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ハラスメント(その11)(カネカ 育休明け転勤命令でSNS大炎上 老舗企業の人材軽視が経営危機に直結する、キレる中高年に従業員が潰される!増えるカスハラ問題、「靖国神社」を揺るがすセクハラ動画 幹部職員が部下にお触り 被害者は複数人) [社会]

ハラスメントについては、1月15日に取上げた。今日は、(その11)(カネカ 育休明け転勤命令でSNS大炎上 老舗企業の人材軽視が経営危機に直結する、キレる中高年に従業員が潰される!増えるカスハラ問題、「靖国神社」を揺るがすセクハラ動画 幹部職員が部下にお触り 被害者は複数人)である。

先ずは、元証券会社社員で証券アナリストの栫井駿介氏が6月11日付けMONEY VOICEに寄稿した「カネカ、育休明け転勤命令でSNS大炎上。老舗企業の人材軽視が経営危機に直結する=栫井駿介」を紹介しよう。
・『カネカが炎上しています。きっかけはツイッターの投稿で、育休を取った男性社員が復帰直後に転勤を言い渡され、やむを得ず退職したというもの。問題を受けて株価は下落していますが、同社は買いなのでしょうか』、大企業にあるまじきお粗末な対応のようだ。
・『パタニティハラスメントで大炎上  ・・・父親の育児参加やワーク・ライフ・バランスが叫ばれるなかで、「パタニティハラスメント」として注目されています。 信じられない。 夫、育休明け2日目で上司に呼ばれ、来月付で関西転勤と。先週社宅から建てたばかりの新居に引越したばかり、上の息子はやっと入った保育園の慣らし保育2週目で、下の子は来月入園決まっていて、同時に私は都内の正社員の仕事に復帰予定。何もかもあり得ない。 — パピ_育休5月復帰 @papico2016) April 23, 2019』、奥さんの訴えは悲痛だ。
・『法的には問題なくても、それってどうなの?  詳細な経緯は、以下の通りと推察されます。 40代夫婦に2人目の子供が誕生 新居購入、夫は育休取得 保育園が決まり、夫は職場復帰、妻も職場復帰予定 夫職場復帰直後に関西への転勤が通告される 延期を申し出るが受け入れられず、退職を決意 退職日を5月末に強制され、有給休暇消化を認められず 夫、退職して無職に これに対し、カネカは「法的には問題ない」の一点張りです。それがかえって人々の感情を逆なでし、いっそう火に油を注ぐ事態となっています。 確かに、法的には問題はないかもしれません。社員を転勤させることは会社の権利ですし、社員もそれを承知で働いています。サラリーマンというのはそういうものでしょう。(ただし、有給休暇の消化が認められなかった点は、本当だとしたらアウトです。) 何より問題になっているのは、育児休暇を取ってこれから子育てが大変な時に、状況を過酷にする転勤を強制したことです。まして、新居を購入し、子供の保育園が決まったばかりのタイミングです。 夫は直接調整を申し出ていることから、会社は知らなかったでは済まされません。この事件の経緯を見るほど、カネカが社員とその家族を大切にしない会社ではないかという疑念が湧いてきます。 妻の立場になると、家や子供のことが一段落してようやく職場復帰だという時に、夫が単身赴任するか、家族で引っ越すかの選択を迫られているわけです。Twitterで怒りを吐露したくなるのも当然と言えます』、「新居を購入し、子供の保育園が決まったばかりのタイミング」で転勤辞令とは、余りに冷酷な仕打ちだ。カネカとしては、男性社員が「育休」を取ったことの見せしめにしたのかも知れない。
・『育休直後に退職した私が思うこと  私としてもこの事件は他人事ではありません。なぜなら、私自身も育児休暇からの復帰直後に退職した身だからです。 もっとも、決して嫌がらせを受けたわけではありません。円満退社でしたし、有給休暇もすべて消化させてもらいました。人事や同僚も優しく送り出してくれて、かえって退職するのが惜しく感じられたほどです。 ただ、退職を決意したのは、家族を考えてのことでした。育児休暇から復帰すると、特に割り当てられた案件もなく、会社ではぼーっと過ごしていました。上司はそれを見かねたのでしょう。人手不足だった案件に私を投入しようとしたのです。 しかし、その案件を受けると忙しくなり、帰宅時間も遅くなることが目に見えていました。家で待っている妻と子供のことを考えると「それは嫌だ」と思ったのです。 半年後くらいを目処に起業しようと考えていたのですが、その予定を大きく前倒しし、話を受けてすぐに退職を決意しました。 もしその案件を受けていたらと考えると恐ろしくなります。生まれたばかりの子供の顔を見ることもできずに、不満を募らせた妻とも不仲になっていたかもしれません。 上司も悪気があったわけではなく、私のこれからのキャリアのことを考えてくれたのだと思います。まだまだモーレツ社員の世代ですから、忙しい仕事を与えるのはむしろ親切心だったとも考えられます。 この考えのギャップが、カネカのような問題を引き起こしているのだと思います。表向きではワーク・ライフ・バランスを推進すると言っておきながら、上役はそれを「常識」として理解することができません。 一方で、若い人の価値観は確実に変化していて、管理職世代のモーレツ社員が持つ「常識」は通用しなくなっています。カネカ固有の問題ではなく、歴史のある会社ほど起きやすい価値観の対立と捉えることができるのです』、筆者も「育休直後に退職」した経験があるとは、この問題を解説するには適任のようだ。
・『昭和 vs 平成・令和。歴史ある企業ほど起こる世代間対立  カネカは化学製品の会社です。プラスチック製品の素材を企業に供給しています。あなたが使っている身の回りのものも、カネカが供給した材料を使用しているかもしれません。 1949年に鐘淵紡績(カネボウ)から分離し、設立されました。その後、昭和の高度経済成長の大量生産に不可欠な存在としてぐんぐん成長し、現在は従業員1万人を抱える大企業となっています。 これまで大きな企業再編もなく、独立独歩の経営を貫いていました。有価証券報告書にある取締役の経歴を見ると、会長以下11人中9人がキャリアのスタートが「当社入社」となる、いわゆるプロパー社員です。 多くの伝統的な日本企業について言えることですが、このような会社は終身雇用を前提とした旧態依然の体質を保存しています。すなわち、高度経済成長の成功体験をいまだに引きずる経営者が、そのままの感覚で経営を行っているのです。 当然その考えは、同じように会社の中にいる管理職にも引き継がれます。その旧来の企業戦士としての価値観と、近年のプライベート重視の価値観が対立し、冒頭のような軋轢が起きてしまったというわけです。 いわば、昭和 vs 平成・令和の世代間対立と言っても良いでしょう』、伝統的大企業ではありそうなことだ。
・『経営力は見劣り。カネカの強みを活かすために必要なこと  問題を受けて、カネカの株価は下落しています。同社は買いなのでしょうか。改めて業績を見てみましょう。 売上高は順調に伸び、直近の2019年3月期には最高を更新しています。しかし、利益は、2006年3月期からいまだに最高を更新できていません。 カネカのような化学メーカーにとって、ここ数年は追い風が吹いていました。景気は上向きで、なおかつ製品の原料となる原油価格が低下していたため、利益を出しやすい環境にあったのです。大手化学メーカーは、この数年連続で最高益を更新しています。 そのような環境の中で最高益を更新できていないのはなぜでしょうか。それは、プロパー社員が大半を占める内向的な会社であるがゆえに、不採算事業からの撤退が遅れているからだと考えます。 各社の営業利益率を比較してみると、カネカが見劣りしていることがわかります。利益率の差は、会社の経営力の差と見て良いでしょう。 不採算事業を多く抱えるということは、会社の資源が分散されてしまっているということです。そうなると、成長分野に機動的にお金や人材を投入することが難しくなり、また思わぬところから巨額損失が生まれることも珍しくありません。攻めにとっても守りにとっても良いことはないのです。 カネカの強みは研究開発にあります。様々な製品を開発しているからこそ知見は豊富で、毎年多くの研究開発費を投入しています。ここから新たなヒット商品を生み出していくことが成長戦略の柱となります。 しかし、研究開発の肝はなんと言っても人材です。いつまでも昔ながらの価値観を引きずったままでは、優秀な人材ほど離れていってしまうでしょう。不採算事業をいつまでも続けることも、不必要に人材を縛り付けることになります。 長期投資家の立場から見ると、今のカネカには決して投資する気にはなれません。社会的に問題があるだけでなく、経営の方向性から長期的な成長性が見込みにくいからです。 いいものは持っている会社です。今回の事件を機に、大きく変わることを期待しています・・・』、その通りだ。

次に、健康社会学者(Ph.D.)の河合 薫氏が6月25日付け日経ビジネスオンラインに寄稿した「キレる中高年に従業員が潰される!増えるカスハラ問題」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00118/00029/?P=1
・『「カスハラ」問題が深刻化している。 カスハラとは、カスタマーハラスメント。明確な定義はないが、「顧客や取引先からの自己中心的で理不尽かつ悪質なクレームや要求」のことで、先週ILO(国際労働機関)の定時総会で採択された「ハラスメント禁止条約」でも対象になっている。 で、いつもどおり“遅ればせながら”ではあるが、厚労省もガイドラインの作成に乗り出す方針だそうだ。 そんな中、民間の調査で「カスハラが最近3年間で増えた」と感じる人が6割近くいて、約7割がカスハラを経験していることがわかった。 「カスハラの対応で、どんな影響があるか?」との問いには(複数回答)、「ストレスが増加」93.1%、「仕事の意欲が低下」82.1%、「体調不良」73.2% 、「退職」59.6%「休職」54.2"など、カスハラに対応した人に過剰な負担がかかることも明らかになっている。 「せっかく大卒を積極的に採用して1年間コストをかけて育成しても、お客に潰されるんです。職業差別がひどくなってませんかね」  つい先日タクシーに乗ったときも、運転手の方がこう嘆いていた。 どう考えても「このコースしかないでしょ」というときでさえ、「ご希望のコースはございますか?」だの、「●●通りから△△に入る道でよろしいですか?」と聞いたり、「お話してもいいですか?」と断ってから雑談を始めたりするるのも、運転手さんによればすべてカスハラ対策だという』、「カスハラ対策」の余り馬鹿丁寧な応対を迫られるというのは、真の必要性に基づくというより、コンサルタントなどによるマニュアル主義のためなのではなかろうか。
・『若い社員が早々に辞める一因にも  というわけで今回は、「カスハラ」についてアレコレ考えてみようと思う。 「私も40年くらい運転手やってますけど、“普通のお客さん”に怒られるようになるなんて想像したこともなかったですよ。つい先日もね、『さっき確かめた金額と違う!』って怒りだしちゃって。 こちらの都合で指定の場所を過ぎたときは、メーターを止めます。ほら、交差点とかで止められなかったり、危なかったりするときがあるでしょ。でも、その時は私が止まろうとしたら『もっと先まで行け!』って言われたんです。参りますよね。 ホントね、大人しそうに見える人が突然怒りだすから、怖いですよ。 まぁ、私くらいになれば、言われてもなんとか対処したり、あまりにひどいことを言われたら車止めて『会社に電話しますので』とか言ったりできるけど、若い人はそんなことはできない。 だから、メンタルやられて辞めちゃうんです。会社はタクシー業界のイメージをよくしようと賃金上げたり、福利厚生充実させたり、いろいろやってるのに。お客さんに潰されちゃうんだもん。やってられないよね」 「え? どんなこと言われるのかって? まぁ、いろいろありますよ。 ‥‥そうね、ほとんどは言葉の暴力だけど、あれは結構、あとからこたえるんですよね。トラウマっていうのかな。アホだの、ボケだの、すごい怒鳴り方されて。今の若い子たちはそんなに怒られた経験がないし、年上と話すのも下手。1回でもやられるとお客さんとコミュニケーション取れなくなって、完全に悪循環ですわ。 特にね、理不尽なこと言うのは年配の男性に多いんです。命令口調でね。自分の運転手だと勘違いするんですかね。殴られたら、警察呼べばいいけど、言葉の暴力じゃあ通報もできませんから。いやな世の中になってしまいましたね」 ‥‥せっかく育てた社員が辞めてしまうほど怒鳴り散らすとは。事態は想像以上に深刻である。しかも、年配の男性。ふむ、確かに。 コンビニでアルバイトをしている学生が、意味不明の横暴な態度を取るのは、決まってダーク系のスーツをきちんと着たビジネスマンとぼやいていたことがあった。社会的に強い立場にいる人たちの特権意識が高まっている傾向は確かにあるのだと思う。 だが、女性であれ、おばさんであれ、若者であれ、カスハラ加害者はいるし、今回は「どんな人が加害者になりやすい」ということがテーマではないので、「あくまでもこういう話を私が聞いた」というレベルにとどめておいていただきたい』、「アホだの、ボケだの、すごい怒鳴り方されて。今の若い子たちはそんなに怒られた経験がないし、年上と話すのも下手。1回でもやられるとお客さんとコミュニケーション取れなくなって、完全に悪循環ですわ」、「理不尽なこと言うのは年配の男性に多いんです。命令口調でね。自分の運転手だと勘違いするんですかね」、「せっかく育てた社員が辞めてしまう」、などは確かにカスハラの典型だ。
・『カスハラは心に深く長く傷を残す  昨今のカスハラはエスカレートの一途をたどっていて、暴言や恫喝だけではなく、土下座を強要したり、SNSで広めるぞと脅しをかけたり、数時間にもわたりクレームを言い続けたり、賠償金を求めるケースも存在する。 カスハラは介護の現場でも横行している。「介護職員への暴行、杖(つえ)を股に当てるセクハラも」に書いたとおり、利用者の家族からの迷惑行為も「カスハラ」である(以下、抜粋)。 +“挨拶ができていない”、“太っているナースは来るな”など、訪問する度に暴言をはく +“おまえなんかクビにしてやる!”と激高。杖を振り回してたたこうとした +料金請求時“カネカネばっかり言いやがって”“ボランティアって気持ちがないのか”と言われた。 カスハラを受けた人が「10年以上前のことだが、思い出すだけで涙が出る」「言われるだけで何もできなかった」と告白しているように、心が引き裂かれるほどの深い傷を負うことになる。 被害者の心情を慮れば「ガイドラインを作成する」などと悠長なことを言っている場合じゃない。早急になんらかの防止策に乗り出して欲しい。というか、これこそ「働き方改革」だと思うのだが・・・。 いずれにせよ、運転手さんが“普通のお客さん”と表現したように、ひと昔前であれば、堅気の人はやらないようなクレームを、ごくごく普通の人が「お客様」の立場を利用して、従業員を追い詰めているというのだから困ったものである。 が、これは裏を返せば、なんらかのスイッチが入った途端、誰もが「カスハラ加害者」になる可能性があるとも言える。人のふり見てわがふり直せ、ではないけど、自分や家族が加害者にならないよう気をつけねばならない。 そもそも、この数年社会にまん延している「カネさえ払えば何をやっても許される」「客の要求を満足させるのは当然」という歪んだ“お客様”意識はどこから生まれたのか。 個人的には大きく2つの要因が引き金になっていると考えている。 まず、1つ目は「お客様第一主義」という理念の下、モノを作ることに専念してきたメーカーまでもが、「モノ」の付加価値を高めるために顧客サービスを強化し、競争に打ち勝とうとしたことである。 その結果、本来であれば顧客サービスとは無縁の職業についた従業員にまで、顧客サービスが課せられ、それが従業員の資質の問題として処理されるようになった』、「「ガイドラインを作成する」などと悠長なことを言っている場合じゃない」、確かにガイドラインなど待たずに、各事業者がマニュアルなどで対応すべき問題だろう。「お客様第一主義」の究極が「お客様は神様です」だ。三波春夫の言葉らしいが、歌手にとってはそうかも知れないが、一般のサービス現場にまで広げるべきではない。
・『顧客の声とカスハラを明確に区別する企業は少ない  例えば、システムエンジニア(SE)だ。 数年前に行ったヒアリングでは(河合らの研究グループ)、多くのSEさんたちが顧客のところに出向いて要求を聞きながら作業を進める“サービス”を課せられていた。もともと「人と接するのが苦手だから、プログラマーの道を選んだ」という人が少なくないにもかかわらず、だ。 システムの不具合の原因が顧客の側にある場合でも、途方もない要求を突きつけられる。「顧客が不機嫌というだけで、怒鳴られたり罵倒されたりした」と語る人たちもいた。 企業側からすれば、現場で社員が耳にする「お客様のクレーム」は商品改善の大切な声かもしれない。だが、「大切な声」と「カスハラ」を明確に区別する企業は少ない。 ただただ「お客様を満足させよう!」を合言葉に、ときにゲキを飛ばし、従業員たちに丸投げする。銃も防護服も身につけずに、丸裸で従業員は“危険なサバンナ”に放り出されているのだ。 実際、冒頭で紹介した調査では、顧客対応マニュアルを作成している会社は31.4%だった。そのうち、カスハラに対応していないマニュアルが約4割で、全体の半数以上は「作成予定もない」という。 で、ここからが2つ目の要因になるのだが、そもそもサービスとは“感情”を提供することであり、サービスを提供する労働は「感情労働(emotional labor)」と呼ばれ、それなりのスキルなくしてできるものではない。 つまり、本来であれば従業員のサービスの教育や感情コントロールの訓練を行ったり、感情労働分の賃金を上乗せしたりするなど、お客様を満足させるためのコストが必要不可欠。付加価値を高めるためのサービスは、タダじゃないのだ。そんな認識もないままに、対人サービスを当たり前としていることが問題なのだ。 2012年にスカイマークが、[スカイマーク・サービスコンセプト]という冊子を座席のシートポケットに入れ、顧客からのクレームで回収するという事態に至ったことがあった』、「顧客対応マニュアルを作成している会社は31.4%だった。そのうち、カスハラに対応していないマニュアルが約4割」、というのは驚くべき少なさだ。これでは、「銃も防護服も身につけずに、丸裸で従業員は“危険なサバンナ”に放り出されているのだ」、との批判ももっともだ。
・『「感情労働」を切り分けてみせたスカイマーク  +荷物の収容はしない +従来の航空会社の客室乗務員のような丁寧な言葉使いを当社客室乗務員に義務付けていない +安全管理のために時には厳しい口調で注意をすることもある +メイクやヘアスタイルやネイルアート等に関しては「自由」 +服装については会社支給のポロシャツまたはウインドブレーカーの着用だけで、それ以外は「自由」 +客室乗務員は保安要員として搭乗勤務に就いており接客は補助的なもの +幼児の泣き声等に関する苦情は一切受け付けません +地上係員の説明と異なる内容をお願いする際は、客室乗務員の指示に従うこと +機内での苦情は一切受け付けません +ご理解いただけないお客様には定時運航順守のため退出いただきます +ご不満のあるお客様は「スカイマークお客様相談センター」あるいは「消費生活センター」等に連絡されますようお願いいたします 私はこの問題が発覚し、大バッシングが起きた時に、スカイマークを褒めた。「オ~、よくぞここまで言い切った!」と。このサービスコンセプトこそが搭乗料金の値下げにつながっているというロジックが成立するからである。 [スカイマーク・サービスコンセプト]は、「我が社の飛行機に乗っているのは、客室乗務員ではなく、保安員です。ですから、他の航空会社さんとは違うのです」というお客さんへのメッセージであると同時に、「我が社はあなたたちに、乗客を感情的に満足させることを求めていない。あなたたちは、安全に乗客を届ける仕事に専念してください」という社員へのメッセージでもある。 誤解のないように言っておくが、社会人の当たり前の振る舞いとして、お客さんに感謝したり、仕事をスムーズに進めるためにお客さんとコミュニケーションを取ったり、自分がお客さんを喜ばせたくてサービスすることと、「何が何でもお客さんを満足させる!」ことは別。 お客様を「大切」に思って丁重に接することと、感情を売り払ってまでお客様を満足させることは、決して同じではないのである。 「感情労働」は働く人の資質でも自主性に任せる問題でもない。「企業がコストを払う労働」である。「顧客を満足させるのは、タダじゃない」という当たり前を、一体どれだけの企業が理解しているのだろうか。 企業は本当に「サービス」が最後の切り札なのか?を、きちんと考えた方がいい。 その上で「『お客様を満足させる』ために我が社が従業員に求めるものは何か?」をとことん突き詰めてほしい。“顧客を満足させる”ことに疲弊しきって、しまいには金属疲労のように心がポキリと折れることがないように働く人を守ってほしい。 これ以上、お客さんのモンスター化が進行しないためにも』、説得力溢れた主張で、その通りだ。[スカイマーク・サービスコンセプト]の回収騒ぎは私も覚えているが、スカイマーク側からきちんとした説明はなかったように記憶する。スカイマークといえば、社長がミニスカートの制服を復活させようとして話題になった他、エアバスの過大発注で民事再生法を申請、ANAの支援で再生した。「スカイマーク・サービスコンセプト]はまだ内部的には生きているのだろうか。

第三に、7月26日付けデイリー新潮「「靖国神社」を揺るがすセクハラ動画 幹部職員が部下にお触り、被害者は複数人」を紹介しよう。
https://www.dailyshincho.jp/article/2019/07181700/?all=1&page=1
・『先月末に創建150年を迎えた折も折、靖国神社を舞台にした数々のセクハラが明らかになった。加害者は幹部職員、被害に遭った女性は複数人に及ぶ。 靖国神社といえば、国のために命を捧げた246万余の御霊が眠る日本でも指折りの“聖域”である。週刊新潮が入手した動画に収められているのは、中年男性が女性の身体を執拗に触る場面の数々だ。 「セクハラしているのは、55歳で妻子持ちの祭儀課長です。祭儀課長とは、靖国神社にとって最重要とも言うべき春秋の例大祭の現場責任者で、246万余の御霊のデータベースを管理する責任者でもある。英霊を慰めるための祝詞(のりと)に関わる立場でもあり、靖国神社における祭祀の中心人物のひとりと言えます」 そんな幹部職員のハレンチな所業は、いかなるものか。デイリー新潮で配信中の動画をご覧いただきたいが、その一部をご紹介すると――。 場所は「祭儀課長行きつけの店」(靖国神社事情通)であるカラオケスナック。今年の春、神社職員たちで行われた歓送迎会の場だった。うす暗い店内で石川さゆりの『天城越え』が流れる中、セクハラ幹部は、ソファーに腰かけ、隣の女性の肩を抱く。そのまま二の腕を揉み、掴み、マイクを渡し、無理に歌わせようとする。〈♪あなたと越えたい~〉 曲がクライマックスに差し掛かる段階で、幹部の手は、女性の二の腕から胸の方へと下がっていく……。女性は幹部の腕に包まれながら〈♪天城越え~〉を歌わされている。 このほかにも女性の手を執拗に撫で、自身の股間付近に引き寄せる様や、腰、お尻付近に手をやる映像も収められている。先述のとおり、これらの被害者はすべて別の女性だ。 昨年は“陛下は靖国を潰そうとしている”発言が流出し、宮司が退任に追い込まれる事態ともなった靖国神社。今回のセクハラについて質すも、「当神社では判りかねます」と当事者意識の欠片もない回答が返ってくる。当のセクハラ幹部はダンマリで、神社に逃げ込んでしまった。7月18日発売の週刊新潮で本件を詳しく報じる。(2頁目に動画あり)』、これだけ明らかなセクハラ事件を引き起こしているのに、「当神社では判りかねます」とのコメントにはただ呆れるばかりだ。宮司退任といい、靖国神社は、ネジが外れてしまったようだ。神社本庁については、このブログの2017年7月5日の”右傾化”(その4)でも問題を抱えている様子を取上げた。この他にも、2017年12月には、富岡八幡宮で宮司が弟に惨殺される事件も発生した。神社は一体、どうなってしまったのだろう。
タグ:ハラスメント 日経ビジネスオンライン 神社本庁 カラオケスナック 河合 薫 MONEY VOICE デイリー新潮 カスタマーハラスメント (その11)(カネカ 育休明け転勤命令でSNS大炎上 老舗企業の人材軽視が経営危機に直結する、キレる中高年に従業員が潰される!増えるカスハラ問題、「靖国神社」を揺るがすセクハラ動画 幹部職員が部下にお触り 被害者は複数人) 栫井駿介 「カネカ、育休明け転勤命令でSNS大炎上。老舗企業の人材軽視が経営危機に直結する=栫井駿介」 カネカが炎上 育休を取った男性社員が復帰直後に転勤を言い渡され、やむを得ず退職 「パタニティハラスメント」 来月付で関西転勤と。先週社宅から建てたばかりの新居に引越したばかり、上の息子はやっと入った保育園の慣らし保育2週目で、下の子は来月入園決まっていて、同時に私は都内の正社員の仕事に復帰予定。何もかもあり得ない 法的には問題なくても、それってどうなの? 育児休暇を取ってこれから子育てが大変な時に、状況を過酷にする転勤を強制 「育休」を取ったことの見せしめにした 私自身も育児休暇からの復帰直後に退職 昭和 vs 平成・令和。歴史ある企業ほど起こる世代間対立 経営力は見劣り。カネカの強みを活かすために必要なこと 大手化学メーカーは、この数年連続で最高益を更新 最高益を更新できていない 内向的な会社であるがゆえに、不採算事業からの撤退が遅れているから カネカの強みは研究開発 研究開発の肝はなんと言っても人材です。いつまでも昔ながらの価値観を引きずったままでは、優秀な人材ほど離れていってしまうでしょう 「キレる中高年に従業員が潰される!増えるカスハラ問題」 カスハラに対応した人に過剰な負担がかかる 若い社員が早々に辞める一因にも アホだの、ボケだの、すごい怒鳴り方されて。今の若い子たちはそんなに怒られた経験がないし、年上と話すのも下手。1回でもやられるとお客さんとコミュニケーション取れなくなって、完全に悪循環ですわ 理不尽なこと言うのは年配の男性に多いんです 自分の運転手だと勘違いするんですかね カスハラは心に深く長く傷を残す 介護の現場でも横行 「ガイドラインを作成する」などと悠長なことを言っている場合じゃない。早急になんらかの防止策に乗り出して欲しい 2つの要因が引き金 1つ目は「お客様第一主義」という理念の下、モノを作ることに専念してきたメーカーまでもが、「モノ」の付加価値を高めるために顧客サービスを強化し、競争に打ち勝とうとしたこと 顧客の声とカスハラを明確に区別する企業は少ない ただただ「お客様を満足させよう!」を合言葉に、ときにゲキを飛ばし、従業員たちに丸投げする。銃も防護服も身につけずに、丸裸で従業員は“危険なサバンナ”に放り出されているのだ 顧客対応マニュアルを作成している会社は31.4%だった。そのうち、カスハラに対応していないマニュアルが約4割で、全体の半数以上は「作成予定もない」という スカイマーク・サービスコンセプト]という冊子を座席のシートポケットに入れ、顧客からのクレームで回収 「感情労働」を切り分けてみせたスカイマーク お客様を「大切」に思って丁重に接することと、感情を売り払ってまでお客様を満足させることは、決して同じではない 「顧客を満足させるのは、タダじゃない」という当たり前を、一体どれだけの企業が理解しているのだろうか お客さんのモンスター化 「「靖国神社」を揺るがすセクハラ動画 幹部職員が部下にお触り、被害者は複数人」 セクハラしているのは、55歳で妻子持ちの祭儀課長 靖国神社にとって最重要とも言うべき春秋の例大祭の現場責任者で、246万余の御霊のデータベースを管理する責任者でもある 歓送迎会の場 曲がクライマックスに差し掛かる段階で、幹部の手は、女性の二の腕から胸の方へと下がっていく… このほかにも女性の手を執拗に撫で、自身の股間付近に引き寄せる様や、腰、お尻付近に手をやる映像も収められている 「当神社では判りかねます」と当事者意識の欠片もない回答 富岡八幡宮で宮司が弟に惨殺される事件も発生
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大学(その5)(竹中平蔵教授を批判 東洋大4年生「退学」騒動の本人を直撃、尾池元京大総長「対話の大学理念に反する」吉田寮問題で疑問、「役に立つ学問」が事前にはわからない根本理由 「モンゴル×超ひも理論×シロアリ」で考える) [社会]

大学については、昨年10月3日に取上げた。今日は、(その5)(竹中平蔵教授を批判 東洋大4年生「退学」騒動の本人を直撃、尾池元京大総長「対話の大学理念に反する」吉田寮問題で疑問、「役に立つ学問」が事前にはわからない根本理由 「モンゴル×超ひも理論×シロアリ」で考える)である。

先ずは、1月25日付け日刊ゲンダイ「竹中平蔵教授を批判 東洋大4年生「退学」騒動の本人を直撃」を紹介しよう。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/246108
・『東洋大学で大騒動だ。同大4年の学生が東京・白山キャンパスで教壇に立つ竹中平蔵教授の授業に反対する立て看板を設置、批判ビラをまいたところ、大学側に退学を勧告されたというのだ。 当該学生が自身のフェイスブックで一連の経緯を“拡散”。ネット上には「表現の自由を奪うことは言論の府である大学の死を意味する」などと大学側への批判コメントがあふれている。日刊ゲンダイの取材に当該学生はこう振り返った。 「21日朝9時から立て看板を出し、ビラを配り始めたら、10分と経たないうちに学生課の職員がビラ配布の中止と看板の撤去を求めてきました。その後、学生課の部屋に連れていかれ、職員5、6人から約2時間半にわたって詰問されました」』、竹中平蔵は慶応義塾大学から東洋大学に移ったようだ。「10分と経たないうちに学生課の職員が」現れたとは、ずいぶん早手回しのようだ。
・『こんな男がいる大学に在籍は恥ずかしい  ビラは冒頭から竹中氏の規制緩和路線を批判。「正社員はなくせばいい」「若者には貧しくなる自由がある」「トリクルダウンはあり得ない」など竹中氏の過去の暴言を列挙し、〈労働者派遣法の改悪は、自らが会長を務める(人材派遣)会社の利権獲得に通じていた〉〈まさに国家の私物化〉〈こんな男がいる大学に在籍していることが、僕は恥ずかしい〉と訴え、〈今こそ変えよう、この大学を、この国を〉と呼びかけた。 至極まっとうな意見だが、大学側の対応は厳しいものだった。 「職員らは学生生活ハンドブックの条項を示しながら、『大学の秩序を乱す行為』に該当するとし、退学処分をちらつかせてきました。さらに『君には表現の自由があるけど、大学のイメージを損なった責任を取れるのか』と大きな声で言われたり、『入社した会社で立場が危うくなるのでは』とドーカツされたりしました」(当該学生) 就職を控えた4年生への退学勧告は未来を奪うのに等しい。大学側の対応は「やりすぎ」を超え、「卑劣」ですらある。まさか「竹中批判」は絶対に許さないという意思表示なのか。 ネット炎上の影響だろう。東洋大は23日、この件に関する声明を慌てて公式サイトに発表。<無許可の立看板設置は学生生活ハンドブックに記された禁止行為だ>と指導したことは認めた上で、〈一部ネット等で散見されるような当該学生に対する退学処分の事実はありません〉と強調した。 日刊ゲンダイは東洋大に「詰問は2時間半に及んだのか」「学生に退学処分をほのめかしたのか」などの質問状を送ったが、「現時点でお答えできる内容は公式サイトに発表している声明の通り」(広報課)と答えるのみ。当該学生が改めて語る。 「今の東洋大は権力に抑えつけられているような雰囲気。もっと自由な校風になって欲しい。騒動の直後、東洋大の3年生や東洋大を目指す高校生からも協力したいとの連絡がありました。“どうせ変わらない”という諦めの意識を変えていくためにも、自分の考えが下の世代に受け継がれていくことを期待します」 諦めない若者の言動は、大人たちの心にも突き刺さる』、「ネット炎上」したのであれば、東洋大としても処分するわけにはいかなかったのだろう。竹中はパソナの会長もやりながら、東洋大教授とは、結構な第二の人生を謳歌しているようだ。

次に、7月13日付け京都新聞「尾池元京大総長「対話の大学理念に反する」吉田寮問題で疑問」を紹介しよう(Qは聞き手の質問、Aは尾池氏の回答・主張)。
https://www.kyoto-np.co.jp/education/article/20190713000120
・『京都大が学生寮「吉田寮」(京都市左京区)の旧棟と食堂からの寮生退去を求めた訴訟が、京都地裁で行われている。対話の理念を掲げる京大が学生との訴訟を選んだことは、その学風の変質を示唆するのだろうか。社会にとっての大学自治の意味を考えるため、京大元総長の尾池和夫・京都造形芸術大学長(79)に聞いた。 Q:大学側が学生を相手取った異例の民事訴訟になっている。 A:対話を根幹とした教育を掲げる京大の基本理念に反している。権力を持っている大学側が弱い立場の学生を訴えるのは問題。私は2003年から約5年間総長を務め、その前には学生教育担当の副学長として学生との話し合いに臨んできた。今の京大にとっては過去の人間だが、外から見て現状には疑問を覚える』、「元総長」が現執行部を批判するのは異例だが、余程、腹に据えかねたのだろう。
・『Q:現在の学生担当の理事・副学長は、学生と大学側の話し合いで結んできた過去の確約について「学生側から圧力を加えられる中で結ばされた」とし、引き継がないと宣言している。 A:私が副学長だった時に吉田寮自治会と「団体交渉」した記憶はないが、同じ自治寮である熊野寮自治会とは経験がある。確かに夜中までかかって何日も話し合った。人数も教員側より学生の方が多かったが圧力に屈したことは一度もない。学生との対話では教員として責任と重みを持ってサインしてきた。吉田寮との確約書を引き継がないという姿勢に納得はできない。 Q:対話の前提となる両者の信頼関係が構築できていない。 A:学生は大学側を信じているから、対話を呼びかけている。条件付きで旧棟を出るという方針を示しているのに、大学側はなぜむげにするのか。そこまで学生に高圧的になる理由が分からない。また吉田寮以外にも京大には学生寮がある。なぜ吉田寮の老朽化だけを取り上げるのか、理解しにくい。 Q:寮生が求める学生自治の意義とは。 A:大学では学生をはじめとして、あらゆる立場の自治が認められなければならない。実際、京大の基本理念にも研究教育組織の自治が明記されている。自由な環境からこそ独創的な研究は生まれるはずだ』、自然科学系のノーベル賞受賞者23人中、京大ゆかりが10人と「自由な環境」を誇ってきた京大の大学運営も、最近は官僚化しつつあるのかも知れない。残念なことだ。

第三に、6月14日付け東洋経済オンラインが掲載した4人の研究者たちのパネルディスカッション「「役に立つ学問」が事前にはわからない根本理由 「モンゴル×超ひも理論×シロアリ」で考える」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/286170
・『学問は社会にどう役立つのか──。基礎科学研究の予算削減や国立大学における文系不要論など、大学での研究や教育に対する厳しい意見が近年、経済界や政界を中心に目立っている。「税金を使う以上、研究の意義や有用性を説明するべき」という声も根強い。これらの問いに第一線の研究者たちはどう答えるか。そもそも、「役に立つ」とはどういうことなのか。今春、大阪で開かれたトークイベントで、4人の研究者たちが議論を交わした』、興味深そうだ。
・『学者が考える、自身の研究の「有用性」とは  「学芸ライヴ」と名付けられたこのトークイベントは、今年で設立40周年を迎えたサントリー文化財団が企画・主催する記念事業の1つ。第1回目は「役に立つって何?──モンゴル×超ひも理論×シロアリ」と題して、文化人類学者の小長谷有紀氏(国立民族学博物館客員教授)、理論物理学者の橋本幸士氏(大阪大学大学院理学研究科教授)、昆虫生態学者の松浦健二氏(京都大学大学院農学研究科教授)の3人を招き、経済学者の大竹文雄氏(大阪大学大学院経済学研究科教授)が司会進行を務めた。 「以前から、ぜひとも話を聞きたかった」という大竹氏の要請で実現した、まったく異なる分野の研究者たちの顔合わせ。議論はまず、各自が研究内容を説明しながら、「学問の有用性」をどうとらえているか述べるところから始まった。 小長谷氏の専門はモンゴル研究。1979年、社会主義体制だった同国を訪ねて以来40年にわたり、遊牧を中心に環境や農業、歴史や民俗文化など幅広く調査研究を積み重ねてきた。 これまでに書いた論文約100本は、すべてネット上に公開しており、ダウンロード数で「社会への有用性」を測るなら、「モンゴル国営農場の歴史」「古代からのモンゴル農業開発史」「チンギス・ハン崇拝の成立過程」の3本が上位を占めるという。前の2本は「社会主義時代の国営農場の記録はモンゴルにもなく、世界中で参照されるから」、残る1本は「モンゴルと言えばチンギス・ハンという、みなさんの好みの反映」と理由を推測する。 ただ、これらはいずれも「裏返しの動機」で始めた研究であり、注目が集まっても、あまりうれしくはないという。 もともと、モンゴルにおける遊牧文化の優位性や豊かさを証明しようと研究を始めた小長谷氏は、農業は土地に適していないと考えており、何かにつけてチンギス・ハン絡みでモンゴルが語られることにも抵抗を感じていた。 そうした反発や批判的視点が研究のきっかけになったのだが、世間にはそれらばかりが求められる「逆転現象」が起きていると苦笑し、こう続けた。 「私たち人文系の『知』は、いつ、誰にとって有用になるかは未知であり、それを考えずにやることに価値がある。成熟した社会はどんな知も有効活用する。わたしの論文も、活用するかどうかはあなた次第ということ」 続く橋本氏は、「世界でも数少ない超ひも理論の専門家で、この理論を理解している人の数はパンダの生息数より少ない」と大竹氏から紹介された』、「人文系の『知』は、いつ、誰にとって有用になるかは未知であり、それを考えずにやることに価値がある」、というのはその通りなのかも知れない。ただ、「成熟した社会はどんな知も有効活用する」、についてはいささか疑問だ。
・『橋本氏が説く理論物理学の歩み  「理論物理学とは、この宇宙で起こるすべての現象を数式で解明すること」と説明し、最も有名な物理の数式の話から始めた。アインシュタインの特殊相対性理論から導き出された「E=mc2」。Eはエネルギー、mは質量、cは光速で、「質量はエネルギーに変わりうる」という意味を表す。 「この式が広く知られているのは、ここから原爆が作られたから。原爆は、膨大なエネルギーを質量から取り出している。人類の歴史を変えたという意味では、いちばんインパクトのあった物理の式でしょう」と橋本氏。 人類史を大きく変えたその数式は、論文にして3ページ、黒板に書けば畳二畳分ぐらいの「極めて短い式変形で、簡単に導き出せる」という。その時代から飛躍的に進んだ現在の素粒子物理学については、こう語った。 「2012年にヒックス粒子という素粒子が欧州の加速器で発見され、それによって、半世紀前に提唱された『素粒子の標準模型の作用』と呼ばれる式が完成した。物理学はどんどん統合が進み、E=mc2をはじめ、さまざまな法則が1個の式から導出される。宇宙の現象を調べるにはまず、この式が正しいのか、どうやって計算するのか、計算した結果、現象にどう当てはめるのかということを逐一検証していく。量子力学の発見から1世紀で、人類はここまでの高みに到達した」』、「物理学はどんどん統合が進み、E=mc2をはじめ、さまざまな法則が1個の式から導出される」、という物理学の進歩には改めて驚かされる。
・『もう1人、松浦氏はシロアリの進化生態学を専門とするが、「自分はシロアリの研究者とも、生物学者とも、科学者とも思っていない」と言い、自らを「井の中の蛙」に例えて、学問へのスタンスを語った。 「自分は今どこにいて、どこから来て、いかにそこで生きていくか、井戸の中にいながら知る術が科学。すべての研究は、中心にあるその問いに向かっていくものであり、学問に分野はない」。シロアリを研究するのは、それが松浦氏にとって「世界をとらえ、最も美しく見るための磨かれた窓」だからだという。 シロアリの繁殖研究では、女王が自分の遺伝子から分身を作り、70年以上も生き続けることがわかってきた。今では、遺伝子をどのタイミングで、どう発現させるかという「エピジェネティクス」の領域に入っており、ゴキブリからシロアリをつくる"設計図"も描かれている。 哲学研究が趣味という松浦氏は、こんな言葉で説明する。 「進化を読み解けば、ヘーゲルの弁証法そのものであり、進化の面白さというのは、レヴィ=ストロースの言うブリコラージュ(手持ちの材料や余り物を組み合わせて、新たな機能や価値を生み出すこと)にある」。 そして、これら文系の知は、むしろ理系の科学者にこそ必要なものであるとして、「今、役に立つこと」ばかりが問われる風潮に異を唱える。 「例えば、プリオン(タンパク質から成る感染性因子)の研究なんて、BSEやヤコブ病が出なければ、何のことかよくわからなかった。ヒアリが入ってきたときに対応できたのは、それまで役に立たなかったヒアリの研究をしていた人がいるから。学知とは、有用性の部分だけで存在しているのではなく、全体が1個の体系として生まれ、運動しているもの」 松浦氏は、学問をグラスの水に浮かんだ球体の氷に例える。表面に出ている部分が有用だとすれば、今は役に立たない大半の部分が水面下に隠れている。氷はつねに回転していて、どの部分が表面にくるか、つまり何が有用となるかは、事前に決められるものではない、と』、「自分は今どこにいて、どこから来て、いかにそこで生きていくか、井戸の中にいながら知る術が科学。すべての研究は、中心にあるその問いに向かっていくものであり、学問に分野はない」、なかなか哲学的で深そうな指摘だ。「学問をグラスの水に浮かんだ球体の氷に例える。表面に出ている部分が有用だとすれば、今は役に立たない大半の部分が水面下に隠れている。氷はつねに回転していて、どの部分が表面にくるか、つまり何が有用となるかは、事前に決められるものではない、と」、というのは、上記の小長谷氏の見方に近く、説得的だ。
・『「役に立つ=お金儲け」だけではない多様な意味  「役に立つという言葉が、今は『お金儲けにつながる』と狭く定義されているが、お笑い芸人やスポーツ選手にそれを求める人はいない。人を楽しませ、幸福にするのが仕事だから。3人の研究の話も聞いているだけで楽しく、その意味で世の中の役に立っていると言える」 大竹氏はそんな感想を述べる一方で、こう問いかけた。 「でも、税金を払う人を説得できるかどうかも大事で、そのための努力もしないといけない。『今は役に立たないように見えているけど、実は役に立つ』という意識を共有してもらわないとだめなんじゃないか」 何の役に立つかわかりにくい学術研究への莫大な投資を納税者にどう納得してもらうか──。例えば日本では現在、岩手県に巨大加速器ILCを作る計画がある。 橋本氏によれば、その国民負担は1人当たり「ラーメン数杯分」になるという。1960年代のアメリカで同様の事例が持ち上がったとき、物理学者のロバート・ウィルソンが語った言葉を橋本氏は紹介した。 「これは役に立つのかと国の委員会で聞かれた彼は、『国防には何のメリットもない。ただし、この国を守るに値するものにします』と言ったそうです。これは非常に重要な発言で、学問を象徴している。守るに値する国とは、国民が『愛する国』であるということ。国を国民が名誉に思っていることが本質です。つまり、学術研究は国民の幸福度を上げるという大きな価値を持っているということだと思う」「先日大きく報道されたブラックホールの撮影成功の件を見ても、また、自分が市民向けに講義をした経験からしても、たくさんの人が、いろんな理由で科学に興味を持っていることを感じている。科学と隔絶された人にも、そこを穴埋めして、みんなで楽しもうという雰囲気を作ることが大切。それにはやはり、『役に立つ』の定義を変えないといけない」 橋本氏は、黒板に向かって数式を書き続ける自分の研究風景をネット動画にアップしたり、SNS上に「巨大科学萌え」というコミュニティーを作ったり──3人で始めたのが、半年後には約1000人に増えたという──していたことがある。科学者の経験や思考をシェアしてもらうことが「ボトムアップでファンを増やすことにつながる」という』、「学術研究は国民の幸福度を上げるという大きな価値を持っている」、というのはもっともらしいが、学術研究と称されるものの中にも価値のない無駄なものがありそうな気もする。
・『研究をアピールできる仕組みづくり  議論はそこから、メディアの活用法へも展開した。小長谷氏は、学術講演などを無料で動画配信しているアメリカの「TED」の日本版を提案し、新聞社などのマスメディアに協力を呼びかけた。 「面白い研究をしている方はたくさんいらっしゃるが、自発的に発信や説明ができるほど、コミュニケーション能力の高い人ばかりではないのが学者の世界。そういう人も生きていけて、研究内容や存在意義が承認されるようなシステムを共同で作り、社会にアピールできる仕組みができれば、ありがたい」 一方、松浦氏は、納税者への説明責任はあると認めつつ、説明の仕方によっては学問の本質から離れていく難しさがあると指摘する。 「一般の人に、私がやっている研究の面白さを伝えることは大変だけども、やろうと思えばできる。ただ、個別の研究の有用性を切り離せば切り離すほど、学問の本質はかげろうのように遠ざかっていく。ちょうど愛を語るのに似ています。『あなたが好きなんです。なぜなら……』と、説明すればするほど愛から遠ざかりますよね」 ある研究の存在意義や学問的価値を、その研究分野の中から説明するのは不可能だと松浦氏は言う。各分野の重要性は、1つの大きな学問体系の中ではじめて把握できるものだと。 「学知というものに、どれだけ税金を投入するかという問題は、学問をする階層ではなく、その上の階層、つまり国家として、この学問をどう評価するのかというところにある。われわれは涅槃経にある出家した比丘のようなもの。山を下りてきて商売することはできる。だけど、それでいいんですか?ということ」』、「学知というものに、どれだけ税金を投入するかという問題は、学問をする階層ではなく、その上の階層、つまり国家として、この学問をどう評価するのかというところにある」、との主張には、「国家」を持ち出すことにより、学者が責任放棄しているようにも映る。
・『「学問」と「研究」の違いとは  会場からは、松浦氏が先に述べた「学問の中心」には何があるのかという質問が寄せられた。学者は何を目指して研究しているのか。それを日々、意識しながらやっているのか──。 松浦氏は、「学問」と「研究」は異なるもので、両者を分かつのは、自分がやっていることの意味をメタに見られるかどうかだと言う。 「研究というのはほとんどが作業であり、技術です。それをメタにとらえる視点がなければ、マニアや実学であり、大学でなくてもできる。企業の商品開発なんかもそう。大学で問う学は、中心へ向かう力とは何か、自分がどこへ向かっているのかを意識できているかどうか、その1点にかかっている。それがなければ、学生を教えることもできない」 これに対し、橋本氏は「研究に没頭しているときは、自分がどこに行くかということは意識せずにやっている」と言う。「ただし、その成果である論文をまとめる段階では、学問の方向性や自分の作業の位置付けが見えている」と、やはりメタ視点の重要性を認める。 小長谷氏は、やや違う視点から、こんなふうに答えた。 「学問の中心にあるのは、やはり真理の探究だと思う。知りたい。だけど、まだその答えがない。だから、自分が調べるしかない。そういう単純なもの。まだこの世にない答えを求めていくというのは、どんな分野でも同じだと思っている。松浦先生がおっしゃった研究と学問の違いはよくわかるが、それは企業か大学かというように場所で決まるものではないと思う。自分も、テーマやお金の取りやすさによって使い分けたりもする」 「文化人類学の学生は、もう本当に好き勝手にいろんなことをやっている。場所もテーマも、どうしてそれが面白いのか、私にもわからないことがある。すごく細かいことを調べてきて、そんなどうでもいいようなことを調べてどうするんだろうと。ただ、そのオタクさをどれだけ普遍性に近づけられるか。ほんの10センチぐらいの違いだが、その感覚がある子とない子がいて、そこが博士論文を書けるかどうかの分かれ目になる。それが研究と学問の違いであり、中心に向かう力の有無じゃないか」』、「オタクさをどれだけ普遍性に近づけられるか」「が研究と学問の違いであり、中心に向かう力の有無じゃないか」、ふーん!そんなものかなと、私の認知力を超えている印象だ。
・『「今は役に立たない、でも、いつか役に立つかも」  「予定調和なし」とうたって始まった知と有用性をめぐる議論は、会場も巻き込んで120分間フルに続き、さまざまな論点が示された。 「人類社会が困難に陥ったときに生き延びられる資源、いわばオルタナティブな選択肢を準備しておくのが学問の役割」「有用性はとても重要だが、それに引っ張られすぎないことが大事」「人間が自ら問う領域が損なわれていき、問う存在としての主体性を失うと、AIに食われて終わる」……。 有用な学問とは何か。予算を割くべき研究分野をどう決めるか。一つの決まった結論が出る論題ではない。終わり近くで大竹氏が述べた意見が、現在の学問と有用性をめぐる問題を改めて浮き彫りにしていた。 「財務省の役人に言わせれば、大学や学問にかける予算と、年金や医療とどっちが大事なのという話になる。だから、どれだけ役に立つの、どれぐらい価値があるのと問われたときには、われわれの側から『今まで役に立つと思ってなかったことが突然役に立った例』を常に出していかないと、理解してもらえない。 『その研究は何の役に立ちますか』と聞かれて、基礎科学の人はよく、『役に立ちません』と言い切るが、これはよくない。まず、その研究が多くの人に面白いと思ってもらえた時点で、世に中の役に立っているという認識を持つことが重要。そして、『役に立たない』と言い切るのではなく、『いつか役に立つかもしれない。そのときがいつ来るかはわかりませんが』いう前提で言う必要がある」』、この大竹氏の主張には説得力があり、同意できる。
タグ:大学 東洋経済オンライン 京都新聞 東洋大 日刊ゲンダイ (その5)(竹中平蔵教授を批判 東洋大4年生「退学」騒動の本人を直撃、尾池元京大総長「対話の大学理念に反する」吉田寮問題で疑問、「役に立つ学問」が事前にはわからない根本理由 「モンゴル×超ひも理論×シロアリ」で考える) 「竹中平蔵教授を批判 東洋大4年生「退学」騒動の本人を直撃」 白山キャンパスで教壇に立つ竹中平蔵教授の授業に反対する立て看板を設置、批判ビラをまいたところ、大学側に退学を勧告された ネット上には「表現の自由を奪うことは言論の府である大学の死を意味する」などと大学側への批判コメントがあふれている ビラを配り始めたら、10分と経たないうちに学生課の職員がビラ配布の中止と看板の撤去を求めてきました こんな男がいる大学に在籍は恥ずかしい 「職員らは学生生活ハンドブックの条項を示しながら、『大学の秩序を乱す行為』に該当するとし、退学処分をちらつかせてきました 『入社した会社で立場が危うくなるのでは』とドーカツ 当該学生に対する退学処分の事実はありません 「尾池元京大総長「対話の大学理念に反する」吉田寮問題で疑問」 京都大が学生寮「吉田寮」(京都市左京区)の旧棟と食堂からの寮生退去を求めた訴訟 対話の理念を掲げる京大が学生との訴訟を選んだ 京大元総長の尾池和夫・京都造形芸術大学長 対話を根幹とした教育を掲げる京大の基本理念に反している。権力を持っている大学側が弱い立場の学生を訴えるのは問題 現在の学生担当の理事・副学長は、学生と大学側の話し合いで結んできた過去の確約について「学生側から圧力を加えられる中で結ばされた」とし、引き継がないと宣言 学生は大学側を信じているから、対話を呼びかけている。条件付きで旧棟を出るという方針を示しているのに、大学側はなぜむげにするのか 自由な環境からこそ独創的な研究は生まれるはず 自然科学系のノーベル賞受賞者 「「役に立つ学問」が事前にはわからない根本理由 「モンゴル×超ひも理論×シロアリ」で考える」 学問は社会にどう役立つのか 基礎科学研究の予算削減や国立大学における文系不要論 学者が考える、自身の研究の「有用性」とは 人文系の『知』は、いつ、誰にとって有用になるかは未知であり、それを考えずにやることに価値がある。成熟した社会はどんな知も有効活用する 橋本氏が説く理論物理学の歩み 物理学はどんどん統合が進み、E=mc2をはじめ、さまざまな法則が1個の式から導出される 自分は今どこにいて、どこから来て、いかにそこで生きていくか、井戸の中にいながら知る術が科学。すべての研究は、中心にあるその問いに向かっていくものであり、学問に分野はない 学問をグラスの水に浮かんだ球体の氷に例える。表面に出ている部分が有用だとすれば、今は役に立たない大半の部分が水面下に隠れている。氷はつねに回転していて、どの部分が表面にくるか、つまり何が有用となるかは、事前に決められるものではない 「役に立つ=お金儲け」だけではない多様な意味 「でも、税金を払う人を説得できるかどうかも大事で、そのための努力もしないといけない。『今は役に立たないように見えているけど、実は役に立つ』という意識を共有してもらわないとだめなんじゃないか 学術研究は国民の幸福度を上げるという大きな価値を持っている 『役に立つ』の定義を変えないといけない 研究をアピールできる仕組みづくり 個別の研究の有用性を切り離せば切り離すほど、学問の本質はかげろうのように遠ざかっていく 各分野の重要性は、1つの大きな学問体系の中ではじめて把握できるものだ 学知というものに、どれだけ税金を投入するかという問題は、学問をする階層ではなく、その上の階層、つまり国家として、この学問をどう評価するのかというところにある 「学問」と「研究」の違いとは オタクさをどれだけ普遍性に近づけられるか 「今は役に立たない、でも、いつか役に立つかも」 財務省の役人に言わせれば、大学や学問にかける予算と、年金や医療とどっちが大事なのという話になる。だから、どれだけ役に立つの、どれぐらい価値があるのと問われたときには、われわれの側から『今まで役に立つと思ってなかったことが突然役に立った例』を常に出していかないと、理解してもらえない その研究は何の役に立ちますか』と聞かれて、基礎科学の人はよく、『役に立ちません』と言い切るが、これはよくない。まず、その研究が多くの人に面白いと思ってもらえた時点で、世に中の役に立っているという認識を持つことが重要。そして、『役に立たない』と言い切るのではなく、『いつか役に立つかもしれない。そのときがいつ来るかはわかりませんが
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”ひきこもり”問題(その5)(「中高年引きこもり」調査結果の衝撃 放置された人々の痛ましい声、引きこもり当事者が教える「引きこもり学」の思わぬ反響、一橋大卒、30年引きこもる56歳男性の心の叫び 「お母さんは死んでやるからね」に怯えた日々) [社会]

”ひきこもり”問題については、6月11日に取上げた。今日は、(その5)(「中高年引きこもり」調査結果の衝撃 放置された人々の痛ましい声、引きこもり当事者が教える「引きこもり学」の思わぬ反響、一橋大卒、30年引きこもる56歳男性の心の叫び 「お母さんは死んでやるからね」に怯えた日々)である。

先ずは、ジャーナリストの池上正樹氏が4月5日付けダイヤモンド・オンライン:に寄稿した「「中高年引きこもり」調査結果の衝撃、放置された人々の痛ましい声」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/198874
・『「ひきこもり中高年者」の調査結果が投げかけた波紋  国を挙げての新元号フィーバーにいくぶん覆われてしまった観があるものの、内閣府が3月29日に公表した、40~64歳の「ひきこもり中高年者」の数が推計約61万3000人に上ったという調査結果は話題を呼んだ。厚労相が「新しい社会的問題だ」との見解を示すなど、その波紋が広がっている。 共同通信によると、根本匠厚生労働相は同日の会見で、内閣府の調査結果について「大人の引きこもりは新しい社会的問題だ。様々な検討、分析を加えて適切に対応していくべき課題だ」と話したという。 さらに4月2日の会見でも、こうした「中高年ひきこもり」者が直面している課題に対し、根本厚労相は「1人1人が尊重される社会の実現が重要。『8050』世帯も含め、対応していく」などと、これからの政府としての方針を示し、国の「引きこもり支援」の在り方が新たなフェーズに入ったことを印象付けた。 確かに、引きこもりする本人と家族が長期高齢化している現実を「社会として新しく認識した」と言われれば、その通りだろう。そもそも「引きこもり」という状態を示す言葉自体、精神疾患や障害などの世界と比べてもまだ歴史の新しい概念だ。 しかし、40歳以上の「大人のひきこもり」が新しい社会問題なのかと言われれば、決してそんなことはない。引きこもる人たちの中核層が長期高齢化している実態については、多くの引きこもる当事者や家族、現場を知る専門家たちが、ずっと以前から指摘し続けてきていたことだし、各地の自治体の調査結果でもすでに明らかになっていたことだ。蛇足ながら、筆者の当連載も2009年に開始以来、10年近く続いている。 にもかかわらず、40歳以上の引きこもり当事者やその家族の相談の声は、制度の狭間に取り残されたまま、長年放置されてきた問題であり、こうして内閣府が実態調査に漕ぎ着けるまでに、何年もの時間がかかった。 80代の高齢の親が収入のない50代の子の生活を支える世帯が、地域に数多く潜在化している現実を目の当たりにした大阪府豊中市社会福祉協議会福祉推進室長で、CSW(コミュニティソーシャルワーカー)の勝部麗子さんは、8050に近づく世帯も含めて「8050(はちまるごーまる)問題」とネーミングした。こうした8050世帯の中には、持ち家などで生活に問題がないように見えても、子が親の年金を当てにして貧困状態に陥りながら、悩みを誰にも相談できずに家族全体が孤立しているケースも少なくない』、確かに「ひきこもり中高年者」問題は、「制度の狭間に取り残されたまま、長年放置されてきた問題」が、悲惨な殺人事件を契機に一気に脚光を浴びた形だ。長年取り組んできた筆者は、解説に格好の人物のようだ。
・『全てのケアマネジャーが把握「8050問題」の深刻な実態  最近、筆者は役所の福祉部署や社会福祉協議会などから、職員や支援者、地域の民生委員向け研修の講師を依頼される機会が増えた。先月、ある自治体の高齢者支援課に呼ばれて、地域包括支援センターのケアマネジャー向け研修会の講師を務めたとき、自分が担当している高齢者の中に「8050問題」に該当する世帯を把握しているかどうかを尋ねたところ、ケアマネジャーのほぼ全員が手を挙げた。 地域包括支援センターは、高齢者の介護などの相談や訪問サービスを担う施設であり、引きこもり支援は本来の仕事ではない。そうした現場でよく聞かれるのは、「介護している高齢者の家に引きこもる子の存在を知っても、どこに繋げればいいのかがわからない」「どういう支援をすればいいのか知りたい」といった声だ。 「本人や家族に、どうアプローチすればいいのかわからない」「専門のスタッフがいない」「人手が足りない」という現場の声は、生活支援の相談窓口や福祉・保健の部署からも聞こえてくる。今年3月に公表された厚労省委託事業の「KHJ全国ひきこもり家族会連合会」の保健所調査によると、回答した保健所の45%が「支援の情報に乏しい」、42%が「家庭訪問の余裕がない」と答えた。 国から「ひきこもり地域支援センター」を受託している都道府県・政令指定都市などの相談窓口ですら、本来、引きこもり支援の担当とされているにもかかわらず、若者の「就労」「修学」を目的としている青少年部署が担当していて、「40歳以上の相談については他の適切な機関に紹介している」だけという、お寒い実情の自治体もある。 同じKHJ家族会の調査によれば、引きこもり支援担当窓口と位置付けられている、全国の「ひきこもり地域支援センター」と基礎自治体の「生活困窮者自立支援窓口」の半数近い48%の機関が「ひきこもり相談対応や訪問スキルを持った職員・スタッフがいない」、半数を超える56%の機関が「ひきこもり世帯数も未知数で、家族会の必要性があるかわからない」と回答。孤立した本人や家族が、せっかく勇気を出して相談の声を挙げても支援につながらず、絶望して諦めざるを得なくなる現実が、全国3ヵ所で開かれたKHJ主催のシンポジウムでも報告されている。 社会が「大人の引きこもり問題」を新たに認識する以前に、そもそも社会には40歳以上の当事者やその家族の存在が「見えていなかった」ということであり、「見ていなかった」だけのことだろう。もっと言えば、本当は彼らの存在が見えていたのに「見なかったことにしていた」という話なのではないか。 相談の行き場を失った本人や家族たちは、支援の枠組みから取りこぼされ、長い間、放置されてきた。これだけの数の人たちが行き場もなく高齢化させられている、その責任は誰にあるのか。調査を行ったから終わりではなく、8050問題が顕在化する事態に至った社会的な背景や、従来の支援制度が現実に即していたのかなど、当事者や家族にしっかりとヒアリングした上で、検証と総括も必要だろう』、その通りだろう。
・『40歳以上でひきこもった人が6割に上るという現実  今回の調査で興味深いのは、「40歳以上になってからひきこもった」と回答した人が57%に上った点だ。また、ひきこもった理由も「退職したこと」を挙げた人の数がもっとも多く、「人間関係、「病気」「職場になじめず」が続いた。 支援の在り方についての自由記述の中にも、「40代でも再スタートできる仕組みをつくってほしい」「在宅でできる仕事の紹介の充実」などを望む声があった。 これは「引きこもり」という心の特性が、従来言われてきた「ひきこもりは不登校の延長」「若者特有の問題」という捉え方ではなく、「社会に適合させる」目的の訓練主体のプログラムでは馴染まないことを意味している。むしろ、社会の側にある職場環境の不安定な待遇、ハラスメント、いじめといった「働きづらさ」の改善に目を向け、一旦離脱しても何度でもやり直せるような雇用制度につくり直さなければいけない。 また、「ふだん悩み事を誰かに相談したいと思わない」人は43%と、助けを求められずに引きこもらざるを得なくなる心の特性が示された格好だ。一方で「関係機関に相談したいと思いますか」の問いに、「相談したい」と答えた人は47%と半数近くに上るなど、いずれも39歳以下の若者層の割合より高かった。「どのような機関なら相談したいか?」という本人への設問に対しては、「無料で相談できる」「あてはまるものはない」が並んで多く、「どのような機関にも相談したくない」「親身に聴いてくれる」が続いた。 自由記述でも、「偏見を取り除くのが大切」「公的機関としては“外出できない人”の周囲を助けるアドバイスや支援があったほうがよい」「外で働けない人たちに報酬付きでやってもらう仕組みができれば」「何かのきっかけで、イキイキする人には、きっかけになるような場所を」といった声が寄せられた。 「引きこもり」とは、人との交わりを避ける場所でしか生きられなくさせられている状態であり、その状況や背景は1人1人それぞれ違って、一律ではない。そんな中で、『メディアが描いた引きこもり像とは違うから』と誤解を受けやすいのは、就労しても長続きせずに引きこもる行為を繰り返す「グレーゾーン」のタイプであり、実はボリューム層だ』、私も「ひきこもりは不登校の延長」と考えていたので、「40歳以上でひきこもった人が6割に上る」との結果には驚かされた。
・『社会に繋がろうと頑張るほど絶望が積み重なっていく  まったく働けずに引きこもっていた人に比べて、こうして社会につながろうとして頑張ってきた人ほど、絶望が積み重なっていく。自分の心身を騙して頑張ろうとするのは、自らの意思というよりも、周りのバイアスに追い詰められ、働かなければいけないと思わされている証左でもある。今は課題を抱えていても、身近に理解者が1人でもいいから傍にいて守られていれば、生活や心身面で困ったときに相談することもできる。 これからは、雇用されることが前提でつくられた従来の制度設計を見直し、1人1人が自分らしく生きていけるための仕組みづくりを構築ていかなければいけない。そのためには行政の支援の施策づくりに、まず家族や当事者を交えた協議の場を設ける必要がある』、その通りだろうが、現実には難しそうだ。

次に、同じ筆者によるこの続きを、7月11日付け「引きこもり当事者が教える「引きこもり学」の思わぬ反響」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/208372
・『「引きこもり当事者」が教える引きこもり経験から学んだこと  何もないところから居場所を立ち上げ、維持していくのは並大抵のことではない。 しかし、そんな地方の都市で、生きづらさを抱えた当事者たちが居場所をつくり、引きこもり経験者を講師とする「ひきこもり学」と題する講演会を開いたところ、川崎市の児童らの殺傷など一連の事件の影響もあって、定員を超える67人が参加。会場は立ち見が出るほどの盛況ぶりだったという。 「社会には、居場所がない。皆、ひっそりと息をひそめて、自分を責めている」 6月23日、大分市内でこのように「ひきこもり当事者が、ひきこもり体験から学んだこと」という趣旨の講座を企画したのは、自らも当事者である佐藤尚美さんらがつくった「居場所~特性を生かす道~」。この日、実名で顔を出して講師を務めた桂木大輝さん(24歳)も、主催者の1人だ。 企画したきっかけは、KHJ全国ひきこもり家族会連合会が昨年、大分と宮崎の支部で開いた「つながる・かんがえる対話交流会」に、佐藤さんもファシリテーターとして参加したところ、「当事者の話を聞きたかった」という話を何度も聞いたからだという。 「確かに地方では、引きこもり当事者の話を聞く機会はなかなかない。そこで、当事者の中でも講師に合っていそうな桂木さんに声をかけたんですが、最初は『恐い』「と断られました。でも、『引きこもりながら自分を売って行く方法もあるよ』『居場所のみんなが全力で守るから』ってアドバイスして……。それでも、批判されるのでは?と恐がってました」(佐藤さん) 「居場所~特性を生かす道~」では、おしゃべり会を開催している。そこで佐藤さんは、桂木さんにもともと好きなコントの時間を割り当てた。すると、参加者たちが桂木さんのコントを評価。新聞記者から取材もされた。そのとき、本名を出すことを迫られ、悩んだあげく、「自分が広告塔になって、色々な傷ついてきた人たちが活動している私たちの居場所を知ってほしい」と決意したという。 会場は、県の社会福祉協議会に協力してもらい、無料で借りることができた。また、ツイッターでたまたま知り合ったIT企業、ゾディアックデザイン株式会社の社長から「面白いことをしている。お手伝いしましょうか」と声をかけられ、協賛金を出してもらえた。それでも講師代が出なかったため、当日の寄付金で賄った。 チラシは、居場所のアーティスト部門の当事者たちが作成。講演会当日も、スタッフの多くが当事者だったため、がくがく震えながら進行したという。 「ひきこもり学」をネーミングした佐藤さんは、「桂木さんが、いつも哲学などの学問的なことを考えていたので、『ひきこもり』とはどういうことなのか。広く社会の人たちに学んでもらいたい」と思ったという。まさに、当事者たちが発案して普及した、当事者が講師になって自由に思いや知見を社会に伝える「ひきこもり大学」の思想に似ている』、「つながる・かんがえる対話交流会」を地方でも開催しているとは、ご苦労なことだ。大都市だけの問題ではなく、全国的な広がりもありそうだ。
・『今も当事者を悩ます川崎事件の衝撃  当事者団体主催のイベントではあるが、参加者は一般の興味ある人や行政、当事者家族が多かった。最後まで立ち見して熱心に聞き入る議員の姿もあったという。 当日、会場からは「心に響きました」「勇気をもらいました」といった反応が多かったものの、一方で「甘えるな」という発言もあった。しかし、他の参加者には「知りたい」「聞きたい」という切実な思いの当事者や家族が多く、「今は、そういう話ではないんだよ」と、会場内で「甘えるな」の発言者を諌めるシーンもあったという。 「事件後、私の元に来た相談の中にも『孤立しているから、自分もそんなことしてしまうのではないかと不安なんです』と悩んでいたので、『私たちとつながっている限りは絶対にないから。大丈夫』と伝えました」(佐藤さん) 筆者のもとにも、孤立した人たちから「助けて」「恐い」「同じような仲間と出会いたい」といった相談は、今も続いている。同じ当事者仲間からの「大丈夫」の声がけは、きっと安心することだろう。 「私たちは、この居場所を1つの障害や特性にこだわらず、“ひきこもり”という大きなくくりの中に置きました。どうしたら前向きに生きていけるかをみんなで真剣に話し合って、大概は明るく終わっています」(佐藤さん) 今回、舞台を設定してもらい、顔を出して講師を務めることを決めた桂木さんは、「負けたくなかった」と話す。 桂木さんは高校2年のとき、引きこもった。中学時代、友人がいなくて浮いていたとき、身体の大きな同級生とその取り巻きに目を付けられ、集団で暴力的ないじめに遭ったときの傷も、間接的に影響しているのではと振り返る』、「孤立した人たち」のなかでも、相談する気も失せて、完全に孤立しているような人が問題なのかも知れない。
・『支えてくれる人たちがいればいくらでも外に立つことができる  「このまま外に出なかったら、学校やいじめた相手に負けてしまうという思いが今もずっとあった。引きこもりになったら、ずっと部屋から出ないというイメージとは違う。周りの支えてくれる人たちや環境があれば、いくらでも外に立つことができる。あのときいじめた相手のように、イエスマンを置かなければ何もできない人が日本には多い。でも、自分は1人でも堂々と立てることを、身を持って証明したいという思いも強かったんです」(桂木さん) 過去の職場での体験から、桂木さんは就労をあきらめ、今も仕事をしていない。両親のいる実家からは離れているものの、祖父の経営する旅館で生活しているため、ほとんど生活費はかからないという。ただ、今後は佐藤さんらと居場所での活動を拠点に、もともと好きだったコントの世界で生きていこうと修行中の身だ。 講師の謝礼金は会場からの寄付金で賄わざるえないものの、佐藤さんはこう話す。 「次回以降の公演で、大分市を離れて地方の街に行くと、参加者の数も少なくなり、募金も集まらないかもしれない。それでも活動を続けていく意味はあるかなって、みんなで話をしています」 次回の公演は、8月11日、別府市社会福祉会館で「第2回ひきこもり学」を開講する予定。お問い合わせは、会のホームページで・・・』、「このまま外に出なかったら、学校やいじめた相手に負けてしまうという思いが今もずっとあった」、という桂木さんの場合は、その負けず魂が救いになっているのだろうが、そんなバネを失っている人も多いのだろう。

第三に、6月15日付け東洋経済オンラインが「週刊女性PRIME」記事を転載した「一橋大卒、30年引きこもる56歳男性の心の叫び 「お母さんは死んでやるからね」に怯えた日々」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/286769
・『現在、全国に100万人以上いると推測されるひきこもり。近年、中高年層が増加しており、内閣府は今年初めて、40歳以上が対象の調査結果を公表した。一般的には負のイメージがあるひきこもり。その素顔が知りたくて、当事者とゆっくり話してみたら……。 中高年のひきこもり(母からの虐待)池井多さん(56)のケース 今年3月、内閣府は40~64歳までの中高年の「ひきこもり」が推計61.3万人と発表した。これは6カ月以上連続して「自室からほとんど出ない」「自室からは出るが、家から出ない」「近所のコンビニには出かける」「趣味の用事のときだけ外出する」という“広義のひきこもり群”の数だ。15~39歳までのひきこもり54.1万人を上回り、大きな話題となっている。 今回お会いしたぼそっと池井多さんは56歳。仲間内では「ぼそっとさん」と呼ばれているが、ここでは池井多さんと記す。中肉中背、落ち着いた風情を漂わせ、低めの声でソフトに、だが論理的で知的な話し方をする彼は、国立の一橋大学を卒業している。断続的に30年にわたるひきこもりを経験、「基本的に今もひきこもりです」と微笑(ほほえ)む。 母親と、母に強制された父からの虐待によって、うつと複雑性PTSDを発症したことが原因だ。大人になるにつれて家族問題がこじれ、この20年近く両親と、8歳違いの弟とは没交渉、現在は体調と相談しながらひきこもり関連イベントのファシリテーターをしたり、英語やフランス語など語学の才能を活かしてネット上で欧米のひきこもりの人へのインタビューを行い、発信している』、「一橋大学を卒業して」も「断続的に30年にわたるひきこもりを経験」、どんな事情があったのだろう。
・『「死んでやるから」という母の脅し  「根っこは母からの虐待ですね。心身ともにですが、大人になって振り返ると、身体的なものより精神的なもののほうが悪影響を及ぼしている。いつも同じ構造の虐待が起こっていました。私が“スパゲティの惨劇”と呼んでいる虐待があるんです」 4歳から学校へ上がるくらいまでの話だ。夕方になると、母親が「何を食べたい?」と聞いてくる。だが、天真爛漫(てんしんらんまん)に答えられるようには育てられていない。もし食べたいものを言ったら全否定されるとわかっているから、「何でもいい」と答える。すると母は「何でもいいじゃわからない」と不機嫌になる。 「“スパゲティ食べたいでしょ?”と母親が言うわけです。“もちろん食べたい”と私は言う。父が帰ってくる時間を見計らったようにナポリタンを出してくるのですが、私は当時からグズでしたから、スイスイ食べることができない。 すると突然、母がキレてナポリタンの皿をシンクに叩きつける。そこにちょうど父親が帰ってくる。母は“この子が食べたいって言うから作ったら、こんなもの食えるかって捨てたのよ”と言いつけるわけです。父親は“そんなことをしたのか”と言う。母親の思いどおりのストーリーが完成して私は有罪が決定する」 私はほぼ口を半開きにしたまま聞いていたと思う。幼い子どもの気持ちを考えるといたたまれない。それだけでもすごい話なのだが、そのあとがもっと悲惨なのだ。 母は父に「怒ってやって」と命令し、父はズボンのベルトをとって彼を鞭(むち)打つ。彼は屈辱に耐えながら、時間が過ぎるのを待つしかなかった。 「母は有名大学出身のお嬢様で、父は高卒。だから父にとって母が言うことは絶対だった。父が母を諫(いさ)めたり反発したりするのを見たことがありません。あのとき父は何を考え、感じながら私を打っていたのだろうと思いますね」 さらに母は毎日のように、幼い彼に「言うことを聞かないと、お母さんは死んでやるからね」と言い続けた。 「それがものすごく怖かった。子どもにとっては、意地悪な母親でも母親なんですよ。おまえを殺してやると言われたら逃げるけど、死んでやると言われたら身動きがとれない」 以前、母娘問題で悩む女性に話を聞いたことがある。彼女も小さい頃から、母の意向と違うことをしようとすると「あんたがそんなことをしたら死んでやる」と脅されていたそうだ。だから「母の思いどおりの人形になるしかなかった」と彼女は泣いた。 池井多さんもそんな脅迫を受けていた。しかも父も渋々かもしれないが加担していた』、“スパゲティの惨劇”は確かに酷いが、毎日ではなく時たまなのだろう。しかも、食べ残しのスパゲティがその都度、「シンクに叩きつける」というのも不自然な気がするが、父は母の言いなりなのであれば、分かった上で演技していたのかも知れない。
・『強迫神経症に悩んだ人生の暗黒時代  「小学校低学年のころから死にたいと思っていました。本を読んで、理科室でシアン化カリウム(青酸カリ)を探したこともある」 小学校3年生から中学受験の勉強をさせられ、午前2時まで寝かせてもらえなかった。 その後、父の転勤で一家は名古屋へ。母は名古屋で塾を始め、かなりの収益を上げていたようだ。彼は引っ越し先の学校で「関東から来た異端児」といじめられていた。 「学校でも家でもいじめられて人生最大の暗黒時代でしたね。毎週日曜は、名古屋から新幹線で東京の塾に通わされ、いつも疲れていた」 そのころは強迫神経症に悩まされていた。不吉なことへの恐怖が強かったのだ。 「当時、同級生のお母さんが亡くなったんですよ。私はそれを聞いて、その同級生が触った机、触れたものなどにいっさい触ってはいけないと自分に言い聞かせた。そうしないと自分の母親も死んでしまうと思い込んだんです。そして実はそれが私の希望でもある。だからよけい怖い」 心の中に「母親なんか死んでしまえばいい」という願望があった。だがそれが現実になるのは怖い。恐怖感が募ると頭を激しく振り続けた。そうすると意識が遠のくから恐怖から逃れられる。だが、頭を振っているところを母親に見られると激しく叱られた。 「母は私に一橋大学に入ってほしかったんです。昔から、“東大生はバランスを欠いている、早稲田は下品、一橋生がいちばん”と言っていた。私は母が一橋生にフラレ、大学を卒業してすぐにあてつけのように高卒の父と結婚したんじゃないかと推測しています」 反抗期もなかったが、さすがに高校生になると、「母の言いなりになってたまるか」という気持ちが芽生えた。だからあえて1年浪人、そして一橋大学に合格した。 「東京に合格発表を見に来て受かっているとわかったとき、公衆電話から家にかけたんです。合格を伝えて、もし母が“おめでとう”とか“今までごめんね”と言ったら、私はすべて水に流すつもりでいた」 だが母は「あ、そう。早く帰ってきなさい」とひと言。 池井多さんの中で何かがキレた。このまま一橋大学を出て、母の望む一流商社マンになる。それが自分の人生かと思うと愕然(がくぜん)としたという。 東京の下宿や大学寮で暮らし始めたものの、講義には出ずバイトばかりしていた。それなのに就職活動では、やたらと内定が出る。 「でもある日突然、身体が動かなくなったんです。それが最初のひきこもりですね。このままスイスイ内定をもらったら母の思うつぼ、母を追認することになる」 当時、大人気の一流企業に内定していたのに、それを蹴って2年留年した。 「朝6時まで起きていて、食堂でうどんを食べて寝る。ただ、親から生活費をもらっていなかったから、塾講師のバイトは休めない。ぎりぎりまで寝ていて、這(は)い出して行く。地獄の苦しみでした」』、「このままスイスイ内定をもらったら母の思うつぼ、母を追認することになる」ので、「大人気の一流企業に内定していたのに、それを蹴って2年留年した」、大学4年にもなれば、世界が広がって、母にそれほど囚われなくなるのが普通だが、彼の場合はそうはいかなかったようだ。
・『死に場所を求め、海外で「外こもり」  本当は早く死にたかった。苦しくて医者に行き、うつ病だと診断されたが、死ぬ勇気は出なかった。 そこで彼は突然、「外こもり」をしようと考える。つまり海外で死のうと考えたのだ。 「どこで死のうかと考え、アフリカが浮かびました。子どもの頃から、母に“アフリカの子に比べたらおまえはどれだけ幸せか”と言われていたので、本当にアフリカの子が不幸なのか自分の目で見てから死にたいとも思った」 26歳のとき、彼はまずドイツの知り合いのところに身を寄せ、そこからアフリカへと渡った。スーダン、エチオピア、ケニア、内戦の激しかったモザンビークにも行った。 「放浪目的ではなく、自分では死に場所を求めていた。野宿したり安宿に泊まったり。いっそ殺されてもいいと思っていたのに無事なんですよね」 今思えば、自分にも見栄があったのだろうと彼は振り返る。働きもせずに日本にいるのはカッコ悪い、周りにも知られたくない、海外放浪ならカッコいいのではないか、と。 3年間、アフリカにいたが、「結局は死ねず、死なずだった」と自嘲ぎみに話す。そんなとき宿泊していた場所に、母親から「父が病気で死にそうだ」と連絡があった。あわてて帰ると、父は元気に会社に行っていた。 「実は母が私に会いたかったのではないかとひそかに思っていたんです」 その後は埼玉に転勤になった父親とともに団地で暮らすことになった。名古屋で塾を経営する母に代わって、「専業主婦の役割を押しつけられた」のだ。後に、留学から帰ってきた弟と暮らすことになる。一方で家庭教師をしたりアフリカの旅の話を書いて本を出版したりもした。 「たまたま私を評価してくれる国際ジャーナリストがいて、中国の取材を頼まれました。でも、やはり心身の状態がよくなくて、納得できる仕事はできなかった」 そのジャーナリストは1995年に亡くなってしまう。何かをつかもうとしていた彼の頼みの綱が切れた。そして弟との関係も悪化していた。 「留学から帰国した弟の態度が変わっていた。“ガールフレンドを連れてくるから、はずしてくれ”と5000円札を投げてよこしたことがあって、どこでそんな言い方を学んだのかと愕然としました」』、弟さんにしてみれば、「5000円札を投げてよこした」のはともかく、彼に家にいてほしくないというのは理解できる。
・『家族への手紙、原稿用紙700枚  1995年から1999年まで、彼はその団地でフロイトを読みながら、自分を模索し続けた。 「カーテンの外に光が見えるのがイヤだった。自分だけ置いてけぼりにされている気がして。昼も夜も雨戸を閉めて精神分析をしていました」 やはりこのままではいられない。家族の構造に問題があるのだから、解決すれば自分も普通に働けるようになるのではないか。彼はそう思った。 「家族にあてて原稿用紙700枚くらいの手紙を書いたんです。自分史みたいなものです。私の心をむしばんだ家族のゆがみについても書いた。最後は、家族会議を開きたいという思いで締めくくりました。4人で集まって問題点を話し合いたかった。ところが実家に戻った私に母は“何も問題なんかない”と言い張り、父と弟はだんまりを決め込んだ」 「愛されていた」。ただ1つその確認をしたかったのではないか。吐き捨てるように話をする彼を見て、そう思った。この世にいてもいい存在なのだと納得したかったのではないだろうか、と。 池井多さんは論理的で頭の回転も速く、なめらかに話をするが、話し終えたときの眼差(まなざ)しに、ときおり何とも言えない寂寥感(せきりょうかん)のようなものを漂わせることがある。私の思い込みかもしれないが』、心から相談できるような友人や、母を諫めてくれるような親戚はいなかったのだろうか。
・『母にはただひと言、謝ってほしい  彼は1人で、とある精神科クリニックを訪れ、福祉とつながって生活保護を受給することとなった。だが、彼の優秀さはここでも搾取される。クリニックが運営しているNPO法人の事務局長に任命され、8年近くただ働きをさせられたというのだ。 「治療過程の“作業”という理屈ですが、私は動き回って助成金をとってきたりもした。なんかおかしいと思っていたら、見事に切られました」 ある日突然、事務局長を解任されたという。 今、彼はその顛末を記事に書いたり、同様の被害者の話を聞き集めたりしている。 同時にひきこもりと老いを考える『ひ老会』も主宰、仲間たちとともにこの先を考えていこうとしている。 「母には無限に聞きたいことがあります。でも本当はひと言謝ってくれればそれでいい。それさえ高望みでしょうけど。恨みや憎しみがあまりに大きくて、もう感情としては出てこないんですよ」 彼は妙に穏やかにそう言った。あきらめが、うつになっている。まだ憎しみもある。 「怒りや恨みって、結局、マイナスの愛着なんです」 彼は今さら求めても無理だとわかっているのだ。それでも、どこかに残っている「子どもの頃の彼」が親の愛情を求め続けている』、彼を「8年近くただ働き」させた精神科クリニックというのは、悪質で踏んだり蹴ったりだ。母のことは諦めて、何とか自立してもらいたいものだ。「ひきこもり」の中では、例外中の例外なのだろうが、「ひきこもり」問題の多様性を示していることは確かのようだ。
タグ:東洋経済オンライン ダイヤモンド・オンライン 池上正樹 ”ひきこもり”問題 (その5)(「中高年引きこもり」調査結果の衝撃 放置された人々の痛ましい声、引きこもり当事者が教える「引きこもり学」の思わぬ反響、一橋大卒、30年引きこもる56歳男性の心の叫び 「お母さんは死んでやるからね」に怯えた日々) 「「中高年引きこもり」調査結果の衝撃、放置された人々の痛ましい声」 「ひきこもり中高年者」の調査結果 40~64歳の「ひきこもり中高年者」の数が推計約61万3000人に上った 大人の引きこもりは新しい社会的問題 様々な検討、分析を加えて適切に対応していくべき課題だ 引きこもる人たちの中核層が長期高齢化している実態については、多くの引きこもる当事者や家族、現場を知る専門家たちが、ずっと以前から指摘し続けてきていたことだし、各地の自治体の調査結果でもすでに明らかになっていたことだ 「8050(はちまるごーまる)問題」 全てのケアマネジャーが把握「8050問題」の深刻な実態 40歳以上でひきこもった人が6割に上るという現実 「ひきこもりは不登校の延長」「若者特有の問題」という捉え方ではなく、「社会に適合させる」目的の訓練主体のプログラムでは馴染まないことを意味 社会の側にある職場環境の不安定な待遇、ハラスメント、いじめといった「働きづらさ」の改善に目を向け、一旦離脱しても何度でもやり直せるような雇用制度につくり直さなければいけない 社会に繋がろうと頑張るほど絶望が積み重なっていく 「引きこもり当事者が教える「引きこもり学」の思わぬ反響」 「引きこもり当事者」が教える引きこもり経験から学んだこと 引きこもり経験者を講師とする「ひきこもり学」と題する講演会 「つながる・かんがえる対話交流会」 今も当事者を悩ます川崎事件の衝撃 支えてくれる人たちがいればいくらでも外に立つことができる このまま外に出なかったら、学校やいじめた相手に負けてしまうという思いが今もずっとあった 「週刊女性PRIME」 「一橋大卒、30年引きこもる56歳男性の心の叫び 「お母さんは死んでやるからね」に怯えた日々」 ぼそっと池井多さんは56歳 一橋大学を卒業している。断続的に30年にわたるひきこもりを経験 母親と、母に強制された父からの虐待によって、うつと複雑性PTSDを発症したことが原因 英語やフランス語など語学の才能を活かしてネット上で欧米のひきこもりの人へのインタビューを行い、発信 「死んでやるから」という母の脅し “スパゲティの惨劇” 父が帰ってくる時間を見計らったようにナポリタンを出してくるのですが、私は当時からグズでしたから、スイスイ食べることができない。 すると突然、母がキレてナポリタンの皿をシンクに叩きつける。そこにちょうど父親が帰ってくる。母は“この子が食べたいって言うから作ったら、こんなもの食えるかって捨てたのよ”と言いつけるわけです。父親は“そんなことをしたのか”と言う。母親の思いどおりのストーリーが完成して私は有罪が決定する 母は父に「怒ってやって」と命令し、父はズボンのベルトをとって彼を鞭(むち)打つ 母は有名大学出身のお嬢様で、父は高卒 強迫神経症に悩んだ人生の暗黒時代 大人気の一流企業に内定していたのに、それを蹴って2年留年 このままスイスイ内定をもらったら母の思うつぼ、母を追認することになる 死に場所を求め、海外で「外こもり」 家族への手紙、原稿用紙700枚 1995年から1999年まで、彼はその団地でフロイトを読みながら、自分を模索し続けた 実家に戻った私に母は“何も問題なんかない”と言い張り、父と弟はだんまりを決め込んだ 母にはただひと言、謝ってほしい 精神科クリニック NPO法人の事務局長に任命され、8年近くただ働きをさせられた 『ひ老会』も主宰
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コミュニケーション(河合 薫氏:グリコ「こぺ」炎上で露呈するコミュ力“総低下社会”、小田嶋 隆氏:ジョークがスベることの意味) [社会]

今日は、コミュニケーション(河合 薫氏:グリコ「こぺ」炎上で露呈するコミュ力“総低下社会”、小田嶋 隆氏:ジョークがスベることの意味)を取上げよう。

先ずは、健康社会学者(Ph.D.)の河合 薫氏が3月5日付け日経ビジネスオンラインに寄稿した「グリコ「こぺ」炎上で露呈するコミュ力“総低下社会”」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00118/00012/?P=1
・『「うちの会社には“解釈会議”っていうのがあるんですよ(笑)」 「カイシャクカイギ? ですか?」「そうです。社長が会議で言ったことを、終わったあとで“解釈”して部下に伝えるの」「なるほど。社長が言ったことが部下には伝わらないんですね!(笑)」「あ、それならうちにもありますよ。でも、後じゃなく前。会議の前日に『明日、こう言ってきたとこは、こうこうこういう意味だからな』って(笑)」「みなさん、大変ですね」「(一同笑)はい、大変です」 いつのことだったか忘れてしまったけれど、社長の言葉を翻訳する“解釈会議”ネタで中間管理職の人たちと盛り上がったことがあった。 まぁ、社長さんに限らず上の指示が部下に伝わらないのは日常茶飯事だし、何人もの社長さんたちから「どうやったら話が上手く伝わるのか?」と度々質問されていたので、「忖度上手の管理職が解釈して伝えてくれれば願ったり叶ったりだわ」などと、彼らの話にホッコリした気分にもなった』、「社長の言葉を」、自分たちの部署に即した形に「翻訳する」のは「中間管理職」の重要な仕事だ。
・『が、上司と部下なら許される“解釈”が、女性と男性の間だと、場合によっては「NG」らしい。 先日、またもや企業のキャンペーンサイトが炎上し、取り下げるという事態が起こった。“燃えた”のは江崎グリコ。同社が2月6日に夫婦間の子育てコミュニケーションアプリ「こぺ」をスタートしたことを記念し、19日「パパのためのママ語翻訳コースター」というコンテンツを公式サイト上で発表したところ、“こぺ燃”してしまったのである。 「パパとママのコミュニケーションがうまくいくコツを、おしえて!こぺ!」というタイトルがつけられたページには、「すれちがいのストレスを減らすには、まず、パパとママの脳のちがいを知ることから」とし、男性脳と女性脳の違いによりコミュニケーションのすれ違いが起こるという趣旨を説明。で、具体的に「妻の言葉を“翻訳”」した8つの事例を紹介したのだ。 たとえば、「一緒にいる意味ないよね?」→「私のこと、どう思ってるのかな?」 「もういい!(ピッ!電話を切る)」→「ほんとは甘えたいの」 「好きにすれば?」→「それをやったら、もう知らないから!」 「わかってない」→「正論はもとめてない」 「仕事と家庭どっちが大事なの?」→「私は何より家庭を優先してるのに、あなたは仕事ばかりなのが寂しいわ……」 などなど。 これに対し、「女性をバカにしてる!」「全く翻訳が適切ではない」「『女性に対しては共感だけすればいい』と思っているのか」「同じ言語を話しているのに翻訳するって失礼にもほどがある!」などなど批判が殺到し、23日に公開を終了したのである』、「8つの事例」には首を傾げるようなものもあるとはいえ、全体としては面白いと思ったので、「批判が殺到し、23日に公開を終了」したのは残念だ。まあ、女性からみたら、許せないのだろう。
・『コミュニケーションは「受け手」次第という“不条理”  一応サイトには、「掲載する情報には充分に注意を払っていますが、その内容について保証するものではありません」という但し書きがあり、監修した専門家・黒川伊保子氏の名前も併記したが、怒るのが仕事になってるご時世、いや失礼、「批判の共有が容易な今のご時世」では、受け入れてもらえなかったということなのだろう。 ……というか、おそらく私がこうやって書いただけで、「オマエは夫婦関係に真剣に悩んでる人たちの気持ちがわからんのか!」だの、「アンタはいつも差別するな~だの、男も女も違いはないだの言ってるじゃないか! なのにグリコのことは責めないのか!」だの、批判スイッチがオンになった人もいるに違いない。 なので、ここまで書きながらも「このネタやめといたほうがよかったかも」と若干怯んでいる。 でも、もう書き始めてしまったので批判を恐れずに言わせてもらうと、「まぁ、そんなに怒らずにさ、笑い飛ばせばいいのに」というのが率直な見解である。 ふむ。ひょっとして「翻訳」ではなく、「解釈」くらいにとどめておけば良かったのだろうか。あるいは「ママの言葉」ではなく、「パパの言葉」を翻訳したら、「ウケる~~」と好意的に受け入れてもらえたのかも、などと思ったりもする。 黒川氏の過去の著書には「男性のトリセツ」なる章があり、 +「そのバッグいつ買ったの?」と聞かれたら、「前からあったじゃん」で事なきを得る +目的と任務さえ押さえてあげれば、男性脳は応用が利く +不満があったら、率直に言えばいい +会話を「なんでわかってくれないの?」から始めないのがコツ といった具合に、案外役立つかもしれないことも記されている。 まぁ、これでも批判する人は批判するのだろうけど、数年前に「イケメンに職場活性効果アリ」というアンケート結果が公表されたときにはたいした問題にはならなかった。イケメンを美人に置き換えて男性を対象にアンケートしたら「セクハラ」と大バッシングされるだろうに、良い意味でも悪い意味でも、世の中が「女性オリエンティッド」であるのはまぎれもない事実なのである。 いずれにせよ、男女間に限らず、「コミュニケーション」は永遠のテーマ。 自分の言いたいこと、思っていることを、相手に100%伝えることなどそもそも不可能だ。コミュニケーションを「言葉のキャッチボール」と例えるように、その主導権は「伝え手」ではなく「受け手(キャッチ)」にある。発せられた言葉が持つ意味は、その言葉を受けとった人に、ある種「勝手に」決められてしまうからだ。 同じ“言語”を使っていても気持ちや意図が伝わらない場合は往々にしてあるし、「コンテクスト(文脈)」=「前後の話の流れの中で、どういう位置づけでその言葉を発しているか」によっても、言葉に込めた意味は変わる。 であるからして、言葉の「字面」や「断片」を追いながら「伝え手」を一方的に批判することは、「コミュニケーション」の視点から捉えれば、あまりよろしきことではない。相手の伝え方がちょっと稚拙なだけだったり、自分の受け方に誤解や偏りがあったりする可能性も、ゼロとは言えないからだ。 コミュニケーションは、アクションを起こす「伝え手」ではなく「受け手」に主導権があり、うまくいくもいかないも、かなりの部分が「受け手」次第というのがいかにも“不条理”。グリコさんの肩を持つわけではないけれど、炎上したコンテンツの裏には、「その不条理さに苦しむパパやママたちを、ちょっとだけでも助けたい」という思いがあったのではないか。 確かに、コンテンツの内容に女性蔑視的な視点が感じられるという批判については、うなずける部分はある。ただ、基本的な「コンテクスト」は、パパとママに仲良くやってほしい――という思いだ。それに、現実的には、サイトで紹介されたやり取りでうまくいく場合も少なからずありそうな気がする。であれば、そんなに怒らなくても……と感じるわけで。「世界平和でいこうぜ!」などと思ってしまうのだ』、河合氏の受け止め方が私のに近いのに驚かされた。「コミュニケーションは、アクションを起こす「伝え手」ではなく「受け手」に主導権があり、うまくいくもいかないも、かなりの部分が「受け手」次第というのがいかにも“不条理”」、というのはその通りだろう。
・『「男脳」「女脳」の真偽  実際、私は今回のサイトの翻訳をみたとき「へ~、そういう受け止め方もあるんだ」とえらく感心したし、女性部下とのコミュニケーションに悩む男性上司のヒントになったかもしれないと感じた。 「個人差はあるにせよ、男の部下ならこれくらい言っても大丈夫だろうと思えるんですけど、女性の部下だと全くイメージがつかめなくて」と、長年男性部下だけと接してきた男性上司たちは、女性たちが想像する以上に女性部下に気遣っている。それを女性たちに話すと、「だったら直接聞いてほしい」(あれ? これ「男性トリセツ」と同じだ!笑)と答えるが、男性上司は直接聞くのもためらいがち。「セクハラになりやしないかと……」という懸念をぬぐいきれず、ビビってしまうのである。 と、またここで「別に男性の肩を持っているわけではありませんけどね」と念を押しとかないと、「河合薫は女の敵だ!」だの、「男にすり寄っている」だの批判されかねない。嗚呼、なんと難しい世の中なのだろう。 「掲載する情報には充分に注意を払っていますが、その内容について保証するものではありません」ならぬ、「掲載するコラムには充分に注意を払っていますが、その内容については、あくまでも河合薫の個人的見解であり、万人に共通することを保証するものではありません」と注釈を入れた方がいいのかもしれない。 話がちょっと横にそれた(笑)。今回の炎上騒動に話を戻すと、コンテンツの前提が「男性脳と女性脳の違いによりコミュニケーションのすれ違いが起こる」となっていた点が、ことをよりややこしくした気がしている。 研究者の端くれとして念のため言っておくと、以前、「男らしい!順大不正入試「女子コミュ力高い」論」でも書いたように、近年、脳の男女差を否定する調査結果が相次いでいる。 脳科学研究が始まった頃は「脳梁が男性より太い女性は、男性に比べ、自分自身の感情を素早く言語化できる」とされていたが、その後、男女の脳にはいくつか異なる特徴は認められるものの統計的な分析をすると有意差はない――というのが定説になりつつある。「男脳・女脳」と、あたかも性差があるように印象づけるのは言い過ぎである。 とはいえ、世間は「神経神話」が大好き。「右脳・左脳」「脳に重要なすべては3歳までに決定される」「我々は脳の10%しか利用していない」といった話も、実は、科学的根拠は極めて乏しい。なのに人はそれを信じ、納得し、拡大解釈する。特に「男性と女性の性差」にまつわる問題は、どんなに研究者が否定したところで、人は「わずかな異なる部分」に無意識に反応する。でもって「やっぱりそんなんだよなぁ〜」とドラマチックに受け止められてしまうのだ。 世界的な大ベストセラー『Why Men Don't Listen and Women Can't Read Maps 』(邦題『話を聞かない男、地図が読めない女-男脳・女脳が「謎」を解く』)には遺伝子で性差を語る記述がいくつもあるが、これも実際には非科学的。遺伝子と環境との相互作用のメカニズムに関する研究が蓄積されて分かったのは、その複雑さだ。「影響はあるけど遺伝子がすべてを決めるわけではない」のである』、「男脳」「女脳」の違いは「科学的根拠は極めて乏しい」ようだが、ホルモンには男女差が明確にあるので、気分などの感情には影響がありそうな気もする。
・『「男と女の違い」というより「個人差」  そもそも「男と女の違い」に関心が高まるようになったのは、100年以上前の19世紀後半に遡る。それまでは男女にみられる能力・役割・特性の違いは自明の理とされ、研究対象にもならなかった。 ところがダーウィンが提唱した「性淘汰」説がきっかけで男女差への関心が高まる一方で、産業革命により産業界や経済界に女性が進出。「男性と同じレベルに女性はあるのか?」という、ある種「女性を差別あるいは区別」するための検証作業が進められたのである。 とりわけ男女間の行動・心理特性をテーマにした研究は多く行われ、「女性は感情的」「女性は自尊心が低い」「男性は攻撃性が強い」「女性は協調性が高い」などの説が続々と発表された。 が、世界中の研究者たちが「男女の違い」を説明するために行ってきた数多くの心理社会学的研究の神髄は、「男女差がいかに社会的状況に左右され、いかにさまざまな要因の科学反応によって出現しているか」を明らかにした点にある。 つまり、男女差より個人差の方がはるかに顕著。様々な調整要因を加味して分析すると、男女差の統計的な有意差が認められなくなったり、男女差の傾向が逆転したり……。「男と女の違い」というより「個人差」の問題に行き着くのである。 当たり前といえば当たり前なのだけど、人は視覚・聴覚・嗅覚・触覚・味覚という五感から、莫大な情報を入手しても、そのうちのわずか一部しか処理できない。なので無意識にパターン化したり、自分が気になっている部分にのみ反応したり、経験と照らし合わせて判断する。これは人が人である以上、絶対に避けることのできないプロセスである。 だからこそ、心理的な男女の違いを書いた『Men Are from Mars, Women Are from Venus(邦題:ベスト・パートナーになるために―男は火星から、女は金星からやってきた)』(1992年発刊)は世界的ベストセラーになったわけで。邦訳版は、男女の性愛を描いた『愛のコリーダ』の製作で知られる大島渚監督の翻訳で出版されたが、大島監督は「この本は私の長い経験で得てきた知見と根本的なところで一致している」と、長年数々のメディアで「男女の恋愛相談」を受けてきた経験を踏まえ大絶賛したのである』、「数多くの心理社会学的研究の神髄は・・・男女差より個人差の方がはるかに顕著」、ホルモンに男女差はあっても行動・心理特性にはどうも表れないらしい。
・『冗長性と、ともに過ごす時間の欠落  さて、話をコミュニケーションに戻そう。 これまで触れてきたように、脳に有意な「男女差」はないが、コミュニケーションスタイルには、環境や経験の違いに起因するある程度の「男女差」がある。また、男女関係なく、コミュニケーションの主導権は「受け手」にあり、「伝え手」以上に「受け手」の“巧拙”にその質が左右される。だからこそ、コミュニケーション不全はいつでも、どこでも起こり、様々な問題の原因になる。 つまり、思い通りにいかないのが当たり前。なのに昨今は、ちょっとお気に召さないと激しく批判し、同調者が一気に参集して“延焼”につながる。その過剰反応は、ちょっとばかり異常だ。 一体、なぜこうなるのか? もちろん、原因を一つに求めるのは難しい。しかしながら、あくまで私見だが、「冗長性(redundancy)」を伴うコミュニケーションが減ったことが原因の1つではあるまいか。 冗長性とは、会話における無駄。相づち、間、話の脱線、無駄話などのこと。 人は、冗長性があることで、自分の解釈の誤りに気づいたり、相手の話に共感したりするチャンスを得る。ときには、抜け落ちた言葉や、語られなかった隙間が、相手の想像力を喚起させる効果もある。適度な冗長性は、コミュニケーションをする者の間に生じる様々な溝を埋める役割を果たすが、その前提として、“共に過ごす時間”が不可欠なのである。 論理的に、効率的に、短時間で話そうとすればするほど、冗長性も共に過ごす時間も失われることになる。また、SNS上のコミュニケーションでは、冗長性は必然的に落ちる。コンテクストも感じにくいし、対面でないだけに、感じる努力の必要度も下がる。 うまくいかないのが大前提である他者とのコミュニケーションにおいて、うまくいくための冗長性を強奪されているのが現代社会といっても過言ではないのである。 ……なんてことを書くと、「ダラダラ話す人は何言ってるかわからないからコミュニケーションできないじゃないか!」だの、「結論が飛躍すぎだろう!」だの、またまたご批判をいただきそうだが。 嗚呼、ホントにコミュニケーションは永遠のテーマであり、男と女の問題も永遠のテーマ。私の場合、原稿の執筆も永遠のテーマ???「冗長性だらけのコラム」が、皆さんにうまく“解釈”されることを信じつつ……』、「コミュニケーションスタイルには、環境や経験の違いに起因するある程度の「男女差」がある」、というので漸く納得した。ただ、ホルモンではなく、「環境や経験の違い」によるようだが・・・。「コミュニケーション不全」が「「冗長性」を伴うコミュニケーションが減ったことが原因の1つではあるまいか」、というのはその通りなのかも知れない。組織論でも、組織の安定のためには「冗長性」が必要と、昔習った記憶がある。一見、無駄に思えても、効用があるようだ。

次に、コラムニストの小田嶋 隆氏が7月5日付け日経ビジネスオンラインに寄稿した「ジョークがスベることの意味」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00116/00029/?P=1
・『6月28日に開催された主要20カ国・地域首脳会議(G20サミット)の夕食会のあいさつのなかで、安倍首相は、大阪城へのエレベーター設置を「大きなミス」という言葉で表現した。 無論のこと、この部分は、スピーチの末尾に配置したお定まりのジョークに過ぎない。 が、結果を振り返るなら、このエレベーターに関するくだりは、会場に困惑をもたらしたのみで、ジョークとしては成功しなかった。 夕食会にはいたたまれない空気が流れ、テーブルでスピーチを聴いていた首脳の多くは、高層エレベーターに乗った時に味わうあの耳閉感に似た感覚に苦しめられた。 同時に、このこと(首相のジョークがスベったこと)は、わたくしども日本人の民族的自尊心をかなり致命的な次元で傷つけた。 「ああ、オレたちはまだまだだ」「とてもじゃないが、外人さんの集まるパーティーになんか出られない」と、英語が不得手なこともあって、私もまた、あの場面にはわがことのようなダメージを受けた。 今回は、ジョークがスベることの意味について考察したい。 安倍さんを責めたいのではない。 先に結論を述べておけば、私は、今回の安倍首相のスピーチは、見事な成功ではなかったものの、全体としては、必要な失敗だったと思っている。その意味では壮挙だった。 国際舞台に立たされた日本人が、うまいジョークを言えるようになれるのであれば、それに越したことはない。 しかしながら、日本人による国際ジョークの発信という難事業は、申すまでもないことだが、一朝一夕に達成できるミッションではない。 可能であるにしても、この先、最低でも50年の下積みは覚悟せねばならない。 サッカー男子の日本代表がW杯で優勝するのが先か、うちの国のリーダーが国際舞台で世界中のメディア視聴者から爆笑をとるのが先かと問われれば、私はまだしもサッカーの方が有望だと思っている。 受けるジョークを言う前に、まず、私たちは、ジョークがスベった事態に慣れなければならない。 紳士淑女をうっとりさせるシャレたジョークをカマせるようになるためには、まずたくさんスベって、上手に受け身を取れるようになっておく必要がある。そういうことだ。 ジョークは、サッカーにおけるパスと同じで、出し手と受け手の間にあらかじめの合意が形成されていないと成功しない。 その点で、わたくしども日本人は不利な立場にある。 というのも、国際社会では 「ニッポン人がジョークなんか言うはずがない」というコンセンサスが、牢固として共有されているからだ』、「(首相のジョークがスベったこと)は、わたくしども日本人の民族的自尊心をかなり致命的な次元で傷つけた」、というのは「民族的自尊心」などと無縁のクールな小田嶋氏らしからぬ表現だ。ジョークは、「わたくしども日本人は不利な立場にある」、というのはその通りだ。
・『逆にいえば、典型的なジョークが笑いをもたらすためには、オーディエンスの間に、「そろそろいつものジョークが来るぞ」という期待感が醸成されている必要があるわけで、その、排他共有制御の原則で運営されているジョーク共同体に、われら日本人は招待されていないわけなのである。 パスの受け手が、敵方ディフェンダーより一瞬早くスペースに向かって動き出していることがスルーパス成功の前提条件であるのと同じことで、一見、意表を突いているように見えるジョークも、実は、発信に先立って敏感な聴衆が予測することで成立している。 その意味で、通訳経由で時差を伴って披露されるジョークは、すでにして不利だ。 というのも、ジョークの生命である「タイミング」がすでにして死んでいるからだ。 のみならず、ジョーク発信者の側が、聴衆のレスポンスに応える段階では、2倍の時差が発生している。 これでは、鮮度が命のジョークが、3日遅れの刺し身になってしまう。 とてもじゃないが食えたものではない。 思うに、安倍首相のあの日のスピーチの動画を視聴して、「共感性羞恥」を味わった日本人の数は、何十万人ではきかない。 「共感性羞恥」について、簡単に解説しておく。 これは、しばらく前にテレビのトーク番組の中で紹介されたことで、広く認知されるようになった言葉で、意味するところは、「共感力の豊かな人が、自分とは無関係な誰かが人前で恥をかく場面にダメージを受ける現象」のことらしい。 ネガティブなイメージが強烈な迫真力をもって脳内に展開されるタイプの人間にとって、自分とは無縁な他人であっても、誰かが失敗や恥辱にまみれている場面を見せられることは、とてもつらい経験になる。 「もし自分があの人の立場だったら」という、なんともいたたまれない気分を喚起するからだ。 それゆえ、潜在人口として少なくとも数百万人は存在すると思われる共感性羞恥をかかえた心優しい日本人を、これ以上苦しめないためには、エレベータージョークの話題は、なるべくなら、二度と蒸し返さないことが望ましい。 自国のリーダーが満を持してカマしたジョークがものの見事にスベりましたとさ、みたいな場面は、共感力の高い愛国者にとっては、戦艦大和の沈没にも劣らぬ屈辱であるはずだからだ。 にもかかわらず、共産党の小池晃書記局長は、誰もが忘れたいと思っているあの日のあの悲しい出来事をわざわざ蒸し返して、「バリアフリーの考え方を理解していない」などと、意外な角度から首相の発言を攻撃する挙に出ている。 なんと無慈悲な言いざまだろうか。 もっとも、こういう場面できちんと意地悪を言っておくことは、野党政治家の大切な仕事ではある。 というよりも、スベったジョークを解剖して粗探しをすることは、共産党所属の議員にとっての必要不可欠な政治活動ですらある』、「排他共有制御の原則で運営されているジョーク共同体に、われら日本人は招待されていない」、とは鋭い指摘だ。「共感性羞恥」とは縁遠い筈の小田嶋氏も感じたというのは、きっとコラムの流れ故なのだろう。共産党が「きちんと意地悪を言っておく」とはさすがだ。
・『じっさい、政治家や官僚の偏見や差別意識は、失敗したジョークの中にこそ最も典型的に観察される。というのも、一見無邪気に見えるシモネタや、ふと口をついて出る自虐ジョークは、実のところ、ジョーク発信者がそのジョークの前提として踏まえている偏見構造や差別意識を、これ以上ないカタチでモデリングしているものだからだ。 「だから女ってものは」「○○人の意地汚さときたら」「彼ら貧乏人のサガとして」てな調子で、ジョークの文法の中では、特定の民族や性別ないしは肉体的経済的社会的諸条件が、戯画化されたキャラクターとして極めて残酷に描写される。そうでなくても、人々を高揚させる笑いのうちの半分ほどは、無慈悲な嘲笑であったり明らかな優越感の表明だったりする。 笑いを狙った発言には、常に諸刃の剣が仕込まれている。このことを忘れてはならない。 総理のジョークに悪気がなかったことはよくわかっている。 しかしながら、ポイントは「悪気」や「攻撃的意図」の有無ではない。 「悪気」や「嘲笑の意図」を云々する以前に、エレベーターを笑うジョークは、その「構造」として、エレベーターに乗って天守閣にたどりついた階段弱者を貶めたストーリーを包含せざるを得ない。その意味で、エレベーターを笑うジョークは、結局のところ「強者」による共感的な雄叫びとそんなに遠いものではない。 「戦国の世の秋霜烈日なリアルを体現しているはずの城郭の天守閣に、足元もままならない老人や車椅子に乗った障害者が集っている絵面の滑稽さ」をもって「21世紀的なクソ甘ったれたみんなの善意で世の中を素敵な場所にしましょうね式のバリアフリー社会の偽善性」を批評せしめようとするその「オモシロ」発見の視点自体が、そのまんまホモソーシャル的ないじめの構造に根ざしているということでもある。 すぐ上のパラグラフは言い過ぎかもしれない。 ただ、会話の中にジョークを散りばめにかかるコミュニケーション作法が、多分に虚栄心と自己顕示欲を含んだものほしげな態度であるという程度のことは、21世紀の人間であるわれわれは、自覚しておいた方が良い。 ジョークは、他人を動かすツールとしてそれなりの機能を発揮している一方で、時に意外な副作用をもたらす厄介な劇薬でもある。 私自身、自分がツイッターを通じて放流しているジョークのうちのおよそ3割は、教養(サブカル教養であれ古典教養であれ)をひけらかしにかかるタイプの、実に厭味ったらしいネタであることを自覚している。 それゆえ、喜んでくれるフォロワーが一定数いる半面、毎度毎度、私がドヤ顔でばら撒いているジョークに反発を感じる人々が罵詈雑言を投げつけてくるやりとりが繰り返されている。 「あ? 面白いつもりで言ってる?」「センスがないんだから、笑い取ろうとかすんな」「致命的に笑えないですね」と、さんざんな言われ方をするケースが少なくない。 それでも私は、ジョークの定期放出をやめることができない。 これは、「業」のようなものだと思っている。 ほめられるべき性質ではない。 反省している。 円満な人物は、ジョークを必要としない。 私自身、リラックスした局面では、ほとんどまったく冗談を言わない。 「ご主人が冗談を言うとは思いませんでした」と、15年ほど前だったか、あるPTA関連の会合で、さる奥様にびっくりされたことがある』、「「21世紀的なクソ甘ったれたみんなの善意で世の中を素敵な場所にしましょうね式のバリアフリー社会の偽善性」を批評せしめようとするその「オモシロ」発見の視点自体が、そのまんまホモソーシャル的ないじめの構造に根ざしているということでもある」、というのはよくぞここまで考えたと思うほど、興味深い表現だ。「円満な人物は、ジョークを必要としない」、というのは日本人に限ってのことだろう。欧米人は、スピーチの中には、必ずといってもいいほどジョークをかませる。
・『たしかに、あらためて振り返ってみるに、その関係の集まりの中で私がこなしていた役柄は、ひたすらに他人の話に耳を傾けてはうなずいているだけの、温厚なおっさんのポジションだった。意外なことだが、くつろいでいる時のオダジマは、無口なおっさんだったのである。 このことは逆に、私が、ふだん、様々な機会を通じて、何かにつけてジョークを言い、スキあらば受け狙いの発言をカマしているのは、結局のところ、私が、緊張していて、自分を印象付けようと躍起になっているからだということを証明している。手柄狙いの浅ましい心根がオダジマをしてジョークを連発せしめている。悲しいことだが、これは事実だ。 ジョークにとりつかれた人間は、ジョークを通じてでないとうまく自分を表現することができない。 これは、けっこう疲れる設定でもある。 古い知り合いに、私と同じタイプの、ジョークにとりつかれた男がいる。仮に名前をK氏ということにしておく。 私より5年ほど年少のK氏とごくたまに会う機会は、私にとって、かけがえのない楽しい時間でもあるのだが、一方において、重い疲労を感じる試練の時でもある。理由は、私が(おそらく彼も)頑張り過ぎてしまうからだ。 われわれは、顔を合わせる度に、なにか面白いことを言おうと、互いの言葉尻をとらえ合っては、空回りをはじめる。その空回りは、そこそこ面白くもあるのだが、全体としては、不必要に多大なエネルギーを消耗する動作でもある。実感としては、わりとしんどい。 つい最近のK氏のネタを紹介しておく。《アイミティーの後の形に比ぶれば昔はタピオカ入らざりけり #タピオカミルクティー》というのが、それだ。 これが面白いジョークであるのかどうか、正直な話、私は、適切に評価する基準を持っていない。 おそらく、100人のうちの97人にとっては、面白くないはずだ。 私は、残りの3人に含まれている人間なので、こういうネタには目がない。 解説すれば、これは、百人一首の中にある権中納言敦忠の短歌 《逢ひ見ての のちの心に くらぶれば 昔はものを 思はざりけり》を踏まえたツイートで、内容的には、タピオカを混入させたアイスミルクティーが流行していることへの驚きを詠んだものなのだが、キモは、アイスミルクティーの昭和的な略称(それもおそらく関東ローカルな)である「アイミティー」と、元歌の最初の5文字「逢ひみての」が呼応している部分だ。 「ん? それだけか?」「それがどうした?」と思うのが普通の人だと思う。 私も、アイミティーの裏に元歌が隠れていることに、しばらくの間、気づかなかった。 それだけに、「あ、これ、『逢ひ見ての』か」と気づいた時のうれしさは格別だった。 もちろん、うれしかったからといって、何がどうなるものでもない。 ジョークは不毛なものだ。 必死でジョークを追いかけている者は、結局空回りから逃れることができなくなる。 そんな人間になるべきではない。 安倍さんも、無理にジョークを言う必要はない。 われら日本人は、さいわいなことに、国際社会の人々から、ジョークを期待されていない。 とすれば、よほど気に入ったネタが思い浮かんでしまった時以外は、黙っているべきだ。 もし仮に、あのエレベーターのネタを思いついて原稿に書いたのが、スピーチライターではなくて、安倍さんご本人であったのだとしたら、どうかしっかりと休息をとってもらいたい』、「アイミティーの後の形に比ぶれば・・・」については、私もさっぱり理解できなかった97%の口だ。解説を読んでも、そこまでひねるものかと驚くだけだった。
・『疲れている人間は、つまらないジョークを言いがちになるし、それに不必要に怒りっぽくなる。 そうなってしまう前に、休養をとるべきだ。 最後に、蛇足を付け加えておく。 ジョークは、蛇の足みたいなもので、なしで済ませられるのなら、はじめからない方が良いに決まっているのだが、アタマの中に浮かんでしまったネタは吐き出しておかないと嘔吐感の元になるので、書いておく。読まなくてもかまわない。 20年近く前に、インドのバンガロールという街を訪れた折、彼の地で開かれた小規模な国際会議の席で、オーストラリアだったかニュージーランドだったかからやってきたジャーナリスト(記憶が曖昧で申し訳ない)から聞いた話だ。 私が、自分の英語のつたなさを詫びると、彼は、「英語が達者かどうかなんて、たいした問題じゃないぞ」という前置きの後にこんな話をしてくれた。 ろくに英語を解さなかったにもかかわらず、現地の人々にとても愛されていたという、ある日本人のエピソードだ。 その、さる日本企業の現地法人のトップであった氏が、2年ほどの滞在期間を終えて帰国することになり、パーティーが開かれた。 そのパーティーの最後に、彼は、英語でスピーチをした。 といっても、しゃべるのが不得手なので、原稿を読み上げる形で、粛々とスピーチは進んだ。 さて、経営者氏は、 「みなさんの心遣いと親切に対して、私とここにいる私の妻は、心からの感謝を申し上げます」と言ってスピーチをしめくくろうとした。 ただ、最後に、人々の顔を見回すために、原稿から目を離したことで、あるミスを犯した。 そのミスというのは、「つまり、あいつは、ミー・アンド・マイワイフが、フロム・ボトム・オブ・アワ・ハートからグラティテュードをエクスプレスすると言うべきところで、ボトム・オブ・マイ・ワイフと言ってしまったわけだよ」 ん? 私はしばらく意味がわからなかった。 「ボトムというのは、つまり、ヒップすなわちケツのことで、あいつは、われわれに、女房のケツの底からの感謝をささげてくれたわけだ」 という解説を聞いて私はようやく理解したのだが、そんなに爆発的には笑わなかった。 この話を佳話として伝えてくれたジャーナリスト氏も、大笑いしながら話していたわけでもない。 つまり彼が伝えたかったのは、人間の心と心のつながりは、小洒落た警句やジョークとは別の、もっと深い、われらすべての人類のボトムから発しているものなのだということだった。 今回の話は、うまく落ちていない。 とはいえ、テーマからして、話の最後を、2回転半ひねりみたいなあざとい着地ワザで落とそうとする態度自体がふさわしくないことを考えれば、これはこれで良い。 また来週』、「彼が伝えたかったのは、人間の心と心のつながりは、小洒落た警句やジョークとは別の、もっと深い、われらすべての人類のボトムから発しているものなのだということだった」、というのはひねり過ぎの印象を受けた。いずれにしろ、日本人にとってジョークは難しいということを、改めて痛感させられた。
タグ:コミュニケーション 江崎グリコ 日経ビジネスオンライン 河合 薫 共産党の小池晃書記局長 小田嶋 隆 (河合 薫氏:グリコ「こぺ」炎上で露呈するコミュ力“総低下社会”、小田嶋 隆氏:ジョークがスベることの意味) 「グリコ「こぺ」炎上で露呈するコミュ力“総低下社会”」 “解釈会議” 上司と部下なら許される“解釈”が、女性と男性の間だと、場合によっては「NG」らしい 夫婦間の子育てコミュニケーションアプリ「こぺ」 「パパのためのママ語翻訳コースター」というコンテンツを公式サイト上で発表したところ、“こぺ燃”してしまった コミュニケーションは「受け手」次第という“不条理” 「まぁ、そんなに怒らずにさ、笑い飛ばせばいいのに」というのが率直な見解 コミュニケーションを「言葉のキャッチボール」と例えるように、その主導権は「伝え手」ではなく「受け手(キャッチ)」にある 発せられた言葉が持つ意味は、その言葉を受けとった人に、ある種「勝手に」決められてしまうからだ 「男脳」「女脳」の真偽 「男脳・女脳」と、あたかも性差があるように印象づけるのは言い過ぎ 「男と女の違い」というより「個人差」 「性淘汰」説がきっかけで男女差への関心が高まる 「女性を差別あるいは区別」するための検証作業が進められた 数多くの心理社会学的研究の神髄は、「男女差がいかに社会的状況に左右され、いかにさまざまな要因の科学反応によって出現しているか」を明らかにした 男女差より個人差の方がはるかに顕著 冗長性と、ともに過ごす時間の欠落 コミュニケーション不全はいつでも、どこでも起こり、様々な問題の原因になる 「冗長性(redundancy)」を伴うコミュニケーションが減ったことが原因の1つではあるまいか 適度な冗長性は、コミュニケーションをする者の間に生じる様々な溝を埋める役割を果たすが、その前提として、“共に過ごす時間”が不可欠 「ジョークがスベることの意味」 G20サミット)の夕食会のあいさつ 安倍首相は、大阪城へのエレベーター設置を「大きなミス」という言葉で表現 会場に困惑をもたらしたのみで、ジョークとしては成功しなかった 日本人の民族的自尊心をかなり致命的な次元で傷つけた 日本人による国際ジョークの発信という難事業は、申すまでもないことだが、一朝一夕に達成できるミッションではない 日本人は不利な立場にある 国際社会では 「ニッポン人がジョークなんか言うはずがない」というコンセンサスが、牢固として共有されているからだ 典型的なジョークが笑いをもたらすためには、オーディエンスの間に、「そろそろいつものジョークが来るぞ」という期待感が醸成されている必要 排他共有制御の原則で運営されているジョーク共同体に、われら日本人は招待されていないわけなのである 「共感性羞恥」 ネガティブなイメージが強烈な迫真力をもって脳内に展開されるタイプの人間にとって、自分とは無縁な他人であっても、誰かが失敗や恥辱にまみれている場面を見せられることは、とてもつらい経験になる バリアフリーの考え方を理解していない」などと、意外な角度から首相の発言を攻撃 一見無邪気に見えるシモネタや、ふと口をついて出る自虐ジョークは、実のところ、ジョーク発信者がそのジョークの前提として踏まえている偏見構造や差別意識を、これ以上ないカタチでモデリングしている 「21世紀的なクソ甘ったれたみんなの善意で世の中を素敵な場所にしましょうね式のバリアフリー社会の偽善性」を批評せしめようとするその「オモシロ」発見の視点自体が、そのまんまホモソーシャル的ないじめの構造に根ざしているということでもある 円満な人物は、ジョークを必要としない ジョークにとりつかれた人間は、ジョークを通じてでないとうまく自分を表現することができない。 これは、けっこう疲れる設定でもある 《アイミティーの後の形に比ぶれば昔はタピオカ入らざりけり #タピオカミルクティー》 権中納言敦忠の短歌 《逢ひ見ての のちの心に くらぶれば 昔はものを 思はざりけり》を踏まえたツイート 人間の心と心のつながりは、小洒落た警句やジョークとは別の、もっと深い、われらすべての人類のボトムから発しているものなのだということだった
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外国人労働者問題(その13)(日本語学校 空前の「開設ラッシュ」に潜む不安 外国人の特定技能35万人時代に対応できるか、1年で方針転換 廃炉作業に特定技能外国人を送る政権の狂気、「受け入れありき」の移民政策が着々と進んでいる大問題な実態、法令違反が7割超 ブラック企業を次々に生み出す技能実習制度の構造 止まらない人権侵害の現状と背景) [社会]

外国人労働者問題については、3月30日に取上げた。今日は、(その13)(日本語学校 空前の「開設ラッシュ」に潜む不安 外国人の特定技能35万人時代に対応できるか、1年で方針転換 廃炉作業に特定技能外国人を送る政権の狂気、「受け入れありき」の移民政策が着々と進んでいる大問題な実態、法令違反が7割超 ブラック企業を次々に生み出す技能実習制度の構造 止まらない人権侵害の現状と背景)である。

先ずは、4月7日付け東洋経済オンライン「日本語学校、空前の「開設ラッシュ」に潜む不安 外国人の特定技能35万人時代に対応できるか」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/275122
・『「今年2月に41校もの日本語学校の新設が認められた。これは半端な増え方じゃない」――。 1980年代に日本語学校の経営を始めた古参経営者は、「ひょっとして日本語学校は儲かると思って錯覚している人も多いのだろうか」と嘆息する』、リンク先の学校数のグラフでは急増ぶりが顕著だ。
・『2019年はすでに41校が開設  日本語学校は外国人留学生が来日したときの最初の受け皿になる、いわば外国人にとって「日本の顔」というべき存在だ。日本の大学に進学するにしても、日本の企業に就職するにしても、まずは日本語学校に入って一定程度の日本語を身につける必要がある。ここ数年、その日本語学校の開設ブームが起きている。今年2月19日現在で法務省が認めた、いわゆる「法務省告示の日本語教育機関」の数は749に達した。 毎年の新規開設と抹消の推移をみると、ここ数年の新規開設数の多さが際立っている。2015年は41校、2016年は50校と増え、2017年は77校に。2018年もほぼ横ばいの72校で、2019年は2月19日現在で41校の開設がすでに認められている(1990年は制度初年度のため、新規告示校は409校と多い)。 全国の日本語学校176校でつくる全国日本語学校連合会の荒木幹光理事長は「日本語学校は800校近くまで増えたが、金儲けを目的とする、不真面目な一部の学校経営者とわれわれを一緒にしてもらっては困る。大半の日本語学校は現地に行って面接と試験をし、目で見てしっかり留学生を選んでいる」と訴える。荒木理事長によると、学校の開設母体は、企業が技能実習の外国人従業員のために設立したり、大手学習塾の参入もあったりするようだ。 今年に入り、多数の留学生が行方不明になっている東京福祉大学や定員の3倍の留学生を受け入れていたことがわかった茨城県の専門学校の例など、外国人留学生絡みの不祥事が次々と明らかになっている。 荒木理事長は「われわれは年に1回、法務省と警視庁の研修をしっかり受けている。日本語能力試験で何級に何人受かっているのかのほかに出席率を見たり、どんなアルバイトをしているかなど、留学生に問題が起きないように気を配っている」と強調する。 日本語学校は日本語が不自由な外国人を受け入れる。一般的な学校とは異なり、外国人の来日時の出迎えに始まり、市町村役場における住民票や国民健康保険の加入手続き、寮や宿舎での居住マナーや電車の乗り方などの生活面まで学校の仕事は及ぶ。しかも、それを24時間体制でサポートしなければいけないという、特有の気苦労がある』、「外国人留学生絡みの不祥事」については、前回のブログでも紹介した。
・『政府の「さじ加減」に揺れる日本語学校  日本語学校の歴史は、時の政府の出入国管理政策や地震などの外部要因に振り回される歴史だった。 1986年に学校を開設し、東京、大阪、京都で5拠点を展開するアークアカデミーの鈴木紳郎社長は「私が学校を始めたきっかけは、当時の中曽根政権が『留学生10万人計画』をぶち上げたときだった」と振り返る。 中曽根康弘内閣(当時)は1983年に「留学生受け入れ10万人計画」を公表した。日本が受け入れている留学生数が他の先進国と比べて際立って少ないことなどを背景に、当時のフランス並みの10万人の留学生を、21世紀初頭までに実現する目標を掲げた。実際、当時日本にいた留学生は1万人ほどに過ぎなかった。サラリーマンをしていた鈴木氏は「これは面白そう」と考え、日本語学校を始めた。 しかし、その後は浮き沈みの連続だった。1988年には、日本への留学を求める若者が急増し、ビザ申請に対応しきれなくなった中国・上海の日本領事館を取り囲む、いわゆる「上海事件」が勃発した。 韓国のビジネスマン相手の日本語研修がうまく軌道に乗ったかと思えば、アジア通貨危機(1997年)に遭遇したり、石原慎太郎都知事(当時、2003年)の「外国人犯罪キャンペーン」や東日本大震災(2011年)に直面したり。「(日本語学校を取り巻く外部環境は)ひどい波の連続。日本語学校の氷河期には、やめていった学校がいくつもある」(鈴木氏)という。 ある意味、入管当局の“さじ加減”1つで、日本語学校を生かすことも殺すこともできると言える』、リンク先の新規開校・抹消数のグラフでは90年代は抹消が多かったようだ。
・『増えぬ日本語教師、待遇で見劣り  そして今、過去に何度も経験した「日本語学校ブーム」が到来している。たしかに日本語学校の数は右肩上がりで増え続けており、日本語学習者の数も拡大している。 しかし、仮に拡大しようとしても、日本語学校には「成長の制約」がある。最大の問題は、日本語教育を担う日本語教師の不足だ。日本語学習者の数が増える一方なのに対し、日本語教師はあまり増えていない。文化庁によると、国内における日本語学習者数は2017年度に23万人を突破した。2011年度の13万人弱から2倍近く伸びたのに対し、日本語教師の数(ボランティアを含む)は約3万~4万人とほぼ横ばいで推移している。 理由の1つは、日本語教師の待遇がよくないことだ。文化庁によると、日本語教師の約6割がボランティア。非常勤教師が3割で、常勤教師は1割強に過ぎない。年配の教師が多く、50~60代で4割を占める。前出の鈴木氏は「日本語教師の給料は安い。老舗のある学校などは、ボランティア同様に安く使うところからスタートした。教師のなり手が少ないのは給料が安いからだろうが、今はものすごい人手不足だ」と認める・・・外国人がこれからますます増えていくことを想定し、国も動き出している。 今年2月、文化庁の文化審議会日本語教育小委員会は「在留外国人の増加に伴い、日本語学習ニーズの拡大が見込まれることから、日本語教師の量的拡大と質の確保が重要な課題」などとする「基本的な考え方」をまとめた。具体的には、質の高い日本語教師を安定的に確保するために、日本語教師の日本語教育能力を判定し、教師のスキルを証明する「資格」を新たに整備する、と提言した。 ただ、日本語教育につぎ込まれる国の予算額はわずか200億円程度と乏しく、年間約4兆円がつぎ込まれる学校予算(文教関係費)との差は大きい。日本語教育機関の業界団体は昨年11月、超党派の日本語教育推進議員連盟(会長・河村建夫衆院議員)に対し、「日本語教育推進基本法(仮称)の早期成立を」と陳情するなど、日本語教育機関の所管官庁を明確にすることを求めている。官庁の指導権限の強化と国の財政的支援はトレードオフの関係にあるが、日本語学校のレベルアップのためにはこうしたことも必要になるだろう』、「日本語教師の約6割がボランティア」、ボランティアの比率が高いのには驚くが、誰が応募しているのだろう。「日本語教師の給料は安い」のは、需給に応じて高くなっていくのだろう。ただ、外国人向け日本語教育にまで「国の財政的支援」をする必要はないと思う。仮にやるのであれば、外国人労働者を受け入れる企業から目的税を徴求して、その範囲で支援すべきだろう。
・『将来も日本に留学してくれるとは限らない  政府は今年4月に出入国管理法を改正し、特定技能制度を新たに創設した。今後5年間で介護や建設、農業など14分野で約35万人の外国人を受け入れる予定だ。そして、これほど多くの外国人をきちんと受け入れる大前提となるのが、生活や仕事に必要な日本語能力だ。 だが、「特定技能の登録支援機関が、日本語教育についてどういう役割を果たすのか。採算ベースに乗るかどうかを見ながら判断したいが、今はまだ不透明」(ヒューマンアカデミーの田中氏)と当面は様子見の姿勢だ。 3月18日、都内のホールで大手日本語学校、赤門会の卒業式が開かれた。この日卒業するのは中国、韓国やロシア、アフリカのマリなど、35カ国からやってきた約700人。答辞に立ったロシア出身のベリンスキー・ドミトリさんは「入学して2年。お店や役所で会話を理解してもらえないのは日常茶飯事だった」などと日本での生活の苦労を振り返ると、ひときわ大きな歓声が響き渡った。 ドミトリさんは日本の大学に進学する。彼のように、日本語学校卒業生の7~8割は大学や大学院、専門学校への進学を希望している。50カ国から1900人が常時在校している赤門会の新井永鎮常務は「ベトナムやネパールなどはここ数年、日本人気だが、ベトナムでも私費で日本で留学する人が少しずつ減ってきている。ベトナムの国力、経済力が上がっているから。アジアのどの国でも、第一富裕層と言われる子どもたちの留学先ナンバーワンはどうしてもアメリカやイギリスになる。2020年の東京五輪後に日本人気もおそらく一巡することなど、複合的要因を考えると、今までのように留学生が右肩上がりで増えることはおそらくない」とみる。 現状の日本語人気に甘えずに、わざわざ日本に来て日本語を学び、日本の学校や企業、地域に入っていく若き外国人たちにどう向き合うか。人類史上例のない、本格的な人口減少に向かう日本社会に突き付けられた大きな課題である』、「日本語学校卒業生の7~8割は大学や大学院、専門学校への進学を希望している」「赤門会」は例外的なまともな日本語学校なのだろう。

次に、4月20日付け日刊ゲンダイ「1年で方針転換 廃炉作業に特定技能外国人を送る政権の狂気」を紹介しよう。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/252281
・『このために“移民法”成立を急いでいたとしか思えない。 4月から始まった新たな在留資格「特定技能」で、外国人労働者が東電福島第1原発の廃炉作業に就くことが可能になった、と報じられた。東電はすでに、廃炉作業に当たる元請けのゼネコン関係者らに外国人労働者の受け入れについて説明したらしいが、被曝の危険性が高い廃炉作業の現場に外国人を送り込むなんて正気の沙汰じゃない。 そもそも法務省は技能実習制度における外国人の除染作業でさえ禁止していたはずだ。昨年3月、技能実習生のベトナム人男性が福島原発の除染作業に携わっていたことが発覚。同省は、除染作業は一般的に海外で行われる業務ではないことや、被曝対策が必要な環境は、技能習得のための実習に専念できる環境とは言い難い――として〈技能実習の趣旨にはそぐわない〉としていた。それが改正法とはいえ、1年後には方針が百八十度変わるなんてメチャクチャだろう。 福島原発の現場では元請け、下請け、孫請けの業者が複雑に絡み合い、日本人作業員でさえもマトモに被曝管理されているとは思えない。しかも廃炉作業は少しのミスも許されない過酷な現場だ。予期せぬトラブルが発生したり、大量被曝の危険が生じたりした時、言葉の理解が不十分な外国人にどうやって伝えるのか。要するに、廃炉作業に携わる日本人労働者の線量が限度になりつつあり、人手不足を解消するための手段として「特定技能」が利用されるのだ。重大事故が起きて、大勢の外国人労働者が被曝なんて最悪の事態になれば、日本は世界中から非難されるのは間違いない。 元原子力プラント設計技術者で工学博士の後藤政志氏がこう言う。「外国人労働者を受け入れるための環境を十分、整えているのであればともかく、数合わせのために廃炉作業に従事させるのは非常識極まりない。そもそも低線量被曝が長期間に及んだ場合の健康被害はよく分かっていないのです。国際的な批判も高まると思います」 新たな徴用工問題になるのは間違いない』、その後、5月22日付け日経新聞は「厚労省、東電に「慎重な検討」要請 外国人材の廃炉作業巡り」と伝えた。「慎重な検討」ではなく、禁止すべきだろう。

第三に、室伏政策研究室代表・政策コンサルタントの室伏謙一氏が6月25日付け東洋経済オンラインに寄稿した「「受け入れありき」の移民政策が着々と進んでいる大問題な実態」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/206616
・『4月1日の出入国管理及び難民認定法及び法務省設置法の一部を改正する法律(以下、「移民法」という)が施行されて以降、状況はどうなっているのか。現状と問題点について、指摘したい。 「移民」受け入れが着々と進んでいる  4月1日の出入国管理及び難民認定法及び法務省設置法の一部を改正する法律(以下、「移民法」という)が施行されて以降、「国民の目」が届かないわけではないが届きにくいところで、外国人材すなわち移民の受け入れが着々と進められている。 例えば、特定産業分野のうち外食業において、「外国人材」として日本で働くための事実上の資格試験である特定技能1号技能測定試験が、4月25、26日に早々と実施され、5月21日に合格発表が行われた。合格者は347人でその内訳は、ベトナム人203人、中国人37人、ネパール人30人、韓国人15人、ミャンマー人14人、台湾人10人、スリランカ人9人、フィリピン人8人等だ。 ベトナム人が突出して多いのは、技能実習生としての受け入れ人数が最も多いのがベトナム人であることも背景としてあるのだろう。平成30年6月末の実績で、在留資格「技能実習」で日本に在留しているベトナム人の数は13万4139人であり、年々増加する傾向にある。 ちなみに2番目は中国人で、同じく平成30年6月末の実績で7万4909人だ。 なお、これらの数値はあくまでも在留資格「技能実習」に限ったもので、在留している総数では、ベトナム人29万1494人、中国人が74万1656人。多く在留しているイメージのあるブラジル人については、これらの国よりも少なく19万6781人である』、4月1日の法施行、4月25、26日に「特定技能1号技能測定試験」が実施とは、「お役所仕事」ではあり得ないような早手回しぶりだ。
・『非常に高い合格率のカラクリ  この試験の合格率は75.4%であり、非常に高いといえる。 これは同試験の受験資格の1つとして、『中長期在留者(出入国管理及び難民認定法第19条の3に規定する者をいい、「3月」以下の在留期間が決定された者、「短期滞在」、「外交」、「公用」のいずれかの在留資格が決定された者、特別永住者及び在留資格を有しない者等を除く)であること又は過去に本邦に中長期在留者として在留した経験を有する者であること』と規定されている点が背景の1つとして考えられる。 つまり、簡単にいえば、既に日本に適法に在留しているか、過去に適法に在留していた経験があるかのいずれかが受験の条件ということ。言ってみればゼロからの受験ではなく、「下駄(げた)」を履いて試験に臨んでいるようなものだ。 毎日新聞の報道によると、「農林水産省によると、試験は外食業界で2年ほど働いた人の半数が合格する想定で、合格者は飲食店などでアルバイトをする留学生が多いとみられる」とのことだ。 ただしそうなると、本邦に在留している外国人であって外食業で働いてきた者を使い続けるために、ほぼ「結論ありき」で実施されたと見えなくもない。 この特定技能1号技能測定試験の試験水準は、『「特定技能」に係る試験の方針について(平成31年2月 法務省入国管理局)』では、「特定技能の在留資格に係る制度の運用に関する基本方針について(平成30年12月25日閣議決定)」において、「1号特定技能外国人に対しては、相当程度の知識又は経験を必要とする技能が求められる。これは、相当期間の実務経験等を要する技能であって、特段の育成・訓練を受けることなく直ちに一定程度の業務を遂行できる水準のものをいう」とされていることを踏まえ、「初級技能者のための試験である3級相当の技能検定等の合格水準と同等の水準を設定する」とされている。 「3級相当の技能検定」とは、技能実習生向けの技能検定区分の1つであり、その試験の程度は「初級の技能労働者が通常有すべき技能及びこれに関する知識の程度」とされている。曖昧この上ない。 さらに、試験の方針では『「実務経験A年程度の者が受験した場合の合格率がB割程度」など合格者の水準を可能な限り明確化する』とまで記載されている。 これでは試験の結果いかんよりも、設定した合格率の範囲で得点上位から合格させることになる。疑り深い見方をすれば、全体的に得点が低い場合であっても合格できることになってしまう。75.4%という非常に高い合格率の背後には、「下駄」に加えてこうしたカラクリがあったというだろう』、「設定した合格率の範囲で得点上位から合格させることになる」、というのは驚くほど甘い仕組みだ。
・『「移民法」の成立に合わせて設立された団体?  さて、今回の試験、これを実施したのは移民法を所管する法務省でもなければ外食業界を所管する農林水産省でもない。「一般社団法人外国人食品産業技能評価機構」なる、聞き慣れない団体が実施主体である。 聞き慣れないのは、それもそのはず。この団体が設立されたのは本年1月21日。会員は外食、中食、食品製造等の関連団体だ。 移民法の成立に合わせて設立されたであろうことは明らかである。 一方、試験を作成したのはこの団体ではなく、一般社団法人日本フードサービス協会だ。同団体は外食産業の業界団体であり、誰でも知っているような外食店舗を展開する企業が会員として名を連ねている。 これらの団体は、移民法成立直後に行われた「平成30年度農業支援外国人適正受入サポート事業(外食業分野における外国人材の適正な受入れ体制の構築)」の公募で、試験の実施準備団体、試験の作成団体としてそれぞれ選定されている。 公募期間は平成30年12月25日から翌31年1月21日まで。勘のいい読者であればもうお気づきだと思うが、試験実施団体の設立日と平成30年度公募事業の締切の日が同じである。普通に考えれば、団体が設立された日に締切になる公募事業に応募することなど、不可能とは言わないまでも困難であり、極めて不自然だ。 そして、平成31年度(令和元年度)の公募は、30年度の締め切りからわずか2週間程度しかたっていない2月6日から行われ、同月26日に締め切られ、それぞれ試験実施団体および試験作成団体として選定されている。 もちろん、事業の継続性や安定性の観点から、前年度に実施した事業者が引き続き選定されるということはありうるし、そのために形式的に公募を行うこともありうる。 しかし、前年度の公募開始からの一連の流れを考えれば、とにかく早く外食業への移民の受け入れを実現したい、できるだけ早く「外国人材」という名札をつけた移民を受け入れて、働いているという実績を作りたい、その結論に導くための形式的なもの、別の言い方をすれば、「結論ありき」の出来レースであると見られても仕方あるまい』、最後の部分はその通りだろう。
・『何のための制度や手続なのか  そもそも、今回の特定技能1号技能測定試験の実施に当たっては、受験者に学習して「いただく」ために、ご丁寧に日本語およびベトナム語の両言語でテキストまで用意されている。 これらのテキストは試験作成団体である日本フードサービス協会のサイトからダウンロードでき、当然のことながら無料である。 テキストには(1)接客全般、(2)飲食物調理、(3)衛生管理の3種類があるという手厚さ。これでは試験というより、より多くの移民受験者に合格してもらうための、カタチだけの「試験モドキ」、「一応やりました」という単なるアリバイ作りであると揶揄(やゆ)されても仕方あるまい。 外国語の教材がベトナム語のみ用意されていることからも、ベトナム人アルバイトや技能実習生が引き続き就労できるようにするためであることは明らかだ。 これでは何のための制度や手続きなのか分からない。 むろん、この試験に合格しただけでは特定技能一号外国人として外食産業で就業することはできず、日本語能力試験にも合格する必要がある。 しかし、その日本語能力試験についても、先の基本方針においては、「ある程度日常会話ができ、生活に支障がない程度の能力を有することを基本としつつ、特定産業分野ごとに業務上必要な日本語能力水準が求められる」とされている』、「カタチだけの「試験モドキ」、「一応やりました」という単なるアリバイ作りであると揶揄(やゆ)されても仕方あるまい」、というのは言い得て妙だ。
・『「観光客に毛が生えた程度」のレべルと評せざるをえない  試験の方針では「基本」の水準については、(1)ごく基本的な個人的情報や家族情報、買い物、近所、仕事など、直接的関係がある領域に関する、よく使われる文や表現が理解できる、(2)簡単で日常的な範囲なら、身近で日常の事柄についての情報交換に応ずることができる、および(3)自分の背景や身の回りの状況や、直接的な必要性のある領域の事柄を簡単な言葉で説明できる、等の尺度をもって測定することが考えられるとしている。 端的に言って、これでは「観光客に毛が生えた程度」のレべルと評せざるをえないだろう。 日本語能力試験は、国内にあっては日本国際教育支援協会が実施する日本語能力試験(N4以上)であり、国外にあっては独立行政法人国際交流基金が実施する日本語基礎テストである。 その認定の基準も、前者については、「読む:基本的な語彙や漢字を使って書かれた日常生活の中でも身近な話題の文章を、読んで理解することができる」、「聞く:日常的な場面で、ややゆっくりと話される会話であれば、内容がほぼ理解できる」であり、後者については「ごく基本的な個人的情報や家族情報、買い物、近所、仕事など、直接的関係がある領域に関する、よく使われる文や表現が理解できる。簡単で日常的な範囲なら、身近で日常の事柄についての情報交換に応ずることができる。自分の背景や身の回りの状況や、直接的な必要性のある領域の事柄を簡単な言葉で説明できる」である。 いずれも日本において、「特段の育成・訓練を受けることなく直ちに一定程度の業務を遂行できる」という日本語の能力には程遠いと言わざるをえないだろう。 既に特定技能1号技能測定試験は第2回試験も決まっており、6月24日から28日にかけて東京、大阪他主要都市で実施される。おそらく、それ以降も引き続き実施されることになるだろうし、その結果、拙速と言いたくなる速さで移民が流入してくるだろう』、先日、羽田国際空港に行ったところ、東南アジア系の外国人技能実習生の候補たちが大勢集まっていた。「拙速と言いたくなる速さで移民が流入してくる」のは確かなようだ。
・『百害あって一利なしの「愚策」 直ちに見直すべき  その先に待っているのは、何か。 まず容易に想定されるのは「当たり前」の違いや円滑な意思疎通が困難であることによる現場の混乱等であり、そうしたことにより、希望に胸を膨らませて就業した移民たちは、多くの壁にぶつかることになるだろう。 それに加えて商習慣、生活習慣、文化、宗教等のさまざまな壁があり、これらは一朝一夕で越えられるものではない(そもそもそれを越えようという意思や考えはないかもしれないが…)。 残念ながら、こうしたことはほとんど話題になっていないし、問題視し、国会で質疑している国会議員を、少なくともこの通常国会においては見たことがない(おられるのであれば、ぜひ積極的な情報発信をお願いしたい)。 加えて、移民たちは日本側や日本企業側の都合で、不要になったら帰ってくれるわけではない。彼らは生活の根拠を母国から日本に移しているのであり、彼らは生活をかけ、「人生をかけて」日本に来ているのである。 気がついたときには「既に手遅れ」となる前に、日本社会にとっても日本人にとっても、そして移民たちにとっても百害あって一利なしの「愚策」は直ちに見直すべきであろう』、説得力溢れた主張で大賛成である。将来「徴用工」に発展しかねない問題であり、早目に芽を摘み取っておくべきだろう。

第四に、ライター・編集者「ニッポン複雑紀行」編集長の望月 優大氏が6月28日付け現代ビジネスに寄稿した「法令違反が7割超、ブラック企業を次々に生み出す技能実習制度の構造 止まらない人権侵害の現状と背景」を紹介しよう。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/65550
・『政府は今年4月に「特定技能」という在留資格を新設し、外国人労働者の受け入れを一層加速している。しかし、そのことに気を取られて忘れてならないのは、様々な問題を抱えた「技能実習」という制度がそのまま残っているという現実だ。 4月以降も、例えば岐阜の婦人服製造業者の社長が実習生を時給405円で働かせていた疑いで逮捕(労基法違反)されるなど、一部の実習生を取り巻く労働環境の劣悪さや人権侵害の状況は変わっていない。 つい先日放送されたNHK「ノーナレ 画面の向こうから」でも、実習先から逃げ出さざるを得なかったベトナム人の若い女性たちの苦境が取り上げられ、今も大きな話題となっている。 なぜ技能実習生の人権侵害は一向に止まらないのか? 実は実習先企業のなんと7割以上で労働基準関係法令違反が認められているという実態がある(厚労省調査)。もはや一つひとつのブラック企業の問題として捉えるだけでは不十分だ。人権侵害が止まらないより根本的な理由、つまり制度や政策のあり方そのものを理解する必要がある。 そこで、この記事では、新刊『ふたつの日本――「移民国家」の建前と現実』(講談社現代新書)の第4章「技能実習生はなぜ「失踪」するのか」から、技能実習制度の現状と構造的な問題を整理したパートを特別公開する。読めば、技能実習生が晒されているリスクとその背景にある構図を理解してもらえるはずだ』、「実習先企業のなんと7割以上で労働基準関係法令違反が認められているという実態」を踏まえれば、「制度や政策のあり方そのもの」に問題があることは明確だ。
・『技能実習生の増加と多様化  技能実習制度については、劣悪な労働環境や様々な人権侵害に関してこれまでも数多くの指摘がなされてきた。近年では、実習生の数が一気に増加する中で、実習先から「失踪」する実習生も増えている。 技能実習とはどんな制度なのか。なぜ日本はこの問題だらけの制度を外国人労働者政策の一つの基軸としてきたのか。技能実習制度の説明に入る前に、直近の実習生の状況について整理しておきたい。 まず、技能実習生の数は伸び続けている。特に2015年ごろからここ数年の伸び幅が大きく、2011年には14.2万人だったそれが、2018年6月末には28.6万人にまで急増している。 出身国別に見ると、1位のベトナムが13.4万人。そのあとに中国(7.5万人)、フィリピン(2.9万人)、インドネシア(2.3万人)、タイ(0.9万人)と続く。ベトナムだけで全体の46.9%を占め、2位の中国と合わせると全体の約4分の3(73.2%)を占める。上位5ヵ国で全体の94.4%だ。 つまり、技能実習生に関わる問題とは、そのほとんどがベトナムと中国を中心とするアジア諸国出身者との間での問題であるということができるだろう。 出身国別の特徴で押さえておきたいのは、2011年時点では全体の75.8%を一国で占めていた中国の割合が2017年には28.3%にまで急減していることだ。この変化は、中国人実習生の実数自体が減少していることに加え、ベトナムやフィリピンなど、その他の国からの実習生の数が増加していることにも起因している。 1993年の制度創設以来、常に技能実習生の大きな割合を占めてきたのが中国出身者だった。しかし、中国自身の経済成長もあり、中国からの流入はすでに減少を始めている。そして、その穴を埋めるように、ベトナムなど中国より貧しいその他のアジア諸国からの流入が増加しているのだ』、「ベトナムやフィリピンなど」も、やがて頭打ちになるのだろう。
・『技能実習の建前と現実  技能実習制度の本質にあるのも「建前」と「現実」の乖離である。まずは建前の方から確認しよう。2017年11月に施行された技能実習法(外国人の技能実習の適正な実施及び技能実習生の保護に関する法律)の第一条は技能実習の目的をこう定義している。 (……)人材育成を通じた開発途上地域等への技能、技術又は知識(以下「技能等」という。)の移転による国際協力を推進することを目的とする。 ここに明確に示されている通り、技能実習制度の建前は先進国たる日本から発展途上国への技能等の移転による国際協力だ。ODAの位置付けに近い。派遣された日本の職場でのOJT教育を通じて身につけた技能を持ち帰り、自国の発展に活かしてもらうということである。表向きは、日本は与える側であって与えられる側ではない。 だがその建前とは裏腹に、技能実習制度は表向きは受け入れを認めていない低賃金の出稼ぎ労働者たちをサイドドアから受け入れるための方便として機能してきた。地方にある工場や、日本人労働者を採用しづらい重労働かつ低賃金の職場にとって、この制度は労働者を継続的に獲得して事業を維持していくために必要不可欠なシステムとなってきた。 実習生が特に多いのは、食品製造、機械・金属、建設、農業、繊維・衣服などの第一次及び第二次産業である。かつては繊維・衣服が非常に多かったが、最近は食品製造や建設、農業などの分野での伸びが著しい。 だが、問題は国際貢献という建前と非熟練労働者の受け入れという現実との間に大きな乖離があるということばかりではない。より大きな問題は、その乖離が実習生に対して様々な具体的被害を引き起こしてきたということにある』、「様々な具体的被害」とは何なのだろう。
・『法令違反とその不可視化  技能実習制度に常につきまとってきたのが劣悪な労働環境だ。長時間労働、最低賃金違反、残業代の不払い、安全や衛生に関する基準を下回る職場環境、暴力やパワハラ、セクハラなどである。 2017年に厚労省が労働基準監督署を通じて全国約6000の事業場を対象に行った監督指導では、なんとその7割以上で労働基準関係法令違反が認められた。7割以上というのは圧倒的な数字である。何のために法律があるのかと考え込んでしまうほど高い割合だ。 違反の内容は、労働時間に関する違反が最多の26.2%、以下、安全基準、割増賃金の支払いや就業規則に関する違反、労働条件の明示や賃金の支払いそのものに関する違反などが続く。 しかし、こうした外部からの調査がなければ現場の法令違反が明るみに出ることはほとんどない。同じ厚労省の調査によれば、2017年に技能実習生から労基署に対して法令違反の是正を求めてなされた申告はわずか89件に留まった。 厚労省が監督指導した約6000の事業場も含め、実習生を活用している企業はおよそ4万8000社にのぼる。そして、実習生自体は2017年時点で25万人以上も存在していたのだ。 にもかかわらず、実習生から労基署に対してなされた申告は1年間でわずか89件しかなかったわけである。本来なら届くべき声の多くが届かず、不可視の状況に置かれていることが容易に想像されるだろう。 こうした数字を見ると、否が応でも二つの疑問が頭をもたげてくる。一つめは、なぜこんなに多くの法令違反が横行しているのかという疑問。もう一つは、70%以上もの企業で法令違反があるにもかかわらず、なぜほとんどの技能実習生は労基署に対して助けを求めることができないのかという疑問である。 法令違反の横行とその社会的な不可視化には、技能実習の制度そのものに埋め込まれたいくつもの構造的な要因が絡まり合っている。このあと順に見ていきたい』、興味深そうだ。
・『ブローカーの介在  一つめの要因は、実習生の募集やマッチングに介在する国内外の民間ブローカーの存在だ。 技能実習生の受け入れ方には大きく分けて二つのタイプが存在する。一定規模以上の企業が実習生を直接雇用する「企業単独型」と、中小零細企業が組合や商工会などを通じて間接的に実習生を受け入れる「団体監理型」だ。実は実習生全体の96.6%が後者の団体監理型によって受け入れられている(2017年末時点)。 外国人労働者の問題と聞くと日本の大企業が外国人をこき使っているようなイメージを持つ方も多いかもしれないが、少なくとも技能実習制度に限ってみれば、紛れもなく中小零細企業に労働力を送り込むための制度として機能している。そして、そのことが、この制度が多くの問題を構造的に発生させてきたこととも深く関わっている。 実習生と実習先とのマッチングは、送り出し国と日本の双方に存在する民間のブローカーが介在して行われている。 一般論として労働者のマッチングは公的な機関(ハローワークなど)が無料で行うこともありえるし、民間の事業者が有料で行うこともありえるが、実習生については後者のパターンが取られている。しかも、団体監理型では最低でも二つの民間事業者が挟まっている。それが、送り出し国側の「送り出し機関」と受け入れる日本側の「監理団体」である。 送り出し機関や監理団体という言葉だけ見るとよくわからないと思うが、両者ともにその本質は民間の人材事業者である。実習生(候補)に対する日本語教育や職業上の研修、日本での生活面でのサポートなど、通常の人材ビジネスよりも対応範囲は広いものの、あくまでコアにあるのは人材の募集とマッチングだ。 実習先となる中小企業にとって、外国で暮らす労働者や外国の人材会社を自力で開拓することは簡単ではない。政府が間に挟まって紹介をしてくれればいいのだが、現状はそういう仕組みになっていない。結果として、民間の人材事業者に頼って手数料を払わざるを得ないため、実習生本人に支払う賃金を削り込むことになる。 労働者と受け入れ企業との間に挟まる中間事業者が多ければ多いほど、企業が実習生に支払うことができる給与は少なくなってしまう。当然のことだ。この点が、技能実習生が日本人の低賃金労働者よりさらに深刻な低賃金状態に陥りやすい一つめの制度的な要因となっている』、送り出し国側の「送り出し機関」と受け入れる日本側の「監理団体」に搾取されるのでは、実習生の手取りは小さくなるのも当然だろう。
・『来日前の多額の借金  二つめの要因は、実習生が来日前に作っている多額の借金だ。 実習生を集める送り出し機関の中には、日本への渡航に必要な費用として100万円を超える金額を要求するところもある。多くの実習生候補はこの渡航前費用を支払うことができないため、多額の借金をしている。さらに、保証金や違約金の契約を結び、家族などを保証人に入れさせられるケースも存在する。 なぜ実習生側は多額の借金という大きなリスクを取るのか。それは、日本で働けばその借金を返済してもなお元が取れるほどの給料をもらえるという話を信じているからだ。しかし、その話が真実であるためには二つの条件が必要である。 一つは賃金が事前の約束通りに支払われるという条件、そしてもう一つは実習先で借金返済に必要な期間は働き続けられるという条件である。これら二つの条件のうちいずれかの条件が崩れると、実習生は窮地に追い込まれる。 一つは賃金が約束より低い場合。約束が守られなくても借金が減るわけではないため、契約賃金以下、時には最低賃金以下の低賃金で働き続けることを余儀なくされる。どんなに過酷な労働環境でも、あるいは職場で暴力やセクハラが横行していても、最初の借金がなくなるわけではないので帰国という選択肢を選ぶことができなくなってしまう。 もう一つは「強制帰国」の恐怖で脅される場合である。強制帰国とは、実習期間の途中に、本人の意思にかかわりなく、実習先(含む監理団体)側の理屈で無理やり帰国させることである。強制帰国の恐怖によって、借金の返済前には帰国できない実習生が、実習先の言いなりにならざるを得ないという構造がある。 来日前に作ってしまった大きな借金のせいで、多くの実習生は「進むも地獄、退くも地獄」の状況に追い込まれてしまうのだ』、「日本への渡航に必要な費用として100万円を超える金額を要求するところもある」、航空機代は大したことはないので、ボロ儲けのようだ。「大きな借金のせいで、多くの実習生は「進むも地獄、退くも地獄」の状況に追い込まれてしまう」、というのはまさに悲劇だ。
・『転職の不自由と孤立  三つめの要因は、実習生には職場移動の自由が与えられてこなかったということである。職場移動の自由が制限されているということは、運悪く悪質な企業に当たってしまった場合に対抗手段が著しく限定されるということを意味する。 通常の労働者には悪質な事業者や相性の悪い職場を去って別の職場を探すための自由があるが、実習生にはその自由がない。たまたま割り当てられた企業に残るか、帰国するかという選択になり、それ以外の選択肢がない。 もし渡航前の借金が残っている場合には、帰国という選択肢も実質的に奪われることになり、実習先が悪質でも従属せざるを得ない状況に陥ってしまう。 2017年の技能実習法によって「外国人技能実習機構(OTIT)」が創設された。現在ではこの機構が実習生からの相談に対応し、転籍先の調整も含む支援を実施することとなっている。しかしまだ始まったばかりの制度であり、どこまで実効性をもった仕組みになっているかは未知数の部分が大きい。 四つめの要因は、実習生が様々な意味で孤立していることだ。まず、実習生の中には日本語がそこまでできない状態で来日する者も少なくない。 また、基本的な労働法や労働基準監督署、労働組合の存在など、日本で労働者としての権利を行使するために必要な制度や組織についての知識も持っていない場合が多いだろう。 さらに悪いことに、実習生の孤立状況をより深化させるために、実習先が実習生のパスポートを強制的に預かったり、来日前に「実習先に文句を言わない」などの誓約書にサインをさせていたりするケースまである。 実習生には悪質な企業を去る自由がないだけでなく、実習先に残ったまま異議を申し立てる力までもが奪われている場合もあるのだ』、「悪質な企業」には受け入れを認めないようにすべきだろう。
・『現実を直視すること  技能実習制度をめぐってなぜこれほどまで法令違反が横行しているのか。そして、なぜ実習生の多くは労基署などを通じて異議を申し立てないのか。そこにはここまで見てきたいくつもの構造的な理由が関わっている。 現在の制度では、ある実習生が日本で事前の期待通りの経験をできるかどうかは運次第、たまたま良い企業に当たるかどうか次第という状況になっている。送り出し機関や監理団体、実習先企業が悪質であったら万事休すだ。 日本で稼ぎたい、技術を学びたい、その思いが多額の借金、何重もの中間搾取、強制帰国の脅しや社会的な孤立状態への追い込みによって裏切られていく。 それは、一つひとつのブラック企業の問題であるだけでなく、それ以上に技能実習制度という制度そのものの成り立ちから構造的に発生している問題だ。 その現実を、今真摯に見つめ直す必要がある。 技能実習は多種多様な産業で利用され、気づいていようがいまいが、私たちの生活はすでにこうした構造を前提に成り立っている。しかも技能実習(約30万人)は日本の移民政策が抱える数多くの問題の一部に過ぎない。在日外国人はいつの間にか300万人に迫る。 幸いにも日本は民主主義国家だ。制度や政策に問題があると多くの人が思えば変えることもできる。いずれにせよ、一歩目は常に現実を知ること、直視することからだ』、技能実習制度の見直しには時間がかかるので、先ずは、技能実習生のための「駆け込み寺」を全国各地に作り、周知徹底させることから始めるべきではなかろうか。
タグ:東洋経済オンライン 日刊ゲンダイ 現代ビジネス 外国人労働者問題 室伏謙一 (その13)(日本語学校 空前の「開設ラッシュ」に潜む不安 外国人の特定技能35万人時代に対応できるか、1年で方針転換 廃炉作業に特定技能外国人を送る政権の狂気、「受け入れありき」の移民政策が着々と進んでいる大問題な実態、法令違反が7割超 ブラック企業を次々に生み出す技能実習制度の構造 止まらない人権侵害の現状と背景) 「日本語学校、空前の「開設ラッシュ」に潜む不安 外国人の特定技能35万人時代に対応できるか」 2019年はすでに41校が開設 外国人留学生絡みの不祥事が次々と明らかに 政府の「さじ加減」に揺れる日本語学校 増えぬ日本語教師、待遇で見劣り 将来も日本に留学してくれるとは限らない 「1年で方針転換 廃炉作業に特定技能外国人を送る政権の狂気」 新たな在留資格「特定技能」 外国人労働者が東電福島第1原発の廃炉作業に就くことが可能になった 技能実習制度における外国人の除染作業でさえ禁止していたはず 廃炉作業に携わる日本人労働者の線量が限度になりつつあり、人手不足を解消するための手段として「特定技能」が利用されるのだ 国際的な批判も高まると思います 「「受け入れありき」の移民政策が着々と進んでいる大問題な実態」 事実上の資格試験である特定技能1号技能測定試験が、4月25、26日に早々と実施され、5月21日に合格発表が行われた 非常に高い合格率のカラクリ 「移民法」の成立に合わせて設立された団体? 「結論ありき」の出来レース 何のための制度や手続なのか カタチだけの「試験モドキ」、「一応やりました」という単なるアリバイ作りであると揶揄(やゆ)されても仕方あるまい 「観光客に毛が生えた程度」のレべルと評せざるをえない 百害あって一利なしの「愚策」 直ちに見直すべき 望月 優大 「法令違反が7割超、ブラック企業を次々に生み出す技能実習制度の構造 止まらない人権侵害の現状と背景」 実習先企業のなんと7割以上で労働基準関係法令違反が認められているという実態がある 人権侵害が止まらないより根本的な理由、つまり制度や政策のあり方そのものを理解する必要 技能実習生の増加と多様化 技能実習の建前と現実 技能実習制度の建前は先進国たる日本から発展途上国への技能等の移転による国際協力だ。ODAの位置付けに近い 技能実習制度は表向きは受け入れを認めていない低賃金の出稼ぎ労働者たちをサイドドアから受け入れるための方便として機能 その乖離が実習生に対して様々な具体的被害を引き起こしてきた 法令違反とその不可視化 外部からの調査がなければ現場の法令違反が明るみに出ることはほとんどない 一つめの要因は、実習生の募集やマッチングに介在する国内外の民間ブローカーの存在だ 実習生全体の96.6%が後者の団体監理型によって受け入れられている 中小零細企業に労働力を送り込むための制度として機能 送り出し国と日本の双方に存在する民間のブローカーが介在 送り出し国側の「送り出し機関」と受け入れる日本側の「監理団体」 技能実習生が日本人の低賃金労働者よりさらに深刻な低賃金状態に陥りやすい一つめの制度的な要因となっている 来日前の多額の借金 送り出し機関の中には、日本への渡航に必要な費用として100万円を超える金額を要求するところもある 二つの条件が必要 一つは賃金が事前の約束通りに支払われるという条件 もう一つは実習先で借金返済に必要な期間は働き続けられるという条件 いずれかの条件が崩れると、実習生は窮地に追い込まれる どんなに過酷な労働環境でも、あるいは職場で暴力やセクハラが横行していても、最初の借金がなくなるわけではないので帰国という選択肢を選ぶことができなくなってしまう 「強制帰国」の恐怖で脅される 借金の返済前には帰国できない実習生が、実習先の言いなりにならざるを得ないという構造 転職の不自由と孤立 外国人技能実習機構 実習生には悪質な企業を去る自由がないだけでなく、実習先に残ったまま異議を申し立てる力までもが奪われている場合もある 現実を直視すること 日本で稼ぎたい、技術を学びたい、その思いが多額の借金、何重もの中間搾取、強制帰国の脅しや社会的な孤立状態への追い込みによって裏切られていく 技能実習制度という制度そのものの成り立ちから構造的に発生している問題
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幼児(児童)虐待(その5)(「これで無罪なら性犯罪は…」強制性交事件「無罪判決」の衝撃 裁判官が性犯罪の実態を知らなすぎる、精神科医が分析 札幌・目黒・野田…3つの虐待事件の鬼父像、宇都宮殺人託児所事件 録音されていた“虐待通報放置”の自白) [社会]

幼児(児童)虐待については、5月28日に取上げた。今日は、(その5)(「これで無罪なら性犯罪は…」強制性交事件「無罪判決」の衝撃 裁判官が性犯罪の実態を知らなすぎる、精神科医が分析 札幌・目黒・野田…3つの虐待事件の鬼父像、宇都宮殺人託児所事件 録音されていた“虐待通報放置”の自白)である。

先ずは、筑波大学教授(臨床心理学、犯罪心理学)の原田 隆之氏が5月27日付け現代ビジネスに寄稿した「「これで無罪なら性犯罪は…」強制性交事件「無罪判決」の衝撃 裁判官が性犯罪の実態を知らなすぎる」を紹介しよう。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/64846
・『名古屋地裁岡崎支部の唖然とする判決  このところ、悪質な性犯罪に対し立て続けに無罪判決が出され、大きな批判を浴びている。 なかでも、一番反発が大きく、今でも波紋が広がっているのが、名古屋地裁岡崎支部が今年3月26日に出した無罪判決である。 被告は、2017年に当時同居していた実の娘(当時19歳)と性交したとして、準強制性交罪で起訴され、懲役10年が求刑されていた。 強制性交罪というのは、かつての「強姦罪」のことであり、2017年の刑法改正によって罪名が改められた。 かつての強姦罪は、男性器を女性器に挿入する行為だけが対象であったのに対し、被害者の性別を問わず、口腔性交や肛門性交など「性交類似行為」も含めて「強制性交罪」とされることとなったのである。 また、「準」というのは、暴力や凶器を用いて力づくで性交したというのではなく、相手の心神喪失や抗拒不能の状態に乗じて性交した場合を指す。 たとえば、被害者が酔いつぶれていたときや、マインドコントロールなどで心理的に抵抗ができないような状態に置かれたときなどに成立する。 「準」というと、何か罪が軽いようなイメージを抱かせるが、けっして、強制性交罪よりも罪が軽いわけではなく、いずれも懲役5年以上という重罪である。 この事件で被害者は、「長年にわたって父親から虐待を受け続けており、心理的に抵抗することが不可能だった」と主張し、準強制性交罪で訴えていた。 一方、父親側は「被害者である娘は同意しており、抵抗できない状態ではなかった」と主張して争っていた。 判決で、鵜飼祐充裁判長は、性交はあったこと、娘からの同意はなかったことは認め、さらに「被告が長年にわたる性的虐待などで、被害者を精神的な支配下に置いていたといえる」ということも認めた。 しかし、「抗拒不能の状態にまで至っていたと判断するには、なお合理的な疑いが残る」として、無罪を言い渡した。 実の父親が、同意のない未成年の娘に対し、恐怖心から精神的支配下に置いたうえで性交をしたことまで認めているのに、「抗拒不能であったかどうかわからない」という理由での無罪判決である。 最後の最後で「大どんでん返し」のような理不尽で残酷な判決である』、「強制性交罪」に、「口腔性交や肛門性交など「性交類似行為」も含め」たのは前進であるが、鵜飼祐充裁判長の無罪判決には驚かされた。
・『準強制性交罪の構成要件  準強制性交罪は、その構成要件のハードルが非常に高い。これは、冤罪防止という理由が大きい。 性交は、密室で二人きりで行われるものであるため、一方が勝手な主張をして相手を陥れることもできる。 たとえば、本当は同意のうえでの性行為であったものが、喧嘩した腹いせに、女性側が「無理矢理セックスされた」などと訴えるケースがないわけではない。 したがって、このようなことを防ぐ意味で、強制性交罪の場合は、「明らかな暴行脅迫」があることが必要であるし、準強制性交の場合は、「明らかな抗拒不能の状態にある」ことが必要とされている。 「明らかな」というのは、たとえば被害者は恐怖におびえたり、相手に精神的に支配されていて抵抗ができない状態であったとしても、加害者側がそれを認識していないと罪に問えないということでもある。 同意にしても、抗拒不能状態にしても、心理的なものであって、客観的に目に見えるものではない場合が多いため、このような厳密な条件が科せられているのであろう。 しかしそれならば、加害者側が「認識していなかった」と言えば、何でも通ってしまう。 本件でも、被害者が「抗拒不能であった」という完全な証拠がない、父親にも認識のしようがないということで無罪になったわけである。 ほかにも、類似の判決がある。大量のテキーラを飲まされて酩酊状態にあった女性に性交した男性に対して、同じく今年3月に福岡地裁久留米支部は、「無罪」を言い渡した。 「女性はたしかに抗拒不能状態にあったが、男性にはその認識がなかった」というのが理由である。 女性から明確な拒絶の意思がなかったため、男性は「女性が許容している」と思い込んだという被告側の主張が認められたのである』、「準強制性交罪は、その構成要件のハードルが非常に高い。これは、冤罪防止という理由が大きい」、というのは一般論では当然であるが、「本件でも、被害者が「抗拒不能であった」という完全な証拠がない、父親にも認識のしようがないということで無罪になった」、というのは釈然としない。
・『疑わしきは罰せずなのか  このように、立証が非常に困難な性犯罪において、限りなく黒に近いが、疑いの余地が残るということで、無罪となったのだとすれば、それは刑事裁判の鉄則である「疑わしきは罰せず」ということなのかもしれない。 しかし、それ以上に、裁判官が性犯罪や被害者の心理に明らかな無知であることが大きな原因であると思う。 たとえば、加害者はいつもきまって「相手も同意していた」という言い訳をする。これは、先述のように、同意というのは心理的なもので、目に見えないものであることを悪用している場合もあれば、性犯罪者特有の「認知のゆがみ」による場合もある。 「認知のゆがみ」とは、偏った受け止め方をするということで、相手の意図や心理を自分の都合のよいように曲解する「考え方の癖」のようなものだ。 女性が明確な抵抗や拒否を示さなかったことで、「相手も同意していた」と受け取るのは、その典型的なものである。 レイプ犯が抱くこのような「認知のゆがみ」には、数多くのものがあり、それは「レイプ神話」と呼ばれている。 ほかにも、「露出の多い服を着た女性は、性行為を誘っている」「子どもにも性欲があって性行為を望んでいる」などが代表的なものである。 裁判官の判断は、このような「レイプ神話」を真に受けて、それをそっくりなぞっているようにしか思えない。 これらは意図的で白々しい嘘とは違って、加害者本人すら気づいていない「認知のゆがみ」であるので、このような心理状態を知らない裁判官は、まんまと乗せられてしまうことがある』、裁判官が「「レイプ神話」を真に受け」るようでは話にならない。原田氏のような専門家による研修が必要なようだ。
・『そもそも被害者は抵抗できない  裁判官が、性犯罪の実態を知らなすぎるのは、この点だけではない。 被害者は、そもそも明確に抵抗することなどできないのが実態である。大声で叫んだり、激しく抵抗したりするのは、テレビのなかの陳腐な場面だけである。それを現実と勘違いしているのであれば、不勉強も甚だしい。 また、この事件の被害者のように、長年の虐待で恐怖による支配を受けた場合は、相手のことを思い出しただけでも、体がすくんだり、何も考えられなくなったりするのが通常である。現実的に性行動を誘われたような場合はなおさらである。 大きな恐怖を抱くような場面では、「解離」という一種の変性意識状態に陥ることがめずらしくない。それは、そのときの心理を通常の心理状態から切り離してしまうことであり、危険な状態において、心を守ろうとする「正常な」な反応である。 それを周囲から見れば、さしたる抵抗もしていないように見えたり、被害者も受け入れているようにすら見えてしまう。 それまでの長い虐待や恐怖による支配という文脈を考慮せず、そしてこのような心理的プロセスについて無知のままで、「抗拒不能だったとはいえない」などと言ってのけることも、不勉強で無理解の誹りを免れることができないだろう。 また、裁判官ですらそうなのだから、加害者のほうも、こうした被害者の心理的プロセスには無知であることは容易に想像できる。 だとすれば、法律が求めるように、被害者が抗拒不能であることを加害者が認識することなど、土台無理だということになる。 つまり、法は現実的に不可能なことを構成要件として求めていることになり、このままでは、ほとんどすべての準強制性交が成立しないことになってしまう』、立法過程で原田氏のような専門家の意見を聞かなかったのであれば、大きな手落ちだ。
・『今後必要なこと  これらのことを考えると、今後早急に必要なことが2つある。 まずは、裁判官に対して、性犯罪被害者の心理に関する教育を徹底的に実施することである。これは今すぐにでもできることである。 もう1つは、これらの議論を踏まえたうえでの、刑法の改正である。強制性交罪や準強制性交罪の構成要件が厳格すぎることは、前回の刑法改正の際にも議論されたことであるが、前述のように冤罪防止の観点から見送られたという経緯がある。 もちろん、被害者の利益のために、少しの冤罪なら許容できるというものではない。しかし、現に被害があっても成立することが現実的にきわめて困難な構成要件であれば、現実に即して改正すべきである。 ただでさえ、性犯罪の被害者が被害を訴えることは、非常にハードルが高い。法務省の調査では、性犯罪の被害者のなかで、実際に届け出た人はわずか18.5%しかいない。 この事件の被害者も、実際の被害を受けてから、何年も経ってやっと訴え出ることができたのである。それを無理解な裁判官によって、無罪にされたのでは、どこに正義を求めればよいのだろう。 これでは、裁判所が「泣き寝入りをしろ」と言っているのと同じである。さらに、性犯罪者予備群に対しても、「これだけのことをやっていて無罪なのだから、レイプし放題だ」などというメッセージを伝えてしまうことになる。 このような正義なき裁判は、二度と繰り返されてはならない』、説得力の溢れた主張で、全面的に賛成である。

次に、精神科医の和田秀樹氏へのインタビューを中心とした6月16日付け日刊ゲンダイ「精神科医が分析 札幌・目黒・野田…3つの虐待事件の鬼父像」を紹介しよう。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/lifex/256055
・『またも児童虐待をめぐる凄惨な事件が世間を騒がせている。 今月、札幌市の池田詩梨(ことり)ちゃん(2)が衰弱死し、母親と交際相手が傷害容疑で逮捕され、詩梨ちゃんの体からは、たばこの火が原因とみられるやけどの痕が複数見つかった。 目をふさぎたくなるような“鬼父”による虐待と言えば、昨年3月に東京・目黒区で5歳の女の子が亡くなった事件があった。女児が書き記したノートから見つかった「おねがい ゆるして」というメッセージは社会に大きな衝撃を与えた。 そして、今年1月には千葉県野田市で小学4年生の10歳の女の子が父親に冷水シャワーを浴びせられるなどして自宅浴室で死亡している。 この3つの事件に関与したのは交際相手、継父、千葉は実父という違いはあるが、いずれも母親のパートナーだ。そして、母親単独の虐待よりも残酷な点が目立った』、確かに今年に入ってからの児童虐待死事件は、目を塞ぎたくなるほど悲惨だ。
・『精神科医の和田秀樹氏は父親らによる虐待をこう分析する。 「虐待を起こす原因は一概に言えませんが、自身が虐待を受けてきたことによる虐待の連鎖、妻の連れ子、貧困が背景にあります。目黒の事件はそれに当てはまる点が多いですが、野田のほうは当てはまる要素があまりない。野田は父親のパーソナル障害によるところが大きいと思います。仕事もしており、社会的にはしっかりしていたようですが、仕事や生活の欲求不満が子どもに向かったのではないでしょうか。双方とも父親による虐待であり、力加減が分からず、暴力がエスカレートし、自分自身を止めることができなかった。発達障害的なものの可能性も否定できません」』、仮に「発達障害的なものの可能性」があるとしても、刑事責任を問えないようなものではないと思いたい。
・『さらに、目黒、野田ともに、妻に対して高圧的な態度をとっており、母親にSOSを出させないようにしている点だ。また、妻たちは夫を追って、実家を出ているのも不可解だ。なぜDV夫から子どもを守ることをせず、妻たちは逃げないのだろうか。 「恐怖による支配によってサレンダー(降伏)心理というのが生じることが知られているのですが、母親たちはこのサレンダー心理に陥り、助けを求めることができなかったと思われます。また、サレンダー心理によって、暴力を振るわれた相手を理想化してしまうんです。その人に気に入られようと積極的に服従し、加担してしまう。人間の心理をそれまでと変えてしまうものなのです」(和田氏) さらに和田氏は日本の虐待を取り巻く現状に、こう警鐘を鳴らす。 「虐待によって子どもを殺した父親たちが責められるのは当然です。厳罰化を求める声も大きく、確かに、厳罰化によって抑止力が働くかもしれませんが、それだけでは虐待はなくなりません。今後は、虐待を抑止するための整備を日本は考えていかなければならない。アメリカでは子どもだけではなく、虐待をした親もしっかりとカウンセリングを受け、虐待をしないと認められるようにならなければ、子どもを返すことはない。しかし、日本では野田の事件のように、虐待をしていると把握しているにも関わらず、子どもを親元へ帰してしまう。カウンセリングを積み重ねていけば、今まで見えてこなかった親が虐待を犯す原因が見えてくることもあります」 自身の欲求不満を無抵抗な子どもに虐待という形でぶつける鬼父たち。鬼父たちの犠牲者をこれ以上出さないためにも、早急な改革が望まれる』、「サレンダー心理」とは初耳だが、ありそうなことだ。和田氏の主張通り、「厳罰化」だけでなく、親への「カウンセリング」体制も整える必要がありそうだ。

第三に、6月28日付けYahooニュースが女性自身の記事を転載した「宇都宮殺人託児所事件 録音されていた“虐待通報放置”の自白」を紹介しよう。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190628-00010005-jisin-soci
・『「あの日、娘は長時間の苦しみを受けながら殺されたのです。生後9カ月だったのに、ほかの子どもたちと同じようにグルグル巻きに縛られて、脱水症状に陥り……。警察の遺体安置所で私たちが見た愛美利の顔には無数のアザが、そして体には縛られたような痕も残っていました」と語るのは、栃木県宇都宮市在住のAさん(53)。 【写真】縛られて放置された子供たち。元職員が撮影していた(リンク先にあり)  Aさんとその妻・B子さん(41)の長女・愛美利ちゃんは'14年7月26日に、わずか9カ月の人生を閉じた。死因は熱中症だった。当時、愛美利ちゃんは認可外保育施設「託児室トイズ」に預けられていたが、38度を超える発熱があったにもかかわらず、施設の職員らは彼女を放置し、死に至らしめたのだ。 '16年6月に、宇都宮地裁は、託児室の元施設長・木村久美子(62)に懲役10年の判決を下し、その後刑は確定した。だがAさんとB子さんの闘いはいまも続いている』、「託児室トイズ」では夏場にも拘らず、冷房が入ってなかったらしい。「縛られて放置された子供たち」の写真は一見しただけで、これが保育施設のやることかと強い憤りを感じた。
https://jisin.jp/kasou/1751437/image/1/?rf=2
・『「私たちは宇都宮市の(保育施設への指導・監督を行っている)保育課が、きちんと立入調査を行っていれば、娘は死なずにすんだと思っています」(Aさん) 実は愛美利ちゃんの亡くなる2カ月前の'14年5月に、宇都宮市は立て続けに託児室トイズで横行している児童虐待にまつわる通報を受けていたのだ。 「1度目は5月27日、トイズに預けられた男児の人差し指の爪が剥がされていたというもの。さらに翌日には職員の関係者を名乗る人物から《職員を減らしているので、子供を毛布でグルグル巻きにして、ひもで縛って動けないようにしている》と、具体的に指摘があったのです」(Aさん) この2度にわたる虐待通報があったにも関わらず、宇都宮市が行ったのは、わずか30分の立入り調査のみ。それも施設に対して、事前に通告してから実施したものだった。 「そのときに抜き打ちで入念な立入り調査をし、そして継続的な調査が行われ、施設の実態が明らかになっていれば、愛美利を預け続けることはなかったでしょう。娘は市のずさんな対応のために殺されたのです」(Aさん) 「最近も虐待通報がありながら児童相談所が手をこまねいていたり、適切な対応をしなかったりで、犠牲になる子供たちが後を絶ちません。愛美利のケースもその典型例だと思います」(B子さん) 愛美利ちゃんが犠牲になった後も、託児室トイズは自分たちの罪を認めず、その死の真相を隠し続けていた。また保育課もトイズに関する虐待通報があったことを明かそうとはしなかったのだ。結局、AさんとB子さんが、事前に虐待通報があったことを知ったのは愛美利ちゃんの死去から3カ月後。市に対する地道な情報開示請求を続けた結果だった。驚いた2人はすぐさま保育課に抗議をしたという。 そのとき録音されたやり取りはこの今年7月の公判後に初めて開示される予定だったが、それに先んじて、本誌がその概要を公開する。 Aさん「たった30分だけの調査で終わりだと思っているんですか?」 保育課課長(以下課長)「この件については、その後の立入り(調査)などはしておりません」 Aさん「なぜ、しなかったのか? それは放置っていうんですよ。あなたが『徹底的に調査しろ』と、言ってくれていたら、うちの娘は死んでいない」 課長「(調査が)十分じゃなかったことはあるかもしれないですよ」 Aさん「(虐待通報があったのに30分程度の調査でその後)放置していたことについては責任者として、どう考えているのですか?」 課長「十分でなかったことは申し訳ないと思っていますよ」 Aさん夫妻が、施設に対する指導責任を怠ったとして宇都宮市に損害賠償を求める訴訟を起こしたのは、このやり取りから3カ月後の'15年1月のことだった。愛美利ちゃんが亡くなったあとの数年間、母・B子さんは睡眠障害で苦しんだという。 「眠ると娘が苦しんでいる夢を見るのです。そばに駆け寄れば助けられるのに、手が届かない……、そんな夢ばかり見ていました」 AさんとB子さんは、以前『赤ちゃんの急死を考える会』のメンバーとしても活動をし、保育施設に抜き打ちの立入り調査をするなど、行政サイドの指導・監督体制の整備を求めるよう国会議員に陳情したこともある。Aさんは最後にこう語った。 「愛美利の死を無駄にしないためにも、新しく生まれてくる子供たちのためにも、児童虐待や不適切な保育を見逃さない仕組みを作らなければいけません。私たちはこれからも、そのことを訴えていきますが、きっと長い道のりになることでしょう」』、「宇都宮市保育課」の生ぬるい対応は首を傾げざるを得ない。あるネット情報によれば、「託児所トイズの運営関係者には、以前に栃木県内で重要な公職を務めていた人間や教育関係者の存在が取りざたされており・・・この人物の存在が宇都宮市の姿勢に何らかの影響を与えた可能性は排除できません」とのことである。
https://yodokikaku.net/?p=6896
「宇都宮市に損害賠償を求める訴訟」の行方がどうなるのかを注視していきたい。
タグ:幼児 虐待 児童 女性自身 yahooニュース 日刊ゲンダイ 現代ビジネス 原田 隆之 (その5)(「これで無罪なら性犯罪は…」強制性交事件「無罪判決」の衝撃 裁判官が性犯罪の実態を知らなすぎる、精神科医が分析 札幌・目黒・野田…3つの虐待事件の鬼父像、宇都宮殺人託児所事件 録音されていた“虐待通報放置”の自白) 「「これで無罪なら性犯罪は…」強制性交事件「無罪判決」の衝撃 裁判官が性犯罪の実態を知らなすぎる」 名古屋地裁岡崎支部の唖然とする判決 被告は、2017年に当時同居していた実の娘(当時19歳)と性交したとして、準強制性交罪で起訴され、懲役10年が求刑 被害者は、「長年にわたって父親から虐待を受け続けており、心理的に抵抗することが不可能だった」と主張し、準強制性交罪で訴えていた 判決で、鵜飼祐充裁判長は、性交はあったこと、娘からの同意はなかったことは認め、さらに「被告が長年にわたる性的虐待などで、被害者を精神的な支配下に置いていたといえる」ということも認めた。 しかし、「抗拒不能の状態にまで至っていたと判断するには、なお合理的な疑いが残る」として、無罪を言い渡した 準強制性交罪の構成要件 構成要件のハードルが非常に高い。これは、冤罪防止という理由が大きい 強制性交罪の場合は、「明らかな暴行脅迫」があることが必要 準強制性交の場合は、「明らかな抗拒不能の状態にある」ことが必要 被害者が「抗拒不能であった」という完全な証拠がない、父親にも認識のしようがないということで無罪になった 疑わしきは罰せずなのか 裁判官が性犯罪や被害者の心理に明らかな無知であることが大きな原因 同意というのは心理的なもので、目に見えないものであることを悪用している場合もあれば、性犯罪者特有の「認知のゆがみ」による場合もある。 女性が明確な抵抗や拒否を示さなかったことで、「相手も同意していた」と受け取るのは、その典型的なも 「レイプ神話」 裁判官の判断は、このような「レイプ神話」を真に受けて、それをそっくりなぞっているようにしか思えない そもそも被害者は抵抗できない 大きな恐怖を抱くような場面では、「解離」という一種の変性意識状態に陥ることがめずらしくない。それは、そのときの心理を通常の心理状態から切り離してしまうことであり、危険な状態において、心を守ろうとする「正常な」な反応である 周囲から見れば、さしたる抵抗もしていないように見えたり、被害者も受け入れているようにすら見えてしまう 法は現実的に不可能なことを構成要件として求めていることになり、このままでは、ほとんどすべての準強制性交が成立しないことになってしまう 今後必要なこと 裁判官に対して、性犯罪被害者の心理に関する教育を徹底的に実施 これらの議論を踏まえたうえでの、刑法の改正である 現に被害があっても成立することが現実的にきわめて困難な構成要件であれば、現実に即して改正すべき 裁判所が「泣き寝入りをしろ」と言っているのと同じ 「精神科医が分析 札幌・目黒・野田…3つの虐待事件の鬼父像」 札幌市の池田詩梨(ことり)ちゃん(2)が衰弱死 目黒区で5歳の女の子が亡くなった事件 野田市で小学4年生の10歳の女の子が父親に冷水シャワーを浴びせられるなどして自宅浴室で死亡 いずれも母親のパートナーだ。そして、母親単独の虐待よりも残酷な点が目立った 精神科医の和田秀樹氏 自身が虐待を受けてきたことによる虐待の連鎖、妻の連れ子、貧困が背景にあります 発達障害的なものの可能性も否定できません 目黒、野田ともに、妻に対して高圧的な態度をとっており、母親にSOSを出させないようにしている 恐怖による支配によってサレンダー(降伏)心理というのが生じる 厳罰化によって抑止力 虐待をした親もしっかりとカウンセリング 「宇都宮殺人託児所事件 録音されていた“虐待通報放置”の自白」 愛美利ちゃん 認可外保育施設「託児室トイズ」 38度を超える発熱があったにもかかわらず、施設の職員らは彼女を放置し、死に至らしめた 宇都宮地裁は、託児室の元施設長・木村久美子(62)に懲役10年の判決を下し、その後刑は確定 宇都宮市の(保育施設への指導・監督を行っている)保育課 きちんと立入調査を行っていれば、娘は死なずにすんだと思っています 宇都宮市は立て続けに託児室トイズで横行している児童虐待にまつわる通報を受けていた 宇都宮市が行ったのは、わずか30分の立入り調査のみ。それも施設に対して、事前に通告してから実施 Aさん夫妻が、施設に対する指導責任を怠ったとして宇都宮市に損害賠償を求める訴訟を起こした
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介護施設(老人ホーム)問題(その4)(有料老人ホームの主役が「介護型」から「住宅型」に交代しつつある事情、92歳の老人ホーム入居者が憂う「男やもめ」の恫喝) [社会]

介護施設(老人ホーム)問題については、2月5日に取上げた。今日は、(その4)(有料老人ホームの主役が「介護型」から「住宅型」に交代しつつある事情、92歳の老人ホーム入居者が憂う「男やもめ」の恫喝)である。

先ずは、福祉ジャーナリスト(元・日本経済新聞社編集委員)の浅川澄一氏が2月27日付けダイヤモンド・オンラインに寄稿した「有料老人ホームの主役が「介護型」から「住宅型」に交代しダつつある事情」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/195285
・『鹿児島では1ヵ月で7人が死亡「住宅型」老人ホームが増加の一途  「老人ホーム6人相次ぎ死亡」「老人施設 1ヵ月6人死亡」「介護担当の全8人退職」「6人と別 入居者死亡」「別の4人への虐待確認 7人死亡の老人ホーム」――。 昨年11月21日から立て続けに新聞報道された。いずれも鹿児島県鹿屋市の高齢者施設「風の舞」で10月中旬から約1ヵ月の間に起きた死亡事件である。 高齢の女性入居者6人が短期間に次々亡くなり、直後に7人目も亡くなった。介護職員全員がその1~2ヵ月前に辞めており、夜間の対応は施設長1人が担っていたという。 同市に「亡くなる入居者が多い」と通報があったことで判明し、県と市はそれぞれ老人福祉法、高齢者虐待防止法に基づき検査に入った。この「施設」は「住宅型有料老人ホーム」である。と言われても、「普通」の有料老人ホームとどこが違うのか分かりにくい。建物の外見や現場の介護状況を見てもほとんど変わらないように見えるからだ。 有料老人ホームには3種類ある。「介護付き」と「住宅型」、それに「健康型」だ。全体の0.1%しかない「健康型」は、健康老人しかいられないので、今や時代遅れとなりつつある。要介護者のための施設が求められるようになったためだ。「住宅型」は元気な高齢者が入居し、要介護状態になっても居続けられ、「介護付き」は入居時から要介護の人向けと見られていた。昨今の状況から、当然「介護付き」が主流であった。 ところが一昨年の2017年6月末時点で、「住宅型」が「介護付き」の定員数を追い越して主役が入れ替わった(図1)。「介護付き」が24万人なのに対して、「住宅型」は25万人になった。「住宅型」は規模が小さいので、施設数ではこれまでも上回っていたが、定員数で初めて逆転した。近年、「住宅型」の施設が急増し、この6年間で倍増以上の勢いだ(図2)。 特別養護老人ホーム(特養)の定員58万人には及ばないが、いずれ特養の入居者は重度の低所得者に限定されそうなので、サービス付き高齢者向け住宅(サ高住)と並んで高齢者住宅の主役になるだろう(図3)。 サ高住と「住宅型」はいずれも介護保険施設ではない。特養や「介護付き」は介護保険の給付を得られる施設で、市町村の介護保険計画で新規開設が限定される。そのため制約のないサ高住と「住宅型」が高齢者住宅のリーダーとなる可能性が高い。 事件のあった「住宅型」の「風の舞」は、よくある形態なのである。だが、「住宅型」と「介護付き」の違いはあまり知られていない。「介護担当の8人全員が退職」という報道内容からは、施設内に常駐する職員がいると思われかねない。そうなると「介護付き」と同じように見えてしまう』、「約1ヵ月の間に・・・高齢の女性入居者6人が短期間に次々亡くなり、直後に7人目も亡くなった」、とは驚きである。詳しい事情をみていこう。
・『「住宅型」で受ける介護は、自ら選んで自由に利用できる選択型  有料老人ホームといえば、マンションのような大きな建物に介護スタッフが常駐し、食事をはじめ入浴やトイレ、着脱などの介助をしてくれる施設といわれる。介護をすべて事業者に委ねる「お任せ型」である。これが普通のタイプで、正式には「介護付き有料老人ホーム」とされ、介護保険では「特定施設入居者生活介護」というサービス名になる。 入居者3人に対し職員1人以上の配置が必要など介護保険の施設基準を求められる。事業者は「特定施設」として得る介護報酬のほかに、別途利用料を自由に設定できる。この点が、同じ「お任せ型」でも社会福祉法人が運営する特養とは異なり、利用料が高額となる。 一方、「住宅型」はその名の通り多人数の単なる「住まい」である。自宅と同じ扱いだ。必要な介護サービスは、ケアマネジャーを通じて地域の訪問介護事業所や通所介護(デイサービス)事業所を選んで個別に受ける。介護保険サービスを自分で選んで自由に利用できる「選択型」である(図4)。 「風の舞」を辞めた職員は、実は同じグループの訪問介護事業所「風の舞介護センター」の所属だった。施設とは違う別の事業所から介護サービスを受けるのが、介護付き有料老人ホームと異なるところだ。 だが、介護保険の訪問介護サービスのスタッフが、施設内に常駐して保険外の日常生活の世話もすることが多い。保険の内外の区別がつき難く、利用者やその家族には施設職員と受け取られかねない。通所介護にしても、施設内や隣接に併設されており、一体運営のように見える』、「風の舞」では、「介護職員全員がその1~2ヵ月前に辞めており、夜間の対応は施設長1人が担っていたという」、というが、昼間の対応は誰がやっていたのだろう。元新聞記者が書いている割には、お粗末だ。
・『「住宅型」の方が「介護付き」より中重度の入居者が多い  入居者は高齢で、かつ認知症の人も多く、ほとんど決定権は家族にある。家族の多くは、個々のサービスは「事業者にお任せします」となり、「毎月の費用はどのくらい?」と総費用しか関心がなく、「介護付き」と区別ができているかあやしい。では、そのようなあいまいな住宅型がなぜ増えてきたのか。 その理由の第一は、「介護付き」と「住宅型」の利用者の状態から手掛かりが得られそうだ。「住宅型の入居者の平均要介護は2.7で、介護付きの2.4より高い」という衝撃的な結果が判明した。野村総合研究所が2017年に実施した調査によるものだ。 また、同調査から要介護3、4、5の中重度の入居者に占める割合を見ると、「介護付き」が各14.7%、15.2%、11.2%で合計41.1%なのに対し、「住宅型」は各18.5%、17.6%、12.9%で合計49.0%となる(図5)。元気老人が多いとみられていた「住宅型」の方が、中重度者の割合で「介護付き」を上回っている逆転の事実が明らかになったわけだ。これは何を意味するのか。 答えは明白だ。重度になっても「住宅型」で十分暮らしていけるのである。それがはっきり分かるのは、最重度の要介護5の入居者割合が「住宅型」の方が多いことだ。両者にケアのレベルの差はないといえるだろう。それだけ、「住宅型」の事業者が重度になった入居者への介護に熱心に関わっているといえるかもしれない。 では、ケアサービスに差はないなら、後は利用料金が問題だ。同じ野村総合研究所の調査では、外部サービス料金を除くと、「介護付き」は月平均で26万2515円なのに、「住宅型」は半額以下の12万2202円になるという。 「介護付き」には施設職員による介護サービスが含まれている。「住宅型」では、介護保険の在宅サービスを外部事業者から求めねばならないが、それでも1割負担なので要介護5でも3万5000円前後で済む。その費用を加えても、約16万円となり、「介護付き」より10万円ほど安い。この低価格は相当に訴求性があるとみていいだろう。 「風の舞」の入居者にも重度者が多く、なお月額の費用は介護保険の1割負担を含めても要介護5の場合11万円前後で足りる。全国的に見ても、ユニット型個室の特養のレベルとほとんど変わらない。つまり、中重度で10万円前後の総費用であれば、特養待機者の受け皿になり、現実的にそのように機能しているといえそうだ。 「住宅型」の都道府県別の定員数を見ると、数のベスト10には第1位の大阪府に次いで、北海道、宮崎、青森、大分、熊本、沖縄など最低賃金基準が低い各県が顔をそろえている。低所得者の多い地方で「住宅型」が存在意義を発揮しているといえるだろう』、「元気老人が多いとみられていた「住宅型」の方が、中重度者の割合で「介護付き」を上回っている逆転の事実が明らかになった」、「両者にケアのレベルの差はないといえるだろう」、費用面では「住宅型」が、「約16万円となり、「介護付き」より10万円ほど安い。この低価格は相当に訴求性がある」、ということであれば、「住宅型」の方がよさそうにも思えるが、「風の舞」は何が問題だったのだろう。
・『「住宅型」の増加は、「たまゆら事件」も大きなきっかけに  このような「住宅型」自体の変容が、多くの利用者に受け入れられたことが増加要因に挙げられる。この内部要因のほかに外部要因もある。 「たまゆら事件」である。2009年3月に群馬県渋川市の高齢者住宅「静養ホームたまゆら」で火災が起き、入居者16人のうち10人が亡くなった。批判を受けて厚労省は「認可外有料老人ホームを放置できない。基準に達していなくても、有料ホームの届けを出させて定期的に立入検査する」ことに方針転換した。「届けを出させるように」と指定権限を持つ都道府県や政令市を指導する。 そもそも有料老人ホームは老人福祉法で「10人以上の老人を住まわせて、食事を提供する」と定義されていた。2006年の改定で、「10人」が消え、食事のほかに家事や介護、健康管理を加え、かつ「そのうちのどれかを提供」として網を広げた。集合住宅に1人の老人が食事だけを提供されていても登録対象になった。 だが、「たまゆら」火災前までは、各自治体はガイドラインの「有料老人ホーム設置運営指導指針」により廊下幅や専門職員の配置、個室要件、部屋面積など細かい基準を定め、それを満たさなければ届けを受理せず、「類似施設」と命名し「継子」扱いだった。火災後に厚労省は「まずは届けを出させ、改装時に基準を満たすように指導せよ」と自治体に伝える。 これにより、普通の民家を活用していた小さな集合住宅が次々自治体に登録させられた。「宅老所」として「普段の暮らし」をうたう良質な事業者もやむなく移行していった。 宅老所は、志の高い看護師や薬剤師、あるいは介護職などが病院や大規模特養、老人保健施設のケアに疑問を抱いて独立するケースが多く、零細な事業者が大半。利用者も低所得者が多く、制度の隙間からこぼれた弱者救済という色彩が濃い。 次に、「特定施設」の指定を受けたいが、受けられない有料老人ホームの存在も「住宅型」の増加要因となっている。保険者の区市町村は介護保険料を算出するため、3年ごとに全介護サービスの総量を定め、介護保険事業計画を策定する。 特定施設の新規入居者数も上限が決まる。事業者からの申請が計画数以上になると指定を止めてしまうため、はじかれた特定施設待機組が「住宅型」に回ることになる。 特定施設の基準に合わせてハードの建物を造り、ソフトの介護サービスも同様の運営をしがちだ。介護サービスを外部でなく、形式的に別事業所を作って送り込むことになる。施設をチェーン展開する大手事業者にこのタイプが多い。従って、「介護付き」と「住宅型」の両方を数十ヵ所持っている。 こうしたさまざまの内部要因と外部要因が重なり「住宅型」が全国的に増えている。「介護付き」の1施設当たりの定員は61人だが、「住宅型」は29人と少ない。 合計定員数が全国5位で9995人の宮崎県では平均定員が24人、9位で合計定員数8201人の熊本県は同23人、また10位で7658人の沖縄県は同20人といずれも全国平均より少ない。施設が小さければ小さいほど、普通の住宅に近づきケアは行き届く。採算が取れる中で、小規模な施設が増えていくことは歓迎すべきことだろう』、最後の部分はその通りだろう。しかし、一般論中心で、「風の舞」の問題を掘り下げなかったのは残念でならない。

次に、健康社会学者(Ph.D.)の河合 薫氏が5月28日付け日経ビジネスオンラインに寄稿した「92歳の老人ホーム入居者が憂う「男やもめ」の恫喝」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00118/00025/
・『また、痛ましい事件が起きてしまった。 82歳までがんばって生きて、なぜ、ついの住み家で虐待され、命を落とさなければならなかったのか。先週、品川区の老人ホームに入所していた男性を殺害したとして、元職員の男(28歳)が逮捕された。 事件当日の夜、入所者の男性の手や足をひっぱって部屋の中に引きずり入れている姿が、施設の防犯カメラに映っていた。死因は激しい内臓損傷による出血性ショック。 亡くなった男性は、10年ほど前から認知症が進んだため50代の次女が面倒をみてきたが、次女ががんを患い治療に専念するため3月に入所したばかりだった。 報道陣の取材に対し、「ずっと私が父親を介護していましたが、自分自身が病気になり、わらにもすがる思いで施設に父親を託しました。それなのにどうしてこんなことになってしまったのかという思いでいっぱいです」と語ったそうだ。 2015年9月に、川崎市の老人ホームで入所者の男女3人が相次いで転落死した事件のときには、職員が耳を疑いたくなるような暴言を吐き、目を背けたくなるような暴力的な行為とともに、おばあちゃんの「死んじゃうよ……」と振り絞るような悲痛な声が映し出された。 “あの時”と同じようなことが密室で行われていたのだろうか。もし、自分の親が手足を引きずられていたら……、考えるだけで胸がつまる。激しい怒りと悲しみとやるせなさと自責の念でグチャグチャになり、複雑な感情に翻弄される。 で、こういう事件が起こる度に、決して他人ごとではない、と暗澹たる気持ちになってしまう。 介護施設の職員による虐待は、5年間で3倍も増えた。 2017年度の1年間に発覚した65歳以上の高齢者に対する虐待の件数は、過去最多の510件に達している。虐待を受けた高齢者は約7割が女性で、認知症の症状が深刻化しているなど、状態の重い人ほど被害を受けやすい傾向にあり、介護度が重いほど「身体的虐待」を受けた割合が高いこともわかった。 また、虐待をした介護職員の54.9%が男性で、介護従事者全体に占める男性の割合は2割であることから、虐待者は相対的に男性の割合が高いと解釈できる』、「次女ががんを患い治療に専念するため3月に入所したばかり」なのに、殺されたとは本当に気の毒だ。「介護施設の職員による虐待は、5年間で3倍も増えた」というのも困ったことだ。
・『介護職員の慢性的な人手不足が背景に  いかなる状況であっても、虐待は許されるものではない。 だが、慢性的な人手不足に加え、要介護度の高い人を優先的に入所させる施設が多く、職員の負担が増え続けても、その対応は現場頼みとなっている現実がある。 「とにかく人手が足りないので、問題ある職員でも雇いづつけるしかないんです。でも、結果的にはそれが真面目に働いている職員の負担になったり、職員同士の人間関係の悪化につながったり。悪循環に陥ってしまうんですよね……」。こう話す関係もいる。 これまでも書いてきたように、介護現場は問題山積で、施設での虐待を「個人の問題」ととらえていては、悲惨な事件があとを絶たないことは誰もがわかっているはずだ。しかし「環境の問題」は一向に解決されず、その介護現場を取り巻く環境の力が、暴力的なまでに、そこにいる人の生きる力を食い荒らす“化け物”になり、現場はリアルな暴力と背中合わせになっている。 ただ、今回の事件が発覚し、これまでとは違う視点が加わったことに、良い意味で少々驚いている。いくつかのメディアから取材を受けたのだが、「施設を利用している高齢者の、職員に対する暴行、暴言なども虐待の背景にあるのでは?」と相次いで聞かれたのだ。 1年前の2018年3月、「介護職員への暴行、杖を股に当てるセクハラも」で、公にすることがタブーとされていたこの問題について書いて以降、さまざまなメディアが「介護される側」の問題を取り上げるようになったことも関係しているのかもしれない。 いずれにせよ、先に見解を述べると「介護職員の高齢者への暴言と暴行」と「高齢者の介護職員への暴言と暴行」を直接的に結びつけるのは、いささか乱暴だと個人的には考えている。が、それは何も「高齢者の暴言と暴行」が「介護職員の暴言と暴行」につながっている可能性を否定しているわけではない』、冷静な判断だ。
・『ハラスメントを受けても我慢すべきだという風潮  先のコラムに書いた通り、施設介護職員では77.9%が身体的・精神的暴力を経験しており、日本介護クラフトユニオンが昨年、7万8000人の介護職員を対象に行ったアンケート調査では生々しい不条理な現実が明かされている。 +74.2%が何らかのハラスメントを受けたことがあるとし、そのうち94.2%がパワハラに該当する行為を受けている +しかも7割が上司や同僚に相談をしたものの、4割超が「何も変わらなかった」としている +相談しなかった人の4割が「相談しても解決しないと思った」とした理由について、「介護職は我慢するのが当然という風潮があり。相談すると力量不足と考えられてしまう」「プロの介護職はその程度のことは受け流すべきだ、と言われる」「利用者からのハラスメントは、専門職だからうまくかわす、辛抱するという風潮」「その程度のことは、自分でうまく対応すべきだと考えていた」「みんながハラスメントはよくある、と言っているし、あしらえなければならない、と思ったから」と回答している。 介護職員は利用者の「下僕」でもなければ、介護という仕事は「聖職」でもない。であるからして、介護される側=高齢者の問題にもきちんと向き合う必要があることは明白だし、当然のこと』、「ハラスメントを受けても我慢すべきだという風潮」に対して、「介護職員は利用者の「下僕」でもなければ、介護という仕事は「聖職」でもない。であるからして、介護される側=高齢者の問題にもきちんと向き合う必要があることは明白だし、当然のこと」というのはその通りだろう。
・『そこで今回は有料老人ホームに要介護の夫(車椅子)と入所している、92歳の私の最高齢の“お友だち”がメールしてくれた「介護施設の今」を紹介するので、みなさんにも是非、一緒に考えていただきたい。 =======以下引用 「私が入所している介護施設の現状をお知らせします。 最近 ヘルパーが4名辞めてしまいましたが、1カ月たっても代わりが見つからず、そのまま残ったヘルパーが悪戦苦闘しています。 そんな現状なのに、新しい入所者は増え続けているので、そのしわ寄せは夫のような車いすの移動を余儀なくさせられている者にきています。食事後、部屋に移動させてくれるヘルパーはわずか2~3名しかいません。 私のいる施設には、現在90名近い入所者がいるのですが、車椅子での移動者は、順番がくるのを1時間以上待たされてしまうのです。 人手不足を緩和するため、これからは外国人労働者の手を借りることになると思いますが、このような事態が起きることは、早くから分かっていたと思います。 シンガポールは過去、同じような問題が起きた時、移民で補填し続け現在のような地位を得た、と聞きます。日本は何事においても、初動が遅いと思います。2025年には団塊の世代が全員後期高齢者になるというのに……。 ヘルパーの数が足りないことは、すべての介護に支障をきたし、入所者のストレスもたまっています。その結果、思うようにならず暴言を吐く者が多くなり、この3、4年の間に施設の雰囲気が非常に悪化しています。 先週はメンテナンスを主業務にしていた男性が過労のため離職しましたが、補充がいないので、食堂の椅子が壊れているのに気づかずに座っていた女性が、あおむけに倒れてしまいました。 私は椅子が壊れているのに、気づかずにいた施設長の責任だと思っていますが、彼らの日常を目の当たりにしているので、深く責任を問うことができませんでした。 ところが1人の入所者が、それはそれは大きな声で恫喝(どうかつ)し、周りで見ていても気の毒なほどでした。 入所者の中には、ヘルパーを使用人のように思っている者(特に高い地位にいた男性)がいますが、意識改革も必要だ、とも思っています。 入所者は男女ともやもめ、後家さんが多いです。 やもめの方は、元気もなく静かですが、欲求不満がたまっているらしく、ときどき、びっくりするような大声で怒鳴ります。相手はいつも新参者のヘルパーです。昔の上から目線の悪しき癖が温存されているようです。 入所者の中には大声でわめき散らす人、たえずヘルパーを呼びつける人、自分が分からなくなってしまった人、思うようにならないとヘルパーの手にかみつく人など、さまざまです。 35年前91歳の母を在宅介護でみとったので、今の介護政策のありがたみをいつも感じていますが、よりよいものにするための施策を切望してやみません」============引用おわり) 92歳の“お友だち”は定期的にこういった状況をメールしてくれるのだが、それは「介護の現場の現実を世間に訴えてほしい。自分たちが施設の運営会社に訴えても、聞く耳を持たない」からと明言する。 以前、いただいたメールにはこんなことも書かれていた。 「ここはまさしくうば捨山です。入居者たちはみんなそういっています。 入所者は家族が介護の限界にきたために本人の意志でなく入れられた人が多いので、私のように発言できる入所者はめったにいないと思います。 私のコメントがお役に立つようでしたら、こんなうれしいことはありません。どうか薫さんのお力で、たくさんの方に現状を知ってもらってください」 そのため、私はことあるごとに“お友だち”のメッセージを公開しているのだが、今回のメールはまさに「高齢者の暴言と暴行」のリアルだった』、歳を取れば、気が短くなりがちで、「車椅子での移動者は、順番がくるのを1時間以上待たされてしまう」のでは、「入所者のストレスもたまっています。その結果、思うようにならず暴言を吐く者が多くなり、この3、4年の間に施設の雰囲気が非常に悪化」、という人手不足による悪循環は困ったものだ。
・『迫りくる「老い」の現実がストレスを生む  年をとると脳も老化し、とくに感情をコントロールする前頭葉の萎縮が進むと、怒りっぽくなったり、ものごとを柔軟に考えられなり、自己中心的になる。そこにストレスが加わると、キレやすくなる。 特に年をとると新しい環境に適応するのに時間もかかるし(最低でも半年)、「昨日できていたことができなくなる不安」が高まり、「なぜ、こんなにバカになってしまったんだろう」と自分を責めたりもする。 つまるところ「老化へのストレス、人手不足による入所者のストレス、ストレスによる暴言」という悪循環が介護の現場で起きているのだ。 そして、「入所者の中には、ヘルパーを使用人のように思っている者(特に高い地位にいた男性)」との指摘から、介護という職業への“社会のまなざし”も利用者である高齢者に影響を与えていることがわかる。 介護職の人たちを「大変な職業」と同情する人は多いが、介護職の社会的地位は決して高くない。いや、高いどころかむしろ低い。低すぎる。 職業の、いわゆる社会的地位の高低は人間関係にも大きな影響を及ぼすやっかいな代物である。職業の社会的地位が高いと「リスペクト」という感情を相手から得ることができるが、社会的地位の低いとされる職業に就く人たちにはそれがない。 とりわけ老化した脳は、「個人」に関する情報が属性でひもづけられたステレオタイプで短絡的に処理されてしまうため、介護職という仕事への社会的地位の低さが暴言や暴行のひきがねになっていると考えられる。特に社会的地位の高い職業に就いていた男性ほど、「自分より下」と見下し、「何を言っても許される」と勘違いしてしまうのだろう』、最後の部分は、確かに、日本の階層社会では拭い難い現実のようだ。 
・『手始めに介護職への「リスペクト」が必要  もし、介護職の社会的地位が高まれば、利用する高齢者と介護する介護職員の関係性を良い方向に導くリソースになるのではないか。 例えば、医師。私たち親の世代にとって、医師は「お医者さま」で常にリスペクトの対象だった。 私の父も闘病中は「お医者さま」の言葉を何よりも頼りにしていたし、通院しているときに医師から忙しそうな態度で接せられても、「お医者さんも忙しいから、大変なんだよ」とかばうことがあった。 父はめったに属性で人を見る人ではなかったけど、それでも「お医者さま」は特別で、私が驚くほど寛容だった。 介護という仕事は、「人」という感情の生き物をケアする究極の感情労働で、高い対人関係スキルや感情コントロールスキルが求められる。そのことを“私たち”がもっと理解し、介護職の人たちをリスペクトすれば、利用者の暴言のストッパーになるのではないか。 と同時に、利用者からのリスペクトは介護職員が、ストレスに対処するためのリソースになり、“一線を越えそうになる感情”のストッパーにもなる。もちろんそれが人手不足や多忙な状況を解決するわけじゃない。だが、せめて、そう。せめて究極の感情労働であり、肉体労働である介護職の職業の社会的地位がもっと高まれば、介護現場の崩壊を食い止めるきっかけになるように思う』、その通りだが、理想論に過ぎる印象も受ける。「介護職の職業の社会的地位」の向上には極めて長い時間を要する筈だ。それまでは、入居者に対し、施設長や家族が「介護職の人たちをリスペクト」すべきと繰り返し注意することも必要だろう。
タグ:介護施設 日経ビジネスオンライン ダイヤモンド・オンライン 河合 薫 住宅型有料老人ホーム 浅川澄一 (老人ホーム)問題 (その4)(有料老人ホームの主役が「介護型」から「住宅型」に交代しつつある事情、92歳の老人ホーム入居者が憂う「男やもめ」の恫喝) 「有料老人ホームの主役が「介護型」から「住宅型」に交代しダつつある事情」 鹿児島県鹿屋市の高齢者施設「風の舞」 10月中旬から約1ヵ月の間に起きた死亡事件である。 高齢の女性入居者6人が短期間に次々亡くなり、直後に7人目も亡くなった 介護職員全員がその1~2ヵ月前に辞めており、夜間の対応は施設長1人が担っていたという 有料老人ホームには3種類ある。「介護付き」と「住宅型」、それに「健康型」だ 「住宅型」が「介護付き」の定員数を追い越して主役が入れ替わった 近年、「住宅型」の施設が急増し、この6年間で倍増以上の勢い 制約のないサ高住と「住宅型」が高齢者住宅のリーダーとなる可能性が高い 「住宅型」で受ける介護は、自ら選んで自由に利用できる選択型 「住宅型」はその名の通り多人数の単なる「住まい」である。自宅と同じ扱いだ 必要な介護サービスは、ケアマネジャーを通じて地域の訪問介護事業所や通所介護(デイサービス)事業所を選んで個別に受ける 「住宅型」の方が「介護付き」より中重度の入居者が多い その費用を加えても、約16万円となり、「介護付き」より10万円ほど安い。この低価格は相当に訴求性がある 「住宅型」の増加は、「たまゆら事件」も大きなきっかけに 施設が小さければ小さいほど、普通の住宅に近づきケアは行き届く。採算が取れる中で、小規模な施設が増えていくことは歓迎すべきことだろう 「92歳の老人ホーム入居者が憂う「男やもめ」の恫喝」 品川区の老人ホームに入所していた男性を殺害したとして、元職員の男(28歳)が逮捕さ 介護施設の職員による虐待は、5年間で3倍も増えた 2017年度の1年間に発覚した65歳以上の高齢者に対する虐待の件数は、過去最多の510件に達している 状態の重い人ほど被害を受けやすい傾向 虐待をした介護職員の54.9%が男性で、介護従事者全体に占める男性の割合は2割であることから、虐待者は相対的に男性の割合が高いと解釈できる 介護職員の慢性的な人手不足が背景に 介護職員の高齢者への暴言と暴行 高齢者の介護職員への暴言と暴行 ハラスメントを受けても我慢すべきだという風潮 施設介護職員では77.9%が身体的・精神的暴力を経験 介護職員を対象に行ったアンケート調査 74.2%が何らかのハラスメントを受けたことがあるとし、そのうち94.2%がパワハラに該当する行為を受けている 介護職員は利用者の「下僕」でもなければ、介護という仕事は「聖職」でもない。であるからして、介護される側=高齢者の問題にもきちんと向き合う必要があることは明白だし、当然のこと 車椅子での移動者は、順番がくるのを1時間以上待たされてしまう ヘルパーの数が足りないことは、すべての介護に支障をきたし、入所者のストレスもたまっています 思うようにならず暴言を吐く者が多くなり、この3、4年の間に施設の雰囲気が非常に悪化 入所者の中には、ヘルパーを使用人のように思っている者(特に高い地位にいた男性)がいますが、意識改革も必要 迫りくる「老い」の現実がストレスを生む 入所者の中には、ヘルパーを使用人のように思っている者(特に高い地位にいた男性)」との指摘 職業の社会的地位が高いと「リスペクト」という感情を相手から得ることができるが、社会的地位の低いとされる職業に就く人たちにはそれがない 老化した脳は、「個人」に関する情報が属性でひもづけられたステレオタイプで短絡的に処理されてしまうため、介護職という仕事への社会的地位の低さが暴言や暴行のひきがねになっている 手始めに介護職への「リスペクト」が必要 究極の感情労働であり、肉体労働である介護職の職業の社会的地位がもっと高まれば、介護現場の崩壊を食い止めるきっかけになるように思う
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哲学(その1)(AI時代だからこそ哲学を学ぶ、「正義の教室」:正義を哲学すると「3つ」に分類できる、悪を哲学すると「3つの行為」に行きつく、多数決を哲学すると、なぜ「悪」になるのか?) [社会]

今日は、哲学(その1)(AI時代だからこそ哲学を学ぶ、「正義の教室」:正義を哲学すると「3つ」に分類できる、悪を哲学すると「3つの行為」に行きつく、多数決を哲学すると、なぜ「悪」になるのか?)を取上げよう。

先ずは、元ボストンコンサルティング社長の堀 紘一氏が6月3日付けダイヤモンド・オンラインに寄稿した「AI時代だからこそ哲学を学ぶ」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/203804
・『ボストンコンサルティング社長として名を馳せたビジネス界きっての読書家が、どう読書と向き合ってきたか、何を得てきたか、どう活かしてきたかを縦横無尽に語り尽くす。 自分を高める教養と洞察力が身につき、本を武器に一生を楽しむ、トップ1%が実践する『できる人の読書術』を説き明かす。 リーダーになるには哲学が不可欠であり、古今東西の哲学書を読むことはリーダーシップの育成につながる。 そう私は常々説いてきた。 本格的なAI時代を迎えると、ビジネスパーソンが哲学を学ぶ重要性は、さらに高まってくる。 AIとロボットが全盛の時代になるほど、その対極にある人間について勉強して、よく理解している人が重宝がられる。 そのためにも、哲学を学んでおきたい。 AIとロボットの組み合わせは最悪である。 こちらの立場や感情を汲んではくれないし、自分たちが絶対に正しいと知っている(と思い込んでいる)から、価値観を一方的に押しつけてくる。 哲学を学ぶと、AIとロボットという最悪コンビと大きく差別化できる。 哲学を学んだ人と学んでいない人では、何が違うのか。 哲学とは、人間の核心に迫ろうとする学問である。 哲学を学ぶと人間理解が深まり、考える力が格段に上がる。 超一流になるための洞察力も身につく。 哲学を学んでいない人は考える力に乏しく、そのうえ読書量も少ないと、自分の体験と価値観という狭い了見だけに頼って何でもかんでも判断しようとする。 人間理解が浅く、自分自身を客観的に認知するメタ認知(注)ができていないから、相手から底の浅さを見透かされてしまい、全てが独善的な振る舞いだと思われてしまう。 これでは、お互いに有意義な関係は結べない。 哲学を学んでいる人は、おそらく読書量も総じて多いはずだ。 メタ認知ができるから、安易に自分の体験と価値観を他人に押しつけたりはしない。 考える力があり、「ひょっとしたら相手は自分とは違った価値尺度を持っていて、違う感じ方をするかもしれない」と想定できる。 人間理解も深いから、相手の立場に立った良好なコミュニケーションが取れる。 だから、人間関係もスムーズになる。 単純化するなら、哲学を学んだ人材は超一流の予備軍であり、学んでいない人材はせいぜい一流止まりで終わってしまう可能性が高い。 あなたが上司だったら、一体どちらの人材がほしいか。それは自明である』、「哲学を学ぶと、AIとロボットという最悪コンビと大きく差別化できる」、「哲学を学んだ人材は超一流の予備軍であり、学んでいない人材はせいぜい一流止まりで終わってしまう可能性が高い」、などいうのは、確かにその通りだろう。
(注)メタ認知:自己の認知のあり方に対して、それをさらに認知すること・・・自分の認知行動を正しく知る上で必要な思考のありかたを指すことが一般的(Wikipedia)
・『未来志向の肯定的な最適解を見つけ出す  実社会では、数学の試験問題のように、正解を1つに絞れないケースが多い。 そこで正解を見つけ出すのに役立つのも、哲学の学びを通じて磨かれた考える力である。 ある商品が売れないというマーケティング上の課題に直面し、「その理由は何かを考えろ」と上司から指示を受けたとしよう。 そこでなぜ売れないかという理由を考えるだけでは足りない。 聞かれたことには答えているから、学校の宿題なら及第点がもらえる。 しかし、ビジネスの世界では、聞かれたことに答えるだけでは落第なのだ。 なぜ売れないのかという問題の核心を見極め、それを踏まえてどうすれば売れるようになるかの最適解を導き出し、上司に斬新な提案ができて初めて正解といえる。 売れない理由を導き出すだけなら、コンピュータで過去のマーケティングのケーススタディをたくさん集めれば済む。 それはAIが何よりも得意とする分野だ。 AIとコンピュータは過去を振り返って「~してはいけない」という否定的な答えを導き出すのは得意だが、これから先に「~すればいい」という未来志向で肯定的な答えを出すのは不得意である。 未来志向で肯定的な答えを導き出すのは、世の中に存在していなかった最適解を見つけるクリエイティブな作業である。 誰も考えなかったことを考えなくてはならない。 しかも「~すればいい」という正解は、1つに絞れないのが普通である。 そこで活きてくるのが、哲学を通して学んだ考える力であり、洞察力なのである。 AIとコンピュータが集約した過去のケーススタディでピラミッドの土台を作り、その天辺に人間が洞察した正解をのせる。 現在、AIと人間は、そういうスタイルで協業している。 この先AIが進歩すれば、土台作りから天辺に正解をのせるところまで、すべてをこなす時代がやってくる。 少なくともそれまでは、哲学を学んだビジネスパーソンとAIの協業がベストマッチングなのである』、「この先AIが進歩すれば、土台作りから天辺に正解をのせるところまで、すべてをこなす時代がやってくる」ということは、人間が関与する余地や、哲学の存在意義すら無くなってしまうような恐ろしい時代のようだ。

次に、会社経営者で哲学サロンを主宰している飲茶氏がダイヤモンド・オンラインに掲載した「正義の教室」シリーズのうち、6月17日付け「正義を哲学すると「3つ」に分類できる。」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/206021
・『哲学史2500年の結論! ソクラテス、ベンサム、ニーチェ、ロールズ、フーコーetc。人類誕生から続く「正義」を巡る論争の決着とは? 哲学家、飲茶の最新刊『正義の教室 善く生きるための哲学入門』の第2章を特別公開します。 本書の舞台は、いじめによる生徒の自殺をきっかけに、学校中に監視カメラを設置することになった私立高校。平穏な日々が訪れた一方で、「プライバシーの侵害では」と撤廃を求める声があがり、生徒会長の「正義(まさよし)」は、「正義とは何か?」について考え始めます……。 物語には、「平等」「自由」そして「宗教」という、異なる正義を持つ3人の女子高生(生徒会メンバー)が登場。交錯する「正義」。ゆずれない信念。トラウマとの闘い。個性豊かな彼女たちとのかけ合いをとおして、正義(まさよし)が最後に導き出す答えとは!?』、以前にNHKでマイケル・サンデル教授によるハーバード白熱教室のシリーズをやっていたが、それに近いものなのだろう。興味深そうだ。
・『そもそも「正義」とは何か?  「正義とは何か?」 風祭封悟(かざまつりふうご)先生は、倫理の授業が始まるやいなや生徒たちを見回し、そう問いかけた。 もちろん答える者はいなかった。というより、まともに話を聞いてる生徒の方が少なかったと言うべきかもしれない。 うちの学校の生徒たちは、特別授業として「日本史、世界史、地理、倫理」のいずれかを選択できるのだが、なかでも倫理は一番人気が少なく、そのため教室は閑散としていた。なぜ倫理の授業は人気がないのか。それは、なんとなくわかる気がする。だって、日本史や地理は何を勉強するのかはっきりわかるが、倫理は何を勉強する科目なのかあまりピンとこないからだ。 「さて、今日からキミたちは倫理の授業を受けるわけだが、この授業は何を学ぶ授業だろうか」 生徒からの回答がないのも気にせず風祭先生は授業を進めた。スキンヘッドにタートルネック、そして少し赤みの入った色眼鏡という、およそ教師とは思えない個性的な風貌の先生は、学校でも変わり者で有名だ。 「まず辞書的に言えば、倫理とは、『人として守るべき道』『道徳』『正義』といった意味を持つ言葉である。ゆえに、『倫理の授業』とはすなわち『正義の授業』だと言える。つまり、この授業は、『正義とはどういうものなのかを学ぶ授業』だと思ってもらえればいいだろう」 この話を聞いて、僕はちょっとガッカリした。なんだ、倫理って「正義」について学ぶ授業だったのか。それを知ってたら選択なんかしなかったな。だって、そんなものに答えなんてあるはずがないからだ。 「山下正義(まさよし)くん、君は、生徒会の会長だったね」 考え事の最中にいきなり先生に声をかけられ、僕は一瞬ドキリとした。が、よく考えてみればそれはそんなに不思議なことではなかった。 なぜなら、僕は一番前の席、先生の目の前に座っていたからだ。ちなみに、数少ない他の生徒たちは、みな後ろの方の席に座っている。基本的にこの倫理の授業を受けている者たちはジャンケンに負けた者たち―日本史、世界史の授業が定員オーバーになったのでジャンケンに負けてしかたなく倫理を選択する羽目になった者たち―である。 当然彼らにやる気はなく、ただでさえ閑散とした教室の後方の席を陣取り、各々勝手に違う教科の勉強をしていた。正直に言えば、僕だってそうしたかった。一番後ろの席でのんびりとしていたかった。だが、そんなことは隣に座っている副会長の倫理(りんり)が許すはずがない。 「生徒会役員は、全校生徒の模範たれ」それが座右の銘の副会長が、「前の席が空いてるのに、後ろの席に座って授業を受ける」なんてことを認めるわけはないのである。 というわけで、僕は今、一番前の席。左右を倫理と千幸に挟まれて座っていた。ちなみに、ミユウさんはというと、一番後ろの席でいつものようにだらんと座っている。彼女は、上級生だが、今年は生徒会メンバーに合わせて倫理の授業を選択したそうだ。副会長の圧力に屈せず、マイペースに後ろに座るミユウさんのメンタルが本当に羨ましい。 ともかく、そんなわけで、生徒会メンバーは全員この授業を受けていた。 「生徒会長のキミに問おう。正義とは何だろうか?」 「え、えーっと、正義とは……正しい行為をすること……でしょうか」 さすがに建前だとは言えなかったので、咄嗟に別の答えを用意したのだが、我ながらなんて稚拙な答えだろうか。頭痛とは何かと問われて「頭が痛いことです」と答えてしまったみたいで、ちょっと恥ずかしい。後方席の一般生徒はともかく、隣の生徒会メンバーの顔を見るのが怖い。 「なるほど。正義とは、正しい行為をすること……。シンプルな答えであるが……、いやいやどうして大正解だ。素直でとても好感の持てる答えでよろしい」 先生的にはどうやら満足のいく回答だったみたいだ。 「いま彼が述べたように、たしかに正義とは『正しい行為をすること』である。しかし、ではどうすればその『正しい行為』ができるだろうか? これは簡単な問題ではない。たとえば、『少数を殺せば多数が助かる』というような状況を思い浮かべてみてほしい。そういう状況に置かれたとして、果たしてキミたちは『正しい行為』、すなわち『正義』を選択することができるだろうか?」 たしかそれって「トロッコ問題」とかいうやつだったかな』、私の高校時代は、「倫理」の科目はなかったが、あれば取っていたと思う。
・『70億人を殺して、1人を救う?  1. 暴走したトロッコの先に5人がいて、そのままトロッコが突っ込むと5人全員が死んでしまう。 2.でも、あなたが路線を切り替えるレバーを引けば、5人の命を助けることができる。 3.しかし、そうすると今度は切り替えた路線の先にいる別の1人にトロッコが突っ込み、本来無関係のはずの人間が1人犠牲になってしまう。 つまり、こうした状況設定において「さあ、あなたならどうするか」という話で、ようは「そのまま5人を見殺しにすべきか? それとも1人を犠牲にして5人を救うべきか?」という問題だ。少し前に、そういうことを話し合う海外の授業が話題になったからよく覚えている。 「多数の人間を助けるためには少数の人間の命は奪ってもよい、というのはどう考えても正義に反するように思える。しかし、だからといって、それにこだわって目を覆うような大惨事の発生を見過ごすというのも間違っているような気がする。 たとえば極端な話だが、多数が70億人で、少数が1人でしかも殺人鬼の死刑囚だった場合を考えてみてほしい。それでもキミたちは、70億人が死ぬという大惨事を見過ごすべきだと思うだろうか?」 いや、さすがにそれは思わない。思わないけど……、でも、逆に、その1人が自分の恋人だったり、家族だったり、唯一かけがえのない人だったらどうだろう……。 その場合には、多数が100人でも1000人でも、それこそ全人類であったとしても、少数の1人の命を優先しようとする人もいるんじゃないだろうか。うーん、だとしたら、この問題の答えは……。 「生徒会長はどう思うかな?」「え? やっぱり人それぞれ、かなと」 しまった。突然、先生に質問され、ついそのまま答えてしまった。 もちろん、この答えは僕の本心だ。 だが、この手の問題に「人それぞれでしょ」なんて一番言ったらダメな言葉であろう。ましてや僕は生徒会長で、一応、さまざまなトラブルを解決する立場にあるのだから、本心はともかく考えることを放棄している感満載のこの回答は非常にマズい気がする。 ふと心配になり、首は動かさず視線だけで左隣を見てみると、副会長の倫理がうつむいて口元をおさえながらぶるぶると震えていた。やばい、怒りをおさえてる。やっぱり、この回答は彼女的に完全にアウトだったようだ。 「人それぞれか、なるほど、それもとても素直な答えだね」 先生やさしい……。空気を読まない僕の発言に対し、風祭先生は不快感をいっさい示すことなく、そのまま授業を続けてくれた。日頃、ちょっとした軽率な言動にも必要以上のツッコミを入れられる身としては、とてもありがたい。 「いま彼が言った通り、一見すると、この問題は人それぞれで答えが異なるもののように思えるし、実際その通りであろう。であるならば、こうした問題について『正義』を問いかけるのは、そもそもがナンセンスなのだろうか。いや、そうではない。たしかに、この問題に明確な答えは存在しないかもしれない。だが、人がこういう状況に置かれたとき、どのように『正義』を判定するのか、その判断基準を分析し、妥当性を議論することはできるはずだ」』、「トロッコ問題」はサンデルの白熱教室でも出てきた有名な話だ。
・『正義の判断基準はたった3つ  先生は背を向け、何ごとかを黒板に書き始めた。 「では、人が何かを正義だと判断するとき、それはどのような判断基準によって行われるのか? 実のところ、その判断基準は大きく分けると3種類しかない」 え? それは初耳だ。何が正義かなんて、そんなものは、それこそ人それぞれ。正解なんてあるわけがない。そう思ってきたし、だからこそ正義について考えたり議論しても意味がないとも思ってきた。 でも、人それぞれと言いつつも、実は「その判断基準はたったの3種類しかない」と風祭先生は言うのだ。その話に、不覚にも僕は少し興味をそそられてしまった。 先生は、黒板に3つの単語を書き終え、振り返ってこう述べた。 「人間が持つ3種類の『正義の判断基準』、それは『平等、自由、宗教』の3つだ」 意外にあっさりとした答えだった。本当にそんなものなのかな。 「本当にこの3つだけなのか? そう疑問に思う人もいるだろう。だが、少し視野を広げて、世界レベルで考えてみてほしい。実際のところ世界を見渡せば、『平等』を尊重する国、『自由』を尊重する国、『宗教』を尊重する国の3種類があって、それぞれが自国の正義を訴えて、いがみ合っていることに気がつくはずだ」 あっ! と思った。言われてみればたしかにそうだ。 「たとえば、共産主義や社会主義といった『平等』を絶対的な正しさとする国がある。 一方で、そんな国を抑圧的だと批判して『自由』を絶対的な正しさだとする国がある。 そして、最後に、何らかの『宗教』すなわち『自分たちの国の伝統的な価値観』を絶対的な正しさだとする国がある」 なるほど。今まで考えたこともなかったが、世界レベルで「自国の正義を主張する国」を大きく分ければ、たしかに3色で色分けができてしまう。 次回に続く』、『正義の判断基準』、それは『平等、自由、宗教』の3つだ」というのは、言われてみればその通りなのだろう。

第三に、この続き、6月20日付けダイヤモンド・オンライン「悪を哲学すると「3つの行為」に行きつく。」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/206178
・『・・・「悪いこと」とは何か?  今まで考えたこともなかったが、世界レベルで「自国の正義を主張する国」を大きく分ければ、たしかに3色で色分けができてしまう。 「さて。では、その3種類……『平等、自由、宗教』。これらの判断基準によってなされる行為が、なぜ『正義』だと言えるのか。それは、それぞれの逆を考えてみればわかりやすいだろう。たとえば、平等の逆、すなわち、不平等。これは普通に考えて悪いことだと言えるはずだ」 それはまあ、そうだろうな。みんなが同じ仕事をして、ひとり1個のリンゴを報酬としてもらっているときに、何の理由もなく―もしくは暴力や生まれの差などによって―ある人だけが10個のリンゴをもらっていたら、それはどう考えてもおかしいわけで、善い悪いで言えば間違いなく「悪いこと」だろう。 「もしもキミたちが、『特定の誰かが特権的に利益を得ている』もしくは『差別的に損害をこうむっている』といった不平等な状況を『悪いこと』だと思うなら……、当然、それを改善しようとする行為、すなわち平等を目指す行為は『正義』だということになる」 あー、そういうことか。「正義の反対は悪」なのだから、ある行為が「正義」かどうかを確かめたければ、その反対の行為が「悪」かどうかを問いかけてみればいい。で、その理屈で言えば、実際僕たちは「不平等や差別」を悪だと思っているわけだから、その反対である「平等」は僕たちにとって正義ということになるわけか。 「では同じように、自由の逆……、不自由についても考えてみよう。不自由とは、つまり強制や拘束や支配などによって、自由に生きる権利が奪われた状態を指すわけだが、『誰かを不自由にする』つまり『人の自由を奪う』なんてまさに典型的な悪の行為だと言えるだろう」 それは完全に同意だ。ヒーローものに出てくる悪の組織が、なぜ悪なのかと言えば、それは彼らが世界を征服したり幼稚園バスをジャックしたりすることが、人々の自由を奪うことにつながっているからだ。 結局、彼らはその一点のみで「悪」だと評されているわけであり、もし彼らが無人島で同じことをやったとしたら、誰も彼らを「悪」とは呼ばないだろう。 ためしに、「わはは、無人島を支配した! 誰も乗っていないイカダをジャックしてやったぞ!」という組織を想像してみたが……、うん、ぜんぜん悪じゃない。だから、やはり「悪の組織」は、人々の自由を奪うからこそ「悪」なのであり、「正義のヒーロー」はその悪を食い止めるからこそ「正義」なのだ。 「最後に、宗教の逆、反宗教だが……、これは、宗教になじみのない人には少しわかりにくいかもしれない。とりあえずは『社会の伝統的な価値観に反する行為』を思い浮かべてみてほしい。たとえば、お墓をむやみに壊したり、老人を粗末に扱うような行為だ。他には複数の異性と仲良くする行為も入るだろうか。これらについても、おそらくキミたちは不正義という感覚を得るはずだ」 そう言いながら、風祭先生は、ジーッとにらみつけるような視線で僕の顔を見つめた。え? いやいや、たしかに僕の両隣には女の子がいますけど、全然そういうんじゃないですから! しかし、そんな僕の狼狽を無視し、先生は「ちょっとまとめてみよう」と言って次のことを書き出した。
 (1)不平等:正当な理由もなく、人間を差別して平等に扱わない行為 → 悪
 (2)不自由:人間の自由に生きる権利を奪う行為 → 悪
 (3)反宗教:宗教または伝統的な価値観を破壊する行為 → 悪 
「と、このように、我々が悪と呼ぶものは、おおよそこの3種類に分類できるわけだが、逆にこれらの悪を犯さず改善しようとする行為を『正義』だと言うことができる。つまり、『平等、自由、宗教』を推し進める行為が『正義』だと定義できるわけだ。では、これらの正義を具体的に実現するには、どのような思想、考え方が必要になるだろうか? 次回に続く』、「反宗教」を『社会の伝統的な価値観に反する行為』としたのは、巧みな言い換えだ。

第四に、この続きを、6月22日付けダイヤモンド・オンライン「多数決を哲学すると、なぜ「悪」になるのか?」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/206450
・『・・・「平等は正義である」。なぜか?  「前回の授業では、正義には『平等、自由、宗教』の3種類の判断基準があるという話をした。今日は、このうちの『平等』についてより詳細に説明していこうと思う」 「さて、『平等は正義である』……という言葉を聞いてキミたちはどう思うだろうか。必ずしもすべてを平等にする必要はないと考える人も多いかと思うが、とりあえずは、特別な理由がないかぎり『不平等よりは平等の方が善い』、そう考えてよいのではないだろうか」 「たとえば、大多数の人間が飢えに苦しみながら貧乏な生活を送っているなか、一部の人間が特権により働かず搾取した富で裕福な生活を送っているという状況を思い浮かべてみてほしい」 「この状況について、当然キミたちは『不平等であり善くないことだ』と思うだろうし、可能なら改善すべきだとも思うだろう」 「つまり、今述べたような『特権』『搾取』『差別』といった『人間を不当に不平等に扱う行為』を、我々は基本的に悪いことだと考えているというわけだ」 「しかし、とはいえだ。不平等より平等の方が善いと言いつつも、『何をもって平等とみなすか』という難しい問題がある。たとえば、みんなで荷物を運ぶとき、事故で怪我をした人や病気の人にも同じ重さの荷物を均等に持たせることは、決して平等でも正しいことでもないだろう」 「もしくは、一生懸命仕事をしている人と、ぐうたらで何もしない人、そのどちらにも同じ報酬を支払うべきだとはキミたちも思わないはずだ。このように、単純に物事を『均等に分ける』ということが必ずしも平等ということにはならない。人それぞれの違い、個人の努力や才能を無視して、すべて完全に同じにしようという行為は、『悪平等』とも呼ばれ、一般的にも悪いこととされている」 「では、どのようにすれば、個々の違いを考慮した『真の平等』を達成することができるだろうか? 生徒会長の正義くん」 「あ、はい」 「君はこの学校で、できるだけ平等に何かを決めたいと思ったときどうするかな?」 「えっと、そうですね……多数決とかですかね」 突然の質問だったので、平等に物事を決めると言えば、という連想でなんとなく答えただけであり特に深い考えはない。というか、僕はこれからもずっとこんなふうに授業中に質問され続けるんだろうか。もう一番前に座るの止めたい……。 と、そのとき、隣からフッとあからさまにバカにしたような鼻息が聞こえてきた。もちろん千幸だ。イラッときて反射的に右に顔を向けるが、予想以上に千幸の顔が近くにあり、僕は慌てて前を向いた。 「隣の彼女は、今の答えに何か不満がありそうだね」 「はい! 多数決は、ぜんぜん平等な決め方ではないと思います!」 「ほう、どうしてかな?」先生に続きを促され、千幸は立ち上がる』、確かに「多数決」の正当性は難しい問題だ。
・『どんなに残酷で不当で愚かなことでも多数決なら、、、  「多数決は、みんなの意見を尊重した平等な物事の決め方のように思えますが、実際には『多数派による少数派への不当な暴力』を正当化した不平等なやり方だと思います」 「たとえば、たまたまうちの学校で男子が過半数だったとして、多数決をしたら『少数派の女子を奴隷として扱う』という結果が出ても―もちろんそれは『正しいこと』だと言えないと思いますが―多数決ではそれが『正しいこと』になってしまいます」 「つまり、結論として多数決というのは、多数派の利益のために少数派を不当にないがしろにすることができてしまう、不完全な選択システムだと言えると思います。ね、そうでしょ?」 最後の「そうでしょ」は、僕に顔を向けてのものだった。まあ、言いたいことはわかる。そして、実際なるほどなとも思った。千幸に論破されるなんてとても悔しいことではあるが。 いや、待てよ。よくよく考えたら、やりたくもない学級委員に僕がさせられたのは、千幸が煽動した不当な多数決のせいだったじゃないか。あれこそまさに多数派の暴力。その中心にいたおまえが多数決の問題点を語るなど、まさしく語るに落ちるであり、釈然としないものがあるぞ。 そんなふうに当てこすってやろうかと思ったが、「じゃあ、生徒会長もやりたくないのになったのですか」と、今度は左隣の倫理に責められそうなのでやめておいた。 「いま彼女が言ったことは基本的に正しい。多数派の意見を採用することが必ずしも正義になるとは限らない。どんなに残酷で不当で愚かなことでも多数派によって選択されてしまうことがありうる。多数決の問題は、たしかにそこにあると言える」 「しかし、ではどうすればよいか? どうすれば物事を真に平等に決めることができるだろうか? 単純に均等に分けるのはダメ。多数決もダメ。そこで、人類は『功利主義』という新しい考え方を発明する」 待ってました、という顔で千幸の顔がほころぶ。そして満足したのか、そのまま席に座った』、『功利主義』もサンデルの白熱教室に出てきた。
・『功利主義とは何か?  「功利主義とは、『物事の正しさを功利によって決めよう』という考え方のことであるが、功利は日常的に使う言葉ではないから、あまりピンとこないかもしれない。もともと功利とは、効能とか有用といった意味を持つ言葉であるのだが、より日常的な単語である『幸福』という言葉に置き換えてみるとわかりやすい」 「つまり、功利主義とは、幸福主義……、すなわち『物事の正しさを幸福の量によって決めよう』という考え方のことだと思ってもらえればよいだろう」 「ただし、この説明で特に気に留めておいてほしいのは、幸福の『量』という部分だ。ここはとても重要なところで、この『量』という概念を無視して単純に幸福になる『人数』で正しさを決めてしまうと、多数決と変わりなくなってしまう」 そりゃあそうだ。ある法律を決めるとして、それが1000人を幸福にする一方で100人を不幸にするものである場合、幸福になる人数の方が多いからといってその法律を採用するなら、それは多数決と同じだと言える。 「だから、功利主義においては、『幸福になる人数』ではなく、あくまでも『幸福の量』を問題にする」 「あ、はいはい! つまり、ハッピーポイントを計算して、その合計値が大きくなるような選択をすることが正義ってことですよね」 突然、千幸が手を挙げて先生の説明に割り込んだ。おいおい、いきなりハッピーポイントとか、おまえのオリジナル用語を言ったところで先生に通じるわけないだろうが。 「ハッピーポイント……? それは、幸福度の指標値という意味かな? なるほど、そちらの方がわかりやすい名称かもしれないな」 通じたし、受け入れられてしまった……。 「さて、功利主義の理念を表すものとして『最大多数の最大幸福』という有名な言葉がある。これは文字通り『なるべく大勢の人間について、その幸福度の総量が最大になるような行動をすべきだ』という意味であるが、功利主義者は、この理念に従って全員の幸福度の総量……つまりハッピーポイントの合計値がより大きくなるような選択を行うことが正義だと考える」次回に続く』、「功利主義」のベンサムの主張まで出てくるとは、かなり高度だ。この続きは、後日、ある程度まとめて紹介したい。
タグ:哲学 飲茶 多数決 ダイヤモンド・オンライン ハーバード白熱教室 マイケル・サンデル教授 反宗教 (その1)(AI時代だからこそ哲学を学ぶ、「正義の教室」:正義を哲学すると「3つ」に分類できる、悪を哲学すると「3つの行為」に行きつく、多数決を哲学すると、なぜ「悪」になるのか?) 堀 紘一 「AI時代だからこそ哲学を学ぶ」 できる人の読書術 リーダーになるには哲学が不可欠 AIとロボットが全盛の時代になるほど、その対極にある人間について勉強して、よく理解している人が重宝がられる。 そのためにも、哲学を学んでおきたい 哲学とは、人間の核心に迫ろうとする学問 哲学を学ぶと人間理解が深まり、考える力が格段に上がる 哲学を学んでいる人は、おそらく読書量も総じて多いはずだ。 メタ認知ができるから、安易に自分の体験と価値観を他人に押しつけたりはしない 哲学を学んだ人材は超一流の予備軍であり、学んでいない人材はせいぜい一流止まりで終わってしまう可能性が高い 未来志向の肯定的な最適解を見つけ出す 未来志向で肯定的な答えを導き出すのは、世の中に存在していなかった最適解を見つけるクリエイティブな作業である この先AIが進歩すれば、土台作りから天辺に正解をのせるところまで、すべてをこなす時代がやってくる 「正義の教室」 「正義を哲学すると「3つ」に分類できる。」 飲茶の最新刊『正義の教室 善く生きるための哲学入門』 そもそも「正義」とは何か? 『倫理の授業』とはすなわち『正義の授業』だと言える 「トロッコ問題」 正義の判断基準はたった3つ 平等、自由、宗教』の3つだ 「悪を哲学すると「3つの行為」に行きつく。」 「悪いこと」とは何か? 社会の伝統的な価値観に反する行為 不平等:正当な理由もなく、人間を差別して平等に扱わない行為 不自由:人間の自由に生きる権利を奪う行為 反宗教:宗教または伝統的な価値観を破壊する行為 「多数決を哲学すると、なぜ「悪」になるのか?」 「平等は正義である」。なぜか? 『悪平等』 平等に何かを決めたいと思ったときどうするかな? どんなに残酷で不当で愚かなことでも多数決なら、、、 多数決というのは、多数派の利益のために少数派を不当にないがしろにすることができてしまう、不完全な選択システム どうすれば物事を真に平等に決めることができるだろうか? 『功利主義』 『物事の正しさを功利によって決めよう』という考え方 功利主義とは、幸福主義 あくまでも『幸福の量』を問題にする 『最大多数の最大幸福』 なるべく大勢の人間について、その幸福度の総量が最大になるような行動をすべきだ』
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女性活躍(その13)(反パンプス運動「痛い靴で働くのは嫌」は当たり前、小田嶋氏:鳴らさなかった終了のホイッスル) [社会]

女性活躍については、6月8日に取上げた。今日は、(その13)(反パンプス運動「痛い靴で働くのは嫌」は当たり前、小田嶋氏:鳴らさなかった終了のホイッスル)である。

先ずは、コラムニストの河崎 環氏が6月5日付け日経ビジネスオンラインに寄稿した「反パンプス運動「痛い靴で働くのは嫌」は当たり前」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00030/060500018/?P=1
・『「おい、職場なんだから、ちゃんとした格好をしろよ」。いつかどこかで聞いたことのあるフレーズではないだろうか。あるいは、自分自身が常日ごろそう部下に言って回る立場だという方もいらっしゃるだろう。接客業の場合はもちろん、内勤でも顧客対応の時はネクタイ・ジャケット着用が社会人として「マナー」であると教えられる企業や業界は数多い。 ところがいま、働く女性や就職活動をする女子学生の中から「#MeToo」ならぬ「#KuToo」運動としてハイヒール強要について上がった抗議の声が話題になっている。「#KuToo」とは、「靴」と「苦痛」をかけてもじった造語だ。「なぜ足を怪我しながら仕事をしなければいけないのか」とハイヒール強要の職場で理不尽な思いをした実体験を持つ女性が「職場でのパンプス、ヒール靴の強制をなくしたい」とネットで呼びかけた結果、1万9000人近くにのぼる署名が集まり、大手企業の学生採用面接が解禁される6月に合わせて厚生労働省へ提出されたのだ。カナダの一部の州やフィリピンでは企業によるハイヒール着用の強制を行政が禁ずる動きもあり、「反パンプス」の波は世界的に広がりつつある』、「#KuToo」とはなかなかよく出来た造語だ。
・『苦痛なのにそれでも履く「なぜ」  ヒールやハイヒールと聞いて読者諸兄が想起するのは、女性の間では大抵「パンプス」と呼ばれる靴だろう。ヒールやハイヒールそれ自体はかかとの高さを指すことが多く、その意味でヒール靴とはサンダルでもブーツでもあり得る。パンプスとは、足をかかとからサイド、つま先まで本革や合成皮革・布帛などの素材でぐるりと包み込んだ、足を滑り込ませるタイプの靴であり、職場で最も一般的な「ヒール靴」の形態だ。そのパンプスやその他のヒール靴を履くことで「足を怪我しながら仕事をする」とのフレーズに、首を捻る男性は多いかもしれない。だが、そのフレーズにこそ首肯する女性もまた、多いのだ。 リビングくらしHOW研究所の「靴と足の悩み」調査(2018年)によると、普段ヒール靴を履かない女性のうち4割超が「本当は履きたいが、履いていない」と答える一方で、ヒール靴を履く人の中にも、仕事での必要やおしゃれのために我慢するが、「本当は履きたくない」という人が3割超もいることがわかった。 調査に寄せられたアンケート回答から読み取れる、女性がヒール靴を「履いていない」あるいは「本当は履きたくない」の本音に通底する理由とは、「ヒール靴は足が疲れるから」「痛いから」「危ないから(転倒の可能性や走れないなど)」に尽きる。 男性がかかと部分を数センチから時には10センチ以上も細めの棒で持ち上げて足を斜めに前傾させる器具を常に履いたまま1日外出し歩き回ることを考えると、ヒール靴が本来的に持つコンセプトの「異様さ」「危うさ」をお感じいただけるだろうか。西洋に起源を持つ「洋装」の美意識においては、それがより足を細く長く見せて美しいのだ。しかもその前傾した足からフォーマルさが感じられるのだ……とされてきたにせよ、自然な人類の姿からは明らかに、足元のみ前傾した姿で立ちっぱなしで働く、まして歩く、走るのには圧倒的に不適であることは想像に難くないだろう。 筆者は上背があることもあって、女性ながら足のサイズが25.5センチあり、日本人女性としては大足の部類に入る。おかげで、これまでの人生でヒール靴とは愛憎溢れる関係を築いてきた。ファッションが好きだったため、お洒落と考えられている、ヒールのある靴に何かと目が向く。仕事で「ちゃんとした」スーツを着る時ならなおさら、その足元が「ちゃんとした」ヒール靴でないというのは美意識が許さない。背筋もピンと伸びる気がするし、仕事モードに切り替わり、何よりもそれが相手に失礼のない「ちゃんとした格好」だと思っていたからだ。 だが、小柄な男性並みの足の大きさでヒール靴を履き、一日中仕事をしたり歩き回ったりした日の終わりには、足はズタズタだ。前傾のせいで足の指は狭い三角形のつま先にギュウギュウと押し込められて皮が剥けたり爪が食い込んだり変色したり、足裏は不自然な部分に体重がかかって底マメができ、かかとも靴擦れで水ぶくれが赤く腫れ、あるいは横一直線に切れて出血したりする。実は20代の時には、足に合わないヒール靴を履き続けた結果、巻き爪が悪化して二度も足親指の外科手術を受けている(足先というのは神経が密集しているので、筆舌に尽くしがたい激痛である)。切除した足親指の爪は、もうまともな形には生えてこない。靴を優先して、生身の爪を失ったのだ。 「なぜそこまでして」と、我ながら思う。そんな風にしてまさに「足を怪我しながら仕事をする」のが「ちゃんとしている」「フォーマル」「社会人として当たり前」と思っている私のありようは、一応豊かな文明の中で生きているつもりだったが、ひょっとして不自然で不健康極まりないのではないか? 女である私はハイヒール靴をファッションの選択肢として当然視し、痛くてもお洒落のためには我慢して履くことに慣れて疑問を持たなくなってしまっているけれど、男性はハイヒール靴を履くとどんな感想を持つのだろう。試しに、私と同じ靴サイズであるビジネスマンの夫と、中学生の息子に私のヒール靴を履いてもらった。彼らは異口同音に「つま先が痛い」「横もかかとも痛い」「膝が曲がって歩けない」「不快」「なんでわざわざこんなものを履くの? やめたら?」と、早々に脱いでしまった』、「足を怪我しながら仕事をする」というほどに酷いものだとは初めて知った。ただ、その割には、「ヒール靴を履く人の中にも・・・「本当は履きたくない」という人が3割超もいる」というのは、想像以上に少ない気がする。
・『女性の職場ファッションにも「クールビズ」的な風穴を  様々な男女がいる職場では可視化されてこなかった。しかし、働く女性たちは、職場でヒール靴を履くことを「社会人として当然のマナー」として強要されたり、暗黙の了解のもとで求められる問題に対してみなそれぞれに工夫したり自衛したり、あるいは明確なアンチとしての立場を表明している。「#KuToo」運動に寄せられた女性たちのツイートには、厳しい言葉が並ぶ。 「ハイヒール履く自由も、履かない自由も与えられるべき!」「靴擦れや外反母趾の負担をどう思うの? そりゃ慣れるよ、見た目も良いよね。でも、それがマナーだなんて、纏足(てんそく)なのって話。履いて走ってみなさいよ。」「パンプスも大好きだけど、ハードに一日動くための靴じゃないよね。職場はもっぱらペタンコ靴か太めローヒール。十分スーツ勢と並んで違和感ないわ。」 また、都内勤務の女性総合職(28歳)はこう語る。「痛みはほぼ毎日感じてます。厚め、薄め、シリコンなど多種多様なインソール(足の痛みを軽減する靴中敷き)を愛用。毎日同じ場所が痛くならないように、1日ごとに履くパンプスを変えたり、ヒールが7センチ高のパンプスの時は、翌日はスニーカーあるいはペタンコ靴で会社に行くようにしてます。イベント仕事はパンプス必須ですが、出番以外、あるいは通勤時はスニーカーで移動したり。働き始めた頃に比べて、ヒール靴を履く機会は減りました」 以前ニュース報道の最前線を取材した時、そこでテレビ画面と時計をにらみながら時間勝負で働き、テレビ局内を走り回る女性たちのデスクの足元には脱いだ(あるいは来客に備えた)ヒール靴が散らばり、しかし彼女たちの足元はスニーカーであることに気づいた。逆に、海外大都市の大手企業で働く女性たちが、通勤はスニーカーで、職場ではヒール靴だった姿も思い出す。 働く女性として、それぞれの職場で求められるマナーやTPOと折り合いをつけ、現実的に対応してプラクティカルに働いている彼女たちのスタイルは、きっと職場フォーマルの定義を現代的に更新しているのだろう。何が「ちゃんとしているか」なんて、結局社会通念も美意識もその人が所属する「世間」の価値観にすぎないのだ。 今回の「#KuToo」運動には、男性から「革靴もつらい」との反応もあった。至極もっともなことだと思う。革靴だって硬いし蒸れるし擦れるしつらい。さらに言うなら、ネクタイだって暑くて苦しくてつらい。ジャケットだって重くて肩が凝ってつらい。 どこかの男性ファッション誌が「ダンディズムとは我慢の美学だ」と書いていたのを思い出した。男性だって女性同様に「我慢が美学」とムリをしてきて、俺はダンディズム派だからムリが好きだと貫く好事家がいる一方、ムリはやめましょう、環境にも悪いし、と現実に対応してみんなで始めたのが「クールビズ」だったのではないか。 ヒール靴やストッキングやブラジャーなど、シャネルがコルセットから解放した女性の洋装にもまだ制約が残り、女性たちにも内面化されている。私はそれが好きなのよという向きは、そのままでいい。だが日本の男性の職場ファッションに「クールビズ」が起き得たのだから、日本の女性の職場ファッションにだって「クールビズ」的な風穴が開いていい、いや、これからのためにしっかりと開けるべきだと思うのだ』、風穴を開けるべく頑張られんことを期待している。

次に、コラムニストの小田嶋 隆氏が6月12日付け日経ビジネスオンラインに寄稿した「鳴らさなかった終了のホイッスル」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00116/00025/
・『先週の水曜日(6月5日)の衆議院厚生労働委員会で、立憲民主党・尾辻かな子議員が、女性に職場でハイヒールやパンプスの着用を義務付けることの是非について質問し、根本匠厚生労働相が答弁した。 この時のやりとりが各紙で記事化され、話題となった。 答弁の詳しい内容は、以下のリンク先 に詳しい。 根本大臣は、こう言っている。「職場において女性にハイヒールやパンプスの着用を指示すること、これについては今、パワハラという観点からのお話でした。当該指示が社会通念に照らして業務上必要かつ相当な範囲を超えているかどうか、これがポイントだと思います。そこでパワハラに当たるかどうかということだろうと思います。一方で、たとえば足をケガした労働者に必要もなく着用を強制する場合などはパワハラに該当し得ると考えております。そこは職場でどういう状況の中でなされているのかというところの判断かなと思います」 関連記事を一覧すると、まず共同通信が【パンプス「業務で必要」と容認 厚労相発言、波紋呼びそう】 という見出しで報道し、以下それぞれ 毎日新聞【根本厚労相「パンプス強制、パワハラに当たる場合も」】 朝日新聞 見出し:「容認」 本文:容認する姿勢 産経新聞 見出し:「業務で必要なら…」 本文:事実上容認 読売新聞 見出し:「パワハラに該当しうる」 本文:「~範囲」にとどまるべき という論調で伝えている。 上に引用した各社の伝え方については、バズフィード・ジャパンの記事が詳細に報じている』、たまにはこういう息抜きの国会論戦があるのもいいものだ。
・『原稿の書き方として有力なのは、以上でご紹介した記事を踏まえて「では、大臣の真意はどこにあったのか」 を明らかにすべくあれこれ臆測を並べることなのだが、今回はその手法は採用しない。 理由は、私の思うに「大臣は事実上何も言っていない」からだ。 もう少し噛み砕いた言い方で説明するなら、根本厚労相は、尾辻議員の質問をはぐらかして一般論を述べてみせただけで、いわゆる「#KuToo運動」に対してはコメントを供給すること自体を拒絶している。 大臣が言っているのは、あくまでも「社会通念に照らして業務上必要と考えられる指示であるのなら、それはパワハラではない」というあらためて文字にするのも愚かな一般論であって、そこから一歩踏み込んだ 「職場の上司が女性従業員にハイヒール(あるいはパンプス)の着用を求めることがパワハラに当たるのかどうか」という問いかけに対しては明言を避けている。 であるからして、答弁の言葉を解読して大臣の「真意」を読み取る努力は、不毛であるのみならず有害な仕事になる。 なんとなれば、「わたくしには『真意』といったようなものはございません」というのが、結局のところあの日の答弁を特徴づけている「真意」だったからだ。 根本大臣は、「必要なものは必要だし、不必要なものは不必要だと考えます」という感じの、「白い雲は白い」「忘却とは忘れ去ることです」といったあたりの命題に等しい、人を食ったような観察を陳述したにすぎない』、官僚が答弁を作ったのだろうが、巧みだ。
・『思うに、あえて読み解くべきポイントは、大臣答弁の中で「社会通念」というやや大げさな言葉を振り回したところにある。 大臣の言う「社会通念」とは、つまるところ 「職場世論の大勢」「暗黙の了解」「アンリトン・ルール」「時代思潮」「一般常識」「無言の圧力」といったあたりのあれこれを含めた、現実にわが国の職場のガバナンスを決定している「空気」のことだ。 言うまでもないことだが、われわれの社会を事実上動かしている「空気」は 「魚心あれば水心」「目配せと忖度」「ツーと言えばカー」といったコール&レスポンスによって醸成される 「ルールなき強制」を含んでいる。 この「空気による自律的ガバナンス」の問題点は、指揮系統が存在せず、文書主義が顧みられず、誰一人として結果責任はおろか説明責任すら果たしていない中で、謎の強制だけがゆるぎなく機能してしまっているそのがんじがらめの構造それ自体の裡にある』、「空気による自律的ガバナンス」についての指摘は、本質を突いて鋭く、見事という他ない。
・『要するに、この日の大臣の答弁のなんともいえない気持ちの悪さは、職場のメンバーたるジャパニーズビジネスマンが、その、どうにもジャパニーズなヌエの如き同調圧力に従うべきであることを暗示したことから醸し出されているもので、だからこそ一部の新聞はあえて底意地の悪い解釈で見出しを打ってみせたのである。 一方、尾辻議員は、おそらく、わが国の労働現場が、服務規程なり職場規則なりといった成文化されたルールによってではなく、戦前の隣組じみた謎の同調圧力に支配されている現状を憂慮している。だからこそ彼女は、一部で盛り上がりつつある、KuToo運動に、大臣がエールを送ってくれる展開を(ダメ元で)期待した。 で、「職場の空気だの社会通念だのみたいな、現場の同調圧力に丸投げにするんじゃなくて、ここはひとつ大臣としての公式見解を出してくださいよ」という、いささか芝居がかった質問を持ち出したのだと思う。 つまり、尾辻議員は、大臣に「鶴の一声」を求めた。 ところが、大臣は自身の見解を明らかにしなかった。 その代わりに木で鼻をくくったような一般論を並べ立ててみせた。 っていうか、根本氏は 「そのへんは、まあ、職場の空気次第だわな」という、実に身も蓋もないオヤジの世間話を投げ返して寄越したわけだ。 大臣の回答を俗に噛み砕いた言い方に翻訳すると 「それぞれの職場で必要だと判断されたのであればそれは必要だということなのであろうし、不要と判断されたのであればそれは不要だということなのではないかと愚考いたします」といった調子の同語反復に着地する。 要するに、あらゆる問題点を「職場の空気」ないしは「社会通念」に委ねているだけの話だったりする。 こんな答弁をするくらいなら 「尾辻委員のご質問は、職場ごとに当事者がケース・バイ・ケースで考えるべき課題であると考える。少なくとも私はお答えすべき立場にはございません」と言った方が正直な分だけまだ誠実だった』、「尾辻議員は、大臣に「鶴の一声」を求めた」というのもお粗末だが、予想される答弁に対して、直ちにツッコミを入れるぐらいの気構えが欲しかった。
・『さて、大臣が、「社会通念」という言葉を使ってこの間の事情を語ったことは、当日の答弁にもうひとつ別のニュアンスを生じさせている。 というのも 「社会通念」という言葉は、単なる「職場ごとの個別の事情」という着地点を超えて、「社会に生きる者が等しく従うべきスタンダード」 さらには「国民の義務」 あたりを示唆する空恐ろしい強圧を導き出して来かねない用語でもあるからだ。 実際、大臣の真意が 「職場の空気がそう命じているのなら、その空気に従うのが従業員の義務だ」ということなのだとすると、この考え方は 「職場の空気がサービス残業を求めるのであれば、黙って働くのが賢明な社会人としての処世だわな」「つまりアレだ。男性社員は育児休暇をとらないというのが暗黙のうちに共有されているジャパニーズビジネスマンのアンリトン・ルールだというわけだよ」「っていうか、新入社員が有給全消化とか、単に喧嘩売ってる感じだしな」「まあ、そこまでは言わないにしても、せめて有給の申請に当たっては一応それらしい理由で周囲を納得させるのが大人の知恵ではあるのだよヤナセ君」といったあたりの奴隷道徳に至るまで、無限にエスカレートして行く。 実態に即した話をすれば、運送会社の出庫係にハイヒールを強制するのは、一般常識から考えて不当な服装規定だと思う。逆に、ホテルのフロア担当係がウエスタンブーツというわけには参らぬだろう。 ただ、ここに挙げた例は、あくまでも「個々の実例」にすぎない。逆に言えば、明確な回答が示せるのは、個々の具体的な職場に限定した、個別の質問に対してだけだったりもする。 ということは、 「パンプスあるいはハイヒールの強制はパワハラではないのか」みたいな雑なくくりの質問には、誰が回答者であったとしても、答えようがない。 大臣(あるいは、答弁の原稿を書いた役人)の側からすれば 「そんな罠みたいな質問にひっかかってたまるかよ」ということですらある。 実際、大臣の立場で 「パンプスならびにハイヒールは、現状のわが国の一般的な労働環境から推し量って、必ずしも着用を義務付けることが適当なアイテムであるとは考えない」てなことを断言してしまったら、それはそれで一部の業界に多大な影響を及ぼしたはずだし、うっかりすると「炎上答弁」になった可能性がある』、「「社会通念」という言葉は・・・「社会に生きる者が等しく従うべきスタンダード」 さらには「国民の義務」 あたりを示唆する空恐ろしい強圧を導き出して来かねない用語でもある」、というのはその通りで、気を付ける必要がありそうだ。「そんな罠みたいな質問にひっかかってたまるかよ」と分かった上で、質問をかわしたのだとすれば、厚労省の役人も捨てたものだはないようだ。
・『ただ、個人的な見解を述べるなら、私は、根本大臣に、多少の炎上は覚悟の上で 「社会通念」を変えるに至る、一歩踏み込んだ回答をしてほしかったと思っている。 というのも、「社会通念」は、万古不変の鉄則ではないわけだし、大臣というのは、その「社会通念」に風穴を開けることが可能な立場の人間だからだ。 政治家なり官僚が「社会通念」を変えた代表的な例として「クールビズ」がある。 正直なところを申し上げるに、私は、この官製ファッション用語の押し付けがましさ(あるいは「ドヤ顔感」)がどうしても好きになれないのだが、その一方で、この「上からの服飾改革運動」が、結果として日本のオフィスに顕著な変化をもたらしたこと自体は大いに評価しなければならないと考えている。 「うちの国の熱帯仕様の夏にネクタイ着用が義務付けられている労働環境って、単なる拷問じゃね?」「だよな。こんなもの誰か影響力のあるファッションリーダーなり、政府の偉い人なりが、一言やめようぜって言えばみんな喜んでやめると思うんだけどな」「だよな」という声は、私が勤め人だった時代からオフィス内に充満していた。 とはいえ、ノーネクタイでの勤務が可能になる時代がやってくることを、本気で信じている勤め人は、ほとんど皆無だった。 それが、 「クールビズ」という軽佻な和製英語とともに、オフィスの服飾革命はある日突然、わりと簡単に実現したのである。 「いやあ、うちの会社も最近なんだかクールビズなんてことを言い出しましてね。個人的にはノーネクタイというのはいかにも気持ちが定まらない感じで困惑しておる次第なんですが」とかなんとか言いながら、人々は、徐々にネクタイを外しはじめた。 さらに、当初は単にノーネクタイの白ワイシャツ姿の若手社員あたりから出発したクールビズは、やがて半袖開襟シャツや、無地のポロシャツをも容認する方向に拡大し、昨今では柄シャツで出勤する管理職すら珍しくなくなっていると聞く。 こういう歴史を知っている者からすると、夏場の男のネクタイ以上に理不尽かつ有害で、のみならず健康被害の原因にさえなっている女性勤労者のパンプスやハイヒールについて、責任ある立場の人間が、そろそろ終了のホイッスルを鳴らして然るべきだと考えるのは、そんなに非現実的な願望ではない。 ところが、根本大臣は 「それ、ケース・バイ・ケースだよね」という逃げの答弁に終始してしまった。 なんと残念な態度だろうか。 根本さんの内部に、自分が日本のオフィスのドレスコード解放運動におけるリンカーンの立場に立つという野心は存在していないということなのだな』、根本大臣の顔を見る限り、そうした野心とは無縁のようだ。
・『最後に余談をひとつ。 フジテレビ系の「ワイドナショー」という番組の中で、MCの松本人志氏が、 「凶悪犯は不良品だ」という趣旨の発言をした件について、フジテレビの石原隆取締役は6月7日の定例会見 の中で 「差別的な意図はなかった」と説明している。 この種の発言について「差別の意図の有無」を語ることには、あまり意味がない。 というのも、差別的な発言は、発言者に差別的な意図があるかどうかとは関係なく、それを聞かされる側の人間を傷つけるからだ。であるから、むしろ、差別的な意図もないのに差別的な発言が漏れ出してしまうのは、発言者の中に確固たる差別意識が根を張っているからだ、というふうに考えなければならない。 同じ意味で、ハイヒールやパンプスについて 「強制の意図はない」と考えている現場の責任者は多い。 彼らの意識としては、「自分が具体的な指示や文書を通じて、ハイヒールやパンプスの着用を強制したことはない」と思いこんでいる。 うっかりすると彼らは 「自分がきれいに見られたい一心で無理なヒール履いてるくせして、それを強制されたとか言い出すってどんな被害者意識なんだ?」くらいに受けとめている。 とにかく、この問題についてはっきりと認識しておかなければならないのは、現実として 「誰も指示なんかしていないのに、職場の空気としてパンプスを履かざるをえない圧力が一人ひとりの女性従業員を圧迫している」ことだ。 別の言い方をすれば 「ハイヒールを履け」「パンプスを履け」という明確な言葉なりルールに裏打ちされている明らかな強制よりも、 「職場にはふさわしい服装で出勤すべきだ」という、 「社会通念」によってやんわりと推奨されているパンプス着用義務の方が、問題の根は深いということでもある。 根本大臣には、半日でもよいから、5センチ以上のハイヒールを履いて業務をこなすことを経験してほしい。 私は、20代の頃、さる雑誌の企画で女装をしたことがあって、以来、ハイヒールにはトラウマをかかえている。 それゆえ、ああいうものを部下に履かせて平気でいられる人間が、人を使ってよいはずがないとも思っている。 してみると、ハイヒール強制の解除を叫ぶより、管理職に就く男性社員に、一定期間の女装勤務を強制する方が、この問題を共感とともに解決するソリューションとしては現実的だろう。 ぜひ、実現してほしい』、「差別的な意図もないのに差別的な発言が漏れ出してしまうのは、発言者の中に確固たる差別意識が根を張っているからだ、というふうに考えなければならない」、「「ハイヒールを履け」「パンプスを履け」という明確な言葉なりルールに裏打ちされている明らかな強制よりも、 「職場にはふさわしい服装で出勤すべきだ」という、 「社会通念」によってやんわりと推奨されているパンプス着用義務の方が、問題の根は深いということでもある」、などというのはその通りだ。「ハイヒール強制の解除を叫ぶより、管理職に就く男性社員に、一定期間の女装勤務を強制する方が、この問題を共感とともに解決するソリューションとしては現実的だろう」とのオチは、秀逸だ。
タグ:松本人志 日経ビジネスオンライン 衆議院厚生労働委員会 女性活躍 「ワイドナショー」 小田嶋 隆 (その13)(反パンプス運動「痛い靴で働くのは嫌」は当たり前、小田嶋氏:鳴らさなかった終了のホイッスル) 河崎 環 「反パンプス運動「痛い靴で働くのは嫌」は当たり前」 「#KuToo」運動 苦痛なのにそれでも履く「なぜ」 女性の職場ファッションにも「クールビズ」的な風穴を 「鳴らさなかった終了のホイッスル」 尾辻かな子議員 女性に職場でハイヒールやパンプスの着用を義務付けることの是非について質問 根本匠厚生労働相が答弁 根本厚労相は、尾辻議員の質問をはぐらかして一般論を述べてみせただけ 「#KuToo運動」に対してはコメントを供給すること自体を拒絶 人を食ったような観察を陳述したにすぎない 「社会通念」 現実にわが国の職場のガバナンスを決定している「空気」 「空気による自律的ガバナンス」の問題点は、指揮系統が存在せず、文書主義が顧みられず、誰一人として結果責任はおろか説明責任すら果たしていない中で、謎の強制だけがゆるぎなく機能してしまっているそのがんじがらめの構造それ自体の裡にある 尾辻議員は、大臣に「鶴の一声」を求めた 「社会通念」という言葉は 「社会に生きる者が等しく従うべきスタンダード」 さらには「国民の義務」 あたりを示唆する空恐ろしい強圧を導き出して来かねない用語でもある 「そんな罠みたいな質問にひっかかってたまるかよ」 大臣というのは、その「社会通念」に風穴を開けることが可能な立場の人間だからだ 政治家なり官僚が「社会通念」を変えた代表的な例として「クールビズ」 「凶悪犯は不良品だ」という趣旨の発言 差別的な意図もないのに差別的な発言が漏れ出してしまうのは、発言者の中に確固たる差別意識が根を張っているからだ、というふうに考えなければならない 「ハイヒールを履け」「パンプスを履け」という明確な言葉なりルールに裏打ちされている明らかな強制よりも、 「職場にはふさわしい服装で出勤すべきだ」という、 「社会通念」によってやんわりと推奨されているパンプス着用義務の方が、問題の根は深いということでもある ハイヒール強制の解除を叫ぶより、管理職に就く男性社員に、一定期間の女装勤務を強制する方が、この問題を共感とともに解決するソリューションとしては現実的だろう
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ブラック企業(その10)(ブラック企業の見分け方と脱出方法、実は高学歴者ほど危険!、シニアを使い捨て!急増する“ブラック労災”と死亡災害、急増している「中高年ブラック企業」で給与がどんどん減額されていく理由とは?【橘玲の日々刻々】) [社会]

ブラック企業については、昨年9月22日に取上げた。久しぶりの今日は、(その10)(ブラック企業の見分け方と脱出方法、実は高学歴者ほど危険!、シニアを使い捨て!急増する“ブラック労災”と死亡災害、急増している「中高年ブラック企業」で給与がどんどん減額されていく理由とは?【橘玲の日々刻々】)である。

先ずは、5月7日付けダイヤモンド・オンライン「ブラック企業の見分け方と脱出方法、実は高学歴者ほど危険!」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/200929
・『希望の会社に意気揚々と入ったはずなのに、息子や娘の表情がどうにも暗い。休みもあまりとれていないようだ。もしかして、ブラック企業というヤツか――。実は、高学歴であるほどブラック企業、ブラック職場に取り込まれるケースが少なくないという。あなたの息子 娘の就職先がブラック認定だったら。そのとき、親は何をアドバイスすればよいのか。現在発売中の『息子娘を入れたい会社 2019』を一部抜粋し、親として知っておくべきブラック企業の見分け方と脱出方法を解説する』、興味深そうだ。
・『実は高学歴者ほど取り込まれやすい! 人気業種にも存在するブラック企業  「ブラック企業の根幹は共通しています。それは、“できるだけ安く、できるだけ長時間、社員を働かせることで利益を出す”です」 こう語るのは、ブラック企業対策など労働問題を数多く手掛けるQUEST法律事務所の住川佳祐弁護士だ。長時間労働の運送業やワンマン社長の中小企業だけではなく、有名大学の卒業者が就職する大手、一流といわれる企業にも同様の傾向が見られるという。 「むしろ、高学歴であるからこそ取り込まれやすいと言ってもいいと思います。良い大学に入り、良い企業に入社し、勝ち残ってきた高学歴者たちは、同僚たちとの競争に負けるわけにはいかない」(住川氏) たとえ労働環境がどこかおかしいと感じても、そこで脱落することは、彼ら彼女らにとっては人生を否定されるようなものだ。名の知られた企業であるほど、“そこで働く自分”でなくなることが何よりも怖い。長時間労働も過酷なストレスも、むしろ競争に勝つための試練と受け入れてしまう。 同じようなことは、クリエイティブなどの人気業界でも起こりやすい。一刻も早くスキルを身に付け、あの先輩のようになりたい。自分を修業中の身と考え、耐えなければと思い込む。残業が当たり前の職場ならば、ひとりだけ帰るなどもってのほか……新人はこうして取り込まれていく。 「経営者が志望者の心理をよく理解していて、そこにつけこんでいると思われるケースもあります。長時間労働はあくまで本人の意思であるとして、問題を会社から切り離す。大量に採って競争させ、使える人材だけ残ればいいという“歩留まり”の発想で採用を行う」(住川氏) 有名企業・人気企業にもブラック職場が生まれるのは、構造的な問題といえる。 ブラック企業によく見られる特徴は別表のとおりだ(表1)。息子 娘に自覚がなかったとしても、親として思い当たる事項があれば、よく話し合ってみたほうがいい。心や身体が蝕まれて初めて、勤務先がブラック職場だったと本人も周囲も気づく、そんな例が後を絶たない』、「有名企業・人気企業にもブラック職場が生まれるのは、構造的な問題といえる」、というのはその通りなのかも知れない。
・『辞めるのも権利 有休を消化するのも権利  「ブラック企業だと自覚した場合、中から職場を改善しようと考えるのは現実的ではありません。さっさと退職して次を考えるほうが前向きです」(住川氏) だが、すぐに辞める決心がつけば良いが、職場の洗脳がたくみで、本人は「とても辞められない」と信じているかもしれない。退職の意思を示したとしても、「代わりの人がいない」など、あの手この手で引き留めようと抵抗される。そんなときは、「辞める権利」があることを教えよう。 「ものを売り買いして代金をやりとりする。働くことも基本的には同じで、会社と労働者の間の契約です。条件に違いがあれば、取りやめにする権利がある」。住川弁護士は「あくまでドライに考えるべき」と強調する。 具体的な手順としては、まず、「退職願」ではなく「退職届」を出す(表2)。会社が受け取りを拒否すれば、そのときは「配達証明付き内容証明郵便」で送付する。これで法的な根拠が発生する。そして、これまでどおり、出勤して仕事を続ける。通例では最低で2週間、長くともひと月で会社を辞めることができる。 (リンク先に「ブラック企業の辞め方と未払い賃金の取り戻し方」の表) もう会社に行きたくないという気持ちは分かるが、勝手に休むと、それを理由に懲戒解雇されることがある。そこで、次に有給休暇を消化することを伝える。有給休暇の取得も難色を示されるようであれば、内容証明郵便を使って書面で届け出る』、「中から職場を改善しようと考えるのは現実的ではありません」というのはその通りだろうが、「さっさと退職して次を考えるほうが前向きです」というのは、余りに単純過ぎて、自らの仕事を増やしたいポジション・トークではないかと疑いたくなる。新入社員時代は、誰しも辞めたくなることはある筈だ。踏ん張らずに、「次を考えるほうが前向き」というのは、採用時に最も嫌われる「辞めクセ」をつけるようなものなのではなかろうか。
・『一矢報いたいなら未払い賃金を取り戻す  どうせ辞めるのだからと、会社の不法行為の証拠をネットでばらまくなど報復を考える人がいるが、こうした行動はやめておいたほうがいいという。 「脅迫と取られる場合があり、揉め事に発展する可能性があります。憎い相手に退社後もわずらわされては、自分の一生を台無しにしてしまいます。一矢報いたいなら、お金を取り返す方が得策です」(住川氏) 有給取得と同様、残業代などの未払い賃金があれば、払ってもらう権利がある。 ところで、実際にひとりでブラック企業を相手に、退職から未払い賃金の請求に至る一連のやり取りを行おうとしても、無視されたり、嫌がらせにあったり、抵抗されることは想像に難くない。こうした場合はやはり、労働問題に詳しい弁護士に相談するのが最も現実的だ。 弁護士が登場すれば、たいていの場合、訴訟になる手前の交渉や「労働審判」で決着するという。かかっても数ヵ月で問題は解決する。最近は「着手金ゼロ」「成果報酬」等をかかげる弁護士もいる。料金に不安があれば確認してみるとよい。 息子、娘がブラック企業に取り込まれたとしても、相手を恐れることはない。正当な権利を粛々と行使し、速やかに次のステージを目指せばいい。親としてできるのは、そのための手助けを行うことだ』、「会社の不法行為の証拠をネットでばらまくなど報復を考える人がいるが、こうした行動はやめておいたほうがいい」というのはいいアドバイスだが、最後の部分ではやはりポジション・トーク全開のようだ。

次に、5月25日付けダイヤモンド・オンラインがAERAdot. 週刊朝日の記事を転載した「シニアを使い捨て!急増する“ブラック労災”と死亡災害」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/203254
・『「まるでうば捨て山ですよ」 関東地方の60代後半のユウコさん(仮名)は、勤め先の対応に憤っている。ユウコさんは、ビルメンテナンス会社のパートとして清掃労働をしていた。昨年、仕事中に階段から転落。救急搬送されて病院で検査を受けた結果、頭部外傷、頸椎骨折、右大腿骨骨折、歯の抜去などの重傷だった。 【年齢別 労働災害発生状況はこちら】 業務上の事故なので、ユウコさんは当然、労災だと思った。だが、会社はユウコさんが労災の手続きをお願いしても3ヵ月間放置した。その間、社長は怒鳴るような口調で家族の電話に対応。事故で休業を余儀なくされたにもかかわらず、休んでいる間に会社の担当者から連絡があり、辞めてほしいといった趣旨の話をされた。 最終的には労働基準監督署が労災として認定してくれたものの、ユウコさんはこの一件でシニアは使い捨ての労働力とみなされていると痛切に感じたという。 超高齢化社会の今、ユウコさんのケースは決してひとごとではない。60歳を迎えたら悠々自適の定年生活は昔の話。年金だけでは暮らせないと、60歳を過ぎても働くのは当たり前の時代になった』、「シニアは使い捨ての労働力とみなされている」ような「ケースは決してひとごとではない」、その通りだろう。
・『厚生労働省の「高年齢者の雇用状況」によると、昨年の60歳以上の常用労働者は362万人超。2009年から約1.7倍になっている。内閣府の18年度版高齢社会白書によると、17年の労働力人口総数に占める65歳以上の割合は12.2%で年々上昇している。  シニアの労働意欲は高く、同白書によると、現在仕事をしている高齢者の約4割が「働けるうちはいつまでも」働きたいと回答。「70歳くらいまでもしくはそれ以上」と合わせれば、約8割に上る。さらには、現役世代でも、定年に関係なく働き続けたい人は少なくない。年齢を問わず働き続けたいというミドル・シニアは57.2%もいることが、リクルートキャリアが昨秋に40歳以上を対象に行ったインターネット調査でわかった。 高齢者が働く背景について、労働者の労災支援をする総合サポートユニオンの池田一慶さんはこう話す。 「深刻な労働力不足のなかで、年金だけでは生きていけない高齢者も働く時代になってきました。高齢者の貧困率は高い。その高齢者の多くは非正規雇用となっています」 このように“定年のない時代”が到来するなか、問題となっているのが、高齢者の労災だ。労働基準監督署長にすぐに報告の提出が必要になる休業4日以上の労災の17年の発生件数は、30代、40代、50代と年代が上がるほど増え、60歳以上が最も多く3万件を超えた。死亡災害の件数も年代が上がるほど増え、60歳以上は328件と最多だった。さらに、死亡災害について1999年と2016年を比較すると、60歳以上が占める割合は、25%から32%へと高まっている』、死亡災害で「60歳以上が占める割合」が32%とは、労働者に占める60歳以上の割合を大きく超えている、つまり死亡事故率はなかり高いのだろう。
・『シニアの労災の背景について、中央労働災害防止協会・教育推進部審議役の下村直樹さんはこう話す。「労災の発生確率が高いのは若年層と高齢者で、特に60歳以上は高止まりしています。高齢者の事故は転倒や墜落が多くを占めています。同じ骨折でも高齢者ほど治るのが長引くなど、休業日数は高齢者ほど長くなります」 つまり、昔よりも若々しいシニアが増えたように見えても、働く上で加齢による体の衰えは侮れないのだ。筋力や視力、バランス感覚の低下といった身体面だけでなく、脳の情報処理能力も衰えてくる。例えば、ランプが点灯したらボタンを押すような単純作業ならば年齢による差はわずかだが、危険を察知して回避するといった複雑な情報処理に関しては反応時間が高齢者は著しく長くなるという。 前出の池田さんは話す。「高齢者になると、視力や運動能力が大きく低下する人が多く、ちょっとした身のこなしが必要な現場でけがをしてしまい、重労働になると簡単にけがをしてしまいます。高齢者は心疾患や高血圧などの持病を持つ人もいて、長時間労働になると死につながりやすいのです」 実際には、シニアの働く現場ではどんな事故が多いのか。中央労働災害防止協会が、16年の労災について50歳未満と50歳以上に分けて、死傷病事故の種類別に千人あたりの発生率を調べた。50歳以上では転倒の数値が極めて高く、それに次いで墜落・転落も高い数値となっている。「老化は脚から」ともいうように、加齢に伴う脚筋力の低下が著しいことを物語っている。 これからの季節は、熱中症にも注意が必要。運動による発汗量は加齢によって低下するとされ、シニアは体熱を発散しにくいからだ。また、持病で服用している薬によっては、発汗抑制作用があったり、脱水を引き起こしやすい成分が含まれていたりする。 同協会の高橋まゆみ広報課長はこう話す。「実際に働く高齢者で熱中症になる人は多くいます。年配の人は我慢強く、家に帰ってから亡くなることもあります」 シニアの労災の増加の背景には、身体機能の衰えだけでなく、シニアの働き方の変化もある。以前ならば、定年後に働くといっても、現役世代よりも心身の負担が軽い仕事が多かった。それが、今は気力も体力も必要なあらゆる職種でシニアが戦力として働くシーンは珍しくなくなった。 「社会福祉施設などの3次産業で高齢者の労災が増えている」(下村さん) 「最近の警備業は高齢化しています。清掃や食品加工では圧倒的に高齢女性が多くなっています」(高橋さん) 大阪過労死問題連絡会・事務局長の岩城穣弁護士は、高齢者の就労について指摘する。 「昔なら定年後の人が就くのは、ちょっとした監督などの楽な仕事だった。いまは人手不足もあり、若いときと同じように働かせられる。非常に過酷な労働ではないかという印象がある」 岩城弁護士は、若い人と同じ過重労働で倒れる高齢者が多いとも指摘し、「弱いものを持っている人が倒れやすい」と話している』、「昔よりも若々しいシニアが増えたように見えても、働く上で加齢による体の衰えは侮れないのだ。筋力や視力、バランス感覚の低下といった身体面だけでなく、脳の情報処理能力も衰えてくる」、「昔なら定年後の人が就くのは、ちょっとした監督などの楽な仕事だった。いまは人手不足もあり、若いときと同じように働かせられる」、などの現実を踏まえた高齢者雇用や安全対策が必要なようだ。

第三に、作家の橘玲氏が6月10日付けダイヤモンド・オンラインに寄稿した「急増している「中高年ブラック企業」で給与がどんどん減額されていく理由とは?【橘玲の日々刻々】」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/205213
・『1990年代末に始まった就職氷河期には、メディアが「新卒で正社員になれなければ人生終了」と大騒ぎしたことで、日本経済にブラック企業という「イノベーション」が生まれました。飲食業を中心に、純真な若者を「正社員にしてやる」と大量に採用し、サービス残業でアルバイトの最低賃金以下で使い倒す会社が続々と現われたのです。 その後、日本経済は空前の人手不足に陥り、世間の目もきびしくなったこともあって、こうした経営手法はすたれてきました。ところがその代わりに、中高年向けのブラック企業が増えているというのです。 都内のとある金融会社は、40代や50代をそれなりの給与で中途採用しています。ところが働いているうちに、会社は儲かっているにもかかわらず、給与が下がりはじめるのだといいます。 最初は月額30万円だとすると、5万円の年齢給部分がじょじょにカットされて、そこからなぜかさらに減らされて20万円+インセンティブになってしまいます(そのインセンティブも雀の涙です)。こうして気づいたときには、相場の半分くらいの給料で使い倒されています。 なぜこんなことになるかというと、売上から利益を引いて、そこから経費を出しているからです。 当たり前の話ですが、売上から仕入れや人件費など諸経費を引いた残りが利益です。売上が減ったり、経費がかかりすぎると赤字になってしまいます。 ところが「中高年ブラック企業」は、売上からまず利益を確保するのですから、赤字になりようがありません。その代わり、残った経費分から人件費を捻出するため、給料がどんどん減っていくのです。 なぜこんなことをするのか。それはどんなときも黒字の優良企業にして、内部留保を積み上げることだといいます。社員を犠牲にして会社が肥え太っていくのです。 ずいぶんヒドい話ですが、驚くべきことに、この理不尽な経営方針は民主的な手続きによって社員からも支持されています。社長が、「売上から経費を差し引く(ふつうの)経営」と、「売上から利益を差し引く(異常な)経営」の2つの選択肢を社員に示して選ばせたとき、社員のほぼすべてが先に利益を計上する案に手を上げたというのです。 その理由は、「黒字の会社はつぶれない」からです。 「中高年ブラック企業」に中途入社した社員たちは、この「居場所」がなくなれば再就職の見込みがないことを思い知らされています。だからこそ、自分の給料が削られても、会社が黒字で確実に存続することの方を選ぶのです。――もちろん、ため込んだ内部留保が社員に還元されることはありませんが。 この罠から抜け出そうとすると辞めるしかありませんが。約束した退職金はいつまでたっても支払わないばかりか、給与から差し引かれていたはずの住民税も収めていないことが発覚したそうです。 かつてサラリーマンは「社畜」と揶揄されましたが、この言葉が流行ったのは一種の「自虐ネタ」だったからです。「中高年ブラック企業」では、「社畜」はとうてい洒落にはならないようです』、「ブラック企業」も「イノベーション」、とは言われてみれば、その通りだ。ここで紹介された「中高年ブラック企業」は、「住民税も収めていないことが発覚」とは酷い話だ。ここまで酷くなくても、「中高年ブラック企業」は様々な形で、中高年を弱みにつけ込んで、搾取しているのだろう。
タグ:橘玲 ブラック企業 ダイヤモンド・オンライン (その10)(ブラック企業の見分け方と脱出方法、実は高学歴者ほど危険!、シニアを使い捨て!急増する“ブラック労災”と死亡災害、急増している「中高年ブラック企業」で給与がどんどん減額されていく理由とは?【橘玲の日々刻々】) 「ブラック企業の見分け方と脱出方法、実は高学歴者ほど危険!」 実は高学歴者ほど取り込まれやすい! 人気業種にも存在するブラック企業 QUEST法律事務所 住川佳祐弁護士 経営者が志望者の心理をよく理解していて、そこにつけこんでいると思われるケースもあります。長時間労働はあくまで本人の意思であるとして、問題を会社から切り離す。大量に採って競争させ、使える人材だけ残ればいいという“歩留まり”の発想で採用を行う 有名企業・人気企業にもブラック職場が生まれるのは、構造的な問題といえる。 辞めるのも権利 有休を消化するのも権利 ブラック企業だと自覚した場合、中から職場を改善しようと考えるのは現実的ではありません。さっさと退職して次を考えるほうが前向きです 「退職願」ではなく「退職届」を出す 「配達証明付き内容証明郵便」で送付 有給休暇を消化 一矢報いたいなら未払い賃金を取り戻す 労働問題に詳しい弁護士に相談するのが最も現実的 AERAdot. 週刊朝日 「シニアを使い捨て!急増する“ブラック労災”と死亡災害」 ビルメンテナンス会社のパートとして清掃労働 仕事中に階段から転落。救急搬送されて病院で検査を受けた結果、頭部外傷、頸椎骨折、右大腿骨骨折、歯の抜去などの重傷 会社はユウコさんが労災の手続きをお願いしても3ヵ月間放置 辞めてほしいといった趣旨の話をされた 労働基準監督署が労災として認定 シニアは使い捨ての労働力とみなされていると痛切に感じた 「高年齢者の雇用状況」 シニアの労働意欲は高く、同白書によると、現在仕事をしている高齢者の約4割が「働けるうちはいつまでも」働きたいと回答。「70歳くらいまでもしくはそれ以上」と合わせれば、約8割に上る 問題となっているのが、高齢者の労災 休業4日以上の労災の17年の発生件数は、30代、40代、50代と年代が上がるほど増え、60歳以上が最も多く3万件を超えた 死亡災害について1999年と2016年を比較すると、60歳以上が占める割合は、25%から32%へと高まっている 昔よりも若々しいシニアが増えたように見えても、働く上で加齢による体の衰えは侮れないのだ。筋力や視力、バランス感覚の低下といった身体面だけでなく、脳の情報処理能力も衰えてくる 高齢者になると、視力や運動能力が大きく低下する人が多く、ちょっとした身のこなしが必要な現場でけがをしてしまい、重労働になると簡単にけがをしてしまいます 死傷病事故の種類別に千人あたりの発生率 50歳以上では転倒の数値が極めて高く、それに次いで墜落・転落も高い数値 昔なら定年後の人が就くのは、ちょっとした監督などの楽な仕事だった いまは人手不足もあり、若いときと同じように働かせられる。非常に過酷な労働ではないかという印象がある 「急増している「中高年ブラック企業」で給与がどんどん減額されていく理由とは?【橘玲の日々刻々】」 日本経済にブラック企業という「イノベーション」が生まれました 日本経済は空前の人手不足に陥り、世間の目もきびしくなったこともあって、こうした経営手法はすたれてきました。ところがその代わりに、中高年向けのブラック企業が増えている 売上からまず利益を確保するのですから、赤字になりようがありません。その代わり、残った経費分から人件費を捻出するため、給料がどんどん減っていくのです 約束した退職金はいつまでたっても支払わないばかりか、給与から差し引かれていたはずの住民税も収めていないことが発覚
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