ。

第三に、この続きを、7月3日付け東洋経済オンライン「公職選挙法の改正で「余剰金」の抜け穴を防げ 岩井奉信・日本大学法学部教授インタビュー」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/288639
・『衆参両院の現職国会議員のうち、選挙で余ったお金の行方を公開資料で確認できない議員は268人——。この数字は、取材記者グループ「Frontline Press(フロントラインプレス)」と日本大学・岩井奉信(政治学)研究室の共同取材チームによって明らかになったもので、調査・分析対象とした国会議員460人の実に6割近くに上ります。なぜ、こんなことが起きているのか。その背景には「公職選挙法の不備」という大問題が横たわっていることも見えてきました。共同チームに加わった岩井教授はこの問題をどう捉えているのでしょうか。公費も含まれることが多い余剰金の行方を明確にするには、制度をどう改善すればよいのでしょうか。岩井教授にじっくりと尋ねました』、興味深そうだ。
・『「お金のことは政治家本人に教えない」  Q:余剰金の使途を公開資料で追うことができない国会議員が、調査対象の約6割。この数字をどう思われましたか? A:「ただちに評価するのは難しいと思います。6割の事務所の中には、余剰金について(きちんとした処理方法を)わかっている事務所もあるだろうし、(意図して行方を)わからなくしている事務所もあるだろうし。ただ、余剰金の扱い方をわかっていないという事務所はあまりないと思います。(各党は)公職選挙法などについて、議員秘書を対象に研修を行っているはず。最低限の知識はどの議員の事務所もあるはずです」「昔の自民党でいえば、若手や新人の選挙の際には派閥がちゃんと世話をしていました。経験豊富なスタッフや秘書を付けたり。事情をわかっている秘書などが選挙事務所に入っていれば、(余剰金の扱いは)わかっているはずです。(派閥の力が弱くなった)いま、そうした仕組みはどうなっているんだろう、とは思います」 Q:余剰金には、税金を原資とするお金が含まれているケースも多いです。それぞれの議員たちは、その意味や処理方法をわかっているのでしょうか? A:「政治の世界は、お金のことは、議員や候補者本人に何も教えない、という世界だと言われています。ですから、政治家本人に聞いても何もわからないでしょう。お金に細かくて、いろいろとチェックする議員もいますが、そういう人は嫌がられます。(選挙のお金について)議員本人が知っているとしたら、それはまずいことでもあるんです。選挙違反で摘発されたとき、本人も責任を問われますから。知らないほうが政治家本人にとっても、事務所にとっても都合がいいんです」「選挙の会計担当者にまったく事情に通じていない人を起用するケースもよくあります。与党も野党も問わず、です。そして、(会計担当者に)『選挙期間中は海外にでも行っててくれ』と言って、選挙事務所には寄せ付けない。そうすると、警察に摘発されても、ほんとに何も知らないで通すことができる。会計担当者は、選挙運動費用収支報告書で(『出納責任者』として会計の)責任者となっているけど、実際は違うことが少なくない」』、議員本人だけでなく、会計担当者までも知らないことにしているとは、驚きだ。
・『実態は「全員が報告書の訂正必要」  Q:余剰金の行方を追えない多くの議員側からは「法令に従って適正に処理しています」という内容の回答が届きました。どこかで“すり合わせ”を行った印象を持ちました。 A:「268人について、1人ひとりの実態を追及したら、おそらく全員が『余剰金は政治団体に入れ、政治活動に使った』と言わざるをえなくなり、(政治団体の)政治資金収支報告書を訂正することになるでしょう。そうしないと、余剰金を私物化してしまったという話になり、一時所得として税金がかかってしまう。『法令に従って適正に処理』のような回答がいちばん無難なんです」「余剰金は、実は都合の良いお金なんです。だって、法律は何も規定してないんだから。法令に従って適正に処理していると言ってますが、処理の方法が定まってないんです」 Q:余剰金を1円単位まで、きちんと政治団体に入れて使途を明確にした議員もいます。調査対象の1割強、64人に過ぎませんでしたが。 A:「そうした議員の事務所は、余剰金に絡む問題の本質をしっかり理解しているのでしょう。使い道を追及されたらまずい、と。本当にわかっている秘書や会計責任者がいる事務所は、それくらいの数字なのかもしれません」「64人の顔ぶれを見ると、安倍晋三首相や菅義偉官房長官、立憲民主党の枝野幸男代表など党首クラスが目立ちます。やはり、それぞれの事務所には処理方法をわかっている秘書などがいて、報告書を確認しているんでしょうね。余剰金問題の本質を理解していて、とにかく帳尻はきちんと合わせる。その数字が本当かどうかはわからないですけどね。政治とお金の問題は、表向きは帳尻の世界。帳尻を合わせるか、合わせられないか。帳尻さえ合っていれば良いわけです」 Q:余剰金は「収入−支出+公費負担」で計算できます。公費負担はポスター制作などのお金であり、だからこそ、余ったお金には公金が含まれる。ところが、余剰金がピッタリとゼロの議員も多かったです。今回は調査の対象外としましたが、103人です。 A:「報告書で余剰金をゼロにした議員の事務所も、事情をわかっているといえるでしょう。わかっているからこそ、余剰金を処理しなくてもいいようにゼロにする。でも、現実問題としては、公費負担分を勘案して差額がピッタリとゼロになるなんて、あり得ませんよ。そうした議員は昔から与党と野党を問わずいます」』、「安倍晋三首相や菅義偉官房長官、立憲民主党の枝野幸男代表など党首クラス」の事務所は、「余剰金を1円単位まで、きちんと政治団体に入れて使途を明確にした」とはさすが手慣れたもののようだ。
・『公選法の改正、そして新法「政治活動法」を  Q:余剰金の使い道を明確にするには、現行の制度をどう変えればいいのでしょうか。 A:「余剰金の問題は、公選法の大きな欠陥だと思います。余剰資金についての処理の方法を定めていないから、使途不明金や裏金作りの温床になりかねない。かつての政治改革の時にも、この問題は議論にならなかった。おそらく『選挙でお金が余る』などということはないと思っているのでしょう。みんな、『選挙はお金が足りないもの』という固定観念がある」「余剰金は選挙資金とはいえ、広い意味では政治資金です。選挙資金も政治資金と同じように扱うべきです。余剰金も処理や報告のあり方について、今の法体系でいけば、公選法で何らかの規定を設けるべきでしょう」 Q:岩井先生は日頃から「政治活動法」が必要だと主張しています。この意味するところは? A:「現実問題として、選挙資金と政治資金を区別することは難しい。政治活動の中に選挙活動があるはずで、選挙資金は政治資金の一部です。公選法と政治資金規正法という2つの法律があり、そして扱う法律が違うから資金の処理の仕方が別、というのはどう考えてもおかしい。僕が主張する『政治活動法』は、この2つ、政治活動と選挙活動を一本化すべきというものです。そうすれば、選挙資金の処理の仕方もわかりやすくなり、そもそも余剰金などという問題も起こりません。政治資金の流れも、より透明性が高まると思います」』、「『政治活動法』は、この2つ、政治活動と選挙活動を一本化すべきというもの」、大賛成である。

第四に、全く趣向を変えて、6月23日付け現代ビジネスが掲載した空調設備工事会社ナミレイの会長などを経て武道総本庁総裁 政財暴に幅広い人脈 朝堂院 大覚氏へのインタビュー「「最後のフィクサー」が直言、この国を破滅させるカネの亡者たち 安倍政権とその仲間たちこそ国民の敵」を紹介しよう。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/65412
・『老後資金2000万円騒動においても、露骨な富裕層庇護の姿勢や現場(官僚)への責任押し付け体質を赤裸々にさらし、どこまでも自己保身に終始する安倍政権。カミソリの異名をとった後藤田正晴を表裏で支え、あらゆる経済事件で暗躍してきた“最後のフィクサー”朝堂院大覚氏が、安倍政権に象徴されるいまの日本の支配者たちの腐敗、堕落の所業を一刀両断する』、興味深そうだ。
・『自民党政治が招いた拝金主義社会  安倍晋三首相はまた醜態を晒した。アメリカのトランプ大統領を平身低頭で招待し、大相撲の升席観戦など恥も外聞もない過剰接待を繰り返した。その成果というのか「見返り」が、あろうことか貿易交渉でのアメリカへの大幅譲歩、つまりぼったくられる事実を7月の参院選後まで公表しないでくれという密約でしかなったことを、当のトランプ大統領からバラされてしまったのだ。 さすがに日本のメディアや国民から「これは国を売る行為だ」と怒りの声が上がったが、当然のことである。 安倍首相のみならず、政官財を支配する日本の権力者たちの亡国の所業の数々は目に余るものの、すでにマヒしてしまったのか、国民の怒りはなぜか盛り上がりに欠けるように感じる。 しかし、明らかに日本は危機的状況にある。こうした現状を招いたのは、戦後長く続いた自民党政治の腐敗による「拝金主義」の蔓延にほかならいない。私はこのたび、評論家の佐高信氏とともに『日本を売る本当に悪いやつら』を上梓し、その拝金主義の源流と、いまの日本の支配者たちの体たらくを明らかにした。 佐高信さんとの対談をもとにした本書においてもっとも強調しなければならないことは、この戦後74年続く売国奴の政治家たちが日本人たちの労働力の質の低下を招いたということだ。このままでは今後100年経っても失われた質を取り戻すことは難しいだろう。 明治・大正・昭和にかけて児玉源太郎、新渡戸稲造らを始めとする多くの指導者が日本に大きな力をもたらした。その基礎になったのは武士道精神であった。いまの日本は町人の時代である。町人の時代にもっとも優先されるのはなにか。 それはカネだ。 町人の時代には拝金主義が広められ、カネを拝む人間が多くなり、正義が通じない時代をつくりあげた。だから国会においてもカネのためには平気でウソをつく、権力のためなら裏切る。すべて町人主義がまかりとおる世の中になってしまった。それはマスメディアも同じことである。 この拝金主義を広めるためにGHQが使ったエージェントが児玉誉士夫であり、戦後右翼とその力を利用した自民党政治である。この自民党政治による悪影響がもっとも大きい。 今回の佐高さんとの対談においても、その点を私はお話ししたつもりだが、これは私が経験した範囲での話であって、私が知らない場面でも同じようなことが行われていたはずだ。これが世界から日本人が信用されなくなった原因といえる』、「町人の時代には拝金主義が広められ、カネを拝む人間が多くなり、正義が通じない時代をつくりあげた・・・この拝金主義を広めるためにGHQが使ったエージェントが児玉誉士夫であり、戦後右翼とその力を利用した自民党政治である」というのは、なかなか面白い指摘だ。
・『戦争で得るものはなにもない  平成の失われた30年。平成の呪われた30年。この時代は次から次へと指導者が代わり、戦後日本人が築き上げたものをハゲタカファンドたちに献上することになった時代だ。もっとも大きいのは日本郵政による米保険大手アフラックへの2700億円近くに上る巨額出資である。 それではいかにすればわが日本が今の惨状から立ち上がることができるのか。そのためには国体と政体の変革が必要ではないか。カネを中心としたものではなく道義と行動力をもった政治家が必要だ。 私は3回逮捕されているが、1982年に起きた高砂熱学裁判をおよそ13年間闘い、一部無罪を勝ち取ったところ、95年からオウム真理教事件に巻き込まれた。その結果、親族にこれ以上迷惑をかけることができないことから松浦という名前を変えざるをえなくなった。そのときに周囲のアドバイスによって「朝堂院」を名乗ることになった。 というのも当時、私は国会改革運動をしており、参議院を廃止して衆議院の名前を朝堂院に変えること、そして最高指導者は7人にせよと主張していた。これは奈良~平安時代の七省、7人の卿(大臣)に由来する。朝堂院は奈良時代にあった、政務や儀式などを行う施設である。そしてその朝堂院はもともとは朝鮮にあった施設である。それを日本は取り入れていたのだ。 しかしいま安倍政権はさかんに日朝(日韓)戦争を起こそうと煽っている。われわれ日本人は明治維新戦争、日清戦争、日露戦争、第二次世界大戦を当事者として戦ったわけであるが、それによって得たものはなにもない。日本がやった戦争でだれが利益を得たのかを考えなければならない。日本人は殺されたり、武器を買わされたりしただけではないか。中途半端にカネをもつ数多くの政治家たちによって議論されるような国であれば、以前と同じような戦争をしてしまうだろう』、安倍政権批判はいいが、なにやら不吉な予言だ。
・『角栄、後藤田の遺訓  幕末ではイギリスのグラバーが倒幕派に武器を売り込み、対する徳川幕府をフランスが支援した。すべての戦争はその繰り返しなのである。 利益を得るのは軍事産業であり、一部の拝金主義者たちだ。イラン革命、イラク戦争を見れば明らかだ。革命や宗教、デモを利用して暴動を起こして戦争を起こすというパターンが決まっている。米国も戦争を生み出すためには同盟国を平気で裏切る。フィリピンの米軍基地撤退も米軍基地を潰したいから、軍事政権をアキノに倒させたのである。 戦争とはおしなべて人間によって作られるものだ。これに対峙する政治家には先を見通す力が必要だ。ともかく世界には戦争を回避する政治家が必要なのである。田中角栄や後藤田正晴は絶対に戦争をしちゃいけないと言っていたものだ。 安倍政権にたぶらかされてはならない。戦争ができるようにする憲法改正など絶対にしてはならないのである』、「田中角栄や後藤田正晴は絶対に戦争をしちゃいけないと言っていた」、「安倍政権にたぶらかされてはならない」、などは確かにその通りだ。
タグ:東洋経済オンライン 現代ビジネス 日本の政治情勢 (その32)(国会議員267人の選挙「余剰金が行方不明」の謎 調査対象の6割、公開資料で使途を追えず、議員秘書が語る「選挙余剰金」のすさまじい実態 現役3人が匿名回答「報告書はまったく違う」、公職選挙法の改正で「余剰金」の抜け穴を防げ 岩井奉信・日本大学法学部教授インタビュー、「最後のフィクサー」が直言 この国を破滅させるカネの亡者たち 安倍政権とその仲間たちこそ国民の敵) Frontline Press / 日本大学・岩井研究室 「国会議員267人の選挙「余剰金が行方不明」の謎 調査対象の6割、公開資料で使途を追えず」 公開情報をベースに調査を開始 「選挙運動費用収支報告書」 共産党を除く各政党は国から政党交付金を受け取っており、その額は年間で合計約320億円 使途不明の最高額約2725万円 「余剰金」を政治団体に戻したことを確認できず、使途がわからない議員が268人もいたのです。それら議員の余剰金を合計すると、約9億5000万円。最高額は約2725万円 公選法は、余剰金の処理について何も定めていません 議員たちの言い分は「報告義務ない」 1円単位まで返却の議員「公金入っているから当然」 候補者のために税金が使われているのだから、余ったお金の行き先は公選法ではっきりさせるよう規定すべきです 行方を確認できない議員の50人余りは未回答 「議員秘書が語る「選挙余剰金」のすさまじい実態 現役3人が匿名回答「報告書はまったく違う」」 「絶対匿名」の条件で明かされた内実 X議員の秘書余剰金は「票のとりまとめ」にも Y議員の秘書 「手伝ってくれた人にお礼必要」 Z議員の秘書公選法の“抜け穴”は「承知」 元秘書の男性 「政治改革で使い道を透明にすればよかった」 (かつての政治改革では)政治資金を小選挙区の話にすり替えてしまった。政治のお金をガラス張りにすればいいだけの話だった。どこから献金を受けたとか、使い道を透明にする法律(関連法の成立)ならよかったが、政治改革では、それを小選挙区の話にすり替えて、公費で政党助成をするという話にしてしまった 「公職選挙法の改正で「余剰金」の抜け穴を防げ 岩井奉信・日本大学法学部教授インタビュー」 「お金のことは政治家本人に教えない」 実態は「全員が報告書の訂正必要」 公選法の改正、そして新法「政治活動法」を 『政治活動法』は、この2つ、政治活動と選挙活動を一本化すべきというもの 朝堂院 大覚 「「最後のフィクサー」が直言、この国を破滅させるカネの亡者たち 安倍政権とその仲間たちこそ国民の敵」 後藤田正晴を表裏で支え、あらゆる経済事件で暗躍してきた“最後のフィクサー 自民党政治が招いた拝金主義社会 評論家の佐高信氏とともに『日本を売る本当に悪いやつら』を上梓 いまの日本は町人の時代である。町人の時代にもっとも優先されるのはなにか。 それはカネだ。 町人の時代には拝金主義が広められ、カネを拝む人間が多くなり、正義が通じない時代をつくりあげた 拝金主義を広めるためにGHQが使ったエージェントが児玉誉士夫であり、戦後右翼とその力を利用した自民党政治である 戦争で得るものはなにもない 安倍政権はさかんに日朝(日韓)戦争を起こそうと煽っている 中途半端にカネをもつ数多くの政治家たちによって議論されるような国であれば、以前と同じような戦争をしてしまうだろう 角栄、後藤田の遺訓 田中角栄や後藤田正晴は絶対に戦争をしちゃいけないと言っていたものだ 安倍政権にたぶらかされてはならない
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高齢化社会(その12)(老後2000万円問題で焦る人は「カモネギ」になる 人生には多くの選択肢があることを忘れるな、「老後2000万円」問題の落としどころは何か 公的年金、私的年金と税制の横断的な議論を、金融庁の報告書が実はとんでもない軽挙のワケ 年金制度改革の努力を台なしにしかねない) [国内政治]

高齢化社会については、6月18日に取上げた。今日は、(その12)(老後2000万円問題で焦る人は「カモネギ」になる 人生には多くの選択肢があることを忘れるな、「老後2000万円」問題の落としどころは何か 公的年金、私的年金と税制の横断的な議論を、金融庁の報告書が実はとんでもない軽挙のワケ 年金制度改革の努力を台なしにしかねない)である。

先ずは、投資銀行家のぐっちーさんが6月29日付け東洋経済オンラインに寄稿した「老後2000万円問題で焦る人は「カモネギ」になる 人生には多くの選択肢があることを忘れるな」の初めの4頁を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/289634
・『えー、世間は「老後に2000万円の貯金が必要だ!!」という話でかなり揺れてますね。さらには「還暦の貯蓄額25%が100万円未満 2000万円に遠く届かず」(共同通信社)などという報道もあり、「おいおい、ほんとにどうするんだ」、という気にもさせられます。 「老後2000万円問題」でやってはいけないこととは?  まあ、経緯はいろいろあるにせよ「老後に2000万円」などということを言い出す役所も「無責任」だとは思いますが、この問題の注意点は、明らかに他の所にあります。 「一番やってはいけないこと」を、絶対にしないことです。 「あー、おれは200万円しか貯金がないよ」、とか急に心配になって、ハイレバレッジだったり、元本返済すらも危ういトルコや南アフリカなどの国の「劣悪な債券」などを取りに行くことは、絶対に避ける。要は「鴨葱」(カモネギ)にならないように。これが最大の注意点です。 今回は、金融庁が間接的にお墨付きを与えちゃったわけです。「足りませんよ」と。なので、ワタクシに言わせれば、極端すぎると叱られるかもしれませんが、一斉に金融機関に号令を発して「個人の運用に力を入れろ!! 手数料をむしり取れ!!」といったも同然で、個人の運用の奪い合いにお墨付きを与えちゃったも同然なわけです。 「ほら、金融庁も足りないって言ってますよね。え?貯金200万円しかないんですか?ダメですね~、では金融庁もお墨付きの、この個人向け外貨建て変額保険(実際にはお墨付きなどない)があります。200万円なら最大1000万円になりますので、早く始めましょう!!」などと言われて乗ったら、それこそ人生「ゲームオーバー」です。 200万円が1000万円になるなんてことは、レバレッジ5倍ですから、通常の金融商品ではありえません。200万円に対する5倍のレバレッジはダウンサイドに関してもほぼ同様ですから、つまり200万円が40万円になるリスクを覚悟して運用する・・・羽目になります。例えば安心して大手銀行に預けたつもりが40万円になっちゃったらそりゃ、びっくりでしょう(笑) そもそも今のマイナス金利時代、100万円が150万円になることすら絵空事のようなもので、まずはこの「金融庁のお墨付き商品」のような勧誘から逃げることが一番のリスクヘッジです。 しかし、残念ながら、というか予想通り、いくつかの報道を見るとカモネギたちはすでに喜んで行列をなし、狩られつつあるようです・・・・・・どうやら「味噌」まで背負っていた様子・・・・・・(涙)。 余談ですが、投資の記事によく出て来るNISA(少額投資非課税制度)というのは、われわれ専門家から見ても、お薦めできる商品ではありますね。NISAは非課税限度枠が大きく、ある意味「どう運用をしても負けない」(非課税だから)商品なので、むしろまだ申し込んでない場合、これは早めに入った方がいいかもしれない』、いくら麻生大臣が金融審議会の報告書を受け取らないといっても、世間で話題になった以上、「カモネギたちはすでに喜んで行列をなし、狩られつつあるようです」と、悲劇的な将来が暗示されている。さすがぐっちーさんである。
・『「家を売る」「仕事を続ける」・・・選択肢はいくらでもある  それから、もう一つ。金融庁の報告書では収入は21万円で支出は26万円(65歳以上の夫と60歳以上の妻の場合)だとかいうわけです。もちろん、みんなが赤字だと決めつけた書き方をしているわけではありませんが、ワタクシは今、日常の生活では正直そんなに使っていません(笑)。 例えば、家のあるなし、などにもかかわる問題ではありますが(ワタクシは持ち家なし、賃貸)、支払いの前提が「年齢が変わっても未来永劫変わらない」という前提は非常におかしいですよね。ワタクシの場合で言うと30代のころは月に60万円ほどは絶対に生活費がかかっていました。これは子供の教育費などの比率が、非常に大きいわけです。 しかし、ワタクシの生活費を計算すると夫婦2人(還暦手前)で19万円ほど。「年金の金額内」になってしまっています。いろいろなケースを拝見していると、住宅ローンの返済という項目が60歳になってものしかかっていたり(もちろんそういう人はいるでしょうが)、不思議な支払い項目がたくさんあります。今は住宅が余っていますから、さっさと売って小さな賃貸に切り替えればいいことです。 さらに、不思議なのは今まで元気に働いていた人が、なぜ突然仕事を止めるという前提に立つのか? 奥様がスーパーのレジ打ちで月12万円、ご主人が警備員の仕事で月16万円稼げばどうなりますか?年金と合わせて月50万円を超えますから、もう楽勝でしょう。この程度のバイト先なら、東京でも地方でも事欠かない。60歳を過ぎて例えば「マッククルーデビュー」とか、おしゃれじゃないですか??どうしてこの議論からは「バイトする」、という当たり前のことが「欠落する」のでしょうか。 もう一つ、私は50歳の時に岩手県紫波町1年間移住していました。「しろーと農業」で月6万円稼ぎ、リンゴ農家のバイトで15万円。生活費は18万円くらいでした。だいたい「車保有しなくちゃ」と思って「車買う」と言うと、あちこちの人から「うちの車乗れ!」というオファーが舞い込むほどでしたから、50歳の時にでさえ定職なしに貯金が出来ちゃうんです。 岩手県というところは冬の暖房光熱費が高く、かなりエネルギーコストを支払うことになりますが、年金の24万円があれば楽勝で暮らしていけます・・・・・・というような情報がなぜ、出てこないのか??「地方移住の落とし穴」、みたいな特集ばっかりしている大手運用会社、不動産会社がスポンサーをやっているような媒体を見ていて、騙されて「こりゃいかん!」と言っているだけなんです。税金を投入してまで地方移住を誘致しようとしているのに、なぜ「老後を地方で暮らす」、という選択肢が出てこないのか、非常に不思議です。 東南アジアの国などは、すでに日本の非常に高い年金収入に目を付けていて、マレーシア、フィリピンなどが年金世代の招致に力を入れています。ここでもネガティブなことばかり語られますが、実際に体験してみた感覚から言うと「非常に良い」のです。 東南アジアもいろいろありますが、総じて10年前に比べれば政情も安定してきましたし、特に老人介護ということを考えるならこの2国はお薦めです(いつも思うのですが「フィリピンは危ない」とかいう人がメディアにたくさんいて、要するに調査不足で行って騙されてしまった人だけを取材して、そういう記事を書くわけですね。 その媒体のスポンサーが某大手投資信託会社だったりするから笑っちゃいます。しかし、実際体験はしていないでしょう?ワタクシなどは、「ホントはどうなんだ??」と、疑問があればすぐに行って体験してみる。そのうえで発言をします。なぜ、何も知らないのに記事を書くんでしょうか?信じられません)。 とにかく、これらの国には安くて若い人材がいくらでもいる。フィリピンなんて、介護の資格を持った若い人の報酬は月2万円ほどですよ!生活費については、場所にもよりますが、高くても月10万円と見ていればいいですね。日本の国力は、衰えたと言っても向こう20年くらいは間違いなく高いでしょうから、円を持っていれば「最強」です。 繰り返しますが、単に「2000万円足りないらしい!運用しないとやばいぞ!」という、この「鴨葱状態」が一番まずいのです。どうしてこういう他の選択肢がきちんと提示されないのか、それはそれで不思議ですよね。 前述のように、私は50歳の時に仕事で岩手県紫波町に行って、知り合いもたくさんできましたし、子供たちを一緒に育てるようなボランティアに参加することで、地元の住民ともコミュニケーションは十分に取れますし、住むのには全く問題がないわけですね。60歳の段階で「第2の人生をどこで送ろうか?」などと考えながら、40歳台から夫婦で旅行するのもすごく夢があるのではないでしょうか? アメリカなどでは移住が非常にお気楽で、キャンピングカー1台で全米どこへでも移動していきます。そして気に入ったところに住むのです。こういう高齢移動ローラーみたいな連中は結構たくさんいて、それはそれで楽しそうです。先日、私の友人もニューヨークを引き払い夫婦2人で全米を駆け巡り、結局コロラド州に落ち着いています。もう、子供の教育問題がないので、その意味で縛られる必要がないのです。若い頃は子供のために「良い学校のあるところじゃないと住めない」、とかいろいろ制約がかかるわけですが、もうこの年になれば関係ありませんよね。 ただし、この場合の「お気楽」というのは、制度が充実しているからのお気楽ではないのです。アメリカだと、夫婦二人の健康保険だけで最低でも10万円は必要で、ちょっと病院に行くと翌年は保険料が20万円とかになりますから、病院においそれとはいけないんです。 こんな制度の下でもアメリカでは「お気楽」で楽しむわけで、これは「本人たちの気持ちの問題」、というのが非常に大きい。飜って日本では、官庁を含め、「〇〇がなきゃいけない」、ではなくて「これも要らない、あれもいらない、これだけあれば大丈夫」、という話にどうしてならないのか? あまりにも杓子定規な皆さんにも、問題があるように思います』、報告書の前提は、あくまで「65歳以上の夫と60歳以上の妻の場合」ということで固定しているが、確かに「これも要らない、あれもいらない、これだけあれば大丈夫」となれば、話は大きく違ってくる。報告書は国民に危機感を持たせるための「脅し」の意味合いもあるようだ。
・『運用よりもまずは「お金を貯めること」から  このように老後(年金受け取り開始後)は実に選択肢が多いのに、一律で「2000万円必要ですよ」、と見えるようにやっちゃったのは、やはり金融庁のミスでしょう。まあ、金融機関は大喜びでしょうが「最後は自己責任で」、とか言われるこちらは、かないません。 そして最後に当たり前の話ですが・・・・・・金融商品を選ぶ前にまず、貯金をしましょう。本当は若いころからやれば楽ですが、貯金ができない原因があれば、それはさっさと取り除く。もう、後ろを向いている時間はありません。月5万円貯金すれば5年で300万円、10年で600万円ですから、このくらいまとまってくると運用をする価値が出てきます。それまで運用は必要ありません。騙されないように!! 致しましょう。このテーマについてはまた書きます!』、「騙されないように!! 致しましょう」というのは言い得て妙だ。

次に、慶應義塾大学 経済学部教授の土居 丈朗氏が6月24日付け東洋経済オンラインに寄稿した「「老後2000万円」問題の落としどころは何か 公的年金、私的年金と税制の横断的な議論を」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/288203
・『6月3日に取りまとめられた金融審議会の報告書の記述が「老後30年で2000万円不足するのか」「公的年金だけで老後の生活は成り立たないのか」といった懸念を国民に抱かせたうえ、麻生太郎金融担当大臣が報告書を受け取らないという事態に発展した。 審議会の報告書は、大臣の部下である官僚が組織的に意思決定した決裁文書ではなく、委員である有識者の責任で取りまとめたものだ。したがって、国民から深刻な批判を浴びるような懸念を抱かせないよう、委員は報告書を作成するときに細心の注意を払うべきである。国民から批判を受けるような報告書を大臣が受け取らないという判断は当然ありうる。ただ、これが世論では大人げない態度に見えて、野党も麻生大臣の問責決議案を提出した』、自ら諮問した報告書を「大臣が受け取らないという判断は当然ありうる」というのは、御用学者らしい弁護に過ぎない。異例中の異例であることは確かだ。
・『与野党の議論は平行線、現状が放置されるだけに  加えて、「年金の検証、またも安倍内閣の鬼門になるか」で触れたように、今年は5年に1度行われる公的年金の財政検証の年である。ところが、参院選前に財政検証の結果が公表されず、6月19日に国会で開催された党首討論でもそのことがやり玉に挙がった。安倍晋三首相は「(年金財政について)検証している最中であり、報告は受けていない。政治の状況にかかわらず、しっかりと専門家が出てきて検証し、報告をしてもらいたい」と答弁した。 ただ、こうした事態の展開も参院選があってのことである。「安倍一強」の構図を崩しきれない野党が、ほぼ唯一となった政府批判の材料として「老後2000万円」問題を取り上げた面は否めない。 これまでの与野党の質疑を見ていても、老後2000万円問題に端を発した老後生活の不安を解消できるような建設的な具体案は出てきていない。このままでは、議論が平行線に終わって現状が放置されるだけである。 では、この問題の落としどころをどう見出せばよいか。それは、今年が参院選の年でなかったら進んだであろう議論の行方を想像するとよい。 歴史に「イフ」はないが、参院選がなかったら、今年後半にも老後の資産形成を支援する仕組みについて政府で議論が深められるはずだった。そのために、もともと予定されていた議論がある。それは、年金の財政検証とNISA(少額投資非課税制度)の恒久化の可否である』、なるほど。
・『安倍内閣発足時に議論の芽生えがあった  第2次安倍内閣が始まったばかりの頃から、その議論の芽生えがあった。2012年12月に発足した第2次安倍内閣は、組閣後すぐにNISAの新設を決めた。NISA制度は金融庁が所管するが、「NISAとiDeCo、これが税制面でお得な活用法だ」で指摘したように、非課税貯蓄の仕組みなので非課税の拠出枠をどの程度認めるかは、金融の問題というより税制の問題である。 2013年度の与党税制改正大綱は、「家計の安定的な資産形成を支援するとともに、経済成長に必要な成長資金の供給を拡大することが課題」であり、このために2014年1月から10年間、500万円の非課税投資を可能とするNISAを新設すると明記した。 ただ、大綱にもあるように、老後の資産形成支援ではなく、アベノミクスの3本の矢に資するように経済成長に必要な成長資金の供給を拡大する、つまり、株式や債券の投資を促すことが重視された。 しかも、NISAは恒久的な仕組みではなく、10年間の時限措置だったため、このことが冒頭の老後2000万円問題につながる波乱要因ともなる。2013年度の大綱では、NISAの拡大は今後の検討課題とするにとどまった。 翌2014年度の与党税制改正大綱は、「年金課税については、少子高齢化が進展し、年金受給者が増大する中で、世代間および世代内の公平性の確保や、老後を保障する公的年金、公的年金を補完する企業年金をはじめとした各種年金制度間のバランス、貯蓄商品に対する課税との関連、給与課税等とのバランス等に留意して、年金制度改革の方向性も踏まえつつ、拠出・運用・給付を通じて課税のあり方を総合的に検討する」と明記した。 このとき、企業年金などとともに、NISAが老後の生活を支える資産形成であるという観点が入ってきた。今回の金融審議会の報告書にある論点も、1つはここに端を発している。ただ、2014年度大綱の表現は穏当だ。「公的年金だけでは足りない」などとは書いておらず、「公的年金を補完する」仕組みを総合的に検討するとしている。 これに対し、金融審議会の報告書は「老後の生活において公的年金以外で賄わなければいけない金額がどの程度になるか」という問題設定を打ち出してしまったため、公的年金の「100年安心」をうたう政府のスタンスと矛盾しかねない報告書となってしまった』、要は公的年金だけでは足りないので、自助努力としてNISAで補完させたいということ自体は、「100年安心」との整合性をどう取るかは別にすれば、全うな主張であった。
・『欧米でも公的年金だけで豊かな老後は送れない  こうした議論の背景があって、今年に入って老後の資産形成のあり方を考える議論が加速した。公的年金は社会保障審議会年金部会で、企業年金や個人年金は同じ社会保障審議会の企業年金・個人年金部会で議論され、NISAを中心とした議論は金融審議会で進められた。そして、欧米諸国における企業年金、個人年金と非課税貯蓄制度について、政府税制調査会は現地調査を実施した。 欧米諸国を見ても、公的年金だけでリッチな老後生活が送れる国はない。私的年金や非課税貯蓄制度と補完し合いながら、老後の生活に備えている。頭ごなしに「2000万円が必要」というような金額ありきの議論は欧米でもしていない。 老後の生活を支える公的年金の給付水準を見極めながら、私的年金や非課税貯蓄制度を考えていかなければならない。その際、公的年金でどこまで老後の生活を保障するかについて、大別して2つのグループに分けて考える必要があろう。 それは、現役時代に老後に備えた貯蓄をする余裕がない人と、貯蓄する余裕がある人である。ここでいう貯蓄とは、定年退職時の退職金も含まれる。 現役時代に老後に備えた貯蓄をする余裕がない人にとって、公的年金が老後の生活を保障する命綱になっている。そうした人たちの公的年金を大幅にカットすると、死活問題になる。それは、私的年金や非課税貯蓄制度を拡充して補えるものでもない。 したがって、老後の余裕がない人たちに対する公的年金は、税財源を追加しつつ、給付水準を維持する仕組みを作らなければならない。金融審議会の報告書は、そうした人たちへの配慮に欠けていたといわざるをえない』、「老後の余裕が」ある人たちに対する公的年金は、給付水準を抑制するとの考え方は、本来は所得再配分機能を持っていない年金制度の大改革になる。
・『前のめりになりすぎた金融審議会の報告書  他方、老後に備えた貯蓄する余裕がある人は、過剰に貯蓄を残しては現役時代の消費を楽しめない。老後に備えてどの程度の貯蓄をすればよいかという目安は必要だ。しかも、貯蓄をする余裕のある時期だけ貯めて、出費がかさんで余裕がない時期にはやめるのでなく、毎年定額でコツコツと貯めてゆき、投資信託などに分散投資をすることで老後に備えた資産形成をしていくことが重要だ。 金融審議会報告書は、そこを意識したのはいいが、NISAの恒久化という税制改正要望に前のめりになり過ぎた。NISAは、前述のとおり時限措置なので、その恒久化が金融庁の悲願ではあるが、それはNISA単体で論じるべきものではなく、公的年金と私的年金を含めた全体像の中で議論すべきものだ。 老後の資産形成に関する議論は、年金の財政検証とともに参院選後に持ち越され、老後2000万円問題で与野党間の政争の具となり、虚心坦懐な議論をしにくくなってしまった。 とはいえ、国民が抱く老後の不安を払拭することは急務だ。政府与党は政争の具にすることを避け、不都合な真実があっても国民には正直に示しつつ、公的年金と私的年金と非課税貯蓄制度のあり方について制度横断的に議論を進めるべきだ』、正論であり、その通りだ。

第三に、慶應義塾大学商学部教授(社会保障論)の権丈 善一氏が7月1日付け東洋経済オンラインに寄稿した「金融庁の報告書が実はとんでもない軽挙のワケ 年金制度改革の努力を台なしにしかねない」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/289562
・『金融庁審議会の市場WG(ワーキンググループ)の報告書で世間は炎上しているようで――そのきっかけは、金融庁WG報告を次のように報道した朝日新聞の記事だったとのことである。 報告書案によると、年金だけが収入の無職高齢夫婦(夫65歳以上、妻60歳以上)だと、家計収支は平均で月約5万円の赤字。蓄えを取り崩しながら20~30年生きるとすれば、現状でも1300万~2000万円が必要になる(『朝日新聞』2019年5月23日)。 この記事がSNSに流され、老後資金2000万円問題として炎上していった』、どのように料理するのだろう。
・『金融商品を売る金融庁のアプローチ  先日の授業で、いま君が証券会社の社員だとして、お客さんに株を売りたいとする。お客さんに、老後の生活費として公的年金のほかにどのくらいの資金を準備したほうがよいかを示す数字として、君たちは、その平均値、中位値(分布の真ん中の数字)、最頻値(分布の中で最も頻度の多い数字)のどれを示す?と考えてもらった。 みんなは証券会社の社員なのだから、とにかく商品を売りたい。そういう前提の下では、だいたいみんなが平均値を顧客に示すと答えてくれる。というのも、横軸に老後のための必要資金をとり、縦軸に人数をとったグラフを描くと、右裾が長く伸びた分布になるために、左から、最頻値、中位値、平均値の順番に並ぶことになる。 平均値を顧客に示したほうが生活費の不足に危機感を抱き、株を買ってくれそうな人たちが多くなるからである。中位値や最頻値を示していては、恐怖をあおって商品を販売するマーケティング手法が成り立たない。 これと同じ手法が、今回の金融庁の報告書で使われていた。この報告書を読んだFP(ファイナンシャルプランナー)など多くのお金のプロたちは、「なにこれ?こんな形で老後資産の不足を求めるのは、金融商品を販売するときのアプローチと同じじゃない」と思ったようである。 どうして金融庁は、ああいう金融商品の販売員と同じアプローチをとったのか? 実は、あの報告書で最も大切なのは、「つみたてNISA については(中略)時限を撤廃し、恒久的な措置とすることが強く望まれる」という一文であった。というのも、あの報告書は、金融庁が財務省につみたてNISAの税制優遇を求めるためにまとめられた陳情書だったからである。そして、税を扱う当局に対して、自分たちの商品が税制優遇に値することを示すためにまとめられているのだから、金融庁の報告書が、証券会社が顧客に金融商品を売るときのアプローチと一緒になるのは、ある意味必然であった。 例年8月末にまとめられる税制改正要望の昨年の金融庁版(2018年8月)の1番には、「1. 家計の安定的な資産形成の実現・NISA制度の恒久化等」と書いてある。 今年に入ると4月に?融庁主催の投資家向けイベント「つみたてNISAフェスティバル2019」が開かれ、金融庁長官は「NISAの利便性を?め、恒久化する。?助で??きする?活を?える制度にしたい。?座が増えるほど恒久化の道が開ける」と決意表明もしている。 同報告書を金融担当大臣(兼財務大臣)が受け取らないことにした後、次のような記事がでることになる。 時限措置であるNISAを恒久化するよう財務省に要望しており、今年は「勝負の年」になるはずだった。だが、ある同庁幹部は「報告書を土台に要望するはずが、その土台がなくなってしまった」と嘆く(『日本経済新聞』2019年6月14日)。 この一連の動きを眺めていておもしろかったのはその後の展開である』、「税を扱う当局に対して、自分たちの商品が税制優遇に値することを示すためにまとめられているのだから、金融庁の報告書が、証券会社が顧客に金融商品を売るときのアプローチと一緒になるのは、ある意味必然であった」、との指摘はズバリ本質を突いている。
・『麻生大臣の受け取り拒否とその後  当初、旧民主党の議員たちは、年金不信をあおれば選挙で有利になるという過去の経験に基づいて、今回も柳の下に隠れる何匹目かのどじょうを求めようと活気づき、老後資金2000万円炎上を利用し始めた。ところが、世間から一斉に、2009年に抜本改革を掲げて政権を獲得した後、年金に対して何もできなかった体たらくへの批判がなされてしまった。そこで、次の記事が出てくることになる。 野党内では「年金の制度論に踏み込めば、跳ね返ってくる」と危惧する声が相次いでいた(『日本経済新聞』2019年6月14日)。 その後、旧民主党の政治家たちは、年金制度を批判するのではなく、矛先を、麻生大臣の個人攻撃に変えていく。野党のこうした戦略変更はみごとにあたり、その直後から、報道は、大臣への批判一色になる。そうした報道の方向転換は、海で泳ぐ魚の群れが一斉に方向を変えていく様子を想起させるものでもあり、野党の政治家たちはメディアの扱いに慣れているものだと感心した。 さてここからが、この文章の本題になる。 麻生大臣が受け取らなかったと批判するストーリーにのっとれば、その報道の中では、金融庁市場WG報告は、時に判官贔屓の感情にも訴えられて正しい報告書であると見なさざるをえなくなっていく――しかし、冒頭に触れたように、はたしてそうなのか。あの報告書を受け取らなかったのは、公式には、「政府のスタンスと異なる」ということのようである。 「政府のスタンス」がどのようなものなのか、私は正確にはわからない。しかしながら、公的年金をできるだけ生活の頼りになる柱に育てていくことを長く考えてきた立場からすれば、あの報告書には大きな違和感があった。周辺に言っていたことは、「金融庁の報告書、僕なら受け取らないけどね」――その理由を、以下、書き残しておこうと思う。 2004年に、日本の公的年金保険は将来の保険料を固定する保険料固定方式に転換した。その際、当時の給付水準を維持していこうとすれば、仮に基礎年金への国庫負担を3分の1から2分の1に引き上げたとしても厚生年金保険料は22.8%になり、国民年金保険料は2万700円(2004年度価格)になることが試算されていた。 その保険料水準にまで上げることを拒んだ日本の公的年金は、厚生年金の保険料を18.3%、国民年金の保険料を1万6900円(2004年度価格)にとどめる選択をした。その時点で、将来の年金給付水準が下がることは運命づけられていたわけである。 そうしたなか、公的年金の設計と運営に関わる人たちは、将来の給付水準の低下を限りなくおさえ、「給付の十分性」をなるべく確保していく努力を続けてきた。と同時に、政策努力により改善される将来の給付水準を織り込んだ形で将来の年金の姿を描き、できるだけその姿を国民に示そうとしてきた。 その理由は、給付水準が下がる姿だけを示していたずらに国民に不安を与えたくなかったからであったし、改革の先にある希望のある社会を示すことで、改革への協力を国民に求めたかったからでもある。 具体的には、2004年の年金改革から5年後の2009年第1回目の財政検証で将来の問題がかなり具体的に可視化されることになり、それを受けた2013年の社会保障制度改革国民会議が動くことになる。 2013年8月にまとめられた社会保障制度改革国民会議の報告書では、年金部分の最後を次の文で締めている。 少なくとも5 年に1 度実施することとされている年金制度の財政検証については、来年実施されることとなっているが、一体改革関連で行われた制度改正の影響を適切に反映することはもちろん、単に財政の現況と見通しを示すだけでなく、上記に示した課題の検討に資するような検証作業を行い、その結果を踏まえて遅滞なくその後の制度改正につなげていくべきである。 ここで、国民会議報告書が「上記に示した課題」とは、次のようなものだ。 (1)マクロ経済スライドの見直し (2)短時間労働者に対する被用者保険の適用拡大 (3)高齢期の就労と年金受給の在り方 (4)高所得者の年金給付の見直し これら『社会保障制度改革国民会議報告書』の文言を「持続可能な社会保障制度の確立を図るための改革の推進に関する法律(通称、プログラム法)」(2013年12月5日成立)が引き継ぎ、それを受けて、2014年の財政検証でオプション試算Ⅰ~Ⅲが行われた。 2014年財政検証の本体試算は、なにもしなければこうなるという絵姿を示しており、3つのオプション試算では、この方向で年金改革を進めるといずれもが将来の給付水準の底上げにプラスに働くことが確認されている』、さすが年金制度の専門家だけあって、問題がよく整理されている。
・『改革による給付改善効果は絶大  オプションⅠ、Ⅱ、Ⅲを複合した給付引き上げ効果は大きく、とくに基礎年金の給付改善効果は絶大で、第36 回日本年金学会(2016年10月28日)における小野正昭氏(現、日本年金学会代表幹事)の報告「将来に向けて検討すべき課題の整理」の中で、3つのオプション試算の複合効果が次のように示された。 経済前提ケースC所得代替率が1.27倍(所得比例1.09倍、基礎1.46倍) 経済前提ケースE所得代替率が1.31倍(所得比例1.09倍、基礎1.52倍) 経済前提ケースG所得代替率が1.46倍(所得比例1.12倍、基礎1.91倍) 日本年金学会で、小野氏は「この結果を見る限り、3つのオプションは、 選択的に実施するものではなく、セットで導入することが効果的と認められる」と結論づけていた。私が昔から言っているように、この国には、3つのオプションを実行した未来しか存在しえないのである。そのことを理解していないのが、年金関係者の中にも多すぎる。 その後、2016年には、主にオプションⅠのマクロ経済スライドの見直しが進められた。そして、今年の2019年財政検証では、オプションⅠからⅢに沿って、将来の給付水準を上げるための施策が試算されるであろうし、その方向に沿って、基礎年金の給付水準を上げるためにも一層の適用拡大を進める必要があり、年金受給の弾力化と被保険者期間の延長を求めて政策努力が展開されることになる。そしてそれを来年の年金改革で実行たらしめるために、すでに準備が何年もかけて行われてきていたわけである。 そうであるのに、金融庁が財務省に、つみたてNISAの恒久化を求める陳情をするために、現在進められている公的年金の改革、その周辺の働き方をはじめとしたさまざまな改革をまったく無視した報告書を出してきた。公的年金というのは、あおれば政局を作りやすい「将来不安」と関わるために、野党もメディアもつねに手ぐすねを引いて構えている極めてセンシティブな問題である。 慎重のうえに慎重を重ねて、揚げ足を取られないように細心の注意を払いながら事を進めなければならないのに、金融庁にはそうした配慮はまったくなく、野党やメディアに揚げ足を取られて炎上した。ここで説明した一連の動きを関わり知る年金の専門家が金融庁市場WGにいなかったことが一因だったと思われる。 願わくば、公的年金に寄せられるこのエネルギーを、1人でも多くの人に適用拡大を進める方向に収斂させ、そして、いずれは、基礎年金の給付水準を上げるために最も有効な方法である、被保険者期間を20歳から59歳までではなく、64歳までの45年に延長する改革を、たとえ国費1兆数千億円が必要であるとしても実現するために、年金に向けられるこのエネルギーを活かすことはできないかと思っていたりもする。 適用拡大については、自民党は「勤労者皆社会保険制度」と呼んでおり、骨太2019の中に「勤労者が広く被用者保険でカバーされる勤労者皆社会保険制度の実現を目指して検討を行う」と書き込まれるところまで来ている。ぜひ、積極的に進めてもらいたい。 ちなみに、私は、Basic IncomeをBIと呼ぶのならば、それよりも相当の長所をもち社会保障給付の約9割を占める社会保険Social InsuranceをSIと呼んで「勤労者皆SI」という呼び名で広まったほうがいいと思っており、今年の3月に同党の「人生100年時代戦略本部」で“BIよりもSIを”と話してきた。 公的年金を考えるサイドから、民間金融機関に期待される役割についても触れておこう。それについては、この炎上の最中に公開された、私のインタビューから引用しておく(インタビューそのものは5月7日だったが、ネットに公開されたのは6月7日)。 「年金は破綻なんかしていない、『わからず屋』は放っておこう」『週刊東洋経済plus』 ――これからの時代に資産運用はどう位置付けられるでしょうか。 これからは「先発」がワークロンガー(継続就業)、「中継ぎ」がプライベートペンション(企業年金や民間生命保険会社の年金保険)、「抑え」がパブリックペンション(公的年金)の「WPPの時代」になる。真ん中のP、プライベートペンションは資産運用で賄う。できるだけ長く社会参加し続け、かつ繰下げ受給で公的年金をもらい始めるとすると、プライベートペンションは退職から公的年金を受給するまでの「中継ぎ」になる。いま繰下げ受給の上限(70歳)を引き上げようとする動きもあるわけで、民間の金融機関には「抑えの切り札」となる公的年金の受給までのセットアップとしての資産運用の新商品を開発してもらいたい。これまで民間は65歳で受給し始めた年金に上乗せをする「先発完投型」を考えてきたわけだから、「先発・セットアップ・抑えの守護神」のWPPはコペルニクス的転回かな。 WPPの真ん中のP、プライベートペンションが幅と厚みを増してくれるためにも、つみたてNISAやiDeCoなどの充実は望ましいとは思う。ただし、詰めなければならない側面はいくつもある。 なぜ、老後資金を託す先が元本割れのおそれもある株式なのか、つみたてNISAは中所得者の利用もあるだろうが、この活用は、キャピタルゲイン課税が緩いとみなされているこの国で高資産家を一層優遇することにはならないか、老後の資産形成のために設けられているほかの税制優遇措置との整合性をどのように図るべきか等である。これらの問題はしっかりと議論されるべきであろう』、「一連の動きを関わり知る年金の専門家が金融庁市場WGにいなかったことが一因」、金融庁の担当局長は更迭されたらしいが、確かに重大な手落ちである。「つみたてNISA」の「活用は、キャピタルゲイン課税が緩いとみなされているこの国で高資産家を一層優遇することにはならないか」との鋭い指摘なその通りだろう。
・『財政検証と参院選の15年周期  今回の金融庁報告が炎上した理由は、老後資金を考えるうえでの公的年金保険への基本知識――「将来の給付水準は絶対的なもの、固定的なものではなく、可変的なもの、経済環境等によっても変わっていくが、自分たちの選択や努力によっても変えていけるものだという」ことが、金融庁の報告からは感じ取ることができなかったことにもあったのだと思う――いったん平均値を示して、後に但し書きを添えてもメディアは報道してくれない。 今年予定されている5年に一度の公的年金「財政検証」は準備ができ次第、将来の給付水準を上げる道筋を示すオプション試算とともに発表されるだろう。この財政検証は、3年に一度の参院選とは15年に一度重なる。ちょうど15年前は、財政再計算の前身である財政再計算が2004年に行われ、「未納三兄弟」という空騒ぎで盛り上がっていた。年金が政争の具とされることから得られたものは過去において何もなかった。 財政検証が8月以降になっても、来年の国会で改革が予定されている案をまとめるのには支障はない。政局を抜きにして冷静な議論をするためにも、いっそ、8月以降に財政検証を発表することを制度化してもらいたいくらいである。そうすれば、15年に一度、財政検証や年金改革に携わる人たちが、極めて重要な時期に炎上の火中に投じられ、膨大な時間を費やされることもなくなると思うんだが、まぁ、この国ではムリなんだろう』、「財政検証」の発表は参院選で先延ばしされたが、「政局を抜きにして冷静な議論をするためにも、いっそ、8月以降に財政検証を発表することを制度化してもらいたいくらい」、との主張は説得力がある。さて、どんなものが出てくるのだろうか。 
タグ:東洋経済オンライン 高齢化社会 ぐっちーさん 国民会議報告書 土居 丈朗 権丈 善一 (その12)(老後2000万円問題で焦る人は「カモネギ」になる 人生には多くの選択肢があることを忘れるな、「老後2000万円」問題の落としどころは何か 公的年金、私的年金と税制の横断的な議論を、金融庁の報告書が実はとんでもない軽挙のワケ 年金制度改革の努力を台なしにしかねない) 「老後2000万円問題で焦る人は「カモネギ」になる 人生には多くの選択肢があることを忘れるな」 一斉に金融機関に号令を発して「個人の運用に力を入れろ!! 手数料をむしり取れ!!」といったも同然で、個人の運用の奪い合いにお墨付きを与えちゃったも同然 この「金融庁のお墨付き商品」のような勧誘から逃げることが一番のリスクヘッジです カモネギたちはすでに喜んで行列をなし、狩られつつあるようです ・・・・・・どうやら「味噌」まで背負っていた様子 「家を売る」「仕事を続ける」・・・選択肢はいくらでもある 運用よりもまずは「お金を貯めること」から 「「老後2000万円」問題の落としどころは何か 公的年金、私的年金と税制の横断的な議論を」 与野党の議論は平行線、現状が放置されるだけに 安倍内閣発足時に議論の芽生えがあった 組閣後すぐにNISAの新設を決めた 株式や債券の投資を促すことが重視 10年間の時限措置だったため、このことが冒頭の老後2000万円問題につながる波乱要因ともなる 欧米でも公的年金だけで豊かな老後は送れない 前のめりになりすぎた金融審議会の報告書 「金融庁の報告書が実はとんでもない軽挙のワケ 年金制度改革の努力を台なしにしかねない」 金融商品を売る金融庁のアプローチ あの報告書は、金融庁が財務省につみたてNISAの税制優遇を求めるためにまとめられた陳情書だった 金融庁の報告書が、証券会社が顧客に金融商品を売るときのアプローチと一緒になるのは、ある意味必然であった 麻生大臣の受け取り拒否とその後 公的年金をできるだけ生活の頼りになる柱に育てていくことを長く考えてきた立場からすれば、あの報告書には大きな違和感があった (1)マクロ経済スライドの見直し (2)短時間労働者に対する被用者保険の適用拡大 (3)高齢期の就労と年金受給の在り方 (4)高所得者の年金給付の見直し 改革による給付改善効果は絶大 一連の動きを関わり知る年金の専門家が金融庁市場WGにいなかったことが一因 つみたてNISAは中所得者の利用もあるだろうが、この活用は、キャピタルゲイン課税が緩いとみなされているこの国で高資産家を一層優遇することにはならないか 財政検証と参院選の15年周期 8月以降に財政検証を発表することを制度化してもらいたいくらいである
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機構資本主義批判(その2)(産業革新投資機構 「取締役9人一斉辞任」に至る全内幕・・・、損しても責任不問「後は野となれ 山となれ」の危険な遊び、投資失敗でも役員報酬満額…92億円赤字の農水ファンド) [国内政治]

機構資本主義批判については、昨年12月11日に取上げた。今日は、(その2)(産業革新投資機構 「取締役9人一斉辞任」に至る全内幕・・・、損しても責任不問「後は野となれ 山となれ」の危険な遊び、投資失敗でも役員報酬満額…92億円赤字の農水ファンド)である。

先ずは、昨年12月13日付けダイヤモンド・オンライン「産業革新投資機構、「取締役9人一斉辞任」に至る全内幕・・・」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/188385
・『経済産業省と産業革新投資機構(JIC)のバトルは、JICの民間出身の取締役全員が辞意を表明することで幕を閉じた。一体なぜ巨大官民ファンドは機能不全に陥ったのか。その全内幕に迫った。 「もう終わりにしましょう」。12月8日土曜日、都内某所。官民ファンド、産業革新投資機構(JIC)の民間出身の取締役9人が集まった席上で、取締役会議長であるコマツ相談役の坂根正弘氏がそう切り出すと、9人全員の辞意が固まった。 所管官庁の経済産業省と前代未聞の対立を繰り広げた末、設立からわずか2カ月余りで、JICの事実上の活動休止が決まった瞬間だった。 坂根氏はこの前日まで、経産省の嶋田隆事務次官らと協議再開に向けて、10回以上にわたり接触を続けてきた。 JICの田中正明社長は「私がわびを入れてもいい」との意向を示したものの、経産省側は断固拒否。「これ以上の話し合いは無理だ」の一点張りだったという。 事ここに至るまでの間、経産省はJICへの批判を繰り返し、2019年度の概算要求予算の取り下げや、約2兆円の政府保証枠の凍結などをちらつかせては、執拗に田中社長の辞任を迫ってきた。 そして週明けの10日、東京・大手町のJIC本社で記者会見を開いた田中社長は、9人全員の辞意を表明するに至る──。 一体なぜ、経産省とJICは修復不可能なまでに対立を深めることになったのか。真相を探る中で“起点”として見えてくるのが、9月21日の出来事だ』、この問題は昨年12月11日付けの前回のブログでも取上げたが、今回はより詳細なようだ。
・『未調整だった役員報酬案  この日、JICのオフィスを訪れた経産省の糟谷敏秀官房長は、田中社長をはじめとする代表取締役を1人ずつ呼び出し、仰々しく書面を手渡した。 代表取締役たちは深々と礼をしながら受け取ったが、その書面には政府のお墨付きを得たことを示す経産相の印鑑が押されていなかった。それが後に重大な問題を引き起こすことになる。 その書面には、固定給と賞与に当たる短期業績連動報酬を合わせて最大5550万円の年間報酬に加え、投資実績に応じて後に支払われる「キャリー」と呼ばれる長期業績連動報酬の導入が明記されていた。この時点でキャリーの詳細は未定で、JICの報酬委員会が設計することとされていた。 キャリーの最大支給額は7000万円。いくら運用益が出ようとも上限を設定することでキャップをはめた格好だが、高額とのそしりを一部で受けることになる。 だが、実は前身のINCJ(旧産業革新機構)でも、上限7000万円のキャリーが導入されている。同社が解散する25年3月には、最大で7億円もの高額報酬が支払われる可能性があるが、経産省はこの部分については一切、不問の姿勢を貫いている。 それはさておき、JICの報酬委員会がキャリーなどの議論を始めたのは、書面を受け取った翌営業日の9月25日。コーポレートガバナンスの専門家で、JICの社外取締役を務める冨山和彦委員長の主導の下、約1カ月かけて報酬基準を策定したという。 その後、坂根氏に報告し、正式に機関決定したのが11月6日のことだ。 ところが、この直後に経産省が豹変する。報酬が「(最大で)1億円を超えるのか……」という首相官邸の何げない感想を過剰に忖度し、減額指示だと受け止めた経産省は突如、取締役の報酬案について白紙撤回したのだ。 だが、取締役会ですでに決議した事案を覆すことは、株式会社としてのガバナンスを否定することを意味する。 事態は混迷を深め、11月9日には嶋田次官がJICを訪れて田中社長に撤回について陳謝。だが、「信義にもとる行為だ」などと田中社長が激しく面罵することとなった。 その裏には、JICの別の危機感もあった。11月6日の取締役会では最大6000万円とする職員の報酬も決議しており、この基準によって採用した職員がすでにいたからだ。その報酬も白紙撤回されれば、訴訟リスクを抱えることになりかねない。また、たちまち国際金融市場に知れ渡り、今後のJICの採用活動に悪影響を与えるのは必至だった。 田中社長をはじめJICの取締役たちが、経産省への不信感を急速に募らせる中、こうした課題を解決するために設定されたのが11月24日の会合だった』、「前身のINCJ(旧産業革新機構)でも、上限7000万円のキャリーが導入されている。同社が解散する25年3月には、最大で7億円もの高額報酬が支払われる可能性があるが、経産省はこの部分については一切、不問の姿勢を貫いている」というのは不可解だが、「首相官邸の何げない感想を過剰に忖度し、減額指示だと受け止めた経産省は突如、取締役の報酬案について白紙撤回」、というので疑問は氷解した。経産省は首相官邸とは強いパイプで繋がっている筈なのに、「首相官邸の何げない感想を過剰に忖度」とは、全く情けない話だ。
・『「荒井ペーパー」の政治力  東京都内の帝国ホテル。会合に参加したのは、経産省からは嶋田次官、荒井勝喜大臣官房総務課長、佐々木啓介産業創造課長と同課の担当課長補佐の4人。一方のJIC側は、田中社長と社長室長、経産省出身の三浦章豪氏と財務省出身の齋藤通雄氏の両常務取締役の同じく4人だった。 先手を打ったのは経産省側だ。A4判12枚に及ぶペーパーを参加者に配り、なぜかこれまでJICとの議論に一度も参加したことのない、経産省で国会担当を務める荒井課長が説明を始めた。 ペーパーのタイトルは「基本的考え方」。書類をめくると、取締役の報酬を最大3150万円に大幅に減額することや、孫ファンドにも事実上認可を必要とすることなど、これまでの議論と全く異なる内容がふんだんに記されていた。とりわけ田中社長らの神経を最も逆なでしたのは、表紙にある「総論」部分の記述だった。 「事業遂行の基本哲学」として、(1)政策目的の達成と投資利益の最大化、(2)政府としてのガバナンス(ファンドの認可など)と現場の自由度(迅速かつ柔軟な意思決定の確保)の両立、(3)報酬に対する国民の納得感、透明性と優秀なグローバル人材の確保(民間ファンドに比肩する処遇)の両立という三つの論点が書かれていたのだ。 さらに官民ファンドの手法として、投資ファンドが日常的に行っているデリバティブ取引を禁じただけでなく、インデックス投資、不動産投資はリスクヘッジ目的でない限り認めないといった、当たり前過ぎることもご丁寧に記されていたのだ。 JIC側とすれば、そうした哲学について十分に理解した上で、幾度も議論を重ねてきた。にもかかわらず、これまでの議論を半ば無視するかのように国会担当者があらためて論点を提示し、まるで「おまえたちは政治に従っていればいい」と言わんばかりの態度だったという。 会合は2時間に及んだものの、そうした状態で不信と嫌悪という感情だけが交錯し、まともな議論には到底ならなかった。 「話が違う! このままではJICを育てることはできない!」。田中社長がそう怒りをあらわにし、最後は席を蹴ったことで両者の対立はついに決定的なものになった。 「(JICが)孫ファンドまで作って、そこから先は全く国として見えないということは想定していなかった。透明性に問題があると認識せざるを得ない。われわれは(JICの投資について)白紙委任をしているわけではない」 世耕弘成経産相は12月10日の記者会見で、JICとの認識のずれを生んだ点についてそう解説してみせた。確かに、迅速な投資判断をする上で、認可の範囲に孫ファンドを含めるかどうかは大きな論点である。だが、互いに歩み寄る余地もなく、落としどころを見いだすことすら難しいという内容では決してなかったはずだ。 投資実務をめぐる意見の対立や認識のずれと言えば世間に格好がつくのかもしれない。だが、問題は報酬案の白紙撤回をきっかけにして、建設的な議論がまともにできないほど、感情的に対立してしまった点にある。 田中社長をはじめJIC側は、官邸の顔色をうかがっては報酬や認可の範囲について、次々にハシゴを外してくる経産省に対して不信感が極限にまで増幅。 一方の経産省側は、田中社長がこれまで高圧的な言動を繰り返し、報酬案の白紙撤回という事務的失態について、次官が自ら謝罪した後も執拗に責め立てる姿を見て、一緒に仕事はできないと判断したにすぎないというわけだ。 ただし、自らの失態で、民間経営者が作り上げたガバナンスを形骸化させて、2兆円の投資枠を持つ巨大官民ファンドを機能不全に陥らせた罪は重い』、荒井課長が「「おまえたちは政治に従っていればいい」と言わんばかりの態度」で接してきたのでは、「田中社長をはじめJIC側」が怒り心頭に発して、「一斉辞任」したのも当然だ。
・『経産省は今後、新たに「JIC連絡室」を立ち上げ、新たな取締役の選任を急ぐ方針だ。連絡室長には糟谷官房長が就き、来春までは専任として業務に当たらせるため、官房長の業務は嶋田次官と総括審議官に代行させるという。 事実上の降格となった糟谷官房長は、昨年12月に田中氏に社長就任を打診した張本人。だからこそ、JICへの出向も視野に入れた上で人選に最後まで責任を持たせるのだろう。 だが、ここまでぶざまな混乱を招きながら、その渦中にいた人物に役員の招致を担わせるのは、いささか酷な話だ。トカゲの尻尾切りのごとく、糟谷氏一人に責任を押し付けた格好ともいえる。 辞任当日、JICの社外取締役5人が公開したレターにあるように、海外勢に対抗し得るトップレベルの政府系投資機関をつくり上げ、積年の課題であるリスクマネーの供給という当初の理念は、もはや雲散霧消してしまった』、現在は産業革新投資機構(JIC)傘下に産業革新機構(INCJ)があり、CEOは元日産の志賀俊之氏が留任、COOは専務だった勝又幹英氏が昇格している。これまでの投資を回収するという「敗戦処理」が主要業務になるのだろう。
https://www.incj.co.jp/about/overview/index.html

次に、元経産省官僚の古賀茂明氏が12月25日付け日刊ゲンダイに寄稿した「損しても責任不問「後は野となれ、山となれ」の危険な遊び」を紹介しよう。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/244111
・『官民ファンドはアベノミクスの目玉政策。今は14もあるが、どのファンドもボロボロで、失敗に終わるのがほぼ確実だ。どうしてそうなるのか。官と民の比較をしてみるとおのずと明らかになる。 まず、民間には資金が余っている。最近では、優れたベンチャーには資金がつき過ぎる「ベンチャーバブル」も生じているほどだ。また、経営や先端技術の目利きのノウハウでは官よりも民の方が明らかに優れている。さらに、情報の質も量も、最近は民間の方が上だ。何もかも民間の方が上。それなら官民ファンドなど不要ではないのか。 ところが官僚たちは、官民ファンドの存在によって、優秀な民間人でもできない案件が実行可能になるという。では、その官民ファンドの強みとは一体、何なのか。 それは、官のカネなら損をしても責任を問われないということしかない。しかも、情報開示も不徹底だから、失敗しても経歴に傷がつかない。つまり、無責任に安心して好きなことをできるからに他ならない』、「情報の質も量も、最近は民間の方が上だ。何もかも民間の方が上」なのに、「官民ファンドの強み」が「無責任に安心して好きなことをできるから」とはふざけた話だ。
・『官僚は経営を動かしていると錯覚して有頂天  官僚が監視する建前になっているが、実際は、官僚たちは、いつも民間人以上にイケイケどんどんだ。経営のド素人なのに、一企業の経営を動かしていると錯覚して、プライドの高い官僚たちは有頂天になる。経産省のように存在意義を失った役所ならなおさらだ。こうして、ファンドは、官僚の「オモチャ」と化す。役人は2年ほどファンドで夢を見たら異動。後は野となれ山となれだ。こんな危ない遊びはない。 官がしっかり管理するという世耕大臣は何もわかっていない。優秀な民間のプロは、報酬よりも自由を求める。今回の経産省による介入の顛末は、瞬く間に世界中に拡散し、「自由のない産業革新投資機構(JIC)」に優秀な人材はもはや集まらない。JIC廃止は必然だ。 JICの前身の産業革新機構創設時、担当課長が、経産省内でこれに強く反対していた私を居酒屋に呼び出して、「古賀さん、おとなしくしててください」と頭を下げたのを思い出す。ダイエーなどを再生し4年で解散した産業再生機構の元幹部たちも皆、「官民ファンドは不要」と口を揃える。JICだけではない。すべての官民ファンドは、即刻「解体」すべきだ』、説得力溢れた主張で、大賛成だ。

第三に、6月17日付けYahooニュースが朝日新聞記事を転載した「投資失敗でも役員報酬満額…92億円赤字の農水ファンド」のうち無料部分を紹介しよう。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190617-00000051-asahi-soci
・『投資が失敗続きの農林水産省所管の官民ファンドが、役員の報酬や退職慰労金を運用成績に左右されない全額固定額にしていることがわかった。常勤役員の報酬は毎年2千万円ほどだ。退職慰労金は、6億円超を投融資した会社が経営破綻(はたん)した案件を扱った役員でも満額の1400万円が支払われる。結果責任を問わない報酬の仕組みに疑問の声が出ている。 このファンドは農林水産物の生産から加工、流通・販売まで手がける「6次産業化」を後押しする目的の「農林漁業成長産業化支援機構(A―FIVE)」で、2013年1月に設立された。大半を政府が出資した319億円の資金を元手に、株式を購入するなどして企業を支援しているが、今年3月末時点で92億円の累積赤字を抱える。 昨年10月には、国産のブランド農産物の海外販路開拓を進めていた東京都内の会社が破綻し、出資金や返済の優先順位が低い「劣後ローン」の計約6億5千万円の多くが焦げ付いた。この案件を担当していたA―FIVEの役員は今月下旬に退任するが、1400万円の退職慰労金は満額支払われる予定だ』、「常勤役員の報酬」や「退職慰労金」は高級官僚の天下りとして世間相場なのだろうが、「92億円の累積赤字」や「焦げ付き」を出しているのに、満額支給とは優雅なことだ。「結果責任を問わない報酬の仕組み」に問題があることもさることながら、最大の問題はこんないい加減な「ファンド」がお手盛りで作られていることだ。ファンド形態を採っているのに、「結果責任を問わない」などあり得ない。第二の記事にあるように、官民ファンドは全て廃止すべきだ。
タグ:朝日新聞 yahooニュース 日刊ゲンダイ ダイヤモンド・オンライン 古賀茂明 機構資本主義批判 (その2)(産業革新投資機構 「取締役9人一斉辞任」に至る全内幕・・・、損しても責任不問「後は野となれ 山となれ」の危険な遊び、投資失敗でも役員報酬満額…92億円赤字の農水ファンド) 「産業革新投資機構、「取締役9人一斉辞任」に至る全内幕・・・」 産業革新投資機構(JIC) 民間出身の取締役全員が辞意を表明 取締役会議長であるコマツ相談役の坂根正弘 坂根氏はこの前日まで、経産省の嶋田隆事務次官らと協議再開に向けて、10回以上にわたり接触を続けてきた 経産省はJICへの批判を繰り返し、2019年度の概算要求予算の取り下げや、約2兆円の政府保証枠の凍結などをちらつかせては、執拗に田中社長の辞任を迫ってきた 未調整だった役員報酬案 経産省の糟谷敏秀官房長 その書面には政府のお墨付きを得たことを示す経産相の印鑑が押されていなかった。それが後に重大な問題を引き起こすことになる 前身のINCJ(旧産業革新機構)でも、上限7000万円のキャリーが導入されている。同社が解散する25年3月には、最大で7億円もの高額報酬が支払われる可能性 報酬が「(最大で)1億円を超えるのか……」という首相官邸の何げない感想を過剰に忖度し 減額指示だと受け止めた経産省は突如、取締役の報酬案について白紙撤回 取締役会ですでに決議した事案を覆すことは、株式会社としてのガバナンスを否定することを意味 最大6000万円とする職員の報酬も決議しており、この基準によって採用した職員がすでにいたからだ 「荒井ペーパー」の政治力 荒井勝喜大臣官房総務課長 JICとの議論に一度も参加したことのない、経産省で国会担当を務める荒井課長が説明 これまでの議論を半ば無視するかのように国会担当者があらためて論点を提示し、まるで「おまえたちは政治に従っていればいい」と言わんばかりの態度 感情的に対立 糟谷氏一人に責任を押し付けた格好 「損しても責任不問「後は野となれ、山となれ」の危険な遊び」 官民ファンドはアベノミクスの目玉政策。今は14もあるが、どのファンドもボロボロで、失敗に終わるのがほぼ確実だ 何もかも民間の方が上。それなら官民ファンドなど不要ではないのか 官民ファンドの強みとは一体、何なのか。 それは、官のカネなら損をしても責任を問われないということしかない 無責任に安心して好きなことをできるから 官僚は経営を動かしていると錯覚して有頂天 ファンドは、官僚の「オモチャ」と化す 役人は2年ほどファンドで夢を見たら異動。後は野となれ山となれだ。こんな危ない遊びはない すべての官民ファンドは、即刻「解体」すべきだ 「投資失敗でも役員報酬満額…92億円赤字の農水ファンド」 農林水産省所管の官民ファンドが、役員の報酬や退職慰労金を運用成績に左右されない全額固定額にしている 常勤役員の報酬は毎年2千万円ほどだ 退職慰労金は、6億円超を投融資した会社が経営破綻(はたん)した案件を扱った役員でも満額の1400万円が支払われる 結果責任を問わない報酬の仕組みに疑問の声 今年3月末時点で92億円の累積赤字 「劣後ローン」の計約6億5千万円の多くが焦げ付いた
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新元号問題(その4)(「国体論」の白井聡氏が警鐘 安倍首相“元号私物化”の異様、侮れない改元の麻酔的効果、首相がダメ出ししてた!? 元号の選定で何が) [国内政治]

新元号問題については、5月1日に取上げた。今日は、(その4)(「国体論」の白井聡氏が警鐘 安倍首相“元号私物化”の異様、侮れない改元の麻酔的効果、首相がダメ出ししてた!? 元号の選定で何が)である。

先ずは、5月2日付け日刊ゲンダイ「「国体論」の白井聡氏が警鐘 安倍首相“元号私物化”の異様」を紹介しよう。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/253063
・『かつてあった厳粛さと慎みは、一方では「元号=天皇の時間」という側面ゆえの、天皇に対する配慮であったと同時に、民主主義=国民主権への配慮でもあっただろう。新時代は、元号が発表された時点では真っさらの状態にあり、それがどんな時代になるのかを決めるのは、日本国民である。ゆえに、決定に関わった当事者たちは、その具体的過程や言葉の意図などについて口を閉ざしている。元号が、真に国民のものとなるためには、あたかもそれは誰が決めたものでもないかのように、「どこからともなく」やって来なければならないからである』、確かに本来はその通りなのかも知れない。なお、白井聡氏は京都精華大学専任講師(社会思想、政治学)。
・『「令和」は最後の元号になるかもしれない  対照的に、安倍晋三は新元号発表を徹底的に政治ショー化した。その異様さが頂点に達したのは、首相談話発表に続く記者との質疑応答で、新時代を「1億総活躍社会」等の自分の政権の具体的な政策と結びつけたときにおいてである。これはまさに禁じ手だった。主権者たる国民と、「国民統合の象徴」のものであるはずの元号とそれが表象する時間が、私物化されたのである。 とはいえ、安倍はこの政権の原理を首尾一貫させたに過ぎない。その原理とは「私物化」に他ならないが、本質的な意味で私物化されているのは、国有地や公金ではなく、国家と国民そのものである。 しかし、つまらぬ世襲政治家に過ぎない安倍晋三が天皇をしのぐ権威を自力で獲得することなどできようはずがない。ここにまさに、私が「国体論 菊と星条旗」で論じた「国体」特有の現象が表れている。「戦前の国体」においては、国民はあたかも家長としての天皇の所有物であるかのように扱われ、悲惨な末路を迎えたが、占領と安保体制を通じ、「菊から星条旗へ」と頂点をすり替えて国体は生き延びた。新元号を巡る安倍の傲り高ぶった振る舞いを可能にする権威性とは、要するに、彼が米国の代官であること以外に求めようがない。天皇化した米国の代理人として、安倍は堂々と元号を私物化してみせた。 しかし、政権支持率の推移を見るに、事の異様さに気づいている国民は少数派であろう。「初めて国書を典拠とする元号」という与太話を聞かされて喜々としている国民に未来はない。令和は最後の元号になるかもしれない』、安倍首相による「“元号私物化」で穢れたとはいえ、マスコミが祝賀ムードを盛り上げ、商売人が便乗グッズを売り出すなかでは、国民が祝賀ムードに流されるのもやむを得ないのだろう。

次に、明治大学教授の西川伸一氏が5月15日付け週刊金曜日オンラインに寄稿した「侮れない改元の麻酔的効果」を紹介しよう。
http://www.kinyobi.co.jp/kinyobinews/2019/05/15/seiji-74/
・『4月1日、改元狂燥曲がこの国を駆け抜けた。一番はしゃいだのは安倍晋三首相である。 11時41分に菅義偉官房長官が新元号「令和」を発表した。この会見は約7分であり、まず冒頭の約2分の内で「令和」と書かれた額が左右交互に2回ずつ掲げられた。その後1分半ほど新元号の決定に至る手続きと典拠が簡単に説明された。 そして菅氏はこう述べた。「この新元号に込められた意義や国民の皆さんへのメッセージについては、この後、安倍総理の会見があります」。さらに記者が「令和」が選ばれた理由を問うたのに対して、「この後総理ご自身から(略)直接お伝えをすることになっております」と答えた。 こうして国民に気を持たせたあと、12時5分から首相は記者会見を開いて約18分にわたって談話を発表した。「この『令和』には、人々が美しく心を寄せ合う中で文化が生まれ育つという意味が込められております」「悠久の歴史と薫り高き文化、四季折々の美しい自然、こうした日本の国柄をしっかりと次の時代へと引き継いでいく」など、『美しい国へ』(文春新書)の著者らしい聞こえのよい文学的レトリックが次々と繰り出された。 同日夕方以降、首相は生放送や録画でテレビ出演を重ねた。これほどかと眉をひそめる露出ぶりである。前回の改元は天皇の死去に伴うものだった。だが今回は生前退位なので、「慶事」として心置きなく「利用」できるのだ』、安倍首相のハシャギぶり、それを臆面もなく伝えるマスコミは常軌を逸していた。
・『一強長期政権に対する「飽き」から国民の気分を一新させ、その目立つ綻びを覆い隠す格好の政治ショーになった。社民党の又市征治党首は「さまざまな批判を元号で全部そらさせようとしている」(4月2日付「朝日新聞デジタル」)と的確に批判した。 狙いどおり支持率は跳ね上がった。共同通信社が4月1、2日の両日に行なった全国緊急電話世論調査では、内閣支持率は3月の前回調査より9・5ポイント上がって52・8%に達した。 ところで、政治学に権威という考え方がある。権力は正しいので、権力の令することならその痛みを自覚せず進んで従おうという人々の心性を指す。権力の権威化が進むほど権力は支配しやすくなる。そこで、いかなる権力も自らの権威化に腐心する。たとえば「物語と歴史」を持ち出して権力の神聖さや偉大さを説くのである。 いみじくも首相は会見で、「令和」の出典となった『万葉集』について「1200年余り前に編さんされた日本最古の歌集であるとともに(略)我が国の豊かな国民文化と長い伝統を象徴する国書であります」と評した。改元にかこつけた権力の権威化の目論見が見え隠れする。国民に対するその麻酔的効果は決して侮れない。 さて、私は前回の当欄で、近藤正春内閣法制次長の昨年3月に延長された定年が、今年3月末日に迫っていると指摘した。このままでは、はじめての長官になれなかった次長として退官してしまうと。 なんと内閣法制局はその3月末日付で、彼の定年をもう1年延ばすきわめて異例の人事を決めた。理由は「天皇陛下の退位をめぐる憲法問題について、専門知識を有しているため」という(3月31日付『産経新聞』)。昨年の延長理由も同じだった。これでは定年の意味がなくなる。天皇の政治利用ならぬ行政利用ではないか』、「改元にかこつけた権力の権威化の目論見が見え隠れする。国民に対するその麻酔的効果は決して侮れない」、というのはその通りだ。内閣法制局には新安保法制で集団的自衛権を合憲判断をさせるため、外務官僚の小松一郎氏を長官にねじ込んだ経緯があり、腫れ物に触るように気遣っているのだろう。

第三に、新元号決定の舞台裏について、NHKの政治部 官邸クラブ取材班が執筆したNHK政治マガジン「首相がダメ出ししてた!? 元号の選定で何が」を紹介しよう。
https://www.nhk.or.jp/politics/articles/feature/17483.html
・『「新元号、どん引き」「訳わかんなくね」「新元号、不評。内閣支持率も急落」安倍総理大臣をはじめ、政権幹部がもっとも恐れたシナリオだ。 実際はそうならず、「令和」発表後、SNS上などでは高評価が目立ち、政府内からは安堵(あんど)の声が漏れている。その影響か、内閣支持率は各種世論調査で上昇傾向。新元号を発表した菅官房長官は、ポスト安倍の有力候補のひとりに躍り出た。 では、これが他の原案だったら、どうだったのだろうか? いまだ秘密のベールに包まれた新元号決定の舞台裏を探る中で、「令和」が「広至(こうし)」だった可能性があったことが見えてきた』、裏面を伝える報道はいまだ数少ないので、興味深い。
・『評価と歓迎ムード  4月1日、午前11時41分。 新元号が宮中に伝えられたという報告を受けた菅官房長官は、「奉書紙」と呼ばれる丈夫な和紙に「令和」と墨書された額縁を掲げ、新元号を発表。正午過ぎには安倍総理大臣みずからが記者会見し、「令和」を日本最古の歌集である万葉集から引用した意義を強調した。 発表直後から、SNS上では高評価が目立った。揶揄(やゆ)したり批判したりする声もあったが、テレビや新聞も、歓迎ムードの広がりを報じた。 菅官房長官は翌日の記者会見で、「国民に好意的な受け止めが広がっているとすれば」と慎重な姿勢を堅持しながら、新元号が広く国民に受け入れられるよう努める考えを強調した。 ただ政府内からは「退位の表明以来、苦労の連続だったが報われた」などと、安堵の声が相次ぎ、新元号に対する世論の動向に神経を尖らせていたことがうかがえた』、「テレビや新聞も、歓迎ムードの広がりを報じた」、安倍政権に近いNHKもそのお先棒を担いだ。
・『最初のヤマ場で、首相がダメ出し!?  では新元号は、どのように決まっていったのか? その選定過程は秘密のベールに遮られ、全容が明らかになっていないが、決定直前の2月末と3月末の2回、大きなヤマ場があったことが明らかになった。 最初のヤマ場となる、ことし2月末。 平成の30年間に極秘に有識者から集められた約70の案が安倍総理大臣に示された。 案を示したのは、政府内で、昭和から平成への改元直後から、次の改元に向けて新元号の選定作業を極秘裏に進めてきた部署=旧内閣内政審議室、現在の内閣官房副長官補室だ。通称「補室」と呼ばれるこの部署は2001年に行われた中央省庁の再編で誕生した。内閣府本府の中にある。 元号の選定は内政を担当する歴代の内閣官房副長官補を含め、ごく少数のメンバーで作業が進められてきた。 そして約70の案の中から「補室」で絞り込んだ10数案について、担当者は、典拠=出典や意味を1つ1つ安倍総理大臣に説明した。 政府内では、安倍総理大臣が第1次内閣の頃から周囲に、「新元号は国書が典拠になるといい」と漏らしていたことが共有されていた。こうしたこともあってか、10数案の中には、典拠が国書のものも含まれていた。 安倍総理大臣は担当者に対し、選に漏れたほかの案について、「なぜ、これは落とされたのか」などと質問したという。 担当者らは当初、10数案の中から、最終候補となる原案が選定されると考えていたため、「良いものがないのだろうか」と不安がよぎった瞬間だった。 予想は的中することになる。 安倍総理大臣は浮かない表情を浮かべながら、「まだ時間はあるので、もうちょっと考えてくれませんか」と追加の考案を指示したのだった。 政府関係者は、蓄積されていた約70の案について、「専門家には、慣性・惰性が働いているからか、過去の元号と似たようなものが多くあった。絞り込んだ中には、総理にとってピンと来るものがなかったのではないか」と振り返った』、「最初のヤマ場で、首相がダメ出し」、というのは初耳だが、安倍首相はことの外熱心だったようだ。
・『ある職員の死  安倍総理大臣に示された約70の案。 実は、この収集と選定作業を支えてきたのは「補室」の職員ではなかった。 国立公文書館に籍を置く、ひとりの職員だった。 政府は、昭和から平成への改元が行われた直後から、中国文学、東洋史、日本文学、日本史といった分野の大家とされる有識者にひそかに新元号の検討の依頼を始めていた。 案ができあがると、その案について、 ▽国内外の過去の元号やおくり名=(崩御後の呼び名)として使われていないか ▽俗用されていないか ▽国民の理想としてふさわしい、良い意味を持つか ということを、確認してきた。 インターネットが普及したとは言え、専門家でもない行政官が選定作業を行うのは容易ではない。 それを黙々と支えてきたのが、国立公文書館に籍を置いていた尼子昭彦氏だった。 尼子氏は「内閣事務官」の肩書きも与えられ、「補室」にも出入りし、有識者と選定作業にあたる行政官の橋渡し役を担っていた。 国立公文書館の元館長の1人は、「尼子氏は漢籍=中国の古典が専門で、二松学舎大学の出身。二松学舎大学で教授をしていた宇野精一氏からの推薦で国立公文書館に入った」と明かした。 宇野精一氏は、中国思想史が専門で、昭和からの平成への改元の際に、3つの原案に含まれた「正化」を考案したことで知られる。 政府関係者は「尼子さんは、今回の改元に向けた作業だけではなく、平成への改元の際も作業に関わっていたようだ」と述べ、尼子氏が長年にわたり、元号の選定作業に深く関わってきたことを明らかにした。 尼子氏は国立公文書館に在籍していた際、同僚には「内閣官房の仕事に行ってくる」などと言って外出することがあったが、何の仕事をしているのかははっきりせず、元館長でさえ、「元号に関する仕事をしているらしいがよく分からなかった」と振り返った。 尼子氏は、政府が内々に考案を依頼している有識者のもとをたびたび訪れ、元号についての意見交換を主に行っていたという。 2007年10月、国立公文書館で秋の特別展「漢籍」が催された。 尼子氏はこの展覧会の開催にあたって、中心メンバーとして心血を注いだ。国立公文書館のホームページには、展示会開催の記録がいまも残っている。 しかし展覧会が終わったころから体調を崩して仕事を休みがちになり、数年後、退職の手続きがとられたという。 尼子氏はその後、体調が回復して非常勤という形で、内閣官房で元号選定の仕事を続けていたが、定年を迎え退職し、その後、新元号「令和」を見届けることなく、去年の春に亡くなった。 口かずの少ない寡黙な人で、東京都内のマンションで1人暮らしをしていた。ある関係者は「孤独死のような亡くなり方だった」と沈痛な面持ちで話した。広島県に住む弟が上京して葬式を済ませ、「補室」の一部の職員が手伝いながら部屋の片づけが行われたが、部屋には膨大な数の漢籍の本があったということだ。 「縁の下で元号選定作業を支えて下さった人。本当に感謝しているし、そういう人が世に知られて評価されるのであれば嬉しい」と一緒に働いたこともある、政府職員は話していた』、文字通りの黒子がいたのも初めて知った。
・『一子相伝の選定作業  尼子氏が内閣官房を去って以降、10年ほど前から国立公文書館で勤め始めた職員が跡を継いだ。 その職員は現在は内閣官房に籍を移しているという。この職員も漢籍が専門で、内閣府本府の地下1階にある作業部屋を拠点に1人ひっそりと作業を進めたという。 事務方による選定作業は、古谷官房副長官補と開出内閣審議官、それに「尼子氏の後継者」となった職員の3人で主に進められ、後継者の職員は、新元号発表を前に立ち入り禁止となった「補室」のある5階と地下1階を頻繁に行き来していた』、なるほど。
・『5人の専門家  話しを元に戻そう。新元号発表まで残すところおよそ1か月となる中、安倍総理大臣の指示を受けて、政府は、専門家らに対して、候補案の追加を依頼した。同時に、過去の240余りに上る元号の選定過程で未採用となった案を引っ張りだし、今の時代にあったものはないか改めて検討を行った。 安倍総理大臣からも「俗用ばかり気にしていたら良いものは選べない」などという指摘も出され、約70の候補案について、意味や響きなどから再評価が行われ絞り込み作業が改めて行われていたことが新たに明らかになった。 こうした作業が水面下で進められる一方、政府は3月14日、複数の専門家に対して考案を正式に委嘱したことを発表した。政府は、何人の専門家に対し委嘱したのか、いまなお明らかにしていないが、委嘱されたのは5人だったことも今回、判明した。 ▼「令和」の考案者で、国際日本文化研究センター名誉教授の中西進氏 ▼東京大学名誉教授で、東洋史が専門の池田温氏 ▼二松学舎大学元学長で、中国文学が専門の石川忠久氏 ▼中央大学名誉教授で、中国哲学が専門の宇野茂彦氏 ▼残る1人は「国書」に精通する人物とみられるが、これまでのところ特定には至っていない しかし、政府関係者によると、体調を崩していた人もいたことなどから、これら5人の専門家全員には、追加の依頼は行われなかった。 追加の依頼が、まず行われたのは宇野茂彦氏だった。研究室のホームページによれば、宇野氏は4年前の教授としての最終講義の際にも、「漢學における『文學』」を説いた、漢籍の専門家である。 宇野氏の父は、前回の改元の際に、3つの原案の1つ「正化」を考案した宇野精一氏であり、尼子氏の師にもあたる。加えて「尼子氏の後継者」は宇野茂彦氏の教え子で、親子二代続いて元号の選定作業に関わったことになる。 その後、さらに中西氏と、われわれが特定に至っていない専門家に対し、追加の依頼が行われた。こちらの2人は、国書が専門だ。 万葉集の大家である中西氏に追加の考案を依頼した際、政府関係者は、万葉集で使われている「万葉仮名」は使わないように求めた。 日本語の音に漢字をあてはめた「万葉仮名」から考案すると、意味をとることが困難になるからだ。 そこで中西氏は、万葉集に限定しない形で考案を始め、3月下旬になって、「令和」を含む数案を提出したという』、なるほど。
・『第2のヤマ場  追加案が集まったのを受け、新元号発表の5日前の3月27日、総理大臣官邸では極秘の会議が開かれた。 第2のヤマ場だ。 出席者は、安倍総理大臣、菅官房長官、杉田官房副長官、古谷内閣官房副長官補、開出内閣審議官。事実上の最高レベルの意思決定の場だったと言える。 その場では、中西氏から提出された「令和」を含む複数案が示され、協議が行われた。 安倍総理大臣が初めて「令和」と対面した瞬間だった。 「令和」は、政府の依頼に応える形で、万葉仮名を避けつつ、漢文で書かれた万葉集の序文から考案されていた。安倍総理大臣の「令和」に対する反応は最初はそれほど、良くないように見えたが、議論が進むにつれ、「令和で関係者全員が一致した」という。 ただ政府関係者は、この時点で新元号が「令和」に決まっていた訳ではないと強調する。 「新元号決定前に開かれる有識者会議で、どのような意見が出るか分からない。気分としては『令和』だったが、『令和』に決め打ちしていた訳ではない。『広至』がいいという意見もあった」 新元号の決定後に発表する予定だった安倍総理大臣の談話も「令和」「広至」を含めた、3つの原案について準備されていたという。 こうした協議を経て、原案6つが最終的に確定したのは、新元号発表の3日前となる3月29日のことだった』、「事実上の最高レベルの意思決定の場」で腹案を決めた上で、有識者会議に諮ったということは、有識者会議そのものは全くの茶番だったことになる。
・『夜のリハーサル  発表前日の31日。 有識者などからなる懇談会などで配布される、原案が記された資料の作成が行われた。 保秘を徹底する観点から、開出審議官が官邸に泊まり込んで資料を管理したそうだ。 「万が一、官邸内のスタッフの中に協力者がいた場合、鍵を開けられ、部屋に入られたら保秘が貫徹できない」 政府関係者は「新元号を抜かれるかどうかは、みなさん(報道各社)とのまさに戦いだ」と話していたが、まさに徹底した情報管理が行われた。 夜になると、菅官房長官が人目を忍んで総理大臣官邸1階の記者会見室に入ったことも確認された。会見室には、菅官房長官のほか、「補室」などの関係者が集まっていた。 菅官房長官は会見の際のように演壇に立ち、「平成」と書かれた額縁を掲げるなど、翌日に備えたリハーサルが繰り返された。 額縁に書かれた新元号が、掲げる直前に、演壇の前に座る記者団から見えない角度などの確認も入念に行われた』、菅官房長官の会見も「翌日に備えたリハーサルが繰り返された」、「記者団から見えない角度などの確認も入念に行われた」、など安倍政権の思い入れの強さが、こんなところにまで現れるとは・・・。
・『発表の当日  迎えた発表当日。 各界の代表や有識者からなる「元号に関する懇談会」「衆参両院の正副議長からの意見聴取」そして「全閣僚会議」には、「令和」を含む、これら6つの原案が示された。 原案は、A3サイズの1枚の紙に50音順で示され、典拠=出典、そして意味が添えられていた。 ▼「英弘(えいこう)」は、現存する日本最古の歴史書「古事記」 ▼「久化(きゅうか)」は、儒教の基本的な考え方を示した中国の9つの古典「四書五経」の1つの「易経」 ▼「万和(ばんな)」は、中国の前漢の時代に作られた歴史書「史記」 ▼「万保(ばんぽう)」は、久化と同じく「四書五経」の1つ「詩経」 ▼「広至(こうし)」は、当初、日本と中国のそれぞれの古典を出典としているという情報もあったが、実際は日本の歴史書である「日本書紀」と「続日本紀」だった。 ▼「令和」が万葉集。 ただ政府関係者によると、この中には「広至」と同様に、複数の典拠を持つものもあるという。 また「英弘」は当初、安倍総理大臣に示された10数案には含まれていなかったが、再評価の過程で復活したものだった』、なるほど。
・『最終段階で評価は  「元号に関する懇談会」では、9人のメンバー全員が日本の古典を典拠とするのが望ましいという考えを示し、8人が、「令和」を推す一方、1人が「これまでに元号に使われていない漢字が使われている」などとして、別の原案が好ましいと発言した。 続く「衆参両院の正副議長からの意見聴取」では、菅官房長官が1人1人に「ご意見はありませんか」と求めた。 衆参両院の正副議長からは、「わが国の良き伝統と未来への希望を託せる新元号が望ましい。提示された原案は、いずれもこれにかなっている。内閣でこのうちのどれかに決めてもらえば良い」などと、特定の案を推す意見はなく、政府に任せるという意見で一致したという。 ただ「万葉集」の梅花の詩の序文からとられた「令和」を念頭に、「元号が特定の季節をさすのはいかがなものか」という指摘が出ていたという』、「衆参両院の正副議長」は自分らの役割を理解していたので、「政府に任せるという意見で一致した」という大人の対応を取ったのだろう。
・『“想定外”が起きた全閣僚会議  最後の議論の場となった「全閣僚会議」。当初の予定は10分程度だったが、意見が相次ぎ20分近くかかった。 ある政府関係者は、「手続きの中で唯一の『想定外』だった」と述べた。 この中で、杉田官房副長官は「元号に関する懇談会」について、「すべての有識者が日本の古典からの案を薦めたほか、『令和』を推す意見が多数を占めた」と報告したほか、「衆参両院の議長・副議長の意見聴取」については、政府一任となったと説明した。 そして菅官房長官が閣僚らに発言を促すと、河野外務大臣が最初に口火を切り、日本の古典から選ぶことを支持する一方、「令和」の「和」の字が昭和の「和」と同じだと指摘した。 するとほかの閣僚からも意見が相次ぎ、発言したのは閣僚の半分にあたる10人となった。 このうち9人は、日本の古典からの選定を求め、4人が「令和」を推す一方で、「英弘」や「広至」などが良いという意見も出された。 想定に反して時間がかかったため、菅官房長官が「ご意見を踏まえて、新元号は総理に一任することとしたい」と述べると、異議は出されず、一任となった。 これを受けて、安倍総理大臣は、「令和」が好ましいという考えを表明し、会議は幕を下ろしたのだった』、「河野外務大臣が最初に口火を切り」、というのは余り空気を読まない彼らしい。
・『選定のあり方とは  NHKの世論調査で、「令和」について、どの程度好感が持てるか尋ねたところ、「大いに好感が持てる」が30%、「ある程度好感が持てる」が51%と、支持する意見が8割を超えた。 また、初めて日本の古典「万葉集」から引用されたことについても、「評価する」が63%となった。 その後、行われた皇位継承の際には、列島は歓迎ムードに包まれた。 そうしたことの影響か、NHKをはじめとする報道各社の世論調査で、内閣支持率はいずれも上昇している。 この状況を受け、与野党双方から、夏の参議院選挙に合わせた衆参同日選挙をめぐって、さまざまな発言が出ている。 前回、昭和からの改元の際には、国会を含めて大きな論争が起き、全国でゲリラ事件も相次いだ。しかし今回は、受け入れるムードが広がっている。 ただ、先の大戦を経て現行憲法が施行され、国のあり方、天皇制、そして元号の持つ意味は大きく変化した。その意味合いを、少し立ち止まって考えてはどうだろうか。退位をにじませるお気持ち表明以来の一連の特集記事が、きっかけとなることを祈念してやまない』、皇位継承問題なども議論すべきだろう。いずれにせよ、元号決定に安倍政権が並々ならぬ思い入れで臨んだことは確かなようだ。
タグ:日刊ゲンダイ 西川伸一 白井聡 新元号問題 (その4)(「国体論」の白井聡氏が警鐘 安倍首相“元号私物化”の異様、侮れない改元の麻酔的効果、首相がダメ出ししてた!? 元号の選定で何が) 「「国体論」の白井聡氏が警鐘 安倍首相“元号私物化”の異様」 元号が、真に国民のものとなるためには、あたかもそれは誰が決めたものでもないかのように、「どこからともなく」やって来なければならない 「国体論 菊と星条旗」 「私物化」 彼が米国の代官であること以外に求めようがない。天皇化した米国の代理人として、安倍は堂々と元号を私物化してみせた 週刊金曜日オンライン 「侮れない改元の麻酔的効果」 「令和」 今回は生前退位なので、「慶事」として心置きなく「利用」できるのだ 一強長期政権に対する「飽き」から国民の気分を一新させ、その目立つ綻びを覆い隠す格好の政治ショーになった 狙いどおり支持率は跳ね上がった いかなる権力も自らの権威化に腐心する。たとえば「物語と歴史」を持ち出して権力の神聖さや偉大さを説くのである NHKの政治部 官邸クラブ取材班 NHK政治マガジン 「首相がダメ出ししてた!? 元号の選定で何が」 評価と歓迎ムード 最初のヤマ場で、首相がダメ出し!? ある職員の死 国立公文書館に籍を置く、ひとりの職員 国立公文書館に籍を置いていた尼子昭彦氏 尼子氏は「内閣事務官」の肩書きも与えられ、「補室」にも出入りし、有識者と選定作業にあたる行政官の橋渡し役を担っていた 一子相伝の選定作業 5人の専門家 第2のヤマ場 夜のリハーサル 菅官房長官の会見も「翌日に備えたリハーサルが繰り返された」 発表の当日 最終段階で評価は “想定外”が起きた全閣僚会議 選定のあり方とは
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高齢化社会(その11)(元“エリート”でも2000万円投資できない定年後の憂鬱、「老後2000万円」報告書問題で 本当に悪いのは誰か、"老後2000万円"で解る安倍政権の不誠実 誰も「年金で十分」とは思ってない) [国内政治]

高齢化社会については、6月12日に取上げた。「老後2000万円」報告書がクローズアップされているので、今日は、(その11)(元“エリート”でも2000万円投資できない定年後の憂鬱、「老後2000万円」報告書問題で 本当に悪いのは誰か、"老後2000万円"で解る安倍政権の不誠実 誰も「年金で十分」とは思ってない)である。

先ずは、健康社会学合者(Ph.D.)の河合薫氏が6月11日付け日経ビジネスオンラインに寄稿した「元“エリート”でも2000万円投資できない定年後の憂鬱」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00118/00027/?P=1
・『「子供3人産め!とか、もう無理だし」「2000万円貯めろ! とかも、無理だし」 「消費税は上がる!給料は上がらない!」 「で、70歳まで働け!」 「でもって、95歳まで生きるってさ」 ‥‥先週、金融庁が発表した「老後2000万円不足」問題は、私の周りでもちょっとした話題となった。第一報をテレビのニュースで聞いたときには、「国が2000万円貯めて、資産運用しろってどういうこと??」と、即座に理解できなかった。「まさか新手の“振り込め詐欺”?」などと耳を疑ったほどだ。 そこでネット記事やら翌朝の新聞紙面を読み漁ったのだが、どれもこれも書いてあることは同じで、やはり理解できない。例のごとく私の脳内では、おサルが「年金はもらえないってことだろ!」と憤り、うさぎは「100年安心って嘘だったのか‥‥」と今更ながらショックを受け、タヌキは「ってことは年金払うのはやめて、貯めた方がいいってことだな」と開き直るなど、大騒ぎだった。 そこで金融庁がまとめた。こちらの報告書をよく読んでみたところ……・・・はじめに 近年、金融を巡る環境は大きく変化している。(中略)こうした者の出現や低金利環境の長期化等の状況と相まって、金融機関は既存のビジネスモデルの変革を強く求められている状況にある。 こうはじまる40ページ超の報告書は、私の読解力では「私たちの老後」を案じたふりをしながら、いかに「銀行さん」が生き残るかを模索したものでしかなかった。 安倍首相は10日、「(金融庁の報告書)は不正確であり、誤解を与えるものだった」と釈明したけど、誤解する余地などなかった。ただただ、年金制度を破綻させてしまった「国の責任」を、銀行さんをもうけさせる仕組みを国が推奨することでうやむやにしようとした。「老後はキミたちで。ひとつよろしく!」としか思えない内容だったのである。 と同時に、「資産運用のすすめ」に至る前提が、どれもこれも微妙で。とにもかくにも読みものとして一見の価値はあるものだったので今回は、件の報告書をもとに「超格差社会の責任」についてあれこれ考えてみようと思う』、「年金制度を破綻させてしまった「国の責任」を、銀行さんをもうけさせる仕組みを国が推奨することでうやむやにしようとした。「老後はキミたちで。ひとつよろしく!」としか思えない内容だったのである」、というのは鋭い指摘だ。
・『まずは報告書の内容から(以下、抜粋して要約) 【長寿化】+1950年ごろの男性の平均寿命は約60歳、現在は約81歳。現在60歳の人の約4分の1が95歳まで生きるという試算もあり、まさに「人生100年時代」。 【認知症】+2012年の65歳以上の認知症の人は約7人に1人。軽度認知症の人も合わせると65歳以上の4人に1人が、認知・判断能力に何らかの問題を有していることになる。 +2025年には65歳以上の約5人に1人が認知症になる。 【収入と支出】+バブル崩壊以降、年齢層別にも、時系列にも、高齢の世帯を含む各世代の収入は全体的に低下。 +支出も伸びていない。30代半ばから50代にかけての低下が顕著であり、65歳以上は、過去と比較してほぼ横ばい。 +60代以上の支出は、現役期とくらべて2~3割程度減少。 +高齢夫婦無職世帯の平均的な毎月の赤字額は約5万円。【退職金】+退職金給付額は減少。 +平均1700万円~2000万円程度で、ピーク時の約3割から4割程度減少。 +退職金給付制度がある企業の割合は、1992年度の92%から、2018年は80%に低下。 +転職や副業、フリーランスなど、若者の間で広がっている働き方は、長く働き続ける可能性を高める一方で、退職金を受け取れない、もらえても少額になる』、なるほど。
・『夫婦で毎月5万円不足する暮らしが待っている  【就労状況】+65歳から69歳の男性の55%、女性の34%が働いていて(2016年)、世界でも格段に高い水準。 +60歳以上で仕事をしている者の半数以上が70歳以降も働きたいと回答。 +高齢者の体力レベルは過去より格段に高い。 +思考レベルも高く、60歳から65歳の日本人の数的思考力や読解力のテストのスコアはOECD諸国の45歳から49歳の平均値と同じ水準。 【今後の予測】+夫65歳以上、妻60歳以上の夫婦のみの無職の世帯では、毎月の不足額の平均は約5万円。余命を考えれば、不足額の総額は単純計算で1300万円から2000万円。 +今後は自分自身の状況を「見える化」し、就労継続の模索、支出の再点検・削減、そして保有する資産を活用した資産形成・運用といった「自助」の充実を行う必要がある。  ……といった現状と今後の予測から、報告書ではさらに、 +個々人にとっての資産の形成・管理での心構え――現役期、リタイア期前後、高齢期 +金融サービスのあり方――「自助」充実に応じたコンサルティングの強化、認知能力が低下した者に対する資産の運用・保全向けの商品・サービスの充実など といった提言とともに、具体的な金融商品が例示されていた。 その中には金融庁が「貯蓄から投資へ」を掲げて推進している「つみたてNiSA(少額投資非課税制度)」も含まれていて、個人のカネを金融市場に回して活性化したい思惑がみえみえだった。 とまぁ、あれこれと書いてあったけど、報告書の趣旨を私なりにシンプルにまとめると、「タンス預金を株式市場に回しましょう! 団塊の世代は結構カネ持ってるはずだから、根こそぎいただきましょう! で、投資人気を高めて若い人たちからも分捕っちゃいましょう!だって日本の高齢者は、体力レベルも高い! 思考レベルも高い! 70歳過ぎても働きたいって言ってるんだから、大丈夫っしょ?」ってこと。 これまでも政府がまとめるさまざまな報告書の問題点や疑問点を取りあげてきたけど、これほどまでにさもしい報告書を私は見たことがない。申し訳ないけど、バカにしてる。そう思えてならなかったのである。 麻生財務大臣は「100まで生きる前提で退職金って計算してみたことあるか? 普通の人はないよ。そういったことを考えて、きちんとしたものを今のうちから考えておかないといかんのですよ」と記者団に語っていたけど、これが政治家のやる仕事なのだろうか。 カネではなく、人の顔を見てくれよ、と。そうすれば2000万円という数字の無責任さがわかるはずだ』、「思考レベルも高く、60歳から65歳の日本人の数的思考力や読解力のテストのスコアはOECD諸国の45歳から49歳の平均値と同じ水準」というのは嬉しくなるような指摘だ。ただ、全体としては、「これほどまでにさもしい報告書を私は見たことがない。申し訳ないけど、バカにしてる。そう思えてならなかったのである」というのは同感だ。
・『歳を経るほど広がる非正規の賃金格差  報告書でも指摘されているように、非正規は低賃金で雇用が不安定であることに加え、退職金などない。政府はフリーランスをやたらと推進しているけど、フリーランスという甘美なワードの実態はただの非正規雇用だ。 非正規と正社員の賃金格差は、30代前半で正社員281.9万円、非正規社員213万円と、その差約70万円程度だが、その後さらに差は広がり、30代後半で約100万円、50代前半では、200万円以上に差が広がっていく。 そんな状況で、どうやって投資しろ!というのか。 報告書では「支出が伸びない」としているけど、それは「出すカネがない」だけのこと。「転職、副業、フリーランスなど若い人の間でさまざまな働き方が広がっている」のではなく、「正社員の椅子が減った」ことが引き金になっているんじゃないのか。 「日本が高齢化社会対策を放置しているのはなぜか?」。 日本で暮らす外国人の知人は私にこう問うた。やがて「日本では投資のことを社会保障と呼ぶ」ようになっていくのだろう。 2018年にOECDが「Working Better with Age: Japan」をまとめ、内容について言及したアンヘル・グリアOECD事務総長のコメントが話題となった。 「職業人生の終わりに近づいて、まだ働きたいと思っている高齢労働者は非正規雇用よりも良い待遇を受けるに値する。また、高齢者が労働市場だけでなく経済全体にもたらす知恵、スキル、経験の恩恵を社会全体が受けられるようにすべきである。したがって日本は、このリスクを減らすために、定年退職年齢の引き上げに着手する必要があり、将来的には他のOECD諸国ですでに行われているように定年制を撤廃しなければならない」 私はまったくもってこの通りだと思う。 体力レベルも思考レベルも抜群に高いのであれば、賃金を上げればよろし。ところが日本では「経験の恩恵」は「社会の弊害」とばかりに、定年に達したとたん賃金の低い非正規雇用に切り替わる。その理屈が「外」からは理解不能なのだ』、「アンヘル・グリアOECD事務総長のコメント」はその通りだ。「日本では「経験の恩恵」は「社会の弊害」とばかりに、定年に達したとたん賃金の低い非正規雇用に切り替わる。その理屈が「外」からは理解不能なのだ」、理解不能なのは、「外」からだけでなく、勤労者にとっても理解不能で、やむを得ず受け入れているだけだろう。
・『リスクある資産運用の推奨は生活の安定と矛盾  「本当の意味での国民経済とは何であろうか。それは、この日本列島で生活している1億2000万人が、どうやって食べどうやって生きて行くかという問題である。その1億2000万人が、どうやって雇用を確保し、所得水準を上げ、生活の安定を享受するか、これが国民経済である」 これは大蔵官僚時代に「所得倍増計画」を立案し、高度成長の政策的基礎のプランナーとして活躍したことで知られる下村治さんのお言葉だが、これを読むと資産運用を推奨する前にやるべきことがあるのではないかと思わざるをえない。 銀行さんが超高齢化社会に向けて「ビジネスモデル」を議論し、ニーズにあったさまざまな商品やサービスを考え、進めるのは一向にかまわない。が、国が目指すべきは日本列島で生活する人の「生活の安定」であり、生活の安定と安心を支える施策を充実させること。損失リスクもある投資を推奨するとは本末転倒である。 つまるところ…、「投資するお金が稼げない人」は切り捨てられるのだ。投資家にならない限り、“豊かな老後”は手に入らない。「俺たちちゃんと言ったよね? 言われた通りに投資しないからだよ。自己責任!」と、近い将来に“大臣”がコメントするのだ。 今年3月、正社員として40年以上勤務していた女性が、定年後の再雇用契約で、会社側から賃金の75%カットを提示されたとして、損害賠償の裁判を起こした。福岡高裁は賃金を25%相当に減らす提案は不法行為にあたるとし、最高裁もこの判断を支持した。 「いくらなんでも75%も減らすなんて、例外中の例外でしょ?」 いやいや、そんなことはない。この女性が提示されたように、定年後はパートタイマーとして継続雇用する会社は比較的多い。時給1000円で週30時間勤務なら、月額で12万円前後、年収なら150万円程度だ。仮に定年前の年収が600万円なら、75%減。定年前と全く同じ仕事でも、パートタイムになった途端、それまでの経験やら培ったスキルなど全く関係なしに、現役時代の25%しかもらえなくなってしまうのだ』、確かに「定年後はパートタイマー」に切り替えるのであれば、「継続雇用」とは名ばかりだ。
・『賃金が激減する定年後への不安  労働政策研究・研修機構が2013年11月に発表した「高年齢社員や有期契約社員の法改正後の活用状況に関する調査」によると、定年到達時の年間給与を100とした場合、定年後の賃金水準は61~70%とする企業が最も多い。企業規模が大きくなるにつれ、減額率が拡大し、1000人以上の企業に関しては、5割以下になるという割合が37.1%と、最も多かった。 その実態をインタビューした男性はこう話してくれた。 「定年退職して、今はシニアスタッフとして雇われています。給料は手取り20万もない。18万くらいですよ。先輩から『世間では3割減になると言われてるけど、逆。3割しかもらえないと思っていたほうがいい』と聞いていましたので、覚悟はしていました。 でも、これが自分の市場価値なのかと思うと、むなしいです。甘えてると怒られるかもしれないですが、現場では今まで通り働いて、自分にできることがまだまだあると実感できるのに、給料だけは下がる。 自分の生活上に不安がなければ、それでもいいのかもしれません。 でも、実際は私の親はどちらも85歳過ぎていて今は元気ですが、この先は親への負担も出てきますし、長い間月々決まった日にお金が入ってくるという生活を送っていた会社員にとって、入ってくるものが少ないとか、ないとか。そういう状況に置かれるだけで不安感って募っていくんです。 最近ね、やっぱりものすごく感じるのは、私のように普通の一般的な会社員として生きてきた人間は、切り捨てられていくんだってことです」 インタビューした男性は大手メーカーに勤務し、世間的には“エリート”である。 が、「今はエリートなどいない。いるのは富裕層と上級国民のみ」と男性は断言する。 先に挙げた金融庁の報告書に、「(出典)メットライフ生命 『老後を変える』全国47都道府県大調査」より、金融庁作成、というキャプションで以下の表が記載されていた。 ●年代別の老後不安(リンク先には表あり)』、「定年後の賃金水準は・・・企業規模が大きくなるにつれ、減額率が拡大」、というのは定年前の賃金水準が相対的に高いことや、子供への教育資金負担が軽くなることが背景にあるのだろうが、「従業員を大切にする経営」はどこか遠くへ行ってしまったようだ。

次に、百年コンサルティング代表の鈴木貴博氏が6月14日付けダイヤモンド・オンラインに寄稿した「「老後2000万円」報告書問題で、本当に悪いのは誰か」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/205569
・『老後資金「2000万円不足」問題で政府関係者が口にできないこと  金融庁の金融審議会が提出した「老後資金が2000万円不足する」という報告書が、国会で問題になっています。麻生金融担当相はこの報告書の受取りを拒否。批判を受けた金融庁は、報告書の修正も検討しているそうです。要するに、まだ正式ではない報告書に書かれた内容にそのような記述があっただけで、政府の見解ではないという公式発表によって、騒動は落ち着きつつあります。 さて、思いのほか波紋を広げてしまった観のある今回の問題について、「本当に悪いのは誰か」を考えてみたいと思います。 今回の件で何が問題なのかをひとことで言うと、「この報告書がたぶん正しいこと」が問題なのです。本当は、今の50代よりも若い世代が晩年を迎える頃に、そういう時代が実際に来る可能性は高いです。たぶん、政治家も官僚もみんなそれをわかっていて、でも口にしなかった。今回、こっそり審議会が口にしてみたら騒動になった。それが今回の問題なのです。 では、老後資金はなぜ不足するのか。それはおそらく、年金制度が破綻するからです。今はぎりぎりで後期高齢者の生活を支えている年金制度が、じきにもたなくなる。だから50代以下の若い世代は、働けるうちにお金を稼いで、老後資金を2000万円くらいは用意しておいたほうがいい。そういうことなのです。 私がこれから述べることは、まっとうな政府関係者なら口に出せないと思います。かつてテレビのバラエティ番組で「地下クイズ王」になった経験を持つサブカル経済評論家の私だからこそ言える、独自解釈でわかりやすい解説を展開させていただきます。その本筋は、おおむね間違っていないはずです。 1959年から発足した国民年金制度とは、そもそも働く若い世代から納付させた年金保険料の大半を、そのまま引退した高齢者世代に年金として給付するために設計されました。若い世代が納めたお金をそのまま高齢者に分配するという仕組みの基本構造は、今でも本質的には変わっていません。 そのような制度は、1960年代のように人口ピラミッドで若者の方が多い時代には成り立っていました。しかしこれから先の2030年代、団塊の世代が80代を迎えて人口ピラミッドが完全に逆転するような時代がくれば、制度が破綻することは誰でもわかります。 昔はたくさんの若者から集めたお金を、少ない高齢者に配っていた。それに対して、少ない若者から徴収して大量の高齢者に分配すれば仕組みが回らなくなることは、子どもでもわかる理屈です。 それではもたないということで、その後高齢者に給付する年金の財源として、若い世代から徴収した年金保険料以外に、税金を加えることになりました。現在では、高齢者が受け取る年金の4割超は税金が財源となっています』、「「この報告書がたぶん正しいこと」が問題なのです」、「政治家も官僚もみんなそれをわかっていて、でも口にしなかった。今回、こっそり審議会が口にしてみたら騒動になった」、などは本質を突いた指摘だ。
・『100年安心な年金の議論など「不可能問題」の一種である  このように、年金はタコ足財源で設計されている制度です。本来なら、国民年金は2010年代に入って、破綻の危機に晒されていたかもしれません。しかし2004年、年金を受け取る年齢をさらに遅らせたり、支給される年金額を改悪したりした結果、国民年金は2019年時点でも破綻せず、我が国の「老後」を支えています。 この2004年の年金制度改正のキャッチフレーズが、「年金100年安心」だったわけですが、これを設計した段階で、それに関与した人たちは皆、本当は100年安心できるような制度ではないことをわかっていたはずです。年金は安心どころか、『黒ひげ危機一髪』ゲームのようにみんなをドキドキさせながら、制度改正に尽力した公明党の坂口大臣、第一次安倍内閣が任命した舛添大臣、そして鳩山内閣の長妻大臣といった具合に、次々と新しい厚生労働大臣へと受け渡されていったのです。 さて、世の中には「不可能問題」というものが存在します。一見解決できそうでいて、しっかり調べてみると本当は解決方法がないという問題です。年金制度を痛みなしに正常な制度へと切り替えることは、簡単に言えば「不可能問題」の一種です。 2004年に行われたのは100年安心な年金改革ではなく、「年金修復」だと思います。船が沈むタイミングは遅らせることができても、船は最後には沈みます。ただ厄介なことに、実際はそうだとしても、まだまだ船が沈まないように見せる「手品」が存在します。解決することは不可能な問題なのに、解決していけるかのように見せることが可能な問題という、不思議な特徴が年金にはあるのです。 その手品をわかりやすく説明すると、税金をもっともっと年金の財源に投入することです。団塊の世代が全て後期高齢者になることで起きる2025年問題も、日本の高齢者人口が約4000万人のピークを迎える2042年問題も、年金の財源の大半を税金にしてしまえば、乗り切ることができます。本質的な解決になっていませんが、こうして不安を引き起こさない手法が存在するのです。 でも、そのためには問題の主役が最終的に入れ替わる必要があります。厚生労働省が「この問題はお手上げだ」と音を上げて、その上で財務省が表舞台に登場する必要があります。つまり、問題が「財源」にすり変わる必要があるのです。 今秋、予定されている消費税増税では、税率が10%に上がることで(ポイント付与などの一時的な緩和策が終わった後の)税収は14兆円ほど増加すると言われています。ではこれから先、年金問題をさらなる税金投入で解決することができるとすれば、いったいどれくらいの財源が必要になるのでしょうか。 同様に破たんの危機にある厚生年金は別問題だとして、国民年金の満額、年額約78万円の年金を約4000万人の高齢者に交付することだけを考えても、毎年約30兆円の財源が必要です。これに現在の年金支給総額や税金の投入額の情報を加えれば、追加で必要になる増税の規模は小学校の算数の計算式でだいたいわかります』、「「年金100年安心」・・・を設計した段階で、それに関与した人たちは皆、本当は100年安心できるような制度ではないことをわかっていたはずです」、にも拘らず、「年金100年安心」を大々的にPRしたことも、今回の問題をこじらせた主因だろう。政治家のその場しのぎのいい加減な姿勢は、かえって問題を深刻化させるようだ。
・『2025年頃に再燃しそうな金融庁が本当にやりたかった議論  問題は、裸の王様を見つけた子どものように、あっけらかんと「あ、消費税は○○%に上げないとダメなんだ!」と口に出してはいけないということです。 オトナの政治家の立場としては、そのような「痛み」を国民にどう納得させられるのかと思案するでしょう。年金だけではなく医療保険にも、やがてテコ入れが必要な未来がやってきます。10%の増税の先にさらに増税していく計画を立てるのか、それとも今のうちに国民に2000万円程度のお金を貯めてもらい、将来は国に頼らないように仕向けて行くのか――。これこそが、内閣府の外局である金融庁が、今回の報告書をきっかけとして行ないたかった、本当の議論のポイントではないかと思うのです。 でも、7月には参院選が控えています。国政選挙の直前にそんな議論はできません。それで政治家たちは、今回の報告書をなかったことにしたわけです。そしてたぶん、2025年くらいには、今回の報告書の内容が再び問題になるでしょう。 「なぜ、あのとき真剣に議論しなかったのか」と――。 そうしたことは、官僚も政治家も全員がわかっているはず。でも今回は、もうこれ以上口にしないことを決めたということでしょう。推理小説的に言えば、「過去の関係者を含め全員が犯人だった」という事件と同じ構造です。 とはいえ、くどいかもしれませんが、本当は真剣に議論したところで、本質を解決できない問題なのですが――』、「今回の報告書」は、「今のうちに国民に2000万円程度のお金を貯めてもらい、将来は国に頼らないように仕向けて行くのか」という本音を出したことで問題化したので、「なかったことにする」という信じられないような荒業で、乗り切ろうとしているようだ。

第三に、ジャーナリストの沙鴎 一歩氏が6月15日付けPRESIDENT Onlineに寄稿した「"老後2000万円"で解る安倍政権の不誠実 誰も「年金で十分」とは思ってない」を紹介しよう。
https://president.jp/articles/-/29026
・『「年金だけでは不十分」は世間の常識だ  老後の資産形成について「2000万円必要になる」とまとめた金融庁の報告書をめぐって与野党の攻防が続いている。沙鴎一歩はこの報告書は、金融庁の本心から出た内容だと考えている。つまり老後に豊かな生活を送るためには、年金だけでは不十分だということだ。 しかしそんなことは金融庁に言われるまでもなく、これまで散々指摘されてきたことだ。なぜ安倍政権はこの報告書について「受け取らない」などといっているのか。 報告書は「高齢社会における資産形成・管理」と題し、首相の諮問機関の金融審議会の作業部会が6月3日に公表した。金融庁が金融審議会の事務局を務める。金融庁審議会のもとに設けられた有識者会議のひとつである、市場ワーキング・グループ(大学教授や金融機関の代表者ら21人の委員で構成)が昨年9月から12回、議論を重ねた後、金融庁内部の了承を得てまとめ上げた。 高齢化が進むなか、個人が備えるべき資産や必要な金融サービスについて安定的に資産を築けるようにすることが審議会の狙いだった。 与野党が問題にしているのは、報告書が「収入が年金中心の高齢夫婦の世帯は、収入よりも支出が上回るため、平均で毎月5万円の赤字になる。老後30年間これが続くと、2000万円が必要になる」と試算し、「赤字分は貯蓄などの金融資産から取り崩す必要がある。現役世代から長期の投資を行い、資産形成を進めるべきだ」と指摘している部分である』、なるほど。
・『「年金こそが老後の生活設計の柱だと思っている」  この部分に対し、野党から「国民の不安をあおっている。年金の『100年安心』はうそだったのか」と反発の声が上がった。 諮問して報告書を求めた麻生太郎・副総理兼金融担当相は公表直後の4日の記者会見では「100歳まで生きる前提で自分なりにいろんなことを考えていかないと駄目だ」と話して報告書の中身を肯定していた。 しかし、参院選の争点にする野党の動きが出てくると、麻生氏は7日の記者会見で「貯蓄や退職金を活用していることを、あたかも赤字ではないかと表現したのは不適切だった。一定の前提で割り振った単純な試算だった」と修正した。 菅義偉官房長官も7日午後の記者会見で「家計調査の平均値に基づいて単純計算したものとはいえ、誤解や不安を招く表現であり、不適切だった。政府としては将来にわたり持続可能な公的年金の制度を構築しているので、年金こそが老後の生活設計の柱だと思っている」と話し、「100年安心の年金」を強調した』、この問題での安倍政権の慌てぶりは、滑稽ですらある。
・『100年安心は「年金額が変わらない」という意味ではない  麻生氏も菅氏もよくそこまでうそが言えると、沙鴎一歩は感心する。 支える現役世代が減り、支えられる引退組がますます増える少子高齢化現象が原因でこの先、年金財政が苦しくなることは目に見えている。それを少しでも食い止めようと、安倍政権は年金支給の繰り下げを国民に呼びかけ、70歳支給という繰り下げの選択肢が出てきたのである。 小泉政権下の15年前の2004年、「安心プラン」と銘打った年金改革によって、厚生労働省は現役世代の所得に対する年金支給額の比率を毎年、切り下げるシステムを作り上げ、それを着実に実行している。 年金が「100年安心の年金」というのも、年金の制度が長く続けられるという「安心」であって、もらえる年金額が変わらずに100年続くという「安心」ではない。 そう説明すればいいのに、なぜか「年金こそが老後の生活設計の柱」という言葉が出てきてしまう。国民が年金をどう考えているかを、理解していない証拠だ』、安倍政権は、年金問題からは徹底的に「逃げまくる」ことにしたようだ。
・『金融庁の報告書には「一部、目を通しただけ」  麻生氏は10日の参院決算委員会で立憲民主党の蓮舫参院幹事長に「報告書を読んだのか」と質問され、こんなすっとんきょうな答弁をしている。 「冒頭部分に一部、目を通しただけで、全体を読んでいるわけではない」 麻生氏はまるで庶民の気持ちを理解していない。趣味で好きな漫画本を読む時間があるのになぜ、仕事上の重要な報告書に目を通す時間がないのか。しかも報告書は自分が諮問したその答えのではないのか。 参院決算委員会終了後、蓮舫氏は記者団のインタビューに答えて「5分で読める報告書を読んでいなかったことに驚いた。報告書のどこにも『豊かな生活の額だ』とは書いていない。読んでいない人がめちゃくちゃなことを言っている。生活が苦しく、非正規雇用で頑張っている人たちに『お金をためろ』と上から目線で言うことができるのか」と強く反発する映像がテレビのニュース番組で流れたが、まさに彼女の指摘の通りだ。 さらに驚いたことに、麻生氏は11日、記者会見で「正式な報告書としては受け取らない」と述べた。審議会の報告書を担当の大臣が受け取らないというのは、聞いたことがない。異例である。これはどういう意味なのか』、この問題への不可思議な対応は、麻生氏だけでなく、安倍政権として決めたのだろう。
・『「報告書がなくなったので、論点になりようがない」  麻生氏のこの発言を受け、自民党の森山裕国会対策委員長は11日の記者会見で、まず野党の求めている予算委員会の集中審議の開催について「報告書そのものがなくなった」として応じない考えを示した。さらに森山氏は参議院選挙への影響について「正式な報告書として受け取らない決定をしており、論点になりようがない」と答えた。 与党自らが勝手に「受け取らない」とし、その結果「報告書がなくなった」とか「論点になりようがない」と言うのは、何ともとぼけた話である。開いた口がふさがらない。 10日の参院決算委員会での安倍晋三首相の答弁も、年金の受給を受ける国民の目から見て納得のいかないものだった』、その通りだ。
・『年金問題は安倍政権にとって鬼門  野党が「『年金制度は100年安心だと言っていたのはうそだったのか』と国民は憤っている」と攻撃すると、安倍首相は「不正確であり、誤解を与える内容だった」と釈明し、こう答弁していた。 『年金100年安心がうそだった』という指摘には、『そうではない』と言っておきたい。今年度の年金は0.1%の増額改定となり、現在の受給者、将来世代の双方にとってプラスとなるものだ。公的年金の信頼性はより強固なものとなったと考えている」 わずかな増額改訂を示し、「先細りが確実だ」と懸念される今後の年金制度に対する具体的解決策は示そうとしない。それでいて「公的年金の信頼は強固」と言うのだから、つじつまが合わない。野党が怒るのも無理はない。 なぜ、安倍政権は年金制度の問題を追及されるのを嫌がるのか。 第1次安倍政権の2007年に年金の杜撰管理問題が発覚し、自民党はこの年の参院選で大敗し、この大敗が尾を引いて安倍政権は退陣に追い込まれた。有権者の関心が高い、年金問題は安倍政権にとって鬼門なのである。年金管理問題は深刻で、いまだに2000万件もの年金記録の持ち主が不明で、宙に浮いた状態が続いている』、「今年度の年金は0.1%の増額改定となり、現在の受給者、将来世代の双方にとってプラスとなるものだ。公的年金の信頼性はより強固なものとなったと考えている」、といったような安倍首相のいい加減な説明を無批判に伝える多くのマスコミも問題だ。しかし、「年金問題は安倍政権にとって鬼門」であれば、最大限「忖度」して批判を控えているのだろう。
・『「不適切な表現だった」と問題をすり替えるのは間違っている  朝日新聞は6月11日付と13日付の2回、今回の年金報告書問題を社説に取り上げ、安倍政権を批判している。11日付の見出しは「『年金』論戦 まずは政府が説明を」だ。「安倍首相と全閣僚が出席する参院決算委員会がきのう開かれた」と書き出し、こう主張する。「『年金は〈100年安心〉はうそだったのか』『勤め上げて2千万円ないと生活が行き詰まる、そんな国なのか』。野党の追及に、首相や麻生財務相は「誤解や不安を広げる不適切な表現だった』との釈明に終始したが、『表現』の問題にすり替えるのは間違っている」 「表現の問題へのすり替え」。その通りである。夏の参院選への影響を気にするあまり、お得意の答弁が出てしまったのだろう。 「制度の持続性の確保と十分な給付の保障という相反する二つのバランスをどうとるのか。本来、その議論こそ与野党が深めるべきものだ」 どの指摘ももっともだ。真に安心できる年金制度を構築するためには、経済が推移する節目節目で、「給付の保障」と「制度の維持」に対する柔軟な改革が求められる。その改革を実行するのが政治家だ』、朝日の主張はさすがに正論だ。
・『政府の役割は、正確な情報を提示することだ  後半で朝日社説は書く。 「年金の給付水準の長期的な見通しを示す財政検証は、5年前の前回は6月初めに公表された。野党は今回、政府が参院選後に先送りするのではないかと警戒し、早期に明らかにするよう求めたが、首相は『政治的に出す、出さないということではなく、厚労省でしっかり作業が進められている』と言質を与えなかった」 参院選に圧勝して憲法改正にこぎ着けるという安倍首相のもくろみが透けて見える答弁である。 その辺りを朝日社説も見破り、「年金の将来不安を放置したままでは、個人消費を抑え、経済の行方にも悪影響を及ぼしかねない。財政検証を含め、年金をめぐる議論の土台となる正確な情報を提示するのは、まずは政府の役割である」と主張する。正論である』、その通りだ。
・『議論を頼んでおきながら、風向きが悪くなると背を向ける  朝日社説の13日付の見出しも、麻生氏の報告書拒否表明を受け「議論避ける小心と傲慢」と手厳しい。 「報告書は、学者や金融業界関係者らが昨秋来12回の会合を重ねてまとめられた。金融庁が事務局を務め、会合は公開、資料や議事録も公表されている。そもそも麻生氏の諮問を受けて設けられた作業部会だ。議論を頼んでおきながら、風向きが悪くなると背を向けるのでは、行政の責任者の資格はない」 報告書は民間で活躍する有識者らが作り上げたものだ。最初、金融庁も麻生氏も支持した。それに突然「背を向ける」のはこれこそ、手のひらを返す以外の何ものでもない。 さらに朝日社説は主張する。「麻生氏は『これまでの政府の政策スタンスとも異なっている』という。異論があるなら、受け取ったうえで反論すればいい。不正確なところがあるのなら、より正確なデータや解釈を示すべきだ」 正式な報告書として受け取らなければ、議論が始まらない。報告書に問題があるのなら、受け取ってうえで指摘すればいい。そうすれば突っ込んだ議論ができる。深い議論は、年金制度を維持しながら受給者への的確な年金額を決めていくうえで欠かせない』、麻生氏や安倍政権の対応は、無責任かつ不誠実だ。
・『国民は年金制度の厳しさから目を背けてはいない  朝日社説とは反対に安倍政権擁護に回るのが、産経新聞の12日付の社説(主張)である。 まず「老後『2千万円』 厳しい現実に目を背けるな」という見出しだ。この社説を書いた論説委員は違和感がないのか。 厳しい現実が分かるから、国民は憤っているのである。その現実を隠そうとした安倍政権に怒っているのだ。 有権者の怒りが参院選で爆発すると惨敗する。そう自民党はこれまでの経験から判断し、報告書の存在をなきものにしようとした。国民は年金制度の厳しさから目を背けようとはしてないからこそ、麻生氏らの答弁に怒りを感じたのである。 産経社説の見出しは上から目線で読者をこき下ろす。産経ファンを欺く、悲しい主張である。産経社説は序盤でこう書く』、産経新聞らしい安倍政権擁護だが、「上から目線で読者をこき下ろす」とはいただけない。
・『老後資金の全てを賄えないことは誰もが理解している  「だが野党は、ことさらに公的年金と豊かな老後を送るための余裕資金を混同させ、不安をあおってはいないか。これが参院選を控えた戦術であるとすれば、あまりに不毛だ。これでは少子高齢化が加速する中で、国民の利益につながる老後のあり方について、建設的な論議など望みようがない」 野党が参院選を乗り切るために有権者の不安をあおっている。産経社説はそう言いたいのだろうが、報告書をまとめさせたにもかかわらず、それを受け取ることを拒否したことが今回の問題である。最初に参院選への影響を気にしたのは与党自民党の方だ。それを見て野党が攻撃材料に利用した。野党であれば当然の行為だろう。決して「不毛」には当たらない。 産経社説はこうも書く。「野党は報告書について『〈100年安心〉は嘘だったのか』と揚げ足取りに終始している。だが公的年金は元来、老後資金の全てを賄う設計とはなっていない。この大原則は民主党政権時も同様で、知らないはずはない」「老後に必要な資金額を紹介し、自助努力を促すことは本来、当然のことである」 老後資金の全てを賄えないことは誰もが理解している。しかし「自助努力を促す」という書き方にはうなずけない。 今回の産経社説の書きぶりは、安倍政権の代弁者のようで情けない。たとえ安倍政権であっても、「おかしい」と批判するのが、産経社説のいいところだった。読者はそんな醍醐味を味わいたくて産経社説を読むのだ』、産経新聞が是々非々の姿勢をかなぐり捨てたのでは、確かに「産経ファンを欺く、悲しい主張」のようだ。
タグ:高齢化社会 鈴木貴博 日経ビジネスオンライン ダイヤモンド・オンライン 河合薫 PRESIDENT ONLINE (その11)(元“エリート”でも2000万円投資できない定年後の憂鬱、「老後2000万円」報告書問題で 本当に悪いのは誰か、"老後2000万円"で解る安倍政権の不誠実 誰も「年金で十分」とは思ってない) 「元“エリート”でも2000万円投資できない定年後の憂鬱」 「老後2000万円不足」問題 まずは報告書の内容から 夫婦で毎月5万円不足する暮らしが待っている 思考レベルも高く、60歳から65歳の日本人の数的思考力や読解力のテストのスコアはOECD諸国の45歳から49歳の平均値と同じ水準 歳を経るほど広がる非正規の賃金格差 OECDが「Working Better with Age: Japan」 アンヘル・グリアOECD事務総長のコメント 「職業人生の終わりに近づいて、まだ働きたいと思っている高齢労働者は非正規雇用よりも良い待遇を受けるに値する。また、高齢者が労働市場だけでなく経済全体にもたらす知恵、スキル、経験の恩恵を社会全体が受けられるようにすべきである。したがって日本は、このリスクを減らすために、定年退職年齢の引き上げに着手する必要があり、将来的には他のOECD諸国ですでに行われているように定年制を撤廃しなければならない」 リスクある資産運用の推奨は生活の安定と矛盾 賃金が激減する定年後への不安 「「老後2000万円」報告書問題で、本当に悪いのは誰か」 老後資金「2000万円不足」問題で政府関係者が口にできないこと 「この報告書がたぶん正しいこと」が問題 本当は、今の50代よりも若い世代が晩年を迎える頃に、そういう時代が実際に来る可能性は高いです。たぶん、政治家も官僚もみんなそれをわかっていて、でも口にしなかった。今回、こっそり審議会が口にしてみたら騒動になった。それが今回の問題なのです 100年安心な年金の議論など「不可能問題」の一種である 「年金100年安心」 2025年頃に再燃しそうな金融庁が本当にやりたかった議論 沙鴎 一歩 「"老後2000万円"で解る安倍政権の不誠実 誰も「年金で十分」とは思ってない」 「年金だけでは不十分」は世間の常識だ 「年金こそが老後の生活設計の柱だと思っている」 100年安心は「年金額が変わらない」という意味ではない 金融庁の報告書には「一部、目を通しただけ」 「報告書がなくなったので、論点になりようがない」 年金問題は安倍政権にとって鬼門 「不適切な表現だった」と問題をすり替えるのは間違っている 政府の役割は、正確な情報を提示することだ 議論を頼んでおきながら、風向きが悪くなると背を向ける 国民は年金制度の厳しさから目を背けてはいない 老後資金の全てを賄えないことは誰もが理解している
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防衛問題(その12)(防衛大学校「任官辞退者」を批判する人が知らない より深刻な辞退者たち、秋田市ありきの陸上イージス 菅長官がすがるおこぼれ利権、F-35A墜落事故の捜査を打ち切った謎 空間識失調か機体の故障か不明のまま追加発注はおかしい) [国内政治]

防衛問題については、3月18日に取上げた。今日は、(その12)(防衛大学校「任官辞退者」を批判する人が知らない より深刻な辞退者たち、秋田市ありきの陸上イージス 菅長官がすがるおこぼれ利権、F-35A墜落事故の捜査を打ち切った謎 空間識失調か機体の故障か不明のまま追加発注はおかしい)である。

先ずは、5月24日付け文春オンライン「防衛大学校「任官辞退者」を批判する人が知らない、より深刻な辞退者たち」を紹介しよう。
https://bunshun.jp/articles/-/12030
・『3月下旬になるとメディアやネットを賑わせる恒例行事がある。防衛大学校卒業式がそれだ。と言っても、話題の焦点は卒業式自体ではない。防衛大学校卒業後に自衛官として任官しない、いわゆる「任官辞退者」の話だ』、確かに「任官辞退者」の数も毎年の注目点だ。
・『特別職国家公務員としての身分を与えられる  今年3月17日に開かれた防衛大学校卒業式では、478人の卒業生のうち任官辞退者は49人と報じられている。彼ら彼女らは、自衛官として任官せず、卒業後は民間企業に就職するなど、別の道を歩むことになる。 なお、本稿では任官しなかった防大卒業者を「任官辞退者」と表記する。公的には防衛庁時代から「任官辞退者」の方が使われていたが、報道では「任官拒否者」と表記されることが多かった。しかし、近年は報道でも「任官辞退者」とする例が増えており、昨年度の防大卒業式を伝える主要紙のうち、「任官拒否」と表記したのは読売新聞のみであった。 防大生は特別職国家公務員としての身分を与えられており、入学金と学費は無償。また、学生手当、期末手当が支給され、全寮制で食事も出されている。4年間国費で暮らし教育を受けながら、自衛隊に入らないのは何事か。様々な批判の声が新聞の投書欄やネットで散見される。 だが、本稿の結論を先に言ってしまうと、防大卒業式時点で任官を辞退する防大生は、自身の能力や適性を早期に評価し、自衛隊側の損失を低いレベルに留めている誠実な人と言える。それは何故かをみていこう』、「何故か」は是非知りたいところだ。
・『過去に見送られた授業料償還義務化  本論に入る前に、簡単に防衛大学校生の進路について触れたい。防衛大学校で4年間学んだ後、卒業と同時に陸海空自衛隊いずれかの曹長の階級が与えられる。その後1年間、陸海空それぞれの幹部候補生学校で幹部としての教育を受けた後、尉官級の幹部自衛官として各地に赴任する形になる 前述したように、防大生は入学金・授業料は無償で、手当も出ている。大学授業料の高騰が問題になっている中、こうした待遇は破格と言えるかもしれない(ただし、学生としての自由は相当制限されるが……)。当然、不公平感は大きく、新聞の投書には昔から防大生の中退や任官辞退に厳しい声があった。 そして、民主党政権時に防衛大学校の経費について事業仕分けが行われた結果、任官辞退者の授業料について、仕分け人11人中10人が「償還を義務付けるべき」と判定している。このため、2012年に野田政権が任官辞退者に対し、240万円余りの授業料返還を義務付ける自衛隊法改正案を閣議決定した。 ところが、この動きに防大OBの自民党国会議員4人が反対意見を森本防衛大臣(当時)に提出している。これに名を連ねた尾辻秀久参院副議長(当時)は任官辞退者ではないものの、家庭の事情で防大を中退した経歴を持つ。防大OBの中には、任官辞退者に対する授業料償還に反対意見も多い。個々人でその理由は異なるだろうが、防大志望者減少を懸念する声も聞かれる。結局、法案は廃案になり、償還義務化は見送られている。しかし、授業料等の償還を求める声は、未だに燻り続けている』、「尾辻秀久」氏が「防大を中退」とは初めて知った。「森本防衛大臣」は確か防衛大学校の学長も経験した筈だが、「自衛隊法改正案を閣議決定」には反対しなかったようだ。
・『任官1月以内に辞める「入校辞退者」はより深刻だ  防衛大が授業料償還で揉めている中、既に授業料の償還が義務付けられているのが、防衛医科大学校だ。しかし、教育に多額の費用がかかり、高給で需要も大きい医師という職業を考えれば、致し方ない部分も大きい。実際、僻地医療の充実を目的に設立された自治医科大学でも、入学金・授業料は免除で全寮制と、防衛医科大学校に近い制度を取っており、卒業後に知事が指定した公立病院等に所定期間勤務しなければ、償還金を求められる。 批判が多い防大卒業時点での任官辞退だが、前述したように、この時点での辞退は自衛隊にとって損失が小さく済む。 任官者は卒業と同時に一般幹部候補生任命・宣誓を行う。この時点で陸海空のどれに進むかが決まっており、各自衛隊の人事計画に組み込まれている。企業に例えると、内定式のようなものだ。これ以降に辞められると、計画に狂いが生じる。 ところが、防大を卒業して任官したにも関わらず、翌月に幹部候補生学校に入校しない任官者(仮に「入校辞退者」とする)は少なくない。筆者が防衛省から提供を受けた幹部候補生学校の入校者数データを元に集計したところ、近年の入校辞退者は次の通り推移していた。(リンク先には表あり) これによれば、入校辞退者は毎年出ており、2013年度卒は27人も出ている。この年度の任官辞退者は10人で、その3倍近くの入校辞退者を出していることになる。防大卒業から1月も経たないうちに自衛隊を辞めているのだ』、表によれば、入校辞退者数は1名だった時もあり、年によるバラツキが大きいようだ。
・『直接的にカネが出たかを問題視  かつては、約20万円の退職金を受け取って入校辞退する任官者も多数おり、国会でも取り上げられた結果、1989年には入校辞退者や入校後半年未満で辞めた場合は退職金が出ないよう防衛庁給与法が改正されている。だがこれ以降、任官辞退者があれほど報じられている反面、より問題が深刻な入校辞退者はほとんど報じられていない。メディアも国民も、自衛隊への影響の大きさではなく、直接的にカネが出たかそうでないかを問題視しているということなのだろう。 幹部候補生学校入校前や在校中以外にも問題はある。幹部候補生学校卒業後、任地に配属されてすぐに辞表を提出する幹部の話も聞く。ここまでくると、当年度中の人事計画のフォローはまず無理だろう。翌年度にも影響が出るかもしれない。防衛大学校に在学しているうちに、身の振り方をハッキリしてくれる任官辞退者は、それ以降に辞められるよりずっといいのだ。 さて、任官辞退者に隠れて、任官辞退より自衛隊にダメージが大きい辞め方が多数あることがお分かりいただけただろうが、そうなると、できるだけ防衛大学校在学中に進路をハッキリ決めてもらった方が良いのは自明だろう。防大在学中に任官辞退を決めやすい環境にした方が良いことになる』、最後の部分はその通りだろう。
・『2014年以降、卒業式への任官辞退者の出席を認めず  だが、償還金義務付けの動きに見られるように、近年は任官辞退を申し出にくくする動きの方が強い。防衛大学校は2014年から、任官辞退者の卒業式への参加を認めないようになった。毎日新聞が入手した内部資料によれば、2013年に発覚した防大生複数人による保険金詐取を契機とした、綱紀粛正策の一環とされている(毎日新聞2017年3月17日夕刊)。 もともと、防大卒業式では任官辞退者の出席を認めていなかった。出席を認めるようになったのは、警視総監を退任後の1978年に防大校長に就いた土田国保校長時代からだ。『防衛大学校五十年史』は、次のように土田校長の意図を伝えている。〈任官辞退者であろうと、本校で受けた教育を生かして国家社会のために働いてくれるはずだ、という確信が土田氏にはあった。同級生の絆を尊重し、青年の誇りと名誉を傷つけてはならない、との配慮もあった〉 土田校長は任官辞退者も同期生として送り出すことで、それが国家と個人にとって有益と考え、任官辞退者も卒業式に出席させることにした。少なくとも、卒業式に出席させることで、嫌な思いを任官辞退者にさせることはないだろう』、土田氏の考え方にも一理はあるが、「2014年から、任官辞退者の卒業式への参加を認めないようになった」のは、任官辞退者数を減らそうという狙いだったのだろうか。
・『自衛隊に行かない防大生の事情とは  そもそも、なぜ自衛隊に行かない防大生が出るのか。ここから先は、防大生個人の事情も関わり、公的なデータも多いものではないため、周辺環境のデータや推測を交えていることをあらかじめご了承いただきたい。 まず、当の自衛隊が高校生に対して、防大に入っても自衛隊に入る必要はないと説明している点だろう。地域で自衛官募集業務を担う各地方協力本部にはノルマがあり、人数集めのために防大のメリットや入隊義務がないことを強調する傾向があるという。筆者も高校生の頃、自衛隊のリクルーターからそのようなことを言われた記憶がある。ところが、実際に入校すると話が違う、という例は昔から聞かれる。 また、家庭の経済的事情で防大に進学した学生も少なくないと思われる。防大1期生の中森鎮雄によれば、防大1桁台期は経済的事情による進学が多かったが、高度経済成長に入り減少していた。ところが、中森が現役の防大50期生(2002年入校)9人に話を聞くと、過半数が経済的事情により進学したと答えたという(中森鎮雄『防衛大学校の真実』より)。 厚労省の国民生活基礎調査を見ると、児童のいる世帯のうち、生活が「苦しい」と答えた割合は、50期生が受験した年である2001年は59.3%に対し、2018年58.7%と大差なく、子持ち家庭の経済事情は50期生と現在で違いは少ないだろう。とすると、現在も経済的事情により入校した防大生は多いのかもしれない。 これらの事情から、自衛隊入隊を前提としないで入校した防大生は少なくないのではないか。そして、防大生は自分に合わないと感じて退学を申し出ると、教官から何度も説得されるという。説得を受け、残りながらもモヤモヤを抱えていたものが、防大卒業、あるいは幹部候補生学校入校という機会に行動になって顕れるのではないだろうか。なにせ、人生の大半が決まる瞬間でもあるのだ』、「当の自衛隊が高校生に対して、防大に入っても自衛隊に入る必要はないと説明している」、「各地方協力本部にはノルマがあり、人数集めのために防大のメリットや入隊義務がないことを強調する傾向がある」、」というのでは、任官辞退がかなり発生するのも当然だ。
・『任官辞退者の会社の役員になった自衛隊OBも  防大は難易度的にも容易に入れる学校ではないし、そこで4年間過ごして卒業できる学力・体力があるならば、自衛隊以外でも活躍できる目は大きいだろう。 任官辞退者が民間で活躍した実例を挙げると、最近の改元の際に頻繁に流された平成を振り返る番組の中で、平成初期の象徴として登場することの多かったジュリアナ東京の仕掛人だった折口雅博がいる。 独立した折口が率いたグッドウィル・グループは2000年代に急成長企業として知られたが、数々の不正行為が発覚して廃業することになる。しかし、グッドウィルには陸自OBの元防大教授が役員に就くなど、折口と防大の関係は卒業後も切れていなかったようだ。防大・自衛隊に仲間意識を持つ民間人が増えれば、自衛官の再雇用問題に悩む自衛隊にとっても悪いことではないだろう』、「グッドウィル」では、多くの法令違反も発覚、一般派遣事業許可を取消される寸前に、廃業したようだ。
・『重要なことは任官辞退者を減らすことではない  結論を言えば、任官辞退者は他の辞退者と比べれば自衛隊への影響が小さいのに、割に合わない批判を世間から受けていると言っていいだろう。任官辞退者を締め付ける動きがますます強まれば、任官辞退者こそ減るものの、目に付きにくいがより深刻な入校辞退者や配属直後に辞職する幹部自衛官が増加することは目に見えている。 防大生は在学中にも多くが辞めていく。これは致し方ないことだ。先に述べた事情もあるだろうし、そもそも高校で進路を選んだ時点で、自分の能力や適性を自覚し、自分にあった進路を選択できる人は少数だ。高卒で就職しても就職後に転職をする人は少なくないだろうし、一般大卒者は卒業の少し前に進路を決める余裕がある。防大に進路を決めた時点で、その後の人生がほぼ決まってしまうのは酷だろう。 重要なのは、単に防大の任官辞退者を減らすことではなく、次代の自衛隊の中核となる優秀な人材を確保することだ。自衛隊へのミスマッチや違和感を抱えた防大生を、無理に自衛隊で勤務させることは単なる数合わせ以上の意味はないし、むしろ自衛隊に有害となる恐れがある。だったら、後腐れなく別の道に進んでもらった方が、自衛隊にも、なにより本人の未来のために望ましいだろう』、正論でその通りだ。

次に、6月8日付け日刊ゲンダイ「秋田市ありきの陸上イージス 菅長官がすがるおこぼれ利権」を紹介しよう。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/255621
・『秋田県秋田市と山口県萩市に配備予定の陸上配備型迎撃ミサイルシステム「イージス・アショア」の“正体”が次々に明らかになってきた。総額6000億円超もの血税を費やす可能性もある無謀な計画は純然たる「アメリカ・ファースト」。決して北朝鮮のミサイルから本土を守るためではない。そんな“アメリカ様”にすがり、安倍首相と菅官房長官の“ゆかりの地”には「おこぼれ利権」がもたらされることになるのだ。 防衛省は昨年6月、秋田市の陸自「新屋演習場」を配備候補地に選定した。その後の調査で「不適」と判断される場合に備え、改めて「広さ約1平方キロメートル以上で起伏が少ない」などを条件に秋田を含む3県の19カ所を適地調査し、今年5月、うち9カ所に「レーダーを遮蔽する山がある」と報告。新屋以外を「不適」と判断した。ところが、報告書の数値に過大記載が発覚。岩屋防衛相はきのう(6日)の衆院安全保障委員会で「単純ミス」と釈明した上で陳謝した。 調査対象の秋田県男鹿市の石油備蓄基地では、付近の山を見上げた時の角度を示す「仰角」について、「15度」と報告していたが、実際はたった「4度」。4倍近い開きがある。他の地点も2~5度分過大に計算されていた。 防衛省はレーダーの妨げにならない水準を「10度未満」としていたが、報告書では過大記載の結果、9カ所全てで10度を大幅に超えた。つまり、レーダーを遮蔽する山岳があると報告していたのに、実際はそんな急峻な山はなかったのだ。 この捏造まがいの報告に、地元では「新屋ありき」「ミスじゃなく、データが意図的に改ざんされた」との声が噴出。ただでさえ新屋演習場の周辺には住宅が密集し、「攻撃対象になったら大変」と不安視される中、その声を無視して防衛省が新屋に配備したい真の理由は、「米軍基地の防衛」だ。 秋田大学工学資源学部の福留高明元准教授(71)は昨年8月1日、自身のフェイスブックに〈秋田市および萩市は、(北朝鮮のミサイル発射基地)舞水端里と米軍の最重要軍事施設のあるハワイ島およびグァム島を結ぶ直線(大円軌道)の直下、すなわち技術的にもっとも迎撃しやすい位置にある〉と指摘。要するに、防衛省は米軍施設防衛を優先し、新屋以外の地点に「×」をつけた可能性があるのだ。改めて福留氏に聞いた』、確かに地図上では、「ハワイ島およびグァム島を結ぶ直線(大円軌道)の直下、すなわち技術的にもっとも迎撃しやすい位置にある」ようだ。「総額6000億円超もの血税を費やす可能性もある無謀な計画は純然たる「アメリカ・ファースト」。決して北朝鮮のミサイルから本土を守るためではない」、というのは、国民を馬鹿にしている。「レーダーを遮蔽する山岳があると報告」は、確かに「ミスじゃなく、データが意図的に改ざんされた」、とみるべきだ。
・『「仰角4度といえば、遠くの方に山並みがうっすらと見える程度ですが、15度となると、眼前に険しい山肌が立ちはだかるレベルです。一目見れば分かります。単純ミスなどあり得ません。『新屋しかない』と地元の人たちを納得させるため、お手盛り調査でゴマカしたのでしょう」 それだけじゃない。総額6000億円超もの血税をつぎ込む可能性のあるイージス・アショアの周辺施設の建設や、維持管理などに関われば巨大な利益を生むのは想像に難くない。秋田は菅氏の出身地であり、山口は安倍首相の選挙区だ。安倍首相・菅氏の“ゆかりの地”がトランプ政権の兵器押し売りの「おこぼれ利権」で潤うに違いない。 事実、米軍の新基地建設が進む沖縄・辺野古では、利権構造がデキ上がっている。安倍首相と近い総合化学メーカーが大株主のセメント製造会社が土砂の運搬を請け負い、地元政治家とズブズブの建設業者が工事を受注しているのだ。 菅氏はイージス・アショアについて「わが国を24時間365日、切れ目なく防護するために必要な装備品」と言っていたが、なんのことはない。“アメリカ様”の基地防衛に巨額の血税をブチ込み、「おこぼれ利権」にすがろうというのだ。こんなフザケた計画は即刻、中止すべきだ』、全面的に賛成である。

第三に、元航空自衛隊戦闘機のパイロットらからなる軍事情報戦略研究所朝鮮半島分析チームが6月14日付けJBPressに寄稿した「F-35A墜落事故の捜査を打ち切った謎 空間識失調か機体の故障か不明のまま追加発注はおかしい」を紹介しよう。
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/56689
・『航空自衛隊三沢基地(青森県)に配属されていた次期主力戦闘機の「F-35A」が、訓練中に海上に墜落して2か月が過ぎた。 防衛省は事故原因の究明に多大の労力を結集している。 そして、事故原因を特定したうえで、F-35Aの緊急対処手順や空間識失調などの人的側面からの教育および整備等物的な側面からの安全施策を講じ、F-35Aの飛行訓練を早急に再開させたい考えである。これは当然のことだ。 しかし、一方で飛行再開が遅れれば遅れるほど、操縦者や整備員の練度は低下していく。そして、作戦運用に投入できる時期が後ろ倒しになっていく。 高価でハイレベルな戦闘機を購入し装備しても、要求性能どおりあるいはそれ以上に使いこなす練度があってこそ、ステルス戦闘機の力を発揮できる。 そして、日本の空の安全を守り、日本国家や国民の命を守ることができるのである』、その通りなのだろう。
・『F-35戦闘機ビジネスと今回の事故  日本の航空自衛隊は通常タイプのF-35Aを総計105機、護衛艦「いずも」の甲板から垂直離陸により離発着できるF-35Bを42機の総計147機、整備する予定である。 その総額は2兆円規模だ。 米国トランプ大統領が日本の国賓として来日した際、日米首脳会談の共同記者会見で、彼はまさに米国のビジネスリーダーぶりを発揮したのは記憶に新しい。 その中でも異彩を放ったのが、何と日本ではF-35A事故調査が継続中で、F-35導入計画にも影響を及ぼすかもしれないにもかかわらず、F-35を105機、日本が追加受注してくれたと具体的に確定的に発言したのである。 事故原因追究以前にビジネスありきの姿勢だ。 今回の事故原因は、F-35の物的な欠陥などではなく、空間識失調などと操縦者の人的過誤で幕引きを図るつもりなのか。 そして、米国の貿易赤字減らしを優先させるつもりなのか』、トランプ大統領の「日本が追加受注してくれたと具体的に確定的に発言」は、安倍首相の約束を踏まえたものなのだろう。
・『事故原因は不明のままだ  事故は4月9日夜間飛行訓練中に青森県東方沖で発生した。 「訓練中止(ノックイットオフ)」というボイスを残し、編隊長資格を有していた優秀な操縦者がいまだ行方不明となっている。 他の操縦者は機影も見ていない。当初、当該海域で尾翼の一部を発見後、日米のそれぞれチャーターしたサルベージ船、日本の科学観測船、海上自衛隊の潜水艦救出船などを投入して、海底もくまなく捜索した。 これまでにこれらの捜索活動でエンジンおよび主翼の一部、F35の部品および破片などを回収したが、飛行諸元(速度、重力加速度、方位など)を記録したフライトデータレコーダー(FDR)のメモリーは発見されていない。 しかし、事故原因究明に、多機能先進データリンクであるマドル(MADL)というものがある。 これは、飛行高度、位置、速度などを記録することから、編隊内の全機のマドルで事故発生時の全機の位置などを解析することが可能であろう。 私の「F-15」や「F-4EJ」の戦闘機のパイロットであった経験を通して可能性の高い事故の原因を考えてみる。 事故の直前、事故機操縦者は「訓練中止」という連絡を、緊迫や慌てていた様子もなく、比較的冷静にボイスを発出していたとのことである。 機体の重大な故障や危機的な不具合発生時は多少なりとも緊張の度合いの高い交信をするのではないだろうか。 危機的な状況であっても飛行経験の豊富さから冷静に対処できたのかもしれない。 また、平衡感覚を喪失し、空間識失調を起こしたことに気づいていなかったのかもしれない。 現在までで考えられる事故原因は、パイロット自身の空間識失調などの人的要因、機体の故障、不具合など、物的要因のどちらかであろう。 機体に原因があっても、それはどこか、何の不具合かということは、機体がないため全く不明である。 しかし、事故機操縦者および事故機のFDRのメモリーが発見されないまま、捜索は打ち切られてしまった。 事故の全貌と原因は不明のまま迷宮入りとなってしまいそうだ』、どうもパイロットの「空間識失調」で片づけそうな雰囲気だ。
・『先輩パイロットとしての願い  事故原因の究明を徹底して進めてほしい。事故原因が明確でないなか、F-35Aに関する安全教育と安全性確認の試験飛行だけで、F-35Aの飛行訓練再開は尚早過ぎないだろうか。 F-35操縦者および整備員全員の不安を払拭し、次の犠牲者を出さないためにも防衛省・航空自衛隊の地に足をつけた事故調査と、的確な対応策を講じてほしいと強く願う』、いまだに「MADL」の解析結果も公表されていないのも、いくら軍事機密があるとはいえ、不自然だ。機体には問題ないので飛行訓練再開というシナリオでいくとすれば、犠牲になったパイロットも浮かばれないし、欠陥戦闘機を大量購入する無駄も無視できない。「地に足をつけた事故調査と、的確な対応策」を期待したい。
タグ:事業仕分け 自治医科大学 日刊ゲンダイ 折口雅博 グッドウィル・グループ 防衛問題 JBPRESS トランプ大統領 文春オンライン (その12)(防衛大学校「任官辞退者」を批判する人が知らない より深刻な辞退者たち、秋田市ありきの陸上イージス 菅長官がすがるおこぼれ利権、F-35A墜落事故の捜査を打ち切った謎 空間識失調か機体の故障か不明のまま追加発注はおかしい) 「防衛大学校「任官辞退者」を批判する人が知らない、より深刻な辞退者たち」 478人の卒業生のうち任官辞退者は49人 入学金と学費は無償。また、学生手当、期末手当が支給され、全寮制で食事も出されている 防大卒業式時点で任官を辞退する防大生は、自身の能力や適性を早期に評価し、自衛隊側の損失を低いレベルに留めている誠実な人 過去に見送られた授業料償還義務化 卒業と同時に陸海空自衛隊いずれかの曹長の階級 その後1年間、陸海空それぞれの幹部候補生学校で幹部としての教育を受けた後、尉官級の幹部自衛官として各地に赴任 民主党政権時 任官辞退者の授業料について、仕分け人11人中10人が「償還を義務付けるべき」と判定 野田政権が任官辞退者に対し、240万円余りの授業料返還を義務付ける自衛隊法改正案を閣議決定 防大OBの自民党国会議員4人が反対意見 防大志望者減少を懸念する声も 法案は廃案になり、償還義務化は見送られている 任官1月以内に辞める「入校辞退者」はより深刻だ 授業料の償還が義務付けられているのが、防衛医科大学校 卒業後に知事が指定した公立病院等に所定期間勤務しなければ、償還金を求められる 防大を卒業して任官したにも関わらず、翌月に幹部候補生学校に入校しない任官者(仮に「入校辞退者」とする)は少なくない 直接的にカネが出たかを問題視 幹部候補生学校卒業後、任地に配属されてすぐに辞表を提出する幹部の話も聞く 防衛大学校に在学しているうちに、身の振り方をハッキリしてくれる任官辞退者は、それ以降に辞められるよりずっといいのだ 防大在学中に任官辞退を決めやすい環境にした方が良いことになる 2014年以降、卒業式への任官辞退者の出席を認めず 自衛隊に行かない防大生の事情とは 自衛隊が高校生に対して、防大に入っても自衛隊に入る必要はないと説明 地域で自衛官募集業務を担う各地方協力本部にはノルマがあり、人数集めのために防大のメリットや入隊義務がないことを強調する傾向 家庭の経済的事情で防大に進学した学生も少なくないと思われる 任官辞退者の会社の役員になった自衛隊OBも 重要なことは任官辞退者を減らすことではない 次代の自衛隊の中核となる優秀な人材を確保すること 「秋田市ありきの陸上イージス 菅長官がすがるおこぼれ利権」 秋田県秋田市と山口県萩市 「イージス・アショア」 総額6000億円超もの血税を費やす 純然たる「アメリカ・ファースト」。決して北朝鮮のミサイルから本土を守るためではない 安倍首相と菅官房長官の“ゆかりの地”には「おこぼれ利権」 「新屋演習場」 うち9カ所に「レーダーを遮蔽する山がある」と報告。新屋以外を「不適」と判断 報告書の数値に過大記載が発覚 「単純ミス」 報告書では過大記載の結果、9カ所全てで10度を大幅に超えた。つまり、レーダーを遮蔽する山岳があると報告していたのに、実際はそんな急峻な山はなかったのだ 「ミスじゃなく、データが意図的に改ざんされた」との声 秋田市および萩市は、(北朝鮮のミサイル発射基地)舞水端里と米軍の最重要軍事施設のあるハワイ島およびグァム島を結ぶ直線(大円軌道)の直下、すなわち技術的にもっとも迎撃しやすい位置にある 一目見れば分かります。単純ミスなどあり得ません。『新屋しかない』と地元の人たちを納得させるため、お手盛り調査でゴマカしたのでしょう 安倍首相・菅氏の“ゆかりの地”がトランプ政権の兵器押し売りの「おこぼれ利権」で潤うに違いない 軍事情報戦略研究所朝鮮半島分析チーム 「F-35A墜落事故の捜査を打ち切った謎 空間識失調か機体の故障か不明のまま追加発注はおかしい」 F-35戦闘機ビジネスと今回の事故 総計147機、整備する予定 総額は2兆円規模 F-35を105機、日本が追加受注してくれたと具体的に確定的に発言 事故原因は不明のままだ 多機能先進データリンクであるマドル(MADL) 飛行高度、位置、速度などを記録することから、編隊内の全機のマドルで事故発生時の全機の位置などを解析することが可能 事故原因は、パイロット自身の空間識失調などの人的要因、機体の故障、不具合など、物的要因のどちらかであろう 先輩パイロットとしての願い 事故原因が明確でないなか、F-35Aに関する安全教育と安全性確認の試験飛行だけで、F-35Aの飛行訓練再開は尚早過ぎないだろうか 航空自衛隊の地に足をつけた事故調査と、的確な対応策を講じてほしいと強く願う
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”右傾化”(その9)(片山杜秀氏 日本は“束ねられる”ファシズム化が進んでいる、国家として衰退…丸山議員的な連中に支配されている日本、ニューズウィーク日本版はなぜ 「百田尚樹現象」を特集したのか) [国内政治]

”右傾化”については、昨年12月27日に取上げた。今日は、(その9)(片山杜秀氏 日本は“束ねられる”ファシズム化が進んでいる、国家として衰退…丸山議員的な連中に支配されている日本、ニューズウィーク日本版はなぜ 「百田尚樹現象」を特集したのか)である。

先ずは、5月20日付け日刊ゲンダイが掲載した慶應義塾大学教授の片山杜秀へのインタビュー「片山杜秀氏 日本は“束ねられる”ファシズム化が進んでいる」を紹介しよう(Qは聞き手の質問、Aは片山氏の回答)。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/254019
・『この国は再びファシズムに侵されている――。現実を鋭く分析した思想史研究者の対談集「現代に生きるファシズム」(小学館新書)が話題だ。第1次世界大戦後のイタリアで生まれたファシズムはヒトラーのナチズムとも、中国や北朝鮮の全体主義とも、ロシアのそれとも違う。権力によって民衆が「束ねられている」状態を指すという。7年に迫ろうとする安倍1強政治の下、この国はどう変わっていったのか』、興味深そうだ。
・『Q:ファシズムはどの程度まで進んでいますか。 A:数字で示すのは難しいですが、かなりファシズム的状況にあると言っていいと思います。独裁政党こそありませんが、野党は与党に似たり寄ったり。保守主義的で、資本主義の延長線上に立って「この国をもう一度豊かにします」と幻想をうたっている点では、共産党以外の野党は与党と変わらない。 Q:国民に選択肢がないと? A:自動的に大政翼賛会化しています。55年体制のような与野党のイデオロギーの差異がない。思想や政策に十分な相違がないとすれば、有権者は同じことをやるなら経験を積んでいる政党の方が安全と考える。だから、安倍首相が面目を失うことがあっても、「悪夢のような民主党政権」とリフレインすると、一定数の国民がリセットされてしまう。現政権の方がマシだと考えて、失敗が棒引きになる。左派が警戒する憲法改正などしなくても、戦後民主主義の常識とは異なるフェーズに入っていることを深刻に認識する必要があります』、「自動的に大政翼賛会化しています。55年体制のような与野党のイデオロギーの差異がない。思想や政策に十分な相違がないとすれば、有権者は同じことをやるなら経験を積んでいる政党の方が安全と考える」、というのは現在の状況を的確に捉えているようだ。
・『没落する中間層が“希望の星”にすがりつく  Q:ファシズムは全体主義と混同されやすいですが、「特定の政治や経済の体制を呼びならわす言葉ではないと考えるべき」「体制論ではなく情況論の用語」と指摘されています。 A:個を原則的に認めないのが全体主義で、個のスペースが幾分なりとも保障されているかのような幻想を与えるのがファシズムと言えばわかりやすいでしょうか。みなさんを自由にするため、夢を取り戻すため。いっとき不自由になっても我慢して下さい。これがファシズムのやり方です。しばしば不自由のままで終わるのですが。同質化までは至らず、「束ねる・束ねられる」ことをたくさん感じているときがファシズム的状況と言えるでしょう。ファシズムは社会主義か自由主義かで割り切れない。変幻自在に形を変える。精神論や右翼的な旗印が有効であれば、それをトコトンやる。国民の団結を保つために社会主義的施策が有用であれば臆面もなくやる。理屈は抜き、束ねられれば手段を問わないのがファシズムです。 Q:右派に支えられる安倍政権が教育無償化などの福祉政策に走るわけですね。一方、国民が「束ねられてもいい」と考えるのはどういう背景が? A:資本主義の危機の時代に没落する中間層の“希望の星”としてファシズムが現れるからです。典型例はワイマール共和国時代のナチス支持者、トランプ米大統領に熱狂するラストベルトの白人労働者。もっと豊かになるはずだったのにどうもおかしい、社会のせいでうまくいかない、と感じている階層です。日本も似たような状況です。就職先は終身雇用で、何歳で結婚して子供を何人つくって、何歳までにマイホームを持って……といった従来の生活モデルが崩れた。そうすると、自由を少しばかり差し出しても、みんなで束ねられることで助け合い、危機的状況を乗り切ろうという発想になる。自由を取り戻すステップとして、束ねられることが必要だという思考に入っていきます』、「個を原則的に認めないのが全体主義で、個のスペースが幾分なりとも保障されているかのような幻想を与えるのがファシズム」、との説明はさすがだ。「資本主義の危機の時代に没落する中間層の“希望の星”としてファシズムが現れる」、との指摘も説得力がある。
・『3・11でフェーズが変わった  Q:ターニングポイントはいつですか。 A:3・11でしょう。冷戦構造崩壊後、そういうフェーズに入っていく流れはありましたが、3・11が決定的だと思います。この経験でフェーズが変わってしまった。日本が災害大国だという認識は共有されていましたが、政府は対応可能な防災計画を立て得ると説明し、国民の不安を打ち消してきた。ところが、東日本大震災では日本列島全体が揺れ動き、原発事故はいまだに収束しない。その後も各地で地震が頻発している。南海トラフ地震のリスクもある。いつ巨大災害に襲われても不思議ではない状況をウソとは言えない。地震予知は不可能だとオフィシャルに認めている状況下で、われわれは明日をも知れぬ身で生きている。2011年以降、日本人は刹那主義と虚無主義に陥ってしまいました。真面目に考えても対応できない災害と隣り合わせで暮らしているわけですから』、「地震予知」は既に学会で困難とされているにも拘らず、安倍首相は南海トラフ地震で「地震予知」などの対策を臆面もなく指示し、「やっている感」の醸成に努めているようだ。
・『Q:危機感の点で言うと、安倍政権は一時は中国包囲網に躍起になり、核・ミサイル開発に猛進する北朝鮮を“国難”と呼び、足元では韓国と対立を深めています。 A:内政で国民に対する訴えかけが弱くなると、外に向かうのは歴史が物語っています。富の再分配といった社会主義的政策で国民のガス抜きをするには、経済成長が必須。それができない場合は非常時の持続が有効に働く。北朝鮮がミサイルを発射するたびにJアラートを作動させれば、5年や10年は簡単にもってしまう。 Q:刹那主義、虚無主義、対外的緊張が重なればますます思考停止です。 A:リアルに考えれば、この国は経済成長しないかもしれない、貧富の格差が拡大するかもしれない、社会保障はますます削られていきそうだ……。安倍政権が夢物語を喧伝しても、不安は払拭されない。さらに、AI社会になれば人間は不要とされかねない。しかし、こうした問題が国民的議論に結びつかないのは、安倍政権がだましているからというよりも、国民が厳しい現実から目をそむけているからです。国民の気分も問題なのです。なぜかというと、現実を直視しても解決のしようがないから。こうして刹那主義や虚無主義が増幅され、便乗したファシズムのオポチュニスト(ご都合主義者)的な部分がかぶさってくる。世論ウケのいい政策を次々に打ち上げ、中途半端なまま別のテーマに移っていく。 Q:本来は、いい加減な政治に対する国民の怒りが爆発する局面です。 A:声を上げ続ける人は少数派。「実現不可能なことでも言ってくれるだけでうれしい」というレベルまで国民の思想が劣化していると思います。お上はうまく統制するため、下から文句が噴き出ないようおべんちゃらを言う。それを期待する国民感情がある。上下の平仄が合っている怖さがある。「おかしい」と訴える人の声は、「平仄が合っているんだからしょうがない」と考える人のニヒリズムにかき消される。原発事故への対応、反応もそうです。嫌な話を聞いても解決できないし、東京五輪の話題で盛り上がった方がいいという雰囲気でしょう。元号が変わった、新しい時代を迎えた、お札も変わる、それぞれの花を大きく咲かせることができる……。そんなことで内閣支持率が上がる。政府の考えと国民の求めが無限にかみ合っている。終末的ですね』、最近では北朝鮮が大人しくなっているが、一時は「Jアラート」で危機感を大いに煽っていた。学校の生徒を机の下に潜り込ませるなどはナンセンスの極みだが、マスコミも「忖度」して批判を控えているのは腹立たしい。「終末的」とは言い得て妙だ。
・『サンダース目線の民主社会主義的発想が必要  Q:流れを変える手だてはないのでしょうか。 A:仮に安倍政権が倒れても、世の中がガラリと変わることはないと思います。「決められない政治」を否定した結果、政治主導の名の下に内閣人事局が設置されて官僚は生殺与奪権を握られ、官邸は霞が関の情報を吸い上げて権力を肥大化させ、戦前・戦中にはなかった強力なファシズム体制を敷いた。「決められる政治」の究極の形態を実現したのです。唯一可能性があるとしたら、来年の米大統領選に再挑戦するバーニー・サンダース上院議員のような民主社会主義的な発想を広げることでしょう。人権を擁護し、ファシズム的なキレイごととは一線を画す社会を目指すのです。最大多数の国民がなるべく束ねられずに、しかし助け合って生きていく。人間社会の当たり前の理想を思想的にハッキリ表明する政党が大きな形をなさないとまずいでしょう。難しいですが。 Q:民主社会主義的なプランを掲げる政治勢力が必要だと。 A:高度成長が再現できれば、新たな政策実行にいくらでも予算が付き、昔ながらのパイの奪い合い政治でも結果オーライでうまくいく。しかし、もはやそこには戻れないでしょう。戻れるかのような甘言に何となくごまかされているうちに、残された貯金すら減らしているのが今の日本ではないですか。この現実認識を持てるか持てないかです。本当の現実を思い知れば、民主社会主義的な目線で考えるしかないのではないですか。最大多数の国民の人権と暮らしが守られ、人間を見捨てない国を目指すサンダース目線の政治が必要でしょう』、最後の主張はその通りだが、アメリカの政変に頼るしかないというのは、情けない限りだ。

次に、政治アナリストの伊藤惇夫氏が5月26日付け日刊ゲンダイに寄稿した「国家として衰退…丸山議員的な連中に支配されている日本」を紹介しよう。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/254736
・『「戦争を知っている世代がいるうちは心配ない。平和について議論する必要もない。だが、戦争を知らない世代が中枢となった時はとても危ない」 田中角栄が残した言葉のひとつだ。今、その心配が現実のものになりつつある。ついに、現職の国会議員が「北方領土を戦争で取り返せ」と言い出した』、田中角栄も平和問題ではいい言葉を残したようだ。
・『自信喪失と虚勢  さて、この丸山某は単なる“特異例”だろうか。そうではない。こういう危険人物が堂々と跋扈する背景には、この国全体を覆う、なんともいやらしいムードが存在する。今の政治体制に異議を唱えたり問題点を指摘する人間に対し「反日」だの「左翼」だのといった悪罵を投げつける、いわゆる「ネトウヨ」や、教育勅語を礼賛し、「日本はすばらしい」「日本の歴史に誇りを持て」「悪いのは中国、韓国だ」といった言説をばらまく、自称保守派。テレビをつければ「日本凄い」番組があふれている。そうした連中、ムードに支えられて「1強」体制を謳歌しているのが安倍政権だ。こうした空気が続く限り、第2、第3の丸山某が出現する可能性は十分にある。 でも、実は彼らの言動は不安感、自信喪失の裏返しではないのか。本当はわかっているのかもしれない。この国が確実に「劣化」していく運命にあることを。だからこそ、虚勢を張るのではないか。 時代は平成から令和に変わったが、それだけで急に世の中が変わるわけじゃない。平成から続く、劣化現象が止まるわけでもない。わかりやすい例を一つ挙げよう。現在、日本の総人口は1億2414万4000人(2018年12月現在)、これが2050年には9515万人と1億人を切り、2100年には半分以下の4441万人になる。生産年齢人口も2005年の8442万人が2050年には4930万人に減少する。「外国人材」という名の移民を大量に受け入れたところで限界がある。これだけの人口減少国家が再び「過去の栄光」を取り戻すことなど不可能であることは明らかだ。 日本は国家としての衰退期を迎えている。だからこそ、そうした厳しい現実と向き合い、劣化を正面から受け止め、どう対処すべきかを真剣に考えなければいけない時期にきているはずだが、その先頭に立つべき政治こそが、実は最も激しい劣化現象に直面している。次回からは政治、政界を中心に具体的な劣化の現状を検証していくことにする』、「実は彼らの言動は不安感、自信喪失の裏返しではないのか。本当はわかっているのかもしれない。この国が確実に「劣化」していく運命にあることを。だからこそ、虚勢を張るのではないか」との捉え方は新鮮で説得力がある。今後の「検証」が楽しみだ。

第三に、5月31日付けNewsweek日本版「ニューズウィーク日本版はなぜ、「百田尚樹現象」を特集したのか」を紹介しよう。
https://www.newsweekjapan.jp/newsroom/2019/05/post-285_1.php
・『<大反響「百田尚樹現象」特集は、どのようにして生まれたのか。百田尚樹氏を取り上げたことへの賛否の声に、編集部の企画趣旨を説明します> ニューズウィーク日本版はなぜ、「百田尚樹現象」を特集したのか。 5月28日に発売された特集「百田尚樹現象」(6月4日号)に、大きな反響をいただいています。有難いことに、読んでくださった方から評価する声がたくさん届いていますが、なかには特集を告知した時点で「天下のNewsweekが特集するテーマですか?」「これ持ち上げてるの?disってるの?」という質問も見受けられたので、なぜこの特集を組むことにしたのか、お話しさせていただこうと思います。 そもそもの出発点は、『日本国紀』(幻冬舎)は一体誰が読んでいるのか、というシンプルな問いでした。65万部のベストセラー本として書店には平積みになっているのに、周りで「読んだ」という人には出会わない......。それでも、百田氏の本は小説も含めてヒットを重ね、ツイッターでの発言には「いいね」がたくさん付いていく。「見えない」世界を前にしたとき、2016年に駐在していたニューヨーク支局で、トランプ大統領の誕生とともに「もう1つのアメリカ」を突き付けられた経験を思い出しました。 当時、アメリカのリベラルメディアの多くは「トランプ現象」の本質とその広がりを見抜けていませんでした。ドナルド・トランプ氏を暴言王、差別主義者と批判し、アメリカ国民がそんな人を大統領に選ぶはずがないと、どこかで「信じて」いました。しかし結果として、投票した有権者の半数がトランプ氏に入れた。その現実を前にした時、米メディアのリベラルエリートたちは、自分たちは実はマジョリティーではなかった、東海岸と西海岸の都市部からは見えていない、もう1つのアメリカがあったのだと思い知ることになりました。 もちろん、百田現象とトランプ現象を同列に並べることはできません。そもそも、百田尚樹「現象」など存在しないという見方もあります。しかし、現象の広がり方や立場などに違いはあるにせよ、2人には共通点がありました。どちらもテレビ番組の手法を熟知し、ツイッターでポリティカル・コレクトネス(政治的公正さ)など意に介さない言動を繰り返す。 私がアメリカで取材していて、トランプ支持だがトランプ氏の過激な発言そのものは支持しないという人に多く出会ったように、百田氏の本を買う人たち全てが百田氏の考えに同調しているわけではないでしょう。それでも、まるで「隠れトランプ支持者」のように、ネット空間には百田氏の発言や考えを強く、または緩やかにでも支持する人たちが存在します。それが何を意味するのかを、メディアは捉えきれていないように思いました。 自分たちに見えていないものがあるのだとしたら、まずはそれを可視化したい、分からないものを読み解く特集を作りたい、というのが「百田尚樹現象」の企画趣旨です。加えて言えば、ニューズウィーク日本版には百田氏の著作によって出版社が利益を得ているから踏み込みづらいという「週刊誌メディアの作家タブー」がない、という事情もありました(この点は、「百田尚樹『殉愛』の真実」〈宝島社〉に詳しいです)。 さらに加えれば、(これは内輪の話になりますが)本誌編集長と副編集長を含め大阪で『探偵!ナイトスクープ』を番組開始当初から観て泣いたり笑ったりしていた人たちからは、昨今の百田氏の言動を見て、人情深い同番組の構成作家・百田尚樹との二面性を謎解きしたいという声も上がっていました』、「トランプ」氏と「百田尚樹」氏をダブらせるとは面白い発想だ。「2人には共通点がありました」、も言われてみればその通りなのかも知れない。
・『「リベラルはおもろないねぇ」への挑戦  企画にゴーサインが出てから、取材を進める上でのスタンスを「批判」ではなく「研究」と決めました。「百田人気を支えるもの」について、是非を問うのではなくフェアに研究しよう、と。仮説を立ててそれを立証するための素材を集めていくのではなく、「日本国紀は誰が読んでいるのか?」という小さな問いからスタートし、そこに連なる素材を探しながら一つ一つ検証する。演繹法ではなく、帰納法。 そういうスタンスの取材記事に、特集『沖縄ラプソディ』(2019年2月26日号)に長編ルポを書いてくれたノンフィクションライターの石戸諭氏はぴったりでした。前回も石戸氏は、沖縄の辺野古埋立てによる新基地計画に賛成か、反対か、なぜそう考えるのか、賛否が分かれる問題について双方から丁寧に聞き取りました。今回の特集も、企画段階から「百田研究」というアングルを提案してくれていた石戸氏に執筆をお願いすることにしました・・・石戸氏の、「批判」ではなく「研究」するという取材姿勢は、今回の特集記事を根底から支えています。石戸氏は百田氏に取材を依頼する際にも、自分とは「政治的な価値観や歴史観は異なる」と断った上で、百田氏は本当のところは何を考えていて、なぜそう思い、行動するのかを知りたい、と伝えました。 取材の目的を「自分と価値観の違う相手を論破する」こととせず、相手がなぜそう思うのかを「知りたい」という姿勢で聞こうとする。単に批判したいだけであれば、当人たちに取材せずにパソコンに向かって批判ありきの評論を書くこともできますが、私たちがやりたかったのは「批判」ではなく「研究」です。石戸氏の取材意図は、記事中にもこう書かれています。「インタビューでも主張すべきはしたが、ディベート的に言い負かすための時間にはしなかった。彼の姿勢を丁寧に聞くことが、私が知りたい現象の本質を浮かび上がらせると考えたからだ」。 また、記事中で紹介したように、百田氏がレギュラー出演しているネット番組『深相深入り!虎ノ門ニュース』を制作するDHCテレビの山田晃社長は「リベラルはおもろないねぇ」と言います。じゃあ面白いものを作るしかない、作ってみたい、という気持ちもありました。成功したかどうかは読者の判断に委ねるしかありませんが、計20ページという誌面を割いた特集は、そうした挑戦でもありました。 本特集に対して頂いているコメントは、可能な限り拝読しています。反応を含めて、百田現象を読み解く鍵となると思うからです。発売前から、百田氏ファンからの「センセ、凄い!!」というコメントもあれば、百田氏を取りあげたこと自体を批判する声もありました。特集しただけでハレーションが起きることも、百田現象の一端なのだと思います。読んでコメントしてくださっている方は、スタンスの違いにかかわらず、心から有難うございます(ヘイトスピーチは論外ですが)。 この特集は、まずは捉え切れていなかった事象について知ろうとし、可視化しようという試みでした。「百田尚樹現象」とは何なのか。2カ月以上の取材を経て、石戸氏は16ページの長編ルポをある「結論」で結びました。記事中に提示した素材のさらなる分析も含めて、今後の議論の一端になれば、とても嬉しいです』、「結論」のポイントだけでも書いてくれればいいのにとは思うが、「特集」を売るためには、こうした思わせぶりな紹介もやむを得ないのだろう。 
タグ:日刊ゲンダイ 右傾化 伊藤惇夫 Newsweek日本版 (その9)(片山杜秀氏 日本は“束ねられる”ファシズム化が進んでいる、国家として衰退…丸山議員的な連中に支配されている日本、ニューズウィーク日本版はなぜ 「百田尚樹現象」を特集したのか) 「片山杜秀氏 日本は“束ねられる”ファシズム化が進んでいる」 この国は再びファシズムに侵されている 「現代に生きるファシズム」(小学館新書) 権力によって民衆が「束ねられている」状態 自動的に大政翼賛会化しています。55年体制のような与野党のイデオロギーの差異がない 安倍首相が面目を失うことがあっても、「悪夢のような民主党政権」とリフレインすると、一定数の国民がリセットされてしまう 没落する中間層が“希望の星”にすがりつく 個を原則的に認めないのが全体主義で、個のスペースが幾分なりとも保障されているかのような幻想を与えるのがファシズム 「束ねる・束ねられる」ことをたくさん感じているときがファシズム的状況 資本主義の危機の時代に没落する中間層の“希望の星”としてファシズムが現れるからです。典型例はワイマール共和国時代のナチス支持者、トランプ米大統領に熱狂するラストベルトの白人労働者 もっと豊かになるはずだったのにどうもおかしい、社会のせいでうまくいかない、と感じている階層です 3・11でフェーズが変わった 2011年以降、日本人は刹那主義と虚無主義に陥ってしまいました。真面目に考えても対応できない災害と隣り合わせで暮らしているわけですから 非常時の持続が有効に働く。北朝鮮がミサイルを発射するたびにJアラートを作動させれば、5年や10年は簡単にもってしまう 安倍政権が夢物語を喧伝しても、不安は払拭されない。さらに、AI社会になれば人間は不要とされかねない。しかし、こうした問題が国民的議論に結びつかないのは、安倍政権がだましているからというよりも、国民が厳しい現実から目をそむけているからです 刹那主義や虚無主義が増幅され、便乗したファシズムのオポチュニスト(ご都合主義者)的な部分がかぶさってくる。世論ウケのいい政策を次々に打ち上げ、中途半端なまま別のテーマに移っていく 政府の考えと国民の求めが無限にかみ合っている。終末的ですね サンダース目線の民主社会主義的発想が必要 「国家として衰退…丸山議員的な連中に支配されている日本」 「戦争を知っている世代がいるうちは心配ない。平和について議論する必要もない。だが、戦争を知らない世代が中枢となった時はとても危ない」 田中角栄が残した言葉のひとつだ ついに、現職の国会議員が「北方領土を戦争で取り返せ」と言い出した 自信喪失と虚勢 今の政治体制に異議を唱えたり問題点を指摘する人間に対し「反日」だの「左翼」だのといった悪罵を投げつける、いわゆる「ネトウヨ」や、教育勅語を礼賛し、「日本はすばらしい」「日本の歴史に誇りを持て」「悪いのは中国、韓国だ」といった言説をばらまく、自称保守派。テレビをつければ「日本凄い」番組があふれている。そうした連中、ムードに支えられて「1強」体制を謳歌しているのが安倍政権だ 実は彼らの言動は不安感、自信喪失の裏返しではないのか。本当はわかっているのかもしれない。この国が確実に「劣化」していく運命にあることを。だからこそ、虚勢を張るのではないか 日本は国家としての衰退期を迎えている。だからこそ、そうした厳しい現実と向き合い、劣化を正面から受け止め、どう対処すべきかを真剣に考えなければいけない時期にきているはずだが、その先頭に立つべき政治こそが、実は最も激しい劣化現象に直面している 「ニューズウィーク日本版はなぜ、「百田尚樹現象」を特集したのか」 5月28日に発売された特集「百田尚樹現象」(6月4日号) 米メディアのリベラルエリートたちは、自分たちは実はマジョリティーではなかった、東海岸と西海岸の都市部からは見えていない、もう1つのアメリカがあったのだと思い知ることになりました 2人には共通点がありました 自分たちに見えていないものがあるのだとしたら、まずはそれを可視化したい、分からないものを読み解く特集を作りたい、というのが「百田尚樹現象」の企画趣旨 「リベラルはおもろないねぇ」への挑戦
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日本の政治情勢(その31)(安倍首相、「祝賀てんこ盛り」で政権浮揚の思惑 夏の参院選は改選過半数の63議席超えも、自民党の「外交青書」批判 何が時代錯誤か 「憂さ晴らし」の場と化す自民党内部の議論、過渡期の日本 アメリカから見た安倍政権とその後) [国内政治]

日本の政治情勢については、4月12日に取上げた。今日は、(その31)(安倍首相、「祝賀てんこ盛り」で政権浮揚の思惑 夏の参院選は改選過半数の63議席超えも、自民党の「外交青書」批判 何が時代錯誤か 「憂さ晴らし」の場と化す自民党内部の議論、過渡期の日本 アメリカから見た安倍政権とその後)である。

先ずは、政治ジャーナリストの泉 宏氏が4月26日付け東洋経済オンラインに寄稿した「安倍首相、「祝賀てんこ盛り」で政権浮揚の思惑 夏の参院選は改選過半数の63議席超えも」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/278695
・『令和新時代スタートまで1週間を切る中、統一地方選を終えて欧米での首脳外交にいそしむ安倍晋三首相の表情には余裕と自信がにじんでいる。 統一地方選の焦点となった大阪ダブル(府知事・市長)選と衆院2補選での手痛い敗北も「地域の特殊事情」と見切り、全体では自民党が堅調だったことから夏の参院選に手ごたえを感じているからだ。新元号決定や新紙幣の発表、10連休真っただ中の歴史的な皇位継承行事も、首相サイドが巧妙に設定した政権浮揚戦略の一環とみられている。列島全体での“令和フィーバー”も思惑通りといえそうだ』、「首相サイドが巧妙に設定した政権浮揚戦略」は確かに見事に効を奏しているようだ。
・『自民党の補欠選挙連勝はストップした  参院選の行方を占う統一地方選は、前半戦(4月7日)の焦点である大阪府知事・市長選で大阪維新の会が圧勝。さらに、後半戦(4月21日)の衆院大阪12区、同沖縄3区の両補欠選挙でも、それぞれ維新、野党系候補が勝利し、第2次安倍政権発足前から続いてきた自民党の衆参補選連勝もストップした。 こうした選挙結果について、多くのメデイアは「政権に打撃」「参院選に暗雲」などと書き立て、安倍首相は22日午前、「残念な結果になった。いま一度、身を引き締めなければならない」と殊勝な表情で語った。菅義偉官房長官は同日昼の政府・与党協議会で「首相から指示もあったので、緊張感を持ってやっていく」と述べ、選挙戦の司令塔だった二階俊博自民党幹事長も記者会見で「選挙結果を反省材料に次なる戦いに挑み、勝利で屈辱を晴らしたい」と態勢立て直しへの決意を表明した。 ただ、安倍首相は22日昼前には昭恵夫人を伴って新しい政府専用機でフランスに向けて飛び立った。搭乗時は黒いワンピース姿だった昭恵夫人はフランス到着時には明るいクリーム色のスーツに着替え、首相も空港に出迎えた要人たちと満面の笑みで握手するなど心機一転ぶりが際立った。 統一地方選の最中には塚田一郎国土交通副大臣、桜田義孝五輪担当相が相次いで辞任に追い込まれ、首相の任命責任も厳しく問われた。にもかかわらず、新元号決定以来の内閣支持率は上昇傾向が続いている。安倍首相や政府与党幹部が「危機は一過性」(自民幹部)と余裕を見せるのは、夏までの「巧妙な政治日程づくり」(自民長老)が背景にあるとみられる。 そもそも、歴史的な皇位継承行事を軸とする10連休を設定したのは安倍政権だ。4月30日の天皇退位、翌5月1日の新天皇即位と、令和への改元で国民の間に令和フィーバーを巻き起こし、それまでの政権不祥事などを一気に過去のものしようとの思惑は「今のところ図に当たっている」(自民幹部)のは間違いない。自民幹部も3月下旬に「もし、統一地方選が政権にとって厳しい結果になっても、祝賀ムードで内閣支持率も上がり、後半国会での与野党攻防も主導権を握れる」と自信を示していた。 皇位継承行事以降も、5月25日には新天皇が迎える初の国賓としてアメリカのトランプ大統領が来日する。4日間の滞在中、新天皇との会見や日米首脳会談、さらには大相撲観戦、安倍首相との3度目のゴルフ対決と盛りだくさんの外交行事が予定されている。 6月28、29日には、日本初開催となる主要20カ国・地域(G20)首脳会議を大阪で開かれる。G20にはトランプ大統領ら主要7カ国(G7)首脳に加え、中国の習近平国家主席、ロシアのプーチン大統領も参加予定で、首相は首脳会議の前後に日米、日中、日ロという重要な首脳外交をこなして内外に安倍外交をアピールするとみられる』、トランプ来日でも、難題の貿易問題は参院選後の8月に先送りしたのも、敵ながら「あっぱれ」という他ない。
・『かすむ与野党攻防、薄れる野党の存在感  こうした政治・外交日程は、昨年から首相の意を受けて政府部内で組み立てられたもので、自民党総裁3選後の最大の関門となる参院選に向けて、政権として弾みをつける狙いは明らかだ。令和新時代の祝賀ムードと華やかな首脳外交で盛り上げれば、終盤国会での与野党攻防はかすみ、野党の存在感も薄れるのは確実だ。 その一方で、衆院補選などを除けば統一選全体では自民党が優勢だったことで、政府与党幹部の間でも「これまでの亥年選挙の恐怖は薄れている」(自民選対)のが現状だ。統一選の結果を参院選に当てはめた一部メディアの試算では、自民党は改選過半数の63議席を超える可能性も指摘されており、首相サイドでも「12年前のような参院選惨敗はありえない」(細田派幹部)との安堵感が広がる。 巧妙な日程設定のポイントとなった4月1日の新元号発表も、党内保守派の反発を押さえて首相が決断したとされる。首相サイドの期待通り、「令和」が発表されたとたん、列島は大騒ぎとなり、内閣支持率も上昇した。さらに、令和の額を掲げた菅義偉官房長官は「ポスト安倍の最有力候補」との声も上がるなど一躍、時の人となった。 さらに、首相の盟友の麻生太郎副総理兼財務相が4月9日に発表した新紙幣発行とデザインのお披露目も国民的話題となった。5年後に1万円、5千円、千円の3種類のお札(日本銀行券)と500円硬貨を発行する計画で、紙幣の一新は2004年以来20年ぶりとなる。首相と麻生氏が極秘で進めてきたとされ、麻生氏は「たまたま新元号決定などと重なった」と説明したが、与党内でも「祝賀ムードをさらに盛り上げる材料になった」(閣僚経験者)との声が相次いだ。 10日午後に国立劇場で開催された「天皇陛下即位30年奉祝感謝の集い」も祝賀ムード盛り上げに一役買った。超党派議員連盟と民間有志の共催となっているが、主導したのは首相に近い自民党の保守派議員とされる。映画監督の北野武さんら各界のスターが招かれる一方、野党各党幹部も参加し、「政権浮揚の企画の添え物にされた格好」(立憲民主幹部)だ。首相は祝辞で「国民に常に寄り添ってこられた両陛下のお姿を胸に刻みながら、誇りある日本の輝かしい未来をつくり上げていく」と令和時代も引き続き政権を担う意欲を強調したが、野党からは「祝賀ムードに便乗して、祝賀のてんこ盛りみたいな雰囲気を醸し出そうとしている」(国民民主党の玉木雄一郎代表)など疑問の声が相次いだ。 さらに、その週末の13日午前には、毎年恒例の首相主催「桜を見る会」が新宿御苑で開催された。平成最後となる同会には多数の有名芸能人ら約1万8200人が出席。満開となった八重桜の下であいさつした首相は「平成を名残惜しむか八重桜」「新しき御代ことほぎて八重桜」の2句を得意満面で披露したうえで、新元号の典拠となった「万葉集」の「梅花の歌」にも言及し、「皆さん一人ひとりがそれぞれの花を咲き誇らせることができる、そういう時代を一緒につくっていこう」と参加者に呼びかけた』、「同日選挙」狙いで、衆院の「解散風」を吹かせるという脅しで、野党を震え上がらせているるのも、巧みだ。
・『「やってる感」満載だが「やりすぎ」批判も  ただ、こうした新元号決定以来の一連の行事設定については、政界でも「政権が得意とする『やってる感』満載だが内容は空疎」(首相経験者)との指摘がある。5月下旬以降の外交日程も含めて「なりふり構わない参院選前の政権浮揚戦略は異様」(自民長老)への批判も少なくない。与党内にも「余りやりすぎると国民の反感を買い、参院選での失速にもつながりかねない」(公明幹部)との懸念が広がる。 首相は23日、最初の訪問国のフランスでマクロン大統領と会談した後、イタリア入りし、24日には日伊首脳会談を行うなど精力的に安倍外交を展開している。ただ、今回の欧米歴訪の最大の焦点は日米貿易摩擦がテーマとなる27日の日米首脳会談だ。首相はトランプ大統領との親密な関係を利用して自動車関税などのアメリカ側の要求を跳ね返したい考えだ。 ただ、アメリカ側の厳しい要求に屈するようだと、「巧妙に組み立てた政治外交日程が最後で台無しになる」(自民幹部)との不安も残る。カナダ訪問を経て天皇退位前日の29日の帰国時に、首相が晴れやかな表情で「空飛ぶ官邸」と呼ばれる新専用機から降り立つことができるか、なお予断を許さない』、「政権が得意とする『やってる感』満載だが内容は空疎」とは言い得て妙だ。日米首脳会談では前述のように、「日米貿易摩擦」を巧みに先送りしたことで、『やってる感』をさらに増したようだ。

次に、東洋大学教授の薬師寺 克行氏が5月22日付け東洋経済オンラインに寄稿した「自民党の「外交青書」批判、何が時代錯誤か 「憂さ晴らし」の場と化す自民党内部の議論」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/282463
・『外務省が毎年、発行している書籍に『外交青書』がある。 過去1年間の首脳会談や国際会議などの成果をはじめとする日本外交の記録とともに、国際情勢についての分析も書かれている。同じような書籍を他の官庁では「白書」として発行しているが、外務省だけは1957年の創刊号の表紙が青色だったため「青書」と呼んでいる。世間にはあまりなじみのないものだが、日ごろマスコミにほとんど登場することのない国についても紹介があり、結構便利である。 この『外交青書』が珍しく自民党内で批判にさらされている。「青書」は毎年、発行前に自民党の政務調査会や総務会での了承が慣例となっている。今年も5月初め、自民党の外交部会で2019年版の要旨を説明したが、出席議員から批判が出たのだ』、確かに珍しいことだ。
・『「北方領土は日本に帰属する」を削除  問題になったのは北方領土問題についての記述だった。2018年版には「北方領土問題は日露間の最大の懸案であり、北方四島は日本に帰属するというのが日本の立場」と書かれていた。2019年版では、この部分から「北方四島は日本に帰属する」が削除された。 そこで出席議員から「ロシアから文句を言われ、自発的に日本の基本原則を捨てた」「基本原則は忘れてはいけない」などという批判が相次いだのである。 説明役の外務省幹部は「安倍晋三首相や河野太郎外相の国会答弁などを踏まえて、この書きぶりにした」と応じたが、議員らは納得しなかったようで、後日、岸田文雄政調会長が党の総務会で「今回の対応は納得しうるものではない」「他国に間違った受け止め方をされるおそれもある」などと批判し、外交部会で引き続き議論するよう指示したという。 日ロ間で平和条約に関する交渉が行われる中、確かに北方領土問題に関する安倍首相や河野外相の言動は大きく変わった。かつて日本政府は北方領土について「ソ連が不法に占拠した」「わが国固有の領土である」など強い調子で表現するとともに、旧ソ連やロシアの対応を批判してきた。しかし、日ロ間で平和条約交渉が始まると、安倍首相らのトーンが穏やかなものに変わった。交渉当事者としては自然な対応だろう。 そして、過去1年間の外交を記録するという『外交青書』の趣旨から言えば、首相や外相の発言に沿った内容を記録するのは当然なことでもある。しかし、威勢のいい自民党議員からすると、それが物足りないのである。ロシア側が「日露間の領土問題はない」などと過去の主張を蒸し返しているだけに、日本政府も負けずに強い姿勢で臨めと言いたいのだろう。 過去の『外交青書』を見ると、北方領土問題に関する記述は日ソ(日ロ)関係や国際情勢の変化に合わせて頻繁に変わっている。冷戦時代、日ソ間で首脳会談や外相会談などの人的交流はほとんど行われておらず、書簡のやり取りなどが中心だった』、「自民党の外交部会の出席議員」だけでなく、岸田文雄政調会長までもが、安倍首相ではなく、外務省官僚に矛先を向けるとは、情けない話だ。
・『交渉の進展とともに、記述は抽象的に  1961年の「青書」には、日米安保条約改定を批判するフルシチョフ首相と池田勇人首相との間で数回にわたってやり取りされた書簡の全文が載っており、専門家にとってもなかなか読み応えがある内容となっている。「外交」が成り立っていないため、逆に「青書」で書簡まで公表できた。 ゴルバチョフ書記長(のちに大統領)が登場した冷戦末期あたりから、海部、細川、橋本、小渕、森、小泉首相らと日ロ間の首脳会談が実現し、協議の内容も外交交渉らしくなってきた。それに合わせて「青書」には会談内容の記録などが書かれてきたが、交渉が進めば進むほど公表できる部分が減ってきたことを反映して、記述は抽象的で簡素なものになっていった。それと同時に、強硬論を含めた日本の主張や立場を、いちいち念を押して記述することもなかった。 日本の立場については、2000年代初めのころは、「北方四島の帰属の問題を解決して平和条約を締結」することと、「日露関係の完全な正常化」「日露間でのさまざまな分野における協力と関係強化」が併記されていた。2005年以降は「日本固有の領土である北方四島の帰属の問題を解決して平和条約を締結し、これにより日露関係を完全に正常化するという一貫した方針を維持」という表現となった。そして、第2次安倍政権以降は2018年版まで、「北方領土問題は日露間の最大の懸案であり、北方四島は日本に帰属するというのが日本の立場」という表現が続いていた。 こうした経緯を見ると、2019年版で「北方四島は日本に帰属する」という部分を削除するというのは確かに大きな変化である。しかし、現在進行中の日ロ間の交渉はまさにこの部分が最大の焦点であり、ラブロフ外相らロシア側が繰り返し日本の主張を批判しているのもこの部分である。 ほかにも2018年版の「四島の帰属の問題を解決して平和条約を締結するとの一貫した基本方針の下、ロシアとの間で精力的に交渉を行っている」という部分は、2019年版の要約版では「領土問題を解決して平和条約を締結すべく、ロシアとの交渉に粘り強く取り組んでいる」と変更されている。 「四島の帰属の問題」という表現を「領土問題」に変えたのも、「北方四島は日本に帰属する」という表現の削除と同じで、ロシア側の反発を買うことを避けるための配慮であることは間違いない』、ただ、「四島」を外すのはともかく、「ロシア側の反発」を理由に「青書」の記載まで変えるというのは違和感を感じる。
・『自民党部会は議員の不満のはけ口に  ただ、北方領土問題に対するロシア側の強硬な姿勢に変化はなく、日ロ交渉が順調に進んでいるとはとてもいえない状況にある。「青書」の表現を穏便なものに変えたからといって、ロシア側の対応が柔軟になることはまったく期待できないだろう。 外務省の幹部は筆者に対し、「ラブロフ外相らロシア政府は、記者会見などの場で日本政府批判や強硬論を繰り返している。しかし、肝心なのはロシアとの交渉で結果を出すことである。外野席の雑音はできるだけ耳に入れないようにしている」と語ってくれたことがある。 私が疑問に思うのは岸田政調会長をはじめとする自民党議員の対応である。政府の重要政策を説明する場でもある自民党の部会には首相や閣僚は出席しない。説明役はもっぱら各省の局長ら幹部だ。部会は議員らが政府の説明に対して、批判したり注文をつける場になっているのだが、しばしば不満のはけ口になっているのだ。 とくに最近の外交部会の荒れようは目を覆いたくなるものがある。日ロ関係だけではない。関係悪化に歯止めのかからない日韓関係についても出席議員から、外務省幹部らに「弱腰外交だ」「どこの国の官僚だ」「韓国とは国交を断絶すべきだ」などという罵詈(ばり)雑言に近い言葉が繰り返し浴びせられている。 日ロや日韓関係をはじめ主要外交政策決定の責任者は外相であり首相である。官僚は「政治主導」の名の下、その指示に従って政策をつくり上げていく。政策に不満があるのなら官僚いじめで満足するのではなく、同じ政治家である首相や外相を相手に議論することが筋であろう。 また追求する場も、非公開の党の部会や総務会ではなく、国会の本会議や予算委員会、外務委員会など公開の場で堂々とやればいい。ところが自民党議員は、審議促進などを理由に国会ではできるだけ質問をしない。その代わりに部会などで官僚にクレームをつける』、「政策に不満があるのなら官僚いじめで満足するのではなく、同じ政治家である首相や外相を相手に議論することが筋」、というのはその通りだ。
・『「族議員」から「官邸主導」へ  この構図は「自社55年体制」時代から半世紀以上にわたってまったく変わっていない。今と異なり、官僚が実質的に政策決定の主導権を握っていた時代には、特定分野に力を持つ「族議員」が各省幹部と協議し、特定団体の要求を押し込むなど不透明な政策決定が行われていた。 時代が変わり族議員という言葉も聞かれなくなり、逆に「安倍一強」「官邸主導」といわれている。主要政策決定過程において官僚機構の力が衰退し、自民党政調の影響力が抑え込まれ、首相や閣僚の力が圧倒的に強くなっている。 にもかかわらず自民党は相変わらず部会を開き、官僚を党の会議に呼びつけて、罵詈雑言を浴びせて憂さを晴らしている。自民党の党内議論が不活発になっているといわれて久しいが、こんなことを続けていたのでは、国会議員の政策力は向上しないであろう』、「官邸主導」のなかで、国会議員の声を如何に吸収していくか、自民党も真剣に考え直すべきなのだろう。

第三に、在米作家の冷泉彰彦氏が4月27日付けのメールマガジンJMMに掲載した「過渡期の日本、アメリカから見た安倍政権とその後」を紹介しよう。
・『2010年代も末となり、2020年代が接近してきた中で、安倍政権は日本の現代史においては珍しいほどの長期政権化してきました。その現状と、その後について考える前に、政権の性格について一つの指摘をしておきたいと思います。 意外に思われる方も多いかもしれませんが、海外、特にアメリカから見れば安倍政権というのは、まぶしいほどの中道左派政権に見えます。トランプが「アメリカ・ファースト」と叫び、英国では破壊衝動のような「BREXIT」への国民投票結果で政府が迷走、欧州大陸では移民排斥の動きが出てきた、そんな2010年代末の現在、安倍政権の日本では、 1)移民受け入れ拡大を決定し実施。 2)ロシアとの領土外交で敵視を弱めた。 3)北朝鮮への敵視もやや弱めつつある。 4)中国との関係を良好に維持し、更に緊密にしようとしている。 5)結果オーライではなかったが、朴政権との日韓合意に踏み込んだ。 6)トランプ政権に対する国益防衛を行いつつ、G6諸国とも関係は良好。 7)経済では緊縮どころか、強い緩和政策と公共投資を継続。 8)減税ではなく増税に舵を取りつつ、財政規律も一応考えている。 9)譲位や元号の事前発表などに反対する右派を抑え込んだ。 というような政策が進められています。そのどれを取っても、中道から中道左派政策であり、2019年の世界では、特に主要国の間では全く実現不可能な内容です(9番目はさておき)。どうして不可能かというと、ネットを含めて世論が感情論に動かされる時代にあって、こうした中道左派的、あるいは国際協調的な政策は世論に押し潰されがちであるからです』、「海外、特にアメリカから見れば安倍政権というのは、まぶしいほどの中道左派政権に見えます」、というのは全く意外だったが、よくよく考えるとそうなのかも知れない。
・『では、どうして安倍政権はそのような政策を推進することが可能なのでしょうか? 2つ理由があると思います。 1つは、安倍総理自身は「保守派」だというイメージが定着しているという問題です。イデオロギー的には保守派であり、知識人ではなく庶民であり、エリートではなく若い時は学業に苦労した人物だということで、保守派の世論から支持を受けています。その安倍政権が実行する政策ですから、保守派からは大きな反対を受けないわけです。 2つ目は、そのイデオロギーの中身です。アメリカのイデオロギー論争といえば、例えば保守派の主張というのは「同性婚や妊娠中絶を違憲にしよう」とか「全国で連射ライフルの携行誇示権をよこせ」、「健康は自己責任だから皆保険制度は潰せ」「不法移民は家族バラバラにして追放せよ」といった、メッセージ性だけでなく、実現すると大変な問題を引き起こす具体的な主張が多いわけです。 つまり、国内に暮らす別のグループの人々の生活や安全を壊すような、つまり左右対立で国内を引き裂くような「危険な」主張が論点です。従って、こうした保守派の主張に対しては、リベラルの側の防戦も切実なものとなります。 ですが、日本の場合はほとんどが「歴史認識」という分野にイデオロギー論争が封じ込まれています。勿論、排外という姿勢もありますが、これも移民への嫌悪というよりも核にあるのは歴史に絡む印象論です。とにかくイデオロギー論争といっても「歴史」の問題で対立を通じた自己表現や自己顕示をしていれば済む、これは保守派だけでなく、左派にも言えることです。 エネルギーの問題も論争の焦点になりますが、これは同じ意見が左右に広がりを持っているために、左右対立の激化要因としては限定的です。 勿論、歴史に関する議論が関係する中で、安倍政権にしても日韓関係だけは、日韓合意がうまくいかなかったなど、結果は出ていないわけですが、それ以外の問題、例えば移民や国際協調外交、あるいは金融緩和政策などで保守派が足を引っ張ることは極めて限られているようです』、確かに「アメリカのイデオロギー論争」に比べれば、「日本の場合はほとんどが「歴史認識」という分野にイデオロギー論争が封じ込まれています」、というのは大筋ではその通りだが、日本でも安全保障の問題には「イデオロギー論争」がまだ強く残っているのではなかろうか。
・『この2つのメカニズムが「2010年代の世界においては奇跡」というべき中道左派政策を実現させているのだと思います。 ちなみに、日本の場合は、野党の方はどうかというと、 1)既得権益を敵視して小さな政府を志向する。 2)強い円を志向して金融緩和に反対。 3)増税にも反対。 ということで、イメージはハト派かもしれませんが、政策的には都市型富裕層の利害代表としてタカ派政策を掲げていると言えます。日本の文脈では左でも、世界的な標準からは極右と言ってもいいでしょう。 ということで、日本では「左右対立がねじれて」いるという全体像がある中で、安倍政権は「イメージは保守」「やっていることは堂々たる中道左派」という矛盾を抱えているわけです。 この矛盾は危険なものなのでしょうか? 政治というのは現実論だという前提でいえば、「安定を実現しているから危険ではない」という指摘ができます』、「日本では「左右対立がねじれて」いるという全体像がある中で、安倍政権は「イメージは保守」「やっていることは堂々たる中道左派」という矛盾を抱えているわけです」との指摘は、意外性があるが、その通りなのかも知れない。
・『一方で、永続性や他の政治家による再現性があるのかというと、それは違うと思います。次に政権を担う政治家は、安倍総理のような芸当はできずに、保守派世論に翻弄されて最善手から外れていくのではないかという不安感がどうしても拭えません。 特に、国際協調派のような言動を続けている人物に限って、反対方向へ国家を引きずる危険性をどうしても感じてしまうのです。 ここへ来て、大阪の首長選や、衆院補選2選挙区など、与党の敗北が続いています。 これに対して「長期政権への飽き」ということが言われています。この点に関しては、「飽きた」とか「長すぎて本人はともかく周囲に腐敗がありそうだ」という感覚で政権をスイッチするというのは、ダイレクトな政権交代ではなくても、自民党内での総裁の辞任と交代を促すという意味では、過去に何度も繰り返されて来ました。 これに加えて、現在の日本の世相に流れているのは、「その次の時代」への不安感という深層心理かもしれません。それが屈折した心情として「長期政権への飽き」という形で析出して来ているのかもしれません。 だとしたら、安倍政権は「怖いからダブル選」とか「怖いから税率据え置き」というような「ブレ」た行動を行って、世論の不安感を煽るのは危険であるように思います。もっと堂々とした姿勢で「参院シングル選挙+税率は10%に予定通り」という姿勢で臨む方がはるかに結果としての「当面の政局」は安定するのではないでしょうか』、なるほど、そうなのかも知れない。
・『そうではあるのですが、やがて政権には終焉の時がやって来ます。それは時間の問題であり、人材ということでも政策ということでも「次」を考えておかねばならない、 そんな時期に来ていると思います。 残念ながら、安倍政権の最大の弱点は、吉田学校や佐藤学校のように、次世代を鍛えるというメカニズムを持たなかったということです。同時に、現在の野党には政策も人材も、代替となる用意はありません。ですから、日本の「次」については、有権者が先にどんどん考えて行くことが必要になっているのだと思います。 その「次の時代」ということですが、次のような論点が必要ではないかと思います。 1)安倍政権ができなかったのは「第3の矢」です。規制緩和により、人材を流動化し、国際労働市場へアクセスすることで、最先端の人材と技術を呼び返して、高付加価値経済の流出に歯止めをかける政策が必要です。 2)国内にリスクマネーがなく、かといって国外からリスクマネーを引っ張るノウハウが足りないことが、経済の衰退に拍車をかけています。国境を超えた資本取引における自由度を更に拡大することで、この問題の解決を探る必要はあると思います。 3)移民流入に伴い、受け皿となる移民の人権保護、受け入れ側の日本人コミュニティの変革などが遅れています。移民政策が時期尚早だなどと反対するのではなく、打つべき手を示してスピード感を見せることが大事ではないでしょうか。 4)移民問題については、なし崩し的に進めれば日本は多言語国家となり、そのコストが移民の効果を相殺してしまいます。一つの中間案として、英語の公用語化を進めて、英語話者の移民を優先して入れるという工夫も一考に値するように思います。 5)地方に関しては、多様性とか先進性、生産性ということでは、東京でも十分に遅れているのに、それより遅れているようでは救われません。反対に、日本全体や東京の遅れに先行して、改革を行う地方が出てくること、それが大切だと思います。改革というのは、GDP、特に一人あたりのGDPをプラスに転じるということです。 6)環境政策に関しては、世論が排出ガスの問題よりも、原子力の平和利用に対する恐怖感に心を奪われている中で、全く進展が見られなくなりました。これを何とか、平常に戻して国際社会と地球全体の問題を協議できる政権が必要です。 7)日米関係ということでは、遅くとも2024年には相当に左派の政権がホワイトハウスに登場する可能性があります。こちらとの協調ということも、視野に入れつつ政策ならびに人材を考え始めないといけないと思います。 人口減や国際競争力低下など、構造的な問題を抱える日本は過渡期に来ています。 現状の安倍政権は、国内での引き裂かれたイメージの一方で、国外からは落ち着いた中道左派政権に見えます。その政局は当面安定させるべきですが、中期的にはその「次」を考えることで、過渡期の日本を考える時期に来ていると思います』、論点のうち違和感があるのは以下の通り。1)の「人材を流動化」には、日本の圧倒的に弱い労組を前提にすると、時期尚早だと思う。「2)国内にリスクマネーがなく、かといって国外からリスクマネーを引っ張るノウハウが足りないことが、経済の衰退に拍車」、はリスクマネーの問題ではなく、経営者が余りにリスク回避型になっていることが問題だと思う。3)移民問題では、移民に頼るべきではなく、女性や高齢者の活用、AIやIOTなどによる省力化投資が基本だと思う。4)は必要ない。6)「世論が排出ガスの問題よりも、原子力の平和利用に対する恐怖感に心を奪われて」というのは、原発事故の原因・責任を明確化しないままで、原発推進に切り替えるのには反対だ。5)、7)はその通りだろう。いずれにしても、アメリカの視点からみた安倍政権への評価には、意外性があって、大いに考えさせられた。
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