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葬式・墓(ゆうパック送骨」から「架空墓」まで 激変する墓事情と気になる値段、葬式はなくなる?通夜なし 式なしの「直葬」選ぶ時代に、「格安葬儀パックで義母弔った」55歳女性の後悔、死ぬときはあえて「葬儀も墓もいらない」という人が急増中のワケ あなたはその場にいないのだから) [人生]

昨日と一転して、今日葬式・墓(ゆうパック送骨」から「架空墓」まで 激変する墓事情と気になる値段、葬式はなくなる?通夜なし 式なしの「直葬」選ぶ時代に、「格安葬儀パックで義母弔った」55歳女性の後悔、死ぬときはあえて「葬儀も墓もいらない」という人が急増中のワケ あなたはその場にいないのだから)を取上げよう。

先ずは、2月5日付けダイヤモンド・オンライン「「ゆうパック送骨」から「架空墓」まで、激変する墓事情と気になる値段」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/192692
・『お墓にまつわる状況は人によって様々だが、近年は、個人のニーズに合わせた供養の形も多様化するなど、お墓に対する意識には大きな変化が生まれている。抽選になるような人気の墓地がある一方、地方では墓じまいが進む霊園も少なくない。そんな現代のお墓事情について、葬儀・お墓コンサルタントの吉川美津子氏に聞いた』、興味深そうだ。
・『青山霊園は1区画400万円超! それでも人気殺到の理由  ニーズの変化により、現代のお墓事情は大きく変わってきています。 東京都内で有数の人気を集める都立青山霊園には、毎年、募集に対して10倍以上の希望者が殺到しているという。青山霊園の区画使用料は最低でも1区画で400万円を超えるが、2018年の一般墓所の倍率は14.3倍だった。葬儀・お墓コンサルタントとして活躍する吉川美津子氏が話す。 「青山霊園は、高い区画だと、区画使用料のほかに墓石等の費用を合わせて軽く1000万円を超えるケースもありますが、それでもこれだけ希望する人がいるわけです。都内でお墓を探すと、立地のいい場所はお寺の境内が多いですから、宗旨宗派を問わない青山霊園には自然と人気が集中するんですね」 区画の広さは霊園によってまちまちで、青山霊園は1.6平方メートル。この土地を「永代にわたって使用するための料金」が「永代使用料」で、転売等もできないため、まさにプレミア化しているのだ。 「お墓を探す人たちの予算のボリュームゾーンは、トータルでおよそ150~200万円といわれています。23区内の一般的な霊園では、その価格では1平方メートルに満たない区画しか買えません。マンションなどの住宅と同じで、いい場所はどんどん高額になっているんです」 もっとも、吉川氏によれば、青山霊園のように人気の霊園は一部だけで、全国的に見ると、お墓は余っているのだという。 「それなりの広さのお墓が欲しいとなれば、必然的に郊外に行くことになるわけですが、実は東京でも郊外になると、お墓の売れ行きはかんばしくないんです。多くの霊園が、『お墓が売れない』と悲鳴を上げています」』、「青山霊園は1区画400万円超」で「一般墓所の倍率は14.3倍」、とはくじ運に恵まれた人たちのものでしかない。しかも、墓石代もかなり高くなりそうだ。
・『散骨、樹木葬、架空墓…増える「墓ナシ」供養の選択肢  高額な墓地に希望者が殺到する一方、どれだけ安くても墓地は買わない人も増えるという、二極化が進んでいるということのようだ。 「これを格差と捉えることもできますが、より正確に言えば多様化がふさわしいと思います。たとえば資力が余っていても、承継者がいなかったり、子どもたちに迷惑をかけたくないといった理由でお墓を持たないという選択をしたりする人もいますからね。業界では、従来の家単位を基本とした先祖供養の方法は制度疲労を起こしている、とよくいわれています。これまで基本であった『○○家』のお墓に代わって、今の時代に適した供養の仕方を求めている人が増えているのではないでしょうか」 確かに、近年はお墓を持たない供養の選択肢が増えている。粉末化した遺骨を海にまく「海洋散骨」や自然に還る「樹木葬」、さらに「宇宙葬」や、AR技術を利用した「架空墓」まで様々だ。 「これまで一般的だった『〇〇家のお墓』という形式は、主に明治時代以降に確立されたものです。葬祭供養をお寺に一任する代わりにお布施を払う檀家制度は、江戸時代に一般化されましたが、そもそも庶民は明治まで名字を持てませんでした。また、火葬が普及したのは戦後になってからです。現在、普通だと思われている供養の仕方も、実は時代に合わせて変化してきたものなのです」 だからこそ、将来的に供養の仕方が変わっていくのも、自然の流れだと吉川氏は説明する。では、供養の仕方はどのように選べばいいのか。 「遺族にとっては、手を合わせる対象物が必要かどうかというのが、1つの選択基準になります。当事者が『お墓なんかいらない、海に散骨にしてくれ』と言っても、残された遺族はお墓の前で手を合わせたいという人もいるでしょう」 もっとも、海洋散骨は明確な墓標がないし、合葬ではどの霊に祈っているのか漠然としてしまうと感じる人もいるようだ。そこで、最近では、祈る対象物(遺骨)が明確に区分されていながら、永代供養を取り入れている納骨堂が人気となっているという』、「供養の仕方も、実は時代に合わせて変化してきたものなのです」、というのはその通りなのだろう。最近のテレビでは「永代供養を取り入れている納骨堂」の宣伝が確かに目につく。
・『都市部で盛況なのは納骨堂での永代供養  「永代供養(地方自治体の運営する霊園では永代管理と呼ぶ)とは、長期間にわたって遺骨を供養してもらえるシステムです。よく勘違いされるのは、永代供養でお墓を建てたからといって、形としてのお墓が永代続くわけではないこと。承継者がいなくなった場合は、合葬される可能性があります。永代供養は、あくまでも1つのシステムを意味しています」 この永代供養を大々的に宣伝し、都市部で盛況なのが納骨堂だ。 「本来、納骨堂はお墓を建てるまでの預かり施設という性格が強かったのですが、最近では石のお墓に代わる納骨施設として、永代使用を前提とした納骨堂の整備が進んでいます。礼拝所も併設されていて、棚型、ロッカー型、マンション型(自動搬送システム)と様々なタイプがあり、比較的アクセスの良い場所に建てられています。一定期間が過ぎれば合祀されるタイプもありますが、それまでは遺骨も区分されますし、夜間でも利用可能など、遺族もお参りがしやすいのが特徴です」 もともと、永代供養は供養する子孫の途絶えた無縁仏のためのもので、暗いイメージもあったが、現在は墓地の承継者不足に悩む人々に安心感を与えるキーワードとなっているのだ。 永代供養(永代管理)で、樹木葬も人気を集めている。樹林葬は墓石の代わりに、祈る対象物として木を植えるもの。1本の木に1つの遺骨を納骨するタイプもあるが、樹木葬エリアに数本のシンボルツリーがあるタイプが多い。合葬か個別か、納骨方法は様々だ。 「“自然に還る”という響きはいいですが、こちらはまだ整備段階です。樹木葬と言いながら『木はどこ?』と辺りを見回してしまうような霊園もあります。合葬納骨は、遺骨の数が一定数を超えてから納骨されるのですが、いつ納骨されるのか、遺族には知らされない霊園もあります。また、納骨の方法によっては自然に還れない作りもありますし、樹木葬でも一定期間が過ぎると別の場所に合葬されるシステムもあります」』、「樹木葬と言いながら『木はどこ?』と辺りを見回してしまうような霊園もあります」というのでは、まだまだのようだ。
・『「おひとりさま」はゆうパックで送骨もアリ  「そこまでお墓に費用をかける余裕がないという場合でも、格安の送骨納骨という方法があります。遺骨をゆうパックでお寺に送って供養してもらう方法で、約3万円で永代供養が可能なお寺もあります。亡くなった後に送骨プランを契約する遺族もいますが、生前にお寺と契約を交わし、遺骨を送るダンボールの準備まで行う人もいます。送骨を頼む人がいない場合は、死後事務委任契約で、亡くなった後に送骨してもらうように第三者に依頼できます」 社会福祉士としても働く吉川氏は、身寄りのない入居者の多くがお墓の心配をしながら過ごしているのを見てきた。「お墓が見つかれば、入居者も安心し、表情が変わります」と、「おひとりさま」がお墓について考えるメリットを説明する。 ちなみに、遺骨は日本郵便以外の大手運送会社で送ることはできない。大手運送会社に取材すると「代替品のないものです。万が一紛失したときに保証できないので取り扱いはできません」という回答だった。一方、日本郵便は「遺骨は危険物に指定されていないので、サービス開始当初から遺骨の取り扱いを行っております」とのことだった。 お墓や供養の仕方に正解はないが、自分のライフスタイルを考えながら、1つひとつ疑問を解消していくことから始めてみてはどうだろうか』、「遺骨は日本郵便以外の大手運送会社で送ることはできない」、日本郵便は紛失したときの免責条項などがあるのだろう。生命保険契約では、重大なミスを犯したが、「ゆうパックで送骨もアリ」とは、便利なサービスも提供しているようだ。

次に、2月11日付けAERAdot.が 週刊朝日記事を転載した「葬式はなくなる?通夜なし、式なしの「直葬」選ぶ時代に」を紹介しよう。
https://dot.asahi.com/wa/2019020800014.html?page=1
・『「こういう弔いの形もありなんだなと思いました」 東京都在住の田中一也さん(仮名・59歳)。おととし、11歳年上のいとこをがんで亡くした際に、通夜や葬儀・告別式をしない“お別れ”を経験した。あっさりした性格だったいとこは生前から、「死んだときは、一切何もしなくていい」と意思表示していた。 都内の病院で田中さんや家族がいとこをみとった翌日、遺体は病院からいとこが住んでいた千葉市の火葬場へ直行。田中さんを含む近親者7人が火葬場に集まり、火葬を終えた後、近くの葬祭会館で軽く食事をして解散した。ものの1時間半で全てが終わった。 九州出身の田中さんにとって葬儀といえば、通夜から多くの親戚や知人が集まって、1泊2日で行うイメージ。だからいとこの弔い方には驚いたという。 「読経も戒名もなし。すしは“竹”。ビール中瓶1本でお別れだった。その後、出勤できたぐらいあっさりとしていた」 一抹の寂しさはあったものの、いとこの闘病生活は1年強におよび、心の準備はできていた。近親者でみとったので、故人と向き合えたという感覚もあった。 「これぐらいシンプルでいいのかもしれない。(通夜、葬儀・告別式をやる一般的な)葬儀で若い僧侶の説法に感動することもないし、通夜の食事もおいしいわけではないし。僕が死んだときも直葬にしてもらおうかと思うこともあります」(田中さん) 形式的な儀式を極力省いた葬儀のかたち「直葬」がいま、都市部を中心に増えている。直葬とは、故人が亡くなった後、安置所か自宅に遺体を運んで安置し、その後、直接火葬場に移し、荼毘に付すという方法。近親者のみで行う。会葬者を呼んで通夜や告別式を営み、それから火葬する一般的な葬式に比べて、お金もかからない。 「ここ15年ほどで“葬儀はシンプルにしたい”という明確なポリシーを持った人が増加傾向にあります」 こう話すのは、終活や葬式の相談・施行などを行う「葬儀を考えるNPO東京」代表の高橋進さんだ。かつて直葬は、故人が身寄りのない人や困窮者の場合に、自治体が葬儀費用を賄って行われる方法だった。 「今は、故人の遺志や家族の意向で選ぶ傾向にあります。中には菩提寺があっても直葬を選ぶ人もいるほど。それだけ従来の葬儀のあり方に疑問を持つ人が増えている証しでしょう」(高橋さん)』、「直葬」が増えているのは、形式に流れ過ぎた「葬儀のあり方」に対する痛烈な批判だろう。
・『『葬式は、要らない』などの著書で知られる宗教学者の島田裕巳さんは言う。 「直葬が広がる背景には、死んだ人の扱いはなるべく簡単に済ませるべきという考え方が強まっていることもあります。血縁意識の低下から、“絶対に葬儀に呼ばなくてはいけない人”という存在もなくなってきている。都会のみならず、地方の葬儀も簡素化が進んでいる実態を見れば、そんなに遠くない未来に葬式そのものが消滅する時代が来るかもしれません」 これまで累計15万件を超える葬儀を担当し、全国で葬儀ブランド「小さなお葬式」を展開するユニクエストによれば、現在、直葬(プラン名「小さな火葬式」)を選ぶ人が4割であるのに対し、「通夜、告別式ともに実施」を選ぶ人が3割、「告別式のみ実施」を選ぶ人が3割と、すでに同社では直葬が主流だ。 「喪主として一度大掛かりな一般葬を経験して、それを疑問に感じたことから、直葬を選ぶケースが増えています。大きな葬式だと会葬者の対応に追われ、ゆっくり故人と向き合う時間もなく、本当にこれで良かったのかと後悔が残ることもあるそうです。そうした方は、次に近親者が亡くなったときには、直葬などシンプルな葬儀を選ばれることが少なくありません」(ユニクエスト広報担当者) 多くの会葬者を招いてその対応に追われる一般葬と比べて、故人とゆっくり向き合う時間を作ることができるのもメリットなのだ。また、葬儀費用を大幅に抑えられることも利点の一つ。一般葬の場合、平均額は約178万円。一方、直葬は平均15万~30万円と、6分の1以下に抑えることができる。通夜の飲食費や斎場の式場料、祭壇費用などがかからないためだ』、「ユニクエストによれば、現在、直葬を選ぶ人が4割」、というのは、もともと「「小さなお葬式」を展開するユニクエスト」を選択した人々というサンプルの偏りがあるにしても、かなり多い印象だ。
・『「通夜の飲食もそれを楽しめるわけではないし、香典返しも果たして本当に必要なのかと、疑問に感じる人が増えるのも当然の流れです」(島田さん) では、直葬を選びたい場合、具体的にどうすればいいのか。火葬許可証の申請など役所で行う死後の手続きは遺族がやることも可能だが、遺体の搬送などは荷が重い。儀式を省いたとしても葬儀会社などプロに頼むのが一般的だ。 「棺など必要なものも個別に手配すると手間がかかり、費用も高くつくことが多いので、葬儀社に頼んだほうが安心。悲しみの中、作業に追われるより、故人と向き合う時間を大切にしたほうがいい」(高橋さん) 直葬を希望する場合、最低限必要な次のような物品やサービスがセットになった一番シンプルなプランを選べばよい。遺体の安置場所を確保し、病院や施設など亡くなった場所から、故人の遺体を寝台車にのせ、自宅や一時的な安置場所に搬送する。遺体を棺に納め、安置する。法律で定められた時間の死後24時間以上経過してから、火葬場の予約時間に合わせ、霊柩車で火葬場へ出棺する。もちろん、物も用意してくれる。遺体を入れる棺、棺用布団、故人に着せる仏衣一式、遺体保冷のためのドライアイス、枕飾り一式、骨壺、そして遺体をのせて移動する寝台車や霊柩車だ』、こんなに手間がかからず、費用も安いのであれば、もっと普及する可能性があろう。

第三に、7月7日付け東洋経済オンライン「「格安葬儀パックで義母弔った」55歳女性の後悔」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/289516
・『佐藤正敏さん(仮名、57歳)は48歳のときに脳出血で倒れ、それ以来、半身不随の状況でした。寝たきりで、食事は経管栄養(胃ろう)で摂取。眼球の動きや、まばたきで意思表示できることが判明してからは、視線入力ができるパソコンを使って文字で会話ができるようにもなっていました。 症状はよくならないが、安定した状態でまもなく10年になろうというとき、正敏さんの体調に変化が生じました。呼吸や意識レベルが不安定になり、「余命、数カ月」と家族は宣告をされます。 この10年間で、妻の晶子さん(仮名、55歳)は、当時まだ中学生(長男)と高校生(長女)だった子ども達を育て上げ、現在は保育士として働いています。多感な中高の時期を無事に乗り越えられたのは、たとえ病床にあっても存在感があった父親のおかげ、と正敏さんに対して感謝の念をのぞかせる彼女。余命宣告されたときは、覚悟を決めました。 それから1カ月ほどした後、正敏さんは亡くなりました』、「余命宣告」で心の準備ができたのは、不幸中の幸いだろう。
・『「格安葬儀パック」を選んで大後悔  妻の晶子さんが葬儀を取り仕切るのは初めてではありません。正敏さんの療養中に、義父と義母2人の葬儀をあげています。義父の葬儀は250万円と予想以上に高かったため、義母は「私の葬儀は安く済ませてほしい」と口癖のように語っていました。 義母の死後に晶子さんが選んだのは、インターネットで見つけた「格安葬儀パック」の中でもワンランク上の家族葬パックです。義母の場合は親戚15名程度と数名の友人が集って食事込みでも90万円程度でおさまり、費用面ではかろうじて想定内。しかし、「もうあの格安葬儀パックは二度と利用したくない」と晶子さんは言います。 近年、「全国展開」「追加料金不要」をうたう格安葬儀パックを販売するネット系の葬儀社が台頭しています。インターネットで、それ以前は電話帳で集客し、葬儀社を紹介する紹介ビジネスは1990年代後半からありましたが、葬儀のパッケージ商品を作ってインターネットで集客、現場は提携する葬儀社が施行を担当するというビジネスモデルがこの10年で急速に増えました。 流通大手のイオングループのイオンライフも、「イオンのお葬式」というブランドで格安葬儀パックを販売しています。 「格安葬儀パックを利用したくない」と思った理由を、晶子さんはこう語ります。 「私が選んだ格安葬儀パックだと、どの葬儀社になるか当日までわからなかったんですね。結局、自宅から20キロ離れた葬儀式場に安置することになって、義母に悪いことしたな、と思っています。スタッフの対応は悪くないのですが、格安葬儀パックのせいか、ご提案なんですが……とオプションの話ばかりしてくるので疲れました。 それに50万円ほどで追加費用は一切なしとあったから選んだのに、食事や香典返しは別なんですね。よく考えればわかることですし、後でみたら確かに表示もあったのですが、小さく書かれていたためにきちんと読んでいませんでした」 誤解のないよう補足すると、ネット系の葬祭業者すべてが悪いわけではありません。提携する葬儀社は基準を満たした業者に限定しているので、施行そのものの質は一定レベルを保っています。また、「土地勘がない」「地域の葬儀社情報がない」状況では、上手に利用すれば使い勝手のいいシステムではあります。 しかしサイト上では、後に発生するであろう追加料金を表示せず(もしくは小さく表示)、「全国統一価格」「追加料金なし」など実際とは異なるキーワードで集客してしまっているために、葬儀の打ち合わせ段階で「ネットに書いてあった情報とは違う」と現場に寄せられる苦情が多く問題となっています。 また今回のように、全国展開といっても提携葬儀社では網羅しきれない地域があることも告知していません。「近くには提携葬儀社が使える葬儀式場がなく、数十km離れた場所で葬儀を行うことに。その式場はかなり豪華で追加料金が発生した」という例も、過去にはありました』、「どの葬儀社になるか当日までわからなかったんですね。結局、自宅から20キロ離れた葬儀式場に安置することになって、義母に悪いことしたな」、というのでは確かに後悔するのももっともだ。
・『トラブル続出の「ネット系葬祭業者」  ネット系葬祭業者の表示に対するトラブルは後を絶ちません。これまで2017年12月にイオンライフ(「イオンのお葬式」など)、2018年12月にユニクエスト(「小さなお葬式」「小さな火葬式」など)、2019年6月によりそう(「よりそうのお葬式」など)に景品表示法違反行為が認められ、それぞれ消費者庁より措置命令が出されています。 またイオンライフは、2019年4月に景品表示法違反で課徴金179万円の納付が命じられています。いずれも、実際は追加料金が発生するにもかかわらず、それぞれ「追加料金一切不要」「定額」など、表示された料金内で可能とうたっていることが問題視されたことによるものです。 よく考えてみれば、ウェディングでも全国一律同じ価格であるはずがないのに、葬儀だけ「全国展開」「追加費用なし」でパッケージ化できるのはおかしな話です。 では、過去の経験を正敏さんの葬儀ではどう生かすことができたのでしょうか? 葬儀社の選定については、これまでの2度の経験から、「地元で活動している葬儀社」「事前に内容を検討しておく」ことの必要性を実感。余命を宣告された時点で、最寄り駅近くにオープンした会館に足を運び、すでに葬儀社と内容を詰めていました。あらかじめ決めていたことは次のとおり。 +病床が長かったので、故人の関係者には亡くなったことは事後報告でいいと思う。ただ子どもは忌引きをとるので、もしかしたら関係者が弔問にくる可能性がある。火葬のみというわけにはいかないので、家族葬でこぢんまりとやりたい。親戚は約15名、参列者はおよそ15名を想定。 +祭壇は最低ランクで30万円セット。 +香典返しは当日返しで2000円の海苔セット。 +通夜ぶるまい(弔問客にふるまう食事やお酒)は不要』、イオンの子会社でも「2019年4月に景品表示法違反で課徴金179万円の納付が命じられています」、というのには驚いた。
・『一番の悩みは「旅立ちの衣装」  実は、通夜ぶるまいについては当初、この地域でよく出される一般的な江戸前寿司やオードブルなどを見積もりに加えていました。しかし「保留にさせてください」と、見積もり後に変更した項目のひとつです。 正敏さんはいわゆる「グルメ」な人。通夜ぶるまいの席で用意されるものが美味しくないというわけではないけれど、特に子どもたちは画一的な通夜ぶるまいの料理に価値を感じていませんでした。 「せっかくだから、お父さんの好きだったものでお別れしたい。私が買ってくる」という長女の意見で、通夜当日、長女は車で買い出しに。その「お父さんの好きだったもの」というのは某所の「うな重」でした。長女は往復2時間かけて、親戚の分と参列者分、さらに予備の数を試算し、テイクアウト用に包んでもらいました。 子どもたちの間で、一番悩んだのが「旅立ちの衣装」でした。菩提寺はなく、義父母は宗旨・宗派不問の墓地に納骨。そのため本家の菩提寺と同じ浄土真宗で儀式は行うことにしたのですが、宗派の教義上、基本的には死装束といわれる白装束は必要ありませんでした。 燃焼するものであれば基本的に何を着せて(上から掛けて)もいいのです。病床生活が長かったため、昔の服はほとんど捨ててしまい、残っているのはスーツ2着とTシャツ類のみ。スーツ2着のうちどちらにしようか迷っていたのですが、「やっぱりTシャツが一番自然な感じがする」と誰からともなくそんな意見が出て、最終的には薄いピンクのTシャツと短パンが旅立ちの衣装ということでまとまりました。 靴については、「ビーチサンダル!」と家族全員一致。そこで段ボールを足の裏にあて、型をとって切り取り、それを全面ピンクで塗り水玉模様を入れました。出棺時、棺の蓋を開けて段ボール製サンダルを見た参列者の顔から思わず笑みがこぼれたそうです。 正敏さんの葬儀にかかった費用は食事や当日返しを含めておよそ70万円。葬送儀礼は簡素ながらも、このように遺された人がそれぞれの思いを胸に、故人への思いを表出した印象的な儀式となりました。 過去2回の経験を生かしたことで納得のいく葬儀になったのはいうまでもありませんが、イザというときに慌てて探すのではなく、余命宣告をされたときに覚悟を決め、自分たちの思いを実現できる葬儀社を選んだことがポイントとなったと思います』、ご亭主の葬儀では、「過去2回の経験を生かしたことで納得のいく葬儀になった」、というのは何よりだ。
・『「葬儀社選び」は難しい  しかし今、その葬儀社選びが大変難しくなっています。冠婚葬祭互助会、葬儀専門業者に加え、平成に入って電鉄系、農協、生協なども葬祭業に参入し、フランチャイズも増えてきました。 前述したネット系葬儀社も新興勢力のひとつ。葬儀は一生を通じて何度もあげるものではないうえ地域による違いが大きいことから、商品・サービスの比較検討が難しく、葬儀会館などのハードや価格にどうしても目が行きがちです。 「よい葬儀社の見分け方」といった情報も氾濫していますが、その基準に達していたら合格、合致しないから悪い葬儀社というわけでもありません。基本的なことですが、事前にリサーチしておくことが納得のいく葬儀をあげるための最善の方法といえるでしょう』、その通りなのだろう。

第四に、7月7日付け現代ビジネス「死ぬときはあえて「葬儀も墓もいらない」という人が急増中のワケ あなたはその場にいないのだから」を紹介しよう。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/59211
・『シンプルに逝きたい  葬儀もお墓もおカネがかかる。場合によっては、それが家族を苦しめることすらある。ならば、答えはシンプルかもしれない。 「私は葬儀も、墓も不要だと思っています。お骨も残さない『三無主義』を主張しています。あくまで個人の自由なので、葬儀やお墓を無意味だとは思いません。でも、死ぬときは人に何かをしてもらうことなく、すっきりとこの世を去るのが一番でしょう」 こう語るのは宗教学者の山折哲雄氏(87歳)だ。 遺体を火葬した後、葬儀をせず、墓も作らない。このようなシンプルな「逝き方」を希望する人が増加している。 山折氏は、火葬を終えた後、事前に指定した思い出の土地に少しずつ遺灰をまいてもらう「一握り散骨」を行い、骨を遺さずにこの世を去るつもりだという。 『ジャングル大帝』や『巨人の星』のアニメを手掛けた脚本家の辻真先氏(86歳)もまた、死後は派手な儀式などは行わず、「ひっそりとこの世を去りたい」と語る。 「死んだら何も残りません。それなのに、家族におカネを使わせるのはもったいないし、申し訳ない。 戒名だって、死んだ後に知らない名前で呼ばれても、僕には伝わらないじゃないですか。不要だと感じた儀式は、極力行わないことにしました。先祖代々続いていたお墓も、数年前に畳んでしまいました」』、「戒名だって、死んだ後に知らない名前で呼ばれても、僕には伝わらないじゃないですか」、というのは言い得て妙だ。
・『すっきり逝く  最終ページ末の表に記載したのは、葬儀にかかる一般的な費用だ。 およそ190万円という金額は、遺産や香典はあっても、この世を去った後、家族や親族に押し付ける経済的な負担としては、小さいものとは言えない。また、十分な身支度をせずにこの世を去ってしまえば、その後の葬儀やお墓で、トラブルが発生しかねない。 いっぽう、山折氏や辻氏のように、火葬だけで終わらせてしまえば、葬儀やお墓にかかる数百万円ものおカネを、遺族に使わせずに済む。 だが、経済的な事情だけで葬儀を簡素化してしまうのは、死者に対して失礼なのでは、と懸念する人もいるだろう。さらに、墓を作らないことで、お盆参りなど、故人を偲ぶ行事は少なくなってしまう。自分が死んだ後、誰にも思い出してもらえないような気がして、「すっきりと」この世から去ることに、若干の抵抗がある人もいるかもしれない。 これに対し、『0葬――あっさり死ぬ』の著書がある宗教学者・島田裕巳氏はこう語る。 「世間体や伝統を気にして、お墓にこだわる方もいるでしょう。でも、葬儀を行わず、墓を持たない『0葬』ならば、遺骨や墓に縛られることなく、かえって自由に、故人を偲ぶことができます」 さらに島田氏は、'07年のヒット曲『千の風になって』を引き合いに、こう続ける。 「歌詞にあるように、お墓に故人がいるわけではありません。『もっと自由に先祖を供養できていいはずだ』という思いが、多くの人に共通しているからこそ、あの曲はヒットしたのです。 自分のことを思い出してもらえるように墓に入るのは、すでに古い価値観であると言えます」 つまり、経済的にも精神的にも、「0葬」は遺された者たちへの負担が少ないのだ』、「0葬」の意味は確かにあるが、墓があるからこそ、子供たちが墓参りに来てくれる可能性があるともいえるのではなかろうか。
・『死ぬ前の準備  そんな「0葬」によってこの世を去るためには、生前にしっかりと準備をしておかねばならない。それどころか、良かれと思って決断した0葬が、手続きを完了させておかなかったことが原因で、かえって遺族や友人たちを混乱させてしまう可能性すらある。 NPO法人「人生丸ごと支援」理事長の三国浩晃氏が、自身の経験をもとに語る。 「奥様に先立たれ、子どももいない70代の男性が、『自分は散骨するから誰にも迷惑をかけない。もう業者にも頼んだ』とおっしゃっていたことがありました。 でも、散骨のためには火葬して、遺骨を業者まで持っていかなくてはならない。誰に頼んであるのか聞くと、男性は『ケアマネジャーがやってくれるんじゃないの?』と話していました。 ですが、ケアマネジャーは介護はサポートしても、死後のことまではやってくれません」 もし0葬を望むのならば、散骨業者だけではなく、葬儀社にも連絡をしたうえで、遺灰の受け渡しを誰かに依頼するところまで準備を進めておかなくてはならない。 「親族や友人に頼むのが難しい場合、私たちのようなNPO法人や、死後事務を執り行ってくれる法人団体を訪れておくことが大切です。とくに身寄りのない方の場合、死後に誰に頼るのか、生前に相談しておきましょう」(三国氏) 手続きのうえでは0葬を完了できていても、思わぬトラブルが発生してしまうこともある。 一般社団法人終活普及協会理事の市川愛氏が語る。 「以前、火葬のみで葬儀を行わないことを希望された方がいらっしゃいました。その方が亡くなった際、遺族が親戚や友人に葬儀を行わなかった旨を連絡しました。すると、親戚が『亡くなった人に対する不義理だ』と激怒してしまったのです」 死後、親戚同士に思わぬ軋轢を生むことのないように、仮に自分が納得して決断したことでも、生前から周囲に伝える。そのうえで、できる限り理解を得ておく。 「遺書やエンディングノートを作成し、葬儀や墓をどうするか、あらかじめ自分の意思を書いておくべきです。さらに、親戚が集まる正月やお盆に、エンディングノートの置き場所を含めて、自分の要望を直接伝える機会を持ちましょう」(市川氏) 愛する家族や友人たちに、気持ちよく自分を送ってもらいたい。すっきりとこの世を去るために、準備をしておこう。 葬儀にかかる一般的な費用』(リンク先には表あり)』、やはり「準備」は大切なようで、心したいところだ。
タグ:週刊朝日 東洋経済オンライン 島田裕巳 ダイヤモンド・オンライン 現代ビジネス AERAdot 葬式・墓 (ゆうパック送骨」から「架空墓」まで 激変する墓事情と気になる値段、葬式はなくなる?通夜なし 式なしの「直葬」選ぶ時代に、「格安葬儀パックで義母弔った」55歳女性の後悔、死ぬときはあえて「葬儀も墓もいらない」という人が急増中のワケ あなたはその場にいないのだから) 「「ゆうパック送骨」から「架空墓」まで、激変する墓事情と気になる値段」 吉川美津子 青山霊園は1区画400万円超! 一般墓所の倍率は14.3倍 区画の広さは霊園によってまちまちで、青山霊園は1.6平方メートル 「永代使用料」 散骨、樹木葬、架空墓…増える「墓ナシ」供養の選択肢 『〇〇家のお墓』という形式は、主に明治時代以降に確立されたもの 火葬が普及したのは戦後になってから 現在、普通だと思われている供養の仕方も、実は時代に合わせて変化してきたものなのです 都市部で盛況なのは納骨堂での永代供養 「おひとりさま」はゆうパックで送骨もアリ 遺骨は日本郵便以外の大手運送会社で送ることはできない 「葬式はなくなる?通夜なし、式なしの「直葬」選ぶ時代に」 遺体は病院からいとこが住んでいた千葉市の火葬場へ直行。田中さんを含む近親者7人が火葬場に集まり、火葬を終えた後、近くの葬祭会館で軽く食事をして解散 「直葬」がいま、都市部を中心に増えている 直葬とは、故人が亡くなった後、安置所か自宅に遺体を運んで安置し、その後、直接火葬場に移し、荼毘に付すという方法 死んだ人の扱いはなるべく簡単に済ませるべきという考え方が強まっている 血縁意識の低下から、“絶対に葬儀に呼ばなくてはいけない人”という存在もなくなってきている。都会のみならず、地方の葬儀も簡素化が進んでいる実態を見れば、そんなに遠くない未来に葬式そのものが消滅する時代が来るかもしれません 「小さなお葬式」を展開するユニクエストによれば、現在、直葬(プラン名「小さな火葬式」)を選ぶ人が4割 直葬を希望する場合、最低限必要な次のような物品やサービスがセットになった一番シンプルなプランを選べばよい 「「格安葬儀パックで義母弔った」55歳女性の後悔」 「格安葬儀パック」を選んで大後悔 義母の死後に晶子さんが選んだのは、インターネットで見つけた「格安葬儀パック」の中でもワンランク上の家族葬パック 私が選んだ格安葬儀パックだと、どの葬儀社になるか当日までわからなかったんですね。結局、自宅から20キロ離れた葬儀式場に安置することになって、義母に悪いことしたな、と思っています トラブル続出の「ネット系葬祭業者」 イオンライフ 消費者庁より措置命令 景品表示法違反で課徴金179万円の納付が命じられています 一番の悩みは「旅立ちの衣装」 「葬儀社選び」は難しい 「死ぬときはあえて「葬儀も墓もいらない」という人が急増中のワケ あなたはその場にいないのだから」 シンプルに逝きたい 戒名だって、死んだ後に知らない名前で呼ばれても、僕には伝わらないじゃないですか すっきり逝く 0葬――あっさり死ぬ 死ぬ前の準備
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恋愛・愛情・結婚(「同棲」に対するスタンスで年齢がバレる? 過去50年の「日本の同棲観」の変遷を読み解く、離婚とは違う「卒婚」という新しい夫婦のあり方 「自分の好きに生きたい」40代以降に急増中、生涯結婚しない「子ども部屋おじさん」が急増 日本が「存続の危機」にさらされている?) [人生]

今日は、恋愛・愛情・結婚(「同棲」に対するスタンスで年齢がバレる? 過去50年の「日本の同棲観」の変遷を読み解く、離婚とは違う「卒婚」という新しい夫婦のあり方 「自分の好きに生きたい」40代以降に急増中、生涯結婚しない「子ども部屋おじさん」が急増 日本が「存続の危機」にさらされている?)を取上げよう。

先ずは、東京大学先端科学技術研究センター助教の佐藤 信氏が6月25日付け東洋経済オンラインに寄稿した「「同棲」に対するスタンスで年齢がバレる? 過去50年の「日本の同棲観」の変遷を読み解く」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/286948
・『結婚前の同棲は是か非か。個人的な問題であり、どちらが正しいとも言い切れない問題であるが、実は同棲にはその時々の日本人の価値観や考え方が大きく反映されており、単に恋愛観や結婚観だけでなく、人口問題を紐解くヒントも隠されている。 戦後日本の結婚や夫婦のあり方について独自の考察を『日本婚活思想史序説』にまとめた筆者が、同棲の歴史とこれからについて解説する』、興味深そうだ。
・『「三畳一間の小さな下宿」:1960~70年代  婚活本を読むと、結婚前に同棲するのがいいのかどうか、今でも議論が分かれている。「独身脱出」を優先する立場は同棲すると幻想が崩れるからNG、他方、結婚後の「結婚生活」を重視する立場はむしろ結婚前のすり合わせをベターとする。結婚観の違いが同棲観にも反映しているわけだ。 しかし、これらの立場に共通しているのは結婚からバックキャスト(注)して同棲を捉えている点だ。よりよい結婚に結び付くかどうかで同棲の善しあしが決せられる。 かつてはそんなことはなかった。若者はもっと無鉄砲で恋愛の先に同棲を捉え、そこから先がむしろ隔絶していた。戦後日本の同棲について最も有名な歌はかぐや姫の「神田川」(1973年)だろう。 この時代には上村一夫のマンガ『同棲時代』も話題になり、評論家の四方田犬彦も「若いカップルの同棲がいたるところで目に付くことになった」と書いている(『歳月の鉛』)。私を含め知らない世代の読者のために記しておけば、この歌は神田川を見下ろす「三畳一間の小さな下宿」、当然風呂は付いていなくて銭湯へ通う、そんな同棲生活を懐かしむものだ。 このストーリーは、作詞の喜多條忠の学生時代の体験を基にしているというから、1947年生まれの喜多條が早稲田大学を中退するまでの60年代後半、1965年の日韓条約批准への反対運動から大学紛争へと学生運動が高揚していく時代の風景がモデルになっている。 紛争の時代。とくに日大なんかそうだったわけだけれど、私大の紛争の前提には学生数の爆発的増大があった。その多くはもちろん地方から上京してくる若者たちだ。彼らは安い下宿を借りて、働きながら大学へ通うか、もしくは通わずに喫茶店でキザに本を読む。もしくは喜多條のようにパチンコを打って、親からの仕送りをパーにする。紛争の時代は下宿の時代でもある。 人文地理学者の中澤高志が言うように、親の家に住む(パラサイトする)未婚者は、いくら成人していても、親が定めた住まい方のルールに従う「子ども」でありつづけることになる(由井義通編著『女性就業と生活空間』。 だからこそ、実家を出ることは自立のための大きな一歩だ。東京では60年代から一人世帯が急増しており(一人世帯の増加は全国的傾向ではあったが、それと比較しても2倍ほどの割合だった)、下宿はそうした一人世帯の増加を引き受けたのだった。 だが、その下宿の時代も70年代前半には下降傾向に入る。寄宿舎・下宿屋の数で見ると、70年代前半をピークに数は減っていくし、住宅総数との比率で見るとピークはもう少し前に存在している。とにかくそれから下宿の数は右肩下がりに下がっていくのだ。「神田川」が若干の郷愁を誘いながらも、若い人々にもよく理解されたのは、70年代前半がまさにこの転換期だったからにほかならない』、残念ながらパラサイトだった私にとって、下宿や同棲は高値の花のあこがれだった。
(注)バックキャスト:目標となる未来を定めた上で、そこを起点に現在を振り返り、今何をすべきか考える未来起点の発想法(マーケティングキーワード)
・『夢の同棲  この下宿こそが若い男女2人の慎ましやかな同棲を準備する。喜多條の当時の詩に「ふたり」というのがある。 今日のあらゆる喧噪から離れて 今はあくまでふたりであろうとする あしたはスープをつくろっと おいしいスープを みち子は冷蔵庫を開けながら 微笑する 僕はそれを横目で見て 美しいと思う(「ふたり」『神田川』1974年) 「喧噪」とは学生運動のこと。詩の最後には「今日は一つの学校が潰れた日/ここまで滅びさせた奴らだけが/再建だ入試だとほざいた日だ」とある。彼にとっての下宿とは、そうした闘いから逃避する場所にほかならなかった。 冷蔵庫があるくらいだから、生活も決して貧しいわけじゃなかったんだろう。彼は、大学を出てからも同じような同棲をしたいと夢見ている。 ときどきふっと淋しい気持に落ちていく。隔絶した両親、厚い壁のできたR、近いが手を握れないH、そしてみち子までが、僕から遠ざかってしまうときがある。僕はあわててみち子との「壁が四方にある部屋のなか」での楽しい生活を夢見る。(「5/December」『神田川』) その個室は外界からの避難所であるだけではなく、淋しさを埋める場所でもある。温かさが漏れ出さないために四方はしっかりと囲まれていなければならない。コンクリートで囲まれた団地の住居に比べるとずいぶん守備力は落ちるとはいえ、彼にとっての木造アパートは「2人の城」だったのだ。 もっとも、その「2人の城」を手に入れることは簡単ではなかった。同棲生活の象徴のように扱われる「神田川」でも、彼/彼女は二人とも大阪の人で、上京しているのは喜多條だけだから、同棲が実現したのは彼女が一時的に上京したほんのわずかな時間だけだ。まして実家暮らしの都会出身者にとっては同棲など夢のまた夢。だからこそ、三畳一間での同棲が憧憬と郷愁をもって語られるのだ。 現在でも上京した若者にとって同棲は憧れの的だろう。とはいえ、今も昔もそれは将来への展望を欠いたものとなりがちだ。木造アパートでの彼女との貧乏同棲生活を続けていくことを夢見ていた喜多條自身、母親から「あんたが結婚するまでお父さんが生きていたら、家の建て売り一軒くらいはプレゼントする」と言われた瞬間、将来の生活のイメージがガラガラと変わっていく。 僕は今まで心に描いていた、彼女との四畳半一間の天井にシミのついた家から、木の匂いがして、窓から庭の植木の見える二人だけの壁のある部屋へと、イメージチェンジしていく[…]寒さに凍え、縮まることもなく、空腹故の心の絶望的なまでの苛立ちや、今までの、今の、そして明日からの見通しのないさめた顔を見つめ合うときも持たずに、その代わりに、温かい湯気の向こうからみち子の顔がうっすらと見え、僕は柔らかな音楽と甘い視線のなかで「生きている安定」を噛みしめる。(「20/December」『神田川』) 貧乏同棲の魅力が潮引けば、同棲の外側で共同生活を伴わない恋愛が追求されるようになる。事実、非親族世帯(2人以上の世帯で、世帯主の親族がその世帯内にいない)の割合は1970年代後半から1980年にかけて大きく落ち込んでいる。 しぜんと、同棲を実現しやすい一人暮らしより、金銭的に余裕ができる実家暮らしが尊ばれるようになる。1988年の『ポパイ』に「結論ひとり暮しはモテる!」(9月7日号)という特集が打たれたのは、それ自体がすでに「ひとり暮らしはモテない」というイメージが固着していたことの表れだろう。 この間、「婚活」の原型ともいうべき現象をつくった1983年創刊の雑誌『結婚潮流』も創刊後すぐに同棲に反発する特集を打っている。それは結婚と結び付けて同棲を否定するものというより(処女性との関連でそうした議論をしたものはあったが)、むしろ恋愛からそのままなだれ込む同棲を無批判に賛美することに疑問符をつけるものだった。そして、同棲とは離れた恋愛が追求される。 どうやらわたしたちがいま慣れ親しんでいる、結婚からバックキャストして考える同棲の日本での源泉は、このあたりにありそうだ』、「実家暮らしの都会出身者にとっては同棲など夢のまた夢。だからこそ、三畳一間での同棲が憧憬と郷愁をもって語られるのだ」、というのはその通りだ。
・『「前奏曲」としての同棲  結婚の前駆として同棲を捉えることは、なにも日本に特有の現象ではない。欧米では若者における同棲が結婚の「前奏曲」(プレリュード)として機能することが増えていると指摘されている。 例えば、スウェーデンのサムボという同棲を法的に保証する制度をみてみよう。35~44歳のカップルについてみると、法律婚カップルの9割はサムボを経験している。それらの結婚に至る年数は3年以内が半分程度となっていて、確かに結婚の試験期間として機能していることがわかる。 同棲は結婚を準備するだけでなく、出生率や子どもの厚生にも貢献しうる。例えばアメリカでは、4割の子どもが未婚の母の下に生まれる。さらに、ある推計によれば、未婚の母の4割は子どもが12歳になるまでに同棲を経験し、さらにその割合は全児童の5割近くにまで上昇すると見込まれている。 一般的に同棲の下にある子どもはシングルマザーの下の子どもに比べて社会的にも経済的にも生活の安定性が高いから、安定的な同棲を促進することは、出生率改善や次世代の厚生にもつながりうるのである。 実際、同棲は出生率、しかも計画的な妊娠を促進するといわれている。 もちろん、日本で突然同棲カップルが増えるということは考えにくいし、まして子どもを産むのは結婚してからという固定観念の強い中、突然に婚外子の出生が増えることはないだろう。 それでも、ここで論じたとおり日本社会の中でも同棲の意味づけは大きく変化してきた。これからも若者たちが同棲をどのように捉え、実際に同棲するかは変化していくだろうし、そんな極めて「私」的に思われることは、実は日本社会の恋愛観や結婚観や、出生率といった「公」的な問題とも絡み合っているのである』、日本でも欧米流の「同棲」が増えていくのだろうか。

次に、日本メンタルアップ支援機構 代表理事の大野 萌子氏が7月22日付け東洋経済オンラインに寄稿した「離婚とは違う「卒婚」という新しい夫婦のあり方 「自分の好きに生きたい」40代以降に急増中」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/292378
・『こんにちは。生きやすい人間関係を創る「メンタルアップマネージャ?」の大野萌子です。 人生100年時代、長い時間を費やしていく中で生き方も多様化し、結婚しない人も増えましたが、結婚してもその関係性はさまざまです。夫婦だからずっと一緒に過ごすという価値観も変化しつつあるのかもしれません。 そんな中、離婚とは違う「卒婚」に注目が集まっています。離婚を考えるほどではないけれど、お互いに干渉せずに自分の時間を持ちたいという切実な思いからか、最近は卒婚に関するご相談や取材、公共機関からの講演オファーなどが増えています』、「卒婚」とは初耳だが、興味深そうだ。
・『そもそも卒婚とは?  夫婦としての籍は入ったままで、お互いに自立した生活を送る形を指します。ある程度夫婦の時間を共にしてきた後、子育てや仕事に邁進してきた時期を過ぎた40代以降に多くみられます。 人生も半ば、少し落ち着いて今後のことを考えるに当たり「もう自分の好きにしたい」「好きなことや趣味に没頭したい」という気持ちから関係性を見直していくに当たっての1つの選択肢です。 別居と同居の形があり、別居の場合は、夫婦のどちらかが、親の介護などを理由に自分の実家に戻る、もしくは、独身の子どもが家を出るタイミングでどちらかの親と一緒に暮らすというパターンがあります。経済的なことを考えると、この2つが最も実現しやすい別居のカタチです。 また、住居費が安い地方にどちらかが移住するというケースもみられます。バブル時代に一世を風靡した地方の観光地などには、格安で購入できるリゾートマンションや別荘などがあり、若いころ憧れていた土地に移り住む方も増えているようです。 いずれにしても、2重生活になるわけですから、ある程度の経済的な後ろ盾が必要になります。お互いが収入を得ていることなどが条件にもなるでしょう。別居の場合は、定期的に会う場合もあれば、盆暮れや親や子どものイベントで会うなど、生活スタイルに合わせて適宜交流をされているようです。 一方、同居の場合は、家事など生活の基本に関して互いに依存せず、自分のことは自分でするというスタイルです。共用スペースのあるシェアハウス的な生活をイメージしていただけるとよいかもしれません。それぞれに違う趣味や活動を持ち、干渉し合わないというカタチです。 夫婦というより、友人関係に近いのかもしれません』、私の友人たちのなかには、親の介護のため親の家に夫だけが同居するケースや、冬以外は清里の別荘に夫だけが過ごすケースなどがあり、既にかなり広がっているようだ。
・『「愛情=面倒を見ること」ではない  「夫婦の愛情とは何か」と問えば、壮大な議論になってしまいそうですが、愛情=面倒を見ること(見てもらうこと)ではありません。実は、この「愛情」と表現される感情の裏には、攻撃性が潜んでいることがしばしばみられます。 お互いを必要な人と認識し、頼る、相談するなどの関わりを持つことは大切ですが、相手への依存が強くなればなるほど、相手に対しての攻撃性を持つようになります。依存度が高い相手に攻撃性が高くなるのは、誰よりも自分の理解者であるべき相手に対して、自分と相手の境界線があいまいになり、相手を自分の思いどおりにコントロールできないことに憤りを感じるようになるからです。 過度な依存は、相手を支配下に置き、相手を尊重せずに自分の価値観を押し付ける暴力行為でもあります。  抵抗なく1人で決められますか?  +服装・髪型 +友人(人付き合い) +整理整頓(持ち物) +趣味 +仕事 以上の項目について、脅しと感じる言動、支配される感覚、たびたび不愉快に感じることがあれば、愛情というよりも支配に傾いているといえます。 多くのことに口出しをされる環境にいると、1人で決断するのを恐れるようになってしまいます。 さらに「お前に任せてはおけないから」などと理由をつけて、ことごとく夫が口うるさく言うのは、自分がふがいないせいだと思い込む妻も多く、暴力的な支配に気づいていないこともあります。また、「GPS妻」とも表現される、夫を徹底的に管理する妻に抵抗できない夫もいます。 支配的なパートナーのよく使う言葉には 「あなたのやることを見ているとハラハラ(イライラ)する」「普通(常識)は、○○だ!」「世間の人は、そう思う」といった、相手にケチをつける基準が非常にあいまいな傾向があります。 また意見すると、激しい怒り、もしくは泣き落としと脅しを繰り返すといった特徴もみられます。さらには、ダブルバインドと呼ばれる2重拘束を押し付けてくることもあります』、こんな束縛をするのは論外で、長年連れ添っているうちに、相互にほどよい距離の取り方が身についてくるケースが多いのではなかろうか。
・『「外へ出なさい。でも無駄使いはダメ」  「好きにしていい。でも家事には手を抜くな」「仕事を持ちなさい。でも職場仲間と夜遅くまで飲みに行くなんてもってのほか」 依存に屈せず適切な距離感を築くためには… このようなパートナーとの葛藤を軽減するためには、依存に屈しないことが大切です。そのためには、 +パートナーに言わないことがあってもよい +パートナーのアドバイスをつねに求めない +自分の意思で行動を決めていく ことが大切です。そんなことをしても相手が変わらないと無理だ、私が我慢すればよいのだからと思っているなら、ご自身にも相手への依存があります。自分が関係性を変えようとしない限り何も変わりませんし、依存から抜け出せないのは、自分の責任でもあります。 自己主張と怒りは違いますし、考え方が違うのは裏切りではありません。 相手の感情に巻き込まれず、自分の信念を持ち、相手と適正な距離を保てる位置まで少しずつ、物理的、精神的に離れることが大切です。 卒婚を成功させるには、夫婦とはこうあるべきといった「べき論」を手放すことも必要です。そもそも夫婦は、1人の人間同士です。それぞれの思いがあり、価値観があり、考え方があります。お互いを認め合い、尊重することができれば、よりよい関係性を築いていくことができるでしょう。 自分の意思や気持ちを大切にし、相手も大切にするためには、関係性を変化させることを恐れず、心地のよい距離感を探っていくことが必要です。長い人生、快適なパートナーシップが育まれますように』、「卒婚を成功させるには、夫婦とはこうあるべきといった「べき論」を手放すことも必要です」、というのはその通りだろう。

第三に、ニッセイ基礎研究所生活研究部准主任研究員の天野 馨南子氏が8月4日付け東洋経済オンラインに寄稿した「生涯結婚しない「子ども部屋おじさん」が急増 日本が「存続の危機」にさらされている?」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/295065
・『最近「子ども部屋おじさん」という造語が、インターネットを中心に大きな話題を呼んでいます。「社会人になっても親元を離れず、実家の子ども部屋に住み続けている中年独身男性」の存在を揶揄(やゆ)するものです。 この「子ども部屋おじさん」の急増により、日本が存続の危機にさらされる可能性があることを、ご存じでしょうか? ニッセイ基礎研究所の天野馨南子氏の新著『データで読み解く「生涯独身」社会』を一部抜粋して解説します。 いま日本では「未婚化」がものすごいスピードで進んでいます。50歳の時点で一度も結婚経験がない人の割合を示す「生涯未婚率」の数字が激増しているのです。 2015年国勢調査の結果から、すでに日本人男性の4人に1人が「50歳時点で結婚の経験が一度もない」ということがわかりました。一方で、同条件下で結婚の経験がない女性は7人に1人と、その数字には男女で開きがあります。 ちなみに1990年の時点では男性の18人に1人、女性の23人に1人と、生涯未婚率に「男女格差」はほとんどありませんでした。 男女の生涯未婚率の「格差」はどのようにして生まれたのでしょうか?結婚しない男性が急増する理由とは何なのでしょうか?このまま「子ども部屋おじさん」が増え続けるとどうなるのでしょうか――?一つひとつ、見ていきたいと思います』、「子ども部屋おじさん」のタイトルに惹かれて紹介することにしたが、確かに困った現象だ。
・『結婚願望がないのか、かなわないのか  女性に比べ、男性の生涯未婚率は高くなっています。10年くらい前に「草食系男子」という言葉が流行したこともあり、結婚に興味を持たない「おひとりさま志向」の男性が増えているのでは?というイメージを持つ人も少なくないようです。 しかし、18~34歳までの若い男女に対して実施された、興味深い調査結果があります。「一生を通じて考えるならば、いつかは結婚したい」と思っている34歳までの若い男女は、2015年の時点で約9割。実は過去30年間にわたってこの割合は大きな変化がないまま推移しているのです。 この調査結果からは「結婚しない」のではなく「その希望がかなわない」人が増えている可能性があることがわかると思います。その原因として、「やはり長期不況のせいではないか?」と考える人も多いようです。 結婚・子育てにはとにかくお金がかかるイメージがあるようですが、実際のところはどうなのでしょうか』、結婚できない男性が増えている真の理由は知りたいところだ。
・『「お金がない」が原因ではなかった! 2014年に実施された、民間シンクタンクによる意識調査で「生涯未婚率はなぜ上昇していると思うか」という質問に対し、既婚者を含む男女ともにいちばん多かった回答は「雇用・労働環境(収入)がよくないから」というものでした。「お金がないから結婚できない」という認識はとても一般的なようです。 しかし、ここに興味深いデータがあります。「結婚生活に最低限必要な世帯年収」について、20~40代の未婚男女・既婚男女にそれぞれ質問した意識調査の回答結果です。いくつか注目すべきポイントはあるのですが、そのうちの1つを紹介しましょう。 必要と思う最低世帯年収に「400万円以上」を選んだ人は、未婚者では66.1%、既婚者では48.6%でした。「既婚の人よりも独身の人のほうが、結婚生活に求める世帯年収が高い人が多い」ということがわかると思います。 未婚男女は、実際に結婚している既婚男女よりも<結婚後に高い年収が必要>だと考えてプレッシャーを感じているのかもしれません。また、「男性が収入面で一家を支えなければならない」というのも、単なる<思い込み>によるプレッシャーである可能性が高いのです。 日本では共働き夫婦が増えています。厚生労働省の調査で、世帯主が29歳以下の子どもがいる世帯を見ると「平均有業人員」は1.43人となっています。わかりやすく言えば、夫婦のどちらか1人だけが働いているのではなく、もう1人くらいは稼ぎ手がいる家庭も少なくない、ということがわかるデータです。 つまり、男性の収入だけに頼って生活している家庭ばかりではない、ということです。専業主婦(夫)は少なくなりつつある、というイメージは世間的にも広がっているかもしれません。ちなみに、2017年の国民生活基礎調査でも18歳以下の子どもの7割、6歳以下の子どもの6割の母親が有業という結果です。 それでは、「結婚の希望がかなわない」人が「男性」に多いのはどうしてなのでしょうか。 いろいろな分析ができますが、ここではいくつかのポイントに焦点を絞りましょう。 1つ目に指摘しておきたいのは、男性のほうが「婚活」にあたって女性よりも悠長に構えていること。女性は男性と比較して早く行動しています。 2015年国勢調査結果を見ると、20代前半では約9割の女性が婚歴がない(以下、未婚と表記)のですが、20代後半ともなるとその未婚率は約6割、30代前半では約3割にまで縮小してしまうのです。その一方で、30代前半の男性の約半数が未婚のままなのです。 2つ目に指摘しておきたいのは、「年の差婚」の難易度の高さについてです。 「男性は妊娠・出産しないので、婚期が遅くなっても問題ないのでは?」と考えている人も少なくないのですが、実際に統計にもとづくリアルデータを見ると「夫が妻よりも7歳以上年上の初婚同士カップルの結婚」は全体の約1割。つまり、30後半の男性が20代の女性との結婚を望んだり、40代の男性が30代前半の女性を求めたりする場合には、この約1割という「希少枠」に切り込んでいくことになるのです。 もちろん、可能性はゼロではありませんが、相当なレアケースです。若い女性に執着し続けたまま男性が年齢を重ねてしまうほどに、成婚は発生確率的に至難の技となります』、「男性のほうが「婚活」にあたって女性よりも悠長に構えていること」、「「男性は妊娠・出産しないので、婚期が遅くなっても問題ないのでは?」と考えている人も少なくない」、いずれも男性が高を括っているためのようだ。
・『「モテ再婚男性」に女性が集中し、男性余りが発生!?  3つ目に挙げられるのは、いわゆるモテ男性による、<女性の独占>が起こっていることです。男女の未婚者数の格差は、一夫多妻制をとる国では当然のこと。1人の男性が何人もの妻を持つために「男性余り」が生じるのです。 当然ながら日本の法律では一夫多妻制は認められていません。しかし、時間をずらして、1人の男性が初婚女性と何回も結婚することはできます。つまり、女性から人気のある、「モテ再婚男性」が、初婚の女性と結婚を繰り返した結果、統計上男女の未婚者数の格差が生じているのです。 ここで、「子ども部屋おじさん」についても言及したいと思います。「子ども部屋おじさん」とはインターネット上のスラング(俗語)で、広義には「社会人になっても親元を離れず、学生時代と同じ子ども部屋に住み続けている未婚の中年男性」を指します。 「子ども部屋おばさん」だっているはずなのに、「子ども部屋おじさん」ばかりがクローズアップされるのは不公平だ、という意見もよく聞きます。そう言いたくなるのももっともだと思いますが、これまで見てきたように、未婚男性が未婚女性を数と割合で圧倒していますので、客観的に見て、世間で「子ども部屋おじさん」のほうが「子ども部屋おばさん」よりも目立つのは自然な流れなのかもしれません。 子どもが実家からなかなか独立しない(できない)大きな理由の1つとして、親子同居のメリットの大きさが挙げられます。例えば、子どもが社会人になってからも両親と共に3人で暮らしている場合、OECD(経済協力開発機構)の計算方法を用いると、一人暮らしをしたら100万円かかっていたコストが58万円程度で済むのです。 年金を受給している祖父母も加わって5人暮らしをしているともなれば、1人当たりのコストは45万円程度にまで下がります。一人暮らしに比べ、親との同居は圧倒的にコスパがいいのです。 経済的なメリットのほかにも、食事の支度や掃除、近所付き合いを親頼みにできることなど、子どもにとってさまざまな利点があります。しかしその一方で、「結婚しても家のことが何もできなさそう」というイメージが先行するようで、「実家住まい」の男女は婚活市場では人気がありません』、「女性から人気のある、「モテ再婚男性」が、初婚の女性と結婚を繰り返した結果、統計上男女の未婚者数の格差が生じているのです」、とは結婚にまで格差が押し寄せているらしい。「子ども部屋おじさん」の方が「圧倒的にコスパがいいのです」、というのはその通りなのだろう。
・『母親の歪んだ“息子愛”が元凶だった!?  また、2016年に実施された興味深いアンケート調査結果があります。母親と父親が、その息子・娘に対して<いつ頃までに結婚してほしいか>を尋ねたところ、父親から息子・娘への結婚希望時期は「20代後半まで」が1位、母親から娘への結婚希望時期も「20代後半まで」が1位であるのに対し、母親から息子への結婚希望時期だけは「30代前半まで」が約4割を占め、1位となっています。 しかし先ほども話しましたが、30代前半になるとすでに同年代では未婚女性が3割程度しか残っていません。では、若い女性と年の差婚をと考えても、初婚を目指す男性についての年の差婚の発生確率は厳しいのです。 「子ども部屋おじさん」を生み出す元凶の1つに、母親による「男の子の結婚は、女の子より遅くていいのよ」という意識があることを、指摘できるデータといえるかもしれません。 「最近の子は親に甘えて親から離れられない」という意見を持つ人もいるかもしれませんが、1つ強調しておきたいのは、子ども側の独立志向は以前に比べて高くなってきているということです。 あるアンケート調査結果では、「できるだけ早く独立したい」あるいは「親との同居は、自分に経済的自立ができるまで」と考えている若い未婚男性は合わせて7割近くもいることがわかりました。父親世代ではその割合が4割以下だったにもかかわらず、です。 日本は1995年以降、既婚者と未婚者を合わせた出生率の合計特殊出生率が1.5未満となる超少子化社会に突入し、すでに20年以上が経過しています。統計的に見ると、日本の既婚夫婦が持つ最終的な子どもの数は長期的にはあまり変化がなく、2人程度で推移しています。 また、婚外子(結婚している夫婦以外のカップルに生まれる子ども)の割合は極めて小さい国なので、統計上有効な少子化対策としては、夫婦の間に生まれる子どもの数を増やそうとする従来の「子育て支援策」よりも、急増する「未婚化対策」により真剣に取り組む必要があるのです。 政策としての未婚化対策がよい結果を出せなければ、日本はこのまま民族絶滅の危機、すなわち<絶滅指定危惧種>に指定され続けます。すでに中国やアメリカの知識層からは「(民族絶滅により)日本の文化が消えてなくなるのは残念だ」といった声までも上がっています。 データからは「子ども部屋おじさん」が急増する背景には「わが子かわいさ」のあまり、いつまでも息子との同居を許してしまう母親と、そんな妻(子ども)のありように無関心な夫、という日本の夫婦の姿が見え隠れします。しかし年齢差を考えれば、親が子どもの「生涯の伴侶」になることはできないのです。また、子どもは親のペットではありません。 この日本で、先進国のなかでは異例の割合で子どもを「子ども部屋」に囲い続け、親離れさせないのはいったい誰なのか――。私たちは考える必要があるのではないでしょうか』、「「子ども部屋おじさん」が急増する背景には「わが子かわいさ」のあまり、いつまでも息子との同居を許してしまう母親と、そんな妻(子ども)のありように無関心な夫、という日本の夫婦の姿が見え隠れします」、というのは嘆かわしい事態だ。 
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メディア(その17)(小田嶋氏:結婚発表会に思う「飼い犬」としての資質) [メディア]

メディアについては、6月29日に取上げた。今日は、(その17)(小田嶋氏:結婚発表会に思う「飼い犬」としての資質)である。

コラムニストの小田嶋 隆氏が本日付け日経ビジネスオンラインに寄稿した「結婚発表会に思う「飼い犬」としての資質」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00116/00034/?P=1
・『夏休み中の読者も多いと思うので、あまりむずかしくない話題を取り上げることにしよう。 ……と、自分でこう書いてしまってからあらためて思うのが、こういう書き方は読者をバカにしている。大変によろしくない。 「こんな時期だからこのテの話題でお茶をにごしておこう」「こういう媒体だから、この程度の解説で十分だろう」「この感じの読者層だと、どうせこれ以上の説明はかえって混乱を招くことになるかな」という上から目線の先読みから書き始められるテキストは、多くの場合、ろくな結果を生まない。 新聞社からの原稿依頼では、こういうことがよく起こる。 「こういうこと」というのはつまり、「読者の読解力の限界をあらかじめ想定して、その範囲内におさまる原稿を要求される」みたいなことだ。 初稿を送ると、「14行目の『晦渋』(注)という言葉なんですが、別の用語に言い換えることは可能でしょうか?」という電話がかかってきたりする。 「あれ? 晦渋だったですか?」というジョークはとりあえずスルーされる。 「……いや、ほとんどの読者はそのまま読解してくれると思うのですが、なにぶん、新聞は中学生からお年寄りまで大変に読者層の幅広い媒体ですので」「……そうですか。では、『晦渋を極めた』のところは単に『むずかしかった』に差し替えてください」「ありがとうございます」という感じのやりとりを通じて、文章のカドが取れることになる。 より幅広い読者層にとって理解しやすい書き方に改められたわけなのだから、基本的には悪いことではないと思うのだが、書き手としては、角を矯められた犀が、豚に一歩近づいたみたいな気持ちになる。 個人的な経験の範囲では、これまで、新聞の編集部とのやりとりの中で、政治的に偏向した見解や、差別的な言い回しを指摘されたり、それらを理由に記事の改変を要求されたりしたことはない。 その種のあからさまな「検閲」は、いまのところまだ、わが国の活字メディアには及んでいないのだろう。 ただし、「難解な表現を平易に」「錯綜した論理展開をシンプルに」「重複した言い方をすっきりと」という感じで、表現を改めるべくやんわりと示唆される機会は、実は、珍しくない。 これは、私の文体が、不必要にくだくだしかったり、同義語を執拗に羅列する悪い癖を含んでいたりして、それらが、平明かつ論理的であることを至上とする新聞の標準とは相容れないからなのだろう。 その点は、自覚している。 ただ、くどい表現をすっきりさせると、文章から「行間」や「余韻」が消えてしまうことが、ないわけでもないわけで、それゆえ、私は、書き直しを要求される度に、微妙に不機嫌になる』、「書き手としては、角を矯められた犀が、豚に一歩近づいたみたいな気持ちになる」、やはりコラムニストには文章へのこだわりが強いようだ。
(注)晦渋(カイジュウ):言葉や文章がむずかしく意味がわかりにくいこと(コトバンク)
・『「その日、私は、7月の歌舞伎町の必ずしも清潔一辺倒とはいえない埃っぽい風を疲れた顔の全面に受けながら、職安通りを東に向かって歩いていた」 「それ、単に『風』じゃダメですか?」「っていうか、風自体不要だと思います」「『私は職安通りを歩いていた』で十分ですね」「主語も削った方が引き締まりますね」 この話をこれ以上深めるのは悪趣味かもしれないので、やめておく。 話を元に戻す。 メディアによる検閲は、いまのところ、「思想」や「表現」そのものには及んでいない。 ただ、「難解な用語」を平易な言葉に書き改めたり、「重複表現」を圧縮整理せんとしたりする標準活動は、商業メディアの中では、常に堂々と正面突破で敢行されている。 で、私が言いたいのは、そういう「わかりやすさのための改変」を続けているうちに、いつしか大切なものを見失ってしまうケースがあるのではなかろうか、ということだ。 そんなわけなので、今回は、「わかりやすさ」にばかり心を砕くようになっているうちの国のメディアが見失っているかもしれないあれこれについて書くことにする。 わかりにくい話になるはずだが、全員にわかってもらおうとは思っていない。 わからない人には永遠にわからない。 原稿を書く人間は、読解力の低い人間に安易に歩み寄ってはいけない。 テレビでは、もっと露骨に視聴者を舐めた編集が敢行される。 制作側の自覚としては、「より広い視聴者層の理解をうながすべく」番組を制作しているということなのだろうが、見せられる側からすると、 「ほらよ。こういうのが好きなんだろ?」「どうだ? おまえたちの大好物だぞ」てな調子で、餌を投げつけられている気分になる。 たとえばの話、つい20年ほど前までは、局アナによる荘重なナレーションを背景に粛々と進行するのが当たり前だった紀行ものや大自然関連の番組が、昨今では、施設のご老人に小腰をかがめて話しかける介護士さんみたいな口調のアイドル・タレントによるリポートで騒がしく進行されるようになっている。それゆえ、私は、国産のその種の番組はもう10年以上見ていない。 そんなこんなで、もののわかった視聴者は、テレビから離れる。 これは、テレビ全体の視聴時間が減るというだけの話ではない。 より以上に、テレビの前に座っている人間の品質が低下することを意味している。 これは、当然だが、悪循環をもたらす。 「情報弱者向けに平易な番組を制作する」→「志の高い視聴者が去って、視聴者の平均値が低下する」→「さらに理解力の低い視聴者のためにさらに俗に砕いた番組を送出する」というふうにして、いつしかテレビの前の半径数メートルほどの空間は、ほかに時間のつぶしようを持っていない哀れな人々のための吹き溜まりみたいな場所になる。 8月7日の午後3時過ぎ、自民党の小泉進次郎衆議院議員と、フリーアナウンサーの滝川クリステルさんが結婚報告をしたというニュースが流れてきた。第一報は、もっと早かったのかもしれない。いくつかの記事を読むと、民放各局のワイドショー番組は、2時過ぎから構成台本を差し替えて、このニュースのための特別編成を組んだようだ』、「テレビ」の近年のお笑いタレントブームは眼を覆いたくなるほどだ。吉本興行は今でこそ、叩かれてお粗末さを暴露しているが、まさに「愚民政策」の先兵といえる。
・『私自身は、テレビは見ていない。 ツイッター上に流れてきたいくつかの感想ツイートで概要を把握しただけだ。 そんな中で、私は、山崎雅弘さんによる、以下のツイートをリツイート(RT)した。 《私もNHKが午後3時のニュースのトップでこれを大々的に扱っているの見て異様だと思ったが、集められた記者たちは、ただの一議員の私的な結婚発表会がなぜ「首相官邸」という公的な場で行われ、なぜ「首相や官房長官からお祝いの言葉をもらった」等のコメントを自分が報じるのか、意味を考えないのか。》 すると、その私のRTに対して、「どうして素直に祝福できないのか」という主旨のリプライが続々と寄せられてきた。そこで私は、《NHKが3時のニュースのトップに政治家とタレントの結婚を持ってきたことに苦言を呈したRTに対して「どうして素直に祝福できないのか」と言ってくる人たちがわらわらと集まってきている。祝福するとかしないとかの問題ではない。公共放送が報道枠で伝えるべき情報のバランスの問題だ。午後7:21-2019年8月7日》《そもそも、結婚発表の記者会見に官邸が使われていること自体、公私のバランスを見失っている。でもって、その結婚発表の情報を公共放送がニュース速報で伝えている。どうかしていると思わないほうがどうかしていると思う。午後7:23-2019年8月7日》 という2つのツイートを連投した。 思うにこれは公共放送の編集権をどう考えるかだけの問題ではない。 そして、このニュースが、このタイミングで、こんな形で提供されたことは、単なる偶然ではない。 なによりもまず、閣僚でも党の主要な役職者でもない一人の国会議員の結婚報告が、官邸という場所を使って発表されていることそのものが、果てしなく異例だ。 これについては、異例というよりは「異様」という言葉を使うべきなのかもしれない。 とにかく、異様な事態だった。 時事通信が配信した「会見詳報」によれば、小泉氏は、記者の「なぜこのタイミングか」という質問に対して 《─略─ あとはやはり、きのうの8月6日の広島原爆の日、そして9日には長崎の追悼の日が来るから、そこにこのような私事を発表する日が当たってしまうとか、何か報道が当たってしまうっていうのは、それは避けなくてはいけないなと。 そういったことを考えた時に、突然のことだが、きょうだなと。午前中に長官にお電話をして、本当にきょうのきょうで大変申し訳ないんですけど、お時間ありませんかということで(時間を)いただいた次第だ。 ─略─ 》と答えている。 私は、このやりとりをそのまま鵜呑みにすることができない。 当たり前だ』、確かに、「官邸」での「結婚報告」は「果てしなく異例だ」。政治部記者たちは、「小泉氏」はこれで次期安倍内閣への入閣を確実にしたとも解説している。
・『というのも、首相にしても官房長官にしても、彼らが分刻みのスケジュールで動いている極めて多忙な人々であることは、別に政治通やジャーナリストでなくても、当たり前な大人であれば誰でも知っていることだからだ。 にもかかわらず、小泉氏は、「午前中に長官にお電話をして、本当にきょうのきょうで大変申し訳ないんですけど、お時間ありませんかということで(時間を)いただいた次第だ」てな調子のたわけたエピソードを開陳している。 当日の朝に電話して官房長官のアポイントメントが取れたというお話だけでも驚天動地なのに、さらに同じ日に首相への面会を実現し、加えて、折よく官邸に集まっていた記者クラブの記者たちを相手に、官邸の場を借りて即席の会見を開いたんですボク、などというおとぎ話みたいな偶然を、いったい誰が信じると言うのだろうか。 私には無理だ。カニとじゃんけんをしてパーを出して負けたという感じの話の方がまだ信じられる。 率直に申し上げて、前々から、民放のワイドショーの時間を狙って、周到に発表の機会をうかがっていたのでなければ、こんな会見を仕組むことは不可能だと思う。 私は、「仕込み」がいけないとか「用意周到な政治的プロパガンダだからけしからん」とか、そういうことを言おうとしているのではない。 小泉氏にしてみれば、ほかならぬ自分自身の結婚にまつわる経緯を、写真週刊誌あたりに嗅ぎつけられて、あれこれほじくり返されるのは不愉快であるはずだし、そうそういつまでも隠しておける話でもない以上、どこかのタイミングで、自分の口から報告せねばならない。だとしたら、あえて発表の機会を「捏造」して一芝居たくらんだこと自体は、極めて理にかなった行動だと思う。 今回のこのタイミングでの発表は、舞台装置の作り方が若干白々しかったことを除けば、話の持ち出し方としてはおおむね見事だったと思う。 私が問題にしているのは、だから、小泉氏の側の態度や言動や白々しさやいけ図々しさではない。 小泉氏は、ご自身が置かれている状況の中で、自分にできる範囲のことをやってみせただけのことだ。 私が昨日来、絶望的な違和感に身悶えしているのは、官邸と小泉新夫妻の合作による、この陳腐極まりないおめでたセレモニー演出に、誰一人ツッコむ記者がいなかった残念な事実に対してだ。 つまり、官邸に詰めかけた記者が、投げかけるべき質問をせず、また、結婚のニュースを伝えるテレビ番組の制作者やスタジオの出演者たちが、誰一人として批評的な立場からの言葉を発しなかったなりゆきをかみしめながら、私は、うちの国の政治報道と芸能報道が、すでに死滅していることにあらためて呆然としている次第なのだ。 「今回の、ご結婚の発表に官邸を選ばれたのは本当に偶然なのですか?」「……確認いたしますが、小泉さんは、今朝電話をして、その電話で首相と官房長官とのアポイントメントを取ったと、本当にそのようにご主張なさるわけですね?」「いち国会議員が、自身の結婚というプライベートな事情を発表するにあたって、首相官邸を使うことに、ご自身の中で抵抗というのか気後れのようなものは感じていらっしゃるのでしょうか」「総理に報告するためのアポを取った時期は、実際のところ、いつの時点だったのか」「この記者会見のタイミングと場所と内容は、いつ、誰によって、どんな目的で、企画・立案され、どんな手順を経て実行に移されたのか。もしくは、これらは、すべてあなた自身のアタマの中から生まれたことであるのか」と、誰か一人でもいい、テレビのこっち側にいる普通の日本人の誰もが不思議に思っているその質問を、国民になり代わってぶつけてくれる記者がいれば、私の気持ちは、ずいぶん違っていたと思う』、「うちの国の政治報道と芸能報道が、すでに死滅していることにあらためて呆然としている次第」、というのは全く同感だ。
・『ところが、官邸に集まった記者は、揃いも揃ってガキの使い以下の木偶の坊だった。 なんと残念なメディア状況ではないか。 官邸に飼われている番記者は、こんなにもあからさまに飼い犬化するものなのだろうか。 それとも、これは、あらかじめ良き飼い犬としての資質を万全に備えた者でないと、番記者のポジションに就くことができないという順序で進行しているお話なのだろうか。 私も、番記者の諸君と同じで、気温が35度を超えると、知能の働きが3割ほど低下する。 小泉氏がそのタイミングを狙ってこの度のイベントを仕掛けてきたのだとしたら、この勝負は私たちの負けだ。 冒頭で申し上げたように、私たちはメディアに舐められている。 そして、メディアは政治家に舐められていて、政治家は選挙を舐めている。 官邸の犬たちには、自分の傷跡ばかり舐めていないで、ぜひ、飼い主のアキレス腱を噛んでみろと言っておきたい。 きみたちにそれができるか? 「can」 ん?』、官邸記者クラブの一員で菅官房長官から睨まれている硬骨の東京新聞望月記者は、きっとこんな馬鹿馬鹿しい会見などはスルーしたのだろう。それにしても、呆れ果てるような報道ぶりだった。
タグ:メディア 日経ビジネスオンライン 小泉進次郎衆議院議員 小田嶋 隆 (その17)(小田嶋氏:結婚発表会に思う「飼い犬」としての資質) 「結婚発表会に思う「飼い犬」としての資質」 「わかりやすさ」にばかり心を砕くようになっているうちの国のメディアが見失っているかもしれないあれこれについて書くことにする 「情報弱者向けに平易な番組を制作する」→「志の高い視聴者が去って、視聴者の平均値が低下する」→「さらに理解力の低い視聴者のためにさらに俗に砕いた番組を送出する」というふうにして、いつしかテレビの前の半径数メートルほどの空間は、ほかに時間のつぶしようを持っていない哀れな人々のための吹き溜まりみたいな場所になる 滝川クリステルさんが結婚報告 NHKが午後3時のニュースのトップでこれを大々的に扱っているの見て異様だと思った 結婚発表の記者会見に官邸が使われていること自体、公私のバランスを見失っている その結婚発表の情報を公共放送がニュース速報で伝えている。どうかしていると思わないほうがどうかしていると思う 当日の朝に電話して官房長官のアポイントメントが取れたというお話だけでも驚天動地なのに、さらに同じ日に首相への面会を実現し、加えて、折よく官邸に集まっていた記者クラブの記者たちを相手に、官邸の場を借りて即席の会見を開いたんですボク、などというおとぎ話みたいな偶然を、いったい誰が信じると言うのだろうか 私が昨日来、絶望的な違和感に身悶えしているのは、官邸と小泉新夫妻の合作による、この陳腐極まりないおめでたセレモニー演出に、誰一人ツッコむ記者がいなかった残念な事実に対してだ 誰か一人でもいい、テレビのこっち側にいる普通の日本人の誰もが不思議に思っているその質問を、国民になり代わってぶつけてくれる記者がいれば、私の気持ちは、ずいぶん違っていたと思う 官邸に集まった記者は、揃いも揃ってガキの使い以下の木偶の坊だった 私たちはメディアに舐められている。 そして、メディアは政治家に舐められていて、政治家は選挙を舐めている 官邸の犬たちには、自分の傷跡ばかり舐めていないで、ぜひ、飼い主のアキレス腱を噛んでみろと言っておきたい
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GAFA(その2)(「GAFAの分割案」は資本主義では当然の結論だ NHK「異色経済ドキュメント」が斬るIT4強、「GAFA」に吸い上げられる日本のマネーは何兆円くらいか 「デジタル経済の嘘とホント」(6)、「努力義務違反の可能性」 グーグルの対応 国が指摘) [産業動向]

GAFAについては、昨年11月8日に取上げた。久しぶりの今日は、(その2)(「GAFAの分割案」は資本主義では当然の結論だ NHK「異色経済ドキュメント」が斬るIT4強、「GAFA」に吸い上げられる日本のマネーは何兆円くらいか 「デジタル経済の嘘とホント」(6)、「努力義務違反の可能性」 グーグルの対応 国が指摘)である。なお、タイトルから「プラットフォーマー」はカットした。

先ずは、ニューヨーク大学スターン経営大学院教授のスコット・ギャロウェイ氏が1月3日付け東洋経済オンラインに寄稿した「「GAFAの分割案」は資本主義では当然の結論だ NHK「異色経済ドキュメント」が斬るIT4強」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/254834
・『1月3日夜9時より放送されるNHK-BS1スペシャル「欲望の資本主義2019~偽りの個人主義を越えて~」。資本主義の行きつく先はどこなのか?2017年から続く、大反響の異色経済ドキュメントの第3弾だ(当日は午前10時から2017年版、正午から2018年版も放送される予定)。 今回は、国民国家、すべてを超越して巨大化するGAFA、従来の市場原理を超えて席巻する仮想通貨などを題材に、歴史を彩った思想家ハイエクらの言葉を拠りどころにして、「自由」の形と資本主義社会の行く末を真正面から問う。 22カ国で刊行し日本で12万部のベストセラーとなった『the four GAFA 四騎士が創り変えた世界』の著者で、番組内でも取材されているニューヨーク大学スターン経営大学院教授、スコット・ギャロウェイ氏へのインタビューをお届けする』、「欲望の資本主義2019」はみごたえのある番組だったが、「ギャロウェイ氏へのインタビュー」とは興味深そうだ(Qは聞き手の質問)。
・『GAFAは「神、愛、消費、セックス」  『the four GAFA 四騎士が創り変えた世界』(東洋経済新報社刊)を著したスコット・ギャロウェイ教授は、絶好調なパフォーマンスを見せるGAFAの株を持ち、ニューヨーク・マンハッタンの高級住宅エリアに住み、いちばん稼ぎがいい企業に就職したい野心的な学生を名門校で教え導く。 学生の多くは、アマゾン、フェイスブック、グーグルといった誰もが夢見るテクノロジーの「巨人」に就職する。『GAFA』は、そんな教授が、4強の知られざる本質について分析し、世界に対して警告を発した書だ。 教授は、同著で4強のGAFAをこう例えた。 ヨハネの黙示録の四騎士。地上の4分の1を支配し、剣、飢饉、悪疫、獣によって「地上の人間を殺す権威」を与えられている。 Q:4強は恐ろしい「権威」だとするが、現代の人々の目にはどう映っているのか。 ギャロウェイ:グーグルは、私たちの神です。あなたが結婚しようとしているのか、離婚しようとしているのか、何を悩んでいるのかを、グーグルは知っています。 フェイスブックは、愛です。人間は種として、愛されることを必要としているばかりでなく、フェイスブックは、最も大切な、あるいは2番目に大切な人間関係の触媒となり、人間関係を強化するのです。心であり、愛です。 人間はつねに「もっと」と求めるものです。ウォルマートもユニクロもそこそこその欲求を満たしてくれますが、最も満たしてくれるのに長けているのは、アマゾンです。 最後にアップルです。人間は、交尾の相手にとって魅力的に見えなくてはなりません。自分が交尾に値すると見せると同時に、「私は都会に住んでいて、お金もあるし、話もうまいし、才能もある」というのを伝える最も簡単な方法は、iOSを搭載したものを持っているということです。 グーグル、フェイスブック、アマゾン、アップルはすなわち、神、愛、消費、そしてセックスです』、なかなかユニークな比喩だ。
・『資本主義の大原則「独占企業は分割せよ」  Q:しかし、これら4強には、別の顔もある。グーグルは、検索の93%のシェアを独占し、フェイスブックは民主主義を危うくするほどの影響力があり、『the four GAFA』によれば、ジェフ・ベゾス最高経営責任者(CEO)が率いるアマゾンは、州の売上税を免れてきたと指摘している。 ギャロウェイ:4強が、何の抑制と均衡(チェック&バランス)も利かないままに、影響力を強め、巨大になってきたというのは事実で、それは、深刻な病です。 私は、4強を分割する必要があると考えます。資本主義のカギは競争であり、競争のカギは、いかなる企業も過剰なパワーを持たないということです。現在は、検索、ソーシャルメディア、eコマースの分野で1社しかない、つまり基本的に寡占の状況にあります。それを改善するのは、規制でも処罰でもなく、独禁法違反で分割することだと思います。 アメリカには、企業分割の歴史があります。1980年代には、Ma Bellと呼ばれ、長距離電話市場の80%を独占していたAT&Tを8つに分割し、それによって光ファイバー、携帯電話、データサービスといったイノベーションを開放しました。これらのイノベーションはそれまで、電話という独占ビジネスを食わないように(AT&T傘下の)ベル研究所に眠っていたのです。 フェイスブックは、広告やコンテンツを監視することを怠っていますが、もしフェイスブック、WhatsApp、メッセンジャー、インスタグラムの4社に分割されれば、そのうち1社が他社に差をつけるために、「好ましくないコンテンツが一切ないように努力しよう。悪役が、私たちのプラットフォームを武器として使うことがないようにしよう」と思うはずです。同様に、グーグルとYouTubeは分離できます。究極の解決策は、競争であり、資本主義なのです。 Q:資本主義とそのカギである競争が、4強を肥大化することを止め、現在の寡占状態を改善するというギャロウェイ教授。それでは、資本主義は、私たちに何をもたらしてきたのだろう。そして、資本主義経済の中に生きる私たちにとって、何が大切なことなのだろうか。 ギャロウェイ:資本主義経済においては、裕福であるほど、よいヘルスケアが受けられ、ストレスも軽減され、寿命が延びます。選ぶパートナーの幅も広がりますし、よりよい教育を受けられれば、子どもが成功する確率も上がります。より裕福になろうというプレッシャーはつねにありますが、そうした努力は、すばらしいことです。 要は、長期的な将来に対する投資をしているか、いい学校があるか、不幸な人々へのセーフティネットはあるか、ということです。 アップルは宗教のようであり、創業者のスティーブ・ジョブズはイエス・キリストのように思われていますが、私は、人となりではなく、富で判断するのは、大きな間違いだと思います。私には2人の息子がいますが、自分たちが学んできた価値を子どもに教えていくのが、両親の責任だと思っています。 Q:一方で、GAFAという4強の寡占状態が形成された中、資本主義の性質が変貌してしまったことも指摘する。 ギャロウェイ:資本主義にはネガティブな面もありますが、私たちが今向かっているのは独裁主義のようなものです。一握りの人々と企業が強大な権威を持った場合、それは真の資本主義とは言えません。寛容な精神、市民としての責任が伴って実現され、政府も企業が信頼できる、平等な条件で競争していることを確実なものにしたときこそ、資本主義はベストのシステムだと言えるのです。 Q:資本主義を変貌させてしまった4強に囲まれた生活に慣れ親しんでいる若者が、今後幸せを手に入れることは、とても困難なことのように捉えられる。しかし、ギャロウェイ教授は、本質的なものは変わらないと訴える。「幸福とは愛だ」と。 ギャロウェイ:若い人が一生懸命働き、自分と家族のためにある程度の経済的安定を築くこと、そして、夫婦が安全で経済的に安定した家族を築くのは、もちろん大切です。 でも、お金は手段であり、これで十分だということはないのです。それを理解したとき、満足と幸福を得られるのは結局、深く、意味がある人間関係が果たす役割なのです。両親、子ども、友人、同僚といかに親しく意味がある関係を築いているかが肝心です。ハーバード大の「成人発達研究」は、75年にわたり700人を追跡調査した大規模なものですが、その結果は、「幸福というのは、愛だ」、それ以外にはない、というものでした』、「独占企業は分割せよ」との主張には諸手を上げて賛成だ。
・『ギャロウェイ教授から日本へのメッセージ  Qこのような中、日本は、国としてどんなことに気を配ったらいいのだろうか。4強が肥大化する中、その富が、アメリカのように大学や医療機関などに還元されていることもない。 ギャロウェイ:日本の選挙で選ばれた政治家など公職にある人たちは、この問いかけをしなくてはなりません。つまり、大手のテクノロジー企業は、日本社会にいい影響をもたらしているか?という問いです。日本の企業が適正な競争をするチャンスがあるか、ということを確認しなくてはなりません。 自由社会であるアメリカや日本で選挙をする際、選ばれた人物は、有権者の意思を代表しています。企業というのは、わずかな数の株主の意思だけを反映しています。企業が独占を享受し、経済を左右しすぎると、つねに危険な状態となります。なぜなら、彼らは政府をも左右するようになり、政府も健全な国家について長期的視点で考えることをやめてしまうからです。「権力の腐敗」はこうして起きます。経済の多くの部分が、つねに少ない役者の手に落ちた場合にこうしたよくない状況に陥ります。 悪いことに、収入格差というのは、3つの方法で修正されていきます。飢饉、戦争、そして革命です。それらは避けなければなりません。ただ、アメリカでは、緩慢なスピードで革命が起きていると思います。一握りの人に富が集中し、そこに入ることができない人々が、怒りのあまり初めて声を上げて、独裁者のような人物を指導者に選出しました。私は、アメリカは革命を始めてしまったと考えています』、「アメリカは革命を始めてしまった」というのは、トランプ現象の面白い解釈だ。

次に、経済産業研究所/日本生産性本部 上席研究員の岩本晃一氏が5月7日付けダイヤモンド・オンラインに寄稿した「「GAFA」に吸い上げられる日本のマネーは何兆円くらいか 「デジタル経済の嘘とホント」(6)」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/200925
・『日本では、Uberなどのライドシェアは「白タク」だとして許可されていないため、欧米のように低賃金・不安定労働を強いられている運転手や、Uberに仕事を奪われたタクシー運転手の抗議デモを見ることはない。 だが、多くの人々は意識していないかもしれないが、日本でも膨大なマネーとデータがGAFAなどプラットフォーマーに吸い取られている』、興味深い試算だ。
・『家計消費で急増した「通信費」 GAFAに流れる  日本では、1995年が「インターネット元年」とされる。 それ以前の93年から2017年までの24年間の家計の支出(名目)の推移を、総務省家計調査でみると、この一端が見える(図1)。 24年の間に、総支出は14.87%縮小しており、食料、被服履物、教養娯楽などの支出は減って切り詰められているが、保険医療費と通信費(機器を含む)は増加している。 中でも増え方が突出しているのが、「通信費」だ。この通信費の一部は米国のGAFAなどに流れていると考えられる。 日本の消費者がパソコンを購入すると、そのパソコンの外国製の部分(CPU、液晶、半導体など)の代金が海外に流れていく。 スマートフォンを購入した場合でも、その一部代金を通信費に上乗せしている場合も含めて、支払いの一部が海外に流れていく。 グーグルの最大の収入源は、Gmailだろう。 最近の若者が使用するフリーメールのほとんどはGmailといっても過言ではない。若者の間では、「ググる」という言葉がはやるほど、ネット検索はグーグルが使われる。 そのため、グーグルの検索画面から入力できるGmailは、若者にとって最も使いやすいフリーメールである。Gmailのなかに、企業からの広告が届く。これがグーグルの大きな収入源となっている。 また、ツイッターは、他人のツイートをフォローして見ていると、企業からの広告が届く。これもまたツイッター社にとって大きな収入源である。 アマゾンは、書籍、洋服など物資の購入、ネット映画、クラウドサービスなど、多種多様な商品サービスを提供している。そこには必ずといっていいほど企業広告が入っている。 同社の収入源は、販売している商品・サービスの料金の一部と、企業からの広告費だろう。 またパソコンやスマートフォンで使用されているソフト、すなわちウィンドウズ、ワード、パワーポイント、エクセル、そしてウイルス対策ソフトなどがインストールされれば、その使用料が海外に流れている。 またiPhoneの部品を、数多くの日本メーカーが供給しており、その代金は日本に入るが、iPhoneのもうけの過半はこうしたソフトが占めており、日本から吸い上げられるお金の方が多いと考えられる。 吸いあげられるのはマネーだけではない。ネットを使うたびに、その個人の嗜好がわかる「個人情報」が米国本社に流れている。 フェイスブックやツイッターでは、個人が書き込みをするたびに、その人の嗜好に関する情報が米国本社に流れ、またフェイスブックやツイッターの社内では、書き込まれた言葉を収集し分析することで、社会の将来動向を予測し、ビジネスにつなげる研究も行われていると聞く』、確かに、流出ルートは様々のようだ。
・『個人で年間に2.1兆円 日本全体で3.3兆円が流出?  日本からどれぐらいのマネーが「GAFA」などに流れているのか。 全体像をつかむのは難しいが、1世帯当たり年平均1ヵ月間の通信費1万3271円(2017年)のうち控えめに見て、一体、どのくらいが海外に流出しているとみればいいだろうか。 1ヵ月平均の通信費(含む、情報機器購入代を含む)のうち、平均的な家庭では、約4分の3が、国内通信事業者(NTTドコモ、KDDI、ソフトバンク)への支払いであり、残り約4分の1が海外に流出していると大雑把な「仮定」をしてもいいのではないだろうか。 すると、 総流出金額=13,271円×12月×1/4×5245万世帯=1年間当たり2.1兆円、となる。 以上は個人が払う金額だけだが、これに各企業・機関が支払う通信費のうち海外に流出する金額を大まかに試算すると以下のようになる。 電子情報技術産業協会の統計によれば、2018年度のパソコンの出荷金額合計は7031億円である。このうち、企業購入分は、少なくとも個人購入分より多いと思われる。 その支払い代金のうち半分以上は海外に流れていると考えられるが、少なく見積もって約3分の1の2000億円が海外流出と考える。 また最近、企業の広告宣伝は、インターネットの普及により、リスティング広告やバナー広告、楽天やアマゾンなどのオンラインマーケットへの出店、検索エンジン上位表示対策、などが有効な手法になっている。 リスティング広告とは、ユーザーが検索するキーワードに連動して表示される広告のことで、ユーザーの関心が高いタイミングで広告を表示させることができる。 リスティング広告の代表的なものとしてはグーグル広告がある。 近年では、旧来媒体よりもインターネットの広告媒体に広告宣伝費をかける割合が高くなっていて、売り上げへの貢献度も高まっているため、ますますインターネットへの広告宣伝費が増えている。 電通によれば、2018年の企業が支出した日本の総広告費は6兆5300億円であり、うちインターネット広告費が1兆7589億円である。 この中には楽天など国内ネット事業者への広告もあるが、いまやネットは外国事業者のほうが優勢だから、このうちの半分以上の約1兆円以上が海外に流れていると考えられる。 こうして考えると、企業からの海外への流出分は、約1兆2000億円となる。 個人と企業分の双方を合計して約3.3兆円程度、おおざっぱにみて約3兆円程度が海外流出分と考えられる。 日本からだけでも、これだけの巨額のマネーを吸い取っているのだから、GAFAが世界中の市場からいかに多くのマネーを吸い取っているか、想像されよう』、「海外流出分」が「個人と企業分の双方を合計して約3.3兆円程度」とは意外に少ない印象を受けた。
・『国内の消費が弱い一因 マクロ経済にも影を落とす  エコノミストの間では、日本の景気がかつてのように盛り上がらない大きな要因として、GDPの約6割を占める個人消費の停滞が長引いていることをあげる人が多い。 「戦後最長」とされる現在の景気拡大も、高成長時代の拡大局面と比べてGDPの伸び率ははるかに低く、好景気といってもとても「弱い好景気」だ。 毎月勤労統計の賃金の伸びがほんの少し下振れしたくらいで、アベノミクスは失敗という声が出てくるくらい、「弱い好景気」なのだ。 筆者は、日本の個人消費が盛り上がらない要因の1つには、家計消費支出で唯一といってもいい高い伸びを示す通信費の一部が、海外に吸いあげられていることがあると考えている。 通信費として使われたお金が、国内の企業の所得になり、さらにそれが投資や消費として国内で使われることが少ないからだ。 日銀がゼロ金利でマネーを市中に大量に供給して、国内の投資や消費を盛り上げようとしているが、企業が国内よりは海外での投資をするように、通信費の一部が米国のGAFAに吸い取られ、日本の経済成長に寄与していないのだ。 GAFAなどのプラットフォーマーと呼ばれる企業に対しては、独占禁止法で規制しようという取り組みが始まっている。 不当にデータを囲い込んだり収集したりする行為や、国内で支配的地位を乱用し、取引相手に自らに有利な条件を押し付けたり、反競争的な行為をしたりしているのでは、という問題意識だ。 またプラットフォーマーの寡占が進む中で、反競争的な行為が技術革新を阻害していたり、日本の企業がGAFAなどの「下請け」化したりして、このままでは日本のイノベーションが衰退するという危機感も強まっている』、「GAFAなどのプラットフォーマーと呼ばれる企業に対しては、独占禁止法で規制しようという取り組みが始まっている」、というのは遅きに失した感があるが、どこまで踏み込んでやるのか、お手並み拝見だ。
・『デジタル革命が生む新たな格差構造  確かにこうした問題への取り組みは重要だと思うが、筆者が考えるプラットフォーマーが生み出す最も深刻な社会問題は、プラットフォーマーが不安定な低賃金労働力を生み出し、またプラットフォーマーに多額のマネーが吸い上げられて、マクロ経済にも影響を及ぼし始めていることだ。 あたかも、産業革命の時代にマルクスが見た「資本家(ブルジョアジー)が労働者(プロレタリアート)を搾取する」格差構造が、デジタル革命の時代に生まれようとしているのだ』、その通りで、放置すれば、資本主義の危機をもたらす懸念もあるだろう。

第三に、7月12日付け日経ビジネスオンライン「「努力義務違反の可能性」、グーグルの対応、国が指摘」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/gen/19/00052/061900004/?P=1
・『個人情報開示請求の対象とした7社の中で、ダントツのデータ量を開示したのがグーグルだ。ネット動画300時間分を優に超える87ギガバイトもの記者の個人データを保有していた。この分量を開示できることは、同社が優れたデータ管理システムを構築していることを意味する。 しかし、データの中身はネットテレビの起動時刻など利用目的が想像しにくいものも多く、グーグル側に正式に問い合わせる窓口もない。個人情報保護委員会は日経ビジネスの取材に対し、グーグルの対応を「法の努力義務に反している可能性がある」と指摘。しかし、グーグルが改善に動く様子は確認できない。 その姿勢は、今回対象になった7社全てに見られた様々な問題の背景に共通するものではないだろうか。「Android TV Launcher」  この英語が何を意味するか想像がつくだろうか。2018年4月、グーグルから開示された個人データの中に含まれていた項目の1つだ。 第3回で説明した通り、筆者はアップルのハードユーザーである。通信端末は同社のものばかりだ。グーグルのOSであるAndroidを利用したことが果たしてあったか、すぐには思い至らなかった』、グーグルが「87ギガバイトもの記者の個人データを保有」、とは膨大さに驚かされた。
・『ネットテレビの起動時刻と一致  思い悩んでいると、「Android TV Launcher」に並んで、「Hulu」という項目があったのを見てはたと気付く。記者はネット動画サービスの「Hulu」に加入し、自宅のネットテレビで利用している。「Android TV Launcher」が意味するのは、テレビに組み込まれているネットワーク機能の起動時刻ではないか。思い起こしてみれば、テレビでグーグルアカウントを同期させた記憶がある。 そこで、ネットテレビの起動を何度か繰り返し、その時刻をメモした上で、再度グーグルから個人データをダウンロードすると、時間が確かに一致した。 テレビのプライバシーポリシーには、グーグルに関する記載は見当たらない。一方、グーグルのプライバシーポリシーには、同社のサービスを利用した際に「リクエストの日時」を収集すると書いてある。 なぜこのようなデータまで収集するのか。データ収集の目的について、グーグルはプライバシーポリシーにサービスの提供・維持・向上・開発、広告の提供、利用状況の測定、ユーザー保護などと列挙しているが、テレビの起動時刻がこの内のどれに当たるのかは結局のところ分からない』、仕事とはいえ、読んでも分かり難い「プライバシーポリシー」を、よくぞ読んだものだ。
・『写真データでわかるアップルとの違い  グーグルが開示したデータは、テレビの起動時刻を含め、87ギガバイトにも及んだ。今回調査した対象の中でもダントツのデータ量だ。 その大半を占めるのが、グーグルのクラウドサービス上に保存していた写真だ。一方、連載3回目で解説したように、アップルはクラウドサービス上の写真データを個人情報とひも付けていない。両社の個人データへの姿勢の違いがここに大きく出ている。 グーグルのウェブブラウザー「クローム」での閲覧履歴、傘下のユーチューブでの閲覧履歴、カレンダーサービスの記述内容、クラウドサービス内の保存ファイル。挙げてもキリがないぐらい様々な項目が含まれていた。 ただし、データ量が多いことで、同社が悪質だというわけではもちろんない。むしろ、ここまでのデータ量を統一的に管理できているその体制は、これまで解説してきたほかの対象企業に比べ優れているといえる』、グーグルのクラウドサービスにはセンシティブな個人情報が多く、万が一、流出した場合のリスクも大きそうだ。
・『質問窓口がない  問題は、開示された個人データに関して疑問を抱いた時、解決の手法が限られていることだ。プライバシーポリシーには、「Android TV Launcher」が何を意味するのかという個別具体的な記載はなかった。この項目がテレビの起動時刻であることを記者が解明した後も「テレビの起動時刻を何に使っているのか」という疑問を解決できなかった。この情報をグーグルに提供しないよう選択する機能は用意されているが、その機能を使うかを判断するために、まずは用途の詳細を知りたい。 こうした疑問が生じた時に質問を投げかける窓口がグーグルにはなかった。あるのはグーグルがユーザーの意見を集めるための「フィードバック送信」の機能、そして、ユーザー同士が疑問に答え合う「フォーラム」だ。 データの詳細や利用方法についてどう疑問を解決すればいいか、フィードバックに送っても返答はない。フォーラムで尋ねると「グーグル本社に聞くしかないのではないか」。しかし、グーグルの拠点紹介ページには本社の電話番号が記載されていなかった。 今度は取材として広報担当者に尋ねてみた。問い合わせ窓口がなぜないのか。回答は「ユーザーはグーグルとシェアしている情報を『アカウント情報』という機能で管理できます」だった。 そもそもダウンロードできるデータは、グーグルが保有している個人情報の全てなのかも同時に尋ねたが、上記の機能で「どんなデータがグーグルアカウントに保存されるか設定、変更ができます」という回答だった。いずれも質問をはぐらかされているとしか思えなかった。 問い合わせ窓口がないことについて、昨秋、個人情報保護委員会の其田真理事務局長へのインタビューで見解を求めると、厳しい指摘が返ってきた。「個人情報保護法第35条の努力義務に反している可能性がある」。同法35条は、企業に対し、個人情報に関する「苦情の適切かつ迅速な処理」、そのために「必要な体制の整備」を努力義務としている。 グーグルの広報担当者に再度尋ねてみた。「個人情報保護委員会からも問題視するコメントが寄せられたが、今のままの回答で問題はないか」と。 答えは変わらなかった。「すでに何度もご返信差し上げている通り、ユーザーが情報を管理する『アカウント情報』を提供しております」 記者が尋ねているのは管理の方法ではない。管理をするために必要な知識を得るための質問の方法だ。実質的な回答拒否ではないかと尋ねると、「回答拒否もしていませんし、すべて誠実にお答えしています。回答があった事実については間違いのないようにお願い致します」と返ってきた』、「質問窓口がない」のはグーグルだけではなく、多くに共通する。「個人情報保護法第35条の努力義務に反している可能性」を指摘されても、努力義務違反程度では、動じない高圧的姿勢には改めて驚かされた。
・『グーグルのプライバシーポリシーは「よくできている」  広報の言葉に従って、グーグルアカウントの機能を色々と試してみたが、質問の答えを見つけることはできなかった。記者の理解力不足が原因かもしれない。結局、グーグルの対応に誠実さがあるかは読者の判断に委ねるほかない。ただ、記者から1つ疑問を呈したい。グーグルの体制は「ユーザー保護」を志していたとしても、少なくとも「ユーザー起点」ではないのではないか。 プラットフォーマー各社はユーザー重視を掲げてはいる。しかし、その施策は「ユーザー起点」ではなく「コンプライアンス起点」のように思えるのだ。つまり、「ユーザーがプライバシー保護体制を充実していると感じるか」を基準としておらず、「プライバシー上の違法行為を犯しているとみなされないか」という考え方に基づいて、施策が組み立てられているのではないだろうか。 分かりやすい例を1つあげよう。グーグルからダウンロードした個人データのファイルをダブルクリックすると、下の写真のように文字化けして表示されてしまった。 これはアップルが提供するウェブブラウザー「サファリ」でファイルを開いたことが一因のようだ。グーグルのブラウザ「クローム」で開くと正常に表示された。 文字化けの解決方法を記者はたまたま思いつくことができた。思いつかない人に対して、質問窓口がなければグーグルはどう対応するのだろうか。 ユーザーにとって不親切な仕組みだ。 「グーグルはプライバシー専門の技術開発者も抱えていて、プライバシーポリシーもよく作り込まれている」(個人情報に詳しいあるコンサルタント)と評価する声もある。しかし、記者にはこのコンサルを含め、プラットフォーマーを巡る業界全体がユーザー起点を見失っているとしか思えない。複雑な個人情報の保護法制に対応することだけにリソースを割いているのではないか』、「複雑な個人情報の保護法制に対応することだけにリソースを割いている」、というのには違和感がある。
・『家族にも「ポリシーを読みなさい」と言える?  グーグルだけが問題なわけではない。フェイスブックとアップルは英語で質問に回答した。アマゾンは記者のパソコンで開けないファイル形式でデータを送ってきた。楽天、LINE、ヤフーは開示を拒んだ。いずれもユーザー側に一定の知識がなければ、解決しない問題ばかりだ。 プラットフォーマーのユーザーは年齢も国籍も職業も関係なく、遍く広がっている。そのユーザー達に何らかの知識を前提としてサービスを提供することは、「ユーザー起点」とはとても言えないだろう。 ユーザー起点を追求するのはコストがかかる。ユーザー起点の保護体制の整備よりも、ユーザーがより利便性を感じる新サービスの開発を追求するのも1つの企業判断かもしれない。 しかし、各国の公的機関も明確に法律だけ守っていればいいという各社の態度を問題視するようになっている。個人情報保護委員会の其田事務局長がインタビューで踏み込んだ発言をしたのはその象徴と言える。個人情報保護の法制度がとりわけ厳しいEUでは、フランスの個人情報保護機関が1月、プライバシーポリシーがわかりにくいというあやふやな理由でグーグルに制裁金の命令を下している。 プラットフォーマーの従業員全てに問いたい。あなたの父母に、祖父母に、あるいは子供に、ITの知識を満足に待たないまま、あなたの会社のサービスを使っている人はいるはずだ。もし彼らから個人情報について質問を受けた時、「プライバシーポリシーを読め」と答えるだろうか。今、あなたの会社はそんな不親切な対応を顧客にしているかもしれない』、日本もフランスに習って厳しい対応をしてほしいものだ。
タグ:東洋経済オンライン 日経ビジネスオンライン ダイヤモンド・オンライン GAFA 岩本晃一 (その2)(「GAFAの分割案」は資本主義では当然の結論だ NHK「異色経済ドキュメント」が斬るIT4強、「GAFA」に吸い上げられる日本のマネーは何兆円くらいか 「デジタル経済の嘘とホント」(6)、「努力義務違反の可能性」 グーグルの対応 国が指摘) スコット・ギャロウェイ 「「GAFAの分割案」は資本主義では当然の結論だ NHK「異色経済ドキュメント」が斬るIT4強」 NHK-BS1スペシャル「欲望の資本主義2019~偽りの個人主義を越えて~」 GAFAは「神、愛、消費、セックス」 資本主義の大原則「独占企業は分割せよ」 ギャロウェイ教授から日本へのメッセージ 「「GAFA」に吸い上げられる日本のマネーは何兆円くらいか 「デジタル経済の嘘とホント」(6)」 家計消費で急増した「通信費」 GAFAに流れる 個人で年間に2.1兆円 日本全体で3.3兆円が流出? 国内の消費が弱い一因 マクロ経済にも影を落とす デジタル革命が生む新たな格差構造 「「努力義務違反の可能性」、グーグルの対応、国が指摘」 個人情報開示請求 写真データでわかるアップルとの違い 質問窓口がない 家族にも「ポリシーを読みなさい」と言える? 個人情報保護の法制度がとりわけ厳しいEUでは、フランスの個人情報保護機関が1月、プライバシーポリシーがわかりにくいというあやふやな理由でグーグルに制裁金の命令を下している
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日韓慰安婦問題(その4)(「あいちトリエンナーレ2019」問題:津田大介氏一問一答「希望になると考えたが劇薬だった」、炎上すべくして大炎上「あいちトリエンナーレ」 京アニ「誤解」につながる少女像展示はポストトゥルース政治、「表現の不自由展」中止で謝るのは津田大介じゃない! 圧力をかけ攻撃を煽った菅官房長官と河村たかし市長だ、八代弁護士 河村たかし 松井一郎が“慰安婦問題はデマ”とネトウヨ並みフェイク! あらためて中曽根証言など日本軍関与の証拠を見ろ) [外交]

日韓慰安婦問題については、昨年10月6日に取上げたままだった。久しぶりの今日は、(その4)(「あいちトリエンナーレ2019」問題:津田大介氏一問一答「希望になると考えたが劇薬だった」、炎上すべくして大炎上「あいちトリエンナーレ」 京アニ「誤解」につながる少女像展示はポストトゥルース政治、「表現の不自由展」中止で謝るのは津田大介じゃない! 圧力をかけ攻撃を煽った菅官房長官と河村たかし市長だ、八代弁護士 河村たかし 松井一郎が“慰安婦問題はデマ”とネトウヨ並みフェイク! あらためて中曽根証言など日本軍関与の証拠を見ろ)である。

先ずは、8月3日付け朝日新聞「津田大介氏一問一答「希望になると考えたが劇薬だった」」を紹介しよう(Qは聞き手の質問、Aは津田氏の回答)。
https://www.asahi.com/articles/ASM8362Q8M83OIPE024.html
・『「あいちトリエンナーレ2019」の芸術監督を務める津田大介氏の記者会見の主な内容は次の通り。 「このような形で展示を断念するのは断腸の思い。楽しみにしていただいた方に申し訳なく思う」 Q:中止は想定内だったのか。 A:「大過なく(会期の)75日間を終えることが目標だったのは変わらない。抗議が殺到する、脅迫がくるのもすべて想定していて、現実のリスクが大きいものが出てきたら中止せざるをえないと思っていた」 Q:河村たかし名古屋市長や菅義偉官房長官の発言は影響したのか。 A:「一切関係ない。そういう状況がある中でこそ生きてくる企画だと思っていた。安全管理上の問題が大きくなったのがほぼ唯一の理由。想定以上のことが、とりわけ電話で行われた。回線がパンクし、受付の人も抗議に対応することになった。対策はあったかもしれないが、抗議の過熱がそれを超えていった。想定が甘かったという批判は甘んじて受けなければならない」 Q:「表現の自由の現在地を確認する」と言ったが、今回の件を受けてどう考えるか。 A:「公立の美術館や行政の文化事業でも、細かく内容を確認することはすべきでない。一方、何かのタブーに触れるものがあった場合、SNSを使った圧力やスクラムが出てきている。民間企業や個人なら着信拒否などもできるが、公的機関では対応しなくてはいけない。その対応と表現の自由がぶつかっているのが、現状だと考えている」 Q:公立の機関での企画が萎縮する可能性がある。 A:「物議を醸す企画を公立の部門でやることに意味があると考えた。成功すれば企画に悩む人の希望になれると考えたが、劇薬だった。トリエンナーレに入れることが適切だったかは考えなければいけないと思っている」』、「河村たかし名古屋市長や菅義偉官房長官の発言」が影響したわけではなく、「安全管理上の問題が大きくなったのがほぼ唯一の理由。想定以上のことが、とりわけ電話で行われた。回線がパンクし、受付の人も抗議に対応することになった」、としているが、芸術監督としてはいささか頼りない発言だ。

次に、作曲家=指揮者 ベルリン・ラオムムジーク・コレギウム芸術監督で東大准教授の伊東 乾氏が8月5日付けJBPressに寄稿した「炎上すべくして大炎上「あいちトリエンナーレ」 京アニ「誤解」につながる少女像展示はポストトゥルース政治」を紹介しよう。
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/57221
・『8月2日、政府は、輸出手続き簡略化の優遇措置を受けられる、いわゆる「ホワイト国」から、大韓民国を外す閣議決定を下しました。 これを受け大韓民国側も、日本をホワイト国から外すという対抗措置を取る旨の声明が洪楠基 経済副首相兼企画財政部長官から出されました。その同じタイミングで、名古屋市の河村たかし市長が「あいちトリエンナーレ」会場を視察。 その一部である「企画展:表現の不自由展 その後」に展示されている「平和の少女像」を即刻、撤去するよう、大村秀章・愛知県知事に申し入れるとの報道がありました。 そして、入稿後の8月3日、早々に「企画展の中止」が発表されました。校正に補足を記していますが、ただただ呆れ返っています。 信念をもってキュレートしているのなら、いささかなりとも変更を強いられた時点で、芸術監督は潔く辞任するのが筋と思います。 8月1日からスタートしたばかりのトリエンナーレですが、開催期間はずっと前から決まっていたこと。 それとこの国際的な政治状況とは偶然の一致という側面もあったにせよ、あまりにタイミングが悪いというより、大変な「下手」を打っているとしか職業芸術人の観点からは言いようがありません。これは「ダメ」です。 関連の事柄に、様々な論考が出されると思いますが、芸術屋の一人の見方として、この事態の何がダメなのか、平易にまた明解に記してみたいと思います』、伊東氏から芸術屋の一人の見方を知れるとは、興味深そうだ。
・『アマチュアのガバナンス「あいちトリエンナーレ2019」  本稿は、騒ぎが起き始めた直後にベルリンで執筆しているものです。8月2日、「あいちトリエンナーレ」の芸術監督を務めているジャーナリストの芸術監督が記者会見し、「展示の変更も検討している」と述べていると報じられ、あっけにとられました。 開幕2日目、本来なら10月までのロングラン展示であるべきところ、「テロ予告」とも取れる脅迫や抗議が来ているとのことですが、「展示の変更も検討」とは、よくまあ芸術監督を称する者が言ったものだと呆れました。 どこかの芸能事務所の「芸人ファースト」ではないわけです。少なくとも職業芸術人のアーティストなのですから・・・。 芸術監督として本当にプロフェッショナルの責任感をもって仕事をする立場のものであれば自分が責任をもって展示した、しかも海外アーティストの作品について、いきなり「変更も検討」なんて腰抜けなことは、絶対に言えませんし言いません。素人が、間違った椅子に座っていると思いました。 私は、緊迫する日韓関係のさなかにあって、この展示を今のまま継続するのが得策だとは考えません。 しかし、芸術監督として責任をもってくみ上げたラインナップであるのなら、「撤回は認められない。きちんと作品を見てほしい」といった腰だめが、少なくとも1回はあってしかるべきと思います。 脅されたらすぐにしっぽを巻く程度の覚悟で、こういう作品や作家を招聘していたのでしょうか。 もし、展示の中止や撤去などがあるなら「その折は、自分が責任を取る」と、最初に、後始末をつけた暁には、辞任の方向を明示したうえで、「芸人ファースト」ならぬ「芸術家ファースト」「作品ファースト」に、懸命の努力を尽くすのが、いやしくも芸術監督という存在でしょう。 地味なたたき上げの職人芸術人として、ジャーナリストや批評家が予算に権限を持つことに対して30年来、常に警鐘を鳴らし続けていますが、その最たることになっているように思います。 最低限の基本的な覚悟もなしに、作品やそのラインナップをもって世界に価値を問うというキュレーションの王道が全うできるわけがありません。 やるなら腹を切る覚悟、すでに脇差を一本突き立てたうえで、社会の理解を一度は求めるのが、その責にあうるものの基本的な所作にほかなりません。ガバナンスのアマチュアを見るように思います。 このように記した直後に、8月3日の「中止」の記者会見がありました。驚いたのは、その会見の中で「監督としての責任を持って、最後まで運営に邁進」と、芸術監督の立場を保全する内容に言及していることでした。 会見では「リスクの想定、必要な対応は識者にも話を聞いてきたが、想定を超える事態が起こったことを謝罪する。僕の責任であります」と述べており、この規模の国際展で充分なリスク想定ができない、つまりその任でないことを認めている。 自分の責任だと言っているのだから、辞して当然と思います。実際、このような形で「芸術監督」がいてもいなくても、リスク対策はプロが粛々と進めるでしょう。 本件が外交問題などに発展した場合、躊躇なく責任を取る必要が想定されることも付記しておきたいと思います』、(芸術監督を)「やるなら腹を切る覚悟、すでに脇差を一本突き立てたうえで、社会の理解を一度は求めるのが、その責にあうるものの基本的な所作にほかなりません。ガバナンスのアマチュアを見るように思います」、との手厳しい津田氏批判はその通りだ。
・『なっていないコンセプト「情の時代」  以上のような疑義を呈したうえで、いったいどういう「コンセプト」が、こういう朝令暮改を生むのか、資料を確認してみました。 2017年10月20日に発表されたリリース(https://aichitriennale.jp/news/2017/002033.html)には情の時代 Taming Y/Our Passionという「テーマ」と、それにまつわる「コンセプト」が記されていました。 「じょうの時代」と読むのか「なさけの時代」(ではないのでしょうが)なのか、何にしろ、その日本語の横には Taming Your/Our Passionという横文字がある。 Your(あなたの)と、Our(私たちの)という2つをスラッシュで重ねるあたり、目から鼻に抜ける評論秀才的な感覚を感じますが、Tamingは率直に感心しません。 Tameという動詞は「調教する」「飼いならす」といった意味合いとともに「従順にする」「無気力化する」「ふがいなくする」「精彩を欠かせる」「単調にする」といった家畜調教、奴隷化の語感が、少なくとも私には感じられます。 「コンセプト」はカナダの科学哲学者イアン・ハッキングの著書「The Taming of Chance『偶然を飼いならす――統計学と第2次科学革命』」からこの言葉を取ったとしていますが、chance(偶然)あるいは未知のリスクは統計学によって「従順にする」「単調にする」対象として自然に理解できますが、「私」や「あなた」の「感情」を目的語に取ることには違和感があります。 まあでも、どうせ日本社会は何かヨコモジになってればいいレベルだから、こんな程度かと思いますが、問題はそうしたコンセプト上の留保が一切感ぜられない「情の時代」というキャッチコピーの方でしょう。 「情の時代」の国際美術展は、その本番開始直後、露骨に嫌韓感「情」の直撃を受けて、皮肉にもトリエンナーレの大炎上そのものが「感情に支配され、理非の別がつかなくなっている時代」を、露骨に見せつけているように思います。 これは芸術のトリエンナーレ=3年周期で開かれる国際展で、過去があり、現在があり、未来につながるものとして、見識をもってグローバルに展開すべきものと思います。しかし、コンセプトは冒頭から 「『政治は可能性の芸術である』・・・ドイツを代表する政治家、ビスマルクの言葉だ。」と書き出されて、芸術=アートはメタファーにしかなっていません。あくまで力点は「政治」にあるようです。 というのも、すぐ続けて「・・・ゴルバチョフや丸山眞男など、後世の政治家や政治学者が積極的に引用し、政治というものの本質を一言で表現したものとして定着している。ビスマルクはその生涯において同様の発言を繰り返しており、『政治は科学(science)ではなく、術(art)である』という国会でのスピーチも記録に残っている」と、延々「政治」や「民意」に関する考察が記され、芸術は常に後回しになっている感が否めません。 また、あえてここで芸術教授屋的にアカデミックな注文をつけさせてもらうなら、ビスマルクを「ドイツを代表する政治家」と記すのはいただけません。 ビスマルクはプロイセン王国の宰相としてドイツ帝国という枠組みを作った張本人であると同時に、全欧州にドイツが安全な実行を約束したはずの「ベルリン労働者保護国際会議」への妨害工作など、主情的な根回しに終始したため、即位したての新皇帝ヴィルヘルムⅡ世の信頼を完全に失って失脚した、典型的な古いタイプのタヌキおやじとして知られます。 この原稿はベルリンで書いていますが、こちらの友人たちに尋ねてみると、ドイツ「政治家」の名としてビスマルクやヒトラーが挙がることは普通にはないそうです。 現代のコンセプト文案で「ドイツを代表する政治家というなら、ヴィリー・ブラントかヘルムート・コールの名が挙がるだろう、せめてかつてドイツ帝国を統治した政治家くらいにしておいたら」と返ってきました。 このコンセプト文案には、人々が「権力により、あるいはメディアにより、動物のように管理されている」との表現がありました。 直ちに想起したのは、京都アニメーション放火殺人事件後に発表された、同社OBのアニメーション監督、山本寛さんの見解です。 前回の原稿(https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/57195)にも記しましたが、山本さんは「狂気との共犯関係」といった独自の切り口で、出身母体である京都アニメーションへのあり得ない襲撃を解釈されていました。 さてしかし、放火犯が示したような激しい憎悪や敵意の感「情」に対して、「犯人が許せない」などといくら情で応じても、何一つ建設的な対案など出てこないことは明らかです。 ここで第一に必要なのは情ではなく、冷静な理非の別、あえて言えば「知」の領域であり、さらに言えば、再発防止といった確固たる目的に向かう強靭な「意志」が最も重要となります。 カント以来の古臭い超越論的認識の区分ではありますが、「情」に対して「情」で対抗しても、情動に溺れることにしかならず、血で血を洗ったバルカン半島的な泥沼に陥ることを歴史は雄弁に示していると思います。 翻って、あいちトリエンナーレの「コンセプト」は次のように記しています。 「2015年、内戦が続くシリアから大量に押し寄せる難民申請者を『感情』で拒否する動きが大きくなっていた欧州各国の世論を変えたのは、3歳のシリア難民の少年が溺死した姿を捉えた1枚の写真だった」「この写真をきっかけに、ドイツとフランスは連名で難民受け入れの新たな仕組みをEUに提案し、続いてイギリスもそれまでのの政策を転換して難民の受け入れを表明した」 しかし、それは表層に過ぎません。 例えばドイツに関して言えば、「Industry4.0」政策の推進と、OECD(経済協力開発機構)加盟国が軒並み直面する少子高齢化=労働人口不足の現実に対するしたたかな計算が背景にあり、将来不足する労働力人口を念頭に、計画的に移民を受け入れた「知」と「意」の背景がはっきり存在する。欧州事情を知るジャーナリストなら誰でも押さえている基本です。 また、大衆合意を取りつける一段階として浮上した、ギリシャのコス島を目指してトルコ沿岸を出発したゴムボートの転覆と、幼児を含む父親以外家族全員の溺死が「写真」というアイコンを通じて拡散、風向きが変わった経緯とは、一定の区別をもって冷静にとらえる必要があると思います。 さらに「コンセプト」は記します。 「いま人類が直面している問題の原因は『情』にあるが、それを打ち破ることができるのもまた『情』なのだ。われわれは、情によって情を飼いならす(tameする)技(art)を身につけなければならない。それこそが本来の『アート』ではなかったか」 これは全く間違った、アマチュアの見解と言わねばなりません。 情によって情を「飼いならす」のがartなどであった試しは、(どこかにマイナーな例外があれば、それは知りませんが)、洋の東西を問わず、圧倒的に多くの芸術の現場に存在しない概念、空想の産物と断じて構わないと思います。 ここで、遠近法などを中心とする古色蒼然たる泰西美術史、あるいは写真発明~印象派以降の芸術史から、戦後のモダンアートに至るまで、芸術をめぐる思想の歴史をひっくり返す必要はないでしょう。 こと音楽に関しては、さらに厳密かつ明確で、そこには方法に対するプロの冷徹があるばかりです。私など古い教育を受けた者は、主情的な感想など「素人のたわごと」としてローティーンの段階で全否定された経験があります。 抽象的な話は水かけ論になりかねません。ここでは「京都アニメーション放火殺人事件」という現実を眼前に問うことにします。あのような無根拠な憎悪の爆発に対して 「われわれは、情によって情を飼いならす(tameする)技(art)を身につけなければならない」といったスローガンが、いささかでも効力を発揮するでしょうか? 「それこそが本来の「アート」ではなかったか」 そんなものはどこにも存在しません。第2次世界大戦後、西欧の芸術思潮は、ホロコーストのような感情の爆発と取り返しのつかない現実を前に、全く異なるアプローチを取り、私もそこで30数年来仕事をしてきました。 この紙幅では踏み込みませんが、要するに「鑑賞者側に立った」アートへの誤解、ないし一面的なとらえ方に過ぎず、「情をもって情を征する」というのは、脳や認知の科学の観点からみても、やや分の悪い主張になってしまっています』、「「われわれは、情によって情を飼いならす(tameする)技(art)を身につけなければならない」といったスローガンが、いささかでも効力を発揮するでしょうか?」、どうも津田氏の考えは思いのほか浅いようだ。
・『「図式ありき」の下手な政治?  トルコ領のアナトリア半島から、すぐ沖に浮かぶギリシャ領のコス島に向けて、無茶なゴムボート渡航で難民が決死の亡命を計り、結果的に幼い命を含む多くの人命が失われた「出来事」がありました。 しかし、それがいったん「写真」として切り取られ、報道やSNSで拡散してしまうと、それは事実を離れた「アイコン」として政治化してしまう。 私たち芸術人が最も警戒する、内容の空疎化がここに見られる可能性があると思います。 「あいちトリエンナーレ2019」コンセプトは、まさにこの「ポストトゥルース」のアイコンを「アート」あるいは「作品」と勘違いする、ジャーナリスティックな誤解が、今回の問題を生み出した、真の原因と私は思います。 実際に展示された作品「平和の少女像」に関して、私はここで何一つ発言しません。それは芸術人として、見ていない作品を云々する愚を犯さないだけのことに過ぎません。 間違いなく言えることは、ここでの「キュレーション」は「平和の少女像」という作品ではなく「慰安婦」という政治的なアイコンを会場にちりばめることで「タブーに挑戦する」という、かなり動機の浅いジャーナリスティックな「政治」の「図式ありき」でしょう。 それが、こんなに大きな騒ぎになるとは事前に「想定」していなかった・・・器ではなかったと言うことだと思います。 これを2年ほど前から仕かけ、また周囲の状況変化などに細心の注意を払わず、結果的にアーティストとトリエンナーレそのものの品格を大いに落とす結果となった キュレータまがいの政治ジャーナリズム(pseudo - curating political journalism)の浅慮。 「浅い」というのは、公開2日目にしてすでに「対策を検討」といった発表があった時点で浅はかであるのは明らかで、なぜ2~3日前に、「もう少しきちんと分別のある対策が取れなかったのか」と、あらゆる常識人の大人に問われて当然と思います。 「胆力」がないのです。 8月3日に「中止」、まさに三日坊主で引っ込めたわけですが、これは国内の反響以上に、いま緊張関係を高めている日韓間の外交で、極めて良くないカードを一枚提供してしまっていることを、明記しておきましょう。 韓国政府から正規の抗議などが来た場合「芸術監督」には取るべき責任があります。 また、国内向けで考えるなら「表現の不自由展」というコンセプトからして、まさにその方向で「表現を自粛」したわけですから、全体主義体制下での美術展禁圧と同じことを結果的にしていることになる。 作品の是非といったことを問う以前、問題外の対応で、どこかの興業会社の社長会見を想起せざるを得ませんでした。 国際展というのは、そもそも、キュレーティング・アーティストというべき、器の大きな、ビジョンの遠大な人(々)の見識があって成立する性質のものです。 ジャーナリストを「芸術監督」に据えた時点で、この間違い、つまりポリティカルでジャーナリスティックなミスは決まっていたようなものです。 その背景には「話題を呼ぶ人選」で「動員数」を主な指標と考える、内容不在、芸術無関係なイベント・ガバナンスの空洞化を指摘するべきと思います。 津田さんに罪があるとは、あまり思っていません。芸術人としての経験を持っていないのだから、胆力など養う機会があるわけもないでしょう。 ただ、いやしくも「芸術監督」を名乗るのであったなら、外部からの批判に対して、いきなり「ひっこめる」と読めるような身の翻し方はすべきではなかったのではないかと思います。 芸術を生きている人間は、多くがそこで人生を懸け、命を懸けて、営々と頑張っています。 現状の展開は作品や作家に対してあまりに失礼であるし、無責任とみる人もいるでしょう。 もし芸術監督として「平和の少女像」を選んだのなら、それと運命を共にする覚悟があって、初めて芸術監督業の1の1であって、新聞記事のように簡単に差し替えが利くアイコンではないことを、畑は違いますが一人の作り手の立場から記したいと思います』、「ジャーナリストを「芸術監督」に据えた時点で、この間違い、つまりポリティカルでジャーナリスティックなミスは決まっていたようなものです」など、説得力溢れた批判は、大いに参考になった。

第三に、8月5日付けLITERA「「表現の不自由展」中止で謝るのは津田大介じゃない! 圧力をかけ攻撃を煽った菅官房長官と河村たかし市長だ」を紹介しよう。
https://lite-ra.com/2019/08/post-4884.html
・『最悪の事態だ。津田大介が芸術監督を務める「あいちトリエンナーレ」の企画展「表現の不自由展・その後」が開幕からわずか3日で中止に追い込まれてしまったのだ。 あいちトリエンナーレ実行委員会会長である大村秀章・愛知県知事の会見によれば、テロ予告や脅迫電話もあり「撤去をしなければガソリン携行缶を持ってお邪魔する」というファックスも送信されてきた。安全上の問題を理由に中止の判断をしたという。 これを受けて、芸術監督を務める津田大介も会見を開き、こう謝罪した。 「まずおわびしたいのは、参加した各作家の皆様。(開幕から)たった3日で展示断念となり、断腸の思い」「これは、この企画を75日間やり遂げることが最大の目的。断腸の思いだ。こういう形で中止、迷惑をかけたことも含めて申し訳なく、実行委員会や作家には、誠意をもっておわびをしたい」「参加作家の方に了承を得られているわけではない。このことも申し訳ない。円滑な運営が非常に困難な状況で、脅迫のメールなども含めて、やむを得ず決断した。そのことも、作家に連絡をしておわびをしたい」「電凸で文化事業を潰すことができてしまうという成功体験、悪しき事例を今回、作ってしまった。表現の自由が後退する事例を作ってしまったという責任は重く受け止めている」 一方、この突然の中止決定を受け、「表現の不自由展・その後」実行委員会(アライ=ヒロユキ、岩崎貞明、岡本有佳、小倉利丸、永田浩三)が3日夜に会見。中止決定が「一方的に通告されたもの」と明かしたうえで、こう強く抗議した。 「圧力によって人々の目の前から消された表現を集めて現代日本の表現の不自由状況を考えるという企画を、その主催者が自ら弾圧するということは、歴史的暴挙と言わざるを得ません。戦後日本最大の検閲事件となるでしょう。 私たちは、あくまで本展を会期末まで継続することを強く希望します。」(声明文より) 同展実行委員会の言う通りだろう。暴力によって表現の自由を踏みにじる言論テロは断じて許されないが、そのテロ行為から美術展を守るべき行政が簡単に中止要求を受け入れてしまったことは大きな問題だ。 津田氏の会見もああいう形で会見をする前に、やるべきことがあったはずだ。津田氏は会見で謝罪の言葉を何度も口にしていたが、そんな必要はまったくなく、むしろ、こうした圧力や攻撃、テロ予告に毅然と抗議し、「こうしたことが起きるからこそ、この表現の不自由展が必要なのだ」と、展示の続行を主張するべきだった。 それがいったいなぜ、こんなことになってしまったのか。全国紙の愛知県庁担当記者がこう解説する。 「津田氏の抜擢は大村知事の肝いりで、大村知事も企画の概要だけでなく、少女像の展示についても6月には認識していた。ところが、この事態で大村知事が一気に弱腰になり、中止を決断してしまった。後ろ盾である大村知事の決断で、津田氏も中止に応じるしかなかったのでしょう」 しかし、だとしても、一番の問題は大村知事や津田氏ではない。ネットでは、津田氏に対して「覚悟が足りない」などとしたり顔で批判する声が溢れているが、そもそも「ガソリンで火をつけられる覚悟や対策をしないと自由にものが言えない国」なんて、まともな民主主義国家ではないだろう。 今回の問題でもっとも批判されなければならないのは、卑劣なテロ予告者であり、検閲をちらつかせてそうした動きを煽った、政治家連中ではないのか。 「あいちトリエンナーレ」は、8月1日の開幕早々から、「慰安婦像」を展示しているなどとして、猛烈なバッシングと圧力にさらされていた。 2日にはネトウヨのみならず、菅義偉官房長官、柴山文科相、河村たかし名古屋市長、松井一郎大阪市長、和田政宗参院議員といった政治家たちが、展示を問題視するような発言を連発した』、「表現の不自由展」がこのような形で幕を閉じたというのは、世界的にみても日本の不自由さをPRしたことになる。
・『河村市長、菅官房長官の扇動、そしてテロ予告を放置した警察  とくに大きかったのが、河村市長が「展示を即刻中止するよう大村秀章・愛知県知事に申し入れる」と宣言したこと、そして菅官房長官が補助金をタテに「表現の不自由展」に介入することがさも当然であるかのような発言を行ったことだ。 詳しくは、前回の記事を参照してもらいたいが(https://lite-ra.com/2019/08/post-4880.html)、河村市長の申し入れは明らかに憲法違反の検閲行為であり、菅官房長官らがちらつかせた「国から補助金をもらっているのだから、こんな作品の展示は許されない」という論理は、まさに全体主義国家の考え方だ。芸術への助成は国からの施しでなく、表現の自由を保障するための権利であり、民主主義国家では、それが政府批判の表現であっても、助成金を交付すべきなのである。 カンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞した是枝裕和監督が同様の批判を受け、「補助金をもらって政府を批判するのは真っ当な態度なんだ、という欧州的な価値観を日本にも定着させたい」「公金を入れると公権力に従わねばならない、ということになったら文化は死にますよ」と真っ向反論していたが、その通りだろう。 いずれにしても、こうした権力者の介入により、表現の不自由展へのバッシングはさらに過熱。ネットでは職員の名前が晒され、テロ予告のファックスまでが送られてきた。 しかし、不可解なのがこのテロ予告への警察の対応だった。もし、テロ予告があったなら、警察が脅迫犯を逮捕するなり、警備で安全を確保するのが普通ではないか。 「ガソリン携行缶を持ってお邪魔する」との脅迫はFAXで送られてきたというが、警察の捜査能力をもってすれば、発信元を見つけ出すことは不可能ではないだろう。また、犯人を逮捕できなくとも、会場を厳重警備し安全を確保した上で、展示を再開することはできるはずだ。 しかし、今のところ、警察が動いた形跡はない。大村知事が会見で語ったところによると、「警察には被害届を出しましたが、(脅迫)FAXの送り先を確認できないかと尋ねましたら『それはできない』」と一蹴されたという。そして、逆に、夕方17時には「表現の不自由展・その後」企画そのものの中止が発表されてしまった。 警察がまともに捜査していないはおそらく、テロ予告の対象が、安倍政権のスタンスに反するものだったからだろう。日本の警察は、穏健な市民のデモを鎮圧し、コーヒの値段でカフェラテを飲んだコンビニの客を逮捕するが、安倍政権と思想を一にするテロ予告については、まともに捜査することさえしないのだ』、「日本の警察」の安倍政権の手先的役割が、露呈した形だ。
・『テロを非難しなかった安倍、菅、逆に主催者に謝罪を要求した河村  ここまでくれば、誰をもっとも責めるべきかがわかってもらえたはずだ。今回の「表現の不自由展」中止は、紛れもなく公権力の検閲行為の結果なのだ。テロ予告を誘発もしくは放置したという意味では、「官製テロ」と呼んでもいいだろう。 しかも、展示中止が発表された後も、政治家の対応はひどかった。民主主義の根幹である表現の自由を揺るがすテロ予告があったことが明らかになったわけだから、政府首脳が「断じてテロは許さない」「犯人逮捕に全力を尽くす」と宣言するのが普通の民主主義国家のはず。ところが、安倍首相からも菅官房長官からもそんな言葉は一切聞かれなかった。 さらに、河村名古屋市長にいたっては、「(平和の少女像設置は)『数十万人も強制的に収容した』という韓国側の主張を認めたことになる」「「事前に『出してはならん』とは言っておらず(検閲には)全く当たらない」などと無茶苦茶な論理を主張したあげく、「やめれば済む問題ではない」と、テロ予告者でなく「あいちトリエンナーレ」側に謝罪を要求する。 「河村市長はもともと、『南京事件はなかった』と発言するなど、露骨な歴史修正主義者であることに加え、大村知事とは非常に関係が悪化している。ここぞとばかりに、この問題を利用して攻撃しているんでしょう」(前出・愛知県庁担当記者) いずれにしても、この国の政治家連中は本音のところでは、反政府、反体制の表現、自分たちの気にくわない表現を「検閲で禁止すべき」「テロされても当然」と考えているのである。 しかも、恐ろしいのは、その政治家のグロテスクな本音が今回、おおっぴらにまかり通り、平和の少女像撤去、さらには「表現の不自由」展が中止に追い込まれたことだ。 「この事態こそが“表現の不自由”を象徴している」などとしたり顔で語る向きもあるが、そんなメタなポーズで済ませられる話ではない。これは日本の表現空間の自殺とも言えるもので、今後、日本の公共空間で政治的な主張を含む芸術作品、表現を展示・公開することはほとんど不可能になった、ということを意味している。 「表現の自由」が後退し、どんどん全体主義国家に近づいているいまの状況に、私たちはもっと危機感を共有すべきではないのか』、私は慰安婦像の展示そのものには賛成ではないが、このような形で展示が中止されることには絶対反対だ。「「表現の自由」が後退し、どんどん全体主義国家に近づいているいまの状況に、私たちはもっと危機感を共有すべきではないのか」、というのは諸手を上げて賛成だ。

第四に、8月6日付けLITERA「八代弁護士、河村たかし、松井一郎が“慰安婦問題はデマ”とネトウヨ並みフェイク! あらためて中曽根証言など日本軍関与の証拠を見ろ」を紹介しよう。
https://lite-ra.com/2019/08/post-4885.html
・『安倍政権による韓国への輸出規制と「ホワイト国」除外、あいちトリエンナーレでの「平和の少女像」などの展示中止……。国交正常化以来最悪と言われる日韓関係のなか、日本中がグロテスクな嫌韓ムードと歴史修正主義に染まっている。 それは安倍政権周りの政治家やネット、右派メディアだけではない。地上波のワイドショーでもネトウヨとなんら変わらないヘイトや歴史修正主義が堂々と語られるようになった。 5日放送の『ひるおび!』(TBS)でも、慰安婦問題など含む作品を展示した「表現の不自由展・その後」が中止に追い込まれた件をとりあげるなか、八代英輝弁護士がこんな発言をしていた。 「当然、この社会的風潮のなか、この慰安婦像。この慰安婦問題っていうものが史実に基づかないものであること。あるいはこの慰安婦像に対して嫌悪感、反感をもつ方っていうのは多くいるってことは、当然認識した上での展示ですから。ある程度の反感というのは想定されたんでしょうけど、それが、私は『想定を超えてしまった』って認識は甘いんでないかというふうに思うんですよね」 八代弁護士は「表現自体をさせないという風潮は危険だなと思う」などとエクスキューズをいれつつも、「私自身はこれ(少女像)を置いて、こんなものあってはならないと議論するということはアリだと思いますけどね」と続けるなど、嫌韓煽りを剥き出しにしていた。 さらには、落語家の立川志らくも、いつもの物知り顔でこうコメントした。 「結局、こういうことをやると、日本人の多くは不愉快に思って許さないという結果が出た。これを『平和の少女像』って言う人がいることが、私は不思議でしょうがない。平和の少女像って言うなら、日本人の誰もが見て、これは平和だなって思えるならいいんだけれども。そりゃ韓国の人はそうかもしれないけど、日本人にとっては多くの人が反日の像だと思ってるわけでしょ? 本来、芸術ならば、これを反日像だと思っている人が見ても、思わず感動して涙を流す、そういうものを私は展示してほしい」 本サイトでも解説した(https://lite-ra.com/2019/08/post-4880.html)ように、「平和の少女像」が「反日」だというのは完全にネトウヨの論理であり、歪曲した解釈だ。それを「みんなが思ってるんだから反日に決まってる」と言い張り、表現の自由を踏みにじる卑劣なテロ予告者ではなく、議論を換気しようとした展示や作品のほうを問題視する。その倒錯ぶりと付和雷同には、呆れ果てるしかない。 とくに聞き逃せないのは、八代弁護士が発した「慰安婦問題っていうものが史実に基づかないものである」とのセリフだろう。八代弁護士は、つい先日も朝日新聞を韓国の中央日報、ハンギョレ新聞と並べて「反日三羽ガラス」と揶揄するなど、テレビの全国放送ネトウヨぶりを全開していたが、今度は慰安婦それ自体がなかったかのような発言をしたのだ。 はっきり言っておくが、慰安婦の存在は捏造でもなんでもなく、歴史的な事実だ。弁護士の資格を持つ人間が、地上波の昼間の番組で、保守派の学者でさえ言わないような歴史修正主義丸出しのデマを口にしていいのか。 いや、八代弁護士だけではない。「平和の少女像」展示に圧力をかけ、「表現の不自由展」への攻撃を煽った河村たかし名古屋市長も、昨日の会見で「やっぱり慰安婦ってあったのかと、そういうふうに見られる」などと発言していた。つまり、河村市長も慰安婦は存在しないと信じ込んでいるのだ。 さらに、日本維新の会代表の松井一郎・大阪市長からはもっととんでもないデマ暴言が飛び出した。松井市長は5日会見で「事実ではない慰安婦の像」「日本人を蔑み貶める、誹謗中傷」「慰安婦問題というのは完全なデマ」「朝日新聞自体が誤報だと謝罪しているわけですから」「事実ではないデマの象徴の慰安婦像は行政が主催する展示会で展示するべきものではない」などと語り、慰安婦は完全なデマと言い放ったのである』、「朝日新聞」の報道がどうであれ、「慰安婦問題というのは完全なデマ」とまで言い切った松井一郎氏にはあきれてしまう。問題の根幹は、歴史問題がきちんと総括されずに、各陣営が都合良く解釈していることにありそうだ。
・『中曽根康弘元首相が海軍主計長時代に「土人女を集め慰安所を開設」の記録  こうした連中の妄言の根拠は、2014年、朝日新聞が慰安婦関連記事の虚偽を認め、訂正・謝罪したことだ。朝日が訂正したのは、とっくのとうに虚偽であることが分かっていた吉田清治証言に関するものだけだったが、当時、ネトウヨや極右メディアがこの謝罪を意図的に拡大解釈し、あたかも戦中に「慰安婦」自体の存在がなかったのようなデマを喧伝しまくった。意図的かどうかは知らないが、八代弁護士や河村市長らはこのネトウヨ歴史修正の詐術に丸乗っかりしているということだろう。 だとしたら、本サイトとしては何度でも、その欺瞞と詐術を明らかにしておく必要がある。戦中の日本軍が各地に慰安所をつくり、現地の女性たちや朝鮮半島の女性たちを慰安婦にして、兵士の性暴力の相手にさせられたのは客観的事実だからだ。 日本軍が侵略したアジアの各地に慰安所をつくったことは残された軍の記録や通達からも明らかであり、歴史学的にも議論の余地はない。軍が斡旋業者を使って騙して女性を連れ出した証拠や、現地の支配者や村長に命じて女性を差し出させた証拠もいくらでもある。そして、慰安所で現地の女性や朝鮮半島から連行した女性を軍が性的搾取したことは、多くの被害女性だけでなく、当時の現地関係者や元日本兵、元将校なども証言していることだ。 たとえば、海軍出身の中曽根康弘元首相は、回想記『終りなき海軍』のなかで、当時、設営部隊の主計長として赴任したインドネシアで〈原住民の女を襲う〉部下のために〈苦心して、慰安所をつくってやった〉ことを自慢話として書いている。この中曽根証言は、防衛省のシンクタンク・防衛研究所の戦史研究センターが所蔵している当時の文書「海軍航空基地第2設営班資料」において、〈気荒くなり日本人同志けんか等起る〉ようになったところで〈主計長の取計で土人女を集め慰安所を開設 気持の緩和に非常に効果ありたり〉と記されているように、歴史事実として裏付けされたものだ』、「朝日新聞が慰安婦関連記事の虚偽を認め、訂正・謝罪したことだ。朝日が訂正したのは、とっくのとうに虚偽であることが分かっていた吉田清治証言に関するものだけだったが、当時、ネトウヨや極右メディアがこの謝罪を意図的に拡大解釈し、あたかも戦中に「慰安婦」自体の存在がなかったのようなデマを喧伝しまくった」、というのは「拡大解釈」を通り越して、事実の歪曲といえよう。
・『産経の総帥も自著で軍時代の慰安所設立を自慢「女の耐久度とか消耗度も決めていた」  また、陸軍出身の鹿内信隆・元産経新聞社長は、桜田武・元日経連会長との対談集『いま明かす戦後秘史』(サンケイ出版)のなかで、慰安所と慰安婦が軍主導であった事実をあけすけに語っていた。 「(前略)軍隊でなけりゃありえないことだろうけど、戦地に行きますとピー屋(引用者註:慰安所のこと)が……」 「調弁する女の耐久度とか消耗度、それにどこの女がいいとか悪いとか、それからムシロをくぐってから出て来るまでの“持ち時間”が将校は何分、下士官は何分、兵は何分……といったことまで決めなければならない(笑)。料金にも等級をつける。こんなことを規定しているのが『ピー屋設置要綱』というんで、これも経理学校で教わった」 実際、靖国偕行文庫所蔵の『初級作戦給養百題』(1941年)という陸軍主計団記事発行部が発行した、いわば経理将校のための教科書の記述にも〈慰安所ノ設置〉が業務のひとつとされており、この鹿内証言も軍の資料と完全に一致する。 朝鮮半島の女性たちを慰安婦にした証拠も枚挙にいとまがない。 日本はアジア・太平洋戦争で東南アジア各国を侵略、傀儡政権を樹立したり、軍の統治下に置くなどの支配を進めていったが、たとえばシンガポールでは現地の華僑を粛清した後に、日本軍の宣伝班の下で刊行された新聞に“慰安婦募集の広告”が出ている。そうした慰安所に大勢の朝鮮人女性も動員されたことは「16歳の時にシンガポールの慰安所に連れて行かれた」という朝鮮人元慰安婦の証言だけでなく、近年発見されたビルマ(現・ミャンマー)とシンガポールの慰安所で帳場の仕事をしていた朝鮮人男性の日記からも明らかになっている。また、独立自動車第四二大隊にいた元日本軍兵士も「トタン塀」と呼んでいた慰安所には「娼妓は朝鮮人が多かったが、マライ人もいた」と証言している』、このような慰安婦の存在を認める証拠に対し、否定論者は何と答えるのだろう。
・『米朝会談の舞台となったセントーサ島では朝鮮人女性が騙されて慰安婦に  昨年、米朝会談の舞台となったシンガポール南端のセントーサ島(旧称・ブラカンマティ島)でもまた、朝鮮人女性たちが慰安婦として働かされていた。しかも、彼女たちは別の仕事だと騙されて連れてこられたのだ。 当時、東南アジアで通訳として従軍していた永瀬隆氏が証言している。永瀬氏は、日本が戦中につくらせたタイとビルマを結ぶ泰緬鉄道で陸軍の通訳をしていたことで知られる日本人男性だ。日本軍による泰緬鉄道建設にあたっては、数万人のアジア人労働者や連合国軍の捕虜が非人道的な扱いを受け犠牲となっている。永瀬氏は戦後、反戦平和の立場から個人でその慰霊と償いの社会活動を続け、2011年に亡くなった。 その永瀬氏が生前、月刊誌「MOKU」(黙出版)1998年12月号での高嶋伸欣・琉球大学教授(現・名誉教授)との対談のなかで、セントーサ島での体験を語っていた。シンガポールでも数か月の間、陸軍の通訳として勤務しており、その時、慰安所の女性たちや軍の部隊長と話をしたことをこのように振り返っている。 「(セントーサ島には1942年の)十二月中旬までいました。十一月になって隊長が僕を呼んで、『実は朝鮮の慰安婦がこの部隊に配属になってくるんだが、彼女たちは日本語がたどたどしいから、日本語教育をしてくれ』というんです。僕は『嫌なことをいうな。通訳はそこまでしなきゃいけんのか』と思ったけど、その隊長はもう島の王様気取りでおるんです。仕方がないから、慰安婦の人たちに日本語を三、四回教えました」 永瀬氏は「そのうちに、僕は兵隊じゃないから、慰安婦の人も話がしやすいんだな」と思ったという。そして、朝鮮人女性たちに慰安所にきた理由を聞くと、騙されて連れて来られたというのだ。 「それで僕も『あんたたちはどうしてここへ来たんだ』と聞いたら、『実は私たちは、昭南島(シンガポール)の陸軍の食堂でウエイトレスとして働く約束で、支度金を百円もらって軍用船でここへ来たんだけど、着いた途端に、お前たちは慰安婦だといわれた』というんです」 「それを聞いて、ひどいことをするなと思った。いま考えてみても、強制的に連行して慰安婦にするよりも、そうやって騙して連れてきて慰安婦にするほうが、僕は罪は深いと思います。 とにかく、それから島の中に慰安所ができたんですが、隊長が慰安所の兵隊にくだしおかれる前に、慰安婦を毎晩代わりばんこに次から次へ味見しているという話を聞きました」』、「強制的に連行して慰安婦にするよりも、そうやって騙して連れてきて慰安婦にするほうが、僕は罪は深いと思います」、というのはその通りだろう。
・『「慰安婦は存在しなかった」の嘘が堂々とまかり通る恐ろしさ  つまり、日本軍は、彼女たち朝鮮人女性に性的労働をさせることを告げず、まして嘘の説明で騙して慰安所に連れて行ったケースが明らかに存在した。そして、前述した中曽根元首相らの証言や当時の軍資料のように、日本軍が従軍慰安婦に積極的に関与していたことも歴史的な事実なのである。 八代弁護士が言うような「慰安婦問題は史実に基づかない」というのが、いかにフェイクであるかが分かるだろう。歴史修正主義者たちは、こうして慰安婦問題を矮小化しているのだ。 恐ろしいのは、こうした歴史的な事実を否認する発言が、当たり前のようにワイドショーで飛び出し、他のマスコミが検証を放棄した結果、少なからぬ視聴者が何ら疑念をもたないでいることだ。実際、八代弁護士の発言の嘘を検証したり、批判的に取り上げるマスコミは、いまのところ皆無。それどころか、Twitterでは「よくぞ言ってくれた!」というような賞賛まで受けている。 繰り返すが、安倍政権が煽動する“嫌韓”を、応援団やマスコミが増幅し、それがごく当たり前のように社会に蔓延しているのが、いまの日本社会だ。その結果起きたのが、平和の少女像などの展示に対する異常なバッシングであり、放火テロまでほのめかす脅迫だった。歴史的事実や、それに向き合うための表現まで「反日」と糾弾され、封殺されてしまう状況は、もはや“嫌韓ファシズム”と呼ぶべきかもしれない。 しかも、こうしたメディアの扇動によって、国民の世論じたいもどんどん冷静さを失っている。 政府が先月実施した「ホワイト国除外」に関するパブリックコメントには、寄せられた4万666件の意見のうち、「除外」に賛成が実に約95%で、反対はわずか約1%だったという。これは、安倍応援団やネトウヨの組織票の可能性が濃厚だが、他方、FNNと産経新聞が3、4日に実施した世論調査でも、「ホワイト国除外」を「支持する」が67.6%に登り、「支持しない」は19.4%にすぎなった。 ワイドショーをはじめとするマスコミには、自分たちが取り返しのつかない状況を作り出しているという自覚はないのだろうか』、「安倍政権が煽動する“嫌韓”を、応援団やマスコミが増幅し、それがごく当たり前のように社会に蔓延しているのが、いまの日本社会だ。その結果起きたのが、平和の少女像などの展示に対する異常なバッシングであり、放火テロまでほのめかす脅迫だった。歴史的事実や、それに向き合うための表現まで「反日」と糾弾され、封殺されてしまう状況は、もはや“嫌韓ファシズム”と呼ぶべきかもしれない」、というのは恐ろしいことだ。少なくともマスコミは冷静さを保ってほしい。 
タグ:朝日新聞 八代英輝弁護士 JBPRESS 伊東 乾 litera 日韓慰安婦問題 あいちトリエンナーレ2019 (その4)(「あいちトリエンナーレ2019」問題:津田大介氏一問一答「希望になると考えたが劇薬だった」、炎上すべくして大炎上「あいちトリエンナーレ」 京アニ「誤解」につながる少女像展示はポストトゥルース政治、「表現の不自由展」中止で謝るのは津田大介じゃない! 圧力をかけ攻撃を煽った菅官房長官と河村たかし市長だ、八代弁護士 河村たかし 松井一郎が“慰安婦問題はデマ”とネトウヨ並みフェイク! あらためて中曽根証言など日本軍関与の証拠を見ろ) 「津田大介氏一問一答「希望になると考えたが劇薬だった」」 芸術監督を務める津田大介 安全管理上の問題が大きくなったのがほぼ唯一の理由。想定以上のことが、とりわけ電話で行われた。回線がパンクし、受付の人も抗議に対応することになった 物議を醸す企画を公立の部門でやることに意味があると考えた。成功すれば企画に悩む人の希望になれると考えたが、劇薬だった 「炎上すべくして大炎上「あいちトリエンナーレ」 京アニ「誤解」につながる少女像展示はポストトゥルース政治」 「平和の少女像」 8月3日、早々に「企画展の中止」が発表 大変な「下手」を打っている アマチュアのガバナンス「あいちトリエンナーレ2019」 素人が、間違った椅子に座っている もし、展示の中止や撤去などがあるなら「その折は、自分が責任を取る」と、最初に、後始末をつけた暁には、辞任の方向を明示したうえで、「芸人ファースト」ならぬ「芸術家ファースト」「作品ファースト」に、懸命の努力を尽くすのが、いやしくも芸術監督という存在でしょう やるなら腹を切る覚悟、すでに脇差を一本突き立てたうえで、社会の理解を一度は求めるのが、その責にあうるものの基本的な所作にほかなりません。ガバナンスのアマチュアを見るように思います 本件が外交問題などに発展した場合、躊躇なく責任を取る必要が想定 なっていないコンセプト「情の時代」 ビスマルクを「ドイツを代表する政治家」と記すのはいただけません 放火犯が示したような激しい憎悪や敵意の感「情」に対して、「犯人が許せない」などといくら情で応じても、何一つ建設的な対案など出てこないことは明らかです ここで第一に必要なのは情ではなく、冷静な理非の別、あえて言えば「知」の領域であり、さらに言えば、再発防止といった確固たる目的に向かう強靭な「意志」が最も重要となります 「情」に対して「情」で対抗しても、情動に溺れることにしかならず、血で血を洗ったバルカン半島的な泥沼に陥ることを歴史は雄弁に示していると思います 情によって情を「飼いならす」のがartなどであった試しは、(どこかにマイナーな例外があれば、それは知りませんが)、洋の東西を問わず、圧倒的に多くの芸術の現場に存在しない概念、空想の産物と断じて構わないと思います 「図式ありき」の下手な政治? あいちトリエンナーレ2019」コンセプトは、まさにこの「ポストトゥルース」のアイコンを「アート」あるいは「作品」と勘違いする、ジャーナリスティックな誤解が、今回の問題を生み出した、真の原因 ここでの「キュレーション」は「平和の少女像」という作品ではなく「慰安婦」という政治的なアイコンを会場にちりばめることで「タブーに挑戦する」という、かなり動機の浅いジャーナリスティックな「政治」の「図式ありき」でしょう 「表現の不自由展」というコンセプトからして、まさにその方向で「表現を自粛」したわけですから、全体主義体制下での美術展禁圧と同じことを結果的にしていることになる 「話題を呼ぶ人選」で「動員数」を主な指標と考える、内容不在、芸術無関係なイベント・ガバナンスの空洞化を指摘するべき 「「表現の不自由展」中止で謝るのは津田大介じゃない! 圧力をかけ攻撃を煽った菅官房長官と河村たかし市長だ」 今回の問題でもっとも批判されなければならないのは、卑劣なテロ予告者であり、検閲をちらつかせてそうした動きを煽った、政治家連中 菅義偉官房長官、柴山文科相、河村たかし名古屋市長、松井一郎大阪市長、和田政宗参院議員といった政治家たちが、展示を問題視するような発言を連発 河村市長、菅官房長官の扇動、そしてテロ予告を放置した警察 テロ予告があったなら、警察が脅迫犯を逮捕するなり、警備で安全を確保するのが普通ではないか 「警察には被害届を出しましたが、(脅迫)FAXの送り先を確認できないかと尋ねましたら『それはできない』」と一蹴された 警察がまともに捜査していないはおそらく、テロ予告の対象が、安倍政権のスタンスに反するものだったからだろう テロを非難しなかった安倍、菅、逆に主催者に謝罪を要求した河村 「八代弁護士、河村たかし、松井一郎が“慰安婦問題はデマ”とネトウヨ並みフェイク! あらためて中曽根証言など日本軍関与の証拠を見ろ」 『ひるおび!』(TBS) 「平和の少女像」が「反日」だというのは完全にネトウヨの論理であり、歪曲した解釈だ 今度は慰安婦それ自体がなかったかのような発言をした 歴史修正主義丸出しのデマ 松井一郎・大阪市長 「慰安婦問題というのは完全なデマ」「朝日新聞自体が誤報だと謝罪しているわけですから」 中曽根康弘元首相が海軍主計長時代に「土人女を集め慰安所を開設」の記録 産経の総帥も自著で軍時代の慰安所設立を自慢「女の耐久度とか消耗度も決めていた」 米朝会談の舞台となったセントーサ島では朝鮮人女性が騙されて慰安婦に 「慰安婦は存在しなかった」の嘘が堂々とまかり通る恐ろしさ 歴史的事実や、それに向き合うための表現まで「反日」と糾弾され、封殺されてしまう状況は、もはや“嫌韓ファシズム”と呼ぶべきかもしれない
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高齢化社会(その13)(キレる老人 事故る老人が続出!定年で解放された後の心構え、“塩漬け”おじさんが定年後再就職で失敗する理由、海外からも揶揄される貧しき長寿国ニッポン) [国内政治]

高齢化社会については、7月3日に取上げた。今日は、(その13)(キレる老人 事故る老人が続出!定年で解放された後の心構え、“塩漬け”おじさんが定年後再就職で失敗する理由、海外からも揶揄される貧しき長寿国ニッポン)である。

先ずは、明治大学専門職大学院グローバル・ビジネス研究科教授の野田 稔氏が6月17日付けダイヤモンド・オンラインに寄稿した「キレる老人、事故る老人が続出!定年で解放された後の心構え」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/205708
・『年寄りの行動を制限するのが正しいか?  高齢化にまつわるニュースが途切れません。高齢者の自動車運転問題は引きも切らず、麻生副総理の「老後2000万円貯蓄」問題などなど、少子高齢化が引き起こすさまざまな問題がとうとう噴出し始めました。 今後のドラスティックな変化からすれば、今などまだまだ前哨戦にすら差し掛かっていません。それですら、これだけの問題が起こるのです。果たしてこれからどうなるのか、本当に暗澹たる気分になります。 保険業界では、「長生きのリスク」といった言葉も生まれました。少子高齢化の未来絵図では、年金が不十分になることはほぼ確定的で、老後破産も珍しくはない世の中になりつつあります。健康寿命も長くなりますから、これまでよりも長く働ける世の中になりますが、必ずしも、それが明るい未来とは限りません。どうやら人によるようです。 長生きのリスクにはもう1つ、介護負担のリスクがあります。寝たきりになる、日常的に介護が必要になる、認知症になる、といったリスクも高まります。 日本はまだ高齢化社会に慣れていません。アクティブシニア(定年退職後も意欲的で元気なシニアのこと)が社会を担う、そんな明るい未来は見えてきません。 昨今の高齢者が起こす自動車事故に対応する形で、運転免許証の自主返納が進められていますが、どうしても車が必要になる地域も少なくありません。自動ブレーキなどの安全性能の高い車に限って高齢者の運転を許す限定免許も検討され始めました。 しかしながら、「年寄りの行動を制限するのが正しい」とはいえません。介護が大変だからと老人を拘束し、寝たきりを助長するのも間違っています。いずれ技術の助けを借りて、運転だけでなく記憶サポートや機械操作の支援なども一般化するでしょうが、まだ今はその入り口に差し掛かったにすぎません』、「日本はまだ高齢化社会に慣れていません」、「高齢者が起こす自動車事故」などの悲惨な事故を経験しないと、「自動ブレーキなどの安全性能の高い車」の開発が進まないというのも困ったことだ。
・『キレる老人は他人事ですませていいのか?  そうした生きにくい世の中のありさまを反映してか、キレる老人の話題も少なくありません。 キレやすいかどうかは、その人の性格にもよるでしょう。元々傲慢であったり、思慮深いとはいえない性格であったりすれば、加齢がそうした性格に拍車を掛ける可能性は大です。 例えば足元がおぼつかなくなって、時によろける、物覚えが悪くなる、道を忘れる、人の顔や名前を忘れる、手先が不器用になる、新しいデバイスやサービスなどに追いつけなくなる…等々。そうした加齢による能力低下を目の当たりにすると、自分に腹が立ち、イライラする。近しい人に八つ当たりしたり、路上で他人にぶつかっても、決して自分は悪くないと思ってしまう。その結果、相手をののしる。 こうした怒りがエスカレートすると、本格的な喧嘩に発展することも少なくないようです。相手を傷つける、あるいは自分が返り討ちに遭う。そんなことが頻発するようではたまりません。 もちろん私も、そうした現実は他人事だと思っていましたし、自分はキレない自信がありました。しかし、次に述べるような現実から、決して他人事ではないということが、残念ながらわかってしまったのです。 もしかしたら、加齢は思ったよりも早くやってくるものかもしれません。「キレる老人」は、わが身の明日の姿かもしれませんし、まだまだマスコミに取沙汰されているわけではありませんが、「キレる中高年」もまた現代の日本の姿なのではないでしょうか』、私は若い頃から短気だったが、10年ほど前に人間ドックの結果の診断を聞く際に、病院の対応が余りに酷いので、キレで担当の女性職員をどなりつけ、あとでやり過ぎだったと恥じた記憶がある。
・『知らず知らずのうちに怒りっぽい人間になっていた  実はここ1年ほど、とても怒りっぽくなっていたのです。妻に指摘されるまで、そんな自分の変化には全く気付きませんでした。今回はそんな自分を、皆さんの他山の石とすべく、カミングアウトします。 どれもこれも些細なことです。例えば、買い物客で賑わう夕方の時間帯にこんなことがありました。自宅の最寄り駅の近くの天ぷら店で、天ぷらをいくつかテイクアウトし、家に帰ったのです。家で改めて見ると、頼んだはずの舞茸の天ぷらが入っていません。値段はわずか110円。レシートを見ると、確かに購入していました。 カーッと頭に血が上りました。すぐにお店に電話をして、「どうなっているんだ!」と怒鳴りました。先方の受け答えもよくありませんでした。謝罪の言葉もそこそこに、「後日レシートを持参すれば返金する。あるいは今来ていただければ商品をお渡しする」という二者択一を迫ってきたのです。 さらに腹が立ちました。そして言い放ちました。 「ふざけるな!誰が間違ったんだ。こちらはこれから夕食だ。届けるのが筋だろう。ただ、忙しいのもわかるから、これから取りに行ってやる。その代わり、誠意を見せろよ!」 完全に喧嘩腰です。その様子を見ていた妻に、「あなたはそんな人ではなかった」と釘を刺されました。 それでも私はその店まで10分の道のりを、怒髪天を衝く勢いで戻りました。先方はエビの天ぷらを1本、サービスで用意していました。私は誠意だけ示してもらいたかったので、それで良しとして、エビは受け取らずに店を出ました。 その帰り道。だんだんと冷静になっていきます。確かに、自分は正論を言っている。間違ってはいない。とはいえ、誰でも間違うことはあるでしょう。しかも、忙しい時間帯です。それを「届けに来い!」は大人げがないなと。しかも、「誠意を見せろ」とはどう考えてもゆすりたかりの類いです。 妻の忠告にも理解が足りないと腹を立てていたのですが、それももっともな意見だと納得しました。 私は正義感が強い方なので、昔から間違いを放っておくことはできない性分でした。しかし、物事にウエイト付けはできます。今回のような出来事は、今までであれば、「仕方ないな」と苦笑して終わっていたはずです。 妻に指摘されたことは、それだけではありませんでした。1つは、車の助手席に乗って、家の駐車場から往来に出ようとした時に、自転車が1台、脇をすり抜けようとしました。その瞬間に、私はとっさに叫びました。「危ない!」と声を上げただけでなく、「何やっているんだ!」と怒鳴りつけました。運転者に声を上げて注意を喚起するだけならまだしも、わざわざウインドウを下ろして怒鳴りつけるのはやりすぎです。 あるいは、自分自身は全く覚えてないことも指摘されました。ある朝、始発駅で電車に乗る際に、のんびりと乗ろうとする人を押しのけて車内に入ったというのです。これは身に覚えがないだけに最初は半信半疑、しかし、なんとなく状況を思い出すにつれ、そんな気もしてきました。これは正直怖く感じました。 そこまで指摘されると、これは本気でまずいと思いました。そう思って振り返ってみると、1人でいる時でも、考えようによってはわざわざトラブルを買いに行っているようなことがありました。 そもそも理不尽が許せない性格です。許せなければ決して後に引かない方でもあります。しかし、今はあまりにも怒りの閾値(いきち)が低すぎます。言ってみれば、ダムの空き容量がほとんどない。こんなに沸点が低いのは大変危険であるとわかりました』、奥さんの指摘もあったのだろうが、「怒りの閾値が低すぎます」と自覚したのはいいことだ。
・『退職後は守ってくれる組織もないし、部下もいない  そこで、医学書を調べたり、インターネットで信用のおけそうなサイトを見たり、自分の症状についての情報収集をしました。その結果、「病気といえるほどのものではないのかな」と思いました。 しかし、安心はできません。 思い出して、録画していたNHKの「クローズアップ現代」を見ました。認知機能の衰えや情動コントロール力の低下を気にすべきは70歳以上だと知りました。人間、老化とともに徐々に前頭葉の働きが鈍くなっていくので、怒りを抑える力が弱くなっていくのだそうです。しかし、加齢によってその症状が顕著に出るのは少し先のようです。 ちなみに、私には直接関係なのですが、この番組で取り上げていたもう1つ重要なことは、大企業で組織に守られてきた人が、いきなり世間に放り出されて、自分でさまざまな手続きなどをしなければいけなくなった時に、キレやすくなるという事実でした。会社勤めをしていると役職者であれば、細かな事務は部下がやってくれます。自分で犯した些細なミスや無知は見逃されてきました。すべて部下や秘書任せの管理職や役員は少なくないでしょう。 そうなると、事前のリハビリなく退職後に世間に放り出されても、何もできないままです。 よく銀行の窓口で怒りをぶちまけている初老の男性がいますが、たぶんそういう方でしょう。ATMの前で怒鳴っている人を見たこともあります。慌てて駆け寄ってきた銀行員にも怒鳴っていました。 不甲斐ない自分に腹を立て、機械に腹を立て、教える人に腹を立て、しまいには、世間や周りの人にも腹を立てる。そうやって引退した人間の多くは孤立していくのです。少し謙虚になればいいものを、無用なプライドが邪魔をするのでしょうか。それまでミスを指摘されたり、叱られたりということに長く無縁できてしまったツケです。 これもまた、他山の石とすべきことです。皆さんは、こうした引退者にならないように、組織人としての人生において、気を抜くことなく自分を磨き続けてほしいのです。「人生100年時代」に、「上がり」などというステータスはないのです。 さて、私のケースに戻りましょう。 最初に試みたのが、本連載第16回で紹介したアンガ―マネジメントでした。怒りがこみ上げて、正論をぶつけたくなったら「6秒間我慢」を実践してみました。 自分が怒る瞬間を認知するという、認知行動療法も生活に取り入れました。 また、少し変わったところでは、貧乏ゆすりを我慢しなくなりました。これはインターネット情報だったのですが、貧乏ゆすりには意外にもリラックス効果があるそうです。周囲の方々には若干不快な思いをおかけしますが、怒鳴りつけられるよりはましであるとお許しください。 重要なことは怒りの沸点を高くすること、ダムがすぐに決壊しないように、心に余裕を作ることです。 理不尽なことに腹が立つスイッチは入っていいのです。ただ、それをすぐに外に向かってダダ漏れさせることがないように努力しました。 さらにその上で、以前にもこのコラムで取り上げた主治医に相談しに行きました。彼は心療内科の権威でもあります。 その結果は、「心配しなくていい」でした。「誰でも疲れていたり、ストレスがたまっていたりすると、そういうことがある。年齢が高くなるに従い、ますますそういう状態になるものですよ」と言われました。こう言われ、少し気が楽になりました。 加えて、抑肝散(よくかんさん)、甘麦大棗湯(かんばくたいそうとう)といった漢方薬も服用するようにしました。2つとも効能の一つが子どもの夜泣き・かんの虫の薬というところがなんとも笑わせますが、私には効くようです。 まだまだ加齢により「キレる老人」ではありませんが、今から注意すべきことはたくさんあります。皆さんはいかがでしょうか?もしストレスが強く、イライラすることが多いようであれば、同じように、すでに怒りっぽくなっているのではないでしょうか。そうであるならば、私の努力も少しは参考になるかもしれません』、「アンガ―マネジメント」は確かに有効だろう。
・『時間軸を変えて、生活の仕方を変えればいい  知能には結晶性と流動性の2種類があります。前者は学習や経験に基づいて蓄積された知能です。後者は新しい環境に慣れたり、新しいことを学んだりするための知能です。こちらは40代がピークといわれますが、結晶性の知能は75歳まで伸びるそうです。この2つの合成関数であるところの総合的知能のピークは56歳ですが、そこからの下降線は非常に緩やかだということです。 つまり、焦らなければ、まだまだ新しい環境にも慣れますし、新しい技術を覚え、新しいデバイスを使いこなすこともできるのです。 ただそれと同時に、定年5年前は、総合的知能のピークであり、これからは下り坂なのだということを、心のどこかで認識すべき頃合いだと思います。 だから必要だと感じたら、少しだけ生活のスピードを緩め、生活の時間軸を長くして、生き方全体を今の年齢に合わせるようにしてください。昔よりも動きが鈍い、物覚えが悪くなってしまった自分に、もっとやさしくなってください。そうした変化は、周りよりもはるかに手前で、自分だからこそ気がつくことでしょう。過ぎ去った過去の自分には戻れません。今の自分を受け入れて、今という時間を楽しめばいいのです。 そのために今後、今までよりも頭を下げる機会が多くなっても、人に物を教わることが増えても、今までよりも少しだけ道の端っこを遠慮がちに歩くようになっても、何事にもゆっくり時間を掛けるようになっても、いいじゃないですか。 そんな生き方を良しとする。それはそれで世の中が違って見えてくると思います。まだ、私はできていないのですが、少しずつやっていこうと思っています』、「必要だと感じたら、少しだけ生活のスピードを緩め、生活の時間軸を長くして、生き方全体を今の年齢に合わせるようにしてください」、というのは大いに役立つアドバイスだ。

次に、健康社会学者(Ph.D.)の河合 薫氏が7月2日付け日経ビジネスオンラインに寄稿した「“塩漬け”おじさんが定年後再就職で失敗する理由」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00118/00030/
・『今回は「塩漬け」について考えてみる。 といっても美味(おい)しいらっきょうの塩漬けやら、白菜の塩漬けの作り方について書こうってわけではありませぬ。“組織への塩漬け”である。 「お恥ずかしながら、私、この歳になって出社拒否になってしまって。だらしないですよね」 こう切り出した男性は某大手企業の元常務。63歳で定年となり、8カ月後に再就職。これまでのキャリアを買われての就職だったそうだ。 男性の話は実に興味深く、私自身、改めて「社会的地位」「シニア」「再就職」の難しさを痛感したので、みなさんにもご意見をいただこうと思った次第である。 というわけで、まずは男性が直面した“リアル”からお聞きください』、興味深そうだ。
・『定年後、関連会社に再就職できたのだが‥‥  「定年になったらやることがなくなって“定年うつ”になるって脅されていたんですが、私の場合は幸い次が決まってたので大丈夫でした。 息子が海外に留学してるんで女房とゆっくり海外旅行したり、97歳の父親のいる実家に帰ったり。女房も専業主婦なので、私の自由時間に付き合ってくれましてね。 みんな定年になると奥さんともめるっていうのに、まぁ、8カ月ですから。我慢してくれたんでしょう。 再就職先は関連会社です。 以前は、いわゆる天下り先だったんですか、10年くらい前から積極的に同じ業界からシニア採用をしていましてね。私のように定年組や、早期退職してきた人も結構いて、昔の上司が呼んでくれたんです。 受け入れ体制はきちんとしていて研修期間もあるし、シニアも戦力としてみてくれると聞いていました。給料は下がりますが、本人の能力次第では70歳までいられるんです。 私は記憶力や体力は低下したけど、気力と仕事の質には自信があった。自分はまだまだできると思っていたので、自分のキャリアを生かしてがんばろうと張り切っていました。 ところが‥‥半年後に出社拒否です。完全にメンタルをやられてしまったんです。 理由ですか? まぁ、色々あります。期待に応えようとすればするほど空回りだったってこともあるし、上司とうまくいかなくてね。パワハラみたいなこともあったりで。やっぱり人間関係は大きいですね。 女房にも言えないから、家では心配させないように振るまったりして。 疲れちゃったんです。 あと‥‥せこい話なんですけど、前の会社のときはタクシーも自由に使えたし、周りも私のことをそれなりに扱ってくれた。ところが、再就職先では行きも帰りも電車だし、私はシニア社員の1人でしかない。 飲み屋ひとつとっても、扱いが変わります。 そんなのは分かっていたことだし、大したことじゃないって思っていたけど、実際に経験すると結構、プライドが傷つくわけです。 私を引っぱってくれた元上司は色々と気にかけてくれたんですが、それも情けなくて。結局、1年ももたずに辞めてしまった。周りに迷惑をかけるからそれだけは避けたかったんですが‥‥、情けないですよね』、「昔の上司が呼んでくれたんです」とはいえ、「半年後に出社拒否です。完全にメンタルをやられてしまったんです」、というのは驚きではあるが、あり得る話だ。
・『分かっていたけれど環境変化に対応できない  私みたいなのを、“塩が抜けない”って言い方をするらしいです(苦笑)。 自分では社外との人間関係があるし、趣味だってある。タコつぼ人間になっているなんて自覚は皆無でした。でも、実際は40年過ごした組織で、しっかり塩漬けになっていたんです。 幸い子どもも自立してますし、家のローンもないので、今は色々と勉強しています。そろそろ動き出さなきゃなぁと思っているので、同じ轍(てつ)を踏まないよう、次は一兵卒として再々就職先探しを始めるつもりです」 ‥‥以上です。 塩が抜けないーー。「手垢(てあか)がついている」という表現は今まで何度か耳にしてきたけど、言い得て妙といいますか、何といいますか。 同じ業界でも会社が変われば文化も変わる。それまでのやり方、それまでの考え方、それまで使っていた用語とは似て非なるものが山ほど存在する。 ちょっとだけ立ち止まって考えれば誰だって分かることなのに、それが知覚できない。過去の経験が目を曇らせてしまうのである。 そもそも私たちの心は自分が考える以上に習慣に動かされる。インプットは同じでも、心がどう処理するかでアウトプットが変わる。心理学でいうところの「知覚」だ』、「“塩が抜けない”」とは確かに上手い表現だ。
・『心は習慣に大きく影響されている  例えば、知覚の強固さを明らかにしたのが米国の教育心理学者ジェローム・シーモア・ブルーナー博士の「トランプ」を用いた実験である。組織論を語るときにたびたび引用されているので、ご存じの方も多いかもしれない。 この実験はトランプに「赤のスペード」と「黒のハート」を交ぜ、ほんの数秒だけ見せて「何のカードだったか?」を聞くという、実にシンプルなものだった。 普通に考えれば、視覚はきちんと目の前の情報を捉えるはずである。ところが、黒の「ハートの4」は「スペードの4」に、赤の「スペードの7」は「ハートの7」に見えてしまうことが分かった。 「黒はスペード」「赤はハート」という常識が、目を曇らせる。人間には一貫性を好む傾向があるため、過去の常識が見えているものまで変えてしまうのである。 おそらく件の男性は、自分では気づかぬうちに、自分が法律になってしまっていたのではないか。 「人間関係は大きかった」と男性が語るように、塩漬けになった心は、時に自分の価値観にそぐわぬ人を見下してしまったり、バカにしてしまったり、傷つけてしまったりすることもある。 本人に自覚がないだけに、“お偉い”言動が周りとの距離を広げてしまったのだろう。 では、いったいなぜ、塩は抜けないのか? それは「再就職=転職」 という認識の乏しさにあると、個人的には考えている。 「再就職が転職だなんて、当たり前だろ!? 何を言ってるんだ!!」と口をとがらせる人もいるかもしれない。 が、“再就職”という言葉が象徴するように、定年後、あるいは定年前に途中下車した人たちの転職は、「今の延長線上にある」というイメージが強い。 再就職とは転職であり、どんなに培ってきたキャリアがあろうと、どんなに高い役職に就いていたとしても、それは過去の遺物。とても難しいことかもしれないけど、その過去を一掃しない限り適応は無理。一時的でもいいから決別すべきだ。 たとえどんなに自分のキャリアが生かせる職場でもあっても、どんなに自分のキャリアが評価されての「引き」の“再就職”であっても、まずはその組織の一員になることが先決なのだ』、その程度の理屈は頭では分かっていても、「習慣に大きく影響されている」「心」はついてゆけないのだろう。
・『再就職での組織社会化はなかなか難しい  それは「組織内における自分の居場所を確立するために、必要な知識や技術を獲得するプロセス」である「組織社会化」を意識し、成功させること。 一般的には組織社会化は新卒社会人に対して用いられるが、実際には昇進や異動などに伴い、改めての組織社会化=再社会化が求められる。 特に、再就職での組織社会化は極めて重要であると同時に、実に難しい。 ひとつの組織で、長い時間をかけて、1つひとつ手に入れてきた外的なリソースが邪魔してしまうのだ。 とりわけ階層組織の上層部にいた人ほど、てこずりがちだ。本来、適応(=組織社会化)すること自体に莫大なエネルギーを注ぐ必要があるが、高い役職に就いて権力を手に入れたことで、エネルギーをどこから、どう捻出すればよいかさえ分からなくなってしまうのである。 権力(power)の働きがシステマティックに埋め込まれた会社組織では、権力者の言動は上司・部下関係のみならず、関連する団体や組織や一般社会にも影響を与え、権力者はそれによって他者からの干渉を免れることが可能となる。 その結果、周りが権力者に黙従せざるを得ないという非対称の人間関係が生まれ、権力者の思い通りに周りが勝手に動くため、自らエネルギーを費やさずとも、周りが勝手に居場所を作ってくれる。件の男性の言葉で言い換えると「それなりに扱ってくれる」のである。 ゆえに、偉い人が、再社会化するのは‥‥チョモランマを制覇するようなもの。極めてハードルが高い作業なのだ。 組織社会化では、 +自らに課された仕事を遂行する +良好な人間関係を築く +組織文化、組織風土、組織の規範を受け入れる +組織の一員としてふさわしい属性を身に付ける の4点が課題となり、新卒の場合にはこれらを包括的に獲得していくことが求められる。 ところが、熟練したキャリアの持ち主の再社会化には、「良好な人間関係の構築」が最優先課題となる。 なんせ、ただでさえ、注目されてしまうのだ。自分たちの居場所に新規加入した“偉い人”が、 「自分たちを大切に扱ってくれるだろうか?」「自分たちにどんな利益をもたらすのだろうか?」「ホントウに信頼に値する人物なのだろうか?」‥‥etc.etc. と周りは不安になる。 受け入れる「上司」も例外ではない。 以前、件の男性と同じようなカタチで再就職した人が「シニアがシニアを教育するのは、とても難しい」と話してくれたことがあった。上司となるシニアのほうは「見下されないようにしなきゃ」という警戒心を無自覚に抱いてしまうのだろう。 まさにシニアvsシニア、プライドの戦いである。 いや、それだけではない。 これまたややこしいことに、とりわけ権力ある地位にいた人ほど、思考が短絡化され、属性にひもづけられたステレオタイプで他者を見てしまいがちだ。 もっとストレートに言いますと‥‥、バカにする。 いや、もっと正確に言い換えると、年を取っていると思われたくない、大したことないと思われたくないという気持ちから、「自分がバカにされないように、相手をバカにする」のである。 ふ〜〜っ‥‥』、組織内の力学をここまで分析できるとは、さすがだ。
・『自分から動いて関係を作っていくしかない  書いているだけで切なくなってしまうのだが、「まぁまぁ、常務さん、くつろいでくださいよ?」などとチヤホヤしてくれる人は、新天地にはいないことを、しかと受け止め、自分からアクションを起こし、受け入れる側の不安や警戒心を解きほぐすしかない。 時には「これってどうやるのかね?」と周りに問い、時には「ありがとう」と感謝し、時には「すみません」と頭を下げる。そういった基本的でシンプルかつ、顔の見えるコミュニケーションにより、周りの信頼感が熟成され、適応を手助けしてくれるに違いない。 「結果を出さなきゃ」と前向きな気持ちがあると、つい自分の存在意義を示したくなるのが人間の性癖だが、急がば回れ。1年、いや2年たったときに「あなたに来てもらってよかった」と1人でも言ってくれる人がいたらもうけもんだ!くらいの気持ちで、人間関係作りに専念したほうがいい。 実はこういった小さなアクションを、現役、すなわち定年になる前からできるようになっておくと、案外スムーズに適応が加速する。専門用語でいうところの「予期的社会化」、平たくいうと「準備運動」である。新入社員の準備運動が「キャリア準備」なのに対し、再就職者のそれは「コミュニケーションの仕方の再認識」。組織社会化は組織に入る前から始まっていて、準備運動をどれだけ入念にやっていたかで、適応できるかどうかが左右されるのである。 実際、これまで私がインタビューしてきた人で、再就職に満足している人は例外なく、準備運動のできている人だった。そういう人たちは例外なく「名刺が全く役立たないゆるい人間関係」を持っている人だった。 ある人は資格を取るために通った専門学校で。 ある人は町内会で。 ある人はボランティアで。 年齢もバラバラ、会社もバラバラ、性別もバラバラ、のコミュニティの一員になったことで、 ある人は自分がいかに恵まれているかが分かった、と語り、 ある人はそこにいくと自分が若手だった、と笑い、 ある人は何年ぶりかに「ありがとう」と言われた、と顔をほころばせた。 ‥‥自分のことは他人を通じてしか分からない』、「これまで私がインタビューしてきた人で、再就職に満足している人は例外なく、準備運動のできている人だった」、というのはその通りなのだろう。ただ、まだ現役で頑張っている間に、それをやると組織から早目に追い出されるリスクもあるのかも知れない。

第三に、同じ河合氏が8月6日付け日経ビジネスオンラインに寄稿した「海外からも揶揄される貧しき長寿国ニッポン」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00118/00035/?P=1
・『笑うに笑えないコラムがアメリカのブルームバーグ紙に掲載され、話題になっている。 原文のタイトルは……、「Stop Blaming America's Poor for Their Poverty ./In Japan, people work hard, few abuse drugs, crime is minimal and single mothers are rare. The country still has lots of poverty.」 翻訳すると……、「アメリカの貧困を自己責任にするな。日本を見よ、国民はみな真面目で勤勉で、薬物乱用や犯罪も少なく、シングルマザーも稀(まれ)なのに、貧困な人々がたくさんいるぞ!」。 つまり、貧困を個人の責任にしたがるアメリカ人、とりわけ保守系の人たちに「貧困は社会が作り出しているんだぜ!」と訴えるためのエビデンスとして、日本人の貧困っぷりが取り上げられたのである。 書いたのはブルームバーグのオピニオンライターで、ファイナンスの専門家だ。 コラムではタイトルに書かれていることを、1つひとつアメリカと日本の数字を示しながら、「ねっ、日本人ってすごいでしょ? こんな国民性を持つ日本人なら貧困に陥るわけないじゃん!」という世界が称賛する日本人的理論を展開。 「な・の・に、どういうわけか日本ってこんなに貧困率が高いんだぜ! 要するにさ、日本には政策的に深刻な問題があるってこと。貧困っていうのはさ、社会が作り出しているんだよ! 社会の問題なんだよ!」と、日本人が一向に正面から向き合おうとしないリアルを、海の向こうからアメリカ人が突きつけた、というわけ(以下、一部抜粋)。 「Given all of this good behavior, conservatives might expect that Japan's poverty rate would be very low. But the opposite is true; Japan has a relatively high number of poor people for an advanced country. Defined by the percentage of the population earning less than half of the median national income, Japan's poverty rate is more than 15% -- a little lower than the U.S., but considerably higher than countries such as Germany, Canada or Australia:」 (翻訳)「こうした良い行動の数々から、保守派の人たちは日本の貧困率は非常に低いと予想するかもしれない。しかし、真実は逆だ。日本の貧困率は先進国にしてはかなり高い。日本の相対的貧困率は15%以上で、アメリカより少し低いものの、ドイツ、カナダ、オーストラリアなどを上回っている。」』、日本の貧困問題をこれほど適格に指摘するとは、ブルームバーグのオピニオンライターもやるものだ。
・『さて、いかがだろうが。日本の貧困問題についてはこれまで何度も取り上げてきたが、こんな風に取り上げられてしまうと…、実に情けないお話である。 ちょうど1年前に、「食べるのに困る家は実際はない。今晩、飯を炊くのにお米が用意できないという家は日本中にない。こんな素晴らしいというか、幸せな国はない」と発言した国会議員がいたけど、国が貧しいわけではないのに、貧しい日本人が多い理由をどう考えているのだろうか。 日本の相対的貧困率はG7(先進7カ国)でワースト2位。ひとり親世帯に限るとOECD(経済協力開発機構)加盟国35カ国中ワースト1位。日本の母子家庭の母親の就業率は、84.5%と先進国の中でもっとも高いにも関わらず、突出して貧困率が高く、アメリカ36%、フランス12%、イギリス7%に対して、日本は58%と半数を超えているのである(OECDの報告より)。 生活を豊かにしたくて真面目に働いているのに、働けど働けど楽にならないという現実がある。貧困ラインは122万円なので、月額10万円ちょっとだ。これでどうやって暮らせというのだ。 人は「これだ!」と確信をいったんもってしまうと、その確信を支持する情報だけを探し、受け入れ、確信に反する情報を探すことも、受け入れることもできなくなるものだが、日本人、いや正確には政治を動かす日本人、はこういった心の動き、すなわち「確証バイアス」に陥っている。あるいは「貧乏人はどうなってもいい」とマジで考えているか。実に残念ではあるけど、そうとしか思えないのである』、「日本の母子家庭」の貧困率が突出して高いのは、確かに異常なのに、多くの経済学者やマスコミが無視しているのは残念なことだ。
・『貧困高齢者の増加が大きな問題  そして、今。シングルマザーの貧困問題以上に、深刻化しているのが65歳以上の貧困である。 2017年度の生活保護受給世帯数の月平均は164万810世帯で、2016年度の163万7045世帯を3765世帯上回り過去最多を更新。中でも高齢者世帯の増加率は高く、2017年度の月平均数は86万4708世帯で、実に全体の52.7%を占め、2016年度から2万7679世帯も増加している。 こういった数字を出すと、「それってただ単に65歳以上の人口が増えたからでは?」 と考える方もいるけど、1996年と2015年の生活保護受給率を比較すると、 +1996年は高齢者は約1900万人で、そのうち該当者は約29万人=1.5% +2015年は高齢者は約3380万人で、そのうち約97万人=2.9% と明らかに増加し、貧困高齢者は20年間で約70万人も増え、100人の高齢者のうち3人が生活保護受給者となった。 世帯別にみると、65歳以上の高齢者のいる世帯の貧困率は27.0%で、4世帯に1世帯以上(厚労省「国民生活基礎調査」)。65歳以上高齢者の単身世帯の貧困率はさらに深刻で、男性単身世帯で36.4%、女性の単身世帯では実に56.2%。65歳以上の女性のひとり暮らしでは、2人に1人以上だ。 2人で暮らしていればどちらかが病気になって無職になっても、片方が稼ぐことができるが、単身だとそれもできない。年金も2人合わせればなんとかなっても、単身だと家賃すら払えない場合もある。 今後はさらに単身世帯と無年金者が増えるという推計に鑑みれば、生活基盤が不安定な人はますます増える可能性は極めて高い。 高齢世帯ほど貧富の格差が広がる傾向はかねて指摘されていたが、先週のこのコラム「他人ごとではない老後破綻、60過ぎたら最低賃金に」に書いた通り、一部の高額な資産を持つ富裕層以外は、いつ、なんどき貧困状態になってもおかしくない。 書いているだけで気がめいってくるのだが、緊急に貧困対策を実行しないことには、一億総貧困社会に突入する。一握りの「豊かな高齢者」と大多数を占めるの 「貧困に苦しむ高齢者」に分かれる時代が到来するのだ。 繰り返すが、貧困は社会の問題である。個人の頑張りでどうにかなるものではないのである』、「一億総貧困社会に突入する」というのは冷徹な予測だ。
・『介護施設で低賃金で働く高齢  実は先週のコラムを公開した後、いつも感想を送ってくださる91歳の“お友達”が、介護施設内で働く高齢者についてメールをくれた。その内容はまさに「高齢者の貧困問題」を想起させるものだった。ここに紹介する。 「定年退職後の低賃金問題は、本当に深刻です。私のホームにも男性3名、女性1名の定年退職者が働いています。いずれも70代で、最高齢者は79歳の男性です。 彼らは時間をもてあまして働いているわけではありません。老後資金が足りないので、生活のために頑張って働いているのです。 正規のヘルパーでも賃金が安い介護業界で、彼らは文字通りの『低賃金』で毎日に耐えています。若いヘルパーは待遇の良い施設を探し、転職していきますが、高齢者にはその気力もありません。なので、黙々とただ働いています。ホームの仕事は重労働ですので、高齢者にはかなりきついはずです。でも、お金がないから頑張るしかない。誰かとおしゃべりするとか、一服いれる余裕もなく、毎日黙々と働いています。 私は最近、部屋の掃除、ベッドメーキング、洗濯などを自分でやるのが大変になったので、毎週1回、サポートを頼むことにしました。月4回で1万800円です。配属されたのは79歳の男性でした。彼は一生懸命に、やってくれましたが、男性で家事に不慣れ、さらに老化のためか、そのサービス内容はとても満足のいくものではありませんでした。 でも、私は高齢者の働き口を奪いたくありません。それに彼が一生懸命やっている姿を見ていたので、彼がやってくれた後に、もう一度、気にならない程度にやり直しています。 私は91歳になりますが、同じ高齢者でも80歳以下の人たちは、私の時代より大変なんじゃないでしょうか。聞くところによると、ホームでも働き口がある高齢者はまだいいそうです。それさえもかなわない人たちが大勢います。これから先を考えると、暗澹(あんたん)たる気持ちです」』、「私のホームにも男性3名、女性1名の定年退職者が働いています・・・老後資金が足りないので、生活のために頑張って働いているのです。 正規のヘルパーでも賃金が安い介護業界で、彼らは文字通りの『低賃金』で毎日に耐えています」、ご苦労さまというほかない。
・『高齢者が働ける場があることは良いのだが…  私は“お友達”からメールをもらうまで、人手不足が深刻な介護業界で、高齢者に働いてもらうのはとてもいいことだと考えていた。 つい先日も、補助業務に特化した仕事を担当する「助手」として高齢者を採用する施設が増えているとの報道があった。1日3時間、週3日程度勤務し、職員をサポートする。掃除、ベッドメーク、食事の配膳といった仕事を、高齢者スタッフが手助けすれば、介護福祉士さんは本来の業務に集中できる。介護士さんにとっても、入居者にとっても、そして、社会との接点が希薄になりがちな高齢者にとってもいいのではないか。そう考えていたのだ。 だが、“お友達”が教えてくれたのは、生活のために働く高齢者の姿だ。自分の親の老いを日々感じる中で、親と同じ年齢の人たちが若いヘルパーと同じ仕事をフルタイムで「低賃金に耐え、黙々と働いている」。 繰り返すが、貧困は社会が作り出している。一部の為政者たちの失政のせいで、80歳近くなっても低賃金に耐えて働かなくてはならない高齢者が量産されているのだ。 そんな中、延び続けているが日本の平均寿命だ。本当は喜ぶべきなのだろうけど、どうやって喜べばいいのか。個人的には「延びてしまった感」ありありで、気はめいるばかりだ。 世界に誇る「長寿国の寿命」がさらに延びてしまったのである(以下、おさらい)』、「80歳近くなっても低賃金に耐えて働かなくてはならない高齢者が量産されている」、というのは確かに「失政」のせいだ。。
・『さらに長くなる人生にどう向き合うか  2018年の日本人の平均寿命は、女性が87.32歳(世界2位)、男性が81.25歳(世界3位)で、いずれも過去最高を更新。男女ともに、がん、心疾患、脳血管疾患の「3大疾患」による死亡率が改善した影響で、「医療水準や健康意識の向上などの成果とみられる。平均寿命はさらに延びる可能性がある」らしい(by 厚労省の担当者)。 平均寿命が延びたと報じられると、決まって「寝たきりばかり増やしてどうするんだよ」的コメントが散見されるが、それは大丈夫だ。 介護を受けたり寝たきりになったりせず日常生活を送れる期間を示す「健康寿命」は男女とも平均寿命以上に延び、こちらも世界最高レベルに達している。 男性は01年に69.40歳だったが、07年に70.33歳と70歳を超え、16年は72.14歳。女性は01年に72.65歳だったが、16年は74.79歳まで延びた。結果、16年の平均寿命と健康寿命の差は男性8.84年、女性12.35年と短くなっているのである。 しかも、厚労省は、2040年までに健康寿命を3年以上延ばすと意気込んでいるので、健康寿命は男女とも75年以上になる可能性が高い。 健康寿命を延ばす前に、働く高齢者の8割を占める非正規の賃金を上げてくれ。しつこいけど貧困は社会が作り出すもので、貧困は世代を超えて連鎖するという現実を受け止めて欲しい』、このほど決まった最低賃金の引上げが、「非正規の賃金を上げてくれ」につながればいいのだが・・・。
タグ:クローズアップ現代 高齢化社会 日経ビジネスオンライン ダイヤモンド・オンライン 野田 稔 河合 薫 「確証バイアス」 高齢化社会(その13)(キレる老人 事故る老人が続出!定年で解放された後の心構え、“塩漬け”おじさんが定年後再就職で失敗する理由、海外からも揶揄される貧しき長寿国ニッポン) (その13)(キレる老人 事故る老人が続出!定年で解放された後の心構え、“塩漬け”おじさんが定年後再就職で失敗する理由、海外からも揶揄される貧しき長寿国ニッポン) 「キレる老人、事故る老人が続出!定年で解放された後の心構え」 日本はまだ高齢化社会に慣れていません 自動ブレーキなどの安全性能の高い車に限って高齢者の運転を許す限定免許も検討され始めました キレる老人は他人事ですませていいのか? 「キレる老人」は、わが身の明日の姿かもしれませんし、まだまだマスコミに取沙汰されているわけではありませんが、「キレる中高年」もまた現代の日本の姿なのではないでしょうか 知らず知らずのうちに怒りっぽい人間になっていた 今はあまりにも怒りの閾値(いきち)が低すぎます 退職後は守ってくれる組織もないし、部下もいない 認知機能の衰えや情動コントロール力の低下を気にすべきは70歳以上だと知りました 人間、老化とともに徐々に前頭葉の働きが鈍くなっていくので、怒りを抑える力が弱くなっていく 大企業で組織に守られてきた人が、いきなり世間に放り出されて、自分でさまざまな手続きなどをしなければいけなくなった時に、キレやすくなるという事実 不甲斐ない自分に腹を立て、機械に腹を立て、教える人に腹を立て、しまいには、世間や周りの人にも腹を立てる。そうやって引退した人間の多くは孤立していくのです 少し謙虚になればいいものを、無用なプライドが邪魔をするのでしょうか。それまでミスを指摘されたり、叱られたりということに長く無縁できてしまったツケです アンガ―マネジメント 「6秒間我慢」 時間軸を変えて、生活の仕方を変えればいい 「“塩漬け”おじさんが定年後再就職で失敗する理由」 某大手企業の元常務。63歳で定年となり、8カ月後に再就職 昔の上司が呼んでくれたんです 半年後に出社拒否です。完全にメンタルをやられてしまったんです 分かっていたけれど環境変化に対応できない “塩が抜けない” 心は習慣に大きく影響されている 再就職とは転職であり、どんなに培ってきたキャリアがあろうと、どんなに高い役職に就いていたとしても、それは過去の遺物。とても難しいことかもしれないけど、その過去を一掃しない限り適応は無理 再就職での組織社会化はなかなか難しい 権力(power)の働きがシステマティックに埋め込まれた会社組織では、権力者の言動は上司・部下関係のみならず、関連する団体や組織や一般社会にも影響を与え、権力者はそれによって他者からの干渉を免れることが可能となる その結果、周りが権力者に黙従せざるを得ないという非対称の人間関係が生まれ、権力者の思い通りに周りが勝手に動くため、自らエネルギーを費やさずとも、周りが勝手に居場所を作ってくれる。件の男性の言葉で言い換えると「それなりに扱ってくれる」のである 権力ある地位にいた人ほど、思考が短絡化され、属性にひもづけられたステレオタイプで他者を見てしまいがちだ 自分から動いて関係を作っていくしかない これまで私がインタビューしてきた人で、再就職に満足している人は例外なく、準備運動のできている人だった 「海外からも揶揄される貧しき長寿国ニッポン」 ブルームバーグ紙 Stop Blaming America's Poor for Their Poverty ./In Japan, people work hard, few abuse drugs, crime is minimal and single mothers are rare. The country still has lots of poverty 日本には政策的に深刻な問題があるってこと。貧困っていうのはさ、社会が作り出しているんだよ! 社会の問題なんだよ!」と、日本人が一向に正面から向き合おうとしないリアルを、海の向こうからアメリカ人が突きつけた、というわけ 日本の相対的貧困率はG7(先進7カ国)でワースト2位 ひとり親世帯に限るとOECD(経済協力開発機構)加盟国35カ国中ワースト1位 日本の母子家庭 突出して貧困率が高く 貧困高齢者の増加が大きな問題 65歳以上高齢者の単身世帯の貧困率はさらに深刻 一億総貧困社会に突入する。一握りの「豊かな高齢者」と大多数を占めるの 「貧困に苦しむ高齢者」に分かれる時代が到来 介護施設で低賃金で働く高齢 私のホームにも男性3名、女性1名の定年退職者が働いています。いずれも70代で、最高齢者は79歳の男性です 黙々とただ働いています。ホームの仕事は重労働ですので、高齢者にはかなりきついはずです。でも、お金がないから頑張るしかない 高齢者が働ける場があることは良いのだが… 80歳近くなっても低賃金に耐えて働かなくてはならない高齢者が量産されている さらに長くなる人生にどう向き合うか 健康寿命を延ばす前に、働く高齢者の8割を占める非正規の賃金を上げてくれ。しつこいけど貧困は社会が作り出すもので、貧困は世代を超えて連鎖するという現実を受け止めて欲しい
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日本のスポーツ界(その26)(競走馬156頭出走取り消し騒動 「巨額賠償金」の行方、「スポ根」を感動ドラマに仕立てる甲子園はブラック労働の生みの親だ、小田嶋氏:高校生の肘をサカナに旨い酒を飲む) [社会]

日本のスポーツ界については、6月14日に取上げた。今日は、(その26)(競走馬156頭出走取り消し騒動 「巨額賠償金」の行方、「スポ根」を感動ドラマに仕立てる甲子園はブラック労働の生みの親だ、小田嶋氏:高校生の肘をサカナに旨い酒を飲む)である。

先ずは、6月23日付けNEWSポストセブン「競走馬156頭出走取り消し騒動 「巨額賠償金」の行方」を紹介しよう。
https://www.news-postseven.com/archives/20190623_1397696.html
・『「目下、競馬界は大混乱で、調教師や厩舎関係者、騎手らが競走除外となった馬のオーナーへの謝罪に追われています。ただ、この件は調教師や騎手に責任はなく、全くおかしな話です」 そう憤るのは元JRAトップ騎手の藤田伸二氏だ。6月15日、JRAは日本農産工業が販売した飼料添加物(馬用サプリメント)「グリーンカル」から禁止薬物のテオブロミンが検出されたと発表。同日と翌16日に出走予定の競走馬のうち、同社の添加物を摂取した可能性のある156頭が競走除外になった。 競馬界ではこの前代未聞の騒動を巡り、“誰に責任があるのか?”で揺れている。 競走馬が口にする飼料などは、所定の機関で禁止薬物を含んでいないかの検査を受けなくてはならない。今回は昨年12月以降、未検査のものが流通したとして、15日の会見でJRAは「検査済みでないものが出回っていたのが一番の問題」と、販売元を批判した。 「販売元の日本農産工業は、商品の全量回収を進める一方、『定期的に薬物検査を実施している』と反論。認識が食い違っている』、「認識が食い違っている」のであれば、第三者委員会で究明すべきだろう。
・『同じ原材料と製造工程の『同一ロット』の製品なら検査は一度でいいという規程がある。今回の争点は問題の飼料添加物が、過去に検査を受けてOKだったものと『同一ロット』にあたるのかどうか。その定義を巡って両者が違った理解をしているようなのです」(競馬紙記者) 改めて両者に問うと、日本農産工業もJRAも「調査中で回答を差し控える」とした。 どちらの責任になるのか、当事者には重大な問題だ。 「急な競走除外で馬の調整が狂い、次のレースへの影響は避けられない。オーナーは補償を求めて声をあげることになる」(藤田氏) 影響を受けた競走馬が多いだけに、巨額賠償になりかねない。アトム市川船橋法律事務所の高橋裕樹弁護士がいう。 「現時点では販売元に損害賠償責任があるように思えますが、156頭の特別出走手当(全ての出走馬に交付される手当。重賞の場合、約43万円)だけで約6500万円。獲得できたかもしれない賞金についての補償まで認められれば、数億円単位の賠償になる」 “審議ランプ”は灯ったままだ』、「数億円単位の賠償」とは、大事になったものだ。

次に、ノンフィクションライターの窪田順生氏が8月1日付けダイヤモンド・オンラインに寄稿した「「スポ根」を感動ドラマに仕立てる甲子園はブラック労働の生みの親だ」を紹介しよう。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190801-00210468-diamond-soci&p=1
・『夏の高校野球予選で、肘に違和感を感じたエースの登板を回避した大船渡高校に抗議の電話が殺到した。相変わらず、「無理を押してでも頑張れ」という、根性信仰とでもいうべき異常な価値観が蔓延しているのだ。ブラック企業にもよく見られるこの「信仰」のせいで、今なお大勢の若者が心身を壊し、時に命まで落としているというのに』、「大船渡高校に抗議の電話が殺到」とは、ファンのクレージーさを如実に示している。
・『大船渡高校エースの登板回避で 抗議電話が殺到する事態に  ここまでクレイジーなことになってくると、もはや「熱闘甲子園」というより「発狂甲子園」とでも呼んだ方がいいのではないか――。 夏の高校野球岩手県予選で、県立大船渡高校のエース佐々木朗希投手が、肘の違和感を訴えていたので、監督が登板を回避したところ、球場では怒りの「ヤジ」が飛び、高校にも「なぜ投げさせなかった!」という抗議電話が250件以上も殺到。野球部関係者の「安全確保」のために、警察が出動する事態にまで発展したというのである。 クレーマーたちは野球賭博でもやっていたのかと困惑する方も多いだろうが、ご乱心ぶりはそれだけにとどまらない。「ご意見番」として知られる野球評論家の張本勲さんが、「サンデーモーニング」でこんな発言をしたのだ。 「苦しい時の投球を、体で覚えて大成した投手はいくらでもいる。楽させちゃダメ。スポーツ選手は」「けがを怖がったんじゃ、スポーツやめたほうがいいよ」 中学・高校で起きる事故の半分以上が運動部で起きており、その数は年間35万件にものぼる。その中の多くは、スポーツ科学の「か」の字も知らぬ、“ド根性監督・コーチ”が課したオーバーワークによる「人災」だということが、さまざまな調査で明らかになっている。国や自治体の「部活動ガイドライン」は、そんな昭和の価値観を引きずる“ド根性監督・コーチ”の暴走を防ぐ目的で生まれたのだ。 そういう今の学生スポーツの深刻な問題をまるっきり無視して、前途のある青少年に進んで「破滅」を促すような発言は、さすがにダルビッシュ有選手をはじめ、多くのプロアスリートから批判されている。スポーツを愛し、生涯の仕事としてキャリアを重ねる人たちからすれば、極めてノーマルな反応といえよう』、「中学・高校で起きる事故の半分以上が運動部で起きており、その数は年間35万件にものぼる。その中の多くは、スポーツ科学の「か」の字も知らぬ、“ド根性監督・コーチ”が課したオーバーワークによる「人災」」、ということで生まれた「部活動ガイドライン」も、張本勲氏は恐らく眼も通してないのだろう。
・『スポ根はブラック企業と とてもよく似ている  ただ、個人的にクレイジーだと思うのは、この騒動を受けてもなお、「張本発言」を強く支持する方たちが、世の中にはかなりいるということである。彼らの主張をまとめると、ざっとこんな感じだ。 +佐々木投手本人は絶対に投げたかったはずだから、本人の意志を尊重して投げさせてやるべきだった +甲子園出場を「夢」としてチームで頑張ってきたのだから、佐々木投手個人の将来より「完全燃焼」を優先すべき +公立は部員が少ないので、エースの負担が多くなるのはしょうがない これを見て勘のいい方は、もうお気づきだろう。一見すると、漫画の「巨人の星」や「キャプテン」で見られた昭和のスポ根的世界観のようだが、よくよくその言葉を噛み締めてみれば、ブラック企業の経営者やパワハラ上司たちが言っていることと丸かぶりなのだ。 これまで筆者は、死者を出すほどの過重労働が問題となった企業の経営者や、部下を心療内科送りにしたパワハラ上司の方たちと実際にお会いして、「言い分」を聞く機会がたびたびあったが、確かにこれと瓜二つの主張をよく耳にした。 例えば、過重労働で自殺者を出した企業の経営者は、「無理にやらせているわけではなく、帰れと言ってもみんな残業をする」とか「みんな自分の夢の実現のため、休日出勤や時間外労働をしている」なんて感じで熱弁をふるっていた。 とにかく苦しくなると、「本人の意志」とか「夢」という言葉を持ち出して、劣悪な環境やパワハラを正当化するあたりが、ブラック労働と「根性野球」の支持者は、怖いくらい似ているのだ。 なぜこうなってしまうのか。答えは簡単で「子ども」と「社会人」という違いはあるが、基本的に見ている世界、目指す理想が同じだからだ。白球を追いかける球児、祈る女子高生なんて爽やかイメージでチャラにしようとしているが、そこで行われている坊主強制・連帯責任・理不尽なシゴキ・先輩による後輩イジメなどハラスメントの数々は、ブラック企業とさほど変わらないのだ。 清く正しく美しい高校野球を侮辱するとは何事だ、と今すぐ編集部に抗議の電話をかけたくなる方も多いかもしれないが、その醜悪な現実を、これ以上ないほどわかりやすく世に知らしめた高校がある。 去年の夏、日本中から「感動をありがとう」の大合唱が起きた秋田県の金足農業高校だ』、「白球を追いかける球児、祈る女子高生なんて爽やかイメージでチャラにしようとしているが、そこで行われている坊主強制・連帯責任・理不尽なシゴキ・先輩による後輩イジメなどハラスメントの数々は、ブラック企業とさほど変わらないのだ」、冷徹な分析で、その通りだろう。
・『「自分の意思」で 破滅への道をひた走る  今年7月16日の秋田大会で足金農は敗れた。その試合後、チームを引っ張ってきた3年生の主将は涙ぐんで「正直、本当につらかった」と述べた。だが、これは高校生が「部活」という課外活動で経験する「つらさ」のレベルをはるかに超えたものだった。 《新チームとなってから、いつも周囲から「あの金足農の選手」と見られた。秋の県大会では準々決勝で敗退。冬の厳しい練習で追い込もう。そう意気込んだ矢先の今年1月、練習中に突然倒れて意識を失った。精神的な要因で手足などにまひが残るとされる「転換性障害」との診断。足が動かなくなり、車椅子生活が4カ月間続いた。》(朝日新聞2019年7月16日) 朝日新聞なので、部数激減を“甲子園ビジネス”でカバーしようとでもいうのか何やら感動ドラマっぽい話になっているが、これを社会人に置き換えてほしい。どうひいき目に見ても「ブラック企業」の犠牲者のエピソードではないか。 もちろん、この主将は誰かに強制されて厳しい練習をやっていたわけではないだろう。「自分の選んだ道」「自分の夢」として、甲子園を目指し過酷な練習をしていた。自分のために頑張り、自分のために歯を食いしばっているうちに、精神が追い詰められてしまったのだ。 ただ、それはブラック企業もまったく同じである。電通で「過労自殺」した女性社員をはじめとした、ブラック企業の犠牲者のほとんどは、自分の夢の実現のために、そのハードな職場環境へ自ら身を投じ、自らの意志で過重労働をしているうちに心と体を破壊した。しかし、そこには「お前が選んだんだから」と陰に陽に過度な頑張りを奨励する経営者や上司たちがいたはずだ。 要するに、「自分が選んだ道」や「自分の夢」という言葉を呪文のように繰り返すことで、若者を洗脳して精神的、肉体的に追い込んでいくという、いわゆる「やりがい搾取」というやつだ』、「やりがい搾取」とは言い得て妙だ。
・『破滅へと突き進む若者を 止めない大人たちの罪  高校野球で若者が壊れていくプロセスも、まったく同じである。みな自分の意志で無茶をする。肩が壊れるまで投げさせろと懇願する。熱中症になるまで自分を追い込む。 この「やりがい搾取」が恐ろしい悲劇しか招かないというのは、やはり金足農を見ればよくわかる。試合に敗れた数日後、地元紙にこんな記事が出ている。《金足農業高校の野球部関係者から、部員が練習後に体調不良になったと119番があった。市消防本部によると、6人が手足のしびれや頭痛など熱中症とみられる症状を訴え市内の病院に搬送された。》(秋田魁新報 2019年7月22日) 彼らの夏は終わった。しかし、秋の大会へ向けて、また自分たちを厳しく追い込んでいたのだろう。「この悔しさがバネになるんだ!」とか感動する人も多いかもしれないが、筆者はまったくそう思わない。 ブラック企業で、自分を追い込んで、追い込んで、しまいには心身を壊してしまう若者たちの姿が重なってしまうからである。 このように高校野球もブラック企業も本当に恐ろしいのは、未来のある若者たちが「みんなのため」と叫びながら、次々と「破滅」していくことなのだ。しかも、そういう愚かな行為を本来止めなくてはいけないはずの大人や上司が「よし!よく言った」「悔いのないように完全燃焼しろ!」なんて感じで後押しをする。これこそが、夏になるたび球児が熱中症でバタバタと倒れ、中には深刻な障害が残ったり命を落とす者が後を絶たない理由である。 だからこそ、涼しい季節の開催や球数制限などの「ルール」が必要なのだ。 ブラック企業問題を、経営者の「良心」や「自主性」に任せても絶対に解決ができないのと同じで、部活問題も、”ド根性監督・コーチ”が「科学的指導」に目覚めるのを待っていては、犠牲者が増えるだけだ。むしろ、少子化で公立の場合、野球部員の数が急速に減っていくので、「私立の強豪と張り合うには、向こう以上に厳しい練習をするしかない!」なんて感じで、よりハードな「根性原理主義」へ傾倒していく恐れがある』、「涼しい季節の開催や球数制限などの「ルール」が必要」、というのは大賛成だ。
・『まったく科学的でない 時代遅れの「根性信仰」  そのあたりは、筆者は適当なフィーリングで述べているのではない。6月7日に開催された「投手の障害予防に関する有識者会議」(第2回)の中でも、スポーツ整形外科医師の正富隆委員は、「全ての指導者の方がすばらしい指導者であれば、我々医者は球数制限なんて言わないと思います。残念ながら指導者に潰されている選手をたくさん診ているから、何とか球数制限で守ってやるしかない」と苦言を呈している。 こういう科学的な指摘を、日本高等学校野球連盟(高野連)も、その下にいる小学校・中学校の野球関係者も無視してきた。「根性こそが強くなるためには必要」という、信仰にも似た思い込みがあるからだ。 現在、ラグビーのイングランド代表チームを率いるエディ・ジョーンズ氏は、サントリーの監督時代、日本の部活文化を知るため、「スクール・ウォーズ」を3ヵ月かけて全部見たという。その時のことについて、「部活が危ない」(講談社)の著書・島沢優子氏がインタビューをしたところ、ジョーンズ氏はこう述べている。 「感想は…ジャスト・スチューピッド(Just stupid=バカバカしい)。戦時中とかではない。ほんの二十数年前に作られたドラマだということが信じられなかった」 そんなジョーンズ氏に、高校球児に肩が壊れてもいいから投げろという日本人が多いことについて尋ねたらどうか。きっと、こう言うのでないか。「狂っている」ーー。 いい加減にそろそろ、日本社会のあらゆる「狂気」の源泉に「部活」というものがあるという事実を、潔く認めるべきではないか』、説得力溢れた主張だ。「投手の障害予防に関する有識者会議」(第2回)でのスポーツ整形外科医師の正富隆委員の警告を無視する「高野連」や小学校・中学校の野球関係者の姿勢は、目を覚ますべきだろう。

第三に、コラムニストの小田嶋 隆氏が8月2日付け日経ビジネスオンラインに寄稿した「高校生の肘をサカナに旨い酒を飲む」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00116/00033/?P=1
・『毎年、この時期になると高校野球の話題を取り上げている気がしている。 しかも、毎度同じような立場(具体的には「高校生の苦行を見物するのは悪趣味だぞ」的な上から目線での決めつけ)から苦言を並べ立てる趣旨の原稿を書いている自覚がある。 読者の中には、オダジマが毎回繰り返し持ち出してくる甲子園関連記事に食傷している向きも少なくないはずだ。 「ああ、オダジマがまた高校野球にケチをつけている」「きらいなら黙ってればいいのに」「気に食わないコンテンツを無視できないのって、一種の病気だよな」「うん。不幸にして不毛な不治の病だと思う」 大筋において、私のイチャモンのつけ方がおとなげないことは、認めなければならない。 にもかかわらず、自分の言いざまがくだくだしいことを承知の上で、それでも私は口をはさまずにいられない。 困った性分だ。 この問題(←毎夏、甲子園大会が開催されるたびに表面化することになっている、わたくしたち日本人の度し難い思い込み)を、私は看過することができない。 なんとなれば、「無理をすることは美しい」「仮に頑張った結果が報われなくても、頑張ったことそのものに価値がある」「無理をした結果が悪い方向に転んだのだとしても、そんなことはたいした問題ではない。なにより大切なのは、若い人たちが無理を重ねたことを通じて、人間的に成長していくその過程なのだ」式の考え方と、その思想がもたらす「無理」によって成立している組織のあり方こそが、私の一生涯を通しての変わらぬ仮想敵であったからだ。 しかも、その戦いに、今年もまた私は敗北しつつある。 なんと残念ななりゆきであろうか。 われら21世紀の日本人は、いまだにインパールの延長戦を戦い続けている。そして、その自分たちの全国民を挙げての愚かな敗北の物語を、あろうことか、美しいと思い込んでいる。 私がどんなに口を酸っぱくして指摘しても、多数派の日本人は、自己犠牲の物語が大好きで、それゆえ、高校生たちが、理不尽な運命に苦しむ姿を、夏休みの娯楽として消費する習慣を決してあきらめようとしない。 経緯を振り返っておく。 2019年の7月25日、第101回全国高校野球選手権大会への出場を懸けた岩手大会決勝で、大船渡・国保陽平監督(32)が高校最速の163キロを記録したエースの佐々木朗希投手(3年)を起用せずに、敗退した。 国保監督が佐々木投手の連投を避けるべく決勝戦での登板を回避させた判断の是非について申し上げるなら、すでに結論は出ている。 あれは、どこからどう見ても正しい決断だった。 この点について議論の余地はない。むしろ、これほどまでに明白な論点に関して、いまだに議論がくすぶっていることを、われわれは恥じなければならない』、「われら21世紀の日本人は、いまだにインパールの延長戦を戦い続けている。そして、その自分たちの全国民を挙げての愚かな敗北の物語を、あろうことか、美しいと思い込んでいる。 私がどんなに口を酸っぱくして指摘しても、多数派の日本人は、自己犠牲の物語が大好きで、それゆえ、高校生たちが、理不尽な運命に苦しむ姿を、夏休みの娯楽として消費する習慣を決してあきらめようとしない」、というのは鋭い指摘だ。
・『当日の朝日新聞が興味深い記事を掲載している。 記者は、まず 《賛否はあるだろうが、選手を守るための判断なら、第三者が口を挟むべきではないと思う。》と、シンプルに断言している。 おっしゃる通りだと思う。私自身、この点に異論はない。 ただ、注意せねばならないのは、記者氏が、最初に掲げたこの結論を補強するために、以下のような論陣を張っている点だ。 《投球数制限を議論する中で、「毎日一緒にいる指導者に任せて欲しい」という現場の声をよく聞く。「だから投げさせて」と主張するなら、「だから投げさせない」という考え方もあって当然だ。指導者と選手がどう話し合い、どんな準備をしてきたか。それは当人たちにしか分からない。 投げさせた監督も、投げさせなかった監督も非難されるなら、厳格な投球数制限をするしかない。 甲子園という夢は破れたが、注目を浴びながら決勝まで勝ち上がった経験は、チームメートにとってもプラスになるだろう。この夏を総括し、次の目標へと切り替える作業も、現場に任せればいい。》 要約すれば、「どんな判断であれ、現場の決断を最大限に尊重すべきだ」というお話だ。 明快な主張だとは思うものの、一方において、この記事が、いかにも朝日新聞らしい論理展開に終始している点も指摘しておかなければならない。 なんとなれば、「部外者は当事者の判断に口をはさむべきではない」というこの理屈は、大会の主催者である朝日新聞社ならびに高野連の開催責任をテンから投げ出した物言いでもあるからだ。 実際、「現場で選手を見ている監督の判断(←投げさせるのであれ投げさせないのであれ)がすべてに優先されるべきだ」 と断言してしまったが最後、球数制限の導入や、大会日程の見直しをはじめとする春夏の甲子園大会の改革に関して進行しつつある議論は、すべて吹っ飛んでしまう。 私自身は、目先の勝利と選手の将来を天秤にかける過酷な判断を「現場」(具体的には「監督」)に丸投げしている主催者の無責任こそが、この問題の元凶であると考えている。 別の言い方をすれば、公式のルールなりレギュレーションを通じて連投規制なり球数制限なりを導入しない限り、この種の問題は毎年のように繰り返され、必ずや監督なり選手なりを重圧の中で苦しめるはずだということでもある。 甲子園の日程が狂気の沙汰であることははっきりしている。 というよりも、狂気は、甲子園以前の少年野球の段階で、すでに始まっているものなのかもしれない』、「目先の勝利と選手の将来を天秤にかける過酷な判断を「現場」(具体的には「監督」)に丸投げしている主催者の無責任こそが、この問題の元凶であると考えている」、というのはその通りだ。
・『NHKのNEWS WEBが《トミー・ジョン手術 4割が高校生以下 野球指導者の意識改革を》という見出しで、こんな記事を配信している。 なんでも、《群馬県館林市にある慶友整形外科病院は「トミー・ジョン手術」を行う国内でも有数の病院で、これまでプロ野球選手を含めおよそ1200件の手術を行っています。このうち、10年以上にわたって600件以上の手術を行ってきた古島弘三医師が、担当した患者を分析したところ、高校生以下の子どもがおよそ4割を占め、中には小学生もいたことが分かりました。》ということらしい。 なんといたましい話だ。 わたしたちは、子供たちの肘をサカナに旨い酒を飲んでいる。 さて、前置きが長くなった。 私が本当に言いたいのは、ここから先の話だ。 つまり、問題の本質は、大会日程の過酷さや、投手の肘への負担の大きさよりも、むしろその若者たちの負担や犠牲を「美しい」と思い込んでしまっているわれら日本人の美意識の異様さの中にあるはずだという主張を、私は、またしても蒸し返そうとしている次第なのだ。 2018年の10月、プレジデントオンラインに、元文部科学省の官僚で、現在は映画評論家として活躍している寺脇研氏が、 《監督の"打つな"を無視した野球少年の末路 上からの命令は「絶対」なのか》と題する記事を寄稿している。 私は、今回の問題をめぐる議論を眺めていて、この記事を思い出さずにおれなかった。 というのも、当初は佐々木投手を登板させることに関して 「甲子園出場というかけがえのない舞台の大切さ」「有望な投手が故障する可能性の恐ろしさ」「大会日程の過酷さ」「球数制限の是非」といったあたりで沸騰していたはずの議論が、 いつしか 「全体のために尽くす心の大切さ」「高校生が野球を野球たらしめている自己犠牲の精神から学ぶ人生の真実」みたいな「道徳」ないしは「美意識」の話に移行していく流れを、ネット上の様々な場所でいくつも目撃せねばならなかったからだ。 記事中で、寺脇氏は「星野君の二塁打」という道徳教材の中で称揚されている「ギセイの精神」について、 《「ギセイ」とわざわざ片仮名で書いたあたりに作者のわずかばかりの逡巡は匂うものの、戦争を反省し人権尊重をうたう日本国憲法が施行された直後に発表された作品とは思えない無神経さだ。 こんなセリフを、そのまま現在の教科書に使っていいはずはない。すでに「犠牲バント」という言葉が消え、単に「バント」あるいは「送りバント」と呼ばれるようになって久しい現代において、「犠牲の精神」がなければ社会へ出てもダメだと決め付けるようなもの言いは時代錯誤だ。ちなみに、もう1社の教科書では「犠牲」の部分は使われていない。この話をこんな形で道徳の教科書に使うのは不適切ではないだろうか。》と書いている。 同感だ』、「トミー・ジョン手術 4割が高校生以下」というのは痛ましい悲劇だ 。「当初は佐々木投手を登板させることに関して 「甲子園出場というかけがえのない舞台の大切さ」「有望な投手が故障する可能性の恐ろしさ」「大会日程の過酷さ」「球数制限の是非」といったあたりで沸騰していたはずの議論が、 いつしか 「全体のために尽くす心の大切さ」「高校生が野球を野球たらしめている自己犠牲の精神から学ぶ人生の真実」みたいな「道徳」ないしは「美意識」の話に移行していく流れを、ネット上の様々な場所でいくつも目撃せねばならなかったからだ」、というのは由々しいことだ。元文部科学省の官僚・・・寺脇研氏の主張ももっともだが、教科書検定では自らの意見を言えなかった事情も知りたいところだ。
・『が、現状を見るに、小学校の道徳教材の中で暗示される「ギセイ」の物語は、毎夏集中放送される甲子園球児の「青春残酷物語」を通じて、補強され、シンクロされ、具体化されている。 われわれは、ギセイの物語を美しいと思うべく条件づけられている。 目の肥えた野球ファンは、夏の甲子園大会が、エースピッチャーにとって過酷であるという程度のことは、十分に認識している。ただ、彼らは、同時に、夏の甲子園のグラウンド上で展開される一回性の魔法が「残酷だからこそ美しい」ということを、よく承知している人々でもある。 つまり、暑くて、苦しくて、将来有望な投手の肘や肩を台無しにするかもしれない危険をはらんでいるからこそ、観客であるわれわれは、その運命の残酷さに心を打たれるわけで、逆に言えば、グラウンド上の子供たちが、快適な気象条件と穏当な日程の中で、のびのびと野球を楽しんでいるのだとしたら、そんな「ヌルい」コンテンツを、われら高校野球ファンはわざわざ観戦したいとは思わないということだ。 こじつけだと思う人もあるだろうが、私は、道徳の教科書を制作している人々が「星野君の二塁打」を通じて現代の小学生に伝えようとしている精神は、今回の佐々木投手の登板回避をめぐる議論にも少なからぬ影響を与えていると思っている。 というよりも、そもそものはじめから、佐々木投手の登板回避をめぐる話題は、投手の肘がどうしたとか、大会の日程がハチのアタマであるとかいった些末な話ではなくて、そのものズバリ、「犠牲」の物語なのである。 類まれな才能が、美しい生贄として野球の神に捧げられなかったなりゆきを、残念に思っている人々が、たくさんいるからこそ、佐々木投手の話題は、いまだにくすぶり続けている、と、そういうふうに考えなければならない。 大船渡高校の監督が佐々木投手の登板回避を決断して試合に敗れた週の日曜日、TBS系列が午前中に放送している「サンデーモーニング」という番組の中で、野球評論家の張本勲氏が、監督の判断に「喝」を入れたことが話題になった。 番組の中で、張本氏は以下のように述べている。 「最近のスポーツ界で私はこれが一番残念だと思いましたよ。32歳の監督で若いから非常に苦労したと思いますがね、絶対に投げさせるべきなんですよ」「けがを怖がったんじゃ、スポーツやめたほうがいいよ。みんな宿命なんだから、スポーツ選手は」「(佐々木の)将来を考えたら投げさせたほうがいいに決まってるじゃない。苦しいときの投球を体で覚えてね、それから大成したピッチャーはいくらでもいるんだから。楽させちゃダメですよ。スポーツ選手は」 論評の言葉が見つからない。 最新のスポーツ医学がもたらすところの知見によれば、とか、そういうことをここで繰り返しても仕方がなかろう。 ただ、この場を借りて強調しておかなければならないのは、張本氏の主張は、素っ頓狂であるように見えて、あれはあれで、野球好きな日本人のど真ん中の感慨でもあるということだ。 重要なのは、張本氏に限らず、多くのスポーツファンが「チームのために」「勝利のために」自らの青春を捧げることを美しい行為であると考える美意識を共有していることだ。 肩がどうしたとか肘がどうしたというお話は、その「美意識」(←美しく「散る」若者の姿を見たいというわれら凡庸人の願望)を飾るスパイスであるに過ぎない』、「そもそものはじめから、佐々木投手の登板回避をめぐる話題は、投手の肘がどうしたとか、大会の日程がハチのアタマであるとかいった些末な話ではなくて、そのものズバリ、「犠牲」の物語なのである。 類まれな才能が、美しい生贄として野球の神に捧げられなかったなりゆきを、残念に思っている人々が、たくさんいるからこそ、佐々木投手の話題は、いまだにくすぶり続けている」、「重要なのは、張本氏に限らず、多くのスポーツファンが「チームのために」「勝利のために」自らの青春を捧げることを美しい行為であると考える美意識を共有していることだ」、などは本質を突いた鋭い指摘だ。
・『われわれは、自己犠牲の物語を美しいと感じるように育てられている。 ついでに言えばだが、その美意識は、現政権が現行憲法を改正する上での最も重要な動機になってもいる。 自民党が公表している改正案の中では、日本国憲法の中にある「個人」という言葉が、すべて「人」に書き換えられることになっている。 要するに、新しい憲法草案の中では、われら国民は、一個の個人である前に、「国家」なり「公」の一構成要素であると考えられているわけだ。 最後に余計なことを言ったかもしれない。 が、私もまた、犠牲者としてリストアップされている人間の一人である以上、言うべきことは言っておかなければならない。 ベースボールは、アメリカで誕生した時点では、進塁と得点を競うシンプルなゲームだった。 それが、地球の裏側のわが国に渡来して「野球」という言葉に翻訳されると、いつしかそれは「犠牲バント」と「敬遠四球」によって実現されるインパールな敗北を愛でる暗鬱な儀式に変貌した。 星野君の二塁打は祝福されない。 勝利に貢献しなかったからではない。 全体に同調しなかったからだ。 同じ文脈において、国保監督の判断は、称賛はされても祝福はされない。 敗北したからではない。 国民の気分に同調しなかったからだ。 いやな結論になった。 毎年、この季節はいやな原稿を書いている。 私は世の勤め人の夏休みを呪っているのかもしれない。 この底意地の悪い原稿を読み終わったら、夏休みを楽しんでいる皆さんは、どうかゆったりとした気持ちを取り戻してください。ごめいわくをおかけしました』、「われわれは、自己犠牲の物語を美しいと感じるように育てられている。 ついでに言えばだが、その美意識は、現政権が現行憲法を改正する上での最も重要な動機になってもいる。 自民党が公表している改正案の中では、日本国憲法の中にある「個人」という言葉が、すべて「人」に書き換えられることになっている。 要するに、新しい憲法草案の中では、われら国民は、一個の個人である前に、「国家」なり「公」の一構成要素であると考えられているわけだ」、この問題が憲法改正にまでつながっているとは、改めて驚かされた。「ベースボールは、アメリカで誕生した時点では、進塁と得点を競うシンプルなゲームだった。 それが、地球の裏側のわが国に渡来して「野球」という言葉に翻訳されると、いつしかそれは「犠牲バント」と「敬遠四球」によって実現されるインパールな敗北を愛でる暗鬱な儀式に変貌した」、個々人としては、政府やマスコミに惑われずに、同調圧力に抗して自分なりに考えるようにしていきたい。
タグ:日経ビジネスオンライン ダイヤモンド・オンライン 窪田順生 Newsポストセブン 日本のスポーツ界 小田嶋 隆 (その26)(競走馬156頭出走取り消し騒動 「巨額賠償金」の行方、「スポ根」を感動ドラマに仕立てる甲子園はブラック労働の生みの親だ、小田嶋氏:高校生の肘をサカナに旨い酒を飲む) 「競走馬156頭出走取り消し騒動 「巨額賠償金」の行方」 JRAは日本農産工業が販売した飼料添加物(馬用サプリメント)「グリーンカル」から禁止薬物のテオブロミンが検出されたと発表 同社の添加物を摂取した可能性のある156頭が競走除外になった 認識が食い違っている 賞金についての補償まで認められれば、数億円単位の賠償になる 「「スポ根」を感動ドラマに仕立てる甲子園はブラック労働の生みの親だ」 大船渡高校エースの登板回避で 抗議電話が殺到する事態に 大船渡高校に抗議の電話が殺到 野球評論家の張本勲 「苦しい時の投球を、体で覚えて大成した投手はいくらでもいる。楽させちゃダメ。スポーツ選手は」「けがを怖がったんじゃ、スポーツやめたほうがいいよ」 中学・高校で起きる事故の半分以上が運動部で起きており、その数は年間35万件にものぼる その中の多くは、スポーツ科学の「か」の字も知らぬ、“ド根性監督・コーチ”が課したオーバーワークによる「人災」だということが、さまざまな調査で明らかに スポ根はブラック企業と とてもよく似ている とにかく苦しくなると、「本人の意志」とか「夢」という言葉を持ち出して、劣悪な環境やパワハラを正当化するあたりが、ブラック労働と「根性野球」の支持者は、怖いくらい似ているのだ 白球を追いかける球児、祈る女子高生なんて爽やかイメージでチャラにしようとしているが、そこで行われている坊主強制・連帯責任・理不尽なシゴキ・先輩による後輩イジメなどハラスメントの数々は、ブラック企業とさほど変わらないのだ 「自分の意思」で 破滅への道をひた走る 「自分が選んだ道」や「自分の夢」という言葉を呪文のように繰り返すことで、若者を洗脳して精神的、肉体的に追い込んでいくという、いわゆる「やりがい搾取」というやつだ 破滅へと突き進む若者を 止めない大人たちの罪 涼しい季節の開催や球数制限などの「ルール」が必要 まったく科学的でない 時代遅れの「根性信仰」 「投手の障害予防に関する有識者会議」 スポーツ整形外科医師の正富隆委員 「全ての指導者の方がすばらしい指導者であれば、我々医者は球数制限なんて言わないと思います。残念ながら指導者に潰されている選手をたくさん診ているから、何とか球数制限で守ってやるしかない」と苦言 「高校生の肘をサカナに旨い酒を飲む」 若い人たちが無理を重ねたことを通じて、人間的に成長していくその過程なのだ」式の考え方と、その思想がもたらす「無理」によって成立している組織のあり方こそが、私の一生涯を通しての変わらぬ仮想敵 われら21世紀の日本人は、いまだにインパールの延長戦を戦い続けている。そして、その自分たちの全国民を挙げての愚かな敗北の物語を、あろうことか、美しいと思い込んでいる。 私がどんなに口を酸っぱくして指摘しても、多数派の日本人は、自己犠牲の物語が大好きで、それゆえ、高校生たちが、理不尽な運命に苦しむ姿を、夏休みの娯楽として消費する習慣を決してあきらめようとしない 「部外者は当事者の判断に口をはさむべきではない」というこの理屈は、大会の主催者である朝日新聞社ならびに高野連の開催責任をテンから投げ出した物言い 目先の勝利と選手の将来を天秤にかける過酷な判断を「現場」(具体的には「監督」)に丸投げしている主催者の無責任こそが、この問題の元凶 NHKのNEWS WEB トミー・ジョン手術 4割が高校生以下 野球指導者の意識改革を 問題の本質は、大会日程の過酷さや、投手の肘への負担の大きさよりも、むしろその若者たちの負担や犠牲を「美しい」と思い込んでしまっているわれら日本人の美意識の異様さの中にある 「全体のために尽くす心の大切さ」「高校生が野球を野球たらしめている自己犠牲の精神から学ぶ人生の真実」みたいな「道徳」ないしは「美意識」の話に移行していく流れを、ネット上の様々な場所でいくつも目撃せねばならなかったからだ 元文部科学省の官僚で、現在は映画評論家として活躍している寺脇研氏 戦争を反省し人権尊重をうたう日本国憲法が施行された直後に発表された作品とは思えない無神経さだ。 こんなセリフを、そのまま現在の教科書に使っていいはずはない 佐々木投手の登板回避をめぐる話題は、投手の肘がどうしたとか、大会の日程がハチのアタマであるとかいった些末な話ではなくて、そのものズバリ、「犠牲」の物語なのである。 類まれな才能が、美しい生贄として野球の神に捧げられなかったなりゆきを、残念に思っている人々が、たくさんいるからこそ、佐々木投手の話題は、いまだにくすぶり続けている 重要なのは、張本氏に限らず、多くのスポーツファンが「チームのために」「勝利のために」自らの青春を捧げることを美しい行為であると考える美意識を共有していることだ 自己犠牲の物語を美しいと感じるように育てられている その美意識は、現政権が現行憲法を改正する上での最も重要な動機になってもいる 自民党が公表している改正案の中では、日本国憲法の中にある「個人」という言葉が、すべて「人」に書き換えられることになっている。 要するに、新しい憲法草案の中では、われら国民は、一個の個人である前に、「国家」なり「公」の一構成要素であると考えられているわけだ
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医療問題(その20)(「謎の病気」に苦しむ患者を総合診療医はいかに診断するのか、「謎の病気」診断のスペシャリスト“ドクターG”が誤診撲滅を目指す理由、社会復帰に新展開! 最新のうつ病治療) [生活]

昨日に続いて、医療問題(その20)(「謎の病気」に苦しむ患者を総合診療医はいかに診断するのか、「謎の病気」診断のスペシャリスト“ドクターG”が誤診撲滅を目指す理由、社会復帰に新展開! 最新のうつ病治療)を取上げよう。

先ずは、医療ジャーナリストの木原洋美氏が7月10日付けダイヤモンド・オンラインに寄稿した「「謎の病気」に苦しむ患者を総合診療医はいかに診断するのか」を紹介しよう(Qは聞き手の質問)。
https://diamond.jp/articles/-/208231
・『千葉大学医学部付属病院・総合診療科の生坂政臣医師のもとには、全国から「謎の病気」で悩む患者がやってくる。生坂医師はどんな診断を行っているのか、取材してみた』、私はかつてNHKで放映した「総合診療医ドクターG」を視聴し、本当の病気を探り当てていく手法の素晴らしさに感嘆していたので、とても興味深そうだ。
・『「腕が緑色になる」は重篤な疾患の関連痛だった  「どこの病院で診てもらっても診断がつかない」あるいは「何をやっても治らない。私は本当に○○病なのか」など、千葉大学医学部付属病院・総合診療科の生坂政臣医師のもとには、全国から“謎の病気”に苦しむ患者がやってくる。 地域の大学病院から紹介状を携えてやってくる患者の症状はじつに多種多彩で、ありとあらゆる症状を診てきている生坂医師をしても驚かされることがある。 「腕が緑色になる」――。 そう訴えて来院した40代男性会社員の場合もそうだった。 ◎ケース1  生坂:「右腕がしびれる、重い」から始まって、「なんだか緑色になるような気がする」と言うんです。これは精神科領域の患者さんかもしれないと疑いました。でも、緑色になるのは、いつもではないんですね。食後とか運動した後になるという。つまり、心臓に負担がかかった後に、症状が起きている。ということは、狭心症かもしれないと推察し、検査してみるとやはりそうでした。 腕のしびれも、重いのも、緑色になるような気がするのもすべて、関連痛だったわけです。 Q:関連痛というのは。 生坂:実際に問題が起きているのとは別の場所に痛みなどの症状が出ることです。患部とは別の神経が痛みを肩代わりして感じさせてくれている。狭心症で「緑色になる」というのは初耳でしたが、患者さんはそれぞれ、いろんな表現をします。 胸痛がなくて間欠的に、何かしら負担がかかる状況で出てくるへそから上の症状は、まず心臓病を考えます。例えば、何か食べた後に原因不明の頭痛がする、あるいは顎が痛い、耳が痛いとかいう場合、一度は心臓を疑います。 特に糖尿病、脂質異常症がある高血圧の人はそう考えた方がいいですね Q:心臓に負担がかかるというのはどういう状況ですか。 A:まず運動ですね、次に食事。あと排便も心臓に負担がかかりますから、排便中、排便直後に症状が起きてくる場合は要注意です。 狭心症は決して珍しい病気ではない。 それなのにこの男性は、複数の病院を渡り歩いた末に、生坂先生のもとにたどり着いた。ここに至るまで男性が診てもらった医師たちは、「緑色になる」との表現を聞いて即座に「気のせい」と思い込み、それ以上の問診をしなかったのだろう。 生坂先生によると、この手の思い込みは、ベテラン医師ほど気をつける必要があるという』、「この手の思い込みは、ベテラン医師ほど気をつける必要がある」、というのは医師に限らず、多くの職業でも共通するようだ。
・『「大したことない」が組み合わさった謎の腰痛  生坂医師のもとにたどり着く患者の症状にはもう1点、特徴がある。それは身体的要因、心理的要因、社会的要因が複合的に組み合わさって、1つの症状が出ていることだ。 ◎ケース2  生坂:複合的な要因が組み合わさって1つの症状が出ている病気の最たるものは「腰痛」です。慢性腰痛の診断で難しいのは、MRIとかを撮ると異常はあるんですね。ヘルニアとか脊柱管狭窄とか。でも、それだけでは特定の動作に伴う痛みは説明できても、「動作と関係なく痛い」とか「痛み止めが全く効かない」といった、患者さんが抱えている痛みの全部は説明できない。 Q:ということはつまり。 生坂:やはり身体的な要因だけでなく、心理的、社会的要因が複合的に組み合わさって1つの症状ができているということです。しかもそれらはバラバラに見ると、全部大したことない。メンタルの不調も、社会的なストレスも、腰のヘルニアも。でも全部が合わさると激痛になる。 だから内科や精神科医、整形外科医が別々に診察しても、腰痛の原因は突き止められないことがある。総合的視点で診て初めて分かるのです。本当に単純に、腰のヘルニアだけの痛みを訴えて私たちの外来を受診する患者さんはほとんどいません。 Q:腰痛で受診する患者さんは、複合的な原因によるものが多いですか。 生坂:その通りです。人間は、原因が分かっている痛みは我慢できるんですよ、コントロールできるというか。逆に、すぐにでも治療しないといけないような、重症のヘルニア患者さんは受診しない。気の持ちようで、我慢できてしまうんでしょうね。 受診行動を起こす人は基本的にはメンタルだとか、社会的にいろいろな理由がある場合が多い気がします。 Q:しかし40代を過ぎれば、誰でも複合的な要因を抱えています。むしろ、病気が1つしかない人のほうが珍しいのでは。 生坂:確かに。高齢になるほど、病気が1つということはありえない。必ず複数の病気を持っています。また若い人でも、実は臓器が侵されて症状が出るだけでなく、メンタルや社会的な要因の影響を強く受けている場合があります。臓器は悪くない、心も健康。だけど家庭や会社など、社会的に追い詰められることで、いろいろ症状が出る。原因不明の、謎の病気ということにされてしまう。 特に若い人は、心理的あるいは社会的に逼迫(ひっぱく)して、病気になってしまう人が増えています。 言われてみれば各診療科をバラバラに受診しても分からない病気・症状は多そうだ。苦痛は確かに感じているのに、検査をしても異常なし。どうしたらいいか分からず、途方に暮れている人は少なからずいるのではないだろうか』、「慢性腰痛の診断で難しいのは、MRIとかを撮ると異常はあるんですね。ヘルニアとか脊柱管狭窄とか。でも、それだけでは特定の動作に伴う痛みは説明できても、「動作と関係なく痛い」とか「痛み止めが全く効かない」といった、患者さんが抱えている痛みの全部は説明できない」、普通の医者であれば、そこまで深く考えずに、「ヘルニアとか脊柱管狭窄」と診断しているケースが多いのだろう。「やはり身体的な要因だけでなく、心理的、社会的要因が複合的に組み合わさって1つの症状ができているということです。しかもそれらはバラバラに見ると、全部大したことない。メンタルの不調も、社会的なストレスも、腰のヘルニアも。でも全部が合わさると激痛になる。 だから内科や精神科医、整形外科医が別々に診察しても、腰痛の原因は突き止められないことがある。総合的視点で診て初めて分かるのです」、総合診療の面目躍如だ。
・『「良性」なのに治らないめまい 薬が効く、新たな疾患の可能性も  筆者のもとに、時折相談が寄せられる症状に「めまい」がある。 ある朝突然、回転性の激しいめまいに襲われ、慌てて病院を受診したものの、病名と原因と予防法を簡単に告げられただけで帰され、どうしていいか分からないというビジネスマンは少なからずいる。 ◎ケース3  生坂:「めまい」で受診される方も多いですよ。医者にかかって「良性発作性頭位めまい症」と診断されたけど、ぜんぜんよくならないと。 Q:どういう病気ですか。 生坂:頭を動かしたときに起きるめまいで、「良性」という名前の通り、生命にかかわるような深刻なものではありません。「めまい」で医療機関を受診する患者さんの4割はこの病気だといわれています。 耳の奥の重力を感知する場所にある、小さな砂粒のようなカルシウム結晶「耳石」が、外傷など何らかの理由で剥がれ落ち、それが平衡感覚を司る「三半規管」に入り込んで動くことでめまいが起きます。 原因はよく分かっていませんが、加齢現象によって耳石が大きく、もろくなって剥がれる場合と、激しい運動によって剥がれ落ちる場合と両方考えられています。以前、女性サッカー選手でもこのめまいで入院した人がいましたが、彼女の場合はヘディング等の衝撃で、耳石が剥がれ落ちたものと思われます。 このめまいは長時間続くことはなく、多くは1分以内、長くても数分で完全に収まるといわれていますが、まったく収まらない人もいます。 Q:先生のところを受診するのは、めまいが収まらない患者さんですね。 生坂:そうです。医療機関で耳石を戻す「体操」を指導されたけれども効果がないといって見えられます。特にご高齢で不安の強い性格の方は、もともと身体を動かすのが難儀だったのが、めまいによる転倒が怖くて余計動かなくなる。頭を動かさないと耳石はズレた位置で固定されてしまうので、めまいは治りません。そのため症状が改善せず、久々に動こうとすると激烈な回転性のめまいに襲われ、さらに動けなくなる。この悪循環で、全く体を動かせなくなる恐怖症に陥ってしまいす。 もう1つ。実はなかなか治らないめまいの原因として良性発作性頭位めまい症と似た、「持続性知覚性姿勢誘発めまい」という別の病気があります。ぐるぐる目が回るのではなく、ふわふわしたした感じで1時間以上続く場合は、こちらを考えます。こちらは耳石がズレているわけではないので、頭位とめまいとの関係が曖昧で、体操も全く効かない。 Q:どうやって治すのですか。 生坂:この場合はSSRIなどの薬物療法が必要になります。どちらの場合も身体を動かすことが回復につながりますが、患者さんはめまいそのものや転倒に対して恐怖心があるので、ただ「動いてください」だけでは動けません。場合によっては、転倒予防のヒッププロテクターを付けるなど、総合的な対処をしながら、「これで大丈夫ですから動いてください」という具体的な指導が必要なのです。 Q:一般的な耳鼻科の外来では、そうした対応はしてもらえるのでしょうか。 生坂:一般的な外来は診察時間が短いので、治りが悪いようであれば、めまい専門の外来をお薦めします。 実は私も、良性発作性頭位めまい症の経験者。再発時は耳石を元に戻す効率的な頭の動かし方を知っているので、自分で治療できますが、その体操自体、かなりつらいです。その上、うまくいった場合、めまいはピタッと止まりますが、いつもうまくいくとは限らない。 最近は、ある一定の頭位さえとらなければ、めまいは起きないことが分かったので、発作が起きそうになった場合も、その頭位をとらないようにして動き回っています。ただ、その頭位は人それぞれ。治療には個別の指導・対策が必要ですので、継続的にかかれるお近くの専門外来を見つけてください。 この病気はつらいです。1回耳石がずれてしまうと、元に戻るのに1~2ヵ月かかります。 Q:実は筆者も「良性発作性頭位めまい症」の経験者だ。「これといった治療法はありません」「自然に治りますが、必ず再発します」「つらいなら、吐き気止めを出しましょう」と言われ、困惑した。 というのも、発作は突然だったからだ。 「もし、外出中に再発したらどうすればいいんですか」と聞くと、耳鼻科医は「そのときは、その場で安静にしてください」と言い放った。以来、しばらくの間、再発が怖くてびくびくする生活が続いた。あの時の耳鼻科医が、生坂医師のような説明をしてくれたら、どんなに安心できただろう』、「めまい」もやっかいなようだ。生坂医師も「良性発作性頭位めまい症の経験者」、とは驚いたが、患者の立場がよく理解できるのだろう。
・『病気の7割は問診でしか分からない  原因不明の病気にかかり、医療機関を渡り歩く人の共通する訴えに「検査をしても、異常なしと言われる」がある。検査をして、異常があれば病気、異常がなければ病気ではない、というのが“病院の常識”だ。しかし、生坂医師は「結局、総合診療科を受診される方の7~8割は問診で診断がつく」という。 大学病院も含め、複数の医療機関を受診し、ありとあらゆる検査を受けてきた患者にとって、これは結構、驚きの事実なのではないだろうか。 「7~8割が問診、2割ぐらいが診察で、検査で診断がつくのは1割ぐらい。『7、2、1の法則』と呼んでいます。 何が言いたいかというと、ほとんどの病気は、検査をやっても原因は分からないし、診察をいくら詳しくやっても分からない。 心理的、社会的なもの、あるいは初期で、まだ十分に検査に出るような臓器障害がないものであるからです。 これはもう問診でしか分からないので、私どもは問診に時間をかけます。慣れもありますが、私がお話を聞く場合でも20~30分はかかります。患者さんの言葉から、患者さんのイメージと病気のイメージの、両方をつくらなければいけません。 かかりつけ医であれば、患者さんのことはある程度わかっているので、いつものイメージはできていますよね。ですから病気のイメージだけ、加えて作ればいい。でも、私どものところは、全員初めての方ですので、ゼロからつくらなければいけないので時間がかかります。 大げさに言う人とか、嘘をつく人とかもいますので。 よく『そのうち診断にかかわることは、全部AIに置き換えられるんじゃないか』という話がありますよね。私どももそれを目指して研究していますが、やはり患者さんの話からイメージを作るというのはAIでは全然ダメ。人間の頭でも大変です。 AIに置き換わるとしたら、たぶん総合診療科の領域は、最後の方だと思いますね」 謎の病気に苦しむ患者が頼る「最後の砦(とりで)」は、人を人が診る医療の最後の砦でもあるのだ』、「「7~8割が問診、2割ぐらいが診察で、検査で診断がつくのは1割ぐらい」、というのは驚かされた。「ほとんどの病気は、検査をやっても原因は分からないし、診察をいくら詳しくやっても分からない。 心理的、社会的なもの、あるいは初期で、まだ十分に検査に出るような臓器障害がないものであるからです」、「AIに置き換わるとしたら、たぶん総合診療科の領域は、最後の方だと思いますね」、というのは納得させられた。

次に、この続きを、7月12日付けダイヤモンド・オンライン「「謎の病気」診断のスペシャリスト“ドクターG”が誤診撲滅を目指す理由」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/208436
・『名医やトップドクターと呼ばれる医師、ゴッドハンド(神の手)を持つといわれる医師、患者から厚い信頼を寄せられる医師、その道を究めようとする医師を、医療ジャーナリストの木原洋美が取材し、仕事ぶりや仕事哲学などを伝える。今回は第12回。「謎の病気」に苦しむ患者の“駆け込み寺”的な存在として有名な、千葉大学医学部付属病院総合診療科の生坂政臣医師を紹介する』、今回も興味深そうだ。
・『名医になるならしたほうがいいいろいろな病気経験  「総合診療医ドクターG」(NHK)の出題者として全国区の知名度を持つ生坂政臣先生(千葉大学医学部付属病院)の“ひそかな自慢”は、「いろいろな病気にかかった経験がある」ことだ。 「例えば、他人の痛みって100年でも我慢できるんですよ。でも自分で病気になると、『あー、あの患者さんつらかっただろうな』と共感できるし、対策も具体的に伝えられます。それが大事です。医者を目指す人は論理的に考える力は蓄えていますが、加えて、想像力とか共感力、患者さんになり切る力…立場に立つんじゃなくてね、これがないと良い医者にはなれないと思いますね。 すべての病気を経験するのは無理だし、いくつ命があっても足りませんが(笑)。考えてみると医者って、人のふんどしで相撲が取れる唯一の専門家なんですよね。自分で経験せず、人の経験を見るだけで診断したり、アドバイスしたりできる。だけど家を建てたことがない人が建築家にはなれないし、運転したことがない人が、自動車評論家にはなれない。 だから本当にいい医者になりたいなら、いろいろな病気を経験しているということは重要だと思います。僕がもしがんになったら、がんを経験したお医者さんに診てもらいたいです」 さらに生坂先生の場合、経験をものにしようとする姿勢が半端ない。 「去年、帯状疱疹(たいじょうほうしん)になった時には、早い段階で『これは帯状疱疹だ』と分かったのですが、『もうちょっと待ったら実際どうなるのかというのを、経験してもいいかな』と思ってしまったんですね。おかげで想像以上の痛みを経験し、良い勉強になりました。帯状疱疹後の神経の痛みっていうのが言語化できない、言葉にできない痛みなんですよ。『アロディニア』って僕ら言うんですが、わずかな刺激が激痛に認識される感覚異常です。 押しても痛くないんだけど、ひゅうっとなでられると、ウーッとうなるほど痛い。それまで僕にとって、アロディニアは単なる診断ツールでしかありませんでした。『患者さんに、ひゅうって触ってごらん。アロディニアがあったら神経痛、内臓じゃないね』みたいに若手にやらせたりして。そこに共感はなかったわけです。ところがね、自分でなってみると、地獄なんですよ。なってみないと分からない。経験してみてよかったなと思っていますが、もう二度とごめんですね(笑)」』、「医者を目指す人は論理的に考える力は蓄えていますが、加えて、想像力とか共感力、患者さんになり切る力…立場に立つんじゃなくてね、これがないと良い医者にはなれないと思いますね」、というのはその通りなのだろう。「帯状疱疹」の経験は微笑ましい。
・『3つの「誤診」に導かれ総合診療医になる  診断推論学に取り組み、総合診療医になったきっかけも、先生自身や家族が見たり経験したりした3つの『誤診被害』だった。 ◎その1.アメリカでようやく判明した本当の病名  生坂先生は学生時代「原因不明」の病気にかかった。 「食事のたびに顎に激痛が生じるようになり、怖くて食べられなくなりました。体重もだいぶ落ちましたね。医療機関をあちこち回りましたが診断がつかない。検査で異常がなかったので学業からのストレスと言われ、実際半年が過ぎた頃、自然と症状が治まってしまいました。 ところがアメリカ旅行をしている最中に再発しまして、現地で総合診療医的な位置づけにある家庭医を受診したんです。すると、日本ではぜんぜん分からなかった病気を、問診だけで診断してくれたんです。『三叉(さんさ)神経痛』でした。 三叉神経痛は今でこそ簡単に診断できるようになりましたが、当時の日本では神経を専門としない医師にとっては珍しい病気でした。僕も医学生なので名前だけは知っていましたが、まさか自分がなるとは思いもしなかった。神経内科や脳外科を受診していれば診断がついたのでしょうが、口と顔の症状で神経がやられていたというのは想像すらできませんでした。 結局アメリカでは、特効薬を処方してもらい、すぐ治りまして。『総合診療医(家庭医)ってすごいな』という思いで帰国しました」 生坂先生が学生だった80年代前半には、総合診療医という言葉はあっても、総合診療科は存在していなかった。それだけにアメリカの総合診療医が示した診断力は、生坂先生に鮮烈な印象を残したようだ。 「結局日本では診断がつかず、僕はいろんな病院で誤診されたわけです。アメリカで診断がついてよかったなと思った半面、日本の医療は専門が細分化されており、医師は専門領域以外の診断はできないんだと。だから患者自身が勉強して、専門領域を正しく選べるようにしなければならない。神経内科を選べなかった自分が悪い、と納得させていました」 ◎その2.スルーされた母親の薬害  2つめは、新米医師だった頃の話。 「おふくろが、高熱と全身にぶつぶつができる症状で入院したんです。原因不明とのことでしたが、その頃新たに尿酸値を下げる薬を飲み始めたと聞いたので、その薬が原因ではないかと、おふくろから主治医に伝えてもらいました。 知識として、その薬を飲むと、そうした症状を起こすことがあると知っていたからです。おふくろは、痛風はなかったけど尿酸値が高いということで、その薬を処方されました。でも主治医は『そんな話、聞いたことがない』と取り合ってくれなかった。僕のような新米に指摘されたのが気に食わなかったのかもしれません。 薬が中止されないまま症状は悪化し、ついに口の中が火傷(やけど)のようにただれてきて、あまりにもつらくなったおふくろは、病室から投身自殺を図ろうとしたんです。親父が止めて、事なきを得ましたが、親父からの連絡を受けて飛んで行くと、主治医はようやく薬を中止したものの、僕には会おうとしませんでした。『カルテも見せるな』と厳命されたそうです。 『スティーブンス・ジョンソン症候群』といって、薬を内服・注射することで生じる薬疹(やくしん)が重症化する病気でした。高熱が出て、全身の皮膚に発疹・発赤ができて、失明したり、場合によっては生命を落としたりすることもある病気。当時、何件か訴訟にもなっていました。母は、誤診されたわけです。やっぱり診断ってすごく大切だなと思いました」 息子が、生坂先生でよかった。そうでなかったら、お母さんの生命はなかったかもしれない。先生の「患者になり切る力」は、この時に芽生えたのではないだろうか』、母親の「主治医はようやく薬を中止したものの、僕には会おうとしませんでした。『カルテも見せるな』と厳命されたそうです』、なんと料簡が狭い医者もいたものだ。
・『◎その3.末期のはずの患者がV字回復  総合診療医、そして診断推論に取り組むことを決定づけたのは、アメリカ留学からの帰国後、神経内科医として勤めた病院での出来事だった。 「上司から患者さんの終末期医療を頼まれました。ある難病で、経鼻栄養チューブをつけた、数年間寝たきりの患者さんでした。あとは死を待つだけ…のはずだったんですが、最初にお会いした時、終末期ではないような気がして。勘なんですけど。 念のためいろいろ調べてみたら、外科領域の珍しい病気にかかっていることが分かり、すぐに手術しました。そして翌日、病室へ行ってみると、なんと身体を起こしてバナナを食べていたんです。驚きました。だって1年以上、経鼻チューブで栄養を取っていたんですよ。数ヵ月後には歩けるようになり、社会復帰していきました。つまり患者さんは、難病ではなかったわけです。 僕が尊敬するこの上司は日本を代表するその難病の権威ですが、権威が陥るスーパースペシャリストバイアス、すなわち自分の専門領域の病気である確率を知らず知らずのうちに高めてしまう心理規制に陥ったのだと思います。 それまで僕は、誤診は未熟な人が犯すものだと思っていました。でもそうじゃない。権威あるすごい医師でも誤診する。僕はそこに、日本の医療における未開拓の部分があるんじゃないかと感じました。 それで、診断を研究しようと。特に外来には、まだ診断がついてない人がいっぱい来るので、ここで診断できるようになろうと外来診断学を始めました。診る人が診れば助かるという命があるのなら、そこを学問にして、トレーニングして、広められるなら広めたいと思いました。専門に特化すると、権威ある先生でも誤診してしまう。だから狭い領域に特化せず、総合的に診られる総合診療を選んだというわけです」』、「権威が陥るスーパースペシャリストバイアス」、「権威あるすごい医師でも誤診する。僕はそこに、日本の医療における未開拓の部分があるんじゃないかと感じました。 それで、診断を研究しようと。特に外来には、まだ診断がついてない人がいっぱい来るので、ここで診断できるようになろうと外来診断学を始めました」、これだけ強い動機で「外来診断学を始めました」、とは本物だ。
・『毎日ジャンボジェット1機分 誤診死をゼロに近づけたい  2013年、総合診療科はようやく、厚労省から19番目の新しい基本診療科として認められ、2017年より専門医の育成が始まった。ただしそれは「患者のため」と喧伝されつつも、高齢化や超高額な薬の登場によって膨らみ続ける医療費を抑制する手段としての側面が強い、といわれている。総合診療科をつくり、1人の医師がいろいろな病気をまとめて診れば、各科を回ることで発生する初診料や再診料を節約できるという発想だ。 それはともかくとして、生坂先生率いる千葉大学医学部付属病院総合診療科は、「どこに行っても診断がつかない、臓器横断的な見方でないと診断がつかないような、隙間に落ち込んでいる病気、あるいは複合的な原因が合わさり、診断がつきにくい病気を診る、医療の駆け込み寺的な診断科」として、自費診療のセカンドオピニオン外来の形で稼働。紹介状を持つ全国の患者を受け入れている。 当初は保険診療で受け入れていたが、あまりにも患者が殺到するのと、1人の患者に対して3~4人の医師が問診し、十分な時間をかけて行う診断体制を維持するにはお金がかかり、患者が増えるほど病院が赤字になる事態を改善するためだ(近隣から訪れる急性疾患の患者は引き続き保険診療で受け入れている)。 「当科が診ているのは数年間、短くても数ヵ月、いろんな症状があって、どこに行っても分からない、という患者さんです。痛み、しびれ、めまい、ありとあらゆる症状を抱えた患者さんがたくさんいらっしゃいます。そこを丸ごと診る。 時折、“丸ごと診る”ことを、安易に、おおざっぱに診ると勘違いされている節がありますが、私は、それは許容しない。丸ごととは、社会的ストレス、メンタルの影響、身体的な異常等々複合的な要素を合わせて診るということであり、我々はそのなかで何割がバイオか心理かなど切り分けて、正確に整理しています。これがものすごく大変です。 それぞれ何割か割合を決めて、中心的な症状に対して最も大きな原因となっているものに対して、まず介入する。複数の要素をいっぺんに改善するのは難しいからです」 一般的に「自分を苦しめている病気は1種類」という認識がありがちだが、実は高齢になればなるほど複数の臓器が衰え、病気になっていることが多いし、若者の場合はストレス社会の中で、心理的、社会的要因で症状が形成されていることが普通にある。そういう意味でも、総合的に診る総合診療科的視点は、今後ますます必要になるだろう。 「一方、診断推論は、正しい診断ができるよう筋道を立てて考えるトレーニングを行う学問です。ある症例について、『こういうふうに考えた』とプレゼンで頭の中をさらしてもらい、それに対して『そこはおかしいよね』『ここでボタンの掛け違いが起こっているよね』など修正しながら、正しい診断ができるようにトレーニングを重ねる。要するに、名医を名医で終わらせず、名医の頭の中を共有するために必要な学問が診断推論学です」 例えば若き日の生坂先生が、「難病の誤診」を見抜けたのも、振り返ってみると「勘ではなかった」と言う。 「普通、その難病は舌が萎縮して食べられなくなるはずなのに、その患者さんの舌は正常だった。それで、権威である上司に、『舌が萎縮していないのはおかしい』と食い下がったのですが、『舌に萎縮がない患者もいる』と諭されました。確かにその通りなのですが、めったに起こらないことを目の当たりにした時は、尊敬する権威をも疑う目が必要です。 実際、この症例を発表して以降、『それらの患者さんも別の病気であった可能性がある』という報告が相次いでいます。診察時の“違和感”を大切にし、その理由を自問自答する習慣が必要なんです。 今は『誤診学』という学問が世界的にも注目され、米国には誤診学会もできています。 アメリカでは、心臓病、がんに続いて、3番目に多い死因が医療事故というデータがあります。このうち、誤診だけに限っても毎日ジャンボジェットが1機墜落したくらいの数が亡くなっている。日本医療機能評価機構によると、2018年のわが国の医療事故による死亡者は年間293人と報告されていますが、米国との比較では何百分の1です。日本の医療界の誤診率がそれほど低いとは考えられません」 誤診に対するNo blame文化(※)が醸成されていない日本では、隠された誤診が膨大な数に上るのではないかと、生坂先生は危惧している。 「ゼロは無理にしても、なんとかして誤診を減らしたいと努力しています。運がいいことに、この仕事自体は、やり甲斐と楽しさが前年度比5%増しでアップしています。知的好奇心が満たされますし、患者さんが涙を流して喜んでくださる。この仕事を選べてよかったです」 (※)No blame文化 非難することのない文化。 医療人が自らの過ちを告白し、過ちから学び、再発防止へ生かしていくためには、医療過誤に関してお互いに非難することのない(blame-free)文化の発展、即ち安全文化の醸成が不可欠であるとする考え方』、「自費診療のセカンドオピニオン外来の形で稼働」、というのは当面、やむを得ないようだ。「誤診に対するNo blame文化が醸成されていない日本では、隠された誤診が膨大な数に上るのではないかと、生坂先生は危惧している」、というのも大いに考えさせられる。

第三に、7月17日付けNHKクローズアップ現代+「社会復帰に新展開! 最新のうつ病治療」を紹介しよう。
https://www.nhk.or.jp/gendai/articles/4309/
・『うつ病患者が100万人を超える日本。最大の課題は、抗うつ薬が効かず再発を繰り返す患者の急増だ。こうしたなか、ことし6月から再発を防ぐための新たな治療法が保険診療に加わった。うつ病で低下した脳の働きを改善する治療法「TMS:経頭蓋(けいとうがい)磁気刺激」だ。アメリカでは抗うつ薬が効かない患者の3割~4割に改善効果が認められ、日本でも社会復帰を後押しする治療法として注目されている。さらに、うつ病の復職や再就職を支援する新たな取り組みも去年からスタート。うつ病患者の“医療”と“雇用”の最新状況に迫る』、興味深そうだ。
・『うつ病100万人時代 注目される新治療法  今、注目されている最新のうつ病治療法。長年うつ病に苦しんできた男性がこの治療を受けたところ、1か月ほどで症状が改善。 「うつがよくなってきたことでマイナスがプラスになった。」 全国で患者が100万人以上と深刻化している、うつ病。今年(2019年)6月から、抗うつ薬などに加え、新たな治療法が保険診療で受けられるようになりました。うつ病で低下した脳の働きを改善する、経頭蓋磁気刺激(けいとうがいじきしげき)=「TMS」と呼ばれる治療法です。 実際にこのTMS治療によってうつ病が改善し、会社に復職するケースも出てきています。 TMS治療を受けた患者:「元の自分に戻ってこれたなと。私なりにできることを力を発揮して会社に貢献していきたいなと。」 武田:今夜は、うつ病の新しい治療法、そして復職や再就職を支援する新たな制度など、うつ病からの社会復帰に向けた最新情報をお伝えします』、「うつ病の新しい治療法」とは一筋の光明だ。
・『笑顔が戻った!?うつ病新治療法  高山:これが、うつ病を治すことができるという最新の治療装置です。 治療を詳しく見るために用意したのが、こちらの人形。磁気刺激に反応して脳が光る仕組みになっています。 東京慈恵会医科大学 准教授の鬼頭伸輔さん。うつ病TMS治療の第一人者です。 東京慈恵会医科大学 准教授 鬼頭伸輔さん:「治療を始めます。」 高山:けっこう、音がしますね。どの辺りを刺激するのでしょうか? 鬼頭准教授:「いま刺激をしている場所は、うつ病で機能が下がると言われている、背外側前頭前野(はいがいそくぜんとうぜんや)を刺激しています。」 うつ病では、思考や意欲を司る「背外側前頭前野」の働きが低下していることが知られています。 TMS治療を行った後の脳波の変化を見ると、背外側前頭前野の活動量が増加。つまり働きが改善することが分かったのです。 アメリカの調査では、抗うつ薬が効かない患者のうち、3割から4割にほぼ症状が見られなくなる効果が認められています。 鬼頭准教授:「抗うつ薬を使っても約3分の1の患者さんは、うつ病がよくならないことが報告されています。」 高山:けっこうな割合で(薬が)効いていないということなんですね? 鬼頭准教授:「抗うつ薬が効かないような患者さんに対して、治療効果が期待できる治療じゃないかと。」 実際にTMS治療はどのようにうつ病を改善させるのか。今回、密着取材に協力してくれたのは、長年うつ病に苦しむ、鈴木さん(仮名)。IT企業でシステムエンジニアとして活躍していました。 こちらは、入社間もない頃のバイクツーリングの様子。当時は、仕事もプライベートも充実していたといいます。 ところが10年前、月100時間を超える残業が連続。過労により、うつ病を発症したのです。 鈴木さん「不安感とか焦燥感で頭がいっぱいいっぱいになっている感じ。けっこうな頻度で遅刻したり休んだり、そんなことの繰り返しです。」 更に、外出する意欲もなくなり、食事の味さえも感じられなくなったといいます。その後、会社を休職し、薬での治療を続けますが、回復には至らず、4年前やむなく退職。今回、主治医の勧めでTMS治療に臨むことになりました。 鈴木さん「薬を飲んでも、ある程度はよくなっても、それ以上はよくならないっていうのがあったので、何でもいいから、それ(TMS治療)でよくなればという感じ。」 鈴木さんがTMS治療を受けるのは、東京の慶應義塾大学病院。5月下旬、治療が始まりました。 慶應義塾大学医学部 特任講師 野田賀大さん「きょうは初めての治療ですね。よろしくお願いいたします。」 担当するのは、医学部特任講師の野田賀大さん。去年(2018年)からTMSを用いたうつ病治療の臨床研究を行っています。顔がピクピク動くのは、磁気刺激が顔の筋肉に影響するためです。違和感は生じますが、健康には問題ないといいます。 ※臨床研究用の治療装置を使用しています 1回の治療時間は10分から40分ほど。これを週5回。6週間の計30回行います。 野田特任講師「終了です。お疲れさまでした。頭痛とか大丈夫ですかね?」 鈴木さん「ちょっと引きつるような、ビリッと痛みが、ちょっとですけれど。」 取材班「頭の状態というか気分の変化は?」 鈴木さん「正直この1回だけでは、変わりないのかなと思います。」 6月中旬、治療が始まって3週間後。 野田特任講師「調子のほうはいかがですか?」 鈴木さん「この2〜3日は、元気とまではいかないですけれど、多少気持ちよくなったという気はします。」 うつ病の症状がよくなったという鈴木さん。どんな変化があったのでしょうか? 鈴木さん「きのう久しぶりに食事をして、おいしいなっていうのがありました。ここの11階のレストランのビーフストロガノフを食べたんですよ。(TMS治療を)15回で半分ですよね。効果が出ているのかなという気がします。」 野田特任講師「食事の味が感じられるとか、おいしく感じることは、うつ症状が改善してきたことだと考えられます。」 でも、どのようにして「おいしい」という喜びの感情が戻ったのでしょうか?最新の研究から、うつ病では、TMSで刺激し改善を狙う背外側前頭前野とは別に、「扁桃体(へんとうたい)」という部位が関係していることが分かっています。扁桃体は喜びや不安など感情を司る場所。うつ病では、この扁桃体が過剰に活動して、不安を感じやすくなっています。 TMSによって背外側前頭前野が活性化すると、本来持っていた扁桃体の活動を抑制する力が回復。そのため、喜びを感じる力が戻ってくると考えられているんです。 野田特任講師「TMS治療は、うつ病で機能が低下している脳部位に直接刺激を与えることによって、ダイレクトに効果を引き出す治療法となります。」 6月下旬、治療が終わりに近づいた鈴木さん。この日訪ねたのは、バイクショップです。 うつ病になって以来、10年以上もの間、遠ざかっていた趣味のオートバイ。TMS治療によって、「再開したい」という意欲が次第に湧いてきたといいます。 鈴木さん:「やっぱり写真とかで見るのと違いますね。実際に見てみると。購買意欲がそそられます。ちょっとお値段が厳しいですけれど、まずはとりあえずアルバイトでも何でも、働かないとなというところです。」』、「TMSによって背外側前頭前野が活性化すると、本来持っていた扁桃体の活動を抑制する力が回復。そのため、喜びを感じる力が戻ってくると考えられている」、というのには驚かされた。
・『うつ病100万人時代 注目される新治療法  ゲスト 高木美保さん(タレント) ゲスト 宮田裕章さん(慶應義塾大学 教授) 武田:うつ病に苦しむ人は100万人以上と言われます。患者さんの悩みには、「薬を飲んでもなかなか効かなくてよくならない」「再発を繰り返して復職など社会復帰が難しい」といった現実があります。 高山:厚生労働省が大企業を対象にした調査では、せっかく職場に復帰しても1年後にはおよそ3割、そして5年後にはおよそ5割の人が、また休職という状況になっているんです。 こうした現実の中で今、注目されている新たな治療が、今夜ご紹介しているTMSによる治療なんです。 武田:かつて、パニック障害に伴う重いうつ症状を経験された、高木さん。こういった新しい治療法をどういうふうにご覧になりますか? 高木さん:私は7年間苦しんだので、薬を継続して飲むことが依存につながるんじゃないかというのが一番怖くて、薬に頼りながら離脱するっていうことをいつも考えていましたから、同じことで悩んでいる方は多いので、これはもしかすると朗報になるかなという気はしますね。 武田:病気そのもののプレッシャーももちろんあると思いますし、薬を飲み続けなきゃいけない、治療法はこれでいいんだろうかという悩みもあるんですね。 高木さん:そうです。それも不安につながっちゃうんですね。 武田:この新治療法が一つの選択肢になる可能性があるということなんですね。 それにしても、脳を直接刺激するわけですよね。怖かったりするんじゃないかと思うんですけれども…。 高山:今回特別に、医師の監修のもと、私も磁気による刺激を受けてみたんですけれども、最初はちょっとピリピリとした強い痛みも感じるんですけれど、1分ぐらいすると、頭皮をマッサージされているような心地よさも感じます。ただ、半日ぐらいは筋肉痛に近い違和感も…。 武田:顔が? 高山:顔がちょっとピクピクピクッと、半日ぐらいしていました。先生に聞いてみると、後遺障害というのは確認されていなくて、副作用も少ないことが報告されています。アメリカの研究では、神経に影響を与えて、けいれんにつながるというケースも報告されているんですけれど、その確率は0.1%。これは、ほかのうつ病の治療方法に比べると圧倒的に低い確率なんだそうです。 武田:宮田さんは医療政策がご専門ですけれども、こうした新しい選択肢が増えることをどういうふうに捉えていらっしゃいますか? 宮田さん:うつ病の主な治療アプローチというのは、先ほどおっしゃられた薬物療法だったり、あるいは認知行動療法だったりするんですが、ここに新しく選択肢が加わる、これは患者さんにとって有益だと思います。ただ、過剰な期待というのはやはり禁物で、今回、通常の薬物療法で効果が得られない難治性の患者さんを対象にしたということですし、その中で約4割の方に効果があると、これは精神医学としては非常に画期的なことであるんですが、課題があるということもやはり注意が必要だと思います。 高山:確かに課題があるんですね。2008年から世界に先駆けてTMSの治療が行われているアメリカを取材しました』、薬物療法でも、「せっかく職場に復帰しても1年後にはおよそ3割、そして5年後にはおよそ5割の人が、また休職という状況になっている」、との再発率の予想外の高さには驚かされた。
・『うつ病新治療法 課題は?  取材班が訪ねたのは、アメリカ・シアトル。精神科医のダナーさん。10年前から、世界に先駆けてTMS治療を行ってきました。 うつ病・不安障害治療センター病院 デビッド・ダナー医師:「日本でもTMS治療が始まると聞き、大変うれしいです。」 この日クリニックに来ていたのは、現在うつ病に悩む、アンナさんです。 アンナさんは3年前、TMS治療を受け、うつ病が改善。大好きだった出産を補助する仕事に戻れるまでに回復していました。ところが、去年の夏からうつ症状がぶり返し、仕事も再び休まざるを得なくなりました。 ダナー医師「うつ病から回復して安定していたのは、どれくらいでしたか?」 アンナさん「2年くらいです。」 ダナー医師「そして、再発したんですね?」 アンナさん「はい。徐々にぶり返してきたんです。」 実は、ダナー医師によると、TMS治療後の再発は少なくないといいます。 ダナー医師「多くの場合、TMS治療を受けた患者はもう大丈夫だと考えています。しかし精神科の治療には、100%の方法はありません。」 再発率はどれくらいなのか。7年前、ダナーさんは、TMS治療を受けた患者を1年間追跡する調査を行いました。その結果、120人のうち、およそ4割が、治療後1年の間にうつ病を再発していたことが判明したのです。 ダナー医師「重度のうつ病患者にとって、TMSはとても効果があります。しかし全ての人に治療効果が長く続くとは限りません。うつ病が回復しても、経過を見守ることが大切なのです。」 うつ病が再発したアンナさん、再びTMS治療を受けることになりました。治療が始まって2か月ほど。ほぼ発症前の体調に回復したといいます。 アンナさん「症状がよくなってきて、希望が見えてきました。ふつうの生活に戻れるのが、とてもうれしいです。」 高山:ダナー先生もおっしゃっていましたが、TMSの治療は100%ではない。なので、継続して通院すること、あるいは処方されている薬をしっかりと継続して飲むことも望ましいというふうにおっしゃっていました。 武田:このTMS治療ですが、全てのうつ病が保険適用になっているわけではないんですよね。 高山:実は限られているんです。保険診療が適用されるのは、こちらの「難治性うつ病」。抗うつ薬でも治ることが困難である人。ですから、軽症のうつ病、それからほかの病気に伴ううつ症状は保険の適用にはなりません。そして、保険診療を行うことができる病院も限定されています。精神科の救急対応が可能なことなど、厳しい条件をクリアした病院だけです。 全額自己負担の自由診療だと自己責任にもなります。ですから、保険診療を希望される方は、事前に病院にしっかりと相談をされることをお勧めしたいと思います。 武田:宮田さん、限定的に保険が適用されているのは、どういうわけなんでしょうか? 宮田さん:今回の制度は、治療を一気に広げていくというものより、まずは世に届けようという、この第一歩です。やはり安全性が確保できる限られた施設で、治療の限界も含めて、理解納得していただける患者さん、こういった方々に治療を届けて、この中で治療を評価していこうというところですね。やはり新しい治療というのを導入する場合には、その効果だけではなくて、技術だけではなくて、どのように作用して、安全面にどういった配慮が必要か、こういった理解が必要になりますので、こういう形でデータを収集して、これから先、もっと広げていくべき治療なのか、あるいは限定的な選択肢にとどめるのか、こういった評価が必要になると考えられます』、保険の適用は、確かに当初は限定的に進めるべきだろう。
・『ゲスト 石井光太さん(作家) 武田:石井さんは、これまで多くの生きにくさを抱えた人たちを取材してこられましたけれども、こういった新しい治療法の登場をどういうふうにご覧になりましたか? 石井さん:僕は、治療法が登場するということ自体はすばらしいことだと思います。ただ、僕が今まで見てきたうつ病の方というのはいろんな方がいるんですけどれも、僕の中でかなり多いなというふうに思ったのが、いろんな問題を抱えている人、例えば家庭の問題だとか、あるいは仕事の問題だとか、あるいは地域の問題、友人の問題、そういったような問題を抱えているからこそ、うつ病の症状が出る。病院では、うつ病の症状を薬だとか、電気だとか、そういったもので治す…。それはそれでいいと思うんですけれども、ただ、この問題の根本にある、その本人を取り巻くいろんな環境だとか、そういったものが変わっていないと、なかなか、社会に1回戻ってきても、また同じような難しい生きにくさというのを抱えてしまう。だから、医療で治すことと、あと私生活で治していくことっていうのは、また違うものがあるんではないのかなというふうに思いますけれどね。 武田:TMS治療は万能ではないということですが、高木さんは回復まで7年間かかった。やっぱり時間がかかる、医療だけでもなかなかうまくいかないということなんですか? 高木さん:そうですね。今おっしゃったみたいに、原因は環境と本人のものの考え方の両方があると思うんです。私は「あなたは真面目過ぎます」とか「努力し過ぎます」ってよく言われるんだけれど、真面目と努力って、幼稚園の頃からすごく褒められてきたことなので、それを否定されると、ちょっと居所がなくなってしまったところもあるんですね。だから、もしかすると日本の組織の中に、そういう人に仕事の量がどんと行ってしまったり、責任がその人のところにどんとかぶってしまったりしてちょっと偏りがあるのかもしれない。むしろ本人の資質を注意するよりも、周りのそういった環境を直してほしいなって思ったこともあります。 あとクオリティ・オブ・ライフ(人生・生活の質)ってありますけれども、もちろんこれからまだまだ研究の余地はあるとしても、本当に僅かな時間であっても、うつの絶望的な状態から解放されるっていうのは、ものすごいクオリティ・オブ・ライフが上がるんですよ。全く考え方も違うので。それをやっぱり大事にしながらも、より改善をしていってほしいなと思いますね。 武田:医療だけではなくて、社会的なサポートも必要なんですね。 高山:ですから、置かれている環境、それから自分自身を見つめ直せる、こんな福祉サービスが今注目を集めています』、うつ病「問題の根本にある、その本人を取り巻くいろんな環境だとか、そういったものが変わっていないと、なかなか、社会に1回戻ってきても、また同じような難しい生きにくさというのを抱えてしまう。だから、医療で治すことと、あと私生活で治していくことっていうのは、また違うものがあるんではないのかなというふうに思いますけれどね」、というのはその通りだろう。
・『うつ病からの社会復帰 大切なのは?  全国に3,000か所以上あります、就労移行支援事業所です。 首都圏ですと、こんなふうに駅前にスペースが設けられているんですが、うつ病や障害のある人が一般企業に就職できるよう、国がバックアップをする形で開設されています。同じような悩みを持つ人たちが経験を共有したり、仕事に関する知識、それからコミュニケーションスキルを学ぶことができるんです。 武田:これは仕事に就くまでのサポートということですよね。その後も問題だと思うんですけれども。 高山:就労移行の支援だけでなくて、実は仕事に就いた後、長く支えていく取り組み、定着支援も去年から始まっています。 都内の福祉関連の会社です。 うつ病に悩む田中さん。就労移行支援事業所での就職活動を経て、一昨年(2017年)から、この会社に勤めています。 職場には慣れましたが、相談しにくい悩みを抱えることが少なくないといいます。 田中さん「何か問題が起きると自信をなくして、いままで一生懸命やっていた、積み重ねたことが崩れてしまうことがあるんです。」 今、田中さんが利用しているのは、去年から始まった就労定着支援という福祉サービス。こちらは、田中さんと契約した事業所から派遣された、社会福祉士の木之瀬さんです。 この日は、職場の上司も同席する、月に1度の面談。周りが気づきにくい悩みを共有し、改善していくのが目的です。 就労定着支援員(社会福祉士) 木之瀬友紀さん「実際に体の変化とかありました?寝られないとか?」 田中さん「寝られないことはなかったんですけれど、もやもやの原因が常に頭に残っている感じで。」 上司「分からない中でやる仕事っていうのは不安がいっぱいだよね。」 木之瀬さん「でも言ったほうがいいと思いますけれどね。」 田中さん「そうですね。すごく心に響きます。」 新たに始まった、この就労定着支援制度。うつ症状の悪化をとどめ、休職や退職を防ぐことができると期待されています。 田中さん「どんなときに傷ついたとか、こういったときは人とどう接したらいいのか、配慮していただけるようになったので、とても働きやすくなってきています。」 高山:ご紹介した定着支援は、就職してから3年間利用することができます。 武田:高木さんは、ひと言で言うのは難しいと思うんですけれど、どういうふうにして回復まで来られたのですか? 高木さん:私はある日バラエティー番組に出て、その中で思いっきり笑えた時に、私はちょっと戻ってきたなっていう実感を得たんですね。やっぱり職場が原因で発症したうつであれば、職場で取り戻せるのが一番自信につながるっていうことはあると思うんですよ。私、カミングアウトしたんですけれども、それは、黙っていても周りの人はうすうす気が付くんです。この人ちょっと変だなっていうのが。お互い遠慮して溝が出来るよりは、カミングアウトしてしまって、理解してもらう。遠慮しなくていいですと。穏やかな踏み込みっていうのが作れたらいいなと思って…。マイナスはなかったです。 武田:今はこうやってお仕事もされているわけですけれども、その後はどうなんですか?今のVTRのように、継続してサポートが必要な人もいるわけですけれど。 高木さん:私は、例えば調子が悪くなったなと思ったら、さっさとカウンセラーさんに、お友達になっていますから、その方に相談してみたりとか、あと薬も、内科の先生でもちょっと最近不安定ですよって言ったら、安定剤が出たりとかしますから、早め早めに甘えちゃいます。 武田:甘えちゃう。 高木さん:甘えちゃいます。 武田:真面目な高木さんが。 高木さん:真面目な私が、甘える高木さんに。 武田:必ずしも一生懸命頑張るわけじゃないということなんですね。 高木さん:前向き病だったので、自分で思うところが。後ろ向きに生きてみようかなと、ちょっと切り替えた瞬間はありました。 武田:生き方そのものの発想を変えるということなんですね。 石井さんはどういうふうにお聞きになりますか? 石井さん:今、高木さんがおっしゃったのは、やっぱり本人がいかに頑張るかということだったと思うんです。やはり本人が抱えている問題がたくさん、例えば家庭だとか仕事とかいろんなものがある。そういった中で、病院だけに任せる、本人だけに任せるということではなくて、その周りにいる人たちが、例えば職場をどうやって変えていこうか、家庭をどうやって変えていこうか、友人関係をどうやって変えていこうか、そういうふうに考えていかなきゃいけないんじゃないのかなというふうに思うんですね。高木さんが分かってもらう、理解してもらうというような形でおっしゃっていましたけれども、それをなかなか言えない人たちというのはたくさんいるわけですよね。その時に、じゃあ周りの人たちがそのことをどういうふうに考えて、どうやってその方のことを理解していくのか。そういった相手の立場に立って、一生懸命理解していく。そういった姿勢が、最終的にはその人を支えることになっていくし、そして何か一緒になって、社会の中で頑張る。あるいはもう頑張らなくていいんだよと言ってあげる。そういった積み重ねが必要なんじゃないのかなというふうに思っています。 武田:今日はこうやって最新の治療法とか、サポートの仕組みをご紹介しているんですけれど、こういう情報をお伝えすればするほど、逆に患者さんは「回復しなきゃ」ってプレッシャーになってしまうんじゃないかという心配も、一方で我々は持っているんですよ。 宮田さん:そのとおりですね。国とか医療者から考えると、社会復帰とか、病気治癒とか、共通の物差しで考えがちなんですが、時にそういった復職という目標は重荷になってしまうんですよね。ここで今、異なるアプローチというのが非常に必要とされてきていると。これは病気の向き合い方、一人一人異なりますと。そうしたら、そのご本人の価値観の中で生き方をいかに支えていくのか。ある人は病気があっても、週に1日か2日、絵を描くこと、これが生きがいかもしれないし、あるいは病気に苦しむ症状を緩和して、自分1人で自立して生きる、これも目標になるかもしれません。生き方の基準も、例えば食べることが楽しいということだったり、あるいはよく眠れる。夢を持てるとか、自分らしく生きられるとか、一人一人やはり基準も違いますし、その過程でも上がったり下がったりしていいんです。こういった中で、これまでの医療は病気にならない、病気を治す、これだけだったんですが、これからは、病気があってもそのことが人生の妨げにならないということだったり、あるいは自分らしい生き方が自然に健康につながる。こういった中でお互い支え合うことが重要なのかなと思います。 武田:回復のしかたも自分なりでいいということですね。 高木さん:そうですね。怠けるということが、その人の誠実さがなくなるということではないと思うんです。 武田:自分のペースで焦らずに、前に進まなくてもいい、後ろ向きでもいいということですね』、「就労移行支援事業所」の取り組みだけでなく、周囲の「人たちが、例えば職場をどうやって変えていこうか、家庭をどうやって変えていこうか、友人関係をどうやって変えていこうか、そういうふうに考えていかなきゃいけないんじゃないのかなというふうに思うんですね」、というのはその通りだろうが、現実にはなかなか難しい課題のようだ。
タグ:医療問題 帯状疱疹 ダイヤモンド・オンライン スティーブンス・ジョンソン症候群 就労移行支援事業所 NHKクローズアップ現代+ (その20)(「謎の病気」に苦しむ患者を総合診療医はいかに診断するのか、「謎の病気」診断のスペシャリスト“ドクターG”が誤診撲滅を目指す理由、社会復帰に新展開! 最新のうつ病治療) 木原洋美 「「謎の病気」に苦しむ患者を総合診療医はいかに診断するのか」 千葉大学医学部付属病院・総合診療科の生坂政臣医師 「腕が緑色になる」は重篤な疾患の関連痛だった 胸痛がなくて間欠的に、何かしら負担がかかる状況で出てくるへそから上の症状は、まず心臓病を考えます この手の思い込みは、ベテラン医師ほど気をつける必要がある 「大したことない」が組み合わさった謎の腰痛 MRIとかを撮ると異常はあるんですね。ヘルニアとか脊柱管狭窄とか。でも、それだけでは特定の動作に伴う痛みは説明できても、「動作と関係なく痛い」とか「痛み止めが全く効かない」といった、患者さんが抱えている痛みの全部は説明できない。 身体的な要因だけでなく、心理的、社会的要因が複合的に組み合わさって1つの症状ができている それらはバラバラに見ると、全部大したことない。メンタルの不調も、社会的なストレスも、腰のヘルニアも。でも全部が合わさると激痛になる。 だから内科や精神科医、整形外科医が別々に診察しても、腰痛の原因は突き止められないことがある。総合的視点で診て初めて分かるのです 「良性」なのに治らないめまい 病気の7割は問診でしか分からない 「7~8割が問診、2割ぐらいが診察で、検査で診断がつくのは1割ぐらい ほとんどの病気は、検査をやっても原因は分からないし、診察をいくら詳しくやっても分からない。 心理的、社会的なもの、あるいは初期で、まだ十分に検査に出るような臓器障害がないものであるからです。 これはもう問診でしか分からないので、私どもは問診に時間をかけます AIに置き換わるとしたら、たぶん総合診療科の領域は、最後の方だと思いますね 「「謎の病気」診断のスペシャリスト“ドクターG”が誤診撲滅を目指す理由」 名医になるならしたほうがいいいろいろな病気経験 「総合診療医ドクターG」(NHK) 医者を目指す人は論理的に考える力は蓄えていますが、加えて、想像力とか共感力、患者さんになり切る力…立場に立つんじゃなくてね、これがないと良い医者にはなれないと思いますね 3つの「誤診」に導かれ総合診療医になる その1.アメリカでようやく判明した本当の病名 その2.スルーされた母親の薬害 主治医はようやく薬を中止したものの、僕には会おうとしませんでした。『カルテも見せるな』と厳命されたそうです その3.末期のはずの患者がV字回復 権威が陥るスーパースペシャリストバイアス 専門に特化すると、権威ある先生でも誤診してしまう。だから狭い領域に特化せず、総合的に診られる総合診療を選んだ 毎日ジャンボジェット1機分 誤診死をゼロに近づけたい 実は高齢になればなるほど複数の臓器が衰え、病気になっていることが多いし、若者の場合はストレス社会の中で、心理的、社会的要因で症状が形成されていることが普通にある 『誤診学』という学問が世界的にも注目され、米国には誤診学会もできています 誤診に対するNo blame文化(※)が醸成されていない日本では、隠された誤診が膨大な数に上るのではないかと、生坂先生は危惧している 「社会復帰に新展開! 最新のうつ病治療」 うつ病患者が100万人を超える日本 TMS:経頭蓋(けいとうがい)磁気刺激 アメリカの調査では、抗うつ薬が効かない患者のうち、3割から4割にほぼ症状が見られなくなる効果が認められています TMSによって背外側前頭前野が活性化すると、本来持っていた扁桃体の活動を抑制する力が回復。そのため、喜びを感じる力が戻ってくると考えられている せっかく職場に復帰しても1年後にはおよそ3割、そして5年後にはおよそ5割の人が、また休職という状況になっている うつ病新治療法 課題は? 再発率はどれくらいなのか。7年前、ダナーさんは、TMS治療を受けた患者を1年間追跡する調査を行いました。その結果、120人のうち、およそ4割が、治療後1年の間にうつ病を再発していたことが判明 保険診療が適用されるのは、こちらの「難治性うつ病」 いろんな問題を抱えている人、例えば家庭の問題だとか、あるいは仕事の問題だとか、あるいは地域の問題、友人の問題、そういったような問題を抱えているからこそ、うつ病の症状が出る 医療で治すことと、あと私生活で治していくことっていうのは、また違うものがあるんではないのかな うつ病からの社会復帰 大切なのは? その周りにいる人たちが、例えば職場をどうやって変えていこうか、家庭をどうやって変えていこうか、友人関係をどうやって変えていこうか、そういうふうに考えていかなきゃいけないんじゃないのかな
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医療問題(その19)(一介の外科医 是絶筆 がん外科医の本音シリーズ:「医者はがんを切りたがる」は本当か? 第45回 がん外科医の本音①、「抗がん剤の副作用」はなぜあるの? 第46回 がん外科医の本音②、セカンドオピニオンで医者は気分を害すのか? 第47回 がん外科医の本音③) [生活]

医療問題については、昨年11月20日に取上げた。久しぶりの今日は、(その19)(一介の外科医 是絶筆 がん外科医の本音シリーズ:「医者はがんを切りたがる」は本当か? 第45回 がん外科医の本音①、「抗がん剤の副作用」はなぜあるの? 第46回 がん外科医の本音②、セカンドオピニオンで医者は気分を害すのか? 第47回 がん外科医の本音③)である。

先ずは、外科医の中山 祐次郎氏が6月6日付け日経ビジネスオンラインに寄稿した「「医者はがんを切りたがる」は本当か? 第45回 がん外科医の本音①」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00135/00006/?P=1
・『こんにちは、総合南東北病院外科の中山祐次郎です。福島に戻りはや2カ月が過ぎ、日々是緊急手術の毎日を送っています。ほぼ週に2~3件は緊急手術をやっていると、だんだん「あれ? 今日は来ないのかな?」とさえ思うようになりました。ないに越したことはないのに、慣れって怖いですねえ。 さて、今回から当連載「一介の外科医 日々是絶筆」では、がんにまつわる私の本音シリーズをお伝えしたいと思います。2019年6月6日、『がん外科医の本音』という書籍を刊行することになりまして、その中からとっておきの内容を厳選して転載いたします。 これは、昨年夏に出版した13万部超えの『医者の本音』の続編として書いたものです。続編とはいえ、内容はずばり「がん」に絞っています。私は大腸癌の専門家ですので、その立場から広くがんにまつわる誤解、本音を記しました。 昨年1年間、住んでいた京都で、3月にこの本を著しました。学生だったので時間があるつもりでしたが、それでもかなりの時間を割いての執筆となりました。そして出版社の編集者の方も前作のときより心なしか厳しくなり、章によっては半分削られて書き直しをすることも。 さらにはがんの研究者お二人による全体監修と、京都大学の教授で医師でもある先生の部分監修で、私の思い込みや偏りを排除しました。 テーマ設定は編集者さんと私でやりましたが、非常に書きづらいものばかり。それでも、できる限りギリギリまで誠実に、真正面からテーマに取り組みました。 それでは第1回、どうぞ御覧ください』、「がんの研究者お二人による全体監修と、京都大学の教授で医師でもある先生の部分監修で、私の思い込みや偏りを排除しました」、とは素晴らしいことだ。自分に自信があるからこそ出来ることなのだろう。
・『ズバリ、外科医は「切りたがる」  世の中では、がんについて数多くのうわさがまことしやかにささやかれています。その一つに「医者はがんを切りたがる」というものがあります。まるで医者が、個人の趣味のように治療に当たっている印象を与えます。医者はがんを切りたがるか。答えとしては、「切りたがる」と答えましょう。なぜでしょうか。外科医として、理由をお話しします。 まず、がんが切れるかどうかは、外科医の技術ではなく、「がんの種類」と「そのがんがどれだけ進行しているか」によるのです。「がんが切れる」という言葉をもう少していねいに言うと、「がんを残すことなく取り切れる」とイコールになるのです。 昔は違うこともありましたが、現在は、どこの病院のどの医者にかかっても、「切るかどうか」はほとんど同じです。言い換えれば、がんの治療方針はどこでも同じなのです』、安心できる材料ではある。
・『「切らない」というより「切れない」  「ルールブックでもあるのだろうか?」と質問されそうですが、実はその通りで、ルールブックのようなものがあります。名前は「ガイドライン」といいます。日本語では「指針」という意味です。指針ですから、これに絶対に従わなければいけないものではありません。違う治療をしても法律違反というわけではありません。が、現状ではがんに携わるほぼすべての医者は、このガイドラインに従って治療しています。 そもそも「医者はがんを切りたがる」は本当か?という問いは、あまり意味がないのです。切りたがろうが嫌がろうが、どうしたって切るときは切るし、切らないときは切らないのです。 「切らない」は「切れない」とも言えます。これは、「切っても(=手術をしても)生存期間が延びるわけではない」ということを意味します。 ですから「医者はがんを切りたがる」は本当です。まだ切れる段階の進行度であるがん患者さんであれば、治る可能性があるので、医者としてはうれしいのですから。逆に、切れないがんは、非常に厳しいその後が予想されるということにもなります』、切りましょうと診断されることは、治る可能性があることと裏腹のようだ。
・『キレイごと抜きで明かすと……  もちろん、こういうキレイごとのような返答を期待しているわけではないことを私は理解しています。この俗説の本当の意味は、こういうことでしょう。 「医者は、切れる段階かどうかを無視して、自分の興味や趣味、練習のために患者さんの体にメスを入れているのではないか」 この質問については、はっきりとNOと申し上げられます。切っても切らなくても全く同じ結果なのであれば、外科医は「切る」を選択しません。 そう言い切りましたが、もちろん外科医によって考え方は少しずつ異なり、若干の幅というものは存在します。しかし、がんの治療については、かなり厳密に先ほどのガイドラインで「こういう人は切る、こういう人は切らずに他の治療」と決められています。しかもその根拠は、大規模な研究の結果や、どう考えたって疑いなくこちらのほうがよい、というような確かなものばかり。これに従わない医者はいないと言ってよいでしょう(ただし〇歳までは切るなど年齢についての記載はないガイドラインが多く、個々の患者さんごとに医者は議論して決めています)。 なぜなら、医者のもっとも重要な目標は、「患者さんが治ること。そして治らなかったとしても生存が少しでも延びたり、痛みや苦しみが取れること」だからです。これがブレる医者は、少なくともがんの領域ではまずいないのではないかと私は実感しています』、本当にそうであれば、安心できるのだが・・・。
・『黒男先生(仮名)の場合  まだ「ホントかよ?」と聞こえてきます。ですので、もっと踏み込んでみましょう。たまたま手術が大好きで、「今度はあんな手術をしてみよう」といつも思っている外科医がいるとします。仮に、黒男先生(40歳・仮名)としましょう。 その外科医・黒男先生のもとへ、「切れない」段階のがん患者さんが受診したとします。黒男先生は考えます。 「しめしめ、これは難しそうだ。オレでなければ取れないだろう。ふふふ、さっそく再来週に手術申し込みだ!」 なんという極悪……そして、翌週になります。外科医のみならず、医者には毎週担当患者さんの病状や治療方針を話し合うための会議があります。病院用語では「カンファ(カンファレンス)」といいます。 カンファで、黒男先生は「再来週、この方の手術を行います」と発表をします。 すると、外科部長の先生が「おい黒男、こりゃオペだめだろ」と一蹴。他の外科医も「手術適応外ですが、どういった理由で手術を考えているのですか?」と突っ込みます。黒男先生はタジタジで「いや、その、つまり……」。高速で頭を回転させ、「患者さんが希望しているものですから!」とウソをつきます。どうしても手術がしたいので、苦肉の策です。 「患者の希望があったらお前、なんでもやるのか」 部長はあきれ顔。若い医師も失笑しています。結果、この手術はキャンセルになりました。 このように、医者には多数の会議があり、医者同士で相互チェックのようなこともしています。医者は一人で治療をすると、ときに独善的になったり自分の利益へ誘導的になったりすることがあります。ですから、こうして風通しを良くして、コソコソ勝手に治療方針を決めないようにしているのです。もちろん業界の常識に反するような治療をして、明るみに出た場合、大きな問題になります』、手術前には「カンファレンス」で厳しい組織的なチェックを受けるのであれば、安心だ。
・『なぜ「切る」が有効なのか?  では、なぜ「切る」が有効なのでしょうか。ここでは、切ることができない白血病などのがんは除き、胃がんや大腸がん、肺がんや乳がんなどの固形のがんのお話をします。 がんの治療で、いまのところもっとも力を発揮するのは「切る」、つまり手術で切り取るという方法です。がんの治療法としては抗がん剤や放射線などもありますが、現在がん患者さんをもっとも根治に導けるのは手術です。そして、前述したように切れる早期のタイミングと、進行して切れないタイミングがあります。 なぜでしょうか。切って取るという、一見、原始的でとても単純な治療が、なぜこの21世紀にも有効なのでしょうか。 その理由として、がんは「切って、取り去れば治る」という性質がある点が挙げられます。がんの手術の原則は、「少しも残さずがんを取り去ること」です。9割がた取って1割は残ったけどまあいいか、では無意味なのです。これはあまり知られていないことです。 私は駆け出し外科医のころ、不思議でなりませんでした。カンファの際に、熟練の外科医が「取り切れないからオペはやめとこう」という発言をしていたのです。減らすだけだって効果はあるのではないか。そう思っていました。 しかし、残念ながら手術中に取り切ることができず、少しがんが残ってしまった患者さんを何人も見ていくと、残ったがんがあっという間に大きくなり、手術前の状態と同じくらいまでになってしまっていました。ああ、やっぱりちょっとでも残してはいけないんだな、と思ったのです。 私の経験だけでなく、このような全部取り切れない手術(専門的にはVolume reduction:腫瘍=しゅよう=の容量を減らす手術)は、患者さんのいのちを延ばさないことがほぼわかっています(一部、有効ながんもあります)。 ですから、なぜ「切る」が有効なのかは、「がんを完全に取り切れれば有効である」ということができます』、「少しがんが残ってしまった患者さん・・・残ったがんがあっという間に大きくなり」、空気に触れたことでがん細胞が活性化してしまうという理由を聞いたことがある。

次に、この続き、6月27日付け「「抗がん剤の副作用」はなぜあるの? 第46回 がん外科医の本音②」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00135/00007/
・『こんにちは、総合南東北病院外科の中山祐次郎です。今回は前回に続き、先日、出版した私の本『がん外科医の本音』から、抗がん剤についての解説をお送りしたいと思います。ありがたいことに出版後、多くの反響をいただいており、全国の本屋さんでもかなり大きく扱っていただいています。前作『医者の本音』がベストセラーだったからでしょうが、気が引き締まる思いです。 私はといえば、1年間の京都大学での学生生活を経て4月に福島の病院に戻り、再び一介の外科医として働いております。私の得意とする大腸がん患者さんの腹腔鏡手術を中心にしておりますが、それ以外にも鼠径(そけい)ヘルニア(昔は脱腸と呼んでいました)、虫垂炎(昔は盲腸と呼んでいました)なども腹腔(ふくくう)鏡の小さい傷だけの手術でやっています。手術室でも後輩医師への指導というシーンが増えてきましたが、夜も休日もガンガン緊急手術を担当しています。 さて近況はこの程度にして、本題に参りましょう』、「1年間の京都大学での学生生活」でリフレッシュして、「夜も休日もガンガン緊急手術を担当」というのは頼もしい存在だ。
・『確実に効果が上がった抗がん剤  抗がん剤は、非常に有効な治療法である一方で、その副作用からネガティブなイメージを持たれていることも事実です。「はきけがつらい」「髪が抜けて精神的ダメージを受ける」などがつらさの代表的なものでしょう。ではなぜ抗がん剤を飲むと髪が抜けるのでしょうか。なぜ副作用があるのでしょうか。 大ざっぱに言うと、抗がん剤は「がんも、自分の体もどちらも攻撃してしまう」という性質があるからです。ところが最近はそうともいえない面も出てきました。 抗がん剤は、歴史的に毒ガスから開発されたという経緯があります。この事実をもとに「抗がん剤は危険である」と主張する人がいますが、それは正確ではありません。たとえば、ビンブラスチンやビンクリスチンといった抗がん剤は、観賞用植物であるニチニチソウから作られています。 抗がん剤が開発されてからの歴史は浅く、まだ50年くらいしかたっていませんが、実に多くの種類が作られてきました。また驚くべきことに、2020年になろうとしている今でも、抗がん剤は30年前と同じ薬をよく使っています。 一方で、めざましい進歩を遂げているのもまた事実です。よく効くようになり、患者さんが長生きできるようになったのです。私の専門である大腸がんでは、ステージⅣの患者さんは30年前には平均6カ月ほどしか生きられませんでした。しかし最新の研究結果では、平均して約2年半に延びています。これは抗がん剤の進歩と研究のたまものです。この数字は今後も伸びていくでしょう』、「抗がん剤は、歴史的に毒ガスから開発された」、「ビンブラスチンやビンクリスチンといった抗がん剤は、観賞用植物であるニチニチソウから作られています」、などは初めて知った。
・『副作用として知られる「はきけ」はある?  さらにあまり知られていないことですが、副作用はだいぶマシなものになってきました。抗がん剤の副作用と言われるとどんなものを思いつくでしょうか? はきけ・嘔吐(おうと) 下痢 だるさ 毛が抜ける 手足のしびれ この中でもっとも「抗がん剤副作用」のイメージとして定着しているのが「はきけ」と「毛が抜ける」でしょう。 私は外科医ですが、大腸がんの患者さんの抗がん剤治療も専門的に行っています。その経験からまず申し上げたいのは、「はきけ」はかなりの人がほとんどゼロか、その日だけ少し感じる程度に緩和されてきたということ。かなり驚かれるのですが、はきけ止めの薬が非常に進歩したことによります。看護師さんにも確認をとるようにしていますが、ひどいはきけを訴える人はほとんどいなくなりました』、「はきけ止めの薬が非常に進歩した」、とは福音だ。
・『現代の医学で克服できていない副作用も……  では「毛が抜ける」についてはどうでしょうか。 よく知られているのは、乳がんの患者さんが多く使う抗がん剤の副作用です。乳がんは若い女性がかかることもあって、髪の毛が抜けることは精神的苦痛を伴い、非常に重大な副作用といえるでしょう。 いまのところ医学は毛が抜けるという副作用を克服できていません。いくら抗がん剤が終わってから3カ月程度で再び生えてくるとはいえ、治療から1~2年はウィッグ(かつら)や帽子をつけている人が多いのです。 アイドルグループSKE48に以前所属していた、矢方美紀(やかた・みき)さんという方がいます。彼女は18年、25歳で乳がんにかかり、その後手術、抗がん剤治療、ホルモン療法を受けています。彼女は抗がん剤治療でやはり髪の毛が抜けてしまい、ウィッグをつけながら芸能活動を続けていました。がんの啓発イベントで一度ご一緒したことがありましたが、そのときもウィッグをつけておられました。とてもキュートな方で、「ウィッグはかゆいし、暑い」とおっしゃっていました。 なお、彼女はNHKのウェブサイトで「乳がんダイアリー」というページを持っており、とても細かく治療や副作用のことを動画でお話しされています。2~3日に1度のペースで更新し、とてもリアルなお話をされています。その勇気に感服するとともに、皆さんも見てくださるようおすすめします』、「乳がんダイアリー」は確かになかなか充実した内容のようだ。
https://www.nhk.or.jp/nagoya/nyugan/diary/
・『オプジーボ──最新の薬はどうか  最後に抗がん剤自体の進歩についても述べておきます。「30年前と同じ薬をよく使っています」と前述しましたが、昔からの薬に加えて新しいメカニズムで効く薬がどんどん出てきています。 その一つが、「分子標的薬」と呼ばれるもの。簡単に言えば、がん細胞にだけ攻撃をしてがんではない正常な細胞には攻撃をしない薬です。この種類の薬はたしかに副作用が少なく、効果が高いものが増えてきました。さらに、最近になって「オプジーボ」に代表されるような新しい薬も出てきました。効果があり、副作用が少ない薬です。 ただ問題は「非常に高額である」という点です。患者さんは「高額療養費制度」という制度を使えば、「1カ月に自腹を切るのは◯円まで」となります。患者さんの出費は月7万~10万円くらいと、決して少額ではありませんが、50万円以上する薬の金額からすると支払いは軽くなるでしょう。一方で、その差額は国民みんなのお金でまかなわれています。 イギリスは、医療の費用対効果(=コスパと考えてください)を世界一研究し、先進国の中ではもっとも厳しく政策に取り入れている国です。そんな国が、日本では当然のように使われている抗がん剤を「効果のわりに、値段が高すぎる」という理由で使ってはいけないという勧告を出しました。しかし、これに怒った市民団体からの反発を受け、現在は別の抗がん剤基金を作ってそちらからお金を出すという迷走をしています。高い薬について、国全体の支出という意味で考えることは、決して私たち一人ひとりにとって人ごとではないのです』、高額の「抗がん剤」をどう扱うかは、確かに難しい問題で、今後、利用が広がれば、医療保険財政への影響も真剣に見直す必要が出てくるのかも知れない。

第三に、この続き、7月25日付け日経ビジネスオンライン「セカンドオピニオンで医者は気分を害すのか? 第47回 がん外科医の本音③」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00135/00008/?P=1
・『こんにちは、総合南東北病院外科の中山祐次郎です。梅雨が明け、全国が夏めいてきたようですが、こちら福島県郡山市は比較的過ごしやすい日々が続いています。暑くないわけではないのですが、時々出張で東京や大阪などへ赴くと、まるで違うなと感じるものです。 昨年1年間を大学院生として京都で過ごし、4月から臨床医に戻りました。私は外科医のなかでも極めて良い勤務時間設定をしていただいていますが、それでも体力的に厳しい日々が続いています。帰れない日もありますし、真夜中に呼び出されて疲れ切った研修医と一緒に緊急手術をすることもあります。病院の当番日などは、この30万人都市の街じゅうの重症ハライタ患者さんはすべて自分が診ているのです。重い責任を感じます。 そんな生活ですが、たまの休日には郡山の小さな図書館にこもり小説「泣くな研修医」(2019年2月に幻冬舎より出版)の続編を書いています。ありがたいことに3万部を超える部数となり、続編を書く許可を出版社からいただいたのです。売れなければすぐに執筆依頼は来なくなり食いっぱぐれるのが小説家稼業だそうで、そういうプレッシャーにおいて資格職の医者は気楽なものですね。1年目の研修医が今度は3年目の後期研修医という立場になり、後輩もできて病院で外科医の修行を本格化するという話になるのですが、いかんせんタイトルに悩んでいます。「泣くな研修医2」でも良いですけど、せっかくだから新しいタイトルをつけたいなあ。しかし「頑張れ後期研修医」とか、ちょっともっさりしてダサいですよね。そんなことを考える日々です』、「たまの休日には郡山の小さな図書館にこもり小説「泣くな研修医」・・・の続編を書いています」、というのは大したものだ。
・『2人目の医師の意見を聞くタイミングとは?  さて、今回は「セカンドオピニオン」について説明したいと思います。セカンドオピニオンとは、「自分のがんの診断や治療方針について、他の医師にも意見を聞いてみる」こと。セカンドは2人目、オピニオンは意見という意味で、一人の医者の判断だけだと間違っている可能性があるから、もう一人の医者の意見を聞いてみることを指します。引っ越しのときに業者3社から見積もりを出してもらって、比較をするようなものですね。 セカンドオピニオンに聞きに行くタイミングはいつでしょうか。決まりはないのですが、一番いいのはこういうタイミングです。医師からがんが疑われ、CTや採血検査などいろいろな検査をし終えた後、「あなたは○○がんのステージ○でした。治療方針はまず抗がん剤をやり、その後手術を考えています」と言われたタイミング。言い換えれば、診断が確定し、治療方針が決まった時になります。 ここで、「治療開始をちょっと待ってください。セカンドオピニオンを聞きたいので、紹介状を書いてください」と言うのがよいでしょう。この時、どこにセカンドオピニオンを聞きに行きたいかを決めておく必要があります。地元で信頼している病院でもいいですし、「がん相談支援センター」に聞いてもよいでしょう。 ただ、例外的に、がんの種類や病状によっては時間的な余裕がなく、セカンドオピニオンが不可能なこともあり得ます。例えば急性白血病で大急ぎで治療を開始しなければばならない場合や、胃がんや大腸がんで出血が止まらず緊急手術が必要な場合などです』、「セカンドオピニオンを聞きたいので、紹介状を書いてください」、と正々堂々と依頼する方がいいようだ。
・『費用は病院によって大きく異なる  セカンドオピニオンを受けたい病院が決まったら、病院の代表に電話し、セカンドオピニオンを受けるために何が必要かを尋ねてください。ほとんどの場合で予約が必要ですし、費用も病院によって異なります。 金額は、保険が適用されないため病院によってはかなり高額になります。あるサイトによると、東京都内の大病院、例えば、日本赤十字社医療センターなら4万6440円(1時間)、慶応義塾大学病院・東京大学医学部付属病院・癌研究会 有明病院なら4万3200円(1時間)でした。 都内では大学病院が高く、公立病院が安い設定になっているようです。私が以前、勤めていた都立駒込病院では1万2000円と、前出の病院に比べて3分の1以下という料金設定でした。不思議なものですね。また、地方を見ると、私の出身大学である鹿児島大学の大学病院では1万6200円でした。 東京都内の状況を見ただけでも、おそらくこの金額とセカンドオピニオンの質はほぼ無関係だと私は感じます。費用の問題はありますが、がんと診断された方全員がセカンドオピニオンを聞きに行ってもいいと個人的には思っています』、「金額は、保険が適用されないため病院によってはかなり高額になります』、というのは安心料だと割り切るべきだろう。
・『複数の医師に聞くことで得られる安心感  がんの治療は、患者さんの一生を左右するもの。どの病院のどんな医者がどのクオリティーの治療をやっているのか、完全に把握する方法はありません。もし万が一、変わった医者に当たってしまうリスクを考えたら、治療前に一度、他の医師の意見を聞く価値はあると私は考えます。珍しいがんでなければ、専門家の間で意見はほとんど変わりません。もし変わるとしたら、手術の方法が開腹手術か腹腔(ふくくう)鏡手術になるかというくらいです。 しかし意見が同じであったとしても、2人目の意見を聞く価値は高いと思います。なぜならセカンドオピニオンにより、「2人の医者の意見が一致している」という安心感を得られるからです。 また、がんが再発してしまったり、転移をしてしまったりしたときなども、セカンドオピニオンを聞くタイミングだと思います。病状が複雑になると、治療の作戦は医師によって少しずつ変わります。その理由は、高い医学的根拠の研究結果がないためです。この場合、医師は自身の経験と得意な方法の中で、患者さんの希望に沿って治療をしていくことになります。 ただ、このタイミングでのセカンドオピニオンは、患者さん側も非常に難しい選択を迫られることになるでしょう。正解はない中で、「AとB、どちらにするか」を決めねばならないのですから。こういうときは、どちらの医師、あるいは病院が信頼できるかで選んでもよいかもしれませんね』、なるほど。
・『激怒する医者もいる  このセカンドオピニオンについて、悲しい話があります。本当に信じられないのですが、セカンドオピニオンを患者さんが申し出たところ、激怒する医者がいるという話です。が、そういう小者の医者からはぜひ離れるべきです。ダメな医者ということが分かってラッキーだった、くらいにとらえていただければよいでしょう。 はっきり申し上げておきますが、私の知る、その腕や知識が一流だと思うがん専門医の中で、「セカンドオピニオンを」と言われて嫌な顔をする医者は一人もいません。怒る医者に限って、治療方針に自信がなく、自分の能力が足りないことを他の医者に露呈することが我慢ならない人です。もしくは、医者の権威にすがることで自らを高めたい哀れな人たちです。 ためらわず、セカンドオピニオンの意思を主治医に伝えてください。もし医者が怒ったら、このコラムを印刷してその医者に渡してあげてください。後に彼/彼女は自分の小さな器を恥じることでしょう。また、怒った医者の名前と病院を私にお教えください。それくらい私は、「セカンドオピニオンの申し出に怒る医者」に怒っています』、この場合は、「セカンドオピニオン」というより、転院した方がよさそうだ。
・『医者の「この言葉」が出たら転院を考える  「医者のこの言葉が出たら、転院を考える」。このテーマについて書いてほしいと書籍の編集者さんに依頼され、私は戸惑いました。いや、一言では決められないし、そもそもそんなひどいことを言う医者などいないのでは……と思ったからです。 よし、ここは書くのをよそう。そう思っていたある日のことです。私は東京で行われたあるイベントで司会の方のむちゃ振りにより「会場にいる方々からの質問になんでもお答えする」ことになりました。すると、「医師にこんなひどいことを言われたのだが、どう思いますか?」という質問が相次いだのです。聞けば、確かにかなりひどいことを言われている。驚きました。その中には前述の「セカンドオピニオンを申し出たら、怒られた」話もありました。 そのイベントの後から、この「医者のこの言葉が出たら、転院を考える」を再検討せざるを得なくなりました。ここでは、正確には転院というより、主治医の変更を考えるということです。 ずばり、この言葉があったら主治医を替えましょう。それは、「失礼だ!」という言葉です。 これは致命傷です。医者はなぜこんな言葉を使うのでしょうか? それは「私は医者なので、敬意を払うべきだ」という気持ちの現れであり、その裏には「治療してやってるんだから、敬いなさい」という考えが透けて見えます。このような医者は、すぐに替えた方がいい。間違いありません。このコラムを医師のみなさんも読んでいただいているかもしれませんが、お伝えしておきます。あの時代は終わったのです。医師は聖職で、白衣を着ているだけで敬意を集めるという時代は』、「「失礼だ!」という言葉」を吐く医師が例外的に少なければいいのだが、結構多いのではとの危惧も残る。
・『ドクハラを受けたらどうする?  ただ、医者をやっていると患者さんやご家族から「それはさすがに失礼なのでは」と思わざるを得ないレベルの「暴言」を逆にぶつけられることはあります。私も「このヤブ医者、とっとと辞めてしまえ!」「先生は人殺しですね」などと過去に言われたことがあります。 これは深くダメージを負います。こんな言葉を発するのは、多くは経過が悪く、亡くなってしまった患者さんのご家族などですが、そういう場合は私も八方手を尽くした場合が多いのでなおさらつらいです。が、やむなしと思うしかありません。自分の努力が足りなかった、配慮が足りなかったと思うしかないのです。 医師からのひどい態度のことを「ドクハラ」などと言うことがあります。和製英語ですが、ドクターズ・ハラスメント、略してドクハラです。ひどいドクハラの言葉を投げかけられたときは、どうすればよいのでしょうか。法的責任を問う、という方法はそれほど簡単ではありませんが、まずは「医師に謝罪を求める」とよいでしょう。直接その医師には言いづらいでしょうから、書面での謝罪の要求でもよいと思います』、「患者さんのご家族など」からの暴言も、確かに困ったことだ。
・『病院にある「ご意見箱」を活用しよう  また、病院にはほぼ必ず「ご意見箱」という名前の投書箱が目立つところに置いてあります。ここに、医師に言われたことを書いて入れるのも一つの手段です。内容によっては院長や事務長など病院幹部にまで届きます。もちろん事実関係の確認はあるでしょうが、本当にひどいことを言う医師に対しては病院側としても雇っているリスクがあります。病院というところは評判が命なので、そういう医師がいるだけで病院経営に関わります。ですから、高い可能性で本人のところへ事実確認と、本当にあった場合には注意がいくでしょう。 いや、そんなことしづらい……とお思いのあなた。インターネットで「ご意見箱 病院」と検索していただくと、とても多くの病院が、ご意見箱に入った投書の内容と、そのお返事を公開しています。「会計が遅すぎる。もっと迅速にしてほしい」「医師に『そのくらい大丈夫ですよ』と笑われた」「医師の説明がなさすぎるし、聞ける雰囲気ではない」「入院中、看護師に友達のような口の利き方をされ不快だった」などのご意見が見られます。こんなふうに書いていただいてかまいませんので、ぜひご活用ください』、「ドクハラ」には「病院にある「ご意見箱」を活用しよう」、というのは使いやすそうだ。それにしても、「医師に『そのくらい大丈夫ですよ』と笑われた」、のまで問題にするのは、患者にも問題がありそうだ。
タグ:医療問題 セカンドオピニオン カンファレンス 日経ビジネスオンライン 中山 祐次郎 (その19)(一介の外科医 是絶筆 がん外科医の本音シリーズ:「医者はがんを切りたがる」は本当か? 第45回 がん外科医の本音①、「抗がん剤の副作用」はなぜあるの? 第46回 がん外科医の本音②、セカンドオピニオンで医者は気分を害すのか? 第47回 がん外科医の本音③) 「「医者はがんを切りたがる」は本当か? 第45回 がん外科医の本音①」 一介の外科医 日々是絶筆 がんにまつわる私の本音シリーズ 『がん外科医の本音』 『医者の本音』の続編 がんの研究者お二人による全体監修と、京都大学の教授で医師でもある先生の部分監修で、私の思い込みや偏りを排除しました ズバリ、外科医は「切りたがる」 「がんが切れる」という言葉をもう少していねいに言うと、「がんを残すことなく取り切れる」とイコールになる がんの治療方針はどこでも同じなのです 「切らない」というより「切れない」 「ガイドライン」 切りたがろうが嫌がろうが、どうしたって切るときは切るし、切らないときは切らないのです 「医者はがんを切りたがる」は本当です。まだ切れる段階の進行度であるがん患者さんであれば、治る可能性があるので、医者としてはうれしいのですから 逆に、切れないがんは、非常に厳しいその後が予想されるということにもなります キレイごと抜きで明かすと…… 医者のもっとも重要な目標は、「患者さんが治ること。そして治らなかったとしても生存が少しでも延びたり、痛みや苦しみが取れること」 黒男先生(仮名)の場合 医者には多数の会議があり、医者同士で相互チェックのようなこともしています。医者は一人で治療をすると、ときに独善的になったり自分の利益へ誘導的になったりすることがあります。ですから、こうして風通しを良くして、コソコソ勝手に治療方針を決めないようにしているのです なぜ「切る」が有効なのか? がんは「切って、取り去れば治る」という性質がある 少しがんが残ってしまった患者さんを何人も見ていくと、残ったがんがあっという間に大きくなり、手術前の状態と同じくらいまでになってしまっていました 「「抗がん剤の副作用」はなぜあるの? 第46回 がん外科医の本音②」 確実に効果が上がった抗がん剤 抗がん剤は、歴史的に毒ガスから開発された ビンブラスチンやビンクリスチンといった抗がん剤は、観賞用植物であるニチニチソウから作られています 副作用として知られる「はきけ」はある? はきけ止めの薬が非常に進歩 現代の医学で克服できていない副作用も…… 「乳がんダイアリー」 オプジーボ──最新の薬はどうか 「高額療養費制度」 その差額は国民みんなのお金でまかなわれています 「セカンドオピニオンで医者は気分を害すのか? 第47回 がん外科医の本音③」 たまの休日には郡山の小さな図書館にこもり小説「泣くな研修医」(2019年2月に幻冬舎より出版)の続編を書いています 2人目の医師の意見を聞くタイミングとは? 医師からがんが疑われ、CTや採血検査などいろいろな検査をし終えた後、「あなたは○○がんのステージ○でした。治療方針はまず抗がん剤をやり、その後手術を考えています」と言われたタイミング 地元で信頼している病院でもいいですし、「がん相談支援センター」に聞いてもよい セカンドオピニオンを聞きたいので、紹介状を書いてください 費用は病院によって大きく異なる 金額は、保険が適用されないため病院によってはかなり高額になります 複数の医師に聞くことで得られる安心感 がんが再発してしまったり、転移をしてしまったりしたときなども、セカンドオピニオンを聞くタイミング このタイミングでのセカンドオピニオンは、患者さん側も非常に難しい選択を迫られることになるでしょう。正解はない中で、「AとB、どちらにするか」を決めねばならないのですから 激怒する医者もいる 怒る医者に限って、治療方針に自信がなく、自分の能力が足りないことを他の医者に露呈することが我慢ならない人です 医者の「この言葉」が出たら転院を考える 「失礼だ!」という言葉です ドクハラを受けたらどうする? 病院にある「ご意見箱」を活用しよう
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東京オリンピック(五輪)予算膨張以外(その8)(大前研一氏 東京五輪後に残るのは不要なインフラと巨大施設だけ、もう東京五輪に間に合わない 大手メディアが報じないサブトラック建設未着工と利権の闇=山岡俊介、選手村マンション「晴海フラッグ」に渦巻く賛否 モデルルーム潜入!本当の価格とリスクは?、東京五輪450万円ツアーを吟味してわかった 組織委の「ダフ屋化」) [社会]

東京オリンピック(五輪)予算膨張以外については、2月1日に取上げた。今日は、(その8)(大前研一氏 東京五輪後に残るのは不要なインフラと巨大施設だけ、もう東京五輪に間に合わない 大手メディアが報じないサブトラック建設未着工と利権の闇=山岡俊介、選手村マンション「晴海フラッグ」に渦巻く賛否 モデルルーム潜入!本当の価格とリスクは?、東京五輪450万円ツアーを吟味してわかった 組織委の「ダフ屋化」)である。

先ずは、1月22日付けマネーポストWEB「大前研一氏、東京五輪後に残るのは不要なインフラと巨大施設だけ」を紹介しよう。
https://www.moneypost.jp/475336
・『文字通りの「新しい時代」が幕を開ける2019年。それに相応しい国づくり、人づくりが必要なことは言を俟たない。ところが現実は、五輪や万博など、一瞬の打ち上げ花火で終わるような「イベント頼み」経済が続くばかりだ。大前研一氏が、2020年の東京五輪について展望を述べる。 大阪万博の開催が決定し、政財界が沸いている。2020年の東京五輪から2025年の大阪万博への流れは、1964年の東京五輪から1970年の大阪万博という半世紀前のデジャブ(既視感)であり、皆がそれに象徴される「高度成長期」の再来を夢見ているかのようだ。 周知の通り、日本経済は1950年代後半から1970年代前半にかけて飛躍的に成長した。その間に東京五輪や大阪万博などによる“特需”があり、「神武景気」「岩戸景気」「いざなぎ景気」などが次々に起こり、やがて日本は世界第2位の経済大国になった。 「その夢よ、もう一度」とばかりに政府、東京都、大阪府は算盤を弾いているわけだが、2020年東京五輪と2025年大阪万博は“捕らぬ狸の皮算用”に終わり、後に残るものは何もないだろう。 東京五輪は、もともとできるだけ既存の施設を活用して新しいハコモノを造らず、コストをかけない「コンパクト五輪」がコンセプトだったはずである。ところが、会計検査院は2017年度までの5年間に国が支出した関連経費が約8011億円に上ったことを明らかにした。2018年度以降も多額の支出が見込まれるため、大会組織委員会と東京都が見込んでいる事業費計2兆100億円を合わせると、経費の総額は3兆円以上に膨らむ可能性が高くなっている。まさに“青天井”だ』、「コンパクト五輪」はどこへ行ってしまったのだろう。
・『しかし、どれだけ莫大なコストをかけたところで、しょせん東京五輪は広告代理店やゼネコンなどが儲けるだけの「禿山の一夜」(*注)に終わるだろう。 【*注:モデスト・ムソルグスキー作曲の管弦楽曲。「聖ヨハネ祭前夜、禿山に地霊チェルノボグが現れ手下の魔物や幽霊、精霊達と大騒ぎするが、夜明けとともに消え去っていく」というロシアの民話を元に作られた】 たとえば、メインスタジアムとなる新国立競技場は、五輪が真夏に開催されるのに、予算をケチったせいで屋根も冷房もないという理解不能な代物だ。あるいは、江東区青海の東京港中央防波堤内側および外側埋立地間の水路に新しく整備されるボート・カヌーの「海の森水上競技場」などは、大会後も有効利用されるとは思えない』、「新国立競技場」の大会後の活用は、「屋根も冷房もない」のではかなり制限されるだろうし、「海の森水上競技場」も「大会後も有効利用されるとは思えない」のであれば、マイナスのレガシーだけが残ってしまうようだ。
・『一方、2028年のロサンゼルス五輪は、公費を1セントも使わない計画だ。閉会式が終わったら不要になるような新しい競技施設は造らず、1932年と1984年の五輪でもメイン会場になったロサンゼルス・メモリアル・コロシアムをはじめ、プロスポーツチームのスタジアムや大学の体育施設など既存のインフラを活用する予定なのだ。 選手や観客の移動手段には、すでにプロジェクトが進行している大量輸送システムを利用するという(ライトレールなど公共交通網の整備・拡張を五輪を利用して実現しようとしている)。また、必要最低限の新しい施設については、民間からアイデアを募集し、最も優れたものを採用して任せる。つまり、その経費を民間資金だけで賄うわけだ。 こうした工夫によって、計画通りにいけば4億~5億ドルの黒字で大会を終えることができるとみられている。実際、ロサンゼルスは過去2回の五輪でも黒字を出した実績がある。 東京五輪の場合は、国、大会組織委員会、東京都がそれぞれいくら負担してどうのこうのとやっているが、公費(税金)を使う時点で最初から歪んでいるのだ。したがって、東京五輪は短い宴が終わったら、残るのは不要な巨大施設や利用者の少ない交通インフラと、国民にツケが回る大赤字だけだろう』、本来は、「社会の木鐸」なるべき日本のマスコミも、東京五輪の公式スポンサーになっているだけに、批判的記事が殆ど出てこないのは残念なことだ。

次に、2月28日付けMONEY VOICE「もう東京五輪に間に合わない。大手メディアが報じないサブトラック建設未着工と利権の闇=山岡俊介」を紹介しよう。
https://www.mag2.com/p/money/644107
・『本紙では昨年7月28日、東京五輪に必須の「サブトラック」建設が間に合わない可能性について報じた。開催を1年半後に控えた今、なんと未だ工事未着工だという。(『アクセスジャーナル・メルマガ版』山岡俊介) ※本記事は有料メルマガ『アクセスジャーナル・メルマガ版』2019年2月18日号の一部抜粋です。ご興味をお持ちの方はぜひこの機会にバックナンバー含め今月分すべて無料のお試し購読をどうぞ』、どういうことなのだろう。
・『関係者は間に合わなくてもいいと思っている?工事が進まないワケ 工事予定の看板すら立っていない(本紙では昨年7月28日、「東京五輪の足を引っ張る利権の闇。大手メディアが報じないサブトラック問題」というタイトル記事を報じている。 それからさらに半年が経過。東京五輪までは残すところ、さらに1年半まで迫った。 だが、本紙は1月30日、そのサブトラック建設予定地(仮設)である明治神宮外苑の軟式野球場を見て来たが、未だ工事未着工どころか、とっくに入札が終わっているのに工事予定を示す看板さえ立っていなかった。 前回記事で予定として指摘しておいたが、昨年9月28日、この陸上競技会に必須のサブトラックの工事も含まれているという「仮設オーバーレイ整備業務」の入札は行われているのにだ』、ますます分からなくなってきた。
・『もう間に合わないのに、なぜ大手メディアは報じない?  何しろ、サブトラックが規定にあっているかどうかの事前検査など考慮すれば、開催1年前には完成してないといけないとの関係者の指摘もあるのだ。 それならもう半年しか猶予はないが、先の関係者はこの手の工事には8カ月は要するとも。 では、間に合わないではないか。むろん、サブトラックがなければ実質オリンピックは開催できない。それだけの問題なのに、このサブトラックの件を大手マスコミが取り上げないのもおかしな話だ。 しかも、「公益財団法人東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会」のホームページを覗くと、この入札結果が出たのはこの2月1日。 なぜ、こんなに発表までに時間がかかったのか?他の発表では入札から10日ほど、また契約金額を明らかにしているケースもあるが、こちらの場合は金額も公表していない。 そして、明らかにされた契約者(落札者)は建設会社ではなく、意外とも思える電通100%のイベント専業子会社「電通ライブ」(ただし各種建設業の許可などは取っている)。 そんな状況のなか、ところが、「たとえ工事が間に合わなくても心配には及ばない」との声も。いったい、どういうことなのか?』、なにやら実質的な裏取引がありそうだ。
・『新国立競技場、「球技専用」のルールは白紙になる?  前回記事でも述べたことだが、東京五輪の会場となる神宮外苑地区周辺は、同地の最大地権者としての(宗)明治神宮、そしてサッカー、ラグビー、陸上競技関係者などが、五輪後の利用も含めて、水面下では利権争いをしている。 こうしたなか、少なくとも現状では、以下のような方向性が有力になって来ているというのだ。 そして、その争いにおいて、本紙の昨年7月28日の記事以降の出来事として、昨年9月、今年開催されるラグビーワールドカップ(W杯)日本大会の名誉総裁に、秋篠宮様が就任したことが大きいという。 神宮外苑にはわが国ラグビーの聖地・秩父宮ラグビー場がある。だが、老朽化が目立つなか、20年代後半までに、同じく神宮外苑内にある神宮第二球場を解体しその跡地に新たなラグビー場を建設するとの報道もある。しかし、新国立競技場を東京五輪後、サッカーなどの「球技専用」とすることが決まるなか、同じ球技のラグビー場建設は“二重投資”だとしてラグビー場新設に反対する声もある。 だが、「秋篠宮様総裁就任で、これまでの秩父宮様の貢献も含め、実質、ラグビー球場=皇室案件となり、ラグビー場廃止はなくなった」(事情通)というわけだ。 そうすると、なおさら新国立競技場を「球技専用」とすることは批判を招く。 「サッカーの聖地・英国ウェンブリー・スタジアムさえランニングコストに苦しんで米国人実業家に売却話が出るほど(中止に)。まして、6万8,000人収用(東京五輪では8万人規模)の新国立競技場では、ハコが出来過ぎて球技専用では大赤字必至。それなら、陸上競技の聖地としていままで通り残すのがいい」ということで白紙撤回になる可能性が高いとの見方が出て来ている』、こんな重要なことが、「利権争い」のなかで未定のまま、というのは信じられないようなことだ。
・『「なぜサブトラック建設が進まないのか?」の答え  その1つの根拠となるというのが、渋谷区長が昨年11月1日、「NIKKEI STYLE」のインタビューを受け、代々木公園に3万人規模のサッカー場建設構想を言い出したことだ。 そして、その建設地として代々木公園のなかでも陸上競技場のある織田フィールドや、その隣のサッカー・ホッケー場を挙げている。 「なぜ、もう時間がないのに軟式野球場でのサブトラック建設が進まないのか? 実はいざとなったら、代々木公園の織田フィールドを使えばいいというのです。既存の陸上競技場を改修するだけなので、いまから着工でも十分間に合う」(別の事情通) 区長のサッカー場建設構想は五輪後のことだから問題ない。 「秩父宮ラグビー場の解体後、代わりに神宮第二球場を解体して跡地に新設する案があるが、そもそも神宮第二球場の面積ではラグビー場建設には足りない。ですから、織田フィールドの機能をこの第二球場に移し、ここをサブトラックの常設場とする。代わりに、ラグビー場は現在の神宮球場跡地に建設。そして、いまの神宮球場は、秩父宮ラグビー場跡地と同じく、明治神宮所有の外苑青山駐車場、外苑テニスコートの一部を併せれば4.6ヘクタールになり、甲子園球場が3.8ヘクタールですから、そこに新神宮球場を建設すれば、すべてが丸く収まるというわけです」(同)』、やれやれ、関係者の思惑がここまでこじれているとは、驚く他ない。
・『大地主「明治神宮」にとっても美味しい話がある?  もっとも、前回記事でも触れたように、サブトラック問題がここまでこじれてしまったのは、この神宮外苑一帯の大地主である明治神宮に対し、東京都、それに新国立競技場の建設主である「日本スポーツ振興センター」(JSC)が同地利用に関して話し合いを持たず、礼を失したため、明治神宮が激怒。そのためサブトラックの場所を巡り揉め、やっと軟式野球場に決まったものの常設はダメとなり仮設に。その後も水面化でゴタゴタがあり、建設が遅れているとの見方もある。 その明治神宮が先のような建設計画を仮に持って行ったとして、果たして認めるのか。 「それについては、新神宮球場を建設した残りの土地を有効活用するなど、明治神宮にとっても美味しい話が水面化で進められているようですから」 すでに今年秋オープンを目指し、神宮外苑地区の北側では「神宮外苑ホテル」の建設が行われている。 これは明治神宮が「三井不動産」に土地を貸した結果で、同地は風致地区として厳しい高さ制限が設けられて来たが、東京都が地区計画を見直した結果、高さ50m、13建てのこのホテルが森林の中からぬっと顔を出すことになった。 周辺住民からは「金儲け主義!」と反対の声も上がっていたわけで、他にもこの地区では複数の高層ビル計画が進んでおり、明治神宮とて別に利権を拒んでいるわけではない。 今後、この見立て通り進むのか要注目だ』、「東京都が地区計画を見直した結果」、というのは予め予定されていたに違いない。神宮外苑の「風致地区」の景観が台無しになるとすれば、これも五輪のマイナスのレガシーになるのだろう。

第三に、5月14日付け東洋経済オンライン「選手村マンション「晴海フラッグ」に渦巻く賛否 モデルルーム潜入!本当の価格とリスクは?」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/280843
・『2020年に開催される東京オリンピックの選手宿泊施設「選手村」の建設が今、東京都中央区晴海で進んでいる。跡地は巨大なマンション街となって一般に販売される計画だが、その値段については、これまでさまざまな噂が業界で立ち上がっては消えてきた。周辺相場よりも大幅に安く売りさばくに違いない、という声。一方で、周辺相場とほとんど価格差はないだろう、という声もあった。 価格が話題になってきたのは、首都圏のマンション市場に与える影響が大きいからだ。大会中に選手村として使われた後、内部をリフォームして新築として売る中層マンション17棟に加え、大会終了後にタワーマンション2棟を新設する。その総分譲戸数は何と4145戸。過去最大級の民間分譲マンションでも2100戸程度だった。今回は倍近い規模になる。 この「晴海フラッグ」と称される、史上最大の分譲マンションプロジェクト。三井不動産レジデンシャルや三菱地所レジデンス、野村不動産、住友不動産など大手デベロッパー10社が勢ぞろいして開発と販売にあたるのも、異例のことだ(施行者は東京都)。価格設定いかんでは周辺相場に影響を与えてもおかしくない。 モデルルームは4月27日から公開し、物件の申し込みも今夏から始める。しかしながら、4月23日に開かれた記者向けの事業説明会では、「正式には調整中で決まっていない」ことを理由に、「5000万円台~1億円以上」と大ざっぱな価格帯を公表するのみだった。警戒心からか、残念なことに、マスコミ向けに販売価格を公にするつもりはないようだった』、「総分譲戸数は何と4145戸」、とは本当に大規模だ。
・『GW中は1200組が来訪、若い家族層がメイン  しかし、完全予約制で開催される購入希望者向けのモデルルーム案内会では、“参考値”として価格が知らされるという。そこで今回、モデルルームにお客として出向き、詳細を調べてみた。 ゴールデンウィーク(GW)最中の晴海。あちらこちらに建設中のクレーンがそびえ立つ、そのコンクリート街がひときわ熱気を放っていたのは、一足早く夏の日差しが照りつけていたせいだけではない。若い夫婦、年をとった夫婦、小さい子どもを連れた家族――。人々が次々と原色で彩色されたモデルルームに吸い込まれていく。 GW中の来場者は1200組超に達し、案内会の入場枠は6月末までいっぱいだという。記者が参加した日は、若い夫婦が参加者の多数派を占めていた。うち1組の夫婦は、女性が初夏らしいオレンジのワンピースにトートバック、男性は清潔感ある水色のシャツにデニムの装いで、生まれたばかりの子どもを連れていた。リタイア後と思えるシニアの夫婦も少数いた。モデルルーム内に設けている託児部屋は早朝から満杯となっていたのである。 担当営業員による物件概要の説明、紹介映像の視聴、モデルルームの内見、といった新築分譲マンションにはつきものとなっている一連の“儀式”を終える。すると営業員は、「いよいよお待ちかねの……」と前置きして、価格帯と販売住戸についての具体的な説明に入った。 4145戸の晴海フラッグの住戸のうち、初回の販売では、南側街区(SEA VILLAGE)5棟中3棟、南西側街区(PARK VILLAGE)7棟中4棟が対象になる。住戸数に換算すれば、700戸弱が第一期の販売対象になる。 南側街区3棟は、3LDK(85~96㎡)で7000万円台後半から8000万円台後半、4LDK(95~127㎡)で8000万円台後半から1億3000万円の幅だった。南西側街区4棟は、3LDK(75~92㎡)で6000万円台前半から1億1000万円、4LDK(87~106㎡)で6000万円台前半から1億3000万円、という価格帯だった。 平均坪単価はおよそ302万円という計算となり、近隣で分譲中のマンションと比べて平均的には割安感がある。住友不動産が販売中のタワーマンション「ドゥ・トゥール」で平均坪単価366万円、「ベイサイドタワー晴海」で坪単価396万円、三井不動産の「パークタワー晴海」も坪単価344万円となっている』、「平均坪単価」には確かに「割安感」がありそうだ。
・『坪302万円は割安だが、物件ごとに価格差も大  ただし実際は、個々の物件ごとに大きな価格差がある。ベランダから東京湾とレインボーブリッジが一望できる南西側街区の14階建てA棟は、晴海フラッグの中でも特等席という位置づけだ。価格帯は「億ション」がズラリと並び、低くて9100万円からの価格設定だった。他方、「この部屋は安すぎて予約が殺到しそうだ」と営業員が指し示したのが、南西側街区C棟にある4LDK(87㎡)の部屋である。ベランダから海が望めない分、東京都中央区では破格の6400万円に設定している。 終わり際、値引きの可能性があるかを訪ねてみると、営業員は「ありません」と即答した。「まだ案内を始めたばかりで、実際の引き合いはわからない」としつつも、売れ行きに自信を持っている様子がうかがえた。 モデルルーム訪問を終えて帰途につく顧客に感想を訪ねてみた。 小さい子どもを1人連れた30代の若い夫婦は「総じて期待以上だった」との感想。「いちばんの魅力は物件価格。このあたりの新築では安い、坪単価270万円前後の物件もけっこうあり、購入の本命度は高い」と打ち明ける。現在は豊洲の2LDKのマンションに住んでいるが、もう1人子どもを作ることを考えると手狭なため、住み替えを検討している。マイナス要素としては、最寄りの勝どき駅から徒歩20分かかることを挙げた。「私たちは共働きなので、この駅距離はきつい。BRT(バス高速輸送システム)が通るようだが、本当に輸送力として足りるのかどうか」。 駅からの距離を意に介さないという人もいる。1人で来ていた、背が高くいかにも外資系勤務といった風貌の20代後半男性は、「自分は自転車通勤するのでネックとは感じていない。今もこの近辺の自宅から会社に自転車通勤している」と説明する。それよりも、エネファーム(家庭用燃料電池)を全住戸に採用するなど、最先端技術をふんだんに採用している点に関心を持ったという。 しかし、駅からの距離は、物件の資産価値(再販価値)を左右する重要な要素である。著名マンションブログの「マンションマニア」管理人で、マンション購入相談にものる星直人氏は、晴海フラッグについて「資産価値?なにそれ?おいしいの?こんくらいの気持ちでないと」と、Twitter上で言及した。取材に対して星氏は、大暴落するほどの不安はないものの、駅から距離があるなどで将来の資産価値については、都心物件であっても楽観視できないという。 東京都中央区月島からモデルルームの見学に来た30代後半の夫婦もこう語った。「晴海フラッグは住戸数が非常に多いため、需給のバランスも安定しにくいだろう。将来の資産性には目をつぶって、新しく生まれる大きな街にずっと暮らし続けるぐらいの意志がないと厳しい」』、触れられてないリスクとしては、埋め立て地特有の「液状化リスク」もあるだろう。
・『「資産価値を維持できるのか」に不安の声も  物件価格は割安だが、維持コストが高い難点も見逃せない。 最先端の設備や防犯システム、51の共用ルーム、豊かな植栽というメリットを享受する対価として、住民は平均して月4万円前後の維持費(管理費、修繕積立金など)を払う。晴海フラッグのポピュラーな部屋である85㎡3LDKでいえば、管理費で月2万5000円、修繕積立金で月1万1000円、加えてインターネット使用料やタウンマネジメント費などが月3000円かかってくる。 駅徒歩20分にもかかわらず、駐車場容量の少なさにも不満の声が挙がる。駐車場台数は1900台程度であり、分譲住戸数4145戸に対する駐車場台数の比率(駐車場設置率)は約45%。これを上回る利用者がいた場合は抽選になり、仮に漏れれば駐車場を使えない。 銀座の目と鼻の先に割安な物件が手に入るプラスの要素の反面、駅からの遠い距離と資産性の弱さ、維持費の高さなどマイナス要素もまた浮かび上がった。不動産市場の活況に陰りが見える中で、ますますシビアになった消費者は、世紀の出ものにどう反応するのか。未曾有の物件の真価はこれから明らかになる』、大いに見物だ。

第四に、作家・スポーツライターの小林信也氏が7月28日付けダイヤモンド・オンラインに寄稿した「東京五輪450万円ツアーを吟味してわかった、組織委の「ダフ屋化」」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/210004
・『今週、東京五輪2020のパートナー企業である旅行代理店各社から、オリンピック公式観戦ツアーの概要が発表された。いずれも一定の受付期間を経て、抽選で当選者が決まるシステムだ。 観戦チケットが第1次抽選販売で当たらなかった人、当たったけれど本命のチケットは入手できなかった人にとって、ツアーとセットで入場券が手に入る旅行商品は期待の的になっていた。が、発表されたツアーの内容や代金を見て、期待はしぼみ、サーッと、熱が冷めて打ちひしがれた人が多いのではないだろうか?』、その通りだ。「組織委の「ダフ屋化」」とは言い得て妙だ。
・『誰が行くんだ、これ! JTBの目玉は450万円ツアー  JTBの目玉は、「18泊19日、京王プラザホテルのスイート2名1室利用、お1人様450万円」。 「よ、よんひゃく50万円! 誰が行くんだ、これ!」と、突っ込みを入れつつ、サーッと腰が引けた人が日本中に大勢いただろう。開会式A席(30万円)、閉会式A席(22万円)がセットになっている。連日1種目ずつのプログラム。柔道、体操、ソフトボール、水泳、バドミントン、陸上、卓球、バレーボール、サッカー、野球、新体操……。そのラインナップを見れば、「そりゃ、お金があれば行きたいさ」と、空しく呟く以外に手がない。そして、心の中にぽっかり穴があく。 「東京オリンピックで国民に希望を与える、日本を元気にする」 そんなメッセージが空しく響く。そうか、東京五輪2020は、「さあ皆さん、お金持ちしか幸せになれません。人生を謳歌したければ、ウソをついても何をしても、お金持ちになることです」という現実を思い知らせるためのイベントなのか、と私は思ってしまった。 そもそも、450万円を余裕で払えるリッチな人が、他人が決めたスケジュールを従順に受け入れ、19日間も忠実に従う謙虚さと律儀さを持っているだろうかと、ふと考える。 頭に浮かんだのは、サッカーW杯ロシア大会、先ごろのウィンブルドン・テニスのスタンドでも目撃された有名な日本人実業家とタレントのカップル。仮に彼らが購入したら、きっとホテルにはずっと泊まらないだろう。 そうなれば、ホテルは無駄に空いてしまう。競技も、興味のない数種目はパスするかもしれない。その分は、旅行代理店がリセールサイトに出すのだろうか?など、余計なことを想像してしまう。だが、前向きに考えれば、そこから流れる余剰チケットをゲットする可能性が生まれる、と庶民は夢を持てるわけだ』、「450万円ツアー」とは格差社会を如実に示している。
・『前半は怒涛のメダルラッシュ必至 高額ツアーの価値ありの内容に  気を取り直して、450万円ツアーの内容を吟味してみよう。 開会式の翌日は柔道。男子60キロ級と女子48キロ級。いきなり金メダルとの遭遇も期待される。翌3日目も柔道。男子66キロ級と女子52級。連日のメダルラッシュでいきなり気分高揚の期待大。そして4日目の体操は男子団体決勝。内村航平がケガから復調してくれれば「体操ニッポンがまたメインポールに日の丸を!」の期待が膨らむ。 その後も、ソフトボール(3位決定戦)、体操(個人総合決勝)、水泳(男子200m平泳ぎ決勝、100m自由形決勝、女子200mバタフライ決勝など)、バドミントン(混合ダブルス決勝、女子シングルス準々決勝)、陸上(女子100m決勝など)、陸上(男子100m決勝など)、バドミントン(男子シングル決勝)と、怒涛のメダルラッシュ、あるいは日本選手だけでなく世界のトップレベルを堪能できるプログラムが10日間ずらりと並ぶ。 高額ツアーの価値ありとうならざるをえない。だが不思議なことに、後半に入った11日目から13日目は決勝以外のプログラムが組まれている。終盤に備えての休養の意図だろうか。そしてラスト3日間はまた、サッカー女子決勝、野球決勝、新体操女子団体決勝、閉会式となだれ込む。東京五輪2020をほぼ満喫できるといっていい内容ではあるだろう。 これを見ていたら、スポーツライターであるならば、このツアーに申し込むのが当然ではないかとさえ思えてくる。そしてスポーツライターなら、1日1種目という比較的余裕のあるスケジュールというメリットを生かし、午前や午後、ツアーの日程が自由な時間帯には他の競技も見に行くだろう。例えば、レスリング、アーチェリー、テニス、水球、そしてアーバンスポーツ系のBMXやスポーツ・クライミング、スケートボードなどは入っていないから、自分で見に行きたい』、「スポーツライター」ならば、記者証で自由に観られるのだろうが、本稿は読者目線で書いているのだろう。
・『近畿日本の『制覇ツアー』は応援というより研修?  もう1つ、近畿日本ツーリストが発表した『制覇ツアー』がある。「全競技観戦を制覇!競技観戦コンプリートコース17日間」というもので、宿泊は銀座キャピタルホテルだ。 7月24日にホテル集合。開会式はホテルのテレビで見る形(笑)。25日から連日、2種目か3種目の観戦スケジュールが組まれている。7月25日は、海の森水上競技場のボートに始まり、世田谷・馬事公苑に移動して馬場馬術。26日は有明アーバンスポーツパークのスケートボード(ストリート)からカヌー・スラロームセンターに移動してカヌーのスラローム、さらには東京アクアティクスセンターで競泳を見て帰る。同じエリアだから移動距離は少ないが、炎天下の観戦は猛暑になればきついだろう。 このツアーは前半、あまりメダルの決定に遭遇しない。どちらかといえば応援というより、研修ツアー。「すべての競技を見学し、基本を学ぶ」といった印象を受ける。後半になると、陸上男子100m決勝、BMX男女フリースタイルパーク決勝、レスリング女子57キロ級決勝、男子サッカー決勝など、がぜん応援モードがシフトアップする。 前半でいかに体力を温存、あるいは厳しい観戦態勢に順化させて最後まで駆け抜けるかという設定に見える。これで180万円は、450万円を先に見ているからリーズナブルに感じるが、本当にそうかどうかは分析が必要だ。 この他にも、6泊7日タイプ、2泊3日タイプ、横浜エリアに絞ったコース、BMXやスケートボード、スポーツ・クライミングなどに特化したコースなども発表されている。私は高額な目玉ツアーより、これら短期でテーマを絞ったツアーを選ぶ方が現実的だと思う』、「短期でテーマを絞ったツアー」は確かに有意義だろう。
・『450万円ツアーを計算するとチケット代はたった133万円!  さて、改めて450万円のツアーだが、計算してみると、ツアーに含まれるのは18種目と開会式、閉会式。ほとんど最高値のA席だが、ソフトボールなど3日だけはB席となっている。手元の計算が間違っていなければ、チケット代の合計は133万4800円。あれ?ツアー代金はそれより約316万円以上も高い!これが宿泊費や移動交通費など? いくらなんでも、パートナー企業が独自枠で入手できる入場券の付加価値に値段を乗せすぎていないか? 東京五輪組織委員会は、チケットの不正転売を厳しく禁じている。それを国家的に断行するため、略称『チケット不正転売禁止法』が6月14日に施行された。来年公開が予定されている、不要になったチケットのリセールサイトでも「定価で売買される」という。 いわゆるダフ屋の暗躍を阻止し、また近年では当たり前になっているネット・オークションでいたずらに価格が高騰し、善良な国民や海外からの訪問客が被害を受けないようにとの意図だと一般には理解されている。 しかし、チケットの価格を巧妙に吊り上げているのは、組織委員会とパートナー企業の方じゃないかと感じてしまう。 入場券が売り出され、ツアーが発表され、東京五輪組織委員会の一般の国民からはかけ離れた金銭感覚が明らかになった。彼らの視線が向いているのは多くの国民の方でなく、一部の富裕層やパートナー企業。そして、自分たちの懐にザックザックと運営費を回収するための収益が飛び込んでくる方策しか頭にないのではないかという実感が増してくるのは私だけだろうか』、「組織委員会とパートナー企業」への手厳しい批判には、諸手を上げて賛成だ。こんなことでは、国民的行事には程遠いものになってしまうだろう。
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