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格差問題(その5)(“ディストピア”は不可避か 新技術がもたらす階級社会 『ホモ・デウス テクノロジーとサピエンスの未来』、「京都アニメーション放火事件」など続発する事件は「下級国民によるテロリズム」なのか?、正社員「逆ギレ」も 非正規の待遇格差が招く荒れる職場) [社会]

格差問題については、4月16日に取り上げた。今日は、(その5)(“ディストピア”は不可避か 新技術がもたらす階級社会 『ホモ・デウス テクノロジーとサピエンスの未来』、「京都アニメーション放火事件」など続発する事件は「下級国民によるテロリズム」なのか?、正社員「逆ギレ」も 非正規の待遇格差が招く荒れる職場)である。

先ずは、BNPパリバ証券経済調査本部長の河野龍太郎氏が2月17日付けダイヤモンド・オンラインに寄稿した「“ディストピア”は不可避か 新技術がもたらす階級社会 『ホモ・デウス テクノロジーとサピエンスの未来』(上・下)」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/194007
・『世界的大ベストセラー『サピエンス全史』では、人類がどこから来たのかが論じられた。7万年前、人類が人類たり得た最初の「認知革命」が起こった。人類は、他の動物とは異なり、想像力で社会を構築し、ルールや宗教など虚構(物語)を共有することで、仲間と緊密に協力して地球最強の生物となった。 本書では、最新科学の知見を盛り込み、人類の行く末を論じる。 まず、生体器官もアルゴリズムに過ぎないという最新の生物学の知見を基に、前著で論じた認知革命や、その後の農業革命(1万2000年前)、文字や貨幣の発明(5000年前)、科学革命(500年前)などをデータ処理の観点から論じる。個体の制約から解放されたデータ処理能力は、ヒエラルキーの強化や仕事の細分化で、一段と効率化する。それが、人類が集団として進歩した理由だ。 300年前には自由主義など人間至上主義が誕生し、その追求の結果、人類を長年苦しめた飢餓や疫病、戦争の三つの大きな問題は20世紀末にほぼ解決された。人間中心の考えをさらに推し進め、今や私たちは、不死や至福という神の領域に踏み込もうとしている』、「個体の制約から解放されたデータ処理能力は、ヒエラルキーの強化や仕事の細分化で、一段と効率化する。それが、人類が集団として進歩した理由だ」、その通りなのだろう。
・『生物工学やAI(人工知能)の発展で、近い将来、生体情報は全てクラウド上に蓄積される。健康を望む人は、進んでデータを提供するはずだ。いずれ体だけでなく、頭脳や精神状況もモニターされ、自分以上に自分を知るネットワークシステムが誕生し、人間はその支配下に入る。人間は脇役に追いやられ、データ至上主義の時代が訪れる。同時に、サイボーグ工学の進展により、富裕層は体や頭脳のアップグレードを繰り返す。 多くの経済書は、技術革新で経済格差が拡大すると懸念してきた。本書は、データを握りアップグレードを続けホモ・デウス(デウスは神)となったエリートが支配する階級社会の到来を警告する。 評者は、AIの発展は恩恵だけではなく、ダークサイドももたらすと懸念していたが、自由主義が歯止めになると楽観していた。しかし、自由主義も私たちが作り上げた虚構の一つに過ぎず、むしろ不死や至福の追求を促し、自らを切り崩す。著者の執筆動機は、本書で描くディストピア(反理想郷)の到来を避けるためだという。 さて、私たち日本人は、自然との共生を重んじ、人間中心主義だけを拠(よ)り所(どころ)としてはこなかった。幅広い生物に仏性を認めるだけでなく、神と人を区別せず、万物を神と崇(あが)める土着信仰もある。西欧近代主義の帰結がホモ・デウスだとしても、別の未来も描けるように思えるが、手遅れなのか』、「本書は、データを握りアップグレードを続けホモ・デウス(デウスは神)となったエリートが支配する階級社会の到来を警告する」、まさに「ディストピア」そのものだ。「私たち日本人は、自然との共生を重んじ、人間中心主義だけを拠(よ)り所(どころ)としてはこなかった」、という面があるのは事実だが、楽観視は禁物だろう。

次に、作家の橘玲氏が8月26日付けダイヤモンド・オンラインに寄稿した「「京都アニメーション放火事件」など続発する事件は「下級国民によるテロリズム」なのか?【橘玲の日々刻々】」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/212972
・『死者35人、負傷者33人という多くの被害者を出した「京都アニメーション放火事件」は、放火や殺人というよりまぎれもない「テロ」です。しかし犯人は、いったい何の目的で「テロ」を行なったのでしょうか。 報道によれば、容疑者はさいたま市在住の41歳の男性で、2006年に下着泥棒で逮捕され、2012年にコンビニ強盗で収監されたあとは、生活保護を受けながら家賃4万円のアパートで暮らしていたとされます。事件の4日前に起こした近隣住民とのトラブルでは、相手の胸ぐらと髪をつかんで「殺すぞ。こっちは余裕ねえんだ」と恫喝し、7年前の逮捕勾留時には、部屋の壁にハンマーで大きな穴が開けられていたとも報じられています。 身柄を確保されたとき、容疑者は「小説をパクリやがって」と叫んだとされます。アニメーション会社は、容疑者と同姓同名の応募があり、一次審査を形式面で通過しなかったと説明しています。 ここからなんらかの被害妄想にとらわれていたことが疑われますが、精神疾患と犯罪を安易に結びつけることはできません。これは「人権問題」ではなく、そもそも重度の統合失調症では妄想や幻聴によって頭のなかが大混乱しているので、今回のような犯罪を計画し、実行するだけの心理的なエネルギーが残っていないのです。欧米の研究でも、精神疾患がアルコールやドラッグの乱用に結びついて犯罪に至ることはあっても、病気そのものを理由とする犯罪は一般よりはるかに少ないことがわかっています。 じつは、あらゆるテロに共通する犯人の要件がひとつあります。それが、「若い男」です。ISIS(イスラム国)にしても、欧米で続発する銃撃事件にしても、女性や子ども、高齢者が大量殺人を犯すことはありません。 これは生理学的には、男性ホルモンであるテストステロンが攻撃性や暴力性と結びつくことで説明されます。思春期になると男はテストステロンの濃度が急激に上がり、20代前半で最高になって、それ以降は年齢とともに下がっています。欧米の銃撃事件の犯人の年齢は、ほとんどがこの頂点付近にかたまっています』、「あらゆるテロに共通する犯人の要件がひとつあります。それが、「若い男」です」、というのはその通りだ。「テストステロン」も不可欠のものだが、副作用も大きいのは困ったことだ。
・『日本の「特殊性」は、川崎のスクールバス殺傷事件の犯人が51歳、今回の京アニ放火事件の容疑者が41歳、元農水省事務次官長男刺殺事件の被害者が44歳など、世間に衝撃を与えた事件の関係者の年齢が欧米よりかなり上がっていることです。さまざまな調査で、20代の若者の「生活の充実度」や「幸福度」がかなり高いことがわかっています。日々の暮らしに満足していれば、「社会に復讐する」理由はありません。 このように考えると、日本の社会の歪みが「就職氷河期」と呼ばれた1990年代半ばから2000年代はじめに成人した世代に集中していることがわかります。当時、正社員になることができず、その後も非正規や無職として貧困に喘ぐ彼らは、ネットの世界では自らを「下級国民」と呼んでいます。とりわけ低所得の男性は結婚もできず、社会からも性愛からも排除されてしまいます。 この国で続発するさまざまな事件は、「下級国民のテロリズム」なのかもしれません。そんな話を、新刊の『上級国民/下級国民』で書いています』、「日本の社会の歪みが「就職氷河期」と呼ばれた1990年代半ばから2000年代はじめに成人した世代に集中」、というのは確かに深刻だ。政府も対応策をアリバイづくりで打ち出しているが、実効性は期待薄だ。

第三に、健康社会学者(Ph.D.)の河合 薫氏が9月10日付け日経ビジネスオンラインに寄稿した「正社員「逆ギレ」も、非正規の待遇格差が招く荒れる職場」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00118/00039/?P=1
・『「非正規と呼ぶな!」と指示したメールが厚生労働省内に出回ったらしい。先週あちこちで批判されていたので、ご存じの方も多いと思うけれど簡単に振り返っておく。 問題のメールは今年4月に同省の雇用環境・均等局の担当者名で省内の全部局に「『非正規雇用労働者』の呼称について(周知)」という件名で通知されたもので、国会答弁などでは「パートタイム労働者」「有期雇用労働者」「派遣労働者」などの呼称を使うことを指示。「非正規」のみや「非正規労働者」という言葉は用いないよう注意を促すものだった。 また、「『非正規雇用』のネーミングについては、これらの働き方には前向きなものがあるにもかかわらず、ネガティブなイメージがあるとの大臣の御指摘があったことも踏まえ、当局で検討していた」と記載され、「大臣了」という表現もあったという。 報道を受け根本匠厚生労働相はメールの指示や関与を否定。また、厚労省は内容が不正確だとし、文書やメールを撤回している。 厚労省は、2010年版の「労働経済の分析」(労働経済白書)で、1997年と2007年の年収分布を比較し、10年間で年収が100万~200万円台半ばの低所得者の割合が高まり、労働者の収入格差が広がったのは、「労働者派遣事業の規制緩和が後押しした」と自ら国の責任を認めていたのに……。この期に及んで言葉狩りに加担するとは実に残念である』、「「非正規と呼ぶな!」と指示したメールが厚生労働省内に出回った」、というの初耳だが、自らの失政を「言葉狩り」でしのごうとするのは余りにお粗末だ。
・『「非正規」の言葉を避ける“空気”が醸成されている  いったい何度、発覚、否定、撤回、が繰り返されていくのだろうか。 今回の問題を、役所の知人など複数名に確認したところ、かねてから永田町では「非 正規という言葉はイメージが悪い」「希望して非正規になっている人も多い」という意見があったそうだ。 「老後資金年金2000万円問題」が浮上し野党が行ったヒアリングでも(6月19日)、年金課長が「根本厚労相から『非正規と言うな』と言われている」と発言し、21日に根本厚労相が記者会見で課長の発言を否定したこともあった。 要するに、メールを撤回しようと何だろうと、「非正規という言葉はなくそうぜ!」という“空気”が出来上がっていたのだろう。 いずれにせよ、大抵こういった悪意なき無自覚の「言葉狩り」が起こるときは、決まって知識不足、認識不足、無知が存在する。 実際、3日の記者会見で、根本厚労相は以下のようにコメントしており、私はこのコメントの方がむしろ問題だと考えている(抜粋要約)。 「正社員に就けずにパートなどの働き方を余儀なくされている方や、積極的にパートなどの働き方を選択している方など、多様な働き方が進んでいる。単に『正規』『非正規』という切り分け方だけでよいのか、それぞれの課題に応じた施策を講ずるべきではないか、と思っている。 パートタイム労働者、有期雇用労働者、派遣労働者に寄り添った政策を展開して、同一労働同一賃金の実現に向けて全力で取り組んでいく、これが私の姿勢であり、基本的な考え方です」 ……ふむ。「それぞれの課題」「同一労働同一賃金」という言葉を大臣が使っているので、一見問題があるとは思えない発言だし、ご本人からはいっさい悪意は感じられない だが、「働き方」と「働かせ方」は全くの別物である。これを混同していることにこそ、大きな問題がある。 働き方の主語は「働く人」。働かせ方の主語は「会社」だ』、「「働き方」と「働かせ方」は全くの別物である。これを混同していることにこそ、大きな問題がある」、というのは鋭い指摘だ。
・『「非正規雇用」vs「正社員」という構造が生まれた  パートタイムだろうと、有期雇用だろうと、派遣だろうと、はたまた正社員だろうと「働く」ということに全く違いはない。にもかかわらず、企業が非正規と正規という単なる雇用形態の違いで、 賃金が低い 残業代が出ない 産休や育休、有休が取れない 時短労働ができない 社内教育の機会がない 昇進や昇給の機会がない 雇用保険に入れない 簡単に「雇い止め」にあう、etc.etc.… と「働かせ方」を区別したのだ。 労働基準法や男女雇用均等法で禁止されていることを企業側が理解していない場合も多く、非正規雇用者は権利があるのに行使できない。 しかも、非正規社員が雇用契約している相手は「企業」だ。ところが企業による「待遇格差」が慣例化したことで、まるで「正社員さま」と契約しているかのような事態も発生している。 「私たちが、誰のために働かされているか分かります? 正社員のためですよ。何もしない正社員のために、契約社員は必死で働かされているんです」 ある会社で非正規社員として働く女性が、こう漏らしたことがある。 彼女の職場は転勤が多かったため、出産を機に退職。その後は育児に専念していたが、転勤問題が取り上げられるようになり、人事部のかつての同僚から「もし働く気があれば、契約社員として同じ部署で働けるけど?」と誘われ、昨年、会社に復帰した。正社員だった時と比べると、年収は4割ほど下がったという。 「以前は自分の仕事が終わればさっさと帰ってしまう契約社員たちを『楽でいいよなぁ』と、腹立たしく思ったことも正直ありました。でも、いざ自分が逆の立場になってみると、契約社員の方が真面目に働いていることに気づきました。 契約を更新してもらうためには、数字で成果を出さなければならない。残業代も出ませんし、限られた時間の中で効率よく仕事をこなさなければなりません。 正社員だった時の方が楽だったようにさえ思います。とりあえずは毎月の給料は出るし、ある程度結果を出せば、昇給も昇進もありますから」 「自分が契約社員になったら、正社員の怠慢と横柄な態度も目に付くようになってしまって。例えば、契約社員が事務書類の提出が遅れると、『意識が低い』だの『モチベーションが低い』だのマイナスの評価を受けます。ところが正社員だと『ちょっと忙しくて』という言い訳が通る。上司もそれを容認するんです。 それにね。正社員ってある程度までは横並びで昇進し、仕事も任されるようになるけど、契約社員は採用される時点で会社が求めるレベルに達しているので、その意味では契約社員の方が仕事ができます。おそらくそのことを正社員も肌で感じているのでしょう。特に私のように出戻りだと、年下の正社員はなめられたくないのか、ものすごい上から目線で対応してきます。 20代の正社員が顧客にてこずっていたのでアドバイスしたら、『正社員をなめるなよ!』と言われて驚きました。同期からは『非正規は気楽でいいよな?』と言われることもあります。給料が下がっても仕事が好きで、仕事をしたくて復帰したのに……。正社員ってそんなに偉いんでしょうか」』、企業にとっては、「正社員」の下に「非正規」を位置づけることで、正社員の自尊心をくすぐっているのだろう。
・『バカにされたくない“正社員”が契約社員を責める  この女性はインタビューに協力してくれた半年後に退職。メンタル不全に陥り、「やめる」という選択肢しかなかったという。 “正社員”から冒涜(ぼうとく)された経験を持つのは、この女性に限ったことではない。 「『パートなんていつだってクビにできるんだぞ』といつも言われるんです」と嘆く30代のパート社員もいたし、上司に意見したら『契約の身分で偉そうなこと言うな!』と恫喝(どうかつ)された40代の契約社員もいた。 人は自分が満たされないとき、他人に刃(やいば)を向けることがある。自分がバカにされたくないから、他人をバカにする。そんなとき、非正規という会社との契約形態が、かっこうのターゲットになることだってある。会社が待遇格差をつけたことで、正社員が妙な優越感を持つようになり、本来の性格までゆがめてしまったのだ。 揚げ句の果てに、何か事件が起こると「非正規」だの「契約社員」だのといった雇用形態の違いに原因があるかのように利用されるようになった。 繰り返すが、その“身分格差”を生んだのは、「非正規」という言葉ではなく、企業による待遇格差だ。働かせ方の問題である。「それぞれの課題に応じた施策を講ずるべきだ」(by 根本厚労相)などとまどろっこしいことを言っている場合ではないのではないか。 これまで、政府は基本的に「待遇格差」を禁じ、「正社員化」を進める法律を制定してきたのだから、法の抜け穴を巧妙に利用し、差別をしている企業を根こそぎ罰すればいい。それだけである程度非正規の問題は解決されるはずだ』、「“身分格差”を生んだのは、「非正規」という言葉ではなく、企業による待遇格差だ。働かせ方の問題である」、「法の抜け穴を巧妙に利用し、差別をしている企業を根こそぎ罰すればいい」、などはその通りだ。
・『実はこの“身分格差”問題は、日本の労働史を振り返ると「男社会」により生まれたことが分かる。 さかのぼること半世紀前。1960年代に増加した「臨時工」に関して、今の「非正規」と同様の問題が起き社会問題となった。 当時、企業は正規雇用である「本工(正社員)」とは異なる雇用形態で、賃金が安く不安定な臨時工を増やし、生産性を向上させた。 そこで政府は1966年に「不安定な雇用状態の是正を図るために、雇用形態の改善等を推進するために必要な施策を充実すること」を基本方針に掲げ、1967年に策定された雇用対策基本計画で「不安定な雇用者を減らす」「賃金等の処遇で差別をなくす」ことをその後10年程度の政策目標に設定する。 ところが時代は高度成長期に突入し、日本中の企業が人手不足解消に臨時工を常用工として登用するようになった。その結果、臨時工問題は自然消滅。その一方で、労働力を女性に求め、主婦を「パート」として安い賃金で雇う企業が増えた。 実際には現場を支えていたのは多くのパート従業員だったにもかかわらず、パートの担い手が主婦だったことで「パート(=非正規雇用)は補助的な存在」「男性正社員とは身分が違う」「賃金が低くて当たり前」「待遇が悪くても仕方がない」という常識が定着してしまったのだ』、労働組合が「非正規雇用」の問題を真剣に取り上げてこなかった罪も大きい。
・『非正規社員が正社員より給与が高い国も  それだけではない。 「なぜ、何年働いてもパートの賃金は上がらないんだ!」という不満が出るたびに、企業は「能力の違い」という常套句(じょうとうく)を用いた。正社員の賃金が職務給や年功制で上がっていくことを正当化するために、パートで働いている人の学歴、労働経験などを用い、能力のなさを論証することで、賃金格差を問題視する視点そのものを消滅させたのである。 私は今の非正規雇用の待遇の悪さは、こうしたパートさん誕生の歴史が根っこにあると考えている。それゆえ、とりわけ女性の非正規の賃金は低い。さらに「正社員を卒業」したシニア社員が非正規で雇われるようになり、ますます非正規雇用の全体の賃金も抑えられるようになってしまったのだ(参考記事:「他人ごとではない老後破綻、60過ぎたら最低賃金に」)。 だいたい雇用問題では、常に「世界と戦うには……」という枕詞が使われるけど、欧州諸国では「非正規社員の賃金は正社員よりも高くて当たり前」が常識である。 フランスでは派遣労働者や有期労働者は、「企業が必要な時だけ雇用できる」というメリットを企業に与えているとの認識から、非正規雇用には不安定雇用手当があり、正社員より1割程度高い賃金が支払われている。イタリア、デンマーク、オーストラリア、ニュージーランド、カナダなどでも、非正規労働者の賃金の方が正社員よりも高い。「解雇によるリスク」を補うために賃金にプラスαを加えるのだ』、「「解雇によるリスク」を補うために賃金にプラスαを加えるのだ」、というのは確かに合理的だ。日本でそうなってないのは、歴史的経緯などが要因になっているのかも知れない。
・『また、EU諸国の中には、原則的に有期雇用は禁止し、有期雇用にできる場合の制約を詳細に決めているケースも多い。 4割が非正規の今の日本社会ではかなり極論にはなるかもしれないけど、私は一貫して有期雇用のマイナス面を指摘しているので、有期雇用は原則禁止した方がいいと考えている。人間の尊厳のために仕事は必要だし、有期契約のような不安定な仕事は、人間の尊厳を満たすには十分ではない。生きる力の土台をも奪うものだ。 ただ、その一方で、非正規社員、正社員に関係なく企業とのつながりが不安定になり、同時に企業と働く人との繋がりが重要ではなくなってきていることも否定できない。 その上で、改めて考えると、働く人が生きていく上で、仕事ができることと、生活を送るのに十分な収入があることを、法律で担保することが極めて重要になる。 くしくも、厚労省メール問題が浮上したのと時を同じくして、日本企業が持つ「内部留保(利益剰余金)」が7年連続で過去最大を更新したと財務省が発表した。2018年度の金融業・保険業を除く全産業の「利益剰余金」は463兆1308億円で、前年に比べ3.7%も増えていたのだ。 使わないでため込んでいるくらいなら、まずは非正規の賃金を上げるよう政府は“通達メール”でも出してはどうか。 あと数週間で消費税も上げられるのだ。 政府は消費が一向に盛り上がらないと嘆いているけれど、4割も非正規がいるのだから、使おうにも金がない世帯が増えているわけで。徹底的に「労働者を保護する」という観点に立てば、できることはたくさんある。 変えるべきは「非正規」のイメージではなく、差別的な働かせ方だ』、最後の部分は諸手を上げて同意する。
タグ:橘玲 格差問題 日経ビジネスオンライン 河野龍太郎 ダイヤモンド・オンライン 河合 薫 『サピエンス全史』 (その5)(“ディストピア”は不可避か 新技術がもたらす階級社会 『ホモ・デウス テクノロジーとサピエンスの未来』、「京都アニメーション放火事件」など続発する事件は「下級国民によるテロリズム」なのか?、正社員「逆ギレ」も 非正規の待遇格差が招く荒れる職場) 「“ディストピア”は不可避か 新技術がもたらす階級社会 『ホモ・デウス テクノロジーとサピエンスの未来』(上・下)」 個体の制約から解放されたデータ処理能力は、ヒエラルキーの強化や仕事の細分化で、一段と効率化する。それが、人類が集団として進歩した理由だ 300年前には自由主義など人間至上主義が誕生し、その追求の結果、人類を長年苦しめた飢餓や疫病、戦争の三つの大きな問題は20世紀末にほぼ解決された 人間中心の考えをさらに推し進め、今や私たちは、不死や至福という神の領域に踏み込もうとしている いずれ体だけでなく、頭脳や精神状況もモニターされ、自分以上に自分を知るネットワークシステムが誕生し、人間はその支配下に入る。人間は脇役に追いやられ、データ至上主義の時代が訪れる データを握りアップグレードを続けホモ・デウス(デウスは神)となったエリートが支配する階級社会の到来を警告する 私たち日本人は、自然との共生を重んじ、人間中心主義だけを拠(よ)り所(どころ)としてはこなかった。幅広い生物に仏性を認めるだけでなく、神と人を区別せず、万物を神と崇(あが)める土着信仰もある。西欧近代主義の帰結がホモ・デウスだとしても、別の未来も描けるように思えるが、手遅れなのか 「「京都アニメーション放火事件」など続発する事件は「下級国民によるテロリズム」なのか?【橘玲の日々刻々】」 あらゆるテロに共通する犯人の要件がひとつあります。それが、「若い男」です テストステロンが攻撃性や暴力性と結びつくことで説明 日本の「特殊性」は、川崎のスクールバス殺傷事件の犯人が51歳、今回の京アニ放火事件の容疑者が41歳、元農水省事務次官長男刺殺事件の被害者が44歳など、世間に衝撃を与えた事件の関係者の年齢が欧米よりかなり上がっていること 日本の社会の歪みが「就職氷河期」と呼ばれた1990年代半ばから2000年代はじめに成人した世代に集中 当時、正社員になることができず、その後も非正規や無職として貧困に喘ぐ彼らは、ネットの世界では自らを「下級国民」と呼んでいます この国で続発するさまざまな事件は、「下級国民のテロリズム」なのかもしれません 「正社員「逆ギレ」も、非正規の待遇格差が招く荒れる職場」 「非正規と呼ぶな!」と指示したメールが厚生労働省内に出回った 「労働経済の分析」(労働経済白書)で、1997年と2007年の年収分布を比較し、10年間で年収が100万~200万円台半ばの低所得者の割合が高まり、労働者の収入格差が広がったのは、「労働者派遣事業の規制緩和が後押しした」と自ら国の責任を認めていた この期に及んで言葉狩りに加担するとは実に残念である 「非正規」の言葉を避ける“空気”が醸成されている 「非正規雇用」vs「正社員」という構造が生まれた バカにされたくない“正社員”が契約社員を責める 身分格差”問題は、日本の労働史を振り返ると「男社会」により生まれた 非正規社員が正社員より給与が高い国も 「解雇によるリスク」を補うために賃金にプラスαを加えるのだ EU諸国の中には、原則的に有期雇用は禁止し、有期雇用にできる場合の制約を詳細に決めているケースも多い 変えるべきは「非正規」のイメージではなく、差別的な働かせ方だ
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宗教(その2)(宗教施設が一等地に突然建つ裏事情 反社会的勢力の元構成員が暴露、科学が「神の領域」に近づいた今 改めて「宗教の役割」が見直される時代がくる、日本人の「宗教偏差値」が世界最低レベルになった3つの理由、間違いだらけのイスラーム教!日本人は なぜこうも誤解してしまうのか?) [社会]

宗教については、昨年10月9日に取り上げたままだった。久しぶりの今日は、(その2)(宗教施設が一等地に突然建つ裏事情 反社会的勢力の元構成員が暴露、科学が「神の領域」に近づいた今 改めて「宗教の役割」が見直される時代がくる、日本人の「宗教偏差値」が世界最低レベルになった3つの理由、間違いだらけのイスラーム教!日本人は なぜこうも誤解してしまうのか?)である。

先ずは、昨年10月12日付けダイヤモンド・オンライン「宗教施設が一等地に突然建つ裏事情、反社会的勢力の元構成員が暴露」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/181610
・『『週刊ダイヤモンド』10月13日号の第1特集は「新宗教の寿命」です。3大新宗教である創価学会、立正佼成会、真如苑を中心に、信者数や政治力、将来予測、課題、そして金の流れや周辺ビジネスまで、大解剖しています。教団を問わず、宗教法人は突然、巨大な宗教施設を一等地に建設します。なぜそんな事が可能なのでしょうか。その裏側を特集班が取材しました。本誌掲載記事をダイヤモンド・オンラインで特別公開します』、興味深そうだ。
・『税制優遇だけではない 反社会的勢力の元構成員が暴露  なぜ宗教法人はある日突然、都心のみならずあなたの住む街にも巨大でゴージャスな教団施設を建てることができるのだろうか。 よくある説明では、宗教法人はその原資となるお布施や寄付といった収入などが税金面で優遇されているため、宗教施設の取得・維持が企業などよりも容易だからだとされる。 だが、「それは事実だが片手落ちだ」と苦笑するのは、かつて反社会的勢力の一員だった男性だ。 男性は組織にいたころ、「複数の新宗教教団の不動産売買を幾つも手掛けた」と具体事例を挙げながら明かした。特に10年ほど前まで、新宗教団体による自前施設の取得が全国で盛んに行われたという。 「より重要なのは、新宗教の施設が『迷惑施設』だということ。非信者の目には奇異に映る新宗教団体にも売ってくれる(または貸し出す)物件をどう探し出すか。そして、住民の反対をいかに抑えるか。これは反社会的勢力のテリトリーだ」(男性) また、ある新宗教教団が新たな場所に拠点を構えようとすると、先に進出していた別の新宗教教団の妨害が起こることもある。そういう場合も組織が後ろ盾となるという。 「組織側が地元の不動産業者と組み、候補となる物件を教団側に幾つか提示する。その多くはいわく付きの物件。カネは腐るほど持っているので糸目は付けない。相場よりも法外に高い値段で売れる。お互いにウィンウィンの関係だ。その意味で彼らは、非課税でたんまりもうけていても、“ウラの税金”を支払っている」 崇高な理念を掲げる新宗教教団の施設建設には、神も仏もない現実が隠されていることもあるのだ』、「新宗教の施設が『迷惑施設』だということ。非信者の目には奇異に映る新宗教団体にも売ってくれる(または貸し出す)物件をどう探し出すか。そして、住民の反対をいかに抑えるか。これは反社会的勢力のテリトリーだ・・・ある新宗教教団が新たな場所に拠点を構えようとすると、先に進出していた別の新宗教教団の妨害が起こることもある。そういう場合も組織が後ろ盾となる」、「神も仏もない現実が隠されていることもある」、想像以上に酷い実態があるようだ。

次に、元外交官の山中俊之氏が8月23日付けダイヤモンド・オンラインに寄稿した「科学が「神の領域」に近づいた今、改めて「宗教の役割」が見直される時代がくる」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/211972
・『アメリカ・ヨーロッパ・中東・インドなど世界で活躍するビジネスパーソンには、現地の人々と正しくコミュニケーションするための「宗教の知識」が必要だ。しかし、日本人ビジネスパーソンが十分な宗教の知識を持っているとは言えず、自分では知らないうちに失敗を重ねていることも多いという。本連載では、世界94カ国で学んだ元外交官・山中俊之氏による著書、『ビジネスエリートの必須教養 世界5大宗教入門』(ダイヤモンド社)の内容から、ビジネスパーソンが世界で戦うために欠かせない宗教の知識をお伝えしていく』、確かに多くの日本人は宗教に無知なので、「世界で戦うために」は不可欠の知識だ。
・『宗教と科学が未来のカギを握る  国際的な場で、現在の世界が抱える問題や未来の課題について論じるとき、外国人や異なる宗教を信じる人とやりとりすることがあります。その際は、宗教の知識を土台に、自分ならではの意見を伝えることが極めて重要です。同時に、相手の立場、歴史観、宗教観に寄り添うことができてこそ、世界における教養人となります。 「現在の問題や未来の課題に、宗教は関係ないのでは?」と思う人もいるかもしれません。 確かに進化論や相対性理論が提唱され、二一世紀はゲノム編集や人工知能など、人類はまさに「人智を超えた神の領域」と思われていたところに足を踏み入れつつあります。もはや人間ができないことなど存在せず、宗教は神話の世界に封じ込まれるかのようにさえ思えます。しかし、私の意見は異なります。 宗教は科学など存在しない古代に起こり、中世までは「人智を超えた世界」と「人間がわかっている現実世界」の間に、まだまだ距離がありました。 だからこそ人々は、神を恐れながらも尊重していたのでしょう。落雷とエネルギーの関係もわからず、万有引力の法則もなかったら、その答えを宗教に求めても不思議はありません。また、「自分とは、生と死とは? 災害はなぜ起こるのか?」という人類共通の課題に答えを出すものは宗教しかありませんでした。 当時、必要不可欠だった宗教はそれぞれ系統立てて整理されながら、世界へと広がっていったのです。 近代になると科学が進歩し、様々な解けなかった謎が解けていきます。なぜ嵐が起きるのか、なぜ病にかかるのか、合理的に説明できることが増え、科学によって人類共通の課題への答えが出されることで宗教のニーズが相対的に下がっていきました。 民主主義の広がりによって、政治が宗教の権威を借りないことも多くなり、政教分離の観点から、宗教を用いた政治はむしろ忌避されるようになったのです。 宗教の重要性が薄らぐ流れは、つい最近まで続いていたと思います。 ところが二一世紀になった今、科学があまりに進歩していくなかで、なおざりにされてきた倫理や哲学が改めて問われるようになってきています。 「科学技術で人を誕生させることができるとしても、本当にやっていいことなのか?」 「医学によって命を永らえることと、満たされた死を迎えることは両立するのか?」 まさにこうした問いが突きつけられています。私たちはあたかも万能なもののように科学に魅了されて近代を生きてきました。しかし、科学はかなり進歩したとはいえ、災害や死の謎について完全に解き明かしたわけではないのです。これからは、改めて宗教の役割が見直される時代がくる――私はそのように考えています。 科学ばかりではありません。絶えることのない紛争、拡大し続ける経済格差についても、科学や論理ではなく、宗教が持つ倫理観や道徳が解決のヒントを与えてくれる、そんな気がします。 ただし、これから述べるのは、今わかっている事実に私の見解をつけ加えているにすぎません。 教養に知識は必要ですが、知識だけではグローバルな教養は身につきません。大切なのは読者のみなさんが、宗教をはじめとした知識をもとに批評的に事象を考えること。そして、その思考訓練によって、「独自の見識」を持っていただくことです。 知識に裏打ちされた自分の意見をしっかりと持つことは、ビジネスパーソンとしてのブランディングにもなり、仕事上のリアルな局面でも役立つでしょう』、「科学はかなり進歩したとはいえ、災害や死の謎について完全に解き明かしたわけではないのです。これからは、改めて宗教の役割が見直される時代がくる」、「絶えることのない紛争、拡大し続ける経済格差についても、科学や論理ではなく、宗教が持つ倫理観や道徳が解決のヒントを与えてくれる」、というのは確かだろう。
・『AIは人を超えるのか?  私たちの生活のなかに、すでにAIは溶け込んでいます。たとえば、グーグルアシスタントやアップルのSiri、アマゾンのアレクサは人工知能ですし、テレビや掃除機などの家電にもAIが搭載されています。自動車業界もAIモデルの開発を進めており、自動運転は技術的にすでに可能になっています。 これは世界的な動きですが、そのなかで日本人はやや特殊といわれています。それは、「ヒューマノイド」といわれる人間と同じ姿形をしたAI搭載の人型ロボットを好む点です。 たとえば、大阪大学の石黒浩教授はタレントのマツコデラックスにそっくりな「マツコロイド」や自身に似せたヒューマノイドを製作しています。私も日本科学未来館でヒューマノイドを見て、「限りなく人に近づける」という、そのこだわりように驚嘆しました。 日本人が抵抗なく人間と同じものをつくるのは鉄腕アトムの影響もあるかもしれませんが、仏教・神道の影響が非常に大きいと私は考えています。 ユダヤ・キリスト教の価値観で言うと、人間と機械はまったく違うもの。この世に存在する動植物も人も神のつくったものですが、なかでも人間は特別な存在です。動植物を含めた自然や機械は人間が支配する対象であり、「支配すべき存在を、神がつくりたもうた人間に似せるなんてとんでもない!」となり得るのです。 ゆえにヒューマノイドは、ユダヤ・キリスト教文化から見るといささか気持ちが悪く、抵抗感が強いこともあります。だから創作の世界で人型ロボットをつくるときも、欧米ではサイボーグという金属的な造形のものが比較的多いのでしょう。 そういえばAI機能に特化しているグーグルホームやアレクサは「機械そのもの」という非常にシンプルな形をしています。仮に日本の会社で日本人が開発したら、かわいらしい人間型であったかもしれません。 AIについてはしばしば「神の領域に到達するのか」という議論があります。人間の能力を超え、多くの仕事はAIが担うようになると盛んにいわれていますし、優れた頭脳を持つ囲碁や将棋のプロが、AIに敗北した例もあります。 私の個人的な意見を言えば、「AIが神の領域に到達する」というのは、失礼ながら科学信奉者の思い上がりではないでしょうか。 確かに、データ分析やそれにもとづく一定の判断という面では、AIは人間の脳を凌駕するかもしれません。しかし、人間の心や感情まで科学の力でつくり出せるかと言えば、甚だ疑問です。 科学の専門家ほど、「科学は神を超える」というのは言いすぎだとわかっているのではないでしょうか。人工知能をつくり出せるだけで「神」としてしまうのは、あまりにも神の力、言葉を変えれば人智を超えた力を矮小化しています。 イスラエルの歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリの世界的ベストセラー『ホモ・デウス』(河出書房新社)は、これからの社会はヒトより優れたアルゴリズムによる「データ至上主義」に支配され、それを生み出せるものは「超人=ホモ・デウス」になると予言しています。 ホモ・デウスを神と同一視しないまでも、このようなデータ至上主義の時代には、これまでの人間の存在範囲、能力範囲を超える情報があふれることになり、そこで判断を誤らないようにするのは、容易ではありません。 人間のキャパシティを超えるデータの中で生きていくのであれば、宗教を含めた「人智を超えた存在」への理解が再評価されるべきだと私は考えています』、「ヒューマノイドは、ユダヤ・キリスト教文化から見るといささか気持ちが悪く、抵抗感が強いこともあります。だから創作の世界で人型ロボットをつくるときも、欧米ではサイボーグという金属的な造形のものが比較的多いのでしょう」、というのはなるほどと納得した。「人間のキャパシティを超えるデータの中で生きていくのであれば、宗教を含めた「人智を超えた存在」への理解が再評価されるべき」、というのはそうなのかも知れないが、割り切れないものが残る。
・『遺伝子研究で「才能」も買えるようになる?  AIはどれだけ優秀でもあくまで機械であり、人間はいまだゼロから生命をつくり出すことはできません。しかし逆に言えば、ゼロは無理でもイチの生命をコピーし、編集するところまで科学技術は進んでいます。 その代表と言えるのが遺伝子研究。難病治療などに役立つと考えられており、「人間の遺伝子を自由に編集する」といわれるクリスパー・キャス9という技術を発明した学者はノーベル賞候補だともいわれています。 二〇一八年の終わりには、中国の科学者がゲノム編集によって「エイズウィルスへの抗体を持った双子の赤ちゃんを誕生させた」と発表して世界を揺るがせました。このニュースの真偽はさておき、遺伝子は生命のあり方を決める重要な指令のようなもの。 「遺伝子改変が技術的に可能になったとしても、行っていいのか?」「生命のあり方という、言わば神の領域に踏み込むことは倫理的に許されるのか?」 世界中の科学者、哲学者、政治家、宗教家が議論を重ねています。 プロテスタントには「神から天職、才能を与えられた」という概念がありますが、しかし才能が科学でつくれるとしたらどうでしょう? 「美しくて優秀な人間」「病気にならず、身体能力が高い人間」が遺伝子の改変によって誕生すれば、人は神から与えられるはずの能力を人為的に手にできるようになります。 また、受精卵から人間であると考える宗教観を持つ人々は、人間のゲノム編集に反対する可能性もあります(現時点では私の知る限り宗教界からの強い反対はありませんが)。 人為的とは、言い換えれば「お金の力」。最先端の遺伝子操作が高額なものだとすれば、豊かな人はお金の力で優秀で健康な子どもを生み、その子どもは高い能力を生かして成功し、子孫もますます豊かになるという連鎖が起きます。 病気や怪我をしてもお金持ちであれば、ゲノム編集のような最先端技術で健康を取り戻せるかもしれません。そうなれば、「健康な天才ぞろいの富裕層」と「普通の人と弱い人からなる貧困層」が誕生するでしょう。 かつて、ナチスは「優秀なアーリア人」をつくろうと、非道な人体実験を行いました。これは明らかに犯罪ですが、今後「科学の発展」の名のもとに、似たようなことが世界規模で行われる危険すらあります。これは科学者だけに任せておいて良い問題ではありません。 このように遺伝子研究とは、宗教や倫理の問題ばかりか、私たちにとってより身近な社会的格差につながるという問題もはらんでいるのです。 確かに、難病から救われる人が増えるのは素晴らしく、研究が進むこと自体は歓迎されるべきです。しかし、生態系への影響もあるでしょう。生物はお互いつながっているので、人類のあり方、地球のあり方すら変えてしまう可能性に配慮しなければなりません。 これだけ科学が進んでいても、人間はゼロから生命をつくる技術を持っておらず、微生物すらつくり出せていません。いうまでもなく人工知能は生命ではなく、生命を持つクローンにせよ、今ある生命の複製です。iPS細胞は細胞をゼロからつくり出すものではなく、すでにあるものをもとにしています。まだまだ畏敬の念を抱くべき「神の領域」は残っているということでしょう。 「人間とは何か」を真摯に問い、「人智のおよばない領域」に想いを馳せながら、私たち一人一人が科学と向き合っていく。それには、改めて宗教が必要とされるのではないでしょうか』、「宗教」まで求めるかはともかくとして、謙虚な気持ちを忘れないようにしたいものだ。

第三に、上記の続きを、8月30日付けダイヤモンド・オンライン「日本人の「宗教偏差値」が世界最低レベルになった3つの理由」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/211948
・(冒頭省略) 日本の宗教偏差値が低い三つの理由  もしも「世界宗教偏差値」があるとしたら、日本はおそらく世界最低レベルです。理由はいろいろありますが、私は次の三つの影響が大きいと考えています。 1 地理的な理由 世界5大宗教のうち、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の三つは発祥が中東ですが、中東で生まれた宗教が伝わるには、日本は距離があります。残る二つのうちヒンドゥー教と仏教はインドで生まれ、日本には中国経由で仏教のみ伝わりました。 また、島国でもあるので、世界の宗教を信じる他民族と本格的な戦争もあまりありませんでした。日本的な宗教観・価値観でぬくぬくとやってこられたのです。 2 神道がもともとあり、その上に仏教を受け入れた 仏教が日本に伝来したのは六世紀半ばですが、当時の日本にはすでに神道が存在しました(もっとも、この時代には神道という言葉は使われておらず日本古来の民族宗教と言ったほうがより正確です)。 この神道というのは自然崇拝がベースになっています。「空にも海にも山にも川にも、自然界のすべてに神様がいる」という考えですから、キリストやムハンマドやお釈迦様のような開祖もいなければ、聖書やコーランのように、教えを系統化したものもありません。 宗教とはっきり意識しないまま、八百万(やおよろず)の神様を信じ、神様を信じたまま仏教を受け入れたのですから、曖昧になるのもうなずけます(世界でも自然信仰をしている上に新たな宗教を受け入れたところは多数ありますが、もともとの宗教は多くの場合現存していません)。 このような曖昧な宗教観の上には、難しい教義や厳しい戒律はなじみにくいと考えられます。 3 江戸時代の檀家制度と明治以降の国家神道 一六~一七世紀になるとキリスト教が世界的な布教活動を展開しましたが、日本では豊臣秀吉や徳川家康により禁教とされ、全国民が仏教徒としてどこかのお寺に属すること(檀家と言います)になりました。 この檀家制度は、寺を幕府や藩の下部的な行政組織として位置づけるものであり、仏教本来の宗教的側面は失われてしまいました。寺は、檀家である住民を管理・監視して、後は葬式だけをしていれば良いということになったのです。 明治時代には、その仏教も一時期弾圧され、天皇を神のように崇める「国家神道」となりました。人間である天皇を神とするという考え方は、世界の他の宗教とはまったく異質のものです。 第二次世界大戦終了後、それが全否定される一方、一部の新興宗教の犯罪や不祥事に関する報道により「宗教には近づかないほうが良い」という意識が高まりました。こうして、宗教偏差値が最低レベルの国となってしまったのです。 日本への外国人観光客の数は急増中で、二〇一八年には、初めて三〇〇〇万人を超えました。従来型の東京の都心や富士山、京都の有名社寺といった観光地に加え、高野山、日光、平泉などにも多くの外国人が訪れています。 外国人観光客の日本の宗教への関心が高まっていることは確実であり、外国人観光客に日本の宗教について話ができるようになれば、人間関係の構築も進み、宗教偏差値も上がることでしょう』、「日本的な宗教観・価値観でぬくぬくとやってこられた」、「曖昧な宗教観の上には、難しい教義や厳しい戒律はなじみにくいと考えられます」、「第二次世界大戦終了後、それ(国家神道)が全否定される一方、一部の新興宗教の犯罪や不祥事に関する報道により「宗教には近づかないほうが良い」という意識が高まりました。こうして、宗教偏差値が最低レベルの国となってしまったのです」、というのはクリアな特徴づけで、大いに参考になる。
・『もしも中国人に「スシの握り方」を習ったら?  日本、韓国、ベトナムなど東アジアの国々は中国の影響を強く受けています。宗教にしてもそれは同じ。つまり日本に入ってきた仏教は、「中華味の仏教」なのです。 あなたも海外旅行に行った際、外国人がつくる日本料理を食べて「ん? なんか違う」と感じたことがあるでしょう。それはたいてい現地に住んでいるアジア人が経営する店だからです。 もしも欧米人が、現地で日本料理店を経営する中国人に「スシの握り方」を習ったとしたら、それは本来の寿司とは、かなり違うものになるはずです。 これと同じく中国の仏教は、インド発祥のもともとの仏教とは異なります。インドで生まれた初期仏教から枝分かれした大乗仏教が主に東アジアに広がったのですが、中国にきた時点で、孔子を祖とする儒教や、古代からある民間信仰に道家の思想を合わせた道教が混ざり合ったものになりました。中華味の仏教の誕生です。 中華味の仏教が日本にやってきて、もとからあった神道と混じり合ってできたのが日本の仏教ですから、本来の仏教とはいろいろと違っています。 たとえば、インドで仏教が生まれた頃、仏教の開創者であり悟りを開いた後は釈尊と呼ばれるガウタマ・シッダールタは、「男女を差別してはならない」と説いていました。 ところが中国に渡ると儒教の影響を受け、仏教は女性差別的なものになります。ゆえに日本に伝わった仏教の教えのなかには「女性の場合、男性に生まれ変わらないと成仏できない」と考える、変成男子という言葉があるのです。 また、中国では儒教の影響のため、仏教がより国家や皇帝の権威に近い位置づけになりました。 つけ加えておくと、伝来の過程で宗教が変化していく現象は、仏教に限った話ではありません。たとえば、中東のイスラム教と東南アジアのイスラム教とでは戒律の厳しさなどが違います。アラビア半島発祥のイスラム教が伝来する過程で、東南アジアでは現地の文化や宗教と融合していき、中東のような厳格さが失われた面があります』、「中華味の仏教の誕生」とは言い得て妙だ。「インドで仏教が生まれた頃、仏教の開創者であり悟りを開いた後は釈尊と呼ばれるガウタマ・シッダールタは、「男女を差別してはならない」と説いていました」、というのは初耳だ。「アラビア半島発祥のイスラム教が伝来する過程で、東南アジアでは現地の文化や宗教と融合していき、中東のような厳格さが失われた面があります」、イスラム教でも、「伝来する過程」で同じコーランがありながら、「中東のような厳格さが失われた面があります」、伝わり方で変化することは避けられないようだ。
・『東アジアを一歩出たら「宗教の知識」が特に必要  かつて毛沢東はダライ・ラマに対し「宗教は毒だ。宗教は二つの欠点を持っている。まずそれは民族を次第に衰えさせる。第二に、それは国家の進歩を妨げる。チベットとモンゴルは宗教によって毒されてきたのだ」と断じました。やがて二人は決定的に断絶し、宿敵となりました。 二〇一九年現在の中国は、共産党の支配下にない宗教が弾圧される国です。新疆ウイグル自治区に住むイスラム教徒に宗教弾圧を行い、「地下教会」と呼ばれる非公認教会の牧師を逮捕するなどキリスト教にも圧力を加えています。中国には非公認教会を含めるとキリスト教徒が一億人近くいるとの報道もあり、社会的に小さな問題ではありません。 また、カトリック信者への影響を嫌った中国政府は、バチカンとも外交関係がないのです(もっとも近年は関係修復の動きがあるようですが)。 韓国では、最近キリスト教信者が増加していますが、日本と同じく「中華味の仏教」や儒教の影響が強い国です。中国や韓国でも宗教についての知識がないと失敗することはありますが、儒教や、中国の場合には共産主義の影響もあり、宗教について曖昧であったり、社会の前面に出てこなかったりします。 しかし、宗教の影響が比較的弱いのはこれら東アジアの国々に限られます。そこでビジネスパーソン対象のグローバル研修の際、私はしばしば「東アジアを一歩出たら、宗教のことに特に気をつけてください」とアドバイスしています。 敬虔な仏教徒が多いタイ、カトリックが多いフィリピン、イスラム教徒も多く住むインドネシアやマレーシア。シンガポールは多民族国家だけあって、人種ばかりか宗教のるつぼです。 日本のビジネスパートナーとして、今後関係が深まっていく東南アジア諸国は、「宗教偏差値が高い国」と考えておくべきです。 なにより日本に対して多大な影響力を持つアメリカは、世界でもトップレベルの宗教的な国家。そんなアメリカ人が、日本人に自分たちの宗教の話をしてくることが少ないのは、「よく知らないだろう」と思っているからです。それなのに日本人が雑談をしているうちに宗教に関連する話題になり、無知であるために地雷を踏むパターンが多い……。 これはアメリカ生活が長い友人の意見ですが、私もそう感じます。 また、欧米の人たちが聞きたがるのは、日本人から見たユダヤ教、キリスト教の話ではなく、自分たちがよく知らない仏教や神道についてです。宗教偏差値を上げるには、まず、自分たちの宗教を知っておくことが大切です。 さらに最先端とされているIT企業はグローバル企業でもありますが、そこで働く人々は、現在アメリカでも人気が高まっている禅や瞑想への興味から「日本人なら仏教について詳しく教えてくれるだろう」という期待を持っています。 話題にのぼる可能性が非常に高いのに、まったく答えられないのは危険です。 「今のままの宗教偏差値ではまずい!」 最低限、この意識は必要ではないでしょうか』、確かにその通りだ。これからは、このブログでも宗教の問題を取上げる頻度を上げていきたい。

第四に、8月25日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した元ライフネット生命社長、立命館アジア太平洋大学学長の出口治明氏へのインタビュー「間違いだらけのイスラーム教!日本人は、なぜこうも誤解してしまうのか?」を紹介しよう(Qは聞き手の質問)。
https://diamond.jp/articles/-/211594
・『世界1200都市を訪れ、1万冊超を読破した“現代の知の巨人”、稀代の読書家として知られる出口治明APU(立命館アジア太平洋大学)学長。歴史への造詣が深いことから、京都大学の「国際人のグローバル・リテラシー」特別講義では世界史の講義を受け持った。 その出口学長が、3年をかけて書き上げた大著がついに8月8日にリリースされた。聞けば、BC1000年前後に生まれた世界最古の宗教家・ゾロアスター、BC624年頃に生まれた世界最古の哲学者・タレスから現代のレヴィ=ストロースまで、哲学者・宗教家の肖像100点以上を用いて、世界史を背骨に、日本人が最も苦手とする「哲学と宗教」の全史を初めて体系的に解説したとか。 なぜ、今、哲学だけではなく、宗教を同時に学ぶ必要があるのか? 脳研究者で東京大学教授の池谷裕二氏が絶賛、小説家の宮部みゆき氏が推薦、原稿を読んだ某有名書店員が激賞する『哲学と宗教全史』。発売直後に大きな重版が決まった出口治明氏を直撃した』、『哲学と宗教全史』とは意欲的なタイトルだ。
・『八百屋の主人でも聖職を兼業できる  Q:日本人は、なぜイスラーム教を誤解してしまうのでしょうか。なぜ、イスラーム系のテロ組織は多いのでしょうか。 出口:イスラーム教は、ユダヤ教とキリスト教と同じYHWH(ヤハウェ)を唯一神とするセム的一神教です。最後の審判で救われた善人は天国へ、悪人は地獄に行きます。そして唯一神YHWHをアッラーフと呼びます。アッラーとも呼ばれますが、現在ではアッラーフの呼称のほうが一般的なようです。 イスラーム教の聖書に相当するものは『クルアーン』で、原義は「詠唱すべきもの」の意味です。クルアーンには、イスラム教の開祖、ムハンマドが神から託された言葉が書かれています。 Q:イスラーム教の特徴を教えていただけますか? 出口:イスラーム教の大きな特徴は、キリスト教や仏教のような専従者(司祭や僧)がいないことです。すなわち教会や寺院を経営して、布教や冠婚葬祭などを専門とする聖職者が存在しません。 イスラーム教では、たとえば八百屋の主人が聖職を兼業していて、必要なときは法衣を着てクルアーンを読み、儀式を進行させます。ですからイスラーム教では、聖職者の生活のために寄付をする必要がありません。モスクと呼ばれる寺院や墓地などの管理は、自治体やNPO的な組織が行います。イスラーム教を学ぶ大学も、もちろん存在します。そして神学者も存在します。しかし、専従者はいないのです。 イスラーム教の信者はインドネシア、パキスタン、バングラデシュ、インド、マレーシアなど、東南アジア各国に数多く存在します。 アジアの人たちはイスラームの商人を見て、自分たちもイスラーム教を信じれば、もっと商売がうまくいくようになるかなと思ったことでしょう。 イスラーム教には専従の聖職者はいませんから、たとえばインドネシアの商人で、イスラーム教に興味を持った人がビジネス相手のアラビア人に、「イスラーム教徒になりたい」と言えば、仲間の商人や船乗りで聖職者を兼業している人が仲介してくれます。そういう気安さが、この地方に信者を増やしていったのです』、イスラーム教には「教会や寺院を経営して、布教や冠婚葬祭などを専門とする聖職者が存在しません」、イランには「最高聖職者」がいる筈だが、これは国や宗派による違いがあるのだろうか。
・『シーア派とスンナ派が争う理由  Q:イスラーム圏ではシーア派とスンナ派が、常に争っているように認識している人が多いのではないでしょうか。なぜ、2つの派は争っているのですか? 出口:シーア派とスンナ派の対立は、実は宗教的な対立ではありません。キリスト教では、ローマ教会とプロテスタントとの間に激しい宗教戦争が起きましたが、イスラーム教の世界では、何が真実の教えかという疑念や対立は生じませんでした。 それでは、シーア派とスンナ派の対立点は何か。極言すれば、派閥争いです。本書に詳しく説明していますが、スンナ派とシーア派は、「誰を現世のリーダーと考えるのか」を争っているのであって、イスラーム教の教義に関わる争いではありません。 「スンナ派とシーア派の争い」という言葉が、よくジャーナリズムには登場します。しかしそのほとんどの事例をよく見ると、原因となる部分に、西欧列強が石油資源などの利権を得て、それを守るために起こした政争が内在していると思われます』、「西欧列強」の分断支配がきっかけになったとはいえ、「政争」が長期化し、定着したのではなかろうか。
・『なぜ、イスラーム原理主義によるテロ行為が起きるのか?  Q:「イスラーム原理主義によるテロ行為」などという表現で、中東の争乱が語られることがあります。なぜ、イスラーム原理主義はテロ行為を起こすのでしょうか? 出口:もともと原理主義という言葉は、アメリカで19世紀末から20世紀初頭に盛んになった、過激なキリスト教のグループを指す言葉でした。この言葉がイスラーム教に転化されたのです。 ではなぜ、ISなどが「ムハンマドに帰れ」とか「クルアーンの世界に戻せ」とかを主張するのか。 それは歴史的に見ると、イスラーム世界も中国や日本と同じように、産業革命とネーションステート(国民国家)という人類の2大イノベーションに、乗り遅れたからです。 日本は明治維新によって、どうにか世界の趨勢(すうせい)に追いつきました。しかし一部の中東のイスラーム世界は、うまく追いつくことができなかったのです。 ISの主張は、わが国の明治維新の際の「尊皇攘夷(そんのうじょうい)」や「廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)」の考え方によく似ています。現代の中東の窮状は、優れた政治的指導者が登場しない限り、なかなか挽回できないかもしれませんが、それはイスラーム教の教義とは何の関係もない、歴史的、政治的な問題だと思います。それと、頻発するテロ行為については、ユースバルジの問題も視野に入れるべきでしょう。 Q:ユースバルジとは、何ですか? 出口:ユースバルジ(youth bulge)とは、「若年層の膨らみ」の意味です。政情が不安定で経済が低迷している中東では、人口の多い10代から20代の元気な若者が働きたくても働く場所がありません。イラクもシリアも国が壊されているのです。 若者がたくさんいる、けれども働く場所がない。一方でこれらの若者も恋をしたい、デートをして充実した青春をすごしたいと思っている。でも働けないからお金がないし、娯楽の機会も少ない。 そこでこれらの国の若者は、絶望してテロに走ってしまう……。このようなユースバルジが、中東のテロ問題の基底部分を形成していると考えられます。 Q:テロとイスラーム教を表裏一体の問題として考えてはいけないのですね。 出口:そう思います。もちろんイスラーム教の置かれている現状と無関係ではないかもしれませんが、表裏一体の問題として考えるのは、極端すぎると思います。 むしろ、ユースバルジのほうがはるかにテロとの親和性は高いと思いますね。 なお、ユースバルジについては、グナル・ハインゾーンの『自爆する若者たち 人口学が警告する驚愕の未来』(猪股和夫訳/新潮選書)という優れた本が参考になります』、「もともと原理主義という言葉は、アメリカで19世紀末から20世紀初頭に盛んになった、過激なキリスト教のグループを指す言葉でした。この言葉がイスラーム教に転化されたのです」、確かにその通りだ。「イスラーム世界も中国や日本と同じように、産業革命とネーションステート(国民国家)という人類の2大イノベーションに、乗り遅れたからです・・・ISの主張は、わが国の明治維新の際の「尊皇攘夷(そんのうじょうい)」や「廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)」の考え方によく似ています」、というのは本当に困ったことだ。「ユースバルジが、中東のテロ問題の基底部分を形成している」、そ通りだろう。
・『【著者からのメッセージ】 なぜ、今、「哲学と宗教」を同時に学ぶ必要があるのか? 現代の知の巨人・出口治明が語る  はじめまして。出口治明です。 今回、『哲学と宗教全史』を出版しました。 僕はいくつかの偶然が重なって、還暦でライフネット生命というベンチャー企業を開業しました。 個人がゼロから立ち上げた独立系生保は戦後初のことでした。 そのときに一番深く考えたのは、そもそも人の生死に関わる生命保険会社を新設するとはどういうことかという根源的な問題でした。 たどり着いた結論は「生命保険料を半分にして、安心して赤ちゃんを産み育てることができる社会を創りたい」というものでした。 そして、生命保険料を半分にするためにはインターネットを使うしかないということになり、世界初のインターネット生保が誕生したのです。 生保に関わる知見や技術的なノウハウなどではなく、人間の生死や種としての存続に関わる哲学的、宗教的な考察がむしろ役に立ったのです。 古希を迎えた僕は、また不思議なことにいくつかの偶然が重なって、日本では初の学長国際公募により推挙されてAPU(立命館アジア太平洋大学)の学長に就任しました。 APUは学生6000名のうち、半数が92の国や地域からきている留学生で、いわば「若者の国連」であり「小さな地球」のような場所です。 もちろん宗教もさまざまです。 APUにいると、世界の多様性を身に沁みて感じます。 生まれ育った社会環境が人の意識を形づくるという意味で、クロード・レヴィ=ストロースの考えたことが本当によくわかります。 僕は人生の節目節目において哲学や宗教に関わる知見にずいぶんと助けられてきた感じがします。 そうであれば、哲学や宗教の大きな流れを理解することは、間違いなくビジネスに役立つと思うのです。 神という概念が生まれたのは、約1万2000年前のドメスティケーションの時代(狩猟・採集社会から定住農耕・牧畜社会への転換)だと考えられています。 それ以来、人間の脳の進化はないようです。 そしてBC1000年前後にはペルシャの地に最古の宗教家ゾロアスターが生まれ、BC624年頃にはギリシャの地に最古の哲学者タレスが生まれました。 それから2500年を超える長い時間の中で数多の宗教家や哲学者が登場しました。 本書では、可能な限りそれらの宗教家や哲学者の肖像を載せるように努めました。 それは彼らの肖像を通して、それぞれの時代環境の中で彼らがどのように思い悩み、どのように生きぬいたかを読者の皆さんに感じ取ってほしいと考えたからに他なりません。 ソクラテスもプラトンもデカルトも、ブッダや孔子も皆さんの隣人なのです。 同じように血の通った人間なのです。 ぜひ彼らの生き様を皆さんのビジネスに活かしてほしいと思います。 本書では世界を丸ごと把握し、苦しんでいる世界中の人々を丸ごと救おうとした偉大な先達たちの思想や事績を、丸ごと皆さんに紹介します。 皆さんが世界を丸ごと理解するときの参考になればこれほど嬉しいことはありません。(目次の紹介は省略)』、リンク先で目次を一瞥すると、宗教と哲学の流れを理解するには、『哲学と宗教全史』は格好の本のようだ。
タグ:宗教 出口治明 ダイヤモンド・オンライン 派閥争い ユヴァル・ノア・ハラリ (その2)(宗教施設が一等地に突然建つ裏事情 反社会的勢力の元構成員が暴露、科学が「神の領域」に近づいた今 改めて「宗教の役割」が見直される時代がくる、日本人の「宗教偏差値」が世界最低レベルになった3つの理由、間違いだらけのイスラーム教!日本人は なぜこうも誤解してしまうのか?) 「宗教施設が一等地に突然建つ裏事情、反社会的勢力の元構成員が暴露」 税制優遇だけではない 反社会的勢力の元構成員が暴露 新宗教の施設が『迷惑施設』だということ。非信者の目には奇異に映る新宗教団体にも売ってくれる(または貸し出す)物件をどう探し出すか。そして、住民の反対をいかに抑えるか。これは反社会的勢力のテリトリーだ 先に進出していた別の新宗教教団の妨害が起こることもある。そういう場合も組織が後ろ盾となる 山中俊之 「科学が「神の領域」に近づいた今、改めて「宗教の役割」が見直される時代がくる」 『ビジネスエリートの必須教養 世界5大宗教入門』(ダイヤモンド社) 宗教と科学が未来のカギを握る 二一世紀になった今、科学があまりに進歩していくなかで、なおざりにされてきた倫理や哲学が改めて問われるようになってきています これからは、改めて宗教の役割が見直される時代がくる AIは人を超えるのか? ヒューマノイドは、ユダヤ・キリスト教文化から見るといささか気持ちが悪く、抵抗感が強いこともあります。だから創作の世界で人型ロボットをつくるときも、欧米ではサイボーグという金属的な造形のものが比較的多いのでしょう 『ホモ・デウス』 遺伝子研究で「才能」も買えるようになる? 「日本人の「宗教偏差値」が世界最低レベルになった3つの理由」 日本の宗教偏差値が低い三つの理由 1 地理的な理由 日本的な宗教観・価値観でぬくぬくとやってこられたのです 2 神道がもともとあり、その上に仏教を受け入れた 曖昧な宗教観の上には、難しい教義や厳しい戒律はなじみにくいと考えられます 3 江戸時代の檀家制度と明治以降の国家神道 第二次世界大戦終了後、それが全否定される一方、一部の新興宗教の犯罪や不祥事に関する報道により「宗教には近づかないほうが良い」という意識が高まりました もしも中国人に「スシの握り方」を習ったら? 日本に入ってきた仏教は、「中華味の仏教」 インドで仏教が生まれた頃、仏教の開創者であり悟りを開いた後は釈尊と呼ばれるガウタマ・シッダールタは、「男女を差別してはならない」と説いていました 東アジアを一歩出たら「宗教の知識」が特に必要 「間違いだらけのイスラーム教!日本人は、なぜこうも誤解してしまうのか?」 『哲学と宗教全史』 イスラーム教の大きな特徴は、キリスト教や仏教のような専従者(司祭や僧)がいない シーア派とスンナ派が争う理由 イスラーム教の教義に関わる争いではありません 原因となる部分に、西欧列強が石油資源などの利権を得て、それを守るために起こした政争が内在している なぜ、イスラーム原理主義によるテロ行為が起きるのか? もともと原理主義という言葉は、アメリカで19世紀末から20世紀初頭に盛んになった、過激なキリスト教のグループを指す言葉でした。この言葉がイスラーム教に転化されたのです イスラーム世界も中国や日本と同じように、産業革命とネーションステート(国民国家)という人類の2大イノベーションに、乗り遅れたから ISの主張は、わが国の明治維新の際の「尊皇攘夷(そんのうじょうい)」や「廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)」の考え方によく似ています ユースバルジ(youth bulge)とは、「若年層の膨らみ」の意味 人口の多い10代から20代の元気な若者が働きたくても働く場所がありません。 著者からのメッセージ
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教育(その17)(学校で「心を一つにしよう」というスローガンを掲げてはいけない“深い理由” 千代田区立麹町中学校・工藤勇一校長インタビュー、校則がないからこそ 教師と生徒は対等に話し合うことができる――西郷孝彦校長インタビュー、増える10代の自殺 「指導死」はなぜ起こる?) [社会]

教育については、4月6日に取上げた。今日は、(その17)(学校で「心を一つにしよう」というスローガンを掲げてはいけない“深い理由” 千代田区立麹町中学校・工藤勇一校長インタビュー、校則がないからこそ 教師と生徒は対等に話し合うことができる――西郷孝彦校長インタビュー、増える10代の自殺 「指導死」はなぜ起こる?)である。

先ずは、8月10日付けダイヤモンド・オンライン「学校で「心を一つにしよう」というスローガンを掲げてはいけない“深い理由” 千代田区立麹町中学校・工藤勇一校長インタビュー 第2回」を紹介しよう(Qは聞き手の質問)。
https://diamond.jp/articles/-/210026
・『“公立中学校”でこんなことができるのか……。「定期テスト廃止」「宿題廃止」「クラス担任制廃止」など、数々の大胆な改革で全国から注目を集める、千代田区立麹町中学校。生徒、教員、そして保護者までもが主体性を発揮し、生き生きとした教育活動が展開されている。その改革の中心となり、著書『学校の「当たり前」をやめた。』(時事通信社)がベストセラーとなった工藤勇一校長に、「改革の狙いは何か?」「なぜ、改革を実行できるのか?」などをテーマに語っていただいた。その言葉は、組織活性化、組織改革に悩むビジネスパーソンにも多くの示唆を与えるはずだ』、「大胆な改革」が公立中学校、しかもあの「麹町中学校」で行われているとは驚かされた。頼もしいことだ。
・『「自律 尊重 創造」が人材育成の基本  Q:麹町中学校では、「定期テスト廃止」「宿題廃止」「クラス担任制廃止」など、画期的な学校改革を進めていらっしゃいます。前回のインタビューでは、改革を進めるうえで、教員のみなさんと「上位目標」を共有したうえで、権限と責任を委譲することが重要だとおっしゃいました。「上位目標」とは、具体的に何なのでしょうか? 工藤 学校運営の究極的な「教育目標」のことです。どの学校にも標語が定められていますよね? あれです。ただ、多くの学校で教育目標を定めていますが、ただのスローガン、お飾りになっていて、誰もそれを本当の目標だと思っていない現状があります。もっと言えば、達成できなくてもいいと思っているフシもある。 これでは、改革はできません。「教育目標」は、学校経営の根幹です。これを何よりも大切にすることこそが改革の原動力になるのです。逆に、根幹をないがしろにして改革しようとしても、空中分解するだけでしょう。 だから、僕は麹町中学校に校長として赴任してすぐに、70年間ほとんど変わっていなかった教育目標を変えました。はじめ「自律 貢献 創造」としたのですが、今年、「自律 尊重 創造」と再び修正しました。 Q:「貢献」を「尊重」に変えたのですね? 工藤 ええ。「自分で考えて行動できる自律した人間であること」と、「いろんな人間がいる中で他者を理解して違いを受け止め、その他者を尊重することができること」。そして、「他者とともによりよいものを創造すること」。この3つ、つまり自律と尊重と創造が、社会で生きていくうえで根本的に重要な力なのだと考えました。「貢献」も大事だけど、より根本的に大事なのは「尊重」だと思うのです。 私は、教育は「いい世の中をつくる」ためにあると思っていますが、いい世の中は誰かがつくってくれるものではなく、みんなでつくるものです。「みんなでつくる」というプロセスがとても重要です。そこで必要なのが対話の技術であり、対話が成立する基本は「自律 尊重 創造」にあります。そして、私は、これを学べるのが学校だと考えているのです。 Q:なるほど。「自律 尊重 創造」は、単なる知識やスキルとは違う、生きていくうえでの根源的な力でもありますね。 工藤 はい。入試に合格するための知識や、社会で活躍するためのスキルを学ぶだけならば、学校なんか来なくても、自宅でできるかもしれないし、私塾だっていい。今はインターネットでも十分かもしれません。それよりも、もっと大事なことがあると思うのです。 社会には多様な人間がいます。そして、多様な人間がいるということを受け入れるのは、口で言うのは易しいですが、やはり難しいことなのです。「みんな違って、みんないい」という言葉がありますが、意見が対立したり、考え方が違ってまとまらないときなどはとてもそうは思えない。異質な人に対して、人はどうしても感情的になってしまう。大切なのは、そうなってしまう自分を知ることです。 学校ではよく「心を一つに」というスローガンが掲げられますが、僕は子どもたちに「心は一つにならない」と教えます。「心はみんな違っていい。嫌いなものを好きになれと言っても難しいでしょう?」と。考え方が違うのは全然OKなのです。問題は、イライラする自分がいるということと、そのときにどうするかということ。これには訓練がいるんだよ、ということを子どもたちには教えています。そして、その訓練の根幹にあるのが「自律 尊重 創造」の3つなんです』、「学校ではよく「心を一つに」というスローガンが掲げられますが、僕は子どもたちに「心は一つにならない」と教えます。「心はみんな違っていい。嫌いなものを好きになれと言っても難しいでしょう?」と。考え方が違うのは全然OKなのです」、というのはかなり思い切った改革だ。
・『「上位目標」が改革の原点でありエンジンである  Q:「自律 尊重 創造」という教育目標のもと、学校で集団生活を送ることで「生きる力」を育成するわけですね? 工藤 そういうことです。大事なのは、この教育目標(上位目標)が“お飾り”でないこと。本当に達成するべき目標として、常に意識しておくことです。上位目標を実現するためにこそ改革を行うのであり、上位目標を全員が大切にするからこそ、改革を空中分解させないことが可能になるのです。 実際に改革を進めていくと、教員たちの方向がずれたり、教員同士がぶつかったりすることは多々あります。たとえば、定期テストをやめて単元テストをやろうというときにも、いろいろな意見や問題点が出ましまた。それは自然なことであり、決して悪いことではありません。 大切なのは、みんなの意見が食い違う時は、必ず上位目標に立ち戻って、進もうとする方向をそれに照らし合わせ、目標に合致しているかどうかをみんなで徹底的にディスカッションすることです。そして、どこまで合意ができていて、どの点で食い違っているかを対話を通して細かく検証していき、みんなが納得できる結論を出す。このプロセスがとても重要なのです。 Q:みんなが腹の底から納得しなければ、実行力が伴わないですものね? 工藤 そうです。間違えてはならないのは、「みんなが納得できる結論を出す」ことと「折り合いをつける」ことは全く違うということです。お互いの主張の「中間点」で折り合いをつけるのではなく、あくまでも上位目標を達成するためには何が正しいのかを考える。ここは妥協することなく、しっかりと対話を重ねる必要があります。 それが、学校運営や学校改革を進めるうえで最も重要なことですし、教員自身が、この対話のプロセスを体験していなければ、このプロセスを生徒たちに教えることができません。教育の根幹と言ってもいいことなんです。 Q:なるほど。ところで、その対話のプロセスで、校長である工藤先生はどのような役割を果たされていますか? 工藤 あまり何もしないように心がけています。絶対にやってはならないのは、校長である僕が結論を押し付けることです。僕の役割は、教員たちの対話が上位目標からそれていないか、対等な対話がなされているかをチェックすることです。それらから逸脱したときには介入する必要がありますが、結論に至るまでのプロセスは当事者たちに任せるのが基本です。そうでなければ、主体性は育たないですからね。 僕は今、この学校が6年目になりますが、5年前はあきらかにトップダウンの学校でした。でも今は、教員たちが自走しています。職員会議も、15分で終わることもあれば、2時間かかることもある。論点がなければすぐに終わり、必要であれば徹底的に話し合うのです。その判断も教員たちに任せています。 じっくりと議論をするときには、最近はもう、僕は途中で抜けてしまったりすることもあります。上位目標に戻って手段を決めると言うプロセスを教員がみな了解していますから、それで話し合って出した結論であれば、もうOKだから、と』、「お互いの主張の「中間点」で折り合いをつけるのではなく、あくまでも上位目標を達成するためには何が正しいのかを考える。ここは妥協することなく、しっかりと対話を重ねる必要があります」、というのは実際には時間の制約もあって、簡単ではなさそうだ。
・『トップは「失敗が許される範囲」を明示する  Q:職員会議の結論まで任せるわけですね? 工藤 はい。教員の間で、「自律 尊重 創造」をベースに質の高い対話が成り立っていると判断できれば、その結果導き出される結論も信頼できます。ただ、みんなに議論してもらうときには、失敗例を教えるようにはしています。こうなったらダメだよねという失敗例を伝えて、こうならないような方向を考えてくださいと促すわけです。 たとえば、教員のやる気が高まれば高まるほど、多くの仕事をやろうとしてしまうものです。やる気があるのはいいことなのですが、その結果、教員の仕事量が増えすぎて、結果として子どもと向き合う時間がなくなってしまうことがある。これでは本末転倒ですから、そうなってはいけないという話をするわけです。 Q:たしかに、事前に失敗例を把握しておけば、同じ轍を踏む確率は減りますよね。 工藤 ええ。ただし、それでも失敗することがあります。全員で上位目標を共有しながら、それを達成するための手段を徹底的に議論をしても、結果的にその結論がズレていたということはあります。しかし、徹底的に考えたうえでの失敗であれば、それは大きな学びです。失敗からしか学べないことはたくさんあります。ですから、大切なのは、失敗が許される範囲で、トライできる組織にすることです。 そして、「失敗が許される範囲」を明示することは経営者(校長)の役割です。「こういう失敗をしてはいけない」と失敗例を示すことで、「やってはいけない失敗」を防ぐ努力は欠かせません。 また、教員たちには、常日頃から、「第一に子どもにとって、第二に保護者にとって望ましい選択であることを忘れてはならない」と伝える必要があります。「教員にとって望ましい、学校にとって望ましい」は、そのあとに考えることです。ここを間違えなければ、大きくズレたことをするおそれはなくなるはずです。 Q:なるほど。校長が「失敗が許される範囲」を明示して、その範囲内で教員に自由にチャレンジしてもらうわけですね? 工藤 はい。そのうえで、すべてのトラブルの責任を校長が負うことが決定的に重要です。もちろん、「校長が全責任を負う」と口で言うだけではダメで、実際にトラブルを校長が全面的に受け止めて解決しなければなりません。 僕はトラブルには強いんです。だからこそ、教員たちは僕のことを早いタイミングで信頼してくれるようになったのではないかと思っています。僕が麹町中学校に赴任して以来、保護者からのクレームは何回もありましたが、教員が対応できない場合には、必ず僕が先頭に立って対応します。 そして、保護者と徹底的に話し合った結果、学校の大応援団になってくださった方もたくさんいらっしゃいます。そうした姿を見ることが、教員にとってすごい安心感につながったのではないでしょうか。だからこそ、彼らも失敗をおそれずに、前向きなチャレンジができるようになったのだと思います』、「保護者からのクレームは何回もありましたが、教員が対応できない場合には、必ず僕が先頭に立って対応します」、トップが逃げずに、率先して対応することで、「教員にとってすごい安心感につながった」というのはあり得る話だ。
・『人は協力してくれなくて当たり前。そのときどうする?  Q:つまり、教員のみなさんが「自律 尊重 創造」という上位目標をもとに、対話を重ねて試行錯誤をすることで学校改革が進んできたわけですね? 工藤 そうですね。それが改革の最大のエンジンです。まぁ、それ以外にも、いろいろとコツはありますよ。たとえば、言葉の使い方。言葉の使い方を工夫するだけで、簡単にものごとが進むことがあります。相手の意見がおかしいと思っても、ストレートに「おかしい」と言うと対立が生まれて、ものごとが進まなくなってしまいますから、そんなときには、みんながOKと言える言葉を探すんです。 たとえば、こんなことがありました。 「あいさつ運動」というのがありますよね? 毎朝、教員が校門に立って、登校してくる生徒たちに「おはよう!」と声をかける。なんの疑問も抱かずにルーティンになっている学校もあるでしょう。僕はあれはずっとやめるべきだと思っていたんです。 Q:どうしてですか?  もちろん、あいさつの習慣を身につけるのは大事なことなんですが、とは言っても、世の中にそんなシチュエーションないじゃないですか? しかも、教員にとっては勤務時間前から働かなければならないわけで、働き方改革にも逆行します。にもかかわらず、「この学校は元気にあいさつできていていいですね」なんて言われたりするので、誰も「やめたい」と言えない雰囲気になっているんです。 Q:たしかに、校門であいさつする必要はないですよね。校内ですれ違ったときにあいさつすればいい。 そう。だから、僕は、麹町中学校の校長になったときにすぐやめることにしました。ただ、教員の働き方改革のためにやめる、というのでは納得は得にくい。そこで、もともと僕は、あいさつ運動は、不登校気味の生徒にとっては苦痛だったんじゃないかと気になっていたので、「不登校気味の子がみんなに“おはよう”“おはよう”っていわれたら、校門を通りづらくないかな? 僕だったら嫌だと思う。あいさつ運動が終わってから登校しようって思うんじゃないかな?」と言ったら、「たしかに、そうですね」ということになり、あっさりと認められたのです。 もし、「あれは意味がないからやめましょう」と言ったら、あいさつ運動をがんばっていた教員は、「いえ、こんなすばらしい意味があります」と反発するでしょう。ところが、みんなが「なるほど」と思える言葉を探り出せば、そのような反発を避けることができるわけです。こうした知恵も、改革を進めていくうえでは意外と大切だと思いますね。(つづく)』、「「あいさつ運動」」を止める口実に、「不登校気味の生徒」を持ち出して、「反発を避け」られたというのは、なかなか巧妙な知恵だ。こうした改革派の校長の下で、学ぶことが出来る麹町中学校の生徒は幸せだろう。

次に、6月7日付け文春オンライン「校則がないからこそ、教師と生徒は対等に話し合うことができる――西郷孝彦校長インタビュー―世田谷区立桜丘中学校には、チャイムも制服もない」を紹介しよう。
https://bunshun.jp/articles/-/12217
・『世田谷区桜丘中学校。私鉄の駅から徒歩10分ほどの住宅街にある。職員室前の廊下には机と椅子がフリースペースとして置かれ、Wi-fiも完備されている。授業時間だったが、インターネットに接続しながら、話をしたり、自分のペースで勉強をする生徒もいた。校長室でも、塾の宿題をしている生徒が校長と談笑する姿が見られた。 この学校はチャイムが鳴らない。そして何より、校則がない。 生徒手帳には「礼儀を大切にする」「出会いを大切にする」「自分を大切にする」が「心得」として掲げられ、また、子どもの権利条約の一部が示されている。なぜ、こうした学校運営が可能なのか。西郷孝彦校長(64)に話を聞いた』、上記の麹町中学校だけでなく、桜丘中学校でも思い切った改革が進められたようだ。
・『「心得」の3つですべてが指導できます  Q:生徒手帳には「桜丘中学校の心得」が3つだけ書かれていますが、以前は校則があったのでしょうか? 西郷 以前の生徒手帳には、校則が20ページほど書かれていました。例えば、「他のクラスの教室に入ってはいけない」とか、「上級生は下級生と話してはいけない」とか。下着の色を決めている学校だってありますよね。以前の勤務校では、こうした細々とした校則がありました。 校則のことを考え始めたのは、この桜丘中学校に赴任してから、ここ4、5年のことですね。当初は、校内がいわゆる「荒れた」状態にありました。見直すことになったときに、本当はいらなかったのですが、何もないと不安に思う人もいる。校則は最終的には校長判断ですが、「3つくらいにしよう」と提案したときに、生活指導主任が原案を作ってくれました。この3つですべてが指導できます。先生方はこれをよりどころに指導します。 この学校では制服も自由です。(身体的な性と、自認する性が違う)トランスジェンダーの生徒もそれで救われると思います。 Q:生徒手帳に子どもの権利条約が記されていますが、珍しいですね。 西郷 日本は法治国家です。この学校に校則はないですが、日本の法律には縛られています。例えば、校内でも他人のものを勝手に自分のものにすれば、窃盗罪ですよね。誰かを傷つければ傷害罪です。よく「学校の中は治外法権だ」とか、「学校だから許される」と言われますが、それはやめようと。社会と同じ規則で学校も回っています。 日本は子どもの権利条約に批准しています。だから、法律と同じ。そう子どもに教えないといけませんし、先生も守る必要があります。権利条約に掲げられた権利を知ることで、大切にされていることがわかり、子どもは自己肯定感が得られます』、校則を3つだけにし、「制服も自由」、とは思い切ったものだ。「権利条約に掲げられた権利を知ることで、大切にされていることがわかり、子どもは自己肯定感が得られます」、というのもその通りなのだろう。
・『大人でもさまざまな考えがある  Q:校則はそのままで、運用面で改善する方法もあったと思いますが、どうして校則をなくす方向になったのでしょうか。 西郷 先生方って、校則があると、話し合いにならないんです。「校則があるからダメ」「守るか、守らないか」になってしまいます。 例えば、「靴下は白」と規定があったから、理由を考えずに「校則にあるから」と、そこで指導は終わってしまいます。一方、生徒に聞かれた時に「汚れたときにわかりやすいから」と説明すれば、そこから話し合いが始まります。結果、合理的な話し合いを重ねることで信頼関係ができてきます。 スカート丈についても、ルールがなければ、「短すぎるんじゃないか?」「寒くないか?」などと先生たちが言ってくれます。いろんな考えがあります。大人でもさまざまな考えがある中で、生徒は自分で選択していきます。 そもそも、校則をがんばってなくそうと思ったのは、不登校の子どもたち、発達障害の子どもたちがいたからです。厳しく指導すると、学校に来なくなります。でも、そうした子だけに「特例」を許すと、他の生徒が「なんで、あの子だけ?」と不満を言います。だったら、校則でしばりつけることはやめようと。 その頃、別の問題が起きました。文字が読めず、板書が取れず、教科書が読めない生徒がいたのです。そのため、タブレットを利用可能にしました。音声読み上げソフトで教科書の内容を聞き、板書は写真で撮りました。試しに、その生徒がいるクラスだけタブレットを持ち込み自由にしました。最初は2、3人が持ってきましたが、重いし、管理が大変なので、必要のない子は持ってこなくなりました。このやり方を全体に広げたのです』、「先生方って、校則があると、話し合いにならないんです。「校則があるからダメ」「守るか、守らないか」になってしまいます・・・理由を考えずに「校則にあるから」と、そこで指導は終わってしまいます。一方、生徒に聞かれた時に「汚れたときにわかりやすいから」と説明すれば、そこから話し合いが始まります。結果、合理的な話し合いを重ねることで信頼関係ができてきます」、確かに過剰な校則にはデメリットが大きそうだ。
・『校則でしばることが染み付いている  Q:先生を育てることになりますね。 西郷 そうです。ただ、校則が厳しい他の学校から転勤してきた先生は慣れるのが難しいんです。うちの学校は私服ですが、そうした先生は、私服の生徒を見て「私、無理です」と、1日中イライラしていました(笑)。何か注意した時に、うちの生徒が「どうしてですか?」と返すことも、先生によっては「生意気だ」と映ってしまいます。 校則でしばることが染み付いていますからね。上から目線での威圧感がある先生には、「生徒とは対等に話し合いましょう」「馬鹿にするような話し方はやめてほしい」と伝えています。校則がないということは、正解がないということです。 採用も、できるだけ新規教員をお願いしています。そして、若い先生にはどんどん外へ行って、失敗してもいいから勉強してもらいたいです。最初の10年で勉強しないと、知識もスキルも落ちていくだけです。僕も含めて、能力主義なんです。3年目で完全に一人前になるように育てています』、「上から目線での威圧感がある先生には、「生徒とは対等に話し合いましょう」「馬鹿にするような話し方はやめてほしい」と伝えています。校則がないということは、正解がないということです」、確かに「校則でしばることが染み付いてい」る先生には、馴れるのが大変だろう。
・『Q:保護者側からは意見があると思うのですが……。 西郷 いっぺんに校則をなくしたわけではありません。例えば、靴下の色、セーターの色を自由にしていき、夏は半ズボンでもよいということにしていきました。そして、生徒会がカジュアルデーを設けました。土曜日は私服と決めたのです。 小学校だって、私服じゃないですか。徐々に慣れていき、「別にかまわない」という感じになっていきました。違和感がなくなったのです。 ですので、私は、逆に制服のある学校へ行くと違和感を抱きます。同じ制服を着させて、どうやって生徒を区別しているのか。わからないじゃん、と(笑)』、「校則」を徐々になくしていったというのは無理のないやり方だ。
・『SNSのトラブルは減りました  Q:携帯電話やスマホ、SNSに関するルールは? 西郷 保護者からは「スマホを禁止して」という声はありません。「スマホを買ってほしいと言われて困る」という声はありますが(笑)。以前は、LINEのグループを作ることは禁止になっていました。それは悪口を書いたり、グループでハブにしたりすることがあったからです。でも、禁止してもみんなやりますからね。LINEの人に「出張授業」にきてもらい、SNSの使い方について話してもらいました。 今でも、許可なく写真をアップしたというくらいのトラブルはあります。しかし、理由はわかりませんが、SNSのトラブルは減りました。これまでは悪いことをすると学校の先生に叱られるという発想でしたが、今は、社会から叱られるということがわかってきました。校内の問題ではすまされない。それで慎重になっているのかもしれません。 Q:生徒会との関係はどうでしょうか。 西郷 普通、生徒総会は何も面白くない。つまらないじゃないですか。そこで何を言っても、最終的に先生が決めるのなら、総会で意見が出るはずもありません。だから、「ここで決まったことは実現するよ」と言ったんです。最低でも、決まったことを先生が実現する努力を見せる。すると、どんどん意見が出て盛り上がります。僕の考えと同じことを言う生徒がいると「シメた!」と思うんですよ(笑)。 最近実現したことは、校庭に芝生を植えたこと。ただ、野球やサッカーもしますし、植えたのは一部にしました。また、定期テストをなくしました』、「LINEの人に「出張授業」にきてもらい、SNSの使い方について話してもらいました・・・SNSのトラブルは減りました。これまでは悪いことをすると学校の先生に叱られるという発想でしたが、今は、社会から叱られるということがわかってきました。校内の問題ではすまされない。それで慎重になっているのかもしれません」、なるほど上手い手だ。
・『うちの学校で学力が落ちたら……  Q:定期テストをなくして、評価はどうやっているのですか? 西郷 9教科100点満点のテスト勉強は、なかなか一度にできません。でも、「10点満点」のテストならば、前の日に家で勉強すればできます。中間や期末テストをまとめてやるのではなく、こまめに小テストをやっていくことにしたのです。生徒の提案に対して、先生たちは反対すると思っていました。ところが、先生方が、定期テストではない方法を調べてきました。僕以上のことを先生方は考えていたんです。 うちの学校で学力が落ちたら、日本にとってのチャレンジは終わります。校則をなくしたら学力は落ちる、という結論になってしまう。だから先生方も、学力向上には力を入れようと思っています。 実際、学力はかなり上がっていますが、成績のいい子は、偏差値の高い進学校よりも、自由な校風の青山高校だったり、やりたい部活動で高校を選んだりすることが多いですね。だから、親御さんはどう思っているのか……(笑)。ただ、そうやって自分で考えることが重要ですし、そういう自由な環境からじゃなければ、日本のスティーブ・ジョブズは生まれてこないと思いますよ』、「成績のいい子は、偏差値の高い進学校よりも、自由な校風の青山高校だったり、やりたい部活動で高校を選んだりすることが多いですね」、これから楽しみだ。
・『今後、改善したいのは授業の質です  Q:部活動のあり方はどうでしょうか? 西郷 水曜日と日曜日の公式練習は禁止しています。そして、週10時間と決めて、平日は2時間、土曜日は3時間にしています。それ以外に自主練はありますが、強制は禁止しています。そうすることで自主的な意識が芽生えます。自主練に教師は立ち合いませんが、コーチか保護者が付いているようにします。 部活の顧問をやりたくて教師になった人もいます。そんな人は、土日も部活をやりたい。しかし、そうでない人からは「ブラック部活」と呼ばれるほどです。いまは教師のなり手がいない時代ですからね。少しでも働きやすい職場にしなければいけません。また、教師にも休養が必要です。飲みに行ったり、趣味に時間を費やすことが一人の人間として必要なのです。 Q:今後の学校運営の課題は? 西郷 改善したいのは授業の質です。一斉に知識を注入する授業は、もういいでしょ? 人間は知識ではAIにかないません。創造性を教えていかないと、学校だけでなく、日本が潰れてしまいます。だから、受験用の授業と、創造性を育てる授業を分けたいです。ただ、国が変わらないとなかなかできません。そのため、受験用の授業も必要悪でやっていますが、チャレンジをしていきたいです。 この学校の校長も今年で10年になりましたが、長期間務めたからこそ、できたという部分もあります。でも、それも今年度で終わりです。その後は、何も考えていません』、後任も出来れば西郷校長の路線を引き継いでもらいたいものだ。

第三に、健康社会学者(Ph.D.)の河合 薫氏が8月27日付け日経ビジネスオンラインに寄稿した「増える10代の自殺。「指導死」はなぜ起こる?」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00118/00037/?P=1
・『「指導死」という言葉がある。 生徒指導をきっかけとした子供の自殺(自死)を意味し、「指導死親の会」の代表である大貫隆志さんが2007年にこの言葉を作った。大貫さんは中学2年生だった息子を、自殺で失った経験を持つ。 息子さんは学校でお菓子を食べたという理由で、立ったままで1時間半に及ぶ叱責を教師から受けた。その翌日に命を絶ったため「行き過ぎた指導が息子を追い詰めたのではないか」と考えた。 ところがどんなに情報を集めようにもままならない。原因を突き止めることができず、いちばんの問題は「問題が表面化しないことにある」と考え、言葉を作ったという。 新しい言葉が生まれるのは、その言葉がよく当てはまる問題があっちこっちで起こり、それを象徴する何らかの共通ワードが求められるからにほかならない。そこにある問題を是正し、解決するために必要だからこそ必然的に生まれてくる。 そして、“共通ワード”が生まれれば、その問題をどうにかしようと考え、対策を練ることができる。「助けて!」とSOSを出したいのに、「そこに何もない」かのごとく無視され、「仕方がない」とあきらめたり、泣き寝入りしたりしていた人たちを、共通ワードがあれば救えるようになる。 「指導死」という言葉も、その1つなのだろう。 ただ、現場の先生たちの苦悩を何度も聞いている身からすると、「指導死」という言葉になんとも言い難い重たさを感じてしまうのだ。 うん。とてもとても重い。個人にのしかかる何かを。 それでも「『指導死』親の会 公式ブログ」で「指導死」をきちんと定義していることから察するに、言葉だけが一人歩きして無用に先生が責め立てられるのは避けたい、でも、先生の指導が子供の生きる力を失わせることもある、という事実を世間に知ってもらうことで、一人でも多くの大切な命を救いたいという願いがあるのだと、個人的には解釈している』、「先生の指導が子供の生きる力を失わせることもある、という事実を世間に知ってもらうことで、一人でも多くの大切な命を救いたいという願いがある」、というのは大いに意味があることだ。
・『教師の過剰な「指導」が生徒を追い詰めている  【指導死の定義】(「『指導死』親の会 公式ブログ」より抜粋) 不適切な言動や暴力等を用いた「指導」を、教員から受けたり見聞きすることによって、児童生徒が精神的に追い詰められ死に至ること。 妥当性、教育的配慮を欠く中で、教員から独断的、場当たり的な制裁が加えられ、結果として児童生徒が死に至ること。 長時間の身体の拘束や、反省や謝罪、妥当性を欠いたペナルティー等が強要され、その精神的苦痛により児童生徒が死に至ること。 「暴行罪」や「傷害罪」、児童虐待防止法での「虐待」に相当する教員の行為により、児童生徒が死に至ること。 17年3月、福井県の池田中学校で2年生の男子生徒が転落死した際、調査委員会は「担任らから厳しい指導を受けた精神的ストレスが自殺の要因だった」との報告書を公表した。 報告書によると、16年10月以降、担任や副担任から課題の提出や生徒会活動の準備の遅れなどで厳しい叱責を受けるようになり、校門の前で大声でどなられているのを多くの生徒が目撃。周りの人まで身震いするほどの声だったそうだ。 副担任に宿題の遅れを叱責されたときは、土下座しようとするほど追い詰められた。 「学校に行きたくない」と家族に訴えることもあり、自殺直前にも立て続けに強い叱責を受けていたとされている。 ……この事例は、前述の定義に従えば「指導死」ということになるのだろう』、確かに「指導死」なのかも知れないが、そのなかでも悪質だ。
・では、この場合はどうか。 15年12月、広島県府中町の中学3年の男子生徒(当時15歳)が誤った万引き記録に基づく進路指導の後に自殺した問題である。 学校側は生徒が1年生だった13年、別人の万引き行為をこの生徒の行為として誤って記録。校内の指摘で紙の資料は修正したが、電子データはそのまま残った。 担任がこの誤った記録をもとに生徒に進路指導した際、志望校への推薦はできないと告げ、生徒は翌月の保護者と担任の三者面談を欠席し、その日に自殺した。 町教委が設置した第三者による調査検討委員会は、「誤った進路指導が自死(自殺)の要因の1つであり、きっかけだった」とする報告書を公表。18年12月に遺族は、町に慰謝料など約6700万円の損害賠償を求め、広島地裁に提訴。一方、16年6月に広島市議が業務上過失致死容疑で担任を刑事告発したが、不起訴処分になっている。 今回「指導死」という言葉を取り上げたのは、今一度「子供の自殺」についてみなさんにも考えてほしいと願ったからだ。 「学校が死ぬほどつらい子は図書館へいらっしゃい」という、神奈川県鎌倉市立の図書館の公式ツイッターのつぶやきが話題になって以降、夏休みが終わるこの時期になると様々なメディアが子供の自殺問題を取り上げるようになった』、「広島県府中町の中学3年の男子生徒」のケースは、覚えているが、確かに信じ難いような酷さだ。
・『19歳以下の自殺はむしろ増えている  1972~2013年の42年間の18歳以下の自殺者を日付別にまとめたところ、9月1日が131人で最多で、春休み明けや大型連休明けが100人近い日があるなど長期休暇が終わった直後の自殺が目立っていたことは広く知られている(平成27年版自殺対策白書より)。 しかしながら、子供の自殺は「9月1日」に問題があるわけじゃない。あくまでも、社会の問題として「子供の自殺の多さ」が存在している。 先月、閣議決定された2019年版「自殺対策白書」では、18年の自殺者数は2万840人で、前年から481人減り、37年ぶりに2万1000人を下回ったと報告。自殺死亡率(人口10万にあたりの自殺者数)は、1978年に統計を取り始めて以来、最も低い16.5となったとした。 ところが、年齢別では19歳以下の未成年の自殺死亡率は2.8で統計を取り始めて以来最悪で、自殺者数は599人、前年より32人も増えていたのだ。 また、厚生労働省・警察庁の報告では、小・中・高校生の自殺者数は01年から17年までで、287人から357人に増加している。 欧米では若者の自殺率は1990年以降、減少傾向にあるのに日本は逆。15~19歳の未成年者に加え、20代の死因のトップはすべて「自殺」だ。 「若いんだから病気にはならない。自殺が1位って普通でしょ?」という意見もあるが、以下に示すとおり、欧米の主要国の同年代の若者はいずれも事故死の方が多く、日本だけが事故死の2倍以上もの若者が自殺している状況は異常としか言いようがない』、「指導死」は若者「自殺」の一因に過ぎないとはいえ、「日本だけが事故死の2倍以上もの若者が自殺している状況は異常としか言いようがない」、というのはその通りだ。
・『【「自殺」と「事故」の比率】(日本ー 17.8:6.9 フランス 8.3:12.7 カナダ 11.3:20.4 米国 13.3:35.1  数値は10万人当たりの死亡者、(出典:世界保健機関資料2016年) いったいなぜ、生きるために生まれてきた子供たちが、悲しい選択をしてしまうのか。「指導死」という言葉が生まれる背景には、何があるのか? 以前、30代の数名の先生たちとディスカッションをやったときに、「教師のストレス源は職員室にある」と吐露する先生の多さにショックを受けたことがある。当時は教師の長時間労働が社会問題化していた時期で(今もまだまだ解決には至ってないが)、先生たちはその実態を明かすとともに「職員間のストレス」を訴えた。 「今の先生に求められているのは、間違いを起こさないこと。間違いを起こさない無難な教師がいちばん良い。問題を起こさないように、職員室でも監視されている」「校長が先生で、それ以外の教員は全員生徒。服装のことから子供たちへの接し方まで、すべての行動をチェックされる」「『子供が学校に行きたがらない』と保護者が相談に来たときも、他の先生に生徒の授業中の様子を聞こうと思って他の教科担当の先生に聞いても、自分を巻き込まないでくれという感じで、誰も協力してくれない」「書類が山のようにあるので、職員室ではどの先生もパソコンに向かっていて会話はゼロ。話しかけられる雰囲気ではない」 といった具合だ。 中には、「先生はもうただのサラリーマン。子供たちのための仕事より、管理職のための仕事ばかり。管理職は自分の責任問題になると困るから、やたらと先生への監視を強める」と嘆く先生もいた』、教育委員会が学校に対して求める資料作成が、先生の多忙さの一因になっていることから、それら抜本的見直しも必要だろう。。
・『教育現場で教師にいったい何が起きているのか  先生たちの話を聞く限りそこは学校というより、まさしく企業。 ステークホルダー(利害関係者)たちから厳しい視線を向けられ、責任を取りたくない管理職と、言われたことだけしかやろうとしない部下たちが、子供という“顧客”相手に仕事をしている企業組織そのものだった。 学校という閉鎖空間では、一般の企業以上に人間関係が与える影響は大きい。ましてや、理屈じゃなく本能で動く子供と向き合うのは決して容易ではない。 教師の世界は「子供」という自分たちの職業で最も大切な存在のために、情報の共有が必要不可欠。何か子供に問題が生じたときにも、1人の先生をやり玉にあげるのではなく、みんなの問題として取り組まなきゃ、解決できるわけない。本来であれば強い共同性が保たれるべき集団が、崩壊寸前なのだ。) おまけに晩婚化で子供の親の方が、先生より年上の場合も多く、先生を「下」にみる保護者も少なくない。最近はあまり聞かなくなったが、モンスターペアレンツという言葉がやたらとメディアで取り上げられていた時期があったことは、誰もが記憶しているはずだ。 2006年には東京都の区立小学校の若い新任女性教諭が、保護者との関係に悩んだ末、自殺。「無責任な私をお許し下さい。全て私の無能さが原因です」と書かれた遺書が残されていた。 「子供がもめても注意しない。前の担任なら注意した」「子供のけんかで授業がつぶれているのが心配」「下校時間が守られていない」「結婚や子育てをしていないので経験が乏しいのでは」 などの苦情が連絡帳で寄せられていたが、それを相談したり、サポートしたりする先生もいなかったとされている。 念のためはっきりさせておくが、私は「指導死」という言葉を用いることを批判しているのではない。 だが、もし「指導死」という新しい言葉を作る必要性があるのだとしたら、それは教師だけの問題でもなければ、学校の中だけの問題でもない。「子供のため」という言葉があまりにも美しすぎて、ついつい忘れてしまいがちだが、先生だって人間だということだ。 悩むこともあれば、きついことを言われ凹むことだってある。そんなとき同僚の先生や、保護者とのつながりは極めて重要となる』、その通りだが、孤立して悩む先生を放置している、校長などの管理者の責任も大きい。
・『自殺は社会全体の問題だととらえるべきだ  親も含めた社会全体に問題があるということを、私たち自身がもっと自覚する必要があるのではないか。 「リストカットする子供は誰一人として、最初からそういう子だったわけではありません。会社でストレスがたまった父親は、母親を家庭で怒鳴り散らす。ストレス社会でイライラした大人たちが、それを子にぶつける。 その結果、子供は傷つく。誰からも褒められたことがない。誰からも認められたことがない。そんな子供は、自分を肯定することができません。自分は生きている意味がないと、自ら命を絶とうとするのです」 これは痛ましい事件が起こるたびに、私が思い出す「夜回り先生」こと水谷修氏の言葉だ。数年前に自殺予防のシンポジウムでご一緒させていただいたとき、水谷氏は何度もこう訴えていた。 死にたくて死ぬ子は1人もいない、と。学校の中だけの問題じゃないのだよ、と。社会の問題でもあるんだよ、と。 先の白書では、若年層の自殺を巡る状況について2018年までの10年分を分析している。10代では学業不振や進路の悩みなど学校問題の割合が最も高かったものの、家庭問題の割合が増えていることが分かっている。 小・中・高別では……、 ●小学生 男女いずれも1位が家庭問題。男子のトップは「家族からのしつけ・叱責」(42.8%)女子は「親子関係の不和」(38.1%)、「しつけ・叱責」(33.3%) ●中学生 家庭と学校の問題が入り交じる。男子は「学業不振」(18.7%)、「しつけ・叱責」(18.1%) 女子は「親子関係の不和」(20.1%)、「その他学友との不和」(18.3%) ●高校生 男子では1、2位とも学校関係で、「学業不振」(18.2%)、「進路に関する悩み」(16.4%) 女子は「うつ病」(18.3%)、「その他の精神疾患」(12.1%) うつ病などの健康問題は通常、何らかのストレスが存在した結果としての精神的なダメージなので、「うつ病」を自殺の原因とすることには抵抗があるが、上記の結果からも、学校だけに原因があるわけではないことは確かだ。 いじめ問題、いじめ問題に対する教師たちの対応、そして「指導死」。 ……デリケートな問題なので伝え方が難しいのだが、私は「自殺は個人の問題ではなく、社会の問題」という立場だ。つまり、自殺は「追い詰められた末の死」であり、「避けることのできる死(avoidable death)」。 ゆえに「命を絶つ」という悲しい選択に至る原因は決して1つでもなければ、子供世界だけの問題でもない。いつの時代も子供社会は大人社会の縮図。私たち大人の世界で起きていることが、子供に伝染しているのだ』、説得力溢れた主張で、その通りだ。
タグ:教育 日経ビジネスオンライン ダイヤモンド・オンライン 河合 薫 指導死の定義 千代田区立麹町中学校 文春オンライン (その17)(学校で「心を一つにしよう」というスローガンを掲げてはいけない“深い理由” 千代田区立麹町中学校・工藤勇一校長インタビュー、校則がないからこそ 教師と生徒は対等に話し合うことができる――西郷孝彦校長インタビュー、増える10代の自殺 「指導死」はなぜ起こる?) 「学校で「心を一つにしよう」というスローガンを掲げてはいけない“深い理由” 千代田区立麹町中学校・工藤勇一校長インタビュー 第2回」 「定期テスト廃止」「宿題廃止」「クラス担任制廃止」など、数々の大胆な改革 学校の「当たり前」をやめた。』(時事通信社) 工藤勇一校長 「自律 尊重 創造」が人材育成の基本 学校運営の究極的な「教育目標」 自律と尊重と創造が、社会で生きていくうえで根本的に重要な力なのだと考えました 「上位目標」が改革の原点でありエンジンである みんなの意見が食い違う時は、必ず上位目標に立ち戻って、進もうとする方向をそれに照らし合わせ、目標に合致しているかどうかをみんなで徹底的にディスカッションすることです お互いの主張の「中間点」で折り合いをつけるのではなく、あくまでも上位目標を達成するためには何が正しいのかを考える。ここは妥協することなく、しっかりと対話を重ねる必要があります トップは「失敗が許される範囲」を明示する 人は協力してくれなくて当たり前。そのときどうする? 「校則がないからこそ、教師と生徒は対等に話し合うことができる――西郷孝彦校長インタビュー―世田谷区立桜丘中学校には、チャイムも制服もない」 この学校はチャイムが鳴らない。そして何より、校則がない 世田谷区桜丘中学校 「心得」の3つですべてが指導できます 権利条約に掲げられた権利を知ることで、大切にされていることがわかり、子どもは自己肯定感が得られます 大人でもさまざまな考えがある 先生方って、校則があると、話し合いにならないんです。「校則があるからダメ」「守るか、守らないか」になってしまいます 合理的な話し合いを重ねることで信頼関係ができてきます 校則でしばることが染み付いている SNSのトラブルは減りました LINEの人に「出張授業」にきてもらい、SNSの使い方について話してもらいました これまでは悪いことをすると学校の先生に叱られるという発想でしたが、今は、社会から叱られるということがわかってきました。校内の問題ではすまされない。それで慎重になっているのかもしれません うちの学校で学力が落ちたら、日本にとってのチャレンジは終わります。校則をなくしたら学力は落ちる、という結論になってしまう。だから先生方も、学力向上には力を入れようと思っています。 実際、学力はかなり上がっています 今後、改善したいのは授業の質です 「増える10代の自殺。「指導死」はなぜ起こる?」 教師の過剰な「指導」が生徒を追い詰めている 『指導死』親の会 公式ブログ」 19歳以下の自殺はむしろ増えている 日本だけが事故死の2倍以上もの若者が自殺している状況は異常としか言いようがない 教育現場で教師にいったい何が起きているのか 自殺は社会全体の問題だととらえるべきだ
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「闇営業」(その3)(維新や安倍官邸とズブズブ…吉本興業「癒着と利権」の闇、デーブ・スペクター「吉本」「日本の芸能事務所」「テレビ局との癒着」を全て語る、小田嶋氏:家族という物語の不潔さ) [社会]

「闇営業」については、7月25日に取上げた。今日は、(その3)(維新や安倍官邸とズブズブ…吉本興業「癒着と利権」の闇、デーブ・スペクター「吉本」「日本の芸能事務所」「テレビ局との癒着」を全て語る、小田嶋氏:家族という物語の不潔さ)である。

先ずは、7月26日付け日刊ゲンダイ「維新や安倍官邸とズブズブ…吉本興業「癒着と利権」の闇」を紹介しよう。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/259149
・『連日、テレビが大きく時間を割いて熱心に報じている吉本興業の問題は、いつの間にか芸人の闇営業から企業のブラック体質に論点がすり替わってしまったが、その一方で政治権力との蜜月関係にも注目が集まりつつある。吉本と安倍官邸、そして大阪維新のズブズブ利権構造によって、巨額の税金がかすめ取られる。食傷気味の“お家騒動”より、こちらの方がよほど大問題ではないか。 コンプライアンス上の疑義がある吉本に対し、官民ファンドの「クールジャパン機構」から総額100億円もの公金が投入されることが問題視され始めている。ここ数年、吉本は政治との距離をグッと縮めてきた。お膝元の大阪では、維新との露骨な癒着がつとに知られている。 「維新の選挙には、吉本の芸人が応援に駆けつけるのが恒例になっている。4月の衆院補選の最中に来阪した安倍首相が吉本新喜劇の舞台に立ったのも、維新側のお膳立てと聞いています。実は吉本と大阪市は2017年に包括連携協定を結んでいて、今では、吉本は維新のオフィシャルパートナーのような立場なんです」(在阪メディア記者) 今年2月には、大阪城公園内に「クールジャパンパーク大阪」がオープン。クールジャパン機構や吉本興業などの共同出資会社の運営で、実質的な“吉本劇場”とされる。 2025年の大阪万博も維新と吉本は二人三脚で進める。万博誘致アンバサダーを務めたのも吉本所属のダウンタウンだった。万博跡地にエンターテインメント拠点を整備する計画もある。 そして、万博とセットなのが、維新が公約に掲げるカジノ誘致。吉本の狙いは、政治権力に寄り添い、エンタメ利権とカジノ利権を手中にすることなのか』、「安倍首相が吉本新喜劇の舞台に立ったのも、維新側のお膳立て」、とは初耳だ。「吉本の狙いは、政治権力に寄り添い、エンタメ利権とカジノ利権を手中にすること」、とはありそうな話だ。
・『騒動の背景に「権力に媚びる堕落」  同じような話が、安倍官邸との間で国政レベルでも進んでいる。今年6月、吉本の大崎洋会長が、沖縄の米軍基地跡地の利用に関する政府の有識者懇談会メンバーに選ばれた。基地の跡地はカジノ誘致の有力候補地だ。 そして、クールジャパン機構が100億円を出資するのは、吉本とNTTが組んだ教育コンテンツを国内外に発信するプラットフォームだが、その拠点は沖縄に設置されるというのだ。 「維新の生みの親である橋下徹氏も著書で沖縄へのカジノ誘致を説いていました。そもそも、橋下氏の政治家引退で失速していた維新が息を吹き返したのは、大阪万博が決まったからです。それで勢いづき、大阪ダブル選に勝利して、参院選でも議席を伸ばした。維新の命綱だった万博誘致に最大限の尽力をしたのが安倍首相と菅官房長官なのです。吉本興業、維新、安倍官邸、万博、沖縄、カジノは一本の線でつながる。そうやって仲間内に利権と税金を回す構図は、加計学園問題と同じです。憲法改正を成し遂げるため、安倍官邸にとって維新の存在は今後ますます重要になってくる。令和の時代も、忖度と利権構造は相変わらずということです」(ジャーナリストの横田一氏) 漫画家の小林よしのり氏も23日のブログで<吉本興業は、維新の会や安倍政権という権力者ともズブズブで、反社会勢力とも繋がる緩すぎる企業であり、そもそも「笑い」をやる者が、権力に媚びをうるような堕落を呈しているから、こんな事態になったのだ>と断じていた。 企業内のパワハラ・ブラック体質もそうだが、権力と癒着した利権の闇も根深い』、「吉本興業、維新、安倍官邸、万博、沖縄、カジノは一本の線でつながる。そうやって仲間内に利権と税金を回す構図は、加計学園問題と同じです」、との指摘はその通りなのだろう。

次に、7月26日付けNewsweek日本版「デーブ・スペクター「吉本」「日本の芸能事務所」「テレビ局との癒着」を全て語る」を紹介しよう(Qは聞き手の質問、Aはスペクター氏の回答)。
https://www.newsweekjapan.jp/stories/culture/2019/07/post-12626_1.php
・『<吉本興業が揺れているが、これは吉本だけの問題ではない。日米の芸能事務所の違いにも詳しいデーブ・スペクターに独占インタビューした。「日本のテレビが面白くないのは、素人が多過ぎるから」そして「今は、日本の芸能界を変える最後のチャンス」> 日本最強のお笑い系芸能事務所である吉本興業が揺れている。「闇営業」問題をメディアで報じられ、会社から沈黙を命じられた芸人の宮迫博之と田村亮が先週、突然反論の記者会見を実施。会社上層部から圧力の存在を明かした。 問題は闇営業を超え、社長の発言から垣間見える芸人へのパワハラや所属事務所側の「搾取」、契約書の不在など拡散している。これは吉本興業、あるいは日本の芸能界特有の問題なのか。日本社会全体の問題ではないのか。 米ABCテレビの元プロデューサーで、子役としてアメリカで活躍した経験も持つタレントのデーブ・スペクターに本誌・小暮聡子が聞いた』、日米の芸能事情に通じたスペクター氏へのインタビューとは興味深そうだ。
・『Q:今、吉本興業という企業をどう見ているか。 A:世界にはない企業だ。お笑い芸人を中心として、6000人もタレントを抱える芸能事務所というのは世界を見渡してもどこにもない。アメリカにもコメディアンは多いが、1つのエージェントに所属するタレントは多くて20~30人だ。 日本は、お笑いの文化が非常にユニーク。大阪そのものがお笑いの街として認知されていて、一般の人にも笑いをとれる話術と話芸がある。大阪弁自体が面白くて、お笑いに最高の方言だ。その、お笑いの街で生まれたのが吉本だ。そういう意味ではとてもユニークな会社だと言えるだろう。 大阪だけでなく東京や各地にいくつも専用の劇場を持っていて、お笑いだけでこれほど手広くやっている大企業は、日本だけでなく世界を見渡しても吉本だけだ。愛されていることは間違いない。戦前からの古い歴史があってここまで大きくなった。企業そのものとしてはリスペクトされてもおかしくない』、(吉本興業について)「お笑いの街で生まれ・・・お笑いだけでこれほど手広くやっている大企業は、日本だけでなく世界を見渡しても吉本だけだ。愛されていることは間違いない」、確かにその通りだ。
・『Q:今、吉本興業が企業として問題視され、若手の収入が低いことや、契約書の不在、上層部のパワハラとも言える発言が取り沙汰されている。これらに関してはどのように見ているか。 A:まず、日本の芸能事務所は異質で、アメリカなどとは全く違う。その中でも、吉本自体がさらに異質だ。日本の芸能事務所というのは、給料を月給制か歩合制にして、タレントを雇っている立場だ。タレントを商品として所属させ、営業といって売り込んで、事務所側がそのギャラの何割かをもらうというシステムだ。 アメリカは逆に、(モデル事務所は例外だが)基本的にはタレントや役者が自分でマネジメント(日本でいうマネージャー)を雇っている。どこかの事務所に入ったとしても、日本のように事務所が月給を支払うことはない。タレントには映画会社やテレビ局から直接ギャラが支払われ、タレントがそのギャラの中からエージェントにだいたい10%くらいを払う仕組みだ。弁護士もいるし、金額まで全てオープンにしている。 日本はどんぶり勘定的で、基本は事務所がギャラの本当の額をタレントに言わない。ギャラから何パーセントかを事務所が差し引いた額がタレントに支払われるという歩合制か、もしくはフラットな月給制だ。まだあまり売れていない人は月給が多いのだが、少し売れ始めると歩合になる』、日米間では仕組みが大きく違がっているようだ。
・『下手でも事務所の力でテレビに出られる  何が問題かというと、日本では吉本のように、あまり実力や才能がなくても事務所に所属できてしまうということだ。これは他の大手事務所にも言えることだが、例えば吉本には「NSC(吉本総合芸能学院)」という養成所があり、お笑いや何かの芸を教えていて、そこを出ると大半は自動的に事務所に所属できてしまう。 専門学校のようなものなので、もちろん学生は自分で安くはない月謝を払って通うわけだが、吉本側もそういう学生を集めるために広告塔としてデビュー前の素人でも何人かテレビに出すということをやっている。 そこで出てくるのが、事務所の力でタレントを使わせるというやり方だ。バーターと言って、テレビ局からAというすごくいいタレントを使いたいと言われたら、Aを使うならBとCも使えという、抱き合わせをさせる。本当はよくないのだが、そうすればあまり面白くない人でも事務所の力で出演することができてしまう。 ある意味でタレントたちが文句を言えないのは、松本人志さんや加藤浩次さんや友近さんなどすごく実力があって価値がある人はいいのだが、そうでもない人が事務所に所属しているだけで出られるという構造があるから。本当にそんな文句が言えるのか、ということになってくる。 これは日本にしかない事情で、吉本だけでなく他の事務所もタレントになりたい人を簡単に入れ過ぎる。だから人数が増えていく。この、所属タレントが多過ぎるということが根本的な大問題だ。 実力が足りないのに、テレビのバーターなどでたくさん出す。だが、そんなのを観ていたら視聴者はしらけるだろう。なんでこんなにつまんない人出してるの、と。人のこと言えないんですけど(笑)。日本にはタレントが多過ぎる、芸人と名乗る人が多過ぎる。「芸NO人」という言い方もあるくらいだ(笑)。Q:アメリカの芸能界は実力社会なのか。 A:アメリカではオーディションが厳しい。コメディーで言えばスタンダップコメディーで下積みを重ねるが、非常に厳しくてなかなか上にあがっていけない。100%実力の世界で、事務所の力などないし、バーターという表現すらない。そういう概念がない。 アメリカにもエージェントはあるが、そこまで売り込んだりはしない。オーディションもあるし、ある程度売れている人にはマネジメントが付く。アメリカで役者やコメディアンの卵というのは誰からも保障がないから、ウエイターやウエイトレスなどいろいろやりながら下積みをして、稼げるようになってからアルバイトを辞める』、「バーターと言って、テレビ局からAというすごくいいタレントを使いたいと言われたら、Aを使うならBとCも使えという、抱き合わせをさせる」、「吉本だけでなく他の事務所もタレントになりたい人を簡単に入れ過ぎる。だから人数が増えていく。この、所属タレントが多過ぎるということが根本的な大問題」、タレントまで「抱き合わせ」の対象になったので、「これがタレントか」と首を傾げざるを得ないケースが増えているのだろう。
・『日本は素人から「育てる」ことが好き  アナウンサーだってそう。日本のテレビ局は大学を卒業して、新卒でまったくの新人を入れているが、アメリカでは考えられない。全てローカル局から上がっていく仕組みで、いきなり大都市で全国放送のキャスターになるというのはあり得ない。 日本は大学を出てそのまま入ってくるので、結局はド素人。一からいろいろ教えて30そこそこでフリーになる。アメリカで30歳なんて、ようやく少し大きいところにやっと出られるくらい。 日本のおかしいところはそこだ。つまり素人芸、素人の段階でも受け入れてくれる。優しいと言えば優しいのだが、実力も経験もまだないのに入れてしまうという。何もできない12歳の子でも事務所に入れて、実習見習いみたいな形でゼロからスタートする。それはあまりよくない。 日本に特徴的なのは、例えばアイドルとか、見習い的に素人の段階でテレビに出させる。松田聖子さんとか、デビューしたてはぎこちなくて歌唱力もまだそれほどなくて、でもかわいいじゃないですか。それで、どんどん上手くなっていって、気が付くとものすごく上手。 アイドルを見て僕がいつも言っているのは、盆栽のようにゆっくりと育てていく楽しみがあると。アメリカでは出来上がった盆栽しか買わない(笑)。日本は、作っていくというそのプロセスを楽しんでいる。 Q:見ている側もそのプロセスを楽しんでいると。 A:大好きでしょう。子役から上がっていくとか、まだ下手だけどだんだん上手になっていくとか。ジャニーズだって、例えばSMAPもそうだが、最初はただの男性アイドルでも、いつの間にか演技もできるとか役者になっていたり、中居(正広)くんみたいに面白いMCもできるとか、目の前で変わっていく。視聴者も一緒に育てているので、それこそ観る側も「ファミリー」だ。だからあまりシビアにうるさく見ないという、いい面もある。 そもそも日本で「素人」というのは、悪い意味ではない。「新人」とか素人が大好きで、企業だっていまだに新卒を雇う。アメリカは経験がない人を好まない。キャスターになりたい人は必ずジャーナリズムスクールに行く。大学在学中にインターンをしたり、専門的な勉強をして職業訓練をしてから、就職する。 だが日本は漠然とした学歴しかなく、専門学校を出ている人のほうがすぐに役に立つくらいだ。メディアだけではなく商社など一般の企業でもいまだに新卒を雇って、入社してから社員教育をし、人事異動を繰り返して浅く広くいろいろなことを学んでいく。 日本社会がそうなっているので、芸能界はその延長線上にあるに過ぎない。だから違和感も抵抗もない。なぜアイドルとか下手な人たちに抵抗がないかというのは、日本社会にそういうベースがあるからだ』、「日本は素人から「育てる」ことが好き」、というのは日本社会に広くみられる現象だ。AKB48などもその典型だろう。
・『日本の事務所は売れなくなったベテランには優しい  A:吉本の岡本昭彦社長が使った「ファミリー」という言葉について、その定義はさておき、日本の芸能事務所というのは吉本もそうだし、例えばジャニーズ事務所も、EXILEの事務所であるLDHなども、養成所やダンススクールを持っていて素人の段階から育てるということをしている。手をかけて育て、デビューさせる。一方で海外にはタレントを育成する、育ててくれるという文化はなく、既に売れている人や売れそうな人にエージェントが付いて、売れなくなったらばっさり切り捨てる。 だからこそ、いい人が残って、才能がない人は淘汰されるのでクオリティーが高い。日本で言うと、ダンスを教える分にはいい。ジャニーズだって上手いしトップクラスだ。 ジャニーズが少しだけ違うと思うのは、小学生や中学生など本当に小さいときから少しずつ学んでいくなかで、最初はそんなに出番がない。板前さんみたいに時間をかけて修行して、踊れるとか歌えるようになってからグループに入れて売り出していくシステムなので、そういうところは評価してもいいと思う。 日本の事務所の「ファミリー」には、いいところもある。タレントはギャラの何分の一かしかもらえなくて、事務所による搾取と言えば搾取だし、最初のうちは損している。ところが、そのタレントが歳を取ってあまりニーズがなくなっても、事務所がその人たちを切ることはしない。 事務所もその人にお世話になって儲けさせてもらったから、例えば元アイドルが40代や60代になっても所属させたまま月給を払い続ける。つまり、恩返しとして一種の生活保護をしている。タレントにとっては失業保険になっている。 事務所のホームページをよく見てみると、ベテランとして上のほうに載っているんですよ。みんな年功序列制だから(笑)。あんまり活躍はしていないけど、冷たくしないで残しておく。それで、それほど注目されない番組のいろんな枠に入れちゃう。20人、30人必要なひな壇がある、大特番番組などに何人か入れてあげる。 その人を残すことで会社は損している場合があるが、それこそファミリーとして残したままにしてあげる。事務所にもよるが、日本は後になってから面倒見がいい。 Q:日本は、売れなくなったからといって解雇はできないのか。 A:冷たすぎる、そんなことしたら。態度が悪いとかクレームばかりのタレントだったら解雇するが、基本的にはやらない。病死するまでいる。アメリカは月給なんて保障しないから、エージェントにとって負担にならない。稼げなくなったらその分、マネジメントに払わないだけの話だ。 逆にアメリカの場合だと、エージェントがなかなか仕事を探してくれないとか、うまく斡旋してくれないとか、交渉が上手でないとか、オーディション情報や新作映画やテレビシリーズの情報が遅いとか、チャンスを逃したとか、そういうときにはタレントが自分からマネジメント契約を解消して違うところに移籍する。自分が雇っているので、自分で決められる。日本とアメリカでは立場が逆だ。 アメリカの芸能界には労働組合もある。役者組合、ブロードウェーなど演劇の組合、僕も子役のときに入っていた米国俳優協会(Actor's Equity Association: AEA)もあるし、映画だったら映画俳優組合(Screen Actors Guild:SAG)、テレビやラジオ関係なら米国テレビ・ラジオ芸能人組合(American Federation of Television and Radio Artists : AFTRA)がある(2012年にSAGとAFTRAが合併し、現在はSAG-AFTRA)。 そのほかに音楽関係は別に組合があるなど、エンターテインメントの世界にものすごい数の組合がある。僕が今も入っている全米監督組合(Directors Guild of America: DGA)は、年金もあるし本当に素晴らしい。なぜ組合があるかというと、大昔は働く環境がよくなくて、搾取されたり労働条件が悪かった。今は組合に入っていると最低賃金が保障される』、「日本の事務所は売れなくなったベテランには優しい」、というのは、いまどきの一般の企業ではベテランへの追い出し部屋など、厳しくなっているのとは真逆だ。
・『芸能事務所とテレビ局の癒着を生む「接待文化」  Q:日本の芸能人は組合に入っていないのか。 A:日本の芸能界には組合がない。ないほうがいいというのは、実力があっての組合なので、日本には才能がない人が多過ぎて、組合に入ったら事務所との上下関係が狂ってしまって事務所はますますやる気をなくすだろう。 今の日本の上下関係については直さなければいけないとみんな言っているのだが、本音は違うと思う。下手な人を使い続けるのなら、彼らが事務所の言いなりになるのは仕方がないとみんな分かっている。今はきれいごとを言っているだけ。 Q:今回の騒動をきっかけに、吉本を含め、日本の芸能界は変わると思うか。 A:変わらないと思う。一部の事務所、例えば小さいモデル事務所の中にはすごくシビアに、あまり人を入れないとか欧米的にやっているところもあるが、それはほんのわずか。僕は変わらないと思う。 Q:テレビ局が吉本の株を持っていることなど、吉本とテレビ局の関係もクローズアップされている。テレビ局が芸能事務所に、才能がある人しか使わない、と言うことはできないのか。 A:言えばいいのだが、言わない理由は簡単だ。もちろんテレビ局側もそうしたほうがいいと、たぶん常識的には分かっている。しかし、これは芸能界に限らないのだが、日本にはトップとの接待文化がある。 特に芸能界は接待文化。だって安倍総理が毎晩いろいろな人とご飯食べているくらいだ。そうすると、どうしてもなぁなぁに、ずぶずぶの関係になってしまう。表現は悪いが、癒着が出てくる。さりげない癒着、つまり忖度が多いと思う。 接待文化がある限り、事務所の意向が通るようになってしまう。広告代理店もスポンサーもみんな夜会うからいけない。僕は日本の社会をよくするには、夜間外出禁止令を作ったほうがいいと思っている。19時前に家に帰るようにしよう、と。会社の社長全員に警備員を付けて自宅に直帰しているか見張らせるんだと。あるいは足首にGPSをつけて、ちゃんと帰ったか分かるようにするとか。 もしくは、接待ではなくランチがいい。ハリウッドのやっていること全てがいいとは言わないが、ニューヨークなどはみんなランチかブレックファスト。接待は大きい。日本でテレビ局以外の企業でもいろいろな癒着が生まれるのは、夜に和食やお座敷に行くからだ。ゴルフ接待もある。 そういうことしていると、うちのあの子を使って、となってしまう。アメリカの場合は何が違うかと言うと、映画スタジオやテレビ局のトップ陣営というのはものすごい大金を稼いでいる。正社員というシステムがないので、ディズニーでもABCでも、日本円にすると億単位のお金をもらっている。彼らに接待しても喜ばない。 日本のテレビ局も給料は高額だが、それでも欧米と比べると桁が違うのでやっぱり接待に弱い。もちろん全てが悪いとは言わないが、接待文化によって結局ものごとを言えない空気が作られてしまう』、「芸能事務所とテレビ局の癒着を生む「接待文化」」、も適格な指摘だ。アメリカ流の「ランチかブレックファスト」の方が確かに望ましいが、「接待文化」は当面、続かざるを得ないだろう。
・『日本のテレビ離れを止めるには今しかない  Q:デーブさんがいつも日本のテレビ文化について、忖度なく率直な意見を言っているのは、なぜなのか。 A:昔からそう言っているのは、日本のテレビが好きだから。文句を言いたいわけではない。自分はアメリカを見て育ってきているし、今は自分もプロダクションを経営していて日本とアメリカの状況どちらも見ているので、日本にもフェアプレーをやってほしいと思っているだけだ。 訳ありキャスティングをどうにかしたい。前は別に目をつぶっていてもよかったかもしれないが、今はテレビ離れが深刻だ。視聴者がどんどん減っている。ネットフリックスもHuluもあるし。ソーシャルメディアもあるし、テレビ以外に選択肢がたくさんある。 それでも、先進国の中で日本ほどいまだに地上波が好きな国はない。つまり今は、日本のテレビ界にとって最後のチャンスだ。これ以上沈まないように、タイタニックで言うともう目の前に氷山が見えている。タイタニックでは見えるのが遅過ぎたのだが、今は何十キロも離れた先でも双眼鏡で氷山が見えている段階。あと数秒でぶつかるわけではないので、やろうと思えばまだ旋回できる。 日本のテレビをよくするには、上手い人を使うこと。バーターとか事務所からの押し付けとか、事務所先行のキャスティングを断ること。使いたい人を使う。 今はテレビの話ばかりしていて大変失礼なのだが、イベントやCMやラジオや、モデルを使う雑誌も全部含めて、本来はギャラを支払うほうが決められる立場のはずだ。日本は事務所が強過ぎる。その中に、吉本がまた別格の存在としてある、ということだ。 僕は吉本も大好きで、好きだからこういうことを言っている。例えば役者で言うと、役所広司さんや亡くなられた樹木希林さんも大好き。本当に上手い。そういう素晴らしい役者がいるのにどうして役者と言えない人を使うのか、と怒るのは、日本のテレビをよくしたいからだ』、スペクター氏の「日本愛」溢れた助言を、少しでも取り入れてほしいものだ。

第三に、コラムニストの小田嶋 隆氏が7月26日付け日経ビジネスオンラインに寄稿した「家族という物語の不潔さ」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00116/00032/?P=1
・『吉本興業関連の話題に食傷している人は少なくないはずだ。 私もその一人だ。 例の岡本昭彦社長の会見の冒頭部分の15分ほどを傍観した時点で、はやくも腹部膨満感を自覚した。以来、このニュースを視界から遠ざけている。 テレビに関しては、この4月からの断続的な入退院を通じて、ほぼ完全に視聴習慣を喪失した。 それゆえ、テレビ番組側のコンテンツとしての出来不出来はともかくとして、画面の中を流れるあの水中バレエじみたまだるっこしい時間の経過に追随できなくなっている。 よって、視聴の必要を感じた番組については、一旦録画して、随時早送り可能なコンテンツに変換した上で、順次咀嚼吐出している。ナマでダラダラ付き合うことは、おそらく、この先、一生涯できないと思う。 2年ほど前、とある仕事の打ち合わせで同席した30代とおぼしき編集者が 「テレビはあんまりノロマ過ぎて見ていられないです」と言い放つのを聞いた時、私は「この若者はどうしてこんなにもあからさまに利口ぶっているのであろうか」と思ったものだったのだが、今にして思えば、彼の観察は正しかった。 間違っていたのは当時の私の方だった。 つまり、地上波テレビの瀕死のナメクジみたいな時間感覚にアジャストできていた私の脳みそは、あの時点で既に瀕死だったということだ。 実際、まるまる2カ月間、地上波テレビの視聴から隔離された環境で過ごして、久しぶりにナマで流れているひな壇形式のスタジオバラエティーに直面してみると、心底びっくりさせられる。 「おい、このノロさとものわかりの悪さはなんだ?」「画面の中でしゃべくっているこの人たちは、どうしてわざわざアタマの悪いふりを続行しているのだろうか」「誰かが言ったセリフを、スタジオ中の出演者が何度も繰り返し確認しながら話を展開していくこの猛烈にクドい対話手法は、令和になって新たに定められたロンド形式の儀式か何かなのか?」てな感じで、私は、5分以上視聴し続けることができない。 吉本興業の話題についても同様だ。 どこからどう見ても典型的にアタマの悪いスタジオ出演者たちが、わかりきった話を、どうにも質の低い表現で繰り返し議論しているのを、ただただ口を挟むこともできずに聞かされる視聴経験は、時間の無駄である以上に、拷問だ』、全く同感である。
・『思うに、吉本興業をめぐる話題の背景には、テレビを愚劣な雑談箱に変貌させてしまったテレビ局と視聴者の共犯関係が介在している。 テレビ番組を企画制作している放送局の人間たちと、その番組を大喜びで享受している視聴者諸兄が同じように腐っているのでなければ、いかな吉本興業とて単独であそこまで腐ることはできないはずだ。 実態に即して考えるなら、制作側があの程度のコンテンツを一日中垂れ流している限りにおいて、MC役にはノリの良いチンピラがふさわしいわけで、だとしたら、今回のエピソードのメインの筋立ては、はじめから、清潔であるべきテレビ番組進行役のタレントが、半グレの宴会に参加していたというお話ではない。むしろ、ヤンキー連中が得意とする下世話な仲間受けのイキった対話術を、大学出のテレビ業界人が、スタジオ活性化目的で利用してきたことの必然的な結果が、今回の一連の騒動であったのだと考えなければならない。 なので、吉本興業と「反社」(←昨今の商業メディアが右へならえで採用している、「反社」というこの略称自体が、明らかに腰の引けた婉曲表現で、要するに、彼らは暴力団ならびに半グレを真正面から名指しにする事態を避けて通りたいと考えているのである)の関わりについて、これ以上の言及は控える。 芸人と事務所の関係についても、一日中テレビがわんわん騒いでいるのと同じ切り口で重ねて何かを言うつもりはない。 というのも、誰かの食べ残しを食べた人間のそのまた吐き戻しみたいな話題を、もう一度つつきまわす理由は、少なくとも活字の世界で渡世をしている私の側には、ひとっかけらもありゃしないからだ。 ここでは「家族」の話をしたい。 例の会見の中で、吉本の岡本社長は、とりたてて鋭い質問を浴びせられていたわけでもないのに、自分で勝手に墓穴を掘っていた。そして、自分で掘ったその墓穴を埋めるべく、「家族」という言葉を持ち出していた。 なんと愚かな弁解だろうと、当初、私はそう思ったものなのだが、現時点であらためて考えるに、岡本社長が苦しまぎれに持ち出した「家族」という、あの手垢ベカベカの陳腐な物語は、あれまあびっくり、一定の効果を発揮している。 というのも、私自身はほとんどまったく説得されなかったものの、あの「家族」という言葉で納得した人々が一定数いたことは、どうやら事実だからだ。また、納得まではしなくても、「家族」という言葉に触れて以降、岡本社長や吉本に対して、感情をやわらげた人々は、さらに膨大な数にのぼる。 「家族だしな」「家族なんだからしょうがないよなあ」「理屈じゃないよね」「そりゃ、家族なんだし、理屈なんか関係ないだろ」「トラブルはトラブルとして、食い違いは食い違いとして、とにかく、家族なのだから、そういうものを乗り越えて絆を強めていけばいいんじゃないかな」「そうだよね。雨降って地固まるって言うし、家族にとってはもめごとこそが絆だよね」「傷が絆になるんだよ。傷を負った者同士だから優しくなれるんだよね」ああ気持ちが悪い』、「あの「家族」という言葉で納得した人々が一定数いたことは、どうやら事実だからだ。また、納得まではしなくても、「家族」という言葉に触れて以降、岡本社長や吉本に対して、感情をやわらげた人々は、さらに膨大な数にのぼる」、というのには驚かされた。
・『この問題が、どんな方向で落着するのかについて、私は既に興味を失っている。 というよりも、落着なんかしないだろうと思っている。 別の言い方をすれば、この種の問題を合理的に落着させることなく、永遠に撹拌し続けていく忖度と威圧の体制こそが、吉本興業の支配を招いたわけで、彼らが提示している「笑い」は、最終的に「絆」だの「仲間」だの「家族」だのの周辺に生成されるゲル状(ゲロ状かもしれない)の半個体として、いずれ、われわれの社会を機能不全に陥れるに違いないのである。 私の関心を引くのは、吉本興業そのものではない。この種のウェットな問題が起こる度に、飽きもせずに召喚される「家族」という物語の不潔さだ。 あえて、「家族という物語の不潔さ」という挑発的な書き方をしたのは、「家族」という文字面を見た瞬間に、すっかり大甘のオヤジになってしまう人々に目を醒ましてほしいと考えているからだ。 「家族」 という言葉を目にしただけで、うっかり涙ぐんでしまう、極めて善良な人々が、本当にたくさんいる。 それが良いことなのか悪いことなのか、私には判断がつかない。 ただ、「家族」という言葉ひとつで、どうにでもコントロール可能な人間は、どっちにしても、誰かに利用されることになる。 理由は、誰もが誰かの家族である一方で、家族を利用する側の人間は、すべての人間を利用する邪悪さを備えているからだ。 誤解を解くために、以下の文言を繰り返しておかなければならない。 不潔なのは、家族ではない。 家族の物語が不潔なのでもない。 私が不潔さを感じてやまないのは、「家族」という物語の引用のされ方であり、その物語を利用して人々を支配したり抑圧したり、丸め込んだり説得したりしている人間たちの心根とその手つきだ。そこのところをぜひ間違えないでほしい。 とはいえ、必ず間違える人たちが現れることはわかっている。 この国には、「家族」に関して、自分の思い込みと少しでも違うものの言い方をされると、猛烈に腹を立てる人たちが思いのほかたくさん暮らしている。 だからこそ、どんなに陳腐な形であっても、「家族」の物語を利用する人々にとって、うちの国の社会はチョロいわけなのである。 岡本会見の炎上の焦げ跡がだらしなくくすぶっていた7月23日の未明、私はこんなツイートを書き込んだ。 《「家族」とか「兄弟」とか「仲間」とか「国民」とか「同志」とか、そういう「範囲を限った集合」を仮定しないと愛情を活性化できない人間は、結界の外の世界が目に入っていないわけで、それゆえ、その彼らの「家族愛」なり「愛国心」なりは、いともたやすく結界外の人間への敵対感情に転化する。0:29-2019年7月23日》 このツイートには、しばらくの間、主に賛同のリプライが寄せられていたのだが、どこかで引用なりRTされて以来なのか、翌日の夕方から後、にわかに反論や罵倒のリプが押し寄せる流れになった』、「私が不潔さを感じてやまないのは、「家族」という物語の引用のされ方であり、その物語を利用して人々を支配したり抑圧したり、丸め込んだり説得したりしている人間たちの心根とその手つきだ」、これまで気づかなかったが、言われてみれば、今後はその手に乗らないよう気を付ける必要がありそうだ。
・『で、24日の夜、補足のために以下の一連のツイートを当稿した。 《やたらと攻撃的なリプが来るんで補足しておく。オレは「範囲を限定せず、すべての人類に愛情を注ぐべきだ」と主張しているのではない。「家族、同国人にも愛せない人間はいるし、他人や異国人の中にも愛すべき人々はいる」と言っている。属性だの国籍だの血縁だのを愛情の条件にするのは違うぞ、と。1:58-2019年7月24日》 《個人的には、「家族なのだから愛し合わなければならない」「同じ会社の同僚なのだから団結せねばならない」「同じ民族なのだから理解し合えるはずだ」てな調子の思い込みは、ある臨界点を超えると、有害な圧力になると思っている。22:02-2019年7月24日》 《私が「家族」「結界」の話を持ち出したのは、吉本興業の会長が「うちの芸人たちは家族だと思っているから、いちいち契約書は交わさない」と言ったからだ。社員数人の家族経営ならいざしらず、売り上げ何百億の企業が、「家族」なんていう不合理かつ抑圧的な原理で運営されて良いはずがない。 22:08-2019年7月24日》 《年間売り上げ何百億円の大企業が、「家族」の美名のもと、契約書すら交わさずに所属タレントを使役している「不合理」さと「抑圧」を指摘したわけで、つまり「家族」が実際の「家族」の枠組からはみ出して、「擬制」として巨大な組織に適用される時、それは抑圧的な原理に変貌するということです。RT:@xxx『「家族」なんていう不合理かつ抑圧的な原理』って、世界の大半の人間は、何かしらの家族に属し、自らの家族を愛し、そのことについて疑問を感じずに生きてるんですけど、そういう人達に喧嘩を売っていると読み取っていいのかな、これは 8:12-2019年7月24日》 以上のツイートの流れを追えばわかっていただけると思うのだが、私は、「家族」への愛情や帰属意識そのものを攻撃したのではない。家族的なつながりの価値を否定しているのでもない。 私が一連のツイートを通じて強調しているのは、法に基づいたコンプライアンスを重視すべき企業が、「家族原理」を持ち出すことへの違和感だ。理由は、わざわざ説明するまでもないことなのだが、血縁上の文字通りの家族以外のメンバーを対象に拡張的に適用される家族原理は、多くの場合、不合理な支配隷従関係の温床となるからだ。具体的に言えば、安易に拡張適用された「家族」は、上位者による抑圧を正当化する内部的な桎梏として、下位者を集団に縛り付ける。そして、吉本「一家」の擬制は、世にあまたある「一家」を名乗るアウトロー集団がそうであるように、現代の企業としては論外の存在だ。もちろん、政府から補助金を受ける企業としては、さらにさらに論外だし、地方自治体の協力企業としても万国博覧会の看板を背負う会社としても、完全に資格を欠いている』、「安易に拡張適用された「家族」は、上位者による抑圧を正当化する内部的な桎梏として、下位者を集団に縛り付ける。そして、吉本「一家」の擬制は、世にあまたある「一家」を名乗るアウトロー集団がそうであるように、現代の企業としては論外の存在だ。もちろん、政府から補助金を受ける企業としては、さらにさらに論外だし、地方自治体の協力企業としても万国博覧会の看板を背負う会社としても、完全に資格を欠いている」、説得力溢れた主張だ。
・『私は、吉本興業には、もはや何も期待していない。 むしろ、吉本興業と取引している関係各方面の公的な組織や企業や人々が、今回の事態を受けて、どんな判断をするのかに注目している。 彼らがまったく判断を変えないのだとしたら、この国の社会は、たぶん、永遠に変わらないだろう。 私が今回、世間を騒がせている吉本興業関連の話題の中から、わざわざ「家族」の問題を切り出して主題に持ってくる判断を下したのは、自分のツイートへの反応をひと通り眺めた上で、あらゆる人間関係を「家族」のメタファーでしか考えられない人間が思いのほかたくさんいることに気づいたからだ。 あるタイプの人々は、「家族の物語」を軽視する発言にひどく腹を立てる。 というのも、彼らのアタマの中では、「家族的な価値」「拡大家族としての仲間のかけがえのなさ」「家族的原理の拡大の彼方にある国家という枠組みの快さ」みたいなストーリーが想定されているからだ。 彼らの妄想の中では、「家族の物語」が毀損されると、その家族の延長として想定されている「国家」までもが、崩壊の危機に瀕することになっている。 ついでに申せば、彼らの言う「家族」は、旧民法が規定していたところの「家」概念に基づく、封建家族そのままであり、現在の政権の閣僚(ほぼ全員が「日本会議」のメンバーと重複している)が、改憲を通じて再現しようとしている「家族」も、ほぼ同じシステムだったりする。 私自身は、自分のことを「家族」に限らず「集団」への帰属意識が薄いタイプの人間だと思っている。 それゆえ、「地域」「国家」「会社」「母校」といった、枠組みの大小はどうであれ「人間の集団」にはいつも距離を感じてきたし、「絆」「同志愛」「愛社精神」「チームスピリッツ」「愛国心」のような感情の強要には、時にあからさまな抵抗を示してきた。 こうした点を踏まえて、公平な言い方をするなら、私自身、自分が「家族」や、人間の集団に関して感じている警戒心を、ごく普通の感覚だと言い張ることはできないと思っている。 たぶん私の帰属意識は、特例に属する特殊な感覚なのだろう。 とはいえ、私のこの「特殊」な感覚が、それはそれとして尊重されるのでなければ、民主主義の社会は、長続きしないはずだ。 人間の集団は、常に同調できない人間を含んで運営されるべきものだ。 つい昨日、地上波民放の在京キー局5社が共同制作した「一緒にやろう2020」というプロジェクトの公式映像を見て、その気持ちの悪さにしばらく絶句したことを告白しておく。 来年のオリンピックが来るまで、この空気が続くのかと思うと、胸が苦しい。 あるいは来年以降もずっと続くのだろうか。 まあ、仕方がない。 先のことは考えないようにしよう』、「彼らの言う「家族」は、旧民法が規定していたところの「家」概念に基づく、封建家族そのままであり、現在の政権の閣僚(ほぼ全員が「日本会議」のメンバーと重複している)が、改憲を通じて再現しようとしている「家族」も、ほぼ同じシステムだったりする」、というのでは、ますます「家族」に騙されないようにする必要がありそうだ。
タグ:アナウンサー 日刊ゲンダイ 小林よしのり 日経ビジネスオンライン Newsweek日本版 小田嶋 隆 「闇営業」 (その3)(維新や安倍官邸とズブズブ…吉本興業「癒着と利権」の闇、デーブ・スペクター「吉本」「日本の芸能事務所」「テレビ局との癒着」を全て語る、小田嶋氏:家族という物語の不潔さ) 「維新や安倍官邸とズブズブ…吉本興業「癒着と利権」の闇」 コンプライアンス上の疑義がある吉本に対し、官民ファンドの「クールジャパン機構」から総額100億円もの公金が投入されることが問題視 維新の選挙には、吉本の芸人が応援に駆けつけるのが恒例になっている 安倍首相が吉本新喜劇の舞台に立ったのも、維新側のお膳立て 吉本と大阪市は2017年に包括連携協定を結んでいて、今では、吉本は維新のオフィシャルパートナーのような立場なんです 「クールジャパンパーク大阪」 実質的な“吉本劇場” 2025年の大阪万博も維新と吉本は二人三脚で進める。 吉本の狙いは、政治権力に寄り添い、エンタメ利権とカジノ利権を手中にすることなのか 吉本興業、維新、安倍官邸、万博、沖縄、カジノは一本の線でつながる そうやって仲間内に利権と税金を回す構図は、加計学園問題と同じです 吉本興業は、維新の会や安倍政権という権力者ともズブズブで、反社会勢力とも繋がる緩すぎる企業であり、そもそも「笑い」をやる者が、権力に媚びをうるような堕落を呈しているから、こんな事態になったのだ 「デーブ・スペクター「吉本」「日本の芸能事務所」「テレビ局との癒着」を全て語る」を 6000人もタレントを抱える芸能事務所というのは世界を見渡してもどこにもない お笑いの街で生まれたのが吉本だ。そういう意味ではとてもユニークな会社 下手でも事務所の力でテレビに出られる 養成所があり、お笑いや何かの芸を教えていて、そこを出ると大半は自動的に事務所に所属できてしまう バーターと言って、テレビ局からAというすごくいいタレントを使いたいと言われたら、Aを使うならBとCも使えという、抱き合わせをさせる 所属タレントが多過ぎるということが根本的な大問題 日本は素人から「育てる」ことが好き 素人芸、素人の段階でも受け入れてくれる アイドルを見て僕がいつも言っているのは、盆栽のようにゆっくりと育てていく楽しみがあると 企業だっていまだに新卒を雇う。アメリカは経験がない人を好まない なぜアイドルとか下手な人たちに抵抗がないかというのは、日本社会にそういうベースがあるからだ 日本の事務所は売れなくなったベテランには優しい アメリカの芸能界には労働組合もある 芸能事務所とテレビ局の癒着を生む「接待文化」 接待文化がある限り、事務所の意向が通るようになってしまう ランチかブレックファスト 日本のテレビ離れを止めるには今しかない 「家族という物語の不潔さ」 吉本興業をめぐる話題の背景には、テレビを愚劣な雑談箱に変貌させてしまったテレビ局と視聴者の共犯関係が介在 ヤンキー連中が得意とする下世話な仲間受けのイキった対話術を、大学出のテレビ業界人が、スタジオ活性化目的で利用してきたことの必然的な結果が、今回の一連の騒動であったのだ 「家族」 岡本社長が苦しまぎれに持ち出した「家族」という、あの手垢ベカベカの陳腐な物語は、あれまあびっくり、一定の効果を発揮している。 というのも、私自身はほとんどまったく説得されなかったものの、あの「家族」という言葉で納得した人々が一定数いたことは、どうやら事実だからだ。また、納得まではしなくても、「家族」という言葉に触れて以降、岡本社長や吉本に対して、感情をやわらげた人々は、さらに膨大な数にのぼる この種のウェットな問題が起こる度に、飽きもせずに召喚される「家族」という物語の不潔さだ 「家族」という文字面を見た瞬間に、すっかり大甘のオヤジになってしまう人々に目を醒ましてほしいと考えているからだ 理由は、誰もが誰かの家族である一方で、家族を利用する側の人間は、すべての人間を利用する邪悪さを備えているから 私が不潔さを感じてやまないのは、「家族」という物語の引用のされ方であり、その物語を利用して人々を支配したり抑圧したり、丸め込んだり説得したりしている人間たちの心根とその手つきだ 年間売り上げ何百億円の大企業が、「家族」の美名のもと、契約書すら交わさずに所属タレントを使役している「不合理」さと「抑圧」を指摘したわけで、つまり「家族」が実際の「家族」の枠組からはみ出して、「擬制」として巨大な組織に適用される時、それは抑圧的な原理に変貌する 安易に拡張適用された「家族」は、上位者による抑圧を正当化する内部的な桎梏として、下位者を集団に縛り付ける そして、吉本「一家」の擬制は、世にあまたある「一家」を名乗るアウトロー集団がそうであるように、現代の企業としては論外の存在だ もちろん、政府から補助金を受ける企業としては、さらにさらに論外だし、地方自治体の協力企業としても万国博覧会の看板を背負う会社としても、完全に資格を欠いている 彼らの言う「家族」は、旧民法が規定していたところの「家」概念に基づく、封建家族そのままであり、現在の政権の閣僚(ほぼ全員が「日本会議」のメンバーと重複している)が、改憲を通じて再現しようとしている「家族」も、ほぼ同じシステムだったりする
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日本のスポーツ界(その26)(競走馬156頭出走取り消し騒動 「巨額賠償金」の行方、「スポ根」を感動ドラマに仕立てる甲子園はブラック労働の生みの親だ、小田嶋氏:高校生の肘をサカナに旨い酒を飲む) [社会]

日本のスポーツ界については、6月14日に取上げた。今日は、(その26)(競走馬156頭出走取り消し騒動 「巨額賠償金」の行方、「スポ根」を感動ドラマに仕立てる甲子園はブラック労働の生みの親だ、小田嶋氏:高校生の肘をサカナに旨い酒を飲む)である。

先ずは、6月23日付けNEWSポストセブン「競走馬156頭出走取り消し騒動 「巨額賠償金」の行方」を紹介しよう。
https://www.news-postseven.com/archives/20190623_1397696.html
・『「目下、競馬界は大混乱で、調教師や厩舎関係者、騎手らが競走除外となった馬のオーナーへの謝罪に追われています。ただ、この件は調教師や騎手に責任はなく、全くおかしな話です」 そう憤るのは元JRAトップ騎手の藤田伸二氏だ。6月15日、JRAは日本農産工業が販売した飼料添加物(馬用サプリメント)「グリーンカル」から禁止薬物のテオブロミンが検出されたと発表。同日と翌16日に出走予定の競走馬のうち、同社の添加物を摂取した可能性のある156頭が競走除外になった。 競馬界ではこの前代未聞の騒動を巡り、“誰に責任があるのか?”で揺れている。 競走馬が口にする飼料などは、所定の機関で禁止薬物を含んでいないかの検査を受けなくてはならない。今回は昨年12月以降、未検査のものが流通したとして、15日の会見でJRAは「検査済みでないものが出回っていたのが一番の問題」と、販売元を批判した。 「販売元の日本農産工業は、商品の全量回収を進める一方、『定期的に薬物検査を実施している』と反論。認識が食い違っている』、「認識が食い違っている」のであれば、第三者委員会で究明すべきだろう。
・『同じ原材料と製造工程の『同一ロット』の製品なら検査は一度でいいという規程がある。今回の争点は問題の飼料添加物が、過去に検査を受けてOKだったものと『同一ロット』にあたるのかどうか。その定義を巡って両者が違った理解をしているようなのです」(競馬紙記者) 改めて両者に問うと、日本農産工業もJRAも「調査中で回答を差し控える」とした。 どちらの責任になるのか、当事者には重大な問題だ。 「急な競走除外で馬の調整が狂い、次のレースへの影響は避けられない。オーナーは補償を求めて声をあげることになる」(藤田氏) 影響を受けた競走馬が多いだけに、巨額賠償になりかねない。アトム市川船橋法律事務所の高橋裕樹弁護士がいう。 「現時点では販売元に損害賠償責任があるように思えますが、156頭の特別出走手当(全ての出走馬に交付される手当。重賞の場合、約43万円)だけで約6500万円。獲得できたかもしれない賞金についての補償まで認められれば、数億円単位の賠償になる」 “審議ランプ”は灯ったままだ』、「数億円単位の賠償」とは、大事になったものだ。

次に、ノンフィクションライターの窪田順生氏が8月1日付けダイヤモンド・オンラインに寄稿した「「スポ根」を感動ドラマに仕立てる甲子園はブラック労働の生みの親だ」を紹介しよう。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190801-00210468-diamond-soci&p=1
・『夏の高校野球予選で、肘に違和感を感じたエースの登板を回避した大船渡高校に抗議の電話が殺到した。相変わらず、「無理を押してでも頑張れ」という、根性信仰とでもいうべき異常な価値観が蔓延しているのだ。ブラック企業にもよく見られるこの「信仰」のせいで、今なお大勢の若者が心身を壊し、時に命まで落としているというのに』、「大船渡高校に抗議の電話が殺到」とは、ファンのクレージーさを如実に示している。
・『大船渡高校エースの登板回避で 抗議電話が殺到する事態に  ここまでクレイジーなことになってくると、もはや「熱闘甲子園」というより「発狂甲子園」とでも呼んだ方がいいのではないか――。 夏の高校野球岩手県予選で、県立大船渡高校のエース佐々木朗希投手が、肘の違和感を訴えていたので、監督が登板を回避したところ、球場では怒りの「ヤジ」が飛び、高校にも「なぜ投げさせなかった!」という抗議電話が250件以上も殺到。野球部関係者の「安全確保」のために、警察が出動する事態にまで発展したというのである。 クレーマーたちは野球賭博でもやっていたのかと困惑する方も多いだろうが、ご乱心ぶりはそれだけにとどまらない。「ご意見番」として知られる野球評論家の張本勲さんが、「サンデーモーニング」でこんな発言をしたのだ。 「苦しい時の投球を、体で覚えて大成した投手はいくらでもいる。楽させちゃダメ。スポーツ選手は」「けがを怖がったんじゃ、スポーツやめたほうがいいよ」 中学・高校で起きる事故の半分以上が運動部で起きており、その数は年間35万件にものぼる。その中の多くは、スポーツ科学の「か」の字も知らぬ、“ド根性監督・コーチ”が課したオーバーワークによる「人災」だということが、さまざまな調査で明らかになっている。国や自治体の「部活動ガイドライン」は、そんな昭和の価値観を引きずる“ド根性監督・コーチ”の暴走を防ぐ目的で生まれたのだ。 そういう今の学生スポーツの深刻な問題をまるっきり無視して、前途のある青少年に進んで「破滅」を促すような発言は、さすがにダルビッシュ有選手をはじめ、多くのプロアスリートから批判されている。スポーツを愛し、生涯の仕事としてキャリアを重ねる人たちからすれば、極めてノーマルな反応といえよう』、「中学・高校で起きる事故の半分以上が運動部で起きており、その数は年間35万件にものぼる。その中の多くは、スポーツ科学の「か」の字も知らぬ、“ド根性監督・コーチ”が課したオーバーワークによる「人災」」、ということで生まれた「部活動ガイドライン」も、張本勲氏は恐らく眼も通してないのだろう。
・『スポ根はブラック企業と とてもよく似ている  ただ、個人的にクレイジーだと思うのは、この騒動を受けてもなお、「張本発言」を強く支持する方たちが、世の中にはかなりいるということである。彼らの主張をまとめると、ざっとこんな感じだ。 +佐々木投手本人は絶対に投げたかったはずだから、本人の意志を尊重して投げさせてやるべきだった +甲子園出場を「夢」としてチームで頑張ってきたのだから、佐々木投手個人の将来より「完全燃焼」を優先すべき +公立は部員が少ないので、エースの負担が多くなるのはしょうがない これを見て勘のいい方は、もうお気づきだろう。一見すると、漫画の「巨人の星」や「キャプテン」で見られた昭和のスポ根的世界観のようだが、よくよくその言葉を噛み締めてみれば、ブラック企業の経営者やパワハラ上司たちが言っていることと丸かぶりなのだ。 これまで筆者は、死者を出すほどの過重労働が問題となった企業の経営者や、部下を心療内科送りにしたパワハラ上司の方たちと実際にお会いして、「言い分」を聞く機会がたびたびあったが、確かにこれと瓜二つの主張をよく耳にした。 例えば、過重労働で自殺者を出した企業の経営者は、「無理にやらせているわけではなく、帰れと言ってもみんな残業をする」とか「みんな自分の夢の実現のため、休日出勤や時間外労働をしている」なんて感じで熱弁をふるっていた。 とにかく苦しくなると、「本人の意志」とか「夢」という言葉を持ち出して、劣悪な環境やパワハラを正当化するあたりが、ブラック労働と「根性野球」の支持者は、怖いくらい似ているのだ。 なぜこうなってしまうのか。答えは簡単で「子ども」と「社会人」という違いはあるが、基本的に見ている世界、目指す理想が同じだからだ。白球を追いかける球児、祈る女子高生なんて爽やかイメージでチャラにしようとしているが、そこで行われている坊主強制・連帯責任・理不尽なシゴキ・先輩による後輩イジメなどハラスメントの数々は、ブラック企業とさほど変わらないのだ。 清く正しく美しい高校野球を侮辱するとは何事だ、と今すぐ編集部に抗議の電話をかけたくなる方も多いかもしれないが、その醜悪な現実を、これ以上ないほどわかりやすく世に知らしめた高校がある。 去年の夏、日本中から「感動をありがとう」の大合唱が起きた秋田県の金足農業高校だ』、「白球を追いかける球児、祈る女子高生なんて爽やかイメージでチャラにしようとしているが、そこで行われている坊主強制・連帯責任・理不尽なシゴキ・先輩による後輩イジメなどハラスメントの数々は、ブラック企業とさほど変わらないのだ」、冷徹な分析で、その通りだろう。
・『「自分の意思」で 破滅への道をひた走る  今年7月16日の秋田大会で足金農は敗れた。その試合後、チームを引っ張ってきた3年生の主将は涙ぐんで「正直、本当につらかった」と述べた。だが、これは高校生が「部活」という課外活動で経験する「つらさ」のレベルをはるかに超えたものだった。 《新チームとなってから、いつも周囲から「あの金足農の選手」と見られた。秋の県大会では準々決勝で敗退。冬の厳しい練習で追い込もう。そう意気込んだ矢先の今年1月、練習中に突然倒れて意識を失った。精神的な要因で手足などにまひが残るとされる「転換性障害」との診断。足が動かなくなり、車椅子生活が4カ月間続いた。》(朝日新聞2019年7月16日) 朝日新聞なので、部数激減を“甲子園ビジネス”でカバーしようとでもいうのか何やら感動ドラマっぽい話になっているが、これを社会人に置き換えてほしい。どうひいき目に見ても「ブラック企業」の犠牲者のエピソードではないか。 もちろん、この主将は誰かに強制されて厳しい練習をやっていたわけではないだろう。「自分の選んだ道」「自分の夢」として、甲子園を目指し過酷な練習をしていた。自分のために頑張り、自分のために歯を食いしばっているうちに、精神が追い詰められてしまったのだ。 ただ、それはブラック企業もまったく同じである。電通で「過労自殺」した女性社員をはじめとした、ブラック企業の犠牲者のほとんどは、自分の夢の実現のために、そのハードな職場環境へ自ら身を投じ、自らの意志で過重労働をしているうちに心と体を破壊した。しかし、そこには「お前が選んだんだから」と陰に陽に過度な頑張りを奨励する経営者や上司たちがいたはずだ。 要するに、「自分が選んだ道」や「自分の夢」という言葉を呪文のように繰り返すことで、若者を洗脳して精神的、肉体的に追い込んでいくという、いわゆる「やりがい搾取」というやつだ』、「やりがい搾取」とは言い得て妙だ。
・『破滅へと突き進む若者を 止めない大人たちの罪  高校野球で若者が壊れていくプロセスも、まったく同じである。みな自分の意志で無茶をする。肩が壊れるまで投げさせろと懇願する。熱中症になるまで自分を追い込む。 この「やりがい搾取」が恐ろしい悲劇しか招かないというのは、やはり金足農を見ればよくわかる。試合に敗れた数日後、地元紙にこんな記事が出ている。《金足農業高校の野球部関係者から、部員が練習後に体調不良になったと119番があった。市消防本部によると、6人が手足のしびれや頭痛など熱中症とみられる症状を訴え市内の病院に搬送された。》(秋田魁新報 2019年7月22日) 彼らの夏は終わった。しかし、秋の大会へ向けて、また自分たちを厳しく追い込んでいたのだろう。「この悔しさがバネになるんだ!」とか感動する人も多いかもしれないが、筆者はまったくそう思わない。 ブラック企業で、自分を追い込んで、追い込んで、しまいには心身を壊してしまう若者たちの姿が重なってしまうからである。 このように高校野球もブラック企業も本当に恐ろしいのは、未来のある若者たちが「みんなのため」と叫びながら、次々と「破滅」していくことなのだ。しかも、そういう愚かな行為を本来止めなくてはいけないはずの大人や上司が「よし!よく言った」「悔いのないように完全燃焼しろ!」なんて感じで後押しをする。これこそが、夏になるたび球児が熱中症でバタバタと倒れ、中には深刻な障害が残ったり命を落とす者が後を絶たない理由である。 だからこそ、涼しい季節の開催や球数制限などの「ルール」が必要なのだ。 ブラック企業問題を、経営者の「良心」や「自主性」に任せても絶対に解決ができないのと同じで、部活問題も、”ド根性監督・コーチ”が「科学的指導」に目覚めるのを待っていては、犠牲者が増えるだけだ。むしろ、少子化で公立の場合、野球部員の数が急速に減っていくので、「私立の強豪と張り合うには、向こう以上に厳しい練習をするしかない!」なんて感じで、よりハードな「根性原理主義」へ傾倒していく恐れがある』、「涼しい季節の開催や球数制限などの「ルール」が必要」、というのは大賛成だ。
・『まったく科学的でない 時代遅れの「根性信仰」  そのあたりは、筆者は適当なフィーリングで述べているのではない。6月7日に開催された「投手の障害予防に関する有識者会議」(第2回)の中でも、スポーツ整形外科医師の正富隆委員は、「全ての指導者の方がすばらしい指導者であれば、我々医者は球数制限なんて言わないと思います。残念ながら指導者に潰されている選手をたくさん診ているから、何とか球数制限で守ってやるしかない」と苦言を呈している。 こういう科学的な指摘を、日本高等学校野球連盟(高野連)も、その下にいる小学校・中学校の野球関係者も無視してきた。「根性こそが強くなるためには必要」という、信仰にも似た思い込みがあるからだ。 現在、ラグビーのイングランド代表チームを率いるエディ・ジョーンズ氏は、サントリーの監督時代、日本の部活文化を知るため、「スクール・ウォーズ」を3ヵ月かけて全部見たという。その時のことについて、「部活が危ない」(講談社)の著書・島沢優子氏がインタビューをしたところ、ジョーンズ氏はこう述べている。 「感想は…ジャスト・スチューピッド(Just stupid=バカバカしい)。戦時中とかではない。ほんの二十数年前に作られたドラマだということが信じられなかった」 そんなジョーンズ氏に、高校球児に肩が壊れてもいいから投げろという日本人が多いことについて尋ねたらどうか。きっと、こう言うのでないか。「狂っている」ーー。 いい加減にそろそろ、日本社会のあらゆる「狂気」の源泉に「部活」というものがあるという事実を、潔く認めるべきではないか』、説得力溢れた主張だ。「投手の障害予防に関する有識者会議」(第2回)でのスポーツ整形外科医師の正富隆委員の警告を無視する「高野連」や小学校・中学校の野球関係者の姿勢は、目を覚ますべきだろう。

第三に、コラムニストの小田嶋 隆氏が8月2日付け日経ビジネスオンラインに寄稿した「高校生の肘をサカナに旨い酒を飲む」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00116/00033/?P=1
・『毎年、この時期になると高校野球の話題を取り上げている気がしている。 しかも、毎度同じような立場(具体的には「高校生の苦行を見物するのは悪趣味だぞ」的な上から目線での決めつけ)から苦言を並べ立てる趣旨の原稿を書いている自覚がある。 読者の中には、オダジマが毎回繰り返し持ち出してくる甲子園関連記事に食傷している向きも少なくないはずだ。 「ああ、オダジマがまた高校野球にケチをつけている」「きらいなら黙ってればいいのに」「気に食わないコンテンツを無視できないのって、一種の病気だよな」「うん。不幸にして不毛な不治の病だと思う」 大筋において、私のイチャモンのつけ方がおとなげないことは、認めなければならない。 にもかかわらず、自分の言いざまがくだくだしいことを承知の上で、それでも私は口をはさまずにいられない。 困った性分だ。 この問題(←毎夏、甲子園大会が開催されるたびに表面化することになっている、わたくしたち日本人の度し難い思い込み)を、私は看過することができない。 なんとなれば、「無理をすることは美しい」「仮に頑張った結果が報われなくても、頑張ったことそのものに価値がある」「無理をした結果が悪い方向に転んだのだとしても、そんなことはたいした問題ではない。なにより大切なのは、若い人たちが無理を重ねたことを通じて、人間的に成長していくその過程なのだ」式の考え方と、その思想がもたらす「無理」によって成立している組織のあり方こそが、私の一生涯を通しての変わらぬ仮想敵であったからだ。 しかも、その戦いに、今年もまた私は敗北しつつある。 なんと残念ななりゆきであろうか。 われら21世紀の日本人は、いまだにインパールの延長戦を戦い続けている。そして、その自分たちの全国民を挙げての愚かな敗北の物語を、あろうことか、美しいと思い込んでいる。 私がどんなに口を酸っぱくして指摘しても、多数派の日本人は、自己犠牲の物語が大好きで、それゆえ、高校生たちが、理不尽な運命に苦しむ姿を、夏休みの娯楽として消費する習慣を決してあきらめようとしない。 経緯を振り返っておく。 2019年の7月25日、第101回全国高校野球選手権大会への出場を懸けた岩手大会決勝で、大船渡・国保陽平監督(32)が高校最速の163キロを記録したエースの佐々木朗希投手(3年)を起用せずに、敗退した。 国保監督が佐々木投手の連投を避けるべく決勝戦での登板を回避させた判断の是非について申し上げるなら、すでに結論は出ている。 あれは、どこからどう見ても正しい決断だった。 この点について議論の余地はない。むしろ、これほどまでに明白な論点に関して、いまだに議論がくすぶっていることを、われわれは恥じなければならない』、「われら21世紀の日本人は、いまだにインパールの延長戦を戦い続けている。そして、その自分たちの全国民を挙げての愚かな敗北の物語を、あろうことか、美しいと思い込んでいる。 私がどんなに口を酸っぱくして指摘しても、多数派の日本人は、自己犠牲の物語が大好きで、それゆえ、高校生たちが、理不尽な運命に苦しむ姿を、夏休みの娯楽として消費する習慣を決してあきらめようとしない」、というのは鋭い指摘だ。
・『当日の朝日新聞が興味深い記事を掲載している。 記者は、まず 《賛否はあるだろうが、選手を守るための判断なら、第三者が口を挟むべきではないと思う。》と、シンプルに断言している。 おっしゃる通りだと思う。私自身、この点に異論はない。 ただ、注意せねばならないのは、記者氏が、最初に掲げたこの結論を補強するために、以下のような論陣を張っている点だ。 《投球数制限を議論する中で、「毎日一緒にいる指導者に任せて欲しい」という現場の声をよく聞く。「だから投げさせて」と主張するなら、「だから投げさせない」という考え方もあって当然だ。指導者と選手がどう話し合い、どんな準備をしてきたか。それは当人たちにしか分からない。 投げさせた監督も、投げさせなかった監督も非難されるなら、厳格な投球数制限をするしかない。 甲子園という夢は破れたが、注目を浴びながら決勝まで勝ち上がった経験は、チームメートにとってもプラスになるだろう。この夏を総括し、次の目標へと切り替える作業も、現場に任せればいい。》 要約すれば、「どんな判断であれ、現場の決断を最大限に尊重すべきだ」というお話だ。 明快な主張だとは思うものの、一方において、この記事が、いかにも朝日新聞らしい論理展開に終始している点も指摘しておかなければならない。 なんとなれば、「部外者は当事者の判断に口をはさむべきではない」というこの理屈は、大会の主催者である朝日新聞社ならびに高野連の開催責任をテンから投げ出した物言いでもあるからだ。 実際、「現場で選手を見ている監督の判断(←投げさせるのであれ投げさせないのであれ)がすべてに優先されるべきだ」 と断言してしまったが最後、球数制限の導入や、大会日程の見直しをはじめとする春夏の甲子園大会の改革に関して進行しつつある議論は、すべて吹っ飛んでしまう。 私自身は、目先の勝利と選手の将来を天秤にかける過酷な判断を「現場」(具体的には「監督」)に丸投げしている主催者の無責任こそが、この問題の元凶であると考えている。 別の言い方をすれば、公式のルールなりレギュレーションを通じて連投規制なり球数制限なりを導入しない限り、この種の問題は毎年のように繰り返され、必ずや監督なり選手なりを重圧の中で苦しめるはずだということでもある。 甲子園の日程が狂気の沙汰であることははっきりしている。 というよりも、狂気は、甲子園以前の少年野球の段階で、すでに始まっているものなのかもしれない』、「目先の勝利と選手の将来を天秤にかける過酷な判断を「現場」(具体的には「監督」)に丸投げしている主催者の無責任こそが、この問題の元凶であると考えている」、というのはその通りだ。
・『NHKのNEWS WEBが《トミー・ジョン手術 4割が高校生以下 野球指導者の意識改革を》という見出しで、こんな記事を配信している。 なんでも、《群馬県館林市にある慶友整形外科病院は「トミー・ジョン手術」を行う国内でも有数の病院で、これまでプロ野球選手を含めおよそ1200件の手術を行っています。このうち、10年以上にわたって600件以上の手術を行ってきた古島弘三医師が、担当した患者を分析したところ、高校生以下の子どもがおよそ4割を占め、中には小学生もいたことが分かりました。》ということらしい。 なんといたましい話だ。 わたしたちは、子供たちの肘をサカナに旨い酒を飲んでいる。 さて、前置きが長くなった。 私が本当に言いたいのは、ここから先の話だ。 つまり、問題の本質は、大会日程の過酷さや、投手の肘への負担の大きさよりも、むしろその若者たちの負担や犠牲を「美しい」と思い込んでしまっているわれら日本人の美意識の異様さの中にあるはずだという主張を、私は、またしても蒸し返そうとしている次第なのだ。 2018年の10月、プレジデントオンラインに、元文部科学省の官僚で、現在は映画評論家として活躍している寺脇研氏が、 《監督の"打つな"を無視した野球少年の末路 上からの命令は「絶対」なのか》と題する記事を寄稿している。 私は、今回の問題をめぐる議論を眺めていて、この記事を思い出さずにおれなかった。 というのも、当初は佐々木投手を登板させることに関して 「甲子園出場というかけがえのない舞台の大切さ」「有望な投手が故障する可能性の恐ろしさ」「大会日程の過酷さ」「球数制限の是非」といったあたりで沸騰していたはずの議論が、 いつしか 「全体のために尽くす心の大切さ」「高校生が野球を野球たらしめている自己犠牲の精神から学ぶ人生の真実」みたいな「道徳」ないしは「美意識」の話に移行していく流れを、ネット上の様々な場所でいくつも目撃せねばならなかったからだ。 記事中で、寺脇氏は「星野君の二塁打」という道徳教材の中で称揚されている「ギセイの精神」について、 《「ギセイ」とわざわざ片仮名で書いたあたりに作者のわずかばかりの逡巡は匂うものの、戦争を反省し人権尊重をうたう日本国憲法が施行された直後に発表された作品とは思えない無神経さだ。 こんなセリフを、そのまま現在の教科書に使っていいはずはない。すでに「犠牲バント」という言葉が消え、単に「バント」あるいは「送りバント」と呼ばれるようになって久しい現代において、「犠牲の精神」がなければ社会へ出てもダメだと決め付けるようなもの言いは時代錯誤だ。ちなみに、もう1社の教科書では「犠牲」の部分は使われていない。この話をこんな形で道徳の教科書に使うのは不適切ではないだろうか。》と書いている。 同感だ』、「トミー・ジョン手術 4割が高校生以下」というのは痛ましい悲劇だ 。「当初は佐々木投手を登板させることに関して 「甲子園出場というかけがえのない舞台の大切さ」「有望な投手が故障する可能性の恐ろしさ」「大会日程の過酷さ」「球数制限の是非」といったあたりで沸騰していたはずの議論が、 いつしか 「全体のために尽くす心の大切さ」「高校生が野球を野球たらしめている自己犠牲の精神から学ぶ人生の真実」みたいな「道徳」ないしは「美意識」の話に移行していく流れを、ネット上の様々な場所でいくつも目撃せねばならなかったからだ」、というのは由々しいことだ。元文部科学省の官僚・・・寺脇研氏の主張ももっともだが、教科書検定では自らの意見を言えなかった事情も知りたいところだ。
・『が、現状を見るに、小学校の道徳教材の中で暗示される「ギセイ」の物語は、毎夏集中放送される甲子園球児の「青春残酷物語」を通じて、補強され、シンクロされ、具体化されている。 われわれは、ギセイの物語を美しいと思うべく条件づけられている。 目の肥えた野球ファンは、夏の甲子園大会が、エースピッチャーにとって過酷であるという程度のことは、十分に認識している。ただ、彼らは、同時に、夏の甲子園のグラウンド上で展開される一回性の魔法が「残酷だからこそ美しい」ということを、よく承知している人々でもある。 つまり、暑くて、苦しくて、将来有望な投手の肘や肩を台無しにするかもしれない危険をはらんでいるからこそ、観客であるわれわれは、その運命の残酷さに心を打たれるわけで、逆に言えば、グラウンド上の子供たちが、快適な気象条件と穏当な日程の中で、のびのびと野球を楽しんでいるのだとしたら、そんな「ヌルい」コンテンツを、われら高校野球ファンはわざわざ観戦したいとは思わないということだ。 こじつけだと思う人もあるだろうが、私は、道徳の教科書を制作している人々が「星野君の二塁打」を通じて現代の小学生に伝えようとしている精神は、今回の佐々木投手の登板回避をめぐる議論にも少なからぬ影響を与えていると思っている。 というよりも、そもそものはじめから、佐々木投手の登板回避をめぐる話題は、投手の肘がどうしたとか、大会の日程がハチのアタマであるとかいった些末な話ではなくて、そのものズバリ、「犠牲」の物語なのである。 類まれな才能が、美しい生贄として野球の神に捧げられなかったなりゆきを、残念に思っている人々が、たくさんいるからこそ、佐々木投手の話題は、いまだにくすぶり続けている、と、そういうふうに考えなければならない。 大船渡高校の監督が佐々木投手の登板回避を決断して試合に敗れた週の日曜日、TBS系列が午前中に放送している「サンデーモーニング」という番組の中で、野球評論家の張本勲氏が、監督の判断に「喝」を入れたことが話題になった。 番組の中で、張本氏は以下のように述べている。 「最近のスポーツ界で私はこれが一番残念だと思いましたよ。32歳の監督で若いから非常に苦労したと思いますがね、絶対に投げさせるべきなんですよ」「けがを怖がったんじゃ、スポーツやめたほうがいいよ。みんな宿命なんだから、スポーツ選手は」「(佐々木の)将来を考えたら投げさせたほうがいいに決まってるじゃない。苦しいときの投球を体で覚えてね、それから大成したピッチャーはいくらでもいるんだから。楽させちゃダメですよ。スポーツ選手は」 論評の言葉が見つからない。 最新のスポーツ医学がもたらすところの知見によれば、とか、そういうことをここで繰り返しても仕方がなかろう。 ただ、この場を借りて強調しておかなければならないのは、張本氏の主張は、素っ頓狂であるように見えて、あれはあれで、野球好きな日本人のど真ん中の感慨でもあるということだ。 重要なのは、張本氏に限らず、多くのスポーツファンが「チームのために」「勝利のために」自らの青春を捧げることを美しい行為であると考える美意識を共有していることだ。 肩がどうしたとか肘がどうしたというお話は、その「美意識」(←美しく「散る」若者の姿を見たいというわれら凡庸人の願望)を飾るスパイスであるに過ぎない』、「そもそものはじめから、佐々木投手の登板回避をめぐる話題は、投手の肘がどうしたとか、大会の日程がハチのアタマであるとかいった些末な話ではなくて、そのものズバリ、「犠牲」の物語なのである。 類まれな才能が、美しい生贄として野球の神に捧げられなかったなりゆきを、残念に思っている人々が、たくさんいるからこそ、佐々木投手の話題は、いまだにくすぶり続けている」、「重要なのは、張本氏に限らず、多くのスポーツファンが「チームのために」「勝利のために」自らの青春を捧げることを美しい行為であると考える美意識を共有していることだ」、などは本質を突いた鋭い指摘だ。
・『われわれは、自己犠牲の物語を美しいと感じるように育てられている。 ついでに言えばだが、その美意識は、現政権が現行憲法を改正する上での最も重要な動機になってもいる。 自民党が公表している改正案の中では、日本国憲法の中にある「個人」という言葉が、すべて「人」に書き換えられることになっている。 要するに、新しい憲法草案の中では、われら国民は、一個の個人である前に、「国家」なり「公」の一構成要素であると考えられているわけだ。 最後に余計なことを言ったかもしれない。 が、私もまた、犠牲者としてリストアップされている人間の一人である以上、言うべきことは言っておかなければならない。 ベースボールは、アメリカで誕生した時点では、進塁と得点を競うシンプルなゲームだった。 それが、地球の裏側のわが国に渡来して「野球」という言葉に翻訳されると、いつしかそれは「犠牲バント」と「敬遠四球」によって実現されるインパールな敗北を愛でる暗鬱な儀式に変貌した。 星野君の二塁打は祝福されない。 勝利に貢献しなかったからではない。 全体に同調しなかったからだ。 同じ文脈において、国保監督の判断は、称賛はされても祝福はされない。 敗北したからではない。 国民の気分に同調しなかったからだ。 いやな結論になった。 毎年、この季節はいやな原稿を書いている。 私は世の勤め人の夏休みを呪っているのかもしれない。 この底意地の悪い原稿を読み終わったら、夏休みを楽しんでいる皆さんは、どうかゆったりとした気持ちを取り戻してください。ごめいわくをおかけしました』、「われわれは、自己犠牲の物語を美しいと感じるように育てられている。 ついでに言えばだが、その美意識は、現政権が現行憲法を改正する上での最も重要な動機になってもいる。 自民党が公表している改正案の中では、日本国憲法の中にある「個人」という言葉が、すべて「人」に書き換えられることになっている。 要するに、新しい憲法草案の中では、われら国民は、一個の個人である前に、「国家」なり「公」の一構成要素であると考えられているわけだ」、この問題が憲法改正にまでつながっているとは、改めて驚かされた。「ベースボールは、アメリカで誕生した時点では、進塁と得点を競うシンプルなゲームだった。 それが、地球の裏側のわが国に渡来して「野球」という言葉に翻訳されると、いつしかそれは「犠牲バント」と「敬遠四球」によって実現されるインパールな敗北を愛でる暗鬱な儀式に変貌した」、個々人としては、政府やマスコミに惑われずに、同調圧力に抗して自分なりに考えるようにしていきたい。
タグ:日経ビジネスオンライン ダイヤモンド・オンライン 窪田順生 Newsポストセブン 日本のスポーツ界 小田嶋 隆 (その26)(競走馬156頭出走取り消し騒動 「巨額賠償金」の行方、「スポ根」を感動ドラマに仕立てる甲子園はブラック労働の生みの親だ、小田嶋氏:高校生の肘をサカナに旨い酒を飲む) 「競走馬156頭出走取り消し騒動 「巨額賠償金」の行方」 JRAは日本農産工業が販売した飼料添加物(馬用サプリメント)「グリーンカル」から禁止薬物のテオブロミンが検出されたと発表 同社の添加物を摂取した可能性のある156頭が競走除外になった 認識が食い違っている 賞金についての補償まで認められれば、数億円単位の賠償になる 「「スポ根」を感動ドラマに仕立てる甲子園はブラック労働の生みの親だ」 大船渡高校エースの登板回避で 抗議電話が殺到する事態に 大船渡高校に抗議の電話が殺到 野球評論家の張本勲 「苦しい時の投球を、体で覚えて大成した投手はいくらでもいる。楽させちゃダメ。スポーツ選手は」「けがを怖がったんじゃ、スポーツやめたほうがいいよ」 中学・高校で起きる事故の半分以上が運動部で起きており、その数は年間35万件にものぼる その中の多くは、スポーツ科学の「か」の字も知らぬ、“ド根性監督・コーチ”が課したオーバーワークによる「人災」だということが、さまざまな調査で明らかに スポ根はブラック企業と とてもよく似ている とにかく苦しくなると、「本人の意志」とか「夢」という言葉を持ち出して、劣悪な環境やパワハラを正当化するあたりが、ブラック労働と「根性野球」の支持者は、怖いくらい似ているのだ 白球を追いかける球児、祈る女子高生なんて爽やかイメージでチャラにしようとしているが、そこで行われている坊主強制・連帯責任・理不尽なシゴキ・先輩による後輩イジメなどハラスメントの数々は、ブラック企業とさほど変わらないのだ 「自分の意思」で 破滅への道をひた走る 「自分が選んだ道」や「自分の夢」という言葉を呪文のように繰り返すことで、若者を洗脳して精神的、肉体的に追い込んでいくという、いわゆる「やりがい搾取」というやつだ 破滅へと突き進む若者を 止めない大人たちの罪 涼しい季節の開催や球数制限などの「ルール」が必要 まったく科学的でない 時代遅れの「根性信仰」 「投手の障害予防に関する有識者会議」 スポーツ整形外科医師の正富隆委員 「全ての指導者の方がすばらしい指導者であれば、我々医者は球数制限なんて言わないと思います。残念ながら指導者に潰されている選手をたくさん診ているから、何とか球数制限で守ってやるしかない」と苦言 「高校生の肘をサカナに旨い酒を飲む」 若い人たちが無理を重ねたことを通じて、人間的に成長していくその過程なのだ」式の考え方と、その思想がもたらす「無理」によって成立している組織のあり方こそが、私の一生涯を通しての変わらぬ仮想敵 われら21世紀の日本人は、いまだにインパールの延長戦を戦い続けている。そして、その自分たちの全国民を挙げての愚かな敗北の物語を、あろうことか、美しいと思い込んでいる。 私がどんなに口を酸っぱくして指摘しても、多数派の日本人は、自己犠牲の物語が大好きで、それゆえ、高校生たちが、理不尽な運命に苦しむ姿を、夏休みの娯楽として消費する習慣を決してあきらめようとしない 「部外者は当事者の判断に口をはさむべきではない」というこの理屈は、大会の主催者である朝日新聞社ならびに高野連の開催責任をテンから投げ出した物言い 目先の勝利と選手の将来を天秤にかける過酷な判断を「現場」(具体的には「監督」)に丸投げしている主催者の無責任こそが、この問題の元凶 NHKのNEWS WEB トミー・ジョン手術 4割が高校生以下 野球指導者の意識改革を 問題の本質は、大会日程の過酷さや、投手の肘への負担の大きさよりも、むしろその若者たちの負担や犠牲を「美しい」と思い込んでしまっているわれら日本人の美意識の異様さの中にある 「全体のために尽くす心の大切さ」「高校生が野球を野球たらしめている自己犠牲の精神から学ぶ人生の真実」みたいな「道徳」ないしは「美意識」の話に移行していく流れを、ネット上の様々な場所でいくつも目撃せねばならなかったからだ 元文部科学省の官僚で、現在は映画評論家として活躍している寺脇研氏 戦争を反省し人権尊重をうたう日本国憲法が施行された直後に発表された作品とは思えない無神経さだ。 こんなセリフを、そのまま現在の教科書に使っていいはずはない 佐々木投手の登板回避をめぐる話題は、投手の肘がどうしたとか、大会の日程がハチのアタマであるとかいった些末な話ではなくて、そのものズバリ、「犠牲」の物語なのである。 類まれな才能が、美しい生贄として野球の神に捧げられなかったなりゆきを、残念に思っている人々が、たくさんいるからこそ、佐々木投手の話題は、いまだにくすぶり続けている 重要なのは、張本氏に限らず、多くのスポーツファンが「チームのために」「勝利のために」自らの青春を捧げることを美しい行為であると考える美意識を共有していることだ 自己犠牲の物語を美しいと感じるように育てられている その美意識は、現政権が現行憲法を改正する上での最も重要な動機になってもいる 自民党が公表している改正案の中では、日本国憲法の中にある「個人」という言葉が、すべて「人」に書き換えられることになっている。 要するに、新しい憲法草案の中では、われら国民は、一個の個人である前に、「国家」なり「公」の一構成要素であると考えられているわけだ
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東京オリンピック(五輪)予算膨張以外(その8)(大前研一氏 東京五輪後に残るのは不要なインフラと巨大施設だけ、もう東京五輪に間に合わない 大手メディアが報じないサブトラック建設未着工と利権の闇=山岡俊介、選手村マンション「晴海フラッグ」に渦巻く賛否 モデルルーム潜入!本当の価格とリスクは?、東京五輪450万円ツアーを吟味してわかった 組織委の「ダフ屋化」) [社会]

東京オリンピック(五輪)予算膨張以外については、2月1日に取上げた。今日は、(その8)(大前研一氏 東京五輪後に残るのは不要なインフラと巨大施設だけ、もう東京五輪に間に合わない 大手メディアが報じないサブトラック建設未着工と利権の闇=山岡俊介、選手村マンション「晴海フラッグ」に渦巻く賛否 モデルルーム潜入!本当の価格とリスクは?、東京五輪450万円ツアーを吟味してわかった 組織委の「ダフ屋化」)である。

先ずは、1月22日付けマネーポストWEB「大前研一氏、東京五輪後に残るのは不要なインフラと巨大施設だけ」を紹介しよう。
https://www.moneypost.jp/475336
・『文字通りの「新しい時代」が幕を開ける2019年。それに相応しい国づくり、人づくりが必要なことは言を俟たない。ところが現実は、五輪や万博など、一瞬の打ち上げ花火で終わるような「イベント頼み」経済が続くばかりだ。大前研一氏が、2020年の東京五輪について展望を述べる。 大阪万博の開催が決定し、政財界が沸いている。2020年の東京五輪から2025年の大阪万博への流れは、1964年の東京五輪から1970年の大阪万博という半世紀前のデジャブ(既視感)であり、皆がそれに象徴される「高度成長期」の再来を夢見ているかのようだ。 周知の通り、日本経済は1950年代後半から1970年代前半にかけて飛躍的に成長した。その間に東京五輪や大阪万博などによる“特需”があり、「神武景気」「岩戸景気」「いざなぎ景気」などが次々に起こり、やがて日本は世界第2位の経済大国になった。 「その夢よ、もう一度」とばかりに政府、東京都、大阪府は算盤を弾いているわけだが、2020年東京五輪と2025年大阪万博は“捕らぬ狸の皮算用”に終わり、後に残るものは何もないだろう。 東京五輪は、もともとできるだけ既存の施設を活用して新しいハコモノを造らず、コストをかけない「コンパクト五輪」がコンセプトだったはずである。ところが、会計検査院は2017年度までの5年間に国が支出した関連経費が約8011億円に上ったことを明らかにした。2018年度以降も多額の支出が見込まれるため、大会組織委員会と東京都が見込んでいる事業費計2兆100億円を合わせると、経費の総額は3兆円以上に膨らむ可能性が高くなっている。まさに“青天井”だ』、「コンパクト五輪」はどこへ行ってしまったのだろう。
・『しかし、どれだけ莫大なコストをかけたところで、しょせん東京五輪は広告代理店やゼネコンなどが儲けるだけの「禿山の一夜」(*注)に終わるだろう。 【*注:モデスト・ムソルグスキー作曲の管弦楽曲。「聖ヨハネ祭前夜、禿山に地霊チェルノボグが現れ手下の魔物や幽霊、精霊達と大騒ぎするが、夜明けとともに消え去っていく」というロシアの民話を元に作られた】 たとえば、メインスタジアムとなる新国立競技場は、五輪が真夏に開催されるのに、予算をケチったせいで屋根も冷房もないという理解不能な代物だ。あるいは、江東区青海の東京港中央防波堤内側および外側埋立地間の水路に新しく整備されるボート・カヌーの「海の森水上競技場」などは、大会後も有効利用されるとは思えない』、「新国立競技場」の大会後の活用は、「屋根も冷房もない」のではかなり制限されるだろうし、「海の森水上競技場」も「大会後も有効利用されるとは思えない」のであれば、マイナスのレガシーだけが残ってしまうようだ。
・『一方、2028年のロサンゼルス五輪は、公費を1セントも使わない計画だ。閉会式が終わったら不要になるような新しい競技施設は造らず、1932年と1984年の五輪でもメイン会場になったロサンゼルス・メモリアル・コロシアムをはじめ、プロスポーツチームのスタジアムや大学の体育施設など既存のインフラを活用する予定なのだ。 選手や観客の移動手段には、すでにプロジェクトが進行している大量輸送システムを利用するという(ライトレールなど公共交通網の整備・拡張を五輪を利用して実現しようとしている)。また、必要最低限の新しい施設については、民間からアイデアを募集し、最も優れたものを採用して任せる。つまり、その経費を民間資金だけで賄うわけだ。 こうした工夫によって、計画通りにいけば4億~5億ドルの黒字で大会を終えることができるとみられている。実際、ロサンゼルスは過去2回の五輪でも黒字を出した実績がある。 東京五輪の場合は、国、大会組織委員会、東京都がそれぞれいくら負担してどうのこうのとやっているが、公費(税金)を使う時点で最初から歪んでいるのだ。したがって、東京五輪は短い宴が終わったら、残るのは不要な巨大施設や利用者の少ない交通インフラと、国民にツケが回る大赤字だけだろう』、本来は、「社会の木鐸」なるべき日本のマスコミも、東京五輪の公式スポンサーになっているだけに、批判的記事が殆ど出てこないのは残念なことだ。

次に、2月28日付けMONEY VOICE「もう東京五輪に間に合わない。大手メディアが報じないサブトラック建設未着工と利権の闇=山岡俊介」を紹介しよう。
https://www.mag2.com/p/money/644107
・『本紙では昨年7月28日、東京五輪に必須の「サブトラック」建設が間に合わない可能性について報じた。開催を1年半後に控えた今、なんと未だ工事未着工だという。(『アクセスジャーナル・メルマガ版』山岡俊介) ※本記事は有料メルマガ『アクセスジャーナル・メルマガ版』2019年2月18日号の一部抜粋です。ご興味をお持ちの方はぜひこの機会にバックナンバー含め今月分すべて無料のお試し購読をどうぞ』、どういうことなのだろう。
・『関係者は間に合わなくてもいいと思っている?工事が進まないワケ 工事予定の看板すら立っていない(本紙では昨年7月28日、「東京五輪の足を引っ張る利権の闇。大手メディアが報じないサブトラック問題」というタイトル記事を報じている。 それからさらに半年が経過。東京五輪までは残すところ、さらに1年半まで迫った。 だが、本紙は1月30日、そのサブトラック建設予定地(仮設)である明治神宮外苑の軟式野球場を見て来たが、未だ工事未着工どころか、とっくに入札が終わっているのに工事予定を示す看板さえ立っていなかった。 前回記事で予定として指摘しておいたが、昨年9月28日、この陸上競技会に必須のサブトラックの工事も含まれているという「仮設オーバーレイ整備業務」の入札は行われているのにだ』、ますます分からなくなってきた。
・『もう間に合わないのに、なぜ大手メディアは報じない?  何しろ、サブトラックが規定にあっているかどうかの事前検査など考慮すれば、開催1年前には完成してないといけないとの関係者の指摘もあるのだ。 それならもう半年しか猶予はないが、先の関係者はこの手の工事には8カ月は要するとも。 では、間に合わないではないか。むろん、サブトラックがなければ実質オリンピックは開催できない。それだけの問題なのに、このサブトラックの件を大手マスコミが取り上げないのもおかしな話だ。 しかも、「公益財団法人東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会」のホームページを覗くと、この入札結果が出たのはこの2月1日。 なぜ、こんなに発表までに時間がかかったのか?他の発表では入札から10日ほど、また契約金額を明らかにしているケースもあるが、こちらの場合は金額も公表していない。 そして、明らかにされた契約者(落札者)は建設会社ではなく、意外とも思える電通100%のイベント専業子会社「電通ライブ」(ただし各種建設業の許可などは取っている)。 そんな状況のなか、ところが、「たとえ工事が間に合わなくても心配には及ばない」との声も。いったい、どういうことなのか?』、なにやら実質的な裏取引がありそうだ。
・『新国立競技場、「球技専用」のルールは白紙になる?  前回記事でも述べたことだが、東京五輪の会場となる神宮外苑地区周辺は、同地の最大地権者としての(宗)明治神宮、そしてサッカー、ラグビー、陸上競技関係者などが、五輪後の利用も含めて、水面下では利権争いをしている。 こうしたなか、少なくとも現状では、以下のような方向性が有力になって来ているというのだ。 そして、その争いにおいて、本紙の昨年7月28日の記事以降の出来事として、昨年9月、今年開催されるラグビーワールドカップ(W杯)日本大会の名誉総裁に、秋篠宮様が就任したことが大きいという。 神宮外苑にはわが国ラグビーの聖地・秩父宮ラグビー場がある。だが、老朽化が目立つなか、20年代後半までに、同じく神宮外苑内にある神宮第二球場を解体しその跡地に新たなラグビー場を建設するとの報道もある。しかし、新国立競技場を東京五輪後、サッカーなどの「球技専用」とすることが決まるなか、同じ球技のラグビー場建設は“二重投資”だとしてラグビー場新設に反対する声もある。 だが、「秋篠宮様総裁就任で、これまでの秩父宮様の貢献も含め、実質、ラグビー球場=皇室案件となり、ラグビー場廃止はなくなった」(事情通)というわけだ。 そうすると、なおさら新国立競技場を「球技専用」とすることは批判を招く。 「サッカーの聖地・英国ウェンブリー・スタジアムさえランニングコストに苦しんで米国人実業家に売却話が出るほど(中止に)。まして、6万8,000人収用(東京五輪では8万人規模)の新国立競技場では、ハコが出来過ぎて球技専用では大赤字必至。それなら、陸上競技の聖地としていままで通り残すのがいい」ということで白紙撤回になる可能性が高いとの見方が出て来ている』、こんな重要なことが、「利権争い」のなかで未定のまま、というのは信じられないようなことだ。
・『「なぜサブトラック建設が進まないのか?」の答え  その1つの根拠となるというのが、渋谷区長が昨年11月1日、「NIKKEI STYLE」のインタビューを受け、代々木公園に3万人規模のサッカー場建設構想を言い出したことだ。 そして、その建設地として代々木公園のなかでも陸上競技場のある織田フィールドや、その隣のサッカー・ホッケー場を挙げている。 「なぜ、もう時間がないのに軟式野球場でのサブトラック建設が進まないのか? 実はいざとなったら、代々木公園の織田フィールドを使えばいいというのです。既存の陸上競技場を改修するだけなので、いまから着工でも十分間に合う」(別の事情通) 区長のサッカー場建設構想は五輪後のことだから問題ない。 「秩父宮ラグビー場の解体後、代わりに神宮第二球場を解体して跡地に新設する案があるが、そもそも神宮第二球場の面積ではラグビー場建設には足りない。ですから、織田フィールドの機能をこの第二球場に移し、ここをサブトラックの常設場とする。代わりに、ラグビー場は現在の神宮球場跡地に建設。そして、いまの神宮球場は、秩父宮ラグビー場跡地と同じく、明治神宮所有の外苑青山駐車場、外苑テニスコートの一部を併せれば4.6ヘクタールになり、甲子園球場が3.8ヘクタールですから、そこに新神宮球場を建設すれば、すべてが丸く収まるというわけです」(同)』、やれやれ、関係者の思惑がここまでこじれているとは、驚く他ない。
・『大地主「明治神宮」にとっても美味しい話がある?  もっとも、前回記事でも触れたように、サブトラック問題がここまでこじれてしまったのは、この神宮外苑一帯の大地主である明治神宮に対し、東京都、それに新国立競技場の建設主である「日本スポーツ振興センター」(JSC)が同地利用に関して話し合いを持たず、礼を失したため、明治神宮が激怒。そのためサブトラックの場所を巡り揉め、やっと軟式野球場に決まったものの常設はダメとなり仮設に。その後も水面化でゴタゴタがあり、建設が遅れているとの見方もある。 その明治神宮が先のような建設計画を仮に持って行ったとして、果たして認めるのか。 「それについては、新神宮球場を建設した残りの土地を有効活用するなど、明治神宮にとっても美味しい話が水面化で進められているようですから」 すでに今年秋オープンを目指し、神宮外苑地区の北側では「神宮外苑ホテル」の建設が行われている。 これは明治神宮が「三井不動産」に土地を貸した結果で、同地は風致地区として厳しい高さ制限が設けられて来たが、東京都が地区計画を見直した結果、高さ50m、13建てのこのホテルが森林の中からぬっと顔を出すことになった。 周辺住民からは「金儲け主義!」と反対の声も上がっていたわけで、他にもこの地区では複数の高層ビル計画が進んでおり、明治神宮とて別に利権を拒んでいるわけではない。 今後、この見立て通り進むのか要注目だ』、「東京都が地区計画を見直した結果」、というのは予め予定されていたに違いない。神宮外苑の「風致地区」の景観が台無しになるとすれば、これも五輪のマイナスのレガシーになるのだろう。

第三に、5月14日付け東洋経済オンライン「選手村マンション「晴海フラッグ」に渦巻く賛否 モデルルーム潜入!本当の価格とリスクは?」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/280843
・『2020年に開催される東京オリンピックの選手宿泊施設「選手村」の建設が今、東京都中央区晴海で進んでいる。跡地は巨大なマンション街となって一般に販売される計画だが、その値段については、これまでさまざまな噂が業界で立ち上がっては消えてきた。周辺相場よりも大幅に安く売りさばくに違いない、という声。一方で、周辺相場とほとんど価格差はないだろう、という声もあった。 価格が話題になってきたのは、首都圏のマンション市場に与える影響が大きいからだ。大会中に選手村として使われた後、内部をリフォームして新築として売る中層マンション17棟に加え、大会終了後にタワーマンション2棟を新設する。その総分譲戸数は何と4145戸。過去最大級の民間分譲マンションでも2100戸程度だった。今回は倍近い規模になる。 この「晴海フラッグ」と称される、史上最大の分譲マンションプロジェクト。三井不動産レジデンシャルや三菱地所レジデンス、野村不動産、住友不動産など大手デベロッパー10社が勢ぞろいして開発と販売にあたるのも、異例のことだ(施行者は東京都)。価格設定いかんでは周辺相場に影響を与えてもおかしくない。 モデルルームは4月27日から公開し、物件の申し込みも今夏から始める。しかしながら、4月23日に開かれた記者向けの事業説明会では、「正式には調整中で決まっていない」ことを理由に、「5000万円台~1億円以上」と大ざっぱな価格帯を公表するのみだった。警戒心からか、残念なことに、マスコミ向けに販売価格を公にするつもりはないようだった』、「総分譲戸数は何と4145戸」、とは本当に大規模だ。
・『GW中は1200組が来訪、若い家族層がメイン  しかし、完全予約制で開催される購入希望者向けのモデルルーム案内会では、“参考値”として価格が知らされるという。そこで今回、モデルルームにお客として出向き、詳細を調べてみた。 ゴールデンウィーク(GW)最中の晴海。あちらこちらに建設中のクレーンがそびえ立つ、そのコンクリート街がひときわ熱気を放っていたのは、一足早く夏の日差しが照りつけていたせいだけではない。若い夫婦、年をとった夫婦、小さい子どもを連れた家族――。人々が次々と原色で彩色されたモデルルームに吸い込まれていく。 GW中の来場者は1200組超に達し、案内会の入場枠は6月末までいっぱいだという。記者が参加した日は、若い夫婦が参加者の多数派を占めていた。うち1組の夫婦は、女性が初夏らしいオレンジのワンピースにトートバック、男性は清潔感ある水色のシャツにデニムの装いで、生まれたばかりの子どもを連れていた。リタイア後と思えるシニアの夫婦も少数いた。モデルルーム内に設けている託児部屋は早朝から満杯となっていたのである。 担当営業員による物件概要の説明、紹介映像の視聴、モデルルームの内見、といった新築分譲マンションにはつきものとなっている一連の“儀式”を終える。すると営業員は、「いよいよお待ちかねの……」と前置きして、価格帯と販売住戸についての具体的な説明に入った。 4145戸の晴海フラッグの住戸のうち、初回の販売では、南側街区(SEA VILLAGE)5棟中3棟、南西側街区(PARK VILLAGE)7棟中4棟が対象になる。住戸数に換算すれば、700戸弱が第一期の販売対象になる。 南側街区3棟は、3LDK(85~96㎡)で7000万円台後半から8000万円台後半、4LDK(95~127㎡)で8000万円台後半から1億3000万円の幅だった。南西側街区4棟は、3LDK(75~92㎡)で6000万円台前半から1億1000万円、4LDK(87~106㎡)で6000万円台前半から1億3000万円、という価格帯だった。 平均坪単価はおよそ302万円という計算となり、近隣で分譲中のマンションと比べて平均的には割安感がある。住友不動産が販売中のタワーマンション「ドゥ・トゥール」で平均坪単価366万円、「ベイサイドタワー晴海」で坪単価396万円、三井不動産の「パークタワー晴海」も坪単価344万円となっている』、「平均坪単価」には確かに「割安感」がありそうだ。
・『坪302万円は割安だが、物件ごとに価格差も大  ただし実際は、個々の物件ごとに大きな価格差がある。ベランダから東京湾とレインボーブリッジが一望できる南西側街区の14階建てA棟は、晴海フラッグの中でも特等席という位置づけだ。価格帯は「億ション」がズラリと並び、低くて9100万円からの価格設定だった。他方、「この部屋は安すぎて予約が殺到しそうだ」と営業員が指し示したのが、南西側街区C棟にある4LDK(87㎡)の部屋である。ベランダから海が望めない分、東京都中央区では破格の6400万円に設定している。 終わり際、値引きの可能性があるかを訪ねてみると、営業員は「ありません」と即答した。「まだ案内を始めたばかりで、実際の引き合いはわからない」としつつも、売れ行きに自信を持っている様子がうかがえた。 モデルルーム訪問を終えて帰途につく顧客に感想を訪ねてみた。 小さい子どもを1人連れた30代の若い夫婦は「総じて期待以上だった」との感想。「いちばんの魅力は物件価格。このあたりの新築では安い、坪単価270万円前後の物件もけっこうあり、購入の本命度は高い」と打ち明ける。現在は豊洲の2LDKのマンションに住んでいるが、もう1人子どもを作ることを考えると手狭なため、住み替えを検討している。マイナス要素としては、最寄りの勝どき駅から徒歩20分かかることを挙げた。「私たちは共働きなので、この駅距離はきつい。BRT(バス高速輸送システム)が通るようだが、本当に輸送力として足りるのかどうか」。 駅からの距離を意に介さないという人もいる。1人で来ていた、背が高くいかにも外資系勤務といった風貌の20代後半男性は、「自分は自転車通勤するのでネックとは感じていない。今もこの近辺の自宅から会社に自転車通勤している」と説明する。それよりも、エネファーム(家庭用燃料電池)を全住戸に採用するなど、最先端技術をふんだんに採用している点に関心を持ったという。 しかし、駅からの距離は、物件の資産価値(再販価値)を左右する重要な要素である。著名マンションブログの「マンションマニア」管理人で、マンション購入相談にものる星直人氏は、晴海フラッグについて「資産価値?なにそれ?おいしいの?こんくらいの気持ちでないと」と、Twitter上で言及した。取材に対して星氏は、大暴落するほどの不安はないものの、駅から距離があるなどで将来の資産価値については、都心物件であっても楽観視できないという。 東京都中央区月島からモデルルームの見学に来た30代後半の夫婦もこう語った。「晴海フラッグは住戸数が非常に多いため、需給のバランスも安定しにくいだろう。将来の資産性には目をつぶって、新しく生まれる大きな街にずっと暮らし続けるぐらいの意志がないと厳しい」』、触れられてないリスクとしては、埋め立て地特有の「液状化リスク」もあるだろう。
・『「資産価値を維持できるのか」に不安の声も  物件価格は割安だが、維持コストが高い難点も見逃せない。 最先端の設備や防犯システム、51の共用ルーム、豊かな植栽というメリットを享受する対価として、住民は平均して月4万円前後の維持費(管理費、修繕積立金など)を払う。晴海フラッグのポピュラーな部屋である85㎡3LDKでいえば、管理費で月2万5000円、修繕積立金で月1万1000円、加えてインターネット使用料やタウンマネジメント費などが月3000円かかってくる。 駅徒歩20分にもかかわらず、駐車場容量の少なさにも不満の声が挙がる。駐車場台数は1900台程度であり、分譲住戸数4145戸に対する駐車場台数の比率(駐車場設置率)は約45%。これを上回る利用者がいた場合は抽選になり、仮に漏れれば駐車場を使えない。 銀座の目と鼻の先に割安な物件が手に入るプラスの要素の反面、駅からの遠い距離と資産性の弱さ、維持費の高さなどマイナス要素もまた浮かび上がった。不動産市場の活況に陰りが見える中で、ますますシビアになった消費者は、世紀の出ものにどう反応するのか。未曾有の物件の真価はこれから明らかになる』、大いに見物だ。

第四に、作家・スポーツライターの小林信也氏が7月28日付けダイヤモンド・オンラインに寄稿した「東京五輪450万円ツアーを吟味してわかった、組織委の「ダフ屋化」」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/210004
・『今週、東京五輪2020のパートナー企業である旅行代理店各社から、オリンピック公式観戦ツアーの概要が発表された。いずれも一定の受付期間を経て、抽選で当選者が決まるシステムだ。 観戦チケットが第1次抽選販売で当たらなかった人、当たったけれど本命のチケットは入手できなかった人にとって、ツアーとセットで入場券が手に入る旅行商品は期待の的になっていた。が、発表されたツアーの内容や代金を見て、期待はしぼみ、サーッと、熱が冷めて打ちひしがれた人が多いのではないだろうか?』、その通りだ。「組織委の「ダフ屋化」」とは言い得て妙だ。
・『誰が行くんだ、これ! JTBの目玉は450万円ツアー  JTBの目玉は、「18泊19日、京王プラザホテルのスイート2名1室利用、お1人様450万円」。 「よ、よんひゃく50万円! 誰が行くんだ、これ!」と、突っ込みを入れつつ、サーッと腰が引けた人が日本中に大勢いただろう。開会式A席(30万円)、閉会式A席(22万円)がセットになっている。連日1種目ずつのプログラム。柔道、体操、ソフトボール、水泳、バドミントン、陸上、卓球、バレーボール、サッカー、野球、新体操……。そのラインナップを見れば、「そりゃ、お金があれば行きたいさ」と、空しく呟く以外に手がない。そして、心の中にぽっかり穴があく。 「東京オリンピックで国民に希望を与える、日本を元気にする」 そんなメッセージが空しく響く。そうか、東京五輪2020は、「さあ皆さん、お金持ちしか幸せになれません。人生を謳歌したければ、ウソをついても何をしても、お金持ちになることです」という現実を思い知らせるためのイベントなのか、と私は思ってしまった。 そもそも、450万円を余裕で払えるリッチな人が、他人が決めたスケジュールを従順に受け入れ、19日間も忠実に従う謙虚さと律儀さを持っているだろうかと、ふと考える。 頭に浮かんだのは、サッカーW杯ロシア大会、先ごろのウィンブルドン・テニスのスタンドでも目撃された有名な日本人実業家とタレントのカップル。仮に彼らが購入したら、きっとホテルにはずっと泊まらないだろう。 そうなれば、ホテルは無駄に空いてしまう。競技も、興味のない数種目はパスするかもしれない。その分は、旅行代理店がリセールサイトに出すのだろうか?など、余計なことを想像してしまう。だが、前向きに考えれば、そこから流れる余剰チケットをゲットする可能性が生まれる、と庶民は夢を持てるわけだ』、「450万円ツアー」とは格差社会を如実に示している。
・『前半は怒涛のメダルラッシュ必至 高額ツアーの価値ありの内容に  気を取り直して、450万円ツアーの内容を吟味してみよう。 開会式の翌日は柔道。男子60キロ級と女子48キロ級。いきなり金メダルとの遭遇も期待される。翌3日目も柔道。男子66キロ級と女子52級。連日のメダルラッシュでいきなり気分高揚の期待大。そして4日目の体操は男子団体決勝。内村航平がケガから復調してくれれば「体操ニッポンがまたメインポールに日の丸を!」の期待が膨らむ。 その後も、ソフトボール(3位決定戦)、体操(個人総合決勝)、水泳(男子200m平泳ぎ決勝、100m自由形決勝、女子200mバタフライ決勝など)、バドミントン(混合ダブルス決勝、女子シングルス準々決勝)、陸上(女子100m決勝など)、陸上(男子100m決勝など)、バドミントン(男子シングル決勝)と、怒涛のメダルラッシュ、あるいは日本選手だけでなく世界のトップレベルを堪能できるプログラムが10日間ずらりと並ぶ。 高額ツアーの価値ありとうならざるをえない。だが不思議なことに、後半に入った11日目から13日目は決勝以外のプログラムが組まれている。終盤に備えての休養の意図だろうか。そしてラスト3日間はまた、サッカー女子決勝、野球決勝、新体操女子団体決勝、閉会式となだれ込む。東京五輪2020をほぼ満喫できるといっていい内容ではあるだろう。 これを見ていたら、スポーツライターであるならば、このツアーに申し込むのが当然ではないかとさえ思えてくる。そしてスポーツライターなら、1日1種目という比較的余裕のあるスケジュールというメリットを生かし、午前や午後、ツアーの日程が自由な時間帯には他の競技も見に行くだろう。例えば、レスリング、アーチェリー、テニス、水球、そしてアーバンスポーツ系のBMXやスポーツ・クライミング、スケートボードなどは入っていないから、自分で見に行きたい』、「スポーツライター」ならば、記者証で自由に観られるのだろうが、本稿は読者目線で書いているのだろう。
・『近畿日本の『制覇ツアー』は応援というより研修?  もう1つ、近畿日本ツーリストが発表した『制覇ツアー』がある。「全競技観戦を制覇!競技観戦コンプリートコース17日間」というもので、宿泊は銀座キャピタルホテルだ。 7月24日にホテル集合。開会式はホテルのテレビで見る形(笑)。25日から連日、2種目か3種目の観戦スケジュールが組まれている。7月25日は、海の森水上競技場のボートに始まり、世田谷・馬事公苑に移動して馬場馬術。26日は有明アーバンスポーツパークのスケートボード(ストリート)からカヌー・スラロームセンターに移動してカヌーのスラローム、さらには東京アクアティクスセンターで競泳を見て帰る。同じエリアだから移動距離は少ないが、炎天下の観戦は猛暑になればきついだろう。 このツアーは前半、あまりメダルの決定に遭遇しない。どちらかといえば応援というより、研修ツアー。「すべての競技を見学し、基本を学ぶ」といった印象を受ける。後半になると、陸上男子100m決勝、BMX男女フリースタイルパーク決勝、レスリング女子57キロ級決勝、男子サッカー決勝など、がぜん応援モードがシフトアップする。 前半でいかに体力を温存、あるいは厳しい観戦態勢に順化させて最後まで駆け抜けるかという設定に見える。これで180万円は、450万円を先に見ているからリーズナブルに感じるが、本当にそうかどうかは分析が必要だ。 この他にも、6泊7日タイプ、2泊3日タイプ、横浜エリアに絞ったコース、BMXやスケートボード、スポーツ・クライミングなどに特化したコースなども発表されている。私は高額な目玉ツアーより、これら短期でテーマを絞ったツアーを選ぶ方が現実的だと思う』、「短期でテーマを絞ったツアー」は確かに有意義だろう。
・『450万円ツアーを計算するとチケット代はたった133万円!  さて、改めて450万円のツアーだが、計算してみると、ツアーに含まれるのは18種目と開会式、閉会式。ほとんど最高値のA席だが、ソフトボールなど3日だけはB席となっている。手元の計算が間違っていなければ、チケット代の合計は133万4800円。あれ?ツアー代金はそれより約316万円以上も高い!これが宿泊費や移動交通費など? いくらなんでも、パートナー企業が独自枠で入手できる入場券の付加価値に値段を乗せすぎていないか? 東京五輪組織委員会は、チケットの不正転売を厳しく禁じている。それを国家的に断行するため、略称『チケット不正転売禁止法』が6月14日に施行された。来年公開が予定されている、不要になったチケットのリセールサイトでも「定価で売買される」という。 いわゆるダフ屋の暗躍を阻止し、また近年では当たり前になっているネット・オークションでいたずらに価格が高騰し、善良な国民や海外からの訪問客が被害を受けないようにとの意図だと一般には理解されている。 しかし、チケットの価格を巧妙に吊り上げているのは、組織委員会とパートナー企業の方じゃないかと感じてしまう。 入場券が売り出され、ツアーが発表され、東京五輪組織委員会の一般の国民からはかけ離れた金銭感覚が明らかになった。彼らの視線が向いているのは多くの国民の方でなく、一部の富裕層やパートナー企業。そして、自分たちの懐にザックザックと運営費を回収するための収益が飛び込んでくる方策しか頭にないのではないかという実感が増してくるのは私だけだろうか』、「組織委員会とパートナー企業」への手厳しい批判には、諸手を上げて賛成だ。こんなことでは、国民的行事には程遠いものになってしまうだろう。
タグ:東洋経済オンライン 小林信也 ダイヤモンド・オンライン 渋谷区長 新国立競技場 MONEY VOICE 東京オリンピック(五輪) 予算膨張以外 (その8)(大前研一氏 東京五輪後に残るのは不要なインフラと巨大施設だけ、もう東京五輪に間に合わない 大手メディアが報じないサブトラック建設未着工と利権の闇=山岡俊介、選手村マンション「晴海フラッグ」に渦巻く賛否 モデルルーム潜入!本当の価格とリスクは?、東京五輪450万円ツアーを吟味してわかった 組織委の「ダフ屋化」) マネーポストWEB 「大前研一氏、東京五輪後に残るのは不要なインフラと巨大施設だけ」 五輪や万博など、一瞬の打ち上げ花火で終わるような「イベント頼み」経済が続くばかり 2020年東京五輪と2025年大阪万博は“捕らぬ狸の皮算用”に終わり、後に残るものは何もないだろう 「コンパクト五輪」がコンセプトだったはず 大会組織委員会と東京都が見込んでいる事業費計2兆100億円を合わせると、経費の総額は3兆円以上に膨らむ可能性が高く 東京五輪は広告代理店やゼネコンなどが儲けるだけの「禿山の一夜」(*注)に終わる 予算をケチったせいで屋根も冷房もないという理解不能な代物 「海の森水上競技場」などは、大会後も有効利用されるとは思えない マイナスのレガシー 2028年のロサンゼルス五輪は、公費を1セントも使わない計画 東京五輪は短い宴が終わったら、残るのは不要な巨大施設や利用者の少ない交通インフラと、国民にツケが回る大赤字だけだろう 「もう東京五輪に間に合わない。大手メディアが報じないサブトラック建設未着工と利権の闇=山岡俊介」 必須の「サブトラック」建設が間に合わない可能性 未だ工事未着工どころか、とっくに入札が終わっているのに工事予定を示す看板さえ立っていなかった もう間に合わないのに、なぜ大手メディアは報じない? 契約者(落札者)は建設会社ではなく、意外とも思える電通100%のイベント専業子会社「電通ライブ」 新国立競技場、「球技専用」のルールは白紙になる? ラグビーワールドカップ(W杯)日本大会の名誉総裁に、秋篠宮様が就任 ラグビー球場=皇室案件となり、ラグビー場廃止はなくなった なぜサブトラック建設が進まないのか?」の答え 代々木公園に3万人規模のサッカー場建設構想を言い出した 織田フィールドの機能をこの第二球場に移し、ここをサブトラックの常設場とする。代わりに、ラグビー場は現在の神宮球場跡地に建設。そして、いまの神宮球場は、秩父宮ラグビー場跡地と同じく、明治神宮所有の外苑青山駐車場、外苑テニスコートの一部を併せれば4.6ヘクタールになり、甲子園球場が3.8ヘクタールですから、そこに新神宮球場を建設 大地主「明治神宮」にとっても美味しい話がある? 「神宮外苑ホテル」の建設 東京都が地区計画を見直した結果、高さ50m、13建てのこのホテルが森林の中からぬっと顔を出すことになった 「選手村マンション「晴海フラッグ」に渦巻く賛否 モデルルーム潜入!本当の価格とリスクは?」 大会中に選手村として使われた後、内部をリフォームして新築として売る中層マンション17棟に加え、大会終了後にタワーマンション2棟を新設する。その総分譲戸数は何と4145戸 晴海フラッグ GW中の来場者は1200組超に達し、案内会の入場枠は6月末までいっぱいだという 平均坪単価はおよそ302万円 近隣で分譲中のマンションと比べて平均的には割安感 坪302万円は割安だが、物件ごとに価格差も大 最寄りの勝どき駅から徒歩20分かかる 「資産価値を維持できるのか」に不安の声も 「東京五輪450万円ツアーを吟味してわかった、組織委の「ダフ屋化」」 オリンピック公式観戦ツアーの概要 誰が行くんだ、これ! JTBの目玉は450万円ツアー 前半は怒涛のメダルラッシュ必至 高額ツアーの価値ありの内容に 近畿日本の『制覇ツアー』は応援というより研修? 450万円ツアーを計算するとチケット代はたった133万円! 東京五輪組織委員会の一般の国民からはかけ離れた金銭感覚が明らかになった。彼らの視線が向いているのは多くの国民の方でなく、一部の富裕層やパートナー企業。そして、自分たちの懐にザックザックと運営費を回収するための収益が飛び込んでくる方策しか頭にないのではないかという実感が増してくるのは私だけだろうか
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「闇営業」(その2)(「吉本・芸人・テレビ局 君ら『全員アウト』やで」元経済ヤクザ語る、小田嶋氏:「闇営業」の本筋はそこじゃない) [社会]

昨日に続いて、「闇営業」(その2)(「吉本・芸人・テレビ局 君ら『全員アウト』やで」元経済ヤクザ語る、小田嶋氏:「闇営業」の本筋はそこじゃない)を取上げよう。

先ずは、7月24日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した元経済ヤクザの猫組長へのインタビュー「「吉本・芸人・テレビ局、君ら『全員アウト』やで」元経済ヤクザ語る」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/209804?utm_source=daily&utm_medium=email&utm_campaign=doleditor&utm_content=free
・『吉本興業の所属芸人が、振り込め詐欺集団のパーティーに出て金銭を受け取った、いわゆる闇営業問題。「パワハラ経営者vs同情すべき芸人とその仲間たち」という構図のもとに、衆目の中で進行する劇場型不祥事だ。 しかし事態の展開に違和感を覚える向きも多いだろう。発端は宮迫博之氏、田村亮氏ら芸人が、反社会的勢力から金銭を受領したことだ。素性を事前に知っていようといまいと、結果として犯罪集団から大金を得る副業をしたなら、普通の会社員であれば懲戒解雇にもなりかねない。吉本は芸人を社員として雇用してはいないが、社会的責任を負う大企業として、関係者の不正行為に厳正に対処する義務がある。それが涙混じりの感情論にすり替わっているとは、議論の逸脱も甚だしい。 この脱線ぶりに対し、「芸人も吉本もテレビ局も、関係者は全員アウトや」と喝破するのは猫組長氏。山口組系二次団体で長く幹部をつとめ、反社の世界を熟知している。アウトサイダーの問題を見る角度は、意外なほどに「超真っ当」だった』、「吉本は芸人を社員として雇用してはいないが、社会的責任を負う大企業として、関係者の不正行為に厳正に対処する義務がある。それが涙混じりの感情論にすり替わっているとは、議論の逸脱も甚だしい」、正論で、今後の議論が興味深そうだ。
・反社の宴席、芸人への謝礼は 若手なら20万円が相場だった  吉本の岡本昭彦社長は22日の会見で、宮迫氏の契約解除など芸人への処分を撤回しましたよね。あれは非常にまずい。まず多くの芸人が、「結局のところ、何でもありや」と勘違いする。「変なところからお金をもらっても、契約解除にはならんのや」と増長する。ガバナンスも何もあったもんじゃない。 それから今回の事態は、反社がじっと見ていることを忘れてはいけない。当事者の詐欺集団だけじゃないですよ。芸人やタレントと付き合いのある奴らはみんな、「こういうふうに劇場型にすれば、世論を誘導できるのか。企業を思う通りに動かせるのか」と学習しています。芸能と関係がなくても、世論を誘導すれば金儲けに繋がることは多いしね。吉本の経営は、絶対に毅然とした態度をとらなあかんのです。 岡本社長は反社との関係について、「すべての取引先をチェックしている」と言ったけれど、吉本と暴力団の長い付き合いを振り返れば、どの口が言うとんねん、って話です。 過去にも吉本の大物芸人である島田紳助氏や中田カウス氏の暴力団との交際が問題になったことを、覚えているでしょう? 僕は山口組系の一員として関西で活動していたわけですが、あちらでは吉本の芸人っていうのは宴席があるごとに呼ぶ身近な存在でした。若手だったら10万~20万円、ちょっと名の通った芸人だったら50万円ぐらいを足代などの名目で渡します。もちろん取っ払い(その場で現金で手渡しするお金)です。芸人にしたら、1~2時間いるだけで結構な額がもらえるから、ホイホイ来ました。 そういう時はね、こっちがどういう人間かを事前に伝えておきます。「こういう人たちの宴会だから、ゆめゆめ失礼のないように」って。だって宴会に来てから「ヤクザだなんて知らなかった」とゴネて帰られたり、後から警察にタレこまれたりしたら困るでしょう? そもそも長い付き合いの芸人も多いし、こっちの身分を分からんと来ている人なんかいませんでしたよ。だいたい、そんな短時間でいいお金がもらえること自体、普通の人の集まりじゃないって分かるでしょうに。 ただ、僕らの世界では写真なんか簡単に撮らせません。ヤクザの宴席に芸人が出ていることが社会にバレたら、呼んだ方も出た方もお互い迷惑がかかるから。本当に親密な間柄での記念撮影を少しやるぐらいで、それが外部に流出するのも、内輪の抗争などそれなりの背景があってです。今回みたいに、あっちこっちから写真や動画が出てくること自体、ほとんどガバナンスの効いていない、得体の知れない集団だった証左です』、「「こういうふうに劇場型にすれば、世論を誘導できるのか。企業を思う通りに動かせるのか」と学習しています・・・吉本の経営は、絶対に毅然とした態度をとらなあかんのです」、「岡本社長は反社との関係について、「すべての取引先をチェックしている」と言ったけれど、吉本と暴力団の長い付き合いを振り返れば、どの口が言うとんねん、って話です」、などというのは、さすが元ヤクザならではの深い見方だ。
・『首相も担ぐ吉本は「政治銘柄」 国際問題に発展しうる  そういう半グレみたいな集団でも、反社は反社。そして今回の関係者は、反社の問題をあまりに軽視し過ぎている。僕は反社として締め付けられてきた立場として、国内外の社会がどれだけ厳しいか身にしみて感じてきました。 国内においてはここ10年、暴力団排除条例(暴排条例)が全都道府県にでき、あらゆるビジネスや付き合いが封じられてきました。この流れの中で、芸人やタレントとも昔ほど深く付き合わなくなりました。宴会を開こうにも店も借りにくいようなご時世で、ヤクザにとっては派手な宴会を開いて目立つこと自体がリスク。いかに目立たないかが非常に大事になっているんです。 そして国際的には、AML/CFT(マネーローンダリング・テロ資金供与対策)ほどシビアなものはありません。IMF(国際通貨基金)などあらゆる国際機関は、テロ組織やマフィア、ヤクザだけでなく、振り込め詐欺みたいな犯罪行為に絡む金融取引を、極めて強い意思のもとに排除しています。日本はそういう国際機関から、「対策が手ぬるい」と度々言われてきた国なんです。 吉本は教育事業など行政案件に進出しているでしょう。あまつさえ、安倍晋三首相を新喜劇の舞台に立たせて、政府との関係が深い。そういう影響力の大きい企業が、反社リスクを抱えているわけです。今回の吉本の問題も、国際問題に発展するリスクがあると思いませんか。 そしてもっと深刻なのは、これほどのグレーさを露呈した吉本とテレビ局との関係が、相変わらず密接なままという点です。テレビ局は吉本にとって株主であり、芸人を番組に出してくれる顧客でもある。一方でテレビ局は上場企業で、何よりも総務省の許認可を受けて事業を行う公器であり、社会的責任は極めて大きい。一般企業の感覚なら今回の問題を受けて、「吉本の芸人である以上、反社リスクが存在する。この恐れが拭えない限り、吉本の芸人は使えない。吉本との資本関係も見直す余地がある」と判断するのが普通。さもなくば他の取引先と自社の株主が許さない。 にもかかわらずテレビ局は現時点でも、吉本の芸人を番組に起用し続けているばかりか、闇営業問題を取り上げた番組でコメントまでさせている。芸人やキャスターが反社の問題に切り込むことはなく、「パワハラ体質の吉本と芸人との間の感情的な内輪もめ」に議論を終始させています。これは恣意的なストーリー作りとちゃうのん、と僕は思う。 テレビ局にとって、吉本は安価な芸人の供給源であり、これを抜きにしては日々の番組が成り立たない。完全に吉本に依存しているわけです。同じようにテレビ局が依存する対象としてジャニーズ事務所があります。先日、ジャニー喜多川氏が亡くなった際にはほとんど報道統制が敷かれたような状態で、過去の色んなスキャンダルは一切触れられない異様さだった。でもジャニーズにまだ救いがあるのは、あの会社は反社に対してはびっくりするぐらい潔癖ということ。非常に守りが堅く、僕らがアプローチしても一切受け入れなかった。ここは吉本と根本的に違う。吉本と密接なテレビ局各社は少なくとも、問題に対してどういう姿勢で臨むのか公式見解を示すべきだが、そういう動きは今のところ皆無』、「今回の吉本の問題も、国際問題に発展するリスクがある」、というのは、マネロンなどを監視する国際的組織が、今年、日本に査察に来る予定。もともと日本は、「「対策が手ぬるい」と度々言われてきた国」だけに、政府までが吉本支援の姿勢を示したことで、大きく問題視されるリスクがあろう。さすが、経済ヤクザだけあって、指摘も専門的だ。
・『テレビ局は株主の責任果たせ さもなくば共犯者の誹り受ける  結局今回の問題では誰も、「やるべきこと」をやっていない。宮迫氏ら芸人は問題が発覚した時点で、「お金をもらいました」と正直に吉本に報告するべきだった。そうすれば謝罪会見が開かれ、番組を降板して謹慎するぐらいで済んだんじゃないの。 吉本の経営陣は、芸人との間で業務内容を明文化する契約を結び、その中で反社との取り引きを禁ずる条項を盛り込まなければならない。それがない限り、反社チェックなんて不可能でしょう。芸人と反社の関係を見て見ぬ振りしているようなもんですよ。 そしてテレビ局は、株主として吉本の行動をきちんと監視し、議決権行使などの形で是正を求めるべき。「明確な対策を講じない限り、おたくの芸人・タレントは起用しません」と通告し、さもなくば資本提携を解消すると言うべき。銀行や一般企業など、吉本の他の株主は早晩そういう行動を取るでしょうね。そういう中で、テレビ局だけが厳正に対処せず、番組でも芸人を起用し続けたなら、それはもう彼らも問題の共犯者としてアウトやね』、「テレビ局は、株主として吉本の行動をきちんと監視し、議決権行使などの形で是正を求めるべき」、という厳しい指摘はその通りだ。一般のジャーナリストとは違った視点が、大いに参考になった。

次に、コラムニストの小田嶋 隆氏が6月28日付け日経ビジネスオンラインに寄稿した「「闇営業」の本筋はそこじゃない」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00116/00028/
・『「闇営業」という言葉は、いつ頃からメディアで使われるようになったのだろうか。 この耳慣れない言葉は、誰によって発明され、どんな分野で市民権を得て、いかなるタイミングで新聞の紙面で使われるまでに成長したのだろうか。 職業柄、この種の新語には敏感なつもりでいるのだが、不覚なことに、私はこの言葉を、つい3日ほど前までまったく知らなかった。 この関係のニュースを知ったのは、ツイッターのタイムライン上に、スポニチの記事へのリンクが張られたからだ。 ところが、吉本興業所属の芸人などによる「闇営業」の顛末を伝える記事へのリンクは、その日のうちに、突如として削除される。 ニュースに反応していたアカウントのツイートは、当然、リンク切れになる。 かくして、この種のなりゆきにセンシティブなニュースウオッチャーたちが騒ぎはじめる。「なんだ?」「どういうことだ?」「どうしていきなり削除してるんだ?」「圧力か?」 ほどなく、SNS上のざわざわした空気を察知して、ハフポストが、この間の経緯を取材した記事をアップする。こういうところはさすがにネットメディアならではの機敏さだ。 さて、吉本興業は、当初、ハフポストの取材に対して、スポニチの記事が「誤報」だという趣旨の回答を提供した。 であるから、ハフポストも、第一報の段階では、その吉本興業のコメントに沿った(つまり、スポニチが誤報を配信して削除したというストーリー)内容で記事を配信している。 しかし、ほどなく、ハフポストの記事は、見出しの末尾に 【UPDATE】という但し書きを付けた改訂版に差し替えられる。 私は、失笑せずにおれなかった。というのもこの【UPDATE】なる英語は、翻訳すれば【ごめん。さっきまでの記事は誤報だった。こっちが正解。ごめんごめん】ということになるからだ。まあ、こんなふうに悪びれもせずにさらりと訂正記事を出せてしまうところが、ネットメディアのある種のたくましさなのだろう。立派だとは思わないが、リアルな態度だとは思う。 もっとも、ハフポストの「誤報」は、彼らの文責によるものではない。吉本興業による「フェイク情報」をそのまま流してしまったカタチだ。してみると、この【UPDATE】案件の主たる説明責任は、あくまでも吉本興業に帰されなければならない。 けれども、吉本興業は謝罪をしない。釈明しようとした形跡すら皆無だ。 ハフポストの【UPDATE】版の記事には《吉本興業は当初、誤報として否定していたが、その後公式に発表した。》とだけ書いてある。 「ん? それだけか?」 というのが、普通のメディアリテラシーを備えたまっとうな読者の反応だと思う。 だって、ヒトサマの書いた記事を「誤報」と決めつけておきながら、一言のあいさつもないというのは、社会的影響力の大きい企業としてありえない態度ではないか』、吉本興業はエンターテイメント業界の雄として、メディア業界にも属していながら、こうした尊大な姿勢には首を傾げざるを得ない。
・『さて、ハフポストの取材に答え直して間もなく、吉本興業は、自身のホームページ上で所属タレントの謹慎処分を伝えるプレスリリースを掲載している。 ところが、その告知のプレスリリースを、これまたなんの前触れもなくいきなり削除した後、数時間後に再アップするというドタバタを演じている。 しかも、そのみっともないドタバタについても、毛ほども説明していない。 なんだろうこれは。 いったいいかなる愚かな背景が、この業界をあげての混乱を演出せしめているのであろうか。 本来、私は、芸能界の出来事には興味を持っていないのだが、では軽視しているのかというと、最近はそんなこともない。告白すれば、私は、最近になってようやく、芸能界で起こる事件の重要さに気づいた次第で、それゆえ、長らく、エンターテインメントの世界で起こる出来事をバカにしてきたことを反省している。 芸能界は、われわれの鏡だ。 エンターテインメントの世界で観察される人間関係の封建性と業界体質の旧弊さは、そのまま私たちが暮らしているリアルな社会の封建性と閉鎖性を反映している。こんな当たり前のことに、いまさらのように私が気づいたのは、島田紳助氏の引退に前後したすったもんだや、能年玲奈さんの芸名をめぐる一連の騒動や、SMAP解散に至る顛末について原稿を書くべく、ここ数年、各方面の記事や書籍を収集し、それらの資料をいやいやながら読み続けてきたからだ。 仕事じゃなかったら、とてもではないが、あんな膨大でしかも質の低い文章の山は読みこなせない』、「エンターテインメントの世界で観察される人間関係の封建性と業界体質の旧弊さは、そのまま私たちが暮らしているリアルな社会の封建性と閉鎖性を反映している」、との鋭い指摘はその通りなのかも知れない。
・『仕事のありがたさは、実に、こういうところにある。 つまり、仕事として関わりを持つからこそ、本来ならまるでハナもひっかけないような愚劣な分野に関して、およそひと通りの知識や感触を得ることが可能になるということだ。 今回の事件も、詳細を追えば追うほど、徹頭徹尾、実にくだらないなりゆきなのだが、そういうふうに愚劣で低劣で陋劣であるからこそ、この種の逸脱事案は、われらパンピー(注)にとって重要な教訓を含んでいたりもするわけで、つまり、この事件の登場人物たちは、誰も彼も、一から十まで、実にどうしようもない日本のチンピラなのである。 さて、冒頭の疑問に戻る。 「闇営業」とは何だろうか。 この言葉を知らなかった私が最初に文字面から類推したのは、 「つまり、アレか? 闇世界の人間のための芸能活動ってことか?」ということだった。 これは実にありそうな話だ。 そもそも、はるか昔の戦前の日本にさかのぼれば、歌にせよ舞踏にせよ語り芸でせよ、不特定多数の観客を相手に娯楽を提供する芸能の仕事は、地域や業界ごとの縄張りを管理する任侠の人間や旅芸人を差配するタカマチの人々やその関係者たちと切っても切れない、渡世人の生業(なりわい)だった。 それが悪いと言っているのではない。 起源をたどっていけば、芸能と暴力団は同じ根っこから発展した別の枝だという意味のことを私は言っている。 是非を言っているのではない。私は、成り立ちの話をしている』、「起源をたどっていけば、芸能と暴力団は同じ根っこから発展した別の枝だ」、言われてみれば、その通りなのかも知れない。
(注)パンビーとは、一般人のこと。1970年代の流行語で、現在はあまり使われない(Wikipedia)
・『だから、芸能界で「闇営業」という言葉が使われた場合、それは、ある種の先祖返りの中で、暴力団の仲介を得た芸能活動が展開され得るという、ごく自然な推理を述べたまでのことだ。 実際、裏世界の人間は芸能を好む。 芸能界で暮らしている人々の中にも、任侠の世界への親近感を隠さない人々が少なからず含まれている。 とすれば、「闇営業」は、「ヤの字の人々からのお呼ばれ」のことなのだろうなと考えるのは決して無理な連想ではない。 ところがどっこい、「闇営業」は、単に「事務所を通さない仕事」であるらしい。 なんという膝カックン案件であろうか。 私が知っている範囲では、昔から同じ意味で使われていた言葉に「取っ払い」というのがある。 20年ほど前までは、吉本興業所属の芸人の中にも、この「取っ払い」をネタに客を笑わせている連中がいた。 というよりも、つい最近まで、「ヨシモトの搾取構造」「うちの事務所はごっつうカネに汚いでぇ」というのは、ヨシモトの芸人の定番のぶっちゃけネタだった。 「あんたホンマおもろいなあ。ギャラ出したいくらいや」「ほな、そこんとこはとっぱらいでお願いしますわ」「あほか。マネージャーそこにおるやないか」という感じのやりとりを、私が高校生だった頃、誰だったかが演じていた記憶がある。 誰だったかは忘れた。たぶん、もうこの世の人ではないのかもしれない。 その「取っ払い」が「闇営業」と呼ばれるようになったのだな。なるほどね』、「高校生だった頃、誰だったかが演じていた記憶がある」、という小田嶋氏の記憶力には驚かされた。
・『それにしても、いったいどこまで世知辛い話なのだろうか。 ともあれ、その芸人用語で言うところの「取っ払い」は、メディアの人間(あるいは事務所側の人間)の立場から描写すると「闇営業」という用語として21世紀の現代に蘇ったわけだ。 言わんとするところはわかる。 事務所を通して、正式な税務処理やマネジメント料を発生させることなく、中間マージンを排したカタチで、顧客から直接に現金を受け取ることは、会社員のモラルとしても、所得税を支払う国民の納税感覚からしても「闇」の仕事と考えられる。だから「闇営業」と呼ぶ。その意味ではスジが通っている。 しかしながら、今回のカラテカ入江や宮迫某らの関わった案件を「闇営業事件」という見出しで矮小化してしまうことには、やはり、抵抗を感じる。 少なくとも、ジャーナリズムに関わる人間が、こういう安易な見出しを打つべきではないと思う。 というのも、今回の事件において「闇営業」は、ほんのささいなサブストーリーに過ぎないからだ。 本筋は、あくまでも詐欺犯罪グループとの関わりにある。 だから、あえて見出しをつけるなら、「詐欺忘年会ウェイウェイ事件」「オレオレ詐欺営業インシデント」「犯罪ピンハネ事案」あたりでなければならない』、「「闇営業事件」という見出しで矮小化してしまうことには、やはり、抵抗を感じる」、との本質を突いた指摘はさすがだ。
・『今回の事件を通じて入江や宮迫が犯した過ちを数え上げれば 1.詐欺グループの忘年会に招かれて参加したこと 2.その忘年会で報酬を受け取ったこと 3.吉本興業のマネジメントを通さずにギャランティを受け取ったこと 4.収入を税務署に申告しなかったこと の4点になると思うのだが、スポーツ新聞各紙が見出しに採用しているのは、ここで言う3の「吉本を通さずに営業活動をした」「闇営業」の部分だけだ。 普通に考えて、最悪なのは、1番の「詐欺犯罪グループとの交友と関与」であるはずだ。 報道されているところによれば、忘年会(主催者の誕生会も兼ねていたと言われる)を主催したのは、単に反社会的な団体に属しているというだけでなく、実際に犯罪に手を染めて、その大掛かりな詐欺犯罪を通じて莫大な利益を得ていた人間たちだと言われている。 暴対法が施行されて以来、芸能人は、指定暴力団の関係者と食事を同席しただけでも、業界から追放されかねない流れになっている。 その流れからしたら、現役の犯罪者たちが、その犯罪の看板を隠そうともせずに開催したアゲアゲのパーティーに同席したのみならず、報酬まで受け取っていたわけだから、これは完全にアウトだ。経緯を考えれば謹慎で済むような話ですらない。一発レッドの永久追放案件だろう。 社会的影響力の大きい著名人や芸能人は、犯罪集団に利用されやすい。 そのことを思えば、宮迫某らの最大の罪は、そもそも犯罪集団と関わりを持ったことそれ自体である』、説得力溢れた指摘だ。
・『もちろん脱税もけしからぬことだし、事務所を通さないで仕事を取ったこともほめられたことではない。 ところが、芸能メディアは「事務所を通さなかったこと」こそが最大の汚点だったかのような見出しでこの事件を総括しようとしている。 どこまで目玉が曇っているのだろうか。 事務所を通すとか通さないとかのお話は、芸能界という結界の中だけでモノを言っている、インサイダーの掟に過ぎない。 であるからして、事務所を通さなかったことは、事務所内で内々に処理すれば足りる、「社員の副業禁止違反」だとか「出張旅費の過剰申告」だとかとそんなに変わらない、会社員の逸脱に過ぎない。 引き比べて、犯罪組織や犯罪者との交友や取引は、明白な犯罪であり、明らかな反社会的行為だ。 にもかかわらず、芸能記者は、「事務所の内規」や「社員の心構え」や「芸能界の掟」にばかり着目する。 結局、彼ら自身がジャーナリズムとは無縁の、業界内の廊下鳶に過ぎないことを自ら証明したカタチだ。 能年玲奈さんが事務所を辞めて個人事務所を設立したときも、日本の芸能界ならびに芸能マスコミは、たったひとつの例外もなく「業界の掟」「芸能界の仁義」を守る方向で足並みを揃えて見せた。 つまり、彼らは、憲法で保障されている基本的人権や、各種の法律がそれを許している移籍や営業の自由よりも、「昔ながらのしきたり」や「みんなが守っている不文律」や「いわずもがなの合意事項」を遵守する立場を選択したのである。 結局、わが国の芸能マスコミは、御用記者を飼育する役割を果たすばかりで、芸能人の人権を守ることはもちろん、ファンに正しい情報をもたらすことすらできずにいる。 当然、芸能記者と呼ばれる人々も、大手芸能事務所や影響力のあるプロダクションの鼻息をうかがって、提灯持ちの記事を書く日常活動以外では、色恋沙汰のスキャンダルに尾ひれをつけて放流する程度のことしかしていない。 だからこそ彼らは、能年玲奈さんがほかならぬ自分の本名を名乗ることすらできずにいる信じがたい現状を「業界の慣習」の一言で容認してしまえるわけだし、元SMAPの面々があんな不自然なカタチで謝罪芝居を演じさせられたあの場面に関しても、一切ツッコミを入れることができなかった。 今回の事件でもまったく同じだ。 吉本興業のツルの一声であっさりと一度配信した記事を削除したことだけでも、メディアとしてあるまじき恥さらしだと思うのだが、その削除と再アップについて、いまに至るもしかるべき説明していない。 この一点をもってしても、わが国の芸能メディアが、日本のエンターテインメント業界を正常化するための監視装置として機能していないことは明らかではないか。 吉本興業も吉本興業で、まがりなりにも言論機関が自社の文責で配信した記事を、「誤報」であると決めつけておきながら、その件に関して謝罪はおろか、釈明さえしていない。 どうしてこんな無茶が通るのかというと、結局、吉本興業が、ずっと昔からメディア業界において隠然たる(むしろ「顕然たる」と言うべきかもしれない)影響力を発揮しているコワモテの企業だからだ。 「ヨシモトに睨まれたらこの業界ではやっていけない」と、関係者の多くが恐れおののいて、常にその顔色をうかがう存在だからこそ、吉本興業は、手前勝手なプレスリリースを出したり引っ込めたりしつつ、その矛盾点を誰にも指摘さえされずにいることができている』、「事務所を通すとか通さないとかのお話は、芸能界という結界の中だけでモノを言っている、インサイダーの掟に過ぎない・・・引き比べて、犯罪組織や犯罪者との交友や取引は、明白な犯罪であり、明らかな反社会的行為だ。 にもかかわらず、芸能記者は、「事務所の内規」や「社員の心構え」や「芸能界の掟」にばかり着目する。 結局、彼ら自身がジャーナリズムとは無縁の、業界内の廊下鳶に過ぎないことを自ら証明したカタチだ・・・わが国の芸能メディアが、日本のエンターテインメント業界を正常化するための監視装置として機能していないことは明らかではないか」、との芸能記者批判は痛快だ。「どうしてこんな無茶が通るのかというと、結局、吉本興業が、ずっと昔からメディア業界において隠然たる(むしろ「顕然たる」と言うべきかもしれない)影響力を発揮しているコワモテの企業だからだ」、との吉本批判も正論だ。
・『聞けば、吉本興業はNTTと組んで、教育コンテンツを発信するプラットフォーム事業「Laugh & Peace_Mother(ラフアンドピースマザー)powered by NTT Group」を開始する旨を発表したのだそうで、その事業には、海外需要開拓支援機構(クールジャパン機構)が最大100億円まで出資することになっている。 カネと人気と影響力があるだけでなく、官邸との間に太いパイプを持ち、なおかつ万博の顔になることがすでに決まっているコワモテの企業に対して、この先、うちの国のメディアで働く記者たちは、どこまでビビらずに取材を敢行して、どれだけ核心に迫る原稿を書くことができるのだろうか。 私は楽観していない。 芸能マスコミが瀕死であることはすでにわかっている。 してみると、非芸能マスコミの記者さんたちが、まるで別のタイプだとは考えにくい。 詐欺グループの忘年会に出席して 「君の声が力になる 君の笑顔が力になる」という歌を歌った宮迫氏ほどではないにしても、どうせ提灯を持つことになるのではなかろうか。 あるいは、くずの自覚を持っている分だけ、宮迫氏の方がまだマシなのかもしれない』、「万博の顔になることがすでに決まっている」、というのは初めて知った。確かに、こんな強大で「コワモテの」吉本興業に、メディアが立ち向かうのは至難の業だろう。「瀕死」の「芸能マスコミ」だけでなく、「非芸能マスコミの記者さんたちが、まるで別のタイプだとは考えにくい」、というのも残念ながらその通りなのだろう。誰が問題解決に踏み出すのか、大いに注目される。
タグ:日経ビジネスオンライン ダイヤモンド・オンライン 猫組長 小田嶋 隆 「闇営業」 (その2)(「吉本・芸人・テレビ局 君ら『全員アウト』やで」元経済ヤクザ語る、小田嶋氏:「闇営業」の本筋はそこじゃない) 「「吉本・芸人・テレビ局、君ら『全員アウト』やで」元経済ヤクザ語る」 「パワハラ経営者vs同情すべき芸人とその仲間たち」という構図のもとに、衆目の中で進行する劇場型不祥事だ 吉本は芸人を社員として雇用してはいないが、社会的責任を負う大企業として、関係者の不正行為に厳正に対処する義務がある。それが涙混じりの感情論にすり替わっているとは、議論の逸脱も甚だしい 反社の宴席、芸人への謝礼は 若手なら20万円が相場だった 取っ払い 「こういうふうに劇場型にすれば、世論を誘導できるのか。企業を思う通りに動かせるのか」と学習しています 吉本の経営は、絶対に毅然とした態度をとらなあかんのです 岡本社長は反社との関係について、「すべての取引先をチェックしている」と言ったけれど、吉本と暴力団の長い付き合いを振り返れば、どの口が言うとんねん、って話です 首相も担ぐ吉本は「政治銘柄」 国際問題に発展しうる AML/CFT(マネーローンダリング・テロ資金供与対策) 日本はそういう国際機関から、「対策が手ぬるい」と度々言われてきた国 教育事業など行政案件に進出 安倍晋三首相を新喜劇の舞台に立たせて、政府との関係が深い 国際問題に発展するリスクがある もっと深刻なのは、これほどのグレーさを露呈した吉本とテレビ局との関係が、相変わらず密接なままという点 テレビ局は吉本にとって株主であり、芸人を番組に出してくれる顧客でもある テレビ局は上場企業で、何よりも総務省の許認可を受けて事業を行う公器であり、社会的責任は極めて大 芸人やキャスターが反社の問題に切り込むことはなく、「パワハラ体質の吉本と芸人との間の感情的な内輪もめ」に議論を終始させています テレビ局は株主の責任果たせ さもなくば共犯者の誹り受ける 「「闇営業」の本筋はそこじゃない」 ヒトサマの書いた記事を「誤報」と決めつけておきながら、一言のあいさつもないというのは、社会的影響力の大きい企業としてありえない態度 エンターテインメントの世界で観察される人間関係の封建性と業界体質の旧弊さは、そのまま私たちが暮らしているリアルな社会の封建性と閉鎖性を反映している この事件の登場人物たちは、誰も彼も、一から十まで、実にどうしようもない日本のチンピラなのである 起源をたどっていけば、芸能と暴力団は同じ根っこから発展した別の枝だ 「闇営業」は、単に「事務所を通さない仕事」であるらしい 「取っ払い」 今回のカラテカ入江や宮迫某らの関わった案件を「闇営業事件」という見出しで矮小化してしまうことには、やはり、抵抗を感じる 本筋は、あくまでも詐欺犯罪グループとの関わりにある 入江や宮迫が犯した過ち 1.詐欺グループの忘年会に招かれて参加したこと 2.その忘年会で報酬を受け取ったこと 3.吉本興業のマネジメントを通さずにギャランティを受け取ったこと 4.収入を税務署に申告しなかったこと 新聞各紙が見出しに採用しているのは、ここで言う3の「吉本を通さずに営業活動をした」「闇営業」の部分だけ 最悪なのは、1番の「詐欺犯罪グループとの交友と関与」であるはず 現役の犯罪者たちが、その犯罪の看板を隠そうともせずに開催したアゲアゲのパーティーに同席したのみならず、報酬まで受け取っていたわけだから、これは完全にアウトだ。経緯を考えれば謹慎で済むような話ですらない。一発レッドの永久追放案件だろう 事務所を通すとか通さないとかのお話は、芸能界という結界の中だけでモノを言っている、インサイダーの掟に過ぎない 犯罪組織や犯罪者との交友や取引は、明白な犯罪であり、明らかな反社会的行為だ 芸能記者は、「事務所の内規」や「社員の心構え」や「芸能界の掟」にばかり着目する 結局、彼ら自身がジャーナリズムとは無縁の、業界内の廊下鳶に過ぎない 吉本興業が、ずっと昔からメディア業界において隠然たる(むしろ「顕然たる」と言うべきかもしれない)影響力を発揮しているコワモテの企業だからだ NTTと組んで、教育コンテンツを発信するプラットフォーム事業「Laugh & Peace_Mother(ラフアンドピースマザー)powered by NTT Group」を開始 クールジャパン機構)が最大100億円まで出資 万博の顔になることがすでに決まっている
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「闇営業」(吉本興業と安倍政権は蜜月 官民ファンド100億円出資の行方、吉本興業トップ会見は「0点」 不祥事対応のプロ弁護士が酷評、「吉本興行と芸人の取引」は下請法違反~テレビ局 政府はコンプラ違反企業と取引を継続するのか) [社会]

今日は、話題になっている「闇営業」(吉本興業と安倍政権は蜜月 官民ファンド100億円出資の行方、吉本興業トップ会見は「0点」 不祥事対応のプロ弁護士が酷評、「吉本興行と芸人の取引」は下請法違反~テレビ局 政府はコンプラ違反企業と取引を継続するのか)を取上げよう。

先ずは、6月26日付け日刊ゲンダイ「吉本興業と安倍政権は蜜月 官民ファンド100億円出資の行方」を紹介しよう。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/256962
・『スポーツ紙やワイドショー番組が一斉に報じている吉本興業のお笑い芸人をめぐる「闇営業」問題。吉本は反社会的勢力の会合に出席した芸人11人の謹慎処分を発表。早期幕引きを図っているが、問題の長期化は避けられない。 「相手が詐欺グループとは知らなかった」。処分された芸人らは主催者の素性について認識していなかった、と口をそろえている。だが、この問題を週刊誌「フライデー」は〈(詐欺グループだという)真相が伝わっていた可能性が高い〉と報道。仮に相手が反社と知りながら報酬を受け取っていれば、組織的犯罪処罰法に抵触する恐れがあるほか、「闇営業」で得た多額の報酬を確定申告の際に申告していなかったとすれば、脱税に問われる可能性もある。 吉本芸人と反社の関係といえば、2011年に反社との密接交際を理由に芸能界引退に追い込まれた島田紳助が記憶に新しい。「お笑い」よりも「カネ」に目がくらんだ吉本芸人は紳助の引退問題から何も学んでいなかったワケだが、そんな悪しき慣習が残る吉本を“側面支援”しているのが安倍政権だ』、興味深そうだ。
・『官民ファンドが100億円出資  安倍首相は4月、大阪市中央区にある吉本のお笑い劇場「なんばグランド花月」の舞台に現役首相として初登壇。今月6日には吉本芸人と官邸で面会するなど、「蜜月ぶり」をアピールしている。 第2次安倍政権発足後の13年に設立された官民ファンド「クールジャパン機構」(東京)も吉本と近しい。政府が約586億円出資する機構は14年と18年の2回、計22億円を吉本が関わる事業へ出資。今年4月にも吉本などが参画した新会社が手掛ける「教育コンテンツ等を国内外に発信する国産プラットフォーム事業」へ最大100億円も出資するという。 新会社は教育関連アプリの配信や沖縄でアトラクション施設設置を進める予定というが、多額の血税を投じる受け入れ先として果たして適当といえるのか。 機構に認識を問うと、「コメントを申し上げることはございません」(広報戦略部)と回答。赤字垂れ流しの他の官民ファンドと同様、巨額の税金を使っているという意識が皆無らしい。一方、吉本は「ご指摘、ありがとうございます。弊社からの回答はオフィシャルホームページをご確認ください」(プロモーション本部)とのことだった。 このまま進めて大丈夫なのか』、クールジャパン機構については、このブログの昨年4月24日で取上げたように、2017年3月末で投資先14件、投資額310億円のうち、6件が損失44億円を抱えている。安倍政権にとっては、投資の期間は10-20年と長いのでたかをくくっているのだろうが、「打ち出の小槌」のような乱暴な使い方をしている。吉本興行が縁もゆかりもなさそうな「教育コンテンツ等を国内外に発信する国産プラットフォーム事業」へ最大100億円も出資」とは、恐れ入った。今回の騒動で流産になればいいのだが・・・。

次に、7月23日付けダイヤモンド・オンライン「吉本興業トップ会見は「0点」、不祥事対応のプロ弁護士が酷評」を紹介しよう(Qは聞き手の質問、Aは郷原氏の回答)。
https://diamond.jp/articles/-/209528
・『「長時間頑張った」以外に評価点のないダメダメ会見  経営トップが涙を流す長時間の会見は、冷笑しか招かなかった。吉本興業が22日、所属芸人が反社会勢力のパーティーなどで活動していた問題について記者会見を開いた。岡本昭彦社長は、先に独自に謝罪会見を開いた宮迫博之氏(雨上がり決死隊)と田村亮氏(ロンドンブーツ1号2号)らに対し、契約解除などの処分を撤回する方針を示すとともに、自身と持ち株会社・吉本興業ホールディングスの大崎洋会長を1年間50%減俸処分にすると発表した。だがこの会見を、不祥事対応の第一人者である郷原信郎弁護士は酷評している。笑い殿堂企業は、なぜ「笑うに笑えない」事態に陥ってしまったのか。  Q:不祥事対応のプロとして、吉本興業・岡本社長の会見をどう感じたか。 A:これが業界を代表する企業のトップ会見かと思うと、まったくひどい内容だ。点数をつけるとしたら10点。しかもこの10点は「あれだけの長時間にわたり、社長が壇上でなんとか頑張った」ことに対する評価でしかない。説明した内容に対しては0点だ。 Q:内容のどこがまずかったか。 A:根本的な問題について意識がまったくないところだ。今回の問題は反社会的勢力との取引が端緒だが、ここまで社会的に大きな広がりを持ったのは、芸能関連の企業の多くが抱える根本的問題が噴出したからだ。 吉本に限らず、芸能事務所と芸人・タレントとの契約関係の多くは非常にあいまい。そして事務所側の意向ひとつですべてが決まる。平時は利害が一致しているために家族的に「なあなあ」で済まされているが、ひとたび対外的な問題が起こると途端に、事務所と問題を起こした芸人・タレントの間で利益相反の構図ができる。 今回であれば、すでに著名な芸人である宮迫博之氏(雨上がり決死隊)と田村亮氏(ロンドンブーツ1号2号)にとっては、この不祥事を社会に対してどのように説明するかが職業生命を左右することだった。彼らに対しては、自立した個人事業者としてその立場を尊重しなければならないが、吉本はそうしなかった。実績と能力がある有名芸人の価値を尊重せず、強引に事態を沈静化しようとしたから、問題が爆発したのだ。 一方、まだそれほど著名ではない芸人については、「闇営業」をしてでも自分でなんとか食っていかなければならない状況がある。一般的な理解として、芸能事務所とタレントは実態としては「使用従属関係」(主に、使用者の指揮監督下で労務を提供し、その労務に対して報酬が与えられる関係)にある。吉本には数千人の芸人がいるが、その大半は安くこき使われているだけだという実態は、吉本の大崎洋会長(編注:崎の文字は正式には“たつさき”)が直近のメディアインタビューで露呈させている。売れない芸人との実際の契約がどうであれ、雇用者として保護する必要が法的に発生しているのに、それがなされていないのだ。 こういった根本的な問題を組織として抱えているにもかかわらず、会見では感情的な表現に終始し、従来どおり「家族」であることを訴えて事態の収束を図ろうとした。それが今回の会見の問題だ』、社長記者会見は私もテレビで観たが、確かにかつでは上場して企業とは思えないようなお粗末な出来だった。「今回の問題は反社会的勢力との取引が端緒だが、ここまで社会的に大きな広がりを持ったのは、芸能関連の企業の多くが抱える根本的問題が噴出したからだ」、との郷原氏の指摘は適格だ。
・『芸人との関係があいまいでは反社チェックも徹底できない  Q:「クビにする」など、宮迫・田村氏が圧力と受け取った言葉を「冗談だった」と説明した。 A:今回のように深刻な局面で、相手の生殺与奪を握っている立場として、こんなことが冗談で言えるはずがない。説明として、世の中にはまったく通じない。ほかに言いようがなかったのだろうが、冷笑しか誘わない発言だ。 Q:吉本では過去にも、反社会的勢力との繋がりによる不祥事が起こっている。なぜ頻発するのか。防止するにはどうしたらいいのか。 A:チェックをしているというが、実際にはチェックしきれない状態なのだろう。普通の企業の視点でいえば、この10年で反社会的勢力とのあらゆる契約関係を断つことが要求されるようになった。吉本も自社が直接契約する相手に対してはチェックしていたようだ。だが、芸人の取引先や交際関係については、芸人と会社の間の契約関係があいまいなのだから、完全にチェックしきれるわけがない。 芸人の立場・権利を守るという観点だけでなく、反社問題の対策としても、芸人との契約関係を明確にする必要があるのだ。 A:岡本社長ら経営陣はどう責任を負うべきか。 A:経営として負うべき責任は、報酬の返上でも、進退を決めることでもない。これまで、なあなあで当然、阿吽の呼吸のもとにあいまいにしてきた芸人との契約関係を、きちんと見直すと宣言することが、今回は必要不可欠だった。 吉本は10年ほど前に上場廃止したが、非上場企業になれば何をしてもよい、などということはまったくない。芸能業界に対して大きな影響力があるばかりか、その舞台に首相が登壇するほどの企業である。そういった企業には当然ながら経営の公正性、透明性が要求されるのだが、そういう意識が吉本の経営陣には根本的に欠けているのではないか』、正論で、その通りだ。

第三に、上記でも登場した元東京地検特捜部検事で弁護士の郷原信郎氏が7月23日付け同氏のブログに掲載した「「吉本興行と芸人の取引」は下請法違反~テレビ局、政府はコンプラ違反企業と取引を継続するのか」を紹介しよう。
https://nobuogohara.com/2019/07/23/%e3%80%8c%e5%90%89%e6%9c%ac%e8%88%88%e6%a5%ad%e3%81%a8%e8%8a%b8%e4%ba%ba%e3%81%ae%e5%8f%96%e5%bc%95%e3%80%8d%e3%81%af%e4%b8%8b%e8%ab%8b%e6%b3%95%e9%81%95%e5%8f%8d%ef%bd%9e%e3%83%86%e3%83%ac%e3%83%93/
・『振り込め詐欺グループの宴会に参加して金を受け取ったとして謹慎処分を受けた、宮迫博之氏と田村亮氏の2人の記者会見を受けて、吉本興業ホールディングス(以下、「吉本」)の岡本昭彦社長が、7月22日に記者会見を行ったが、言っていることが意味不明で、宮迫氏らへの発言について不合理極まりない言い訳に終始し、一度行った契約解除を撤回する理由も不明なままであり、社長・会長の責任については50%の報酬減額で済ますというのも、全く納得のいくものではない。 岡本社長は、この問題を、宮迫氏らとの「コミュニケーション不足」や、彼らの心情への「配慮不足」の問題のように扱い、「芸人ファースト」「ファミリー」などという言葉ばかりを使い、精神論的な問題にとどめ、吉本という会社と芸人・タレントの関係に関する根本的な問題に対する言及は全くなかった』、記者会見するからには、通常は顧問弁護士や会社上層部、さらにはPR会社などと念入りにスリ合わせをする筈だが、それをせずに臨んだようだ。なんとかなると高を括っていたとすれば、思い上がりも甚だしい。
・『口頭での「契約」の是非  最大の問題は、吉本興業は、芸人・タレントと契約書を交わしておらず、大崎洋会長は、「芸人、アーティスト、タレントとの契約は専属実演家契約。それを吉本の場合は口頭でやっている。民法上も、口頭で成立します。」と言い切っており、今後も契約書を交わさないことを明言していることである(【吉本興業の「理屈」は、まっとうな世の中には通用しない】)。 しかし、芸人等の出演契約というのは、小売店での現物売買、「料金表」に基づく業務発注などとは異なり、「契約書」を作成し、契約内容、対価を明確にしておくべき必要がある契約の典型だ。 しかも、企業にとって、そのような契約を口頭で行って、契約書も交わさないというやり方には、法律上問題がある。 それは、独占禁止法が禁止する「優越的地位の濫用」について、親事業者の下請事業者に対する行為を規制する下請代金支払遅延防止法(以下、「下請法」)との関係である』、法令違反の疑いがあるとは新たな指摘だ。
・『下請法との関係  吉本の芸人・タレントは、個人事業主である。下請法により、一定規模の親事業者が個人事業主に役務提供委託する際には、下請法3条に定める書面(いわゆる3条書面)を発行する義務がある。吉本のような芸能事務所が主催するイベントへの出演を個人事業者のタレントに委託する場合には、「自ら用いる役務の委託」に該当するため下請法3条書面を交付する義務が発生しない。 しかし、吉本が、テレビ局等から仕事を請け負い、そこに所属芸人を出演させる場合には、吉本が個人事業者の芸人に役務提供委託をしたことになる可能性があり、この場合、下請け法3条の書面を発行する義務がある。下請法上、親事業者は発注に際して、発注の内容・代金の額・支払期日などを記載した書面を下請事業者に直ちに交付する義務があり(同法第3条)、この義務に反した場合には、親事業者の代表者等に50万円以下の罰金を科する罰則の適用がある(同法第10条)。吉本では、芸人・タレントをテレビ等に出演させる際に、契約書を全く作成しないということなのであるから、下請法3条の発注書面交付義務違反となる可能性がある。 下請法が、このような下請事業者への書面交付を義務づけているのは、発注書面がないと、親事業者から、後で「そんな発注はしていない」、「代金はそんなに出す約束をしていない」、「支払いは3か月後だ」などと言われても下請事業者は反論しにくくなってしまうからである。そこで、下請事業者に不当な不利益が発生することを防止するために書面の交付が義務付けられている。 吉本の芸人は、契約書を交わすこともなく、契約条件も、対価も明示されないまま「口頭での契約」で出演の仕事を行っているのであり、著しく不利な立場に置かれていると言える。 この点に関して、公正取引委員会が、2018年2月に公表した「人材と競争政策に関する検討会報告書」では、以下のように書かれている。 発注者が役務提供者に対して業務の発注を全て口頭で行うこと,又は発注時に具体的な取引条件を明らかにしないことは,発注内容や取引条件等が明確でないままに役務提供者が業務を遂行することになり,前記第6の6等の行為を誘発する原因とも考えられる(この行為は,下請法 が適用される場合には下請法違反となる。) ※「第6の6の行為」⇒「代金の支払遅延,代金の減額要請及び成果物の受領拒否 ・ 著しく低い対価での取引要請・成果物に係る権利等の一方的取扱い・発注者との取引とは別の取引により役務提供者が得ている収益の譲渡の義務付け」 つまり、当該取引に下請法の適用がある場合には、発注者が業務の発注を全て口頭で行い、発注書面を交付しない行為が違法であることは明白である』、なるほど説得力がある。
・『「下請法3条違反」に対する刑事罰適用の可能性  もっとも、下請法3条違反で罰則が実際に適用された例は、これまではなく、すべて当局の「指導」により是正が図られている。しかし、それは、ほとんどが、発注書面自体は作成交付されているものの、その記載内容に不備があるという軽微な違反だからである。書面を全く交付していないというのは、下請法の適用対象の大企業では、ほとんど例がない。しかも、吉本興業は、露骨な下請法違反を行っておきながら、経営トップである大崎会長が、悪びれることもなく、「今後も契約書は交わさない」と公言しているのである。このような違反に対しては、当局の「指導」では、実効性がないと判断され、刑事罰の適用が検討されることになるだろう。 違反の事実は、会長・社長の発言などからも明白だが、吉本所属の芸人・タレントから、公取委に申告、情報提供が行われれば、公取委が調査に乗り出すことは不可避となるだろう。この場合、「親事業者が,下請事業者が親事業者の下請法違反行為を公正取引委員会又は中小企業庁に知らせたことを理由として,その下請事業者に対して取引数量を減じたり,取引を停止したり,その他不利益な取扱いをしてはならない」(4条1項7号)という規定があるので、吉本側が、それを理由に、契約解除等の措置をとると、それ自体が下請法違反となる』、吉本以外の芸能事務所ではどうなっているのか、知りたいところだ。
・『「吉本下請法違反」がテレビ局に与える影響  このように、吉本の下請法3条違反は、弁解の余地がないように思え、しかも、その事実関係は、外部的にも明白である。社会的責任を負う企業としては、「反社会的勢力」と関わりを持つことが許されないのと同様に、このようなコンプライアンス違反を行っていることを認識した上で取引を継続することは許されない。 吉本が、配下のすべての芸人・タレントと契約条件を明示した契約書を交わすなど、違法行為、コンプライアンス違反を是正する措置をとらない限り、吉本と契約をしているテレビ局、そして、吉本が4月21日に発表した教育事業への進出に総額100億円もの補助金の出資を予定している政府も、吉本との取引は停止せざるを得ないということになる。 もちろん、安倍首相も、吉本の番組に出演したりして、浮かれている場合ではないことは言うまでもない』、「吉本と契約をしているテレビ局」は吉本の株主でもあり、その責任も認識してほしいものだ。なお、夕方のテレビで、菅官房長官が「(吉本興業は)クールジャパンの担い手として説明していく必要がある」と言明したが、まだ撤回までは考えてないようだ。安倍首相があれほど、吉本興行に入れ込んでいたので、手の平返しまでは出来ないのだろうか。
タグ:公正取引委員会 田村亮 上場廃止 宮迫博之 安倍首相 日刊ゲンダイ 郷原信郎 ダイヤモンド・オンライン クールジャパン機構 同氏のブログ 岡本昭彦社長 「闇営業」 (吉本興業と安倍政権は蜜月 官民ファンド100億円出資の行方、吉本興業トップ会見は「0点」 不祥事対応のプロ弁護士が酷評、「吉本興行と芸人の取引」は下請法違反~テレビ局 政府はコンプラ違反企業と取引を継続するのか) 「吉本興業と安倍政権は蜜月 官民ファンド100億円出資の行方」 「フライデー」は〈(詐欺グループだという)真相が伝わっていた可能性が高い〉と報道。仮に相手が反社と知りながら報酬を受け取っていれば、組織的犯罪処罰法に抵触する恐れがあるほか、「闇営業」で得た多額の報酬を確定申告の際に申告していなかったとすれば、脱税に問われる可能性もある 2011年に反社との密接交際を理由に芸能界引退に追い込まれた島田紳助 吉本のお笑い劇場「なんばグランド花月」の舞台に現役首相として初登壇 今月6日には吉本芸人と官邸で面会 「蜜月ぶり」をアピール 「クールジャパン機構」 計22億円を吉本が関わる事業へ出資 「教育コンテンツ等を国内外に発信する国産プラットフォーム事業」へ最大100億円も出資 2017年3月末で投資先14件、投資額310億円のうち、6件が損失44億円を抱えている 「吉本興業トップ会見は「0点」、不祥事対応のプロ弁護士が酷評」 契約解除などの処分を撤回 郷原信郎弁護士は酷評 笑い殿堂企業は、なぜ「笑うに笑えない」事態に陥ってしまった 今回の問題は反社会的勢力との取引が端緒だが、ここまで社会的に大きな広がりを持ったのは、芸能関連の企業の多くが抱える根本的問題が噴出したからだ。 吉本に限らず、芸能事務所と芸人・タレントとの契約関係の多くは非常にあいまい。そして事務所側の意向ひとつですべてが決まる 平時は利害が一致しているために家族的に「なあなあ」で済まされている ひとたび対外的な問題が起こると途端に、事務所と問題を起こした芸人・タレントの間で利益相反の構図ができる すでに著名な芸人である宮迫博之氏(雨上がり決死隊)と田村亮氏(ロンドンブーツ1号2号)にとっては、この不祥事を社会に対してどのように説明するかが職業生命を左右すること 彼らに対しては、自立した個人事業者としてその立場を尊重しなければならないが、吉本はそうしなかった まだそれほど著名ではない芸人については、「闇営業」をしてでも自分でなんとか食っていかなければならない状況 芸能事務所とタレントは実態としては「使用従属関係」(主に、使用者の指揮監督下で労務を提供し、その労務に対して報酬が与えられる関係)にある 雇用者として保護する必要が法的に発生しているのに、それがなされていないのだ こういった根本的な問題を組織として抱えているにもかかわらず、会見では感情的な表現に終始し、従来どおり「家族」であることを訴えて事態の収束を図ろうとした 芸人との関係があいまいでは反社チェックも徹底できない 吉本では過去にも、反社会的勢力との繋がりによる不祥事が起こっている あいまいにしてきた芸人との契約関係を、きちんと見直すと宣言することが、今回は必要不可欠だった 舞台に首相が登壇するほどの企業 当然ながら経営の公正性、透明性が要求される 「「吉本興行と芸人の取引」は下請法違反~テレビ局、政府はコンプラ違反企業と取引を継続するのか」 岡本社長は、この問題を、宮迫氏らとの「コミュニケーション不足」や、彼らの心情への「配慮不足」の問題のように扱い、「芸人ファースト」「ファミリー」などという言葉ばかりを使い、精神論的な問題にとどめ、吉本という会社と芸人・タレントの関係に関する根本的な問題に対する言及は全くなかった 口頭での「契約」の是非 下請法との関係 一定規模の親事業者が個人事業主に役務提供委託する際には、下請法3条に定める書面(いわゆる3条書面)を発行する義務がある この義務に反した場合には、親事業者の代表者等に50万円以下の罰金を科する罰則の適用 「人材と競争政策に関する検討会報告書」 当該取引に下請法の適用がある場合には、発注者が業務の発注を全て口頭で行い、発注書面を交付しない行為が違法であることは明白である 「下請法3条違反」に対する刑事罰適用の可能性 「吉本下請法違反」がテレビ局に与える影響 吉本が、配下のすべての芸人・タレントと契約条件を明示した契約書を交わすなど、違法行為、コンプライアンス違反を是正する措置をとらない限り、吉本と契約をしているテレビ局、そして、吉本が4月21日に発表した教育事業への進出に総額100億円もの補助金の出資を予定している政府も、吉本との取引は停止せざるを得ないということになる
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相次ぐ警察の重大ミス(その6)(警察官「無能が出世することはない」独自の掟 彼らの世界に「理由なき昇進」はあり得ない【平成の事件】警官「シャブ抜き」で事件隠蔽 主犯は本部長 神奈川県警不祥事対応で異例人事、京都で相次いだ警察官の重大不祥事 大阪に次ぎ「2つの府警」の堕落) [社会]

相次ぐ警察の重大ミスについては、昨年10月8日に取り上げた。久しぶりの今日は、(その6)(警察官「無能が出世することはない」独自の掟 彼らの世界に「理由なき昇進」はあり得ない【平成の事件】警官「シャブ抜き」で事件隠蔽 主犯は本部長 神奈川県警不祥事対応で異例人事、京都で相次いだ警察官の重大不祥事 大阪に次ぎ「2つの府警」の堕落)である。

先ずは、第62代警視庁捜査第一課長の久保 正行氏が5月28日付け東洋経済オンラインに寄稿した「警察官「無能が出世することはない」独自の掟 彼らの世界に「理由なき昇進」はあり得ない」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/280209
・『市民の日常生活を守る「警察官」。彼らの世界では、一般企業と違い、「能力のない人間」が出世することはまずありえない。「警察官の出世事情」について、新書『警察官という生き方』著者であり、第62代警視庁捜査第一課長として数々の事件を解決してきた久保正行氏が解説する。 警察官になるためには、まず各都道府県警察本部の採用試験を受けなければなりません。1次試験は筆記で、通ると2次試験は体力検査と面接を受けることになります。 高卒と短大卒、大卒で試験の種類が違い、初任給も異なります。警視庁の場合、高卒の初任給は21万円程度で、大卒の初任給は25万円程度となっています。ただし、入庁後は、勤続年数と階級に応じて給料が上がりますので、必ずしも大卒のほうが給与の面で有利というわけではありません。 警察本部の採用試験に受かったら、高卒の場合は10カ月、大卒の場合は6カ月の間、全寮制である警察学校の初任科で基礎を学び、卒業後、各警察署に配置されることになります。ちなみにこの期間も、給与は支払われます』、この他に、いわゆるキャリアのための国家公務員総合職試験がある。
・『「交番業務」が警察官を鍛える  いくつかの研修を経たのち、ほとんどの警察官はまず交番勤務を経験します。交番の警察官は、地域で事件が発生したら真っ先に駆けつけ、さまざまな種類の犯罪と向き合い、対応を覚えていくことになるので、警察官の業務のエッセンスが凝縮されているわけです。 その後は、警察署内の部署に配置されることもあれば、警察署で経験を積み、本部へと異動になることもあるでしょう。努力と実績次第で、いくつもの警察官としての道が開けていきます。 自分の能力を生かすというところでは、警察官の中には剣道や柔道などの武道に秀でた者が多く、有段者も数多くいます。実際に、警察官になると現行犯を取り押さえたり、攻撃的な人に対処したりする機会がありますから、こうした心得があると大きな武器になります。そうした目的で、警察学校ではランニングなどの基礎体力づくりだけでなく、剣道や柔道の訓練も課されます。 警察には、一般企業のサラリーマンではまず関わらない特殊な場所もあります。 例えば「留置場」は、逮捕した被疑者を一時的に勾留する場所で、その間に取り調べなどを行います。一般的には、「留置人が足を伸ばして寝られる広さ」×「人数分」ほどのスペースがあり、鉄格子が張られていて、食事窓がついています。留置人は番号で呼ばれます。「俺のときは名前で呼ばれた」と言う方がいたら、かなり古い時代ですね。留置場は警察署などに設置されています。 警察は自前で「道場」も持っていて、警察学校はもちろんのこと、各警察署や警察本部にもあります。ここには朝、昼、夜の顔があります。朝は警察官が、自主的に通常7時ごろから柔剣道の自主練習を行います。 「自分の身体を守れない者は、他人を救護できない」「今日より若い日はない」という心構えで練習をします。昼は、小中学生に向けた少年柔剣道の練習です。この練習には指定された警察官も指導者として参加します。夜は、捜査本部員の寝どころとなることがあります。 「霊安室」は、あまりなじみがないでしょうが、ここでは数々の悲劇的ドラマがあります。多いのが、事件・事故に巻き込まれた方や行方不明者にまつわるものです。朝、元気な姿で出勤したご主人と、夕方には霊安室の棺の中で会う、ということが現実にあるのです。お子さんが一緒の場合、警察官といえども深い悲しみを負います。涙をこらえて検視を終え、棺をそのままに帰宅することもあります』、着任間もないような「交番の警察官」は、道を聞いても、ロクに答えられないのは、やむを得ない面があるにせよ、利用者にとっては困ることだ。また、「ランニングなどの基礎体力づくり」とあるが、現実には犯人に逃げられてしまう失態も数多い。英国人女性殺害事件でも、かなり多数で逮捕しようとしたが、取り逃がしたのも記憶に新しい。基礎体力づくりでは消防署員の方がはるかに訓練が行き届いている。
・『徹底した「階級組織」  警察は階級に基づいて組織されています。その意味では、上下関係がはっきりしています。堅苦しいかもしれませんが、巨大な組織を束ねて治安の維持に取り組むには、規律が必要なことは確かです。 階級は警察官の日常にも深く浸透します。例えば、警察官のあいさつは敬礼です。基本的には、下位の者がまず敬礼し、次いで上位の者が答礼します。社会や組織の中でのコミュニケーション不足が叫ばれて久しい昨今ですが、その点、警察官は迷うことなく敬礼でコミュニケーションを取ることができます。何か声をかけ合うわけではありませんが、まず一方が敬意を示し、もう一方がそれに応えるわけです。 階級はキャリアを除いて誰もが巡査からスタートし、昇任試験をパスすることで上にいくことができます。また、階級と連動して役職も上がっていきます。役職は、民間企業と同じで、主任、係長、課長、部長などと上がっていきます。上の役職になるほど、多くの部下を抱えることになります。つまり、出世が昇任試験という形で制度化されているわけです。 ですから、「理由はよくわからないが、なぜかあいつは昇進した」とか、「誰よりも頑張ったはずなのに、昇進できなかった」ということが、警察では起こりにくいのです。こうした面では、警察より公平な組織はないと思います。 では、階級について詳しく見ていきましょう。警察には9つの階級があります。下から、巡査、巡査部長、警部補、警部、警視、警視正、警視長、警視監、警視総監です。警部までは昇任試験で上がることができ、それ以上になると、実務経験などをもとに選考されることになります。なお、警視庁に入庁する警察官は地方公務員ですが、警視正になると自動的に国家公務員の身分になります。また、警視監および警視総監は、キャリアの警察官のみがなることのできる階級になっています。 順を追って見ていきましょう。巡査はいわゆる「ヒラ」ですが、巡査部長になると、警察署では主任の役職がつき、部下も持つことになります。警部補になると警察署では係長の役職がつき、現場の責任者として、部下を指導していきます』、ただ、下の記事にあるように、上の地位にある者の不祥事が、発覚し難いというマイナス面もあるようだ。
・『「警部」のハードルは高い  警察はピラミッド型の組織ですから、警察官のほとんどは、巡査、巡査部長、警部補によって占められています。実際、警部補までは努力でなることができますが、警部になろうとすると、高いハードルが待ち受けています。全国の警察官の約90パーセントが警部補までの階級であるのに対し、警部は全警察官のうち、7パーセント程度しかなれないのです。ですから、この関門を突破するには、法学と実務を真剣に勉強し、さらに仕事で実績を上げなければなりません。 ハードルを乗り越え、警部になると、警察署では課長、警察本部では課長補佐、警視庁では係長などになり、本格的に部下を統率する立場になっていきます。加えて、警部になって初めて、裁判所に逮捕状を請求できるようになります。 警視になると、警察署では署長や副署長などを任される立場になり、本部でも課長や管理官として、組織をとりまとめ、捜査を指揮するようになります。警視正になると、本部の参事官や方面本部長など、さらに大きな組織を束ねるようになるのです。 階級が上がれば役職が上がるだけでなく、部下も多くなり、発言力が高まって、給料も上がります。階級に特殊な名称を使うので、複雑に見えますが、実はとてもシンプルなシステムなのです。たとえ学校で勉強ができなくても、警察に入ればみなゼロからのスタートです。これは警察官の大きな魅力のひとつだと私は思います。 それは男性に限った話ではありません。女性も同様です。女性警察官の数は増え続けており、現在は2万5000人近くいます。警視庁や各県警では警察官の10パーセントが女性になるように採用枠を拡大していて、管理職における女性比率も増しています。キャリアのうえでの性差はありませんが、女性が被害者になりやすい性犯罪や、子どもや老人に関わる犯罪に対しては、とくに女性警察官の活躍が目立ちます。 私は、多くの優秀な女性の警察官と仕事をしてきましたし、実際に今、女性が統率する捜査チームも増えています。ノンキャリアで警察署長になった女性警察官もいます。私が経験した捜査第一課長も、歴代ずっと男性が務めてきましたが、ここ最近の女性の活躍ぶりを見ると、女性の一課長が誕生する日もそう遠くはないでしょう。 もちろん、上にいくことだけが警察官の魅力ではありません。ずっと現場にとどまり、部下を持たずのびのびとやりたい、という人は、昇任試験を辞退すればいいわけです。その自由もまた認められています。どのようなキャリアを歩むかは、それぞれの「生き方」に委ねられているのです。 警視庁の警察官は地方公務員ですから、基本的には数年ごとに異動を繰り返します。例えば、私は警視庁本部の捜査第一課にいるときに昇任し、所轄の警察署で経験を積みました。また、上の階級になると、さまざまな役職が回ってくることも多く、私は王子警察署の副署長になったあと、半年で本部に戻り、鑑識課の理事官というポストに就いたこともあります』、なるほど。
・『現場にいる警察官ほど出世しづらい  ちなみに、より早く上にいくのは、総務部や警務部の警察官です。 とくに企画課や人事課には、若くして昇任した警察官が配属されることが多く、基本的にデスクワークで、試験勉強の時間も確保しやすいため、昇任が早いのです。 現場に出て捜査を行う警察官は、仕事の合間をぬって昇任試験に向けた勉強をする必要があります。私の場合は、休日は図書館に行って勉強をし、平日は家に帰っても布団に入らず、玄関先で寝ていました。しばらく横になっていると寒くて目覚めるので、そこから試験勉強を始められるというわけです。業務とは別に勉強するのは大変ですが、そこを突破すれば誰でも昇任することができます。 ただし、いちばん上の階級や役職までいけるかどうかは、30代で決まります。具体的には、32~33歳で警部になっていないと、いちばん上までは行けません』、早目に決まってしまうということは、昇進を諦めて意欲を失ってしまう人間も多いということになる。

次に、4月23日付けYahooニュースが神奈川新聞記事を転載した「【平成の事件】警官「シャブ抜き」で事件隠蔽、主犯は本部長 神奈川県警不祥事対応で異例人事」を紹介しよう。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190423-00010001-kanag-soci&p=1
・『一連の神奈川県警不祥事の中でも、覚醒剤隠蔽事件は突出した事案だった。主犯はキャリアの本部長。本来は職員の不正に目を光らせる監察などの計数十人が関与し、警官の覚醒剤使用を握りつぶしていた。県警は、警察としての存在自体が問われる事態への対処が迫られたが、前段で発覚した別の不祥事対応の引責でトップが辞任を表明、ナンバー2も更迭の流れとなり、機能不全に陥っていた。警察組織の危機に直面した警察庁は、異例の人事を断行。重大行事を控える北陸の地から急遽、一人の警察官僚を呼び寄せた』、「主犯はキャリアの本部長」とは、前代未聞の不祥事だ。
・『神奈川県警を再建せよ、突然の辞令  1999年10月5日。富山県警本部長の金高雅仁に、警察庁官房長の石川重明から電話が入った。用件は神奈川県警への異動内示で、ポストは人事や監察などを統括するナンバー2の警務部長。「大変な事態になっているので、処理を頼む」。相次いで発覚した不祥事への対応を誤り、本部長の辞任と警務部長の更迭が決まっていた神奈川県警の混乱収拾と再建を託されたのだった。 警視庁捜査2課長時代の96年には厚生省の事務次官を逮捕した汚職事件を手掛け、98年から富山に赴任。翌年には国体の開催を控えており、しばらくは富山にいるものと思っていた。しかも、通常は遅くとも発令1週間ほど前にある内示が、この時は2日前。急な異動であいさつもままならず、出張中だった県知事の中沖豊とも面会できなかった。出張先に電話をして異動を伝えた金高に、中沖は「何なんですか、その人事は」と驚きを口にした。 7日、警察庁での辞令交付後、金高は長官室に呼ばれる。二人きりになった場で長官の関口祐弘は「『覚醒剤の事案』が事件になるのであれば、相手が誰であろうと事実に即してきちんと処理するように。しっかりと処理をしないと、神奈川県警は大変なことになる。まずは、これがメインの仕事だ」。半月前に報道で発覚した警官の覚醒剤使用疑惑を巡る不祥事対応への指示だった。 2年10カ月前、96年12月13日未明。幻覚状態となった警備部外事課の警部補が交際相手の女と県警本部に現れ、覚醒剤を使用したと同僚に供述。腕には注射痕もあった。が、事件化はされず、警部補は不倫を理由に諭旨免職となっていた。この問題は全く表面化せず闇に葬られていたが、99年9月に発覚した県警不祥事の報道が過熱する中、覚醒剤使用疑惑として同月下旬に浮上。 報道を受けて当時の記録を確認した監察官室長の大木宏之は「自信を持って申し上げるに至らない、いくつかの疑問が出てきた。しっくりいかない部分、不明瞭な点がある」。当時の処分や捜査が適正であったかを調査するための特別チームを編成し、実態解明に乗り出す方針を示していた』、警察組織は閉鎖的だけに、不祥事のもみ消しはお手のものだろう。
・『「シャブ抜き」の証拠が現存  辞令交付の時点では、神奈川県警も警察庁も「組織的な隠蔽(いんぺい)事案」との認識はあったものの、事件の構図は判然としていなかった。神奈川県警に赴任した金高に、大木は「一番の問題は、誰の命令で動いたかということです」。前任の警務部長の中林英二は「科捜研に、ある程度記録が残っている。その記録を見てくれ」と引き継いだ。 神奈川県警科学捜査研究所。県警本部から数百メートル離れた横浜・中華街の一角にあり、DNA型鑑定、ポリグラフ、火災原因究明、さらには薬物の分析などを担う。その科捜研に、不自然な尿検査のデータが現存していた。覚醒剤の検出を示す陽性反応が出ている「氏名不詳」の検査結果。警部補を横浜市内のホテルに軟禁して連日尿検査を繰り返すなど「シャブ抜き」をし、陰性反応に転じた段階で形ばかりの「正式な捜査」を行った隠蔽工作の証拠の一部だった。 調査チームの報告などから、着任1週間程度で当時の本部長・渡辺泉郎の指示が発端だということが見えた金高は、警察大学校長を最後に99年2月に退官し、民間企業の顧問に転じていた渡辺の職場に出向いて面会。本当に渡辺の指示があったのか確認するためで、この疑惑を巡って捜査当局が渡辺と初めて接触した局面だった。やりとりの後、金高は「これから徹底的に調査をしますので、事実を言ってください」と告げ、別れた。 県警に戻った金高は調査チームの幹部に、渡辺との会話の内容や反応を伝達。もみ消しに関与した全員からの聴取が終了した10月下旬、捜査への移行を本部長の村上徳光に具申し、了解を得た。 11月4日、県警は96年に諭旨免職になった元外事課警部補と交際相手の女を覚醒剤使用の疑いで逮捕。14日には、警部補の覚醒剤使用事件を握りつぶした犯人隠避の疑いで、渡辺をはじめ、当時の警務部長、生活安全部長、監察官室長、担当監察官ら9人を書類送検した。担当監察官ら4人は、警部補の自供に基づいて発見した覚醒剤とみられる粉末などを廃棄したとして、証拠隠滅の容疑でも書類送検された。渡辺ら5人は起訴され、全員が有罪となった』、「警部補を横浜市内のホテルに軟禁して連日尿検査を繰り返すなど「シャブ抜き」をし、陰性反応に転じた段階で形ばかりの「正式な捜査」を行った隠蔽工作の証拠の一部だった」、とはここまで徹底した「隠蔽工作」をするものかと呆れてしまった。
・『本部長の命令とは  有罪となった当時の幹部らは公判などで、事件をもみ消す渡辺の方針が不本意であったと口々に語ったが、当時は誰一人、いさめることはなかった。「40年間の勤務で、上司の命令・指示に服従する習性が身についており、正しい判断ができない状態になっていた」「組織の一員として逆らえなかった。勇気と決断がなかった。部下の人事や(自身の)部門の組織への影響を危惧した」などと悔やんだ。 金高は捜査の過程で、神奈川県警で事件に関与した主要な人物に会った。直接相対し、当時や現在の心境などを尋ねた。「皆さん、やってしまったことは大変なことなので後悔していたが、上からの命令だったので、非常に複雑な胸中だったと感じた。自分が動かなければ、こんなことにはならなかった、自分は組織の中で本当はどうすべきだったのかなどと、非常に複雑な思いを持っていた」 未曽有の組織犯罪摘発から20年。県警不祥事への対応に奔走した後、警察組織の中枢を歩み、警察庁長官も務めた金高は今、あの事件をどう振り返るのか。 「1人の一言で数十人が動く完全な組織犯罪だった。それだけ本部長の判断、命令は重い。絶対に正しくなくてはならないと痛切に感じたが、本部長を支える部長クラスが何で声を上げないのかと思った。でも、本部長の命令というのは、重いんですよ。本部長命令には、命懸けの命令もある。そういう人は、絶対に違法なことを命じてはいかんのです」』、金高氏はその後、「警察庁長官も務めた」とはエリート中のエリートだったのだろう。彼も認めるように、やはり「本部長の命令」は重いようだ。ただ、そうであれば、有効な再発防止策など期待すべくもないようだ。

第三に、事件ジャーナリストの戸田一法氏が7月10日付けダイヤモンド・オンラインに寄稿した「京都で相次いだ警察官の重大不祥事、大阪に次ぎ「2つの府警」の堕落」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/208234
・『京都府警で重大な不祥事が相次いで発覚し、揺れに揺れている。5日、山科署の巡査長が特殊詐欺被害の緊急通報を悪用して、高齢男性から約1100万円を詐取したとして詐欺罪で起訴され、本部長が記者会見で謝罪する事態に発展した。また同日、警察学校初任科生の巡査が自宅に大麻を隠し持っていたとして、大麻取締法尾違反(所持)の疑いで逮捕された。巡査は柔道の世界ジュニア選手権優勝者で、柔道の指導教官として将来を嘱望されていた。一方で昨年8月、大阪府警富田林署から容疑者が逃走し、本部長が謝罪した事件をご記憶と思う。一般の方はご存じないと思うが、実は警察本部長の謝罪というのは極めて異例のことだ。2つの「府警」にとって夏は受難の季節なのだろうか』、「柔道の世界ジュニア選手権優勝者で、柔道の指導教官として将来を嘱望されていた」「巡査が自宅に大麻を隠し持っていた」が「逮捕された」、とは情けない限りだ。薬物の魅力の恐ろしさを垣間見た気がする。
・『警察本部長の謝罪の重み  最近は警察官の不祥事が珍しくなくなり、ニュースで報じられても驚かなくなってしまったが、通常は警察署であれば副署長、本部であれば監察官(警察内部の不祥事などを調査する部署・役職)が「再発防止に努める」「指導、教養を徹底したい」などのコメントを出すぐらいだ。 かなり深刻・重大な事案で全国ニュースになるレベルの不祥事であったとしても、通常は警務部長(警察本部のナンバー2)が記者会見で釈明するのが普通で、本部長が記者会見を開いて謝罪するというのは、実は年に1度あるかないかだ。 昨年4月、滋賀県彦根市の交番で19歳の巡査が上司の巡査部長を射殺し逃走した事件でも、巡査逮捕の記者会見では警務部長が謝罪しただけだった。数日後の定例記者会見では、鎌田徹郎本部長が「極めて遺憾」と謝罪したものの、県警は徹底して撮影を認めなかった。 2017年5月に特殊詐欺事件の証拠品として保管していた現金8572万円が、広島県警広島中央署会計課の金庫から盗まれたのが発覚し、そして、関与したとみられる男性警部補が死亡した後の今年4月の記者会見では、石田勝彦本部長が「県民と社会のみなさまに深くおわび申し上げる」と謝罪したが、質疑応答に立ち会わず退席していた。 警察本部長がカメラの前で謝罪するというのは、実はそれほどまでに重いのだ。2つの府警は、それが立て続けに起きた。万引きや盗撮などといった不祥事とは、レベルが違うのだ』、「滋賀県彦根市の・・・事件でも・・・鎌田徹郎本部長が「極めて遺憾」と謝罪したものの、県警は徹底して撮影を認めなかった」、謝罪にも撮影を認めるか否かの違いがあるとは芸が細かい。
・『ダブルパンチ  山科署巡査長の詐欺事件は6月15日、京都府警捜査2課が高橋龍嗣被告(38)=詐欺罪で起訴、懲戒免職=を逮捕した。起訴状によると、伏見署の交番に勤務していた昨年11月、京都市伏見区の無職男性(78)に「現金を預かる」と偽って現金をだまし取ったというものだ。 11月8日、男性が寄付のため金融機関を訪れ、高額の引き出しをしようとしていたことから金融機関側が特殊詐欺を疑い通報。駆け付けた高橋被告が理由などを聞き、さらに「自宅にも500万円ある」などと資産状況を把握。「銀行に預けた方がいい」などと言って詐取したとされる。 さらに14日には、男性の希望通りに現金を払い出すよう金融機関に依頼して、金融機関から引き出した現金と自宅にあった現金の計約1100万円を詐取した、という手口だ。 高橋被告は男性に「犯罪に関する可能性があるため、預かって捜査する」と説明したが、口座や資産が犯罪に利用されていると説明して高齢者をだますのは、特殊詐欺の常とう手段。現金を詐取した後は、男性に「体調はどうですか」などと定期的に気遣うような連絡をしていたという。 男性は生活保護費を受給していたが、少しずつ貯金し、資産がたまってきたため市役所に相談。受給の打ち切りが決まっていた。高橋被告は「お金を持っていたら生活保護は受けられないですよね。お金を預かって調べる」などと言って、不正受給の疑いを示唆して男性を脅していたとみられる。 高橋被告は当初、府警の聴取に「借りただけでだましていない」「投資に使った」などと容疑を否認していたが、後に「最初からだますつもりだった」と全面的に認めていた。詐取した現金は投資や借金返済、生活費でほぼ全額を使い果たしていた。 この事件で高橋被告が起訴された5日、植田秀人本部長は記者会見で「官民を挙げて特殊詐欺対策を進める中、このような事案が発生したことは言語道断であり、極めて遺憾。被害者の男性、府民の皆様に深くお詫び申し上げます」と謝罪した。 そう、問題は「官民を挙げて特殊詐欺対策を進める中…」だったのだ。 高額の引き出しや振り込みをする利用者への金融機関の声掛けは、特殊詐欺被害防止の最大の抑止策。警察庁によると、18年の特殊詐欺被害は約364億円とされるが、金融機関職員の声掛けなどで約143億円の被害が阻止できたとされる。 金融機関にとっては高額であっても、預金の引き出しは顧客の自由であり「何かございましたか?」などと声掛けをするのは、本来は「余計なお世話」だ。しかし、これだけの社会問題になり、警察の働き掛けもあって協力するという流れになったのだ。 全国紙社会部デスクによると、府警幹部は「今まで時間をかけて金融機関側に理解していただいて協力を得てきたのに、警察官がそのノウハウを利用して詐欺をやったのでは、申し開きができない」と頭を抱えているという。 植田本部長がカメラの前で謝罪したのは、実は「被害者や府民」ではなく、全国の警察官と金融機関に対してだったというのが本当のところだろう。 一方、警察学校初任科生の巡査、梅北亘容疑者(23)が逮捕された事件は、警察の情報収集能力そのものが疑われるだけに、内部のショックは大きい。 というのは、逮捕に至った経緯が警察学校内で同期の腕時計を盗んだとして窃盗容疑で実家を家宅捜索したところ、乾燥大麻が見つかったという事件だからだ。逮捕容疑は大阪府守口市の実家に乾燥大麻を所持していたというもので、吸引用とみられるパイプも見つかった。 梅北容疑者は今年4月の採用で、高校時代の14年、柔道の世界ジュニア選手権55キロ級で優勝していた。一般の警察官と違って交番などに配置されるのではなく、術科(柔道、剣道、逮捕術、けん銃射撃,白バイ乗務)を専門とする術科特別訓練(特練)の指定警察官(特練員)として期待されていた。 平たくいえば、容疑の段階ではあるが、将来の幹部候補が実は泥棒で、違法薬物使用者だったということを警察がキャッチできていなかったということだ。 前述の全国紙デスクによると、窃盗、薬物のいずれも常習的な手口らしい。大麻は「自分で吸うために実家に置いていた」と容疑を認めているという。 人事・採用担当の警務部からすれば、窃盗を専門とする捜査3課、違法薬物対策の組織犯罪対策3課は、いったい何をしていたのだと怒り心頭だろう。 そういう意味で京都府警はいま、大変なことになっているらしい』、大混乱の「京都府警」には、現在、京都アニメーション放火殺人事件という重大な事案を抱え、捜査に支障が出ないよう期待したい。
・『富田林署、樋田被告は今  冒頭で紹介した大阪府警富田林署から逃走した樋田淳也被告(31)や同署の近況なども、ここでお伝えしておこう。 その後、府警の検証や樋田被告に対する捜査は続いた。 樋田被告が逃走した約1週間後の昨年8月21日夜、枚方署の20代の男性巡査長が酒に酔って「似た男を見た」と110番していたことが発覚。周辺で似た人物は確認できず、巡査長は「組織に迷惑を掛けた」として依願退職した。 樋田被告が逃走時の留置担当者は、禁止されているスマートフォンを持ち込み、アダルト動画やプロ野球ニュースなどを閲覧していたことが判明した。府警は担当者を懲戒処分にしたが、理由は「スマホを持ち込んだことが理由。閲覧した内容は関係ない」と説明していた。 いずれもトホホなオマケ付きで、留置担当者含め署長ら7人が懲戒処分を受けた。富田林署では、樋田被告が壊した留置場の接見室アクリル板が今年4月までに修理され、現在は容疑者の収容が再開されている。 樋田被告は強制性交や放火、窃盗など計43件の容疑で逮捕・送検され、21件の罪で起訴された。もちろん、逃走した「加重逃走罪」も含まれる。 大阪府内で盗んだ自転車で中国・四国を転々としていた樋田被告。初公判の期日は決まっていないが、全国紙デスクによると、さすがに起訴内容を否認する元気はないだろうとのことだ』、「富田林署」逃走事件については、このブログでは昨年10月8日に取上げたが、本当にお粗末極まる事件だった。「留置担当者含め署長ら7人が懲戒処分」とあるが、その後の捜査も大阪府に限定したという問題は、もっと上層部にも問題があった筈だが、これらの責任は例によってうやむやのようだ。
タグ:東洋経済オンライン yahooニュース ダブルパンチ 神奈川新聞 ダイヤモンド・オンライン 相次ぐ警察の重大ミス 戸田一法 (その6)(警察官「無能が出世することはない」独自の掟 彼らの世界に「理由なき昇進」はあり得ない【平成の事件】警官「シャブ抜き」で事件隠蔽 主犯は本部長 神奈川県警不祥事対応で異例人事、京都で相次いだ警察官の重大不祥事 大阪に次ぎ「2つの府警」の堕落) 久保 正行 「警察官「無能が出世することはない」独自の掟 彼らの世界に「理由なき昇進」はあり得ない」 警察官の出世事情 『警察官という生き方』 警察本部の採用試験に受かったら、高卒の場合は10カ月、大卒の場合は6カ月の間、全寮制である警察学校の初任科で基礎を学び、卒業後、各警察署に配置されることになります 「交番業務」が警察官を鍛える ランニングなどの基礎体力づくり 現実には犯人に逃げられてしまう失態も数多い 徹底した「階級組織」 「警部」のハードルは高い 全国の警察官の約90パーセントが警部補までの階級 警部は全警察官のうち、7パーセント程度 警視庁や各県警では警察官の10パーセントが女性になるように採用枠を拡大 現場にいる警察官ほど出世しづらい 32~33歳で警部になっていないと、いちばん上までは行けません 「【平成の事件】警官「シャブ抜き」で事件隠蔽、主犯は本部長 神奈川県警不祥事対応で異例人事」 一連の神奈川県警不祥事の中でも、覚醒剤隠蔽事件は突出した事案 主犯はキャリアの本部長 神奈川県警を再建せよ、突然の辞令 「シャブ抜き」の証拠が現存 警部補を横浜市内のホテルに軟禁して連日尿検査を繰り返すなど「シャブ抜き」をし、陰性反応に転じた段階で形ばかりの「正式な捜査」を行った隠蔽工作の証拠の一部だった 本部長の命令とは 「京都で相次いだ警察官の重大不祥事、大阪に次ぎ「2つの府警」の堕落」 京都府警で重大な不祥事が相次いで発覚 山科署の巡査長が特殊詐欺被害の緊急通報を悪用して、高齢男性から約1100万円を詐取したとして詐欺罪で起訴 警察学校初任科生の巡査が自宅に大麻を隠し持っていたとして、大麻取締法尾違反(所持)の疑いで逮捕された。巡査は柔道の世界ジュニア選手権優勝者で、柔道の指導教官として将来を嘱望されていた 警察本部長の謝罪の重み 鎌田徹郎本部長が「極めて遺憾」と謝罪したものの、県警は徹底して撮影を認めなかった 官民を挙げて特殊詐欺対策を進める中、このような事案が発生したことは言語道断であり、極めて遺憾 窃盗、薬物のいずれも常習的な手口 人事・採用担当の警務部からすれば、窃盗を専門とする捜査3課、違法薬物対策の組織犯罪対策3課は、いったい何をしていたのだと怒り心頭だろう 富田林署、樋田被告は今 留置担当者含め署長ら7人が懲戒処分を受けた
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ハラスメント(その11)(カネカ 育休明け転勤命令でSNS大炎上 老舗企業の人材軽視が経営危機に直結する、キレる中高年に従業員が潰される!増えるカスハラ問題、「靖国神社」を揺るがすセクハラ動画 幹部職員が部下にお触り 被害者は複数人) [社会]

ハラスメントについては、1月15日に取上げた。今日は、(その11)(カネカ 育休明け転勤命令でSNS大炎上 老舗企業の人材軽視が経営危機に直結する、キレる中高年に従業員が潰される!増えるカスハラ問題、「靖国神社」を揺るがすセクハラ動画 幹部職員が部下にお触り 被害者は複数人)である。

先ずは、元証券会社社員で証券アナリストの栫井駿介氏が6月11日付けMONEY VOICEに寄稿した「カネカ、育休明け転勤命令でSNS大炎上。老舗企業の人材軽視が経営危機に直結する=栫井駿介」を紹介しよう。
・『カネカが炎上しています。きっかけはツイッターの投稿で、育休を取った男性社員が復帰直後に転勤を言い渡され、やむを得ず退職したというもの。問題を受けて株価は下落していますが、同社は買いなのでしょうか』、大企業にあるまじきお粗末な対応のようだ。
・『パタニティハラスメントで大炎上  ・・・父親の育児参加やワーク・ライフ・バランスが叫ばれるなかで、「パタニティハラスメント」として注目されています。 信じられない。 夫、育休明け2日目で上司に呼ばれ、来月付で関西転勤と。先週社宅から建てたばかりの新居に引越したばかり、上の息子はやっと入った保育園の慣らし保育2週目で、下の子は来月入園決まっていて、同時に私は都内の正社員の仕事に復帰予定。何もかもあり得ない。 — パピ_育休5月復帰 @papico2016) April 23, 2019』、奥さんの訴えは悲痛だ。
・『法的には問題なくても、それってどうなの?  詳細な経緯は、以下の通りと推察されます。 40代夫婦に2人目の子供が誕生 新居購入、夫は育休取得 保育園が決まり、夫は職場復帰、妻も職場復帰予定 夫職場復帰直後に関西への転勤が通告される 延期を申し出るが受け入れられず、退職を決意 退職日を5月末に強制され、有給休暇消化を認められず 夫、退職して無職に これに対し、カネカは「法的には問題ない」の一点張りです。それがかえって人々の感情を逆なでし、いっそう火に油を注ぐ事態となっています。 確かに、法的には問題はないかもしれません。社員を転勤させることは会社の権利ですし、社員もそれを承知で働いています。サラリーマンというのはそういうものでしょう。(ただし、有給休暇の消化が認められなかった点は、本当だとしたらアウトです。) 何より問題になっているのは、育児休暇を取ってこれから子育てが大変な時に、状況を過酷にする転勤を強制したことです。まして、新居を購入し、子供の保育園が決まったばかりのタイミングです。 夫は直接調整を申し出ていることから、会社は知らなかったでは済まされません。この事件の経緯を見るほど、カネカが社員とその家族を大切にしない会社ではないかという疑念が湧いてきます。 妻の立場になると、家や子供のことが一段落してようやく職場復帰だという時に、夫が単身赴任するか、家族で引っ越すかの選択を迫られているわけです。Twitterで怒りを吐露したくなるのも当然と言えます』、「新居を購入し、子供の保育園が決まったばかりのタイミング」で転勤辞令とは、余りに冷酷な仕打ちだ。カネカとしては、男性社員が「育休」を取ったことの見せしめにしたのかも知れない。
・『育休直後に退職した私が思うこと  私としてもこの事件は他人事ではありません。なぜなら、私自身も育児休暇からの復帰直後に退職した身だからです。 もっとも、決して嫌がらせを受けたわけではありません。円満退社でしたし、有給休暇もすべて消化させてもらいました。人事や同僚も優しく送り出してくれて、かえって退職するのが惜しく感じられたほどです。 ただ、退職を決意したのは、家族を考えてのことでした。育児休暇から復帰すると、特に割り当てられた案件もなく、会社ではぼーっと過ごしていました。上司はそれを見かねたのでしょう。人手不足だった案件に私を投入しようとしたのです。 しかし、その案件を受けると忙しくなり、帰宅時間も遅くなることが目に見えていました。家で待っている妻と子供のことを考えると「それは嫌だ」と思ったのです。 半年後くらいを目処に起業しようと考えていたのですが、その予定を大きく前倒しし、話を受けてすぐに退職を決意しました。 もしその案件を受けていたらと考えると恐ろしくなります。生まれたばかりの子供の顔を見ることもできずに、不満を募らせた妻とも不仲になっていたかもしれません。 上司も悪気があったわけではなく、私のこれからのキャリアのことを考えてくれたのだと思います。まだまだモーレツ社員の世代ですから、忙しい仕事を与えるのはむしろ親切心だったとも考えられます。 この考えのギャップが、カネカのような問題を引き起こしているのだと思います。表向きではワーク・ライフ・バランスを推進すると言っておきながら、上役はそれを「常識」として理解することができません。 一方で、若い人の価値観は確実に変化していて、管理職世代のモーレツ社員が持つ「常識」は通用しなくなっています。カネカ固有の問題ではなく、歴史のある会社ほど起きやすい価値観の対立と捉えることができるのです』、筆者も「育休直後に退職」した経験があるとは、この問題を解説するには適任のようだ。
・『昭和 vs 平成・令和。歴史ある企業ほど起こる世代間対立  カネカは化学製品の会社です。プラスチック製品の素材を企業に供給しています。あなたが使っている身の回りのものも、カネカが供給した材料を使用しているかもしれません。 1949年に鐘淵紡績(カネボウ)から分離し、設立されました。その後、昭和の高度経済成長の大量生産に不可欠な存在としてぐんぐん成長し、現在は従業員1万人を抱える大企業となっています。 これまで大きな企業再編もなく、独立独歩の経営を貫いていました。有価証券報告書にある取締役の経歴を見ると、会長以下11人中9人がキャリアのスタートが「当社入社」となる、いわゆるプロパー社員です。 多くの伝統的な日本企業について言えることですが、このような会社は終身雇用を前提とした旧態依然の体質を保存しています。すなわち、高度経済成長の成功体験をいまだに引きずる経営者が、そのままの感覚で経営を行っているのです。 当然その考えは、同じように会社の中にいる管理職にも引き継がれます。その旧来の企業戦士としての価値観と、近年のプライベート重視の価値観が対立し、冒頭のような軋轢が起きてしまったというわけです。 いわば、昭和 vs 平成・令和の世代間対立と言っても良いでしょう』、伝統的大企業ではありそうなことだ。
・『経営力は見劣り。カネカの強みを活かすために必要なこと  問題を受けて、カネカの株価は下落しています。同社は買いなのでしょうか。改めて業績を見てみましょう。 売上高は順調に伸び、直近の2019年3月期には最高を更新しています。しかし、利益は、2006年3月期からいまだに最高を更新できていません。 カネカのような化学メーカーにとって、ここ数年は追い風が吹いていました。景気は上向きで、なおかつ製品の原料となる原油価格が低下していたため、利益を出しやすい環境にあったのです。大手化学メーカーは、この数年連続で最高益を更新しています。 そのような環境の中で最高益を更新できていないのはなぜでしょうか。それは、プロパー社員が大半を占める内向的な会社であるがゆえに、不採算事業からの撤退が遅れているからだと考えます。 各社の営業利益率を比較してみると、カネカが見劣りしていることがわかります。利益率の差は、会社の経営力の差と見て良いでしょう。 不採算事業を多く抱えるということは、会社の資源が分散されてしまっているということです。そうなると、成長分野に機動的にお金や人材を投入することが難しくなり、また思わぬところから巨額損失が生まれることも珍しくありません。攻めにとっても守りにとっても良いことはないのです。 カネカの強みは研究開発にあります。様々な製品を開発しているからこそ知見は豊富で、毎年多くの研究開発費を投入しています。ここから新たなヒット商品を生み出していくことが成長戦略の柱となります。 しかし、研究開発の肝はなんと言っても人材です。いつまでも昔ながらの価値観を引きずったままでは、優秀な人材ほど離れていってしまうでしょう。不採算事業をいつまでも続けることも、不必要に人材を縛り付けることになります。 長期投資家の立場から見ると、今のカネカには決して投資する気にはなれません。社会的に問題があるだけでなく、経営の方向性から長期的な成長性が見込みにくいからです。 いいものは持っている会社です。今回の事件を機に、大きく変わることを期待しています・・・』、その通りだ。

次に、健康社会学者(Ph.D.)の河合 薫氏が6月25日付け日経ビジネスオンラインに寄稿した「キレる中高年に従業員が潰される!増えるカスハラ問題」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00118/00029/?P=1
・『「カスハラ」問題が深刻化している。 カスハラとは、カスタマーハラスメント。明確な定義はないが、「顧客や取引先からの自己中心的で理不尽かつ悪質なクレームや要求」のことで、先週ILO(国際労働機関)の定時総会で採択された「ハラスメント禁止条約」でも対象になっている。 で、いつもどおり“遅ればせながら”ではあるが、厚労省もガイドラインの作成に乗り出す方針だそうだ。 そんな中、民間の調査で「カスハラが最近3年間で増えた」と感じる人が6割近くいて、約7割がカスハラを経験していることがわかった。 「カスハラの対応で、どんな影響があるか?」との問いには(複数回答)、「ストレスが増加」93.1%、「仕事の意欲が低下」82.1%、「体調不良」73.2% 、「退職」59.6%「休職」54.2"など、カスハラに対応した人に過剰な負担がかかることも明らかになっている。 「せっかく大卒を積極的に採用して1年間コストをかけて育成しても、お客に潰されるんです。職業差別がひどくなってませんかね」  つい先日タクシーに乗ったときも、運転手の方がこう嘆いていた。 どう考えても「このコースしかないでしょ」というときでさえ、「ご希望のコースはございますか?」だの、「●●通りから△△に入る道でよろしいですか?」と聞いたり、「お話してもいいですか?」と断ってから雑談を始めたりするるのも、運転手さんによればすべてカスハラ対策だという』、「カスハラ対策」の余り馬鹿丁寧な応対を迫られるというのは、真の必要性に基づくというより、コンサルタントなどによるマニュアル主義のためなのではなかろうか。
・『若い社員が早々に辞める一因にも  というわけで今回は、「カスハラ」についてアレコレ考えてみようと思う。 「私も40年くらい運転手やってますけど、“普通のお客さん”に怒られるようになるなんて想像したこともなかったですよ。つい先日もね、『さっき確かめた金額と違う!』って怒りだしちゃって。 こちらの都合で指定の場所を過ぎたときは、メーターを止めます。ほら、交差点とかで止められなかったり、危なかったりするときがあるでしょ。でも、その時は私が止まろうとしたら『もっと先まで行け!』って言われたんです。参りますよね。 ホントね、大人しそうに見える人が突然怒りだすから、怖いですよ。 まぁ、私くらいになれば、言われてもなんとか対処したり、あまりにひどいことを言われたら車止めて『会社に電話しますので』とか言ったりできるけど、若い人はそんなことはできない。 だから、メンタルやられて辞めちゃうんです。会社はタクシー業界のイメージをよくしようと賃金上げたり、福利厚生充実させたり、いろいろやってるのに。お客さんに潰されちゃうんだもん。やってられないよね」 「え? どんなこと言われるのかって? まぁ、いろいろありますよ。 ‥‥そうね、ほとんどは言葉の暴力だけど、あれは結構、あとからこたえるんですよね。トラウマっていうのかな。アホだの、ボケだの、すごい怒鳴り方されて。今の若い子たちはそんなに怒られた経験がないし、年上と話すのも下手。1回でもやられるとお客さんとコミュニケーション取れなくなって、完全に悪循環ですわ。 特にね、理不尽なこと言うのは年配の男性に多いんです。命令口調でね。自分の運転手だと勘違いするんですかね。殴られたら、警察呼べばいいけど、言葉の暴力じゃあ通報もできませんから。いやな世の中になってしまいましたね」 ‥‥せっかく育てた社員が辞めてしまうほど怒鳴り散らすとは。事態は想像以上に深刻である。しかも、年配の男性。ふむ、確かに。 コンビニでアルバイトをしている学生が、意味不明の横暴な態度を取るのは、決まってダーク系のスーツをきちんと着たビジネスマンとぼやいていたことがあった。社会的に強い立場にいる人たちの特権意識が高まっている傾向は確かにあるのだと思う。 だが、女性であれ、おばさんであれ、若者であれ、カスハラ加害者はいるし、今回は「どんな人が加害者になりやすい」ということがテーマではないので、「あくまでもこういう話を私が聞いた」というレベルにとどめておいていただきたい』、「アホだの、ボケだの、すごい怒鳴り方されて。今の若い子たちはそんなに怒られた経験がないし、年上と話すのも下手。1回でもやられるとお客さんとコミュニケーション取れなくなって、完全に悪循環ですわ」、「理不尽なこと言うのは年配の男性に多いんです。命令口調でね。自分の運転手だと勘違いするんですかね」、「せっかく育てた社員が辞めてしまう」、などは確かにカスハラの典型だ。
・『カスハラは心に深く長く傷を残す  昨今のカスハラはエスカレートの一途をたどっていて、暴言や恫喝だけではなく、土下座を強要したり、SNSで広めるぞと脅しをかけたり、数時間にもわたりクレームを言い続けたり、賠償金を求めるケースも存在する。 カスハラは介護の現場でも横行している。「介護職員への暴行、杖(つえ)を股に当てるセクハラも」に書いたとおり、利用者の家族からの迷惑行為も「カスハラ」である(以下、抜粋)。 +“挨拶ができていない”、“太っているナースは来るな”など、訪問する度に暴言をはく +“おまえなんかクビにしてやる!”と激高。杖を振り回してたたこうとした +料金請求時“カネカネばっかり言いやがって”“ボランティアって気持ちがないのか”と言われた。 カスハラを受けた人が「10年以上前のことだが、思い出すだけで涙が出る」「言われるだけで何もできなかった」と告白しているように、心が引き裂かれるほどの深い傷を負うことになる。 被害者の心情を慮れば「ガイドラインを作成する」などと悠長なことを言っている場合じゃない。早急になんらかの防止策に乗り出して欲しい。というか、これこそ「働き方改革」だと思うのだが・・・。 いずれにせよ、運転手さんが“普通のお客さん”と表現したように、ひと昔前であれば、堅気の人はやらないようなクレームを、ごくごく普通の人が「お客様」の立場を利用して、従業員を追い詰めているというのだから困ったものである。 が、これは裏を返せば、なんらかのスイッチが入った途端、誰もが「カスハラ加害者」になる可能性があるとも言える。人のふり見てわがふり直せ、ではないけど、自分や家族が加害者にならないよう気をつけねばならない。 そもそも、この数年社会にまん延している「カネさえ払えば何をやっても許される」「客の要求を満足させるのは当然」という歪んだ“お客様”意識はどこから生まれたのか。 個人的には大きく2つの要因が引き金になっていると考えている。 まず、1つ目は「お客様第一主義」という理念の下、モノを作ることに専念してきたメーカーまでもが、「モノ」の付加価値を高めるために顧客サービスを強化し、競争に打ち勝とうとしたことである。 その結果、本来であれば顧客サービスとは無縁の職業についた従業員にまで、顧客サービスが課せられ、それが従業員の資質の問題として処理されるようになった』、「「ガイドラインを作成する」などと悠長なことを言っている場合じゃない」、確かにガイドラインなど待たずに、各事業者がマニュアルなどで対応すべき問題だろう。「お客様第一主義」の究極が「お客様は神様です」だ。三波春夫の言葉らしいが、歌手にとってはそうかも知れないが、一般のサービス現場にまで広げるべきではない。
・『顧客の声とカスハラを明確に区別する企業は少ない  例えば、システムエンジニア(SE)だ。 数年前に行ったヒアリングでは(河合らの研究グループ)、多くのSEさんたちが顧客のところに出向いて要求を聞きながら作業を進める“サービス”を課せられていた。もともと「人と接するのが苦手だから、プログラマーの道を選んだ」という人が少なくないにもかかわらず、だ。 システムの不具合の原因が顧客の側にある場合でも、途方もない要求を突きつけられる。「顧客が不機嫌というだけで、怒鳴られたり罵倒されたりした」と語る人たちもいた。 企業側からすれば、現場で社員が耳にする「お客様のクレーム」は商品改善の大切な声かもしれない。だが、「大切な声」と「カスハラ」を明確に区別する企業は少ない。 ただただ「お客様を満足させよう!」を合言葉に、ときにゲキを飛ばし、従業員たちに丸投げする。銃も防護服も身につけずに、丸裸で従業員は“危険なサバンナ”に放り出されているのだ。 実際、冒頭で紹介した調査では、顧客対応マニュアルを作成している会社は31.4%だった。そのうち、カスハラに対応していないマニュアルが約4割で、全体の半数以上は「作成予定もない」という。 で、ここからが2つ目の要因になるのだが、そもそもサービスとは“感情”を提供することであり、サービスを提供する労働は「感情労働(emotional labor)」と呼ばれ、それなりのスキルなくしてできるものではない。 つまり、本来であれば従業員のサービスの教育や感情コントロールの訓練を行ったり、感情労働分の賃金を上乗せしたりするなど、お客様を満足させるためのコストが必要不可欠。付加価値を高めるためのサービスは、タダじゃないのだ。そんな認識もないままに、対人サービスを当たり前としていることが問題なのだ。 2012年にスカイマークが、[スカイマーク・サービスコンセプト]という冊子を座席のシートポケットに入れ、顧客からのクレームで回収するという事態に至ったことがあった』、「顧客対応マニュアルを作成している会社は31.4%だった。そのうち、カスハラに対応していないマニュアルが約4割」、というのは驚くべき少なさだ。これでは、「銃も防護服も身につけずに、丸裸で従業員は“危険なサバンナ”に放り出されているのだ」、との批判ももっともだ。
・『「感情労働」を切り分けてみせたスカイマーク  +荷物の収容はしない +従来の航空会社の客室乗務員のような丁寧な言葉使いを当社客室乗務員に義務付けていない +安全管理のために時には厳しい口調で注意をすることもある +メイクやヘアスタイルやネイルアート等に関しては「自由」 +服装については会社支給のポロシャツまたはウインドブレーカーの着用だけで、それ以外は「自由」 +客室乗務員は保安要員として搭乗勤務に就いており接客は補助的なもの +幼児の泣き声等に関する苦情は一切受け付けません +地上係員の説明と異なる内容をお願いする際は、客室乗務員の指示に従うこと +機内での苦情は一切受け付けません +ご理解いただけないお客様には定時運航順守のため退出いただきます +ご不満のあるお客様は「スカイマークお客様相談センター」あるいは「消費生活センター」等に連絡されますようお願いいたします 私はこの問題が発覚し、大バッシングが起きた時に、スカイマークを褒めた。「オ~、よくぞここまで言い切った!」と。このサービスコンセプトこそが搭乗料金の値下げにつながっているというロジックが成立するからである。 [スカイマーク・サービスコンセプト]は、「我が社の飛行機に乗っているのは、客室乗務員ではなく、保安員です。ですから、他の航空会社さんとは違うのです」というお客さんへのメッセージであると同時に、「我が社はあなたたちに、乗客を感情的に満足させることを求めていない。あなたたちは、安全に乗客を届ける仕事に専念してください」という社員へのメッセージでもある。 誤解のないように言っておくが、社会人の当たり前の振る舞いとして、お客さんに感謝したり、仕事をスムーズに進めるためにお客さんとコミュニケーションを取ったり、自分がお客さんを喜ばせたくてサービスすることと、「何が何でもお客さんを満足させる!」ことは別。 お客様を「大切」に思って丁重に接することと、感情を売り払ってまでお客様を満足させることは、決して同じではないのである。 「感情労働」は働く人の資質でも自主性に任せる問題でもない。「企業がコストを払う労働」である。「顧客を満足させるのは、タダじゃない」という当たり前を、一体どれだけの企業が理解しているのだろうか。 企業は本当に「サービス」が最後の切り札なのか?を、きちんと考えた方がいい。 その上で「『お客様を満足させる』ために我が社が従業員に求めるものは何か?」をとことん突き詰めてほしい。“顧客を満足させる”ことに疲弊しきって、しまいには金属疲労のように心がポキリと折れることがないように働く人を守ってほしい。 これ以上、お客さんのモンスター化が進行しないためにも』、説得力溢れた主張で、その通りだ。[スカイマーク・サービスコンセプト]の回収騒ぎは私も覚えているが、スカイマーク側からきちんとした説明はなかったように記憶する。スカイマークといえば、社長がミニスカートの制服を復活させようとして話題になった他、エアバスの過大発注で民事再生法を申請、ANAの支援で再生した。「スカイマーク・サービスコンセプト]はまだ内部的には生きているのだろうか。

第三に、7月26日付けデイリー新潮「「靖国神社」を揺るがすセクハラ動画 幹部職員が部下にお触り、被害者は複数人」を紹介しよう。
https://www.dailyshincho.jp/article/2019/07181700/?all=1&page=1
・『先月末に創建150年を迎えた折も折、靖国神社を舞台にした数々のセクハラが明らかになった。加害者は幹部職員、被害に遭った女性は複数人に及ぶ。 靖国神社といえば、国のために命を捧げた246万余の御霊が眠る日本でも指折りの“聖域”である。週刊新潮が入手した動画に収められているのは、中年男性が女性の身体を執拗に触る場面の数々だ。 「セクハラしているのは、55歳で妻子持ちの祭儀課長です。祭儀課長とは、靖国神社にとって最重要とも言うべき春秋の例大祭の現場責任者で、246万余の御霊のデータベースを管理する責任者でもある。英霊を慰めるための祝詞(のりと)に関わる立場でもあり、靖国神社における祭祀の中心人物のひとりと言えます」 そんな幹部職員のハレンチな所業は、いかなるものか。デイリー新潮で配信中の動画をご覧いただきたいが、その一部をご紹介すると――。 場所は「祭儀課長行きつけの店」(靖国神社事情通)であるカラオケスナック。今年の春、神社職員たちで行われた歓送迎会の場だった。うす暗い店内で石川さゆりの『天城越え』が流れる中、セクハラ幹部は、ソファーに腰かけ、隣の女性の肩を抱く。そのまま二の腕を揉み、掴み、マイクを渡し、無理に歌わせようとする。〈♪あなたと越えたい~〉 曲がクライマックスに差し掛かる段階で、幹部の手は、女性の二の腕から胸の方へと下がっていく……。女性は幹部の腕に包まれながら〈♪天城越え~〉を歌わされている。 このほかにも女性の手を執拗に撫で、自身の股間付近に引き寄せる様や、腰、お尻付近に手をやる映像も収められている。先述のとおり、これらの被害者はすべて別の女性だ。 昨年は“陛下は靖国を潰そうとしている”発言が流出し、宮司が退任に追い込まれる事態ともなった靖国神社。今回のセクハラについて質すも、「当神社では判りかねます」と当事者意識の欠片もない回答が返ってくる。当のセクハラ幹部はダンマリで、神社に逃げ込んでしまった。7月18日発売の週刊新潮で本件を詳しく報じる。(2頁目に動画あり)』、これだけ明らかなセクハラ事件を引き起こしているのに、「当神社では判りかねます」とのコメントにはただ呆れるばかりだ。宮司退任といい、靖国神社は、ネジが外れてしまったようだ。神社本庁については、このブログの2017年7月5日の”右傾化”(その4)でも問題を抱えている様子を取上げたが、安倍政権を裏から支える日本会議主要メンバーであるだけに、注目される。この他にも、2017年12月には、富岡八幡宮で宮司が弟に惨殺される事件も発生した。神社は一体、どうなってしまったのだろう。
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